>>ブログトップへ

2014年9月

9月 14 2014

愛がある人と愛のない人

結局、もう恰好だけでは通用しない時代となったということです。

人前でいくらいい恰好をしても、それで自分たちに悪いことが起きているようでは、その人は善人ではないということです。

自分が善人か悪人か、それがすぐに分かる時代となったのです。

昨日もこのようなことがありました。

私がある高校の近くを歩いていると、女子高生三人と出くわしたのです。(多分その高校の生徒でしょう)

私の前を、その三人の女子高生たちは歩いていましたが、たまに振り返りながらこちらをチラチラ見ています。

「私のことを知っているな」と思いながら、その女子高生たちの少し後を私は歩いていましたが、急にその三人の中の真ん中の女子高生が、空のペットボトルを取り出して自分の足をバシバシ叩き出したのです。

しかし寄りにも寄って、その真ん中の女子高生は、体重が百キロはあろうかと思われるほどの超巨漢です。その叩く音のでかいことでかいこと。(どんな女子高生やねん。〔笑〕ちょっとオーバーですが、百キロくらいあるのではないかと思えるくらい超おデブな子でした)

「嫌がらせしているな」とピンときた私は歩きながら辻説法を始めました。

「オイオイ、神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えてもらい、散々心を救ってもらった者に嫌がらせかよ」「そういうことに少しも感謝もしなくて、一方的に嫌がらせなどしていたら、そりゃ罰も当たるわな、天罰も下るわ。そうしたらその天罰までこちらのせいだ。皆さんのお蔭で私は大悪人です」

「そういう大悪人に何で鳥が寄って来るんだ、自分らのような善人に何で鳥が寄って行かないんだ、その理由を教えてくれよ」

「鳥が教えているだろう、自分らが悪人なんだよ。だから天罰を食らうんだ」

「そういう天罰を食らっているんだから、俺にいくら嫌がらせしたところで、サイレンなんか止まるわけないだろ。自分たちに天罰が下っているんだから、自分たちが反省しないとサイレンは止まらないんだ」等々、後ろから説法をしていたんですが、たまに振り向くその女子高生たちの顔は皆怒っています。

「お前のいうことなど聞けるか」という顔で「すべてお前が悪い」という態度で、振り返るたびに私をにらんでいます。

特に、真ん中の超巨漢の女子高生がよく振り返るのですが、その真ん中の女子高生は鬼瓦のような顔をしていて(ムッとしていたからかもしれませんが、私にはそのように見えました)その顔の怖いこと怖いこと、振り返るたびにドキッとします。(おもわず「ホラー映画観てんじゃねえぞ」と思ってしまいました。〔笑〕)

最後まで、その女子高生たちが反省する様子はありませんでしたが、それでも時折、体をビクッとさせていたことは事実です。

態度は無反省な態度でも、心の中にはしっかり「自分たちが悪いのではないか?」という種はまかれたものと思われます。

私は間違ったことをいっていません。間違っているのは、私を目の敵にしている人たちの方なのです。だから私の話を聞けば、必ず自分の間違いに気づいてくれると私は思っています。

昨日でも私は、中川運河を通りましたので運河の脇まで行き「お前ら元気か」と運河に向かって呼びかけると、私が見ている目の前の運河のあちこちで、小魚がピョンピョン跳ねていました。

そうしてその後、堀川にも行きましたが、その堀川でも同じようなことが起きたのです。(堀川では初めてですね。何度呼びかけてもこれまではシーンとしていましたが、昨日初めて、あちこちで魚が泳いでいるようなさざ波が立ち、何匹かの魚影が見えました)

私が川に向かって呼びかけると、魚たちが寄ってくるのです。

こういうことが普通起きるでしょうか?鳥でも同じです。私が呼びかけると嬉しそうに飛び回り近くに寄ってくるのです。こういう奇跡が私は毎日起きているのです。

私に嫌がらせをしている人たちは、このようなことが起きる人がいるのでしょうか?多分起きている人は一人もいないでしょう。

では、そのような人たちと私の違いは何でしょう。何が違うのでしょうか?

