>>ブログトップへ

10月 10 2019

無理をするなら

さすがに昨日はほとんどの人がドン引きしていましたね。いつもよりぐっと少なかったですね。嫌がらせをして来た人もです。(トラックを含めてです)

婆さんの急死がよほどきいたんでしょうが、そんなことまで起きているのです。こんなこと偶然で起きるわけがないのですから(もう完全に引き上げられていますよね。多くの人があの世実在界にです)反省して私に従ってはどうでしょう。

そうしないともう危なくて仕方ないからです。(多くの災いだけでなく、これだけ次々に引き上げられてはです)しかし、この正法神理に従うならば災いからは逃れ奇跡も起きてくるからです。

それにしてもずいぶん多くの人がこのブログを見ているものです。みな同じような態度を取ってくるので本当にそれがよく分かります。

何でこんなに多くの人が私のブログを見ているくせに誰一人感謝しないんでしょう。これではいいことが起きるわけがないのです。

それなのに、そんな自分たちの態度はまったく反省しようとせず、まだ怒って嫌がらせをしてくる人がいますが、急死した婆さんもそうでした。

横のどこかの会社にドンドンコロッと逝く人が出ているにもかかわらず、それを知りながら平気で私に嫌がらせをして来ていたのです。

そうしたら自分もコロッと逝ってしまったというのですから、本当に気の毒なものです。これだけ哀れな人生の最後もないからです。(そういえば、コロッと逝く人が出ているところって、みな私に嫌がらせを特にひどくしているところばかりですね。〔トラックの運転手連中もそうだし〕ほんと恐ろしいことです)

怖いくせに何でそんな意地を張らなければいけなかったのでしょう。

もうこちらでは止めようがないのです。自分たちが勝手に悪いことを私に対し進んでしてくるからです。

それでは悪いことは止まらないのです。ドンドンひどいことが起きてくるのです。

何でもっとよいことをしなかったのでしょう。この婆さんが私によいことをしていればこんな最後にはならなかったのにです。

どうせ無理をするならです。よい方に無理をすることです。(悪い方ではなくです)そうすれば、それだけよいことも起きてくるからです。

この婆さんも、私を嫌っていたので仕方ないのですが、しかし、私に心を救われたのは事実なのであり、では、少しくらい感謝して無理をしてでも布施くらいすればよかったのです。

この婆さんがあまりお金がなかったということは、その生活ぶりからもよく分かるのですが(前のアパートもおんぼろだし)それでもです。それでもするべきだったのです。私に布施をです。

どれだけ少ない金額でもよかったからです。

如来の教えを説いている者への布施はそれほど価値ある行いであるからです。それだけ神を喜ばせる行為もないからです。

高橋信次先生のご著書である「人間・釈迦」に次のような場面が書かれてあります。その場面とは、釈尊(ゴーダマ・シッタルダ―)が出家され、まだ悟られる前に托鉢していた時のことです。

<ある時、ふと一軒の粗末な家の前に立ってしまった。家の中は静かであった。家が小さいので軒先に立つと家の中までまる見えであった。視線を中に移すと、家の主人らしき人がムシロの上に横になっていた。長いことわずらっているのであろう。体はやせ細り静かに天井を見上げている。その父親らしき男の寝ている前で五人ほど、子供が車座になって、土間にじかに座っていた。髪を乱した母親らしき女が、その一人一人の子供に、わずかばかりの粥を配っていた。一見して、家の生活が分かった。ゴーダマは、きびすを返し立ち去ろうとした時「誰か来たー」と、子供の一人が叫んだ。その声に、つい立ち止まってしまった。母親らしき女は、粥を配っていた手をやすめ、ゴーダマ・シッタルダーの姿をしげしげとながめると、彼の前に進みより、自分の分として残したわずかな粥だが、よかったら食べてほしいと差し出したのであった。家の中は薄暗いのでよくみえなかったが、軒先まで出て来た女を見ると、衣服は垢でよごれ、乱れた髪はホコリをかぶり、赤茶けていた。日焼けした顔には生活苦がにじみ出ていたが、眼だけは、美しく、澄んでいた。

ゴーダマは軽く会釈し

「ありがとうございます。あなたのそのお心だけで十分です。心からあなたのお志に感謝いたします」と、いった。

だが女は、顔を横にふり、一口でもいいから食べてほしいと願うのだった。

ゴーダマは思った。もし、このまま立ち去れば、女の厚意を無にすることになろう。一口の粥でもいいから食べてほしいというその気持ちは、欲得を離れた彼女の現在の信仰心を形の上に現す最大限のものであったにちがいない。供養の布施に自分の身を削っても差し出す女の気持ちに、家の中の生活も、病人も、子供たちの姿も、眼にはいらなかった。ゴーダマは、出された粥を軒先に立ったまま、手につまみ、一口、二口、口にした。

