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9月 14 2010

ゴルフトーナメントを観に行って⑤

富が分配されなければならない人に、富が分配されないということは、必要以上に富が分配されている人が周りにいるということです。なぜ、富の分配がちゃんと行われず、ある人には多く富がいき、またある人には富がいかないという現象が起きてくるのでしょうか?

この世は、ある程度この世に生まれてきた人たちの考えが優先されます。(ある程度です。その考えの度が過ぎれば天より気づきが与えられます)そうしてこの世に生まれてきた人たちが「人には絶対負けたくない」「自分さえ勝てればいい」と考える人が多いと、そのような人たちの中で、その考えの一番強い人に勝ちが集中します。それが、富が分配されなければならない人に富が分配されない理由です。強い思いは弱い思いを吸収(支配)してしまいます。皆が同じような考えを持った人の中では、そのことを一番強く思った人の願いがきかれるのです。

たとえばゴルフならゴルフで、生活しようと決めてこの世に出てきた人が百人いたとします。ところがその百人がこの世の間違った思いに流されて、皆が皆、負けず嫌いで自分さえ勝てればいいと思ったとします。すると、その百人が正しい思いをしていれば、全員に(もちろん多く貰う人と少なく貰う人に分かれますが)うまく富が分配されたのに、間違った思いを持ってしまったがため、自分が貰う以上に富を貰う人と、自分が貰わなければならなかった富をもらえなくなる人が出てくるのです。

私はなにも多く貰っている人がいけない、といっているわけではありません。ある人はゴルフでたくさん稼いで恵まれない人に寄付します、といってこの世にでてきた人もあるでしょうし、またある人は、ゴルフでたくさんお金を稼ぐことにより、自分の心を磨いてそのお金を多方面に回して、いろいろな人の助けをしたいと思ってでてきた人もいるでしょう。人によって生まれてきた条件が違っているので、一概にたくさん貰っている人がいけない、とはいえないのです。私がいっているのは、自分が貰う以上に貰っている人がいるので、それはいけないといっているのです。

では、必要以上に貰っている人は誰で、それをどうしたら貰わなければならない人に、分配することができるのかということですが……それができるのが法なのです。

間違った考えを持った人が法を知って正しい考えに変わったとします。すると、どれだけ強い負けず嫌いの心や、自分さえ勝てればいいという考えを持った人でも、この法を知っている人の考えには勝てなくなります。それは、この法が天より一番優先される(強い)考えであるからです。つまりどれだけ強い念を持っている人がいたとしても、その考えに間違いがあるならば、法を知った人のほうが強いということです。(もちろん法を知った人がどこまで法を理解できるか、ということにも比重がかかってきますが)

そうなると今まで念の強い人のところにいっていた富が、行くべき人のところに行くようになり、富の分配が正常になるということです。

つまり、さほど深く考えなくても法を知る人が多くでてくれば、富の分配が正常に戻りみんなが幸せになれるということです。そんなうまい話があるか、と思われる人もいるでしょうが、それは間違った考えに支配され、不平等な分配をされた世の中に慣れてしまい、それが当たり前と思っているからです。

そうではなく、この世は皆がそれぞれ分にあった、幸せな生活をするのが当たり前で、そのように仕組まれているのです。

その当たり前の幸せな生活ができる方法を教えているのが、釈尊やキリストが説かれた法(神理)なのです。だから、私は法を一人でも多くの人に伝えたいと言っているのです。

では、釈尊やキリストが説かれた法とはどのようなものなのか、ということですが、なにも釈尊やキリストが特別なことを話されたわけではありません。

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9月 13 2010

ゴルフトーナメントを観に行って④

神が望んでいるのは集中よりも分配です。

一人の人に富が集中するよりも、多くの人に富は分配されるほうがいいのです。

だからといって、共産主義者がいうような、すべての人に公平に富を分けろといっているわけではありません。富は一人一人の分に合わせて分配されることになっています。ある人は富をたくさんもらえる人もあるでしょうし、またある人はギリギリの生活の分しか富が入らない人もいます。しかし、それはその人が今生決めてきた分であり、人はそれぞれ自分の分に合った生活ができれば、十分幸せな生活ができるのではないでしょうか。

