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2013年10月

10月 31 2013

刻一刻と迫る限界期

十月も今日で終わりです。今月もこれまでと同じように異常現象の連続でした。(ガックリです)

十月だというのに、真夏日の連続で猛暑日まであり台風が六個も接近するなど、異常もいいとこです。

ところが、この日本の異常気象に負けないくらい、世界でも異常気象が起きているところがあります。それで世界的異常気象、温暖化の影響、で片付けてしまっているところが日本の怖いところです。

では、世界が日本のように、毎日異常現象が起きているのかといえば、そこまでは起きていません。起きてる頻度がまるで違うのに、その起きている部分だけとって、同じように見て、それですましてしまっているところが、日本の人たちの心が成長しないところでしょう。

そりゃ世界的にも異常気象になりますよ。だって、男女平等、同権などの、共産思想は世界に広まりつつありますからね。そんな思想が広まれば異常気象は起きてきます。(すでに時代が正法の世に変わっているのですから)それに他国の人は本当の神の教えを知りません。

だからこそ日本発で、真の神の教えである“法”を広めなければいけないのに、それを日本の人たちはやろうとしません。日本だけに異常な頻度で異常現象が起きるのも道理でしょう。

温暖化、温暖化と、皆温暖化のせいにしていますが、では、名古屋で起きている、次々に人が救急車で運ばれるという異常現象も温暖化の影響でしょうか?(さすがにこれを温暖化の影響という人はいないでしょう)早く気づかないと、また十一月も同じような異常現象が起きてくるのです。(名古屋など毎日起きっぱなしです)

今月は六個も近づいた台風の影響で、あちこちに大きな被害が出たのですが、その中でも伊豆大島の土石流被害は最悪なものでした。

もう、このような被害を出さないようにしたいのであれば、早めの避難だの何だのいうより前に、各自治体で共産思想の首長がいるところは、その首長を代えるか、その人の思想を変えるかすることです。そうしないと、その自治体がある都道府県は、何が起きるか分からないということです。

これからは、神から一番遠い思想(共産主義)を持った人が首長をしている都道府県は、次々に災いが起きます。そのような時代にすでになっているからです。

防災、減災をいうのであれば、人の心を少し調べられたらいかがでしょうか?(何度もいっていますが)その方がよほど防災、減災に役立つのです。

十月にこれだけ異常なことが立て続けに起きているのです。(特別十月だけではありませんが)十一月も同じようなことを起こしたくないのであれば、私の意見も聞いた方がいいと思われます。

そうでなくても、これだけ頻繁に異常現象が起きているのです。これでは遅かれ早かれ日本は潰れることになります。科学者は異常現象が起きそうな予想や、起きた後の対処の仕方は分かりますが、それを抑える方法を知りません。

これだけの異常現象が日本は続いているのです。もう異常現象が起きる予想や、起きた後の対処をいくらいわれたところで、おっつきゃしません。この異常現象自体を止めないと日本は壊れてしまうのです。

このような異常現象を抑えるには、釈尊やキリストが説かれた法を知らないとできません。

では、もうそれを知るしかないのではないでしょうか。いつまでも、誰も抑える方法を知ろうとせず、このような状況が続けばいつかは日本は滅びます。(そういう予想は誰でもつくはずです)

だから、早くそれを知らなければ、それが遅れれば遅れるだけ日本の被害は大きくなり、復活するのも遅れるということになりますが、しかし、その時期にも限界があります。(当然ではありますが、あまりに被害が大きくなりすぎたら、日本はどうやっても復活できなくなります)

その限界の時期は刻一刻と近づきつつあるのです。(異常現象は今月だけではありません。もう何年にもわたり続いているからです)

異常気象を温暖化のせいにしている場合でしょうか?悪いことをすべて人のせいにしている場合でしょうか?もう残り時間は限られています。

一切自分たちの責任を認めず、まったく反省しようとしない、そんな民族は滅びるしかないのです。

(十月最後のブログも悲惨なブログになりました。こういう内容のブログしか書けないのが残念です。本当にソロソロ終わりにしたいです。こんな内容のブログ。〔涙〕)

