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2016年4月

4月 29 2016

責任転嫁

昨日は男子プロゴルフの中日クラウンズを観てきました…といいたいところですが、あれは観てきたことになるのでしょうか?

一時間ほどしかいなかったからです。(苦笑)

一昨日のウナッシーさんからのコメントに、私への嫌がらせが増していると書きましたが、本当にそうで、昨日の中日クラウンズに来ていた連中は、ギャラリーからボランティアからテレビのスタッフに至るまで、本当にうっとうしかったです。(こいつケンカ売ってんのか、と思うようなのもいましたから)

それですぐ出てきてしまったんですが、その間だけでも何度もサイレンがしてきました。

サイレンがしてくると、目の色が変わる人もいます。それでいずらかった面もありましたね。

私がゴルフを観に行く主目的は、その辺りの生き物たちとの触れ合いと(昨日も鳥がよく騒ぎ、そのせいかどうか知りませんが魚も騒いでいました。〔笑〕)辻説法をすることですので、早くゴルフ場を出てくるのはかまわないといえばかまわないんですが、ただ、それくらいで出てくるのであれば入場料がもったいなかったですね。(特に男子プロは高いので〔四千円〕金欠の私にはつらいです。〔涙〕)

しかし、あれだけサイレンがしているのです。さぞ、あの辺りでもひどいことをされると思いましたが、その意に反しあの辺りを歩いていても思ったより静かだったですね。

それは意外でした。

ゴルフ場を出て、あの辺りを歩き回っていたのですが、工場などは静かで道路を走って行くトラックもブシュとやって行ったのは数台くらいでした。(その半面、鳥たちは相変わらずの騒ぎっぷりでした。〔笑〕)

あれだけ鳥が騒げば、あの辺りにある工場の人たちは私がいるとすぐに分かります。

そうしたら、でかい音を立てて来る工場が必ずあると思っていたのですが、意外や意外、あの辺りにある工場はどこも静かなものでした。

ある工場など、そこは去年は私が近くにいるのが分かるとガンガンやってきたところなんですが、そこも私が近くを通っているのに、まったく静かです。

「おかしいな」と思い、その工場の前を通る時に「今日は静かですね」とか「どうしたんですか?皆さん、私のことお忘れですか?」とか散々冷かしたんですが、まったく無反応でした。

これだけサイレンがしているのにどうしたんだろうと思い、これは当てが外れたなと思っていたところ、一人、二人、歩いている人がいまして、その人が足をザッザッとならして嫌がらせのようなことをしてきましたので「チャンス」と思い、辻説法をしたのですが、あの辺りは(名古屋とは違い)ずいぶん静かでした。

なぜでしょうか?(本当にどうしたんでしょう。でも、歩いている人はさほど変わらなかったですけどね。他の場所でも歩いている人には嫌がらせをされましたので、そこで辻説法は出来ましたから)

とにかくあのゴルフ場(和合)の辺りは思ったより静かだったんですが、段々名古屋に近づくにつれ(地下鉄の平針駅まで歩いたのですが)様子も変わってきました。

ブシュブシュやるトラックも増え、でかい音を立てる工場もあったからです。

名古屋と名古屋以外の人たちでは温度差があるのでしょうか?よく分かりませんが、その辺りでずいぶん辻説法をしました。(反発する人もいましたが、だいたいは最後の方は静かになり、私の話を聞いている人が多かったです)

名古屋の人は相変わらず反発が強いのですが、それ以外の地域では少しは反省する人も出て来ているのでしょうか?

