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2017年3月

3月 30 2017

本当のご利益

ほんと呆れますね。もう、そこらじゅうで怒っています。

歩いている人は、ずいぶん引いている人が多いようですが(引きながら怒っています)あちらの家、こちらの家で私が歩いていると怒って雨戸を閉めています。(別に台風が来ているわけでもないのにです。〔苦笑〕)

この近所の人たち、やたら怒っている人とやたら引いている人とに極端に分かれているようですが(マァ、引いている人も腹の中では怒っているんでしょうが)本当に大丈夫でしょうか。

なんか大変なことが起きていませんか?もう多くの人の態度がずいぶんおかしいからです。(前の会社も朝からやたら怒っていると思ったら急に静かになるし、運転手連中も変ですね。市バスの運転手など、ずいぶん顔が引きつっている人が多いし頭を下げてくる人までいます。どうしたんでしょうか?)

メチャメチャ起き出したんじゃないですか。恐ろしい現象がです。

だからそんな極端な態度になっているんでしょう。

違いますか?

だとしたら、いつまでも責任転嫁をしていても危ないだけです。起きていることを真剣に考えないと、死ぬことになるかもしれないからです。

それほどの現象が起きていると思われるからです。

いってはいけませんが、それもご利益なのです。本当の神の教えのです。

奇跡もご利益なら天罰もご利益です。

その本当の神の教えのご利益が特にこの辺りはたくさん現れているのです。

この辺りの人たちも神の教えを実践していることには変わりがないからです。(ただし、神の教えに逆らう方の実践ですが)

この神の教えに関わり、その神の教えに対して何らかの行いをしているからご利益が現れるのです。

この教えに関わらなければ、これほどのご利益もないはずだからです。

もちろん、もう多死社会になっていますので、それなりに現象は現れますが、それでもこの辺りほどの現象は現れないでしょう。(何かそちらはすさまじそうですし、私は私で、あらゆる生き物が寄って来ますし)

この辺りに、これだけ次々に様々な現象が現れているのは(私だけではなく)この辺りの多くの人が神の教えに関わりを持ったからです。

だから、そのご利益が現れているのです。

この教えに従うと奇跡が起きるということも確かにご利益でしょうが、この教えに逆らうとこのような悪いことが起きるということもまたご利益なのです。

そういうことも起きなければ正しい教えに逆らうことの間違いも分からないからです。

この辺りで次々に悪いことが起きているのは、それだけ正しい教えに逆らう人が多いからです。

だからそれだけ悪いことが起きるのです。それもこの法のご利益であるからです。

だからこの辺りで悪いことが起きている皆さんは、正しい教えに逆らうと、これだけ悪いことが起きますということを証明してくれているのです。

そういう意味ではありがたい存在ですね。少なくとも後世の人たちにはこの教えの正しさがよく分かると思うからです。(今の時代の人たちには分からないかもしれませんが。その今、起きていることの本当の正しさが分かるのは五十年から百年は先だといわれますから)

くだらない我をいつまでも張って責任転嫁ばかりしているから、いま起きている正しいことが分からないのです。

いま現在、大変なことが起きているのです。

まだ分かりませんか?この教えの正しさがです。そうして自分たちの愚かさがです。

正しい教えに関わっているからこれだけのご利益が現れるのであって、そうであるなら、この教えに従わない愚かさは分かるはずです。

この教えに従い実践すればするだけ(それだけ悪いことが起きているのなら)それだけの奇跡も現れるはずであるからです。

これまでの既存の宗教でも新興宗教でも、これだけご利益のある教えはありませんでした。

そのような教えはすべて間違っていたからです。だから何も起きなかったのです。

間違っているものにご利益はないからです。

どこどこのお寺に行くと運勢がよくなる、あそこのパワースポットに行くとパワーがもらえる、すべてそれは嘘なのです。

本当に運勢がよくなり、パワーがもらえるのなら、その後、何がしかのよいこと(奇跡)が起きないといけないからです。

現に、そういうところに行った、そうして運勢がよくなった、パワーをもらったということを書いている人はたくさんいますが(有名人のブログなどに)その後、こういうよいことが起きた、このような奇跡が起きた、などと書いている人はほとんどいません。

皆無といってもいいくらいです。

なぜでしょうか?何でそれほどのよい場所に行って、祈ったり何なりしておきながら何も起きないのでしょうか?

