8月 03 2021
生老病死(しょうろうびょうし)
昨日も、最近はずっと静かだったのにいきなり怒り出してまたガンガンやり出した現場がありましたね。
私が何度も、嫌がらせしっぱなしで知らん顔をしていてもまた天罰はくだるといっているのに、無視しているからいけないのです。そこも前は私が近くを歩いているとずいぶん嫌がらせをしていたところであるからです。
ところが、その現場はある時からピタリと私に対する嫌がらせをやめたのです。(相当出たのでしょう。天罰がです)
しかし、そういうところもまたどこかで(天罰は)出るだろうなと思っていたら、静かになって一~二ヶ月ほどですかね、たった昨日近くを歩いていたらいきなりガンガンやってきました。
だからいっているのです。感謝の布施をしろとです。そうすれば、そういうことも起きてこないからです。しかし、現代の人たちはどうしてもそれが分からないようです。
静かにしていれば、そんな災いはもう起きてこないと勝手に思い込んでいるようです。誰もそんなこといってはいないのにです。
それでしばらくしてまた同じような災いが現れてくると怒り出すのです。もう今は何もしていないのになんだといった感じでしょうか?
しかし、そんな勝手な思い込みもないのです。自分たちはすでに罪を犯してしまっているからです。その罪をそのままにしておいて、それで何も起きないわけがないからです。
だから、罪を犯してしまった人たちは、そのような嫌がらせをしたことを反省して詫びを入れ、神理に対する感謝の布施をしない限り、そのような災いはいつまた自分たちに現れるか知れないのです。
神理に対する罪をすでにその人たちは犯してしまっているからです。私に対する嫌がらせとは神理に対する罪に他ならないからです。
では、その犯した罪を反省し、償いをしない限り、その罪は消えません。それを全然していなくて、それで何も起きないわけがない。
だから、そんな都合がいい自分勝手な思い込みは早く捨てて、一刻も早く自分の行いを反省し、神理に対し感謝の布施をしないといけないといっているのです。そうしなければ、その罪は消えないからです。罪が消えないなら、その罪に対する災いは(天罰は)またどこかで現れてくるからです。
最近はそういうところに(私に嫌がらせをするだけしておいて黙り込んでいる無反省なところに)たくさん災いが現れ出したようです。
だから、そのようなところは早く前の行いを反省し、感謝の布施をされた方がいいでしょう。そうしないと、また必ず現れるからです。災いはです。
しかし、こういうところはまだ分かるんですが(私に嫌がらせをしているんですから)そういうことを何もしたことがないところまで(会社ばかりでなく家などの人たちが)最近はよく怒っています。
しかし私は、顔も知らず話したこともない、そんな自分と縁もゆかり恨みもない人たちをいきなり病気になどしません。(だいたい、私に嫌がらせをしてきた人たちでも病気になどしていないんですから。私はです。そういう人で病気になった人は勝手に天罰を食らって、そうなっているに過ぎないのですから)
私とまったく関係がない(そちらは勝手に私のブログを読んでいるのかもしれませんが)そのような人たちが仮に病気にでもなったとしたら、それは私のせいではありません。自分のせいでそうなっているのです。(これ、当たり前のことなんですけどね。そういう当たり前のことがこちらでは通用しない人がいるのです。他の地域の人たちでは考えられないでしょうが、本当にいるのです。自分たちが病気をすると私のせいにする人たちがです。しかも年寄りに案外多い。そういう人って自分が年を取っても病気などしないと思い込んでいるようです。〔苦笑〕)
人のせいにする前に、自分たちのこれまでの行いをよく反省してみてください。そうすれば必ず、そのようになった理由は分かるからです。
それに人は生まれて年を取り、病気になって死ぬということが定めなのです。(生老病死)
仮に病気になったからと、それは自然のことなのではないのですか。人は誰でも年を取れば(または若いうちからでも)病気になって死んでいくのは当たり前のことであるからです。
そのような定めは人間であるなら誰でもあるからです。
釈尊はその生老病死に悩まれ、それで出家されたのです。そうして数年後に悟りを開かれ、その生老病死の苦しみから解脱(げだつ)されます。
そうして、この正法神理を説かれたのです。
だから、そのような苦しみから逃れたいのであればです。この神理を勉強されることです。いつまでも生老病死を人のせいになどにしていないでです。どれだけそれを人のせいにしていたところで、その苦しみはなくならないからです。
しかし、神理を勉強し実践するなら、生老病死の苦しみはなくなり、希望の道が開けてくるのです。
どれだけいい生活をしていても、そんなのあっという間なのです。(百歳の年寄りにきいても自分の人生などあっという間だったといいますから。自分の人生が長かったなどと思う人など一人もいません)
そんなあっという間の人生の栄耀栄華だけを願い、そうして病気や天変地変などの苦しみを恐れ、それを酒や遊びでごまかす、そのような人生が楽しいのでしょうか。
何かそれが当たり前のように思っていますが、そんなむなしい人生もないのです。そのような苦しみをごまかすことなく、解脱出来る方法があるからです。
正法神理をよく知り実践出来るなら、そのような栄耀栄華からも(この世限りの)様々な苦しみからもすべて解脱でき、永遠の生命(心)のすばらしさを実感出来るのです。そうして、その通りのすばらしい(次々に奇跡が起きてくる)人生も歩めるようにもなります。
いい加減理解しませんか。この正法神理をです。神理よくを知らない間は、そのような様々な苦しみに悩まされ、その苦しみが消えることはないからです。