>>ブログトップへ

2018年9月

9月 30 2018

病気の時の心のあり方

台風二十四号はどうも日本縦断コースを通りそうですね。(ほんと最悪です)

凄い暴風になるとのことですが家がぼろいので心配です。

続いて二十五号も発生したようで、それも日本に来るかもしれないとのことですが、いい加減にしてほしいものです。(ほんと皆さん、いい加減にしてください)

日本はこれでもかというくらい災いが起き、この辺りも凄そうです。(特別警報が出ています。癌のです)

それでも誰も神の教えに見向きもしません。これではよいことが起きるわけがないのです。

この辺りの人たちなど、ずいぶん癌が出ている人が多そうですが、ということは、その癌で入院(または通院)している人も多いということになりますが、そういう人たちは、私のせいで癌になったと恨みながら入院しているのでしょうか?

きっと、そういう人が多いんでしょう。(本当に凄まじい逆恨みです)

そうであるなら、そのような人たちはまず癌で死ぬことになります。

そこは私が保証します。

別に傷口に塩をぬっているわけではありません。そういう心では、どちらにしてもよい結果は現れて来ないといっているだけなのです。

怒りや恨み、悲しみなどの心で入院していたところでよい導きはえられないからです。そういう心は悪でしかないからです。

悪の心を持ち続けながら、入院していては、仮に一時、癌が治ったとしても、後で必ずその癌は再発します。

そのような心がまた癌を呼ぶことになるからです。(悪の心でいては悪い結果しか現れてこないということです)

病気には(特別癌だけではありませんが)心のあり方が、ずいぶん影響を与えるのです。(何度も書いていますが、病気は気の病と書きますから)

心が病気に影響を与えるのなら、よい方に(全快する方に)与える方がよほどよいということになります。

だから病気をした時などは心のあり方が非常に大事なのです。

そのような病気になったのなら特にです。もう死ぬかもしれないのですから、自分が悪かったところを全部反省して、死ぬ前に自分の心をきれいにしてから死んでいこうと開き直って、出来るだけ悪の心を持たないようにして善の心を持ち続け、そうして、全快を(すでに病気が治っている、健康な姿を)心にアリアリと描いていると、その病気は早く治るのです。

そういう(正しい)心が強ければ強いだけ奇跡的な治癒力が現れてきて、病気はよくなっていくからです。

もし、その病気を早く治したいのなら、そのような病気の時の正しい心のあり方は知っておいた方がいいでしょう。

その方がよほどよい結果が現れてくるからです。

一番いけないのが、先ほども書きましたが、グチャグチャ責任転嫁して怒ったり恨んだりしている心や(そんなもの自分が悪かったからそうなったに決まっているのですから)治らなかったらどうしようとか、何で自分だけこんな病気に、などの悲しみの心であり、そのような心は病気に対しマイナスにしかならないのです。

病気を治したいのであれば、先ほど書いた明るく前向きな心になることです。そうすればその病気の治癒力も段違いに違ってくるからです。

そればかりでなく、そのような時に、この教えを実践しているのであれば、ウナッシーさんのコメントにもありましたが、よいアドバイスをくれる人が周りに現れてきて病気の不安も減っていったり、自分にとって一番よい先生(または病院)に巡り合ったり、自分に一番あう薬が出てきたり、そういう様々な幸運(よい導き)があり、そうして法を知っている人に祈られれば、それプラス全快に向かって神の大きな力も加わります。

そうなると、もうどんな病気でも治るということになります。

実際は、その祈りを受ける側の心もありますので(そうして肉体的な部分もです。もう手遅れの人は治りません)百パーセント全快するかどうかは分かりませんが、法を勉強している人であれば、まず悪い結果は出てこないということです。(そういう人は確実に神が力を貸してくださるからです)

だから、例えば癌になったとしても、この教えを実践しているのであれば、悲観することなく、この時とばかりに自分の悪かったところを徹底的に反省し、また、神の力が証明できると希望さえ湧いてくるのであり、そこが、この教えを実践している人としていない人との差なのです。