それはその場所には何の運勢がよくなるようなこともパワーもないからです。

そういわれているだけで、実際はご利益がもらえるような場所ではないからです。(だからそういうのも詐欺にあっているようなものなのです。パワースポット詐欺です。〔苦笑〕)

それは既存の宗教でも同じなのです。

既存の宗教が何の力も持たないということは、この前起きた、あの栃木の雪崩事故でも分かるのです。

ニュースでいっていましたが、あの雪崩で亡くなった高校生の中に、毎朝、仏壇に線香をあげてから学校に行く高校生もいたそうです。

しかし、そういうことをしていない高校生が生き残り、そういう功徳を毎日積んでいるはずの高校生が亡くなったのです。

なぜでしょうか?おかしいのではないですか。

普通であるなら、そういう普段から功徳を積んでいる人が助からないといけないはずだからです。

そういう時こそ、そのような普段から功徳を積んでいる人に神のご加護(ご利益)があって当然であるからです。

しかし、実際には逆のことが起きているのです。

功徳を積んでいるはずの人が亡くなり、功徳を積んでいない人が助かっているのです。

なぜでしょうか?

そのようなこと(線香をあげるようなこと)は何の功徳にもなっていなかったからです。(これが現実なのです)

だからその高校生は助からなかったのです。

もし、そのような行いが功徳になっているのなら、そのとき助かったであろうし、普段からもう何らかの奇跡が現れていたはずであるからです。(私のようにです)

本当の功徳を得られるようなことをしているのなら、何らかの奇跡は現れるのです。

正しい教えを実践するなら、そのようなご利益は必ずあるからです。

本当にやっていることが正しければ、もう周りに何らかの奇跡が次々に現れる、そういう時代になっています。

そのような起きて来る現象で自分のしていることは正しいのか、それとも間違っているのかを判断してください。

口で嘘はいくらでもつけますが、その起きて来る現象に嘘はないからです。

これほどご利益がある教えは他にありません。(起き続けている現象がその何よりの証拠です)

そうであるなら、一刻も早く皆この教えに帰依されてはどうでしょう。

それが一番、安心、安全を得られる道であるからです。(最近はよく、この安心、安全という言葉が出てきているようです。せっかくですから使わせてもらいました。〔笑〕)

追伸…病気が治る治らないということでもそうです。

最近、有名人のブログなど見ると、癌などなっている人が多いですね。(本当に多いですね。それだけ癌になる人が多いということでしょうか?)

それで今はよくなったが、いつ再発するか心配だとか、早く健康になりたいとか書いていますが、もし本気でそう思うのであればです。

この教えをやらない手はないでしょう。何回も書いていますが、これだけご利益のある教えはないからです。

この教えをしっかり実践できるのであれば、様々な奇跡が現れ、まず癌が再発することはありませんし(それを中途半端にしかできず)仮に癌が再発したとしても、それなりに救われて行きます。(癌の痛みがとれたり、死後の安らぎを得られたりです)

しかし、この教えを知っていながら、それでもやろうとせず、それで癌が再発して死ななければいけなくなるようなら、これだけ悔いが残ることはありません。(死んだ後、死ぬほど〔もう死んでいますが〕後悔しますよ。地獄でです)

もし、そういう人でこの教えを知っている人がいるのであれば、そういう人こそ一刻も早く、この教えに帰依された方がいいでしょう。

それが早ければ早いほど神の奇跡が現れやすくなるからです。

手遅れになってからではもう救いようがないからです。

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3月 28 2017

心が一番の問題

この辺り最近特に様子が変です。(マァ、前からといえば前からなんですが…)

昨日でも歩いていると、やたら怒っている人たちが多いところがあるかと思うと、広い公園に人っ子一人いなくて(その公園はこれまではいつも私が通ると子供がたくさん遊んでいました)その辺りは公園だけではなく歩いていても人が誰もいなくてシーンとして、まるでゴーストタウンのようでした。

怒っている人が多いところもあれば、誰もいないところもあり、私が通るところは何か知りませんが、そのような両極端なところが多いのです。

本当にずいぶん私は嫌われているようですが、何で悪いことが全部私のせいなのでしょう。(ほんとテレビドラマじゃないんですから、普通そんな極端な態度、みながみな取らないでしょう。〔苦笑〕)

私の何が悪いというのですか。

祈りですか?

