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ブログ

1月 12 2020

使命のある人たち

しかし、凄いですね。まさに別格です。どこかの会社などです。

毎日です。毎日、何か起きているようだからです。しかも夜遅くまでです。よくおかしくならないですね。それだけ災いが起きていてです。(昨日もそんな話をしていました。どこかの会社の連中とです…そのように声をかけるとシーンとしていました)

早く私に頭を下げ、感謝して布施することです。それで私が祈るならピタリとその災いは止まるからです。

正法神理を説いている私がいうのですから間違いありません。本当にやってみたらどうですか。

それだけ災いが起きているのです。それがピタリと止まるなら、それだけ有難い話もないはずだからです。(急にそれだけ起きている災いが止まるならそれはそれで奇跡ですね。〔苦笑〕)

いい加減、折れてはどうでしょう。自分たちが折れない限り、その災いは止まらないからです。

しかし、これだけ多くの人たちがこれだけ頑張る(我を張る)とは予想外でしょうね。天上界もです。

昔の人なら、もうとっくに多くの人たちが頭を下げこの教えに帰依していたはずであるからです。しかし、今生の(現代の)人たちはすさまじい数の災いが現れても、一人として頭を下げようとしません。

さすがの天上界も困っていることでしょう。これだけ天罰を現しても、それでも誰も法を説いている者のいうことをきこうとしないからです。

しかし、恐ろしいことをしています。このような罰当たりな人たちのそんな傲慢な態度は、まともに神に(そうして天上界に)逆らっていることになるからです。

だから、これほどの災いも起きてくるのです。この辺りだけではなく全国的にもです。

罰当たりな人が多いからです。だから災害大国などと日本はいわれるようになるのです。そのような天罰をくだされる人たちが日本にはたくさんいるからです。

しかし、困りましたね。こちらもです。こんな状況ではこちらも続けることが出来ないからです。この正法神理の流布をです。(そりゃそうでしょう。そういう〔罰当たりな〕人たちが誰も布施をしようとしないのですから)

しかし、このブログを見てもあまり興味を持たず逆らっているだけのような人たちは、それでよいのですが(地獄に行くだけですから……今日の朝もいましたけどね。そういう人がです。〔苦笑〕)問題はこのブログを好意的に見ていて、そうして読みたくてならないという人たちです。

そういう人もいますよね。このブログを見ている人たちの中にはです。どれくらいいるのかは知りませんがゼロではないでしょう。そういう人もです。

問題はそういう人たちなのです。そういう人たちは、この正法神理と縁が深い人たちであり、だから、このブログを読みたくて仕方がなくなるのです。

心からこの教えを求めているからです。

しかし、そのような人たちは当然、この教えと縁が深い分、この教えに対する使命も大きいのです。

だから、そのような人たちが、他の人たちと同様にこのブログをただ見ているだけでは天は許しません。

単に地獄に堕ちるではすまないのです。

そういう人たちは、多くの人々を救うという使命もあるからです。(それはそうです。正法神理と縁が深いということは、その神理を多くの人々に伝える〔ということは多くの人々を救う〕という使命も当然あるからです)

そういう人たちがボケっとしているから、いつまでも私が苦しいままなのです。そのような大事な使命を持った人たちが自分の一番の使命を果たそうとしないからです。

だから、そういう人たちで(このブログを好意的に見ている人たちで)自分や自分の周りに悪いことが起きて来ている人もいると思います。

いませんか?いるでしょう。そういう人もです。

このブログを見ているくせに私に嫌がらせをして、そうして悪いことが起きているというのではなく(それはただの天罰ですが)好意的に見ているにもかかわらず、自分が病気をしたり、家族が病気をしたり、あるいは周りに何か悪いことが起きている人たちなどです。(例えば、そのような病気はもちろんですが、去年の一連の台風などで家が壊れたり、水に浸かったり、けがをしたりした人などです)

そういう人は、それは天罰ではなく警告なのです。天上界からのです。

このブログを書いている私に協力しろというです。

だから、そういうことが起きているのですが、それを無視して、このブログをボケっと見続けていると、もっと悪いことが起きてきます。

だから、もう気づかないといけないのです。そのようなことにです。

これまで何年にもわたり、そのような態度を変えていないのだからそれでいいではないのです。

何年にもわたってこのブログを読み続けているのですから、もう神を信じ、神理を信じて、そうして自分の行いを変えないといけないのです。神の心に叶う方にです。

特にそのような(このブログを好意的に見ている)人たちはです。大きな使命があるからです。

それをいつまでたってもしようとしないから段々悪いことが起きてくるのです。

だから、このブログを好意的に見ている人たちで、最近は悪いことばかり起きてくるという人もいるでしょう。

そういう人はもう時が来ているのです。自分の本当の使命を果たさなければいけない時がです。

だからそのような人は、私に感謝して感謝の布施をされることです。(まあ、本当はそのような人は、この教えに帰依してガンガンやらないといけないのですが、まだそこまではいかない人はです)

