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2015年3月

3月 31 2015

限られた時間

しかし、昨日すれ違ったお年寄りの半分くらいの人が、顔が引きつっていましたね。(苦笑)

それはそうでしょう。そのままでは地獄に行かなければいけないのです。この辺りのお年寄りは、この法を勉強する以外、救われる(天上界に行ける)手はないとすでに知っているのです。(おまけに既存の宗教ではもう救われないということも知っています)

それを知っているのですから、この辺りのお年寄りは、私の顔を見たら顔を引きつらせるでしょうね。自分の時間があまりないことも知っているからです。

それを知らないお年寄りは、まだ私の顔を見ると嫌がらせをしてきますが、しかし、怒って嫌がらせしてくるお年寄りの中にも、そのことを知っている人はいるのかもしれません。

知っていながら、それでもまだ私に嫌がらせをしてくるのです。

よくもこれまで信じてきたことを壊してくれたなとか、これまで通りでよかったのにとか、そういう進歩のない発想しかできないお年寄りは、怒ることしかできないからです。

しかし、もう現実を見ないといけないでしょう。今のままでは救われないのです。

では、もうやるしかないのではないでしょうか。お年寄りは、あまり時間も残されていません。その残り少ない時間の中で法を勉強しないと(実践しないと)救われない(天上界には行けない)のです。

怒っている暇はないのではないでしょうか。(そういう諸々の間違いを教えたのは私です。だから私には、怒るのではなく、感謝しないといけないのです。お年寄りはギリギリのところで救われたからです。早くその救いを完全なものとされてはいかがでしょうか)

しかし、怒っている暇がないのは、実はお年寄りだけではありません。もっと時間がない人たちがいるからです。

どうも、大変なことが起きているようですね。どこかの会社です。今日は朝から(正確にいえば、昨夜から)凄い怒りようです。どうしたんでしょうか?

もう怒っても仕方ないでしょう、といくらいったところで、この人たちは怒ることしかしないんですからどうしようもありません。(あまりの怒り具合に、なんか周り引いてますけど。この町中の雰囲気がおかしくなっています)

しかし、どれだけ怒ったところで、その現象が収まることはありません。そうして、恐ろしい現象が現れ、それでもし死ぬようなことにでもなれば、その苦しみは来世、再来世まで続くことになります。(何百年も続くということです。死んで地獄に堕ちて、そうしてまた生まれ変わって、今回の罪を償わなければいけなくなるからです)

法の流布のじゃまを何年にもわたってし続けたのです。その罪は、自分たちが思っているほど軽くはないのです。すでに大変な罪となっています。

だから、大変なことが起きているのです。釈尊やキリストが法を説いているのを、毎日のようにじゃましたら当然恐ろしいことは起きてきます。それと同じことをあなた方はしたのです。

と、何度書いても、自分たちの罪の重さが分からないようです。(凄いとち狂いぶりですから)

では、もうこちらは心静かに、この人たちを祈ってあげるしかないでしょう。それ以外やりようがないからです。(聞く耳待たないんですからどうしようもありません)

それにしても、サイレンは大分減ってきたように感じるのですが、その反面、身近に起きている恐ろしい現象は増えているように思います。段々、因果応報のそのものずばりの現象が現れだしたのかもしれません。(私に嫌がらせした人たち本当にやばいかもしれません。前の会社の人たち、すでにかなりやばい状況になっているからです)

この辺りの人は、今のこの異様な雰囲気をお分かりいただけると思います。

悪いことを私のせいにし続ければ、この会社のようになるのです。

いつまで責任転嫁を続けるのですか?責任転嫁をし続けたところで少しも救われないのです。むしろ、もっと救いのない深みにはまって行くのです。(それはそうです。責任転嫁は悪いことだからです)

