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10月 02 2020

神理消滅の大罪

二、三日前の話です。

私が夕方帰ってくると少し前を片足を引きずりながら犬の散歩をしている爺さんがいました。

その爺さんはずいぶん前から帰り道でたまにあう人で、ちょこちょこ嫌がらせをされていました。

それでつい数日前にも嫌がらせをして来たようなので(微妙なです。足が不自由な分あまり露骨にはして来ませんが)「おっちゃんもういい加減にしとけよ、今度はしっかり祈るからな」といっておいたのです。

そうして、その日しっかりその爺さんを祈って、それから数日あわなくて、そうして二、三日前にあったのですが、そうしたら様子がおかしいのです。

私が後ろから「おっちゃん祈ったんだけど、元気だったか」と声をかけたのですが、そうしたらです。

急にオドオドし出して早足になったような気がしました。

その爺さんは足が悪いので、そんな早足で歩くことなどこれまでなかったんですが、私が普通に歩いていて追いつけないくらいです。

いつもならこちらがゆっくり歩いていても簡単に追いつきます。それくらいのスピードでしか歩けないようなのです。それだけこの爺さんは足が不自由だからです。

それが、その日は違いました。こちらが普通に歩いていても全然追いつきません。

「あれ、なんか逃げていってないか?」と思って「おっちゃん、そんなに慌てていくなよ。もっと祈っていいのか」と後ろから声をかけたのですが、もう必死に逃げていくような感じで犬をドンドン引っ張っていっているようでした。

いつもならこの爺さん、犬に引っ張られているような感じで、トボトボゆっくり歩いていくのですが、その日はずいぶん早く歩いていくのです。

というか、あせって慌てて歩いていっているようで見ていてかわいそうになりました。足が悪いのにずいぶん無理しているようだったからです。

ですから何か起きたとすぐに分かったんですが、それにしても、一体何が起きているんでしょうね。祈ったからとはいえです。

別にちゃんと犬の散歩も出来ているんだから、そんなに大したことが起きているとは思えないんですが、しかしこの足の悪い爺さんがこれだけ慌てているのです。

では、よほどのことが起きたのかなとも思えるのですが、しかし、見た感じは特別変わった風には見えません。

一体何が起きているんでしょうね。まったく不思議なんですが、しかし、何が起きているのかはともかく、最近はこんな我の強い爺さんにも簡単に天罰がくだるようになっています。(ずいぶん前にも、この爺さんを祈ったことがあるんですが、その時は何も起きなかったようです。その時は態度が全然変わらなかったからです。しかし、今回は全然違いますね。足の悪いのを無視で逃げていくくらいだからです)

では、もう誰であろうと次々に天罰がくだるといっても間違いではないのではないでしょうか。最近はこんな爺さん婆さんばかりでなく、我の強いオバちゃんにも(昨日の話ではありませんが)すぐに天罰がくだるようであるからです。

では、それ以外の人にはもっと簡単に天罰が現れるでしょう。その強い我が、天罰をすぐに起こすことが出来ない一番の要因であったからです。

しかし、そういう人たちにまで簡単に現象が現れるようになって来た。本当に時が来ているんだなということが分かります。

神理を実践しなければいけない、そういう時がです。

どれだけいっても感謝もせず、嫌がらせをしてくる、昨日もそんな危ない人が何人もいました。

そういう人はすでに出ていませんか。天罰がです。

出ているのなら、それからでも遅くはないので感謝して布施した方がいいでしょう。その方がその天罰は早くよくなるでしょうし、天罰を食らったのを逆恨みし、怒ってなどいたら、その天罰がどれだけひどくなるか知れないし、それだけで終わるかどうかも分からないからです。

その後まだ二重、三重の天罰がくだるかもしれないということです。人によってはです。

こんなことが起きますか?人に嫌がらせをしたとたん天罰がくだるなどということがです。

それだけでも凄いと思うんですが、これに加えて、次々に愛ある奇跡も起き、自分の能力も伸ばせて病気まで治る。

そんな教えがありますか?他にです。

他に類を見ないこれほどの教えをです。このブログを見ている多くの人たちは消滅させようとしているのです。

逆らうのはもちろんのこと、無視し続けているということは(布施の一つもせずにです)そういうことになりますよね。

この神理を消滅させようとしていると、そういうことにです。

ただ見ているだけで何もしなければ、いつかはその教えは消えてなくなるからです。そういう見ている人たちの協力があってはじめてどのようなものも存続できるからです。

だから神もこれほど怒るのです。このブログを見ている多くの人たちが神理を消滅させようとしているからです。

それを意識しようがしまいが、そのような大罪を(神理を消滅させるくらいの罪はありませんから)このブログを見ている多くの人たちは犯している、だからこれほどの天罰も食らうのです。