それは心に愛があるか、ないかの違いでしょう。

心に愛があれば鳥たちはもちろん、このような魚たちまで寄ってきて私の近くを嬉しそうに泳いでいます。愛ある人の近くにいれば、自分の安全はもちろんですが、その愛で自分たちも癒されるからです。そのことを魚も鳥も知っているのです。

しかし、そのような愛のない人たちには鳥も魚も寄って行きません。愛のない人に寄って行けば自分たちが危険なのはもちろんのこと、癒されることもないからです。そのようなことも鳥や魚は知っているのです。

愛がない人たちに鳥や魚は寄って行きません。しかし、愛ある人には鳥や魚は喜んで寄って行くのです。

愛がないから人に責任を全部かぶせ平然としていられるのです。愛がないから人に平気で嫌がらせができるのです。

その愛がないから、神からも守られず災いが起きるのです。

すべてのことにおいて、自分の心に愛があるかないか(全然愛がないとは申しませんが、愛が多いか少ないか、という意味です)愛で心が満たされていれば、その愛は外にどんどん広がり、自分に関わるすべてのものを癒すのです。(それは鳥や魚だけに限らず植物、鉱物などすべてです)

現在日本に起きている様々な異常現象は、日本の人々が、あまりに愛をなくしてしまったその結果であると思います。

自分さえよければいい、自分たちさえよければいい、そのような小さな愛では、もう日本に起きる災いは止まらないのです。

鳥や魚のような力のない小動物でも喜んで寄ってくる、それくらいの広い愛の心を一人一人が持たないと、もはや救われない時代になりました。(今日このブログを書いている時だけでも、このブログを書いているパソコンの音がうるさいと「ゴホゴホ」「バシバシ」やっている人たちがいます。なんて心が狭く愛のない人たちでしょう。〔私は家の中でパソコンを打っているだけなのに〕このブログを読んで心が救われたことなど、これっぽっちも感謝していないようです。このような人たちに災いが起きるのです。そのような狭く愛のない心ではいけないからです。万物の霊長である人間として非常に遅れているからです)

もう善人のふりだけではボロが出る時代となったのです。

では、心を変えられてはどうでしょう。鳥や魚くらい寄ってこないような心をいつまでも持ち続けていては、あまりに人として恰好が悪いからです。(うわべだけの格好ではなく、人として本当の格好が悪いという意味です)

本当に格好がいい人とは愛ある人をいうのです。そのような人が増えれば、自然と日本は救われていくのです。

0コメント

9月 13 2014

つくられた大悪人

相変わらず不安定な天候が続いています。

北海道の局地的大雨は続いていますし、新潟では竜巻が発生したようです。(海上を通ったので被害はなかったそうですが)その後、新潟市内は激しい雨となりました。青森も激しい雨になってヒョウまで降ったそうです。

今日も北日本など不安定な天候が続くようですが、この辺りも不安定(?)なことが続いているようです。

不安定といういい方もどうかと思いますが、前の会社など本当に不安定なものですから、そういう書き方をしても別にはずれではないでしょう。

前の会社、今日は休みのようですが(でも、ドアが開いていますので、一人二人は来ているのかもしれません)もうパニッくってるのはいる、急に怒り出す奴はいると不安定そのものです。

それに、何か電話がかかってくると様子が変なのです。電話のベルが鳴ると急にシーンとなったり、あるいは物を叩き付けて怒り出す奴がいたりと、電話のベルに異常に反応するのです。

多分ですが、あまりよくない電話が多いのではないでしょうか。(例えば、家族が急に何かの病気になったとか、けがをしたとかいう悪い知らせの電話などがです)

特に、ここ数日はおかしさが増しています。もし、恐ろしいことが止まらなくなっているのなら、詫びられてはいかがでしょうか。(もうどうしていいか分からない、といった感じですから)

とにかくこの会社の連中、私に嫌がらせをしすぎています。それでは恐ろしい現象は止まらないでしょう。

このパソコンの音がうるさいとでかい音を立てる、何か少しでも私が音を立てたら、その数倍のでかい音を立てる、私が少しでも動けば(その足音を聞いてです)またでかい音を立てる、救急車のサイレンが聞こえてきてもでかい音を立てる、はては、ヘリの音が聞こえてきてもでかい音を立てているんですから、一体この連中、会社に仕事をしに来ているのか、嫌がらせをしに来ているのかよく分からないほどです。