しかし、私の祈りは嫌がらせをして来る人に対し「この人を正しくお導きください」と祈っているだけなのです。

嫌がらせという悪い行為を行って来るから、私はそれを正しい祈りで返しているだけなのです。

何でそれがいけないことなのでしょうか?

悪いことをしているのは嫌がらせをしている人たちの方なのです。(大人であろうと子供であろうとです。だから悪いことが起きるのです)早くそれに(間違った自分たちの心と行いに)気づいた方がいいでしょう。

そのような間違った心と行いに、いつまでも気づかないとコロッと逝くかもしれないからです。

そういう現象が(どうしても分からない人はあの世に引き上げられる)そこかしこで現れはじめているからです。

それはウナッシーさんのコメントを見れば分かるはずです。

ウナッシーさんのご近所だけでも今年に入り、次々に人が亡くなっているのです。

しかし、そのような恐ろしい現象はあくまでウナッシーさんのご近所だけであって、もっと広い範囲を見るならもっと起きているでしょう。(当然この辺りはもっともっと起きているはずです。悪いことをする人が〔自覚がないだけで〕多いからです)

だから多死社会になっているのです。

昨日でもそうでしょう。あの栃木のスキー場での雪崩事故などひどいものです。

八人が亡くなり四十人が重軽傷を負ったのです。

いくらスキー場とはいえ、この時期にあれだけの大雪になるのは珍しいとのことですが、そういうところに集団で高校生が行ってまとめて雪崩に遭うのです。

これ以上、運の悪い話はありません。

しかし、そういう運の悪いことが起きてしまうのです。心の在り方を無視しているからです。

その運は自分たちの心が呼ぶからです。(それはこれまで何度も書いていますが)

だから、何よりも先にまず心をきれいにしないといけないと私はいっているのです。

そうすれば少なくとも、そのような悪いことが起きることはないからです。

一見すると、なぜ、あんなよい人にあんな悪いことが起きたのか、と思うようなことが多々ありますが、それはその人の外見(そとみ)だけでそう判断しているのであって、心の中は分かりません。

そのようなよいと思われている人に悪いことが起きるその原因は、その人の心の中にあるのです。

どれだけ善人のような人であっても、心に不平不満をたくさんため込んでいたり、あるいは表面上は善人でも心の中が悪人である人(例えば、表には絶対に出さないが、心の中では人のことをボロカスいって、人が何人死のうが関係ないなどと思っているような人、こういう人は実際は悪人なのです)こういう人には悪いことが起こります。

そのような心が災いを呼ぶからです。

だから当然、悪いことをしている人たちも悪いことは起きるのですが、しかし、案外悪いことをしている人たちよりも、悪いことをしていない人たちの方が悪いことが多く起きているような印象がありますが、これはその通りなのです。

悪いことを実際にしている人たちよりも、悪いことをしていない人たちの方に悪いことが起きることが多いのです。

それはなぜか?

行いはよくても心の中が凄く悪いという人が案外多いからです。

悪いことをする人は、実際にその悪いことを行いますので、それほど悪いことを心にため込まないのです。

その心の差が悪いことが多く起きる、起きないの差となって現れるのです。

もちろん、悪いことをすればそれが自分に返ってきます。だから悪いことをした人は当然不幸になるのですが(警察につかまったり、仮にこの世で逃げおおせたとしてもあの世で地獄に堕ちてです)しかし、心の中に悪をどれだけため込むのかということが一番問題なのであり、その度合が、この世にいいことが起きる、起きないの違いとなって現れるのです。(この辺りの人たちは心も悪ければやっていることも悪い〔法を説く人への悪は一番悪いことですから〕だから、どこよりも悪いことが起きているのです。一番悪いことを実践しているからです)

すべて心の問題なのであり、その心さえ正しくしているのであれば悪いことが起きることはないのです。

ところが現代の人はそれをまったく知りません。

表面上だけよければそれでいい、心の中は関係ないと思っているのです。それがいけないのです。

だから不幸になるのです。その心が一番問題であるからです。

これまで問題にしてこなかった、その心が一番問題になる時代が来ていますが、その心を問題にしてこなかった人たちは、心が問題となる時代になって、では、その心の正しい在り方が分かるのでしょうか?

