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2月 05 2021

愛と調和と中道

しかし、大丈夫なんですかね。S運輸の皆さんなどです。

またこんなことを書くと怒ってブシュブシュやってくる運転手もいると思うんですが、しかし、昨日など何台か見たS運輸のトラックの運転手がみな顔面蒼白のように見えたからです。

昨日はS運輸のトラックを見ると「S運輸の皆さん、感謝して布施してください。そうしないとその病気は止まりません」とか「この神理に帰依しないと病気からは守られません。早くこの教えに帰依してください」とか声をかけていたんですが、しかし、S運輸の運転手の皆が皆、前を一直線に見てこちらをまったく見ようとしないのです。

だから私はみな顔面蒼白だったと書いているのです。何もそこまで固まらなくてもいいのにとこちらは思ったからです。

前々回のブログにS運輸のことを書いているのですから、一台や二台は私の顔を見たら怒ってブシュとかしてくる運転手がいるのかと思っていたんですけどね。

そういう運転手は(昨日は)ゼロでした。珍しですね。こういうところもです。

というのも、これまでは、このブログに自分のところの会社など書かれた運転手など、なに面白がって書いてんだ、みたいな感じでみな怒っていたからです。

このブログに自分たちの会社のことを書かれておとなしくなった運転手など、これまでいなかったからです。

それがS運輸は、このブログに書いたとたん固まってしまう運転手ばかりだというのですから、ちょっと考えられない態度です。

昨日はたまたまそんな運転手ばかりだったのでしょうか。それとも、私のブログに書かれたことで自分たちの本心が出てしまったのでしょうか。不安で仕方がない、そのような本心がです。

もしそうなら相当やばいですね。この会社はです。もしかしたらすでに大変な数の病人が出ているかもしれないからです。

だから私に怒ってブシュブシュやりたくても出来ない。やったら即、自分も病気になってしまうかもしれないからです。

そう思われるくらい自分たちの会社に病気になる人が続出している、そう推測されますが、そこはどうなんでしょう。

そこまではなっていなくてもそれに近いことが起きているのなら、もう頭を下げた方がいいですよ。そうしないとあまりに危険であるからです。そのような状況はです。

しかし、それに近い状況のところも多いのではないでしょうか。どこかの会社など今日も朝から怒っていて、ただいまドン引き中です。よほど病気が現れて来ないとこういう態度は取らないでしょうね。この連中はです。

だから現れているんでしょう。それだけ病気になる人がです。

だからそういうところは本当にもう頭を下げた方がいいのです。この神理にです。(だから私にとはいっていません。この神理に頭を下げると思えばいいのです。それだけ偉大な教えであるからです。この正法神理はです)そうしないとまだこれからどれだけ現れてくるか知れないからです。病気になる人がです。

この神理の神通力だけなのです。そのような災いを止めることが出来るのはです。

何度もいいますが(分かるまでです)神理に対しこんな不遜な態度を取っているのは現代の人たちだけなのです。そんな態度を取っていたら罰は当たるのです。

本当の神の教えに不遜な態度を取るなら天罰は当然くだるからです。それは今だけではなく昔からずっとです。だからそれはどれだけ科学が発達しても同じなのです。

どれだけ科学が発達して生活が便利になっても、罰が当たるものは罰が当たるのだし、だから知らなければいけないことは知らなければいけないといっているのです。

昔からいわれていることを理解しようとせず(少し科学が発達したからと何でも迷信などと思って)知るべきことを知らない(バカな)人が一番よくないからです。

一番不幸になるからです。そのような今のことしか考えない短絡的なバカな人がです。

実際、そうなっているでしょう。こちらの人たちなどどれだけいっても神理を理解しようとしないからです。それでドンドン不幸になっています。神理を説いている私のいうことを一切きこうとしないからです。大人から子供までです。

きけば奇跡が起き幸せになれるのにです。しかし、きかない。だから病気など現れて来てドンドン不幸になっている。多くの人たちが神理を説いている者のいうことを信じないからです。

神理をきいていて布施するのは自由だといくらいってもです。こんなひどいことが次々に起きてくるんですから、本当に布施することが自由かどうかは分かるでしょう。

神理をきいていて、感謝の布施をしないから、こういうことが起きて来ているのですから、では、した方がいいなと、しないといけないなと、普通は思うはずですが、そういう発想がいつまでたっても出て来ない。

だから今のことしか考えない短絡的なバカはいけないといっているのです。そのような次に進む(心が向上する)発想が出て来ないからです。それどころか、逆の発想しか(心が退化する)出て来ないからです。

だから、自分のそのような考えの足りないところは平気で棚に上げ、こういう悪いことが起きて来たのはお前のせいだと責任転嫁する、そのような後ろ向きの考え方しか出来ないのです。今の多くの人たちはです。

心がドンドン退化しているからです。そのような心が退化していく、そのような思想しか出来なくなるのです。現代の左翼思想をそのままきいていてはです。

だから、ドンドン不幸になるのです。そんな悪魔の思想を疑いもせずそのまま信じ行っているからです。

どれだけ周りにドンドン病気になる人が出て来ていてもです。それでも責任転嫁しているだけ。

それでは、自分の周りが火事になり、火がドンドン燃え広がっているのに、この火事になったのはお前のせいと、怒っているのと同じであって、そんなことをしている人は一体どうなるのでしょうか?