ずいぶん違うのではないですか。この教えを知っている人と(実践している人と)知らない人とではです。

知らない人など癌になったら、お先真っ暗で、死ぬこと以外考えられないのではないでしょうか。表面上はともかくです。

癌になどなれば、表面上は明るく気丈にふるまってはいても(もちろん回りの人たちに心配をかけたくないという思いで、そのような態度を取るのは、たとえカラ元気であれ大事なことなんですが…)心の中は不安で一杯のはずです。

常に死の恐怖がまとわりついて離れることはないと思うからです。

法を知らない人たちなどです。

そういう心では癌は治りません。(治っていてもまた再発します)癌など思わず、常に明るく前向きな心でいないといけないのです。

死の恐怖など持ってはいけないのです。本来、死は怖いことではないからです。この肉体の世界からのただの卒業でしかないからです。(だから、死ぬことは、また新しい世界に行って勉強できるという喜びが湧いてくるくらいじゃないといけないのです)

しかし、法を知らない人たちは、そのような心になる人は少ないでしょう。癌になどなれば、不安な人たちの方が断然多いはずです。

では、そういう不安で不幸な人たちがこの辺りにはたくさんいるということになります。そのような癌になっている人がこの辺りは(特に)多いはずであるからです。

それは哀れなことです。そういう不安な心でいてはまずその不安な心の通りになるからです。

何度も書きますが、別に傷口に塩をぬりこんでいるわけではありません。

「だから、正しい神の教えは必要なんですよ」ということを強調したいだけです。

どういう時でもです。

自分が病気になった時だけとか、今回みたいに強い台風が近づいて来ている時だけとかに祈っても、その祈りがきかれるわけがないのであって(都合のいい時だけ祈っても、その祈りを神はきいてはくれませんから)だから、普段から神を思わないといけないと、この教えを実践していないといけないと、私はいっているのです。

正しい教えを普段から実践しているのであれば、このような困った時はもちろんですが、何もない普通の時からでも正しい導きを天が与えてくださるからです。

そうであるなら、おかしな道に進むこともないですし、おかしな病気になることもないからです。

不治の病が治ることよりも、そのような病気をしないのが一番ですし、大きな事故をして、命が助かることよりも、そのような事故を起さないことの方がよいのです。

つまり、そのようなおかしなことが、起きないことが一番の奇跡であるということをよく知らないといけないのです。(最近皆さんがよくいわれる「当たり前が一番ありがたい」ということです。これだけ異常なことが起きてこないとそれが分からない。本当に情けないです)

そうであるなら、普段からしていないといけないでしょう。正しい教えの実践はです。そうすれば悪いことなど起きてこないし、仮に起きても、奇跡が起きてすぐに正常に戻るからです。

今これだけの不幸が日本に起きているのは、日本の人々が正しい教えを実践しようとしないからです。(その正しい教えが日本にあると分かっていながらです)

異常なことばかりが起きていたら(現在の日本がまさにそうですが)まともな生活など出来ないのです。(だから、異常なことが起きた方がいいなどと思っている人もいるようですが、そのような考えがいかに間違っているのか、今の日本に住んでいればよく分かるのです)

もう罰当りな態度は改め、正しい教えを少しずつでも実践していきませんか?

そういう(正しい行いをする)人が増えてこない限り、日本に起きている多くの災いは止まらないのです。

(正しい教えを実践するならば不幸な人も(例えば癌になどなってです)幸福になります。〔様々な奇跡が起きてきてです〕今からでも遅くはないのです。今のうちに〔この世にいるうちに〕されてはどうでしょう。正しい教えの実践をです。さすがにあの世に帰ってからでは遅いからです。〔この世で法を無視した人はあの世で法に巡り合うのは大変難しいからです。とりあえず、地獄に堕ちないといけないからです〕)

追伸…なんで北海道は火力だの、水力だの、本州からの電力の融通を増やすだのいっているだけで、誰も原発のげの字もいわないのでしょう。

そのままでは本当に危ないのにです。(北海道の冬のブラックアウト、考えただけでゾッとしますが)

