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8月 03 2021

生老病死(しょうろうびょうし)

昨日も、最近はずっと静かだったのにいきなり怒り出してまたガンガンやり出した現場がありましたね。

私が何度も、嫌がらせしっぱなしで知らん顔をしていてもまた天罰はくだるといっているのに、無視しているからいけないのです。そこも前は私が近くを歩いているとずいぶん嫌がらせをしていたところであるからです。

ところが、その現場はある時からピタリと私に対する嫌がらせをやめたのです。(相当出たのでしょう。天罰がです)

しかし、そういうところもまたどこかで(天罰は)出るだろうなと思っていたら、静かになって一~二ヶ月ほどですかね、たった昨日近くを歩いていたらいきなりガンガンやってきました。

だからいっているのです。感謝の布施をしろとです。そうすれば、そういうことも起きてこないからです。しかし、現代の人たちはどうしてもそれが分からないようです。

静かにしていれば、そんな災いはもう起きてこないと勝手に思い込んでいるようです。誰もそんなこといってはいないのにです。

それでしばらくしてまた同じような災いが現れてくると怒り出すのです。もう今は何もしていないのになんだといった感じでしょうか?

しかし、そんな勝手な思い込みもないのです。自分たちはすでに罪を犯してしまっているからです。その罪をそのままにしておいて、それで何も起きないわけがないからです。

だから、罪を犯してしまった人たちは、そのような嫌がらせをしたことを反省して詫びを入れ、神理に対する感謝の布施をしない限り、そのような災いはいつまた自分たちに現れるか知れないのです。

神理に対する罪をすでにその人たちは犯してしまっているからです。私に対する嫌がらせとは神理に対する罪に他ならないからです。

では、その犯した罪を反省し、償いをしない限り、その罪は消えません。それを全然していなくて、それで何も起きないわけがない。

だから、そんな都合がいい自分勝手な思い込みは早く捨てて、一刻も早く自分の行いを反省し、神理に対し感謝の布施をしないといけないといっているのです。そうしなければ、その罪は消えないからです。罪が消えないなら、その罪に対する災いは(天罰は)またどこかで現れてくるからです。

最近はそういうところに(私に嫌がらせをするだけしておいて黙り込んでいる無反省なところに)たくさん災いが現れ出したようです。

だから、そのようなところは早く前の行いを反省し、感謝の布施をされた方がいいでしょう。そうしないと、また必ず現れるからです。災いはです。

しかし、こういうところはまだ分かるんですが(私に嫌がらせをしているんですから)そういうことを何もしたことがないところまで(会社ばかりでなく家などの人たちが)最近はよく怒っています。

しかし私は、顔も知らず話したこともない、そんな自分と縁もゆかり恨みもない人たちをいきなり病気になどしません。(だいたい、私に嫌がらせをしてきた人たちでも病気になどしていないんですから。私はです。そういう人で病気になった人は勝手に天罰を食らって、そうなっているに過ぎないのですから)

私とまったく関係がない(そちらは勝手に私のブログを読んでいるのかもしれませんが)そのような人たちが仮に病気にでもなったとしたら、それは私のせいではありません。自分のせいでそうなっているのです。(これ、当たり前のことなんですけどね。そういう当たり前のことがこちらでは通用しない人がいるのです。他の地域の人たちでは考えられないでしょうが、本当にいるのです。自分たちが病気をすると私のせいにする人たちがです。しかも年寄りに案外多い。そういう人って自分が年を取っても病気などしないと思い込んでいるようです。〔苦笑〕)

人のせいにする前に、自分たちのこれまでの行いをよく反省してみてください。そうすれば必ず、そのようになった理由は分かるからです。

それに人は生まれて年を取り、病気になって死ぬということが定めなのです。(生老病死)

仮に病気になったからと、それは自然のことなのではないのですか。人は誰でも年を取れば(または若いうちからでも)病気になって死んでいくのは当たり前のことであるからです。

そのような定めは人間であるなら誰でもあるからです。

釈尊はその生老病死に悩まれ、それで出家されたのです。そうして数年後に悟りを開かれ、その生老病死の苦しみから解脱(げだつ)されます。

そうして、この正法神理を説かれたのです。

だから、そのような苦しみから逃れたいのであればです。この神理を勉強されることです。いつまでも生老病死を人のせいになどにしていないでです。どれだけそれを人のせいにしていたところで、その苦しみはなくならないからです。

しかし、神理を勉強し実践するなら、生老病死の苦しみはなくなり、希望の道が開けてくるのです。

どれだけいい生活をしていても、そんなのあっという間なのです。(百歳の年寄りにきいても自分の人生などあっという間だったといいますから。自分の人生が長かったなどと思う人など一人もいません)