それだけ大きな罪もないからです。

何度もいいますが、この神理を無視し続けるなら、ひどいものはもっとひどくなり(どこかの会社の皆さん大丈夫ですか、今日はまた一段とすさまじい怒りようなんですが…本当に滅びますよ。そのままではです)痛いものはもっと痛くなり(だから偏頭痛などひどくなるのです。私のいうことを無視しているからです)苦しいものはもっと苦しくなるのです。(天罰を食らって病気になれば、苦しんで、苦しんで、苦しんで、死んでいかなければいけなくなるのです。〔その後は当然地獄行きです〕よいのですか?それでもです)

しかし、この神理に従うなら(協力できる範囲で協力してくれるなら)愛ある奇跡と、癒しと、調和が確実に現れてくるのです。

少しの感謝の布施くらいしてもらえませんか。それくらいのいうことはきいてください。神理を説いている私のです。

こちらは、これだけいろいろ神の心を教え現象も現しているからです。

そのようなことはどれもです。この神理を学ばない限り分かっては来ない貴重なことであるからです。(その価値、一体いつになったら理解してもらえるのでしょうか。〔苦笑〕)

布施をもらえませんか。

神理を説いている私のいうことに従うなら、その分、幸運は訪れるからです。

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10月 01 2020

不幸の道と幸福の道

やはり出ていましたね。

昨日ちょうど二、三日前に数人のオバちゃんたちが怒って嫌がらせをして来た辺りを通ったので、確認したのです。そのオバちゃんたちに天罰が現れていないかどうかをです。

そうしたら、家から出て来て嫌がらせをしていったオバちゃんたちはよく分からなかったんですが(家の前から声をかけても〔オバちゃん元気か、何か起きていないか、とです〕出て来なかったので)デイサービスから出て来て、嫌がらせをして来たオバちゃんがいたのですが、そこはよく分かりましたね。

そのデイサービスを通ったら、すさまじい怒り方をしていたからです。(もう中からガッチャンガッチャンでかい音がきこえてきましたから)

だから分かったのです。ここはまともに天罰が出たとです。

このデイサービスから出て来て私に嫌がらせをして来たオバちゃんは、嫌がらせの定番であるほうきとちりとりを持って出て来たのです。私が外で大きな声で辻説法をしていたので私がいることが分かったからでしょう。

そうして案の定、私が歩いているとわざとらしくザッザッと私の近くをはいて来ました。

もう私は、よくこのようなほうきで嫌がらせをされてきたので分かるのです。はきながら嫌がらせをしているということがです。だから、そのオバちゃんには散々いったのです。

そんなわざとらしい嫌がらせをしてもすぐに分かるからやめた方がいいとです。天は心の中まで観ているのだから、ただそうじをしていただけなどという言い訳は通用しないとです。

そのままでは絶対に罰が当たるから、だから感謝して布施してくれといったのです。そうすれば罰が当たることもないからです。

そういうことを私はくどいほどいったのですが、このオバちゃんは私のいうことなどまったくきこうとはしませんでした。まあ、信じなかったのでしょう。

何でこれくらいのことで罰が当たるのかと、お前のいうことなどきけるか、このバカと、心の中ではそう思っていたことでしょう。それくらい思っていなければ私が外で大きな声で話しているのに、わざわざ出てくるわけがないからです。

嫌がらせの定番である、ほうきとちりとりまで持ってです。(嫌がらせやる気満々です)

このオバちゃん、私が何かいっているので無視するわけにもいかなかったらしく(そのデイサービスの従業員と分かっていましたから)こちらに向かい「あ、こんにちわ」などと愛想のいいことをいっていましたが、私が近くを歩いている間中まったくそうじをやめようとはしませんでした。ザッザッと大きな音をたてて私の近くをはいていたのです。

だから私は「そんな愛想のいいことをいっていてもダメだって。心の中では腹を立てそうじにかこつけて嫌がらせをしていては確実に罰は当たるんだぜ」などと何度もいったのですが、そのオバちゃんはそうじをやめようとはせず、罰が当たるといっているのに恐れようともせず、平気で私のいうことを無視し、そのようなそうじの嫌がらせを続けたのです。

これでは天罰がくだらないわけがありません。あっという間にくだったようです。そんな露骨な嫌がらせなどしてくれば確実にくだるからです。天罰はです。

こういうことがもうそこらじゅうで起きているのです。

いい加減、信じたらどうでしょう。そうして行ったらどうでしょう。私のいうことをです。そうしないと不幸にしかならないからです。皆に天罰がくだってです。

このようなことは特別、今だけ起きていることではないからです。何度もいいますが、昔から起きていたことであるからです。

神理が出現した時にそんな不遜な態度を取るなら、そういう人は皆、罰が当たったのです。

だからそんな不遜な態度はやめないといけないと、神理をきいたのなら嫌がらせなどするのではなく感謝して布施しないといけないと、くどいくらいいって回っているのです。

神理を説いている者に感謝して布施するなら、多くの人が幸せになれるからです。

しかし、誰も私のいうことをきこうとしません。だから不幸になるのです。神理を説いている者のいうことを誰もきかないからです。

先週の土曜日のことだったでしょうか、私がある会社の横を通ると、二階のベランダにオバちゃんが出て来ていて洗濯物を取り込んでいました。

その会社は私が通るたびに何かでかい音を立てて嫌がらせをしてきます。しかし、その日は休みのようで静かでした。そのかわりといっては何ですが、そのベランダにいるオバちゃんが泣きそうな顔で、こちらを見ながらガチャガチャ音を立てて洗濯物を取り込んでいるので、また嫌がらせだなと思い「おいおい、どれだけ嫌がらせすれば気がすむんだ。そんなことしているからいいこと起きないんだよ」といってやりました。

