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3月 07 2019

大阪都構想と楽市楽座

前回はお隣の国の中国のことをちょっと書きましたが(絶対やばいですよね。中国は。〔全人代も暗かったし〕景気が急減速しているだけではなく輸入とかも激減しているんでしょう。それに過剰在庫もずいぶん前からいわれているし、軍拡もやめない。やっぱり近いうちにパンクしますね。中国はです)今度は名古屋のお隣の大阪のことをちょっと書いておきましょう。

また話題になっているようだからです。大阪維新の会がです。地味な名古屋とはずいぶん違います。(苦笑)

それにしてもです。府知事と市長が(というか、大阪維新の会が)私物化していませんか。

大阪をです。

別にやっかみではありませんが、はたから見ているとそう見えるからです。

だって、知事と市長が入れ替わりで出馬する「出直しクロス選」までやろうとしているんでしょう。いくらなんでもやりすぎではないのですか。大阪都構想のためだけにです。

大阪都構想はもう否決されたではないですか。それなのにまだやるのですか?(大阪の住民投票無視ですね)これじゃあ住民投票をした意味がありません。

子供が駄々をこねているのではないのですから、大阪維新がこれ以上大阪都構想を引きずっては、何か他にしたいことがあるのではないかと勘繰ってしまいます。

これでは、自分たちが大阪を牛耳(ぎゅうじ)りたいがために、都構想をやっているようにも見えてくるからです。

大阪市の金を、維新が大阪府全体で使いたい(府にはお金がないので)そうして自分たちが大阪を意のままに動かしたいと、そのためにしているようにしか見えないんですが、そこはどうなんでしょう。

だって、都構想で大阪市を廃止して特別区をつくるだの、二重行政をなくすだのいってもです。一体どれくらいのメリットがあるのか分からないでしょう。

特別区をつくって二重行政をなくしても、行政は家庭や企業とは違うのです。

例えば、無駄が多いからと区役所や市役所を減らしてしまっては、私たち住民は不便にはなっても便利にはなりません。(不便ですよね。区役所や市役所が減ったら。場所が遠くになったり、ただでさえ混んでいるのがよけい混んだりしてです)

役所はあっても困りませんし(さすがに役所をつくるなとは誰もいわないでしょう。平成思想の人たちであってもです)仮に府や市が、別々に道路などつくってくれれば車が走りやすくなるだけですし、そのインフラ整備のお金も落ちてきます。

そういうのは(住民の側から見れば)無駄とはいいません。便利になったというのです。(それにお金が落ちて儲かるところも出てきますし)

もちろん、本当に無駄なところは削らないといけないのでしょうが、こういうこと以外でも行政を減らすことでの一番の問題は、何か災害が起きた時です。

災害が起きた時に役所が遠くにあって、どうやって行政は住民の命を守るのですか?

行政の無駄ばかりを見ているのではなく、住民の目線でいうならば、安全性はどう考えているのでしょうか?

大阪維新の会は大阪発展のためとはいいますが、大阪の人々を守る方策は何もいいません。(ほんと出ません。カジノとか、万博とか金を使うことばかりはいいますが)

どちらかといえばです。発展も大事ですが、災害大国とまで日本はいわれているのですから現時点では、発展より、安全対策の方がよほど大事なのではないでしょうか。

大阪も(関西は)よく災害に遭っているからです。

去年はひどかったですもんね。あの西日本豪雨もありましたし、台風でタンカーが関空の橋に激突して関空が使えなくなったということもありました。

ああいう時の対処です。

ところが関空は民営化してしまったがため関空の橋の復旧もずいぶん遅れた。

何か大阪維新が推進していることは(民営化もそうですもんね)裏目裏目に出ているように感じますが、そう感じているのは私だけでしょうか?

そういうこともあって(何かやましい心でもあるのではないかと。だからこうも悪いことが起きてくるのではないかと)勘繰りたくもなるのですが、羽振りのいい話はたしかに人々の注目を浴びますが、行政は住民を守るということを忘れてはならないと思います。

それを忘れているとはいいませんが、大阪維新の会からはもう少し地に足をつけた改革の話をききたいものです。

まあ、あまりお隣の政党に文句をいっていてもいけませんが、そこらへんもしっかり考えて、大阪の人たちは今度の選挙に臨んでもらいたいと思っています。(これで二人とも落ちたら笑いますね。〔笑〕)

しかし、お隣の大阪の派手さに比べこちら名古屋はほんと話題がありません。(苦笑)

こちらの話題といえば、今度、名古屋の河村市長が名古屋城の天守閣を木造復元するらしいのですが、それだけでは今一でしょう。

それくらいでは大阪に負けます。こちらも、もう少し話題を振りまかないといけないでしょう。

だからどうですか、その時に一緒に前からいっている楽市楽座もやったらです。

名古屋城の天守閣復元と同時に城外に楽市楽座もひらくのです。どうです。これならずいぶん話題にもなって人も集まってくるのではないでしょうか。

もちろん、楽市楽座は無税にします。(信長がしたようにです。それに近いことをしないと話題になりませんから)その分、参加する店側に何かサービスをしてもらえばいいのです。