そんなあっという間の人生の栄耀栄華だけを願い、そうして病気や天変地変などの苦しみを恐れ、それを酒や遊びでごまかす、そのような人生が楽しいのでしょうか。

何かそれが当たり前のように思っていますが、そんなむなしい人生もないのです。そのような苦しみをごまかすことなく、解脱出来る方法があるからです。

正法神理をよく知り実践出来るなら、そのような栄耀栄華からも(この世限りの)様々な苦しみからもすべて解脱でき、永遠の生命(心)のすばらしさを実感出来るのです。そうして、その通りのすばらしい(次々に奇跡が起きてくる)人生も歩めるようにもなります。

いい加減理解しませんか。この正法神理をです。神理よくを知らない間は、そのような様々な苦しみに悩まされ、その苦しみが消えることはないからです。

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8月 02 2021

ドンドン深まる正法の世 正しい実践

最近は暑い日が続いていますが、昨日はエアコンを買いましてね。その取り付け工事を業者が午前中やっていたものですから、それでブログを書けませんでした。

といっても、その工事をしていたのはこのパソコンを打っている部屋でも、私の部屋でもないんですけどね。母の部屋のエアコンを付け替えたのです。母の部屋のエアコンがもう壊れて動かなくなっていたからです。(パソコンを打っている部屋にもエアコンがありますがこれも壊れています。〔苦笑〕)

もう暑い暑いと母がうるさくて、これは母の身体にも悪いなということでエアコンを買ってはどうかという話になったのです。(私はエアコンなどなくても全然大丈夫なんですが)

分轄で買えるなら、私が(金を)出そうと思ったんですが、分轄で買えなかったので(私が貧乏で信用がないため。〔苦笑〕)無い袖は振れないので自分で出せと。(笑)こちらも少し出すからエアコンを買えということで(またパソコンが遠ざかりました)それで注文を出して昨日業者が取り付け工事にきたわけです。

そうしたら、その業者の奴がまたううーんとか、ゴホゴホとか、やりながら作業をしています。

これはまずいなと思い「バカな態度はやめて布施しないと、絶対病気になるから」といっておいたんですけどね。しないでしょうね。あの態度ではです。

では、病気は出ます。もし、そんなことが起きてきたら(もう起きているのかもしれませんし)詫びを入れて(自分の不遜な態度をです)布施してください。

そうしないとそのような現象は死んだ後まで祟るからです。

しかし、現代人はほんと愚かですね。どれだけ私にそんな不遜なことをすれば病気が出ていると書いても、ちょっと普段いかない場所にいったり、このようなこの辺りでない人がくると平気でこんな態度を取ってきます。

それで病気になったら全部それを私のせいにするんでしょうね。あいつが人を病気にしたなどといってです。

そんなことあちこちでいわれたらそれは評判も悪くなるはずです。自分たちが先にしている嫌がらせは(不遜な態度は)絶対にいわないでしょうからね。そういう人たちはです。

では何か私が一方的に人を病気にしているように誰でも思います。本当に因果な商売です。(別に商売じゃないけど)神理流布とはです。

すればするだけ様々な現象が現れてくるからです。

しかし、そういう嘘ばかりいうからよけいこういう人たちには悪いことが起きてくるのです。自分が悪いのを素直に認めて、しっかり反省しないともう悪いことしか起きてこない、そういう世の中(正法の世)になっているからです。

だからこれだけここ数年はそこらじゅうで悪いことが起きてきたのです。正法の世がドンドン深まっているからです。

昨日も九州辺りは大雨になっていたんですよね。(こちらも岐阜県辺りが大雨で避難情報か何か出ていましたし)そうして新型コロナの感染も止まりません。連日の感染者が一万人超えで、もう感染爆発が起きて、本当に都市封鎖しないといけないレベルのところまで出てきているのではないでしょうか。今の状況はです。(首都圏や大阪、沖縄などです。だって緊急事態宣言を出してもドンドン感染者が増えているからです)

もし、その判断が遅れれば日本も欧米のようになりかねないのです。

これでオリンピックで、その判断が遅れて日本も欧米のように感染者が増えたなどとなったら目も当てられません。今もしオリンピックがなければ、このペースの感染拡大であるならもう日本中が大騒ぎになっているはずであるからです。

だから状況を冷静に見ればです。オリンピックで騒いでいる場合ではないように思いますが、しかし、今のところそんなことよりオリンピックのメダルの方が大事なようです。(?)そのメダルの陰で、この新型コロナや天変地変のせいでドンドン疲弊し不幸になっていく人がたくさん出ているのにです。