これまでそんなことをまったく考えて来なかった人たちがです。

私は正しい心で正しい行いをしているから奇跡が起きているのです。

このような時代になって、それでも次々に奇跡が起きている、その起きていることの大きな違いを少しは理解されてはどうでしょう。

その違いが、今後の人生を大きく左右することになるからです。

その大きな違いに気づかない限り、自分たちの不幸は止まらないのです。

追伸…新横綱の稀勢の里が奇跡の逆転優勝を果たしました。

ずいぶん多くの人が感動したでしょう。場所中にあれほどのけがをしていながら、それでも最後の最後に逆転優勝を果たしたからです。

このような奇跡の逆転優勝、そうして新横綱での優勝は二十二年ぶりであり(何か奇跡の連続ですね)稀勢の里からも「最後はもう自分の力以上のものを感じた」「場所中には見えない力を感じた」などの発言が相次いでいるのですから、これはもう神の力が働いていたといわざるを得ませんね。いや凄いです…といいたいところですが、本当にそうなんでしょうか?

私は今場所、稀勢の里に神の力が働いたのかどうなのかは疑問ですね。

なぜなら神の力が本当に働いたのなら、あんなけがはしなかったと思うからです。(あの日馬富士との一戦でのけがはずいぶんひどいんじゃないですか?)

場所中も(もちろん新横綱のプレッシャーはあったのでしょうが)やっと勝っている印象でしたし、あのけがといい、そのあと千秋楽で二連勝出来たのは、何か横綱になったので意地だけで勝ったように見えました。

とても神の力が働いているようには見えなかったのです。(先場所の千秋楽のようなです。同じ千秋楽でもずいぶん印象が違いました)

だから非常に無理をしているようにしか私には見えなかったのですが(だから大丈夫ですかね。あのけがはです。最後に無理をしたものですから、後々の相撲に響かないか心配です)本当に見えない力を得たいのであれば、それは相撲の稽古だけでは身につきません。

心を磨かなければいけないのです。

横綱は心を磨いているのでしょうか?

その心は、この法の実践以外で磨く方法はないのです。

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3月 26 2017

心が即座に現象として現れる時代

やっぱり時代は変わりましたね。

少し前まではこんなに早く原因結果、作用、反作用の法則が作用するなど(お返しが返って来るなど)考えられなかったからです。(それも一度にです)

末法の世では、たとえ今回のようなまずい法案(カジノ法案)を通したとしても、そのお返しが返って来るのは数年から数十年も先になり、しかも一変に返るかどうかも分からず(そういうことに加担した人たちの心に合わせて返ってきますので)因果応報、善因善果、悪因悪果といったところで、非常に分かりにくかったんですが(そこまで先になってバラバラにお返しが返ってくるようだと、そんなの偶然だろうといわれてです)これだけ早く、しかも一変に返って来るとこちらも説明しやすいです。

そういう意味では分かりやすい世の中になったものです。

間違ったことをすればすぐにその返しが現れるからです。(もちろんよいことも同じですが)

今回の件などわずか数ヶ月でしょう。(カジノ法案はこの前の国会で通ったんですからそんなもんです)それでもうお返しが現れているのです。

本当に考えられないはやさですね。これではこの辺りに悪いことが次々に起きるのも道理でしょう。この辺りの人たちは私に対して悪いことばかりしているからです。

マァ、この辺りの人たちのことはよいのですが(ずいぶん書いていますが、全然自分が悪いという自覚を持とうとしませんから)大阪もまずいですね。

大阪もまた危ないことばかりしているからです。

今回ばかりでなく前にもありましたよね。大阪の人が中心となり、ずいぶんまずいことをやって日本に凄い天気が現れたことがです。

民主党政権時、あの前市長さんが(あの時は大阪府知事でしたっけ?)知事連合をつくり原発の再稼働を止めようとした時です。(どういう名前だったか忘れましたが、私、左翼の集団かと思いましたもん。〔苦笑〕)

