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3月 17 2021

天罰の原因と最低限の義務

しかし、どこもすさまじいですね。

何がすさまじいかってどこも出ているようだからです。コロッと逝く人がです。

昨日は堀川から六番町の辺りを回っていたんですが、いく時からそうでした。歩いていると少し遠いところからガンガン音がきこえて来ます。音がしている方を見るとずいぶん離れた会社がガンガンやっています。

それで、その会社に「なんだ、コロッと逝った奴が出たのか」と声をかけると急にシーンとなります。なんだあそこも出ているのかと思って近くまで歩いていくとまたガンガンやり始めます。

そこは昔はよく私に嫌がらせをして来たのですが、最近は全然でした。ずっと何もして来なかったところが、昨日いきなりそれです。

これはそこらじゅうで出だしたなと思い、それで、そこらへん私に嫌がらせをしてきた会社全部にきいて回りましたが、そういうやたら怒っているところもあれば引いているところもあり(引いているところの方が断然多かったんですが)引いているところなどそれをきくとよけい引きますからね。

だから急死する人が出ているのがよく分かるんですが(怒っているところはそんな感じで返事までしてくれますし)しかし、よく怖くないですね。

これだけ死ぬ人が出ていてです。ほぼ全部みたいですよ。別にしゃべったわけではないので、はっきりとは分かりませんが、他の場所もそんな感じですからね。

だからもうこの辺りの会社はほとんど出ているんじゃないですか。私に嫌がらせをしていたそこそこの会社は(人が集まっているところは)です。

急死する人がです。

それなのにまだ普通に仕事をしているんですか。私のいうことを(神理を)無視してです。

しかし、いくら金儲けしても、自分が急死するなら、もうその稼いだ金は使えません。

それなのにまだ仕事を一とするのですか。ずいぶん出ていますよ。この辺りはその急死する人がです。

いま一にしないといけないことは仕事じゃないでしょう。まずその急死する人を止めることなのではないのでしょうか。

それを止めないことには仕事どころではないからです。

今日のどこかの会社などやはりまた朝からすさまじい怒りようです。「また誰か死んだのか」ときくと怒りまくっています。(また誰か死んだんでしょう)

こういう人たちを見ていると本当に哀れです。同じことしかしないからです。どれだけ悪いことが起きて来てもです。

怒ることと引くことの繰り返しです。それでドンドンひどくなっています。天罰がです。しかし、それでもまだ同じことを繰り返しているのです。

結局、自分の考えを広げようとしないからです。

だから、狭い世界の中でずっと堂々巡りをしている、それ以上の考えが出て来ないからです。そのような小さな考えのままではです。

だから正しいことも分からない。だからこんな状況でも仕事を一としてしまうのです。

間違った判断しか出来ないからです。それだけ狭く小さな考えではです。

だからもう私のいうことをきく以外ないでしょうといっているのです。ここまで来たらです。

だって、次々に出ているんですよ。この辺り、急死する人がです。これは嘘でも何でもないのです。本当のことなのです。

それを止めることが出来ないのです。誰もです。怒っていたりドン引きしていたりしているだけなのです。そうして、それを仕事でごまかしているだけなのです。

自分たちではどうにもならないからです。

だからもう私のいうことを信じてほしいといっているのです。そういう人たちとは違って私はそれを止める方法を知ってるからです。天罰の本当の原因を知っているからです。

実際、起きていることがこれだけ違うのだから(私は奇跡、そうして私の以外の人たちには多くの災い)もうきくしかないでしょう。私のいうことをです。

奇跡が起きて来なければ災いなど止まるはずがないからです。

だからもう止めませんか。この辺りでたくさん起きている、その恐ろしい災いをです。

私に(神理に)布施さえするなら、その災いは止まるからです。私に嫌がらせをやめただけでは止まらないのです。それだけではまたどこかで出てくるのです。その災いはです。

しかし、布施までするなら、その災いは止まります。

「そんなわけあるか」とそれをどれだけ否定してもです。神理を見るだけ見ていながら、一切感謝の布施をしようとしなかった皆さん方が悪いのです。

何度でもいいますが、神理を説いている者が、布施をもらえなければ、その神理を説き続けることは出来なくなります。だから神理を見ている人は、自分が出せる範囲の布施はしないといけないのです。

それが神理を見ている人たちの最低限の義務であるからです。

その義務をこのブログを見ている多くの人たちは果たそうとしないのです。だからこれほど恐ろしい天罰までくだるのです。

その最低限の義務を神理を見ている人たちが果たさなければ、この正法神理は説けなくなるからです。

それだけは絶対にしてはいけないのです。絶対に神は許さないのです。神理を途絶えさせることだけはです。

だからそれを(感謝の布施を)このブログを見ている多くの人たちがしなかったから、これほどの天罰までくだるようになったのです。あまりに長く神理を見ている人たちが最低限の義務を果たそうとしなかったからです。