それを期待したいのですが、名古屋に帰ってくると(鶴舞公園で降りて、そこから辻説法をしながら歩いて帰ってきたのですが)あまりにブシュブシュ、ガンガンやられるので、最後は切れてしまい「お前らいい加減にせえ。悪いのはお前らの方ともう分かり切っているだろうが。東日本大震災からわずか五年で熊本地震なんか起こされ、それ以外でもそこらじゅうで異常なことが起こされているのに、いつまで自分たちが悪いのを認めないんだよ。お前らが悪いのをいつまでも認めないから、いつまでもこういうおかしな現象ばかり起こされるんだろうが。お前らがもたもたしているせいで日本が潰されるわ。どれだけ人の足引っ張ってんだよ」と怒鳴りまくっていました。(苦笑)

しかし、その声を聞いても怒る人の方が少なかったですね。名古屋の人たちの多くは(特にこの辺りの人たちは)もう神の存在も自分が悪いということも知っているからです。

それをただ認めないだけなのです。

しかし(分かっているのに)いつまでも認めなくていいのでしょうか?

今日も朝からずいぶん名古屋は風が強いのですが(ゴーゴーいってますけど)北海道など爆弾低気圧の影響で、暴風雪が吹いて大荒れの天気になっているとのことですが(もうゴールデンウイークなんですけど…)北海道や東北の荒れた天気は熊本の地震に関係なく続いています。

東日本大震災や熊本のような大地震が続くと(古い記録を引っ張りだしてきて)昔このような大きな地震が続いたことがあるので、こういう地震が続いてもそういうこともあるから注意しないといけないと、その部分だけとって、これは自然現象で起きているだけみたいなことをいっている人もありますが(特にテレビや新聞で)しかし、現在はです。

このような考えられない大地震が続いているだけではなく、北海道などで続く大荒れの天気、ゲリラ豪雨、スーパー台風、竜巻、そうして多くのサイレンと、私に起きている鳥や魚が寄ってくるなどの奇跡、このような様々な異常現象が一度に起きているのです。(私に起きている現象も異常現象の一つですよね。こんなこと起きた人いないんだし)

こういう何重もの現象が一変に現されているから、私は「これは神が行っている」といっているのであり「日本の人は神を思わないと潰されますよ」といっているのです。

起きている現象の数が異常であるからです。

そうして、その起こされている現象の中で、愛ある奇跡が起きているのは、私に起きている現象(鳥や魚が寄って来るなどの)それのみであるのです。(私に起きている現象以外は、みな愛がない恐ろしい現象ばかりです)

ということは、いま起きている現象は、私に起きている現象だけが人を救える力があるのであり、それ以外はみな人を滅ぶす力しかないということです。(現れる現象に愛があるかないかで、それくらい違います)

愛ある現象が起きているのは私だけなのです。

では、やはり私のいうことに従うしか、救われる方法はないということになります。私以外の人で、私と同じ現象が現れている人はいないからです。(愛ある現象が現れていない人に人を救う力はないでしょう。それは釈尊しかり、キリストしかりです)

もう自分たちのことだけをやっている時代ではないのです。それは起き出している現象でそれに気づかなければいけないのです。

それなのにまあ、なんと気づかない人が多いのでしょう。これだけ危ない現象が起き続けているのに、少しも神を思わず自分たちのことばかりやっています。(それだけ神を観ようともせず、責任転嫁ばかりして、金儲けと遊びだけに突っ走っていると本当にやばいですよ)

私が歩いていると、多くの鳥たちが騒ぎますが、その鳥が騒ぐのは(また私に起きている愛ある現象は)何かを多くの人に教えているのではないでしょうか。

そのような愛ある現象は無駄なものではないと思うからです。(例えば、いま起き続けている異常現象を止める方法を知っている人を鳥が教えているとかです)

いつまで気づかないふりをしているのですか?

そういう態度をし続けるのは本当に危ないことなのです。(これだけ日本中が危険地帯になっていて、まだその危険度が分かりませんか?)