そうすれば、その起きている悪いことは段々起きなくなり、よい方に変わってくるからです。

そうしてまだ何も起きていない人たちもです。そういう(法の流布の)使命のある人は、その使命を果たそうとしなければいずれ必ず悪いことは起きてきます。

だから、それが起きる前に気づくことです。自分の本当のやるべきことをです。それに気づかないと段々運命は悪くなって末路は哀れになるからです。

これまでそれでよかったのでこれからもそれでいいではないのです。そういう人たちが自分の使命を果たさなかったがため、この十年の間、天罰は(警告は)現れ続けていたからです。

ただそれを、このブログを見ている人たちが信じなかっただけです。認めなかっただけなのです。(私はくどいほどいいましたがね)

しかし、そのようなことをし続けていれば、その天罰はやがて自分たちにも現れてきます。そういう天罰が個々にすでに現れ出しているということです。

このブログ(正法神理)をないがしろにしている人たちはもちろんですが、好意的に見ている人たちにもです。

自分の一番の使命を無視して、いつまでも自分のことだけしているようなら不調和な現象は次々に現れてきます。

自分の本当の使命にいい加減気づいて、それを行いませんか?

それが一番の調和と安らぎの道であるからです。

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1月 11 2020

中道の大事さ

ずいぶん引いた人が増えて来ましたね。この辺りはです。怒っている人などもう一部です。

この辺りは切実ですからね。目の前で危ない現象が次々に現れているからです。

もう止まりませんもんね。災いがです。冗談抜きで、真剣に神理への帰依を考えたらどうでしょう。そうすれば神に守られるからです。

結局、これまでは心の低い人たちが先頭切ってやってきたからこういうことになったのです。心が低い人など人のことどころか、自分のこともしっかり考えないからです。(だから上っ面の噂だけ信じて、その人に〔私に〕起きていることなど全然考えない。奇跡など観ようともしない)

だから、そういう人はやっていることをよく考えもしないものですから、悪いことは全部責任転嫁して、どれだけ災いが起きて来ても、絶対に神など認めず、自分たちの間違いも認めず、人に何が起きようが、自分に何が起きようが関係なく、ただ怒りに任せて八つ当たりしているだけ。

そういう人たちに合わせているからいけないのです。だからいいことも起きて来ないのです。そんな極端で〔狭量で〕偏った考え方もないからです。

残念ではありますが、偏った考えを持っていてはいいことは起きてきません。

だからいっているのです。この正法神理に帰依しなさいとです。そうすれば考え方も中道に変わってきて(心が中道に変わるなら)よいこと(奇跡)も起きてくるからです。

昨日またウナッシーさんからコメントが届きましたが、ウナッシーさんなど周りの人から「おおらか」といわれるそうです。

こちらの人たちとずいぶん違うのではないですか。こちらの人たちは逆に(狭量で)「細かい」人がずいぶん多いようであるからです。(ほんと細かい嫌がらせばかりしてきますから。〔苦笑〕)

正法神理を実践していれば、どちらにも偏らない中道でおおらかな心になっていきます。だから、奇跡も現れてくるのです。

そのような中道でおおらかな心こそ神の心であるからです。(だから、極端に偏った細かい心など神の心ではないということです。だから災いが起きるのです。そのような心は神の心からかけ離れているからです)

ウナッシーさんなど昨日書いた奥さんの胃痛が治ったことだけでなく、娘さんのひどい蕁麻疹か何かも祈りで治ったといわれていましたし、私なども祈って、母の(八十すぎの婆さんの)ひどかった肺炎があっという間に治ってしまいましたし(わずか一週間入院しただけで。普通八十すぎの年寄りがひどい肺炎になれば死にます)末期癌の患者さんの癌が小さくなって一変に痛みがなくなった、という奇跡も起きています。

この教えに帰依して実践しているのなら、このような奇跡もドンドン起きてきます。この教えを実践すればするだけ心が正しく(中道でおおらかに)変わってくるからです。

しかし、この教えを知らない人、または知っていても逆らい無視している人たちにはドンドン災いが現れて来ています。(もうどこかの会社など哀れなものですし〔今さっきの話ですが、また何か起きたみたいで急にお怒りになられています〕また有名人が〔F1の解説者〕急死したそうですね)

この一点だけ見ても、帰依した方がよいのではないですか。帰依してこの教えを実践するなら心も段々変わってきて(中道でおおらかにです)そうして奇跡も起きてくるからです。

しかし、今の心のままでは(偏った細かい)いつ自分たちに災いが現れるか知れないからです。

結局、そのように間違った心の人が多いから悪いことばかりが起きてくるのです。

それは周りに起きることばかりじゃなく、天気を見ても分かるでしょう。今季は暖冬といわれていましたが、それにしてもその暖冬の度が過ぎています。

もう一月に入っているというのにどこも雪が少なく暖かいです。そうしてまだこの暖かさが一ヶ月くらいは続くとのことですが、これから一ヶ月も寒くならないのであれば(本格的な寒さが来ないのであれば)もう春が来てしまいます。

つまり今季の冬は記録的な暖冬ということになります。

しかし、これがこのままだと今季は異常に雪が少ないということになって、また困るところがたくさん出て来るでしょうね。

雪は多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない、ちょうどいい具合に降らないと、どこも困るということです。

つまり天気も中道でないといけないのです。

ではなぜ、天気は中道にならないのですか?

