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12月 08 2010

政治の行く末

臨時国会が閉幕しました。国会中継をテレビのニュースなどで観ますが、この先大丈夫かなと不安な気持ちにしかなりませんね。

国会議員同士で互いに足の引っ張り合いで、今国会は法案の成立率も最低レベルであったとのこと、与党と野党でケンカばかりしているのではなく、日本全体を見てどうしたら日本はよくなるのかを、もっと真剣に考えないと、このままでは日本はダメになってしまうでしょう。

党利党略の法案だけ通し、日本の先のことを考えない与党の支持率は下がる一方です。それはよいことですが(笑)、高橋先生も「国会議員はケンカばかりしていてはよい法案も出てこない、もっと仲良く調和しなければならない」といわれておりました。(ケンカばかりしていては天も力を貸してくれないからです)

このまま総選挙をして仮に政権交代したところで、どの党が政権をとっても、政治家の心が変わらなければ同じことの繰り返しでしょう。政治家も心を変えなければならない時にきていると思います。

今名古屋は河村市長が出てきたことで、議会は大騒ぎになっています。

その河村市長が市議会の解散請求をしたリコール問題で、必要署名数(いろいろ問題があるようですが)が足りなかったことでけじめをつけるため辞職して、同じく自民党衆院議員を辞職した大村議員とタッグを組んで、大村氏は愛知県知事に立候補し、河村市長はもう一度市長に立候補して市長と知事のダブル選挙を行い、当選すれば愛知と名古屋市の議会改革を行うと鼻息が荒いのですが、大丈夫でしょうか?

河村、大村両氏は減税や議会改革、木曽川水系連絡導水路事業の見直しなど共通公約を掲げ、規制緩和による経済振興策の「平成の楽市楽座」や県と名古屋市の行政機能を合体した「中京都」を創設するなど、発想は非常に面白いのですが、その「大義」はよいとしても、本当にこのようなことができるのでしょうか?

できそうもない政策を平気で口にしてまったくそれが実現していない、現在の内閣のようになるのではないかと少々不安になります。

しかし、先にも書きましたが、どちらにしても今のままではいけないでしょう、政治の場も変わらなければならない時がきていると思います。

私の尊敬する西郷さんは次のように言われています。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものだが、この始末に困る人でなくては、艱難をともにして国家の大業を成し得るものではない」

西郷さんのこの言葉を政治家は忘れてはならないと思います。

西郷さんは徳の政治を目指されました。しかし、それをじゃましたのが、大久保利通や岩倉具視という人たちです。

そういう連中が中心となって今の政治をつくったのです。そのため現在は自分さえよければいいという政治家が増え、選挙に通りたいためだけに地元優先のことばかり言って、日本全体を見ている人は少ないのです。しかし、地元のことを優先してそれから日本のことをいっても必ず歪みが出ます。それはそうでしょう。互いに地元のことばかり言っていたらまとまるはずがありません(誰でも自分の地元を優先したいでしょうから)。

先に日本全体を見て、そうして地元はどうあるべきなのかを言わないと、正しい意見は出てこないのです。地方の知事や市長とはいえ、日本全体を見れる人がやらないとよい政策も出てきません。

その点で言えば大村氏も河村市長(民主党であったというのは気に食わないのですが、しかし、河村市長は現在の民主党とは少し考え方が違っていますので、ギリギリよしとしましょう)も元国会議員ですし、日本全体を見る眼はあるのではないでしょうか。(国会議員だったから国全体を見れるかといえば、必ずしもそうとはいえませんが)

どちらにしても西郷さんが言われた

「人を相手とせず天を相手とせよ。天を相手として己を尽くし、人をとがめず、わが誠の足らざることを尋ぬべし」

という謙虚な姿勢を実践できる人が、県にしろ市にしろその長とならなければならないと思います。(西郷さんは日本の政治家の中でも第一等の人物〔少なくとも私はそう思っています〕ですので、なかなか同じようにできる人もおりませんが、しかし、第一等の人物であるからこそ他の政治家は見習うべきではないでしょうか)

