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1月 20 2019

金の使い方

おかしいですね。

古いパソコンの調子が悪くなったので、壊れている新しいパソコンをもう一度だしてきて、つけてみたら壊れているはずのパソコンが直っていました。(だから、このブログは久しぶりに新しいパソコンで書いています)

何で直ったんでしょう?これも神の奇跡でしょうか。(笑)

冗談はともかく、しばらく使わなかったので一時もどっているだけのことなのかよく分かりませんが、どちらにしてもいつ壊れるかとヒヤヒヤですね。

この状況でパソコンが全部こわれてしまい、ブログが書けなくなったらと思うとゾッとするからです。

ただでさえ、すさまじく恐ろしいことが次々に起きだしているのです。これで本当の神の教えが伝えられなくなったら、神の怒りはどれだけひどいものとなるか分かりません。

去年しばらく(このブログを)書かなかっただけで、一変に車が減ってしまったのです。

では、パソコンが壊れてしまい全然ブログが(本当の神の教えが)書けなくなったら、一体、何が起きてくるのでしょうか?

考えただけで恐ろしいのですが、しかし、そうなったら去年以上の悪いことが起きてくるのは確実でしょう。

そのブログが書けなくなった理由が、このブログを読んでいる人たちが(一部の人をのぞき)全然、布施をしてくれなかったからであるからです。(汗)

それで、これほどのことが起きていると分かっても、まだ、気は変わりませんか?自分たちが悪かったと反省して、快く布施してくれる気にはならないのでしょうか?

このブログを見ている人たちはです。

神がどうとか、そんなことはどこ吹く風なんでしょうか?(この状況でですか…。〔汗〕)

そのような不遜な態度はもう危ないだけだと思いますが(というか、超危ないと思いますが…)しかし、神を恐れず、認めようとしない人たちは死んでもそれを認めないでしょう。(この状況でも、この辺りの人たちはそうですから)

そういう人たちが何とか死ぬ前に気が変わってくれることを祈るばかりです。死んでからでは布施など出来ないからです。

その布施くらいの報恩の行為をしないと、このブログを見ている人たちは(本当の神の教えを伝えられている人たちは)死ねば確実に地獄行きであるからです。(いい加減、信じてもらえませんか?私のいうことをです。本当のことなんですから)

しかし、ここに書いていることには従った方がいいと思いますよ。実際、従っているウナッシーさんには奇跡ばかりが起きているからです。

またウナッシーさんから奇跡的なコメントが届きましたね。(笑)

なんですか、ウナッシーさんは目が悪くて感覚的な作業しか出来ないにもかかわらず、仕上がってくるものが完璧になって、作業時間まで短くなってきているというではありませんか。

ありえませんね。まさに神技です。神が手伝っているとしか思えません。

だって、普通であるならです。ウナッシーさんは段々、目が悪くなっているのですから、作業時間も長くなって、仕上がりも悪くなっていかないといけません。

それなのに、その反対のことが起きているというのですから、これは奇跡といっても過言ではないでしょう。

目のいい人が仕事に慣れて、それで作業が速く完璧になったというのではないのです。(それなら話も分かりますが)目が悪くなっていっている人の作業が速くなって完璧になっているというのですから、これはもう奇跡としかいいようがないわけです。

この教えを実践しているウナッシーさんは、こういうこと以外でも、祈ると人の病気が治ったり、自分の病気の治りが早かったり、トラックにはねられそうになったのが寸前で助かったり、自己中な性格の上司の性格が変わったりと、その他、様々な奇跡が現れて救われているのであり、普通の人ならです。

このようなことが、一度や二度起きればよいようなことが、次々に起きているのです。

このブログを見ている他の人たちに、このようなことが起きますか?それも次から次にです。

起きないでしょう。せいぜい、仕事が忙しい人たちがよく金が儲かったとかいって、喜んでいるのが関の山なのではないでしょうか。

しかし、残念ではありますが、金儲けをどれだけしても奇跡は現れてこないのであり、金儲けと心の成長は別であるということを知らないといけないのです。(残念ではありますが、金をどれだけ儲けても、死後、天上界に行けるわけではありません)

金儲けはすればいいのですが、要はその金をどう使うのか、その金の使い方次第で、自分の心の成長具合も変わってくるということです。

自分のために使うのか、人のために使うのか、それとも神のために使うのかで、自分自身の心の成長はまったく違うのです。

もちろん、神のために使うのが一番よいのです。(それは私がよい証明です。金など自分に必要な分以外はほとんど神のために使っているのです。そのお蔭で奇跡ばかりが起きています)

その次は人のためであり、自分のためだけにしか金を使わない人はほとんど心など成長しないのです。(だから、そのような人は自己中な人が多いのです。自分のことしか考えていないから、当然そうなります)

だから、このブログを見ている人は少しくらいの布施はするべきであるといっているのです。このブログを書いている私に布施するくらい、神のために金を使うことはないからです。(では、心もよく成長します)

