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12月 09 2017

同じ現象

あんなブログを書いたのです。昨日はずいぶん怒っている人がいたんですが、怒るには怒っていても引きながら怒っている人が多かったですね。

もうそんなにいきり立って怒っては、危ないということを知っている人も多いからでしょう。(結局、同じなんですけどね。怒ることには変わりがないからです)

しかし、冗談ではなくずいぶん出ているのではないですか。癌になる人がです。

私は前に一度そういう経験をしています。だから分かるのです。(もう何度も書いていますがね。そのことは)

未来の時もそうでしたが、今回はその比ではありません。早く心を入れかえた方がいいでしょう。今回の場合(やっていることが)度がすぎている人が多いからです。(私の悪口程度ではすまないでしょう。もう私など陰でボロカスいわれ、そこらじゅうで嫌がらせを受けているのです。〔プラス無視です〕ここまでひどいことを法を説いている者にしてしまってはただではすまないでしょう)

では、凄まじい出方(罰の当たり方)をしていると想像できます。園頭先生の時でもずいぶん癌になる人が出ていたからです。

園頭先生の時は悪口をいっていただけです。(未来の連中はです。でもボロカスいっていましたけどね)しかし、今回は私の悪口だけではなく、それプラス嫌がらせプラス無視ですからね。(その嫌がらせにしても、音を立てられるだけではなくカンや石まで投げられたことがあります。そういうことをした人は本当に哀れです。何が起きているのか分からないからです)

していることも、している人たちも当時の未来とは規模が違います。それだけでも凄い数の罰の当たり方をするでしょう。(未来はその当時、二、三千人の会員しかいませんでしたから。その全員が園頭先生の悪口をいっていたわけではありませんでしたから。それでも未来の会員に癌になる人が続出したのです)

じゃあ出ているんでしょうね。癌になる人がです。法を説いている人に同じ(悪い)ことをしているんですから、同じことが起きるはずだからです。

逆のことをすれば(布施)逆のことが起きるのに(奇跡)そこは本当に残念です。しかし、どれだけいってもそれを直そうとはしないのですから、もう行くところまで行かないと分からないということになりますが、仮に癌になってもです。

その後、反省して私に布施などすれば、その癌が治るような(完全にです)奇跡も起きてくるんですが、そういう人もいません。

では、その癌が治ったという人もまたいずれどこかで再発することになるでしょう。反省しない限り、その罪は消えないからです。(法を説いている人に対する罪が消えないのなら、どこかでその罪が現象化した癌はまた現れますから)

しかし、そのような人たちの中で、そういう態度は間違っていた、心を救われているのに嫌がらせなどして本当に悪かった、と反省して私に布施などしてくれる人がいるのなら、その人の私に対する罪は消えます。

そうすれば、その人に癌が再発することはなくなるでしょう。その人のその罪が消えるのなら、その罪として現れている癌も現れることはないからです。

その後もその人の心が変わらなければ、今度は奇跡が現れるようになります。

どちらにしても、ここに書いた通りのことが起きるのです。(いい加減なことを書く者に奇跡は起きません。書いたことを信じた方がいいでしょう)ずいぶん違うと思うんですけどね。

法を説いている人に対する態度一つで起きてくることがです。

お前だけはどうしても許さないと(何ででしょうね?こちらは心を救っただけなのに)こうなったのは全部お前のせいなのだから、絶対に態度は変えないという人は仕方ないんですが、私は同じ経験を前にもしています。

そうして、その時の経験では、園頭先生の悪口を多くの人がいった結果、その多くの人たちに癌が現れたというものだったのです。

もし、同じ現象が現れているのなら、同じ悪いことをこの辺りの人たちがしているのではないですか?