ずいぶん私は警告したんですが(そんなことをしてはいけないとです)あんなことをしたばかりに凄い竜巻が起こって、そればかりか、真っ黒な黒雲がもくもくとわいてきたかと思うと、急に気温が十度以上も下がり、もの凄いゲリラ雷雨が起こるという凄まじい天気まで現れました。

そのような行いが神の(エル・ランティーの)逆鱗に触れ(何せご本人を呼んでしまったのですから、こちらがビビりました)それでああいう天気を現されたのです。(結局あの時だけでしょう。あれほど凄まじい天気が現れたのはです)

そういうことでもお分かりになりませんか。時代が変わっているのに、いつまでも同じ考えでいることがいかに危ないことかということがです。

時代が変わったから、これだけのことが起き出しているのです。(次々に災い)皆さんの心が悪いままであるからです。

その悪い心が現れているのです。そういう時代になったからです。(そのような心が即、現れる時代にです。だから私の周りに鳥などがよく寄って来るのです。それもまた心が現れているからです)

私がいい加減なことを書いているのなら、これだけ書いたことが起きるはずがないのです。

ここに警告すると(そういうことはやってはいけないとです)次々に悪いことが起きるのです。(今回のカジノ法案でもそうです)

しかし、こういう風にするとよいですよ、と書いたことを実践すると次々に奇跡が起きるのです。(それも事実のはずです。近いところではこの前のリオ・オリンピックがそうです)

なぜ、これほど書いたことが次々に現実になっているのか?

それは皆さんの心がすぐに現れる時代になったからです。

だから、これだけ早くここに書いた通りの(皆さんの心の通りの)現象が現れているのです。

心が即座に現れる、そのような時代にすでになっているからです。

だからここに書いたことが次々に実現するのです。このブログは、そのような人々の心を思い書いているからです。

そのように時代が変わった(心が即座に現れる時代になった)にもかかわらず、それをいつまでたっても理解しようとしないから混乱するのであって、そういう時代になったと腹を決めて心を入れ替えれば、悪いことなど起きて来ないのです。

それなのに、いろいろ悪あがきしてこれまで通りでよいと(悪い心のままでよいと)何も変えようとせず突っ張っているからいいことが起きないのです。

天変地変が激しくなったのが温暖化のせい?とんでもありません。

それはこの日本の人々の心が変われば分かるのです。

日本の人々の多くがこの法を知って実践するのなら、天気は穏やかになり、天変地変も起こらなくなるのです。

どこどこのパワースポットはパワーが強いだの、このお寺にお参りに行くと運がよくなるだの、いつまでそんな意味のない無駄なことを続けているのですか?

そんなところにわざわざ行かなくても、この法に心を合わせるだけでいくらでも奇跡は起きるのです。

もうこれまでの考えは通用しないのです。そのような考えのままでいては不幸になるのです。

だから不幸になる人がドンドン増えているのです。考え方が間違っているからです。

これまでのように表面上だけ取り繕っていればそれでうまくいく、とんでもありません。そういう人は、すぐにその裏腹な心が現象として現れ災いが起きるのです。

それは信仰でも同じなのです。

これまでのようなお寺や神社に行って祈ったところで、それで何か起きますか?起きるわけがないのです。(むしろ悪いことが起きます。心が悪いままであるからです。だからこの辺りの人たちは信仰者でも関係なく悪いことが起きているのです。その信仰が心を重視していないからです)

そのような信仰の仕方は間違っているからです。まず一番に心をきれいにする、そのような信仰でないともうこの時代、通用しないからです。

心をきれいにするなら、即、奇跡が現れます。そういう時代になっているからです。

心が悪ければ災いが、心が善であるならば奇跡が、即座に現れる、そのような時代になりました。

現れる現象が、その人がよい人か悪い人かを教えているのです。

だから、奇跡が起きれば起きるほど、その人は善人であるということになります。

それなのに、いつまでその善人のいうことをきかず、悪人のいうことばかりをきいているのですか?