それが嘘ではないということはウナッシーさんが証明しています。(奇跡ばかり起きているです。ウナッシーさんは毎月布施してくれています)そうして、逆もまた真なりで、この辺りの人たちもそれを証明しているのです。(残念ではありますが、私に逆らっているこの辺りの人たちは、天罰ばかりが当たっていてです)

最近、私はこの辺りで辻説法をする時に「気違い軍団の皆さん、滅びても元気で」というフレーズをよく使っています。

少々きつい言い方になりますが、この辺りの人たちは、その「気違い」という表現が一番はまっているからです。

そうではないでしょうか。だって、この辺りの人たちは、悪いことを皆、私一人のせいにしているのです。

自分が病気になってもそうだし、私が顔を見たこともない、話したこともない、縁もゆかりも恨みもない、そういう人たちが病気になっても、それもすべて私のせいにして怒っているのです。

何で、私が、そんな人を次々に病気にしないとけないのでしょう。そんなバカげたことを(次々に奇跡が起きている)私がするわけがないのですが(起きている奇跡が、そんなことをしていないという何よりの証拠です)こういうことを本気で信じているのですから、これはもう気が狂っているとしか思えません。(完全に頭がおかしいです)

それに加えて、そのような人たちは私のブログを見ている人たちばかりであり、では、私に知らないことを教えられたり(神や心のことで)心が救われたりしたことが何度もあるはずなのに(人によっては何十度も何百度もです。ずいぶん前からこのブログを書いていますから)しかし、そういう自分が救われたことにはまったく感謝せず、それを恩などとは思いません。

また、そういうところを注意されても全然、反省しません。(居直って怒るくらいが関の山です)

こういう態度も気が狂っている人たちと非常によく似ているのです。

精神異常者など、絶対に自分が悪いとは認めないし(それこそ精神異常者の人たちなど人を殺しても自分が悪いとは思わないですから)よいことをされても感謝しないし、恩など感じないし、反省することもありません。

こちらの人たちは、何から何まで精神異常者の人たちとやることが似ているのです。だから私は、気違い軍団といっているのです。

そういう精神異常者の人たちとやっていることがそっくりなのですから、まさにピッタリのネーミングであるからです。(苦笑)

この辺りは、こういう人たちばかりなのです。では、私がいっている正しい意見など理解出来るわけがないのです。

気違いみたいな人たちの中にいれば、自分も気違いのようになるのが当たり前であるからです。

周りが気違いみたいな人ばかりの中にまともな者が一人だけいるのなら、そのまともな者は逆におかしいと思われるからです。

だから、私一人がおかしなことをいっているように思う人もこの辺りにはたくさんいるのでしょうが、とんでもありません。

自分たちがおかしいのです。精神異常者の人たちと同じ考えでいるからです。それに気づいていないだけなのです。

しかし、精神異常者と同じ考えでいるのなら不幸にしかならないのであり(そういう人たちはみな不幸ですからね。心に安らぎなどないでしょうし、それなりの病院に入院させられたりしてです)だから、悪いことばかりが起きるのです。

自分たちの考え方が大きく違っているからです。

だから、不幸なのであって、別に不幸なのは(病気ばかりなるのは)私のせいではなく、自分たちの考え方がおかしいからそうなるのであり、その考えがまともに戻るのなら幸福になれるのです。

結局、自分のことしか考えていないと、このようになりがちであり、だから私は、自分のためだけに金など使っていてはいけないといっているのです。

自己中にしかならないからです。

自己中の人は結局、不幸なのです。ただ、それに気づいていないだけなのです。

なぜ、それに気づかないのか?

それは先ほども書きましたが、周りの人たちもそのような人が多いからです。そういう(自己中な)考えの人ばかりの中にいれば、自分が自己中であるとは気づかないからです。

しかし、もっと視野を広げるなら、本当の幸せに気づくことになります。

その本当の幸せに気づかないと、大きな不幸がくる時代となっているということに早く気づいてください。

それに気づいていない人があまりに多いから、これだけ不幸なことが起きているからです。

追伸…渋谷区の原宿の竹下通りで昨日(一昨日でしたっけ?)爆発があったようですね。(その爆発でクレープ店が火事になったとか)

人通りの多いあの辺りは騒然となってパニくる人もいたとか。

その原宿の竹下通りは、あの元旦の暴走事件もあったところですよね。(九人をはねて重軽傷を負わせたです)そうして、数日前に起きた、五人はねて運転手と助手席の人もけがをした歩道暴走事故もやはり渋谷区です。(たしかJRの新宿駅の近くだったと思いますが)

最近の渋谷は悪いことばかり起きていますが、これも私がいった通りです。

渋谷はLGBTの支援を一番はじめにはじめたところです。(同性のパートナーシップ証明書かなんか出してです)

こういうことをしていると悪いことが起きると私がいった通り、その支援が一番進んでいる自治体の渋谷区には悪いことばかりが起きています。(あのハロウィン騒動もそうですが)