だから、同じことが起きているのです。

経験をしている人と、まったくそういう経験をしていない人とでは、いっていることの正確さも違ってくるでしょう。

経験者のいうことをもう少し真剣にきかれてはどうですか。やはりその経験の差は大きいからです。

私もあの時は気持ち悪かったですからね。

未来の会員が次々に癌になるのです。何でこんなことが起きているのかと不気味でしたね。いくらあの時も法を勉強していたとはいえです。あの時は、未来主宰の北村氏がいっていることをそのまま信じていただけだからです。

この人のいっていることは本当に正しいのであろうかと不安にもなりました。同じ会員の人たちが次々に癌になっていたからです。

しかし、いい加減なことを説いている人は、適当なことをいってそれをごまかすのです。

北村氏は、あなたが悪いからそうなるとか、こういうところを反省しなさいとかいってごまかしていました。北村氏本人も、なぜそんなことが起きているのか分からなかったようだからです。

しかし、北村氏がいわれることを反省しても、結局、その癌が治った人はいなかったのです。

みな苦しんで死んでいったのです。

それはそうでしょう。そのようにいわれている人たちは皆、園頭先生の悪口をいっている人たちばかりであったからです。自分で悪口はいわないまでも、その悪口を信じている人たちばかりであったからです。

そういうことは(神の子の人間として)絶対にやってはならないことであるからです。

法を説いていられた人の悪口をいうのはもちろんですが、その悪口を信じてもいけないのです。

それは釈尊やキリストを悪く思ってはいけないということでも、その事実は分かります。

釈尊やキリストを悪く思っていれば、その人には当然罰は当たるのです。(嘘だと思うならやってみてください。釈尊やキリストを悪く思い続けてもいいし、悪口を人にいい続けてもいいです。そういうことをしていれば必ずその人には悪いことが起きるのです)

それと同じことが、いま現在起きているだけなのです。

そうではないですか?

私が正しい法を説いているのは事実なのです。(だから奇跡が起きているのです)

その私をこの辺りの人たちは、よく思わず、悪口をいって嫌がらせをし続けている。もし、釈尊やキリストに同じことをすれば同じことが起きると思わないでしょうか?

だから、起きているのです。同じ現象がです。

それは十年前であろうと、百年前であろうと、千年前であろうと、いつの時代であろうと変わらないのです。

法を説いている人に対する態度を間違えれば同じことが起きるのです。

それだけのことなのです。未来の人々も、そうして、この辺りの人々も、法を説いている人に対する態度を間違えたのです。

だから、同じ悲劇が起きているのです。

それを未来の人々も、この辺りの人々も知らないだけなのです。知らないからこういうこと(悲劇)が起きているのです。

だから、釈尊は「知るべきことを知らない人が一番悪い」といわれたのです。

だから、そういう一番大事なこと(法を説いている人に対する正しい態度)を知らなかった自分が悪かったと反省して、態度を改めるのなら、これ以降、その人に災いが現れることはありませんが、それでも改める気はないという人には、いま起きていることと同じような災いがいすれ現れるのです。

その人は、法を説いている人に対する態度を間違えているからです。

それを間違えていれば必ず罰が当たる、それは何十年前も、何百年前も、何千年前も、そのもっと前から変わらない事実であるからです。

自分たちが一番大事なことを知らなかっただけなのです。だからこういうことが起きているのです。

私のせいではないのです。すべて自分たちのせいなのです。

ということなのですが(だから自分たちが悪かったということですが)それでも態度を改める気はないのですか?

意地を張り続けるのでしょうか?

それはあまりに神の子の人間として愚かなことであるのです。

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12月 08 2017

凄まじい状況

やはり引いているところが多そうです。

昨日は堀川に行った帰りに昭和橋の辺りを通ると、ついこの前まで凄い怒り方をしていた工事現場が静かなものでした。

「今日は静かだな」とかいって歩いていったんですが、何の反応もありませんでした。そこの工事現場は数ヶ月の間(大きな老人ホームか何かつくっています)私が歩いていると凄い怒りようだったからです。(何をそんなに怒っていたのか知りませんが、でかい音でガンガンやられました)

それが昨日通ると中で作業はしているのに知らん顔です。一体どうしたんでしょう?(数日でこうも態度を変えられると不気味です)

そうして、別な場所を通ると(そこはいくつか工場が並んでいるんですが)工場の入り口を皆しめているのです。中で仕事はしているようなのですが、昨日などみな工場の出入り口を閉めて休みのようでした。

私は、だいたい同じような場所を、同じような曜日に、同じような時間帯で歩いて行きます。

だから私が来るのを予想できるのでしょうが(だいたいはということですが)そうであるなら、ずいぶんおかしな態度です。

なんでそんな私を避けるような態度を皆が皆、取っているのでしょうか?(今まではその連中、散々嫌がらせをしていたくせにです)

