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5月 24 2020

仏法の極意

相変らずこの辺り、やたら怒っている人が多いのですが、怒っている暇があるならさっさと帰依されたらどうでしょう。

この正法神理にです。

怒っていても災いは止まりませんし、逆に怒れば怒るほど災いは現れて来ます。

その災いから逃れたいのであればこの教えに従うしかないのです。その苦しみから救われる道は、この正法神理の(善の)実践以外ないからです。

昨日もある大会社の横を通るとやたら怒っている人がいました。私がその会社の横を歩いているとガシャン、ガシャンとずいぶん大きな音を立ててきたからです。(そこはすぐにそういうことをするのです。災いが起きているとです)

しかし、その会社の人たちは私のいうことを全然きかないのです。

では、災いが止まらないからと私に怒るのはお門違いでしょう。だって、この人たちは、私のいうことを少しもきいていないからです。

私のいうことをきいていて、それでも災いが止まらないというのなら、それは私に怒るのも分かりますが(適当なことばかりいうなということでです)しかし、きいていないのに災いが起きていて、それを私のせいにして怒っていても、それは筋が違います。

だからお門違いだといっているのです。私のいうことをききもしないで、嫌がらせなど平気でしていて、そういう自分たちの間違った行いを棚に上げ、悪いことをみな私のせいにしているからです。

私は何度もいっています。神理をきいているのなら感謝して布施しないといけないとです。そうして、神理をきいているのに感謝もしないで嫌がらせなどしていたら必ず罰が当たるとです。

その通りのことが起きているだけではないですか。それなのに何で怒るのですか。私のいうことをきかない自分たちが悪いのにです。

本当になんでもかんでも私のせいにしています。この辺りの連中はです。

だからよけい悪いことが起きるのです。自分たちが悪いところは悪いとちゃんと認めないからです。

もう、そのような自分たちの悪いところを素直に認めて反省するしかないのです。そうしないと、災いはドンドンひどくなり死ぬ人も出てくるからです。

そういう人も実際いるからです。(いるはずです)

しかし、そんな天罰を食らって死んでいく人はどうなると思いますか?

昨日のウナッシーさんのコメントの叔母さんではありませんが、そのような人たちはみな地獄に堕ちるのです。そういう死に方はよい死に方ではないからです。

昨日のウナッシーさんの夢のコメントを読みましたか?ずいぶんリアルではないですか。

叔母さんが寒い寒いと身を震わせて立っていて、その叔母さんの顔を見ると真っ青で唇も紫色で、怪談映画に出ているお化けそのものであったとか。

ウナッシーさんの叔母さんは寒冷地獄に堕ちているのです。(高橋先生はそういう地獄もあるといわれていました)そういうことが実際に起きるのです。心と行いが悪いまま死んでいく人はです。

このブログを読んでいる人はずいぶん冷たい人が(愛のない人が)多いので、そのような寒冷地獄に堕ちていく人も多いのではないですか。

その心の通りの世界に死後はいくことになるからです。

あとはやたら怒っている人も多いので、逆に火炎地獄に堕ちる人もいるかもしれませんね。怒りの炎に常に包まれているのなら(怒っている人は皆そうです。怒りの炎に包まれているのです)そういう人は死後、その心の通りの火炎地獄にいくことになるからです。

まあ、どちらかの世界にいくのではないですか。特にこの辺りでこのブログを見ている多くの人たちはです。そういう極端な人が多いからです。(やたら怒っているか、やたら冷たいか)

だから、この神理を実践しないといけないといっているのです。神理を実践するなら、そういう両極端な考えは段々変わってきて中道の心になってくるからです。

中道の心にならない限り、天上界には往けないのです。

前にこのブログに書いたことがありますが、昔中国に道林禅師という禅匠がいました。

その道林禅師のもとに著名な老詩人が訪ねて来て仏法の極意は何かとたずねます。

道林禅師は次のように答えられました。

「諸々の悪をつくらず、多くの善を行い、自らその心を清くすべし、これ諸仏の教えなり」

するとその老詩人は、そんなことは三歳の童子でも知っていると、何だそれだけかと、重ねて問うたのですが、すかさず道林禅師は「たとえ三歳児でもそれを知るといえども八十の老翁でもこれを行い得ないではないか」と答えるのです。

同じことがこの辺りでも起きているのです。

仏法の極意(私のブログに書いている神理)は、それこそこの辺りは三歳の子供でも知っています。(さすがにそれは少しオーバーですが〔笑〕小学校低学年でもこの辺りの小学生は私のブログを読んでいます)