早くそのような間違った支援はやめるべきでしょう。そのような渋谷区の運動が、他の自治体にも広がっていっているからです。

これから神の心に逆らっているところには(もちろん人もですが)ドンドン悪いことが起きてきます。

もう責任転嫁などしている場合ではなく、自分自身で自分の心をしっかり正さないといけないのです。

そうしないといつ悪いことが起きるか知れないからです。

この教え(正法神理)を学んだらどうでしょう。それが一番、自分の心を正すことになるからです。

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1月 18 2019

救いと破壊をもたらす者

さすがに皆さん引きましたね。

怒ってブシュとやってくる運転手などほんの一部です。(歩いている人もそんな感じです。怒っている人は怒っていますが)

前回書いたブログが図星だったのでしょう。だからトラックの運転手まで引いてしまったのです。

だとしたら、もう相当危ないと思うんですが(こういう凄まじい状況で怖くはないのでしょうか?特にこの辺りの皆さんなどはです)「滅びても元気で」などといっていたら、本当に滅びていたというのですから驚きますね。

昨日でも夕方だというのにどこも道路はガラガラでした。

段々、車が減っていくように感じますが、これ本当に減っていっている車の運転手の多くが亡くなっているようなら、この先、名古屋は滅びるんじゃないですか。

だって、車の減り方が尋常じゃないからです。

どうするんですか?この辺りの人たち、本当にこのままこの起きている現象を私のせいにし続けるつもりですか?

自分たちはただ怒っているだけでです。

モタモタしていると、本当に死ぬことになるかもしれませんが、それでもよろしいんで?

だって、これほどの現象が現れているのです。減っていく車の運転手が次々に亡くなっているときいたって、それほど驚きませんよね。

すでに、起きている現象が凄まじいからです。

本当に救われる、本当の神の教えを無視していて、本当によいのですか?この状況下でです。

まだ、私のことが信用できませんか?お前のいうことなどきけるか、ですか?

しかし、それをしている人たちが次々にいなくなっているのです。

だいたい私が、そんなに多くの人を病気になどしていたら自分も病気になるでしょうが。(因果応報)

そんなことをするはずがないでしょう。鳥や魚が次々に寄ってくる愛ある奇跡が毎日のように起きている私がです。

逆なのです。私は多くの人々を救っているのです。(この教えを拡めることによりです)それだけ多くの人に愛を与えているから(人を救うということは、それだけ人に愛を与えるということですから)愛ある現象が起きてくるのであり、それをこの辺りの人たちは誤解しているのです。

あることないこといわれている様々な噂を真に受けてです。

それと、これだけ愛を与えている者に感謝もせずに嫌がらせなどすれば、それは罰も当たります。

そのような自分たちの諸々の行いの間違いが、私を勝手に大悪人にしている誤解の要因であるのです。

確かに私は救いだけではなく、破壊ももたらす者でしょう。

しかし、それはある面、仕方のないことなのです。古い間違ったものを破壊しなければ本当の救いはえられることがないからです。

特に日本は「唯物無神論」という数十年も前から(もっと前でしょうか)信じられている岩盤のような間違った思想があり(岩盤規制ではありませんが)その岩盤思想をなんとしてでも打ち砕かなければ、本当の(神の)救いはえられないのです。

だから、様々な現象を現さざるをえない状況であったのであり、様々な現象が現れたから、唯物無神論はおかしいということを多くの人たちが分かってきたのであり、もし、それを日本の多くの人たちがいつまでたっても分からなければ、今頃はもう日本は滅びていたのです。

それを多くの人は信じませんが、しかし、私の書いた通りのことが起きています。(何度もです)

これだけ激しい現象が日本に起き続けているのも、まだ、その唯物無神論から脱しきれていない人が多いからであり、多くの人が真に神を信じるなら、このような現象も段々減っていくのです。

それは、私のいうことをきいている人に次々に奇跡が起きているということでも、その事実が分かりますし(もちろん私にもですが)逆らっている人たちに次々に災いが起きているということでも、また、そのいっていることの正しさは分かるのです。

私が間違ったことをいっているのなら、そのような現象は起きてこないはずであるからです。

奇跡も災いも次々に起きてくるということが、私のいっていることの正しさを証明しているのです。

それでもまだ私のいうことを信じませんか?無視し、逆らい続けるのですか?しかし、それでは不幸にしかならないのです。

もう究極の現象まで現れてきたようです。(そんなに多くの人が亡くなっているのなら、もうこれ、過ぎ越しの祭りが行われているといっても過言ではないですから。ということは、すでに究極の現象が現れているということになります)

そうであるなら、その現象から救われるには(モーゼの時のように)もう本当の神の教えに従うしかないのです。(モーゼの時は、モーゼのいわれることに従った人は救われ、逆らった人は死んでいったのです)

いつまでも神を信じようとしなければ、そのような人たちは滅ぼされていきます。

もう、このような(神を信じなければいけない、いつまでも神を信じようとしなければ滅ぼされる)究極の時代になっているということを自覚してください。

それでもまだこの本当の神の教えを信じようとはしないのですか?

