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1月 15 2018

本物と偽物の違い

もうお分かりであると思います。本物の教えと偽物の教えの違いはです。

本物の神の教えは、よいことも悪いことも(その教えに従えば奇跡が、逆らえば災いが)凄まじい数が現れるということです。

大奇跡を現されたモーゼはもちろんですが、キリストもそうですし釈尊もそうです。

本当の神の教えを説かれた方々は、その教えを説いている間だけでも凄まじい数の奇跡を現されていたのです。

それは聖書や仏典を見れば分かります。しかしそれも、お三方のすべての奇跡が記録されているわけではないということです。(起こされた奇跡を全部記録できるわけがありませんから。そのような書物には弟子たちが覚えていた一部の奇跡が記録されているだけでしょう。弟子たちが知らない奇跡も、お三方はたくさん起こされていたと思うからです)

それに対し、偽の教え(を説く人)はたまに奇跡が起きることもありますが(悪魔も奇跡を起こしますから)たいした数ではないということです。

それに悪魔は、どちらかというと驚くような奇跡を起こすことが多いのです。

あのユリ・ゲラーがやっていたようなスプーン曲げとか、オウム真理教がしていた座ったままピョンピョン跳ねたり、金粉を出したり、予言をしたりです。

悪魔は、このような現象をよく起すのですが、しかしこれは奇跡でも何でもなく、魔が現している悪魔の現象であると知るべきなのです。

なぜなら、こういうことは一つも人のためにならないからです。

スプーンなどいくら曲げても、スプーンがもったいないだけですし、座ったまま跳ねたところで大道芸人ではないのですから、そんなことをいくらしたって何の気づきも得られません。

金粉が現れたとしても不思議なことではありますが、そういう現象を見たからと、それで心が向上するわけではありません。(ただし、本当の神の教えを説く人にも自然に金粉が降ってくるということはありますが〔高橋先生が説法をしていられる時に金粉が降ってきたことがありましたし、釈尊の像が金色に塗られているものがありますが、それは釈尊が説法をしていられた時にも同じようなことが起きたからです〕しかしその金粉は本物の金ですし〔偽者が出す金粉は本物の金ではありません。だからしばらく時間がたつと金粉の色が変色してくるのです〕それは天上界が本物と証明するために現すのであって、本物に現れる金粉と偽者に現れる金粉は根本的に違うのです)

偽者は予言もするのですが、その予言は悪いことばかりでたまによい予言もしますが、それは当たらないのです。(または当たってもすぐその後に悪いことが起きるとかです。とにかく悪魔の予言はよいことが起きるようなことはいいません)

だから、同じようなことを説いていても起きてくることが全然違うのです。(いっていることだけはさも神理を説いているかのように見せかけますが。偽者もです。それに偽者は仰々しいことをいうわりには抽象的で、あまり具体的なことはいわないのです。偽者は、適当なことをいうのでいっていることがよく外れるからです。抽象的にいっておけば、後でいくらでもごまかせるからです)

あとは、派手な服など着て、大袈裟に説法をする人もいますが、これも偽者の特徴です。

偽者はそのような他のものでごまかすのです。自分に力がないのがばれてもいけないからです。

自分に力があるのなら、派手な服など着る必要もないですし、大袈裟にしゃべらなくても、出来るだけ分かりやすくしゃべればいいのです。

その方が多くの人に神理が伝わるからです。

しかし、偽者は自分に力がないのが分かっていますから(話の内容もなく何の奇跡も現せない)派手な服で人々の目を引き、大袈裟にしゃべって中身のない話をごまかすのです。(釈尊やキリストはもちろんですが、高橋先生も園頭先生もいたって普通の背広姿で説法などしていられました。〔背広の色も黒とか紺とか、グレーとかくらいです〕派手な服など着られたことはありませんでした。だいたい芸能人でもあるまいし、神理を説く人が、そんな派手な格好をしてどうするんでしょう。心は格好に現れます。おかしな格好をしている人は心もおかしいのです)

いくつか書きましたが、このような違いから、その人が説いている教えは本物か偽物かは分かりますし、それに私生活も偽者は(人の道から)外れているところがよくあるのです。