それが原因なのです。これだけ多くの天罰がくだっているのはです。

もうそれだけなのです。その原因さえ取り除くなら、この天罰は止まるのです。

それがまだ分からないのですか? このブログを見ている多くの人たちにはです。その最低限の義務さえ果たすなら、これだけ恐ろしいことは起きては来ないのにです。

それなのに、まだ神理を見ている人たちが果たすべき最低限の義務さえ果たそうとはしないのでしょうか。このブログを見ている多くの人たちはです。

そうであるなら、この恐ろしい天罰は、その義務を果たさないすべての人たちに広がり、もっと恐ろしい結果を招くことになるでしょう。それだけ神を怒らせる態度もないからです。

これだけ恐ろしい天罰がもうこちらにはたくさんくだっています。

神理を見ている人たちは感謝の布施をしてください。それをするなら決して恐ろしい天罰などくだりはしないからです。むしろ多くの奇跡が起きてくるからです。

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3月 16 2021

神敵(しんてき)

今日など朝、目をさましてしばらくしたらです。

急にガチャ―ン、ガチャ―ンという音が響いて来ました。それで窓を開けて「何だまた誰か死んだのか」ときいたんですが、その音はやみません。「何人死んだんだ」ときいてもずっとやってましたね。そんなことをです。

朝の五時ちょっと過ぎくらいでしたかね。しかしやります。そんな時間からそんなことをです。

どこかの会社かなと思ったらどこかの会社は真っ暗でした。じゃあ別の連中なんですかね。しかし、似たような非常識なことをする人はいるものです。そういうことをすればするだけ恐ろしいことは起きてくるのにです。

そのあとのことです。(今度は六時半ごろ)どこかの会社からもカーンという音がまたきこえて来ました。(そうして今はドン引き中です)

もうこの近所だけでも、急死する人が止まらないようです。

しかし、昨日は多かったですね。怒っている人がです。しかし、昨日怒っていた人たちは今日のように何か起きて怒っているのではなかったようです。

昨日のブログを読んでそれで怒っている、そのような人たちばかりのようでした。

昨日のブログを読んで、それまで静かにしていた人たちが急に怒り出したのです。実際、その前に通った時までは静かだったところがあちこち急に怒り出していたからです。

そうして昨日は、会社や現場どころか家から出て来て怒っていた人が多かったことでも(ほとんどが爺さん婆さんでしたが)その事実が分かります。

結局、これまではコロッと逝く人があちこちに出ているので、それで自分もそうなったらかなわないと静かにしていた人たちが、おとなしくしていても自分もいつコロッと逝くか分からないと昨日のブログで分かったものですから、それで私が歩いていると怒って嫌がらせをして来たのでしょう。

そういう人たちは皆、死んでも私に布施などしたくないと思っている人たちばかりであったからです。

そういう人たちがコロッと逝っていると書いたら、とたんに、そう思っている人たちが家から出て来て怒って私に嫌がらせをやり出したというのですから、ずいぶんせこい話ではないでしょうか。(苦笑)

それで八つ当たりの嫌がらせですか。本当にせこいですね。それなら感謝して布施しようとは誰も思わないのでしょうか。そういう人たちはです。

こちらは別に何万円も何十万円も布施をしろといっているわけではないのにです。(別に出してもらってもいいですけど。〔笑〕)気持ちだけでいいから布施しなさいといっているだけなのにです。

そうすれば、そんな(恐ろしい)ことは起きませんよと、教えてあげているだけなのにです。

では、感謝されこそすれ嫌がらせされる筋合いではないのですが、それにしても、このブログを見ている多くの人たちは神理を見るだけ見ていて、感謝の心のかけらも出て来ないというのでしょうか?

本当にどんだけ罰当たりなんでしょう。この正法神理など早々、巡り合える教えではないのにです。

どれだけそれを(その価値を)認めなくても、これだけのことが起きているのです。この起きている現象で、この教えがどれだけ価値あるものなのかは分かるはずです。

他の宗教をどれだけ無視しても、どれだけ逆らっても、これほどの天罰は現れては来ないからです。

この正法神理だけであるのです。これだけ奇跡も天罰も起きてくるのはです。では、その価値はどれだけあるのでしょう。

他に比べられるものではないではないですか。そんなことが起きてくる教えなど他にないのですから。

それにもかかわらず、その価値を絶対に認めないばかりか、少しの布施さえも頑なに拒否し、そうして罰が当たると、それは全部私のせい。

恥ずかしくないですか。それだけ自分本位なことを皆が皆、していてです。

だから昨日そんなケチ臭い嫌がらせをして来た人たちはもう全員コロッと逝ってしまうでしょうね。(ずいぶんいましたけどね。十~二十人くらい)それだけひどい罰は当たるということです。それだけのひどいことをしているからです。その人たちはその自覚がないだけでです。