……こわばっていた彼女の顔は、ほころんだ。

ゴーダマも、微笑した。

彼は、深々と一礼してから、その場を去った。そしてその日は、まっすぐに山中に戻った。戻ってから最前の、あの彼女の布施の行為に対して、あらためて考えさせられるのであった。心の通った布施というものは、人の心を感動させる。新しい勇気を起こさせる。邪心を払い、生まれたばかりの、赤子のような心に立ち返らせてくれるものであった。人間が、赤子のような心で、それぞれが調和され、助け合うことが出来れば、この世はそのまま仏国土になるはずであった。人々の悲しみを取りのぞき、喜びをわかち合う。こうした環境、そうした心こそ、人間本来の姿ではないだろか>

以上、高橋先生のご著書「人間・釈迦」より抜粋したのですが、こういう心が大事であるということです。

ここに出て来た釈尊に一口の粥を布施された女性のような心であるなら、災いが起きてくることもなければ、悲惨な最期を迎えることもないのです。

この世の幸不幸は、物があるかないかではないからです。

勇気もなく(自分を変えるです)邪心にまみれた不純な心の持ち主では、どれだけ物を持っていても、この世の幸福も得られなければ(物があることが幸福ではありませんから。心の安らぎこそ本当の幸福であるからです)死後の世界も地獄であるということです。

だから無理して嫌がらせをしていて(自分を変えないでいて)一体それが何になるのでしょう。そういう行いは、自分たちの生活苦の無理をしてでも釈尊(ゴーダマ・シッタルダー)に布施された、先ほどの女性とはあまりの違いなのではないでしょうか。

それでは悪いことしか起きてこないのです。何もいいことをしていないからです。そのような態度は自分自身をも貶(おとし)める、最悪の行いでしかないからです。

そういう成長しない人が多いから日本はこのようになっているのです。よい方に無理をする人が少ないからです。(それでは心の成長もありません)

みな悪い方にしか無理をしないのです。それではよいこと起きてくるわけがありません。その行いが自分自身に返ってきているのです。(そういう人が多いから日本中に悪いことが起きているのです。日本中にいる悪いことをしている人の、その悪いことが全部日本に返ってきてです)

どうせ無理をするならです。よい方にすることです。そうすればよいことどころか、奇跡が次々に起きてくるからです。

何で私には奇跡ばかりが起きてくるのですか?無理をしてでも、よいことをし続けているからです。

だから、多くの奇跡が現れてくるのです。よい方での無理は、すればするほど器も広がり徳にもなるからです。

何度もいいますが、どうせ無理をするなら、悪い方にではなくよい方にすることです。

そうすれば自分ばかりでなく周りも救われて行くからです。

そうしてそれが、人間本来の生き方であるからです。

追伸…それにしても参りましたね。このブログを見ている人たちがピクッとも動こうとしないため(よいことをしようとしないため)ドンドン悪い方に変わっていきますね。

今年最大最強の台風十九号がです。(だって、勢力を落とさないまま直撃するとか、都心直撃の恐れが出て来たとか、天気予報でいっていることが段々悪くなっていますから)

先ほどもブログで書きましたが、少々の無理をしてでも(そんな無理なことをしてくれといっているわけではないのですけどね)よいことをしてくれませんか?

私に対してです。そうすればこの台風を何とかする(勢力を弱める)ことも出来るからです。

このブログを見ている人たちが不幸になってもです。それは自業自得だろうと思いますが、こんな台風がそのまま直撃したらです。どれだけ多くの人たちが不幸になるのか知れないのです。(こんなでかいのが直撃したらこちらも危ないですし)

そういう人たちのためにも、少しくらいの善行を行ってはどうでしょう。その善行が自分も救い人をも救うことになるからです。

それにこのままこのブログを見ている人たちの大人が頑張るなら(無視し続けるなら)子供も可愛そうです。子供たちまで不幸になって行くからです。そのような(バカな)大人たちのマネをしてです。(不幸になっている大人たちのマネをすれば自分たちも不幸になりますから)

これほどの現象が現れて来たということは(こんな最強の台風が迫ってきたり、この辺りなど次々に引き上げられる人が出てきたりしだしたということは)もう神の怒りも限界が近づいて来ているということです。

そうでなければ、これほどの恐ろしい現象も現れて来ないからです。

もう、神を恐れ、私のいうことに従ってください。そうしなければどれだけ多くの人が不幸になるのか知れないからです。(実際そうでしょう。私のいうことに逆らっている人たちがドンドン不幸になっているのです。従っている人にはちゃんと奇跡が起きているからです。何でこういう事実をいつまでも認めないのでしょう)