来てくれるお客さんに対してです。(例えば、店側に戦国時代の格好をしてもらうとかいうこともいいでしょうし。気分が出てです。名古屋には何とか武将隊とかいう人たちもいますから。〔笑〕)

楽市楽座の期間中はそこに店を出す人からは一切税金を取らない。(税金を減らすのは河村市長は得意ですから。〔笑〕何せ河村市長の政党の政党名が減税日本ですから。今度は無税日本ということでやりましょう。〔笑〕)その分、店のサービスは満点と、そういうことなら黙っていても話題になります。

名古屋城天守閣の木造復元と無税の楽市楽座が一度に出現する。これなら名古屋は超話題になるでしょう。

どうですか。この提案、地味な名古屋でやる価値は十分あると思いますが。

これくらいのことをすれば日本中から(もちろん世界からも)人が名古屋に集まって来て、それこそ名古屋中の経済効果は大変なことになるでしょう。

楽市楽座を無税にしたところで、他で儲かるのですから文句はないはずです。

これくらいのことをしないと大阪には勝てません。(笑)これくらいやってください。そうすれば大都市で一番人気がない(苦笑)名古屋の人気も出てくるからです。

そうして信長にならい、その楽市楽座をしている名古屋城から天下統一を目指すのです。もちろん、この正法神理のです。

そうして、この正法神理が日本中に拡がれば日本は平和になって災いも止まり、奇跡も起き出します。

もうよいことづくめなのではないでしょうか。(笑)

今度は、この正法神理で名古屋から天下統一を目指す、などという妄想も、たまにはいいのではないかと思う今日この頃です。(妄想で終わらせたくはありませんが…)

追伸…この辺りは、相変わらず皆さん、ずいぶんお怒りのようです。(ほんと呆れます)

そういえば、あの白血病の水泳選手がツイッターを更新して「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」という心境をつづっていましたね。

あれだけ苦しいことに耐えてきた一流の水泳選手でもこうなのです。

それだけ白血病などになってしまったらつらく苦しいということなのでしょうが、そうであるならです。そういう病気になる前に心を入れ替えた方がいいと思います。

心を入れ替えるなら、そのような病気になることもないからです。(何度もいいますが、病気とは気の病ですから。その気〔心〕を入れ替えるなら、そのような病気になることもないのです)

ここに書いてある通りのことを行うなら奇跡が起きてきます。

しかし、このブログを読んでいる多くの人は、ここに書いてあることに逆らっているのです。だから、逆のこと(災い)が起きているのです。

このブログを読んで心が救われた人もずいぶんいるはずです。(年寄りもこのブログを読んでいる人が多いので、そういう人たちなど、すでにこのブログを読むことが唯一の楽しみなどという人もいるのではないですか?お年寄りなどそうは楽しみもないからです。〔笑〕)それなのに感謝もせず、それを書いている者に嫌がらせをしているようではよいことが起きてくるはずがないのです。

早く理解してください。悪いのは自分たちであるとです。

それを理解し、その行いを反省し、感謝した人から救われて行きます。

何度もいいますが、それ以外で救われる道はないのです。

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3月 05 2019

平成思想

今日の中日新聞の一面に、新元号の原案に対する意見をきく有識者懇談会のメンバーが出ていましたが、前回も書きましたが希望ある元号を望みますね。

次の元号はです。

何しろ平成はひどかったですから。何かにつけてです。(ただ戦争が起きなかっただけで平和でも何でもなかったですからね。災いが起き通しでです)

とにかく平成ほどこれまでにない発想を多くの人がした時代はなかったのです。しかもそれが正しければよかったのですが間違っていたのです。(それも大きくです)

それが、千年に一度といわれた東日本大震災を筆頭とした数多くの災いを(神から)現された原因となったのです。

そうであるなら、愛も慈悲も調和もない、そうして中道でもなく、結婚を神聖視もしない平成の思想はもう捨てないといけないのです。

これだけ堕落し呪われた思想もないからです。

そういう思想のままでいては、まだこれからどれだけ災いが起きるか分からないのです。

もう少し愛や慈悲や調和の心を持たれてはどうでしょう。そうすればこれほどの災いは起きて来ないからです。

そうしてそれは私生活だけでなく、経済においてもまだこれから大きな災いが現れつつあるようです。

今日からお隣の中国は、全人代(全国人民代表大会、日本の国会のようなものです)が始まるようですが、その中国がずいぶんやばそうです。

中国最大の民営投資会社がデフォルト(債務不履行)を起こしたそうですね。

そればかりか中国は、そのようなデフォルトを起こす企業が昨年くらいから続出しているそうではないですか。

その影響で、いよいよ中国自体も(前からいわれてはいましたが)財政破綻を起こすのではないかと(日本のことをいっている場合ではありません)もっぱらの噂です。

中国は去年の経済成長率が6.6パーセントもあるのでまだ大丈夫だ、などといっている人もいますが、寝言は寝ていってください。そんな数字はまったくのデタラメなんでしょう。(日本もそうですが、中国のごまかしはその上を行くようです。〔苦笑〕)

