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1月 03 2013

神の言葉を聞くか、悪魔の言葉を聞くか

前回のブログに元旦の天気はよかったと書いたのですが、北海道や東北、日本海側など大荒れの天気になっているようですね、名古屋もやたら寒いし、よい天気とはとてもいえません。

それもこれも、まだ気づいている人が少ないからでしょう。心を変えていかないと今年からは本当に危ないと思いますが(去年からすでにかなり恐ろしいことが起きはじめていますから)そういう自覚がある人がまだまだ少ないのでしょう。天気がなかなかよくならないというのもよく分かる話です。(それに最近また救急車のサイレンをよく聞くようになりましたし。多くの人がいつまでも責任転嫁しているのではなく、謙虚に反省し心を入れ替えたらいかがでしょうか)

それはそうと、今年も元旦からヘリが勢いよく飛んでいますが休みナシですね。(せめて三が日くらい休まれたらどうですか?)どなた様でしょうか?国防軍ですか?…まだありませんでしたね、国防軍など。(年がかわったら名前も自動的にかわるとかそうはならないんですね〔笑〕)

何度もいいますが、あのヘリ代大分かかるんでしょうね…もったいない話です。毎日飛ばして。いくらかかってると思ってるんでしょうか。(別に私がお金払ってるわけじゃありませんが)その一部を私に回していただけないでしょうか?(同じことでしょう、どうせ私を見張ってるんですから)

そうすれば天気の悪いのや、恐ろしい現象も少しは収まるというのに、何時までも理解していただけないのは残念です。

そういえば、一人二人の方から連絡いただけましたね、去年の大晦日に。一人の人は詫びられましたが、もう一人の人は寄付します、といったきりですがどういう意味でしょうか?

マァ、連絡きた人の詮索はしないと書いていますので、それほど深く詮索はしませんが、まだ詫びたい人たくさんいるみたいですね、なら、詫びられたらどうでしょうか?

GTS心の研究所は今週一杯正月休みですので(笑)まだ「より厳しくお導きください」とは祈っていません。(どっちみちそんな祈り、してもしなくても、今年は去年異常に心が悪い人には現象が現れるのですから同じことでしょうけどね。正法の世がこれからドンドン深まっていくのですから、末法の心のままの人には次々に現象は現れます)他に詫びられる人(反省される人)いられるなら今週一杯はお待ちしますよ。

反省される人は日曜日までに、何らかの形でご連絡ください。

これも何度もいいますが、そんなことしなくてもいいなどといってる人(または思ってる人)など、心の低い人か完全に悪魔にやられた人です。(悪魔に憑かれてしまうと、もう私などは邪魔で邪魔で、嫌いで嫌いで仕方なくなりますからね、その悪魔の唯一の敵が私なのですから)そんな人のいうことを聞けば百パーセント不幸になります。(現実にそうなった人多いでしょう。すでに結果が次々に現れています)

もう少し現実を見られたらどうでしょう。そういう人たちのいうことを聞いて、一体誰が幸福になったというのでしょうか?そういう人のいうことを聞いたばかりに、多くの人が(次々に救急車で運ばれるという)不幸に見舞われたのです。

そのような不幸を、その人たちは自分たちのせいにしたくないばかりに、全部私のせいにしているのです。すべて責任転嫁しているのです。そのような責任転嫁ばかりして、自分で責任を取ろうとしない、その人たちに憑いているのは悪魔なのです。(自分たちにはまったく責任がない、などという言い方自体すでにおかしいでしょう、片方の責任だけでこんなことが起きるわけありません。何らかの責任は両方にあるのです)

そうして私についているのが神なのです。私はそのような証明をすでに何度も行っています。

もうソロソロ勇気を出して立ち上がられたらいかがでしょうか。そういう人も(少数ではありますが)出てきています。自分で立ち上がらなければ幸福は来ません。人任せでは幸福にはならないのです。分からない人は置いていけばいいのです。自分だけでも救われることが、そのような人たちをも救うことになるからです。(救われる人が増えれば、それを見て、何もしなくてもいいと思っている人たちも反省するからです)

