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2016年1月

1月 21 2016

死の意味

本当にもったいない話です。

この教えを勉強するなら、不幸なことが不幸でなくなるというのにです。

昨日の話をもう少し書きますが、あのNHKの番組では、その鎮痛剤を打った医師も、それを容認した家族もみな悩むのです。

自分が、その鎮痛剤を打った人を殺してしまったのではないのかとです。

殺したとまではいいませんが、実際このような行為は間違っています。こういうことをするなら、した人もまた何らかの罰は受けないといけなくなるでしょう。

それがどれだけよかれと思ってやっていることでも間違いは間違いだからです。(こういうところが、この世の修行の難しさですね)

この世の修行とはそのようなもので、どれだけ自分では人助けをしたと思っていても、それが間違った行為であるならば、罰は受けないといけないのです。

これと同様、植物人間になってしまった人をそのまま生かすのか、それとも点滴を抜いて殺してしまうのか悩むのも同じなのです。

植物人間の状態とは、もう肉体が事故などでどうしようもなくなって本来なら死ななければ(あの世に帰らなければ)いけないのに、その魂が肉体から離れず、それで意識がないままでも生きている状態をいうのですが、この植物状態になる人も同じなのです。

このような人も家族に愛があるなら救えるからです。

なぜ、このような状態になるのかといえば、やはりこのような状態になっている人が死の意味を知らないからです。

死の意味を知らないがため、もう自分の肉体はどうしようもないと分かっているのに、そのどうしようもなくなった肉体から魂が(本当の自分が)怖くて離れられないのです。

だから、意識がないまま生きているという状態が続いているのですが(例えば、脳などが壊れてしまってはもう意識は戻りませんから)こういう場合は、この怖がって離れられないその人の魂に呼びかけ、そうして祈ってあげるとよいのです。

「死ぬことは怖いことでもなんでもないのです。どうぞあなたはこの肉体を離れ、帰るべき実在界へお帰りください。神よこの方に光をお与えください。安らぎをお与えください。どうぞ正しくお導きください」

と祈れば、その人がそれを理解した時に、その魂は肉体から離れ、その植物状態の人は自然と死に至るということです。

マッ、実際はもう少し詳しく、そうして心行なども上げてやってあげないと、しっかり成仏できないとは思いますが、簡単に書けばこういうことなのです。

家族が愛を持って祈ってあげれば、その植物状態の人は、いつまでもその肉体にとどまらず、自然に亡くなるということです。

植物状態の人を持つ家族は、いろいろな面で(その人の世話だけではなく、植物状態を維持するためのお金もかなりかかるようですし)大変だと思いますが、そのような人たちも法を知るなら、誰に無理をかけることなく、自然によい方に導かれていくのです。(家族が亡くなるのがよいこととはいいませんが、昨日も書きましたが、その家族とはまたあの世で再会できます。とにかくこのような場合はまず生きている人が救われる道を選ぶべきなのです。それがしいては亡くなった人も救うことになるからです)

いいにくいことではありますが、死は避けられるものではありません。

どれだけ若かろうが、丈夫であろうが、死ぬ時は死ぬのです。では、その死の意味をよく知り、その心がけだけはしっかりしておいた方がいいでしょう。

死ぬ間際に慌てて取り乱しているようでは地獄行きだからです。(またこの植物人間のように肉体に執着し、死を恐れているのもまた地獄であるからです)

その本当の死の意味を知ることが出来るのは、この法を勉強することだけなのです。(死はこの肉体の世界からの卒業でしかありません。肉体の世界を卒業したあとは今度は意識の世界で勉強するのです)

また、法を勉強するならばこれまで書きましたように、様々な苦しみから救われることが出来ますし、その苦しみを体験しないでもすみます。(心がよくなればおかしな病気やけがなどしないからです)

そうして、その苦しみから奇跡的に救われることも出来るのです。(ひどいけがや病気が奇跡的に治るということも当然起きます)