しかし、今日は朝からこんな感じなのです。昨日ケチな嫌がらせをしてきた人たちなど大丈夫ですかね。すでに出ていませんか。コロッと逝く人がです。

この近所だけで昨日今日だけでもずいぶん出ているようであるからです。そのコロッと逝く人がです。

しかし、どちらにしても今の態度を変えないのであれば、そのような急死する人は止まりません。

布施くらいされませんか。昔から神理を伝えられた人たちはみな感謝の布施をしてくれていたからです。それを拒否した人たちなどほとんどいなかったからです。(まったくいなかったとはいいませんが)

そんなこれまで(過去の人たちが)したことがないような不遜なことをしているから、これだけの天罰もくだるのです。

このブログを見ている人たちだけなのです。神理をきいていてまったく布施しようともしない人たちはです。(一部の人たちをのぞいて)

今のまま私のいうことを無視し続けるならもう本当に危ういのですよ。自分の命がです。

しかし、もし天罰で死ぬようなら、それは神敵ということになって末代まで祟られることになります。

そうなったらもう自分だけの問題ではなく、自分の身内まで災いが及ぶのです。神敵となって死んでいくなら当然そうなるからです。自分だけの問題ではなく一族郎党みなに災いが及ぶということです。

神敵とは神に敵対するものなんですから、当然そうなるでしょう。自分が考えているほど天罰で死んでいくということは甘いことではないのです。自分だけではなく自分に縁ある多くの人たちに迷惑がかかるからです。

それだけ神敵となって死んでいく人の罪は重いということです。

今年は桜が咲くのが早いようですね。

昨日歩いていたら桜の木があったのでもう咲きそうかなと芽をのぞき込んでいましたが(その芽を少しさわろうかとも思いましたがやめておきました。また自分の目がチクチク痛み出してもいけないからです。桜の妖精に芽をさわるなと怒られてです。〔笑〕)こちら名古屋はまだすぐには咲きそうにないですね。

私が見た桜はまだつぼみが固そうなものが多かったからです。しかし、中にはもう一輪二輪、咲いている桜の木もありましたので桜の花が咲き始めるのももうまもなくでしょう。

そのきれいな桜を観たくはないのでしょうか。このブログを見ている多くの人たちはです。

しかし、こちらがこの状態では、そのきれいな桜を今年は観られるかどうか分からないのです。こう急死する人が増えて来てはです。

この状況で急死するなら、その人は即、地獄に直行ということになり、桜など観られないからです。(残念ですが、地獄に桜はありません)

今日の早朝(五時ごろでしたか)茨城で震度4の地震が起きたそうですが、東京も揺れたようですね。朝も早くからです。

昨日の和歌山と同じなんではないですか。東京の人たちもいつまでたっても神理を見ているのに布施の一つもしない。それでは神の怒りを買います。

同じような災いは起きるでしょうね。東京にも当然神理に縁の深い人たちはいるはずだからです。(というか、たくさんいるんじゃないですか。東京は人が多い分です)

神理を知らされていて感謝(布施)一つしないというのは今生の人たちだけです。

そのような態度を改めない限り、まだこれからも災いは止まらず、死んでいく人たちもドンドン増えていくことでしょう。そのような(傲慢で罰当たりな)人たちは滅ぼされていくからです。

しかし、そのような天罰で死んでいくような人たちはみな神敵となって、滅ぼされた後も永い間地獄で苦しみ続けることになります。

昔の人たちなら、こんなことをきけばみな恐れおののき、自分のそんな傲慢な態度をすぐに反省したのです。

だから多くの人たちが助かったのです。間違った考えを持っていても、その間違った考えを改める人も多かったからです。

しかし、今生の人たちはどれだけそれが間違いだといっても、そうして、それに伴う天罰をどれだけ受けても、決して自分の考えを変えようとせず自分の間違いを認めようともしません。

その結果が多くの災いを呼び、その災いがまだこれからどれだけ増えてくるか知れないという、そのようなすさまじい状況となっているのです。

しかし、それでも反省しようとしない。それでは、その考えを改めない人たちは全員が神敵となって滅ぼされ、この後、永い間、苦しみ続けることになります。深い地獄でです。

そんなこと屁でもありませんか。しかし、それは今だけなのです。そのような威勢のいい考えでいられるのはです。今はまだ自分の身体が元気であるからです。

しかし、この状況では、その元気な体も五分先にはどうなっているのか知れないのです。心臓は自分で動かしているわけではないからです。自分はその心臓を止めたくはなくても止まる時には止まってしまうからです。

人の心臓は人が動かしているわけではなく神が動かしているからです。

では、その心臓を神が止めるなら、自分はすぐに地獄に直行してしまいます。うんもすんもありません。

そうなってもいいのですか?