いいことが起きていないのは、そのオバちゃんの顔を見れば分かるからです。

ここの会社はそれこそ私が近くを通ると毎回嫌がらせをしてきます。さぞ悪いことが起きているんだろうなと、泣きそうな顔をして哀れなもんだなと思って「あんたんとこの親父が嫌がらせばかり一方的にしてくるからいいことが起きないんだよ。それを詫びて感謝して布施しろ。そうしないと天罰は止まらないぞ」と続けていってやりましたが、最後まで怒ってガチャガチャ音を立てながら洗濯物を取り込んでいました。

これでは止まりませんよね。天罰はです。

本当に哀れなものなんですが(本当にかわいそうです。こういう人たちがです)この辺りはこんな人たちばかりで、多くの人が神理をきいているのに、まったく感謝もせず嫌がらせをし続けています。

これでは悪いことは起き続け、決していいことが起きてくることはないでしょう。

それはこれまでの経過を見ていれば分かるはずです。

それでも反省し、感謝して布施することはされないのでしょうか?このブログを見ている多くの人たちはです。

それならそれで仕方ありませんが、しかし、神理を無視し逆らい続けるなら、ひどくなるものはもっとひどくなり、痛くなるものはもっと痛くなり、苦しいものはもっと苦しくなります。

そのような悪い方にしか導かれていかないのです。神理に逆らい続けるならばです。

それでもよいのなら、そのままの生活を続けることです。そのような態度はわざわざ不幸になる道を全力で進んでいるのと同じであるからです。(不幸になるのが好きな人たちがこれほど多いとは思いませんでした。ほんと驚きです。〔驚〕)

しかし、もし、幸福の道へと進みたい人がいるのならです。私のいうことをきくことです。

そうすればその人は幸福の道へと進むことが出来るからです。

この神理を実践している私にはドンドン奇跡が現れています。奇跡が現れている者のいうことをききませんか。

そうすれば幸せになれるからです。

追伸…何か、自民党議員の「女性はいくらでも嘘をつく」という発言がずいぶん問題になっているそうですね。そうしてそれがガンガンニュースにまでなっているようですが(しかも全国ニュース…今日の中日新聞にも書いてありましたが)バカじゃないでしょうか。

何でそんな発言がこれだけニュースになるのでしょう。男でも女でも嘘はつくでしょう。嘘つきの人など世の中にはたくさんいるからです。

そういう発言と性の暴力被害と一体なのかかわりがあるのでしょう。それはそれ、これはこれでしょう。(性犯罪だって、嘘をつく女性はいますもんね。例えば最近問題になっていますが、痴漢をされてもいないのにされたと嘘をつく女性などいますから)しかもこの発言は自民党の会合の中でされたものであり、公にしているわけではないんでしょう。

何でそんな発言まで問題にして、こんな大騒ぎまでしているのでしょうか。まったくバカげています。(よほどニュースがないのでしょうか?)

そんなことより今のコロナ禍で仕事がドンドン減り、リストラも失業者も増え自殺者まで増えているのですから、そういうことをもっとガンガンニュースで流し、それを何とかしてもらえないのでしょうか。

政治家の先生方はです。どうでもいい発言を問題にしているのではなくです。

何度もいいますが、政府はいくらでも金を(自国通貨を)出せるのです。しかし、それをしないばかりに多くの人がドンドン不幸になっています。(ほんと政府の怠慢ですね)

その不幸を止めてもらえませんか。(金を〔自国通貨の円を〕必要な人たちにばらまいてです)それが出来るのは政府だけであるからです。

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9月 30 2020

神理を実践する者と逆らう者との違い

この辺りの皆さん。もはや感謝して布施した方がいいのではないでしょうか。

なぜかといえばもうあらゆるところに出ているようであるからです。天罰がです。

昨日でも、そういえばここ(の会社)はこの前、何かそれらしいことを(嫌がらせみたいなことを)してきたよな、と思うようなところまで出ているようなのです。天罰がです。

そこは昨日、私が通るとシャッターを閉め切り中で怒りながら仕事をしていたので、それがよく分かったのですが、こういうところが他にもあり、もう、それらしいところにもすぐに天罰が現れるようです。

私がしっかり意識していなくても、天はすべてお見通しであるからです。

だから神理を見ていながら感謝もせず、嫌がらせなどしようものなら、もうそんなところには即座に現れるのです。

天罰がです。

そうであるなら、まともに嫌がらせをしてくるところなどもはや凄いでしょう。

昨日もやたらキレているところが何社もありましたが、そこはこの前、通った時もキレていました。それが同じようにキレ続けているのです。

では、出続けているんでしょうね。そういうところは天罰がです。もう地獄でしょうね。そういうところはです。

いつ誰が病気になるか知れない。そういう状況で仕事をしていて楽しいですか?仕事に対してやる気が出ますか?