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10月 30 2013

罪を減らせるか、それとも増やすことしかできないか

昨日は金山に行きましたが、思ったほどではなかったですね。反応がです。

これまでは危ないブログを書けば、バスからトラックから人まで、もう過剰反応(そうでもないですかね。これだけのことが名古屋に起きているんですから)を起こして散々嫌がらせされましたからね。

それを思えば昨日は比較的少なかったです。そういう過剰(?)反応をする人が。(私の近所などはもう前の会社の連中など、昨日のようなブログを書けば、怒って散々嫌がらせするのがいますからね。これだけブログを邪魔して、嫌がらせして、そうして恐ろしい現象が次々に起きているというのに、それでもまだジタバタするのです。自分たちがしていることをまったく理解していないようです)

自分が悪いことをしているのに(その自覚があるかないかは知りませんが)今さらジタバタするのもみっともないと、諦めの境地の人が増えたのでしょうか?それとも、あまり私に嫌がらせして、これ以上何か起きてもいやだから何もしなかったんでしょうか?それとも、少しは自分の行為を反省する人が増えたから何もしなかったんでしょうか?

どの人が多かったかは知りませんが、もちろん反省する人が増えたのであれば名古屋は救われるでしょう。しかし、諦めた人や何か起きてもいやだから何もしなかった人が多ければ、名古屋は救えないでしょうね。(これからも病人が続出するでしょう)

昨日、あのようなブログを読み、ジタバタしている人たちは論外ですが(もう前の会社の連中など今日もジタバタしっぱなしです。これだけ私の邪魔をしておいて、まだ救われる気でいるのでしょうか?みっともないことこの上なしです。そんなに自分たちや名古屋に何か起きるのがいやなら、おとなしくすればいいのにそれは全然しようとしないのです。恐ろしいことが起きる原因を散々つくっておいて、そうして見苦しく嫌がらせしているのです。こういう人たちはほんと最低ですね)おとなしくした人たちで、反省する人はいないんでしょうか?そういう人がたくさん出てくれば名古屋は救われます。(もちろん自分たちもです)

昨日のブログを書いた後、救急車のサイレンがあまりしてきませんでした。(今日も一度聞いたかどうかです)ということは、反省しようという心の人が増えたのではないですか?(そうではなく反発する心の人が多ければ、また一変に救急車のサイレンがしてきたでしょうから)

もし、そういう人が多いのであれば少しで結構です。反省されたらいかがでしょう。自分も悪かったのではないか?と思われるだけでもいいのです。すべてお前が悪い、ではまったく現状も自分自身も変わりようがありませんが、少しでもそのような心になった時、はじめてそこに神の光が降りそこから救いが始まるのです。

昨日、久しぶりに祈っていただけませんか?という電話をいただきました。(その方のお母さんがひどいけがをされたようです)

さっそく祈らせていただきましたが、そのようなことでも結構なのです。私に協力するとは、それはすなわち神に協力するということであり、私に「祈ってください」といわれることは、それは神の光を世に現すということで、それも協力されたことになるのです。

神の運動に協力するとは(何度もいっていますが)ただ私に寄付することばかりではありません。私のブログを他の人に紹介することもそうですし、このように祈ってくださいと頼まれることもそうです。私の知らぬところで手助けをされることもそうですし、私ばかりでなく、世の中のためになることをすることもそうです。

大きな意味で世のため人のために尽力されることは神の運動なのです。

しかし、その中でも法を説いている人に直接協力されるのが、一番自分自身の心のためになります。だから、私に協力してほしいといっているのです。(多くの人は、その逆の法を説いている人に直接悪さをしています。だから、こんな恐ろしいことが次々に起こされるのです)