追伸…昨日歩いていて一番感じたことは、ずいぶんバスが極端だなと思ったことでした。(トラック連中は相変わらずですが。〔苦笑〕)

名鉄バスの運転手はずいぶん静かなのですが、それとは対照的に市バスの運転手はやたら怒っているのです。(私の顔を見て思いっきりブシュとやって来た運転手もいますし)

そういう両極端な態度を取るのは(少し前までは普通〔?〕にブシュブシュやってきましたから)何か起きている証拠でしょう。

もう止まらなくなったのではないですか?愛のない現象がです。(先ほども書きましたが、そういう現象は人を滅ぼします)

それは私のせいではなく、みな自分たちのせいなのです。自分たちの愛のない心と行いが、そのような愛のない現象を現しているからです。

私しかその愛のない現象を止められる方法を知っている者はいませんが…それでもまだ、そのような態度を続けるのですか?

(静かにしていても、怒っていても、その現象は止まりません。反省して、私が祈らないとその現象は止まらないのです)

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4月 27 2016

唯心無神論(ゆいしんむしんろん)

昨日は金山に行ったんですが、もうどの人も「お前が悪い」「お前のいうことなど聞けるか」という感じでしたね。(苦笑)

私は昨日、私のことを知って多くの人が唯物無神論から唯心有神論に考えが変わったと書きましたが、こういう人たちを見ているとどうも変です。(この逆らいよう、尋常じゃありません)

やはり、そう簡単には人の考えは変わらないのかもしれません。

というか、唯物論から唯心論にまでは考えが変わった人が多いのかもしれませが、無神論から有神論にまで考えが変わった人はまだほとんどいないのでしょう。

そうでなければ、これだけ神の業が現れているのに、多くの人が、それをちっとも恐れないのはおかしいからです。

昨日もあちこちでサイレンを聞きましたが、そのようなサイレンを聞いても恐れるどころか怒っていますし、私にどれだけ鳥が寄ってきても、そのような現象を屁とも思わないないようで、それがどうしたというような顔でみな通り過ぎていきます。

結局このような態度は、神のことを信じていないから取れるのであって、もし、多くの人が神を信じているのであれば、このような態度は取らないはずだからです。(神がこのような業を現していると思えば、恐れおののくはずだからです。人が現していると思っているから、恐れもおののきもしないのです)

私に誰も布施しないということもそうでしょう。

多くの人が神を信じ、私がその神の業を現していると思うなら、多くの人が私に布施するはずです。しかし、誰も私に布施しないのは、誰もまだ神を信じていないからです。

だから所詮は人がいっている(行っている)ことだろうと、この法を軽んじているのです。だから、どれだけ奇跡が起きても、布施までする気にならないのです。

それを神の業とは思わず、人の業だと思っているからです。

いってみれば、私を知った多くの人たちは今現在、唯物無神論から唯心有神論に変わったのではなく、唯物無神論から唯心無神論に変わっただけであり、唯物論は間違いで唯心論までは信じても、まだ神を信じるまでには至っていない人が多いということです。

だから、神の業を恐れることもしなければ、神の業に敬服するわけでもないのです。

人が行う業なら、世の中にはいろいろなことが出来る人がいるのだから、そういうことが出来る人もいるだろうとしか考えないからです。

だから「あいつは自分の感情だけでそういうことをしている」としか考えないのです。人がやっていると思っているからです。

そう考えるなら腹も立つでしょう。

「お前の考えだけで世の中を混乱させるな」と誰でも思うからです。

しかし、そんなわけがないのです。個人の考えで(個人の力で)これだけのことが出来ますか?(このサイレンにしても、これだけ鳥や魚が寄ってくることにしてもです)

個人の力でこれだけ世を混乱させることなど出来ないのであって、個人以外の何か大きな力がかかっているから、これだけの現象が現れているのであり、その大きな力が神の力なのです。

人の力でこんなことはやれっこないのです。

私がしていることの、その奥にある神の力を(神の心を)理解しないといけないということです。

もう名古屋だけではなく、日本中で恐ろしい現象は現れているのです。(まだ熊本地震は収まっていないですし)