そのような人たちは滅びていくしかないのです。

追伸…政府の原発輸出計画が総崩れのようですね。

今回イギリスの原発計画も凍結になり、これでアメリカ、インド、リトアニア、トルコ、ベトナムなどの原発輸出案件はすべてダメになり、政府の成長戦略の柱である原発輸出は完全に暗礁に乗り上げたようです。

これだけの原発計画がダメになるということは、数兆円が吹っ飛んだということになりますが、そういう問題はILC(国際リニアコライダー)などでカバーすればよいのですが(これで益々ILCをやらざるをえなくなりました)一番の問題は原発技術の維持が出来なくなるということです。

だって、国内で新しい原発などつくれないんですから、これで海外でもダメだということになれば、どうやって原発技術を維持するのですか。(日立などのメーカーは維持するとはいってはいますが…)

というか、維持というより、原発技術を進めなければ核廃棄物の処理方法などの新しい技術も生まれてきません。

どうするつもりでしょうか。こんな中途半端なところで、原発をやめてしまうつもりなんでしょうか?政府はです、というより日本国民はです。

いま現在、北海道をはじめ北日本の日本海側が大荒れの天気になっているのも、原発を動かさないからです。(北海道は当然そうですが)

私は前から原発は進めないといけないと何度もいっていましたし、原発をじゃまするようなことをするところには悪いことが起きるともいっていました。

実際、その通りのことが起きているのです。(それは、今の北日本だけではなく、大きな風力発電がある茨城などを見ても分かると思います。茨城は私がいった通り地震ばかりが起きています)

何でもそうですが、物心両面で後退するようなことをしていてはいけないのです。それは神の心ではないからです。

物も心もどちらも成長していかないといけないのです。それが神の心であるからです。(高度な原発技術などその最たるものではないですか)

神の心には従ってください。それが幸福への道であるからです。

(とりあえず、安全なところから〔特に北海道など〕原発の再稼動をはじめてはどうですか?そうしないとドンドン災いが現れてくるからです)

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1月 16 2019

恐ろしい事実(得体の知れない何か)

昨日ですか。なんでトラックが(車が)こんなに減っているのか、そうして、いつまでたっても増えてこないのか、その理由が分かりました。

よく考えてみれば、それはそうだろうと思うんですが、ただ、こういうことをはっきり書いていいのかどうか、それは分かりません。

起きていることがあまりに怖すぎるからです。

しかし、はっきり書かないと、この辺りの人たちが本当に滅びてしまうかもしれません。

そうであるなら気が重いのですが書くしかないでしょう。書けば、なぜいつまでたってもこの辺りのトラックや車が増えてこないのかも分かるし、神の教えをいつまでも無視していることの危なさも分かると思うからです。

では、何でいつまでたってもこの辺りトラックが減ったままで増えてこないのか?

前回のブログの追伸に有名人がよく亡くなりはじめたと書きましたが、どうもそれと同じことが起きているようなのです。この辺りのトラックの運転手連中にもです。

はっきり書くなら、トラックの運転手連中が亡くなっているようなのです。それでいつまでたってもトラックが増えてこないのです。

トラックの運転手が次から次に死んでいっているようだからです。

よく考えてみればです。この減っているトラックの運転手連中が病気やけがをしているというのなら、トラックが一時は減っても、しばらくすればまた増えてくるはずです。

不治の病や大けがでもしない限り、少々の病気やけがくらいなら、しばらくすれば治ってまた運転手に復帰すればよいからです。

しかし、いつまでたってもトラックが減ったままで増えてこない。それはなぜなのか?ということです。

それはトラックの運転手が次から次に亡くなっているからです。だから、増えてこないのです。

死んでしまった運転手が復帰することなど出来ないからです。

よくよく考えてみれば、それはそうだろうということになるのですが(でなければ、こんなに長い間〔もう一年近くになりますから〕トラックや車が減り続けるなどありえませんから。何か相当悪いことが起きていなければです)しかし、まさかそんなことが起きているなど想像できません。

出来ませんが、そういう想像できないような恐ろしいことがすでに起きているのは事実のようです。

だから、この辺りのトラックや車が減り続けているのです。

次々に人が亡くなっていっているようだからです。

何でそんなことが分かったのか?実は昨日こんなことがあったのです。

最近は、この辺りも引いているところがずいぶん増えたのです。どこかの会社まで静かになってしまったのですから、これはもう事件でしょう。(今日も静かです。ちょっとキレていますが)

何年間、この連中はやかましくしていたことでしょう。(七~八年くらいでしょうか)どれだけ自分たちから癌が出ても、あるいはどんなにひどいことが起きても、がんとしてこの連中は静かにしなかったのです。