とにかく、今現在も法を説いている者に(前の会社の連中など)直接悪さをしている者たちがいるのです。そうであるなら、また救急車のサイレンが次々に響いてくることになります。

この悪い連鎖を断ち切るためには、そのように私に何かかにか協力してくれる人が増えてこないと、よい現象は起きてきません。少しでも反省できる人が出てくるのであれば、私に頼まれることはいくらでもあるでしょう。(祈ってほしい人はいくらでもいるでしょうから)

とにかくこの悪い連鎖(名古屋だけでなく全国的に起きていることです)を断ち切るためには、少しで結構ですので神に顔を向けてもらい、協力してくれる人を増やすほかないのです。

そのためにはこれまでのことを、少しでも反省していただくほかありません。(心が少しでも変わらなければ、そのようなこともできませんからね。)反省ができれば自分の罪は減っていきます。

そのように、少しでも自分たちの罪を減らしていくのであれば、また救われる道もついてくるでしょう。しかし、誰もそれをしようとしなければ、救われる道は永遠につくことはありません。

なぜなら、このブログを書いている今現在も罪を犯している人はいるからです。

自分の罪を減らすことができるか、それとも増やすことしかできないか、それはもう個人的な問題ではなく、日本全体にかかわってくる問題なのです。

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10月 29 2013

名古屋の現象の恐ろしさ

しかし、名古屋の異常現象は止まりませんし(サイレン)多くの人の考えも変わりません。どこまでこの状態を続けるのでしょうか。

こうなるともう誰がどこで気がつくか、という話にしかならないと思うのですが、ずいぶん皆さん頑張られるようです。(この現象が自然に止まるなどもう考えられないでしょう。この前一度しかサイレン聞かなかった日もありましたが、それ以降は相変わらず何度も聞こえてきますし、前より聞こえるサイレン多くなってないですか?)

しかし、法を知ってる私でも、サイレンが聞こえてくると「ドキッ」とするのです。では、知らない人はどういう気持ちでいられるのか、ちょっと想像つかないんですが、怖くはないのでしょうか?(マァ、サイレン聞こえてくると怒っている人もいるようですが)

毎日こんなことが起きていて、普通ではいられないと思うんですが、それでも考えを変えようとしない人が多いということは、案外、今名古屋で起きている現象を、他人事としか思っていない人も多いのかもしれません。しかし、もちろん他人事ではありません。この状況では遅かれ早かれ自分も運ばれることになります。(それか何か現象が起こります)

別に脅しではありません。これだけ毎日のように救急車で人が運ばれるということが起きているのです。(考えられない異常なことなんですよ。お分かりですか、この超異常現象が?)では、いずれ自分にも何か起きてくるということは、容易に想像できることなのではないのでしょうか。

これは人が起こしていることではないのです。神が起こしているのです。では、神の運動を約束してきた人たちが、その約束を果たそうとしなければ、その神の運動を果たそうとしない人たちは全員、神との約束を破るということになりますので、その報いは当然受けなければいけません。だから、遅かれ早かれ何か起きるということになります。全員の人がです。すべての人が神の子なんですから。

ですから、救急車のサイレンを他人事などとはとんでもないことで、あすはわが身と思わなければいけないのです。法など勉強できるか、と思っている人は、もう腹を決めるしかないということです。(とても無視して自分のことだけやってる状況ではないのです)

しかし、これだけ救急車で人が運ばれているのです。(それ以外でも病気になった人も多そうですし)もう名古屋のあちこちに、支障をきたしているんじゃないんでしょうか?名古屋のあちこちで、不幸になっている人も多いんじゃないでしょうか?