だいたい、中国は例のアメリカとの貿易戦争で景気が急減速しているのですから、そんな数字が出てくるわけがありません。それに前から、中国の経済成長率の数字は相当ごまかしているといわれていたのですから、そのつけがアメリカとの貿易戦争で一変に現れてきて、ついに中国は破綻するという予想は、別に大きく外れているわけではないのではないでしょうか。

そのような噂(中国の破綻)は前からあったからです。

それにもかかわらず日本の経済界は中国との貿易を増やそうとしている。ありえないことをしています。平成の経営者は儲けのことしか頭になく、まったく危機意識がないようです。(それはどこでも同じですね。この辺りの人たちもどれだけ危ない現象が起きても、全然、危機意識がありません。よほど痛い目に遭わないと分からないようです…これも平成思想ですね)

中国が危なくなれば(北朝鮮はもちろんですが)韓国もやばいでしょう。(韓国の経済危機も相当だと噂ですから)これも前からいっていますが、じわじわ引いた方がいいのではないでしょうか。

このような国々は危ないだけではなく、性格的にもあわないからです。(苦笑)それにこちらが引けば、向こうから来ます。(困った時だけは来ますからね。こういう国は)

その時に話せばいいのではないですか。とりあえずそれが(現時点では)一番よい方法でありそうだからです。(ほんと触らぬ神に祟りなしです。危ない噂があるところに行くほど愚かな行いもありませんから)

このような近隣諸国だけではなく、EUも混乱しそうですし、中東も危なそうです。アメリカだって中国との貿易戦争でどうなるか分からないのです。

だからいっているのです。とりあえず国内に力を集中するべきであるとです。

もうILC(国際リニアコライダー)の誘致の返事が迫っているんですよね。この状況でまさか政府は断らないとは思いますが(これでILCを断るようならもう終わりですね日本の経済もです)さっさと決めて、インフラ整備などの段取りも早めにした方がいいのではないでしょうか。

そうすれば国内事業が忙しいので(オリンピックもありますし)中国、韓国など冷たくあしらっても恨まれないからです。(まあ、あのような国はどうやっても恨みますが…韓国など徴用工と慰安婦問題が解決したら経済問題を話しましょうでいいですし、中国も尖閣の問題が解決したらでいいんじゃないですか。弱みに付け込むのはお互い様ですから)

どちらにしても、今のような考えのままでいては、災いばかりが起こります。もう時代も変わります。

平成思想は変えていかないといけないのです。

(愛も慈悲も調和もない、強欲でしかない平成思想はです……今日はブログの調子が悪いので〔なんかすぐに場面が変わって書けなくなります〕これくらいにしておきます)

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3月 03 2019

新元号

しかし、よく考えてみればです。三十才以下の人たちは平成の時代しか知らないんですよね。

では、平成の常識が常識になってしまって、前回、前々回のブログで、私がおかしいと書いていることの方がおかしいと思う人の方が多いのかもしれませんね。

三十才以下の人たちなどはです。(それ以上の年の人もそうですが…そう思わない人。三十才以下の人たちでそうは思わない、私の書いていることの方が正しいと分かる人たちはそれなりに心が高い人たちです)

できちゃった婚とか、出産に立ち会うこととか、一体何がいけないのかと思う人も多いのかもしれませんが、このようなことはやはりこれまでしてこなかったことなのです。(平成以前の常識ではです)

出産に男が立ち会うことは、園頭先生が説明されていますのでそれ以上書きませんが、できちゃった婚などもそうです。

普通であるなら、結婚してから子供はつくるものです。それが結婚前に子供をつくってしまうのですから明らかに順序が違います。

だから、平成前の昭和の時代にこのようなことをしている人たちは白い眼で見られたのです。順序も守らずだらしがないとです。(ところが平成の時代は、結婚前に子供が出来ているのに「おめでとう」などといっているのですから、完全にずれています)

それは同棲なども同じで、結婚もしていないのに、男と女が一緒にいるなどはしたないと、男女が一緒に住むのならちゃんと結婚しろと、昭和の時代から以前は、そのような約束事はしっかり守られていたのです。

