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2017年1月

1月 22 2017

祈りの効果

アメリカのトランプ大統領誕生の翌日、世界各地で二百五十万人以上の人が参加したデモが行われたそうですね。(フランスのパリやイタリアのローマ、スペインのバルセロナ、ドイツのベルリンなどの欧州各地に加え、オーストラリアやニュージーランドなどでです)

それにしても、世界規模でのデモが起きるというのですから、いやはや今回はずいぶん不人気な大統領がアメリカに誕生したものです。(私の不人気ぶりも真っ青です…比べるレベルが違いますが。〔苦笑〕)

しかし、前にも書きましたがどういう理由にせよデモはいけません。

大規模なデモなど行えば、やはり争いが起きるからです。すでに暴徒化している人たちもいるとのことですが、所詮はデモも力ずくでしかないからです。

このような人たちは早くキリストの言葉を思いだしてほしいものです。(こういうデモに参加している人たちはキリスト教の人も多いはずだからです)

キリストは「汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」といわれました。

では、それを実践されたらどうでしょう。世界各地で二百五十万の人たちが心静かにトランプ新大統領を愛を持って祈るのです。

そうすれば、その祈りは必ず天に届きます。

祈りが天に届くのであれば、その祈りはきかれトランプ大統領に様々な現象が現れよい方に導かれて行くのです。

そうであるなら、黙っていてもアメリカは(世界は)正しい方に進んで行きます。

では、それをされてはどうでしょう。そのキリストの言葉に従うことこそ正しいやり方であるからです。

世界の人たちは、そのような祈りの効果を知りません。だからデモなど(間違った行いを)してしまうのです。

祈りよりもデモの方が効果があると思ってです。

しかし、それは違います。デモなどするより祈りの方がはるかに効果があるのです。

多くの人は間違った祈り方をしているからきかれないのであり、正しい祈り方をするのなら、その祈りは必ず天にきいてもらえるのです。

そうして、その祈りがきかれるのなら様々な奇跡が現れ、多くの人が正しい方に導かれて行きます。

その祈りの導きにこの世の地位も名誉も関係ないのです。誰にでも公平に作用するのです。(だからデモなどするより、祈りの方がはるかに効果があると私はいっているのです。地位も名誉も関係なく正しく作用するからです)

では、これだけ効果のある行いもないということになります。その効果があることがキリストがいわれたこと(汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ)の正しさを物語っているのです。

実際に、この辺りは、私の祈りで悪いことばかり起きていると、多くの人が信じているのです。

私が祈っていると、すごい顔をして私の方を見ている人たちがたくさんいるからです。

少しこの辺りの人たちは過剰反応しすぎではありますが、しかし、祈りがきかれているということは分かるようです。

祈っているとギョとした顔で見ていたり、悪いことをすべて私のせいにしている人が多いことが、その何よりの証拠なのですが、この法を知るなら無神論の日本人でさえ、祈りがきかれるということが理解できるのです。(凄いでしょう。神など全然信じていなかった人たちが祈りの効果を信じてしまうのですから)

では、アメリカやヨーロッパの神を信じている人たちがこの法を知るなら、どれだけ多くの人が正しい祈りを理解されるか分かりません。

そうであるなら、それだけでも世界の趨勢(すうせい)が変わるのです。

そうではないでしょうか。もし、世界の多くの人がすでに法を知っているのなら、今回デモに参加しているこの二百五十万の人たちはデモなどせず、心静かに祈ったはずです。

多くの人が心静かに祈るだけなら世界各地でこれほどの騒ぎにはなりませんし、そのような正しい祈りは必ずきかれます。

祈りがきかれるのであれば、トランプ大統領もそうは間違ったこと(政治)は行えなくなりますし、もし、あまりに間違った政治を行うようなら天がトランプ大統領を大統領でなくさせるのです。(様々な方法でです。弾劾裁判など起こされ大統領をやめさせられるかもしれないし、病気やけがなどして大統領をやめざるをえなくなるかもしれない、そのようないろいろな順序がついてくるということです)