その点、本物は起きてくる現象だけではなく普段の生活から人の道から外れた行為はしないのです。

生活態度もいたって普通なのです。

こういう諸々の点を考えるならです。誰が本物であるのかは分かるはずです。

その本物の神の教えを説いている者にです。嫌がらせをしたり、無視したりしていたら、よいことが起きるわけがないのです。

この辺りで起きている数々の異常現象も、そうして日本各地で起きている異常気象も(今回の最強寒波もそうですが)本物の神の教えを説いている者に、そのような不遜な態度を取っている人が多ければ、十分、起きえる現象であるということです。(本物の神の教えを説いている者に不遜な態度など取れば、何が起きてくるか分からないということです。〔それ以上に神を怒らせる行為はありませんから〕実際そういうことが起き続けています。何年にも渡ってです。それを知らない人があまりに多いからです)

では、態度を変えるしかないのではないですか?

その本物の神の教えを説いている者に対する態度を、その不遜な態度を取っている人たちがです。(その本物の神の教えをそういう人たちは皆きいていることですし)

不遜な態度を改めない限り異常現象は続きます。早く反省してください。

そのように神を怒らせているのは、すべて、不遜な態度を取っている人たちの方であるからです。

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1月 14 2018

正しい信仰への目覚め

この辺りの皆さん、本当に大丈夫ですか?

昨日も引いている人が多かったし(もちろん怒っている人もですが)例えばどこかの会社など日を追うごとに静かになっていきます。(そういえば、どこかのマンションも最近は静かです)

札つきのところがそういう態度を取り出したとなると、他のところも相当ではないかと想像できますが(もうボンボン癌になる人が出ていたりして。〔汗〕)それにもかかわらず、そのような(嫌がらせの)態度を続けていて本当によいのですか?

どう考えてもよくないと(危ないと)思うのですが、静かにすれば収まるという問題でもないでしょうし、もう従ってはどうでしょう。本当の神の心を述べているこの教えにです。

そうすれば、悪いことも起きなくなるからです。

この辺りは多くの人が神の心に逆らっているのです。(必要以上にです。私に嫌がらせをするということはそういうことです)しかも何年にも渡ってです。

これだけ長い間、神の心に逆らい続けていては、ソロソロ次々に災いが現れてきてもおかしくはない時期です。(さすがにもう天もキレます)

だから現れだしたのです。次々に天罰がです。

それだけ罰当たりな人たちが多いからです。

横のつながりがないから分からないだけなんじゃないですか。多くの人に起きている現象の多さをです。

もう凄まじい数の人たちが癌になっているようですよ。冗談でもなんでもなくです。

だってカンカンの中学生もいましたし(そういえば小学生も高校生もそういうのがいました)大人だけではなく、そのような子供までが巷にあふれているのです。

では、もう相当多くの人が病気になっているのではないかと(しかも大人から子供までです)想像できますが、この辺りの人たちは、出来るだけ多くの人と連絡をとっておいた方がいいのではないでしょうか?

大変なことが起きているのに知らずにいて手遅れになってもいけないからです。

もし、そこらじゅうに癌になる人が出てきたのならパニックになるからです。

脅しではなく、本当にそういうことが起きかねない雰囲気なのです。(私が歩いていて受ける印象ではです)

この辺りの人たちは早めに行っておいた方がいいのではないですか。有名なパワースポットや寺や神社などにです。

そうしてパワーをもらうとか、お祓いをしてもらえばいいではないですか。そうすればもう安心であるからです。(そういうところに行っておけば安心でしょう。どこどこに行ってパワーをもらったとか、有名なお寺でお祓いをしてもらったとか、ブログに書いている人が多いからです。そういうところに行けば、自分のパワー〔パワーって一体何のパワーなんでしょう?〕が増して邪気も祓われるようだからです)