地元ばかりにいいことを言い日本全体を見れない視野の狭い人など、政治家になる資格はありません。己を捨て真にその国(地域)をよくしたいと思う人でなければ、どのような改革でもできないでしょう。また、そのような人でないと天も力を貸してくれません。

愛知県は日本の中心にあり、その日本の中心にある愛知県が調和しなければ、日本全体も調和していきません。日本の中心である愛知県に真の改革が起これば、それは日本全体に波及していくことでしょう。

そのような意味でいえば愛知県は非常に重要な位置にあるといえます。

日本をこうしたいから愛知県はこうあるべきと、堂々と言える人こそ愛知県知事、そして愛知県の中心である名古屋の市長にふさわしい人であると思います。

そのような人に私は投票したいと思っています。

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12月 06 2010

ゴルフ日本シリーズJTカップ

前回、最近は天気も安定し異常気象も収まってきたのでしょうか、と書きましたが、そう書いたとたん日本中に強風が吹き荒れ、大雨が降ってあちこちに被害が出ました。

政権が変わったわけでもないのに、そうそう天の怒りが収まるわけはありません、余計なことを書くもんじゃないなとつくづく思いました。

ゴルフの日本シリーズが終わりました。

四十一歳の藤田選手が優勝したのですが、藤田選手以上にキャディーが喜び大泣きしていたのが印象的でした、藤田選手の人柄のよさがよく分かる場面でした。テレビを観ていても選手のゴルフのうまさは分かりますが、その選手の人柄まではあまり伝わってきません。選手の人柄が分かる、こんな場面もテレビはちょこちょこ写してほしいなとフッと思いました。

藤田選手の優勝で、必然的にキム・キョンテ選手が賞金王となり、今年の男子賞金ランキングは、一位がキム選手、二位が今大会優勝した藤田選手、三位が遼君、四位が池田選手という順位になりました。

しかし、今大会の遼君はまたまた不思議なことをしてくれました。

遼君は初日(前回のブログを書いた日ですが)ティーショットの調子が悪く、六オーバーのダントツの最下位(ゴルフの日本シリーズは、この年の成績優秀者だけで争われるので、今年は二十八名の参加人数でした)でした。

ところが二日目から不思議なことが起こります。

この日は先に書いたような強風が吹き荒れ、大雨が降った大変な日になったのですが(その天候のせいでこの日のスタート時間は一時間遅れました)、遼君は前日最下位でしたので、その日のスタート時間は参加選手の中では一番最初でした。

一番にスタートしていった遼君は、この日明らかに前日とは違っていました。何が違っていたかといえば、運としか言いようがありませんが……。

前日悪かったティーショットは、この日も(前日は遅くまで練習していたようですが)あまり調子がよくなく、ばらついていたようでしたが、雨によって速いグリーンがやわらかくなり、遼君のパットのタッチとピタリとあったようで、パットの調子が非常によくなり、長いパットもよく入っていました。そればかりか、OBコースに飛んだボールが木に当たって跳ね返り、カート道に跳ねてヘアーウェイに戻ってきたり、同じように右に飛び出したボールがやはり木に当たって、それがグリーンに乗ってきてバーディーチャンスについたり、そして最後の十八番ホール(このホールは非常にグリーンが難しいのですが)では、グリーン横にはずした十五ヤードほどの位置からショットしたボールが、直接カップインしてチップインバーディーとなり、なんとこの日遼君は九つのバーディーを取って、最下位から一気に六位に浮上してしまったのです。

この日の遼君の幸運はそれだけではなく、一番初めにスタートしたことで風の影響(強風が吹き出したのは午後からでしたので)をあまり受けず、雨、強風、木とすべてが遼君の味方をしたのです。(遼君の後からスタートした選手たちは、まともに風の影響を受けスコアーを大きく落とす選手が続出しました)神がかりと書いていた新聞もありましたが、一日でこうも変わるものかというくらい付いていました。(まるで天が遼君に味方したようでした)

一日だけならそういう付いている日もあるだろうと思いますが、一日置いて最終日にも遼君は九つのバーディーを取って、二日目からの付きがあることを証明しました。結局優勝はできませんでしたが、二日目から最終日までの三日間でスコアーを十五も縮め、九アンダーの七位で今大会を終えました。