先のことを全然考えられないほど愚かな人たちはいません。昔の人たちは皆そのような先のことまで考えていたのです。

少しは昔の人にならいませんか。今だけのことしか考えないほど愚かな話もないからです。

神理を実践するなら、いつ心臓が止まろうと困ることはありません。神理の実践こそ救われる唯一の道であるのです。

これほどの奇跡が起きているのです。その神理を信じ行いませんか。そうすれば、そんな恐ろしことを(急に心臓を止めるなどというです)神が行うはずがないからです。

この神理を行うなら多くの奇跡が起き救われていきます。それは私が証明しているのです。

これだけ奇跡が起きて救われる教えは他にはありません。それは長年このブログを見ている皆さん方が一番分かっているはずです。

これだけ災いが起きているのです。

この奇跡が起きる神理に頼らずして、一体何に頼るというのでしょうか。

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3月 15 2021

災いの実践と奇跡の実践 不幸の道と幸せの道 縁ある人々 

しかし、私はもしかしたら凄い人たちと相対しているのかもしれませんね。どれだけ多くの人が滅びても、それでも考えを変えない、これまでにないほどの罰当たりなすさまじい神経をしている人たちとです。

それだけ現在いわれている悪魔の左翼思想に洗脳されているということは恐ろしいことなのです。すべて責任転嫁して絶対に自分たちが悪いとは思わせないからです。

自分が悪いと思わなければ頭を下げることも反省することもありません。反省などという言葉は悪魔の左翼思想からは出て来ません。

つくづく思いますね。左翼思想とは恐ろしいものだなとです。それでは間違った方向にしかいかないからです。

それでは災いの実践をしているのと同じなのです。

だから起きてくるのです。次々に災いがです。そのような左翼思想を行っているということは、自らに災いを起こす方法を実践しているのと同じであるからです。

数日前の話です。歩いていたら前に書いたことがある足の悪いオッちゃんと久しぶりにあいました。しばらくこのオッちゃんとはあわなかったので「オッちゃん、久しぶりだな。生きてたか」と声をかけたのですが、私のいうことなど無視して、そのオッちゃんは犬を引っ張りながら黙々と歩いていきました。

そうして一日、二日前にもこのオッちゃんとあったのですが、その時、ふと思ったのです。

そういえばこのオッちゃんとはしょっちゅうあっていったのに(週に二、三度は夕方家に帰ってくる時に近所を歩いていると出会いました。犬の散歩と私が家に帰ってくる時間が同じくらいなのでしょう)それがここ数週間は全然あいませんでした。

何でだ?とも思いましたが、すぐにピンと来ました。それでそのオッちゃんに声をかけたのです。

「何だオッちゃん、病気してたのか」とです。

そうしたらビクッとしました。どうやら図星だったようです。

このオッちゃん、その病気をする前に私に嫌がらせをしていたのではなかったでしょうか。たしか何度かして来たのです。(足をザッザッと音を立てるような)そんな嫌がらせをです。

まあ、このオッちゃん一時は私から逃げ回っていたのですが、それ以上は何も起きなかったんでしょう。そのうちに逃げなくなり、そうすると私が近くを通って、その時に「オッちゃん、神理を見ているのなら感謝して布施しろよ。そうしないとまた罰が当たるぞ」などとよくいっていったものですから、段々それが癪(しゃく)にさわって来たのではないでしょうか。(何でそれをいわれて腹を立てるのでしょう。そういう正しい意見をきいて、その通りに感謝して布施すればいいのにです)

それでまた私が近くを通ると、それらしい嫌がらせをしてくるようになったのです。

だから私も「知らないからな罰が当たっても」などといっていたのですが、そのうちに見なくなりました。

そうしてまた最近ちょくちょくあうようになったものですから、ああこのオッちゃんまた罰が当たっていたんだなと思い、それで「病気をしていたのかと」ときいたわけです。

どうやらその予想が大当たりしていたようですが、分からないんですかね。この人。私のいうことをきかないからそういう災いが起きるとです。すでに一度そういうことが起きているのにです。

だから左翼思想に侵されている人は怖いのです。このように災いが起きる方、起きる方へといってしまうからです。

正しい意見を素直にきこうとしないからです。

正しい意見をきかないなら悪いことが起きて不幸になります。その通りのことがこの辺りくらい起きているところはないのに、それでもまだ分からないんでしょうか。

自分の間違いがです。

まあ、分からないんでしょう。この辺りの誰もです。自分の間違いが未だにです。だから今日も朝から相変わらずやっているからです。どこかの会社などです。自分たちが不幸になること(嫌がらせ)をです。

どれだけそういう態度を取ることが自分たちに災いを起こして不幸になっていくのか、この連中くらい分かっている連中はいないはずなんですが、それがどれだけ災いが起きても分からない。

何度も同じ間違いを繰り返している。悪魔の左翼思想が抜けない間はダメなのです。悪魔の左翼思想が抜けない間は反省ということをしないからです。自分たちはすべて正しくて悪いのはすべてお前と(責任転嫁)そう思い込んでいるからです。