そういえば最近は、歩いていても同じように閉め切って作業をしている工場がよくあるのです。

寒いからでしょうか?…しかし、これまでは冬とはいえ、そんな昼間から閉め切ってやっている工場などありませんでした。(だいたい、はいり口まで閉めてしまったら出入りが大変でしょう。出たり入ったりするたびに、いちいちあけたり閉めたりしないといけないんですから。それに油など使って作業をしているところも多いのです。そんな閉め切ったら空気もこもって体にも悪いでしょうし)

何か変ですね。明らかに不自然です。どうしたんでしょうか。

何かあちこちの工場の皆さん、いかにも私の顔など見たくないという態度がありありと見えますが(ずいぶん嫌われています)大丈夫なんでしょうか?

そういう態度を取っていたところで何も状況は変わらないからです。(そりゃそうでしょう。出入り口や窓を閉めたからといって起きる現象が止まるわけがないからです。そういえばどこかの会社も同じことをしていましたね)

まさかとは思いますが、あちこちの工場で癌になる人が続出しているなどということはないでしょうね。

まさかそんなことはないとは思いますが、それにしても様子がおかしいところが多いのです。

私が歩いていると、そのように閉め切ってシーンとしているところもあれば、ひどく怒っているところもあり、工場の中から引きつった顔をして私のことを見ている人もあれば「困ったものだ」という顔で見ている人もあります。

そういう態度の人たち(工場)が最近はドンドン増えているのです。

本当に大丈夫ですか、皆さん。(汗)怒ろうが引こうが、もし、そんな現象が次々に現れて来たのなら、そのような態度を取っているだけでは、その現象は止まらないからです。(止まりませんね。絶対。そのまま、その現象を私のせいにし続けていてもです)

だから、もし、そんな現象が現れだしたとしたら、その現象は、出入り口を閉めようが、お経を上げようが、お祓いをしようが、何かお札を貼ろうが、とりあえずいま出来ることの何をしても止めることは出来ないということです。

その現象は本当の神の業が現れているからです。

そうであるなら、本当の神の教えを説いている人のいうことをきかない限り、その現象を抑える方法はないということです。

私のいうことを信じませんか?

「何が神の業だ。これはお前がしていることだろう」などと思い、偽の教えを説いている人たちから何をきいても、しかし、その現象は止まらないのです。

その人たちのいうことは間違っているからです。(だから、お経を上げようが、お祓いをしようが、どんなお札を貼ろうが、その現象は止まらないといっているのです。実際に止まらないでしょう。その何をしてもです。そういうことはもう知っている人も多いと思います。すでにそういうことをした人も多いと思うからです。なぜ止まらないのか?そういうことはすべて間違っているからです)

そうしてあなたたちの考えもです。(ほんと大間違いです)この現象は私がしていることではないからです。

いい加減、私のいうことを信じてもらえませんか。そうしない限り、その現象から逃げることは出来ないからです。(逃げられると思うのなら、どのようにでも逃げてみてください。最後は癌になって終わりですから)

頭に血をのぼらせて怒ってばかりいないで、もう少し冷静に考えてみてください。その現象が起きているところは、もうあなたたちだけではないからです。

それだけ多くの人に、もう、その現象は現れているからです。(本当に多そうですよ。あちこち歩いている私がいうのですから間違いありません。だいたい嘘をつく者に奇跡など起きませんから。それくらいは信じてください。本当にあちこちの多くの人たちに同じようなことが起きているようなのです。同じような態度を取っている人が多いからです)

正しい教えはそれを実践すると必ず奇跡が現れてきます。

だから、正しい教えを実践するのなら、そのような災いも必ず止まると思うのですが、私は昨日堀川に行ったと先ほど書いたのですが、昨日堀川に行くと堀川にカモメは一羽も見当たりませんでした。

「あれ、今日はカモメが全然いないな」と思っていると魚がジャンジャン跳ね始めました。

冬にこの光景は初めてですね。(笑)「お前ら元気いいな」といって、その光景を眺めていました。

そうやって魚に声をかけながら堀川沿いを歩いていると、その声がきこえたのでしょう。どこからかカモメが数羽飛んできました。(たぶん、堀川の横にある白鳥公園の中にある池にいたんだと思います。その池にはよくカモメがいるからです)