だいたい救急車で人が運ばれること自体不幸なことなのです。では、もうかなりの人が、不幸に襲われているということになりますが、実際そのような状況に、現在の名古屋はなっているのではないでしょうか。(よく考えれてみば大変な状況ですよね、現在の名古屋は)

すでに名古屋は大変なことになっているんですが、この状態がまだ一年、二年続くようなら、また多くの人が病院に入院(または通院)しなければならなくなります。(当然亡くなる人も出てくるでしょう)それではそのうち、大方の人がそのような状態になって、名古屋はよそ以上に人から何から減り続けるということになります。(だって病人、けが人がこれからどんどん増え続けるのです。そのうち名古屋は機能不全を起こします。今の状況はそれほど恐ろしい状況なのです)

それでもいいとはとても思えませんが、それでもまだ、私のいうことを無視するのでしょうか?(とても無視したり怒ったりできる状況ではないと思うんですが、分かりませんか今の名古屋の状況?)

神に逆らい続けるとは、そのような恐ろしい状況になるということです。多くの人は、この神が起こされる業をあまりに甘く見すぎているのではないでしょうか。

もうこのような状況は一年以上も続いているのです。ではこの状況がまだ何年続くか分かりません。下手すれば、名古屋の人すべてに現象が起こるまで起き続けるかもしれないのです。(それくらいのこと神の力からすれば造作もないことです)

これは夢物語でもなんでもなく現実なのです。実際起きていることであり、これから確実に起きることなのです。

いい加減、現実をしっかり見られたらどうでしょうか。そうして先の想像もされたらどうでしょう。

今のような状況が無視できるような状況なのでしょうか?(毎日急病人が次々に病院に運ばれて、それが一年以上も続いているのです)そうしてそれを一人の者のせいにしている場合でしょうか。(それをし続けていても何も状況は変わりません。むしろ悪化しています。では、その大勢の人がやっていることが間違っているということです。状況を見れば分かりますよね、誰でも)

今日も救急車で運ばれている人がいます。(朝から何度かサイレンが聞こえてきました)もう少し現実をしっかり見て、想像を広げられてはいかがでしょうか?

大勢の人が今対処の仕方を誤れば名古屋は滅ぶのです。

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10月 28 2013

変わらない人々

もう十月も終わりですが、早いですね、あっという間に感じますが今月もいろいろありました。

十月だというのに異常な猛暑から始まり、次から次に台風が来襲(今年の十月は、台風が日本に近づいた数が過去最多だったそうですね、六個でしたっけ?)それだけ台風が日本に接近すれば、当然大雨被害や暴風被害は出ます。川の氾濫、冠水、土砂崩れ(伊豆大島は特別ひどかったんですが)家を流されたり、飛ばされたりした被害が続出しました。

名古屋などこの異常気象に加え、救急車のサイレンが止まらないという異常現象まで現れています。(ということは病人やけが人が続出しているということです)

しかしそれはあくまで今月(十月)だけの話です。もちろんこの異常現象は十月だけの話ではありません。今年に入りずっとそうで、今年だけでなく、その何年も前から続いているのです。ということは、よくよく考えてみれば、現在の日本は、信じられないほど異常現象が続出しているということになります。

ちょっと信じられないくらい、異常なことがずっと起き続けているんですが、それでも皆さん自分の考えを変えようとしません。これどうしたらいいんでしょうか?(ほんと勘弁してください)

これではどうしようもありませんね。これだけ異常なことが起きている名古屋でも、多くの人がまったく考えを変えようとしないのです。(自分が悪いなど少しも思わないようです。全部私のせいです)ちょっとお手上げ状態です。

名古屋に、これ以上の現象が現れるということになりますと(現在でも毎日、何十回もサイレンが聞こえてくるのです)もう多くの人が、目に見えていなくなるということが起きるかもしれませんが、それでもよろしいんですか?