そうなれば世界の人々の不安もなくなりますし、世界もよい方に進んで行くということになります。

これはトランプ大統領が間違ったことをすると仮定して書いていますが、この法が世界に拡がるなら、このようなことも起きるということです。

別にトランプ大統領が正しいのであれば、それだけ多くの人が祈るのであれば大きな奇跡が起きるのです。

正しい祈りをして悪いことなど一つもありません。

ですから、すぐにでもこの法を世界の人に伝えねばいけないのです。それだけ世界の人が必要としているのが、このような本当の神の教えであるからです。

この法が世界に拡がることの大事さが少しはお分かりいただけるでしょうか。

その世界が一変に変わるほどの教えが日本には存在しているということです。

それなのに、それが分かっている人が動こうともしない、そのような態度だけでも十分不敬ですが、それどころか、この教えを敵視して潰そうとしている人たちまでいるというのですから、そういう人たちは悪魔に憑かれているといっても間違いではないでしょう。

この教えが世界に拡がれば世界が変わる(もちろんよい方にです)そのような教えを潰そうとするなど、もはや悪魔でしかないからです。

そんなことをしていてよいことが起きるわけがありません。

だから悪いことが起きているのだし、また、ただこのブログを読んでいるだけの人たちも、いつまでも自分の小さな殻の中に閉じ困っていてはいけないでしょう。

その殻を破り、この教えを世界に伝えようとする気概のある人がたくさん出て来ない限り、日本の災いは続くからです。

日本はこの本当の神の教えを世界に伝えなくてはいけない大きな使命があるからです。

世界中の人がこの教えを持っています。

自分たちの(法を知っている人たちの)使命の大きさを早く自覚してください。

その使命を自覚し、法を世界に拡めない限り、世界は平和にならないからです。

追伸…大相撲は稀勢の里が優勝しましたね。

場所中に何か稀勢の里のことを書くと必ず負けますので(苦笑)今場所が終わるまでは相撲のことは書かないことにしようと思っていましたが、昨日稀勢の里が優勝を決めましたので書くことにします。

今日勝てば横綱という目も出てくるのかもしれませんが、今日白鵬に負けて、今回の優勝だけで横綱というのは早計でしょう。

去年、最多勝であった力士とはいえ、あの肝心なところの勝負弱さは誰もが知っているからです。(もう何回がっくりきたか分からないくらいです)

横綱が肝心なところで負けているようでは真の横綱とはいえないでしょう。肝心なところで勝ちきるのが真の横綱であるからです。

今日、白鵬に勝つなら少しは勝負弱さも克服できた、これなら強い横綱になれると思う人も出て来るのでしょうが、今日負けるようなら、今場所はたまたま運がよかっただけということになり(終盤で豪栄道との取り組みが休場になったりもしましたから)仮に今回の優勝で横綱になることになっても、真の横綱と思える人も少ないでしょう。

少なくとも今日の白鵬との取り組みでまず白鵬に勝ちきらないと横綱になる資格はないはずです。

そういう意味では優勝が決まったとはいえ、今日の取り組みはまた楽しみです。

しかし、最近の大相撲はこのような楽しみな取り組みが増えました。(何せ、大関以下の力士で強い力士が何人も出てきましたから)

それがまた相撲人気が復活した理由なのでしょうが、しかし、力士たちは体の強さだけではなく、心の強さ、そうして行い、そのようなところもまたよいアピールをしていただきたいものです。

日本の国技である大相撲は、それだけ多くの日本の人々が注目していることであるからです。

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1月 21 2017

日本ファースト

どうやらこの辺りの人たちは子供に対する愛情もないようです。

誰一人、私に頭を下げようとする人はいないからです。同じような態度を取り続けているからです。(さすが悪魔に支配されている人が多いだけあります。愛がありません)

残念ですね。では(大人ばかりでなく)子供たちも救われないでしょう。

大人が突っ張った態度を取れば取るだけ、子供も私に対し突っ張った態度を取り続けるからです。

では、子供も大人も同じように天罰がくだるということになります。

そのような態度は間違っているからです。

そういう人たちが分かるには(自分が間違っているとです)時が必要です。だから自分たちの間違いに気がつくまでは待つしかありませんが、それにしても時間がかかることです。(何年待ったらいいんでしょう。凄まじいですね。唯物無神論という思想の影響はです。天罰を食らっているのが分からないというのですから)

それはそうとアメリカは新大統領が就任されましたね。

すでに日本だけではなく、世界の話題となっている新大統領ですが(苦笑)やはりアメリカ第一主義(アメリカファースト)を掲げられました。

そうであるなら日本も、アメリカに対する態度を変えざるを得ないと思いますが、どうでしょう日本も、アメリカに合わせて「日本ファースト」を掲げてはです。

どちらにしても、これからアメリカは自国第一主義に変わるのです。

では、これまでのように何でもアメリカに頼っていては日本もやって行けません。(もちろん経済だけではなく安全保障もです)