さすがに、そのような不幸をごまかすオリンピックの面目躍なんですが(こういうことをしているから神も怒るのです)しかし、多くの人が神の側に立つなら、このような状況もガラリと変わるのに、そこは本当に残念です。いつまでたっても神理を無視している人が多いからです。

神理の側に立つ人が増えてくるなら、天変地変はもちろんですが、新型コロナも、そうしてそれで生活苦などで困っている人にまで生活が成り立つようにもなるのです。

別に神が金を配ってくれるわけではありませんが、金(円)など神の代わりに日本政府がいくらでも配ってくれるからです。必要な分を必要なだけです。日本政府は何度でも書きますが、通貨発行権があり、金(自国通貨の円)などいくらでも出せるからです。

そういう風にもなるということです。神理を知っている人たち皆が心を一つにして祈ることが出来るならです。

しかし、神に逆らっている人たちばかりであると、これだけ新型コロナや天変地変が原因で生活苦で苦しんでいる人が多いにもかかわらず、助けることが出来る政府がそのような人たちを助けないという(大してです)そういう悪い方向にもいくわけです。現在のようにです。(今がまさにそれでしょう。過去最高の予算成立〔百何兆円とかいって〕最高の予算成立とかいって、なおかつ補正予算まで(何十兆円の)成立していても、その金を全部使わずあまらせているというのですから、それでは予算を成立させた意味がありません。こういうことになるのです。金があるのにそれを困った人のために使わない。そういう運の悪いことにです)

そのように持っていかれるのです。神からです。運の悪い方、悪い方へとです。そのように導かれるということです。いつまでも神の存在を自覚せず、神の心に逆らっている人が多くてはです。

だから、そのようなことを人間だけの力でどうにかしようと思っても、なかなかうまくいかないわけです。神に逆らっている、その心を直さないとです。

だから、今の大自然にせよ、政治にせよ、経済にせよです。(もちろん、医療、教育あらゆる問題がそうですが)神の心を多くの人が理解してこないとよい方向にはいかないのです。

たとえ、その人がいっていることが正しくてもです。しかし、自分が間違った態度を取っているなら(神に対して)その人がいう正しいことはなかなか通りません。自分がまず神に対し正しい態度を取らないからです。

そのような神に対する正しい態度を取って初めて自分の正しい意見は世の中に通っていくことになるのです。神がそうしてくださるからです。

だから、私がいい例ではないですか。私は、神に対しても正しく、そうして自分の意見も正しい(自分が説いている神理も正しい)だから、その意見だけは通っていく。多くの人にです。

ただ、その意見をきいている多くの人たちが実践しないのです。きいているだけなのです。だから、それ以上は発展しませんが、自分のいうことだけはドンドン通っていく。そのやり方が正しく神が味方になってくださるからです。

だから、私がこのブログに書くと、その意見だけは多くの人が知ることになる。神がその意見を多くの人に通してくださるからです。

しかし、その意見を多くの人が行なおうとしない、だから、世の中もよくなっていかないし、私もよくなっていかない。私の意見をきいている多くの人たちが実践しないからです。

だから、このブログを見ている人たちがこのブログに書かれたことを実践してくれないとダメなのです。やってくれないと奇跡も起きないのです。よいことも実践しないと意味がないからです。ただきいているだけでは宝の持ち腐れに過ぎないからです。

その逆の態度を取る人が多いから、これだけ災いも多いわけです。実践するなら確実に現象は現れてくるからです。

だから、よい現象を現すのも、悪い現象を現すのも、その人が行う実践次第なのです。

しかし、そのようなすべての元は神の心が元であり、その神の心を元とするならたくさんの奇跡も現れてくるということです。

こちらで起きている天罰しかり、多くの天変地変しかり(この世につくった物が天候にまで作用するなら、そのような規模の物をつくったすべてのところに同じような現象が現れてこないといけません。しかし、そういう物をつくっているところにもつくっていないところにも〔日本などその典型ですが〕異常気象は現れているのです。異常現象を何でもこの世の物と結びつけて考えるのは間違いなのです)政府のやり方しかりです。(これも皆で正しく祈るなら〔街宣、街宣とそんなことばかりしているのではなくです〕変わるのです。段々よい方にです)

