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1月 19 2020

法を説く者への態度

まったくうっとうしいですね。(苦笑)

昨日も前から歩いてくるオジちゃん、オバちゃんたちがちょこちょこ嫌がらせをしていきました。

しかし、大丈夫でしょうか。この人たち。その中には(失礼な言い方ですが)みすぼらしい恰好をした人もいるからです。

そういう人がもし癌にでもなって入院することになったら、入院費とか出せるのでしょうか?放射線治療とかずいぶんお金もかかるんでしょう。

自分は癌になどならないと思ってやっている人たちにずいぶん病気が出ているようです。だから車などこれだけ減っているのです。

そういう現実が目の前に現れているにもかかわらず、そういうことが起きている人たちと同じ態度しか取らない。

それではまるで自分から不幸の道に突っ込んでいっているようなものですが、昨日も書きましたように、一方的に私を悪者にしているのではなく、もう少し自分自身のことをよく反省してみたらどうでしょう。

そうすれば、自分の悪いところも分かって、悪いことを私一人のせいにしている間違いも少しは分かると思うからです。

まあ、そのような謙虚な人が多ければこういうことにはなっていないのかもしれませんが、しかし、もうこれだけ車も(トラックなど)減って、その車が減って行くのが止まらないような(恐ろしい)状況でもあります。

ソロソロ出てきてもいいのではないでしょうか。心を入れ替える人もです。そういう謙虚な人が出て来ないと、もうこの辺り、どれだけ車が減っていくか(不幸が増えるか)知れないからです。

しかし、もう少し恐れてはどうでしょう。いま起きている現象をです。これだけの不幸な現象がこちらには現れているからです。実際に私に嫌がらせをし続け、そうして病気になった人を私はこの目で何人も見ているからです。

この近所でもまったく見なくなった人もいますが(前のアパートでは私に嫌がらせをしていた婆さんがコロッと逝ってしまったし)少し離れたところでも、あるマンションに住んでいた老夫婦など、私がそのマンションの横を通るといつも表に出てきて(主に爺さんの方が)必ず何かでかい音を立てて嫌がらせをして来ていたのです。(鳥が騒ぐので私が通る時は分かるのです)

私はそんなことをしてくるたびに辻説法をして、そうして「そんなことをしていると罰が当たる」といい続けていました。

しかし、その爺さんは態度を変えませんでした。私が歩いてくると同じような嫌がらせを何度もし続けていたのです。

そうしたらです。何回かそういうことを私にしてくるうちに、その爺さんの顔が引きつりだして、ある時から凄い険しい顔で私に嫌がらせをしてくるようになったのです。

こちらは「何か起きたな」と分かったので「爺さん、何か起きたんだろう。なら、もうそんなことやめとけ。そうしないともっとひどいことが起きるから」といったんですが、しかし、その爺さんは意固地になって、私への嫌がらせをやめようとはしませでした。

そのうちにその爺さんを見なくなり、その爺さんが住んでいる部屋は誰もいなくなりました。その後、私がいつ通ってもその部屋の電気がついていることはなくなったのです。

それは今もってです。どこかに行ってしまったようです。夫婦そろってです。私はその部屋の横を通るたびに少し悲しくなるのですが(昨日も通ったんですが誰もいませんでした)本当に哀れです。

私は何度も忠告したのです。そうして、何か起きたと分かった時は、もうこれ以上はそんなことはするなと、それ以上嫌がらせをしていたら危ないと、これもまた何度もいったのです。

しかし、その爺さんはききませんでした。その結果がこれです。まあ、どっか違う家に引っ越していっただけかもしれませんが……多分、違うでしょう。

どこかの病院に入院したか、しかし、もうずいぶん前からその部屋は空き家になっています。(もう半年以上です)最悪、あの爺さんは亡くなってしまったのかもしれませんが、どちらにせよ、この老夫婦によいことは起きていないと思います。

正法神理を説いている私に(そのことを知っていながら)嫌がらせをし続けていたからです。そういう人たちが、よい結果が得られるわけがないからです。

またあるところではずいぶんいい家に住んでいる爺さんがいたのですが、その家の爺さんも私がその人の家の横を通ると、何か嫌がらせをよくしてきていました。(何かかにか、音を立ててです)

それでその爺さんにも同じように「そんなことをしていると罰が当たるから」といい続けて、いろいろ辻説法をしたのですが、その爺さんも前の爺さんと同じで絶対に私に対する嫌がらせをやめようとはしませんでした。

何度私に嫌がらせをしても何も起きないからと、調子に乗ってやって来ているような節もありました。

しかし、何度かそんなことをしていてしばらくすると私が通っても、その家から爺さんは出て来なくなりました。

最近、静かだなと思っていたら、ある時その家の近くを通ると、その爺さんが片方の目には眼帯をはめ顔に絆創膏(ばんそうこう)を一、二枚張って、よろよろしながら出て来て車に乗り込むところに出くわしたのです。(運転手は娘か誰かのようでした)

病院にでも行くところだったのかどうなのかそれは知りませんが「ああ、この爺さん罰が当たったんだな」とその時、思いました。

その後、その家はずっと静かで(窓も閉め切っていて)人がいるのかいないのかよく分かりません。

こういうことになるのです。しつこく神理を説いている者に嫌がらせなどしているとです。

露骨に現れるのです。天罰がです。

こういうことをしている人は、この辺りにはまだたくさんいますが、はっきりいいまして、こういう態度を私に取る人は一人も幸福にはなっていないでしょう。

必ず、何か不幸が起きています。こういう過度の嫌がらせを私にし続けている人たちはです。自分には出ていなくても(あまりに我が強い人はすぐには現象は現れませんから)その周りには必ず不幸な現象が現れているのです。

結局、神理を説く者に嫌がらせをするということは神に嫌がらせをしていることと同じであり、神に嫌がらせをしている者が幸せになれるわけがないからです。

だから、不幸が現れるのです。そのような態度は神にまともに逆らっているのと同じであるからです。

その通りのことがもう何度も何度も起きているのですが、それでもまだ誰も反省しようとしないのです。(逆に私に善いことをすれば奇跡が現れるのに、そこは本当に残念です)

あまりにすさまじい態度(我の強さ)としかいいようがありませんが、このブログを見ている人たちは、どれだけ悪いことが起きて来ても絶対に自分の態度を変えようとはせず、それを押し通すという人が多いようです。

しかし、それが災いの元であるのです。

自分たちに悪いことが起きているのは自分たちの態度が悪いからなのです。だから、その態度を改めるなら、悪いことは起きなくなるのです。

先に書いた爺さんたちもそうでしょう。私の忠告に従い、私に対する嫌がらせを途中でやめていたのなら、そこまで悪いことは起きなかったはずなのに、この爺さんたちは絶対に嫌がらせをやめようとはしなかったのです。