日本は日本でやらなければいけないことも当然増えてきます。

そうであるなら、日本は日本で日本ファーストを掲げて、自国での仕事を増やし(例えば日本でしか出来ない精密機械の工場などガンガンつくってです)国を富ませて守りを固める、富国強兵策を取らざるを得ないように思うのですがどうでしょうか。(だいたい、国内にもっと工場を増やさないと景気もよくなりませんし)

そうして、他国との外交にもっと力を入れて危ない国を抑えるのです。(すでにもう安倍総理はそのような動きをされていますよね。インドやフィリピンなどの東南アジアの国々を回りながら、オーストラリアやロシアなどとの外交も欠かしていません。あちこちの国と外交を重ねて中国や北朝鮮の動きをけん制しています)

そうしないと、もうアメリカ一国に頼れる時代ではないからです。(しかし、仮にアメリカの影響力がアジアで減っていっても、その分、アメリカが中国とケンカしてくれれば、さすがに中国もアメリカとケンカしながら他のアジアの国々とケンカするわけにもいきません。そうなりそうなのですから、ここは離間の計くらいされてよけい米中のケンカを煽〔あお〕ってはどうでしょう。そうすれば完璧だからです。〔苦笑〕)

どちらにしてもアメリカ新大統領がアメリカファーストを掲げられたのです。

世界のリーダーであるアメリカ大統領が自国第一主義を掲げられたのなら、もうこれからは世界がどう動くか分からない時代になったということです。(世界の中心がなくなったのですから当然そうなります)

では日本も、いつまでも他力(アメリカ)本願ではいられない時代になったということであり、自力本願をやらざるをえないのです。(法と同じですね。〔笑〕)

では、そうするしかないんですから、そうせざるをえないでしょう。

これからどういう政治をアメリカ大統領が行われるのか分かりませんが(ご本人もお分かりでないのではないでしょうか。何せ、初めて政治を行われる方ですから)アメリカとの同盟は堅持しつつも、日本は日本で独自の動きをせざるをえないということになります。

しかし、こういうチャンスもそうはありません。アメリカが日本のことをあまりかまわないというのですから、日本は日本でやるしかないのです。(多分、そうなると思いますよ。新大統領は経営者です。そうであるなら、利益第一主義ということになり利がないことにそうは興味を示されないでしょう。そうであるなら政治家のように利益を度外視して、より多くの人に気を配るということもないでしょうから、当然、視野はもっと狭まります。あまり日本のことばかりかまわないでしょう)

このような時に日本には唯一本当の神の教えが眠っていますが(まだ眠っているのと同じです)その神の教えに頼らなくてよいのでしょうか?

一歩交渉を間違えたら、いつ他国に侵略されるのかしれないのにです。(いろいろな面でです。アメリカがあまりかまってこないと分かったら、中国ばかりでなく北朝鮮やロシアなども何をしてくるか分かりません。それに韓国も全然わかりませんし)

戦後日本はアメリカに頼って何でもしてきました。

しかし、これからはそのアメリカがどこまで頼りになるのか分からないのです。

いろいろ起きてからではもうどうにもなりません。何か起きる前に今度は本物の神に頼ってはどうでしょう。

そうすれば日本は確実に守られて行くからです。

(アメリカより頼りになると思いますがね。本物の神の方がです。神はいろいろな利益など求めないからです)

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1月 19 2017

子供がどうなってもいいのか

しかし、歩いていてあう人はもうやたら怒っているか、やたら引いているかのどちらかの人が大半になってきましたね。

段々、皆さんの態度が尋常じゃなくなってきていますが本当に大丈夫なんでしょうか?(多くの人がずいぶん態度が変わっているのがお分かりですか?)