堀川のカモメは私の声がきこえるとよく私の方に飛んできます。それでこちらに飛んできたのでしょうが、数羽くらいのカモメでは堀川の魚たちは跳ねるのをやめません。

バンバン平気で跳ねています。(笑)

昨日の堀川は(少なくとも私の前では)空ではカモメたちが嬉しそうに飛び回り、川では魚たちがやはり嬉しそうに跳ね回っていました。

よく考えてみればです。この世のものとは思えない光景ではありますね。空ではカモメが飛び回って、すぐ下の川では魚がバンバン跳ねているなどという光景はです。(笑)

しかし、これが天上界の風景なのです。

天上界には愛しかありません。怒りや憎しみなど無縁の世界なのです。

本当の神の教えを実践するなら、このような愛ある光景が(天上の世界が)そこかしこに出現するのです。そうして災いが現れる場所などなくなるのです。

この教えを実践する人が増えればです。

いま起きている恐ろしい現象を止めるにはこの教えを実践するしかないのです。

いつまでも逆恨みなどしているのではなく、私のいうことを信じ、自分たちのこれまでの行いを反省し、この教えに帰依されませんか?

これほどの現象から救われる道はもうそれしかないからです。

(それだけ凄まじい現象が、凄まじい数、現れているということです。起きていることの凄まじさをもう少し自覚された方がいいと思います。怒っている場合でも、引いている場合でもないと思います。それをする以外に逃げ道はない、もうそのような非常事態であるからです。そのような凄まじい状況を多くの人たちはまだ知らないでいるだけなのです)

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12月 07 2017

その一点

昨日は、ブログを書くのは書いたんですがまとまらなくなったので、途中で書くのをやめました。

その後、庄内川の辺りに行ったのですが、そうしたらあの辺りはずいぶん引いているところが多いのです。(会社も歩いている人もです。引きながら怒っている人もいますが。〔苦笑〕)

最近は、この辺りも引いているところが多いんですが(なんせ、どこかの会社まで引き始めましたから)それとは逆に一昨日は久しぶりに名古屋港に行ってきたんですが、あの辺りはまたずいぶん怒っている人が多いのです。

工事をしている作業員から歩いている人まで、私を見ると怒り心頭といった感じで、お陰でそこらじゅうで辻説法をしまくりでした。(苦笑)

よく行くところは(庄内川や堀川の辺り)引いている人が多いのに、久しぶりに行くところなどはひどく怒っている人が多い(そういえばこの前、久しぶりに行った金山もそうでした。怒っている人が多かったです)よく行くところとあまり行かないところでは、態度が違う人がずいぶん多いんですが何でこんなに違うのでしょう。

もうちょっとごちゃ混ぜでもおかしくはないはずですが(怒っている人と引いている人がです)わりとうまいとこ(?)分かれているような気がするんですがどういうことなんでしょうか?

ということは、あれですよね。要は、それだけ現象がたくさん現れているということですよね。だからそういう極端な態度の人が多いのです。(違いますか?)

私がよく行くところは、起きている現象のことをよく知っている人が多く、逆に行かないところは中途半端にしか知らない人が多い、それがその辺りの人たちの極端な態度に現れているのです

だから怒り方に差があるのではないでしょうか。

本当に恐ろしい現象が次々に起きてきたのなら、怒るより引く人の方が多いと思うからです。

だから引いているんでしょう。この近所の人たちなどです。起きている現象の多さをよく知っているからです。

さすがに怖いですもんね。あまりに多く恐ろしい現象が現れだしたらです。

どこかの会社などその典型なのではないでしょうか。この会社ほど、恐ろしい現象が(集中的に)現れているところはないはずだからです。

そこが引き出したのです。(今日も静かです。あれだけうるさかったのにです)では、よほどのペースで現れだしたのではないかと想像できます。

だから、その現象のことを一番分かっているこの近所の人たちが引き出したのです。

それだけたくさんの現象が現れてきたからです。

まあ、私はこの辺りで無視されていますので、想像で書いているだけですが、この辺りの人たちの態度を見るとそう思えるということです。

それでどうされるのですか?(怒っている人たちはともかく)引いている人たちは、そのまま引きっぱなしでよいのですか?(腹の中では怒り心頭なんでしょうけど…だからたまに切れている人がいますし)