そうしたら、その嫌がらせをやれなくなるほどのことが起きたということです。

こういうことになるのです。いつまでも態度を変えないならです。

このブログを見ている人たちは誰も同じなのです。このような爺さんたちと同じように自分たちの態度を絶対に変えようとしません。

それは私がどれだけ布施してくれといっても(ウナッシーさん以外の)一人として、それに従う人がいないということでもその事実は分かります。

しかし、そのような態度を変えないならです。このブログを見ていながら、いま不幸が起きている人はもちろんですが、起きていない人にもやがて不幸は起きてくるということです。

このブログをただで見ているという人は、それは神理をきいていながら一切報恩の行為をしないということであり、それは悪以外の何ものでもないからです。

それは例えていうなら、本当は金を払って会場の中に入ってきちんときかなければいけない有益な講演を、外からでもきけるからと金も払わず外からきいているのと同じことであるからです。

つまりずるをしているということです。

何年にもわたりずるを続けている人たちに善いことが起きてくるわけがありません。

だから、このブログを見ている人たちは不幸になっていく人が多いのです。ずっとずるをし続け、それどころか嫌がらせまでしている人がいるからです。(自分がずるをしているのにそれプラス嫌がらせまでしていては、それは天罰も食らうでしょう。だから、当然の結果が現れているということです)

しかし、そのような多くの不幸も自分たちの態度を変えるなら、変わってくるのです。起きている不幸が段々幸福へとです。

私への態度を変えませんか?悪いのは自分たち(不幸になっている人たち)の方であるからです。

どちらにしても、このブログを見ている人たちに、これほど多くの災いが起きているのは、態度が間違っているからです。

では、その態度を改めるほかないでしょう。それ以外でよいことが起きてくる方法はないからです。

頑なに態度を改めないというのであればその不幸は続き、新たな不幸もまた現れてくるのです。間違った態度でいる限り、よいことは起きて来ないからです。

いい加減、私への誤解、そうしてこの正法神理の偉大さを理解すべきなのです。そうすれば自ずと態度は変わってくるからです。

いま現在、不幸が起きている人は今の態度を改めない限り、よいことは起きてきません。

自分の態度を改めることです。そうすれば幸福は必ず現れてくるからです。

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1月 18 2020

本当の反省

あいもかわらずこの辺り、怒っている人がたくさんいるんですが(どこかの会社もあいかわらず今日も朝からお怒りです)しかし、怒っている人たちは自分の性格をよく知らないでしょう。

普段、反省などしないのですから。

反省しないと自分の性格はよく分からないのです。そうであるなら、その怒っていること(災い)は私のせいなのか自分のせいなのか分からないでしょう。

その災いは自分の性格が悪いから起きているかもしれないからです。

よく分からないことをすべて私のせいにするなど責任転嫁の度が過ぎています。もう少し自分の性格をよく知ってから、災いなど人にせいにしてはどうでしょう。

もし、私のせいでなければこれだけ無責任な話もないからです。

災いが起きている人でも、反省をしたことがあるという人もいるのでしょうが、しかし、その人がしている反省はです。

例えば、少し自分が悪いことをしたなと思った時とか、明らかに自分の方が悪いと分かった時とか、それくらいの時しかしないのではないですか。そういう人がいっている反省などはです。

しかし、私がいう反省はその程度の反省ではないのです。

もちろん、そういう細かい反省もそうですが、そういう小さな反省ではなく、自分たちのこれまでの人生を振り返り、そうして悪かったことを一つ一つ思い出して(思い出せることだけでよいので)よく反省したことがあるのか、ということをいっているのであり、そういうこれまでの自分の人生のしっかりした反省をいっているのです。

だから、私がいっている反省とは、そんな小さな反省ではなく(そんな反省は誰だってしたことがあるでしょうから)もっと大きな反省をいっているわけです。

そういう過去をしっかりとかえりみる反省などしたことがある人はいないでしょう。そういう怒っている人たちの中にはです。

しかし、私たちはそういうしっかりとした反省をしているのです。もう何度もです。(例えば、四、五才くらいから〔物心つく前の反省は出来ませんから〕五年ごとに年を区切ってするとか、過去の思い出す悪いことを全部反省するとか、そういういろいろなやり方でです。でもまだ足りないくらいです。なかなか悟りを開くまではいかないからです)

そのような反省をしないと過去の罪は消えませんし、そういう反省をしないままでいると、それは心が汚れたままになっているということになりますので、心が汚れたままなら、性格も相当に曲がっていると思うんですが、そういうことも含めて、そのような大きな反省をしっかりやらないと、自分のよいところも悪いところも、そうして自分がどんな性格かも分からないのです。

そのような反省を何度しても、それでもまだ私など自分の性格をしっかり分からないくらいだからです。

では、そういう自分の人生をかえりみるということを全然したことがない人たちが、自分のよいところや悪いところ、そうして自分の性格などしっかり分かるわけがありません。

自分の人生を(逃げずに)しっかり振り返って反省しなければ、自分のことはよく分かっては来ないからです。

自分のことは自分が一番よく知っている、などといっている人は、単に今の自分の性格を自分流に(だから、都合よくです)解釈しているにすぎないからです。

人の性格など、第三者の立場の人が俯瞰(ふかん)して観ないと正確なことは分からないのです。

だから、そのような(第三者の立場に立って俯瞰した)見方をしてする反省が、正しい反省なのであり、だから、そのようなしっかりした正しい反省をしない限り、自分のことは正しく分からないのです。

では、そういう反省をしたこともない人たちが、自分のことを正確に分かっているはずがないのであって、だから、いま起きている災いは、私のせいなのか、それとも自分のせいなのか分からないでしょう、といっているのです。

その人は自分がどういう性格をしているのか、正確に知っているわけではないからです。単に自分のことは自分が一番よく知っていると勝手にそう思っている(勘違いしている)だけであるからです。

だから、そういう人たちは私がいう(大きなしっかりした)反省をしてみれば分かるのです。本当の自分の性格がです。

その自分の本当の性格を知るならです。多分、自殺したくなると思いますよ。あまりに自分の性格が悪いことが分かってです。(苦笑)

それだけ自分の性格は、自分が思っているほどよくはないということです。むしろ相当悪いと考えて間違いないのです。

そのような反省をしたことがない人など、自分の性格をよくするチャンスはないからです。よく反省してはじめて自分の性格は(そうしてもちろん心もですが)よくなって行くからです。

だって普段、少々悪いことをしたって、普通の人は全然反省などしないでしょう。

例えば会社で働いている人など会社で人の悪口などいっていませんか?

