>>ブログトップへ

11月 19 2011

祈りの効果

タイの洪水が引き始めたようです。

不思議なことに前回タイの洪水のことを書いた、十三日から運河の水位が下がり始め、バンコクの中心部に向かって南下していた大量の水も減少しているようです。(立川のオバちゃんから、タイの洪水の件、依頼が来なくてよかったね、恥かかなくて済んで、などというメールが来ていましたが〔その後も悪口雑言の数々のメールが来て、私の企画を散々バカにしていましたが〕これくらいの結果が出れば恥もかかなくて済んだんじゃないですか?どうですか立川のオバちゃん、私の祈りもそうバカにしたものでもないでしょう?あなたが書いてきたこと、ことごとく外れてますけど、どう思われますか?くだらないメールを送ってくるより早く詫びられたらどうですか、もしかしてあなた大変なことしているかもしれませんよ)

タイの洪水が、私が祈り始めた翌日(六日)から小康状態となり、それが一週間ほど続いていたものですから、その十三日のブログに、私一人の祈りではここら辺が限界ではないかと書いたのですが、そう書いた途端に水の減少が始まりました。(やはり天はタイの洪水の水を引いてくれる気でいたようです。ということは、もし四日までに誰か私の呼びかけに応じてスポンサーになってくれていたら、六日からの一週間の洪水の停滞はなかったですね。多分五日のブログに、スポンサーが見つかったから祈ります、と書いたら翌日から即座に水は引き始めたでしょう。〔つまりもっと早く水は引いたということです〕誰もスポンサーになってくれなかったから、天はわざと洪水を一週間停滞させて水が引くのを遅らせたのです)

あれほどの洪水の水が引いているとなると、釈尊やキリストの足下にも及ばないと思っていた私の祈りも、釈尊やキリストの足下くらいには及んでいるのかもしれません。(笑)

しかしおかしいですね、中日新聞などを見てもタイの洪水の水が減少しているのは、北部に建設した巨大防水壁などが原因としか書いてありませんし、テレビでもタイの洪水の水が低下しているとか、日系企業や現地の学校が何日から再開するとか、そんなニュースばかりで、何でタイの洪水の水が低下し始めたのかは一言も言いません。

おかしいですね?どの新聞も、どのテレビも、私の祈りのことを一言も言わないなんて?週刊誌で大々的に報じてくれるのでしょうか?(そのわりには私のところに一つの取材も来ていませんが)まっ、まさか、また無視するなんて事はありませんよね(汗)。

多少は、私の祈りのこともテレビや新聞で言ってもらわないと、法の証明にならないのですが……また、無視ですか?テレビキャスターの方々も、少し気に食わないことを書けば文句を言うくせに、祈りのことは一言も言ってくれないのですね。(無理もありませんが)

私はこれまで、わざと“祈ります”とここに書いて、ずいぶん法の正しさの証明や神の実在の証明をしてきたつもりですが、まだ理解していただけないのでしょうか?

この二ヶ月ほどの間のことを思い出していただくだけでも、それは分かると思います。

九月は不思議な台風がいくつも日本に来ました。12号、15号の不思議な発達の仕方、動き方は、このブログに何度も書きました。そればかりではありません、日本に上陸した先の二つの台風はあんな異常な発達の仕方をしたのに、上陸しなかった(九州と奄美大島の間をうまい具合に抜けていきましたが…これも不思議でした)14号は同じような海水温のところを、同じようなスピードで進んでいるにもかかわらず、まったく発達しなかったのです。(結局なぜこの14号だけ発達しなかったのか、その理由を気象庁は一言も言いませんでしたが)

十月はどうだったでしょう。山が紅葉になりかけた時に雪が降り、その後、各地で桜が咲き(春が来たようでした)夏のような暑さになって夏のような大雨が降ったのです。(春夏秋冬の出来事がすべて起きました)

十一月はどうでしょう。やはり異常な暑さとなり、初冬というのに夏のような気温が続きました。そればかりではありません、今年の十一月は暖かくなったり、急に寒くなったり目まぐるしく気温が変わり、異様に寒暖の差が激しく、昨日今日など妙に暖かくて各地で夏のような激しい雨になるとか、異常現象は続いています。