まるで、私のブログを読んだとしか思えないくらいのタイミングで、遼君が付きだしたのには驚きました。(誰もそうは思わないでしょうが)もう一日私がブログを書くのが早かったら、この大会遼君が優勝し賞金王になっていたかもしれませんね(笑)。

しかし、今年の賞金ランキングの二位以下の三選手は、東海クラシックや日本オープンで、もう少しまじめにやっていれば賞金王になれたかもしれません。池田選手などずいぶん悔しそうでしたが、来年はもっとまじめにやってほしいと思います(笑)。ということは今年の男子の賞金王が、外国人選手にさらわれたのは私のせいということになります(笑)。

冗談はともかく、今年は男子も女子も賞金王が韓国勢に取られました。誰が賞金王になってもいいとはいえ、日本の賞金王を、男女とも韓国勢に取られたのは少々癪に障ります(笑)、来年はぜひ日本選手が取ってほしいと思っています。

遼君など観ていると非常に分かりやすい(笑)のですが、法はスポーツ選手に伝わったと思います。

来年はスポーツ界に大きく法が拡がっていくことを信じて、来年の野球やゴルフを観ることを楽しみにしています。

ゴルフのシーズンも終わりました。また来年の皆様のご活躍を心より祈っております。

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12月 02 2010

スポーツ選手の心がけ

先日中日ドラゴンズの優勝パレードを見てきました。

その日はずいぶんよい天気で、落合監督がたくさんのファンの前で挨拶される時には「このパレードが行われる時には雨が多いのです。前回の時も雨でした。今回も三日前までは天気予報は雨といわれていて、天気を心配しておりましたが、今日はみなさんのお陰で晴れました」といわれるくらいよい天気で、一日ぽかぽか陽気でした。

このパレードを見に、沿道には五十万の人が集まったと新聞には書いてありましたが、そんなに人が集まるところで、中日の選手が手を振っているだけではなく法を説いてくれたら、いっぺんに法が多くの人に拡がるのになとフッと思いました。

特別中日の選手だけではありませんが、多くのスポーツ選手が法の大事さを理解し、法を説いてくれたなら世界中に(もう日本のスポーツ選手は世界中で活躍していますので)法は拡がっていくだろうと思いを馳せました。

最近は天気も安定し、異常気象も収まってきたようにも思えますが、少しは法が拡がっているのでしょうか?

二~三週間ほど前に、このブログに野球選手やゴルフ選手はこのような考えを持った方がよい、と書いておきましたが少しはそれがプロ選手に伝わったのでしょうか?

遼君や上田桃子選手など、何人かのプロゴルフ選手は私のブログを見ていると思いますので、伝わっているでしょう。(そのように信じます、それに遼君など見ていると分かりやすいですし)仮に伝わっているにせよ、それが大きく拡がるのかすぐしぼんでしまうのかは、知った選手たちの心次第ということになりますが、遅れに遅れている法の流布が、大きく拡がっていくよう天も力をかしてくださるはずです。法を実践(私がこのブログに書いた考え方を)してもよいと思われる方は、ぜひやってみてください。

今週は男子プロゴルフの最終戦が行われますが(今日からですか)、それにしても男子プロは面白いですね。キム・キョンテ、石川遼、池田勇太の三選手が賞金王を争い、今週の最終戦が終わるまで、誰が賞金王になるか分からない展開になっています。

それでもキム・キョンテ選手が断然有利で、あとの二選手は優勝が絶対条件で、あとはキム選手の成績次第ということになります。

こうなってくると自分が優勝するだけではダメなので、自分が賞金王になれるのもなれないのも、運が大きくかかわってくることになります。

マァ誰が賞金王になってもいいのですが、せっかく(少しは)法もプロスポーツ選手に伝わったことですし(と勝手に思っていますが)、このようなときはどういう心がけでやった方がいいのか、ちょっと書いておきましょう。

キム・キョンテ選手はともかく、後の二選手は自分だけの力では、もうどうすることもできません。このような時は、運を天に任せてベストを尽くせばいいのです。(別にやけくそでやれ、と言っているわけではありません〔笑〕)