こちらでは次々に人が引き上げられ(死んでいき)最大最強の台風まで迫って来ています。

如来の教えに対し、無理をしてでも、報恩の行為を行ってください。そうすれば道は開けてくるからです。

(なんかこんなこといくら書いても無駄にしか思えなくなってきましたが〔ほんと空虚な気持ちで書いています〕しかし、私が諦めてしまってはそこで終わりです。〔日本がです〕どれだけ無視され続けても書くしかありませんね。実際、ドンドン不幸なことが起きているのは事実であるからです。それをそのままにはしておけないからです)

0コメント

10月 09 2019

同じ態度と同じ結果

昨日大変なことが家の前で起こりましたので、そのことを書いておきます。

昨日夕方、家に帰ってくるとすぐ前のアパートに警察が来ていました。一番端(私の家側)の部屋でお巡りさんが二人、部屋の中で何かしているようでした。

その部屋は婆さんが一人で住んでいたのですが「何かあったのかな?」と思い、母にきいたのです。

そうしたらです。その婆さんが風呂で死んでいたとのことで、それで警察が来ていろいろ調べているということでした。(もう夕方四時半ごろから警察はくるわ、救急車はくるわで大騒ぎだったようです)

なにかその婆さん、二日ほど前に転んで頭を打ったそうです。それで病院に行っていたようなんですが、その婆さんが、風呂の中で死んでいるのが見つかったのです。

それこそ、一昨日くらいまで(たしか一昨日、この婆さんを見たと思いますが)普通に歩いているのを私は見ていましたので驚いたんですが、まあ、突然死なんでしょうね。

この婆さんもです。(最近この辺り、そういう死に方をする人が多いようですから。〔怖〕)

ほんとこの辺り、恐ろしいことがボンボン起きてくるようなんですが、この婆さんにもよく嫌がらせをされました。

この婆さんも私のブログを読んでいたようで、面白くないブログなど書けば、私が帰ってくるのを待ち構えていて嫌がらせをされたこともよくあります。

それでいて、私にまったく感謝などしなかったんですから、こういう死に方もするでしょう。(残念ではありますが、今頃は地獄ですね)

私に感謝して布施などしていればこんな死に方をすることもなかったでしょうに、そこらへんは本当に哀れです。

などと書いてもです。どうせこの辺りの人たちは「この婆さんはお前のせいで死んだ」「お前が殺した」くらい思っている人も多いんでしょう。

さすがの責任転嫁の権化の人たちが揃っているからです。

しかし、もちろんそれは大間違いなのです。この婆さんが私に対する態度を(如来の教えを説いている者への態度を)間違えたからこういう死に方をしたのであり、先ほども書きましたが、この婆さんが私に感謝して布施でもしてくれていたら、決してこんな死に方はしなかったのです。

それこそ畳の上で皆に見守られながら大往生を遂げることが出来たのです。

しかし、この婆さんは如来の教えを知らされていながら、私にまったく感謝しなかった。それがこのような哀れな最後を迎えることになった大きな原因なのです。

如来の教えにちゃんと感謝できるなら、神に感謝できるということですから、そうであるなら、周りの皆にも感謝でき、周りにちゃんと感謝できるなら、周りの皆から気をかけられ、誰にも知られることなく突然死する、などということも起きなかったはずであるからです。

しかし、この辺りはこのような人たちばかりです。(みな如来の教えに逆らっている)

では、この婆さんと同じ結果が現れてくるでしょう。同じことをしていれば同じことが起きるのは当たり前のことであるからです。

どこかの会社などもそうです。もう凄いみたいですよ。次々にコロッと逝く人が出ているようなのです。(昨日何度も確認しましたから〔あまりに引いていたので〕確かです)

この連中も同じでしょう。同じ態度しか取らないものですから、同じ結果しか現れて来ないのです。

それが何時になったら分かるのでしょう。

しかし、特別それは、この辺りの人たちだけではありません。

今年最大、最強の台風も迫って来ています。(何か関東の辺りを直撃するんじゃないかといわれていますが……大丈夫ですか、関東の皆さん。同じ態度を取り続けていれば同じ結果しか出てきませんが……。〔同じ結果どころか、直撃する台風の勢力が段々強まっていませんか?960hPaとかいわれていたのが940hPaとかいわれだしましたし…そんな台風が直撃したら大変な被害が出ますよ〕)

まだ、誰も布施してくれませんが、今回もまた無視するつもりですか?このブログを見ている人たちはです。(ほんとウナッシーさんの爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいです)