何度も書きますが、この教えを勉強するならばすべての面で救われて行くのです。

昨日、今日書きましたことは現実として起きていることであり、いつ自分がそのような体験をするか分からないのです。

他人事ですましておけることでもないでしょう。そういう時の対処の仕方など、すべて真剣に考えておかないといけないことなのではないでしょうか。

それがこの世の勉強であり、この世の修行は、いつ、どこで、どのようなことが起きるのか、自分の心の在り方次第で分からないからです。

私たちは明日死ぬかもしれないのです。

だからこそ「もういつ死んでもよい」そのような執着のない、やることをやっているからあの世に行くのもまた楽しみだ、といえるような生活を常に心がけないといけないのです。

この世も楽しければあの世に行くのもまた楽しみ、そのような死を怖がらない生活こそ、本当の楽しい生活であるからです。

現実を見ようとしない、自分のことしか考えない視野の狭い生活など、所詮はうわべだけの偽りの楽しい生活でしかありません。

そんな生活の仕方など砂上の楼閣でしかないのであって、いつその生活が壊れるか知れないもろいものなのです。

しかし、どのような場合にも対処できる智慧があるなら、どのような苦労が降りかかろうともそれに負けることなく、幸せな生活は続けることが出来ます。

どんな不幸が起きても、それを幸せに変えられるその実践こそ大事なことであり、その方法を知ることはなお大事なことなのです。(方法を知らないと実践できませんから)

そのような本当の楽しい生活をするためにも、法は勉強しないといけないのです。

法を知ることこそ、唯一の本当の幸せを手に入れることが出来る、その方法であるからです。

追伸…何か最近は力技が多いように思いますが、楽しいですか、そういうのって???

姿かたちばかりきれいにしていても救われません。心をきれいにしないと救われないのです。(今のままだと失格者が続出ですが…)

我を出すのではなくもっと愛を出されてはどうでしょう。

その愛が自分を救うからです。

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1月 20 2016

不幸なこと

北日本から日本海側は、大雪になっているところもあるようですが(北海道なんか大荒れですね。だから私はいっているのです。早く原発を動かした方がいいとです)今日は名古屋もずいぶん雪が降っています。(何センチくらい積もっているのか知りませんが)

この雪くらい真っ白な心の人が多ければ、このような災いも収まるのでしょうが、雪とは正反対の真っ黒な心の人が多いようです。だから、これだけ災いが続くのです。(少し前まで暖冬といわれ、さほど寒くなかったのに、一変に寒くなってこの大雪です。この極端さ。まさに多くの人の心を表しています。中道の心を持った人が少ないのです)

昨日でもそうです。

庄内川の帰りに行きかうほとんど人は、私の顔を見れば嫌がらせをして行くのです。横の道路を走るバスやトラックもブシュブシュやって行きます。(前に比べれば減りましたが、それでもまだそんなことをしているのです。〔本当に遅れています〕何かもう意地だけのような気もしますが)

この辺り、悪いことが止まらないので(今日も朝からサイレンが鳴りっぱなしです)それを全部、私のせいにして怒っているのでしょうが、そういう責任転嫁と八つ当たりを続けても汚い心がよけい汚れるだけです。(これ以上、心を汚してどうするのでしょう。しかも大人から子供までです)

サイレンなど、もう日本中で響いているのです。

なぜ、このようなことが起きているのか?

人のせいばかりにしているのではなく、もう少し謙虚になり、自分自身を反省してみてはどうでしょう。

そうすればまた別の答えも出てくると思うからです。

昨日NHKの番組で安楽死のことをやっていました。(正確には安楽死ではないのですが)

末期癌で余命数日という人に鎮痛剤を打って眠らせて、そのまま死を迎えるということは是か非かという内容のものであったと思いますが(簡単にいえばです)そのような番組内容はともかくです。

癌の末期になると、その癌の痛みはどんな痛み止めを打ってもとれないようです。(モルヒネを打とうが何を打とうがです)