まだ、分かりませんか。そのような状況で何を一としないといけないのかがです。

仕事でしょうか?それとも神の教えへの帰依なのでしょうか?

だからいっているのです。もはや感謝して布施した方がいいとです。もう凄い勢いでこの辺りなど天罰が現れているようだからです。

だいたい、神理に逆らい続けていればそうなるのです。(くどいくらいいっていますが)それは今だけの話ではないからです。過去からそのようなことは(神理に不遜な人に対する天罰は)起き続けていることであるからです。

だから、ここ数日、私に嫌がらせをしてきた人たちなどもうすぐに現れているんじゃないですか。多くの天罰がです。

運転手連中や感情的に怒っていたオバちゃんたちなど大丈夫でしょうか?そういう人たちはもうすぐにでも感謝して布施された方がいいでしょう。

そうしないとこのような勢いで天罰が現れているのです。そのような人たちにはもうどれだけ天罰が現れるか知れないからです。そうしてその天罰の程度もです。どれだけひどい現象が現れるか知れないからです。(最悪コロッですから)

しかし、この教えに帰依までしなくても、少しでも感謝して布施されるなら、その天罰も止まりますし、仮に天罰が出てしまっている人でもです。

軽くですむからです。その天罰の害がです。奇跡も起きてです。

しかし、頑なにそれを拒むなら、その天罰はドンドンひどさを増し、最後にはコロッと逝ってしまうのです。すでにそうなっている人もいるからです。

だからもう私のいうことを、神理を説いている者のいうことを真剣にきいてはどうでしょう。本当にそういう恐ろしいことが、この辺りにはたくさん起きて来ているからです。

あまりに神理に逆らう人が多いからです。

この辺りなど特にです。いつまでもくだらない意地を張り続けている場合ではないのです。

一刻も早く神理に対する態度を改めないといけないのです。それだけ恐ろしいことがこの辺りにはすでにたくさん起きているからです。

単に、そういう自覚がない人が多いだけなのです。多くの人は、そのようなことを考えないようしているからです。だから現実逃避しているだけなのです。この辺りの多くの人たちがです。

真剣に起きていることを知るならあまりに恐ろしいからです。その起きていることがです。(だいたい、トラックが激減してしまったということだけ取っても恐ろしいのにです。それに加えて次々に天罰がくだっているなど恐ろしすぎますからね。真剣にそんなことを考えたらです。しかし、起きているのです。そのようなことは本当にです)

しかし、その起きていることを真剣に考えないと、まだこれからどれだけ多くの天罰がくだるか知れません。

どれだけ恐れてもそれでも恐れきれない、そのような恐ろしい現象が実際にこの辺りにはたくさん出ているということです。

そうして、その恐ろしいことをはっきり書くなら、もうこの辺りには次々に病気になる人がたくさん現れているということです。

だからそういう自覚を多くの人が持たないといけないということです。この辺りの人たちはです。そういうすさまじいことが起きているのは事実であるからです。(だからキレている人が多いのです)

それでどうするかを真剣に考えないといけないということです。自分でです。

いつまでも心の低い人たちの大間違いな意見をまともにきいているのではなくです。

そのような心の低い人たちは、正しく現実を見ることも、神理に逆らう恐ろしさもまるで理解出来ない人たちなのです。

だからそのような人たちは平気で神理を、そうして神を、なめたような言い方も出来るわけです。

その心の低い人たちは、神の恐ろしさも、神理の正しさも、全然理解していないからです。

理解していないのなら、何とでもいえます。(適当なことがです)そういう何も分かっていない人の意見を多くの人たちはまともにきいているのです。だからこれほどの天罰もくだるのです。

それだけその人の意見は間違っているからです。

いい加減目を覚ましたらどうでしょう。そうして正しく見たらどうでしょう。今この辺りで起きている本当のことをです。

大変恐ろしいことが続いているからです。正しく見るなら、それが本当によく分かるからです。(自分でよく観ることです。そうして自分で判断することです。人の意見などきいているとその人の意見が間違っているなら自分も間違うからです。自分でよく観て正しい判断を自分でするのです)

だから正しく恐れないといけないということです。コロナ禍ではありませんが、何でも同じなのです。こちらで起きていることも、コロナ禍も、同じ禍には変わりがないからです。