それが人としてのけじめであったからです。

結婚とは、人と人ではなく(縁を通して)神が結びたもうものと昔は多くの人たちが思っていたのです。

だから、その神聖な結婚を通さずして軽はずみなことはしてはならないとみな戒めていたわけです。

ところが平成に入ると、その結婚がずいぶん軽く見られるようになります。恋愛の延長みたいにです。

だから、好きになれば一緒になればいいし、嫌になれば別れればいいと軽く考え、すぐ結婚したり、ちょっとうまくいかなくなるとすぐに離婚したり、一緒に住んでみないとあうかあわないか分からないからと簡単に同棲したり、結婚前に子供をつくったり、それで結婚したのはいいのですが、結婚を神聖なものとは考えず、ただの恋愛の続きくらいにしか思わない人や結婚する気がないのに、子供が出来て仕方なしに結婚する人まで出てきては、もはやうまくやれるわけがありません。

そういう人がドンドン増えたのが平成の世でした。

こういう順序無視のいい加減な結婚が増えたから、結婚生活の不和や不幸が増え、子供への虐待も増えたのです。

夫婦愛がうすいから当然そうなります。

どちらにしても、このように結婚を軽く見て、結婚生活をいい加減にしていたら、結婚は神が結びたもうものなら、当然、その神の怒りを買います。

平成の世の人たちは理解しないのでしょうが、しかし、結婚は本当に神が結びたもうものなのです。人と人がたまたま知合って結婚するわけではないのです。

そこには過去世からの深い縁があり、神との約束があるのです。

それはキリストが結婚のことを「神が合わせたもうもの人これを離すべからず」といわれた言葉でも分かります。

その神が合わせたもう結婚を平成の世の人たちはないがしろにしているのです。

それでは不幸にならないわけがないのです。(神の怒りを買わないわけがないのです)

また平成の世は、このようなことばかりでなく他にも神の怒りを買うようなことをたくさんしているのです。

例の自分の家の周りに保育園(児童相談所なども同じですが)はつくらせないということもそうでしょう。

重箱の隅を楊枝でほじくるように、細かいことに反応し、SNSなどで袋叩きにすることもそうでしょう。

あおり運転などもいま問題になっていますが、少々のことで烈火のごとく怒る、このようなことでもそうでしょう。

そうかと思えば、何でもかんでも何とかハラとか言い出して問題にすることもそうなのです。

このような自分本位で細かいことにいちいち反応するなど、平成以前では考えられなかったことなのです。(昭和の頃など、小さいことでギャーギャーいう人など小さい奴と笑われていましたから)

昭和から前の時代は、もっとおおらかで多くの人が約束はちゃんと守り、人生は少々の苦労は当たり前で小さなことにいちいち腹も立てなかったのです。

昭和から前の時代は、子供は近所の者たちが守り育てるというのが当たり前で、悪いことをする子がいれば誰かれとなく注意して、ケンカをする人もいましたが、あまり一方に肩入れするのではなく、両方の話をきいてうまくおさめて近所づきあいをする人たちばかりでした。

それほど極端なことをいう人もする人も少なかったのです。

ところが平成になって、このような生活習慣がガラッと変わります。

近所づきあいはしない、何かあるといちいち文句をいい、自分勝手なことばかりしている、そういう人が増えたのです。

つまり平成の世になって、周りのことを考えない自分本位で、極端で、いい加減な人が増えていったということです。

このような、愛もなく、慈悲もなく、両極端で中道でもない人たちが増えてくれば当然神の怒りを買います。

そのような人たちの心が平成にこれほどの災いをもたらしたのです。(それは企業も同じでしょう。平成の大企業は愛のないことばかりして儲けばかりを考え、人件費が安いからと中国などに会社をつくればそこに暴動が起き、タイにつくれば大洪水が起き、それではと日本国内に仕事を集中させれば、そこに大地震が起きる〔熊本〕と災いの連続なのです)

平成にこれだけの災いが集中して起きたのも、起きるだけの理由がちゃんとあったということを知るべきなのです。

そうであるならです。もう平成の時代は終わります。少なくとも次の時代は、平成よりはよい時代に(災いが少なく不景気でない時代に)したいと思うのは誰でも同じでしょう。

だとすれば、次の時代はどういう時代にすればいいと思いますか?

それはもう想像がつくはずです。

そうです。そうなのです。そうだとすれば次の時代の元号は「昭和」にすればいいのです。(戻すんかい)

そうすればこれほどの災いは起きなくなるからです。そうして不景気でもなくなるからです。(昭和は、平成ほど災いは起きなかったですし景気もよかったですから)

冗談はともかく、少なくとも昭和から以前は、今の平成のような考え方をする人は少なかったということを知ってください。

だから、災いが少なかったのです。人の道から外れている人が少なかったからです。

平成の時代は明らかに人の道から外れた考え方をしている人が多いのです。(人の道とは即ち神の心ということであり、愛、慈悲、調和、そうして中道、ここから外れない道をいうのです)

いま現在の平成の人たちの常識は他の時代の人たちから見ると、非常識な部分が多いのです。平成の世の人たちは、これまでしてこなかったことをしている人がかなり多いからです。