しかし、八十を超えた老人でさえこれを行い得ないのです。この辺りで私は、八十を超えた年寄りに嫌がらせをされたことなどいくらでもあるからです。

しかし、そんなことをしていては、それをしている年寄り連中はみな地獄行きなのです。

そのような行いは間違っているからです。

仏法を伝えられているにもかかわらず、少しも感謝もせず、嫌がらせをしていることが正しいはずがないからです。

仏法の(神理の)極意は「諸々の悪をつくらず、多くの善を行い、自らその心を清くする」ことなのです。

たったこれだけなのです。

しかし、そのたったこれだけのことが出来る人が、この辺りにはまったくいないとは一体どういうことなのでしょう。

分かりませんか。

だから、これだけ多くの災いが起きているのです。

この辺りの人たちは、仏法の極意を知らされているのに、それを実践できる人がいないからです。

仏法の極意を実践するなら確実に奇跡が起きてきます。それは私たちが証人なのです。

自分たちの行いを正し、多くの善を行い、心を清くされることです。そうすればその災いは起きなくなるからです。

超簡単な、仏法の極意を実践されるだけで、災いどころか奇跡が起きてくるのです。

なぜ、しないのですか?

それを実践している私たちにはそれが不思議でならないのです。

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5月 22 2020

神理に逆らう恐ろしさ

もうグダグダ怒っていても仕方ないですよ。

あちこちにそんな人がいますが(今日など朝から)神理を見ているのに嫌がらせをしたままで知らん顔をしていたら、それはどこかで天罰はくだります。

神理を見ていることに感謝して、ちゃんと布施していれば、そんな悪いことは起きないのです。

されたらどうですか。それをです。それが神理に対する正しい態度であるからです。

しかしこの辺りは、多くの人が神理を見ているにもかかわらず感謝もせず、嫌がらせをしっぱなしで、そのようなことを(態度を)少しも悪いとは思わない、そんな傲慢不遜な人たちばかりです。

それでは天罰はくだるでしょう。別にそれは今だけの話ではないからです。

過去、何百年も、何千年も、何万年も前から、そうして、そのずっと以前から同じことが起きていたからです。神理が出現した時に、そんな不遜な態度を取る人がいるのなら、そのような人たちはみな罰が当たったのです。

それが当たり前のことであるからです。本当の神の教え(神理)が出現した時は、様々な現象が必ず現れるからです。(天罰から奇跡から)

それが神理がこの世に出現しているという何よりの証拠なのです。

だから、こういうことが(次々に現象が)現れているということは、実は喜ばしいことでもあるのです。本当の神の教えがこの世に出現し続けている何よりの証拠であるからです。

だから、甘い考えは早く捨てることです。時間がたてば災いは起きなくなるだろうとか、神理に不遜な態度を取ったところで全員に天罰がくだるわけではないだろうとか思っている、そのような甘い考えはです。

神理が現れている以上、その神理に対し不遜な態度を取るのであれば、必ず天罰はくだるからです。

神理に逆らい続けている人たちには必ず天罰がくだって苦しんで死んでいき、そうして死んだその先は地獄なのです。

一つもいいことが起きないのです。神理に逆らっている人たちにはです。悪い方、悪い方へと導かれていくからです。

これは昔話でも何でもなく、いま現在、実際に起きていることなのです。もう理解してください。そういう話が(天罰がくだって地獄いき)おとぎ話でも何でもない本当の話であるということをです。このブログを読んでいる人たちはです。

だからいい加減、そのような態度を反省されてはどうでしょう。その不遜な人たちはあまりに神理の恐ろしさを知らないからです。

そう思いませんか?こういうことが起こりますか。他のことでです。しかし、神理に逆らっている人たちなど確実に天罰がくだり不幸になるのです。

これは脅しでも何でもなく本当にそうなるのです。それでも分かりませんか?この神理の恐ろしさがです。

こちらなどこれほど多くの天罰がくだって(くだり続けて)いるのにです。

それはトラックの減り具合など見ても分かりますが、それだけではなく、例えばどこかの会社など見ていても(昨日もうるさくて途中でこのブログを書くのをやめましたが…今日もこりずにやっています。ブログを書くじゃまをです。本当に哀れです)もう次々に災いが現れているようなのです。しかも凄い勢いでです。

明らかに勢いが増していますね。最近は特にそんな感じがします。もう尋常じゃない怒り方をしているのもいるからです。(自分たちが悪いくせにです。ほんと自己中です)

相変らず電話もよくかかってきますしね。しかも、その電話がかかってくるだけでパニくっているのまでいるのです。一体どういう電話なのでしょう。

仕事の電話ではないのでしょうか?しかし、仕事の電話がよくかかって来てパニくるわけがありません。

では、仕事の電話がかかって来ているではないのでしょう。きっと災いの電話が多いのでしょう。だから、電話がかかってくるだけでパニくるのまで出だしたのです。あまりに災いが起きたという電話が多いからです。(もうそこまでくると不幸の電話ですね)