怒っていてもそうですが、引いていても止まりませんよ。その恐ろしい現象はです。

前回も書きましたが、もう坊さんなどに頼んでもその現象は止まりませんし、お釈迦様でも草津の湯でもその現象は止められないでしょう。

なぜなら、この辺りで起きている恐ろしい現象の原因は、すべて(すべてです)この辺りの人たちの行いにあるからです。

自分たちの行いが悪いのに、他の人にどうにかしてもらおうと思ってもどうにかなるわけがありません。

だから(さすがの)お釈迦様でも止められないといっているのです。自分たちの行いが悪いのなら、自分たちの行いを直さない限り(その原因をなくさない限り)その現象は出続けるからです。(だいたい、釈尊なら、あなたたちの態度を直しなさいと、私と同じことをいわれるのでしょうが。〔笑〕)

法を説いている者に感謝もせず嫌がらせなどし続けているからそんな現象が現れるのです。

私は、法を説いている者に嫌がらせなどしてはいけない、法を伝えてもらったのなら感謝して布施くらいしないといけない、と何度いったか分からないくらいなのですが、それを無視し続けているのはこの辺りの人たちなのです。

そういう自分勝手な態度を取り続けているのだから、何が起きてきても自分のせいでしょう。(自分たちが好きなことをしているんですから)

それなにの悪いことが起きると私のせいです。本当に呆れます。

そんな恩を仇で返すような態度(心を救われたのに嫌がらせで返す)を取り続けているから悪いことが起きているのです。

その態度を直せば(私のいう通りにです)恐ろしい現象が自分たちに起きることはないのです。

それなのにまあグダグダグダグダやっています。じたばたすればするだけ恐ろしい現象は現れてきます。もう反省するしかないのです。

ゴチャゴチャ他のことなど考えなくていいのです。そこだけなのです。

その一点なのです。

自分の行いの悪さ、そこさえ直せば、起きてくる現象は変るのです。それだけのことなのです。

その(たった)それだけのことを無視し続けているから、この辺りには恐ろしい現象が現われ続けているのです。(まあ、その行いが悪いということを無視しているのは、特別この辺りの人たちだけでもありませんが。だから、悪い現象が他のところにも現れているのです)

ゴチャゴチャやっている暇があるなら、直してみたらどうですか?

この辺りでそういう(不遜な)態度を直した人など一人もいないからです。

それは他のところも同じですが(苦笑)他のところは、この辺りの人たちほど法を説いている人に無礼を働いてはいません。

だから起きる現象も違うのでしょう。

いつまでも悪いことを人のせいにしていても何も変わりません。

それにあまりにそのような態度がすぎるので、多くの人が(怒るのを通り越して)引くくらいの数多くの現象が現れだしたのです。

では、早く反省しないと大変なことになりませんか?自分たちがです。

もし、それが私のせいだというのであれば(この期に及んでまだそんなことをといった感じですが)一度その(原因をつくっているという)私のいうことをきいてみてはどうでしょう。

そうすれば、その起きている災いは止まるかもしれないからです。(というか、止まるんですけどね。だって私のいうことをきいている人で奇跡が起きた人はたくさんいますから)

いつまでも逆恨みして、自分たちがつくった罪を私のせいにしていても救われることはありません。

自分の行いが悪かったと反省し、一度、私がいった通りのことを行ってください。

そうすれば、その起きている恐ろしい現象が自分自身に現れることはないからです。

私のいうことをきいた人から救われていきます。グズグズすればするだけ恐ろしい現象は現れてきます。

この法を実践してみませんか?そうすれば奇跡が起きて来るからです。

追伸…アメリカが(トランプ大統領が)エルサレムをイスラエルの首都と認定するらしいですね。

なんでそんなことをするのでしょう。これではまた中東は大荒れになりますね。

しかし、もはや本当の神の教えは日本に出現しているのです。そのことが中東にまで伝わるのなら、そのような信仰(領土)問題も少しは和らぐのかもしれません。

早く伝えねばなりませんね。

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12月 05 2017

本物の時代

ずいぶんやばそうですが、大丈夫なんでしょうか?どこかの会社などです。(昨日はずいぶん静かでしたから。それに今日も今のところ静かですし)