そうして、日本に異常現象が続いているこの二ヶ月ほどの間に、タイの大洪水が起きたのです。

私は(私が祈って)これだけのことが起きているのに、それでもまだ、ここに書いている法を多くの人が信じてくれない(私に協力してくれないのは法をまだ信じていないからです)のを見て、それならばと、今度はタイの大洪水を引かせて見せると宣言し、協力者を募ったのです。しかし、私の相手をしてくれる人は誰一人いませんでした。(バカにする人がいただけです)

では、どうすればここに書いたことを信じてくれるのでしょう、どうすれば協力してくれるのでしょうか。ここに書いたことを、どれだけ行っても誰も信じようとせず、協力しようともしないのです。私一人ではもうやりようがないのではないでしょうか。

幸いタイの洪水は水が引き始めたようです。今月中旬(十五、六日頃でしょうか)がタイは大潮と聞いていましたが、それも過ぎました。もう私が祈る必要もないでしょう。(ほっておいても水は引くでしょう)タイの洪水を祈るのはこれくらいにしたいと思います。

しかし、私の祈りは確実に天に届き、きかれているのです。このようなことができる教えが他にあるのでしょうか?私は現在の日本で、誰もやったことがないことをやっているのです。その私の言うことを信じず、協力しないというのであれば、それはすなわち神を信じず神に協力しないということと同じことになります。(そんなことをしていて、この日本にいいことが起きてくるのでしょうか?)

この教えを学び、この教えの流布に、一人でも多くの方が協力していただきたいと切に願っています。

今、何が起きているのか。

天が次々に起こしている“大きな奇跡”それをしっかり理解しなければならないのです。

0コメント

11月 17 2011

三人よれば舎利弗の智慧②

舎利弗を筆頭に十大弟子や阿羅漢の人々は後世“辟支仏”(びゃくしぶつ)といわれるようになります。

辟支仏とは、仏になりたいと思っても仏にはなれない人たちで、十大弟子や五百羅漢の人たちは、この辟支仏であり、ただ自分一人の悟りを楽しんで人に伝えることをしない声聞(しょうもん)である、と言われ軽蔑されるようになり、代わって登場するのが、十大弟子でも五百羅漢でもなかった文殊と普賢です。

しかし、辟支仏と言われるような仏(?)など存在しませんし(すべての人は悟れるのであって、それが早いか遅いかの違いだけです。つまりすべての人が仏になれるのです)何で五百羅漢でもなかった文殊や普賢が(まだ阿羅漢の境地にも達していなかったのですから、ただ法を知っていると言うだけで、普通の人とさほどかわりません)五百羅漢や、まして十大弟子より上なのでしょうか?考えられないような高い評価をこの二人は後世受けることになったのです。

このような評価を、全然たいしたことがなかった二人が受けることになったのは、釈尊の弟子たちは確かによく禅定をしていました。しかし、それは禅定(反省・瞑想)がもっとも大事なことである、と釈尊に言われていて、五百羅漢の人たちはその言葉を守り、よくあちこちで禅定していたのを文殊や普賢があざけり「あんなに禅定ばかりして人に法を伝えようとしないのは、自分たちさえ悟ればいいと思っているからだ」(このような文殊などが適当に語った言葉が後世に伝えられ、後に仏教が小乗と大乗に分かれる理由の一つになるのですが、それはまた別の機会に書きます)などと、十大弟子や五百羅漢をくさしておいて「私はこのように釈尊から聞いた。この教えが本当なのです」と口からでまかせを、あちこちで言いまわった影響が大きかったのではないかと思われます。(それが後に文殊が主役である「維摩経」や普賢のお経までつくられてしまった理由です)

つまり、よりたくさんいい加減なことを言いまわった文殊や普賢が、後に十大弟子や五百羅漢より高い評価を受けるようになった、ということが事実のようです。

現代で言うなら、エル・カンターレとか、アホターレとか言っている(幸福の科学だったか不幸の科学だったか忘れましたが、高橋先生の名を利用して教祖になった)バカ教祖が、後世に高橋先生や園頭先生より高い評価を受けるということと同じことなのです。

それくらい文殊や普賢を高く評価することは間違っているのです。(物凄い間違いです)

