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6月 10 2010

野球を観に行って思ったこと②

昭和五十年頃のことです。高橋信次先生の下に阪神タイガースのある選手が「打撃の調子が悪く、このままでは首になるので先生何とか助けてください」と、指導を受けに来られました。

その選手は高橋先生の指導を受けると、たちまちバッティングの調子がよくなり、最近ではボールが止まって見えるといっています、という話を高橋先生が講演のビデオの中で言われていました。

この頃、阪神タイガースのある選手が、高橋先生が主宰されるGLAにきて高橋先生の指導を受けられたことが、このビデオでよく分かります。しかし、この後、では高橋先生が説かれた法が阪神の選手たちに広がっていったのかといえば、そのような事実はありません。私が法の勉強をしているときに、プロ野球の選手が法を勉強しているという話など聞いたこともなかったし、園頭先生の講演会や研修会にプロ野球の選手が来たという話も聞かなかったからです。

この阪神の選手が自分のバッティングの調子が、なぜよくなったのかということをチームメイトに話さなかったのか、どうなのかよく分かりませんが、せっかく三十数年も前に高橋先生の法がプロ野球選手に広がるチャンスだったのに、それがならなかったというのは返す返すも残念なことでありました。

この選手は高橋先生を、どこにでもいる霊能者の一人としか見ていなかったのでしょうか、もしそのような見方しかしていなかったとしたら、この選手のみる目がなかったとしか言いようがありません。高橋先生の説かれる法の偉大さがこの選手には分からなかったのです。

ところが、それから三十数年たった現在不思議なことが起きています。

たった一人の無名な人間に、多くの有名なプロ野球選手が興味を持ち始めているのです。そればかりか有名プロゴルファーまでもがです。一体なぜこんなことが起きているのでしょう。その無名な人間によほど魅力があるとでもいうのでしょうか?その無名な人間が人間離れした、すごい力でももっているとでもいうのでしょうか?

そうではないのです。その無名な人間はそんな魅力も力も持ち合わせてはいないのです。唯一つ持っているものは、三十数年前に高橋信次先生が説かれ、園頭先生が受け継がれた、真の神の教えである“法”(神理)を知っているだけなのです。

その法を知っているということだけで、多くの有名プロスポーツ選手たちが、その無名な人間に興味を持っているのです。

たしかに法を伝えた選手が周りの人たちに話をしてくれたということはあります。しかし、その話だけでプロ野球選手はおろかプロゴルフ選手(ゴルフ選手に噂が流れたというのはたぶん別な子のお蔭でしょう。ですので、その選手にはあまり無理をしてほしくないといつも思っています)まで噂が行き、多くのプロたちが、その無名な人間に興味を持つというのは明らかに異常です。

なぜ、こんなことが起きているのでしょう。なぜ、たった一人の無名な者に多くの有名なスポーツ選手たちが、興味を持ち始めているのでしょう。

それは時が来ているからです。

法が広がる時が来ているのです。

でなければ、たった一人のどこの馬の骨か分からない者に、多くの有名選手が興味を持つはずがないのです。

これは天の配剤なのです。

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6月 08 2010

野球を観に行って思ったこと①

昨日一昨日と野球を観に行ってきました。(かなり無理をしてですが)最近は相手チームの選手ばかりか審判までこちらを見ています。お蔭様で周りの観客にまで顔をジロジロ見られ私もずいぶん有名になってきたものです。(相変わらずGTS心の研究所には誰も来ていただけませんが)これも法を聞いている選手のお蔭と感謝しております。しかし、私が話す法に興味を持ってもらい、それを実践することによって人生も変わってくるのであり、私にどれだけ興味を持ってもらっても何も変わりません。そこら辺は勘違いしてほしくないと思います。

しかし、私が観に行くと法を聞いている選手のいるチームは勝てません。今回も二連敗です。おまけに法を聞いてる選手もあまり打ちません。(普段は三安打、四安打よく固め打ちしているのに)二日でヒットを一本打っただけでした。嫌がらせかと思いました。(笑)

なぜ二日も続けて私が野球を観に行ったのかといえば、法を聞いているプロ野球選手の相手チームの選手が、面白いことをしようとしたので翌日も行くことにしたのです。

それは一日目の九回裏、法を聞いている選手のいるチームの最後の攻撃のときでした。点差は大差がついてとても勝てる状況ではなく、相手チームの投手も非常に調子がよく、打てる感じはありませんでした。

九回ワンアウトになり次打者がファースト付近にフライを打ち上げました。そのフライは観客席のぎりぎりのところに上がり、確かにとりにくいボールではありましたがプロの野球選手ならとれそうなボールでした。しかし、ファーストの選手はそのフライをとらなかったのです。