今年は暖冬傾向であるといわれていますが、これでは北海道はどうなるか分かりませんね。

それどころか、多分このままだと北海道は例年より寒くなります。

早く原発を再稼動させた方がいいでしょう。

そうしないと北海道は(本当に)危険であるからです。

2コメント

9月 29 2018

時代が変わることの恐ろしさ

しかし、時代が変わっているのに、考えを変えないということが、どれだけ恐ろしさことなのかということが、いま改めて分かります。

これだけ恐ろしいことがこれだけ起きているからです。

私的には、そのようなことを(時代が変わるということを)すでに教えていただいていた園頭先生には感謝の心以外ないのですが、それとともに、この教えを実践していて本当によかったなということもまた改めて思う次第です。

こういう時代になれば、正しく法を実践している人だけに次々に奇跡が現れて来るからです。(正しい人には奇跡が、間違っている人には災いが、確実に現れる時代になったということです)

この辺りにいると特にそう思うのかもしれませんが(だって周りがあまりに悲惨な人が多いからです)それにしても、凄い発想ですね。

私が多くの人を癌にしているなどという発想はです。(苦笑)

そんなことをするわけがないでしょう。何で私が知らない大人から、小さな子供に至るまで癌にしないといけないのでしょう。(私はどちらかといえば子供好きですからね。しかし、これだけ子供からちょっかいをかけられると、さすがに嫌いになりかけていますが。〔苦笑〕)

そんなことをするわけがないではないですか。仮に、そういうことが出来たとしても、やらないですよね、よほど嫌いな人以外はです。(笑)

冗談はともかく、そんな縁もゆかりも恨みもない人たちを(しかも子供までです)次から次に病気になどしていて、自分が病気になったらどうするのですか?

そんなことをしていたら、自分が病気になった時、誰も治してはくれないではないですか。

それに、どこで、どれだけ多くの人たちから恨みを買うかもしれません。

お願いですから、そういうわけの分からない噂は信じないでもらえませんか。そういう噂をあちこちで信じられたらこちらは命がいくつあっても足りないからです。

少し考えたら、そんなことを一人の者がするはずがないのです。

だいたい、出来るわけがないのです。そんな人を次々に癌にするなどということはです。

因果応報という法則を考えればやれっこないからです。(そんなことをしていたら、自分も癌になります)

それを知らない人が人を呪ったりするのですが、そのように人を呪ったりすれば、自分もただではすみません。

私がピンピンしているのが、私が何も(悪いことを)していない何よりの証拠なのです。

もう少し考えて、そういうありえない噂を判断してほしいものです。

しかし、この辺りは、そういうありえない噂を信じるくらいの異常なことが次々に起きているのでしょう。

だから、そのような噂を皆が信じるのです。

そうであるならです。一人でも二人でも、その起きている異常なことを私に相談しにくればよかったのです。

私に相談しているのなら、その異常なことはその人に現れることはなかったからです。

私なら、そのような現象を抑えることが出来たからです。というか、この私が説いている教えなら、そのような現象を抑える力があったということです。(だから私には奇跡しか起きていないのです)

それなのに、誰も私には相談に来ずに、私一人に、その起きている異常現象の原因を擦り付けた。

その結果、異常なほどこの辺りは癌になる人が増え続けている(人にひどいことをしているから罰が当たっているのです。善因善果、悪因悪果です)そういう状態でしょうか。

私が想像するにはです。

しかし、私の想像がもし当たっているのならです。早く私に相談にきて心を入れかえた方がいいでしょう。

そうしないとまだこれから、どれだけ多くの人が(もちろんそれは小学生や中学生、高校生に至るまでです)癌になっていくか分からないからです。

私の想像は当たっているのではないでしょうか。大人たちはともかく、すでに子供たちの中には私に頭を下げ出した子供がたくさん出てきているからです。

ということは、癌になる子供らがたくさん出ているのではないですか。だから、不安そうな顔で私を見ている子らも出てきているのです。

そういう状況を知っている子がたくさんいるからです。

だとしたら、私の話をきくべきでしょう。そうしない限り、その子らに起きている癌は止まらないからです。

今の心のままでいるのなら、どんどん癌になる子が増えていきます。

大人たちはまだくだらない意地を張って頭を下げようとしませんが、そういうくだらない大人たちなどほっといて、そういうことが起きているのなら、子供たちだけでもいいから、私の話をきくべきでしょう。(そうして、自分の周りに何が起きているのかを、正直にいうべきでしょう)