しかし、それでも癌になるようなら、そういう場所に何のパワーもなく、寺や神社のお祓いも何の効力もなかったということになります。

だから、行った方がいいといっているのです。それもまた勉強であるからです。

しかし、そういうところにはもうこの辺りの人たちの多くは行ってるんですかね。そうしてお経なども必死で上げている人たちもいるんでしょう。

それでも変わらないから、みな怒っていると思うからです。

では、もう現実を認めたらどうですか。自分たちがこれまでして来た(信仰系の)ことはどれも間違いであったとです。

これまで間違ったことをしてきたから、こういう(本物の)神の業が現れだすとまるで通用しないのです。

何をしてもです。

これまでのそのようなものがすべて間違いであったからです。(お寺参りやパワースポット、先祖供養などなど)

この辺りの人たちは、その現実を知らなければいけない時が来ているのです。だから、こういうことが次々に起こりだしたのです。

正しい信仰に目覚めなければいけない時が来ているからです。

よかったですね。この辺りの人たちは。だって、これまでの信仰の間違いを一番最初に身を持って知ることになったからです。(これだけ大きな気づきもありません。これまでの信仰がみな間違いであったと、身を持って知ったのですから。本当に勉強になります。この教えはです)

それも日本だけではなく世界に先駆けてです。(この辺りが一番です。何せ、この辺りには法が現れていますから)

あれ、有難迷惑ですか?(何でも一番最初にやる時は揉めますから。〔苦笑〕)

しかし、残念ではありますが、そんなことをいっている場合ではないのです。もう時が来ているからです。(しかもとっくにです)

だから、どれだけ多くの人がそれを拒否しようが、認めまいが、次々に現象が現れるのです。そういう個人的な(遅れた)考えなどもう天が認めないからです。

否が応でも、正しい信仰に目覚めなければいけない時がすでに来ているからです。

だから、もう次から次に現象が現れてくるのです。いつまでもこの辺りの人たちは間違った信仰を捨てようとせず、正しい信仰に逆らっているからです。(それこそ大人から子供までです。だから、大人から子供まで現象が現れているのです)

しかし、どれだけ逆らっても、それどころか、逆らえば逆らうだけ恐ろしい現象は現れてきます。

いつまでも間違ったことをしていてはいけないからです。

それが現実であり、いつまでもそのような事実を理解しようとしないから、いつまでも災いが起き続けているのです。

それでもまだこの教えに従おうとは(帰依しようとは)しないのですか?

しかし、所詮それは無駄な抵抗にしか過ぎないのです。いずれ時間がすぎれば、多くの人たちが嫌でもこの教えには帰依することになるからです。(それが天の意志だからです)

早くその天の意志を理解することです。

それを理解できるなら、この教えに帰依することは何の問題もなくなるからです。そうしてこの教えに多くの人が帰依するのなら、多くの奇跡が現れてくるからです。

それはもう分かりきっていることなのです。(法に従っている私やウナッシーさんには、奇跡が次々に起きていますし、法に逆らっている人たちには次々に災いが起きています。もう何度も何十度も〔あるいはもっと〕こういうことが起きているのです。これ以上の事実はありません)

時間の問題なのです。この教えにはいずれ多くの人々が帰依することになるのです。(それも世界中のです)

早いか遅いか、それだけのことなのです。

どうせするなら、早く帰依しませんか。そうすれば、その分早く幸せになれるからです。

(必ずそうなるのです。それを分かっている人も〔ここまでくれば〕多いのではないですか?これだけの現象が起きる教えなど他にないのだし、その教えに逆らっていては、いつかは自分も癌になると理解できる人も増えているはずだからです。〔だからこの辺りは怒っている人が多いんでしょう〕なら、早く素直になることです。自分の心にです。それが実践できた人から幸せになれるからです)

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1月 13 2018

奇跡の連鎖

相変わらず、冬の嵐は続いていますが(最強寒波)こちらの嵐はもうずっと続いています。(苦笑)

昨日も歩いているとちょっかいをかけてくる人がたくさんいました。(本当に哀れです)しかし、いつまでも逆恨みしていたところで悪いことが起きるだけです。(それは逆恨み以外の何ものでもありません)