神の側に立つ人が増えてくるならドンドンよくなっていくのです。世の中はです。

しかし、そういう人が一向に増えないものですから、一向によくなっていかない。多くの人が神に逆らいつつよいことをしようとしているからです。

それでは一方でよいことをしながら、一方で悪いことをしていることになる。だから、なかなかよい方にいかないのです。

行きつ戻りつではなかなか先に進んではいかないからです。

よい方に進むためには、皆が正しく神を知り、そうして神の心を知らないと(そうして正しい実践をしないと)よくなってはいきません。

いま現在は、善より悪が勝っています。だからこれほど多くの災いが起きているのです。善の心より悪の心の方が勝っているからです。

この悪に打ち勝つには、まず、神を正しく認め、そうして神に頭を下げることです。それをまず最初にしない限り(だから何度もいっているのです。神を一としないといけないとです)そこからはじめない限り、世の中はよくなってはいかないのです。神が最初にあるからです。

いい加減、私のいうことを信じ行いませんか。世はまだこれからドンドン正法の世が深まっていくからです。では、心が悪いままでは災いがドンドン増えていくからです。

だから、その災いをおさめる方法はです。心と行いを正す、それしかないのです。

(その心をよくするにはまず考え方から変えないといけないでしょう。バカとか、アホとか、しょっちゅう思っている人が心をよく出来ますか? だから、思うことも悪い考えのままではいけないというのです。その悪い考えを直さないと心がよくなるわけがないからです。もう少し心の奥深さを理解してもらえないでしょうか。その心が奇跡を起こすからです)

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7月 31 2021

知るべきことを知らない罪

昨日はじめて日傘を使いました。

少し前に買ったんですが、なかなか使う気にならず(荷物が増えるとか、まだいいわとか思ってです)しかし、ここ数日はまた特に暑くてカンカン照りの中を歩いていたら頭が痛くなってきたものですから(ここ数年は気温が三十五度くらいになると日向〔ひなた〕を歩いていると頭が痛くなるのです。帽子をかぶるくらいではもう全然ダメです)もう使うしかないと思って、そうして昨日は日傘をさして歩いていったんですが(晴雨兼用です)ほんとびっくりするくらい楽でしたね。

頭も痛くならなかったし、もう一度つかったら手放せなくなりました。少し前までは日傘などオバちゃんみたいでカッコ悪いと思っていましたが、もう六十過ぎたら夏に日傘は必須ですね。(笑)当分お世話になります。まだ当分は暑いからです。(笑)

しかし、昨日は歩いていて本当に静かでしたね。これもまたびっくりしました。(笑)歩いている人から、トラックまでほとんど嫌がらせをしてこなかったからです。(数人、数台のトラックにはされましたがほんと少なかったです)

昨日のブログが相当きいているようですが(苦笑)では、これまでそういうことをしてきた人たちは、私に嫌がらせをしても何も起きないと思っていたのでしょうか?

私に嫌がらせをしたところでどうということはないと思って、それでしてきていたのでしょうか?

だとしたら、大変なことをしましたね。その人たちはです。そういうことをした人の全員とまではいいませんが(全員かもしれませんが)ほとんどの人に現れているはずだからです。災いが(天罰が)です。

大人から子供までずいぶんいますよね。そういう人はです。だから、そのような人たちはそのような大事なことを知らなかったということです。だから天罰を受けた。その人たちは、神理を説いている者に嫌がらせなどしたら天罰がくだるということを知らなかったからです。

しかし、昨日などそれでもまだ私の前で思いっきり嫌がらせをしてきた人もいましたが、そういう露骨なことをした人には必ず現れるのです。災いがです。

しかし、そういう人たちの中にはそのことを知っていて、それでも意地になり私に嫌がらせをしてくる人もいるのでしょうが(どこかの会社の連中のようにです)しかし、そのような人たちは、天罰を受けた後、それからまたどれだけ大きな苦しみを与えられるのかを知らないのです。(地獄で)

神理を説いている者に嫌がらせなどし続ければ、その人は確実に死後は地獄に堕ちるからです。その地獄での苦しみは想像を絶するからです。

しかし、その人たちはそこまでの苦しみを知らない。だからまだくだらない意地など張って、そのような罪深いことをし続けている。その人たちは、死後の地獄の世界での苦しみを知らないでいるからです。もし、知っているのなら、とてもそんなことは出来ないはずであるからです。地獄での苦しみは自分の小さな意地などとは比べものにならないくらい大きいからです。

そうしてそれは神理をきき続けていながら、まったく感謝しようとしない人たちも同じなのです。そういう人たちもやはり同じように天罰を受け、そうして死後は地獄に堕ちるのです。

この世で一番価値ある神理をきかされていながら、全然感謝しないなどということは大きな罪であるからです。そういうこともまた知らないでいるのです。神理を見続けていながらまったく感謝しないでいる人たちはです。

