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2015年1月

1月 31 2015

布施することの大事さ

昨日は前の会社が工事をしていて(じゃばらか何かつくったみたいです)その音がうるさかったのでブログを書くのをやめました。(気が散りますので。あんまり気が散ると天からの通信をちゃんと受けられませんから)

それで時間が空いたので高橋先生の本を読んでいたのですが、そうしたら、ちょっと参考になるようなことが書かれてありましたので、その部分を抜粋してみます。

「原説般若心経」より抜粋します。

<___太陽は、惜しみなく暖かい光をウルベェラの森に降りそそいでいる。すべての万象万物に、慈愛の光を平等に与えている。この慈愛の熱、光が万象万物を存在させているのだ。雨は、植物を育て実らせ、大地を洗う。風は花粉や種子を運び、空を清めている。狂いのない、大自然の摂理である___。

シッタルダーは、生きている大自然に感謝することが大切だ、と気がつきます。

___しかし、この大慈悲に感謝するだけで良いのだろうか。植物も、ある者は自らの命を動物達に供養している。万物が相互関係を維持して、大自然が存在しているのだ___。

シッタルダーは、報恩という行為があってこそ、感謝の意味が価値づけられるのだ、ということが解ってきたのでした。

___報いてやることだ。報恩をすること、布施をすること、ということを___。

大自然の中に生きている自分の行為を、人類社会に奉仕すること、その行動力こそ人間一人一人にとって最も必要なことである、と悟ったのでした。>

この場面は、釈尊(シッタルダー)が悟られる少し前のところを書いていられるのですが、このような感謝に対する報恩の行為というものも気づかれ、そうして釈尊は大悟されるのです。

もちろん、感謝や報恩というのは大悟するための一つの悟りでしかありませんが、そのような一つ一つの小さな悟りが重なって、最後に大悟が出来るのです。

ですから、報恩の行為というものを抜きにして、大悟することは出来ないということです。

高橋先生は「魂の前進向上は、布施という慈悲の菩薩行を通してはっきり約束されよう」ともいわれています。

自分たちのところばかりよくするのではなく、そういう金があるなら、少しばかりこちらに布施してくれてもよいのではないでしょうか。あなたたちは毎日、私からいろいろなことを教えてもらっているのですから。(毎日このブログを読んでいるということは、そういうことになりますよね)

しかし、布施は何も自分の魂の前進向上のためだけにするわけではありません。

これほどの異常現象があちこちで起きているのです。(名古屋は相変わらずサイレンがよく聞こえますし、北日本などまた大荒れの天気になるようですね)あまりに神に感謝が足りないと、このような異常現象が起こります。

そのような異常現象を鎮める意味でも、布施の行為(反省の行為)は非常によいと思います。

とにかく皆さん神に対する感謝があまりに足りません。このような場(大自然)を与えられているだけでも感謝しないといけないのです。

もう少し神を思われ、少しくらいの報恩の行為はされたらどうでしょうか。

追伸…東大の名誉教授で、憲法学者でもある奥平康弘氏が急性心筋こうそくで亡くなられました。

この方、安倍政権の憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に反対し(「内閣の解釈で九条をないがしろにしてはならない」など積極的な発言をされ)「九条の会」などつくられた方ですが、そのような方が急逝されたのです。

私はこれから、くも膜下出血とか、心筋こうそくとか、即、命に関わる病気になる人が増えるのではないか、ということをこのブログに書きましたが、やはりこういう病気が増えてきそうですね。

結局もう正法の世となり、あまりに間違ったことをいう人(やる人)など、即あの世に引き上げる、ということを天が行うようになるからです。

この奥平氏は地位も名誉もあり、そのような方が積極的に間違ったことを発言されれば、多くの人に悪影響を与えます。(この方の、内閣の解釈で九条うんぬんなどの発言は完全に間違っているからです。日本だけが個別的自衛権でいいなど、他国のことを何も考えない自己中以外の何ものでもないからです)

それではいけないということで、この方はもう実在界(あの世)に引き上げられてしまったようです。

これからはこういうことは増えてくると思います。(何度もいいますが、ここに書いたことは必ず起きるからです)特に多くの人に影響を与える方々は(テレビに出ている方々などそうですが)繰り返し間違った発言をされるのは控えられた方がいいでしょう。

それが過ぎるとこのようなことにもなり兼ねないからです。(別に正しい発言をされればそれでよいのですから、どうということはないでしょうが)