それは先ほども書きましたが中道の心の人たちがほとんどいないからです。

だから天気も中道にならないのです。偏ってしまうのです。そのような偏った心の人が多いからです。

天気も何も(周りに起きてくることも)すべて同じなのです。人々の心が反映されるのです。現れてくるのです。

だからこれだけ悪いことばかり起きてくるのです。すべての面にです。人の心はすべての面に影響を与えるからです。(だから悪いことが起きているのは決して私のせいではないということです。〔何度もいっていますが〕自分たちの心のせいなのです)

これだけ心の大事さをいい、中道の大事さをいっているのは、この正法神理だけです。だからこの教えに帰依しないといけないといっているのです。

そういう(中道でおおらかな)心の人が増えて来ないと、天気も安定しないし周りによいことも起きて来ないからです。

まだ分かりませんか?この教えの大事さがです。

だから私たちには次々に奇跡が起きてくるのです。この教えを実践し、心が中道でおおらかであるからです。

しかし、いま現在の多くの人々は、その反対の、逆の方、逆の方にと、考え方がいっているのです。

だからいいことが起きて来ないのです。日本だけでなく世界中でです。(世界が、そういう極端に偏って細かい方に考え方がいっているでしょう。極端な男女平等、同等論や極端なLGBT論、何かすればすぐに何々ハラとかいって訴える、日本でいうなら、保育園をつくるな、除夜の鐘がうるさい、風鈴がうるさい、などなど)

だから世界中でいいことが起きて来ないのです。世界中の人々が極端で偏った方向に心がいっているからです。

だから世界中で異常気象にもなるのです。世界中の人たちが心の在り方を間違えているからです。

しかし、その心の間違いを正すなら、私たちの様に次々に奇跡が現れてきます。(今の逆の現象が現れてくるということです)

まだ分かりませんか?この正法神理がいかに大事であるかということがです。そうして中道の大事さがです。

人々の心が中道でないから、天気も中道でなくなり、そうして起きてくることも極端になるのです。(極端は悪ですから、悪いことしか起きないということです)

このような正しいことが分かるのはこのブログを見ている(正法神理を知っている)人たちだけなのです。

何度もいいますが(何度でもいいますが)この教えに従ってください。

そうすればいま起きている異常現象はおさまり奇跡が現れてくるからです。

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1月 10 2020

神理が説かれる短さ

今、ずいぶん稀有なことが起きているのですがお気づきですか?

よく考えてみてください。釈尊やキリストとその弟子たちはよく知られていますが、では、その弟子の弟子たちは知っている人がいるのでしょうか?

いっている意味が分かりますか?

釈尊や釈尊の十大弟子とか、キリストやキリストの十二使徒たちはよく知られているのですが、その十大弟子の弟子たちとか、十二使徒の弟子たちを知っている人がいるのか?ときいているのです。

あまり知られていないのではないでしょうか。十大弟子の弟子とか、十二使徒の弟子などです。

例えば、釈尊の右腕といわれたシャリー・プトラ―の弟子の名などきいたことがありませんし、キリストの弟子のペテロやヨハネ、あるいはパウロの弟子などたくさんいたはずですが(多くの人たちがキリストの弟子たちの奇跡を見て弟子になったそうですから)あまり名前が残っている人がいません。

なぜでしょうか?なぜ、釈尊やキリストの弟子たちまでは世界中の多くの人に名前が知られているのに、その弟子たちはほとんど知られていないのでしょうか?

簡単にいうならです。奇跡が起きなくなったからでしょう。つまり、釈尊やキリストが現し、その弟子たちが現した奇跡が、その次の弟子たちにはもう起きなくなっていたということです。

だから、その後の弟子たちは名前が残っていないのです。もし、その後の弟子たちも同じように奇跡が現れていたのなら、同じ聖書や仏典のような記録が残っていてもおかしくはないからです。

しかし、釈尊やキリストの弟子たちまでの奇跡が書かれてあるものは残っていますが、その後の弟子たちが起こした奇跡など、どこにも書き残されたものがないからです。

では、その後の弟子たちはもう奇跡が起きなくなっていたのでしょう。

実際に新約聖書の四福音書(しふくいんしょ)の一つの「マルコによる福音書」を書いたマルコはペテロの弟子ですが、このマルコが奇跡を起こしたという記録はありません。

四福音書の一つを書き、ペテロの弟子として名前も知られているのですから、もしマルコが奇跡を起こしているのなら、どこかにそのような記録が残されていてもおかしくはないはずですが、そんな記録はどこにも書き残されていないのです。

では、マルコは奇跡を起こしたことがなかったと考えても別に間違いではないのではないでしょうか。もし、何らかの奇跡をマルコが起こしていたのなら、何か記録にせよ言い伝えにせよ残されていても不思議ではないからです。