少し考えれば分かると思いますが、そういう人は百パーセント焼け死ぬということです。

その火を消すか、逃げるかしないとです。そういうことをまったくしようとしないのです。この辺りの人たちはです。(今の左翼思想に洗脳されている人たちはです)

だからドンドン焼け死んでいく(滅びていく)火が燃えている(天罰がくだっている)ところでただ怒ってボケっとしているだけだからです。

そんな態度が正しいのですか? よく考えないといけないのです。自分たちがしているその態度は正しいかどうかをです。間違った態度をいつまでも取っていてはもう滅びてしまうからです。

だから、どちらにしてももう神理に目覚めないといけないということです。こうおかしな世の中になってしまってはです。

そう思いませんか。今日も朝から新聞やテレビでガンガン報じられていますが、少しばかりの女性蔑視発言をしたからと、日本だけではなく世界中から批判の嵐。(私からしたら、あのような発言のどこが女性蔑視なのかと不思議ですけどね。しかもまたマスコミお得意の部分だけ切り取っての大騒ぎ、ほんと呆れます)

あそこまでいうものなんですかね。少々女性をくさしたくらいでです。

しかもそのくさした発言って、女性は話が長いとか、競争意識が強いとかいった程度のものなんでしょう。それほどめくじら立てることでもないでしょう。子供でもあるまいしです。

これが男性は話が長いとか、競争意識が強いとかいっても全然問題にならないのにです。(ほんと逆差別ですね。〔苦笑〕)

こういう世の中なのです。いじめはいけないとかいいながら、そういっている人たちが大勢でよってたかって平気で人をいじめているのです。

このような極端な世界がよいと思いますか? いま現在は左翼思想丸出しの自由、平等、極端が全盛なのです。

そういう思想の人たちばかりであるから、少しでも気に食わないことをいったらもうボロカス、しかも世界中からです。人を許すということを知らないのです。ほどほどがないのです。

悪魔の左翼思想はです。だからこうなる。激しい争いにです。

こういう思想に対してです。

それではいけないといっているだけでそれで分かるのでしょうか? 悪魔の左翼思想にずいぶん侵されている人たちがです。

ただ、いけない、いけないだけではこういう人たちは分からないのです。一体何がいけないのかということがです。

そのいけないことに対する正しい指針がないとです。

だから必要なのです。この正法神理がです。

この正法神理こそ、悪魔の左翼思想に対比することが出来る唯一無二の正しい神の教えであるからです。

悪魔の左翼思想である自由、平等、極端に対する神の思想である正法神理は愛と調和と中道を説くのです。

愛のない自由も平等も極端になるだけで、それでは争いしか生まないのであって、だからその通りの世界が現れているのです。

すぐに争う今のような世界がです。

だから例えば今回のマスコミ報道でもそうでしょう。左翼思想全盛の今ではあのような争いしか生まないのです。たった一人の人間の発言を世界中の人々がよってたかって叩きまくるという激しい争いしかです。

しかし、今回のことでも、愛と調和と中道を説く神理であるならどうなったでしょうか?

まったくどうもならなかったということです。

そのような少しばかりの間違った発言も愛があるのなら許せるのだし、調和があるのなら争うこともないのだし、中道であるなら極端な差別発言もなくなっていくからです。

だから、どちらにしても、もう神理に目覚めないといけないといっているのです。今のまま(の左翼思想)ではまだこれから多くの人たちがドンドン不幸になっていくからです。

そのような左翼思想にのせられ多くの人たちであい争い決して調和することがないからです。

だから神理に目覚めないといけないといっているのです。多くの人たちがです。

そのような神理に目覚めなければもう深刻な問題が起きる(次々に病気になる)そういう人たちも出て来ました。

では、目覚めませんか。すぐにでもこの正法神理にです。

そうすればすべての人たちが救われていくからです。

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2月 04 2021

身内と歯 祈りの効き目 闇の世界

一昨日のことです。祈っているとまた母がゴホゴホとかやって祈りのじゃまをして来ました。

歯痛が治ったのかすぐにこんなことをして来ます。何で祈りのじゃまをしてくるのか意味が分かりませんが「オイ、また罰が当たっても知らないからな。祈るでな」とどうせ祈っているので、じゃまする母もついでに祈ったのです。

そうしたら、その翌日の昨日のことです。急に母が歯医者にいくといい出しました。この前いったばかりなのにどうしたのかときくと歯が痛いので薬をもらってくるといいます。一昨日は歯が痛いなどとは一言もいっていませんでしたからね。

昨日の朝、急に痛くなったのでしょう。歯がです。

どうも罰があったようで、だから私が「また罰が当たったんだな」というと、今度は母は何もいいませんでした。(この時に少しは神理の祈りを理解したのかと思いましたが…しかし、まだ母は分かっていなかったようです。それがその夜に分かるのです)

そういえばウナッシーさんも、お義父さんを祈ったら翌日に歯が痛くなったということをコメントされたことがありますが、身内を祈ると歯に出るんでしょうか? 祈りの効き目がです。

しかし、歯と自分の身内は何か関係があるようです。

というのも、たしか園頭先生のご著書の中にもそのようなことが書かれてあったからです。身内と歯とは関係があるようなことがです。

その園頭先生が書かれていた身内と歯の話とは、園頭先生が大東亜戦争で中国に出征されていた時のことです。

ある晩ずいぶん気持ちの悪い夢を園頭先生が観られたそうです。

その気持ちの悪い夢とは、自分の歯が全部抜けて口の中がじゃりじゃりになる、そんな夢だったそうです。

ずいぶん奇妙な夢を観るもんだと園頭先生は思われ、自分の歯が全部抜けるなど、自分の家族に何かよくないことでも起きるのではないかと心配されていたそうです。

園頭先生は身内と自分の歯は何か関係があるということをご存知であったようで、そのような言い伝えが昔はいわれていたようです。私は知りませんが。

しかし、その言い伝えは本当であったようで、園頭先生がご心配されていた通り、その翌日、園頭先生のご実家がある鹿児島にアメリカ軍の大空襲があり、その空襲で先生のご家族がみなアメリカ軍の爆撃で亡くなられたのです。(奥さんをのぞくです。園頭先生の奥さんは、その空襲の時にちょうどご自分の実家に帰っていられ助かったそうです)