毎日のようにでかい音を立て続けていたのです。

ところが、今年に入って急に静かになったのです。(多少はキレる時がありますが)

それで昨日など家を出る時に、どれだけひどいことが起きても静かにしなかったこの連中が、あまりに静かなままなので「お前ら死んでる奴がたくさん出ているんだろう。だから静かにしてるんだよな」などといいながら、出ていったわけです。

どれだけひどいことが起きても静かにしなかった連中が静かになったのです。それならもう死ぬ人間がたくさん出ているとしか思えなかったからです。(そのくらいのことが起きないと静かにしないでしょう。こういう連中はです)

だから、そういいながら出ていったんですが、その流れでそこらじゅうでそんなことを口走っていたのです。(もう私は辻説法をしながら歩いていくのがクセのようになっていますから)

それで、ブシュとやってきたトラックの運転手連中にもそういうことをいっていたのですが(「お前らたくさん死んでるんだってな」みたいなことをです。信号で止まった運転手とか、近くを走っていった運転手連中にです)そうしたらです。

その私のいったことをきいた運転手の中で、返事をした者が何人かいたのです。(といっても二~三人ですが)

私が「お前らずいぶん死んでいってるんだってな」というと、頭を縦に振っていく者がです。

つまり「うん」と返事をしているような運転手が数人いたわけです。

「えっ」と思いましたが、その時にピンと来たのです。

「この減っているトラックの運転手連中、ただ病気になっているだけではなく死んでいっているのかな」とです。

そう思ったら、これまで何でこれだけみんな怒っているのか、そうして、トラックや車が減ったままで全然増えてこないのか、全部、辻褄が合ってきたのです。

そういう連中が死んでいるのなら、仲間連中が怒るのも無理はないし、トラックや車が増えるわけがないとです。

トラックや車の運転手たちが、次々に死んでいるのなら、トラックや車が減ってはいっても、増えるわけがありません。

目の前でそういうことが実際に起きているのですから、普通であるなら、そんな恐ろしいことが起きているなど信じられませんが、信じざるをえません。

「そうか、それで分かった。だからみな怒っているのだし、車も増えてこないのだ」と、その時点ですべて合点(がてん)がいったわけです。

ということは、トラックの連中だけではなく、そこらを歩いている人たちも、そういう人が(死んでいく人が)増えているのでしょうか?

きっとそうなんでしょう。だから怒っている人が(そうして引いている人も)増えているのです。

トラックや車の運転手同様、この辺りの人たちも次々に死んでいっている人が出ているからです。(癌になるだけではなくです)

それは有名人を見れば分かります。きっとこの辺りでも、あのように癌で死ぬ人や突然死する人が増えているのでしょう。(この辺りは増え方が半端ないのかもしれませんが…ウナッシーさんもそんなことをいっていましたし)

それをこの辺りの人たちは、全部私のせいにして怒っているのです。だから、この辺りの人たちはみな私の顔を見ると怒り心頭に発する人たちばかりなのです。

そういう悪いことをすべて私のせいにしているからです。

そうして、それだけ恐ろしいことが数多く起きてきているのでしょう。だから怒っている人がドンドン増えているのです。

しかもそれが大人から子供までです。

だって、大人だけでなく小、中、高校生まで怒っています。(しかも相当です)ということは子供まで、そういう病気が(癌や突然死)起きているのではないでしょうか。

だから、子供連中まで私に対し怒っているのです。それを全部私のせいにしてです。

しかし、ありえませんね。そんなことを私がやるなどということはです。(「とぼけるな」とでもいうのでしょうか?そういう人がいたのなら「寝ぼけるな」とこちらがいいたいです)

申し訳ありませんが、もうこの辺りの人たちは常軌を逸しているのです。発想がど外れているのです。

普段、起きえないことが次々に起きてきているからでしょう。

だから、まったく常識外れのことを平気で信じてしまうのです。

癌や突然死で死ぬ大人や子供が次々に出てきたら、それは平常心ではいられず、誰か(何か)のせいにしたくなるのは人情なのかもしれませんが、それをたった一人の者のせいにしている。

まったく持って非常識です。この辺りの人たちは本当にまともじゃありません。

そんなことをたった一人の者がやれるわけがないからです。

よく考えてみてください。

なんですか、私は、自分に嫌がらせしてくる者だけではなく(その私に嫌がらせをしてきている人でも、ピンピンしている人がまだこの辺りいくらでもいるんですが…)まったく知らない人たちまで癌や突然死にして殺しているとでもいうのでしょうか?

しかも、全然知らない、小さな子供に至るまでです。(ハァァァ?)

何でそんなことをするんですか?私は殺人鬼ですか?(しかも超がつくほどのです)それとも大量殺人を喜んで行う大魔王か何かですか?