本当に哀れです。自分たちが正しければ自分たちに災いが起きてくるはずがないのにです。これだけ災いが起きて来てもそれが分からない。

本当に恐ろしいことです。悪魔の思想の洗脳はです。それが解けない間はドンドン不幸になっていくからです。

だから、今こちらでは急死する人がドンドン増えていますが、こういう人たちは、この神理を見ていながら、その神理を説いている私に感謝もせず「お前に布施するくらいなら死んだ方がまし」とか「お前に布施するのは死んでも嫌だ」などと思っている人たちがそうなっているのです。

そのような心の思いは実現するからです。つまり、そのような心が自分を死に追いやっているということです。

その心は間違っているからです。間違った心でいれば、その心が現実化したら不幸になります。

だから、そのような起きてくる現象で理解しないといけないのです。自分の間違いをです。しかし、死んでしまっては、その間違いを悟る暇もありません。だから、そういう心は早く捨てる(変える)ことです。

そうしないと、そのような心を持っている人は(案外多いのかもしれませんが。このブログを見ている人たちの中には私に布施などするのは死んでも嫌だとです。〔苦笑〕)もういつ死んでもおかしくはないからです。

そういう心を持った人たちがこちらではドンドン急死しているからです。

しかし、悪魔の左翼思想に洗脳されていては、そのような心もなかなか変えることが出来ません。先ほども書きましたが反省という考えがないからです。

反省出来ないのなら、そのような心を変えることなど出来ません。ではもういつ死ぬか分からないということになります。そのような人はです。

だからいっているのです。いつまでも悪魔の左翼思想に洗脳されていては不幸にしかならないとです。悪魔の考えのままでいては、それは災いを起こす実践をしていることであり、それは不幸への道を進んでいることであるからです。

正しいことをしているのならちゃんと奇跡が起きて来ます。その起きる奇跡が基準なのです。正しさのです。

今日の未明に和歌山で震度5の地震が起きて、その後も和歌山に地震が相次いでいるようですが、何か和歌山でしている人たちがいなかったでしょうか?

そういう人たちも、それをするのはいいのですが、まずこの正法神理に感謝して、それからしてもらえませんか。それをしないから、そういうことが起きる(神を怒らせる)からです。

そのような行いもまた間違っているのです。

前に私いいましたよね。むかし縁のあった人たちのことはです。そうして、そういう人たちが神理を見ていながら、その神理を無視しているようでは(無視して、自分たちのことを優先しているようでは)いいことは起きないとです。

だから起きないのです。いつまでたっても、そういう縁のあった人たちが神理を無視しているからです。

そういう人たちが一番優先しないといけない、この正法神理を無視しているからです。

だからそれをもう何度もいっているのに全然しようとしない(何気にですけどね。本当はそういうことは自分たちで気づかないといけないからです。自分で気づいて自分でするのが神理の基本だからです。しかし、あまりに気づかない…)神理への感謝をです。(まず、感謝の布施を神理にしてから、やることやってください。優先順位が違うのです)

だからそういう人たちは、仮にいいことが続いていてもいつもう悪いことが起きてくるか知れないのです。一番先にしないといけないことをしないからです。(どうします。コロッと逝ったらです)

そういうことにいつまでたっても多くの人たちが気づかない。それもまた不幸への道なのです。

私たちの人生など気づきの連続だからです。何も気づかない人生では心の向上などしていかないからです。

だから私もクドクドいいませんが(何度もいいますが、基本は自分で気づくことですから)そういう縁のある人たちは何をおいてもまず神理を優先しないといけないということです。それををしないで自分のことだけしていると、何か悪いことが起きてくるのです。

ぽつぽつとです。それが気づきの現象なのであり(そういうことをもう何度いったか知れないのに)それをほっておくとでかいことが起きるのです。もっとでかい悪いことがです。(何度もいいますが、ほんと知りませんよ。コロッと逝ってもです)

もうそのような気づきの現象がどれだけ起きているか知れません。いい加減気づいてください。自分たちの不徳をです。

もうすぐにでもよいことをしないと危ない人たちがたくさんいます。(このブログを見ている人たちの中にはです)

神理を見ているのだから感謝の布施くらいはしてください。とりあえずそれが最低限の善いことであるからです。

その最低限の善いことさえ行うなら幸せの道もついて来ますが、しかし、それさえも行わないというのであればです。(完全に悪魔の左翼思想に洗脳されて頑なになってです)

その時はもう覚悟した方がいいと思います。そういう最悪の天罰がくだる人たちがすでにこちらではたくさん出て来ているからです。

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3月 14 2021

現代人の哀れさと愚かさと滅びの道

各地で激しい雨が降っているようですね。(名古屋も昨日は雨風が強かったんですが)