しかし、こちらの禍の方がコロナ禍よりもはるかに恐ろしいのです。

こちらで起きている禍は、治す薬もなければ、マスクをしようが手をよく洗おうが、防ぎようがないからです。ドンドン広がっていくからです。心が変わらない限りはです。

しかし、私のように神理に合わせて心を変えている者はどうでしょう。

二、三日前でしたか私が庄内川にいくと、その日は何か知りませんが、やたら大きな魚が水面近くまでたくさん上がって来ていました。少し見渡しただけでも川のあちこちにでかい魚がいます。

今日はでかいのがたくさんいるなと思って川岸を歩いていくと、ずいぶん川の水も満ちていて、その水面のあっちからこっちから魚が川底から上がってきます。(ほとんど鯉のようでしたが)

その日は水が満ちていたので、川の水が私が歩いている岸のすぐ近くまで来ていて、だから私が歩いていくとすぐ横に大きな鯉がポッカリ浮いているのです。そんな岸のすぐ近くまで来ている、そんな鯉が何匹もいました。

「何やってんの、お前、そんなところで」などと声をかけて歩いていきますが、ほとんど逃げませんね。私が歩いているのをこの鯉たちはみな知っているようなのです。

だから、私が歩いているすぐ横まで寄ってくる鯉までいて、中には十匹くらいが固まって上がって来ている鯉たちもいました。大きさは三~五十センチくらいから大きいのは七~八十センチくらいのまでいました。

その鯉たちに声をかけていたら、いきなりデカいのがすぐ足元にぬっと現れ、こちらが驚いたということもありました。(笑)

こういう珍しい景色を私はよく見ます。本当に楽しいですよ。この正法神理を真剣にやっているとです。

ここにいろいろ書いていますが不思議なことが(愛ある奇跡が)次々に起きてくるからです。

そうして、この神理に心を合わせて生活するなら、悪いこともよい方に段々変わってきて(悪いことがいつの間にか起きなくなったとか、自分の悪い性格がいつの間にか直っていたとか、後で気づくのです。そういうことをです)そうして持病など持っている人でも、その持病が治る人までいて、もちろん不治の病が治った人もいます。

例えば、偏頭痛持ちの人など多いようですが、偏頭痛は考えが偏っているからなるのであって(だから頭の偏った一部分が痛くなるのです。考えが偏っているからです)だからそういう人は、神理に合わせてどちらにも偏らない中道の心になるなら、その偏頭痛は治るのです。

こういう例などその典型なのです。神理に合わせて心が中道に変わるなら、いつの間にか偏頭痛は治っているのです。そういうことがよく起きるということです。神理を実践しているとです。

段々心が変わってくるなら起きてくることは変わってきます。だから、よいことも起きてくるのです。心がよい方に変わればです。

神理に合わせるなら、当然心はよい方に変わります。だからこのようなよい現象も起きてくるわけです。その心に合わせてです。

いま書いたことは神理に従った場合のよいことの一例ですが、しかし、逆らい続けているのならです。

それだけ恐ろしいことも起きてくるということです。こちらで起きていることはその典型なのです。

もう少し真剣に考えてみませんか。

いま起きていることを、そうしてこの正法神理のことをです。いつまでも現実逃避などしていないでです。

ここ数年、起きて来たことを考えるなら、とてもこの正法神理を無視することなど出来ないと思うのですが、いかがでしょうか。

もう神理のことを真剣に考えなければいけない時が来ています。

この神理に従わなければです。まだこれからどれだけ多くの災いが起きてくるか知れませんが、もしこの神理に従うならです。

どれだけ多くの奇跡が起きてくるか知れません。

もう災いはいらないのではないですか。それだけ多くの災いをすでに私たちは体験しているからです。(この辺りだけではなく日本全国の災いも含めて)

一緒に奇跡を起こしませんか。この神理に従うならいくらでも奇跡は起きてくるからです。

少しずつでも実践しませんか。この神理をです。

そうすれば必ず奇跡は現れるからです。

(このブログは午前中、公開したはずなのになぜか公開されていませんでした。なぜ???)

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9月 29 2020

自殺はなぜいけないのか 魅力ある女性

有名な女優さんが自殺されたようですね。(まだはっきり分かりませんが)

最近は多いですね。有名人の自殺がです。当然有名人じゃない人たちの自殺も増えていますが、それはコロナ禍の不況が原因で政府がもっと手を打たないからそうなっているのであって、まあ、それはともかくです。

有名人の自殺などが増えてくると影響を受けて、その有名人のファンなどが同じように自殺でもされだしては大変です。

なんで自殺をしてはいけないのか?