そうすれば、そのような子から救われていくからです。

このような異常現象はこの辺りだけではなく他でも起きているのではないでしょうか。それは最近、有名人が癌で次々に亡くなっているということでも、その事実が分かります。

そのような現象はやがて小さな子たちにも広がっていくのです。(それはこの辺りを見ていれば分かります)

このような現象ばかりでなく、いま現在、強い台風も(また)日本に迫りつつあります。(すでに沖縄辺りは影響が出ています)

間をおかず、日本には次々に天災まで起きているのです。

これが、時代が変わったにもかかわらず、考えを変えない人が多いと起きてくる恐ろしい現象なのです。

信じる信じざるにかかわらず、そのような不幸なことが次々に起きているということはまぎれもない事実なのです。それにもかかわらず、まだ私のいうことを無視するのでしょうか。

罪を私一人に擦りつけ続けるのでしょうか。

そういうことをすればするだけ自分が不幸になるのです。

もう時代は変わっています。

その変わっている時代に合わせて心を変えなくては、決してよいことは起きてこないのです。

0コメント

9月 28 2018

大きな欠点

もう少しあの相撲協会の親方のことを書きますが、家族と調和できないと、どれだけ他に優れた部分があっても、結局、周りとうまくいかなくなり(調和できなくなり)孤立して離れていかなくてはいけなくなって、そうして最後は家族しか頼る人がいなくなって、やはり家族は大事な存在なんだ、ということを再認識するような順序がついてくるのです。

だから、今回少々、相撲協会に悪いところがあっても、それでも自分が一人で離れていかなくては行けなくなるような順序がついて、そういう状況になれば嫌でも家族の大事さは理解できます。

そこで、自分から「悪かった」とお母さんやお兄さんに(もちろん亡くなられたお父さんにもです)心から詫びを入れ、仲直り出来るのであれば、あの親方はまたよい道がついてくるのでしょうが、そこで突っ張って自分はどんな状況でも生きていけると、家族との調和を無視して自分のやりたいようにやるのであれば、よい道はついてこないということになります。

だから今回、仮にあの親方が相撲協会をやめずにすんでまた親方を続けられることになったとしても、あの皆が知っている親子、兄弟との不仲を仲直りできないことには、また同じような問題が起きてきて、自分だけが仲間はずれにされるような順序がついてくるのです。

それくらい、あの親方の家族間の不仲はひどいものであるからです。(ちょっと周りが引くくらい仲が悪いようですから)

あれはあのままではすまないでしょう。何かそれなりに(反省するような)順序がついてくると、私は前から思っていたのですが、それがこのような形で現れているのでしょう。

だから、あの前回の弟子の暴行問題などもそうなのです。

あの弟子の暴行事件でも、あの親方はあまりに他の親方の弟子を責めすぎて、それが原因で、自分のところの弟子も同じ暴行問題を起したのです。

因果応報です。あまりに偏ったところがあると、同じような問題がすぐに現れてくるのです。

ああいうところでもあの親方の異常な頑なさが分かります。

あの事件は、そういうところ(やたら頑なで人を責めすぎるところ)を直して、家族とも和解しろという導きであったのですが、あの親方は自分たちの弟子の暴行事件だけを解決して、自分の家族の件は少しも考えなかった。

だから、また今回のような順序がついてきたのです。

それでは全然、反省がなされていないからです。自分の大きな欠点のです。(大きな欠点は嫌でも直されます。その欠点を直すためにこの世に出てきているからです)

だから今の自分たちの家族とも(奥さんや子供さんらとも)あまりうまくいってないのではないでしょうか。いくら相撲部屋を持っていたとはいえです。大きな欠点が全然直っていないからです。(本当はその奥さんが、このような欠点は直してあげないといけなかったんですが〔妻の愛が深いなら、どんな頑なな男も柔軟になりますから〕出来なかったのでしょう)