もう意地を張らずに頭を下げられたらどうでしょう。私にです。

別に頭を下げてほしいからそういっているわけではありません。そうしないと大変なことになるから(すでになっている人たちもいますが)そういっているのです。

奇跡が起きているのは私だけなのです。そうして私のいうことをきいて奇跡が起きている人もたくさんいるのです。

信じてもらえないでしょうか。私のいうことをです。

そうしないと、この辺りで起きている恐ろしい現象は止まらないからです。

その恐ろしい現象はもう大人だけにとどまらないのです。子供にまで現れているのです。(そのはずです。あの中学生たちのビビりようではです)

この辺りの小、中学生などもうどれだけ私に嫌がらせをしているのか分からないほどなのです。それだけ罰当たりな行いをし続けていれば、子供とはいえ、このまま何も起きないわけがないのです。

天上界は大人しか罰を当てないわけではないからです。

間違ったことをし続けているのなら、その心を観て、大人であろうと子供であろうと天は平等に罰を与えるからです。

それが本当の愛であり、慈悲であるからです。(天罰とは間違ったことに対しての気づきの現象です。では、それを与えることは悪いことではなく愛や慈悲でしかないのです)

自分たちが罰当たりな(間違った)行いをしているから罰が当たっているのです。いい加減それを認めて反省してください。

そうしないと(今以上の)大変なことが起きるからです。

正味な話、こんなことが起き出してもうどうしていいか分からない、そういう人もいるでしょう。

そういう人は私のいうことをきいてください。

そうすれば助かるからです。この災いを受けなくてすむからです。

私のことを悪くいう人は悪魔に憑かれているのです。最初から私が正しかったのです。だから私にだけ奇跡が起きているのです。

私のいうことが(していることが)唯一正しいからです。

しかし、そのような悪魔に憑かれた人たちは、それを(私のしていることを)さも間違っているかのように吹聴し、私一人を悪者に仕立て上げ、私のいうことを誰もきかなくしたのです。

そうすれば、その人たちが不幸になることが分かっていたからです。

私を悪く思えば思うほど不幸になります。(それはそうです。正しいことをしている人を悪く思うのですから)悪魔たちはそのことを知っていて、そのように導いたのです。

その悪魔の計画通り、多くの人が私を忌み嫌い顔を見れば嫌がらせです。(マァ、陰でも散々悪口をいわれているのでしょうが)

そんなことをしていれば、必然的に罰が当たるようになるのです。それだけ恩を仇で返す行いもないからです。(心を救われている者に感謝もせず、その人の悪口をいって嫌がらせを繰り返す、これ以上の悪い行いはありません)

だから多くの人が不幸になっているのです。やっていることが間違っているからです。

そういう恩を仇で返すようなことをしてはいけなかったのです。私はただ多くの人の心を救っていただけだからです。

その心を救うために気づきの現象を現していただけだからです。

だから、そのことに素直に感謝しなければいけなかったのです。私に感謝するのであれば多くの奇跡が起きたからです。

しかし、多くの人は、その私に感謝一つしなかった。それどころか私のしていることに怒り、ねたみ、ひがみ、嫌がらせしかしなかった。

その結果、現状のような多くの災いを招いたのです。

自分たちの行いが間違っていたからです。

実際に私のいうことをきき、奇跡が起きている人はたくさんいます。それが私のいっていることが間違っていない何よりの証拠なのです。

しかし、私を悪くいう人たちのいうことをきいている人たちに一体何が起きているのでしょうか?

実際に悪いことばかりが起きているのです。それが、その人たちのいっていることが間違っている何よりの証拠なのです。

間違っていることをきいて間違ったことをしているから悪いことが起きているのです。

だいたい、そういう人たちのいっていることが本当に正しいと思いますか?その人たちのいっていることは何でもかんでも悪いことを私のせいにしているだけなのです。

何か悪いことが起きたら私のせい、私が知らない人が病気やけがをしても私のせい、消防車が走っていっても私のせい、パトカーが走っていっても私のせい、とにかくサイレンがしてきたらそれはすべて私のせい。

頭がおかしいですね。そういうことをいう人はです。

よく考えてみてください。

もし悪いことをすべて一人の者のせいにしている人がいるとしたら、その人は頭がおかしいと思われないでしょうか?

普通に考えれば、そういう考えはどう考えてもおかしいと分かるはずなのに、この辺りの人たちは、それが私が対象になると、そのおかしなことをおかしいと思わなくなるのです。

「起きている悪いことはすべてあいつ(私)のせい」といわれると、この辺りの人たちはそれを本気で信じてしまうのです。

分かりませんか?