昨日の番組に出て来た人も(爺ちゃんでしたが)「痛い、痛い」と顔をしかめながらベットに横たわっていました。

その癌の痛みがひどい時は一日中続くそうです。

その痛みを見るに見かね、そうして、そのような痛みが続いている癌患者は少しでも早く楽になりたいと、その鎮痛剤を打つことに同意する人もいるようですが、こういうことをしても結局同じなのです。

その鎮痛剤を打って眠らせて、そのまま死んで行くのなら、見た目はその方が楽なように見えますが、亡くなった人は、その癌の痛みを引きずったままあの世に行くことになります。

では、その痛みはそのままで、結局あの世(地獄界)で苦しみ続けるということになるのです。

そんなことをどれだけしたところで、見た目が楽そうなだけで、実際は痛みで苦しみながら死んで行った癌患者は、何も救われていないということを知るべきなのです。

こういう番組を観ていても思うのです。「だから、早く法を拡げないといけない」とです。

法が拡がるのなら、このような苦しみはなくなるからです。

そのような癌の苦しさに耐えかね、あるいは家族の苦しみを見るに見かねて、少しでも早く楽にしてあげたいと、どのような薬を打っても、実際に死が近くなれば、その苦しんでいる人を救うことは出来ないのです。

死が近くなればなるほど、すでにその苦しみは肉体の苦しみではなくなっているからです。その苦しみは心の苦しみでしかないからです。(だからこの世の薬が効かないのです。この世の薬は肉体にしか効かないからです)

しかし、心の苦しみであるなら、もう、この世の薬で癒す必要はないでしょう。回りの家族の愛で癒すことが可能であるからです。

実際に私は、その愛で(祈りで)末期癌の人の癌の痛みを癒したことがあります。(証人がいますから。その方は賛助会員の方ですから)

回りの家族に愛があるなら、薬などに頼らなくても末期癌の患者の癌の痛みはとれるのです。愛の心で祈るなら、その願いは天にきかれ、末期癌の患者の癌の痛みがなくなるという奇跡も起きるからです。

そういう奇跡が起き、末期癌の患者の痛みがとれるのであれば、もうその人が痛みで苦しむこともなくなり、家族がそれを見て苦しむということもなくなるわけです。

もう死期が近いという寂しさや悲しみは、もちろんあるのでしょうが、その寂しさや悲しみも一時のことなのです。

いずれ自分たちがあの世に帰るなら、また、その人と再会できるからです。

それならまた希望も湧いて「また、あの世で会えるのだから、これからあの世に帰るまでこの世でのことをしっかり反省して、あの世に帰ったら天上界で待っていてね」という話も出来るわけです。

法が拡がり、それを実践する人が増えるのなら、このようなことが可能になってくるのです。

そうであるなら、癌で亡くなる人も、またその家族も、それほど不幸とは思わないのではないでしょうか。死などほんの一時の別れにしかすぎないからです。(だから、死という言葉はもうなくした方がいいと思います。「あの世に帰る」これですね)

とにかくです。これほどの教えがあるのに、それを無視しているのが一番悪いのです。(だから悪いことばかり起きるのです)

この教えが拡がるのなら、世の不幸と思っていることがドンドンなくなっていきます。

いつまでくだらない意地を張っているのでしょう。

そのようなくだらない意地を張っていることが、一番の不幸なことなのです。

(末期癌の人の癌の痛みをとるなどということはよく考えたら凄い奇跡ですよね。法が拡がれば、そういう奇跡も普通に起きるのです)

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1月 19 2016

時代にあったやり方

今日は静かですね。(今のところはですが)

また、何か起きたようですが(朝早くにでかい音を立ててわざわざ教えてくれますから)悪いことを人のせいにしている間は、悪いことは起きます。

早く、そのことを反省し、愛と慈悲の心を持つようにしてください。そうすれば災いどころか奇跡が起きてくるからです。(この辺りの人たちは自分が悪いとは絶対に認めませんから。どれだけ悪いことが起きても自分が悪いとは認めません。〔責任転嫁しているだけです〕呆れますね)