まず、自分がやるのです。人はどうでも自分がよいことをすればいいのです。(こういう時はそれでいいのです。その姿が他の人によい影響を与えるからです)

悪いことは、どれだけ多くの人がしていようとやってはいけないし、よいことは誰もそれをしていなくてもやるべきなのです。それが心の成長に繋がるからです。

今週一杯(日曜日まで)お待ちします。心を変えよう、今年から生まれ変わろう、と思っていられる方はこれ以上のチャンスはありません。

どうぞ、神の運動にご協力ください。

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1月 02 2013

アガシャとパニュエル

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

元旦の名古屋は、少々寒かったのですがよい天気になりました。このような天気が今年は続くとよいのですが(去年一昨年など凄まじい天気が続きましたから)こればかりはどうなるか分かりません。

今年、多くの人に法が伝わり、その法を実践する人が増えれば天気もよい日が続くでしょう。そうなることを願います。

さて先日、あることを思い出しましたので、新年初のブログは、その話を書きたいと思います。

それは遠い遠い昔の天上界での話です。

天上界の光の大指導霊や大天使といわれる方々は、この世に肉体をもたれた時の名とは別に、あの世、実在界での名前がちゃんとあります。たとえば園頭先生はガブリエルでしたので、実在界にはガブリエルという名がありますし、釈尊はカンターレ、キリストはアガシャといわれます。

そのアガシャ(キリスト)と七大天使の一人であるパニュエルが、ある星に特使として派遣された時のことです。

アガシャはエル・ランティーからの命を受け、他の天体にある地球と同じような環境にあって、同じように修行している人々がいるある星へ、表敬訪問のような形で派遣されたことがありました。その時にアガシャのお供としてついて行ったのがパニュエルです。

その星には、地球と同じようにその星の全権を任された真のメシアが存在し、また、そのメシアの手足となって使命を果たす大天使もいられました。

そのメシアとアガシャが別室で話をされ、パニュエルはその星の大天使たちと交流を図っていたのですが、その中の一人の大天使が、やたらとパニュエルにからんできました。そのからんできた大天使とは、その星の現象系の大天使であったのです。

パニュエルが起こす現象は、激しく大きいことで有名で、他の星々の天使たちにまで聞こえていました。それが、その星の現象系の大天使には面白くなかったのです。

「あなたが起こす現象は、大変大きく激しいと聞いていますが、ぜひその現象を見せていただけませんか?参考にしたいものですから」としきりに現象を見せろと、その大天使はパニュエルに迫ってきました。

しかし、他の星から派遣されてきた天使に、現象を見せろというのも失礼な話で(それはそうです。例えば日本の特使が他国に行き、その国の人に、あなたは大変頭がいいと聞いているが、それほど頭がいいならその証拠を見せろ、といわれているようなものですからね、こんな失礼なことはありません)最初パニュエルは「それほどの現象ではありませんので」と適当にあしらっていました。また、周りの大天使たちも「バカなことをいうな」とその天使をたしなめ「失礼なことをいい申し訳ありません」とパニュエルに詫びていられたのですが、どうしても、その現象系の大天使は聞きいれませんでした。よほどパニュエルの評判が面白くなかったようです。(どこの星でも、すぐ妬んだりひがんだりする人はいるようです〔笑〕)

最初は下手に出ていた、その星の現象系の大天使でしたが、自分の誘いに一向にパニュエルが乗ってこないと見ると「あなたが大きいといわれているのは、現象ではなく、口なのではないのか?あまり口だけで大きなことをいわれても、他の天使たちが迷惑します。少々大口は控えられたらいかがでしょうか」と、あらかさまにケンカを売り始めたのです。

さすがに、そこまでいわれてしまうとパニュエルも引けませんでした。

「分かりました。それほどいわれるならお見せしましょう」と、その大天使の申し出をうけたのです。

パニュエルも少々短気なところがありました。それで「どうですか、あなたもそれほどの大口をたたかれるなら、その現象を私に見せていただけませんか?どうせなら力比べをしましょう、自信がないなら結構ですが」とケンカを売り返したのです。