しかし、何が一番の間違いかといえば、この法に逆らうことです。

また、どこかの会社は何か起きたようですね。これからの時代、間違ったことをし続ければ恐ろしい現象が次々に現れてきます。

そのような心と行い、早く反省された方がいいのではないでしょうか。

どちらにしても、これからは善と悪が目に見えて分かる時代となります。(善いことをしている人には奇跡が、悪いことをしている人には災いが、すぐに起きるからです)

そういう時代となるのですから、出来るだけ善いことをされた方がいいのではないでしょうか。

(特別そういう時代だからということはありませんね。どんな時代であろうと善いことをされた方がよいでしょう)

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1月 29 2015

自分が救われるには

イスラム国がいう二十四時間の期限が過ぎましたが、人質はどうなったんでしょう。

情報が錯綜(さくそう)していてよく分かりませんが、無事を祈るばかりです。(特別日本の人ばかりではなく、どの国の人質もです)

こういうことで世界を騒がしていては話になりません。宗教が世界を騒がすなら、奇跡で騒がしていただきたいものです。

そのような奇跡が次々に起きているようですね。この辺りではです。

また何か起きようですね。昨夜は態度が全然違っていましたから。(今日は皆さんやたら殺気立っているし)

もう観念されてはどうでしょう。それだけ恐ろしいことが起きているのです。これ以上突っ張れば突っ張るだけ、起きる現象の激しさも増すでしょう。

私に逆らっているわけではないのです。神に逆らっているのです。

神に逆らっていては勝てるわけがありません。

「本当の神の教えに逆らったばかりに、このような恐ろしい現象が次々に私たちに起こりました」

そうはっきり起きたことを公表して、心から神に詫びられてはいかがでしょう。そうすれば、その罪は許されるからです。

いま自分たちに起きている現象で、どれだけ恐ろしいことを自分たちはしているのか判断してください。

それが出来ないと(その罪を認めないと)その恐ろしい現象は止まらないからです。

その現象は私が起こしているわけではありません。自分たちの間違った心と行いが、そのような現象を現しているのです。

では、その間違った心と行いを自分で直すしか、その恐ろしい現象を止める手立てはありません。

だから、自分で判断するしかないといっているのです。

昨日も書きましたが、すべて自分で判断し自分で行うのです。そうしなければ真の救いは来ないからです。

多くの人は勘違いをしているのです。人が誰かを救うわけではありません。自分を救うのは自分しかいないのです。

だから「釈尊やキリストが多くの人を救った」といういい方は、厳密にいえば間違いなのです。

本来は「釈尊やキリストは人が救われる方法を説かれた。そうして、その釈尊やキリストがいわれた、人が救われる方法を実践した人だけが救われた」といういい方が正しいのであり、釈尊やキリストが、そのまま人を救われたわけではないのです。

実際は、釈尊やキリストが説かれた法を実践した人だけが救われたのであり、だから、釈尊もキリストも「私があなたを救った」などとは一言もいわれなかったのです。

「汝の信仰汝を救えり」(あなたの信仰があなたを救った)といわれたのです。

この本当の神の教えは、実践すれば奇跡が、邪魔をすれば恐ろしい現象が現れてくることになります。(この辺りの人はもうそれをご存知のはずです)

その奇跡も恐ろしい現象も、すればするだけ顕著に現れるようになるのです。(より実践するならより大きな奇跡が、必要以上に邪魔をするなら、より恐ろしい現象が現れてくるということです。それはモーゼの大奇跡を知れば分かるはずです)

法の流布を邪魔したばかりに、次々に恐ろしい現象が現れた、と多くの人が知るならばこの教えはどれだけ拡がるでしょう。

そのような評判は、もうあっという間に世界に拡がり(そういう時代です)世界の人々が知ることになります。

そのような評判が世界に拡がるなら、イスラム国のような間違った信仰をしている人々も、反省せざるを得なくなるのです。

自分たちがしている信仰と、あまりに違う、別次元の信仰が日本に存在することを知るからです。(現在この辺りで信仰している人たちと同じ気持ちになるのです。「自分たちの信仰は間違っていた」という気持ちです。現れることがあまりに違うからです)

何度もいいますが、日本の人たちが心を入れ替え、立ち上がるなら、世界を救うことが出来るのです。

この名古屋で起きていることを、世界に伝えるだけでも世界が変わるからです。

奇跡も恐ろしい現象も、洗いざらい公表されてはどうですか?そうするだけで世の多くの人を救えるのです。

それほどの力が、この『法』にはあるからです。

自分を救いたいのであれば、世界を救うくらいの大きな志は持つべきでしょう。それくらいの心にならないと、結局自分も救われないからです。(その自分も救えないくらい小さな心になっている人が多いからです。だからもっと心を広げないと自分さえも救えないのです)