人生の目的と使命は人それぞれ違うのです。だからお金持ちの人は、お金持ちになるためにこの世に生まれてくるのですからお金持ちになりますし、貧乏な人はそのような条件で生まれてくるのですから、一生金には縁のない人生を送ります。何か、この世はお金持ちが偉くて立派で、貧乏人はダメのように思われていますが、この世はそれぞれの心を磨く修行の場であり、お金があるなしにかかわらず、心をどれだけ磨くことができるか、ということが一番大事であるということを知ってください。

もし、お金がある人がえらくて立派なら、お金持ちは皆悟っていてもいいはずです。これと同じでスポーツの試合でよく優勝優勝と騒いでいますが、それではその優勝を何十回もした選手で、悟りを開いている選手がいるのでしょうか?私はスポーツ選手で何十回もいろいろな大会で優勝した選手や、よい成績を上げている選手を何人も知っていますが、その選手の中で悟りを開いている、ということを聞いたことがある選手は一人もいません。金儲けやスポーツができることと、人格は別であるということを知ってください。そして心のきれいな人格者が、一番偉いのであるということもです。

金を稼ぐことと心を磨くことはまったく別である、ということです。

そして、私たちは心を磨くことを目的にこの世に出てきているのです。仕事をすることにせよ、生活をするにせよ、それは自分の心を磨くための一つの手段にすぎないのです。お金を稼ぐのがうまい人はただ金を稼ぐのが得手ということであり、スポーツの大会でよく優勝する人は、ただそのスポーツが得手というだけのことで、お金を稼ぐためにいろいろ勉強して努力したとか、あるスポーツで勝つためによく練習したとか、そのような努力や姿勢は見習うべきでしょうが、お金持ちになり、あるスポーツで人よりも多く優勝したがために、自分は特別だなどと思い込み、性格が人とずれてしまっているような人は、はっきり言って評価しないほうがいいのです。この世は地位や名誉があがったり有名になったとたん、周りが急に騒ぎ出して、その人の評価が必要以上に上がるということがよくありますが、このような評価の仕方は間違っているのです。本当に周りから評価される人とは、自分の心のレベルが上がって、悟りを開いた人だけなのです。

大分、前置きが長くなりましたが本題に戻りましょう。先にも書いたように神の心は集中よりも分配です。

こういうことを考えますと、人はその仕事をすると自分が決めて生まれてきて、その仕事でお金が稼げていない人がいたとします。(本当はその仕事で分配されなければならない分が、何らかの理由でその人に分配されていなかった、という意味で実はこのような人はたくさんいるのです)

そのような人が法を知って少し心を変えたとします。すると、今までその仕事で自分が分配されなければならなかった分が、その人にいっぺんに分配されます。それが、優勝(たくさんの賞金が入ってくる)という結果となって現れるのです。

ではなぜ、分配されなければならない分が、その人には分配されていなかったのでしょうか?それは、この世の人に間違った心と行いをしている人が多いからです。

それが、負けず嫌いの心とか、人はどうでも自分は絶対に勝つという執着の心です。

私は前にも言いましたが、負けず嫌いすなわち自分さえ勝てればいいという心は最低の心です、ということをこのブログに書いたことがあります。しかし、この言葉の意味を分かる人は、多分このブログをずっーと読んでいる人でも、いないのではないでしょうか。

「なぜ、負けず嫌いがいけないのか」「勝負は勝たなければ意味がないではないか」と思われる人がほとんどで、そうではありませんといくらいっても、理解できない人が多いのではないでしょうか。