釈尊は、この世で一番悪い人とは「知るべきことを知らない人である」といわれたのです。

他のことをどれだけ知っていようとです。一番肝心な神仏とのことを正しく知らないことには、その人は地獄に堕ちるのです。

この世で神仏との関係が一番重要で大事なことであるからです。

それはそうでしょう。まず神仏との正しい関係があって、はじめて自分たちの生活や仕事や遊びなどやれていくからです。神仏との関係がうまくいかないと、日常生活に支障をきたし、何をしていてもうまくいかないからです。

今がまさにそれなのです。現代の多くの人たちが神仏など別に関係ないと、神仏などいなくても自分たちは生活が出来ていると勘違いしているのです。

その神仏がいなければ、このような世界で自分たちは生活など出来なかったということを知りもせずにいてです。生活どころか、自分さえも存在出来えなかったということも知らずにいてです。

そういうことを全然知らずにいて、その神仏を平気で否定している。哀れ(バカ)というしかありませんが、そういう(間違った)態度を取り続けているから、これだけ災いも多いのです。

肝心要の神仏のことをまるで知らないでいるからです。現代の多くの人たちはです。いつまでたってもです。私がこれだけ神仏の存在と神仏に対する正しい態度を発信しているにもかかわらずです。

それでもまだ無視を続け、天罰を受けまくっている。一番知らなければいけない神仏のことを多くの人たちが知らないからです。(知ろうとしないからです)

しかし、そのような知るべきことを知ろうとしない罪は本当に大きいのです。それがためにこれほどの災いも現れているからです。

いい加減、神仏のことを正しく理解し、感謝の布施くらいされませんか。それを無視し続けるなら自分たちの罪はドンドン増えていき、取り返しがつかないことになるからです。

すでにそうなっているのです。だから、これほどの災いも現れてくる。あまりに罪深い人が今生は多いからです。本当の神仏に対してです。

いい加減お分かりになりませんか? 釈尊が、なぜ知るべきことを知らない人がこの世で一番悪いといわれたのかということをです。

こうなってしまうからです。まさに現代の人たちは釈尊がいわれたことを、そのまま体現しているのです。証明しているのです。釈尊がいわれたことの正しさをです。

現代の人たちは神仏に対し知るべきことを知らなかった。それがために際限なき罪深いことを神仏に対しし続けている。だから際限なき災いが起き続けているのです。日本など特にです。(他国でも似たようなところがありますが)

天罰を受け続けているということです。日本の人たちなど神仏に対し罰当りなことをしているという自覚がまるでないからです。だから自分たちの罪がまるで分からない。神仏など存在しないと思っているからです。

しかし、神仏は存在するのです。だから、その神仏に対し罰当りなことをし続けるなら、数百年、数千年に一度の災いが普通に起き、そうして数百年に一度クラスの感染症まで現れ、多くの人々を苦しめる。

神仏に平気で逆らっている罪はそれだけ深く大きいからです。

数百、数千年に一度の災いなど、それだけの年数がたたないと起きてくるものではないのです。そういう災いが一変に起きている。いま現在どれだけ信じられないことが起きているか分かりますか? この日本にです。

しかし、そういうことさえもうといのです。温暖化だから仕方がないなどと他人事なのです。自分が神仏に逆らっているなど(それだけ大きな罪を犯しているなどと)毛ほども思っていないからです。現在の日本の人々はです。

だから知るべきことを知らないということはそれだけいけないことなのです。罪深いことなのです。知るべきことを知らないでいては、それがどれだけ悪いことかも分からず、その悪いことをいくらでもし続けてしまうからです。

すると、その罪はすさまじく大きくなる。それがいま現在の日本であるということです。

だからこれほどの災いも起きている。あまりに多くの日本の人たちが神仏に対する罪を知らないでいるからです。

それでまだ、そのようなすさまじく大きな罪を犯し続けるつもりですか? 数百年、数千年に一度の災いがこれだけ頻繁に現れていてもです。(これだけの災いが現れているということが何よりの証拠なのです。いま現在の日本の人々の犯している罪の大きさのです)

これでもまだ分からないというなら、今度は数万年に一度、数十万年に一度の災いが現れてくることになりますが、そんなことになったら日本など簡単に滅亡しますね。(そこまでの歴史は日本にはありませんから。〔苦笑〕)

知るべきことを知らないことの罪深さ、まだお分かりになりませんか?