その愛と慈悲の心で動いたお蔭で、急転直下奇跡的な解決がなされました。

よかったですね。元の鞘に収まったんでしょう。まさか元の鞘に収まるとは思いませんでした。(なんか揉めたくっているような記事も出ていましたので)これも一つの奇跡ですね。

ただ、元の鞘に収まったとはいえ、今のままではダメになります。今のままとは、今の心のままではダメだということです。

今の心のままでは、この問題がサラッと流れずにしこりとして残り、後々何らかの災いがまた起きることになるからです。

だから、このことをしっかり反省したら、今度はもっと自分たちの心を向上させないといけないのです。五人の心が今より向上して、そうして初めてこの問題は解決されるのです。(それは何でもそうです。大きな問題が起きたら、それを契機として自分の心を成長させないといけないのです。〔そのことをしっかり反省することはもちろんですが〕そうしないと、その大きな問題は後で必ずぶり返すからです。いったん収まった問題が後でぶり返して結局決裂した、という話はよく聞きますが、それは、その問題を起こした人たちの心の成長がなかったからです)

これだけ多くの人が関心を持ち(何せ、世界のニュースになりましたから)解散や分裂を心配したのです。

それに感謝の心を忘れず、愛と慈悲の心を一としてやるなら、この先何が起きても乗り越えられるでしょうし、そのような愛と慈悲の心の実践が自分の心を向上させることになります。

こういうこともあったと、後で笑って話せるくらい、大きな人になってもらいたいものです。(そうでなければスーパーサイヤ人にはなれません。〔?〕)

それにしても、この解散話が表に出てわずか一週間のスピード解決です。(普通ならもっと揉めるでしょう)

あの私と少し何かあった人が愛と慈悲の心を実践したから、このような奇跡が起きたのです。(ネ、私とケンカするとそれなりに教えられるでしょう。〔笑〕全然その教えが身になっていない人が多いんですが…特にこの辺りは。〔苦笑〕)

では、それに倣(なら)い、愛と慈悲の心を一として、今後の活動もやっていただきたいものです。そうすればまた奇跡が起きるからです。

もう、二十世紀然としたやり方は古いのです。(愛も慈悲もなく、ただ責任を取らせるだけのようなです。責任を取らせるにしても、必ず、愛と慈悲の心は忘れてはならないのです)

だから、すべてにおいて、変えないといけないのです。二十世紀(末法の世)と二十一世紀(正法の世)は全然違うからです。

二十一世紀には二十一世紀という時代にあったやり方があります。そのような時代にあったやり方をしていかないといけないのです。

そうすれば(何度もいいますが)奇跡が起きるからです。(奇跡が起きている私がいうのですから間違いありません)

二十一世紀は心の世紀であり、愛と慈悲と調和を重んじなければいけないのであり、それを一とするならば、奇跡は起き必ずよい方向に導かれて行くのです。

だから、これまで通りのやり方をしているところには災いが起きますし、これまでのやり方を変えないといけないことはたくさんあると思います。(愛と慈悲の心が少なければ少ないほど悪いことが起きます。この辺りもそうですし、あの騒がれているスキーバスの事故のようなこともそうです。海外で増えている、飛行機や客船で多くの人が死ぬという事故もそうです。愛と慈悲の心がなければあのようなひどい事故が起きる時代となったのです)

元々愛と慈悲がこもっているやり方であるなら、それは変える必要はありませんが、もう前例に沿う必要はないのです。

逆に、前例が愛も慈悲もないようなやり方であるなら変えないといけないのです。

そうしなければ損をするどころか災いが起きる、すでにそのような時代となっているからです。(だから憲法改正も必要なのです。二十世紀の憲法などもう時代遅れもいいところだからです。もっと愛と慈悲と調和ある憲法に変えないといけないのです。愛、慈悲、調和という神の心は、すべてのものに生かされないといけないからです。だから憲法といえども例外ではないのです。そのよう愛と慈悲と調和ある憲法が日本に出来れば日本に奇跡が起きるのです。神の心が日本の憲法に常に流れていることになるからです)