それで冠水被害や土砂崩れがあちこちで起きているようですが、まだ三月だというのに大雨被害ですか。

このような災いも起きる時期が段々早まっています。

神理を無視している人が多いとほんといいこと起きません。こちらもろくなことが起きていないからです。

昨日は洗濯をしに昼から出かけたんですが、家から出てどこかの会社の横を歩いていくとまたシャーとか会社の中から音が響いて来ました。

それで「何だまだするのか」と声をかけるとピタッとその音がやみました。

さすがにこれだけ急死する人が出ていると嫌がらせする気も失せるのでしょう。最近はこの会社の連中も元気がありません。前ほどはです。

そうしてしばらく歩るくとまたある会社からガンガン音がしてきました。

何だここもかと思って「そこもまだするのか」とどこかの会社と同じことをいったんですが、ここはどこかの会社と違い、いえばいうだけガンガンやってきます。

なに怒ってんだろうと思って「何だまたコロッと逝くのが出たのか」ときいたのです。

そうしたらシーンとしてしまいました。「ゲッ、また出たのか」と思い「ならもう感謝して布施すればいいじゃないか」というとまたガンガンやってきます。

何なんですかね。この連中はです。死ぬより嫌なんでしょうか? 布施するのがです。

まったく不思議ですね。現代の人たちはです。昔の人たちなら、こんな恐ろしいことがこれだけ起きて来たら、もうとっくに頭を下げ布施していると思うんですが、現代の人たちは神理に布施するくらいなら死んだ方がましのようです。(苦笑)

まったく理解出来ない思考回路なんですが、そうではなくて死ぬのも嫌だが、布施するのも嫌だと、それでガンガンやってくるのでしょうか?

だとしたら、本当に現代の人たちはレベルが低いですね。そんな両方嫌だなどという子供のような発想が通用するわけがないからです。

それが昔の人たちはよく分かっていたから素直に頭を下げたのです。

死ぬよりは布施した方がよほどいいからです。というより、自分たちが悪かったから、こういうことになったのだと素直に認めて反省したのです。そんな悪いことが周りに何度も起きて来たらです。

自分が悪いから自分に悪いことが起きてくると昔の人たちは分かっていたからです。(誰だってそんなこと分かると思うんですけどね。少し考えればです)

しかし、現代の人たちはどれだけ悪いことが起きて来ても、それでも反省などせず責任転嫁をし続けています。

死ぬ人が次々に出て来ているのに、それでも考えを変えようとしないというのですから、ここまでくるともはや狂っているとしかいいようがありません。

どれだけ恐ろしいことが周りに起きて来ても反省しないからです。

昔の人たちならすぐに分かることが現代の人たちはまるで分らない。どれだけ恐ろしいことが周りに起きて来てもずっと同じ態度をし続けている。

現代の人たちの哀れさ、愚かさが本当によく分かる出来事です。

これが昔の人たちなら、たとえ殺しあうほど憎みあっていても反省はしたからです。(三千年前に起きた過ぎ越しの祭がいい例です。その時のエジプトの王はモーゼのいうことをきいて奴隷さへも解放したのです)

だからもはや狂っているとしかいいようがないといっているのです。現代の人たちはです。

狂ってでもいなければ、すぐに判断出来るはずだからです。もう神理に感謝して布施した方がいいと誰だってです。

それを「お前のせい」などといつまでもいい続けまったく態度を変えようとしない。もしかしたら史上初かもしれませんね。これだけ頑なで責任転嫁をし続けている人々が現れたというのはです。

しかし、それはそれで恐ろしく哀れで愚かなことです。

現代の多くの人たちは悪魔の左翼思想に完全に洗脳され(これほどの頑なさも責任転嫁も、すべて左翼思想ですから)人間らしい素直さをまったく忘れてしまっているからです。

しかし、そのような考え方ではドンドン滅んでいきます。だから大雨などの天変地変もドンドン早まり、この辺りでは癌になる人、急死する人がドンドン増えているのです。

これは別にこの辺りや日本だけでなく世界的な傾向であると思いますよ。世界に起きる天変地変はドンドン増え(だからそれを温暖化のせいにして温室ガスの削減とか言い出しているわけですよね。世界はです)癌や急死などの成人病や奇病、難病も増えているのです。

それは世界の人々が考え方を間違えているからです。だから増えるのです。災いがです。

そのような災いはすべて人々の間違った心が現したものであり、それをいつまでも責任転嫁しているから、いつまでたってもその災いはおさまらないのです。増える一方なのです。

そのような現象は、神の子である私たち人間が神の心を忘れてしまったがため起こされている、神が導く滅びの道であるからです。

だから災いがドンドン増えていくのです。神理を知らない多くの人たちが間違った心のまま滅びの道を一直線に進んでいるからです。

まだ気づかないのですか。多くの人がそのような滅びの道にドンドン進んでいるということにです。

しかし、それに気づくことが出来るのは唯一このブログを見ている人たちだけなのです。

それ以外は世界の誰も気づかないのです。自分たちが滅びの道に進んでいることなどです。

その悪魔の左翼思想が正しい道であると多くの人たちは信じているからです。

だから、何でも平等と声高に叫び、すべて正しいと間違った人たちのいうことまで真剣にきいて、そうして自分たちの回りに起きて来た悪いことをすべて責任転嫁している、これでどうやって気づけというのでしょう。