そういえば昨日は休みの会社までありました。そこは普通の日に休んだことはあまりないところだと思うんですが、なぜか知りませんが昨日は休みでした。

まさかとは思いますが、会社の全員が癌にでもなったのではないでしょうね。だから休まざるを得なかったとかです…などというのは冗談ですが、そう勘ぐるほど最近はテンパっている会社が多いようです。

本当に大丈夫ですか?この辺りの人たち、いつまでも突っ張り続けていてです。知りませんよ神に会社を潰されてもです。

しかしまあ、こういう素人の人たちはともかくです。

昨日ある寺の横を通ると寺の中から音がしてきました。(何の音かは知りませんが割と大きめの音でした)

それで寺の横から私が「本当の神の教えを教えてもらっていながら感謝もしないのか。(私も寺に向かってそれをいうのですから凄い神経です。〔笑〕)皆さん、私は本当の神の教え説いているのですから、こういう寺に布施するくらいなら私に布施してください。こういう寺はお経を上げることくらいしか出来ません。そんなところに布施しても何の意味ありませんから」と寺と周りにある家に向かっていうと、もっと大きな音が寺の中からきこえてきました。

それで「あんたら、そんなことをしている暇があるなら俺に正しい教えをききに来ないといけないだろう。もう坊さんでは本当に人を救うことなど出来ないんだから。何の奇跡も起きないんだろう。そんなんでどうやって人を救うんだ」と続けていうと、よけい怒ったように寺の中から音を立ててきます。

何かいい返してくるわけでもなく、嫌がらせしかしてこないので(こちらは議論する気満々だったんですが)アホらしいので「生臭のいうことでは人は救えんわな」とブツブツいながら、歩いていったのですが(そんなことをいいながら歩いていったものですからよけい中では怒っているようでした。〔笑〕)その寺の中にいたのが坊さんかどうかは知りませんが、事実は事実でしょう。

この辺りでは、人が次々に病気になるような現象が現れているのです。そういう現象が実際に現れているのに、何もしようとせず、ただそれを私のせいにして怒っているだけでは、そんなの坊さんでなくても誰でも出来ます。

こういう時に坊さんであるなら、神通力で(まあ、お経でも何でもいいんですが)そのような恐ろしい現象を止めないといけませんし、私がその原因だというのなら、坊さんが私のところにきて、そういう悪いことをしないよう改心させないといけないのです。

そのようにすることが坊さん本来の仕事であるはずなのに、そんなことをした坊さんなど一人もいません。

起きている現象に何の対処も出来ず、私の顔を見れば嫌がらせして来るような人たちばかりなのです。

それでは私に少々いわれても仕方がないでしょう。

こういう時に何も出来ない坊主など生臭坊主以外の何ものでもないからです。

このような皆が困っている時に力を発揮してこそ、坊さん(宗教家)の本当の使命、役割は果たせるからです。(こういう時に邪悪を祓い、世を鎮めるのが坊さんの役目でしょう。陰陽師などそうではないですか。〔笑〕)

それが出来ないというのであれば、もう廃業してもらった方がいいのではないですか。それではいる意味がないからです。(ないですよね。こういう時に何も出来ない宗教家などです。葬式など葬儀屋がやりますし)

だから、この辺りの人たちは私に怒っているのはお門違いなのです。それこそ、こういう時に何も出来ない宗教家に対し怒らなければいけないのであって、これまでそういう人たちにお金を取られていた人たちがいたのなら(布施や寄付などの名目でです)訴訟を起してもいいくらいなのです。

「これまで寄付していた金を返せ」とです。

今ある宗教団体はいま起きている現象に対し何も出来ないからです。

救われると信じていたのにそれでは詐欺にあっていたのと同じだからです。

そのような宗教団体がこれまで救われると説いていたこと(教義)は間違っていたのです。だから、こういうことが起きてきても誰も救われないのです。

間違った教えをきいている人たちが救われるはずがないからです。

違いますか?