おかしな書き方ですが、その選手は無理すれば取れそうなファーストフライをとれなかったのです。何かわざと取らなかったようにも見えました。「あの選手今のフライとれたんじゃないか」私がそう思ってファーストの選手を見ていると、今度はそのチームの投手の雰囲気が明らかに変わっているのに気付きました。

「あれ、この投手雰囲気変わったな」と思って観ていると、さっきファーストフライを打ち上げたバッターのカウントがツースリーになりました。次の球がボールならフォアボールで一塁に出れることになりますが、この打者は次の球を空振りして三振してしまいました。スローで観るとあきらかにボール球に手を出しています。

このときピンときました。そしてこの投手の雰囲気が変わった意味が分かりました。この投手はあることをしようとしていたのです。

案の定次の打者の初球はボールでした。次の球もボールでしたがその球を打者が打ち上げてしまって、セカンドフライでアウトになってゲームセットになりましたが、この投手のやろうとしたことを、法を聞いている選手のいるチームの選手が、気付いていなかったのが残念でした。

しかし、面白いことをしようとする投手だなとこの時思いました。それで次の日も観に行くことにしたのです。

何をこのとき、この投手がやろうとしていたのかは言いませんが、家に帰りスポーツニュースをテレビで見ていると、ちょうど今日観てきた試合の最後の場面が映っていました。それを見て私は、自分が実際観ていて感じた思いが正しかったことを確信しました。

そのスポーツニュースは、今日私が見てきた試合のハイライトを流していたのですが、ゲームセットになる最後の場面を流しているときです。普通なら最後の打者がポップフライを打ち上げれば、投げている投手はホッとした顔をします。中には笑顔を見せる投手もいて、勝つ寸前の投手の顔は一番うれしそうです。

ところが今日のこの投手、最後の打者がポップフライを打ち上げるとムッとした顔をしたのです。それはその最後の場面を、テレビがその投手をアップで映したのでよく表情が分かりました。私は最後のこの投手の顔を見て、私が思っていたことをやろうとしていたのだな、と確信したのです。それにしても勝つ寸前の投手がムッとするのも珍しいですね。別にこの投手の調子が悪く、それでゲームセットの瞬間にムッとするというなら話も分かりますが、今日この投手は二安打完封をしていたのです。

そんな投手が、ゲームセットの瞬間にムッとするなど前代未聞なのではないでしょうか(笑)

今日書いたブログはあまり意味が分からないかもしれませんが、そういう面白いことをするチームだから二日も続けて観に行ったのです。

しかし、プロ野球選手の皆さんは、ずいぶん私の話す法というものに興味をお持ちのようです。(なら聞きに来れば良いのにと思いますが)

私は前にプロ野球選手の中で法を知っているのは、私のアドバイスしている選手だけと書いたことがありますが、これは正確な書き方ではありません。

実は三十数年前に、法を聞いているプロ野球選手がいたのです。

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6月 05 2010

狼少女②

少女たちの好物は生肉や牛乳でニワトリの内臓などは、手を使わず直接食べました。水や牛乳などはピチャピチャなめ、また何か臭いの異常に気付いたり物や人間の存在を確かめようとするときは、いつも鼻を宙に上げてクンクンさせその方角を嗅ぎつけました。また食べ物を食べるときも必ず食べる前に臭いを嗅ぎ、そうした仕草は狼そのもののように見えました。

寒さや暑さといった感覚には鈍感で、夏でも冬でも裸で動き回ることを好み、衣服を着せようとするといやがり、ズタズタに噛み裂いてしまいました。大変寒い日でも何も身につけようとせず震えることもありませんでした。

シング牧師は、こうした彼女たちを何とかして人間社会になじませようと試みます。

そのためには彼女たちの夜行性と生活リズムを断ち切らねばなりません。そこでシング牧師は手始めに彼女たちを日のあたる場所に連れ出し、健全な昼の生活に慣れさせようと考えました。

しかし、すぐにシング牧師には少女たちが直射日光に堪えられないことが分かります。長時間日光を浴びると呼吸が苦しくなり物もよく見えず、目も開けていられない様子でした。

それでも数ヶ月もすると少しずつではありましたが、アマラとカマラはシング夫人には心を開くようになります。

最初、人間に対して嫌悪感しか持ち得なかったのに、心の変化が現れてきたのです。それは婦人の誠実さと母性愛から来るものでした。シング牧師はこの時、愛情こそが彼女たちの人間性を呼び起こすものだと確信します。