つまり園頭先生は正夢を観られたということです。ご自身の歯を通してご家族の不幸のです。

園頭先生のご著書を読んでいた時は、お気の毒に、そういうことがあるんだなとしか思っていませんでしたが、しかし、母を祈って実際にこのようなことが起きると(そうしてウナッシーさんの祈りの結果なども知ると)本当に歯と身内はかかわりがあるのだなと実感できます。

そして昔からの言い伝えの正しさもよく分かります。神理をすればするだけいろいろなことが分かってくるのです。

そうして、その祈りの凄さもです。というのも昨日の夜のことです。

祈っているとまた母が祈りのじゃまをして来たのです。私にまた罰が当たったといわれたことが面白くなかったのか、天罰を信じていないのか、もう薬をもらったので大丈夫だとでも思ったのか(それとも意地なのか)そこはよく分かりませんが、まだ懲りずにじゃまして来ます。

だから「また、そんなことしていると罰が当たるぞ。どれだけ当たったら分かるんだ」と母にいったんですが、その後も何か細かいじゃまをして来ていました。

それで仕方がないので、じゃあ何が起きても知らないからなとまた母を祈ったんですが、そうしたらです。

その祈りが終わって一時間くらい過ぎた頃でしょうか。ソロソロ寝ようかと思っていたら、母がバタバタし始めました。

何かしゃべりながら、あっちにいったりこっちにいったりしています。それで「何やってんだ、こんな時間に」と私が声をかけると「薬を探しているんだがね」とかいっていました。

昨日の昼に歯医者にいきもらってきた薬を、どうも痛みが引いたからとどこかにしまい込んだみたいで、その痛み止めの薬を夜中の十二時頃に探し回っているのです。

ということは、また急に歯が痛みだしたということであり、だからまた私が「罰が当たったんだわ」といってやるとビクッとしていました。

いい加減、母も理解してもらいたいものです。この神理の祈りをです。そうして神理の祈りは本当にきかれるということをです。

その祈りがきかれるのがドンドン早まっています。母を見ているとリアルにそれが分りますね。

この正法神理の祈りの効き目、凄さがです。

どこかの会社も朝からジタバタ大変そうで、昨日もまだ嫌がらせをしてくる人たちが(運転手も含め)たくさんいたのですが、そういう人たちに次々に天罰がくだっているのではないでしょうか。

母を見ていれば、それがよく分かるからです。そういう人たちも母同様ちゃんと祈っているからです。

これだけ祈りがきかれ様々な事実が分かってくる教えはないのです。そうしてこれだけ周りに愛があふれる教えもありません。(昨日もずいぶん鳥たちに囲まれましたから)

その教えが消えかかっています。皆さん方があまりに何も(神理に対する協力を)しようとしないからです。

この教えを消してしまうようなら、その原因をつくった人たちはみな滅びます。すでにそれと分かる現象が次々に現れて来ているのです。こちらではリアルにです。

それが自分に現れなければ分からないでは、そのような人はあまりに愚かという他ありません。

最悪のことが自分に起きる前に目覚めませんか。この正法神理にです。

この教えに目覚めるなら、これまでとはまったく違う人生を歩むことが出来るからです。

どちらにしても今のままではよくなる要素はありません。このコロナ禍の影響もまだまだ続くでしょうし(だって一ヶ月も伸びましたもんね。緊急事態宣言がです)それに対する補償も大して政府は出さないようです。

もう飲食業などの倒産件数がこれまでで最大などといわれ出してもこれなのです。政府が本気で救う気があるとはとても思えませんね。日本の人々をです。

それはそうでしょう。すでに悪魔たちが(中国やらディープステートやら)日本だけではなく世界を支配しかかっているのです。(日本政府もその息がかかっていますし)そのような時に多くの人たちが救われるわけがありません。

一部の悪魔たちがドンドン儲けていくだけだからです。そのようにすでに仕組まれているのですからどうしようもありません。

後の人たちの得られるものはこれからまだドンドン減っていくのです。そのような悪魔たちに吸い上げられてです。

そのような悪魔たちに人間の力だけで太刀打ち出来ると思いますか。はたで少々騒いでいても所詮それは悪魔の掌の上で踊っているだけで、それほどの影響を与えるわけではないのです。人間だけの力では悪魔たちにです。

自分たちの支配が多少は遅れても、それで自分たちの支配が出来なくなるわけではないからです。人間の力など所詮は知れているからです。今の悪魔たちの力に比べればです。

しかし、神の力は違います。どれだけ今は微々たるものであっても、そこからの大逆転が可能なのです。

人間の力と違い神の力は無限であるからです。だから悪魔も恐れるのです。悪魔たちは神の力をよく知っているからです。

だからわざと無視をする。本当の神の力が現れて来ては悪魔たちが困るからです。

だから神の力を知っている(正しい)人たちは重要なのです。その神の力を知っている人たちが何もしようとしなければ、神の力は世に現れては来ないからです。

その神の力は正しい人々の正しい心を通してしか現れては来ないのです。

だからそういう人が立ち上がるしかないのです。条件はかなり絞られては来ますが。(それはそうですよね。この神理を知っているだけではダメで心が正しくないとダメであるからです。悪魔もこの神理は知っているからです)