現在世界は風雲急を告げています。(間違った信仰だけでなく、天変地変などの異常現象も次々に起きて来てです)

その世界の暗雲を祓うことが出来るのは、この『法』しかないのです。

この法を伝えることが世界を救うことになります。

世界を救うことは自分を救うことでもあります。もっと大きな心になってはどうでしょう。

そのような心になって、初めて自分も救われるからです。

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1月 28 2015

本当の神の教えと偽の教えの違い

今度のイスラム国の要求は二十四時間以内に人質交換ですか。そうしないと人質を殺すというのでしょうか。

どうしたらイスラムの教えをそうまで拡大解釈できるのでしょう。これではどう考えても宗教ではなく、ただの犯罪としか思えません。

このような間違った信仰は変えないといけないでしょう。

日本でも(名古屋で起きたようですが)十九歳の女子大生が、自室で七十七歳の女性を斧で殴って殺したそうですが、それも宗教活動の最中の出来事であったようです。

十九歳の女子大生が、斧で人を殴って殺すなど、とてもまともとは思えませんが、この女子大生は完全に悪魔に憑かれています。それが宗教活動をしている殺された女性には分からなかったようです。

悪魔が憑いているとまったく理解せず、宗教の話など何度もすれば当然悪魔は怒ります。(悪魔の考えとは正反対だからです)

そうなると、このような最悪の結果になるということも十分考えられたはずなのに、悪魔が憑いているとは、この宗教をやっていた女性は考えもしなかった。それがこのような最悪の結果を招いた原因でもあるのです。

やはり改革者は必要でしょう。このままでは、このような悲劇がまだまだこれから数多く起きるからです。

宗教とは名ばかりの、まったく正しい教えを知らない人たちが、間違った宗教を拡げれば拡げるほど、また悲劇も拡がっていくのです。

そうして、そのような間違った宗教をしている人たちも不幸ですが、神の心から遠い人たちもまた本当に不幸であるのです。

また、前の会社に何か起きたようです。(ここ何日かガタガタやっていたのが、今日はずいぶん静かだからです…たまに切れるのいますけど)

ここに書いていることは嘘でもはったりでもありません。確実に起きるのです。(ただし今の心と行いのままではということです。心と行いを〔よい方に〕変えるなら起こりません)

この教えこそ本当の神の教えであるからです。

しかし、神の心から遠い人たちは、それがどうしても理解できないようです。何度恐ろしい目に遭っても同じことをし続けているからです。

本当の神の教えに逆らい続けるのであれば、間違った教え同様、結局最後は同じ結果となりますが(最終的には死んで〔あの世に引き上げられて〕しまうということです)しかし、過程が全然違うのです。

なぜなら本当の神の教えは、決して力ずくで無理やり人を従わせるわけではないからです。全部、自分自身の判断にゆだねられているからです。

イスラム国など見ていれば分かりますが、間違った教えはすべて力ずくなのです。

力ずくで人を動かしたり、金で人を動かしたりして、そうして最終的に従わなければ殺してしまうのです。

しかし、本当の神の教えは違います。すべて自分自身で判断させるのです。

この教えを勉強することも自由、逆らうことも自由、無視することも自由です。ただし、自発的に勉強する人には奇跡が、逆らったり無視したりしている人には災いが、その人の心に応じて起きるよう神が導きます。

神の力がそこに現れるか否か、それが正しい教えと間違った教えの違いであり、本当の神の教えを伝える者は、人の手は一切使わないのです。すべて神の手にゆだねるのです。

これが、本当の神の教えを伝える者と、間違った教えを伝える者の差です。

本当の神の教えは、すべて自分自身の判断に任せますが、偽の教えは、すべて力に任せるのです。(人の力、金の力、神とは名ばかりの悪魔の力などです)

本当の神の教えは、この世のどのような力にも頼らないのです。本当の神の教えが頼るものは『神』それのみなのです。

神の教えと偽の教えには、そのような違いがあるのですが、本当の神の教えがなかなか拡がらない理由は実はここにあるのです。

すべて、自発的であるからです。強制はしないからです。(もちろん口ではいいますよ。しかし、力ずくは絶対にしません)

