1月 26 2016
布施の意味
しかし、あちこちで奇跡が起きてきましたね。法を実践する人が増えてきた証拠でしょう。
いい方は変ですが、法に逆らう人にこれだけ災いが起きているのです。では、従う人に奇跡が起きるのもある意味当然でしょう。
本当の神の教えとはそのようなものであるからです。(必ず、なにかお蔭があるというです。よいことも悪いこともお蔭ですから)
例えばです。昨日書いたような祈りをしたら、すでにそのことがなっている(キリストがいわれた「すでに得たりと信ぜよ、さらば得るなり」です)ということを心にアリアリと描き、そうして「神よ、このようにならしめてくださりありがとうございます。ありがとうございます」という神への感謝の祈りをして、そうして最後に神にしっかり感謝して、その祈りを終わりにするのです。
そうすることで願いが叶うのであり(もちろん、それが正しい祈りであればという前提ではありますが)それが正しい祈り方なのであって、その最後の神への感謝の祈りは絶対に忘れてはならないのです。
私たちは人に何か頼み事をしたら、それをしてくれた人には必ずお礼をいいます。こちらから頼みごとをしておいて、何もお礼をいわない人などまずいないでしょう。
それと同じで、神に何か頼みごとをするなら、必ずお礼はいわないといけないのです。それが当たり前の礼儀であるからです。
ものを頼むだけ頼んでおいて、何のお礼もしない人がいたとしたら人はどう思うでしょう。
そんな人がいたら、誰でも「なんとあいつは礼儀を知らないのか」と思うはずです。
そういう人にはなってほしくありませんが、そういう人が多いようです。
せっかく、奇跡が現れているのに、その奇跡の現し方を教えてくれた人に少しのお礼もないというのはそのようなことなのです。
もし、そのようなことを続けているのなら、それは罪になると思われないでしょうか?
そういう礼儀を知らないということもまた罪なのです。
だから、私はいっているのです。「少しくらい布施されたらどうですか?」とです。それは、私のためにいっているのではないのです。その奇跡が起きた人のためにいっているのです。
結局、そのような罪を残しておくなら、いずれその罪は自分に返ってくるからです。
これは奇跡が起きた人ばかりではありません。このブログを読み、心が救われた人も同じなのです。
また、何か気づきを与えられた人も同じでしょう。そのようなことは自分にとって、どれほどプラスになっているのか知れないからです。
では、その自分にプラスを与えてくれた人に対し、何のお礼もしなくてよいのでしょうか?
よいわけありません。そのようなことをしてくれた人に、何のお礼もしなければ、それは礼儀を知らないということで罪となり、その罪はいずれ自分に返ってくるからです。
だから私は「布施してください」といっているのです。
その布施が私へのお礼となり、それが自分の罪を残さないことにもなるからです。
そうして、感謝の心が強ければ強いほど、その思いは今度は自分に返ってきます。
それがまた奇跡という結果となって現れてくるのです。
それが正の連鎖ということです。(善因善果です)
私が「布施してください」といっているのは、私のためにいっているのではないのです。このブログを見ている皆さんのためにいっているのです。
そのような善の行為が、結局、自分を救うからです。(だから、布施をもらわないといけないと天が私に指示したです。それは私のためにそういう指示があったのではなく、このブログを読んでいる人のために、天はそのような指示を出したのです)
布施の意味が少しはお分かりでしょうか。
布施は人のためにするのではなく自分のためにするということです。
「情けは人のためならず」です。
人のためではなく、自分のためにも、少しでも救われたと思ったのであれば、お返しの行為はするべきなのです。
そのような善の行いの積み重ねが自分の心を成長させることにもなるからです。
(ケチな態度など心を狭めるだけです。もう少しおおらかになり布施などされてはどうでしょう。そのような行いが心を広げるコツであるからです)
追伸…あるプロ野球の選手が「三割、三十盗塁、チームの優勝」のために、滝行を行ったそうですね。
その選手、このブログを知らないんでしょうか?(このブログを知っているプロ野球選手はたくさんいるはずですが…)
ずいぶん時代遅れなことをしています。そんなことをしたところで(体はきれいになるかもしれませんが。〔笑〕)何の奇跡も起きないからです。
そういうことをわざわざこの寒いのにしなくても、心を変えるだけで、そのような目標は達成できるのです。(自分の心と行い次第です)
そういう習慣から、なかなか抜け出すことが出来ないのかもしれませんが、間違った行いなどいくらしたところでまったく意味はありません。(それどころか、こんな寒いのに滝行などしたら体を壊しかねません)
早く正しい教えを知って、それを実践してください。
そうすれば、そのような目標も達成可能であるからです。



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