すでにもう自分たちがおかしくなっているということがです。

もう狂わされているのです。悪魔たちにです。

その悪魔の言葉に騙され、まったく正しい判断が出来なくなっているのです。この辺りの多くの人たちはです。

だから悪いことばかりが起きるのです。

自分たちのしていることがすでに狂っているからです。(狂っていることをしているのなら、狂っていることしか返ってきません。因果応報です)

その自分たちが狂ったことをし続けている、そのお返しが自分たちに返ってきているだけなのに、それを私のせいだと思い続けて怒っているのです。多くの人がです。

だから早くその間違いに気づかないといけないのです。

本当によく考えてみてください。

何で鳥がたくさん寄ってくるような愛ある現象が次々に起きている者が悪者なのですか?

普通は、そういう愛ある現象が起きている者を悪者とは思わないはずなのですが、この辺りの人たちは、そのような現象を見ても何も思わず(その時点ですでにおかしいのです)むしろ、そのような現象に腹を立てる人までいて(そのような人はもう悪魔に憑かれています。悪魔は愛深い行為を見ると腹が立ちますから)そういう愛ある現象をさげすんでいる人までいるというのですから、その点だけ見ても、すでに自分たちの考えはおかしいと分かるのではないでしょうか。(異常に愛がありません。本当に悪魔のようです。そういう現象を微笑ましく思えないのですから)

悪魔のような者に、あの気の小さい鳥たちがたくさん寄ってくると思いますか?

悪魔にそんな愛ある現象が起きるはずがないのです。

多くの人たちは悪魔に騙されすでに自分自身が悪魔のようになっているのです。だから、光の天使が悪魔に見えるのです。

自分の心に愛がなくなっているからです。(だから一人の者をよってたかっていじめることも出来るのです。心に愛がないからかわいそうという思いが全然出て来ないのです)

悪魔のいうことをきき続けているのなら当然そうなります。悪魔は愛が一番嫌いであるからです。(悪魔のいうことをきいていれば知らず知らずのうちに心から愛がなくなっていくのです)

悪魔に多くの生き物が喜んで寄ってくるなどということは絶対に起きないのです。

私が悪魔なのか、それとも光の天使なのかということは、そのような多くの生き物たちが証明しています。

その光の天使を悪魔と思い込み、悪いことをし続けているから、多くの人たちに悪いことが起きているのです。

当然そんなことをすれば天罰はくだるからです。

自分たちの行いが悪いから、自分たちに悪いことが起きているのです。ただそれだけなのです。

そうであるなら、この天罰を止める方法は誰でも分かるはずです。

「間違っている自分の行いを正す」それだけなのです。

私を悪く思うからいけないのであり、私が正しくて、私は多くの人を救っている、そう思えばいいのです。

そうして、そのような気持ちで私に感謝すればいいのです。そうすれば、その(周りに)起きている災いが自分たちに起きることはないからです。

そのような態度こそ正しいからです。

「そんなことが出来るわけがない」ではないのです。多くの人が悪魔に騙されているのです。

だから、何も悪いことをしていない私を悪者と思いこんでいるのです。

その洗脳をとかないといけないのです。自らです。

そうしなければ必ず不幸になるからです。(現に多くの人が不幸になっているではないですか。悪魔のいうことをきいてです。私のいうことをきいている人はみな奇跡が起きています)

大人がまずそれを始めなければ子供がそんなことが出来るわけがありません。

まず大人たちが自分たちの洗脳を自らとくべき努力されることです。自らの間違いをはっきり認めることです。そうすれば子供たちもついてくるからです。

これだけ悪いことが起きているのです。もう私のいうことに従うしかないのではないですか?

他の人たちのいうことなど(この災いを止めるのに)何の効果もないからです。

間違った考えに支配されている子供たちを救いたいのであれば、まず大人たちがそれを実践されることです。手本を見せることです。

そうすれば、子供たちもそのような大人たちに習うからです。

しかし、大人がいつまでも我を張って、私に対する考えを変えなければ子供たちも変えません。

そうであるなら、大人も子供も両方に災いは現れるということになります。

大人がまず正しい手本を示されませんか?

そうすれば、子供たちは必然的に助かって行くからです。

(この辺りの大人の人たちは、子供に対する愛もないのですか?今のままでは将来ある子供たちがかわいそうだと思わないのでしょうか?こんな災いが起き続けているのなら勉強どころではないからです。自分のことだけではなく、そういう子供たちのことも考えられてはどうでしょう。そういう広い心が〔子供だけではなく〕自らも救うことになるからです)

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1月 17 2017

世界を変える

それにしても凄いですね。もうそこらじゅうの人が怒っています。(明らかに増えていますね。怒っている人がです)

これだけ怒っている人が多いと黙っていられないので書きますが、なんでそんなに怒っているんですか?