強制はせず自発的ということは、そのような心になるまで(神の心が自分で理解できるような心に成長するまで)待たなければいけないというです。

人の心は体と違って、時間がたてば成長するというものではありません。それこそ自分で、そのような勉強をして、自分でいろいろな体験をしないと、自分の心は成長して行かないのです。

つまり、どれだけ時間が過ぎても、同じ考えを持ち続け、同じことをやり続けていては、自分の心は成長しないのです。

だから、何百年たっても何千年たっても(何度輪廻転生をしてもという意味です)まったく心が成長しない人もいるわけであり、だから、どれだけたっても本当の神の教えが分からない人もいるのです。同じことをやり続けている人には心の成長がないからです。

だからして、今生もし本当の神の教えに巡り合うことが出来たら(それは永い輪廻転生の期間にあっても奇跡的なことなのですから)それこそ寝る間も惜しんで勉強し、奇跡の体験を重ねないといけないのです。

これだけ自分の心が成長できるチャンスもないからです。

現に名古屋の人たちなど(法の勉強などほとんどしていないのに)こんな体験は出来ないと思われるほどの体験を、何度もしているのではないですか?

本当の神の教えを説く人がそこにいたからです。

はっきりいいまして、出来そうもない体験をすればするほど心の成長になるのです。そのような出来ない体験こそ心の成長を促す一番の勉強であるからです。

それなのに、それに対し感謝もせず怒っているだけとは、一体どこまで愚かなのでしょう。私に、信じられないくらいの心の勉強をさせてもらっているというのにです。(本当に罰当たりです。だから罰が当たるのです。そういう〔感謝の〕自覚を持たれてはどうでしょう。そうすれば罰が当たらなくなるからです)

それはともかく、とにかく、このような理由でなかなか本当の神の教えは拡がりませんが、しかし、いつまでも本当の神の教えが拡がらなければ、その逆の偽の教えはドンドン拡がり、偽の教えがドンドン拡がるなら、不幸もまたドンドン拡がるということです。

本当の神の教えを拡げるには、それぞれの人が自分でこの本当の神の教えの偉大さを理解し、自分でやる気になって自分でやってもらうしかありません。

そのような行動を取れる人が、たくさん出てくるか、それとも少ししか出て来ないのかで、この先の幸、不幸も決まるということになります。

この世の幸せを本当に願うのであれば、口だけではなく、正しい行いが必要なのです。

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1月 27 2015

安倍総理の新談話

昨日、白鳥公園に行ったんですが、四~五羽のカモメはいましたね。もうカモメが消えた理由をここに書いたのです。また戻ってくるかもしれませんね。

どこかの会社が、また反省もなく同じ態度を続けるのであれば、今度はこの前書いたようなことが起きてくるかもしれません。(というか、起きてくるでしょう。ここに書いたことは必ず起きますからね)

どうしたら起きないのか、もう自分たちで考えてください。

さぁ、こういう危ない話題はさらりと流して、安倍総理が河野談話、村山談話を否定して新しい談話を発表されるらしいですね。(否定するまではいわれていませんが。〔笑〕)

それは出さないといけないでしょう。河野、村山談話など、正しいものではないからです。(河野談話の化けの皮はすでにはがれていますが)

こういう話が出だすと、必ず噛みついてくるマスコミがありますが、いつまでそんなことをしているのでしょう。そういうことが、本当の平和への道を閉ざしているとまだ分からないのでしょうか。

安倍総理が、せっかく日本の平和の実績と、積極的平和主義に重点を置いて談話を出そうとしているのに、何で過去の歴史ばかり問題にするのでしょう。(まったくピントがずれています)

そのような問題は、すでに片付いていることばかりではないですか。なのに、なんでまたそういう(侵略という言葉を入れるだの入れないだの)小さなことばかりにこだわってケチをつけるのでしょう。

それに乗じて、日本との政策を有利に進めようとする国もあるのです。そのような報道姿勢は、そういうことをする国を利するばかりではなく、そのような(間違った)政策を助長することにもなります。

それでは、そのようなことをしている国のためにもならないのです。いつまで小さなことばかりにこだわり、大局を見誤り続けるのでしょうか。

日本は戦後七十年、一貫して平和への道を歩み続けてきました。他国に軍事攻撃を行ったこともなければ、国内で暴動が起きたこともありません。

このような平和の姿勢こそ、戦後の反省であり、これこそ多くの国々が見習わなければいけない、平和への道なのではないでしょうか。

人の国の過去のことばかりにケチをつけて、未だに侵略行為を堂々と行っている国もあるのです。(七十年前の話と今の話、どちらが重要なのでしょうか?)