あの人がどうだとか、上司がどうだとかです。自分のことは棚に上げて文句ばかりをです。その人がいないからといってです。

そういいながら、そういう話をしていた人がいなくなったとたん、今度はそのいなくなった人の悪口を平気でいう人もいるのです。

そんな悪口ばかりいう人をよい人だと思いますか?

だいたい悪口ばかりをいう人など誰も善人とは思わないのです。しかし、それが分かっていても、それでも人の悪口をいう人などいくらでもいるのです。

それは嘘などつく人も同じでしょう。嘘をついてはいけないと誰だって分かっているのですが、自分の都合で嘘をつく人はたくさんいます。

悪いと分かっていて、それでも平気でその悪いと自分で思っていることをやってしまう。それがよいことでしょうか?

よく反省しないと、こういう悪いところが直らないのです。簡単に流してしまうのです。これくらいはいいだろうと思ってです。

しかし、大きな罪は誰だって反省出来るのですが、こういう小さな多くの悪いことをしたことを(それも罪には変わりがないからです)反省しないといけないのです。(だからそれは人に対する嫌がらせももちろん同じであるということです)

そうしないと、自分のそのような悪いところはいつまでたっても直らないからです。

こういう小さな罪が重なって、自分の性格は曲がって行くのであり、その曲がった性格は多くの罪をつくり出し、そうしてその罪は自分自身に返ってくるのです。

その罪が自分に現れているのではないのですか、いま怒っている人たちはです。

そういう悪いところを直していかないといけないのです。これからの時代(正法の世)はです。

そういう心が返ってくるのがこれまでの時代(末法の世)より早くなっているからです。

だから、すぐに奇跡も起きるし(私たちのように心のきれいな者には)災いもたくさん起きているのです。

心が悪い人たちにはです。そういう時代になったからです。

これでお分かりでしょうか。いま現在の日本に、そうしてこの辺りに、なぜこれだけ災いが多く起きているのかがです。

心が悪く汚い人たちが多いからです。それは無反省な人たちが多いからであり、その無反省な罪深い心がこれだけ多くの災いを日本に現しているということです。

そういうことが次々に現れる、そのような時代(正法の世)になっているからです。

それがどれだけ信じられないことであっても、実際にその通りになっているのです。もう信じざるを得ないのではないでしょうか。

時代が変わったということも、自分たちの心が悪いからそうなっているということも、そうして私がいっていたことは正しかったということもです。

だから、いった通りのことが起きているのです。元々、私がいっていることが正しかったからです。

しかし、多くの人たちは私のいうことを信じられなかった。

何だ、時代が変わってるってとか、何で自分の心が悪いと自分たちに悪いことが起きてくるのだとか、そのような心の仕組みを全然知らなかったからです。

しかし、もう理解しないといけないでしょう。何度もいいますが、私のいった通りのことがこれだけ起きているからです。

もう、何年にもわたってです。

だから、多くの人がしっかり反省が出来るならです。日本に起きている悪いことも、この辺りで起きている悪いことも止めることが出来、そうしてよいことも起き出すということです。

私が説いている、この正法神理を信じ行うならです。

最初から私のいうことは正しかったのです。それを多くの人たちが信じなかったため、多くの悲劇が起き、未だその悲劇は起き続けています。

いい加減、信じませんか、私のいうことをです。私のいっていることが正しいから奇跡が起きているのであり、奇跡が起きるということは、それだけ神の心をよく知っているということだからです。

しっかり反省するなら、いま起きている多くの災いは段々おさまっていきます。

もう信じてください。私のいうことをです。私のいうことは神の心であるからです。

私のいうことを(この正法神理を)信じた人だけがこれからの時代は救われていきます。

しっかりした反省をしてください。そのような反省が出来た人から救われていくからです。

追伸…地元のプロ野球球団の元監督が亡くなりましたね。

驚きましたね。私も小さな時にナゴヤ球場でこの方のプレーをよく観ていたからです。

この方も急性心不全で急死されたようですが、それにしても最近は多いですね。有名人でも急死される人がです。(ついこの前も評論家の人がやはり心不全で急死されたようですし)

こちらの人たちなど大丈夫ですか。どこかの会社など相変わらず怒っていますが、そういうところ(会社)は多いし、車は異様に減っているし、これで急死するような病気がボンボン起きてくるようなら危なくて仕方ないからです。

大丈夫ですか?この正法神理に帰依しなくてです。こういう危ない状況でも本当の神の教えに帰依するなら神から守られるからです。

それにしてもです。このすさまじい状況で、平気で本当の神の教えであるこの正法神理に逆らい、私がこの教え(ブログ)をただで見ていてはいけないとこれだけいっているにもかかわらず、それでもただで見続けている人がたくさんいるということにはちょっと驚きますよね。

怖くはないのでしょうか?このような状況の時にです。そのような罰当たりな態度を平気で取り続けていてです。

だって、普通でも危ないのですよ。そういう態度はです。

本当の神の教えである正法神理に対し、それだけ傲慢で罰当たりな態度もないからです。

しかし、今の状況はそのような普通の時ではないのです。もうボンボン罰が当たって、そこらじゅうで病人、けが人、そうして死人が続出しているのです。(急死や癌で亡くなる人ばかりでなく、多くの天変地変などでもです)

こういう状況の時に、そういう罰当たりな態度を平気で取っているって一体どうよ、と思うんですが、そういう(超がつくほど恐ろしい)状況が分かっているのでしょうか?

このブログをただで見ている人たちはです。

そこらへんが本当に疑問なんですが、ちょっと書いておきますが、もしかしたらです。この辺りで起きていることは(車が減ったり、そこらじゅうのところで災いが起きていることは)一部ではなく、大半がこのブログを(正法神理を)ただで見ていることによって起こされている天罰かもしれないのです。

もしそうであるならです。もうすさまじい数の天罰がくだっているということになります。

そうであるなら、このブログをいつまでもただで見ている人たちは覚悟だけはしておいた方がいいと思います。

自分たちにも必ず天罰はくだるとです。

それだけ多くの天罰がすでにこの辺りにはくだっているからです。もう数えきれないくらいのです。

まあ、それを信じる、信じないは自由なんですが、多くの災いがこの辺りに起きていることだけは確かなのです。それがこのブログと関係ないことを祈っています。(多分、関係あると思うんですが……だとしたら、このブログを平気でただで見ている人たち相当危ないです)

どちらにしても(前にも書きましたが)すでに周りに悪いことが起きている人たちは気をつけた方がいいでしょう。

それはもう天上界からの警告以外の何ものでもないからです。そのような心のままではもっと大きな災いを起こすというです。

だから、そのような人たちは、それこそ、いつコロッと逝くか分かりません。(いつコロッと逝ってもおかしくはありません)