しかし、せっかく運を天に任すのですから、自分の運を天に頼んでおいた方がいいでしょう。天に頼むとは、天に向かって祈っておいた方がいい、という意味です。

問題はその祈り方です。祈り方を間違うと天はその祈りをきいてくれません。

たとえば普通に皆さんが、初詣など行って祈るように「賞金王が取れますように」とか「優勝できますように」などという祈りは間違いです。これは「自分以外の選手が負けますように」と祈っていることと同じであり、自分さえ勝てればいいと思っていることであって、神はこのような心をよしとしていません。したがって天はこのような祈りはきかないのです。(当然天は神の心をよしとしていますので)

では、どういう祈り方が正しいのか、ということになりますが、このような時は

「(神よ)このトーナメントに出場できることを心より感謝いたします。自分がこのトーナメントに出場することを通し、自分にとって一番よい結果が出ますように」

と祈ることが正しいのです。

まず、そのトーナメントに出れることを感謝して、そうしてそのトーナメントに出ることで、自分にとって一番よい結果が自分に得られますようにと祈って、あとは、一日一日ベストを尽くし、自分で悔いの残らないプレーをすればいいのです。

そのようにすれば、どのような結果が出ても、それが自分にとって一番よい結果ということになります。

勘違いしてもらっても困りますが、私はこのように祈れば勝てるといっているのではなく、このように祈れば自分にとって一番いい結果になる、と言っているのです。

今の世の人々が言っているように優勝すればいい、賞金王を取れればいいというものではありません。二年連続の賞金王を遼君が取ればそれが一番いい、と遼君の関係者やファンは言うでしょうが、本当に二年連続で遼君が賞金王を取ったほうがいいのか、それとも池田選手やキム選手が賞金王を取ったほうがいいのかは、現時点では誰も分からないはずです。

池田選手やキム選手が賞金王を取ることにより、賞金王を取った選手が来年大きく飛躍するかもしれませんし、二年連続で遼君が賞金王になり、それが原因で遼君がゴルフをなめてしまい、翌年からまったく勝てなくなるということも起きるかもしれません。

どのような結果が、その選手にとって一番いいのかは少し時間がたってみないと、分からないのです。現在の人たちが言っている“勝てばいい”式の単純な答えでは、本当にその選手の心にいいのか、悪いのか分からないのです。

「自分にとって一番よい結果が出ますように」という祈りは正しいのできかれます。すると、その選手にとって今年はこれでよかった、という一番よい結果がその選手に与えられることになります。

その結果が、その選手にとって一番いい結果なのです。天に与えられた結果なのですから(時間がたてばそれは分かります)。しかし、そういう祈りをしたからといって、では一生懸命やらなくてもいいのか、というとこれも違います。

そのような祈りをして一生懸命試合をすることで、自分にとって最高の結果が天より与えられるのです。努力も何もしないでただ祈っているだけでは何も与えられません。(ここら辺が他力を説く他の宗教と、自力を説く法の違いですね、現在の宗教のほとんどは他力本願を説いていますが、法〔神理〕は自力本願を説くのです。絶対自力のその先に奇跡があるといっているのです)

どちらにせよ今期の最終戦です。今年の集大成としてそれぞれの選手には、最高のゴルフを見せてほしいと期待しています。

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11月 29 2010

園頭広周師⑳

高橋先生が昇天されると、ある幹部が高橋先生の後継者は娘の桂子氏であると高橋先生は言われていた、ということを言い出します。

しかし、そんな話はGLAの他の幹部の誰も聞いたことがなく、その話はその幹部が高橋先生亡き後の、GLAの混乱を避けるためについたウソであったとすぐばれます。

高橋先生が、自分の後継者は誰とはっきり言われなかったため(もちろんそれには理由があり、高橋先生の性格を知っていれば、弟子たちはそれが誰であったかは理解できたはずなのに、高橋先生が後継者を誰にしたかったのか、ということを分かっていたのは園頭先生が一人でした)、園頭先生はじめGLAの幹部たちは、娘の桂子氏を中心に幹部たちの合議制で今後はGLAを続け、法を世の人々に伝えていこう、と決められGLAを続けていくことになったのですが……結局この後のGLAは、娘の桂子氏が勝手なことをやりだして大混乱を起こし、多くの人がGLAを離れていくことになります。(その後のGLAは混乱を避けるため、高橋先生の後継者は娘の桂子氏であったとデッチ上げます)