つまり、今のように「三人よれば文殊の知恵」などと言っていれば、それは「三人よってもバカはバカ」程度の意味にしかならないのであって(こういう意味で使うなら全然OKです〔笑〕)普通の人でも三人が協力すればよい知恵が浮かぶ、という本来の意味にしたいのであれば「三人よれば舎利弗の智慧」と言うのが正しいのです。

舎利弗は、釈尊に後継者と認められていた、ただ一人の人物でありました。

エドワード・コンゼが書かれた「コンゼ仏教ーその教理と展開」(仏教の教義と歴史を知るには絶対に欠かせない世界的に有名な名著です)には創立者と継承者のことがこのように書かれています。

「継承者は創立者ほどに才能はないが、教義を分かりやすく編集して、普通の人間の要求と理解力により一層応ずるものである」

そしてシャリー・プトラーのことも次のように書いています。

「シャリー・プトラーは仏陀より六ヶ月前(実際は一年前です)にこの世を去ったから、仏陀の死後の組織化を引き継ぐことができなかった。しかしシャリー・プトラーは、彼独自の形態に基づいて教義を体系化し、これによって大きな影響を及ぼしたのである。仏陀の教理に対するシャリー・プトラーの解釈と理解とが、約十五世代から二十世代にわたって仏教社会を支配した」

一人の人間が生まれて、人に法を説くようになるには、早くてもせいぜい三十代から四十代です。その人が死ぬまで説法を続けるとして、一世代といえば三十年くらいでしょうか。仮に三十年として、十五世代で四百五十年、二十世代では六百年ということになります。

シャリー・プトラーがまとめた釈尊の教義は、四百五十年~六百年伝えられ続け、シャリー・プトラーは般若心経、法華経、阿弥陀経などの、ほとんどのお経に「舎利弗」「舎利子」(しゃりほつ・しゃりし)の名で、書き記されるようになります。

舎利弗の存在は後に仏教を知る人々に、多大な功績を残したのです。

この舎利弗と文殊では天と地ほどの違いがあります。

何人か集まってよい知恵が出たのであれば、その時は

『三人よれば舎利弗の智慧』

このように言うのが正しいことなのです。

0コメント

11月 15 2011

三人よれば舎利弗の智慧①

昨日発売されたプレジデント(これってビジネス誌じゃなかったですか?)にブッダとキリストの言葉を載せていて、ブッダとキリストの特集記事が組まれているようです。いろいろな人がブッダとキリストの言葉を解説されているようですが、その真意はともかく(その人たちは法を知らないんですから、百パーセント正しく解説しているわけではありませんが)ブッダやキリストの言葉が多くの人に知られるのはいいことです。

最近はブッダがブームだそうですが(ブッダがブームってどういう意味でしょう?)世間でそのようなことを言い始め、またこのような(釈尊やキリストの)特集記事まで雑誌で組むようになったということは、いよいよ法の拡がる時が来たのかもしれません。私がコツコツブログを書いてきた影響も少しはあるのかもしれませんが、いずれにせよ、もう正法の時代に入っています。法が拡がらなければならない時はすでに来ています。

しかし、特にブッダ(釈尊)の物語(仏典)など、釈尊滅後、三~七百年後くらいに書かれたものばかりですから、すべて正しいことが書かれてあるわけではありません。中には間違ったことも書かれてあります。

その間違ったことを仏典に書かれてしまったため、現在においても間違った言われ方をしている典型的な例を一つ書いておきましょう。

よく“三人よれば文殊の知恵”といわれます。

しかしこの言葉は、釈尊の教えがインドからシルクロードを通って中国にわたり、日本に伝わるまでのあいだの一つの弊害であり、このような言い方は明らかに間違いである、ということを、これから説明したいと思います。

釈尊在世当時(今より約二千五百年前)釈尊の一番の弟子であり、右腕と呼ばれていたのはシャリー・プトラー(舎利弗)でした。

もちろん、そう呼ばれるだけの智慧と実力が当時の舎利弗にはあり、釈尊の信頼はもちろんのこと、釈尊の他の弟子たちや周りの人々も舎利弗の実力を認め、舎利弗は釈尊の弟子たちの中でも一目置かれる存在でありました。

それは舎利弗を上根(上等の素質)の弟子、目蓮・迦葉(もくれん・かしょう)を中根(中等の素質)の弟子と、仏典に記されてあることでもその事実が分かります。(目蓮は舎利弗と並び釈尊の二大弟子といわれた人ですし、迦葉は釈尊入滅後の釈迦教団を率いた人です)