これだけ急死する人が多いのです。そういう人たちは本当に気をつけた方がいいでしょう。私のいうことは正しいからです。

それにしてもです。この状況で平気で神理を無視している、その神経には本当に恐れ入り谷の鬼子母神ですよね。(苦笑)

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1月 17 2020

反省しない人たち

昨日も凄かったですね。もうガラガラですもんね。普通の日の夕方なのに道がです。

片側一車線の道路などほんとすいています。夕方五時半ごろにですよ。一番混む時間帯にもかかわらずガラガラなのです。

一昨日の庄内川の横の道路もそうですが、また一段とすきましたよね。車が走っている道路がです。

そのすいている道路の歩道を歩きながら「皆さんもう道路はガラガラです。この教えに帰依しないとこのままでは滅びますよ」などといいながら歩いていましたが、そこら歩いている人は皆ドン引きでした。

それくらい(皆がビビるくらい)道がすいていたからです。

しかし、皆どこに行ってしまったんでしょう?もうどこもすいているからです。本当に皆さん一変に逝ってしまったんじゃないでしょうか。

これだけ夕方の道路がすいているとそういう想像も出て来て怖くなります。何かあちこちがシーンとしているようにも思えるからです。(ほんとこの辺りゴーストタウン化が進んでいます。〔恐〕)

そういえば一昨日の庄内川の帰りのことです。

その時も歩いている歩道の横の道路はすいていたのですが「ずいぶんすいてるな」と思って歩いていると前から一人、女子高生が歩いて来ました。

その女子高生、私の近くまでくるとゴソゴソやり始めます。「これは何かしてくるな」と思っていたら、案の定、私の目の前まで来て地面を蹴とばすように足を引きずってこちらに土を飛ばしてきました。

当然こちらは「おい」とか文句をいいます。そうして「何だお前、俺のブログを見ているのに嫌がらせをしてくるのか」というと「ハア」とかいってきます。

まあ、予想通りといえば予想通りなんですが「お前、俺のこと知ってるんだろう」ときくと「いいえ、知りませんけど」ととぼけてきます。

まあ、これも予想通りなんですが、問題はその後なのです。しばらく、そんなすっとぼけたやり取りが続いていたんですが、そうしたら突然です。

この女子高生が「ウザ……」みたいなことをいってきたのです。今度はこちらが「ハア」とかいうと、もうこの女子高生の顔が変わっているのです。

何か薄笑いを浮かべて不気味な顔になって「ウザいんだよ」みたいなことをいいだしました。

ゾッとしましたね。目の前に悪魔がいるように感じたからです。

しかし「なにっ」とかいいかえすと(ちょっと怖かったけですけど。〔苦笑〕なにせ、相手は悪魔みたいな女子高生ですから)向こうは「うるせー」とか男のように叫んで逃げて行きます。

完全に悪魔に憑かれていましたね。あの女子高生はです。その後、少しついて行って後ろからしっかり祈ってあげました。

あの年であの様に完全に悪魔に憑かれてしまっていてはあまりに哀れであるからです。(どんな心しているんでしょう。この女子高生はです)

だから、その女子高生は最初から私の顔を見てケンカを売って来ていたのでしょう。悪魔に憑かれているのですから、そういうことがしたくて仕方がないはずだからです。

この辺りは、大人から子供まで、こういう人が多いのです。(小学生でもこういうのいますから。おかしな顔をしてちょっかいをかけてくるのがです)しかし、大丈夫でしょうか。

こういう連中はです。もうこちらもこの悪魔に憑かれているようなおかしな人たちをずいぶん祈っているからです。

そうして最近は私のブログを見ていながら感謝一つしてくれない人たちもです。

それはそうでしょう。悪魔に憑かれたようなおかしなのはあちこちにいるし(運転手も含めて)そうして私のブログを見ているだけでいつまでたっても布施してくれないでは、こちらはやりようがありません。

こういう人たちを祈ってあげないと哀れですし、神から正しく導いてももらえません。

だから全力で祈っています。そうしないとこちらも道が開けて来ないからです。ブログを書いているだけとか、辻説法をしているだけではです。

当然、祈りながら、そのような行いをしていかないとうまくいかないからです。

だからガンガン祈っているんですが、案外その祈りがきいて、これだけ車が減ってしまっているのかもしれませんね。そういう人たちに次々に天罰がくだってです。

しかし、それだけ多くの人たちが私のブログを見ているとは思えませんから、その中の一部の人たちはということでしょうが、どちらにしてもです。

そういう祈りはしていますから(しかも相当真剣にです)そこはご了承ください。

何か起きるのが嫌なら(自分たちの行いが間違っているため)布施くらいしてくれればすむだけの話であるからです。

こちらのいうことをまるっきりきかないような人たちばかりです。それでこれだけ多くの人がいなく(不幸に?)なっているのです。

そういういつまでも気づかない人たちに気づきを与えるためにも、こちらはやれることは全部やります。

しかし、このような人たちは反省ということをしたことがあるのでしょうか?

最近は辻説法の時によくいっているんですよね。「あんたたちは反省したことがあるのか?」とです。

そういうと静かになる人たちも多いのです。そういう態度を見ると、よく反省したことがある人などいないんじゃないでしょうか。こちらの人たちなどです。

こちらの人たちだけではありませんが、自分のこれまでの行いをかえりみてよく反省したことがある人は、このブログを見ている人たちの中で一体どれくらいいるのでしょう。

しかし、そのような反省をしないと、自分の行いが正しいのかどうか、自分の性格はどこがよくてどこが悪いのか、など全然分からないんじゃないでしょうか。

自分の性格や行いなど、自分をしっかりかえりみない限りは分かって来ないからです。

そのような状況で(自分はまったく反省などしたことがない人が)このような悪いことが起きたのはお前(私)のせいなどとよくいえたものです。

そういう人は自分のことが全然分かっていないはずなのにです。勝手に自分は善人と、悪いことはしていないと勘違いしているだけなのにです。

そう思っているだけで案外、人は悪いことをしているのです。だって、これだけ奇跡が起きている私やウナッシーさんでさえ反省すべき点は多々あるからです。(だから、よく反省しています)