前にも書きましたが、これまでの歴史上したことがないことをしているということは、人としての進歩ではなく堕落であるのです。

堕落した人が多ければ、災いが多くなるのは必然です。(神の怒りを買う人が増えるから)

とりあえず平成以前の常識を取り戻しませんか。

まずはそこからはじめないと、起きている災いは減ってはいかないからです。

追伸…新元号の話ですが(最近、そういう話題が増えて来ましたから。〔笑〕)まあ昭和はともかく、私の希望としては「光」という文字が入るといいなとは思っています。

だって、平成がこれほど災いが多かった時代なのです。

そこから光が射すとか、光が現れてくるとか、神の光が降り注ぐとか、次の時代が、そういう光明の世になればよいと思ってです。

どちらにしても、これからは光通信とか、光なんとかとか、光の時代ですよね。そのようなこれからの時代にも「光」という文字は合うとも思うからです。

どちらにせよ、次の時代は、これほどの災いは勘弁してほしいものです。

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2月 28 2019

平成の堕落

前回の話をもう少し書きますが、なかなか理解は出来ないかもしれませんね。

今のような考え方(男女平等、子育て、出産に男が立ち会うなどなど)が定着してもう三十年近くになります。

こういう考え方はまったくおかしいと今さらいってもです。

しかし、間違っているものは間違っているとちゃんといい続けないと災いはドンドン起きてきます。(神の怒りはますます激しくなります)

たとえ私一人であろうと正しいことはいい続けます。どちらにしても私は前からこのようなことはいっていましたから。

結局、男女平等にしても、自分中心の子育てにしても、最近は個人の尊重などと普段からいわれているため、それが正しいと思い込んで、皆、個人重視の(自分さえよければいいという)考え方をしすぎているのです。

それと秩序も段々壊れてきています。(例えば、男が出産に立ち会うこととか、最近は出来ちゃった婚が増えていますが、こういうことなどもそうです)

人への愛や調和を無視して、何でも自由で何でもOKではありません。すべてのものに秩序があり順序があるのです。

その秩序、順序も考えず自分だけで勝手に進めてしまっては揉めるに(不調和になるに)決まっています。

にもかかわらず、それを悪いとも思わない、逆に進歩的と勘違いしている人が多いから災いが多発するのです。

間違ったことを進歩しているなどと勘違いしているのではなく、もう少し全体的な、歴史的なものの見方をしないと、正しいことは分かってこないのです。

歴史上、誰もしなかったことをしているということは、進歩なのではなく堕落であるということを知るべきなのです。

だから、災いが次々に起きているのです。堕落している人が増えているからです。

よく考えてみれば平成の三十年は、このような間違った考えに強く支配された時代でした。だから、平成は多くの天変地変が起きたのです。

これだけ神の心(愛と慈悲と調和)に反した思いもないからです。

平成の時代、このような神の心に反した、自分本位な考え方は私生活だけにとどまりませんでした。

だから、デフレが続いているのです。神の心に反した自分本位な心が経済にまで影響しているからです。

実際そうなのです。バブルがはじける前まで(だから1990年代以前)はインフレが続いていたのです。

その頃までは、まだ多くの大企業が下請けのことも考え仕入れ値を毎年上げてくれていたからです。

だから、この頃までの大企業は、どこも下請け企業に対する買値を上げるのが当たり前であったのです。

今では考えられませんが、その頃までは大企業は下請け企業がいなかったら、自分たちの仕事も成り立たないと(実際にそうですし。自分たちが出来ないところを下請け企業がカバーしてくれているのですから)感謝して、下請け企業を自分たちの子会社(というより家族)のように考え、ちゃんと自分たちの利益を下請け企業にまで回していたのです。

つまりこの頃まではどの大企業もみな愛があったということです。

下請け企業の売値が毎年上がるなら、下請け企業は設備投資も出来ますし、従業員の給料も上げることが出来ます。

設備投資も増えて、従業員の給料も上がるなら、当然、景気はよくなります。多くの金が世の中に出回るからです。

つまり、その世に出回っているものは物質的に見ればお金ということになりますが、心の面から見れば、それは愛ということになります。

その愛が巷にあふれていたのです。だからインフレが続いていたのです。その多くの愛のため景気が本当によかったからです。

しかし、バブルがはじけたのち1990年代後半くらいからでしょうか。その愛が段々なくなっていったのです。

つまりどの大企業も、この頃から(だから平成のはじめくらいからでしょうか)売値を全然上げてくれなくなったということです。

上げるどころか、毎年値下げを要求するようになっていったのです。(つまり愛が急速に〔急速にです〕なくなっていったということです。何でこれだけ急にと思いましたが、アメリカなどの他国の影響があったように思います。そういう話を〔アメリカ式、アメリカ式などという言葉を〕その頃さかんにきいていたからです)