その理由を園頭先生が正法誌に書いていられますので、それを抜粋しておきましょう。

1979年 三月号より抜粋

<「なぜ自殺はいけないか」

一、人間は神の子であり霊的存在である。われわれが輪廻転生の中で霊の自覚を深めていくようにされたのは神である。だから、自殺は神に対する反逆である。

二、われわれは今生において、自分自身の魂を向上させなければならない目的を持って生まれて来た。その目的を達せずに自殺することは魂の進歩のルールを破壊する自分自身に対する反逆である。自分の進歩を自分自身で停止、逆行させるものである。

三、この世界はいろいろな相関関係の中で魂の進歩を図っていかなければならない。その人が存在するということはその人が存在することによって魂の向上を果たしていかなければならない人たちがあるということなのであって、その人が自殺するということは、その人自身の魂の進歩を遅らせるだけでなくて、その人に関係したすべての人々の魂の進歩を遅らせることになるのである。

四、われわれはすべて、神より自由を与えられている。心中という形で自殺を相手に強制することは、生命存在の根本原則である相手の魂の尊厳の自由を阻害することになる。

このような自殺は、神また自分自身に対するルール違反即ち反逆なのである。

五、自殺する人たちは、現実の苦しみから逃れようとして、死ねば楽になるということで死んでいくのであるが、死後は確実にこの現実世界の延長線上にあるのであって、死んだからといって苦しみは解決しないのである。

六、死という形で現実逃避してみても、一切の運命は自分自身の責任なのであるから、どこかでその償いはしなければいけないのである。

(中  略)

自殺した霊魂は地獄界に堕ちて、神が定められた輪廻転生のルールに反したことをきびしく反省しなければなりません。

反省が終わって、許されて再び地上界に生まれ変わって来たとしたら、人生というものがどんなに大事であるかということを再び知るために、どんなに苦しいことがあっても、この人生を逃避するために絶対に死ぬわけにはいかないという、きびしい決心を持って孤独の一生を送らなければならないのです。孤独のきびしさの中で、人生を大事にすべきこと、人と人とのつながりを大事にすべきことを学ぶのであります>

自殺は神に対する反逆であり、自分に対する反逆であり、自分が自殺してしまうと、自分の魂磨きはもちろんのこと、自分がいることで魂を磨かなければいけない縁ある人たちの魂まで磨けないことになるのであり、今が苦しいからと自殺しても死んでもその苦しみは襲ってくるのであり、その苦しみは自分自身がつくったものであるのですから、自分自身で解決するまで、どこにも逃げ場はないということです。

だから自殺しても地獄に堕ちて苦しいだけで何も自分の苦しみは変わらないのであって、では、自殺は地獄に堕ちる分、よけい苦しみが増えるだけということになります。

そうして自殺した罪はそれだけにとどまらず、自殺した人が、その次に生まれ変わった人生はよりきびしい修行の場が与えられ、そのようなきびしい世界でも今度は自殺だけは絶対に出来きずに(そのように仕組まれるのです)そのきびしい世界で誰も仲間にはなってくれず、一生、孤独なまま、そのきびしい世界で人生の大事さ、人と人とのつながりの大事さを自分一人で学んでいかなければいけなくなるのです。

つまり、二重、三重のつらくきびしい修行を後々させられるということです。自殺した人はです。

それだけ自殺という行為は、神と、自分自身と、そうして縁ある人々に対する反逆行為もないからです。

だからそれだけきびしい修行も与えられるのです。それだけ自殺はしてはけない行為であるからです。自分だけではなく縁ある人にまで大きな(悪い)影響を与えてしまう行為であるからです。

だから自殺はしてはいけないといっているのです。これだけ多くの罪を一変につくってしまうからです。

だから自殺などしてしまった人は哀れなのです。こういうことを知らずに自殺していくのですから、死んだ後どれだけ後悔するか知れないからです。

こういうことを考えても、一日も早くこの正法神理を多くの人たちに伝えなくてはいけないのですが(これだけ自殺のことだけ取っても詳しく教えてくれる教えもないでしょうから)しかし、相変わらずこちらでは神理に対する反逆行為が続いています。(ほんと逆らう人が多いですから。〔苦笑〕)

昨日でも嫌がらせをしてくる人が多かったですからね。最近はおばはん連中がやたら感情的になって嫌がらせをしてきますが、最近の私のブログは、それだけいきり立つような内容が多いからでしょう。(特におばはんはすぐに感情的になりますから。〔苦笑〕)

しかし、女性が感情的に怒っているほど醜(みにく)いこともありません。(あれ?これまた女性差別ですか?しかし、正法神理に女性差別などという言葉はありません。神理に差別などないからです。だからこういうことを差別と見る方がおかしいのです)

女性であるならです。もっとおしとやかに優しくなってはどうでしょう。それが本来の女性の姿であるからです。

だから私など見たらです。「また、あんなブログを書いて、よしよし」くらいの愛と優しさを持たれたらどうでしょう。天上界の天女のようにです。(笑)醜く感情的に怒っているのでは地獄の鬼婆でしかないからです。

神理を知らされているのに、感謝も愛もなくてはこれほど魅力のない女性もないでしょう。

別に外見ではありません。外見がどれだけ年を取っていても、中身が(心が)愛深く優しいのであるならこれだけ魅力のある女性もありませんが、逆にどれだけ外見がよくても(きれいであっても)中身が鬼婆のように醜いのであればこれだけブサイクな女性もありません。