しかし、このような間違った心の持ち主が多いがため、先ほど私が言ったような富が分配されなければならない人に、富が分配されないということが起きてくるのです。

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9月 11 2010

ゴルフトーナメントを観に行って③

女子選手のゴルフの試合が終わると、相変わらず大勢の選手がその後も練習場でドライバーやアイアンを打ったり、アプローチの練習をしたりしています。「このくそ暑いのによくやるわ」と思って、パター練習をしている選手を何気なく観ていた時のことです。ある選手が私のほうを見て頭を下げたように見えました。

このようなことは前にもありました。前にゴルフトーナメントを観に行った時も、二~三の選手に頭を下げられたような気がします。しかし、私は直接その選手を知っているわけではないので、知らん顔しましたが……先ほどの私のほうにわざと打ち込んでくる選手や(誰に頭を下げているかよく分かりませんが)私のほうに向かって頭を下げている選手、一体何がしたいのでしょうか?

このような選手たちが、もし私の話しに興味があるというのなら、わざと私のほうにボールを打ち込んできたり、誰に向かって頭を下げているのか、分らないような中途半端なことなどせず、私のところに来て「話が聞きたい」と言えばすむだけの話です。

なぜ、選手たちは子供じみた中途半端な態度をとるのでしょう?

多くの選手が私のことをジロジロ観るのは、私のことを誰かから聞いているから観るのであって、まさか「あのオッサン面白い顔してる」とでも思って観ているわけではないでしょう。多少はそのように思ってみている人もいるかもしれませんが、私のことを誰かから聞いているということであれば、私がアドバイザーのような仕事をしているということも知っているはずです。

私の話しに少しでも興味がある人は聞きにくればよいのです。私は喜んでお話します。そのために、そこに行っているのですから。

直接は話しづらいというのであれば、GTS心の研究所のホームページがつくってありますので、そこにメールなり電話なりしてくればよいのです。私のことをボーっと観ていたりわざとボールを打ち込んでみたり、ギャラリーがたくさんいるところで頭など下げられても、意味がありません。何らかの形で私に話を聞きに来なければ、私にいくら興味を持ったところで、その人の人生は何も変わらないのです。

ゴルフの選手が私のほうに打ち込んでくることによって、みすみす一球無駄にすることになります。野球の選手が打席に入って、その打席で私のほうにばかばかファールを打って、三振したとします。するとその打席はまるまる無駄にしたことになります。

プロゴルファーの一球やプロ野球選手の一打席を無駄にすることによって、何十万も何百万も貰う金額が変わってくる選手もあるでしょう。それにその選手を観に来たファンはどう思うでしょう。プロゴルファーやプロ野球選手の周りには、多くのファンがいるのです。そのようなファンの、その選手に対する思いを無視することにもなります。

無駄な一球や無駄な一打席はファンの心をないがしろにし、お金をドブに捨てているようなものです。そんなドブに捨てる金があるならそれをもって私のところに来てください。私は貧乏をしています。もちろん一回のアドバイスで数十万も数百万も取る気はありませんが、数千円ほどはいただくつもりです。お金のない人からは取りませんが、お金のある人からはアドバイス料はいただくつもりでおります、その価値に見合うだけのアドバイスはさせていただくつもりでおりますから。しかし、私の話(法)を聞けば人によっては、劇的に人生が変わる人も出てくるのです。

たとえば、プロのゴルフの選手で本選にはよく出てくるのですが、ほとんど予選落ちで上位入賞などしたことがない選手がいたとします。そういう上位入賞もしたことがない選手がいくら練習しても、本大会で優勝するのは現実にはなかなか難しいでしょう。

しかし、そのような選手が法を知ると、選手によっては(選手によってはです)優勝する選手も出てくるのです。

それには次のような理由があるからです。

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9月 09 2010

ゴルフトーナメントを観に行って②

トーナメントを観に行った時に次のようなことがありました。

私は、まだ足が少し痛かったのでどこかで座って観ようと、9番と18番のグリーンが両方観えるところに座って観ていたのですが、①にも書きましたように九月というのにすごい暑さです。日陰に座っても両方のグリーンが観えるところはありましたが、そこは人で一杯です。仕方がないので日が当たるところに座ってみていましたが、カンカン照りで暑くて仕方ありません。一日目は我慢してそこで観ていましたが、二日目は我慢も限界にきて、昼が過ぎたころには頭が痛くなってきました。