それだけ人数は少ないのですが、しかし、そういう人はいます。そういう人たちが立ち上がるしかないのです。人任せにしているのではなくです。

なぜなら、そういう人たちが立ち上がらない限り、この世はよくなっていかないからです。だからよくならないのです。

そのような心ある人たちが未だ立ち上がろうとしないからです。神の教えに対してです。

だから自分の心に問うてみてください。今のままで本当によいのかどうかをです。自分の心に問えば分かるからです。その心が教えてくれるはずであるからです。

心の内なる声が正しことをです。

よいのですか。このまま悪魔の支配に任せていてです。このままに悪魔に任すなら、地獄の世界がこの世に現れてくるのです。(もう現れつつありますが)

地獄ではなくこの世に天国を現すのが私たちの本当の使命なのです。

人数は限られては来ますが、そういう心ある人たちが立ち上がるなら光の兆候も見えて来ます。

しかし、誰も立ち上がろうとしなければ光の兆候は絶対に現れてくることはありません。

いい加減気づきませんか。自分の本当の使命にです。それに気づかない人たちばかりであるから、これだけ闇が広がっているからです。

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2月 03 2021

雨あられのごとく降り注ぐ天罰 布施の効用

最近の大手S運輸の皆さん……一体どうされたんでしょうね。

というのも、前からなんか運転手の態度が変だなとは思っていたんですが、昨日でもそうでした。そのS運輸の走ってくるトラック、走ってくるトラックが、私の顔を見るとみな同じように小さな音でブシュとかしていきます。

何でこの連中みんな同じことをしてくるんだろうと、S運輸のトラックの運転手など見ていると実に落着きがありません。私が見ているのが分かると手をあちこち動かしたり、キョロキョロしたり、顔を引きつらせたり、一体どうしたんでしょう。

最近のS運輸のトラック運転手はです。実に態度がおかしいからです。

……だから止まらないんでしょう。病気になるのがです。だから走ってくる運転手、走ってくる運転手の態度が変なんですよね。自分のところの従業員に病気になる(天罰がくだる)人がドンドン出ているからです。

だから私の顔など見るとおとなしくしていられない。(全部それを私のせいにしているから)しかし、思いっきりブシュなどとやれば自分が即座に病気になるかもしれず、だから、そこまでは怖くて出来ない。しかし、ジッともしていられないから小さな音でブシュとかやっていくんですよね。

S運輸の多くのトラックの運転手がです。自分の会社の運転手が(従業員などが)次々に病気になっているからです。

そうなんですよね。それ以外考えられないからです。そのような多くの運転手の多くのおかしな態度はです。

普通なら平気でブシュとしてくるはずだからです。それをしてきた運転手もこれまでは多かったからです。

しかし、最近はおとなしいなと思っていたら、ここ数日はそんな微妙な嫌がらせを多くの運転手がしていきます。

だから止まらなくなったんでしょう。病気になる人がです。

だから感謝して布施しろといっているのです。もうこの辺りは(昨日も書きましたが)災いの町と化しているからです。

あふれているのです。災いがです。この辺りはあまりに罪深い人が多いからです。

そういう状況では、もう神理を(本当の神の教えを)実践して少しでも心をきれいにするしか助かる道はありません。だからいっているのです。感謝して布施しろとです。

神理を説いている私に布施するなら、これだけ神理の愛の実践もないからです。その愛が自分たちを守るのです。

そういえば、このS運輸は運河沿いにありましたよね。その並びには、あの数年間静かだったのに急に怒り出した会社もあります。(少し前に、金山にいってきた帰りに何年も静かだったところが急に怒り出したと書いたことがありますが、その会社の並びにあるのです。このS運輸もです)

その辺りは特に激しく現れ出したのではないですか。天罰がです。だからみな怒り出しているのです。S運輸ばかりでなく、その数年ぶりに怒り出した会社も、その周りの会社もです。

この前の金山からの帰りに確認したのですが、その近辺の会社もみな怒っていたからです。

だからもう天罰が雨あられのごとく降り注ぎ(ふりそそぎ)始めた。そこらだけでなくこの辺りはどこもです。だからどこも激しく怒ったりドン引きしたりしているのです。

すさまじい勢いで現れ出しているようであるからです。多くの災いがです。

だって、昨日などでもそうですもんね。前回怒りたくっていたあの病院の塗装か何かしている業者も、家の近くの大手ディーラーなどもドン引きしているのです。

昨日通ったらです。何をいっても無視です。前回まであれほど怒っていたのにです。(病院の方は一人外に出て来ている作業員がいて、それがブシュ―とかしていましたが。私が通り過ぎた後にです。〔苦笑〕)

それ以外でも怒りたくっているところが多数あり、だからもうボンボン出だしているんではないでしょうか。そこらじゅうのところに災いがです。

それもすさまじい数です。どこもそんな感じであるからです。異様な態度を取っているところがたくさんあるからです。

どちらにしても、もう感謝して布施しないことにはどうにもならないのです。増える一方なのです。その災いは(天罰は)です。

凄い勢いで出だしている様だからです。どこもです。(だからどこかの会社なども大変そうです。昨日も夜遅くまでキレていましたし、今日も朝から急にキレて今はドン引き中です)だから昨日私に嫌がらせした運転手にも(嫌がらせをした人たちにも)すでにドンドン出ているのではないですか。天罰がです。

もう出ないという選択はないはずだからです。このような状況ではです。

だからもうすぐに出さねば、すぐに現れる。それくらいの勢いで広がっているはずであるからです。天罰がです。

だからすぐに感謝の布施を出さないといけないというのです。そうしないともうそのような汚い心のままではドンドン天罰がくだっていくからです。そのような心の汚い人たちにです。