当時の釈尊の弟子たちのトップ3の中でも、舎利弗は飛びぬけた資質であったのです。

この舎利弗を筆頭に目蓮、迦葉、阿那律、須菩堤(モンガラナー、カシャパー、アニルダ、スブティーという古代のインドの人々の名を、中国に釈尊の教えが伝わった時、漢字で当て字にしたのです、シャリー・プトラー〔舎利弗〕も同じです)といわれる人々は、インド当時の釈尊の弟子たちの中でも、特によく釈尊の教えを学び、その教えを多くの人々に拡げられたのでしょう、それが後に釈尊の十大弟子という呼び方をされるようになり、尊称を持って後世に伝わることになります。

この十大弟子は当時の釈尊の弟子たちの中でも特に秀でた人々であったのです。

ところがこの十大弟子の中に文殊は入っていません。(もちろん普賢もです)

現在の日本で“三人よれば文殊の知恵”といわれるほどの人物が、なぜ十大弟子の中に入っていないのでしょうか?

理由は簡単です。文殊はそれほどの弟子ではなかったからです。

その証拠に釈尊入滅後の九十日目に行われた、第一次の結集(けつじゅう・釈尊の弟子たちの中でも、よくその教えを実践し何らかの霊能力〔霊視、霊聴などの霊力を持ち阿羅漢の心を得た人たち〕を得た者ばかりを集めて、釈尊の教えを正しく守り、正しく後世に残そうと話し合った集まり、約五百人の人が集まったといわれますが、この方々が後に五百羅漢という呼び方をされるようになるのです)に文殊は参加していません。

文殊は阿羅漢の境地にまだ達していなかったからです。(阿羅漢とは心の高さを言葉で表したものです。阿羅漢、菩薩、その上が如来であり、如来になればもう慈悲と愛の塊の心しかありませんが、菩薩は慈悲と愛の心を持ってはいますが、如来ほどの深さ広さはなく、阿羅漢の境地はそのもっと下です。しかし、この阿羅漢の境地まで達するといくつかの霊能力が与えられます。普通はこの阿羅漢の境地に達するだけでも大変なのです)

では、何で阿羅漢の境地にまでも達していなかった程度の弟子が、後世に名が残ったのかということですが、それは釈尊が入滅された後、五百羅漢の弟子たち以上に、文殊は大言壮語を言いまわったということです。

当時は現在のようにテレビもなければ新聞もありません、ただ人々に話して聞かせるほかないのです。五百羅漢の弟子たちのいないところで「あの人たちはああ言っているが、私は釈尊からこう聞いた」「本当の禅定はこうするのです」などという口からでまかせを、あちこちで言いまわったのです。(普賢も同じです。この普賢も「普賢三昧」〔ふげんざんまい〕と言われ、いわゆる行者の代表のように見られていますが、十大弟子でもなければ第一次結集にも参加していません。文殊と同じように「我こそは仏法の本流を説く者である」と、でかいことをあちこちで言いまわり、それが後世に伝わり、後に普賢のお経までつくられることになったのです)

当時のインドの人たちは、釈尊の弟子といえば、皆よく法を理解している人たちばかりであろうと思っています。弟子の誰が正しくて誰が正しくないかなど分かりません。それで五百羅漢の人たちの言うことも後世に残ったのですが、こんな文殊のような程度の低い弟子の言ったことも後世に残ることになったのです。(普賢も同じ理由です)

しかし、五百羅漢と文殊(あるいは普賢)を比べれば明らかに文殊が下であり、同じ釈尊の教えを話しても、五百羅漢の人たちの言う釈尊の教えの方がより正しいものであり、文殊が言う釈尊の教えなど、自分の考えも入れたでたらめなものであったのですが、当時のインドの人たちはその判別がつきませんでした。

それで五百羅漢の弟子たちも偉いが文殊も偉いということになり、後世には十大弟子よりも文殊の方が上である、という言われ方までするようになります。

それが次のような話となって伝わっているのです。

0コメント

11月 13 2011

TPP参加表明

総理がTPP交渉に参加を表明されました。(あれは参加表明ってことですよね)

「TPP交渉参加に向け関係国との協議に入る」

総理はこう言われましたが、TPPに参加するには関係国との協議を経なければ参加できないのですから、参加するための当たり前の順序を言われたんですよね。

おまけに途中離脱はないとまで明言されているのです。どう考えてもこれは参加表明でしょう。

それなのに民主党内の慎重派のあの態度は解せません。総理があそこまで明言されて一体何を満足されているのでしょうか?