これだけ災いが起きていて、これがそのまま時間が過ぎれば収まるとでもいうのでしょうか?大きな災いの起きる頻度は増しているというのにです。

これだけ恐ろしい現象が全国的に現れていて、ほっとけば、その現象が収まって行くなど、先のことを何も考えようとしない、バカの考え以外の何ものでもないのです。

それは今しているサイレンだけを考えても分かります。減るどころか、聞こえてくる範囲が広がっているからです。

こういう現象を、救急車のサイレンなどはいたずらが増えただけ、激しいゲリラ豪雨や猛烈な台風、竜巻などは温暖化の影響、地震は日本は地震大国だから地震が起きるのが当たり前、などと責任転嫁し続けるのであれば、そのような人々は滅ぼされるのです。

このような業すべて、神が現しているからです。

この起きている様々な異常現象は、心の向上より金儲けを優先し、神の存在をすっかり忘れてしまった人々に、その間違いを気づかせるために神が起こされている現象であるのです。

いつまで、それに気づかず、責任転嫁を続け、悪い心のままでいるのですか?

そのような心でいる限り、異常現象は激しくはなっても、収まることはないのです。

追伸…しかし、めんどくさいですね。

普通は唯物無神論が間違いと分かったら、次は唯心有神論を信じるはずですが、日本の人たちは、唯物論の間違いが分かったところまではいいのですが、そこから下の無神論も間違っているとは思わないようで、神の存在をまだ信じていない人が多いようです。

しかし、唯心無神論などという言葉はないのですから(苦笑)普通は唯心論を信じれば神の存在も信じそうなものですが、唯心論は信じても、神の存在(有神論)までは信じない、唯物無神論の根深さを感じますね。

しかし、神は存在するのであり、神の存在がなければ、この大宇宙も、地球も、また地球にある水や空気も存在しないのであり、このような人がつくったものではないものが存在しているということが、神が存在している何よりの証明なのであり、少し考えを広げるのであれば、神の存在は誰にでも理解出来るはずです。

いま起きている様々な災いは、そのような神の存在を忘れてしまった愚な人々に神を思いださせるため、神の心を思いださせるため、現されていることなのです。

それを個人が何かしているなど、あまりに飛躍が過ぎます。(というか、責任転嫁が過ぎます)

神の心を思いだし、それを実践した人から幸せになって行きます。

これだけ災いが続いているのです。この法を信じ行われたらどうでしょう。

このような災いが起きている中でも、奇跡が起きているのは、この法を実践している人たちだけだからです。

(もうこれだけブログを書くだけでも、どこかの会社の連中がじゃましたくっています。〔大変ですよ、これだけ書くだけでも〕こういう過酷な状況の中で、私は毎日のように法を伝えて〔人の心を救って〕いるのです。〔外に出て行けば毎日のよういじめられますし〕少しはこういう苦労もお分かりいただけないでしょうか。少しでも心が救われたと思われる人はお気持ちだけで結構です。布施をよろしくお願いします)

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4月 26 2016

法の有難さ

今日も朝からお怒りですが、昨日などトラックの運転手にブシュブシュやられっぱなしでした。(庄内川の川岸を歩いていてです)自分が悪いとは誰も認めたくないようで、悪いことを頑なに私のせいにしている人が多いようです。(苦笑)

それで少しキレまして、庄内川の帰りはでかい声で文句をいいながら帰ってきました。(…文句ではありませんでした。辻説法でした)

前から人が歩いてくるか、またはブシュとやられるたびに「神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えてもらっているのにそのお返しが嫌がらせかよ」「感謝一つしないだな」「俺のいうことを聞いてずいぶん心が救われたんじゃないのか」「俺がいたからそういうことも信じたんだろう」と辻説法をしっぱなしでした。

すると下を向く人が多かったですね。私の顔を見て、嫌がらせをする気満々の人もです。(そんなこといいながら歩いていたら二、三の人からしか嫌がらせをされませんでした。その説法を聞いて後ろめたい人も多かったのではないでしょうか)