そうなると思いますよ。だってこちらはもうあまり持たないのです。金がです。その金をどうしても布施しないのなら、凄い勢いで天罰が出だすのは必然でしょう。それだけ大切なものであるからです。

この正法神理はです。

その金がこれ以上、入って来なければ、その大切な神理が説けなくなります。

神理を滅ぼすなら、その滅ぼした人たちは当然滅ぼされます。だから雨あられのごとく天罰がくだるのは当然なのです。それほどの罪もないからです。神理を滅ぼそうとしている人たちに対するです。

だから出るでしょうね。凄い勢いでこの辺りは多くのところで多くの人々に天罰がです。いつまでたっても嫌がらせをやめず布施もしようとしないからです。この辺りのブログを見ている人たちがです。

それだけ愛のない罪深い行いもありません。それでは滅ぼされます。だから激しく現れ出しているのです。天罰がです。

だから理屈ではないのです。(残念ではありますが、神理にこの世の理屈は通用しないのです)絶対に改めないといけないものは改めないといけないのです。それを改めなければ滅びる。そういうものもあるのです。

それが嘘ではないということは、今だけではなく、これまで起きて来たことでも分かるはずです。

何度もいいますが、私が無理やり力ずくで何かをしているわけではないのです。勝手に悪いことが次々に起きてくるのです。そこらじゅうにです。

神理を無視しているとです。

そのように自然に起きて来ていることを無視し、逆恨みし(それは私のせいだと)自分本位なことばかりしているから、ドンドン悪いことが起きてくるのです。

その自然に起きてくることとはみな神が行っていることであるからです。自然に起きてくることを無視するということは、それは即ち神を無視していることと同じであるからです。(まあ、そういう人が多いんですが。現代はです)

もう信じてください。奇跡が起きている私のいうことをです。そうして行ってください。私がいっていることをです。そうすれば災いは止まり、皆が幸せになれるからです。

だから布施すれば災いは止まるし、しなければ止まらない。その布施が(愛の行為を行うかどうかが)原因であるからです。この天罰がこちらでこれだけで現れ出しているのはです。

それを信じないなら信じないでいいのですが、では、どうやって止めますか? この凄い勢いで現れ出した天罰をです。

ドンドン広がっているのですよ。天罰がこの辺りの多くのところにです。

私はいま現在でも次々に奇跡が起きています。それこそ私のいうことが正しいという何よりの証拠なのです。

天罰が次々にくだっている人たちは一体何の奇跡が起きているというのでしょう。災いしか起きていませんよね。そのような人たちはです。

それこそ自分たちが間違っているという何よりの証拠なのです。

面白くないことかもしれませんが、どれだけ面白くないことであってもです。従わなければいけないことはあるのです。

仕事などそんなことばかりでしょう。しかし、神の教えはそれ以上なのです。それ以上に(金儲けなどとは比べられないくらい)絶対に従わなければいけないことなのです。

それはこれまで起きていることで分かるはずです。もう理解しませんか。私のいうことをです。皆さん方のそのような意地はこちらもよく分かったからです。

いってはいけませんが、本当によくやりましたよね。この辺りの人たちはです。これだけ滅ぼされていっているのに、それでもまだ神理に逆らうなど普通の人には出来ないからです。

それはそれで歴史に残ると思いますが、しかし、どうせ歴史に残るならです。

神理の流布の方で名を残しませんか。その方がどれだけ多くの人たちに喜ばれるか知れないからです。それだけの頑張りがあるなら、それも出来るはずであるからです。

そのように歴史に名を残すことが出来るのです。誰もこの神理を知っている人たちはです。本気で神理を実践し多くの人々に伝えるならです。(釈尊やキリスト、その弟子たちがよい例です)

その始めとしてです。私のいうことを素直に信じ行ってくれませんか。

まずそこから始めなければ、これだけ起き出した災いを抑えることは出来ないからです。

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2月 02 2021

災いの町 道は一つ

もう布施くらいされてはどうでしょう。

そんな泣きべそかきながら怒っていられてもこちらもどうしようもないからです。どれだけ怒ったって布施してくれないと止まらないからです。その災いは(天罰は)です。

それ以外どうしようもないのだからすればいいでしょう。布施くらいのことです。それで起きてくる災いも起きなくなるのです。ではその方がよほどいいでしょう。怒れば怒るだけ起きてくるからです。

そのような災いはです。だからもう真剣に起きてくることを考え正しい態度を取ってはどうかといっているのです。何度も繰り返しますが、それ以外ないからです。救われる道はです。

家の近くの会社なんですが、そこはちょこちょこ嫌がらせをして来たところなんですが、最近急に静かになって(何か起きたんでしょう)何もして来なくなったと思ったら、昨日また急に怒り出してシュウシュウやり出しました。

そこは怒っていると私が通るとエアーを勢いよく吹き出してシュウシュウやってくるのです。

それで「もう感謝して布施しろよ、そうすれば天罰も止まるから」などといってもききません。怒ってブシュ―とやりっぱなしです。だから「じゃあ、病気になってもいいのか」というとピタリとエアーの音が止まります。

「なら布施しろよ」というとまた怒り出してブシュ―です。

じゃあどうするのか? という話です。

病気になるのも嫌なら布施するのも嫌。そんな子供ではないのですから、どちらか選ばなければいけないものはいけないと、もう理解すべきなのです。これだけ災いが続いているからです。

布施が嫌なら災いは止まらないし災いが止まらないなら、ドンドン自分たちが病気になって最後には滅ぼされるのです。この辺りは周りもそんなところばかりなんですから、そうなるでしょう。