よく分かりませんが(一体、私は何者なんでしょう?)ありえないでしょう。そんなことはです。

やるわけがないでしょう。そんなこと。そんなことして一体何の得があるというのです。(損得の問題ではありませんが)

そんなことをすれば恨みを買うだけで、何一つ自分によいことなどないではないですか。

何でそんな好んで恨みを買うようなことを次から次にしていくのでしょう?(そんなことしていたら命がいくつあっても足りないし)

だいたい、それほどのことをしていて(現在進行形ですよね)私は心が痛まないのですか?そういう人たちを(小さな子供まで)かわいそうだとも思わないのでしょうか?

少しもです。

何でそんな非人間的な悪魔のような者に鳥や魚がたくさん寄ってくるのです。それだけ愛ある現象が起きているのですから、私は、そういう人間とはまったくま逆な者であるはずです。

それなのに、そういう愛ある現象はまるで認めず、自分たちの周りに起きている恐ろしい現象ばかりを私のせいにして怒り心頭に発している、そういう人たちはすでに狂っているのです。

悪魔にやられているのです。

だから、そういう(恐ろしい)発想しか出来ないのです。悪魔に憑かれているからです。

いい加減、目を覚ましたらどうですか?その悪魔からです。

そんなことが出来る人間などいないのです。そんな人を次々に病気にして殺してしまって喜んでいる人間などです。

そういう発想の人たちは(何でもかんでも悪いことをすべて私のせいにしている人たちは)完全に悪魔に導かれているのであって、地獄の道をまっしぐらに進んでいるのです。

そういう人たちが皆、癌になったり突然死したりしているのです。

分かりませんか?もうこういうことはそこらじゅうで起きているのです。(有名人に至るまでです)何でそれを私一人のせいにしているのですか?

もう大変なことが起きているのです。それも数年も前からです。それに多くの人たちはまったく気づいていないのです。

悪いことをすべて私のせいにして怒っているだけだからです。

しかし、恐ろしいことが次々に起きだしているのは事実なのです。

何でこんなことが起きだしたのか?それは分かりませんが(いったってどうせ信じないでしょうし。このブログを見ている多くの人はです)しかし、得体の知れない何かの大きな力が働いていることだけは確かでしょう。

そうでなければ、次々に多くの人が死んでいくなどということはありえないと思うからです。

しかし、実際にそのようなことは起きているのです。この辺りの人たちは道路を見ればそれは分かりますし(車の少なさで)テレビや新聞など見ても分かるでしょう。(テレビや新聞は有名人が次々に亡くなるので)

残念ではありますが、恐ろしいことが(すでに)そこらじゅうで起きているのは(起き続けているのは)事実のようです。それをどれだけ人のせいにしていたところで、その恐ろしいことからは逃げられません。

いま現在も多くの人が、そのような病気になりつつあるからです。(怒っている人がドンドン増えているのがその証拠です)

それでも本当の神の教えは勉強しないんですよね。

では、その恐ろしいことが起きないようお気をつけください。

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1月 14 2019

祈りの奇跡

一昨日のことです。歩いていると大手のS運輸の横を通りかかりました。

すると、そこの運転手が何人か出てきたのですが(ちょうど帰宅時間だったようです)その出てきた運転手が私の顔を見ると皆、怒っているのです。

ゴホゴホ、ガハガハやって(セキか何か知りませんが、そういうことをしている運転手はすでに病気になっているのではないでしょうか?手遅れにならないうちに早く病院に行った方がいいでしょう)ずいぶん怒っている運転手もいたようですが、もうたくさん出ているのでしょう。

この会社の運転手に病気になどなる人がです。

それをすべて私のせいにして、それで怒っているのでしょうが「この怒っている連中も全員病気なるのだな」と思うとあまりに哀れで(なりますよね、全員。心を入れ替えなければです。だって、これだけトラックが減っているのです。何で自分たちだけ助かるのでしょう)だまっていらませんでした。

「今のままでは全員癌になるけど、それでも心を入れ替えないのか?」「心を変えようとしない責任転嫁ばかりしている心の汚い皆さん、滅びても元気で」などなど、何とかこちらのいうことに耳を傾けてもらおうと、いろいろ声をかけたのですが、全員、私のいうことなど無視です。

自分たちだけで話をし怒りながら行ってしまいました。実際のところはもう怖くて仕方がないはずなのにです。

ドンドン、トラックが減っていっているのです。では、ドンドン、自分たちは追い詰められているということになります。

そういう状況なら怖くないはずがないのですが、それでも突っ張った態度を取り続け、罪を全部私に擦り付け、私のいうことは無視です。

本当に哀れですね。

このような人たち一人一人の心を観るなら、もう皆が皆、袋小路に入り込んで、どうにもならないところにいるのでしょう。

このままでは自分も病気になると分かっていてもどうすることも出来ない。自分を変えることも出来なければ、その病気を防ぐことも出来ない。ただ、自分が病気なるのを持っているだけ。