そう考えれば、なぜ現在これだけの災いが起きているのかお分かりいただけると思います。

多くの人が、二十世紀の心のままでいるからです。だから、これだけ災いが起きているのです。

すでに二十一世紀となり時代が変わっているのです。では、その世紀にあわせた心にならなければいけないのは当たり前のことであり、そのように心を進化、向上させないから悪いことばかり起きてくるのです。

小さな心で我ばかり通していればもうろくなことは起きません。

早くその小さな心に気づいてください。

それに気づいて、そのような小さな心を直すのならば、それだけでもう奇跡が起きる時代となっているからです。

(この辺りの人は時代に逆行しているのです。だから災いばかり起きてくるのです)

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1月 18 2016

本当の信仰

なんか凄い天気ですね。東京など大雪になっているようではないですか。(こちらは雨が降っているだけですが)

今日から荒れた天気が続くそうですが、多くの人の心と行いが悪いとこのような天気にもなるでしょう。早く正せばよいのにとつくづく思います。(また、このような大雪で不幸になる人がたくさん出るからです)

おかしな宗教のおかしな予言ではないのです。(何月何日に地球が滅亡するとかなんとかのです)

現実に目の前で起きていることなのです。(天変地変にせよ、サイレンにせよです)

何でそれに対し無策でいるのでしょう。(無策といういい方も変ですが、昨日の大河ドラマ「真田丸」の影響ですね。〔笑〕)

このようなことが次々に起きているということは、凄い勢いで時代が変わってきているということなのです。(それにまったく気づいていない人が多いのですが)

ということは、その時代に合わせた心と行いにこちらもしていかないといけないのであり、いつまでも同じことをしていてはいけないのです。(今日も怒っているようですが〔たまにでかい音をたててです〕毎日同じことをしています)

毎日のようにレベルが上がって行くという人が、スポーツ選手などたまに見受けられますが、あれと同じように、このような時代になれば毎日のように心のレベルが上がって行かないといけないのです。

それほどの勢いで時代が変わっているからです。

運動能力などは肉体的な限界があり、上がりっぱなしというわけにはいかずに年齢に応じて下がってくるものですが、心のレベルは違います。

年や性別に関係なく、いくらでもレベルアップすることが出来るのです。よい人間になるのには限界はないということです。(もちろんいくらでも落とすことも出来ます)

そのよい人間の最終目標が釈尊やキリストという方々なのですが、そのような目標が私たちにはあるのであり、それに気づいて、その目標に向かい心のレベルアップをしている人には奇跡が、それを怠ったり、否定したりしている人には災いが、ちゃんと起きているのです。(この辺は特に顕著にそれが現れています)

昨日も書きましたが、もうどこにも逃げ場はないのです。

やれば幸せになり、やらなければ不幸になる、それだけのことなのです。怒っていても仕方がないのではないでしょうか。(物を投げたくって、ガンガン音を立てまくってますよ。子供と同じですね)

こちらの状況が状況ですので、どうしてもそれに合わせた書き方になるのですが、いつまで駄々をこねているのでしょう。どれだけ駄々をこねて逆らったところで、それでは誰も救われないのです。(そういう無反省な態度を取り続けているから起きているのでしょう。恐ろしい現象がです)

怒っているだけではなく、いい加減理解されたらどうでしょう。今の危ない状況をです。

それはどこかの会社の人たちだけの話ではないでしょう。

特に、この辺りは危ない人が多いと思います。(なにせ、これまでの行いが行いですから)

悔い改めて、本当の信仰を始めてはどうでしょう。本当の信仰などそれほど苦になることでもないからです。(そうですよね、ウナッシーさん)

肉体行をするわけでもなく(あんなの苦しいだけで悟りとは何の関係もありません。釈尊が肉体行を捨てられたあと悟られたのがそのよい例です)禁酒禁煙をするわけでもなく(ただ健康のために〔特に女性などは子供を生まなければいけないのですから〕すぎるのはいけないとはいいますが、そのような健康の害になったり、それに逃げたり、おぼれたりすることはいけませんが、気分転換のためならOKです)今の生活を大きく変えろというわけではないのです。