自分たちもです。もう時間の問題なのです。もっと大きな不幸が降りかかってくるのはです。

もはやこの辺りは災いの町と化しているからです。それだけこの辺りにはたくさんの災いが起きているということです。

だから真剣に考えろといっているのです。

病気になり滅ぼされた方がいいのか、それとも感謝して布施して幸せになった方がいいのかをです。

そういう状況なのです。もうこの辺りはです。そういう人が(滅ぼされている人が)次々に出ているんですから、これ以上の事実はないはずです。

だから神理に従うべきであるといっているのです。こういう恐ろしい災いから守れるには神理に(本当の神の教えに)帰依する以外ないからです。

神理に帰依するなら本当に災いから守られ奇跡も起きるのです。この私が、その何よりの証拠なのです。神理に帰依している私には災いなど起きず、奇跡もたくさん起きているからです。

では、これ以上の証拠はないではないですか。

それにもかかわらずです。この辺りの人たちは神理を潰すつもりなんでしょうか? 神理を見るだけ見ていながら、私に嫌がらせを繰り返し、一切の布施を拒むということは、そういうことになるからです。

神理を潰すということにです。

それでは神も許さないでしょうし、第一そのような態度は自分で自分の首を絞めているのと同じなのです。

神理を潰してしまって、あとどうやって救われるというのでしょう。

これまでの信仰で救われますか? 今日は節分ですが(二月二日の節分は百二十四年ぶりだそうですが)鬼は外などといいながら豆をまくだけで、こちらで起きている災いが止まりますか? そんなことで本当に邪気が払われるのですか?

残念ではありますが、豆などいくらまいても邪気が払われ災いがおさまることなどないのです。

その邪気を払い災いをおさめるには自分の心を正しく変えないといけないからです。

そうなってはじめて邪気は払われ災いが止まるのです。

では、その正しく変えるための心の基準は何なのですか? それがこの正法神理であるということです。

だから神理を潰してしまったら、自分たちの首を絞めることになるといっているのです。正しさの(本当の)基準が分からなくなるからです。

その結果が、いま現在なんでしょう。心の正しい基準が分かっていない人が多いため、これだけ混迷し災いが起きる世の中になってしまっているということです。

だからこれだけ災いが起きてくるのです。それだけ心の正しい基準を間違えている人が多いからです。

しかし、心が正しければこのような悪いことは起きて来ないということです。それは何度も書きますが、私が証拠なのです。

神理を知って心を正している私には災いも起きないし、奇跡もちゃんと起きるのです。心が正しければそれでよいという(勝手に邪気は払われるという)何よりの証拠なのです。

だから、その正しい心の基準である神理を潰そうとするなら、それを神が許すはずがありませんし、そんなことをするなら自分たちが潰されます。

だからこういうことになっているのです。この辺りの多くの人たちの態度が神理を潰そうとしている態度、そのままであるからです。

そういう態度を取っていていいことが起きてくるはずがありません。だから、次々に災いが現れ災いの町と化すのです。この辺りはです。

この辺りの人たちの態度が(神から観たら)最低最悪の態度を取っているからです。それだけ神理を潰そうとする態度はいけない(危ない)ことであるということです。

だからそのような自分たちの超がつくほどの危ない態度を反省しないといけないというのです。それだけ危ない態度を取っているからです。この辺りの人たちは知ってか知らずかです。(多分、知らないでしょう。自分たちがそれほど大それたことをしているなどです。しかし、起きてくる現象でそれは理解しないといけないのです。自分たちがしていることがどれだけ悪いかはです。すでにこの辺りは災いの町と化しているのです。では、どれだけ悪いことをしているのか自覚すべきなのです。自分たちが神に対してです)

だから、いつまでも、俺は知らんというような無責任な態度を続けているのではなくです。(ほんと危ない。この状況でそういう態度はです)もっとよく考えないといけないのです。

自分たちの態度をです。

そのような(超危ない)態度を変えない限りは絶対に起きてくることは(超危ない現象は)変わっては来ないからです。

だからどこも一つもいいことが起きて来ない。自分たちのあまりに間違った(神理に対する横柄な)態度を改めないからです。

その典型がどこかの会社などでしょう。もう災いが起きっぱなしのようで、会社の中で小さな音を立てて(哀れです)ずっと怒っています。(そうしてところどころでキレて)止まらないのでしょう。起きてくる災いがです。

そのままでは本当に滅ぼされますよ。こちらはもう布施をもらえねば、やれないところまで来ているからです。もうすぐにでも布施をもらいたいくらいだからです。

神理を説いている者がこれだけ困っているのです。にもかかわらず、神理を見ている者たちが一切それを助けようとしない。それどころか、そんなことなど知らぬ顔で嫌がらせをし続けている。

そのような人たちを神が許すはずがないでしょう。だからこれからはもっと激しくなります。起きている災いはです。

だからもう判断しないといけないのです。そのまま態度を変えず、病気になり、滅びていくのか、それともここで改心し、奇跡が起き栄えていくのか、そのどちらにするのかをです。

改心する気がないのなら、そのままの態度を続ければいいでしょう。そうすれば黙っていても災いが起き滅びていくからです。(そうして死後は確実に地獄行きです)

しかし、改心する気がある人はです。ちゃんと頭を下げ感謝の布施くらいするべきでしょう。

そうすれば神は、これまで神に背いた罪を許してくださり、災いは止まり周りに奇跡も起き栄えていくからです。(そうして死後はもちろん天上界です。ただし、その心が変わらなければという条件付きですが)

どちらがよいのでしょう。しかし、このようなことはきくまでもないのです。

どれだけ強がり意地を張ったところで不幸を喜ぶ人などいないからです。だから元々道は一つなのです。

自分たちが救われる、改心して感謝して布施する以外の道はないということです。

本当に真剣にいま起きていることを考えないと、本当に、本当にです。滅ぼされるのです。もうそのような人たちがこちらにはたくさんいるからです。それだけひどいことをしているのです。