しかし、もう次々に災いが現れて来ています。(このブログを見ている人たち、一体どれだけ神を怒らせるのでしょう)いい加減態度を変えてはどうでしょう。

何度もいいますが、同じ態度を続けていても同じ結果しか現れて来ないからです。

追伸…あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」が再開されたようですね。

ずいぶん多くの人たちが観たいと並んだようですが、何であんなものが観たいのでしょう。神経が分かりません。

河村市長も文句をいって座り込みをしているくらいなら、祈られたらどうでしょう。河村市長は念が強そうだから、祈りもきかれそうであるからです。

中日新聞など「表現の不自由展・その後」の再開を嬉々として記事にしているようですが、こういう左翼新聞にも困ったものですね。

ついでに中日新聞も祈ってあげましょうか。報道の仕方が中立でも何でもないからです。

まあ、よいでしょう。せっかくのチャンスです。大村知事から芸術監督から実行委員会から、このようなものを芸術などといっている作家から中日新聞まで、まとめて祈ってあげましょう。

正しい祈りをするのですから、祈られる人たちも喜ばれると思うからです。(笑)

0コメント

10月 08 2019

一度だけのお願です

やはりそちらですか…ポックリ逝くのはです。

どうもそのようです。(残念です。私は楽しみにしているのにです。あの世に行くのをです)だって、どこかの会社はもちろんのこと、その次にコロッと逝ったところも、その後も出ているみたいだし(もう怒っている怒っている。また〔またまた〕出たんじゃないですか)他にも異様に怒っているところがあったので「なんだなんだ、まさかコロッと逝ったのが出たんじゃないだろうな」といったら、急にシーンとなったのです。

出たところと同じ態度を取ってくるものですから「エッ、ほんとに出たの」とちょっとゾッとしたのですが、そういうところが他にもあり、サイレンも増えています。(昨夜もすぐ近くの家に救急車が来ていました……ま、まさか。〔汗〕)

本当にゾッとしますよね。段々、恐ろしい現象が増えて来ているようだからです。

しかし、このような状況になっているのに、まだ神に頭を下げようとしないとは、一体どういう神経しているんでしょう。この辺りの人たちはです。

怖くはないのですか?

少し考えを(行いを)変えるならみな救われるのに、頑として変えようとしない。なんでそこまでこだわるのでしょう。

あのねえ、如来の教えをきいたのなら、感謝して布施くらいしないといけないのです。それが当たり前のことであり、昔から、そのような行いをして来たのです。多くの人がです。

だから、みな救われて行ったのですが、ところが今生は如来の教えが出ていると分かっているのに、それをしっかり読んでいながら、まったく感謝も布施もしようとしないのです。

多くの人がです。

これでは罰は当たります。そんな傲慢な態度もないからです。

それなのに、その罰を如来の教えを説いている者のせいにして、嫌がらせをし続けている者もあり、こんなメチャクチャな態度を取り続けていたら、こういうことも(究極の天罰も)起きてくるのです。

それだけ罰当たりな行いもないからです。

自分たちが悪いのはどう考えても明らかなのですから(だから、自分たちに悪いことがこれだけ起きるのですから)もう、くだらない意地など張らず私のいうことをきいてもらえませんか。

そうすれば恐ろしい現象も止まるからです。

そのような正論をどれだけいっても無視です。気は確かですか?ここまで悪いことが起きているのにです。

態度を変えればいいのです。そうすれば起きてくることは変わるからです。(ほんとくどいくらいいいますけどね。また、どこかの会社に何か起きたようだからです。〔今の今です〕お前ら頭を下げろよ、それ以外、救われる方法はないからです)

この辺りなど、そのここまでの悪いことがこれだけ起きているにもかかわらず、今度は台風十九号が発生して、その台風十九号までこちらに迫って来ているようですね。(天気予報の予想のコースを見ると東海から関東辺りを直撃するコースのようですが)

次から次へと災いが現れてきます。

災いどころか、この台風、何か異常発達しているそうですね。(急速にすごい勢いで発達しているようですが)そうして今年最大、最強の台風にまで発達するとか。

これが、このまま東海から関東辺りを直撃すればまた凄い被害が出ることになります。

この前千葉に大きな被害をもたらした、十五号と同じくらいの被害が出るようなことをいわれていますが、それ以上の被害を覚悟しないといけないんじゃないですか。なにせ、今年最大最強の台風なんですから。(なんでこんな台風シーズンの終盤になって、まだこんなすさまじい台風が発生してくるんでしょう。〔海水温はどうなってんだ。下がってないのかといいたいです〕皆さん〔神を怒りに怒らせている〕ほんと勘弁してください)

いつものことなんですが、どれだけ悪いことが重なるのでしょう。これでまたこの台風が千葉の辺りなど直撃したら千葉はもうすさまじい被害になります。まだ、十五号の被害がそのままのところも多いようだからです。

どうしますか、このブログを見ている皆さん。この台風被害を少なく出来るのは、このブログを見ている人たちだけなんですが、今回もスルーしますか。このままではもう大被害が出ると分かり切っているのにです。(自分たちの町も家も命も危ないんですが……このままではです)

私のいうことをきいてくれるのなら、この台風被害もずいぶん減り(もしかすると直撃をまぬがれるかもしれませんし)そうして、今こちらで起き出した恐ろしい現象も止まるのですが(この現象はこちらだけでは多分終わらないですよ)それでもまだ無視しますか?