そんなに怒っていて楽しいんでしょうか?(怒っているんですから、楽しくはないのでしょうが)

そんな怒るようなことが起きるということは、自分たちのやり方が間違っているから怒るようなことが起きているのであり、自分たちのやり方さえ間違えていなければ怒るようなことは起きないのです。

自分たちが(怒っている人たちが)間違ったことをしているのではないですか?その行いを反省されてはどうでしょう。

それ以外、その災いが止まる手立てはないからです。

少しは私を見習ってはどうですか。私はやり方を間違えていません。だから楽しいことばかりが起きているのです。

昨日でも庄内川を歩いていましたが、もう多くの鳥たちが私の周りを飛び回り(すずめ、ムクドリ、カラス、トビ、カモメ、あとは名前を知らない鳥が何羽も)まるで天上界にいるようで、庄内川の川岸を歩いているだけでしたが本当に楽しかったです。

そのこと自体はね。

あとはダメでしたけどね。何せ、一歩庄内川を出ると周り中の人が怒っているからです。(当然こちらも腹が立ちます。あちこちで嫌がらせをされるからです。まるで地獄界にいるようでした。〔苦笑〕)

私からすればです。そういう人たちがいなければ楽しいことだらけです。そこらを歩いているだけで(特別鳥に限らず)そこらじゅうの生き物がいろいろかまってきて心が癒されるからです。(私は生き物たちとすでに調和が出来ていますから)

だから、周りの人たちがなんでそんなに怒っているのか意味が分からないんですが…?

でっ、その怒っていることが全部私のせいなんですか?本当に異常ですね。この辺りの人たちはです。

その考え方が大きな間違いであるといつまでたっても気づかないからです。

それだけ大間違いをしていれば悪いことは当然起きます。自分たちが間違ったことを続けているからです。

まだ分かりませんか?もう自分たちのやり方(心と行い)では通用しないのです。(悪いことが起きるのです)

すでに時代が変わってきているからです。(正法の世にです)そのような心と行いのままでは悪いことが起きるのです。

やっている行いが善ではなく悪であるからです。

「そんなことはない。今までこのようなやり方をしていても悪いことなど起きなかった。だから悪いことなどしていない。だからこれだけ悪いことが起きているのはお前のせい」といくらいわれても、これまではそのことに気づいていなかっただけなのです。

悪いことに対する気づきの現象が起きて来るのが遅かったからです。

しかし、もう時代が変わり、その気づきの現象が起きて来るのが早くなったのです。だから、段々死ぬ人が増えているのです。(多死社会)

間違った行いをし続けているのに気づかず、天罰を受けている人が多いからです。

この辺り、なぜ怒っている人が多いのか、これで分かってもらえると思います。

つまり、この地域の人たちは、いろいろ起きて来ることが偶然ではなく必然と気づいたから怒っているのであり、他の地域の人たちは、いろいろ起きて来ることはすべて偶然であるとまだ思っているから怒らないのです。

だから私を知らない人たちは、多死社会になったといっても、それは高齢化社会になったのであるから当たり前であるくらいにしか思わず、天変地変が起きても偶然そうなった、事故や病気になってもたまたま運が悪かったからそうなった程度にしか思わないから、怒りもわいてこないのであり(すべて偶然であるから仕方がないと思ってです)この辺りの人たちは、すべてそういうことは必然でそうなっていると気づいたから怒りがわいてくるのです。

その必然をすべて私のせいだと思ってです。

おいおい、という感じですが、この辺りの人たち、いろいろ起きて来ることが偶然から必然と分かったのはいいんですが、その必然の原因をみな私のせいにしてはいけません。

そこまで分かったのなら、その先も分からないといけないのです。(因果応報、善因善果、悪因悪果)それが分からないと結局不幸になるからです。

いってはいけませんが、そういう中途半端な分かり方が一番いけない。だから、この辺りは集中して悪いことが起きているのです。

自分たちの罪をみな私に擦り付けているからです。

せっかく、起きて来ることが偶然から必然と分かったのです。しかもこれだけ多くの人がです。(どれだけ多くの人がそれに気づいたのか分からないくらいです。日本だけでなく世界の人までです。だってこの辺りにいる外国人まで私のことを怒っているくらいですから。〔苦笑〕)