そういうことを、それこそ朝から晩まで(私が家にいる間中)し続けているんですから、この連中の悪行がどれほどのものか分かろうというものです。

それを五年間も続けているんですから、呆れるばかりです。(もっといいこと続けろよ、といいたくなります〔笑〕)

考えてみてください、私は何一つ前の会社の連中に悪いことはしていないのです。家でパソコンをやるのが悪いことでしょうか?家にいてまったく音を立てずにいられるでしょうか?(前の会社の連中など足音だけでなく、テレビのチャンネルを変えるくらいの音でも、怒ってでかい音をたてていたくらいですから、もうひどいものです)救急車のサイレンやヘリの音が私のせいでしょうか?(私のせいという人も多いんですが)

私は何一つ悪いことをしていないのに、この会社の連中は私に嫌がらせのし通しなのです。これではこういう連中に、何か悪いことが起きない方がおかしいのではないでしょうか。

そういう悪行を散々私にしておいて、それで自分たちに悪いことが起きてきたら、それも私のせいにして怒っているのです。一体この連中どこまで都合がいいのでしょうか。

これでは、恐ろしいことが次々に起きてきても仕方ないのではないでしょうか。それなのに、それでもお前が悪いと、この会社の連中だけではなく周りの人も思っているようなのです。

結局、私には何も起きず、この連中にばかり(またはそれ以外の人にばかり)悪いことが起きるからです。

だから、それはお前が起こしているのだろうと(こういう考え方も、あまりに単純に物事を考えすぎているように思えますが)だからお前が全部悪いということになっているようです。

しかし、では、そう思っているその人たちは何も悪くないのでしょうか?

前の会社の悪行は今書きましたのではぶきますが、お前が全部悪いという人たちは、私のお蔭で唯物無神論から唯心有神論に考えが変わったのです。それだけでずいぶん心が救われたはずですが、それに対し何かお礼でもされたのですか?

お前が全部悪いとこちらの話は少しも聞こうともせず、一方的に私の悪口ばかりいっている人もいるようですが、これは悪いことではないのでしょうか?

それに私を見ればこれまた一方的な嫌がらせです。(私の方から何かしたわけでもないのにです)これも悪いことではないのでしょうか?

いろいろ教えてもらっておきながら、それにはお礼一ついわず、こちらの話を何も聞こうとせず、自分勝手に自分たちに都合のいい解釈をして、散々人の悪口をいい、そうして私を見つければ嫌がらせの数々、これで悪いことをしていないと誰がいえるのでしょう。

前の会社の人たちもそうなら、それ以外の人たちもそうです。私に「いろいろ教えてくれてありがとう」とお礼をいってきた人もいなければ、堂々と話し合いに来た人もいない、そういう筋を一つも通さずに、一方的な解釈で悪口雑言、嫌がらせの数々。

これを悪行といわずして何を悪行というのでしょうか。(そういう大人数の嫌がらせで自殺する人もいるのです。私に嫌がらせした人は十分悪いことをしているのではないですか。私が自殺したら、そのような人たちは人殺しなのですから)

自分たちは何も悪いことをしていない?とんでもありません。十分悪いことをしているのです。だから天罰が下っているのです。

その天罰まで私のせいにしているのです。そんな何でもかんでも私のせいにされたら、私はとんでもない大悪人になってしまいます。その何でもかんでも悪いことを私のせいにされ、多くの人たちに陥れられたのが現在の私なのです。(多くの人が、知っててそれをしたのではなく、知らずにそれをしているのですが)

だから名古屋では私は大悪人です。たくさんの人に嫌われているのです。

異常気象から、疫病から、名古屋でよく聞こえるサイレンまで、全部私のせいになっているからです。(大悪魔ですね、私。大魔王サタンも真っ青です〔笑〕)

しかし、このように考えたら、そのような悪いことはすべて自分たちのせいなのではないでしょうか。

名古屋の多くの人たちは、このような悪行プラス神をないがしろにしているという、大悪行までしているのです。(これは全国の人がですが)

自分勝手に解釈して悪行三昧です。これだけ悪いことをしているのに、天罰が下らないと思いますか?(ここまでやったら、別に正法の世じゃなくても天罰が下ります)