それが奇跡が起きているわけでもなく、悪いことばかり起きている人たちが、悪いところがないわけがないでしょう。

その自分の悪いところを、自分たちが知らないだけなのです。そのような人たちは自分を全然かえりみたことがないからです。

だから悪いことが起きているのです。

本当は自分たちに悪いところがたくさんあるのに、それを放置しているからです。その放置している悪いところを反省させるために、そのような悪いことは起きているからです。

だから、悪いことが起きるということは、それはすなわち、自分に悪いところがあるということなのです。

悪いことがたくさん起きている人は、悪いところがたくさんあるということなのです。それが事実なのです。

そういう自分の悪いところをすべて無視して、全部責任転嫁しているから、その悪いことは止まらないのです。

その悪いことは、単に自分の悪いところが現れているだけであるからです。その自分の悪いところを直すなら、その悪いことは止まるからです。

それだけの話なのです。

だから、私たちは悪いことが起きても続かないのです。すぐに反省するからです。反省すれば、その悪いことはすぐに起きなくなるからです。

その違いが、ひたすら悪いことが起き続けている人たちと、悪いことが起きてもすぐにそれが止まり、奇跡が起き続けている私たちとの差なのです。

悪いところを反省出来るか、出来ないか、そうして、その悪かったことをよく反省して、それをよいことに変えられるかどうか、そこまで出来る人は、私たちの様に次々に奇跡が現れるようになるということです。

そんなに難しことではないと思いますが、しかし、その初歩の初歩、まず反省がしっかり出来ないと悪いことが起きても止めることは出来ません。

そこで止まっている人たちが(反省したことがない人たちが)たくさんいるというのですから、私たちからするとちょっと驚くんですが(あまりのレベルの低さにです。〔笑〕)しかし、もうこれだけの現象が現れているのです。(天変地変はドンドン激しくなる、こちらの人たちはドンドンいなくなる、そうして日本全体の人口もドンドン減っていく)

反省出来ないと危ないですよ。これだけ危ないことが集中して起きているからです。

こういう危ない現象をです。この世の条件に結びつけることはいくらでも出来るのです。(例えば、激しくなる天変地変は温暖化や地震や火山の活動期、ドンドン減っていく人口は、高齢化や政治、経済の問題などに)

しかし、これも同じなんですが、一面からだけ見ていたら正しいことは分からないのです。

もっと大きく観ないと事実は分かって来ないのです。何でこのような(悪い)ことがこれだけ一変に起きているのか?というようにです。

そこに大きな何かの力がかかっていると思わないでしょうか?だからそのように持っていかれているとです。

それはこちらで起きている現象を知れば分かるのです。こちらだけでもドンドン走っている車が減っていっているのです。この一、二年前からです。

何でこんなことが起きているのでしょうか?

こちらで起きていることは、日本全体で起きていることの小型版なのです。

つまり日本全体で起きていることがこの辺りで凝縮(ぎょうしゅく)されて起きているということです。

これだけドンドン悪いことが起き(台風などの天変地変や病気などで)そうして人がドンドン減っていく、これは日本全体で起きていることと同じなのではないですか?

では、こちらで起きていることを知れば分かるはずです。これは温暖化が原因でも政治や経済が原因でもないということがです。

そうしてそれは神の力でこうなっているということがです。(こちらで起きていることは明らかに神の力ですよね。物質面や人の力でこんなことが起きるわけがないからです)

だから、日本全体でも同じことが起きているのです。つまり、そのような天変地変や政治、経済の分野を通して神の力が現れているということです。

何度もいってますが、天変地変や政治や経済、こういう問題は二次的問題にすぎず、その根本は神の意志が働いて神の力が作用しているのであり、だから、人々の心を直さないと、よくならないと私はいっているのです。

その人の心が神と直結していて、その心を直すなら、その神の力が今度はよい方に働き出すからです。

そうすると、天変地変や政治、経済の問題点も段々よい方に向かっていき、そうしてよくなっていくといっているのです。

その人の心がすべての問題の原点であるからです。(そうではないですか。簡単にいうならです。すべての人がもっと愛深くなり、愛を出すなら、そういう問題はすべて解決されませんか?)

だから、その心がよくなっていくことが、いま起きているすべての悪いことをよい方に向かわせてくれるということです。

だから、反省しないといけないというのです。人の心をよくすることは反省しないことには出来ないからです。

その反省が出来るようになり、多くの人の心がよくなれば(もっと愛を出せるようになれば)この起きている悪いことは順次解決の道がついてくるのです。

だから、何をおいても一番先にしないといけないことは『反省』なのです。

この反省が出来ないと、それは人の元の元の心がよくならないということであり、心がよくならないと、人も、そうしてその人が住む世の中も絶対によい方にはいかないからです。

そのすべての基が人の心であるということです。

だから、日本全体ももちろんそうですが、この辺りで起きている悪いことは、そのような反省を知らない人が多いから起きているのであり、その反省をしっかり出来るならいくらでも止めることが出来るのです。

そうして、それをよい方に(奇跡に)変えることも出来るということです。

しかしそれは、すべてそこに住む人たちの心次第であるのです。

一度しっかり自分を見つめてよく反省し行いを変えてみませんか?

そうすれば悪いことはたちまちよいことに変わってくるからです。

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1月 16 2020

奇妙な現象

しかし、きく耳がある人はいないのでしょうか?

気は確かですか。まったく布施してくれる人がいませんが、本当にこの正法神理をここで途絶えさせるつもりですか?

本物の神の教えをマジでここでパーにさせるつもり何でしょうか。このブログを見ている人たちはです。(信じられないことしています。〔汗〕ねぇ、ウナッシーさん)

このブログを見ているほとんどの人たちはです。正味な話、私みたいな男がいつまでもいてもらっては困ると(何が起きるか知れないから)だから一切布施などしないと、そう思っているのかもしれませんが(そういう人が次々に引き上げられていたりして。〔苦笑〕)しかし、私みたいな男がいないとです。

誰も心を変えようとしないでしょう。今のままで別にかまわないと思ってです。

しかし、私みたいなのがいると、心を変えないとまずいのかなと、そうして進歩しないといけないのかなと思う人も出てきます。だから必要なのです。私みたいな男はです。

そうしないと誰も心を変えないし、心が進歩する大事さも理解しようとしないからです。

それではこの世に出て来た意味がありません。(この世に出て来ているすべての人がです)だから、必要なのです。どれだけ嫌われようがじゃまにされようがです。

私のような男はです。

だから天がこれほど私の周りに奇跡を現すのです。それだけ多くの気づきを多くの人々に与えているからです。

これだけ無神論の人たちが多い日本にあってもです。

だから布施してくださいといっているのにまるで無視です。ほんといい性格しています。もうずいぶん奇妙なことが日本には起き続けているのにです。

この状況でよくそんな態度を私に取りますよね。怖くはないのでしょうか?これだけ奇妙な現象が日本には現れ続けていてです。

少しはいま起きていることを真剣に考えてはどうでしょうか。もう相当危ない現象が現れているからです。

昨日は庄内川に行っていたのですが、ずいぶん横の道路がすいていたので、脇まで行ってしばらく道路を見ていたのです。

そうしたらです。

もう走ってくる車の少ないこと少ないこと日曜日かと錯覚したくらいです。そうしてトラックも本当に少ないのです。

二~三年前までは、この道路はトラックばかりが走っていたのです。それも相当数のです。(ほんと車はわずかでした。というか、トラックが多かったので車が少しにしか見えなかったのかもしれませんが)ひっきりなしに走っていましたからね。トラックがです。

それが今やこの道路を走っているのは車の方が多くて、明らかにトラックは、その車より少ないのです。

何でこんなことが起きているのでしょう。奇妙ではありませんか?これだけトラックが激減しているのはです。(こういう状況で怖くはないのでしょうか?トラックの運転手連中などです)

それは日本全体を見ても思うのです。

前にも書きましたが、日本の死亡数です。なんで毎年増え続けているのでしょう?奇妙ではありませんか。これだけ凄い勢いで死ぬ人が増えているのはです。

凄い勢いでしょう。だって、常に前年よりも増えているからです。死んで行く人がです。

ということはドンドン死ぬ人が増えているということになります。一体どこまで増えるのか?ということにもなるでしょう。

これを高齢化が原因だと簡単にいっていますが、本当にそれだけなんでしょうか?