ただ、少し神のことを思い、これまでの人生を反省しながら、オホホ、アハハと楽しい生活をしてくださいといってるだけで、そのような生活を続けるのであれば困ったことがあっても、祈れば解決の道がついて来ますし、奇跡も起きます。

これまでのように、神を少しも思わず、無反省で、怒りやねたみやひがみの生活をやめて、そのような生活を心がけてくださいといっているだけなのです。

そのような正しい生活が信仰であるからです。

そのような正しい心と行いが、即ち本当の信仰になるのであって、特別なことをするのが信仰なのではないのです。

神に感謝した、反省のある正しい生活こそ、本当の信仰なのです。

それが一体何の苦になるのでしょう。むしろ今のように、面白くないことがあると文句ばかりいい、表面上だけ笑っているだけで陰で悪口のいいあいをしている生活の方が、よほど気疲れするのではないですか?

そのような心は神の心からはほど遠いからです。神の心からほど遠いことをしているのなら、それは自分の心にとって決してよいことではないからです。

そのような(文句や悪口ばかりの)生活が一番よいと思っている人は、すでに悪魔に憑かれているのです。

悪魔に憑かれれば、そのような生活が一番よく(心が落ち着くことに)なります。そのような心は地獄界の心であるからです。(この辺りは悪魔に憑かれた人が多いのです。私の心の中を平気でのぞいて来ますからね。〔そうですよね。その自覚のある人、この辺りたくさんいると思います。誰と誰と誰はそうと限定もできますし〕悪魔が耳元で教えているのです。他地域の人は驚くかもしれませんが、本当にこういうことはあるのです)

しかし、地獄界の心でいるなら、本当に地獄界がそこに出来上がります。では、そこには地獄と同じ現象が現れるということです。(だから不幸になる人が続出しているのです。自らが地獄界をつくって地獄を再現しているからです。地獄ではよいことは起きません。不幸しか起きないのです)

本当の信仰(正しい生活)を続けるなら、そこに天上界が現れます。だから、そのような生活を実践している人には奇跡が現れるのです。天上界は奇跡しか起きないからです。

天上界の生活と地獄界の生活ではどちらがよいのでしょうか?

聞くまでもないと思います。

天上界の生活をしたいのであれば、本当の信仰をされるべきなのです。

追伸…先ほども少し書きましたが、本当にこの辺りは地獄霊に憑かれている人が多いのです。

最近はよくテレビで、人の考えていることをいい当てるという人がいますが(メンタリストとかいわれてです)あのような人がこの辺り、ゴロゴロいます。(苦笑)

この辺りの何人かの人は人の心の中が分かるようです。悪魔に教えてもらえるからです。

これは何度も私は確認しました。

私の思いだけで反応する人があまりに多かったので(例えば心の中で「あの前の会社のバカは」と思うとします。するとそう思ったとたん、前の会社の誰かが反応するのです。〔物など投げてです〕)そういう人たちに向かい「お前ら、その耳元でささやいている奴、悪魔だぞ」と教えてやったのです。

そうしたら、一変に周りがシーンとしてしまい(それまではガタガタやっていたのがです)引いているのです。(その声を聞いて明らかに雰囲気が変わりました)

なんだ、ずいぶん悪魔に憑かれた奴が多いんだなと驚きました。

だから、この辺りは人の心が分かる人が多いのです。それだけ悪魔に憑かれている人が多いということです。(だからあのメンタリストがテレビやっていることなど、大して驚きもしません。この辺りの人はあれくらいのことが出来る人はたくさんいるからです。〔苦笑〕)

ゾッとしますが、そんな悪魔を憑けたまま死ねば、当然その人は悪魔に導かれ死後は、その悪魔が住んでいる地獄に行くことになります。

この辺りの人に何度もいっていますが、耳元で囁く(ささやく)者のいうことなど聞いてはいけないのです。それは悪魔であるからです。

生きている人の言葉を聞かないといけないのです。(特に、私のいうことを聞かないといけないのですが、この辺りの人たち全然聞きません)