しかし、そんな記録も言い伝えもないからです。

これは「ルカによる福音書」を残したルカも同じでしょう。ルカが奇跡を起こしたという記録はありません。ルカも奇跡を起こせなかったからでしょう。

もし何か奇跡が起こせたのなら、それを自分自身で書き残すこともルカなら出来たはずであるからです。(福音書の後の使徒言行録を書いたのもルカであるといわれていますから)

ということは、釈尊やキリストの直弟子たちまでは奇跡が起こせても、その後の弟子たちになるともう奇跡が現れなくなるというのが、これまでの神理の歴史のようです。

釈尊やキリストの弟子の弟子たちが(あるいはその次の弟子たちが)奇跡を起こしたという記録は、どこにも残っていないからです。

つまり、ある程度完全な神理が説けていたのは二代目(釈尊やキリストの直弟子)までということになります。その次の代になると、もう奇跡が起きなくなるからです。

奇跡が起きて来なければ、それでは本当の神理を説いているとはいえなくなるからです。

それを考えるとです。今生はずいぶん珍しいことが起きているのではないでしょうか。私は三代目(三世代目)であるからです。

高橋先生(釈尊)の直弟子が園頭先生(シャリー・プトラ―)で、その弟子が私です。

にもかかわらず、私には次々に奇跡が起きているのです。これは初めてのことなのではないでしょうか。

釈尊やキリストの直弟子ではない者が次々に奇跡を起こすなどです。だから私は、ずいぶん稀有なことが起きているといっているのです。

こういうことはこれまで起きていないことであるからです。ここまで正確に三世代目の弟子にまで神理が伝わったことはなかったはずであるからです。

つまり、それだけ貴重なことが今生起きているということです。だから早く帰依しないといけないといっているのです。

奇跡が現れているうちにです。奇跡が現れているということはまだ正確な神理が説けて(説かれて)いるということであるからです。

正確な神理が説かれているうちに神理をしっかり勉強しておかないと、説ける人がいなくなってからでは、正確な神理を勉強する機会は失われるからです。

だからいっているのです。そういう期間は短いのですよ、とです。これまではそうだったからです。

長くて数十年、短ければ数年しか正確な神理が説かれた期間はなかったからです。数千年に一度しか現れない神理がです。

昨日は、その神理をしっかり勉強しているウナッシーさんからコメントが届きました。奥さんの胃痛が(しかも薬を飲んでもすぐに治らなかった)ウナッシーさんが祈ったら治ってしまったそうですね。

またまた起きた奇跡といったところでしょうか。(笑)

このようなことが(例えば身内が病気になっても祈りで治せる)いくらでも起きるのです。この神理を勉強し実践している人にはです。

しかし、神理を知らない人、あるいは知っているだけで実践していない人たちにはこういう奇跡は起こりません。奇跡どころか、そういう人たちには次々に災いが起きているというのですから、もう目も当てられません。

やればいいのにとつくづく思いますけどね。少なくともこの神理を知っている人はです。神理を実践するなら確実に奇跡が起きてくるからです。

どちらにしてもです。私の代でこの神理を途絶えさせるわけにはいかないのです。

この後も、この神理を正確に伝えてもらえる人が現れ、多くの人々に神理を伝えて奇跡を現してもらわねばいけないのです。

そういう資質のある人がすでにたくさん生まれているからです。

だから、一人でも二人でもいいから早く帰依しなさいといっているのです。そういう人が呼び水となって帰依する人が増えてくるなら、奇跡が現れてくる人は確実に増えてくるからです。

すでにこの神理を知っている人は(このブログを読んでいる人は)たくさんいて、そうしてその中には高い世界から(菩薩界以上の)生まれてきている人も多くいるはずだからです。

そういう人が、この教えを実践するならすぐに奇跡が現れてきます。(すでにそういう実績はありますから。少し前にスポーツ選手の間にそのようなことは起こりましたから)

だから、やらないといけないといっているのです。神理が現れている期間は短いからです。神理が現れている間に実践しなければ、そのようなすばらしい資質も現れては来ないからです。

本当の神理というものはいつまでもあるというものではありません。説かれる期間は非常に短いのです。

そのような貴重な期間に今の自分はいるのだということをよく鑑(かんが)みて、責任ある行動をぜひ取ってほしいと思っています。

このブログを見ている人たちにはです。

この辺りなどずいぶん引いている人が増えて来ましたが、この辺りの人たちの中にも心の高い人たちはいるはずです。

そういう人たちは、心の低い人たちに合わせていてはいけないのです。そういう人たちに合わせていては自分の心は成長しないからです。成長しないどころか退化してしまうからです。

この辺りは、道もずいぶんすいて来て(昨日でも夕方だというのに道路などガラガラでしたから)多くの災いが次々に現れ出しているようです。

だから、この辺りの人たちなど一刻も早くこの教えに帰依した方がいいのです。そうしないとあまりに危険であるからです。

しかし、その危険に心の低い人たちは気づかないのです。(だから平気で私に嫌がらせが出来るのです。起きていることの危なさに全然気づいていないからです)それに気づけるのは心が高い人たちだけなのです。

そういう人たちが(この危なさに気づいている人たちが)まず帰依されませんか?