次々に「癌になった」などという電話がかかってきたら、それはパニくる者も出てくるでしょう。本当に恐ろしいです。そんな電話ばかりであるならです。

そんな電話が多いのでしょう。だからパニくっている者だけではなく怒り出す者までいるのです。そういう電話が多ければ怖いだけであるからです。(これ本当にそうみたいですよ。癌という言葉を出すと、とたんに雰囲気が変わるからです。この連中のです)

昨日など、やたらうるさいのが二人もいて一時ダブルででかい音を立てていましたから。これまでは一人だけだったんですけどね。キレるのがいてもです。しかし、昨日など二人同時にキレているのです。

よほどひどいことが起きているんではないですか。この会社にです。最近はパニくり方が特にひどいからです。

はっきりいってもう相当怖いのではないでしょうか。この連中もです。

だって、電話だけでなく、次々に周りにも癌になる人が出てくるなら(トイレにいったら血尿が出たとかいってです)これだけ恐ろしい話もないからです。

そういうことが実際に起きているのではないでしょうか。この連中にはです。それこそ毎日のようにです。

これだけ神理を書くのをじゃましていては(ほぼ毎日)そのような(恐ろしい)天罰は当然起きてくるからです。

そんなバカなことをし続けているこの連中に対する神の怒りは並大抵のことではないからです。

だから、これほどのことも起きていると想像できるのですが、もっとひどいことが起きているのかもしれません。神の怒りは私の想像などはるかに超えるものであるからです。

一つ例に取り書いてみましたが、一社だけでもこれだけ怖いことが起きているのです。(まあ、私の想像ではありますが。しかし、そんなに外れていないと思いますよ。今日も朝からすでに出ているみたいですから。恐ろしい現象がです。しかも次々と)

しかし、それでも反省しないというのなら、この連中はまだまだこの先、もっともっとひどい目に遭うということです。

それだけ神理を書くのをじゃまするという行為は恐ろしく罪深い行為であるからです。これ以上の天に唾(つば)する行為もないからです。

だから、自分たちにドンドン天罰がくだるのです。神理を書くのをじゃまするという行為は、多くの人が救われるのをじゃまするということであり、多くの人が救われるのをじゃまするなら、それは多くの人に苦しみを与えているのと同じことなのであり、だから自分たちが苦しみを与えられるのです。

自分たちが多くの人を苦しめているからです。神理を書くのをじゃまするという行為を通してです。だから自分たちも苦しむのです。

因果応報です。

だから、例えばこの連中だけ取ってもです。これだけのことが起きているのなら(確実に起きています)もう相当怖いはずですが、しかし、これほどのことはしていなくてもです。

私の顔を見れば嫌がらせをしてくる連中がこの辺りにはごまんといます。

では、そういう人たちはことごとく天罰を食らうということです。遅かれ早かれです。

神理は偽の神の教えとは違います。本当の神の教えに不遜な態度を取り続けているのなら、その態度を反省しない限り、必ずどこかでその人は罰が当たるのです。

だからいっているのです。もっと恐れてはどうかとです。本当の神の教えとはそういうものであるからです。逆らっているなら、必ず天罰を食らう、助かる人などいない、それほど恐ろしいものであるからです。

実際にそうなのです。昨日も前回のブログに書いたことと同様に、先週歩いたところと同じところを回ったのですが(買い物がてら)前回のブログと同じように先週歩いた時、嫌がらせをして来たところが何ヶ所もあったのです。

しかし、昨日もそういうところにすべて何か起きているようでした。

休みのように静かであった大きな工事現場もありましたし(そこはマンションか何かつくっているところだと思いますが)先週以上にやたら怒っているところもありました。それでうるさかったのでこちらはその場で祈ったのですが、その祈っている私を凄い(不安そうな)顔で見ていたそこの現場の作業員がいました。

あの顔を見れば分かります。その現場に何が起きたかはです。

だから、確実に現れるのです。神理をきいているのに感謝もせず、嫌がらせなどしていれば、そこに天罰がです。

悪いことをすれば絶対に天罰がくだる、そんな教えなど他にありますか?これほど恐ろしいものはないのではないですか。

この教えにかかわるなら嫌でも悪いことは出来なくなるからです。(しかし、正しく実践するならドンドン奇跡も起きて来ますが)

だから私はいっているのです。このブログを興味本位で見ていてはいけないとです。

見るなら本気で読んでもらわなければいけないし(どこかで実践するという心で)そういう気がないなら、それはまだこのブログを読むのは早いのですから、そういう人はこのブログを見ていてはいけないと、そういっているのです。