負の連鎖を断ち切りたいのであれば、まず自分の責任を認め、そうして自分が悪かったと反省するしかありません。

そのような反省の心が出てきて、初めて神から救いの手が差し伸べられるのです。

異常な現象が次々に現れ始めたところもあるようです。

心当たりのある人は、急がれた方がいいのではないでしょうか。

(今日は書く内容が全く変わってしまいました。というか、前の会社がこうも異様な雰囲気だとこれ以外書きようがありません。〔それくらい雰囲気が変です〕何か大変なことが起きてきたようです。ソロソロ法の勉強を真剣にされてはどうでしょうか。法を知らないと、神から守られることはないからです)

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3月 30 2015

先のことを考えるのであれば

どこかの球団、今年は本当につきがありませんね。

打ててるし抑えているのに勝てません。打ててる時は相手チームがもっと打って、抑えている時は、相手ピッチャーがもっと抑えている、それで結局敗戦です。

少し組み合わせが違えば、十分試合には勝ててるはずなのに、そのつきのないせいで三十五年ぶりの開幕三連敗です。

しかもつきのなさはまだまだ続き、あの主砲の選手まで骨折です。(その骨折の仕方が、二塁に滑り込んだ時に、相手選手が投げたボールが手に当たってのものです。投げたボールが、滑り込んできた選手の手に当たるなんて普通ならまずありませんが、それが起きてしまうんですから、本当に不運としかいいようがありません)

まだプロ野球も始まったばかりとはいえ、これではこのチーム、先が思いやられますね。

ここに、あの球団のことを書いとたんに、そのきっかけをつくった選手が骨折してしまうのです。とても偶然とは思えませんが、本当にお返しはしておかないとろくなことが起きません。

ご利益があったのですから、少しくらいのお返しはされてはどうでしょうか。

あまりあの球団のことを書いて、また何か起きたら私のせいになります。これくらいにしておきますが(…もう遅いですか?)報恩の行為は大切でしょうね。

一昨日でしたか、堀川に行って声をかけるとずいぶん魚が跳ねていました。(その場面は動画に撮ってあります)

鳥たちも相変わらず騒いで近くに寄って来ます。何度もいいますが、動物たちは大災害を予知するなど、人にはない(精神的な)力を持っています。

そのような動物たちが、みな私のことを知っていて、嬉しそうに私のもとに寄ってくるのです。

動物たちが大きな災害を予知できるように、このような動物たちが、何かを教えているのではないでしょうか。

私に悪いことをして災いが起きている人たちもいます。私によいことをして奇跡が起きている人もいます。

そうして、私のいうことを聞き、よいことが起きたにもかかわらず、そのお礼を一切しようとしなかった人たちには、悪いことも起きています。

これは偶然とか、たまたまとかではなく、私がそのようなことを書いている、その書いている人たちに起きているのです。

また、それは人ばかりではなく「あのような場所には災いが起きます」と書いた、その場所にも(地震や大雨などの)災いが起きているのです。

こういうことを偶然とはいわないでしょう。必然というのです。

よいことにせよ、悪いことにせよ、これだけ書いていることが起きている人に、悪いことばかりしていてよいのですか?無視をしていてよいのでしょうか?

現代の人はあまりに考えが足りないのではないでしょうか。

もう少しよい行いをされてはどうですか。その人のお蔭で、心を救われた人は多いからです。

そうして、心が救われたということは、死後の世界もまた救われることになるからです。死後の世界とは心の世界をいうからです。

しかし、不思議ですね。多くの人は、この世のことは先を見通せだの、先のことも考えないといけないだのいうくせに、なぜ、生の先の死のことをいう人はいないのでしょう。

先を見通すのはこの世のことだけでいいのですか?

しかし、人は必ず死ぬのです。一人として永遠の生を持っている人はいないのです。

そうであるなら、生きている時の先ことばかりではなく、その生の先の死のことも考えないといけないのではないですか?

すべての人に死という問題はかかわってくるからです。

死をどれだけ避けようと、しかし、その死は誰にでも確実にやってくるのです。では、死後のことも、もっと真剣に考えるべきではないですか?もっと議論をされてもいいのではないでしょうか?