そうすれば、それが呼び水となり(心が低い人たちも含めた)多くの人たちを救うことが出来るからです。

・

追伸…安倍総理の中東訪問は延期せずに実施されるらしいですね。(明日から行かれるとか)

まあ、自衛隊が中東に派遣されるなら行かれないとまずいでしょう。あちらのお歴々にいろいろ了解も取らないといけないからです。

しかし、大丈夫ですか。このミサイル飛び交う中に安倍総理が行かれてです。命懸けになると思いますよ。

なにせ、最近の政府与党が出してくる法案はひどいものが多い。(神を怒らせるような、日本の人々を苦しめるような)こういう法案ばかり出した後にそんな危険なところに行かれるなら、いつ自分たちにミサイルが飛んでくるかしれません。

そういう(悪い)順序もついてくるからです。

総理もこの正法神理に帰依されてから行かれたらどうでしょう。そうであるなら安心であるからです。そうしてご自身の大きな使命も果たすことが出来るからです。

神から離れていては、仮に自分に大きな使命があったとしても、それを果たすことなど出来ません。そのような大きな使命があればあるほど、そのような人は神の導きが必要であるからです。

神の偉大さ、そうしてこの正法神理の大きな価値を日本の人々はもっと認識すべきなのです。

(それをしないからこれだけ多くの災いが日本に現れるのです)

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1月 09 2020

正法神理の有難み

朝から晩までバカみたいに怒っているようですが、それだけ次々に災いが起きているのなら早く私に頭を下げ、この教えに帰依することです。

それ以外で救われる道はないからです。

もう、どれだけジタバタしたところでどうにもならないのです。(もうそんなこと分かっているでしょうに。本当に哀れです)観念することです。自分たちが助かりたいのであればです。

しかし、このように感情的に怒りまくっているどこかの会社のようなところはともかくです。ずいぶん引いている人が増えましたよね。ここ一日、二日はです。

もしかして帰依を考えている人もいるんではないですか。このまま怒り続けても災いは止まらないからです。

もう、そんなこと誰だって分かりますもんね。この辺りはです。くだらない意地を張り続けてドンドン不幸になっていっては、それだけ愚かな話もありません。

真剣に考えてはどうでしょう。この正法神理への帰依をです。

そうすれば本当に救われていくからです。

この辺りの子供らはどうなんですか?私に頭を下げる子供もいるのです。(まあ、ごく一部ですが。昨日などは嫌がらせしてくるバカ小学生ばかりでしたが)そのような(心が高い)子供たちは、今度私にあったら「僕はこの教えに帰依します」「私はこの教えに帰依します」と宣言して、感謝して頭を下げていってはどうでしょう。

そのような行いをして、そのような心が本気であるなら、神はその時点からその子に光を降ろしてくださるからです。

つまり、その時点からその子は神に守られていくということです。

その子供は(法を説いている)私の前でそう宣言して、この教えに帰依すると神に誓ったのです。

そうであるなら神はそのような子供を必ず守ります。そのような子供がこの正法神理に帰依し、この教えの勉強を続けるなら、将来、必ず法を説く人になるからです。

そういう人材を神が守らないわけがないからです。

だから心ある子はそうするといいでしょう。この教えに帰依するなら、どこで奇跡が起きてくるか知れないからです。しかし、今の(汚い心の)ままではどこで災いが現れるか知れないからです。

だから十八歳以下の子供らはそうした方がいいでしょう。そうすることが(この教えに帰依することが)これだけ災いが起きている日本から守られる一番の方法であるからです。(あとは何をしてもダメです。この辺りの子たちはもうそれは分かっていると思いますが)

しかし、これだけ多くの災いが日本には現れているのです。子供だけではなく、大人の人たちも真剣に考えてはどうでしょう。

この正法神理への帰依をです。そういう人が増えれば増えるほど日本に起きている災いも本当に減っていくからです。

この正法神理がこの世に出現したのは実に二千年ぶりのことであるのです。(あのイエス・キリストが福音を説いて以来のことになりますから)

だから、これまでの宗教は奇跡らしい奇跡も起きず、罰が当たるといっても、本当に当たっているのかどうなのか分からなかったのです。

これまでの宗教は本物の神理ではなかったからです。一部神理を説いているだけの垢やチリにまみれた間違った教えであったからです。

だから、現代の日本の人たちは、神の存在など認めないし、罰が当たるといっても笑う人が多いのです。

これまでは本物の神理が説かれていなかったため、ちゃんと奇跡が現れることもなかったし罰が当たることもなかったからです。(多少は当たりましたけどね。悪魔が起こす現象などでです)

しかし、高橋信次先生(釈尊)が予言に従って日本に出世され(二千五百年後にジャブドーバー〔日本〕に生まれて法を説く)この日本で法を説かれたことによって、キリストが説かれた福音以来の本当の神理がまた日本に出現したのです。

それが私の説いている正法神理であるのです。

だから、奇跡も起きるし罰も当たるのです。この教えこそ本当の、正真正銘の(釈尊やキリストが説かれたことと同じ)神理であるからです。

断っておきますが、神理と真理は違います。(読み方は同じでもです)