私のいうことをです。

いい加減、信じ行ってもらえませんか?私のいうことをです。

私は無理なことなどいっていません。少し心を(と行いを)変えてくれといっているだけなのです。

皆さん方が、私のいうことをこれだけ無視しているから、これだけ恐ろしいことも起きるのであり、如来の教えを説いている私のいうことを多くの人がきいてさえくれれば(それもほんの少しだけですよ)このような災いはずいぶん減るのです。

何べんもいいますがそれが事実なのです。このブログを見ているほとんどの人たちは、私のいうことをきいてくれたことがないのです。

一度も私に布施したことがない人がたくさんいるからです。

このブログを見ている人たちで私に布施した人などほんのわずかなのです。これでは災いは止まらないのです。如来の教えに感謝しないということは神に感謝しないことと同じであるからです。

神に感謝できなければよいことは起きてきません。

これもまた当たり前のことなんですが、その当たり前のことが(感謝して布施する、それだけのことが)このブログを見ている人たちはいつまでたっても出来ないのです。

それさえ(如来の教えに感謝さえ)してくれれば、これほどひどいことは起きないのにです。

しかし、このブログを見ている人たちは、どれだけそれをいっても理解しようとしません。

どれだけ自分たちに悪いことが起きて来ても、それは同じなのです。

どれだけ悪いことが起きても、それでも私のいうことはきかない。そうであるならです。もうそれはそれでいいでしょう。

人に何が起きようが、自分たちに何が起きようが関係ないと、自分たちのやりたいことが出来ればそれでいいと、そういう人たちに、それ以上、私が何をいってもきかないからです。

だから、それならそれでよいのですが、最後に一度でいいのです。(もうこういう状況です。いつ誰がどこで亡くなっても決して不思議ではないからです)

一度でいいから、私のいうことをちゃんときいてもらえませんか?もう何年も前から私のブログを読んでいる人たちはです。

一度くらいはいいでしょう。長年このブログを見ている人たちはです。私の願いをきいてくれてもです。(「なんだそれはいってみろ」くらいの度量をみせてくれませんか。一度くらいはです。〔笑〕)

もちろん、その願いとは感謝して布施してもらえることです。

それだけです。それだけなのです。(「なんだその程度のことか」くらい、いってもらえませんかね。その広い度量でです。〔笑〕)それ以上のことはいいません。

一度でいいのです。その私のいう感謝して布施するということをやってほしいのです。このブログを見ている多くの人たちにです。(出来ませんか?この程度のことがです。〔苦笑〕)

一度でいいのです。一度だけでいいですから、このブログにしっかり感謝して(その時だけでもかまいませんから)心からの布施をいただけませんか?

私に対してです。

今回だけでいいからです。

その後はもうどれだけ私が布施してくれといっても無視してくれて結構です。

あとは好きにしてくれればよいのですが、今回だけでいいのです。今回、一度だけでいいですから心からの布施をもらえないでしょうか。

私にです。

それだけでいいのです。今回一度だけでです。それくらいはきいてもらえませんか。長いことこのブログを読んでいるのならです。

長いことこのブログを読んでいるのなら、少しくらい救われたこともあったはずであるからです。

そうして、少しくらい知らないことを教えられたこともあったはずであるからです。

そういう少しくらいはあったはずのよいことを思い出して、今回だけ心からの布施をいただけないでしょうか?

私に対するです。

いくらでもよいからです。布施される金額はです。

一度でも如来の教えに感謝の布施をされるのなら、そこは神も、その人に対し、その分の大きな慈悲は示されると思うからです。

どうでしょう。今回一度だけでいいのです。それ以上の無理は申しません。(申すかもしれませんが、それは無視してくれて結構ですから……どうせ無視されるでしょうが。〔苦笑〕)

今回一度だけでいいのです。一度だけ心からの感謝と布施をお願い出来ないでしょうか。一度だけでもいただければ私はそれで満足だからです。(しかし、一度も布施をもらわないまま終わってしまうのはあまりにも私が不憫であるからです。〔苦笑〕また、それくらいの度量もなければ、あまりにこのブログを見ている皆様方が不憫であるからです。〔苦笑〕)

一度だけで結構です。どうかよろしくお願い致します。

(その布施は、台風がくる前にいただきたいのでよろしくお願いします。〔土曜日くらいに直撃するようなことを天気予報でいっています。だからその前にいただきたいのです。早ければ早い方がいいです。今日すぐにでもいただけませんか?いくらでも結構だからです〕今回だけで、今回だけで結構です。どうか、よろしくお願い致します)