そのような国々より、こと平和という部分だけに限れば、日本は百倍も千倍も平和への努力をし続けてきたのです。

百の言葉より、一の行いです。もう日本は過去にこだわる必要はないのではないですか。これだけの実績があるのです。堂々と世界平和を口にしてもよいのではないでしょうか。(何度もいいますが、戦後補償も反省もすでにしているのですから。そういうことをしていなければいけませんが)

日本が世界平和を口に出すことこそ、本当の世界平和につながるのです。先進国の中で、戦後七十年、その平和への実践を一番してきたのが日本であるからです。

なぜ、その一番大事なことを誇ろうとはしないのでしょう。(いつまでも過去にこだわっている)それこそが、一番の世界平和への足かせとなっているのです。

このようなことを考えるなら、戦後七十年という節目に当たり、安倍総理が、これまでの日本の自虐史観(こんなの自虐史観以外の何ものでもありません。過去にいつまでもこだわり、本当の世界平和を目指そうとしないのですから)を一掃して、新しい談話を出されるということは、当然のことであり、絶対にやらなければいけないことなのです。(こと平和に関していうなら、先進国の中で一番実績があるのが日本だからです)

本当の世界平和を望むのであれば、日本が新しい談話を出すのは当たり前のことであり、そうしなければ、日本が先頭に立って世界の平和を説くことは出来ないのです。(これまでのような他国にペコペコ謝るだけの談話を出していて、それで世界平和が説けますか?現に、あの談話を出した後でも、尖閣や竹島は危ないだけではないですか。〔竹島など未だに韓国に侵略されっぱなしだし〕あのような談話を出してもアジアさえ平和になっていません。あんな談話では少しも世界の平和に寄与しないのです)

本当の世界平和を望むのであれば、まず日本がこれまでの殻を破り、日本の平和の実績を世界にアピールして、そうして先頭に立って世界平和を進めて行かなければいけないのです。

それには新しい談話が必要であり(その談話を元にして世界平和を説いていくからです)日本は平和のためにこの談話を発表したのであると、より強調して堂々と世界に宣言すればよいのであって、そうしてその言葉の通り平和を実践して行けばよいのです。

日本は、平和への行いを戦後一貫して続けているのです。日本ほどの平和国家はないのですから、その平和の実績を世界に伝えなければ、逆に世界の平和は来ないでしょう。

どの先進国も、この平和という一点で見るならば日本にかなうところはないのです。では、平和という部分を強調して、世界に、この安倍新談話を理解してもらうしかありませんし、そのための努力を日本はし続けなければいけないということです。

これからの日本は(日本の平和だけでなく)世界平和に向かって進まなければいけません。それは実績のある日本だからこそやれるのです。

いつまでも過去にこだわっている場合でしょうか。

追伸…過去のことと、これからの先の未来のことと、一体どちらが大事なのでしょう。(どう考えても未来のことだと思いますが)

戦後の補償も反省もすでに終わっています。二度とそのような間違いを犯さないという反省は一度すればよいのであって、何度もするものではありません。(反省ばかりしていては先に進めないからです)

その戦後の反省に立って、日本は平和主義を貫いてきたのですから、これからはもうその平和主義を、堂々と世界にアピールして行かなければいけないのです。

その平和主義を進めていくなら、日本(だけ)が侵略国家であったという、東京裁判史観もいずれは修正できる時が来るからです。(現在においても他国を侵略している国があるのに、このような考えはどう考えてもおかしいでしょう)そのためにも新談話は必要なのです。

もう過去にこだわっている時代は過ぎています。戦後一貫した日本の(国内外の)平和への実績を世界に伝える時が来ていると思います。

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1月 26 2015

真の男女の役割

イスラム国が、日本人の人質の内の一人を殺害したという画像が流されたようですね。

その画像が本物かどうかは分かりませんが、もし、日本人に手をかけたのなら、これでイスラム国も神に真っ向から逆らう国家ということになり(法は日本にしかないのですから、その日本の人に手をかけるということは、必然的に神への反逆ということになります。だから、高橋先生は、法がある日本は神から守られるといわれたのです)では、こちらから何か祈れば、あちらで現象が起きるということになります。(より起きやすくなりますね。神に逆らう行いを直接したのですから)

イスラム国の崩壊も早いかもしれません。もちろんこちらが祈ればという話ですが。

しかし、祈りたいのはやまやまですが、こちらがこのような状況です。(みな、神にソッポを向き、次々に神から恐ろしい現象を現される)これでは祈っても、その祈りがそのままきかれることはないでしょう。