特に年寄りは顕著でしたね。

私が歩いていて前から歩いてくる年寄りは、私の顔を見るとまず何かしていきます。(私が歩いているとすずめが騒ぐので、私に気づいて、わざわざ外まで出て来る年寄りまでいますから。〔そうして何かでかい音を立てて嫌がらせするのです〕)

昨日も何人も前から歩いて来ました。(自分の家の前に出てきている年寄りもいました。やる気満々です。〔笑〕)

そういう年寄りを見かけると「爺ちゃん(婆ちゃん)よかったな、あの世があるって分かって、それ誰に教えてもらった」とか「先が短くても死んだ先があると思うと希望もわくよな」とか「神から仏から生まれ変わりから何から何まで分かって心も救われただろう」とか声をかけるのです。

すると昨日会った年寄りは、ほぼ全員がそういう話を聞くとビクッとして、顔が引きつり私に嫌がらせをしてきた人はいませんでした。(中には頭を下げた人までいました)

よく考えてみればです。

私のことを知れば知るほど(憎めば憎むほどですか。〔苦笑〕)私のいっていることは信じるのですから、私のいっていることを信じるのであれば(信じれば信じるほど)私を憎む心とは裏腹に自分たちの心は救われて行きます。(法は知れば知るほど心が救われますから)

では、私を知ったばかりに、そのような人たちの心はずいぶん救われたということになります。

最も憎んでいる(最もかどうかそれは知りませんが。〔苦笑〕)私に、多くの人が救われたというのですから、皮肉な結果が出ているといわざるを得ませんね。(苦笑)

しかし、年寄りは特にですが、心が救われた実感があるのでしょう。だから昨日は、十人が十人、私に嫌がらせをするのをやめたのです。

年寄りは、いってはいけませんが、他の何をいっても、私に対する嫌がらせをやめようとはしませんでした。

「何でそんな悪い奴に鳥が寄ってくるのか」とか「もう日本中でサイレンなどしている。ならそれも全部俺のせいかい」とか「もう時代が変わった。だからこういう現象が起き出したんだ」とかいっても、頑としてそれを聞き入れず「お前が悪い」の一辺倒で嫌がらせをしてくる人が多かったのです。

しかし、昨日はそういう人が一人もいませんでした。

ということは、他のことはともかく「あの世があると分かって希望がわいた」「神から仏からあの世のことまで分かり心が救われた」ということだけは確かなようで、それで(そういう話を聞いた)昨日は年寄りの誰も私に嫌がらせをしてこなかったのです。

では、私は、この辺りの多くの年寄りの心を救ったということになります。(この辺の年寄りは誰も私のことをよく知っていますから)

また、年寄りだけではなく、私がこの辺り(名古屋及び愛知、岐阜、三重)の多くの人たちの心を救ったのは事実でしょう。

多くの人が私の悪評を知ったのなら、唯物論は捨てるはずだからです。(私の悪評は、多分、私が祈って悪いことをしているというものでしょう。〔直接私が人に悪いことをしたことなどないからです〕祈って何か起きるということになれば、もう唯物論がおかしいのは誰でも分かります。私の悪評を信じるということは、即ち唯心論を信じるということになるのです)

釈尊在世当時は、釈尊の話を聞きに行くのに何十キロも何百キロも歩いて、命懸けで聞きに行ったのです。(遠くに住んでいる人たちなど皆そうでした。釈尊の噂が拡がれば拡がるほど、一度はその説法を聞きたいとより遠くの地域から釈尊の説法を聞きに多くの人が集まったのです。二千五百年も前の話です。当然、車も電車もありませんし飛行機もありません。みな命懸けで〔途中で盗賊にあうかもしれないし、猛獣に襲われるかもしれない、毒蛇にかまれるかもしれなかったからです〕釈尊がおられるところまで歩いて行ったのです)

しかし、現在は、そのような法の話を聞くのもボタン一つで出来ます。(パソコンをつければそれでよいからです)