これでは下請け企業は持ちません。つぶれるところや貧困化する中小企業が続出したのです。

確かに(バブルがはじけたため)景気も悪くなっていったということもあったのでしょうが、それ以上にこの頃から多くの人々に愛がなくなっていったのです。

なぜなら、これまでも景気が悪い時などいくらでもあったからです。しかし、大企業が下請け企業に対し、これだけ値下げを要求したことなどなかったからです。

これまでならです。どれだけ苦しい時でも、大企業は下請け企業に対し、今年は儲かっていないので値上げは出来ないが来年は頑張るからと、ことわりを入れ、そうして、実際に翌年は値上げしてくれたところがいくらでもあり、昭和の時代までは、大企業は下請け企業を(自分のところ以上に)大切にするということが当たり前のように行われていたのです。(これはつくり話でも何でもなく、本当の話ですから。実際、私の若い頃は〔だから三十年くらい前までは〕そういう話をいくらでもききました。「今年は上げられないが来年は頑張るからと親会社がいっているので、今年は我慢する」とか「今年はこれだけしか上げてくれなかったが、来年はもっと上げるからといってくれた」とかいう話を中小企業の社長からよくきいていました。昔は売値が上がるのが当たり前だったのです。今から考えると、まるでおとぎ話のようですが〔苦笑〕しかし、昭和までの時代は本当にそういう〔売値が上がることが当たり前の愛にあふれた〕時代であったのです)

それだけ大企業が下請け会社を大事にしてくれるのですから、当然、下請け会社も頑張ります。

そのような愛の循環が好景気を呼んでいたのです。

しかし、平成に入ってからは、大企業は居丈高になり、下請け企業に毎年、値下げを強要するようになります。それが嫌ならやめろとです。

こうなってからです。デフレとなって不景気となっていったのはです。つまり段々、愛がなくなっていったということです。

だから、好景気のわけがないのです。これだけ巷に愛がなくなって好景気になるわけがないからです。

だから、今、さかんに政府などがいっている好景気というのは統計不正によるでっち上げの嘘なのであり、もう平成に入ってからは(デフレになってからは)景気がよくなったことなど一度もないのです。

何度もいいますが、これだけ愛がなくなって好景気になるわけがないからです。

このように私生活から経済に至るまで(もっというなら政治や教育までもそうですが)愛がなくなり、堕落していったのです。

平成の世はです。

だから平成はこれほどの天変地変が起き、いま現在もそのようなことも含めた異常現象が止まらないのです。

多くの人々が堕落しているからです。

しかし、その平成も今年で終わります。それでもまだ(次の時代も)この平成の堕落を引きずるのですか?多くの人がです。

それでは不幸は続くのです。

古いものは悪と決めつけるのではなく(新しいものでも悪などいくらでもあるからです)昭和の時代のよき愛の心をもう一度思い出さないともう日本は持たないのです。(ほんと滅びそうです)

そのような愛の心があるなら、また奇跡は現れてきます。

このまま心を変えぬままでいくのなら、次々に不幸が起きてきます。愛と調和の心を、そうして秩序と順序をもう一度取り戻しませんか?

それ以外で不幸から逃れる術はないからです。

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2月 26 2019

異常な行い

何度もいいますが、命を懸けても惜しくない教えがここにあるのです。いつまでもグダグダいって責任転嫁しているのではなく、素直に勉強されてはどうでしょう。

そうすれば奇跡も起き救われて行くからです。(じゃないと〔昨日もコメントに書きましたが〕この辺りはほんと危なそうですから…ボケっとしていると、このままでは逆に命なくしますから)

どちらにしても、現代のような思想がどれくらいおかしいのか(他の時代と違っているのか)園頭先生が書かれた正法誌からちょっと抜粋しておきましょう。(多くの人が、今のような思想や行いは正しいと思い込んでいるようですが、正しい考えの人が多いのなら、これだけおかしなことは起きてきませんから)

1988年 八月号より抜粋します。

<子育ての根本

(中  略)

親はその子供を子供とすることにより、子供はその親を親とすることによって魂の勉強をしっかりしなければならないことがあるのである。

どんな子供であっても、その子供をどのように愛し育ててゆくかによって、親は魂の勉強(根本的には真実の愛とはどんなものであるかを知る)をしなければならないのである。

(中  略)

妊娠、出産は女性のみに与えられた神よりの使命で、妊娠、出産を女性が母となる喜びとして、心から喜ぶ女性は、夫をも子供をも幸福にすることが出来るが、それを嫌悪する心の多少によって、夫を子を不幸にするのである。

昔から「三つ子の魂、百まで」という。三才までにどのようなしつけがなされたか、それが子供の一生を支配するというのである。

現在の若い人たちは、子育てにあまりにも神経質になりすぎている。昔は「育児ノイローゼ」というものはなかった。

もっとも現在の教育は、教育といえば国語、算数、理科、英語、物理、化学など学科を覚えることだけになっていて、人間が生きるための基本的な道、即ち道徳、情操、信仰については何も教えない。