いい加減目を覚ましてくれないでしょうか。自分たちが悪いことをしているから、自分たちに悪いことが起きているのです。(善因善果、悪因悪果)

名古屋の多くの皆さんは、知らず知らずのうちに一人の者を大悪人に仕立て上げ、そうして自分を必要以上の善人に仕立て上げているのです。(自分の悪行を、全部私に擦り付けているんですから当然そうなります)

本当は自分たちも悪いことをたくさんしているのにです。

しかし、どちらにしても、このことに気づくには、謙虚に反省出来る、自分のことを正直に振り返ることが出来る、勇気のある人でないとできないということです。

ソロソロ勇気ある人が出て来ないと、名古屋はもちろんのこと日本が滅んでしまいます。

いつまで自分を、必要以上の善人に仕立て上げて責任転嫁を続けるつもりですか?

少なくとも現実は現実として、もう少ししっかり見られてはいかがでしょうか。

そうすれば正しいことも見えてくるはずだからです。

0コメント

9月 12 2014

朝日新聞の謝罪

昨日はまた北海道は雨が凄かったですね。今日も北海道は心配ですが、昨日北海道の方からメールが入りました。

そのメールによると、決して法から心が離れたわけでないとのこと、少々金欠でお金を払うのが遅れていただけだったそうです。

そうであるなら、あまりご無理をせず、払える時に払えるだけ払ってくださればそれで結構です、とメールを返しておきました。

何が心配かといえば、法から心が離れてしまうかどうか、それが一番心配です。

もし、今生法を知りながら、その法から心を離してしまえば、どれだけ法を説く人によいことをしたとしても、その人は今生の修行を失敗したということになり、死後は地獄行きです。(それだけ今生の修行は厳しいのであり、法との縁は何にもまして大事なのです)

そういう人をたくさん見てきましたので(園頭先生の弟子たちです。「園頭先生のお蔭で救われました」といわれていた人たちが、ちょっとしたことですぐに法を捨ててしまいました)心配していましたが、北海道の方はそうではなかったようです。

とりあえずホッとしました。(法を捨ててしまうだけで地獄行きなのです。では、この法に逆らっている人たちはどうなるのでしょう。そういう人たちは想像を絶する恐ろしいことが起こります。それが実際起きていても、それでもまだ法に逆らっているのです。本当に恐ろしい行為をし続けています)

この方が法を捨てていないということは、次のような出来事でも分かります。

この方は札幌に住んでいられるそうですが、あれだけ大雨になった札幌でも(ここ二、三日で四百ミリも降ったそうですね。それに避難勧告もでました)この方が住んでいる辺りは普通くらいの雨しか降らなかったそうです。

こういう経験は私にもあります。あの東海豪雨の時です。

あの時、名古屋の辺りは大雨に見舞われたのですが、私が住んでいた辺りはまったく被害が出ませんでした。

やはり法を知っていると、その人は守られるという証拠でしょう。

しかし、どちらにせよ、あれだけの大量の雨が北海道に降ったことは事実です。

早く法を拡げないと、災いは次々に起きるでしょう。

それはそうと、あの朝日新聞が謝罪しましたね。(晴天の霹靂〔せいてんのへきれき〕ですね〔笑〕)世が世なら考えられなかったことです。本当に時代が変わりました。

あまり反省ができていないという見方もありますが(たしかに謝罪の本質が、従軍慰安婦から東電の吉田元所長にすり替えられていたり、朝日新聞全体の責任というより、記者個人の責任という責任転嫁もされていましたが)これまで社長自ら記者会見に出て、あれだけはっきり自社の記事の間違いを認め、謝罪をしたことなど朝日はなかったのです。

それを朝日新聞は公の場でやったのですから、それはそれで認めるべきでしょう。

この記者会見は世界に伝わります。朝日新聞がまた同じような(裏付けのない)記事を書き、同じ間違いを犯すようなら、今度は日本だけでなく世界から信用を失います。

そういう意味では、天下の朝日新聞の大々的な謝罪は大いに意味があったと思います。(今後のマスコミのいい加減な取材記事の規制にもなりますし)