あまり便利なのも問題ですね。そのせいで、よい話を聞いても何のありがたみもわかないようだからです。(それどころか、このブログが読みたいくせに書くのを全力でじゃましている輩までいます。今日も朝から元気いっぱいです。〔苦笑〕)

このブログを読んで(または私の悪評を聞き)心が救われた人はたくさんいるでしょう。(それこそ世界にまでです。このブログは世界中の人が読めますから)

それなのにやっていることがあまりにひどいのではないでしょうか。(法の流布のじゃま、嫌がらせ、無視、などなど)

こんなことをしていていいことが起きると思いますか?

これではいいことが起きるわけがないのです。

自分たちのしていることをもう一度よく考えられてはどうでしょう。

そうすれば、どれだけ不誠実なことをしているのか、よく分かると思うからです。

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4月 25 2016

心の修行

今日も朝から激しくお怒りです。

一体、何をそんなに怒っているのでしょう。(それは運転手連中も同じなんですが)そんなに激しく怒るようなことは起きていないと思うんですが…だって、そんなに怒るようなことが毎日のように起きていたら、そんな会社は潰れるはずです。(もうずいぶん前からこんな感じですから)

それが潰れずに未だに仕事をしているんですから、それほど怒るようなことが起きているとは思えません。

要は大袈裟なのでしょう。(小さなことに腹を立てているだけでしょう)

しかし、そういう人が増えたのではないでしょうか。

昨日書いた保育園の問題でもそうです。昔なら、まったく問題にならなかったようなことが、現在は問題になるのです。神経質で細かい人が増えた何よりの証拠でしょう。(本当に愛がありません)

最近はアレルギー体質の子供が増えたそうですが、これなどその最たる例です。

母親が細かくて神経質だとそういう子供が生まれるからです。

母親が神経質だと何にでも敏感に反応する、そういう体質の子供が生まれるのです。(親のそのような悪い心を子供が現しているのです)

だから、そういう子供が生まれたら、母親は自分のそのような神経質で細かい心を反省し、おおらかで豊かな心になるよう努力して、より愛をその子供にかけるのであれば、そのような子供のアレルギー体質は体の成長とともになくなって行くのです。

しかし、今の母親は反省などまずしません。(自分が悪いなど毛ほども思っていないからです)そうして薬だけで治そうとします。

だから子供のアレルギーが治らないのです。自分がまったく反省しないからです。

母親が自分の心を反省するなら、子供の成長とともに子供の体質が変わり、そのアレルギーは治って行きます。(天が、その母親の心に応じて癒しを行ってくれるからです)

薬ばかりに頼るのではなく、自分の心で子供の病を癒す、そのような体験をされてはどうでしょう。

そのような体験は、子供の体を治すだけではなく、自分の心の成長にもつながるからです。

実際に小さな時はアレルギー体質であったが、今は治ったという人もいるはずです。そういう人は親の心が変わったからです。

だから、アレルギー体質が変わったのです。

百人が百人そうだとはいいませんが(別な理由も、もちろんあるからです)しかし、だいたいは、小さな時からなっている子供の病気は母親が反省すると治るのです。(完全に治るかどうかは分かりませんが、親の心がよい方に変われば、子供の病気は確実に軽くなるのです)

だから、子供がうつ病とかなっている人もそうです。まず親の心を先に変えないと、子のうつ病は治らないのです。

親の心が大きくその子供に影響しているからです。

とにかく現代は、その考えが小さく細かく愛のない方に進んでいます。(個人中心の個人尊重の世相がそのようにしているのですが)

こうなると災いは増えるでしょうね。

そのような狭く小さく愛のない心が災いを呼ぶからです。(だから、この辺りで子供に何か起きたと私を怨んでいる母親もいるかもしれませんが〔多分いるでしょう〕それは自分の愛が足りなかったのです。母の出す愛が〔親の出す愛が〕足りているなら、自分の子供に悪いことは起きないからです。そこも私を怨むのは筋違いです。自分の愛のなさを反省しないといけないのです)