そこは間違ってほしくないのですが、真理とは、まことの道理などをいうのですが、神理とは真実の神の御言葉という意味なのです。

つまり正真正銘の唯一無二の神の心が説かれた正しい法則を神理というのです。

だから、その神理(神の言葉)を実践すると奇跡が現れるのです。

神の御言葉はそれがそのまま神の光であるからです。その神の光(神のエネルギー)が奇跡を起こすのです。(他の宗教団体でも神理という言葉を使っているところがありますが、それは言葉だけであり正しい神理ではないのです。だから奇跡も起きないのです。偽の教えであるからです。しかし、この言葉は本物の神理を説く者以外は使ってはならないのです。そういう言葉だけ拝借し偽の神理を説いているところが哀れです。そのようなところはいずれ大きな災いが現れてくるからです)

だから正真正銘の正しい神の教え(神理)には必ず現象(現証)がついてくるわけです。

神の御言葉は、それはすなわち奇跡であるからです。神の御言葉と奇跡(現象)は表裏一体であるからです。

だから、奇跡が起きないとおかしいのです。本当の神理であるならです。

だから、モーゼはいわずもがな、釈尊やキリストにも次々に奇跡が現れたのです。あのような偉大な方々は、正真正銘、本物の神理を説いていられたからです。

そのような偉大な方々と同じような現象が現れている(それが本物の神理であるという何よりの証拠)いま現在、私が説いているこの正法神理は、なんと二千年ぶりに現れた正真正銘の神理であり、それを私はこのブログを見ている人たちに正しく伝えているということです。(正しく伝えないと奇跡は起きてきませんから)

そのような歴史を振り返ってみるならです。どれほど現在の日本で有難いことが起きているのかお分かりですか?

なんと、なんと、二千年の時を経て正真正銘の神理が、多くの人々の目の前に出現しているというのですから、これだけ有難い(有ることが難しい)話もないのです。

だって、これまでの二千年の間、どれだけ多くの人たちが、この世に生まれてきたことでしょう。

しかし、そのような人たちは誰も本物の神理に巡り合うことは出来なかったからです。

出来なかったでしょう。これまでの(この二千年間の)人たちが正しい神の教えである(神理である)と思っていたものは、すべて間違った神の教えであったからです。

それが、いま生まれている人たちだけが、そうしてその中でもです。このブログを見ているわずかな人たちだけが、その本物の神理に巡り合っているというのですから、これだけ有ることが難しい縁もないわけです。

だからいっているのです。これだけ有難い話もないとです。

にもかかわらずです。なんと有難みがない態度でしょう。このブログを見ている多くの人たちはです。

何か当然のようにこのブログを読んで、中には読んでやっているみたいな態度の人もいて、このブログが(本物の神理と巡り合うことが)どれほど難しく有難いものなのか、その有難みが全然分かっていないからです。

そういう態度だけでも、どれだけ罰当たりな態度か分かるはずです。その歴史を知るならです。

だから私は、少しくらい感謝してはどうですかと、帰依されたらどうですかと(ほんとこれくらいへりくだった〔ちょっとへりくだりすぎていますが〕態度もありません)そういっているのです。

このまことの神理を知って帰依できることなど、その神理がこの世に出現している、ほんのわずかな期間しかないからです。

それは神理がこの世に出ている時だけの特権であるからです。

そのようなすさまじい(数千年に一度の)超がつくほどの幸運の時に、今このブログを見ている人たちは恵まれているということです。

全然気づいていませんが。

だから、この正法神理に帰依するもしないも自由なんですが、どちらにせよ先ほども書きましたが、どこかの会社の様にもう次々に災いが現れているようなところはいくつもあります。

そうして、そのような災いはすでに日本中で起きています。

そのような次々起きる災いから逃れる術は、この本当の神の御言葉である正法神理に帰依する以外ないのです。(そうして、この有難い縁を経て神理に帰依するチャンスなどここで逃したらもうないのです)

それでもしようとしないのですか?この正法神理への帰依をです。

子供らと違って大人たちは、神と私に感謝し、そうして報恩の行為をして、この正法神理に帰依しますと誓った時点から(メールでも電話でも結構ですからそれはお知らせください)神の光が降りてきます。

されてはどうでしょう。そうすればこの正法神理の有難みもよく分かるからです。

・

追伸…アメリカとイランが危ない状況になって来ましたね。

第三次世界大戦が始まるだの、この緊張状態はすぐに終わるだの、様々なことをいう人がいてこの後どうなるのかよく分からない状況なのですが、しかし、戦争をしたくない人もいれば(そういう人が大半なんですが)したい人たちもいます。(影の世界政府など)

どちらにしても、このような超がつくほどの危ない状況になっている時は、神理に帰依した方がいいのです。そういう人が多ければ多いほど(本当の神の心を理解しようとする人が多ければ多いほど)神が正しい方向に導いてくださるからです。(もちろんその正しい方向とは戦争をしないような方向です)

それはともかく、この一番危ない状況の時に安倍総理は、その危ない中東に海上自衛隊を派遣するそうですね。(自分が中東に行くのは延期するのにです。〔苦笑〕)