その星の大天使の顔色が変わりました。

それなら私も見せようということになり、パニュエルと、その星の大天使は人がいない離れた場所まで移動することになりました。その離れた場所に、パニュエルとその星の現象系の大天使以外は誰もついてきませんでした。現象系の大天使が力比べをすることの恐ろしさを、他の大天使たちはよく知っていたからです。

離れた場所まで来たその星の大天使は、パニュエルに向かい「あなたはこの星のことをよく知らないであろう、だから先にやるといい」とパニュエルに現象を現すよう促します。

そこでパニュエルは「私が先に現象を現せばあなたの出る幕がなくなる、それでは気の毒ですから、あなたが先にやってくれれば結構ですよ」と小バカにしたようにいいました。

完全に、その星の大天使が怒っているのが分かりました。恐ろしい形相でパニュエルをにらみつけ、その星の大天使は現象を現し始めたのです。空は黒雲に覆われ、激しい雨と風が吹き荒れます。稲光もし始めました。その現象をパニュエルは薄笑いを浮かべながら見ていたのです。

風が吹き荒れ、激しい雨がパニュエルの身体を打ちました。カミナリもパニュエルの近くにいくつも落ちたのです。

「では、私も現象を現そう」そうパニュエルがいった刹那でした。

一方からモクモクと黒雲が湧き上がってきたのです。しかし、その黒雲は先ほどの大天使が現した黒雲よりも、もっと漆黒で厚みのある数倍の規模のものであったのです。

その巨大な黒雲が現れると同時に暴風が吹き出し、黒雲からは激しい雨が降りだします。その豪雨の中にはヒョウまでまじっていました。

暴風と豪雨とヒョウがその星の大天使を襲います。その大天使といえば、その起きる現象のあまりの激しさに、自分の現象を現すことも忘れ防戦一方でした。そこに激しい稲光が起き始めたのです。そうしてカミナリがあちこちに落ち始めたのですが、その落ちるカミナリは、カミナリというよりイカズチといった方がいいくらいの、激しく大きなものでした。

そのイカズチが大天使の近くに落ち始めました。物凄いごう音が響き渡り、暴風と豪雨とヒョウとそのイカズチで、その大天使はパニック状態です。しかし、パニュエルは平然とその巨大な現象を現し続けたのです。

その時でした。

「何をやっているのか、このバカ者が」

大きな声が響いたのです。

その声にパニュエルは我に返りました。その声の主がアガシャとすぐ分かったからです。後ろを振り向くと、物凄い形相でパニュエルをにらみつけるアガシャが立っていました。

他の大天使たちが、パニュエルたちが出てった後に、これはえらいことになったということで、すぐに別室にいたアガシャを呼びに行き、それを聞いたアガシャがあわてて止めにきたようでした。

今度はパニュエルの顔色が変わります。頭をアガシャからはたかれ散々説教されたあげく、その星の大天使に詫びを入れ、地球に帰ることになったのです。

パニュエルは少々短気なところがあり、一度怒ってしまうと、とことんまでやってしまうという悪い癖がありました。アガシャはその悪い癖を知っていたため、わざと大勢の(他の星の天使たちがいる)目の前でパニュエルを叱ったのです。

しかし、そのように普段から注意を受けても、パニュエルのその悪い癖はなかなか直らず、後にサタンに憑かれるという失態まで犯すことになるのですが(そこで初めてパニュエルは、その悪い癖を反省するのです)その話は前に書きました。

今年は、その他の星にまで聞こえるほどの現象を現す、パニュエル大天使に、現象は現してほしくはありません。

多くの皆さん気をつけましょう。(今年始めから脅してますね〔笑〕)