それなのになぜ多くの人は、この死後の議論をされないのでしょう。死後の世界は誰にも分からないと諦めているのでしょうか?それとも意識的に避けているのでしょうか?

しかし、分からないとか、避けられる問題ではないでしょう。すべての人に、この死は訪れるからです。

先を見通せといわれるなら、生きている時だけではなく、死んだあとまで見通さないと、それは先を見通しているとはいわないでしょう。

その生の先の死まで見通した話を私はしているのです。

だから皆さんと意見が合わないのでしょう。ほとんどの人は、この世のことだけしか考えません。私のように死んだ先までのことは考えないからです。

しかしそれは思考停止以外の何ものでもないのです。途中で思考が停止しているから(生きているまでのところでです)だから、私のいうことがいまいち分からないのであって、死のことまで考えるのなら、私のいうことは非常によく分かるのです。

私は生きている時だけではなく、死んだあとまで幸せに暮らせるその方法を述べているからです。

私たちは生きている時だけではなく、死んだ後もその人生は続いているのです。人は生き通しの生命であるからです。しかし、それを多くの人はなかなか信じようとはしないのです。

私は生きている時のことだけではなく、そのような死後の人生も(あの世のことも)もっと議論されてもよいと思います。(そうすれば、死後の生を信じる人がたくさん出てくると思うからです)

この世には、この世の体験だけではなく、臨死体験をした人や生まれ変わりの記憶のある人がたくさんいるのです。それに釈尊やキリストの教えなどもあります。

そのような人たちの話を参考に、単にあの世はない、と否定してしまうのではなく「もしかしたらあの世はあるのではないか」「あの世があるのであれば、この世にまた生まれてくるという輪廻転生もあるのではないか」「現にお釈迦様は輪廻転生を認めているではないか」「華厳経にはその輪廻転生の部分が書かれているではないか」「かの有名なスエーデン・ボルグもあの世があるといっているではないか」などなど、いくらでもあの世や生まれ変わりの議論など出来るのです。

議論を深めるのは、この世のことだけでよいわけがありません。あの世のこともやはり議論され、その議論を深めていけばいいのです。

そうすれば、死後の生は嫌でも理解出来るようになるからです。そうして、死後の生が分かれば、この法の大事さも理解出来るからです。

どちらにしてもです。この世には不思議なことが数多くあるのです。そうであるなら、この世のことだけしか考えないのは、片手落ちとしかいいようがないでしょう。

繰り返しますが(生きている時はもちろんですが)私は死後の幸せまで考え、このブログを書いているのです。

このブログを無視していて本当によいのでしょうか。

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3月 29 2015

天上界と地獄界

最近、私が歩いているとウロウロするお年寄りが増えたような気がします。

私が道を歩いていると、そこらじゅうで鳥が鳴きますので、すぐに私がいると気づかれるのですが、少し前までは、そのように私がいると気づいて出てくる人は、百パーセント嫌がらせをしにくる人ばかりでしたが、最近はそういう人ばかりではなさそうです。

何か聞きたそうな顔でこちらを見ている人も多いからです。(そういう人はお年寄りがほとんどですが、しかし、そういう人の中でも、まだ半分くらいのお年寄りは怒っていますね…半分以上かな?)

お年寄りは死がまじかに迫っているのです。切実でしょうね。(これまでやってきた信仰がまったく意味がないかもしれないのです。本当に切実でしょう)

そういう諸々のことが(信仰などのこれまでの間違いが)名古屋の人たちは分かってきたのです。

いつまでも怒っている場合でしょうか。(特にお年寄りはそうでしょう。残された時間が少ないのですから、もう怒っている場合ではないでしょう)

今の(心の)ままでは地獄に行く人がほとんどなのです。どうされるのですか?まだお前が悪いと怒って嫌がらせしているだけなのですか?