このような大きな順序をもらうということは、それだけ大きな欠点があるからです。

これはこの親方だけではありませんが、自分に大きな問題が起きてきた時は、自分には大きな欠点があると自覚され、それをよく反省されることです。

そうすればまた、よい順序がついてくるからです。

追伸…今日は、昨日の夕方帰って来ると前や後ろの連中が凄い怒りようだったので、これは明日はまともにブログを書けそうもないなと思ったものですから、朝から出て行っていたのです。(それで書きかけのブログをいま書きました)

しかし、表に出て行けば行ったで、とにかくもう皆さん、凄い怒りようなのです。(それかドン引きか)

ずいぶん出ているようですね。癌がです。(そうきくと怒っているところがよけい怒りますから)

要はあれなんでしょう。

人が集まっているところに癌になる人がたくさん出ているようなのです。

だから、大きな現場はもちろん、数十人規模の会社もそう(それ位の規模の会社が特によく怒っています)小学校や中学校、高校もそうなのです。

そういう人が集まるところに癌になる人が増えているのです。

だから、そこらじゅうの人が怒っていて、小、中学生や高校生まで、怒っているのです。その癌になっているのは私のせいなどと思ってです。

しかし、私がそのような人たちを癌にしているわけがありません。(何度もいいますが、私が人を癌になどしていたら自分も癌になります)

そうではなく、時代が段々変わっていくことにより、大変恐ろしいことが起きだしたということでしょう。

それは日本全体を見ても分かるのですが(これほど激しい天変地変が起き続けているのですから)しかし、こちらは大人だけではなく、子供にまで癌が広がり始めているというのです。

一体、どれだけ恐ろしいことが起きているのか分からないということになります。

これから正法の世がどんどん深まって行きます。

では、このような現象はどんどん激しくなるということになります。今のままの心ではです。

本当にそのような汚い心のままでよいのですか。心がきれいにならなければ、その起きだした癌は防ぎようがないのです。

凄まじい現象が日本全体、そうしてこの辺りにも起き始めています。

それでもまだこの神の教えを無視するのでしょうか。

(これだけの状況になっているにもかかわらず、それでも誰も神の教えを勉強しようとしない、本当に名古屋及び日本の人たちは半端ないです)

0コメント

9月 26 2018

心を変える

台風二十四号がこっちにきそうですね。

この台風、猛烈な台風(一番強いランク)にまで発達しているようですからね。こんなのが来たら最悪です。(そういうことばかりいっていますが)

しかし、ソロソロまた大きな災いが起きそうです。(しばらく静かだったですからね。この間に反省する人が出てくればこんなことにはならないのですが…)これは来るでしょうね。

皆さんの心がまったく変わっていないからです。心が変わっていない人ばかりでは、これまでと同じことが日本に起きて来るからです。(では、またひどい結果が現れるということになります)

昨日も一日、外を回っていましたが(ほんと営業しているみたいです。〔苦笑〕)頭を下げる人はいませんでした。

お前が悪いという人ばかりのようです。

しかし、そんな中でも、学生連中(小、中、高校生)はさすがに少し考えを変える子たちが出てきたでしょうか(頭を下げていくのもいたようですから…それがまた分かりにくいのです。私が見ていない時に下げたり、頭を下げていながら嫌がらせをしていったり、一体、何がしたいのか?という感じです)そうであるならです。

しっかりした方がいいでしょう。あやふやな態度では反省していると天は見ないからです。

はっきり頭を下げる子などたくさん出てくれば、そういう子たちは法に従い始めたということで、天から守られ始めるからです。

この時代、法を味方につけるか、敵に回すかでは天と地ほど違います。(それは神を味方にするか、敵にするかということと同じだからです)

子供らから少しずつでも法の実践を行ってはどうでしょう。そうすれば奇跡が起きだす子も出てくるからです。(あるいは非常に運がよくなる子がです)

そういうところを(この辺りのバカな)大人たちに見せてあげるといいでしょう。

そうすれば意地ばかり張っている(バカな…強調しますが。〔苦笑〕)大人たちも頭を下げる人が出てくるからです。(どちらにしても、あなたたちは深刻ですよ。若いのに癌などなったら一生終わりですから)

もうこの近所は癌警報が発令中です。(なんか凄いみたいですね。この近所は特にです。どこかの会社を始めです。〔もうどこかの会社など朝から半狂乱です〕)いい加減、皆さん、神を思わないとえらいことになります。