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12月 31 2012

除夜の鐘と百匹目の猿

今年も今日が最後となりました。早いというより、いろいろ起きた年だったというのが、私の率直な感想ですね。

今年最後くらい愛のある安らぎのあるブログを書きたいのですが、どうもそうはいかないようです。

今晩遅くから年明けにかけて、あちこちのお寺で除夜の鐘がつかれます。その鐘の音で、面白いことを高橋先生がされたことがありますので、その話を少し書いてみましょう。

あるお寺の坊さんが、真摯に祈りながら鐘をついていたそうです。それを見ていた高橋先生が、その坊さんのつく鐘の音に乗ったらどこにいけるのか試されたそうです。(もちろん肉体ではなく、幽体離脱をして幽体でです。音も光のエネルギーですからね、そのエネルギーの上に霊体でなら乗れるそうです)

すると、その坊さんのついた鐘の音は、そこら辺をぐるぐる回っただけで、しばらくすると消えてしまったそうです。また、ある坊さんが上げるお経にも、高橋先生は乗られたことがあるそうですが、その坊さんの唱えるお経も、そこら辺をぐるぐる回っただけで消えてしまったそうです。

つまり、この坊さんたちは外から見ると、いかにも敬虔に熱心に鐘をついたり、お経を上げたりしていましたが、その祈りはまるで天に届いていなかったのです。(ということは、どれだけ祈ろうがその祈りはきかれない、ということです。天に届かないのですから)

ところで、私はここ数日間パソコンで、いろいろな有名な女の子のブログをチェックしていました。なぜそんなことをしていたのかといえば、もちろん法に縁のある子がどれくらいいるのか知りたかったからです。

そうしたら、私の勘違いもあるかもしれませんが、ずいぶん多くの子が私のブログを読んでいるように感じました。(十代の子まで読んでるように感じましたが、十代の子まで読みますかね、私のブログ?)

どれくらい、私のブログを読んでる子がいるのかはっきり分かりませんが、かなりいるのではないかと思えました。

このブログを読んでる人で「百匹目の猿」という現象を、ご存知の方もいられると思います。

この百匹目の猿の現象とは、ある猿山に数百匹の猿がいたのですが、その中の一匹が芋を洗って食べるようになりました。しばらくすると、それをまねする猿が一匹、二匹と出てきたのですが、その芋を洗って食べるのをまねする猿が、九十九匹くらいまでは、ずいぶんゆっくりしたスピードで拡がっていたそうです。

それが百匹を過ぎた辺りからでしょうか、一変にその“芋を洗って食べる”という現象が、その猿山全体の猿に拡がってしまったのです。

なぜだか分かりませんが、百匹を過ぎた辺りから、そのような行為の拡がるスピードがとたんに上がったのです。それも信じられないくらいにです。不思議なことですが、しかし、不思議なことはそれだけにとどまりませんでした。

その猿山の近辺にある同じような猿山でも、その行為(芋を洗って食べる)が伝わり、あちこちの猿が同じことをしだしたそうです。

近辺にある猿山とはいえ、その距離は数百キロも離れていて、もちろん猿同士の交流などまったくありませんでした。それなのに一変に他の猿山でも、多くの猿たちが同じように芋を洗って食べるという行為をしだしたのです。

つまり「百匹目の猿現象」とは、少しずつ拡がっていた行動が、ある一定の臨界値を超えると、とたんに、まるでテレパシーでも使ったかのように、大きく拡がる現象をいうのです。

私のことは、今年名古屋だけでも数百から数千(あるいはもっと多く)の人が知ったのではないでしょうか。(だから嫌がらせをする人が増えたのですが)ということは全国的に見ればどれだけの人が私のことを知ったのか分かりません。

では、ソロソロこの「百匹目の猿現象」が起きても不思議ではないのではないでしょうか。

そういうこともあり、一体どれくらいの有名な子が私のブログを読んでいるのか(または噂を聞いているのか)を調べていたのです。私が調べたのは女の子だけです。(男まではさすがに無理です。それに男にあんまり合わされても気持ち悪いでしょう〔笑〕)

私の噂が、テレパシーのように皆に伝わるということはありませんが、有名な子が私を知ったのであれば、そういう子の周りには多くの人が集まります。そのような子から発信されれば、私のことが百匹目の猿現象のように、拡がらないとも限らないのです。

もし年が明けて、私のことを多くの人が知り支持する人が増えれば、今度は攻守ところをかえ、私に嫌がらせした人が、皆から攻められるということにもなりかねません。(いずれはそのようになると思いますが)

今日の除夜の鐘が鳴るまでが期限です。その鐘をつく坊さんは天までその鐘の音が届きませんが、私がつくなら届くでしょう。(祈りがきかれているのですから)

そのような者に嫌がらせをしたのです。謝らなくてもいいのでしょうか?