しかし、人間社会に連れ戻され一年ほど立った頃、二人の少女は赤痢にかかってしまいます。発病して五日間彼女たちは意識を失っていました。その間、ずっと彼女たちを看病し続けたシング牧師でしたが、何日か立つうちにカマラの方は次第に快方に向かっていったのですが、まだ小さく体力がないアマラの方は絶望的でした。

発病して二週間後、アマラはロウソクの炎が消えるように息を引き取ります。

アマラが死んだときカマラは死という意味が分からず、死んだアマラの側にピタリと寄り添い離れようとしませんでした。懸命にアマラの体をゆすったり起こそうとしました。しかし、何度それを試みてもアマラはピクリとも動きませんでした。そのうちにアマラの体が急速に冷たくなっていきます。その時、本能的にアマラの死というものを悟ったカマラは、初めて涙を流します。

それは人間であるがゆえに、愛する身内に対する哀れみの気持ちであったのでしょうか。カマラはアマラの死後数日間、食事もとらず引きこもったままでした。丸一ヶ月というもの一人っきりで部屋の隅でうずくまったままでした。

カマラはそれから八年後に死にます。

カマラはその間、他の人間たちにもなれ、上手ではないけれども直立歩行もするようになりました。子ヤギや子猫を優しく撫でるときの彼女は、笑顔に近い表情も見せました。

彼女は学習と努力によって、精神や人間性はずいぶん成長しましたが、その進歩は非常にゆっくりでしかありませんでした。死の間際、カマラは推定十六歳ほどでしたが、人間の成長としては三歳ほどでしかなかったといわれています。

(このアマラとカマラの話は、本当だとか嘘の話をでっち上げたとか言われますが、シング牧師という方は私財をなげうって貧しい村々に宣教と慈善活動を続けていられた方です。アマラとカマラの写真は何十枚も残っていますし、詳細な記録も残っています。当時のシング牧師を知る方々は、皆、口をそろえてシング牧師の誠実さを言われます。そのような方が、わざわざ嘘の話をでっち上げるとは私には思えません)

この事実は一体何を物語っているのでしょうか。

それは人間は人間として育てなければ人間にならないということです。人間として生まれても、狼に育てられれば狼のようになってしまうということです。

戦後、自由、平等の名の下に様々な教育がなされてきました。個人の自由の尊重、すべての人は皆平等であるなど一見正しそうに思えますが、個人の自由ばかり尊重し、それぞれが好きなことをやっていて、それで話がまとまるのでしょうか。

たとえば学校に行くのは個人の自由で、行きたければ行くし行きたくなければ行かない、と言っていたら、その人は勉強ができるようになるのでしょうか。会社に行くのも行かないのも個人の自由で、行く時間も個々で好きな時間に行っていたら、その会社は仕事になるのでしょうか。

親と子、先生と生徒が平等でしょうか?よく親と子あるいは先生と生徒は同じ目線で話せといわれます。友達のような親子、先生と生徒の関係がいいといわれるようになりました。(こういうことは戦前はいわれることはありませんでした)しかし、親と子が友達のようになって、それで子供が親の言うことを聞くのでしょうか?先生と生徒が友達のようになって、生徒が先生の言うことを聞くのでしょうか?

聞かないというのが、現在の家庭や学校を見ればよく分かります。個人の自由、すべては皆平等という考えで教育された人が多いため、自分本位で人の意見に耳を貸さない人が増えたのです。

親子が平等ということであれば、子供は自分にとって都合のいいことは聞いても、都合の悪いことは聞かないでしょう。先生と生徒の関係も同じです。

親は親としての権威、先生は先生としての権威がなければ子供はいうことを聞かないし、ちゃんとした教育もできないということです。先ほどの自由でもそうです。個人の自由を尊重しすぎるとまとまりがなくなり、結局何もできないのです。

自由にしろ平等にしろ秩序がなければ混乱するだけなのです。ある程度の個人の自由は認められても、決められたことは守らなければなりません。親と子が平等で親が友達のようになって、それで子供をしっかり教育できるのでしょうか。最近は子供の顔色をうかがい、子供が悪いことをしても叱りもしない親がいるといいますが、そんな親は最低です。自分が嫌われようと子供が悪いことをしたら叱りつける、それが親として当たり前のことですし教育でしょう。先生も同じです。生徒の良いところはほめ、悪いところは叱ってでも直す。これが当たり前のことなのに、このような生徒指導ができない先生も多いと聞きます。それでよい生徒が育つのでしょうか。