その悪魔の言葉に耳を傾ければ傾けるだけ、深い地獄に堕ちていくことになります。

自分本位な生活は、それだけ危ない生活であるのです。

(知らず知らずのうちに悪魔を呼びよせているからです。この辺りだけではなく、そのような人が他の地域にもいるかもしれません。〔多分いるでしょう〕だから、書いておきました。訳の分からない者の声など絶対に聞いてはいけないのです。その声は悪魔の声であるからです)

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1月 17 2016

大きな使命

それにしても怒りっぱなしですね。どこかの会社です。(今日は休みで、こちらはせいせいしていますが。〔笑〕)

そうかと思えば、全然静かになってしまったところもあります。(そういえば、どこかのマンションはバシバシやらなくなりましたね。たまに誰かがやるくらいです)

ずいぶん極端なことが起きているのですが、それは道を歩いていても感じます。

最近は特に感じるのですが、態度を変えた人が多いようです。(歩いている人、運転手を含めて変わらない人は変わりませんが。〔苦笑〕)

これだけ態度を変える人が多いということは、何か起きているということでしょう。何か起きなければ、態度など変えるわけがないからです。(何も起きていないのに、自分から気づいて反省するなんて出来ませんよね。そんなことが出来る人が多ければ、これだけ恐ろしい現象が多発するとは思えないからです)

では、何が起きているのか?ということです。

少なくとも奇跡が起きているわけではないでしょう。それならもう少し皆さん晴れやかな顔をしていると思うからです。

今日も朝からよくサイレンが聞こえていました。

よく考えてみてください。

このサイレンはもう全国的にしているのです。そうして、火葬場が一週間待ちというところまであるのです。(そういうところは浜松だけではなく他でもあるでしょう。NHKでもそのような番組を観たことがありますから。火葬場が三日待ちで死ぬ人が増えているとかなんとかいっていました)

これどういうことかお分かりですか?

これはすでに日本中で恐ろし現象が現れているということであり、もう逃げ場がないということなのです。(逃げ場ありませんよね。日本中でそのような恐ろしいことが起きているのですから)

こういうことに誰も気づかないんでしょうか?

気づかないんでしょうね。だから、未だに心も行いも変えようとせず、神のことなど少しも考えないという人が多いのです。(この辺りの人は、まだサイレンを私のせいにしています。気づいていないだけで、すでに全国的にこのようなことが起きているのにです)

しかし、少し視野を広げれば分かると思います。すでに私たちには逃げ場がなく、大変恐ろしい状況になっているということがです。

まだ分からないのですか?自分たちの不信心がです。

無神論などということを堂々といい(これ以上神に対し不遜な行為はありません)神などそっちのけで金儲けばかりに精を出しているから、日本中で恐ろしい神の業が現れて来ているのでしょう。(戦後の日本は本当にそういう感じでした。金儲けばかりしていたからこれだけ豊かな国になれたのです。物質的にはです)

違いますか?

だから私はいっているのです。本当の神の教えを早く学ばないといけないとです。

早く心を入れ替え、本当の神を思おうとしなければ、もう誰に、いつ、どこで、そのような恐ろしい現象が現れるか分からないのです。

それだけの不信仰、不信心を日本の多くの人たちはしてきているからです。(日本の人たちは、仕事さえしていればそれでいいと思っている人が多いはずです。それが大きな間違いだったのです)

現に、このような恐ろしいことが(次々に人が病気になり死んで行く)全国で起きているのです。

こういう命に関わる現象が次々に起きているのに、いつまでも同じことをし続けているのですか?