理由はです。

だってどう考えてもおかしいでしょう。高齢化という理由だけではです。

例えば、2011年はあの(千年に一度という)東日本大震災が起きたのです。そうして数万の人が亡くなったのです。

それにもかかわらず、その年よりも翌年の方が死亡数は増えているのです。

なんで、千年に一度の大災害が起きた年より、そんなことが起きていない年の方が死んだ人が多いのでしょう。

それにその翌年はもっと死ぬ人が増え、その翌年はもっと死ぬ人が増えています。

だから具体的に書きますと、日本の人々の死亡数は、2011年は125万三千、12年は125万六千、13年は126万八千、14年は127万三千で、その後も増え続けているのです。

そうして決して減りません。

どう考えてもおかしいでしょう。これだけ毎年死亡者が増えていくなどです。千年に一度の大災害もへったくれもないからです。

そんな大災害があろうがなかろうが、ドンドン死ぬ人が増えていっているからです。

高齢化という理由だけでこれだけ死ぬ人が毎年毎年前年を上回るものでしょうか?

これだけ医学だって発達しているのにです。そうして長生きする年寄りも多いのにです。

そうして、それに比例したかのように逆にドンドン減っていくのが出生数です。これもまたおかしいのです。

2016年は97万、17年は94万、18年は91万です。そうして去年は(19年は)なんと90万を切り86万人台であるといわれています。

不思議なことにこちらはこちらで毎年減っているのです。生まれてくる人がです。(もちろんそれは2016年以前からずっとです)

これまたどう考えてもおかしいでしょう。死亡数と同じように(まったく逆の現象ですが)出生数がドンドン減るなどです。

どちらもそうですが、年によって増えたり減ったりしないとおかしいのではないでしょうか。それが自然であると思うからです。

前にも書きましたが、おかしな伝染病や戦争が日本に起きているわけではないからです。

にもかかわらず、もうずいぶん前から死亡数は毎年増えて出生数は毎年減っているのです。

ちょっと怖いんですが、何でこんなことが起きているのでしょうか?

日本にはです。

これ正味な話、日本の人々が滅ぼされかけているということになりませんか?数字を見ればそのようにしか思えないからです。

そうでなければ、こうも一方的に死ぬ人が増え続け生まれてくる人が減り続けるなど、起こりえないことであるからです。

だとしたら、こちらのトラックが異様な減り方をしていることも説明がつきます。

日本の人々は神に滅ぼされかけているから、そういうことになっているとです。

まあ、その神を信じる信じないは別にして実際にです。このまま死亡数が増え続け、出生数が減り続けるなら最後には日本人は誰もいなくなるのです。どれだけいま現在、日本人がたくさんいようとです。(だから今はまだ日本は一億二千万の人口があるからと、そのようなことを深く考えないと、後々大変なことになるということです。途中で急激に日本の人々が減り始めたら取り返しがつかなくなるからです。急に減ることはあっても急に増える〔生まれる〕ことはないからです)

死ぬ人が増え続け、生まれてくる人が減り続けるなら、いつかは滅びます。

そういう恐ろしいことが現実に日本には起きているということを、もう真剣に考えないといけないのです。

特に、このブログを見ている人たちはです。

そういうことの危なさに気づける人はこのブログを見ている人たち以外にないからです。

というか、そういうことの危なさを書いているブログなどこのブログしかないからです。

そのような危なさを頑なに認めようとしない人たちばかりなんですが、神は存在し、日本が滅ぼされかけているのは事実なのです。

それが嘘ではないということは、私に起きている奇跡と、このように具体的に書いている数字で証明できるからです。

滅ぼされかけていなければ、こういう一方的な現象が現れるわけがないからです。(だから、日本に起き続けている激しい天変地変もその一つであるということです)

こういうのを(このような何か知らないが大きな力が働いていることを)神の導きというのであり、悪い方、悪い方にと日本の人々は導かれているということです。

それをどれだ認めなくても、このように人の力では抗(あらが)えない、どうにも出来ない力こそ神の力であり、神の導きなのであって、それをいつまでも信じようとしないから、いつまでも悪いことが起きるのです。

いつまでたっても誰も神の力を、そうして神の心を理解しようとしないからです。

私たち以外はです。だから、私たちには奇跡が現れるのです。唯一神の力を認め、正しく神の心を分かっているからです。

そういうことを、このブログを見ている多くの人たちはどうしても信じようとしませんが、しかし、そのように悪い結果が出ているのは事実であるのだし、私たちに次々に奇跡が現れているのも事実なのです。

では、何の奇跡も現れていない人たちが、何を根拠にそれは違うといえるのですか?

こちらは現れている数字(出ている数字はちゃんと尊重しないとね。数字を大切にしている人もこのブログを見ている人たちの中にはいますから。〔笑〕)と奇跡を根拠にそういっているのにです。

それを否定する人たちに何の根拠があるというのでしょう。そういう人たちは何の奇跡も起きないのにです。(奇跡が起きないということは、自分たちが正しいことをいっているわけではないという根拠にしかならないのですが……)

まあ、そのようなことをいつまでたっても信じようとしない(認めようとしない)人たちはともかくです。

信じる人たちはいい加減信じてください。私のいうことをです。本当に大切な、そうして正しことをいっている(ここに書いている)からです。

このような悪い神の導きをよい方に変えることが出来るのが、この正法神理であり、だから私はこの教えに帰依しないといけないといっているのです。

そういう(神の心を実践する)人が増えくれば、このような日本に起きている悪い流れもよい方に変えることが出来るからです。(つまり、この教えに帰依する人が〔実践する人が〕増えれば、災いもおさまり死亡数も減って出生数も増えるということです)