教育をしっかりやらないとまともな子は育ちません。教育の大事さ大切さをよく知ってください。

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6月 03 2010

狼少女①

終戦後日本が二度と連合国に立ち向かって来れないよう、日本人の内面からつぶす日本弱体化政策(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)により、マスコミも操作され教育もGHQの指導のもと行われるようになります。

しかし、このウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムによって、教育にまで手を出されたことがどれほど恐ろしいことであるのか、それを実話を例にして書いてみたいと思います。

それはインドの狼少女の話です。

千九百二十年孤児院を営むシング夫妻は伝道を続ける宣教師でした。そのシング夫妻がゴムリという村を回ったときのことです。村人から恐ろしい話を聞かされます。

その話とは、村はずれにある洞穴に、世にも恐ろしい化け物がいるというのです。そして村人たちはその化け物を心底恐れているようでした。そして、その化け物をシング夫妻に、なんとしてでも退治してほしいと頼むのでした。

そこでシング牧師は、その話が本当かどうか確かめることにしました。その洞穴から百メートルほど離れた大きな木に見張り台を設置し、そこからその洞穴を見張っていたのです。すると一時間ほどたって夕暮れ時になった頃、大きな一匹の狼が穴から飛び出し、続いてもう一匹飛び出してきました。飛び出してきた狼たちは臭いをかぎまわり、周囲をうかがっているように見えます。恐らく最初に出てきたのが母親であろうと思えました。

まもなく子供の狼が二、三匹出てきて、それに連なるように奇妙な生き物が二匹穴から這い出してきました。それは茶褐色の肌をしており髪は肩の辺りまでたれ下がり、目は鋭い光を帯びてまるで狼の目のようです。その奇妙な生き物は穴から出てくるなり、四つ足でそこら中を素早く走り回っています。シング牧師はこの不気味な生き物こそ村人たちを恐怖に陥れている化け物に違いないと考えます。

しかし、その化け物を凝視していたシング牧師は、それが人間の子供ではないかと疑いを抱き始めます。よく見ると確かにその化け物は、一見この世のものとは思えない奇怪でグロテスクな生物ではありましたが、人間の子供によく似ていました。

人間の子供であるなら救い出して人間として育ててあげたい、そう思われたシング牧師は、一週間後に捕獲作戦を行います。

そうして狼から、その二匹の化け物を救い出してみると、たしかにそれは人間の子供でした。救い出した二人は一人は一才もう一人は八才ほどの少女で、一才の方をアマラ八才の方をカマラと名づけます。

インドでは共働きの夫婦が多く、畑仕事などに出かけていくと、赤ん坊も一緒に連れてきて畑仕事の最中は、畑の横に寝かせておくということがよくありました。その畑の横に寝かせてある赤ん坊を、狼がさらっていくという事件もまれにあったのです。このアマラとカマラは別々な時期に狼にさらわれ、食べられもせず運良く狼に育てられたようでした。

そして二人の少女は人間社会に引き戻され人間生活を始めることになります。

最初のうち少女たちは、人間らしい感情を全く示しませんでした。何事にも無関心で部屋の片隅にうずくまったまま何時間も同じ姿勢をとり続けました。身体的に普通の子供と決定的に違っていた点は、あごの骨が異常に発達しているということでした。そのため顔の輪郭そのものが変化し、関節も長い間四つ足で歩いていたため柔軟性を失い、立ち上がることができずマメで覆われていました。ゆっくり移動するときは手と膝のみを使って移動し、早く移動しようとするときは四つ足になりました。その時の速度は大人でも追いつけないほどの素早さでした。

その行動は、まさしく狼のそれといってよく日光を嫌い、夜行性で昼のうちは二人で重なって眠り手足をちぢめ膝は胸にひきつけ、その姿はまるで子犬が重なり合って眠っているようでした。

夕方になると少女たちは元気づき大胆になりました。そして四本足で活発に動き回り遠吠えをするのです。特に夜十二時を過ぎるとカッと目を見開き、その目は猫のように青いギラギラとした光を帯び、真っ暗な中でも物が識別できました。しかも信じられないほどの嗅覚と聴覚を持っており、約六十メートル離れた距離から生肉の臭いを察知するほどでした。そしてどれだけ離れていても、人のほんのわずかな足音を聞き分けることができたのです。

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6月 01 2010

園頭広周師⑨

昭和二十年六月園頭先生は広東にいました。この年の三月三日にはフィリピンのマニラが米軍に占領され、二十五日になると硫黄島で栗林兵団長が突撃し玉砕、二十六日には沖縄本島に米軍上陸、もはや本土決戦を覚悟しなければならない状態になりました。