やはりそのような心と行いが大きく影響を与えると思いますよ。女性など特にです。

どうですか。女性の方もです。昨日ウナッシーさんから布施をいただきましたが、心からの愛ある布施をされたらです。(何度も書きますが〔理解されるまでです〕悪いのはそちらの方であるからです。神理を見ているのに感謝もせず、嫌がらせを一方的にしているのはそちらの方であるからです。だから、このような災いが起き出しているからです)

神理にそのような愛の心で感謝の布施をされるなら、美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに(そんなCMありましたが。〔笑〕)きれいになるからです。

身も心です。(心が変わると外見も変わりますよ。それは分かりますよね。ひどい心になればそのひどさが顔に現れてくるからです。だから逆もまたしかりで愛深くなれば、その愛深さが顔に現れるのです)

何度もいいますが、感謝も愛もない女性ほど魅力のない女性もありません。神理に感謝するくらい愛ある行いもありません。では、それをされてはどうでしょう。そうすればより女性としての魅力も深まり、よりよい男性も寄ってくるからです。(愛深い女性になればなるほどより愛深い男性が寄ってくるということです。類は類を呼ぶ、波長共鳴の法則です)

まあ、自殺もいけないなら、魅力のない女性もいけないでしょう。

感情的に怒っている暇があるなら、早くそのような心を反省し(愛のないです)もっと女性は愛を深めてください。

そのような女性の深い愛が男性を、ひいては世界を(そうして自殺者も)救うからです。

(こんなこと書くとよけい女性を怒らせますかね。しかし、最近はほんと多いのです。感情的に怒っているオバちゃんがです。怒っていても何も解決しません。今日はまたどこかの会社などドン引きしています。〔またコロッと逝くのが出たんじゃないですか。この感じではです〕愛がないからこれだけ災いも起きてくるのです。もっと愛を出してください。〔特に女性はです〕そうすれば災いは減ってくるからです。逆にそうしなければ〔愛を出さなければ〕絶対に災いは減ることはないからです。〔だから増える一方です。こちらなど災いがです。誰も愛を出そうとしないからです〕)

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9月 27 2020

天の眼(まなこ)とドッペルゲンガー現象

一昨日の夕方、帰って来た時のことです。

どこかの会社の連中が妙に引いて怒っているのです。おかしな怒り方をしてるなと思っていたら翌日の昨日も同じような怒り方をしていました。

それで私が「なんだコロッと逝くのが止まらないのか」と声をかけると、急に中の連中が怒り出しました。(ゴンとかガンとかやり始めてです)

本当にそうなのかと思って「そんなことしてたらもっと死ぬ奴が増えるぞ」といったら、もう凄い怒りようです。

本当に止まらなくなったようです。コロッと逝くのがです。だったら今日も出ているんじゃないですか。天罰に日曜日もないからです。

本当によく怖くないですね。この連中、実際に周りの人たちがドンドン死に始めているのにです。

しかし、この連中にこんなことが起きだしているんですから、他のところもさぞ出ているんでしょうね。多くの天罰がです。

そこらじゅうでコロコロ逝きだしたとは思いませんが(しかし、やたらキレたりドン引きしたり極端な態度を取るところが増えていますので分かりませんが。〔怖〕)ただ、私の周りで起きていることは正確に書いておきます。

このどこかの会社のような(本当に滅ぼされる、恐ろしい現象がたくさん現れだした)ところがあちこち出て来ているのは事実のようであるからです。

だから、それを知らずに軽い気持ちでこちらに嫌がらせなどして来てはあまりに危ないからです。

少し前に、あちこち歩いて辻説法をしていると、家の前にいて嫌がらせをしてくる爺ちゃん婆ちゃんがよくいたということを書きましたが、そういう爺ちゃん婆ちゃんをです。

まったく見なくなった人もいますが、たまにそういうことをしていた爺ちゃん婆ちゃんを見ることもあります。そうするとです。もうほとんどの人が(というか全員です)私の顔を見るとギョとして静かになります。前と同じような嫌がらせをしてくる人はまずいないのです。

たまに意地になって、私の顔を見ると嫌がらせをしてくる人もいますが「祈ってもいいんだな」などというと、もう顔を引きつらせておとなしくなります。

そういう態度を見ているとです。私に嫌がらせをしてきた人、全員に何か起きていると思うんですがどうでしょうか?多分、そうだと思いますよ。こういう(頑固な)爺ちゃん婆ちゃんなど自分たちに何か悪いことが起きて来なければ、私に対する嫌がらせをやめるとはとても思えないからです。

だからずいぶん長く私に嫌がらせをしていた人もいるからです。

しかし、そういう人が一人もいなくなったということは、そういうことをしていた人、全員に何か天罰がくだったということになります。

どういう天罰がくだったのか(病気にでもなったのか、それともけがでもしたのか)それは知りませんが、何か悪いことが起きたことだけは確かでしょう。だから態度が変わったのです。このような人たちのです。