怖くて仕方がないのではないでしょうか。

それでも自分たちの態度を変えることが出来ない。ないない尽くしでどうにもならない。

特別この運転手連中ばかりではないでしょう。この辺りは、そのような人たちがたくさんいるのではないでしょうか。

どうしても自分を変えることが出来ない哀れな人たちが、この辺りはあふれているようであるからです。

そうして、その怖がっている病気にすでになってしまった人たちもたくさんいることでしょう。

しかし、神はどのような人たちも見捨てることはないのです。

どのような困難な状況であろうと、また、どのような病気になろうと(あるいはひどいけがでもそうですが)奇跡が起きて持ち直すということは、この本当の神の教えを実践するならいくらでも可能であるからです。

しかし、せっかく、そのようなすばらしい教えがあろうと、それを実践しなければ絵に描いた餅にしかすぎません。

この教えのすばらしさをもう少し書いておきましょう。

例えば病気などもそうですが、この教えを実践するならです。どんな奇病も癒されるという例を一つ書いておきます。

正法誌、1988年、二月号より抜粋します。

<昨年十月二十八日、二ヶ月の入院から退院して、十一月一日に上京した。十月中旬、東京のある若いお母さんから、生まれた子供が奇病で、ぜひ福岡へ行って私の指導をうけたいという手紙が来ていた。まだ若い夫婦が、東京ー福岡を往復される旅費も大変だろうと思ったから「十一月一日に上京するので羽田まで迎えに出てください」と返事しておいたら、藪垣事務局長とそのご主人が迎えに出ていられた。

生後五ヶ月のその赤ちゃんは、レックリングハウゼン病という奇病で、東京に難病奇病の子供を持つ親の会があって、それに入会していろいろ治療をしてもらっているが治る見込みはないといわれているということであった。あと何年かしたら死ぬのだという子供を抱えて、それでも育てていかなければならない若い母親の気持ちを思うと、私も胸がつぶれるような思いであった。

「人生の生き方」と「夫婦の調和」について話をして、私が退院してのはじめての祈りであるし、その赤ちゃんの上に神の奇跡が現れるように天上界に祈って光を入れた。

(中  略)

十一月二十日、関東研修会のために上京したら、そのお母さんから「ぜひあってお礼をいいたい、生まれてはじめて黄色い便をして、全身の斑点が全部消えました」ということであった>

このあと、この奇病の子供さんがどうなったかはきいていませんが、この夫婦が園頭先生のご指導(人生の生き方と夫婦の調和)をよく守られれば癒されたであろうし、守られなければ癒されなかったでしょう。

こういう奇病の子が、この夫婦に生まれたのも、やはりそれまでの生き方と(夫と妻、双方のです)夫婦としてのあり方に間違いがあったからであり、それを反省するなら、どのような病気も快方に向かって行くということです。

ただし、手遅れであったり、その夫婦は奇病の子を通して魂を磨いてくると約束して生まれてきた場合は、この限りではありませんが、しかしそれでも、それまでの生き方を反省するのなら、それなりによい方に向かうのです。

この辺りの人たちは、反省することを知りません。

傲慢な態度で自分本位なことばかりいっているのではなく、少しは私のいうことも認め、これまでの自分の行いを反省されてはどうでしょう。

奇跡はそのような反省の心から現れてくるからです。

追伸…また、有名人が亡くなりはじめましたね。(亡くなりはじめたという言い方も変ですが)

有名な哲学者や女優さんが亡くなったとニュースになっていましたが、数日前にもそんなニュースがありました。

いつまでも生き方を間違えているのなら、そのような人たちはこれからはもうドンドン引き上げられていくのです。(あの世にです)

有名人の人たちもです。この教えを真剣に学ばれたらどうでしょう。そうしないと、今年もまたどれだけ多くの有名人が亡くなるか知れないからです。

正法の世はドンドン深まって行きます。

正法の世に、この正法神理を無視しているようではよい事が起きてくるわけがないのです。

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1月 13 2019

愛も慈悲もなし、無為無策(むいむさく)

この辺りの皆さん、大変なことが分かりました。このままでは滅ぶそうです。早く心を入れ替えてください。

そうしないと本当に滅びます。

などと書いても、誰も心を入れ替えないんでしょうね。この辺りの人たちはです。

しかし、怒ってどうにかなるような状況ではないのです。

あまり感情的に怒っているとかえって危ないですよ。(ほんと、そういうような人ばかりですから)そういう人たちにもういつ危ない病気が発症するか分からないからです。

この辺りは、次々に、そのような危ない病気が発症しているようであるからです。

これほどの状況であるにもかかわらず(前回も書きましたが)年寄りは皆と一緒になって怒っているだけだし、坊さん連中は全然人を救う気がなさそうです。

本来なら、このような(神の業が次々に現れる)状況になった時、年寄りや坊さんがいわないといけない「もう神に逆らわない方がいい」とか「こうなったら神の意志に従おう」とか「こういうことが起きだしたのなら神を恐れないといけない」とか、そういう的確なアドバイスをする人がいません。