だから不幸になるのです。

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3月 25 2017

表面と本質の違い

しかし、例の国有地格安の森友問題は広がる一方ですね。

本当に、いつまでやってんだ、という声も出てきていますが(こちらも何か安い三文芝居を見ているようで食傷気味なんですが…〔苦笑〕)では、安倍総理がやめられたらどうでしょう。

そうすればこの問題も早々に話が収まると思うからです。(それらしいこともいわれているのですから。関係があったらやめるとか何とかです。議員までです)

この問題がどう決着するのかそれは分かりませんが、政治家の関与があったのか、それともなかったのかはもう誰が見ても明白なのだし(何らかの関与があったに決まっているのではないですか。なければあんなに安くなるわけないのだし)総理が関わっているのも明白なのだし(総理夫人の関与はもちろんですが、百万円の寄付の件でも、いくら何でも総理の名前を出してまったくの嘘をでっち上げるなんてしますかね。わざわざ公の場でです。〔一民間人がです〕よほど詐欺師のような人なら別でしょうが、普通はそこまでの度胸はないと思いますが…)私的にはそのような見方しか出来ないんですが、だから、あのような証人喚問は茶番にしか見えないし、そんなものを長々とやっていても仕方がないと思えるのです。

政府側は通り一辺倒のとぼけたことしかいわないし(ああいう態度だからよけい揉めるのでしょうが)誰が嘘をついて誰が本当のことをいっているのかは天はすべて知っています。

いずれは嘘をついた人は裁かれ、嘘をいっているのが誰かは分かるのです。それに一人の人をよってたかって悪者にして自分だけ助かろうとなどすれば、その反動もまた大きくなります。(この辺りのようにです。今の私がそうですから)

中途半端なところでは止まらないんでしょうが、ほどほどにされてはどうでしょう。国会はまだまだ決めなければいけないことが山ほどあるからです。(それに国外の問題も山積していますし)

あまり適当な書き方をしてもいけませんが(正しい税金の使われ方をしていないのですから)そちらの政治的議論はこのブログの本意ではありませんので、それは専門家に任せるとしまして、こちらはなぜこういう問題が起きているのか?ということを書きましょう。

その方がこのブログの本質にあっているからです。

それにしても見事なくらいバチッとはまっていますね。カジノ法案を主導した人たちとこの森友問題はです。

安倍総理、大阪府知事(日本維新の会)自民党、そうして大阪(近畿財務局、それに問題になっている森友学園は大阪府の豊中市です)すべてカジノを先導した人(場所)ばかりです。

だからこれだけ大きな問題になっているのです。それだけカジノ法案は大きな問題であるからです。

あの名指しで指名された大阪府知事など少々驚かれたのでしょうが(いきなりあの理事長が一番怒りを覚えた政治家はときかれ大阪府知事と即答されましたから)あれは神の怒りでしょう。(だって、カジノ法案を一番進めた首謀者は確かこの方ですよね。一番カジノをやりたかったのは大阪のようでしたし)

神の怒りが、あの森友の理事長を通して現れたのです。

でなければ、理事長が一番怒りを覚えた政治家はときかれて大阪府知事と即答するはずがないからです。

しかも、それ以外に怒りを覚えた政治家はいませんか?ときかれても、あの理事長は大阪府知事としかいわれませんでした。

他にもこの問題にかかわった政治家はたくさんいたのにです。

あの理事長のことをマスコミの前でダメ出しした自民党の政治家や懇意にしていて、こういう状況になり一変に手のひら返しをされた政治家もいたでしょう。(安倍総理もその一人であると思いますが)

そういう政治家の名など一切いわず、ただ一番怒りを覚えた政治家は大阪府知事だとだけ強くいわれたのです。

あれだけ安倍総理に対しても失望していたあの理事長がです。

不思議ではないですか?

それだけ多くの政治家に裏切られたあの森友の理事長が、大阪府知事に対してだけ怒っているというのはです。

大阪府知事は、手のひら返しみたいなことをしたのではなく、あの理事長のやり方がおかしかったから森友学園の認可を取り消したにすぎないのです。

そういう当たり前のことをしただけなのに、それにもかかわらず、大阪府知事に対し一番怒りを覚えるとあの理事長はいわれるのです。

なぜでしょうか?なぜ、あの理事長は怒りを覚えた政治家を大阪府知事としかいわれなかったのでしょうか?