園頭先生は何度も「それではいけない」と苦言を呈しますが、一度も園頭先生の意見は聞き入れられることはなく、園頭先生も「このままでは高橋先生が説かれた法が消えてしまう」と思われGLAとは別に自ら会を立ち上げられることになります。

それが正法会(後に「国際正法協会」と改称)でした。

「高橋先生の教えを正しく継ぐ」と宣言されて、正法会を立ち上げられた園頭先生はそれから多くの人たちに法を伝え、奇跡を起こしていくことになったのです。

……。

終わり方が少し中途半端なのですが、園頭広周師はこれで一応の区切りといたします。

というのも園頭先生がGLAに入られそこであったこと、正法会を立ち上げそこであったことを、もっと詳しく書いておきたいのですが、現在の私は一人でこれを書いております。すると当然、GLA内や正法会内で起きたいろいろな事件を、あまりはっきり書いてほしくない人たちも周りに一杯おります。

そのような連中がどういう邪魔をしてくるか分からないからです。私が一人でやっていて私だけが邪魔をされ迷惑をこうむっても、それは承知でやっているのですから一向にかまいませんが、現在の私は文無しで両親の世話になっている状態です。

私が迷惑をこうむっても仕方がありませんが、両親にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないのです。

したがって現時点ではあまり事実をはっきり書くことはできません。できませんが、高橋先生が説かれた法(神理)がどのような形で園頭先生が継がれ、園頭先生が倒れられると同時にその法がなくなっていったのか、ということは、その当事者でもある私たちの誰かが世に伝えておかなければならないと思っております。

高橋先生が亡くなられた後、GLAが大混乱を起こし高橋先生の説かれた法が消えかかりました。その時、その法灯を守られたのは園頭先生でした。しかし、園頭先生お一人ではいかんともしがたく、その法灯が大きく燃え上がるまでには至りませんでした。多くの如来の弟子たちが、如来の教えを世に伝えようとせず、否定してしまったからです。

それは考えられないことでした。

釈尊の弟子たちが釈尊の教えを世に伝えずに否定してしまう、ということがありえるでしょうか?キリストの弟子たちがキリストは偽者であったと吹聴し、キリストの教えを世に伝えなかったということがありえるでしょうか?(二~三の弟子たちはそのような弟子もいたでしょうが、今回はほとんどの直弟子たちが高橋先生の教えを否定してしまったのです)

本物の如来がこの世に現れたときは、その如来の弟子たちも如来の言葉を、多くの迷える人々に伝えていきます。その弟子たちの功績により、如来の教えは世界中に拡がっていくことになります(モーゼのユダヤ教しかり、釈尊の仏教しかり、キリストのキリスト教しかりです)。

しかし、あろうことか今回の日本で、本物の如来の教えをその弟子たちが否定してしまう、というありえないことが起きてしまったのです。そのため世界中に拡がらなければならなかった高橋先生(釈尊)の法(神理)が、まったく伝わらない、という異常事態が生じてしまいました。そればかりか高橋先生の名を利用した偽者が、ここかしこに現れどれが正しい教えなのか分からず、迷える人々を数多く出してしまったのです。(昨今の世の中の混迷を見れば、それはよく分かります)

このようなことは、さすがに天も考えていなかったのでしょう、世界の宗教史上でもありえないことが、この日本で起きてしまったがため、天は今までにありえなかった、史上空前にして(おそらく)絶後であろうという、ある“大奇跡”を起こすことになります。

今までに考えられないような、如来の弟子たちが如来の教えを否定する、ということが今回の日本で起きてしまったがため、天が、今まででは考えられないような大奇跡を、この日本で起こすことになったのです。

そのようなことも含め、これからは大事なことの要点だけを分かりやすく書いていきたいと思っております。

いくら一人でやっているとはいえ、書くべきことは書き残していかなければならない、と思っておりますので、興味のある方は読んでみてください。

そしてこの後、私のことを支援してくださる方が現れれば、高橋先生と園頭先生のことを正しくしっかりと書き残しておきたいと思っています。もし私にそのことを正しく書き残していく使命があるならば、また支援する方も現れるでしょうし、法を多くの人に伝える順序も与えられるでしょう。