日本の敗戦は時間の問題でした。園頭先生は昭和十八年ニュージョージア島で米軍と戦闘して以来、その戦闘力のあまりの違いに、いつかは日本が敗れる日がくると覚悟はしていられましたが、いよいよその日が来るのかと思うと、分かってはいたもののそれを認めたくはありませんでした。

八月十五日終戦の詔勅(しょうちょく)を聞き敗戦。園頭先生は日本に帰ることになりました。

この終戦後、日本だけが侵略国家といわれ自虐史観を埋め込まれます。(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)しかし、多くの国が戦争をして一国だけが侵略国家であるということはありえません。このような考えは捨てないと正しいことは分かりません。しかし、日本人はこのような考えを埋め込まれてしまった結果、アジアの人々からも軽蔑した目でみられるようになってしまったのです。

園頭広周先生著「正法と経営」より抜粋します。

<日本についての再教育を

日本人はよいこともたくさんしてきたのである。マスコミ、そして学校教育では、なぜ、日本の悪いところだけを教えて、よいところは教えないのであろうか。そういう点に私は何か国際的な謀略があるのではないかと思う。

マレーシア独立に貢献した、大東亜戦争中、日本で教育を受けたラジャー・ダト・ノンチック氏の次の詩を読んで、私は涙が流れた。この詩は全日本人が読むべきであり、特に小・中学生は学校で読ませ、日本のことについて再教育すべきであると思う。

   かつて 日本人は

   清らかで美しかった

   かつて 日本人は

   親切で こころ豊かだった

   アジアの国の誰にでも

   自分のことのように

   一生懸命つくしてくれた

     何千人もの 人のなかには

     少しは 変な人もいたし

     おこりんぼや わがままな人もいた

     自分の考えを おしつけて

     いばってばかりいる人だって

     いなかったわけじゃない

     でも その頃の日本人は

     そんな少しの いやなことや

     不愉快さを越えて

     おおらかで まじめで

     希望に満ちて明るかった

   戦後の日本人は 

   自分たち日本人のことを

   悪者だと思い込まされた

   学校でも ジャーナリズムも

   そうだとしか教えなかったから

   まじめに

   自分たちの父祖や先輩は

   悪いことばかりした残酷無情な

   ひどい人たちだったと

   思っているようだ

     だから アジアの国に行ったら

     ひたすら ペコペコあやまって

     私たちはそんなことはいたしませんと

     言えばよいと思っている

     そのくせ 経済力がついてきて

     技術が向上してくると

     自分の国や自分までが

     えらいと思うようになってきて

     うわべや 口先では

     すまなかった悪かったと言いながら

     ひとりよがりの

     自分本位の えらそうな態度をする

     そんな

     今の日本人が 心配だ

   本当に どうなってしまったんだろう

   日本人は そんなはずじゃなかったのに

   本当の日本人を知っているわたしたちは

   今は いつも 歯がゆくて

   くやしい思いがする

     自分のことや

     自分の会社の利益ばかりを考えて

     こせこせと

     身勝手な行動ばかりしている

     ヒョロヒョロの日本人は

     これが本当の日本人なのだろうか

     自分たちだけで 集まっては

     自分たちだけの 楽しみや

     ぜいたくに ふけりながら

     自分がお世話になって住んでいる

     自分の会社が仕事をしている

     その国と 国民のことを

     さげすんだ眼でみたり

     バカにしたりする

   こんな 人たちと

   本当に仲よくしてゆけるだろうか

   どうして

   どうして日本人は

   こんなになってしまったんだ

                        (一九八九年四月クアラルンプールにて)

あなた方はこの詩を読んで、どう思われるであろうか。日本人は、過去の日本に対してもっと自信を持ってよいのではないのか。>

現在は戦前、戦中というと何か暗黒世界のように思われておりますがとんでもありません。GHQによる戦後の教育とマスコミを使った(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)洗脳作戦によって、そのように思わされているだけなのです。戦前、戦中の日本人は、心が清らかで親切な人が多く、人が困っていると自分のことのように一生懸命尽くしてくれる人も多かったのです。

もちろん戦争中も日本人が特別悪いことばかりしていたわけではありません。それは先のラジャー・ダト・ノンチック氏の詩が教えてくれています。この詩ほど現在と過去の日本人を正しく表現している詩はないのではないでしょうか。

戦争は確かに正しいことではありません。しかし、どうしても回避できない戦争もあるのです。大東亜戦争はその中の一つでした。(それには理由がありますがそれはまた機会があるときに書きます)

正しい歴史を知るということは大事なことであるといえましょう。

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