こちらの多くの人たちはです。自分たちに自覚がないだけでです。

そのようなことをもっとしっかり考えないといけないということです。この辺りの一人一人の人がです。

そうして正しい判断をしていかなくてはいけないということです。一人一人がです。(何で私がこれだけ一人一人がということを強調して書くかといえば、もうこのブログは子供まで見ているからです。その子供たちも一人一人が自分で何が正しいのかは判断するしかないのです。この辺りの大人たちは正しい判断が出来ないからです。〔その大人がボンボン滅ぼされているからです。自分たちの間違った判断によってです。そういう大人たちのいうことをきくなら自分も滅ぼされるからです〕間違ったことを書く者に奇跡は起きません。私がいうことが正しいのか、それとも私以外のいっている人のいうことが正しいのかは自分では判断するのです。その判断を間違うと自分にも災いは起きてくるからです)

もうわき目もふらず、神理の道を進みませんか。その道こそ救われる(幸せになれる)唯一の道だからです

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2月 01 2021

神理に逆らう恐ろしさと罪深さ

天罰のことをもう少し書いておきますが、このような天罰は身内に対しても同じなのです。

つまり私の母に対しても同じようにくだるということです。

うちの母も、実は私が夜、祈りなどしていると(私はほとんど毎日、夜になると反省禅定と祈りを三十分ほどしているのです)よくじゃまをしてくるのです。

黙って祈っていると向こうの部屋からゴホゴホとか、ガチャガチャとかやって来て、こちらの部屋から祈りを中断して「そんなことしていると罰が当たるぞ」ということをよくいっていたのですが、そんなことをいっただけではそのような嫌がらせを母は全然やめません。

罰など当たるわけがないと思っていますし、面白くもないのでしょう。私が何をしているのか、母には今一よく分からないからです。(説明しても〔本当の神の教えを説いているとです〕理解しないのですからどうしようもありません…まあ、理解しろという方が無理なんでしょうが。〔笑〕)

金は稼がないし、毎日ブログを書いてあちこちで何か(でかい声で)いい回っているだけで、母から見たら遊んでいるようにも見えるのでしょう。

そうして夜になると急に黙って祈り始める、普通の人から見たら私はどう考えても変人ですよね。(苦笑)

まあ、この時代、しっかり神理を実践している者など変人にしか見えないのでしょうが、それはともかく、あまりにじゃましてくるので一度母を祈ってやろうと祈ったのです。

そうしたら、しばらくしたらです。母が「歯から(歯ぐき)血が出て来て全然止まらない」といいだしました。

ああこれは罰が当たったなと思い「祈りのじゃまなどするもんで罰が当たったんだわ、病院でもいってこい」というと、明日にでも歯医者にいってこようかな、などという話をしていました。

しかし、次の日になるとその歯ぐきからの出血も止まったようで、それで歯医者にいくのはやめたようでした。

そういうことがあってしばらくは静かだったんですが、ちょっとするとまた始めます。喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れるというやつでしょうか。祈っていると平気でゴホゴホやってくるのです。

だからまた私が「また罰が当たるぞ」といったんですが、全然やめる気などなさそうでした。それで仕方がないのでまた祈ったのです。

そうすると二、三日するとまたじゃまをやめてしまいました。

何でだろうと思っていたらどうもまた歯ぐきから血が出て来たようで、そんなようなことを後でいっていました。

また罰が当たったんだなと思っていたんですが、しかし、またしばらくするとやり始めるのでまた祈ります。

そうするとしばらくするとまた祈りのじゃまをやめるのです。

そうして数日前でしょうか、先月の終わり頃に急に母が歯医者にいくと言い出しました。母は月に一度、歯医者にはいっているのですが、月はじめにいくだけで月に二度もいったことはありません。

先月も月はじめに歯医者にはいきましたので、今月は珍しく二度もいくんだなと思っていたら、これもまた後で分かったんですが、また歯ぐきから血が出て来て、今度は顔まで(歯ぐきまで)はれてしまったとのこと。

それで急きょ歯医者にいってきたようなのです。

だから私が「人の祈りのじゃまばかりしているから罰があったんだわ」といっておいたのですが「とろいこといっとったらかんわ」とかいっていました。(母の言葉の意味は分かりますよね。「とろくさいことをいうな」というい意味です)

しかし、事実は事実です。さすがに三度も続いては母も口では認めなくても祈りのじゃまはしなくなりました。また罰が当たってもいけないからでしょう。

しかし、また時間がたつとしてくるかもしれませんが(すぐ起きたことを忘れますから。年も年ですから母はです。〔苦笑〕)じゃましてくるなら、また祈るだけです。

そうすればもうすぐに天罰がくだるのです。しかし、何度も同じことをするなら、そのくだる天罰は段々ひどくなります。

これ以上はやばいと思うんですが、こればっかりは本人の自覚の問題です。理解してもらうしかありません。神理の祈りのじゃまなどすれば確実に罰が当たるからです。

私の世話をしている母であってもこうなのです。

では、嫌がらせしかしない人たちに罰が当たらないわけがないのであって、だから前回書いたような人たちは次々に罰が当たるのであって、だから、ブシュブシュやっていくトラック連中も、歩いている時にすれ違いざまに嫌がらせしてくる人たちも、こういうことを考えるならみな当たっているんでしょうね。天罰がです。