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7月 30 2021

神仏に対する正しい態度 不遜を謙虚に 傲慢を素直に

しかし、止まりませんね。オリンピックの金メダルもそうですが(苦笑)新型コロナの感染者もです。凄い勢いです。

昨日などはじめて一日の感染者が一万人を超えたとか。ついに欧米並みになってきましたね。日本もです。東京をはじめとした首都圏はもちろん、大阪も感染者が千人近くになり、こちら愛知県などもまた増えだしています。

やはり感染者が増えてくるのはまずいですよね。いくらワクチン接種により重症化しにくくなっているとはいえです。ワクチン接種が増えて年寄りの感染者が減っていても、それ以上に若者に感染者が増え、それが原因となって赤ちゃんや小さな子供にまで感染が広がっているからです。

この新型コロナは後遺症の問題もあります。(ワクチンも含めて)それに入院先の問題もあります。(それで新型コロナだけでなく他の病気の患者にまで支障を来たしているとか)どう考えても感染者を増やすのはまずいでしょう。

それなのに大丈夫なんですかね。このまま大騒ぎしてオリンピックを続けていてです。もう起きていませんか? 感染爆発がです。だって、東京など緊急事態宣言がすでに出ているにもかかわらず、凄い勢いで新型コロナの感染者が増えているからです。

しかし、この緊急事態宣言以上の手はないんですよね。では、どうやって止めるのでしょう。東京などこの激しく広がり出した新型コロナの感染をです。(まあ、はっきり書くなら、もうオリンピックなど中止してロックダウン〔都市封鎖〕するしかないということです。東京の感染者を止めるにはです)

それに加えて天気も凄いでしょう。各地、激しいゲリラ雷雨や百ミリ超えの大雨など普通に降って地震もよく起きています。

本当に大丈夫なんですかね。こういう災いを一切無視してスポーツに狂っていてです。(私は、ただ日本をおとしいれたいためだけに騒いでいる左翼連中と違って、本当に日本の人たちのためを思っていってるんですけどね。しかし、3S政策、3S政策といっている人たちが、その3Sの一つであるスポーツにうつつを抜かしている。ちょっと信じられませんが。〔思いっきりはまっていませんか? その3S政策にです〕)

そうしてこちらはこちらで凄いみたいですしね。もうそこらじゅうで災いが出ているのが分かるんですが、昨日など二、三日前まであれだけ怒っていたS運輸の運転手連中がドン引きしていましたからね。

たしかまだ三日ほど前でしょう。皆が凄く怒っていたのはです。くる運転手、くる運転手にブシュブシュやられましたから。それが昨日などみな静かにいってしまうのです。

あれ?と思って走ってくる運転手をチラチラ見ていたんですが、みな無視していってしまうか、私が見ると横を向いたり、下を向いたりして(運転中危ないですよ。横や下を向いたりしていたらです)何かオドオドして落着きがなさそうなのです。

「どうした。病気が止まらなくなったのか」などと声をかけたら、ビクッとした運転手もいましたからね。まさかとは思いますが、私に嫌がらせをした運転手すべてに災いが現れたんじゃないでしょうね。

そのくらいのレベルで出ていそうであるからです。そうじゃなければ、それだけ極端に態度も変わらないと思うからです。わずか二日三日のことでです。

トラックの運転手連中などブシュとやっていってしまうので、その後どうなったか分かりませんが、しかし、そんなことをしている会社や現場の連中にはほぼすべて災いが現れているのです。

では、同じように運転手連中にも現れているのでしょう。だから、これだけ減ってるんですもんね。トラックがです。

しかし、それにもかかわらずまだ平気でブシュとやっていってしまう運転手が多い。大丈夫ですか。そういう人たちはです。そういう人たちことごとくに出ているのかもしれないからです。災いがです。(かもでなく多分出ていると思いますが。ブシュとやった運転手〔そういう罰当りなことをした運転手〕全員に災いがです…ほんと恐ろしい)

しかし、こちらだけ見てもずいぶん恐ろしいことがこれだけ起きているんですが、しかし、それでも誰一人、態度を変えようとしません。(もうどこかの会社なども哀れなものです。ドン引きしながら、それでも怒っています)

こういう人たちは過去いません。そんなに天罰が次々にくだっているのに(あるいは災いが次々に起きているのに)平気でその災いを無視し責任転嫁して、怒り狂っている連中などです。

どれだけ罰当りが過ぎるのでしょう。多分、宗教史上初なのではないでしょうか。これだけ天罰を天罰と思わず、その天罰をこれほどないがしろにしている人たちはです。

こんなことが次々に起きだしたのなら、昔の人たちなら皆です。みんな頭を下げ(合掌して)布施を(お供えを)されたのです。そうしないと天罰が止まらないのは誰でも知っていたことであるからです。そうして、その後の死後の世界まで祟るということもみな知っていたからです。