総理の発言は「交渉参加を前提にしたものではない」って、どこをどうとればそんな解釈になるのでしょう?そんな解釈している人など慎重派の人たちだけです。

とんだ茶番でしたね、私はまた民主党が大騒ぎになり割れるのではないかと思っていましたが、静かなものです。慎重派も推進派も喜んでいるのですから不思議な光景です。(推進派が喜ぶのは当然でしょうが)

最初からTPP参加は決まっていたのでしょう。くだらない演出でした。こんな芝居めいたことをやっているのにTPPに参加しても「医療、農業は守り抜く」って、どの口が言ってんでしょうか?(では金融やサービスはいいんでしょうか?アメリカが一番狙っているのは日本郵政の金でしょう)

いずれにせよアメリカとの関係に失政を重ね、未だに築けず、もう手がないからいきなり今回のTPPを持ち出して(もちろんアメリカに言われたのでしょうが)何とかアメリカとの関係を保とうとしている政府(民主政権)の力のなさがよく分かる出来事です。

こんな政府の体たらくで、いきなり二十以上の関税をゼロにしてしまうTPPなどに参加してアメリカとまともに交渉ができるのでしょうか?どう考えても無理でしょう。だって、民主党が政権を取ってから、何か自分たちで決めたことありましたっけ?国内のことは皆官僚の言いなり(沖縄の基地問題など)国論もまとめきれない、外交交渉はまるでできない、何か決めようとしても皆アメリカの言いなり、民主党って自分たちで一体何を決めたのでしょうか?(国内では何も言わないのに、国外に出て行ったら、いきなり独断で諸外国にいいことばかり喋ってしまうような方々では、おのぼりさんとさほどかわりません)

民主はずっと野党で国政など担ったことがないのです。それに野党でいたので、できもしない机上論をマニフェストに並べて、実際やろうとしてもできないのでコロコロマニフェストを変えて(だいたい党綱領がないってどんな党ですか?)基本理念も何もないのです、言ってみれば民主党は政治家というより、評論家や大学教授のような人の集まりなのです。実際の国政などやれるわけがないでしょう。

民主政権を週刊ポストが共産主義政権と書いていましたが(それは最初からそうですが)そんないいモンでもないですね、ただの傀儡政権でしかありません。(それもいろいろな人に操られる)官僚の言いなり、アメリカの言いなりで何一つ自分たちでは決められない、民主政権の実力(?)は多くの人がもう実感していると思います。まだ、この政権を続けるのでしょうか?民主党も政権運営などまだ自分たちはできない、と思っている人が実際は多いんじゃないですか?そんなこと今さら言えるわけないし、そんな態度も取れるわけありませんので、やるのはやっていますが(それと与党でいたい、大臣でいたい、という執着心だけで)しかし、そんな気持ちでやられては私たち国民が持ちません。(それに日本がもう持ちません)

正直に私たちではまだ無理です、と言えとは言いませんが、早く解散総選挙をされたらどうでしょう。(理由はいくらでもつけられるでしょう。消費税を上げるために国民に信を問う、とか何とか言って…それで自民党の方は準備できてるんでしょうか?)

政権運営をできもしないのに、出来るふりして続けられれば不幸になるのは私たち国民です。民主政権の下、なぜこれほど多くの天変地変が起きているのか、よくよく考えなければならないのです。