法の整備もされていないまま、自衛隊をミサイル飛び交う中東に送るというのもまたメチャクチャな話なんですが、しかし、そういう無理難題をいわれても、その命令に従わなければいけない時もあるでしょう。

命懸けの仕事をしている人たちはです。

だから、自衛隊の人たちもこの教えに帰依してからいった方がいいのではないですか、といっているのです。

自衛隊の中にそういう人たちが(本当の神の教えに帰依する人たちが)増えるなら、先ほども書きましたが、神が正しい方向に導いてくださるからです。

そうして、この教えに帰依するなら、帰依した人たちそれぞれに神の光が降りて神に守られていきます。

そうすればみな無事に任務を終え帰還することが出来るからです。

日本だけではなく世界が風雲急を告げてきました。このような時に本当の神の教えである正法神理を無視するくらい愚かな行いはありません。

この教えに帰依されることです。

それがこのような超がつくような危ない状況から、本当に救われて行く唯一の方法であるからです。

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1月 07 2020

感謝が条件

正月休みの前にやたら怒っているところがいくつもあったんですが、そのうちの一つのところ(工事現場)を昨日通ったのです。

そうしたら、まあ、正月休みの前に負けないくらい怒っていました。(苦笑)

どこも一緒ですね。(どこかの会社同様にです)こういうところも正月休みに何か起きた人がいるのではないでしょうか。

だとしたら、ほんと哀れですね。

しかし、こういう人たち、私に何かする前にこれだけ悪いことが起きたのでしょうか?

起きてないでしょうね。私に嫌がらせをしてからですよね。災いがそれだけ起き出したのはです。

ではそれは、私に嫌がらせをしたことに原因があるのではないですか。そういう悪いことをしたから自分たちに災いが起きているのです。

そうであるなら、その悪いことを反省しない限り(そうして私に詫びを入れない限り)その災いは止まらないのではないですか。

その私に対する嫌がらせが起きている災いの原因であるはずだからです。

だから私に頭を下げろといっているのです。私が歩いているだけで一方的に嫌がらせをして来たのはそちらであるからです。

そういう悪いことを自分たちで散々しておきながら、起きた災いだけをお前のせいだといって怒っている。

こんな勝手な話があるでしょうか。

こういう自分本位な人が多いのです。この辺りはです。そんなの自分たちが悪いに決まっているのに、何でこんな分かり切ったことがいつまでも分からないのでしょう。

先ほども書きましたが哀れというしかないですね。くだらない意地を張り通しているから、それだけの災いが現れているからです。

素直に自分たちが悪かったと頭を下げるなら、そんな災いはすぐにでも止まるのにです。

しかし、こういう人たちをあまり笑えませんか。私もです。今年はいきなり天上界から教えられたからです。

しかし、もう少し優しい教え方は出来ないものでしょうか。(苦笑)いきなり病気のような現象を現されてもこちらも苦しいだけです。

もっと『こうすると正しいのですよ。よしよし』くらいしてくれると(笑)こっちも安心して反省出来るのですが、自分の間違いをです。(笑)

しかし、そんな優しくはないでしょう。天上界はです。こちらは修業でこの世に出てきているのです。修行をタラタラやっていても修行にならないからです。

それに食べ物は大事ですからね。それを適当に食べているようではひどい叱られ方もするでしょう。自業自得ですね。

人にいっていて自分がやられていては世話ありませんが(苦笑)しかし、この前、少し(丸一日)身体の調子が悪くなっただけでも十分苦しいのです。(ほんと気持ち悪かったですよ。便が出そうで出ないなどです)

では、もっと長く苦しい病気療養などしている人たちはどうなるのでしょう。

癌やら何やら重い病気になればなるほど、さぞ苦しいでしょうね。療養生活などです。

しかし、地獄に堕ちるなら、その数倍、数十倍苦しいのです。特に先ほども書きましたが、私に(この教えに)逆らい(嫌がらせなどして)病気になっている人たちは、その病気で苦しいまま死ねば確実に地獄に堕ちるのです。(だから死後はもっと苦しい世界が待っているということです)

もう心を入れ替え真剣にこの教えを勉強されてはどうでしょう。この正法神理に帰依すれば救われていくからです。

そういう人たちは、この教えの凄さはもう十分お分かりであると思います。

凄い教えでしょう。この正法神理はです。

人に嫌がらせをしたくらいで、そのような天罰を普通食らうでしょうか?

しかし、この正法神理はそんな天罰などいくらでも現れてくるのです。(この辺りは私に嫌がらせをして罰が当たっている人などごまんといますから)そうして、その逆の現象である奇跡もです。

いくらでも現れます。神の力は無限であるからです。奇跡も災いもいくらでも起こせるのです。

この教えに帰依するなら、その本物の神と本気で(もっと強くという意味です)つながることになります。

では、奇跡も災いも起きてくるでしょう。この正法神理に帰依している人(私)には、その神の力が降りてくるからです。

だから、私に嫌がらせなどすると罰が当たるのです。この教えを実践するなら自分の心もきれいになって、その反動もあり、そうして神の力(光)が常に降りて神からも守られているからです。

だから、そのダブルパンチで凄い(ひどい)現象も現れるのです。

そういうことが目の前で次々に起きているのです。いい加減、その起きていることを正しく理解し(お前のせいでこうなったとかいっているのではなくです)この教えに帰依されませんか?