しかし、だとしたらです。私に嫌がらせをしてきた人には、多かれ少なかれ何か天罰がくだるということになります。この近所の人たちも、私に嫌がらせをしている人で何も起きていない人などいなさそうであるからです。何か悪いことが起きているようであるからです。(もちろん亡くなった人もいますし)

そうであるならです。あのブシュブシュやってくる運転手連中も、そういうことをした運転手全員に天罰が現れていると私は思うんですがどうでしょうか。

多分、現れているでしょう。さすがに運転手連中はこちらでは確認しようがありませんが(どこのどいつか分かりませんので)これだけトラックなど減っているのです。

出ているでしょうね。ほとんどの運転手に確実に天罰がです。それはこちらの人たちを見ていれば分かるからです。

こういうことを多くの運転手は知らないのではないでしょうか。だから平気で私にブシュブシュやってくるのです。

私に少々ブシュとかやっても、別に自分に何か起きることはないだろうと軽く考えているからです。

だから、ずいぶん多くの運転手が私の顔を見ればブシュブシュやってくるのでしょうが、そんなに軽いものではないのです。神理を説いている者に嫌がらせをしていくということはです。

天は観ているからです。だからすべて知られているのです。そういうことをした人はどこの誰かはです。

だからそのような人たちは、どこかで(早い人はその日のうちにでも)確実に天罰がくだるということです。神理をきいていながら、感謝もせず嫌がらせをしている人たちなどです。

天はすべてを知っていられるからです。

こういうことを考えればです。

私に対し、嫌がらせをした方がいいのでしょうか。それとも感謝して布施した方がいいのでしょうか。どちらがいいのでしょう。

嫌がらせをしている人たちを天が観ているのなら、神理を知らされたことに素直に感謝して布施される人もしっかり天は観ているということになります。

やってなんぼです。やれば変わってきます。自分たちの周りに起きることも、そうして私に対することもです。しかし、同じことしかしなければ何も変わりません。

したらどうでしょう。感謝の布施くらいです。そうすれば、光の天使との関係も出来てくるからです。

「ドッペルゲンガー現象」というものをご存知の方も多いと思います。

このドッペルゲンガー現象とは、自分の姿を自分で見ることや、あるいは同じ人物が複数の場所に姿を現す、一種の幻覚(霊)のような現象をいっているわけですが、このドッペルゲンガー現象が現れると、その人物は近いうちに死ぬことになるといわれています。

実際にこういう現象があるのかどうか、それは知りませんが、私はこのドッペルゲンガー現象とはです。次のような現象が混同していわれているのではないかと思うのです。

私たちは、実際に死が近くなった人など、あの世の霊が観えるようになります。それは死の間際になると私たちは誰も心があの世と同通しだすからです。

だからそれまで観えなかった霊が観えるようになるのです。あの世と同通しだすなら当然あの世の霊は観える(霊視出来るようになる)からです。

結局、この世に出てくるとあの世のことを一度は忘れてしまいます。そうして中にはこの世のことだけしか信じない人も多くなるため(最近は特に増えました。そういう人がです)死んでいきなりあの世の霊とか出てくると、驚いて(パニくって)訳が分からなくなる人も出てきます。

それでなれさせているのです。死に際が近くなってくる人たちにはあの世の霊とか、あの世とかにです。

それで死が近くなるとあの世と同通しだすのですが、だから、死が間近い爺ちゃん婆ちゃんなど人がいないところを見て「あそこに立っている人は誰だ」とか「昨日死んだ母と話してきた」とかいう人がいますが、別にそれは嘘でも幻覚を観たわけでもないのです。

本当にそういう人(霊)を観たり(多分それはその人の守護霊でしょう)そういう人と会ったり(幽体離脱してあの世までいって死んだ肉親と話したり)しているのです。

ご本人はです。

そういうことは死の間際になれば誰にでも起きることであるからです。例外なくです。

こういうことからもあの世の存在は分かるのですが、このような現象を混同して、ドッペルゲンガー現象とかいわれているのではないかと私は思うのですが、そこはどうなんでしょうか?(死の間際になれば先ほども書きましたが、幽体離脱する人も出てきます。幽体離脱をすれば自分で自分を観ることは可能であるからです)

そこのところはよく分かりませんが、ただ、人の生き死には潮の満ち引きが関係しているといわれます。

満ち潮の時は人が生まれて来て、引き潮の時は人が死ぬとです。

そうであるならです。この辺りの人たちは(まあ、長くこのブログを見ている人たち全般かもしれませんが)引き潮の時間帯などせいぜいお気をつけください。

その時間帯に死神など観るならもうコロッと逝ってしまうかもしれないからです。そういうことがこちらでは頻繁に起き出したようであるからです。(その死神は私だったりして。〔苦笑〕)

そうであるならです。満ち潮の時間帯に神理を説いている私に感謝の布施でもされてはどうでしょう。

そういう人はです。

新しく生まれ変わることが出来るからです。

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