それをするのもしないのも天が決められることです。すべては天が導いてくださり、その道を私は進んでいくだけです。

「人事を尽くして天命を待つ」この心で、これからも精進していきたいと思っています。

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11月 26 2010

園頭広周師⑲

園頭先生は西日本本部長という肩書きは貰いましたが、あまり新入りがでしゃばってもいけないと思われ、また生来の遠慮深い性格もあって、GLAの先輩講師のやることには口を出しませんでした。

GLAの講師たちは園頭先生より年下の人が多く、また今生の体験でも園頭先生ほど多くの人を指導し、奇跡を起こされている人はいませんでした。今生でも過去世でも、園頭先生ほどの実力も実績もない人たちばかりなのに、園頭先生に指導を仰ぎにきた人は、講師の中では一人もいなかったのです。

園頭先生の眼から見れば、GLAの講師たちの会員たちへの指導は、なんと幼稚なものと思われていたでしょうが、だからといって園頭先生がでしゃばり「この人への指導はこうしたほうがいい」ということはされませんでした。しかし、高橋先生も同じ気持ちであったのでしょう、だからこそ園頭先生には期待をし、いろいろ相談もされていられたのだと思います。

しかし、園頭先生は自分から積極的に動こうとはされませんでした(シャリー・プトラーの時はそうではなかったのですが)。そのことが後の悲劇へと繋がっていくことになったのです。

園頭先生は、高橋先生が講演会や研修会をしていられる時、それにお供としてついていかれても、できるだけ先輩講師に花を持たせ、自分は遠慮していることが多かったのでした。

しかし、高橋先生は園頭先生がそれでは困る、という思いを常に持っていられました。(それはある研修会で園頭先生の態度を、高橋先生が非常にきつい言葉で、注意されたことでもその事実が分かります)

「あなたが未熟な講師たちを指導しなければ一体誰がそれをするのか、私ばかりに頼られていては困る、私はもうそれほど長くこの世にいるわけではないのだから」

キリストであるならば、はっきり園頭先生にそういわれたでしょう、しかし、高橋先生はそのようなことをいわれる方ではありませんでした。自分でそのことに気づくのをジッと待っていられる方であったのです。しかし、釈尊の時はそれでもよかったのですが(釈尊は四十五年の間この世で法を説いていられましたので)、今生は時間がありませんでした。(高橋先生は昭和四十三年に大悟され、それから多くの人に法を説き始め昭和五十一年に昇天されましたので、実際は七~八年しか法を説いていられません)

それでも高橋先生は園頭先生を頼りにされていました。

「インドで四十五年間かかって説いたことを、今度は七年間で説いてしまいました。今日は何を話しましょうかね」

昭和五十一年(この年の六月に高橋先生は昇天されます)ころになると、高橋先生は園頭先生に度々そのようなことを言われて講演をされていました。このころには多くの人がGLAに集まり、高橋先生の講演会も聴きに来る人が数千人を超え、会場は人であふれ入りきらない人は、会場のロビーのテレビで、高橋先生の講演を聴いているという状態でした。

GLAに法を聴きに来る人はどんどん増えているのに、講師たちが進歩していない、高橋先生はそのことを憂いているようでした。

この年の四月、関西で高橋先生の講演会があったのですが、その講演の前にある幹部の人にポツリと高橋先生が「私の説いたことを一から十まで全部分かっているのは、園頭さんが一人だ」と言われました。

この言葉には重大な意味があったのですが、その幹部はそれほど深くこの言葉の意味を考えず、そのことを園頭先生に伝えました。

園頭先生は照れ隠しに「いやみんな分かっていますよ」と言われましたが、内心では「やはり高橋先生は分かっていて下さった。自分のことを知っていてくださった」と思われたのですが……それから二ヵ月後高橋先生は昇天されることになります。

この時の高橋先生の言葉の意味を、GLAの幹部たちが理解できなかったため、高橋先生が昇天された後のGLAは、大混乱をきたすことになったのです。

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