その悪い私がいたから、いろいろな間違いが分かったのです。少しは感謝されてはどうでしょうか。

それに、その悪い私しか、天上界に導ける人がいないのです。(誰か他にいますか?天上界に導ける人がです。今までの信仰が間違いだと分かったんですよね。〔名古屋の人はですけど〕)

それでもまだ私に嫌がらせをし続けるのですか?

すべての人に寿命はあります。誰もみな遅かれ早かれ死んでいくのです。

その死後の世界が、天上界に行くのと地獄界に行くのとでは、本当に天と地の差があるのです。

このような天上界も地獄界も多くの人たちは、体験として知っているはずです。ほとんどの人たちが、夢の中で、そのような場所に連れられて行ったことがあるはずだからです。

私もそのような体験があります。

私の体験を少し書きますと、天上界に行ったと思われる夢を観た時は、あの教育研究会未来をやめようと思った時のことです。

その日私は、未来の幹部と大ゲンカをし(園頭先生のことでです)もうこの会をやめようと思ったその夜のことです。不思議な夢を観たのです。

その夢の中で私は、ある簡素な家の中にいました。その家の窓から外を見ると真っ青な空が広がっていて、太陽の光もその窓から入ってきています。

部屋の中は畳がひいてあって床の間があるだけでした。部屋の中には何も飾っていないのですが、ただ一つ、その床の間にある柱に一輪花が飾ってありました。

普通であれば「殺風景な部屋だな」と思うはずですが、その一輪飾ってある花が妙にきれいで、その花があるだけでその部屋の中が安らぎ華やいでいます。

「ここは心が安らぐ場所だな」と思っていると、目の前に、その当時の未来の名古屋の支部長さんが座っていて「君はこの未来をやめようとしているが、まだ未来をやめてはいけない」と私にいうのです。

私は「まだ誰にも未来をやめることはいっていないのに、何でこの人それを知っているんだろう」と不思議に思っていましたが「支部長がそういわれるなら」と考えを変えたところで目が覚めたのです。

目が覚めた後も心は安らいでいて、あれは天上界に行っていたのだなと実感しました。(この時、未来をやめなかったことで、あの癌で次々に未来の人が亡くなるという現象を体験したのです)

このような天上界に行った時の夢と比べ、地獄界に行った時の夢を観た時の気分の悪さといったらどうでしょう。

地獄界に行ったと思われる夢は、虫だらけの洞窟に行ったり、墓場のようなところで婆さんに追っかけられたりするような、そんな夢でしたが、その場所の雰囲気の悪さや恐怖感といったらありませんでした。

これは私だけではなく、このブログを読んでいる誰にも経験があることだと思います。

天上界に比べ、あの地獄界の恐怖感、劣悪な雰囲気は気分が悪いにもほどがあるのではないでしょうか。そのような場所に、今の心のままではほとんどの人が死後、行かなくてはいけなくなるのです。

ゾッとしませんか?そのような場所に人によっては数百年もとどまるのです。(自分の心を反省出来るまでです)

そのような地獄界を知るのであれば、私が「もう怒っている場合ではない」といっている意味もお分かりいただけるのではないでしょうか。(それでも、そういう想像ができない人は、最後まで怒っているんでしょうが)

すぐにでも、この法の勉強を始めないといけないし、この法に合わせて自分の心を反省しないといけないのです。

そのような反省をして、自分の心をきれいにして、そうして(法に照らして)自分の心と行いを変えて、ようやく天上界に行ける準備が整うのです。

それを知るなら、今現在、天上界にストレートでいける人が果たしてどれくらいいるのでしょうか?