この辺りの人は、怒ってお前が悪いと嫌がらせをしてくるか、または天罰を恐れ(それを天罰と思っている人は少ないようですが。私のせいと思っている人が多いようですが)私から逃げるかのどちらかで、この辺り以外の人たちは相変わらず金儲けに精を出し、間違った信仰をし続けています。

誰もこの現象の意味に気づいていないのです。

しかし、そのように災いばかりが起きる中にあって、私には奇跡が起き続けているのです。これ以上私が正しいという証拠もないのではないでしょうか。

これほどの現象を現されているのです。早く反省し、私に「本当の神の教えを教えてください」といいにきたらどうでしょう。

もう助かる道はそれしかないからです。

「悔い改めます」というなら、どれだけ私に嫌がらせをして来た人でも私は許します。

なぜなら、キリストは次のようにいわれているからです。

「立ちて祈る時は、人を恨むことあらばこれを赦(ゆる)せ、天にいます汝らの父は、すでに汝らの過ちを赦したまわんためなり。

汝ら自らに心せよ。もし汝らの兄弟が罪を犯さば、これを戒めよ。もし、悔い改めなばこれを許せ。もし、一日に七度汝に罪を犯し、七度『悔い改める』と言いて、汝に帰らばこれを許せ」

キリストは、祈る時は人を恨んで祈っていてはいけない、その人を許してから祈りなさいといわれているのです。神はすでに私たちを許していられるからです。(神から観れば、私たち人間はすでに罪を犯しまくっているのです。そのような人間の罪を神はすべて許していられるのです)

そうして、自分に縁のある者が罪を犯せば、それを戒め、その者が悔い改めるというのであれば、その罪を許しなさいといわれているのです。

だから私もキリストにならい「悔い改めて、心の勉強をします」という人がいるなら、その人がどれだけ私に嫌がらせをした人であっても許して「ぜひ勉強してください」と激励し、私の知っていることを伝えますよといっているのです。(キリストは、一日に七度裏切っても、その者が「悔い改める」というなら許しなさいといわれていますが、さすがにそこまで裏切られると許すことは出来なくなります。キリストほどの愛は持ち合わせていませんから。〔苦笑〕)

悔い改められた方がいいのではないでしょうか。もう状況が状況だからです。

すでに時代が変わっているのです。天変地変が激しくなったのも(もちろん日本だけでなく世界的にです)それは時代が変わったから起きて来た現象なのであり、決して温暖化のせいではないのです。

もう、人々の心が現象として現れる時代となったのです。(だから私には鳥や魚が寄ってくるという奇跡が現れ始めたのでしょう。そのような〔釈尊やキリストにも起きた〕奇跡も起きているのです。災いばかりでなく、奇跡まで起きているのですから、自分たちの心が現れているというこれ以上の証拠はありません)

だから真っ先に心を正さないといけないのであるし、そうであるなら、もう責任転嫁はやめ、悔い改めて、この教えを勉強したらどうでしょう。

そうしなければ救われる道はないからです。(それをこのような現象が教えているのです)

この教えを実践している私には釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているのです。これ以上、正しいという証明はありませんし、また、これ以上、この教えを実践すれば救われるという証明もありません。

釈尊やキリストが救われていないとは誰も思わないからです。(釈尊やキリストに災いは起きませんでした。奇跡しか起きていないのです)

何度もいいますが、もうどこにも逃げ場はないのです。

そうであるなら、この道を進むしかないのではないでしょうか。もし、他の道を通るなら、不幸になることは目に見えているからです。(正しい道が二つも三つもあるわけがありません。正しい教えが一つしかないように、正しい道も一つしかないのです)

今このことに気づいているのは、このブログを見ている人たちだけなのです。

この意味お分かりでしょうか?

つまり大変重要な使命がこのブログを読んでいる人たちにはあるということです。

これまで通りの考えのままでは、このような現象は激しくなることはあっても、収まることはないからです。

このブログを読んでいる人は、自分が救われるだけではなく、多くの人を救わなければいけない使命が、すでに備わっているということなのです。

法を知るとはそのようなことなのです。法を知ることは即ち大きな使命を得るということでもあるからです。(大きな使命を得るということは人としてこれ以上幸せなことはないと思いますが…どう思われますか?)

そのような大きな使命をすでに得て、それでもまだ自分のことだけやっているのですか?

責任転嫁して怒っているだけなのでしょうか?

そのような進歩のない人たちに関わらず、大きく時代は動き始めています。

小さな心は捨てるべきなのです。

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