しかし、朝日はこれまでいい加減な記事(というより、日本を貶めるような記事)が多かったと思います。その業はいずれ現れるだろうと思っていましたが、やはり現れましたね。

実は園頭先生も朝日新聞には苦言を呈していられたのです。

朝日新聞について、次のような話を園頭先生はされたことがあります。

「十年ほど前(現在から考えると三十年くらい前の話です)に朝日新聞が、南京攻撃に参加した都城二十三連隊の兵隊の日記が出てきたと紙面一面に書いた。

これが南京大虐殺の証拠といいたてたが、これに怒ったのが都城二十三連隊の生き残りの兵隊たち。

調査の結果、宮崎の朝日新聞の支局員の記者が兵隊の名をかたり偽造したものと分かる。

朝日新聞は訴えられ敗訴。謝罪するも新聞には小さな記事が載っただけだった」

園頭先生もいわれていますが、朝日は昔からこのような(ねつ造)記事が多かったように思います。

こういう人を(日本を)貶める記事が多ければ、その罪はどこかで償わなければいけなくなります。(こういう記事を書いても、しっかり反省し大きく謝罪文を新聞に書いていれば、その罪は消えます。しかし、これまで朝日新聞はそのようなことをしてきませんでした。当然その罪は残ったままです)

朝日もここで反省出来なければ、いくら天下の朝日新聞とはいえ、その存続さえ危うくなるでしょう。(どちらにしても信用を落としたことは事実だからです。日本だけでなく、世界のです。それくらい朝日新聞の報道の影響は大きかったからです)

朝日新聞が自らの間違いを認め、こののち正しい報道をしていくのであれば、朝日は復活することが出来るでしょうが、また人を貶めるような記事を書くのであれば、これからの朝日新聞の没落は止まらないでしょう。

そのような、よいこと悪いことがすぐに現れる時代となったからです。

しかし、天下の朝日新聞が自社の間違いを認める時代となりました。

もういい加減、個人個人もその誤りを認め、神に頭を下げられたらどうでしょう。神に頭を下げるくらい、今回朝日新聞がした謝罪よりずっと楽なのですから。

それをいつまでもされないと、自分だけでなく日本が危なくなります。何も朝日新聞のようなメディアや政治家だけが、日本に影響を及ぼしているわけではないからです。

私たち一人一人が日本に多大な影響を及ぼしているからです。

個人個人の悟りが日本を救います。早くその自覚を持たれることです。(反省しないと天罰が当たりまくっていますから)

3コメント

9月 11 2014

止まらない異常現象

列島は大荒れですね。

昨日など関東、東北、西日本、北海道などで局地的に大雨となりました。(東京など十四年ぶりの大雨が降ったそうですが)今日も朝から北海道など凄い雨になり、避難勧告が出ているところがたくさんあるようです。(大雨特別警報が広い範囲で出ています)

今日も各地激しい雨に注意が必要とのことですが、それにしても相変わらずのすさまじい天気です。(天は相当怒っていますね)

ここ数日の北海道は特にひどいんですが、実は北海道は危ないのではないかと思っていたのです。

というのも、今年は北海道の賛助会員だった方が、お金を振り込んでくれませんでした。(毎年八月に振り込んでいただいていましたので)

「あれ、この方、心が法から離れられたのかな?」とも思い、そうであるなら「北海道はやばいかもしれないな」とも思っていたからです。

八月頃から、北海道の天気が非常に悪かったので(雨がずいぶん降っていました)実は、もしかしたら北海道の賛助会員の方は、心が法から離れているのかもしれないと思っていたのですが、やはりその通りでした。

ただでさえ、この法の流布に協力する人は少ないのです。(では、現時点ではウナッシーさん一人ということになります)まして、この北海道の方は、この方のお母様に奇跡が起きて(私が祈って癌が小さくなり、その癌の痛みが消えた方です)その天の奇跡をご自身が知っているというのに、その恩さえ忘れ、平気で法を捨ててしまっては、それは天も怒ります。(あの奇跡は、すべてこの法の正しさの証明のため、天が行ったことだからです)