追伸…あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」が今日から再開されるようですね。

よくあんなの再開しますよね。しかし、河村市長がどれだけいわれてもやめようとしないのですから、私たち庶民がどれだけいっても、大村知事たちの耳には入らないでしょう。

しかし、昭和天皇のご真影を燃やして踏みつけるような動画が芸術などといえるのでしょうか?(どう考えても、日本人にケンカ売ってるとしか思えないんですが……このような企画展を再開させる人たちの頭の構造が分かりません)

まあ、まったく考えの違う人たちの考えは理解しようがありませんが、そうであるならです。

天に祈って、その考えが正しのかどうかを問うてみましょう。祈り方は前に書きました。(あの祈りが長いというのなら「神よ、どうぞこのような企画展を再開することが正しいことかどうか、この企画展を再開する人たちを通して多くの人たちに知らしめたまえ」「この方々に光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」程度でもいいのです。とにかく、このような企画展を再開することがおかしいと思われる方々は、そのような祈りを愛の心で行ってください。より多くの人の正しい祈りが天に通じるからです)

祈れる人はどうぞ祈ってください。そのような正しい祈りは善行でありますので、そのような善行は災いを遠ざけるからです。

(このような災いが多い時代です。そういう時代に災いを遠ざける善行は出来るだけ行った方がよいですから)

0コメント

10月 06 2019

この教えの偉大さ

しかし、ほんと皆、怒っているだけですね。

たまには他の態度を取れませんか?今日も朝からやたら(ガンガンやって)怒っているバカがいましたし、昨日もアホみたいに怒っていた工事現場がありました。(そういえば、あそこは最近静かだったんですがどうしたんでしょう、急に……ま、まさか。〔汗〕)

この辺りは、そんな不遜な人ばかりです。これは大量死ですね。神をなめすぎです。

ほんと「少しはビビれよ」といいたいのですが、こんなことが起きているのにビビる人は皆無で、面白くないブログを書けば、大人から子供まで怒って嫌がらせしてくる連中ばかりです。

もう時は過ぎています。すさまじいことが起きなければいいのですが。罰当たりな態度が過ぎるからです。

しかし、ほんとこの辺りの人たちがもう少し謙虚で、私(のブログ)に感謝して、快く布施でもしてくれていたらと思うと返す返すも残念です。

そういう人が多ければ、これだけ悪いことは起きて来なかったでしょうし、もっと奇跡も起きていたからです。

しかし、傲慢(で狭量)な人たちばかりであったがため、癌になる人がドンドン増え、今度はコロッと逝く人まで出てきているというのに、それでもまだ傲慢な態度をやめようとしない。

もう私に逆らえば逆らうだけ悪いことが起きてくると分かり切っているのにです。

それでも自分たちの間違った態度は直そうとしない。ではもう、滅びるしかないのかもしれませんが、まあ、最後まで希望は捨てたくはありませんね。

一人でも二人でも、何とか反省してくれる人が出てくるのを願うばかりです。

他の地域の人たちも同じようなものなのでしょうか?すでに昨日書いた最後の祈りは始めているからです。(では、お気をつけて)

このまま私がこのブログを書けなくなれば(如来の教えを説けなくなれば)日本は終わりなんですが(だから、これほどのことも起きているのに)いい加減それを理解してほしいものです。

このブログを何年も前から見ている人たちはです。(そこは死んでも認めたくない人がこの辺りは多そうですが)

そんなこちらの状況もひどいんですが、香港のデモも段々ひどくなっていますね。

もうけが人だけではなく、死人まで出ているというではないですか。(表向きにはそんなこといわれていませんが)しかし、このままデモを続けて、それでこの先どうなるのでしょう。

こういうデモをどれだけ続けても、香港の人たちがいわれている自由を勝ち取ることなど出来ないと思うんですが、それどころか、このままではデモがドンドンひどくなって暴徒化し、そのうちに中国政府が軍隊を出してきて力ずくで鎮圧されるのではないでしょうか。

テレビのニュースなど観ていても、そのような悲惨な結末しか見えてこないからです。(また中国はそのような国ですし)

だから、デモなどしてはいけないのです。

デモなどいくらしてもききいれられないどころか、そのデモが激しくなればなるだけ、自分たちも危なくなるし、周りにも迷惑をかけるからです。

デモは平和的でいいといいますが、このようなデモのどこが平和的なんでしょう。まったく意味が分かりません。

イラクなどでも大規模なデモが行われているようですが、やはり多くの死傷者を出しているようです。

何でこんなことになるのでしょう。平和的なデモをしているはずなのにです。

要はやり方を間違えているのです。だから、これほどの悪い結果が現れるのです。間違ったやり方をしているからです。

じゃあ、正しいやり方とはどうやったらいいのか、どうしたら香港の人たちがいっている自由を正しく勝ち取ることが出来るのか?ということになりますが、そんな方法などないのでしょうか?