多くの女性は高校を卒業してそのまま社会に出て、そうして結婚するのである。ところが結婚してから最も大事な家庭生活のあり方、妊娠、出産、育児というようなことについてはまっくたく教えられずに卒業するのである。

教えられていないから知るわけがない。知るわけがないからというよりも、女性は結婚したら早速妊娠し出産し育児をしなければならないのであるから、そのことを考えたら自分でそのことを真剣に勉強しなければならないのに、勉強しようとする傾向がないのは残念である。

妊娠してはじめて慌てて育児の本を読む。

ところがそれらの本は、書いている人によってまちまちであったり、特に医学者の書いたものは、医学的な衛生的な取り扱い方が多く、子育てにもっとも大事な人間性の根本に立ってのことは何も書いていない。

五月二十五日、NHKの朝の「おはようジャーナル」で「新人類、母になったけれど」という放送があった。

テレビの画面に、母と子と同じ型の服を着たモデルが登場した。その場面の最後に松田聖子が出て来て「子供に精一杯、いい服装をさせれば楽しいじゃないですか」といった。ひどいといわれるかもしれないが私は松田聖子は少し常識が足りないと思った。松田聖子の子育ては確実に失敗すると思った。松田聖子もそうであるが、新人類の母親たちは、子供をペットみたいに愛玩物として考えているのである。

渋谷かどこかに、まだ歩けもしない赤ちゃんにはめる指輪を売っている店があって大繁盛だそうで、赤ちゃんの指輪を買っていた母親も「子供と一緒の服装をすれば楽しい」といっていた。

品物はつくり間違ったらつくり直せばよい。だが、子育ては失敗したらやり直しがきかないのである。子育てに失敗した負い目は、親も子も一生背負い続けなければならない。

それだけ子育てには真剣にならなければいけないのである。

親の一生の幸福も、もちろん子供の幸福も、その子供がどういう子供になるかにかかっている。若い時は苦労しましたが子供が立派に成長してくれまして、という親もいれば、親自身は成功して金持ちになったのに、子供がぐれて一人前にならないといって泣いている親もいる。

あなた方はどちらを選ばれるのであろうか。

ベビーシッターを頼んで、子供と遊んでもらっている間に美容院に行って「普通のお母さんのようにはなりたくない。主人も子供も大事だが、より以上に自分が大事だから」という女性も登場した。

私はそういう女性を妻にした男性が哀れになってきた。

子供をペットみたいに考えて、自分のしたいように育てていたら、決して子供は一人前の人間になれないのである。そうすればいいといってみても、世の中にはそうできない人の方が多いのである。物や金で贅沢させなかったら子育ての楽しみはないというのであったら、貧乏な人の子供は幸せにもりっぱな人間にもなれないということになるが「貧窮の門(ひんきゅうのもん)に孝行出づ」と昔からいわれているのはなぜだろうか。

(中  略)

男女平等だからといって、妻が出産する現場に立ち会ったという男性も出て来たが、男が出産の現場に立ち会うのは、女、妻の尊厳さを傷つけるものだと思う。

ある時テレビで、アフリカのピグミーの人たちが放送された。妻が出産する時は近所の女の人たちが来て手伝って男は絶対に産室に入れない。しかし、妻の出産の苦しみをともに分かとうとする夫は木陰で、妻と同じように自分も「うんうん」いって苦しむのである。

古事記(日本の神話と古代歴史を書いたもの)の中にも、女の神さまが、わたくしがお産するところを見なようにしてくださいといったのに、男の神さまがその現場を見られたら、女の神さまが怒られたということが書かれている。

女は、自分の身も心も、すべてを相手に捧げて愛したいと思う時に、自分の身体のすべても知ってもらいたいと思って男の前に自分の身体を投げ出したいという衝撃を感ずる時がある。愛とは自分のすべてを相手に与えて悔いない。むしろそれを喜びとする感情である。それは与えるべき人と時と所があるのであって、与えるべき人と時と所でなかった時に罪の意識が伴うのである。だからして、人と時と所とにかまわずに自分の身体を投げ出そうとする女性は当たり前の人間ではないといって軽蔑されるのである。

与えるべき人であるか、時と所であるか、それを確かめる時に羞恥心、恥ずかしいという感情を持つのである。

女が出産の現場を男に見られるのを恥ずかしいと思い、また、男もそれを見るのを恥ずかしいと思うのは、そしてまた、今までの歴史の中で、男が公然と女の出産の現場に立ち会ったという時代がないのは、男がそうすることは異常だということである。

女には出産の時、誰にも気がねなく、恥ずかしいところを見られている気持ちもなく、自然のうちに安心して出産させる方が、女性の尊厳さを尊ぶということになるのであるが、新人類の中には女性の分野に踏み込むことが女性を大事にすることだという間違った考えを持っている者があるようである。