何度も言いますがよくよくお考えください。

追伸…何か最後まで殺伐としたブログになってしまい残念です。しかし、法が拡がっていない現在、そのような内容になるのも致し方ないと思われます。

しかし、今年の最後にずいぶんきれいな子たちが、私のブログを読んでいるということが分かり、それはそれで愛をいただけたようでよかったです、元気が出ましたから。(残念な子、全然愛を出そうとしませんから)

もう今年も終わりです。そうであるならば、今年(あるいは過去に)あった嫌なことや心についた傷などあったとしても、そんなものは全部捨てて忘れてしまうことです。(そのようなことを心に残しておけば、それが不幸の種となり幸福な人生を歩めないからです)何か嫌なことをされたことがあるなら、その嫌なことをした相手を許してやり、忘れられない人がいたとしても、どうしてもその人と一緒になれないのであれば、その人の幸せを願いその人を忘れてしまうことです。そうして新しい人を見つけることです。

そのような愛ある心になることが結局自分自身を幸せにするからです。

女性は、そのようないろいろな悩みをもっている人も多いでしょう。しかし、新しい年がこれから始まります。そうであるならば古い自分は捨てて、新しい自分を誕生させるのです。そのような過去にこだわらない、きれいな愛ある心で新しい自分を誕生させた時、初めて本当の幸せな道がついてきます。

来年は心身ともにきれいな女性を目指していただきたいものです。そのような資質のある人が私のブログを読んでいる子たちにはたくさんいると思います。どうぞ(女性としての)高い目標を持ち進んでいっていただきたいと思っています。

今年はどうもありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします…加藤さんも頑張ってね。(何かつけたしみたいです〔笑〕)

最後に、神と天上界のエル・ランティー様はじめ諸如来、諸菩薩、光の天使の方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。

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12月 30 2012

あと一日ですが…

どなたも詫びいれてきませんがよろしいんですか?天上界の上の方々カンカンです。(釈尊、キリスト、モーゼ、七大天使といわれる方々です)大丈夫ですか?そんな方々怒らせたままで。この世もあの世も関係なしに大変なことになりますよ。(何度もいいますが、いい加減なことここに書きません、そんなこと書けば奇跡も起きなくなるからです)

名古屋はこれだけ大ごとになったんです。一体、救急車がどれだけ走り回ったと思いますか、数え切れないくらいです。(最近はまた聞こえ始めましたけどね、昨夜もさっきもサイレンしていました)

ということは、それだけ多くの病人が出たということです。大変なことですよね、これ。その責任の自覚をもう少しもたれたらどうでしょうか?(全部私のせいにしてそれで終わりですか。これだけのことが起きたのです、あとで大変な責任を取らされますよ)

反省された方がいるなら、その人だけでも詫びられたらいかがですか。会社では何食わぬ顔をして、変わらない態度をとっていればいいのです。私に詫びたことなどバカ正直にいう必要などないのです。「おまえだけ何でそんなことをするのか」と皆に攻められ、仕事がやりづらくなるというなら黙っていればいいのです。

嘘も方便です。(癌患者に本当のことをいうか、いわないか、あれと同じです)周りの雰囲気がもっと変わってきたらいえばいいのであって、今いえば、自分の立場も悪くなり、不調和になると思えばいわない方がいいのです。そんなこと関係ナシにいってしまう方が智慧がないのです。