それは神の怒りがあの方を通して現れたからです。

だから、大阪府知事一人だけにあの方は怒りを感じたのです。

あの森友問題は表面は国有地の格安問題ということになっていますが、実はそれは表面上の問題にすぎないのであって、その本質はカジノ法案を通したことの反動が現れているのです。(このような形をとってです)

だから、この問題はあのカジノ法案に関わった人たちが責められているのであって、だからカジノ誘致に一番力を入れていたあの大阪府知事が一番恨まれ、そうしてカジノ法案を通した安倍総理が(下手すると)首になるかもしれないという状況にまで追い込まれているのです。

それだけカジノ法案は神の心に反する法案であったからです。(だから、カジノ法案に賛成している人たちは怖いですよ。まともに神の心に逆らっているからです。それは安倍総理を見ても分かります。だって安倍総理は自分で自分の首を絞めているようなものなのです。安倍総理がこの問題には私も妻も一切関わっていない、関わっているようなら総理どころか議員までやめるなどといわなければ、この問題はここまで大きな問題にならなかったからです。しかし、そういうよけいなことを安倍総理がいったばかりによけい悪い方向に進んでいるのです。こういうことになるのです。これが神の導きなのです。知らず知らずのうちに〔よい方、悪い方に〕導かれるのです)

大阪(近畿財務局と森友学園)も問題になっているのは、そのカジノ誘致を大阪が一番望んでいたからです。

だから、そのように大阪が責められているのです。

そういう絶対にやってはいけないもの(カジノ)を一番望んでいたからです。(このままだと大阪はよけい景気が悪くなります。神の心に反してカジノ誘致など進めているからです。他の地域も同じです。カジノなど望んでいるところはいいことは起きないのです。神の心に反しているからです。北海道などあれだけ荒れた天気になっているのは原発だけではなくカジノなど望んでいるからです。〔望んでいませんでしたっけ?北海道もカジノをです〕)

ここに書いたことは嘘や後付けでしょうか?その割には当てはまっていませんか。

森友問題でつるし上げを食らっている人たちと、カジノ法案を主導した人たちとはです。

こういうことは起きるのです。間違ったことをすれば必ずその反動はあるのです。(因果応報、善因善果、悪因悪果)

それは人であろうと国であろうと何でも同じなのです。必ず作用反作用の法則は作用するのです。

多くの人々はそれを知らないだけなのです。(そういえばあのマイナンバー制度を主導した大臣も金銭の問題で首になりました。〔あのTPP担当だった大臣です〕あれもそうです。間違った法案を通したからです)

表面上起きていることと、その本質が違うということはよくあることなのです。

しかし、それは神の心を知らないと理解できません。

起きていることの本質を知らなければ正しい判断は出来ないのです。(この辺りなど特にそうです。本質が分かっていないものですから〔すべて責任転嫁しているものですから〕悲惨なものです)

しかし、その本質は神の心を理解しない限り分かりません。

もう神の心が大きく現れる時代になりました。

そういう時代に法を知らなければ正しい判断など出来るわけがないのです。

(とりあえず廃案にされたらどうでしょう。カジノ法案をです。そうすれば状況も変わると思うからです。そうしないと、それに関わった人の状況は悪くなる一方であるからです)

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3月 23 2017

天の力を引き出す法の実践

もう、そこらじゅうで怒っていますね。(私が歩いているとあっちからこっちから、ゴンとか、ガンとか、ゴホゴホとか、ブシュとか、たくさんきこえてきますから。これプラス鳥たちも騒いでいます。もう、うるさい、うるさい。〔苦笑〕)

本当に参りますね。みな馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返しているからです。

残念ですが、そういう人たちは近いうちに全員癌になります。覚悟しておいた方がいいでしょう。

人は誰でも毎日癌になっています。(人には毎日数千個の癌細胞が出来るそうですから)

その癌細胞を免疫力で殺しているだけで、その免疫力が弱ったら即癌です。だから誰であろうと今日にでも癌になるかもしれないのです。(こうやって考えると癌検査って意味があるんでしょうか?毎日癌細胞が出来ているのにです。今日癌検査をして大丈夫だったと安心しても、明日には癌になっているかもしれないのにです)