それで、このような激しい天気に北海道はなっていると思われます。

勘違いされても困りますが、このGTS心の研究所の賛助会員になっているということは、ただ単に私に協力しているだけではないのです。

賛助会員になるということは、それは法の流布に協力しているということであり、法の流布に協力しているのであれば、私のブログを参考にして、自分で法の勉強をし、なおかつ法を拡げる努力もしてもらわねば困るのであって、単にブログが面白いからお金を払っている、面白くなくなったからもうお金を払わないではないのです。

私のブログを参考にして、少しでもいいですから、自分で法を拡げる努力もしてもらわないと、賛助会員になってもらった意味もないのです。(別にウナッシーさんにプレッシャーをかけているわけではありません。その心構えを書いているだけですので、ウナッシーさんはウナッシーさんのペースでお励みください)

だから、天もその心を思われ、奇跡を起こしてくださるのであり、もし、そんな気がないのであれば、賛助会員などならずただの寄付でよいのです。

どうもその辺りのことを(私もそんなことまで一々いいませんから、それは自分で気づいてもらいたいことでありますから)この方は、あまり深く考えられていなかったようです。

その結果が、北海道を大荒れの天気にしている原因であると思われます。

私は何度もいっていますが、現在正しい法を説いているのは私だけなのです。

この言葉の意味はそんなに軽いものではありません。それは釈尊やキリストと同じ使命を持っているということであり、そうであるなら、その者のいうことを無視したり、逆らったりするのであれば、当然、それにともなう激しい現象は現れるということです。

現実に私の回りは次々に恐ろしい現象が現れています。私に嫌がらせを繰り返している者が大勢いるからです。(前の会社も今日はバカに静かです。それはそうでしょう。昨日ずいぶん私を怒らせたからです。当然何か起きています。だから今日は静かなのです)

このような現象が次々に現れるのは、私がそれだけの使命を持っているからであり、それだけ私が説いている法は偉大なものであるということです。

すでに、それを証明する現象は次々に現れています。

それに私がいった通りのことも何度も起きています。

この列島の大荒れの天気といい、戦時中にしか流行らなかったデング熱が、急に流行りだしたことといい、単に偶然そうなっているとは、このブログを読んでいる人は(私のことを知っている人は)誰も思わないと思います。

これは私のせいですか?

とんでもありません。多くの皆様が私のいうことをいつまでも聞かず、神をないがしろにしている結果ではありませんか。(多くの人がいつまでも神を神と思わず、自分のことばかりしているからです。これほど恐ろしいことはありません。神の子である人間が、神を思わず自分のことしか思っていないのですから)

いつまでそれを私のせいにしているのですか?いつまで私のいうことを無視しているのでしょう。

岐阜県では、もうインフルエンザが流行りだし(流行る時期が二~三ヶ月も早いそうです)学級閉鎖をしているところがあるそうです。

デング熱とインフルエンザが、同時に流行るようならどういうことになるでしょう。それプラス、このいつ起きるか分からない異常な局地的豪雨。(今は台風の季節でもありますし、最近は地震もよく起きているようですし)

天の怒りはだんだん激しくなります。それでもまだ自分たちのことだけやっているのですか?

いい加減、その傲慢な態度を改められ、神に頭を下げられたらどうですか?(それは決して恥ずかしいことではありません。人として当たり前の行為なのです。今のように神も仏もあるものか、という態度の方がよほどおかしいのです。傲慢不遜なのです)

神は、多くの人々が、自分たちの間違いに気づくのを辛抱強く待ち続けていられます。

その神の心にいつ気づかれるのですか。

2コメント

9月 10 2014

スーパームーンと北極星

昨夜はスーパームーンでした。

本当に、普段より大きく明るい月がよく見えました。満月は月のパワーが一番出ているといわれますが、さすがにスーパームーンは普通の満月の時より凄かったですね。あのスーパームーンを見ていたら何か息が詰まるようでした。

せっかくですから、少し祈りスーパームーンのパワーをいただきました。

私たちは、月があるからこのように平穏に暮らしていられるのです。もし月がなかったら引力や人の体にまで影響を与えるでしょう。

ですから「あなたが存在しているから私たちはこのように平穏に暮らしていられます。月の存在に感謝します」と改めて月に感謝して祈り、そのパワーをいただきました。

そのお蔭で、今日は一段と祈りがきかれそうです。(笑)