見るべきでない人が見てしまうと、こちらのような不幸がたくさん起きてくるからです。

そういうものなのです。本当の神の教えとはです。読むなら従うしかないのです。そうしないと天罰がくだるからです。

だから私は何度もいっているのです。感謝する気がない人はこのブログを見ていてはいけないとです。本当に不幸になるからです。実際そういう人たちがこちらでは次々に出て来ているからです。

だから、今からでも遅くはありません。もう読むのをやめてください、そういう人たちはです。(全然感謝する気がない人たちは)

そうしないと、必ず不幸が現れるからです。このブログ(神理)はです。いつまでも感謝一つできないのであればです。(何度もいいますが、感謝するとは感謝の心と報恩の行為です)

それだけ恐ろしい教えであるということです。この正法神理はです。

正しく行えば必ず奇跡が、正しく行わないなら(逆らうなら)必ず災いが現れるからです。

そういうことが次々に起きています。(いま現在も起き続けています。どこかの会社が急に静かになりました。また何か起きたようです)

このブログを読んでいる人はよほどの覚悟で読んでください。そうしないと(生半可な)心で読んでいる人は、残念ではありますが、必ず不幸になるからです。

しかし、本気でこの神理を実践するならです。必ず奇跡は起き幸せになれるからです。

追伸…あいちトリエンナーレで負担金の一部を名古屋市が支払わない件で、県などがつくる芸術祭実行委員会(会長は愛知県の大村知事)が名古屋市を提訴したそうですね。

名古屋の河村市長は、大村知事の独裁だから法廷で徹底的に戦うといわれているようですが、それはそうでしょう。

あのあいちトリエンナーレの負担金など出せるわけがないですよ。あんな(超問題になった)偏った企画展(表現の不自由展・その後)に名古屋市が負担金などです。

公的行事にあんな(左翼に)偏った企画展などする方がおかしいのだし、そういう(正しい)判断すら出来ない芸術祭実行委員会であるならです。そんな負担金は自分たちで出すべきでしょう。

それくらいの(中立性をかくという)正しい判断も出来ない自分たちが悪いからです。(だから大村知事がポケットマネーで出せばいいではないですか。責任者としてです。大村知事大丈夫ですか?あんな企画展はおかしいと思わなかったんですか?だとしたら、相当やばいです)

まあ、どちらにしてもあまり揉めても格好が悪いです。(他の都道府県にです)その負担金は大村知事が責任を取ってポケットマネーで払うということで矛をおさめましょう。

こちらも(愛知県民も)それで納得しておきますから。あんなみっともない企画展を企画して全国に恥をさらしたことはです。

そこはこらえておきます。知事が間違った判断をしましたが、今回は反省したということでです。(苦笑)

しかし、どうしてもその反省が出来ずに提訴を続けるというならです。

次回の愛知県の知事選は、悪に(左翼に)味方する大村知事に対し正義の味方の河村市長が立ちふさがるということになるでしょう。

この問題はこれだけでは終わらないと思うからです。

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5月 20 2020

次々に現れる神の業

また布施をいただきました。(この前と同じ方からですが)

しかし、何かブログを書くたびに布施をもらえるのもいいですね。「そのブログで救われました」といわれているようであってです。(実際、そのようなメールをいただきましたし。〔笑〕)

他の皆さんも見習われたらどうでしょう。そうすれば本当に救われる人もいるからです。

というか、しないといけないでしょう。いま現在、連続で災いが起きている人たちなどはです。

そういう天罰ばかりを食らっている人たちがたくさんいます。そういうところは(くどいくらい、いいますが)この方のように感謝して布施すれば、その起きている災いは止まります。

ずいぶん深刻そうですが(特にどこかの会社などです。今日も今日とて朝からです)されたらどうですか。そのような神理に対する正しい態度をです。

天罰を食らってひどい病気に(癌などの)なるよりはよほどよいからです。

まあ、お前に布施するくらいなら癌になった方がマシという人もいるでしょう。(そういう人ばかりだったりして。この辺りは。〔苦笑〕)だったら好きにすればよいのですが、天罰を食らうよりは布施した方がいいと思いますよ。

天罰などマジで食らうなら、後々、どれだけ後悔するか知れないからです。後悔先に立たずであるからです。

それはそうと昨日などやたらあちこちで怒っていましたが、何でですかね?

天罰ばかり食らっている人が増えているからでしょうか?それとも昨日のブログを見て怒っていたのでしょうか?