行いが悪いのならそういう悪いことも起きるでしょう。だから普段から自分の行いは正しくしないといけないのです。

その行いさえ正しければ、そのような悪いことが起きる前に、いろいろな気づきを天から与えられ救われて行くからです。

運がよい悪いとよくいわれますが、しかし、そのような作用はすべて天が行っているのです。様々な順序を通してです。

例えば、交通事故に遭いかけたが寸前のところで助かったとか、川や海で溺れかけたが人に助けられたとか、たまたま検査したら初期の癌が見つかって簡単な手術ですぐに治ったとか、このような運のよいような出来事は、天の力が作用しなければ起こりえなかった奇跡なのであり(これも一つの奇跡です)もしそこに天の力が現れなければ、悪い結果しか出ずに最悪死んでいたということです。

それはそうでしょう。交通事故に遭って死ぬ人はたくさんいますし、毎年、夏になると川や海で溺れて死ぬ人は増えます。

それが助かったというだけでもずいぶん運のよい話なのではないでしょうか。

それに癌で死ぬ人など年間で三十万人もいるのです。しかもその癌など、先ほども書きましたが人には毎日のように癌細胞は出来ているのです。

だから、もし私たちが癌検査で癌の早期発見をしたいのなら、毎日癌検査を行わないといけないということになりますが(しかもどこに癌が出来るか分かりません。癌など体中に出来るからです)それがたまたま検査した時に(その検査したヵ所で)初期の癌が見つかるなど、こんな奇跡的な出来事はありません。

これもまたずいぶん運のよい話なのではないでしょうか。

しかし、そのような運のよい結果が得られたのもです。そこに何かの力が働いているからです。

何かの力が働いたからこれほど運のよいことが起きたのです。(人の力だけではなくです)

その運のよい結果が得られた、その人智を超えた力とは何かということです。

それが天の力であるということです。

これは誰でも自覚していることでしょう。人以外の何かの力が加わったから運のよいことが起きたのであり、その何かの力の意味が分からないから皆それを「運」とか「験」とかいって、運がいいとか、験がよいとかいっているのです。

しかし、その運とか験とかいわれているものが、実は天の力であったのです。

だから、そういう運のよい結果を得られたいのであれば、自分たちの行いを正さなければいけませんよ、そうしないと悪い結果しかでませんよ、と私はいっているのです。

実際に、そういうこと(運がよい悪い)の典型的な出来事がこの辺りで次々に起きているからです。(そうですよね。私は自分の力で何かしているわけではありません。すべて自分以外の力が作用して様々なことが起きているのです)

極端に現れているのではないですか?その運のよいことと悪いことがです。(またどこかの会社が急に怒り出しましたが何かあったんでしょうか?)

だから私には奇跡が起きていて、私以外の人たちは異常な怒り方をしているのでしょう。

そういう(運がよい悪いという)極端な結果が次々に現れているからです。

なぜ、この辺りにこれだけ(運が作用するような)典型的な出来事が次々に起きているのでしょうか?

それはつまり、それだけ極端に天の力が現れるようなことがこの場で行われているからです。

その極端に天の力を現すようなこととは何でしょうか?

それがこの法(正法神理)であるということです。

法を実践することは天を大いに動かし、その天の力をたくさん現すことが出来るのです。

だから、この辺りにたくさんの天の力が現れ、運のよいことと(奇跡)運の悪いことが(災い)これだけ極端に現れているのです。

法の実践以上に天の力を現す(降ろす)方法はないからです。

だから、法に従っている私に想像以上のよいことが起き、逆らっている人たちに想像以上の悪いことが起きているのです。

法の実践を行うなら、よいことも凄まじい現れ方をしますが、その法に逆らうなら悪いこともまた凄まじい現れ方をするからです。

法に従うのか、逆らうのか、その差がこの辺りの人たち(私も含めてですが)に現れているだけなのですが、それがこれだけ極端な差となっているのです。

だから私は「お前のせい」ではなく「自分のせい」であるといっているのです。

自分の行い次第で(特にこの辺りは)凄まじくよくもなりますが、凄まじく悪くもなるからです。(法がこの辺りは伝わっていますから。その法を行うか逆らうかで天と地ほどの差が出るのです)

くだらない意地など捨てて、この法に従ってはどうでしょう。

そうすればすぐにでも幸運は訪れるからです。

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