では、しっかり理解しませんか?そうすればよいことが起きて来るからです。

よい原因をつくればいくらでもよい結果が現れて来るのです。それは私が証明しています。

しかし、これは逆に考えれば大変なことなのです。もしかしたら世界が一変に変わってしまうかもしれないからです。

もちろんよい方にです。

これは画期的なことですよね。

だって心が変われば起きて来る現象も変わると多くの人が気づいたのですから。

では、やり方さえ変えれば、よいことが起きると大勢の人が知ったということになります。本当にこのことに気づいた人が大勢いるということは素晴らしいことなのです。

だって、大勢の人がそのやり方を変えるなら、よいことばかりが起きて来る世の中に変えることが出来るからです。

現在、悪いことばかりがたくさん起きている世の中を、よいことがたくさん起きる世の中に一変に変えることが出来るのです。

そのやり方を知っている人が大勢いるからです。

これ以上の画期的なことはないのではないですか?

何千年も前から伝えられてきた釈尊やキリストの本当の神理を、いま多くの人が理解しつつあるからです。(この「考え方で現れる現象は変わる」これこそ釈尊やキリストが伝えられた神理の真意なのです)

こう考えるのであれば、この辺り大変怒っている人が多いのですが、実は今、大変なことが起きていると分かるはずです。

『心を変えれば起きて来る現象は変わる』

もし、このことに世界の人が気づくのであれば世界が変わります。

その世界を変えることが出来る、その方法をこの辺りの多くの人は(私を知っている人は)すでに知っているのです。

その大変な事実にいつ気づくのですか?

それを理解し「自分の大きな使命」に気づくのであれば、いつまでも自分の殻の中にとじこもって自分のことばかりしていたり、悪いことを責任転嫁している場合ではないと気づくはずです。

自分の心と行いをこの法に合わせて変えてみませんか?

そうすれば世界を大きく変えることが出来るからです。

(災い転じて福となす。やりませんか、このブログを読んでいる人たちは世界を変えることが出来るのですよ)

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1月 15 2017

愛が足りないために起きた災い

今日は一面真っ白ですね。この辺りはずいぶん雪が降っています。

この雪のように真っ白な心であるなら、どんな災いも起きないのでしょうが、残念ではありますが多くの人が心をずいぶん汚しています。

だから悪いことが起きているのです。

昨日も雪が降っていたものですから家を出て行かなかったんですが、それでも家の周りの何人かの人たちが、家に私がいるのが分かると近くでガタガタ音を立てて怒っていました。

この近所の人たちは不幸が起きている人が多いからです。

そういう起きている不幸をみな私のせいにしているのです。本当にあいた口がふさがりません。

このような人たちは自分たちの汚い心を棚に上げているからです。

そういう人たちは普段から人の悪口はいっていないんでしょうか?意地の悪いことを人にしていませんか?(私は散々されていますが…)

中には悪魔に憑かれている人たちもいるようですが(自覚のある人はいくらでもいますよね。私がその耳元できこえている声は悪魔ですよと皆に教えてあげたからです)悪魔に憑かれているようでは相当心が汚れているということになります。(汚い心の人にしか悪魔は憑けませんから。心がきれいで光が出ているような人に悪魔は憑くことが出来ませんから)

なんでそんなに心が汚れているのですか?自分で自分の心を汚しているからでしょう。(人の悪口や嫌がらせなど、そのような間違った行いをし続けてです)

そういう汚い心の持ち主であるなら(その汚い心が原因となって)悪いことは起きます。それを私のせいになどしているからよけい悪いことが起きるのです。

それでは汚い心がよけい汚れるからです。(罪に罪を重ねるのですから、よけい心は汚くなります)

だいたい、この辺りの人たちなど私のブログを読んでいる人も多いのに、少しの感謝もしないし嫌がらせをするだけして詫びの一つもないのです。

そういう態度を普段から取っていて、なんで悪いことが起きると私のせいなのでしょう。

どう考えても悪いことが起きた原因は、その自分たちの普段からの行いにあるのではないでしょうか。

そのような悪い行いを悪いという自覚がなく普通に行っているからです。

そういう明らかに自分たちが悪いことをしているにもかかわらず、なお、その悪いことを私のせいにし続けて嫌がらせを繰り返している、そのような(悪に悪を重ねている)行いが、この辺りに次々に災いとなって現れているのです。

その起き続けている災いは、自分の行いが自分に返ってきているだけだからです。(善因善果、悪因悪果)

いい加減それを認め、自分のこれまでの行いを反省し、よい方に変えられたらどうですか?