少しくらい神を思い、神に手を合わせる人が出てきてもいいのではないでしょうか。そうすれば(そういう人がある程度でてくれば)この辺りで起きている危ない現象を減らすばかりでなく、こっちに向かって来る台風もコースを変えることが出来るからです。(日本から外れていくようにです)

もう心を変える人が(神よりに百八十度転換です)たくさん出てこないと、日本もこの辺りも相当危ないのです。

もう少し真剣に、時代が変わりつつあること、そうしてこの教えの偉大さを理解してください。

そのように心が変わる人が増えて来れば、これからの日本の運命も大きく変わって来るからです。

心が変わる人がたくさん出てこない限り、日本の運命が変わることはありません。(日本の運命が変わらなければ、これからも日本は今のように悪いことが起き通しということになります)

心を変えてください。それ以外で自分も日本も救われる道はないからです。

(今回はこれくらいにしておきます。今日は周りが(横が)特にうるさいので)

追伸…そういえばまた相撲協会が大騒ぎですね。

たしか、あの退職するといい出した親方は家族と調和できないんですよね。(親や兄弟と全然うまくいっていないんでしょう)

家族と調和できない人はどこにいっても調和できません。

あの親方はまず家族と調和できるようになることですね。そうするとまたうまくいくようになるからです。

2コメント

9月 24 2018

道徳教育

しかし、子供が癌になるなど本当に世も末ですね。(時代が変わってきたとはいえです)

昔は子供が癌になるなどあまりきいたことがなかったんですが、やはり昔より心が固く毒がたくさん詰まっている子が多いのでしょう。

そういう心が自分の体に癌をつくり出してしまうのです。

心が柔らかくて毒が少なければ癌になることはありません。子供より大人の方が(特に年をとった人の方が)癌になる確率が高いのは、身体の問題ではなく、そのような心が問題であるのです。

子供より大人の方が断然、心が固くて(頑固で)毒素も一杯詰まっているはずであるからです。

だから年をとればとるほど癌になる人が増えるのです。年をとればとるだけ、そのような頑固で心に毒が詰まっている人が増えて来るからです。

しかし、心が素直で柔らかい(だから当然毒素も少ない)はずの子供たちが癌になるようになって来た。

これは、それだけ子供の心が素直で柔らかくなくなって来ているということになります。

それは、昨日も少し書きましたが、そういう心の教育がなされていないからです。

こういう状況になって来ると、もう小さな時から、心の教育をよくするとしないでは、命にかかわる問題になって来るということになりますが、昔と今ではどれくらい心の教育(道徳教育)が違うのか、ちょっと書いておきましょう。

正法誌 1984年、十一月号より抜粋します。

<どういうわけかこの朝、小学校五、六年頃の私の愛読書の中の一冊が(愛読書といっても子供のことであるから、そんなにたくさんあったわけではないけれども)婦人倶楽部の附録の「礼儀作法」の本であったことを思い出した。早く大人になりたかった。そういう心がこの本を読ませたのかもしれない。とにかく一人前の大人が、心得ておかなければならない礼儀作法は全部心得ていて、大人になった時に恥をかかないようにというよりも立派な大人としてふるまいたいということで、学校の勉強の暇で、自分が大人になった時のことを考えながら「こういう時には、こうするのだな」と、その情景を想像しながら読んだ時のことを思い出した。

(中  略)

そういうことから思い起こされたのは「道徳」のことである。現在の若者は道徳を知らないといわれるが、知らないのが当然である。学校でも家庭でも「人間はこういうことをしなければいけない」とか「こういうことはしてはいけない」と、はっきり教えられたことはないのであるから、知らないのが当然である。私は立派な大人になろうと礼儀作法の本など読んだが、今の子供たちはマンガばかりである。道徳を知らないといって若者を批判する前に、責めなければならないのは、教えるべき時期に、教えるべきことを教えなかった親や教師の責任である。