自分の間違いにです。

男も女も子供も大人もすべて平等で同等、周りの人たちのいっていることはすべて正しい(だから、少数意見から、LGBTの人たちの意見から、果ては犯罪者の意見まで、すべてきけと、その人たちはその人たちの言い分があるから、すべて正しいと)そうして周りに起きて来た悪いことは、すべて他のもののせいで、自分は絶対に悪くない。

こういう考えでどうやって気づくのですか? 自分たちの間違いにです。

だから、私はこのブログの題に書きましたように、現代人は哀れで愚かで滅びの道を進んでいるといっているのです。

これでは滅びていかない方がおかしいからです。こんな間違った考え方もないからです。それこそ昔の人たちと比べてもです。

だから、これだけ悪いことも起きている。それだけ間違った考えでいる人が多いからです。

そんな何でも平等で、すべての意見が正しくて、悪いことはみな他のせいなら、世に悪人などいないではないですか。悪いことは自分のせいではなくみな他のせいなのですから。

たしかに正確にいうなら、世に悪人は存在しません。心だけ観れば、みな神の子で神の心を持っているのですから、その心だけ見るなら悪人は存在しないのです。

しかし、心はそうでも、表面意識である考え方が間違っている人がいるのです。しかも大きくです。

そういう人を私たちは悪人と呼んでいるのであり、そういう人たちが悪いことをするのです。自分の考え方が間違っているからです。

だから、何でも正しいという考え方は間違っているのであり、考え方は正しい考えとそうでない(間違った、悪い)考え方があるのであり、だからそういう区別はしっかりしないといけないし、しかし、何でも平等では、そんな平等の人たちのいうことを素直にきく人などそうはいないのだから、上下の区別はつけないといけないし、人それぞれ(もちろん男女も)得手不得手はあるのだから、そのような区別も当然しないといけないのです。

だから、差別ではなく区別なのです。そういう区別は必ずあるのであり、人の意見はすべて正しいものではないのであり、そうして周りに起きてくることは、すべて自分の責任なのです。

人のせいではないのです。自分に原因があるから、自分の周りにそういうことが起きてくるからです。(だから責任転嫁は間違いであるということです。自分の周りに起きてくることはすべて自分の責任なのです)

だからよく考えてみれば、神の心である、この正法神理と、悪魔の心である、左翼思想とは真反対であるということです。

いっていることがです。

そのどちらを信じようが、それはその人の自由なのですが、ただ悪魔の左翼思想を信じている人が多い現在はです。

数多くの災いが起きて、その災いがドンドン増えているということです。

それをすべて悪魔の左翼思想を信じている人たちは責任転嫁していますが、そのような責任転嫁は間違いであるということです。

だから私には奇跡が起きているのです。私のいっていることが正しいからです。

このような世界を覆うほどの間違いに気づけるのは、このブログ(この神理)だけなのです。

神理の大事さをもう少し理解してもらえないでしょうか。このブログを見ている人たちはです。

ドンドン災いが増えています。その災いを止めることが出来るのは自分たちの心を変える以外ないのです。

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3月 13 2021

逆もまた真なり 反省

今日も朝からカーンとかでかい音を立てていましたね。どこかの会社などです。

また誰か急死したんでしょう。(これマジな話ですから。その音をこの近所の人たちはきいているはずです。ずいぶんでかい音を立てていましたから)この会社、最近は連日ですね。よく怖くない。

本当に現代人の神経が分かりませんが、このような罰当たりな態度を続けていては危ないだけなのです。

もう神に手を合わせて頭を下げるべきなのです。そうしないと、その災いは止まらないからです。

昨日も無責任に怒ってブシュブシュやって来たトラックやバスの運転手がいましたが(こういうバスの運転手は乗客がどうなってもいいそうです。死のうが生きようが知ったこっちゃないそうです)そういう運転手は好きにすればいいのですが、そうでもない人もいるんですよね。

もうずいぶん出ているのです。過ぎ越しの祭で急死する人がです。(どこかの会社などその典型でしょうが)よく考えてみれば、そこらじゅうにありますからね。この辺りはそういうところがです。

それでどれだけ私を逆恨みしたところで、私がその人を急死させたのなら私が急死しているはずです。

しかし、私はピンピンしているのです。

私がその人を急死させたわけではないのです。急死するには急死するだけの理由がその人に(またはその回りに)あったのです。だから急死したのです。その人はです。

どちらにしても急死する人がドンドン増えているのだけは確かなようです。そのように急死するだけの理由がある人がこの辺りにはたくさんいるのでしょう。

こんな状況で逆恨みしていたところで危ないだけなのです。(ほんとドンドン状況が悪化していきます)