そうすれば誰にでも起きてくる現象であるからです。(だから、ウナッシーさんにも当然起きるのです。そのようなことはことはです。ウナッシーさんにひどい嫌がらせなどすればです)

自分の心もきれいになって、奇跡も起きて、神からも守られる。これだけよい話もないのではないでしょうか。特にこのような時代(正法の世)にはです。

この正法神理に帰依するなら、このようなことが次々に起きて来て本当に救われていくからです。

自分は感謝も出来ず、悪いこともしているので神とつながるのは嫌だという人はいいのですが(そういう人もいますからね。しかし、そういう人は死ねば確実に地獄行きなのです)そうではなく、救われたいと思っている人はもちろんですが、まあ、自分はよいこともするが悪いこともする、だからそんな教えに縛られたくはない、などと思っている人でもよいのです。

この正法神理はそんなにカチカチの四角四面の教えではないからです。中道であるからです。

ほどほどでもよいからやってみればいいのです。やれる範囲をです。そうすればこの教えのよさが分かり、よさが分かって来て初めて真剣にやり始めてもそれは大丈夫であるからです。(私もそうでしたから)

神はそんなに狭量ではないからです。(この教えに帰依した以上、絶対にこの教えを守らなければ罰を当てるなどというです)その人の出来る範囲の中で様々な現象を現して導いてくださるからです。

つまり、この正法神理がいっている神とは(創造主である本物の神と天上界の光の天使たち)この人にはこの程度のところで現象を現す、この人にはこの辺りのところで現象を現すなど、その人の心のレベルに合わせて様々な現象を現して導いてくださる、本当の神(天)であるからです。

だから、四角四面でこうでなくてはいけないということではないということです。いろいろな導きをいただけるということです。

この正法神理に帰依するならです。

だから、他の信仰をしていようとかまいません。それはウナッシーさんを見てもらっても分かると思います。

ウナッシーさんなどそうではないでしょうか。自分の家の信仰は家の信仰としてやっていられるはずです。しかし、こちらの正法神理も真剣にされているのです。

いくらこちらの信仰の方が正しいと思っていても、そこで自分の我を出して、こちらの信仰の方が正しいからこちらにしろ、宗旨替えしろ、などと家の中で騒げば家庭内がうまくいかなくなります。

だから、まず家庭の調和を優先され、自分の家の信仰は家の信仰として、そうして、この正法神理は正法神理として、しっかりされている。

それでいいと思います。時がくるまではです。私だってそうだからです。家の信仰を無視しているわけではないからです。

家は家でしていて(仏壇などもありますしね)そうしてこの教えを説いているのです。

現状ではそうするしかないからです。

まだ、この正法神理はほとんど知られていないのであるし、今の状況で母に信仰を変えろといったところできくわけはないのだし、しかし、周りで起きている不思議なことは母でも分かります。

だから、この教えを多くの人が信仰し出してから母にしっかり伝えても遅くはないからです。というより、現状はその方法しかないからです。

だから、私でも家は家での信仰は信仰で、それはそれで認めて、そうして、この正法神理とその流布を一生懸命実践しているわけです。

しかし、それでもボンボン奇跡が現れてくるのです。

これは神がこのようなやり方を認めている証拠であり、神の度量といいましょうか。広量さがよく分かります。

この教えをしっかりやるなら、間違った信仰を続けていようと別にかまわないのです。

要はこの教えをしっかり実践できればよいということです。

いま現在の日本を見るならです。この正法神理を知らない人たちはもちろんのこと、知っている人たちにもかまわず、次々に災いが現れているのです。

しかもその災いは年々ひどく激しくなって行きます。

皆、心が汚いまま、今の(間違った)生活をし続けているからです。しかし、この正法の世にこれだけ危ない生活もないのです。

だから、この正法神理を実践しなければいけないのだし(実践すれば、心も段々きれいになり、生活も正されていくからです)帰依するなら神の力が降りて来て守られてもいくからです。

だから帰依されたらどうですか、といっているのです。この正法神理にです。そうすれば平和で(安全で)幸せな生活が送れるからです。

そのための条件は、神と私に(この正法神理に)しっかり感謝できるかどうかなのです。

それが条件なのです。そのような正しい感謝が(神と正法神理に)出来れば帰依は出来るからです。

私にも(この正法神理にも)そうして神にも絶対に感謝など出来ないと、そういう人は仕方ありませんが、しかし、感謝できる人はです。

すぐにでもされて、そうしてこの教えに帰依された方がいいでしょう。それがこのような時代には一番正しく安全なやり方であるからです。

この正法神理に帰依されるなら、多くの奇跡が現れ、幸せな生活も出来ていきます。そうして死後の世界も天上界に行けるのです。

このようなことが本当に実現するのはこの正法神理に帰依された人のみです。

帰依されませんか?

そのための条件は、神と私への(正法神理への)感謝、それのみなのです。

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