(タイの洪水が今月の六日から、運河の手前の上り坂でせき止められた状態が続いていて小康状態であるとか。私が祈り始めたのが、五日のブログを書いたその夜からでしたので、偶然とはいえ不思議と一致しますね、タイの洪水の増水が止まり始めたのと。五日の夜から私が祈り始め、翌日の六日からタイの洪水の増水が急に止まったなど、こうも分かりやすく現象が出てしまうと、明らかに私の祈りがきいているとも思えますが、そう書くと大笑いして山のようにメールを送ってくるオバちゃんがいますので、偶然そうなったと書いておきます。ずいぶんタイミングのいい偶然ですが…〔立川のオバちゃん私がタイの洪水を祈っていると書いた途端、あなたが祈っているのに、タイの洪水の水が増えていると喜んでメールしてきました<タイの人たちの気持ち無視です>一体どこを見てそんなメール送ってきたのでしょう?相変わらずでたらめです〕しかし、運河の水位は一杯の状態で、その運河が流れ込むチャオプラヤ川の水位も依然として高いとか。今月の中旬にはまたタイは大潮を迎えるそうですが、まだまだ油断できる状況ではありません。タイがまだこのような状況では祈るのを止めるわけにはいきません。とりあえず当分タイのことも祈ろうと思っています…釈尊、キリスト、モーゼという方々なら、この程度の洪水など、あっという間に引かせることができるのでしょうが、私一人の祈りではこれくらいが限界かもしれません…もっと多くの仲間がいて、一緒に祈ってくれたらタイの洪水も、もっと何とかなるのにと思うと残念です)

0コメント

11月 11 2011

TPP交渉参加の是非

TPPの参加問題が一日先送りされました。(政府内の一日置いた方がいいとの判断だったようですが)さて、この一日でどのように変わるのでしょうか。(総理のお考えが変わるといいのですが…天もそれを望んでいます)

昨日夕方、愛知で震度三の地震が起きました。

本当に勘弁してほしいですね、トヨタの社長が変な記者会見するのは。TPP推進だなんて天の思いとは逆のことを言われるので地元愛知で地震が起きたのです。

総理がせっかく一日伸ばされて、TPPをもう一度よく考えると言われているのに、トヨタの社長がTPP推進との発言をされたら、総理のお考えがよけいTPP推進に傾いてしまわれます。(重いですからね、世界のトヨタの社長のご発言は)申し訳ありませんが、トヨタの社長は、あまり天の思いに反することを言わない方がいいのではないでしょうか。ただでさえ、ご自身の本当の使命に気がついていられないのですから。(本当の使命とは法の流布に協力されることです。すなわち私に協力されることです。とりあえず一千万ほど寄付していただけないでしょうか〔笑〕)

ところで昨日、自民党議員のブログを見ていたら、TPPはアメリカに対する沖縄などの失政の埋め合わせで参加するのである、と書いてありましたが本当でしょうか?

だとしたらでたらめですね。

沖縄の基地問題が決まらないばかりに、中国をはじめ韓国、ロシアなどになめられ、日本の領土のあちこちに(尖閣、竹島、北方領土など)手をだされまくっているのです(これこそ大変国益を損ねています)それでアメリカとの関係を何とかしたいからTPPに参加するのでは、まったく順序が逆です。

だってそうでしょう。(国防にかかわる)早急に決めなければならない基地問題を、決められないからと後回しにして、拙速に決めてはいけないTPP問題を先に決めて、とにかくアメリカとの関係を保とうとしているのですから。

これでアメリカとの同盟がうまくいくのでしょうか?

基地問題は基地問題でしっかり決めないと、結局アメリカとの同盟は成立しないのではないでしょうか。下手をすれば、アメリカとの同盟はうまくいかず(ということは尖閣、竹島、北方領土はどうにもならないということになります。現実問題として日本一国だけでどうにかできる問題でもないでしょう)TPPには参加だけして日本のいくつもの関税は撤廃され、農業、医療、サービス、金融などのいいとこ取りをアメリカにされて、輸出は増えてもこの円高でまったく利益が出ず、ということにもなりかねません。(最悪のパターンです)

明らかにやり方が逆なのです。こんなやり方をすれば必ず日本はダメになります。(TPPに参加しなければ基地問題は何とかなります。書きましょうか?どのようにすればいいかを…TPP不参加なら書きます)

民主党内の総会でも慎重意見が多数であったとか、総理も党内意見にまったくの無視もできないのではないでしょうか。(それにこの状況で強引にTPP参加表明などしたら、民主党内はもちろんのこと国内も大騒ぎになります)

どちらにしても総理の判断次第で、今後の日本が大変なことになるかもしれないのです。

総理の正しい判断をくれぐれもお願いしたいと思っています。

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。