別に脅すわけではありませんが、これだけまっこうから神に逆らうということになりますと、さすがに私も怖いんですが、名古屋のほとんどの人は、やれるものならやってみろ、という感じなんでしょうか?(もう十分やられているように感じますが)

今日も朝から何度もサイレンが聞こえています。(今も聞こえていました)大丈夫ですか?次は自分が乗るかもしれないんですよ。

どれだけいっても、誰も何もやろうとしません。(私を目の敵にして、嫌がらせだけは積極的にしてくるんですけどね…よけい状況が悪化します)

しかし、これ以上の現象が名古屋に現れるとなると、さすがに名古屋も、もたなくなるかもしれませんし(二、三日前はあれだけサイレンしていましたからね)天から早く人々を動かせと促されているようで、そうはいっても、その多くの人たちがまったくやる気配がありません。名古屋だけ見ても、自分の反省など一切しようとせず、私に怒って八つ当たりしている人ばかりなのです。これでどうやって動かせばいいんでしょうか?

これが全国的にですからね。結局、今回も台風があれだけゆっくり進んだのに、それでも誰も何もやろうとはしませんでした。(ということは、多くの人が日本に何が起きても、自分の考えは変えないということになります)

最初にも書きましたが、もう十月も終わりです。今月だけでも、これだけ異常なことが起きたのです。(名古屋などそれ以上のです)少しくらい過去を振り返り、この異常現象の多さ恐ろしさを改めて思い、考え方を変えてみたらいかがでしょうか。(ほとんどの人が異常なことが起きている、その時は青くなるんですが、それが終わると、もうその異常現象を忘れたかのように普通に生活しています。まるで、異常現象など何も起きていないと思われるような態度なのです。あまりにすぐに忘れすぎでしょう。そのような恐ろしいことを。多くの人は何か起きると、そのようなことが起きたことは忘れるな、とかいうくせに、何で異常現象だけはそんなに簡単に忘れるのでしょう?それではそれを忘れなくなるまで、異常現象は続くことになります。もう少しなぜそんなことばかり起きているのか、よく考えるべきではないでしょうか)

そうしないとまた来月、何が起きてくるのか分からないのです。(多くの人のあまりの反省のなさに〔喉元過ぎれば熱さ忘れるの度が過ぎててです〕さすがにブログを書く気もあまり出てきませんね)

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10月 27 2013

愛のない料理

昨日もずいぶん聞こえてきましたね、サイレンが。(夜中〔十二時前後ですか〕もすごかったです)

こんなにサイレンがしているのに、反省のはの字もなく、自分の責任など少しも考えようとせず、平気で人に嫌がらせをしてくる人もいますが、そんな名古屋に何が起きようと知ったことではないという、無責任な人は(昨日も大人から子供までたくさんいました)徹底的に祈ります。(そうしないと、いつまでたっても自分の悪いところに気づきませんから)

そのような人は愛がないので、名古屋に何が起きようと自分に何が起きようと関係ないのです。そのような人は周りはもちろんのこと、自分自身まで不幸にしてしまいます。早く気づいてほしいものです。自分の愛のなさをです。

最近は食品偽装の問題が続出しだしましたが、食品業界も、ずいぶんごまかしがまかり通っているようですね。(もちろんそういう業者は一部なんでしょうが)

あの大阪の高級ホテルの食品偽装も、あれを誤表示というんですから笑ってしまいました。(あまりに見え見えで〔笑〕)

しかし、こういうことは、あちこちのホテルやレストランでもやっているようで、何か食品業界は戦々恐々としているところもあるようですが、そう考えてみると、舌が肥えてるとか食通とかいっている人も、本当はどこまで料理のことが分かっているのか疑問ですね。

だって、あの大阪の高級ホテルの食事を、そのようにいっている大勢の人が食べたわけですよね。それなのに、誰も食材が悪いのに気づかなかったんでしょう。

マァ、おかしいなと思う人はいたかもしれませんが、しかし、あのホテルの食事が悪い、という評判がたっていたわけではないので(今回偽装がばれたのも、内部調査の結果ですもんね)少々おかしいと思う人はいたかもしれませんが、それを自信を持っていう人はいなかったんですから、やれうまいのまずいの素材がいいのといったところで、どこまで当たっているのか分からないということになります。(テレビで、うまいものをよく食べているという芸能人が、安い食材の料理と高い食材の料理を並べて、どちらが高い食材の料理か当てるような番組がありますが、あれだって百発百中する人などいないのです。ということは、食材などあまり関係なく、味など料理でどうとでもなるということです)