それでちょっと話を変えますが、よく北枕は縁起が悪いとか、死人の枕とかいわれます。

何でこういうことをいわれるのかといえば、日本では人が死ぬと北枕にするところが多いからです。

たしかに日本では、人が死ぬと北を枕にして寝かせるのですが、これは元々釈尊が亡くなられた時に、北を枕にして亡くなられた(涅槃に入られた)から、それから仏教界では、人が亡くなると北枕にして寝かせるようになり、それが日本にも伝わっているのです。

そうして、北枕は死人の枕だから縁起が悪いといわれるようになったのです。

しかし、このような解釈は間違いなのです。

釈尊が北を枕にして亡くなられた(涅槃に入られた)のは事実です。

しかし、釈尊は何も亡くなる時に限って北を枕にしたわけではなく、いつも北を枕にして寝ていられたのです。だから、その時もいつも通り北を枕にして横になられただけであり、その時だけ特別に北枕で寝られたわけではありません。

釈尊は、普段から北枕で寝ていられたのです。もちろんそれには意味がありました。

その意味とは、先ほどの月の話と同じで、北の空には北極星があります。(この北極星は、地球の自転軸を北極側に延長した線上近くに位置しているため、地球上から見るとほとんど動かず、北の空の星は北極星の周りを回転しているように見えます)

その北極星から(先ほどの月と同じように)パワーが出ていることを釈尊はご存知でした。それで、北極星の方に頭を向けて寝ることで、その北極星のパワーをもらえるということで、釈尊はわざと北を枕にして寝ていられたのです。

もちろん、そのような北極星のパワーを寝ながら受けることが出来れば、疲れが取れるのが早いとか、心が安らぐとか、そのようなことを釈尊は知っていられたのです。だから釈尊は、ずっと北枕で寝ていられたのであって、北枕は縁起が悪いどころか、非常に心にも体にもよいのです。

この大宇宙の星々は、ただの土や岩の塊なのではなく、各星々から、それぞれのパワーを発しているのであり、その星から出るパワーは、私たち人間にとっても非常によいものであるということです。

それをただ受けているのではなく、その星に向かい祈りを捧げるのであれば、そのパワーもまた一層いただけるものであると思います。どちらにしても感謝の祈りは、輪廻してそれがまた自分に返ってきます。

よい祈りは、すればするほど自分の徳となるということです。

このことを勘違いしている人が多いのですが、私が祈っているとムッとしたり、ギョッとしたりして見ている人がいます。(他の地域なら、そこらで祈っている人がいたとしたら、笑う人が多いんでしょうが、この辺りは怒る人が多いのです。その一点だけ見てもこの辺りの人、変わってますよね。〔笑〕)しかし、私は人の不幸など祈ったことはありません。

だから、どれだけの人を祈ろうと、私はピンピンしているのであり、もし私が人の不幸ばかり祈っていたとしたら、すでにこの世にいません。(もう数えきれないくらいの人を祈っているからです。それだけ多くの人に悪の念を発していたら、とっくに地獄行きです)

しかし私は、ピンピンしているどころか、奇跡が次々に起きているのです。それを知ってもらうだけでも、私の祈りがいかに人の幸せを願っているのか分かろうというものです。(よい祈りをしているから、それが返ってきてよい結果〔奇跡〕が現れるのです)

したがって、私が祈って、もし不幸になった人がいたとしたならば、それもその人が幸せになるための一過程なのであって、もし私がその人を祈らなければ、その人はもっと不幸な道をたどることになったということです。

だから、私に祈られた人は感謝しないといけないのであって、怒るということはお門違いなのです。その証拠に鳥たちなど私に祈られれば、大喜びをしているからです。

私に祈られ、怒るのは人間たちだけです。なぜ、幸せを祈る行為を人は怒るのですか?

それは自分たちが、よほど後ろめたいことをしているからではないでしょうか。そうであるなら、その祈られた人たちが反省しなければいけないのではないですか。

私はよい祈りしかしません。(だから星もよりパワーを与えてくれるのであり、鳥たちも大喜びするのです)その私に祈られ、怒ったりギョッとしたりして驚いている人たちは、自らをまず反省しなければいけないのです。

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。