しかし、現代の人たちは、そんな昔の人たちなら、それこそ小さな子供に至るまで知っていたことを誰も知りません。神仏に対する正しい態度も、そうして自分の先々の運命もです。

まるで分からないのです。そのような想像もつかないのです。現代の人たちは今のことだけしか考えないからです。だから止まらないのです。次々に起きてくるのです。災いがです。その場限りのことしかしていないからです。

それではダメなのです。(そんな単純な発想しか出来なくてはです)もっと先のことまで考え、自分の態度を変えない限りは止らないからです。災いはです。

昔の人たちがしていたように神仏に対する正しい態度を取らない限り災いは止まらないのです。

奇跡が起きている私がいっているのですから、これだけ正しい話もないのではないでしょうか。皆さん方とは(すぐに責任転嫁する)考え方も行いも違う私がいっているからです。

しかし、とはいえその私も、多くの人たちと考え方や行いが大きく違っているわけではありません。少し違うだけなのです。だから、その少し違うところを変えればいいわけです。そうすれば起きてくる災いは奇跡に変わるからです。

その違っている部分が起きてくることの違いであるからです。

昨日ウナッシーさんから布施をもらいましたが、もうそのような感謝の布施をされませんか。そうすれば起きてくることは変わってくるからです。

その布施をするかしないか、それが奇跡が起きてくるか、それとも災いが起きてくるかの違いであるからです。(たったそれだけの違いであるのですが、そのたったそれだけの違いが大きいのです。過去神理をきいていて布施を一切しなかった人たちなどいなかったからです。だから、たったそれだけの違いが、これほどの起きることの違いとなって現れているのです。過去したことがない〔ほど罰当りな〕ことを現在の人たちはしているからです)

もう止めませんか。これだけ起きてくる多くの災いをです。そうして変えませんか。その災いを奇跡にです。

不遜を謙虚に、傲慢を素直に、変えるだけで起きてくる災いは奇跡に変わってきます。

そこを変えてはどうでしょう。そこを変えない限り起きてくる災いは止まらないからです。増えていく一方であるからです。

(いい加減気づきませんか。いま現在がどれだけ不幸な状況であるのかをです。多くの人たちが自分のことばかりして他を省みないからです。自分さえよければそれでいいという考え方を少しずつでも捨てていきませんか。そうすれば起きてくることは変わってくるからです)

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7月 28 2021

心のあり方

東京は新型コロナの一日の感染者が昨日は過去最多を記録したようですね。

そうして首都圏はどこも感染者がドンドン増え出して、他の地域と比べても感染者の数が突出しているようですが(大阪は別として)それに加えて台風は直撃する、地震も起きだすと、オリンピックエリア内はもう次々に災いが現れてきています。

ほんと最悪ですね。大丈夫なんですかね。こんな調子で災いが増え続けていてオリンピックはです。(金メダル、金メダルと騒いでいますけど)

これは下手すると本当に途中中止もあるかもしれませんね。(総理はそれはないと断言されていますが)すさまじい数の災いがオリンピックエリア内に起きてきたら、さすがにそれを無視してオリンピックを続けることなど出来ないからです。

そうしてこちらはこちらで、やはり天罰がメチャメチャ起きだしたようで、やたら怒っているところはある。(それもずいぶんたくさん)ドン引きしてしまったところはある。前回まであれほど怒っていたのにドン引きしてしまい、中から人が出てきてこちらを変な顔でジッと見ているところはある。(こういうところは相当出ているのです。その会社の責任者か誰か、そういう人がわざわざ出てきて怒りまくって〔困りきって〕いるようだからです)

そして、あの最近は何もしてこなくなっていたS運輸のトラック連中がみな怒り出してブシュブシュやり始めました。ここももう止まらなくなったのでしょう。ということは、他のところの運転手も似たようなものではないのでしょうか。どこももう止まらないのです。災いがです。(難病、奇病がです)

だ・か・ら、いっているではないですか。もう詫びを入れて布施をしろとです。それ以外ないからです。災いを止める方法はです。

本当に頭は大丈夫ですか? そんなその災いに怒って嫌がらせなどしていたらよけい出るでしょうが、そのような態度が悪いばかりに起きているからです。その災いはです。

子供ではないのですからいい加減理解することです。自分たちの態度の大間違いをです。(自分たちの心のレベルの低さをです)

自分たちの態度の間違いに気づいて正しく直さないと(だから心を向上させないと)そのような災いは、そのような間違った態度の人がいなくなるまで続くからです。

もういい加減、神の存在に気がつき、神理を説いている者のいうことをききませんか。そうしないと、いつまでたっても災いはおさまらないからです。増えていく一方であるからです。自分たちの心のレベルがあまりに低いままではです。