自分たちが悪かったのです。神理をきいていながら、まったく感謝もせず嫌がらせをしていた自分たちがです。

そのことを反省し、心を入れ替えませんか。そうすれば急死することもなくなるからです。しかし、反省しないともうどんな病気になるか知れないのです。特にこの辺りの人たちはです。

それだけ大きな罪をこの辺りの人たちはすでにつくってしまっているからです。

この辺りは癌になる人や急死する人が続出しているのです。神理にあまりに逆らう人が多いからです。

ただそれを逆恨みしているばかりでなく、そのような現象をもっとよく考えた方がいいでしょう。こうなってしまった以上(こういう恐ろしいことが次々に起き出してしまった以上)自分たちの心と行いを変える以外、救われる道はないからです。

また、心と行いを素直に変えるなら、すばらしく救われる道が現れてくるからです。

よく考えてみてください。なんでこんなことがこれだけ起きるのかと、そうして神理に逆らっていてこういうことが起きるのなら、神理に従うなら、そういうことは起きないと、また防ぐことも出来るのではないかと、そういうことまでです。

逆もまた真なりだからです。

だから神理を実践するなら、奇跡が起きてくるだけではなく癌や急死する人を防ぐことが出来るということです。

現れるなら防ぐことも出来るはずだからです。

癌になって死ぬまではいかなくても、苦しんで癌治療を続けている人はたくさんいますし、再発しないかと心配しながら生活している人もたくさんいて、実際、癌が再発している人もたくさんいるのです。

神理を実践するなら、そういう人たちの癌が確実に早く治っていき、再発することもなくなるということです。

結局、そのような病気は心がつくるからです。その心が変わるなら(よい方に)病気は黙っていてもよくなっていきます。

だからそのような(よい)ことは起きるということです。神理に従い心を変えていくならです。

逆らってこれだけ悪いことが起きているのです。では従うならどれだけよいことが起きてくるでしょう。

そういうことも理解すべきなのです。お前がやったと、そこで考えを止めているだけではなくです。

反省するなら、もっと先に進めますが、怒っているだけでは先へも進めず何も観えては来ません。怒っているばかりでなくもっとよく考えてみてください。これまでの自分たちの行いをです。

そうして、いま起きていることをです。

少し考え方を変えるだけでまったく反対の世界が観えてくるからです。

謙虚に反省されたらどうですか。これまでの神理に対する態度をです。

どう考えても自分たちが悪いからです。だから、その悪い人たちに(一方的に)悪いことが起きているのです。

だからもうその悪い考えを反省するしかないのです。

反省するなら今とは正反対のすばらしい世界が現れてくるからです。

追伸…昨夜、祈りと反省禅定をしていた時のことです。

目をつぶって反省禅定をしていると、目の前に二、三日前にまた布施してくれた北海道の方が現れて来ました。(その方の顔を私は知りませんが、それらしい方がです)

そうしてウナッシーさんも出て来て、その後ろにまだ何人かの人たちが立っています。

そのウナッシーさんの後ろに立っている人たちは陰になっていて顔は分かりませんでしたが、何人かの人たちが北海道の方とウナッシーさんの後ろには立っていました。

「誰だろうと」と思っていると、心の奥から「友」という思いが出て来ました。

つまりその人たちは、私の昔からの友人であり、今生もその人たちは私とともに生まれて来ていて、その友の人たちが力を貸してくれないと今生私は自分の仕事が出来ないということが分かりました。

その友の中には前世でともに命懸けで戦った者たちもいるようだからです。

そういう友たちが今生はまったく何もしないで、私の戦いを傍観しているだけでは、それは私も戦えないでしょう。こちらはすでに命懸けの戦いを始めているからです。

そういう友たちが今生もまた私とともに戦ってくれるのかそれは知りませんが、今生ともに戦えないのであればです。

せめてです。せめて(布施の)支援くらいはしてくれませんか。そうすればまた自分たちの使命も果たすことが出来ると思うからです。

しかし、それもしないというのであればです。(傍観しているだけだというのであればです)それこそ自分たちの命ももう危ないでしょう。こちらではもう死ぬ人がボンボン出ているからです。(ほんと何かこちらはもう戦国の世のようです)

私がこの状態で何もしないのなら、もうそのような友たちは引き上げられてしまうでしょう。まったく自分の使命を果たさないということでです。(だから、このブログを読んで簡単に奇跡が起きた人たちなどもう相当危ないです。何でそういう奇跡が起きたのかということを考えないといけないのです)

いい加減目覚めてください。そのような友たちはです。そうしないともう自分たちが危ないからです。(昔はずいぶんピンチに駆けつけてくれたのに今生は本当に残念です。〔涙〕)

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