どちらにせよ、天罰がくだっている人が増えていることだけは確かでしょう。昨日はまたそのような人たちをよく確認できたからです。

というのも、その怒っている人たちの中に先週もやたら怒っていた人たちがいたのです。六番町辺りの工事現場の連中ですが、そこは先週通った時に、それこそやたら怒っている連中ばかりでした。(ほんとこういう連中は罰当たりです。みな私のブログを見ているのに、私が「なんで神理をきいているのに感謝もせず、嫌がらせをしてくるんだ」と突っ込むと、よけい怒って嫌がらせをしてくるからです)

そういうところが四~五ケ所あったんですが、昨日歩いていくと一ヶ所をのぞいて後は皆、休みのように静かでした。

「今日は休みか」などといいながら歩いていきましたが、そういう静かなところは確実に何か起きたことが分かりますし、もう一ヶ所のところもです。やはり天罰はくだったようです。

ずいぶん怒ってはいましたが、腰を引きながら(単に勢いだけで)怒っているだけだったからです。

だから何か起きたとすぐに分かりました。何か起きたら怒り方にも違いが出るからです。やたら感情的になったり、怒っているようで実はずいぶん腰を引いていたりしてです。

絶対に同じ態度は取れないのです。天罰がくだればです。

だから嘘はつけないということです。口ではつけても態度ではです。

ですから、そういう連中に「ちゃんといった通りのことが起きたのだから(先週いっておいたのです。嫌がらせをして来たすべてのところに「必ず天罰がくだるから、天罰がくだったら感謝して布施してくれ」とです)感謝して布施してくれよ。それをしないともっと天罰がくだるからな」といったのですが、そういうとよけい怒るところと(図星をつかれて)無視しているところばかりでした。

しかし、昨日はそうでしたが、一日たった今日なら考えが変わる人もいるかもしれません。(また天罰がくだってです)もし、考えを変えた人がいるのなら、私のいうことをきいてください。

天罰はいくらでも現れてくるからです。反省しない限りはです。

しかし、私のいうことをきくなら(この神理に従うなら)災いは止まり、奇跡が起き出すからです。

すべて自分たちの(心と)行い次第なのです。

考えを変えてはどうでしょう。特にこの辺りは次々に天罰がくだっているようであるからです。神理にまともに逆らっている人たちにです。

そういえば昨日また不思議なことがありました。

昨日のブログで、庄内川の川岸でしばらく川を見ていたら細かい魚たちがたくさん上がって来たと書いたのですが、昨日は堀川にいったのです。

その堀川にいく途中に中川運河の橋を渡っていると下の運河がザワザワしています。

また魚たちが上がって来たのかなと思い「お前らいるのか」と声をかけて橋の上から下を見ていると、確かに魚たちは上がって来ていましたが、いつもと違い(いつもこの運河で水面まで上がってくる魚たちは、だいたい十~二十センチくらいの魚たちが集団で上がって来ているのですが)細かい魚たちがたくさん水面まで上がって来ているのです。

「あれ?中川運河でこんなに細かい魚たちが上がってくるなんて珍しいな」と思い(はじめてでしたね。中川運河で細かい魚たちがあれだけ上がって来たのはです。あちこちから集団で上がって来ていましたから)「何か今日書いたブログを魚たちが読んでいるかのようだな」とも思ったのですが、たまたま今回は細かい魚たちが上がって来たのかも知れないなとも思って「お前ら早く大きくなれよ」とその魚たちに声をかけて堀川の方まで歩いていきました。

そうして堀川について堀川を見てみると、なんとです。

不思議なことに、ここでも細かい魚たちがいるわ、いるわ、もうそこらじゅうにわんさかいます。(中川運河のレベルではありませんでした。〔笑〕)

もう川岸近くに凄い数の細かい魚たちがうようよいるのです。しかも、その細かい魚たちが川岸を歩いていくとずっといるのですから驚きました。

私の足元近くに泳いできてピチャピチャやっているのもたくさんいますし、本当に凄い数です。すさまじい数の細かい魚たちがそこらじゅうで泳いでいるのです。(数でいうならもの凄い数になると思いますよ。細かい分です。万単位ではきかないでしょう。億、兆単位かな。大げさではなくです。すごく長い距離いましたから。細かい魚たちがです)

あの光景を見てピンときました。完全にこの魚たちは今日書いたブログを知っているなとです。

だから上がって来ていたのです。いつもは上がって来ない中川運河にも、また堀川は上がっては来ていますが、いつもの数などより段違いに多い、細かい魚たちがです。

昨日私が「庄内川に細かい魚たちがたくさん浮かんで来て…」などとブログに書いたからです。だから、それを知り細かい魚たちがたくさん浮かんできたのです。

私が今日そこに行くと(通ると)魚たちは神から知らされていたからです。

だから、ブログに書いたことと(庄内川と)同じことが起きたのです。中川運河にも、堀川にもです。

その内容を魚たちは知っていたからです。

このようなことは前にも起きました。まるでこのブログの内容を知っているかのようなことを、ツバメやすずめたちがずいぶん前にもしたことがあります。(それは前のブログを見れば書いてあります)