だから、特別、法を勉強しなくても、そのようなことがすでに出来ている人なら、それはかまいません。その人は地獄界に行くことなく天上界に行けるからです。

しかし、それくらい心が出来ている人なら、私のように鳥や魚が集まってくる奇跡も起きています。鳥が一羽も寄ってこないようでは、自分が天上界に行けるような人とはとてもいえないでしょう。

名古屋のお年寄りの人たちが切実なのはよく分かります。(名古屋にいたから分かったんですからね。自分たちのこれまでの信仰が意味がなかったと)では、そんな何か聞きたそうな顔をしているだけではなく、実際私に聞きに来てください。(「どうしたら救われるのですか」でも「法を勉強したいのですが」でもなんでも結構です。現時点で出来ることを話させていただきますから)

そうしないと救われないからです。

人にいわれたから、あるいは仕方なくではダメなのです。自分で疑問を持って、本当に救われるにはどうしたらいいのか、自分で確かめないと、自分は救われないのです。

法はすべて自力です。他力本願ではありません。(他力では救われないからです)自力本願なのであり、自分を救えるのは自分しかいないのです。(私は単にアドバイザーにしかすぎません)

もう現在の信仰では救われない、今のままでは天上界に行けそうもないと実感している人は多いと思います。(特に名古屋の人は)

では、どうされるのですか?

一歩踏み出す勇気が、自分自身を救うのです。

追伸…プロ野球が始まりましたが、どこかの球団、予想以上のつきのなさですね。(何せ、開幕戦、二戦目ともにサヨナラ負けですからね。開幕戦など勝ててた試合ですし)しょっぱなからこんなこと、球団史上初の出来事だそうですが、こういうことになるのです。

法を説く人に嫌がらせなどすれば、一変に天がソッポを向きます。そうなると、こんなつきのない試合が続くのです。

名古屋は、そのようなつきのない人が続出中なんですが(何せ、私に嫌がらせする人が続出中ですから。〔苦笑〕)このようなつきのない現状を打破するためにも、私に詫びを入れ、そうして少々の寄付くらいされてはどうでしょう。

そうすれば、つきもよくなり、よい成績も上げられるようになるからです。(そういうことをするなら天も協力するからです)

名古屋の有名球団が、それを真っ先にやって成績がよくなるなら、名古屋の人たちもまねする人がたくさん出てくると思います。ぜひ、名古屋の人たちを救うためにも、それをしてください。

などと書いたところで、どうせそんなことするわけありません。この球団、やはり私がいった通り、今年はBクラスでしょう。(下手したら最下位かもしれませんね)

そのような調子が悪い球団に比べ、サッカーの日本代表チームは調子がよさそうです。あの監督は期待できるそうです。サッカーの日本代表チームは頑張ってほしいですね。

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3月 28 2015

心の勉強の合格者の成否

昨日は、ずいぶん怒っている人が多かったんですが、前回のようなブログを書くと必ずそういう人がいます。

何度もいいますが、怒った後、ではどうされるんですか?

名古屋の多くの人はそこで考えが止まっているのです。私が悪いと私に嫌がらせをして、そうしてあいつが悪いと、あとは私の悪口をいってそれで終わりです。

それではいつまでたっても同じ結果しか出ません。

その後のことを、もう少し考えられてはいかがでしょうか。これだけ災いが続いているのですから。(奇跡が続いているなら、そのままでいいんでしょうが、災いが続いているのです。それを、そのまま続けていては災いがずっと続くことになるからです)

しかし、凄い心の勉強を名古屋の人たちはしていると思いますが(まともに神の業が現れているんですから)それにしても、この勉強はよほど難しいようです。

だってまだこの名古屋で、この心の勉強の合格者は誰もいないからです。(合格しているなら、私に協力するでしょうし、自分の周りに起きて来ることも変わってきます。〔もちろん奇跡が起き始めます〕そういう人はまだ誰もいないでしょうからね。名古屋では。逆の現象〔災い〕が起きている人はたくさんいるようですが…もちろん、そのような人たちは不合格者です)

しかし、この心の勉強に合格しないと天上界には行けません。どうされるのでしょうか?