奇跡が起きているのは、この教えを実践している私たちだけのです。その奇跡が起きている者のいうことを信じ行ってください。

そうすればこのような悪い流れもよい流れに必ず変わってくるからです。

だから、この正法神理を途絶えさせるということは、日本を途絶えさせえるということになるのです。

もうここまで来てはです。

この正法神理同様、日本も滅びかけています。(正法神理も滅びかけています。皆さん方が何もしないせいでです)

だから、この日本を復活させるには、もうこの正法神理を信じ行じるほかないということです。

この正法神理を実践する以外に、いま現在日本に起きている奇妙な現象を止める手立てはないからです。

追伸…昨日の未明にまた母が、あちらが痛い、こちらが痛いといいだして(今度はひどい便秘になったようです)病院に連れて行きました。

もう母もガタガタですし、これ以上、母に頼るわけにもいかないでしょう。

これ以上、このブログを見ている多くの人々が布施を無視するなら、この正法神理は説けなくなりますし、神理が説けなくなるなら、日本に起きている奇妙な現象は一層激しくなり、日本が滅びるのも一層早まるでしょう。

この正法神理の大事さをいい加減理解してもらえませんか?こちらはこれだけ奇跡が起きているからです。

そうして、こちら以外の人たちにはずいぶん災いが現れているようだからです。(特にこの辺りの人たち、ほんとひどそうです…トラックの人たち、本当に本当に大丈夫ですか?そんな状況でです)

それを理解し、布施をもらえない限り、日本に起きている災いが止まることはないのです。

信じ行ってください。この教えをです。そうしない限り救われることはないからです。

無視をすればするだけ災いは現れてくるからです。

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1月 14 2020

きく耳がある人はきいてください

昨日のことです。ある宗教団体の建物の横を通ると上から音がしてきました。

その音のする方を見ると建物の二階の窓を開けてオバちゃんが何かガタガタやっていました。

私が歩いていると鳥が騒ぎますからね。(そうして飛び回るし)すぐに分かるのでしょう。それで私が「何だここの宗教は人に嫌がらせしてくるのか。自分たちでこの教えは間違っているといっているようなもんだな」と声をかけました。

しかし、そのオバちゃんは私のいうことなど無視してガタガタやっています。だから続けて「間違った宗教を信じていると地獄に堕ちるぜ。オバちゃん、ここに正しい神の教えを説いている者がいるんだから、この教えに帰依しろ」と声をかけましたが、まだ無視しています。

その後「あんたたちに何の奇跡が起きるのか。奇跡が起きることが正しい教えの証拠なんだぜ」「あんたたちにこのように鳥が寄ってくる者がいるのか。こういう現象が現れる者が本物なんだ。釈尊やキリストにも同じことが起きていたんだからな」「間違った信仰をしたまま死ねば地獄行きだぜ」などなど、こちらもガーガーいっていたのですが、そのうちに窓をピシャと閉めてこちらを見ながら(にらみつけながら)カーテンを思いっきり閉めていました。

これで信仰をしているというのですから本当に哀れなものです。

このオバちゃんはもう自分たちのしている信仰が間違いだと分かっているのです。(だから怒っているのでしょう)そうして、私が正しい教えを説いていると分かっているのです。

それにもかかわらず、自分がしている間違った信仰をやめることが出来ず、私に八つ当たりしている。

だから哀れだといっているのです。

なんで、そんな自分が間違っていると分かっているのに、正しいことをしようとしないのでしょう。

それはそんなに難しいことでもないのにです。ただ、その信仰をやめて私に帰依すればそれですむ話なのにです。

それがすぐに出来ないというのであれば、その信仰を続けながらでもこの教えをしてみればいいのです。

こちらの教えを実践してみれば、自分たちの信仰とどれだけ違うか、そうしてこちらのよさがよく分かるからです。

しかし、そういうことを少しもしようとしないでただ怒っているだけ、これでは救われるわけがない。本当にこのような人は地獄に堕ちるしかないのです。

少し自分が勇気を出せばやれることをやろうとせず怒っているだけだからです。正しい信仰が何かそれが分かっていながら、それを無視し続けているからです。

しかし、このような人はたくさんいるのではないでしょうか。特に、このブログを見ている人たちなどはです。

少し勇気を出せばやれることを(この教えへの帰依)いつまでたってもやろうとしないからです。

どちらにしてもです。これ以上、法(正法神理)と縁のある人がやる気を出さないというのであれば、もう法の流布も長くは出来ないでしょう。

もう金は底をついているし(もう母もカツカツですから)いつまでたってもこちらの人たちはくだらない嫌がらせをやめようとしない。

これでこのパソコンが壊れたり、電気が止められたりしたら(電気代を払えずにです)それでアウトでしょうね。

もうどうにかできるほどの金もないからです。(ウナッシーさん以外)まったく布施をもらえないからです。

所詮はです。いくら正しい神の教えとはいえ、一人や二人でそれ(正法神理)を説き続けようとしたところで無理なのです。釈尊やキリストでも、多くの人の協力があったからこそ神理を人々に説くことが出来たからです。

しかし、今生は、ウナッシーさん以外はほとんど協力らしい協力はしてもらえません。そうしてこの辺りの人たちは人の顔を見れば嫌がらせです。

そんなことしかしないのですから(こちらの人たちなどじゃましかしないのですから)こんな状態でいつまでもやれるわけがありません。

私もこのような状況でよく十年も法の流布を続けたものです。ある意味奇跡ですね。

しかし(こちらの苦労など)それをどれだけいっても、このブログを見ている法に縁の深い人たちは関係ないようで動こうとしません。

自分のことばかりしています。そうしてどれだけ多くの災いが起きてきてもです。

それでも関係なさそうなんですが、しかし、そういう人たちにくれぐれもいっておきます。

このままではもう近いうちにこの教えは説けなくなります。このまま誰も協力してくれないのならです。

ずいぶん母に無理をいってきましたし、こちらも相当無理をして来たからです。

しかし、それも仕方がないとしか思わないのであれば、それはこのままでよいのですが、そうは思わない人はです。少しでも結構ですから布施をしてください。

これ以上布施をもらえなくては続けられないからです。この法の流布もです。

本当にこのブログを見ている人たちは、この教えをここで説けなくさせてしまい、それでよいのですか?