この世の修行とはこのようなもので、すべて心の修行なのです。

すべて、自分の心でどうにでもなるからです。(よい方にも悪い方にもです)

だから、心をよくしないといけないといっているのです。すべての元が心であるからです。

だから、この辺りで私のせいで悪いことが起きたと怒っている人がたくさんいますが、とんでもありません。

自分たちの心が悪いから、自分たちに悪いことが起きているのであって、私のせいではないのです。(本当にすさまじいお門違いです)

といっても、それをこの辺りの人たちはなかなか認めようとしないのですが、では、そういう悪いことを全部私のせいにしている人たちにお聞きします。

釈尊やキリストが、人のせいで自分たちに悪いことが起きたといわれたことがあるのでしょうか?

残念ではありますが、釈尊やキリストは一度もそんなことをいわれたことはないのです。

あのような偉大な方々は、自分に起きた悪いことは、みな、自分が原因で起きているといわれているからです。

それがすべてです。(本当にシンプルです。分かりやすいです)

早くその当たり前の原理を理解してください。そうしないと不幸は続くからです。

その当たり前の原理を分かりやすく説いているのが、この法です。(だから、自分のどこが悪いのか分からない人たちは私に聞きに来てください。教えてあげますから。〔笑〕)

この法を理解し実践するなら、災いどころか奇跡が現れます。(私が証明です)

その法にいつまでも逆らっているから、それだけ災いが起きているのです。

いい加減それを理解されてはどうでしょう。(責任転嫁ばかりしてないでです)

頑なに悪いことを人のせいにし続けているから、悪いことが起き続けているのです。

追伸…天下一品の資質であっても勝てないことがあるんですね。(何せ、前世では負けたことがありませんでしたから。〔笑〕)

天下一の強者(つわもの)も(昔の話ですが。〔笑〕)法に逆らっていてはなかなか勝てないようです。

せっかく法を知ったのですから、少し協力してくれませんか?(お金持ちでしょう。〔笑〕)

そうすれば、すぐにでも勝てるようになるからです。

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4月 24 2016

因果応報と愛を出す大事さ

昨日もよってたかって嫌がらせをされました。

その中で、どれだけ私のブログを読んでいる人がいるのか知りませんが、これだけはいえます。

この辺りは一人として反省する人がいないということです。(愛のない、傲慢な人ばかりであるということです。だって、その中に私のブログを見ている人もいたはずだからです。それで私に詫びてきた人も感謝する人もいなかったんですから)

そうなると恐ろしいですね。時代が時代です。そういう無反省な人にはどんな悪いことが起きるか分からないからです。

しかし、この辺りの人は特に始末が悪いですね。

私のことを皆が知ってしまったので、悪いことが起きても、それを全部私のせいにしていればそれで事足ります。(周りもそれに同調しますし)

それだとよけい悪いことが起きるでしょうね。まったく反省しないからです。

困ったことですが、しかし、私が悪いから自分たちに悪いことが起きているのではなく、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。(この辺りの人は「善因善果 悪因悪果」という釈尊の教えを無視するのでしょうか?)

自分の悪いところに自分で気づいて、その点を反省し、その悪いところを自分で直さない限り、その悪いことは止まりません。(自力です)

早くそれに気づいてほしいものです。

昨日もそういう人がいました。責任転嫁の塊のような人がです。(私たちは、愛と慈悲の塊にならなければいけないのに、責任転嫁の塊になっているようでは最悪ですね)

交差点を渡っていたら、一番前に止まっていた市バスの運転手がまた例のごとくブシュとやってきました。

それで、その運転手を祈ったら、凄い顔をしてこちらをにらんでいるのです。

あまりにこちらをにらみつけているので「反省して詫びを入れないと癌は止まらないぞ」と私がいうと、だいたいの運転手はそれを聞いて目をそらすのですが、その運転手は目をそらそうとしませんでした。