こちらが確認できていないだけでです。

こういう状況なのです。いくらでも天罰が現れてくるのです。神理に逆らっている人たちにはです。

だからソロソロ現れてはいませんか。様々な天罰がです。このブログを見ている他の地域の一切、布施しようとしない、神理を信じようとしない、多くの人たちにもです。

祈っていますからね、こちらはガンガンにです。(苦笑)

もし何か(悪いことが)現れてくるようなら、ちゃんとこれまでの行いを反省し(神理を無視し続けていたことを)感謝して布施してください。そうしないと、その天罰はドンドンひどくなっていくからです。

もうどこかの会社など怒るに怒れず、それでもところどころでガチャガチャやって嫌がらせだけはしてくるのですが(ずいぶん細かいです)しかし、どういう嫌がらせであろうと、そういう態度を続けるならドンドン天罰は現れて来ます。

もう、これまでの行いを反省し感謝して布施するしかないのです。そうしない限り、その天罰は止まらないからです。

しかし、それをするなら天罰は止まるのです。一体どちらがいいのか、いい加減真剣に考えるべきでしょう。くだらない意地などいつまでも張っているのではなくです。

そのまま天罰が止まらないなら最後には全員滅ぼされるからです。すでに滅ぼされている人たちがこちらにはたくさん出ているからです。

しかし、そういう人がどれだけ出ても分からない。それを責任転嫁し続けている。(すべて私のせい)そういう間違いをしている間は天罰は出続けるのです。

間違いは間違いだからです。その間違いを(そのような天罰はすべて自分たちのせいと)反省出来るまで天罰は出続けるのです。

こちらなどもう顔を引きつらせて怒っている人もいます。泣きそうな顔をして怒っている人もいます。

哀れなものですが、しかし、どういう顔をしていようと怒っている間はその天罰は止まらないのです。それこそ自分の一族郎党が滅ぼされるまで、その天罰は続くのです。

神理に逆らうということは、それほど恐ろしく罪深い(自分のせいで一族郎党が滅ぼされるくらい)ことであるからです。

そうしてその滅ぼされた後は、全員地獄行きです。その地獄で本当の地獄の苦しみを味わうことになるのです。

自分だけでなく自分に縁ある人々がです。神理に逆らった自分のせいでです。

そういうことになってもいいのですか? これは脅しでも何でもなく本当にそうなるのです。

知らないだけなのです。現代の人たちは、神理の恐ろしさをいつまでたっても理解しないからです。これほどのことが起きているにもかかわらずです。

よく考えてみてください。罪の重いことをしているから罰が当たるのです。普通は少々悪いことをしたところで罰など当たらないでしょう。(殺人犯だって、そんなに簡単に罰など当たらないんですから)

しかし、神理に逆らうなら前回も今回も書いたように、すぐに罰が当たるのです。

なぜでしょうか? なぜ神理に逆らっている人たちには次々に罰が当たるのでしょうか?(これは特別私だけの話ではありません。前にウナッシーさんのコメントにも書いてありましたが、ウナッシーさんのお義父さんにも罰が当たったことがあるのです。〔急に歯が痛くなった〕ウナッシーさんの状況も考えずウナッシーさんをなじったからです)

つまりそれほど罪が重いということです。神理に逆らう罪はです。

だから罰が当たるのです。この世のどのような罪よりまだ重いからです。神理に逆らうということはです。それを理解しないだけなのです。現代の人たちはです。

この神理の偉大さをどれだけ書いても理解しようとしないからです。それもまた罪になるのです。

だから理解するまで何度でも書きますが、神理に逆らっているということは、神に直接逆らっていることと同じなのです。

それが正しいのです。だからこれだけ簡単に(身内であろうと誰であろうと)次々に天罰がくだるのです。

それだけ神理に逆らう罪は重く深いからです。

私がいっていることは正しいのです。だから、このまま神理に逆らい続けるなら、自分だけではなく自分の縁につながる一族郎党まで滅ぼされ、深い地獄に堕とされるといっているのです。

確実にそうなるからです。多くの人たちが今のような神理に対する横柄な態度を改めない限りはです。

それを信じないだけなのです。このブログを見ている多くの人たちはです。だからこれだけの天罰もくだるのです。

それだけ物分かりが悪く罪の重い行いもないからです。神理を(長年見ていながら)いつまでたっても、その神理を信じない。

それだけ神に対する罪深い態度もないからです。

先々月は(去年の十二月は)ずいぶんこのブログの訪問者が減ったとこのブログに書きましたが、先月はもっと減っているようです。(先々月より三~四十人は減っているようです)

まあ、このブログが面白くないので読まなくなったのならいいのですが、そうではなく、このブログを読んでいる人がそれだけ滅ぼされたのかもしれません。先月も過ぎ越しの祭が起きているところはいくつもあったからです。

そのような天罰は確実にくだっているのです。いま現在においてもです。

この天罰を止めるには自分の心と行いを改めるしかないのです。いつまでも悪魔の思想に踊らされ、やけくそのような態度を取り続けているのではなくです。

正しい態度を取りませんか。特に神理に対してはです。だからもう神理を正しく理解しないといけないということです。そういう時が来ているのです。

そうしないと、このブログを見ている多くの人たちの罪はどれだけ深くなっていくか知れないからです。

その通りの(罪深い)現象が次々に現れています。

しかし、私の周りには相変わらず愛ある奇跡があふれています。早くこちら側に来ませんか。

神理に従うならこれだけ楽しいこともないからです。

(苦しいのではなく楽しいのです。神理に従えば従うだけです。私たちは元々神から出ている神の子です。ではその神の心を実践するのですから、これだけ楽しいことは神の子である私たち人間にはないのです。それを知らないだけなのです。悪魔に騙されている多くの人たちはです)

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