特に、あのような中国政府が相手ではです。民主政治など程遠い独裁国家であるからです。

しかし、そんな独裁国家であっても、いうことをきかすことが出来る正しい方法が一つだけありますよね。

このブログを見ている人たちならそれが分かるはずです。

もし、本気で香港の人たちが自由を正しく勝ち取りたいのであれば、この教えを正しく実践すればいいとです。(私たち以外はそれが分かりませんか。ねぇ、ウナッシーさん。〔笑〕)

残念ですね。この教えを香港の多くの人たちが知っているのなら、いうべきことを中国政府にいって、そうしてその後は、デモではなく皆で祈りをしていたはずであるからです。

そうしてそれが正しいやり方であるからです。

祈りであるなら、どれだけ多くの人が集まって祈ろうが、中国政府は取りしまりようがありません。

また、たくさんの人が集まってはいけないというのであれば、各個人で個々で祈ればいいのですから、止めようがないわけです。

しかし、多くの人たちが一斉に正しい祈りをするのであれば、その祈りはきかれます。

中国政府はその祈りに従うほかなくなるのです。

いくら独裁国家の中国とはいえ、正しい祈りをする人がたくさんいるのなら、その祈りの効果は絶大であるからです。

それはこの辺りで起きていることを知ってもらえれば分かると思います。この辺りは私一人で祈っているだけです。それでもこれほどのことが起きるのです。

では、数十万、数百万単位の人が一斉に(同じことを)祈ればどういうことが起きてくるでしょうか?(例えば、共産党の独裁政治をやめさせてほしいなどとです)

もし、そのような祈りを正しく出来るなら、下手すれば共産党独裁の中国政府を変えることも(潰すことも)可能なのです。(別に不可能じゃないでしょう。例えば、共産党の幹部連中がバタバタ亡くなっていったら、共産党独裁は出来なくなりますし、そういう過激なことが起こらなくても、内輪揉めして内部崩壊するとか、別の組織が出てきて独裁が出来なくなるとか、そういう様々なことが起こり、変わらざるを得なくなるということです。大勢の人が心を一つにして正しい祈りが出来ればです)

まあ、それは下手をしなくても可能なんですが、それを分かっている人たちが何もしようとしないのです。(このブログを見ている人たち)

それでは世の中は悪いままでしょう。正しく世の中を変えられる方法を知っている人たちが沈黙を続けているからです。(この教えを他の人々に教えないということはそういうことだからです)

それで、香港の人たちを救えだの、応援しろだのいくらいったところで、香港の人たちは救えないし、応援にもならないのです。口だけではどうにもならないからです。

香港が中国共産党の支配下に置かれれば、次は台湾で、その次は日本も危ないといわれています。

日本はアメリカがいるから大丈夫であると能天気な人たちはいうのでしょうが、自分たちでしっかり安全保障も出来ない国をどこまでアメリカが守ってくれるでしょう。

何でもそうですが他力本願ではダメなのです。それではどこかで失敗するのです。

自力本願が正しいからです。

日本は安全保障をもっと考えろといっても、では、財源はどうするのだとか(いや日本国民の命が危ないというのに財源って……)軍国主義の復活だとか、まったく的外れなことをいう人が日本は多いので、そういう人たちとどれだけ議論を重ねたところで時間の無駄でしょう。

どれだけ議論しても決まらないからです。そういうことをいう人たちがどちらも多ければです。

これが民主主義の弱点なのですが、しかし、正しい祈りはただです。

財源はいらないし軍国主義の復活にもなりません。また、このようなことを平気でいう能天気な人たちの変わるきっかけもつくれます。

正しい祈りをするならです。(そういう能天気な人たちを祈れば、その人たちに様々な現象が現れてです)

本当の神の教えは、如来の教えというものは、万能なのであり、このような様々な問題も解決する力があるのです。(だから、この教えが拡がることは心がよくなるだけではなく、安全保障の問題までも解決出来るということです。それは特別、外国勢力だけではなく天変地変も抑えることが出来るからです。この教えが拡がるなら日本国内はドンドン安全になるのです)

それこそが神の力であるからです。

これほどの事実がすでに分かっているにもかかわらず(もう分かっていますよね。こんなことはです。こんなこと何度も何度もこのブログに書いているからです)このブログを見ている人たちは、この教えの偉大さをいつまでたっても認めようとしません。

だから、悪いことばかりが起きるのです。

その大きな(大変な)間違いをコロッと逝く前に気づいてほしいものです。

(これでは災いも起こりますよねえ。〔自分にも、そうして日本にもです〕日本だけではなく世界を救える教えがここにあるというのに、このブログを見ている人たちが、その偉大な教えを無視し続けているからです。何度もいいますが、それだけ罰当たりな態度もないのです)

追伸…あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の再開はいつになるのでしょうか?