そうしない限り、その起きている災いは止まらないからです。

それを責任転嫁し、どれだけ怒っていてもダメなのです。

悪いことが起きている、その原因は自分にあるからです。

そうして、中学生や小学生も同じなのです。

散々そういう子供たちも心を汚しているのです。普段から人の悪口をいったり、いじめなどしたりしてです。

そればかりでなく、家で親から毒をもらっているということもあります。(子供の前での夫婦喧嘩や人の悪口などは十分子供に毒を食わせています)

そういうことで心を汚している子供などが私に嫌がらせなどしてきた場合、一発で現象が現れます。(心が汚いため、私が祈ると即座に気づきの現象が現れるのです)

しかし、それを私のせいにするのはお門違いなのです。

親が普段から子供への愛を欠かしていなければ、私がどれだけその子を祈ろうと、そういう子供に悪いことが起きるわけがないからです。(親の愛で心がきれいになっているからです。心のきれいな子に不幸は起きません)

私に何かして(そうして祈られて)悪いことが起きた子がいるのであれば、それは親の愛がその子には足らなかったと、その子の親が自分たちの子供に対する愛の少なさを反省しないといけないのです。

子供が小さければ小さいほど親の影響は大きく子供に現れるからです。(そういうこと〔親の愛の少なさ〕まで私は教えてあげているのですから感謝してもらわないといけない。子供に何か起きたからと私に怒るのではなく、自分たちの子供に対する愛が足りなかったことを反省するのです。そうすれば奇跡は起きるからです。すべて心の持ちようなのです。その心の在り方一つで奇跡も災いも起きるからです)

どのような災いも自分たちの愛が深ければ起きませんし、愛がなければないだけ災いは起きやすくなります。

そのようなこともすべて自分たちの責任なのです。

だから、愛や慈悲を説かれ、その愛と慈悲の塊であられた釈尊やキリストには災いが起きなかったのです。

愛深く、慈悲深かった釈尊やキリストは、その災いの原因をつくられなかったからです。

このように考えるのであれば、悪いことをすべて私のせいにしている(この辺りの)多くの人たちが、いかに的外れなことをしているのかお分かりいただけると思います。

すべての悪いことは自分たちの愛が足りなかったから起きていることであるからです。

愛があるなら、私を悪人に仕立て上げることもなかったし、嫌がらせをすることもなかった、つまり災いの原因をつくることはなかったということです。(では、災いなど起きません。その原因をつくっていないからです)

しかし、この辺りの人たちは愛が足りなかったため、私に心を救われているにもかかわらず、まったくそれに感謝しなかったのであるし、きいている噂が正しいかどうかの確認もせず、一方的に私を悪人と思いこみ嫌がらせをし続けた、その結果、災いが次々に現れるようになったということです。

この災いが起き出したすべての原因は、この辺りの人たちに愛が足りなかったため(自分たちの行いを間違えて)起きたことであり、もし、愛深い人が多かったのであれば、これだけの災いは起きていなかったのです。(そういう人たちは私に対する評価も正しいものであったはずだからです。つまり間違った行いはしなかったということです)

それどころか、もし愛深い人が多かったのなら(正しい人が多かったのなら)多くの奇跡が起きたのです。

愛は奇跡を呼ぶからです。(キリストしかりです)

そういう愛深い人たちに私が法を説いたのなら、そのような人たちには一変に奇跡が現れます。

そのような(愛深い)心の持ち主がこの辺りに多ければ、今頃この辺りには多くの奇跡が現れユートピア化していたのかもしれません。

これだけ私のいうことを(法を)きいている人たちは他にいないからです。

しかし、残念ではありますが、そういう愛深い人たちがいなかった、それが現状のような悲惨な状況を現している理由であります。

すべて自分たちに愛が足りなかったから(判断を間違え)このような悲惨な状況になっているのであり、その現れている悲惨な状況は人のせいではないのです。

それをいつまで否定し我を張り続けるのですか?

その我を張り続けている間は災いは止まらないのです。

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