では、誰もそのような態度は取らないでしょうね。私が何をいってもこの辺りの人たちは誰一人きかないからです。

このような状況で(人に対する)愛もなければ慈悲もない、無為無策、これではドンドン人はいなくなっていくでしょう。

これだけ神の業が現れているというのに、まったく無反省で、自分さえよければそれでいいという、無慈悲な態度を取り続けている人ばかりであるからです。

それでは恐ろしい現象は止まりません。そのような態度では神の怒りは増すばかりであるからです。(それだけ自分勝手な人ばかりであるなら、それはそうでしょう)

しかし、せめて坊さんなどが、このような状況を打開するため、例えば、何日もお経を上げ続けるとか、滝行をするとか、護摩行でもいいでしょう。

多くの人のためにと、そのようなことを愛や慈悲の心から行うなら(そのような行い自体は正しいものではありませんが)神はその愛と慈悲の心を喜ばれ、恐ろしい現象も少しは防ぐことが出来るのでしょうが、そういうことをする坊さんはいません。(いないでしょうね。そういう坊さんたちがいれば、少しはそこに奇跡も起きてくるからです)

それは坊さんだけではありません。年寄りもそうだし、親が子のことを思ったり、子が親や家族のことを思う愛の心があるなら、それなりに奇跡も起きるのですが、そのような奇跡が誰も起きていない。

そうであるなら、そのような人のためにと愛や慈悲の行為を行う人がこの辺りにはいないのでしょう。

だから奇跡も起きないし、災いがドンドン増えるのです。何度もいいますが無慈悲な人たちばかりであるからです。

誰も、愛もなければ慈悲もない、そうして無為無策であり、特に最近はやけくそのような態度を取る人も多いのですが(もうどうにもならないので、感情的に怒っているだけ)しかし、それでは救われないのです。

こういう時こそ、愛と慈悲の心を出して、周りのことまで考えていかないと救われる道はついてこないのです。

まだ分かりませんか?

なぜ、私にだけは奇跡が起き続けているのかということがです。

不思議ではありませんか?

このような(凄まじい)状況になっても、私には、いまだに歩いていると鳥は騒いで飛んでくる、魚も同じように寄ってくる、動物園など行けば、動物たちがみな私にかまってくる、なんでこんな愛ある現象が私の周りにだけは起き続けているのですか?

皆さん方と違ってです。

この辺りの私以外の人たちの周りには、愛のない災いばかりが起き続け、私の周りには、逆に愛ある現象ばかりが起き続けている。

この違いはなんなのでしょう。何でこうも起きてくることに差があるのですか?

それどころか、まったくま逆のことが起き続けています。その違いはどこからくるのでしょうか?

それが先ほどからいっている「心と行いの違い」なのです。

私は(皆さん方にどう思われようが)人を救うことに一生懸命なのです。(そうして先々のことも考えています)

そのために(人を救うために)このブログも書いて、祈りもし、辻説法もしているのです。

私のこのような行いはすべて人を救うためであり、自分のためではありません。

そうして、していることも正しいのです。(皆さん方はそれを認めませんが)

それが事実であるから(そのような愛と慈悲の心から発した正しい行いであるから)愛ある奇跡が私の周りには次々に起きてくるのです。

善因善果、悪因悪果、因果応報、その通りの法則が働いているからです。

しかし、この辺りの他の皆さん方の態度はどうでしょう。

もう先ほどから書いている通り、人のことなど知らない、自分さえよければいい、悪いことは責任転嫁、気に食わなければ嫌がらせと、愛も慈悲もない、間違った態度の人たちばかりです。

そのような心と行いの違いが、起きる現象の違いとなって現れているのです。

何度もいいますが、それだけなのです。

それ以上でも、それ以下でもありません。その心と行いの違いが、起きてくる現象の違いとなって現れているのです。

どれだけ多くの人が私のことを否定しようと、周りに起きてくる現象の違いは、その一点(心と行いの違い)なのであり、私のいっていることが正しいから、書いた通りのことが起きているのです。

多くの人が私を誤解しているようですが(特にこの辺りの人たちは)私に人を病気にしようという心が少しでもあるなら、もうとっくに私は病気になっています。

しかし、私には奇跡しか起きていないのです。このことが、私には人を病気にする心などないという何よりの証拠なのです。

私が人を病気しているのではなく、この辺りの人たちの心と行いが悪いため、この辺りは多くの人が病気になっているというのが正しいのであり、それをこの辺りの人たちがいつまでたっても認めず、私に一切の責任を押し付けているのが、この辺りの災いが止まらないすべての原因なのであり、だから、その正しい原因を認めて反省しない限り、この辺りで起きている災いは止まらないのであり、そのようなことをしっかり考え、そうして愛と慈悲の心を出さないと、もうこの辺りの人たちは救われないのです。

愛も慈悲もなく、無為無策では救われようがないからです。

少しは私を見習ったらどうでしょう。(現実逃避して責任転嫁ばかりしているのではなくです)そのような(勇気のある)人から救われていくのです。

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