釈尊やキリストも大変だったでしょうね。釈尊やキリストの在世当時も、昔からの考えを頑として変えない人は多かったでしょう。そういう人たちの心を変えることは並大抵のことでは出来ないからです。

並大抵のことでは出来ませんが、しかし、当時の人は神を信じている人ばかりであったし、奇跡を現せば心を入れ替える人も多かったでしょう。(純粋に神の業に対しては驚く人が多かったでしょうから)

釈尊やキリストほどの神通力を持たれている方々であれば、普通以上のことを次々にされるのですから、そうであるなら、釈尊やキリストを信じる人も多かったでしょう。

しかし、現在の日本くらい、神に対し無知で、神の業に興味を示さない人たちはいません。(というか、逆に神の業に対し怒っていますけど。〔汗〕)これでは法を拡げようがないですね。(苦笑)

特別名古屋だけではありませんが、このブログを読んでいる人たちでも、心の勉強に合格している人はほとんどいません。

とりあえず、ウナッシーさんや北海道の賛助会員の方など合格ラインにいますが、この二人の方でさえ、そこからどこまで心を成長させることが出来るか、単にスタートラインに立っているにすぎません。

それにどれだけ先を走っていようと、途中で道を間違えてしまう人や、こけてリタイヤされてしまう人もたくさんいます。(高橋先生や園頭先生の弟子たちがそうです。法を間違えてしまう人や法の勉強をやめてしまう人などたくさんいます。当然そのような人たちは不合格ですが、あの人たちが不合格であるということは、奇跡が起きなくなったことでもそれがよく分かります)

今生の心の勉強はそれほど難しいということです。(今生は、法がなくても生きては行けますし〔心の部分があまり重要視されていません。唯物論の弊害です〕また、心の部分一つとっても選択肢が千年、二千年前と比べてはるかに多くなっています。現代は、心のことを説く人は宗教家だけではなく、精神科学という分野がありますように、医者や科学の世界の人たちや、またカウンセリングやコーチングといわれるますように、自分で精神面を勉強した人たちまでいうようになりました。昔のように、心のことを説くのは宗教家だけではなくなっているのです。これだけ多くの心を説く人たちがいる中で、本物の人を探さないといけないのです。これは昔と比べてはるかに難しいのです)

それだけ難しい時代に生まれているということですが、しかし、どれだけ難しい時代に生まれても、その中で本物を見つけて、そうしてしっかり心の勉強をしてきます、と誓って、この世に出てきている人ばかりなのです。

「今生の修行は難しかった」などと、いくらあの世に帰ってからいっても、それは泣き言以外の何ものでもありません。

せっかく名古屋など、その心の勉強がしっかりやれる、そんな環境が整っているのです。(これ以上の場所はないと思うんですが、なぜみなさん怒ってるのでしょう?)やらなければ損でしょう。

これだけ分かりやすい現象が現れていて(正しい人には奇跡が、悪い人には災いが現れている)それでもまだ心の勉強をしようとしない(今度は自分の我が邪魔をしてです)どれだけ心の勉強とは難しいのかとつくづく思いますが、それをしなくて後悔するのは自分自身なのです。(並みの後悔ではありません。大変な後悔を後ですることになるのです)

毎日のように災いが現れているところもあるようです。それをどれだけ怒ろうと、それでその現象が止まるわけではありません。

心を入れ替え、行いを変える以外、その災いを止める方法はないのです。では、心と行いを変える以外ないのではないですか?

現に、この法に合わせた生活をしている私には、一切災いは起こらず、奇跡が次々に起きているのです。

この法が正しいと、私は身をもって皆さんに伝えているのです。これ以上の証明が他にあるのでしょうか?