神はそのような嘘は許してくださいます。

それよりも「自分は悪いことをした」と反省する心が大事なのです。そんなことしなくていい、などといっている人はまだ心が発達していないのです。(だから反省の大事さが理解できないのです)その人が上の方であろうとなかろうと、それと心の高低は何の関係もないのです。(心の高い低いに関係なく上にいく人は行きます。それは生まれる前に、そのような場所で〔たとえば社長や部長や課長で〕自分の心を磨いてきます、と決めて生まれてきているからです。そのように決めてきた人は普通に努力していれば、その地位にいけるのです。そのような使命をもって生まれてきているからです。心の高低とはまったく関係ありません)

心の低い人の意見に従えば百パーセント不幸になります。絶対にそんな意見に従ってはならないのです。(それが自分の判断、つまり心の勉強なのです)

何度もいいますが、すでに時代は変わっているのです。ですから、正しいことをしていれば、それを裏付ける現象が現れてきますし、間違ったことをしていれば、それを裏付ける現象が現れてきます。

それは私の周りだけでなく、自民党などを見ても分かるはずです。自民党の政策が正しいと裏付ける現象が次々に起きています。それに比べて、民主党はひどいものでした。(恐ろしい現象が次々に起きました。政策がまるでダメだったからです)

民主だけではありません。あの未来の党なども、私がいったとおりあっという間に分裂です。(まったく未来がありませんでした)結局、あの未来の党の党首は、選挙のためだけに利用されたに過ぎなかったからです。(そんなこと誰でも分かっていたから、あの党に票が集まらなかったのですが…もう剛腕といわれる人の神通力も消えましたね。それにしてもあれだけ露骨にやるでしょうか。あれでは未来に票を入れた人詐欺にあったも同然です)あの剛腕といわれる人も時代に合わないのです。(典型的な末法の政治家だからです)もう消えていかれる方でしょう。

このように、完全に時代が変わっているから、正しいことをすれば正しいこと(それを裏付けるような出来事)が起き、間違ったことをすれば間違ったこと(次々に恐ろしい現象が起きたり、何かうまくいかなくなり、意見が合わなくなって分裂したり、追い出されたり)が起きてくるのです。

だから正しい事をした者勝ちなのです。正しいことをしなければ自分が損をするだけなのです。自分が置いていかれるだけなのです。どれだけ人のせいにしようと言い訳しようと無駄なのです。

来年になれば、このような現象はもっと顕著に現れてきます。(それはそうです。時間が経てば経つほど正法の世は深まっていきます。これから最終ユートピアに向かっていくだけだからです)もう後戻りは許されないのです。そんなことをすれば堕ちていくだけなのです。

これからの時代は、全速力で正しい方向に向かわなければ失敗します。立ち止まることも後戻りすることもできないのです。所詮それは悪でしかないからです。(神の心に向かって進むことだけが善だからです)

あと一日あります。よくよくお考えください。

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12月 29 2012

あと二日です

最近祈って、息を吐きながら手を振ると、その手の先から細かい光がパッと広がるのが分かります。その光を心のよい人が受ければよいことが起きてきますが、悪い人が受けると、その悪いことの反省を促されるようなことが起きてきます。

釈尊やキリストが、善人にも悪人にも同じように光を与えていた意味が、その光が分かるようになって初めて分かりました。

ずいぶん、その光を受けた人が私の周りに多いように思いますが、誰も詫びてきませんが本当によろしいんですか?

なぜ多くの人たちが私に嫌がらせを始めたのか知りません。いろいろ噂が拡がったからでしょうが、その噂が全部正しかったのでしょうか?またそのようなことをした、自分たちの判断が正しかったのでしょうか?噂の真相も確かめず、自分たちの判断が正しいかどうかも分からず、そんな生意気な奴はやってしまえと、子供と似たような感じで嫌がらせをされたのではないでしょうか。

少し考えてみてください、自分の子供が、あるいは自分の親が、大勢でよってたかって一人の人に嫌がらせを始めたら、あなたはどう思われますか?近年いじめが問題になっていますが、そのことが原因でその人が自殺しようものなら、そんなことをした親や子を持つあなたはどう思われるでしょうか。