今回もそれと同じことが起きただけでしょう。すべてこのようなことは、天の配剤による神の業だからです。

このような不思議な奇跡も、そうして次々にくだる天罰もすべてそうです。すべて神の業であり、神理を実践しているのなら起きてくることであるのです。

この神理に従いませんか?そうすればこのように周りに数多くの神の業が現れてくるからです。そうして、その神の業によって幸せな道へと導かれていくからです。

もう(今回の魚たち同様)すさまじい数の神の業が次々に現れて来ています。

何度もいいますが、この神理に帰依しませんか?そうすれば確実に(神により)幸福の道へと導かれていくからです。

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5月 19 2020

神理に対する正しい態度

今日も朝からどこかの会社などどえらいお怒りのようですが、そのままでは全員癌です。

もう嫌がらせなどやめて感謝して布施したらどうでしょう。それ以外で災いを止める手立てはないからです。

だから、その災いを止めたいのであればです。それをすることです。神理に対する態度を改めることです。それ以外で災いを止める方法はないからです。(それは他の人たちも同じですが)

昨日は買い物にいきがてら庄内川にもいったのですが、昨日は庄内川近辺にいつもたくさんいるはずの子供らがいなかったですね。(庄内川にはいましたが)そのかわりオバちゃんたちが何人も出て来ていました。

何ででしょうね?子供のかわりにオバちゃんたちが多いなどこれまでなかったのにです。最近は学校が休みのため、あの辺りはずいぶん子供たちが多かったのにです。

たまたまでしょうか?しかし、そのオバちゃんたちが何か文句ありげに私が歩いているとちょっかいをかけて来ていました。まさか、その子供らの親か誰かだったんでしょうか?

あのオバちゃんたちはです。

私が何でこんなことを書くかといいますと、ずいぶん、その子供らも(どこかの会社同様)私にちょっかいをかけていたからです。(本当に態度がなっていません。神理を説いている者に対するです)

だから「お前ら罰が当たっても知らないぞ」と何回も注意していたのです。庄内川にいく時など私が近くを歩いていくと、必ず何かちょっかいをかけてくる子供がいたからです。

「こいつらそのうち罰が当たるぞ」と前から思っていたのです。もうずいぶん前から、学校が休みであるため多くの子供らから私は細かい嫌がらせを受けていたからです。

それは特別この辺りだけではなくそこらじゅうでです。今は歩いているともうそこらじゅうに子供がいるからです。(ほんと自粛もへったくれもありません)

だから、もし子供に何か起きたのなら(例えば、そのような子供が病気になどなったのなら)それは、その子供が私に嫌がらせをして来たから罰が当たったのだと思いますので(子供は何もしていない、などというかもしれませんが。それは「嘘」ですから)そういう場合は、辞を低くして「子供が何か悪いことをしたようで、それは本当にすいませんでした。いつもブログを読んでいろいろ参考にさせてもらっています。そうして心も救われています。本当にいつもありがとうございます。これ少ないのですが」と謙虚な態度で私に布施など持ってきてもらえれば(笑)その子供の病気は奇跡的に治ります。

もし、そういう子供がいるのなら、親は、そのような態度を私に取った方がいいでしょう。(子供と同じ)嫌がらせなどするのではなくです。

その方がよほどよいことが起きてくるからです。そういう態度が神理を説いている者に対する正しい態度であるからです。

だから、そうされてはどうでしょう。そうすれば、そのような禍(わざわい)転じて福となすということにもなるからです。

そこから神理に対する正しい態度を取るなら、そこから奇跡が起き出すからです。それに元々悪いのはそちらのお子さんであるからです。

しかし、いつまでも子供同様、悪いことをすべて私のせいにして逆恨みして私の顔を見れば嫌がらせなどしていると、その天罰がきっかけとなり、そこからもっと多くの不幸が現れてきます。

そのように導かれていくからです。神理をききながら、感謝もせずに嫌がらせなどしているとです。

そういう人がこの辺りにはもうごまんといるのですから、いい加減、人の親ならです。その子供のためにも自分が正しい態度を取るべきでしょう。

それが子供たちのためにも、自分たちのためにも、そうして日本のためにもなるからです。

ソロソロ神理に対し正しい態度を取る人が出てきませんか。この辺りからもです。そうしないと今のままでは(大間違いな態度を取る人ばかりでは)まだこれからどれだけ多くの天罰がくだるか知れないからです。