私は口だけではありません。身をもって、この法の正しさを皆さんに伝えているのです。そうであるなら、もういい加減それを理解する人も出てきてもいいのではないでしょうか。

どれだけ金を儲けても、それで心がきれいになるわけではありません。どれだけ地位や名声を得ようと、それで心がきれいになるわけではありません。当然ではありますが、どれだけ責任転嫁をしようと、人の悪口をいおうと、それで心がきれいになるわけではないのです。

どれだけ金や地位や名声を得ても、それをあの世まで持って行けた人は一人もいません。責任転嫁や人の悪口などいっていては心は汚れるばかりです。

人はいずれあの世に帰ることになります。

そのあの世に帰る時に(死ぬ時に)汚れた心のままでは、自分が一番後悔するのです。

反省されてはいかがでしょうか。

心の勉強の合格者、その人のみが救われるからです。

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3月 27 2015

新しい季節

昨日は暖かかったですね。(今日はもっと暖かいそうですが)

昨日は季節が変わったなと改めて思いました。というのも、それを実感するようなことがいろいろ起きたからです。

まずツバメが飛んでいたことです。昨日白鳥公園に行って、しばらくするとツバメが私の頭上を飛んで行きました。

「あれ、ツバメだ」と思って「おう、もう来たのか」と声をかけていると、そのツバメが何度も私の頭上を飛んでいました。

それだけでも春を実感できますが、堀川沿いを歩いていると、今度はその堀川で魚が跳ね出したのです。

あっちで跳ねたり、こっちで跳ねたりしています。あちこちで川に向かい声をかけていると、五匹も十匹も一変に魚が跳ねたところもありました。

水鳥もほとんどいなくなって(カモメがほとんどいなくなったのは少々さびしいのですが)ツバメが飛び出し、魚も跳ね始めたのですから、季節が変わったのを実感しないわけがありません。

桜はまだ咲いていませんが(白鳥公園の桜は、昨日の時点ではまだほとんど咲いていませんでした)そのような花ではなく、このような鳥や魚で季節の変わり目を実感するところが、私らしいですね。(笑)

昨日、一昨日と動画を公開したのですが、どうですか、なかなか愛嬌がある動物たちが多いのではないでしょうか。

何が一番可愛く感じられたのかは人それぞれでしょうが、愛を与えれば、必ず愛が返ってきます。この愛の少ない世の中で(愛をもらうことばかり考えるのではなく)もう少し自分から愛を出されてはどうでしょうか。

一人一人が少しずつでも愛を出されるのなら、今のような殺伐とした世の中も、もう少しよい世の中に変わるからです。

特に名古屋にいるとそれを実感するのですが(まだサイレンも止まっていませんし)私に嫌がらせをしている人たちなど、では、その後はどうされるのですか?

いっている意味分かりますか?

私にどれだけ嫌がらせをしようと、それで自分自身が救われるわけではありません。むしろ地獄に堕ちる確率がドンドン高まるだけです。(それだけ罪をつくることになるのですから)

だから私は「私に嫌がらせをしている人たちは、その後どうするのですか?」と聞いているのです。(「地獄に直行じゃ」とか開き直られても困りますが)

特にお年寄り連中はどうされるのですか?もう先が短いのだし、下手すれば明日にでも死ぬかもしれません。(それだけよぼよぼの人も私に嫌がらせをしていきますので)

正しい信仰も正しい祈りも知らず、地獄極楽もよく理解せぬまま、その正しい信仰から正しい祈りから、神からあの世のことまで、すべて教えてくれた人に嫌がらせをしたまま、それを少しも反省せず死ぬのです。

そのような心のまま死ねば、まず地獄行きです。それでもよろしいのですか?

名古屋にいて、私に嫌がらせをしていくような人は、もうお経を上げようが、何をしようがそのままでは救われないと知っているはずです。

それとも、私に嫌がらせをすれば救われるとでも思っているのでしょうか?そう思っている人はまずいないでしょう。これまで信じてきたことをことごとく否定され、そうして病人がこれだけ続出しているのです。

これだけのことが起こり、平常心でいられる人がいるわけがありません。名古屋の人たちは、そういう諸々のことが起きたので、それが面白くなくて、私に八つ当たりしているだけなのです。

しかし、私に八つ当たりしているだけでは救われません。

これだけのことが起きているのです。では、どうすれば救われるのでしょうか?