これ以上我慢して、そこに座って観ていたら日射病になりそうでしたので、二日目の昼を過ぎたころから、9番と18番のグリーンの間にある日陰に入って観ていました。そこは木が何本もあって日陰のところは涼しいには涼しいのですが、少々移動しないと両方のグリーン上は観えず、ジッと座って観ているわけにはいきません。

9番のグリーンを観ながら、今度は少し移動して18番のグリーンも観るということを、繰り返していました。すると少したったころ「フォアー」という声が聞こえ、私のいるすぐ近くにボールを打ち込んできた選手がいました。

私はこの時あることに気づきました。それは「この場所にいるとやばいんじゃないか」ということです。

というのも、こういうことが私は何度もあったからです。

男子プロのゴルフのトーナメントを観に行った時のことです。私はあるホールのセカンドショットを打つ地点で観ていました。ドライバーを打つところは人が多くてよく選手が観えません。それでセカンドを打つところならあまり人もいなくて、選手もよく観えるので、その場所で観ていたのですが、私の周りには他のギャラリーも何人かいました。

私の観ている前にはバンカーがありました。何組かそこで回ってくる選手を観ていたのですが、不思議なことに、私の前にあるバンカーに入れる選手が非常に多いのです。ある組など(その組の選手はずいぶん名前が有名な選手もいたのですが)その組の選手三人が三人ともバンカーに入れてきたのです。

私の周りで観ていたギャラリーも「三人ともバンカーに入れてるぜ」と笑っています。そして「今日はこのバンカーに入れる選手が多いな。きっとこのバンカー入りやすいところにつくってあるんだろうな」という話もしています。

しかし、いくら入りやすいところにバンカーがつくってあるとはいえ、同じ組で回っている三人の選手が三人ともバンカーに入れるでしょうか?それもプロの選手がです。普通なら一人がバンカーに入れれば、他の選手はバンカーに入ることを警戒して、逆の位置に打たないでしょうか。私には、あきらかにこちらを狙って打っている、としか思えませんでした。

ドライバーを打つ位置から私がいるところは見えるのですが、それでも男子プロは飛ばすのでかなり遠くに見えていたはずです。私がそこに座っていると分かるかどうかは微妙ですが、なぜか分かりませんが多くの選手がこちらに向けて打ってきます。しかし、私は男子プロの試合を観に行くと、私のほうに打ち込まれたことが何度もありました。打ち込まれれば、そのボールを打ちにくる男子プロが目の前で見れるので、よく観えるのは観えるのですが、ボールをこちらに打ち込んでくるので、危なくて仕方ありません。

しかし、このようなことは野球を観に行った時もあったのです。

いつも野球を観に行く球場に少し早めに行って、選手の打撃練習を観ていた時のことです。何か知りませんがでてくる選手、でてくる選手やたらとホームランを打つのです。いつもこんなに打撃練習の時に、ホームランばかり打っているのかな?と不思議に思いましたが、観ている分にはホームランを打ってくれたほうが、豪快で面白いのでいいのですが、ホームランバッターでもなさそうな選手まで、ホームランを狙って打っているようで、何か不自然さを感じました。

この打撃練習を内野で観ている分にはいいのですが、これを外野で観ていた時は少々ビビリました。というのも、その打撃練習をしている選手がホームランを打つのはいいのですが、そのホームランを私のほうに向けて打ってくるのです。何発か私の近くにホームランボールが落ちましたが、周りで観ていたファンは大喜びです。私は「あぶねえなぁ」と思いましたが。