「みんなお前が悪い」という目で私をにらみつけているのです。

本当に呆れてしまいました。

最初に嫌がらせをしてきたのはバスの運転手の方なのです。(つい今しがたもしていましたし)

私一人にバスの運転手がよってたかってブシュブシュやってきて、それが始まりでトラックの運転手もそういう嫌がらせを始め、その嫌がらせが未だに私には続いているというのに、そういう自分たちがしてきた悪いことは一切考えず(反省せず)それで今度は自分たちに悪いことが起きてきたら、それを全部私のせいにして怒っているのです。

本当に勝手なものです。

こういう自分本位な人たちばかりだから、こういう人たちに癌などのおかしな病気が多発しているのです。

自分たちがしてきた悪いことを考えるなら、恐ろしいことが起きてきても自業自得でしょう。

それなのになんで、その反省もなしに悪いことを私のせいにしているのですか?

自分たちがして来た(悪い)行いを棚に上げてです。

だから私はいっているのです。早く気づかなければいけないとです。(自分たちの悪にです)

そういう人たちは、そういうことを(自分本位なことを)これまでもしてきているのです。それに気づいていなかっただけなのです。

しかし、時代が変わり、大勢の人が自分がしてきた悪を、たった一人の者によってたかってしてしまったばかりに、一変でその自分たちのしてきた悪が自分たちに返ってきたのです。(自分たちがより大きな悪を行ったのだから、それは仕方がないでしょう)

だから、このようなことが起きているのです。

いま起きている恐ろしい現象はすべてです。すべて、そのような自分たちの心が原因なのであり、人のせいではないのです。

自分のせいなのです。自分たちの悪い心が自分たちに戻っているだけだからです。

それを認めたくはないのでしょうが、私に悪い現象が起きないというのが、その何よりの証拠でしょう。

私は、この法を園頭先生から教えてもらって以来(高橋先生のご著書を読み始めてからですから、もう三十年以上になります)コツコツとではありますが続けてきました。

これまで間違ったこともしましたが、それを反省し、出来るだけ法の実践に努めてきました。その結果が、このような時代となって、次々に奇跡の現象として現れているのです。

自分がして来たことの結果が、現象として現れる時代となったからです。

そういう時代が変わって起きてきたことを、この辺りの人は私のせいにしているだけだし、他の地域の人は(激しい天変地変など)温暖化などのせいにして責任転嫁しているだけなのです。

これまですべてです。周りに起きてきたことを自分の問題ととらえず、全部責任転嫁していた。

そのような自分本位の愛のない心が、不幸が多い世界へと、世の中を変えてしまったのです。

自分本位で愛がない人が増えたということは、あの保育園がつくれないというような問題でも分かるのです。

子供の声がうるさくて、保育園がつくれないなど、昔は考えられませんでした。

昔の人はみな、小さな子供の声など聞くと、微笑ましいとか、元気が出るとかしか思わなかったからです。

しかし、最近の人は、その小さな子供の声がうるさいとしか聞こえないのです。

これなど愛がない人が増えた何よりの証拠でしょう。(道が狭いから子供が危ないとかなんとか、他の理由もつけていますが、ああいうことをいうこと自体、愛がない証拠なのです。道が狭いのなら、何でそこの住民の皆で、その子たちを守ってあげないのでしょう。そういうことが愛を出すということであり、昔の人はそのくらいのこと誰だってやっていたのです。ああ言い方は「私には愛がありません」と自らいっているようなものなのです)

そのような愛のない心がこのような不幸な世の中をつくり、自分さえ危うくしているのです。

愛を出すなら、自分の心からその愛とともに神の光も出てきます。

その神の光が自分を災難から守り幸福な世の中をもつくりだすのです。

いつまで愛のない心でいるのですか?

この時代、そのような心が一番危ないのです。

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