日本に、まだ法が拡がっていないのに、よその国をかまっている場合ではないからです。(どう考えても順序が違います)

カモメが、急にいなくなるという現象まで天から現されているのです。(それにしても本当にいろいろ起こります)これはもしかすると大凶兆かもしれません。(名古屋にこれだけのことが起きているのです。今さら脅しもないでしょう)

恐ろしい現象が現れ出す前に、心を入れ替え、この教えを真剣に学ばれ、少しの寄付ぐらいされてはどうでしょう。この教えのお蔭で多くの人の考えがずいぶん変わり、心が救われたはずだからです。

心を救われたのです。少しくらいの報恩の行為をされても、それほどのことはないと思うのですが、それを頑なにしようとしないのです。それでは天罰も現されます。なぜ、こんな分かりやすいことが、いつまでたっても分からないんでしょうか?

まったく不思議ですね。

その天罰を私のせいにしているんですから、本当に目も当てられませんが、しかし、そんなことをしていれば(昨日も書きましたが)より恐ろしい現象が現されます。その覚悟だけはしておいてください。

こんなことばかりいっていても仕方ありません。話を変えましょう。

昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」も面白かったですね。

はっきりいって私は、今回のNHKの大河ドラマは無名の女性(吉田松陰の妹)が主人公であり、それだとあまり面白くないだろうと期待していなかったんですが、あのような幕末の志士を陰で支えた女性たちは、やはりそれはそれで大きな使命(もちろん女性としてのです)があったはずです。

あの大きく時代を変えた幕末に、男ばかりが脚光を浴びるのもおかしな話です。やはりその幕末の志士たちを支えた女たちは、国を変えた男たちとともに、同じような評価を得るのは当然のことであると思います。(それこそ本当の男女平等、同権です)

それを考えるなら、幕末の志士を陰で支えた女たちの視点でのドラマは、これからの時代に非常にあっているのではないかと思われます。

まだ少し時期が早いので(今はまだ輝く女性とは、男のことなどほっておいて、外でバリバリ仕事をする女性のことをいいますから)あまり視聴率はとれないかもしれませんが、しかし、本当の出来る女性とは、男の陰に回って男を立たせてくれる、支えてくれる、そのような女性なのです。

昨日、史上最多三十三回の幕内優勝を果たした、横綱白鵬が、こういう偉業も賢い女性がいたから出来たと、自分の嫁さんを褒めていましたが、実際そうであったでしょう。いくら強いからとはいえ、横綱一人で出来る記録ではないからです。(こういうことは、公衆の面前ではなかなかいえることではありませんが〔私が日本人だからそう感じるのでしょうか?わりと日本人は心では思っていても、こういうことを堂々というのは苦手な人が多いですから〕さすがは歴史に名を遺す横綱です)

これからは内助の功、良妻賢母という女性が再び脚光を浴びてきます。そういう男の能力を引き出せる女性こそ、真の輝く女性であるからです。

そのような意味で「花燃ゆ」は、時代に先駆けた、善いドラマであるといえるのではないでしょうか。(今はまだ時代に逆行しているとでもいわれるんでしょうが)

女は男の足りないところを足してやる、そのような役割こそ求められているのであり、決して男と対等になって、男と張り合って、男以上に仕事をすることを求められているのではないのです。

男がやれない部分を女がやり、女がやれない部分を男がする。それが当たり前のことであり自然であるのです。(だから、体のつくりも考え方も男と女では違うのであって、そのような役割分担を一切無視して、男女を同等にすれば、両方がその力を発揮できずに終わるのです。まさに、現在の男女平等、同権論は、男女の本当の力を逆に出せないようにしているのです)

こういう古き良き時代の日本の思想(映画「三丁目の夕日」の舞台となった、昭和三十年代くらいまでの思想)こういう思想がなくなってきてから奇跡が起きなくなったのであり、そうして現代の思想(男女平等、同権)が深まれば深まるだけ、災いが起きるようになったのです。(日本だけに限らず世界中で起きている天変地変などもそうです)

このような男女の役割一つとっても、法を知っているか知らないかで、大きく違ってくるのです。(この世に奇跡が起きるか、災いが起きるかですから大変な違いです)

それでもまだ、この法を無視されるのですか?(この現代の思想のまま進めば、災いだらけになりますよ。神の心に逆らっている部分が多いからです)

それでは真の救いは来ません。

本当に救われたいのであれば、この法を勉強することです。

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