このようなことを考えますと、料理がうまいのまずいの、食材がいいのといっていても、それが正確かどうか分からないのですから、料理のことを、それほど大袈裟にいうこともないのではないでしょうか。

だいたい人は、辛党の人もいれば甘党の人もいるのです。濃い味が好きな人も薄味が好きな人もいて、人の味の好みなど十人十色なのです。では、うまいと思う料理も、人によって違うのが当たり前だと思うのですが、そうではないのでしょうか?

園頭先生は、よく舌先三寸のことを大袈裟に騒ぐなといっていられました。(料理は舌で味わうだけです。〔舌以外の体の部分では甘いの辛いの、うまいのまずいの分からないですからね〕そんな舌先三寸で味わうだけのものを、大袈裟にいうなという意味です)

園頭先生が法を説いていられた時(二~三十年前)はバブルの時代でもあり、飽食の時代といわれ、今以上に料理はあそこがうまいの、あの店の食材は絶品だのいわれ騒がれている時でした。

そういう世相に園頭先生は、そういうことばかりにとらわれていてはいけないと、警鐘を鳴らしていられたのです。

園頭先生は前にも書きましたが、出された料理に、うまいのまずいのいわれる方ではありませんでした。出された料理には感謝して何でもおいしくいただかれたのです。

もちろん料理はうまい方がいいですし、食材もいい方がいいに決まっています。しかし、料理で一番大事なことは、その料理に愛が入っているか、入っていないかということなのです。

料理に愛が入っていれば、少々食材が悪かろうとその料理はおいしくなりますし、また、愛のある料理を食べれば、食べた後の消化もずっとよくなるのです。逆に愛のない料理は、よい食材を使っていてもまずくて食べた後の消化も悪いのです。

ですから、食品偽装などしているホテルの食事は(それは客に対し愛がないということですから)多分まずかったと思います。しかし、そのまずさに誰も気づかなかったのです。

なぜ気づかなかったのか?

それは普段から、愛のない食事をしている人が多かったからでしょう。だから、その料理の愛のないまずさに気づかなかったのです。

高級ホテルやレストランの食事より、家の食事の方がうまいといわれる人も多いと思いますが、それは家の料理には愛が入っているからです。しかし、最近は、その家の料理も愛が入っていない食事が増えたのではないでしょうか。(愛をこめて家の食事をつくっている主婦がどれくらいいるのでしょう)だから、愛のない、まずいホテルの食事もまずいと気づかなかったのです。

私が歩いていて、すれ違う人で女の人も多いのですが、その女性(若い子から年寄りまでいますが)の大半が、私に何かかにか嫌がらせをしていくのです。人に嫌がらせを平気でできるということは、それはその女性に愛がない証拠です。(愛があるなら、どういう人に対しても嫌がらせなどしませんからね。キリストが人に嫌がらせをされるでしょうか?)

そのような人たちを私はたくさん見ています。そうして最近の女は愛のない人が多いな、と思っていたのですが、このような食品偽装などの事件を見ると、その思いを裏付けているように感じました。

女性の愛がなければ、世にこのような事件(人のことなど知らないという愛のない事件です。子供に食事を与えないとか、夏に車の中に平気で子供を放置するとかの事件も同じです)は溢れます。そうして、そのような素材も悪く、まずいものを食べていてもまったく気づかないのです。

今のような世相を見ると女性の愛のなさがよく分かります。しかし、なんでも同じですが、多くの女性がもう少し愛を出すのであれば、このような世相はガラリと変わります。

もう少し女性は女性の愛を出されてはいかがでしょうか。(外見だけはきれいな人多いんですけどね…外見だけって〔笑〕)

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