今日はもちろん無理で、八日も難しいかもしれないみたいなことが中日新聞に書かれてありました。

早くしてくれないと、いつこちらはポックリ逝くか分かりません。(なにせ、もう最後の祈りを一生懸命していますから)もし、私がポックリ逝くようなら、皆さん方が。

皆さん方が次々にポックリ逝くようなら(どうせ誰も布施などしようとはしないでしょうから)私が。

責任もって祈りましょう。

このような芸術とは名ばかりの反日プロパガンダの再開を目指している左翼連中をです。

こういう連中を一網打尽に出来るまたとないチャンスであるからです。(何かかまってこないと祈るチャンスも生まれませんから)

1コメント

10月 05 2019

次々に現れる恐ろしい現象

また出たようですね。その出たところはどこかの会社の次に出たところです。

その会社にまた出たようです。コロッと逝く人がです。(だから二度目です)

昨日のことです。私がその会社の近くまで行くと、前に出た時と同じような騒ぎ方をするので(ガンガン大騒ぎです)私が「まさか、また出たのか?」ときくと、ガンガン騒いでいたのが急にシーンとなりました。

それでまた出たと分かったのです。その連中のすることが、前に起きた時とそっくりであったからです。

それにしても急にこれだけ出ますかね。ここ十日くらいで、次々にコロッと逝く人が出だした感じであるからです。

なんぼなんでも出過ぎていませんか?この近所だけですさまじいペースです。それに最近はサイレンも増えてきたようです。(ほんと予想通りです。この辺り増えているんではないでしょうか。コロッと逝く人がです)

よいのですかね。このまま態度を変えずにいてです。はっきりいって次々に亡くなる人が出ているようだからです。(今日はどこかの会社まで異様な静けさです。ま、まさかまた……。〔汗〕)

しかし、拒めるものなんでしょうか?神の意志をです。無視できるものなんでしょうか?如来の教えをです。

それをしているから、これほどのことまで起こされているからです。

さすがにもう言葉も出てきませんが、これだけは繰り返し書いておきます。

如来の教えをきいているのにまったく感謝もせずにいてはいけないということです。まして怒りや憎しみを持つなど言語道断でしょう。

だから、このようなことも起きてくるのです。

如来の御教えをきけたのなら、心から感謝して報恩の行為くらいはされることです。

そうすれば不幸など起きて来ないからです。

(ほんと、シンプルな話なんですが……)

追伸…追討ち(おいうち)をかけるようで悪いのですが、今日から次のような祈りをすることにします。

その祈りとは「これ以上布施をもらえないのであれば、私か、または私のブログを見ていながら、一切、布施をしようとしなかった人たちのどちらかを即座に引き上げてください」というものです。

何でこんな祈りをするのか?

もうこれ以上は布施をもらえないならばやれないからです。

そう思っていたところに、このような現象が次々に現れ始めました。だから、ここで最後の祈りをするわけです。(さすが天上界は私の心をよく読んでいます。癌で死ぬのも苦しくて金〔入院などするなら〕もかかるし、と思っていたところでこの現象です。コロッと逝くなら一瞬だし金もかからないから楽でいいです。〔笑〕)

この祈りをするなら、どちらの行いが正しいのかはっきり分かるからです。

もう私も十年も頑張ったんだから、この辺りでよいだろうと思いますし、それにもう母から金を借りるのも(あくまでこちらは借りているだけなんですが)この辺りが限界です。

これ以上やっても、もう理解しない人たちはしません。ここらが(このブログを見ている人たちとの)潮時であろうと思えるからです。(もうこのような腐れ縁は結構です。〔苦笑〕)

だから、最後の祈りをしようと思うのです。

そういう祈りがきかれるなら、もう私では正法神理がこの世に拡がらないと思うのなら天上界は私を引き上げるでしょうし(私は引き上げられても全然OKですから。もういつ死んでもいいと腹を決めていますから。逆に死ぬのが楽しみなのです。やることやりましたから。〔笑〕)いつまでも布施しなかった方が悪いと思うなら、そのような人たち全員を次々に引き上げてくれるでしょうからです。(そういう人たちが皆なくなるのであれば、こちらは諦めもつきます。〔死んでしまった人たちから金は取れませんので……でもそのような人たち、全員地獄行きでしょうが〕)

逆に、そのような時が来ているからこういう現象も流行り出したのでしょう。

私からすればもはや時は(とっくに)過ぎています。今日からこの祈りを徹底的にしていきたいと思います。

いつまでも布施をしようとせず自分たちのしたいことをしている人たち覚悟めされよ。(笑)

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。