それがはっきり分からないまま死んでいくのなら、そういう中途半端な心の世界に堕ちて行きます。

そのような迷いの心で死んで、救われることは百パーセントありません。今のように迷いに迷い中途半端な心のまま死ねば、その迷いに迷った世界に行くだけなのです。

お前が迷わしたのであろうという人がいるなら、これまで通りの間違った信仰を信じたままあの世に行っても、どちらにしても地獄行きです。今のように、疑問を持ったまま地獄に堕ちた方がまだ早くその地獄から上がれるのです。(救いはそのような疑問、追求から始まるからです。間違ったものを信じていては永遠に救われません)

だから、今のような状況になった方が早く救われる人が多いのですから(それに名古屋の人はすでに神もあの世の存在も知っています。そういうことを知っているだけで悟りも早くなります)今のような状況になったことに感謝してもらわないといけませんが、しかし、今のような状況では、単に前よりはましになったという程度でしかありません。

迷う心があってはどちらにしても天上界には行けないのです。

天上界に行ける心とは、私のようにすべての動物たちが喜んで寄ってくる、そのような愛があって反省が出来る、素直な心にならないと行けないのです。

そうであるなら、死んでストレートに天上界に行ける人などほとんどいないのではないですか?何せ、この辺りは小さな子供でさえ素直に私のいうことを聞かないからです。平気で私に嫌がらせをしていくからです。(ということは、それだけ大人から子供まで愛のない人が多いということです。鳥が寄っていかないのも道理ですね)

特別、年寄りだけではないでしょう。すべての人に死は訪れるのです。早いか遅いかだけです。

それに不慮の事故や病気もあります。若い人でも明日死ぬかもしれないのです。そういう自覚(明日死ぬかもしれないという)は誰でも持っていないといけないでしょう。そういう考えが全くなくいきなり死ぬことになると、それはそれで心が混乱し、やはり地獄に堕ちないといけなくなるからです。

これは誰に対してもいえることですが、大丈夫なんですか?この期に及んでまだ何もしようとせずにいてです。

これだけの動画を公開しているのです。それに名古屋に起きている現象だけでも尋常ではありません。これほどの現象が現れていて、それでもまだ誰が本物で誰が偽者か分からない、では救われようがないのではないでしょうか。

ここに公開している動画は作り物ではありません。すべて、動物たちの自然な姿を撮ったものばかりなのです。その動物たちが、大変嬉しそうな姿を私には見せているのです。

これは一体どういう意味なのでしょう。

動物たちは、大災害など起きる前にそれを予知する力があるといいます。(だから、大災害が起きる前などに動物たちは、異常な態度を取るのです)動物たちは、人には感じない何かを感じて、このような嬉しそうな態度を私に取っているのではないのでしょうか。

動物たちが感じている何か、そうして、これほどの現象が(特に名古屋に)起きている、本当の理由を、もういい加減理解しなければいけないのではないでしょうか。

その本当の理由を理解した時、初めて天上界のへの道が、迷いのない正しい道がついてくるのではないでしょうか。

どちらにしても、私に嫌がらせをしているだけでは少しも救われません。(何度も書いていますように迷うだけです。何で迷うのですか?私に逆らっているからです。私に従うのならその迷いの道は解消されるのです。私が正しい道を知っているからです。だから動物たちは私のもとに喜んで寄ってくるのです。私が唯一の正しい道であると動物たちは知っているからです。何度もいっていますが、この現象は釈尊やキリストにも起きています。同じ理由からです)

私に嫌がらせをした後、ではどうするのですか?

季節も変わりました。(冬から春にです)では、季節と同じように自分の心も変えられてはどうでしょう。

そうすれば本当の春がやってくるからです。

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