男性が女性の出産の現場に立ち会わないのは女性を大事にしないことであるというならば、これまでの人類の歴史の中でどれほどの男性がそうしたであろうか。

見せたくないところを見せたがる露出狂も、見てはならないところをのぞきたがるのぞき屋も、どちらかというと精神異常の部に属する。露出狂やのぞき屋で立派な人間になった者はいない。人間には節度が大事である。

男に料理をさせることがよいことか、悪いことかという問題もある。

男に料理をさせるような女は、男を成功させる見込みはない。料理をしない男は最低だと新人類の女性はいうかもしれない。中にはすすんで料理をするという男性もいる。

すべての男性が料理を手伝わなければならないとなったら、世の中の動きは停滞する。

アメリカのレーガン大統領が、ソ連のゴルバチョフ書記長が、また、日本の松下幸之助さんが等々、毎日毎日家庭で食事の支度を手伝っている図を想像してみられると分かる。

私なども、妻が全部何もかもやっていてくれるから、朝早くから夜遅くまで原稿も書ける。「家事一切は女の仕事ですから」とすべてをやっていてくれるからこそ私も仕事が出来て感謝している。

だから私がいつもいうのは「原始女性は太陽であった」といって、明治の新しい婦人運動を始められた平塚雷鳥さんが、

「女は女でなければならない。女の仕事をきれいにやるということによって男性の尊敬をかち得るという女にならなければいけない」

といわれたそのことである。

(中  略)

私がこのようなことを書いたのは、女性中心のわがままな心を持っていては、立派な子育ては出来ないということを知ってもらいたいためであった。

そのNHKの「おはようジャーナル」のゲストの詩人伊藤比呂美さん(二十七、八才と見た)は

「私はお産をしてみて、はじめて自分を見つけました。女性として把握できるものを把握できました。日本の風土には、日本の風土にあった生き方があるので、今の世代の新人類というのは、その日本の風土を否定しようと考えているのだと思います」といわれた。

さすがに詩人だけあって見方が鋭いと思った>

とりあえず、園頭先生がいわれている子育ての部分を抜粋しておきました。ずいぶん、今(正しいと思われている子育て)といわれていることが違うのではないでしょうか。

園頭先生がいわれている子育ては古いですか?今は夫が妻の出産に立ち会うのは当たり前ですか?(しかし、園頭先生はそういうことをした人はこれまでの歴史上存在しないと。だから、そういうことをしている人たちは精神異常者だといわれていますが…)そうして男が家事も育児も手伝って、男女平等なんだから、何でも半々にしないといけないですか。(しかし、この男女平等という思想も今〔ここ数十年〕くらいですよ。これだけいわれているのはです。それ以前はちゃんと順序と役割がありましたから。男と女のです)

このくらいの頃(1980年代後半)からではなかったですかね。そのような家事、育児が正しいみたいにいわれだして、妻の出産に立ち会う男が増えだしたのはです。

それがいまだに正しいみたいにいわれていますが、阪神大震災が起きたのは1995年です。

もう何度も書いていますが、それ以前はこれだけ大きな地震など起きませんでした。しかし、この阪神大震災以降、大地震が立て続けに起き、その大地震がいまだに続いているのです。

もちろん、それ以外でもすさまじい天変地変が次々に現れ、日本が災害列島などといわれているのはご承知の通りです。

もう一ついっておくなら、大地震だけでなく、これだけ激しい天変地変も(もちろん多少は起きましたが)それ以前は起きていませんでした。

それが1990年代以降、立て続けに起き、それがいまだに続いているのです。

なぜでしょうか?

それは簡単な話なのです。多くの人々が、間違ったことを数多くしているからです。(1980年代以前よりです)

それが神の怒りを買い、このような激しい天変地変(プラス、この辺りで起きているような異常現象)となって日本に現れているわけです。(それは特別日本だけではありませんが。他国も同じです。同じ理由でそうなっているのです)

1980年代以降、間違った思想が(それも特にひどいです)ドンドン拡がりだし、それから数年してついに神の怒りが爆発。

それが阪神大震災であり、それ以降もまったく心を変えない人ばかりであったから、いまだにそのひどい神の怒りが続いて災いが多発している、簡単に書けばこのようなことなのです。

これまでの(特に1980年代以降の)考えは間違っているのです。しかも大きくです。

認めたくはないのでしょうが、だから、これだけひどいことが起きているのです。大きな間違いを多くの人がしているからです。

正しい考えでいるのは(この正法神理を実践している)私たちだけで、だから私たちには次々に奇跡が現れるのです。

その考えが正しいからです。(より神の考えに近いからです)

いい加減、理解してください。この分かりやすい事実をです。

今の常識は間違っていることが多いのです。だから、これだけの災いが起き続けているのです。

その大きな間違いが、神の怒りを買ってです。

では、その間違った考えを改める以外、この激しい災い(神の怒り)を止める手立てはないはずです。

この教えを実践する以外、救われる道はありません。気づいた人から行ってください。それが(自分だけではなく)多くの人々をも救う道でもあるからです。

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