そういえば私が、このように神理を説き奇跡が起きてくるようになる前に四十日間断食をするような状況が現れてきたのですが、それと同じ状況がやはり園頭先生にも起きたことがあります。(園頭先生は急に高熱が出られて食欲がまったくなくなったそうですが)

園頭先生がそのような状況になられた時は、大東亜戦争の時の出征先である中国でのことなんですが、その時の心境を園頭先生は正法誌に書いていられます。その部分をちょっと抜粋しておきましょう。

1980年、七月号より抜粋

<十歳の頃から人間は何のために生きるのかに疑問を持ち始めた私は、仏教、キリスト教を学び、鹿児島商業を卒業して父のすすめによって現役志願兵として入隊、幹部候補生に合格、支那事変が勃発して少尉に任官、出征して連帯旗手を命ぜられたがなぜかやりたくなくて名誉ある旗手を辞退、連隊副官を命ぜられて一週間目に発病、四十余日病床に呻吟(しんぎん)することになり、死を予期してそれまでの人生を反省し、何の悔いもなく安らかな心で死んでいきたいと思った。

(中  略)

発熱して床につくようになってしばらくの間は、せっかく連隊副官という要職につくことになったのに、こんな突然の発病でつけなくなったという栄進昇進への道を断念しなければならないのかという地位欲、名誉欲への執着あせりもあったが、床について一ヶ月もなるとそれももはや断念しなければならなかった。なにか食べなければこのままでは死んでしまうとは思っても、四十二度、三度という高熱の苦しさに耐えるのが精一杯で食欲はなにも起こらなかった。中支の第一線の陣地の中であるから、当番兵が食事の度に「食事はどうしましょうか」と聞きにくるだけで誰もかたわらにいて看病してくれる者もいない。もうこのまま狂い死にしてしまうのではないかと思うほど、頭の芯ががんがん痛んでくると、こんな時やさしく「苦しいですか、しっかりして下さい」と慰め励ましてくれるやさしい人がいてくれればどんなにこの苦しみにも耐えやすいことであろうかと、子にとって母の、そうして男にとっての女の存在は、その子が、その男性が元気一杯の時もであるが、弱って力をなくしたような時には再び起き上がる力を与えてくれる存在として大事なものであると、神が女性に、そうして母なるものに与えられた愛のやさしさの大事さ、不思議に思いを馳せるのであった。

そうした発熱の苦しさの中で、母を亡くしたゲーテが、突然椅子から立ち上がると「おお、母、なんと偉大なる言葉であろうか」と、ズボンのポケットに手をつっ込んだまま檻の中の熊のように室の中をあっちこっちに歩き回ったと「エッケルマンとの対話」の中に書いてあったことを思い出して母を思い、また、法律家で帝室評議員であった父と、市長の娘であった母との間に生まれたゲーテが、女の心の中にある真実を求めて幾度か恋愛してみても、それがゲーテの人格完成、人格形成を満足させるものとならず、イタリアで出会った造花女工クリスティアーネ・ブルピッウスの素朴な愛によってはじめて心の孤独が満たされ、どちらかといえば高貴な生まれのゲーテが、身分の卑しい女工と結婚することに対して周囲や世間は反対したにもかかわらず家庭の愛と幸福を守ったこと、それがやがて「ファウスト」のような偉大な作品を書くことになったことを思い、男と女というものは相互に人格形成し完成しあっていくことの中に真実の愛を満たしていくべきであることを思い、ただ肉体的な性欲、官能の欲望を満たすだけの男女夫婦の関係は卑しむべきものであると思ったりすることであった。永い結婚生活が、少しもお互いの人格向上、人格形成とならず、どちらからもお互いの人格を傷つけあうだけのものであったとしたら、どんなにそんな結婚生活はわびしいものであろうかと思った。

一方では戦争が終わった後の幸せな人格形成のための結婚生活を夢見ながら、いつ死んでもいい、なに一つ思い残すことのないように心をきれいにしておこうと死の覚悟を決めて反省を続けていくのであった>

やはり違いますね。心の高い人はです。そう思いませんか。責任転嫁ばかりしている皆さんはです。(苦笑)

自分がもう死ぬかもしれないと思い定めた時でも、それでもまだ人格向上を目指して反省を行うなど、まさに人間としての鏡であり、こうでないとよい(幸福の)道も現れてはこないということです。

特にこれからの時代、ひどい心のままではです。次々に災いが現れくるからです。(実際にそうなっています。ひどい心の人が多いからです)

少しは参考にしてください。園頭先生のお心をです。

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