それこそこの辺りの大人から子供までです。

今回のことでもそれは分かると思いますが、天上界は大人も子供もないからです。子供だからと大目に見てくれることはないのです。天上界は心しか観ないからです。

だから、子供でも神理に対する態度が悪ければ天罰はくだるのです。この辺りは、大人以上に子供が神理に対する態度が悪いからです。自分たちもこのブログを読んでいるくせにまったく感謝しないからです。

子供は正しいことがよく分かっていません。だから、大人が子供に対する模範を示さないといけないのです。

神理を説いている者に対する正しい態度のです。

神理を説いている者に対する態度はより正しくしないといけないからです。(普通の人以上にです)そうしないと、その態度を間違えたばかりに滅ぼされた人など過去いくらでもいるからです。

だから、現在も同じことが起きているのです。神理を説いている者に対する態度があまりに悪すぎるからです。特にこの辺りは多くの人がです。

いつになれば、そうして、どれだけ天罰がくだればそれが分かるのですか?こちらの人たちなどです。

自分たちが態度を間違えなければ、これだけの災いはこちらには起きていないのにです。

それどころか、こちらの人たちは多くの人がこのブログを(神理を)見ています。

では、その神理を正しく実践するなら、どれだけ多くの奇跡が現れるか知れないのにです。

本当にもったいない話なのですが(ただ、神理に従うか、逆らうか、それだけで起きてくることが全然違うのにです)昨日でも私が庄内川にいって、川岸でしばらく休んでいると、目の前に細かい魚たちがたくさん浮かんで来てピチャピチャやっていました。

少し離れたところでガボガボ音がして来たので、そちらを見てみると、大きな魚が尻尾だけ水面から出してバシャバシャ暴れていました。(多分あれは鯉の尾だと思いますが)

その魚たちに「お前ら元気だな」と声をかけると、より一層、元気に泳ぎ(暴れ)回っています。そうしてもちろん鳥たちも私の近くによく飛んで来て騒いでいました。(すずめやツバメ、ムクドリたちがです)

本当にかわいいものですが、このように神理を実践していると、鳥や魚など他の動物などからもどれだけ愛をもらえるか知れません。そうして、もちろん神からも、どれだけ多くの愛(奇跡)をいただけるか知れないのです。

正しい態度を取りませんか。この正法神理に対してです。そうすれば多くの人が幸せになれるからです。

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5月 18 2020

世界的問題である災いの鎮め方

相変らずアフリカなどはバッタの大量発生が続いているようですね。

そのバッタのせいでアフリカ東部など深刻な食糧被害が出ているようですが(どちらにしても食糧問題はどこの国もこれから深刻になると思いますけどね。今回の新型肺炎で。〔今日の中日新聞にもそのことは書いてありましたが〕だから日本も食糧自給率の問題を、これからはもっともっと真剣に考えないといけないのですが…)こういう恐ろしい災いもです。

神理が広がり、アフリカの人々が正しい祈りをするならおさまっていくんですけどね。神理にはそのような様々な災いを鎮める力があるからです。

しかし、文無しの私がアフリカに神理を伝えにいくわけにもいきません。(だいたい言葉も分からないし)

ちゃんとアフリカにはアフリカに正法神理を伝える使命を持った人が生まれています。そういう人が使命を果たさないから、こういうことも起きているのです。

もちろん日本も同様だし、今回の新型肺炎の世界的被害もそうでしょう。このような災いも神理が世界に広がるなら鎮まっていくのです。

しかし、それをまったく理解しようとしないですからね。このブログを見ている多くの人たちはです。

それどころか、そのような神理に対する無理解のせいで、自分たちに起きている天罰まで私のせいにして怒っているくらいです。(ハァ~)

お前のせいなどという個人的問題ではなくなっているんですけどね。もうとっくにです。(今日も朝からアホみたいに怒っているオッちゃんがいましたが)それにしても先は長そうです。こういう人たちに神理を理解させるまでの道のりはです。

自分たちにも、日本にも、そうして世界にも、これだけの災いが起きているのです。いい加減、正しく理解しませんか。この正法神理をです。

そうすれば奇跡が現れ災いはおさまってくるからです。私たちには次々に現れているからです。様々な奇跡がです。

だから(前回も書きましたが)自分だけではなく、多くの人々の人生や運命に大きな影響を与えるこの正法神理に対して、いつまでも無視や嫌がらせなどしているからいけないのです。