どういう理由があるにせよ、自分の親や子が原因で人が死んだのです。よい気持ちをあなたが持つはずもなく、そんなことをした親や子を、なんということをしたのか、と叱りつけるのではないでしょうか。(まさかよくやったと褒められる人はいないはずです)

それが当たり前の人としての行為でありますし、そうするべきでしょう。

そのような、人に叱りつけられる恥ずべき行為を、あなた方はしたのです。

それで詫びようともせず平然としていられるとしたら、あなたはともかく、そんな親や子をもった家族はどう思うでしょうか?さぞ悲しい思いをすることでしょうね。そんな人を人と思わないような行為をして平然としている親や子を見て。

もうあなた方がした行為は多くの人が知っているのです。(このブログに散々書いたからです)それで誰一人詫びなかったと、またこのブログに書くのであれば、これほど恥ずかしいことはないのではないでしょうか。

人としての常識をもっているのであれば、詫びるのが当然の行為であるし、それをしないというのであれば、これほど非常識なことはありません。そのような非常識な人間と、これからずっと思われるのです。それでもよろしいのですか?

それに私になぜ嫌がらせをしたのか、その理由も分かりません。私はあなた方に嫌がらせなどしたことがないからです。(それ以外の人にもありませんがね、嫌がらせなど。それが人として当たり前のことでしょう)

もし、私が祈り何か起きたから、それが気に食わず嫌がらせをされたというなら、それこそお門違いでしょう。なぜなら私は神の命でそれをしているだけだからです。

私がたくさんの人が憎くてそれをした、というのであれば、嫌がらせをされても仕方がないでしょう。しかし、私は神の命により、多くの人がこの世のことしか考えず、生まれる前に約束した神の心を知り、それを多くの人に伝える、という使命をまったく果たそうとしないから、その一番大事な使命を思い出し果たしてもらうため、祈っていただけだからです。(私の祈りで不幸になった人がいたとしたら、それはその人が自分の使命を思い出そうとしないから悪いのです。どのような不幸が襲っても恨めない、それだけ大事な使命であるからです。それに何度もいいますが、何が起きても祈りをしなければならない、私が一番辛いのです。私からいわせれば、そんなことをしているお前が悪いと、嫌がらせなどしている人など私よりずっと気楽なのです)

だいたい自分の私怨だけで祈り、そんな大きな現象が出るわけないでしょう、大きな現象を起こすには天上界のたくさんの光の大天使の力が必要なのです。自分の心が正しくなければ、多くの光の天使が力をかしてくれるはずありません。祈って大きな現象が現れたのは、私の心が正しかったからです。逆に恐ろしい現象が次々に現れたということは、間違った心で、間違ったことをした人がたくさんいたからです。

どちらが正しく、どちらが正しくなかったのか、その起きた現象がそれを証明しています。どれだけ自分は間違っていないと言い張ろうと、現実を見れば一目瞭然なのです。それを多くの人は認めたくないから、それは全部おまえがしたのである、おまえのせいである、と責任転嫁しているだけなのです。

いつまでも気づかない人が悪いのです。もう時代が変わっているのです。それさえも気づかず、悪いことが起きれば全部私のせいにして、自分たちの心は一切変えようとしない、そんな心ではもう生き残れないのです。

一体、誰のお陰で、神の存在やあの世の存在に多くの人は気づいたのでしょうか?

そのような恩を恩とも思わず、逆に仇などと思っている人に、よいことが起きてくるはずがないのです。

しかし、先ほどの話に戻りますが、どれだけ悪いことをした親でも、あるいは子でも、では多くの人は、その親を見捨てるでしょうか?その子を、お前は悪いことをしたからもう知らん、勝手にどこにでもいけ、などという親がいるのでしょうか?ほとんどの人は、そのような考えは持たず、もうそのようなことをしてはいけないと許されるはずです。

この親子の愛こそ神の愛なのです。

神はどれだけ間違ったことをしている人も許します。それに気づくまで辛抱強く待ち続けていられます。

しかし、そのような神の心に甘え、いつまでも進歩しなくてよいのでしょうか?

あと残り二日です。神の愛に応えるためにも反省ができた人は詫びてください。

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