正しい教義であったのなら、何が起きても救われないといけません。その教義を実践している人たちはです。

しかし、いま現在は、そのような教義を説いている側まで私に嫌がらせをして来るのです。

これは自分たちの教義に何の力もないと、その教義を説いている側が認めているようなものなのです。だから、そういう教義を説いている人たちまで私に嫌がらせをして来るのです。

この辺りで起きている現象は、自分たちの教義ではもうどうにもならないと分かっているからです。

自分たちの教義ではどうにもならないと分かると、これまでの教義のきれいごとなどどこへやら「こうなったのは全部お前のせい」と本性丸出しで見苦しく騒ぎ出す。

所詮はみな偽の教えを学んでいただけだからです。(その馬脚があらわれただけだということです)

だから、よかったんではないですか。正しいことが分かってです。こういう現象が現れなければいまだ多くの人が偽の教えに騙されていたからです。

しかし、この辺りにこのような恐ろしい現象が現われたばかりに、多くの人々が自分たちのこれまでの(宗教などの)間違いが分かり、では、正しいものは何なのかと思い始めたのです。(まぁ、今のところは多くの人たちが自分たちの間違いを認めることが出来ず、私に八つ当たりしているという状況ではありますが)

もうそういう時代なのです。偽物が偽物とばれて本物が何か分かってくる、そういう時代なのです。

偽物ではどうにもならない現象が起きてきて、本物でないと本当に人を救うことが出来ないと分かる、そういう本物しか通用しない時代となったのです。

だから、それに早く気づかないといけないのです。いつまでも偽の教えなどに騙されているとこの時代、ドンドン不幸になって行くからです。

とりあえず、それに(自分たちの間違いに)気づき始めたのはこのブログを見ている人たちだけなのです。

しかし、この大間違いは、この辺りだけではなく日本中に広がっているのです。(だから日本中で災いが起きているのです)

いつまで本物を無視しているつもりですか?

しかし、無視している間は不幸は続くのです。

追伸…政府が敵基地攻撃が可能なミサイルを購入方針であるようですね。

横でミサイルをボンボン撃ってくる国があるのです。それも仕方がないことでしょう。こちらが抑止力を高めなければやりたい放題されて、その国のためにもならないからです。

しかし、早く世界が武器など持たなくてよい国ばかりになるといいですね。そうなるなら、こういう心配もしなくてすむからです。

それにはこの法(正法神理)を世界に拡げることが一番の早道なんですが…腰が重い人が多く、本当に残念です。

このブログを見ている人たちで、そういうことに(日本が敵基地攻撃能力を持つことに)反対の人がいるのであれば、この教えを拡げることに協力してください。

この教えを世界に拡げることが出来るのなら、世界は黙っていても平和になるからです。

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12月 04 2017

男の生き方

だから男であるなら、周りがどう思うが正しいことなら一人でもやる、というそのような気概は必要なのであり、それを実践しているから私たち(私やウナッシーさん)には奇跡が起きてくるのであり、男はそういう心を忘れてはいけないのです。

周りばかり気にして、皆がしているのなら自分もやろう、皆がやらないのなら自分もやらないではなく、それが正しいか正しくないかを自分で判断して、自分が正しいと思うのなら、他の人がどうであろうが自分はやるべきなのです。

それが男の心を磨く、男を成長させる道であるからです。

最近は多様性をいわれ、あれも認めろこれも認めろと、何でもOKのような風潮になりましたが、その多様性の中に間違ったものも入っています。

いろいろな人がいるから何でも認めるのではなく、特に男は、よいものはよいが悪いものは悪いという正しい判断が出来るようにならないといけないのです。(前に書きましたが、男が先で女が後だからです。先の男が間違えると後の女も間違えるからです)