だからこれほど悪いことが次々に起きるのです。それはこの辺りだけではなく、日本だけではなく、世界に至るまでです。

本当の神の教えであるこの正法神理は世界を救うからです。

このブログを見ている人たちが、まずそれを理解しないと、見ていない人が理解するわけがありません。(そりゃそうです)だから、その神理に対する理解をまったくする気がなく、無視したり逆らったりしているからいけないと、私はくどいくらいいっているのです。

事実そうであるからです。

実際、そういう人たちは段々悪い方向へいっているでしょう。この辺りなど特にそれが顕著なのです。神理に対する行いが悪い(悪すぎる)からです。

神理を見ていながら嫌がらせする人しかいないんですから、奇跡が現れてくるわけがない。だから災いしか起きないのです。この辺りはです。

それなのに、本当にこの辺りの人たちは度胸があるといいましょうか、鈍いといいましょうか。次々に災いが起きているのにまったく態度を変えず平気でいるのですから、その神経が分かりません。

正味な話、怖くはないのでしょうか?

そんな態度のままなら、今日もこれから誰かが癌になるというのにです。(ほんと世にも奇妙な物語みたいですが、そういうことが現実に起きています。特にどこかの会社などよく怖くないですね。今日も今日とてすでにガンガン電話がかかって来ているのにです。そうしてそれでずいぶんお怒りの人もいるのにです)

とりあえず、神理に対する理解を深めて感謝して布施する人が出てくるなら、そういうことも起きて来なくなると思いますが、こちらの人たちはそういう不幸がどれだけ起きても平気のようです。

本当に神経が分かりません。そんな恐ろしいことが次々に起きているんだから、真剣に神理に帰依し素直に頭を下げればいいものをと、私などは思いますが、そう思うのはどうもこの辺りでは私一人のようです。

まあ、どれだけ罰が当たっても平気でいるのはこの辺りの人たちだけではありません。このブログを見ているほとんどの人がそうなのですから、それでは、このブログを読んでいて布施する人の方が(ウナッシーさんやこの前布施してくれた人など)おかしいということになります。

これでは災いは起きるでしょうね。普通にです。(ほんと普通に災いが起きていますから。この辺りなどです)大方の人が神に対する態度を、そうして神理に対する態度を間違えているからです。

しかも大きくです。

だから、ウナッシーさんやこの前、布施された方のような人たちを増やしていくしか、この災いを鎮める方法はないのですが(この方たちが正しいからです)その道はずいぶん遠そうです。

いつまでたっても神理に無理解な人がほとんどであるからです。

しかし、このブログを見ている多くの人たちが、今のままの(不遜な)態度をまだこれからも続けるというのなら、もっと災いは増えていきます。

神理に逆らっているということは神に逆らっているということであり、神に逆らうなら、当然災いは起きるからです。

これだけ神理に逆らう人が多ければ、それは災いも増えるでしょう。昔からそんなことは起きていたことだからです。特別今だけ起きていることでもないからです。

昔から神理に逆らい滅ぼされた人はたくさんいます。だから、そのよう人がいま現在も出続けているわけです。

神理に逆らう人が(昔以上に)多いからです。私がそういう例を何度も書いているのに、いつまでたっても多くの人が反省しようとしないからです。

しかし、どうしたらいいんでしょうね。これほどの災いが起きているにもかかわらず、そして滅ぼされている人が次々に出ているにもかかわらず、そうしてそういう態度では、災いが過去何度も起きているということを教えているにもかかわらず、それでも神理に帰依しようとしない人たちなどです。

もうどうしようもないですね。このような人たちは大方の人が滅ぼされない限り、その災いの恐ろしさが理解出来ないというのですから。無神論などという間違った思想にいつまでも洗脳され、神の恐ろしさに気づかないというのですから。

そのような人たちはどうしようもありません。ではもう祈るしかないでしょうね。

後はもう祈って神に委(ゆだ)ねるしかありません。どれだけひどいことが起きても、やる気を出さない人たちにやる気を出させることなど出来ないからです。

しかし、すでに人々を滅ぼす災いは世界的に起きて来ています。何度も書きますが、その世界に起きている災いを鎮めることが出来る本当の神の教えは、この正法神理以外ないのです。

このブログを見ている人たちは、そのことをゆめゆめお忘れなく。

(そんな世界を救うなどという発想はこれっぽっちもありませんか。このブログを見ている多くの人たちにはです。〔苦笑〕自分さえ〔自分の中の世界さえ〕よければそれでいいのでしょうか?このブログを見ているほとんどの人はです。しかし、どれだけ神理を見ていてもです。いつまでたってもそんな狭い発想しか出てこなければ、それは個々に天罰を食らうはずです。そんな小さな考えは大間違いであるからです。もっと広い考えを持たない限り〔私がいう神まで認めない限り〕災いは止まらないからです)

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