六月十八日サンケイ新聞「正論」に、京大教授市村真一氏が、次のことを書かれた。

「教育荒廃の根はどこにあるか、真の道徳を知らぬ親と先生」

昭和十二年 中学生の教科書「新日本修身」には、どのような徳目が教えられていたかを列挙してみよう。

巻一 国民の自覚、学校、師弟、友人、智能の啓発、身体、作業と趣味、近隣、家族、孝行、兄弟、他人に接する時、報恩、徳器の成就、勇気、同情、倹約、祝祭日と国風、皇室と国民、国民道徳の要領、時勢と詔勅

巻二 立志、偉人の伝記、言語、容儀、身体、反省、国土郷土、家族(親子、祖先、兄弟、姉妹、親族、経済)社会団体、公正、寛容、我が国体、皇祖皇宗、国法、忠君、質実剛健、案逸奢侈、誠実、公益、博愛

巻三 幸福、勤労、職業、立志と成業、勉励と努力、節制、友人関係、信実と軽信、名誉、恭倹、勇気、敬神祟祖、忠君愛国、協同と秩序、責任、男女夫婦、社会事業、海外発展、国際関係、青年敬愛の教

巻四 国民文化(文化の意識、学術技芸、芸術)国民道徳と政治、国民道徳と経済、身体の意識、時代思潮、行為の動機、良心と至誠、意志の修養、感情の修養、人格、個性と職分、自由と服従、個人の真意義、社会と道徳、国家国際親和と人類福祉、維新、我が国民性

巻五 国民道徳、国体の淵源、我が国忠孝の特質、我が国忠道の発達、国民道徳の発達、祭祀、教育に関する勅語、現代の道徳思想、思想問題、社会問題、婦人問題と結婚、財産の論理、道徳的感情、世界の文化と我が国民、公民、道徳の力、皇運の扶翼

これら五巻の修身教科書を通覧して感じられるのは、実に親切丁寧に少年に向かってーーー少女に対しては別な教科書が用意されていたーーー日常の生活の中で、自分を磨いていく上での「心がまえ」が説いてあることである。

身体、作業、容儀の重視

大方の人々にとって以外かも知れぬと思うのは、身体、作業、容儀のあり方を極めて重視してあることである。

例えば、その細目を示すと、

身体、体育、体操、教練、武道、競技の精神、技能、趣味、娯楽、作業、健康と節制、療養の途、健康と飲食、身体の修養、労働、労働は人の義務、国民と勤労、勤労と報酬、徳器成就と節制、飲酒喫煙、節制と理想、身体の強弱、栄養、鍛錬、休養、外貌と精神、容儀態度、礼儀作法、内心と外形、応待、服装

といった次第である。

そこには、心身を一如と見、外に身体態度の端正をはかって、内に徳を修めようとする東洋古来の教えがある。

今の少年少女は、これらの徳目のうち、一体どれだけのことを教えられているのであろうか。きちんとした教科書はなくとも、あらゆる科目を通じて道徳教育はできる、などという考えは、教育の重大さとむつかしさを知らぬ者のたわごとにすぎない。

釈尊は「無明」即ち、本来知らなければならぬことを知らないのが、一切の苦の原因であるといわれた。何も教えられることなく、ほっておけば三、四歳の子供が、ひとりで国語、算数、理科など、大学で教えられるような学科や人の生きる道としての道徳などを勉強していくであろうか。そういうことは絶対にない。

「人は教えられて、はじめて人間になるのである」

教えるべきことはしっかり教えなければいけないのである。>

園頭先生は、このように道徳教育の大事さをいわれていましたが、このような人としての生きる道を小さな時からしっかり教えていくなら(釈尊は苦の原因は知らないことで起きるといわれているのですから)先々、苦労することも減って、心に毒をつくることもないということになります。

昔の子供に癌が少なかったのは、このような道徳をよく知っていたからであり、それで心に曇りをつくらず(心に毒を入れることもなく)ひどい病気になることもなかったということです。

今の子はこのようなことを知りません。(教えていないのですから知るはずがありませんが)今年から小、中学校で道徳教育が始まりますが(中学校は来年からですか?)これからこのような心の分野はしっかり教えた方がいいということです。

そうしないと(ある程度人間として心が出来ていないと)これからは(先ほどもいいましたが)命にかかわることになるからです。

0コメント

Next »


あなたは人目の訪問者です。