その正しいことは、男は男としての進むべき道を進み、女は女としての進むべき道を進まないと分かってこないということです。

今のように男の進む道なのか、それとも女の進む道なのか分からないあやふやな道を進んでいるようでは、正しい判断はいつまでたっても出来ないということです。

神は人間を男と女に分けてつくられているからです。

では、それぞれに使命、役割があるのであり、それにあわせた教育をしなければ、当然ではありますが、その使命、役割には気づきません。

だから、それぞれ男女の教育はすべて同じで出来るわけがないということです。同じ教育をされては、別々の使命、役割にはいつまでたっても気づかないからです。

それを男女平等の名の下にみな同じにしてしまったから、今のように男らしくない男が増えてきたのであり(それでは男の使命と役割は果たせません。男としての使命、役割が果たせなければ正しい判断も出来ません)昔のように小さな時から男は男としてしなければいけないこと、女は女としてしなければいけないことは、やはり別々に教えるべきであったのです。

男と女を同じように教えるものと、男と女を分けて教えなければいけないものがあるのに、それを最近は男と女のそれぞれしなければいけない教育を無視して、男女を同じように教えてしまった、その結果、男のような女や女のような男が増え、同性愛まで認め始めたため、今のような性別など二の次の男なのか女なのかよく分からない、化け物のような人々が増え出したのです。

しかし、神は人間を男と女につくられたのであって、それ以外の人間を認めていません。(神が同性愛を認めているのですか?認めていないから神はソドムとゴモラの町を七大天使を遣わして滅ぼされたのです。日本も同性愛者が増えるのなら七大天使に滅ぼされるのです)

では、今のように多様性などといって神が認めていないものまで人間が勝手に認めれば、そのような人たちには当然天罰がくだります。

だから、続々とその天罰がくだっているのです。(日本だけではなく世界中にです)間違っている人があまりに多いからです。

その天罰の対象の一つが、今のような神がつくられた男と女をグチャグチャにする(男女平等)という教育の仕方です。

だから、左翼(日教組)のいうような教育の仕方を、いつまでもしていてはいけないのです。そのままでは罰が当たるからです。(間違ったことをしているからです。だからもう当たってますけどね。多くの罰がです)

だから昔のようにです。男と女と別々に教育するところと、男女を一緒に教育するところはちゃんと分けないといけないのであり、そうして男は男らしく、女は女らしく(だいたいこういう言葉自体、最近は死語になりました)なっていかないと、このような時代になると、今のように頻繁に悪いことが起きるようになり、そうしてその悪いことを平気で人のせいにするようになるということです。

自分が間違っているということが理解できないからです。(これが多様性の怖いところです。何でもよいというものですから、正しい判断が出来なくなるのです)

しかしまあ、今さら大人に教育が悪かったといっても仕方がないのですから、そういう間違った発想は早く反省され、あまり多様性という言葉に騙されないよう、正しいものは正しいし、間違っているものは間違っているという、正しい判断をしていってもらいたいものです。

そうしないと何度もいいますが、天罰がくだる時代にすでになっているからです。

だから、今回、男のことだけに絞って書くなら、男は男として正しく生きないと、正しい判断は出来てこないのであり、男であるなら、最初に書きましたが、自分一人でも正しいことはするという気概を持たないといけないのであり、そうして男なら(若い時は仕方がありませんが)三十すぎたら、日本のことや世界のことまで考えて行動できる広い心を持たなければいけないのであって、いつまでも自分のことばかりやっていてはいけないのです。

それには普段から大きな考えを持っていなければいけないのであって、だから、あまり細かいことばかり気にしていてはいけないということです。(この辺り多いですから、そういう細かいことばかり気にする男の人がです。〔苦笑〕)

このように二、三あげるだけでも男の生き方と女の行き方は違います。(とはいえ、別に女だから日本や世界のことを考えなくていいといっているわけではありません。その主たる考え方が違うといっているだけです。男は外〔世界〕を女は内〔家庭〕を主に考えないといけないからです。そういう別々の使命が男女にはあるからです)

だから男ならです。あまりセコイことはしない方がいいでしょう。それでは心は広がらないからです。(苦笑)

大きなことをしないと男は心が広がっていきません。それにはこの法の協力は最適なのです。

この法が世界に拡がれば世界中の人々が救われていくからです。(ねっ、これ以上世界に貢献できることはありません)

男であるなら、たとえ一人でも正しいことをしませんか?(法の協力以上の正しいことはありませんよ。なんせ、奇跡が次々に起きているのは法を実践している私たちだけなんですから)

そうしない限り、男は成長していかないのです。

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