いま現在、奇跡が次々に起きるのはこの教えだけなのです。

そうしてそれは(先ほども書きましたが)他の宗教も認めているのです。

この教えがなくなれば、正真正銘の正しい神の教えがこの地上からなくなるのです。

本当にそれでもよいのですか?数千年に一度しか現れない、多くの人々を本当に救うことが出来る稀有な教えをここで途絶えさせてしまってです。

しかもそれは自分たちがまったく動こうとしないせいでです。(その後ほんと怖いんですが……)

それでもよいと思う人は別にこれまで通りの態度でかまわないと思いますが、しかし、そうは思わないと、この教えのことを少しは真剣に考えていると、もしそう思っている人がいるのであればです。

気持ちだけでよいので布施をしてください。

布施さえもらえるのならまだこの教えを伝え続けることが出来るからです。そうしてもっと広げることも出来るからです。

しかし、このブログを見ているウナッシーさん以外の人たちは、もう十年たっても布施をしようとしない人たちばかりなんですから、今さらそんなこといったところでするわけがないと、普通はそう思うし、それはそうなんでしょうが、それでもです。

それでも、この正法神理に縁がある人にいうしかないのです。そうして、その法(正法神理)に縁がある人を信じやってもらうしかないのです。

縁のない人がそんなことをするわけがありませんし、法と縁がある人は本人にやる気があろうがなかろうが、そのような(法の流布の)使命があるからです。

そうして、その使命に気づこうが気づくまいが、こちらはその使命が果たせるよう導く以外にないからです。

そのような(法に縁のある)人たちは、それをしないと(この法の流布に協力しないと)後で死ぬほど後悔することになるからです。だから、こちらもそのことに少しでも気づいてもらえるよう、努力し続けるしかないのです。

それは法を説いている私がやらなければいけないことであるのだし、結果ではなく、どれだけ無駄と分かっていても、そのように導くことが法に縁がある人たちに対して私がやるべき一番のことであるからです。

だから自分がやれなくなるまでいうのです。それが法を説いている私の使命であるからです。法に目覚めようとしない人たちを法に目覚めさせることがです。

どちらにしても、その法に縁ある人たちが目を覚まさな限り法の流布は無理なのです。

だから、やれなくなるまではいい続けるしかないのですが、そればかりでなく、この正法神理をきいていて、それで何もしないではいいことが起きるわけがないのです。

そんな人たちはこの歴史を見てもいいことなど起きていないからです。(天罰を食らってです)それは現代の人たちであろうと同じなのです。

神理をきいたのなら感謝して報恩の行為をすることは当たり前の礼儀であり、筋なのです。そのような当たり前の筋をまったく通そうとしないから、現代の人たちはドンドン不幸になっているのです。

そんな不遜な態度を取り続けているのならそのような天罰は必ず当たるからです。

しかし、どれだけいっても現代の人たちは、その天罰を信じようとしないのです。天罰を天罰とは理解せず、それを人のせいにして怒っているだけなのです。

自分たちのそのような不遜な態度は棚に上げてです。

しかし、天罰はあるのであり(自分たちが気づいているのかいないのか、それは知りませんが)そんな不遜な態度を取り続けているのなら確実に天罰はくだるのです。

だから、きく耳がある人はきいてください。

数千年に一度しか出現しない神理がきけたということはこれほどの恩もないのです。この世に出て来た人でも神理など直接きけない人の方がはるかに多いからです。

だから、そのような最上の恩をいただいているにもかかわらず、それにまったく感謝しようとしないではよいことが起きるわけがありません。

感謝どころか、こちらの人たちなど、その最上の恩に対し怒りで報いているのです。

こんなデタラメなことをしていてはどれだけ天罰をくだされるか知れません。

残念ではありますが、こちらはその通りのことが起きているのです。私のいっていることが正しいからです。

もう次々に天罰をくだされているところがたくさんあり、悲惨としかいいようがないのです。

そういうことは散々このブログにも書いて来ましたが、このような人たちはその自分たちの間違いをどれだけいってもきこうとしません。

だから、未だにその悲惨な状況は続いているのですが、しかし、そのような天罰はこの教えをきいていながら感謝しようとしない人たちにも同じように起き出すのです。

結局、同じ(不遜な)ことをしていることには変わりがないからです。

だから、一向に感謝しようとしな人たちにも(こちらの人たちほど悲惨な現象ではないのかもしれませんが)感謝しないがために起きる天罰が現れて来ている人たちがいるはずです。

ただそれに(こちらの人たち同様)ご本人が気づいていないだけなのです。

そのような天罰を、病気は仕方がないとか、年だから仕方がないとか、あるいは忙しいから仕方がないとか、勝手にそう思ってです。

それを自分の都合に当てはめて考えているだけで、このブログを見ていて感謝しない人たちには、そのような悪い順序がついてくるということです。

それを天罰というのです。

だから、きく耳がある人はきいてくださいといっているのです。

「このブログを長く読んでいて、何もしないのは悪ですよ」ということをです。そうして「このブログ(正法神理)を読んでいるのなら感謝しないと天罰がくだりますよ」ということをです。

それは事実であるからです。

だから、もういい加減、私のいっていることを信じて(その通りのことが起きているのですから。しかもいくつもです)行ってもらえないでしょうか。

報恩の行為をです。

それをしようとしないから、このブログを見ている人たちは不幸になる人が多いのです。先ほども書きましたが、神理をきいていて何もしないのは悪でしかないからです。

悪をし続けていては天罰はくだります。だから(神理をきいたのなら)当たり前のことを(感謝の報恩の行為)当たり前にしてください、といっているのです。

そうすれば不幸は起きないからです。むしろ幸福(奇跡)が現れてくるからです。

その書いた通りのことが起きているのに、それを頑なにしようとしないから、これだけの不幸が現れるのです。このブログを見ている多くの人たちにです。(特にこの辺りの人たちにはです)

だから、千円でも二千円でも結構なのです。この神理をきいている人は、まず、その神理に対して感謝の報恩の行為をするということが大事なことなのであり、それをいつまでもしようとしないから多くの人に天罰がくだっているのです。(別に布施が出来ないという人はこのブログを多くの人に広めるとかそのようなことでもいいんですが……報恩の行為は布施が一番手っ取り早いので)

だから筋を通してくれればよいのです。そうすれば、そのような災いは現れては来ないからです。

何度でもいいますが、少しでも結構です。そのような報恩の行為を行ってください。それを行わないばかりにすさまじい災いが現れているからです。

それが事実なのです。その事実をこのブログを見ている多くの人たちが認めないだけなのです。もう何年も前から、そのような天罰は現れていたのにです。

それを頑なに認めなかった(頑なに信じなかった)それが今日の多くの不幸につながっているのです。

しかし、その不幸は、少しずつでも報恩の行為を行うならなくなっていきます。だから、少しずつで結構です。

報恩の布施の行為を行ってください。少しでもそのような行いをすることが大事であるからです。

何もしなければそれはゼロでしかありませんが(まったく何も始まりませんが)一でも二でも行うなら、そこから始まりが見てきます。

その(報恩行為の)始まりが不幸がおさまる始まりでもあるのです。

きく耳がある人はきいてください。少しでも結構です。報恩の行為を行ってください。それが幸せの始まりでもあるからです。

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