また、こんなこともありました。

その時、私は三塁側の内野席に座って野球を観ておりました。すると、どこのチームとは言いませんが、打席に入るバッターの多くの選手が、私のほうに向けて打球を打ってきます。私は三塁の少し後ろ位のところで観ていましたので、三塁コーチが立っている所にやたらボールが飛んできます。ある選手など毎打席毎打席、三塁コーチがいる辺りに何球もファールを打つので、周りで観てるファンは三塁コーチを狙って打っていると、大笑いしています。(公式戦でよくこんなことするなと少々私はあきれましたが)

何か知りませんが、私が野球やゴルフを観に行くと、よく私のほうに打ってくる選手がいるのです。

私が女子ゴルフを観に行って、9番と18番の間にある木陰にいるのはやばいと思ったのは、私がここにいると分かると、それに気づいた選手がこの辺りに打ち込んでくるんじゃないか、と思ったからです。そう思ったとたん「フォアー」という声が聞こえ、二人も立て続けにこちらに打ち込んでくる選手がいました。

まったく危なくて仕方ありません。「当てたら金貰うからな」とブツブツ言いながら、その選手たちを見ていたのですが……この選手たち、一体何をしているのでしょうか?何か勘違いしているのではないでしょうか?

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9月 06 2010

ゴルフトーナメントを観に行って①

岐阜のゴルフトーナメントを観に行ったのはいいのですが、九月というのにどえらい暑かったです。今年は気象庁が統計を取り始めて113年で一番暑かったそうですが、農作物への被害も甚大で、百年に一度の異常気象とのことです。それもこれも民主党のおかげと感謝しております(笑)。(洒落にならない冗談はこれくらいにしておきまして、またこのことは改めて書くことにします)

三日間もゴルフのトーナメントを観に行けば、感じたことはいろいろあるのですが、これから書くことは私の勝手な思い込みかもしれませんので、このブログを読む人はそのように思って読んでください。

最初に女子プロのゴルフトーナメントを観に行って思ったことは、ずいぶん愛念の強い子がいるものだな、ということでした。男が女の選手がやっているゴルフトーナメントを観に行くのですから、そういう見方をするときもあるとは思いますが、何せ私は大勢の女子ゴルフの選手たちに興味をもたれております(?)。好意を持って見てくる選手も中にはいるかもしれません。(何度も断りますが、今回のブログは私の勝手な思い込みで書いていますので…あしからず)

少し前に、ある女にだまされて生命保険にかけられ殺された、生命保険詐欺の事件が立て続けにあったことがあります。

その男をだまして生命保険にかけ殺した女は、ずいぶんいい年で顔もたいしたことはありませんでした。若くてかわいい女が男をだますというのなら話も分かりますが、ずいぶんいい年をした不細工な女が、男をだますというのですから、何でこんな女にだまされるのか、と普通は思います。

ところが愛念が強く、やさしい態度を取ってくる女には、どんな男もころりとだまされてしまうのです。特にその女の愛念が強いと、その心の強さに男はひきつけられ、最初はさほど気にしていなくても、その女を気にするようになってしまいます。ここら辺が情の深いと浅いの差であり、どういう女に男がだまされようと、ある程度仕方がない部分があるのです。

私が観に行った、この前のゴルフトーナメントでもそのような選手がいました。(一人~二人ですが)もし、その選手に言い寄られれば私ほどの男でも(などというほど女にもてた記憶もありませんが)、簡単にその選手になびいてしまうのです。だからといってその選手が有名な選手で、特別かわいいということでもありません。(そういう有名でかわいい選手もいましたが、私はそういう選手に愛念を強く感じたわけではありません)これだから女は怖いのです、どこにでもいそうな子が異常に愛念が強いのですから、世の男は、そのような女に言い寄られたら、たちまちその気になってしまいます。マァ簡単にだまされるということです。世の男は、愛念の強い女にだまされないよう気をつけなければなりませんし、その選手たちが正しい方向に愛念を使ってくれることを願ってやみません。

すいません。話があらぬ方向に行ってしまいましたが、本題はここからです。

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