今年に入り、また一段と怒っている人や引いている人が増えているようです。ということは、起きている現象がまた一段と増えているということになります。

この辺りの人たちが、今のままの態度を取り続けるのなら、悪いことがドンドン起きてきます。(早い話、癌になる人がドンドン増えるということです)

それでもまだ突っ張り続けるのですか?神に対してです。

従おうとはしないのでしょうか?神の心にです。

それは自由ですが、神を認めず神の心に逆らい続けるのであれば、ドンドン不幸になっていきます。

どれくらい不幸が現れたら分かるのですか?その事実がです。(私に逆らっているのではないのです。神に対して逆らっているからこれほどの現象が現れているのです。人に逆らっている程度で起きている現象ではないからです。いい加減それを理解してください)

私に対し、今のような態度を取り続ける限り起きている災いは止まりません。その災いを止めなくてもよいというのなら、別にそのままの態度を続ければいいでしょう。

しかし、止めたいと思う人がいるのなら、その人は態度を改めることです。この辺りで起きている不幸の多くの原因は(もちろんすべてではありませんが)私に対する態度が悪いために起きていることであるからです。

その態度を改めさえすれば起きないことであるからです。

私は悪いことをしている者に無理やり頭を下げろといっているわけではないのです。

いま不幸になっている人たちが間違ったことをしているから、それを反省し、心を救われた者に感謝されたらどうですか?といっているだけなのです。

そうすれば今度は幸せの道がついてくるからです。

それを頑なに拒否していますが、そのような行いは間違っているのですから、だから間違っている方に災いが起きているのです。

間違ったことをしていれば、間違ったこと(災い)が起きるのが当たり前のことであるからです。

その当たり前のことをいつまでたっても認めないのですが(起きている現象がその間違いを教えているのですが…)自分たちの間違いを認めない限り、その不幸は止まりません。

いい加減、間違いを認めてはどうでしょう。どれだけその事実を認めようとせずにいたところで、間違いを認めず突っ張っている限りは不幸にしかならないからです。

よく考えてみて下さい。

私が歩いていて、嫌がらせをして来る人を祈るとドンドン悪いことが起きるのです。(その人たちは悪いことをしているのですから、悪いことが起きるのが当たり前のことなんですが…)

では、歩いている私に布施でもしてくれるのなら、その布施してくれた人に対しても私は同じように祈るのですから(もちろん祈りますよ。嫌がらせして来た人も布施して来た人も同じようにね。私にかかわったことには変わりがないからです。〔ということは縁が出来たということになりますから〕縁ある人を祈るのは私たち法を説いている者からすれば当たり前のことだからです)その祈られた人は今度はドンドン奇跡が現れてくるということになります。

私が祈ればなにか現象が現れるからです。

しかし、同じように祈っても、嫌がらせをしてくる人と布施をしてくる人とでは、そのしている行いが百八十度違います。

では、現れてくる現象も百八十度違ってくるでしょう。

私の祈りは、神に全托(ぜんたく)している祈りであります。では神は、その相手の行い(心)に応じて、現象を現してくださるからです。(だから奇跡が現れてくるといっているのです。私に対しよいことをしているからです。人によいことをすればよいことが〔奇跡が〕悪いことをすれば悪いことが〔災いが〕現れる。これもまた当たり前のことだからです)

私はそういう祈りをしているから奇跡が(現象が)現れるのです。個人の感情で(ああしてくれ、こうしてくれと)祈っているわけではないからです。

そのような神に対する素直な心が神の力をこの世に現すのです。

だから、私に対する態度を変えるのなら、この辺りで起きてくる現象もずいぶん違ってくると思うのです。そういう(布施する)態度を取る人が増えてくればです。(だから辻説法をしている坊さんなどいたら、たまにその坊さんに布施して、その坊さんに祈られている人がいるでしょう。〔祈られている人もその坊さんに合掌していますが〕あれと同じことをすればいいのです。ああいう坊さんに祈られても何も起きませんが、私に祈られれば何か起きるからです。ただ、よい事が起きるか、悪いことが起きるかは、その人の心次第ですが)

自分たちの行いを反省し、私に(嫌がらせではなく)布施する人が増えれば、この辺りで起きている現象も一変すると思いますが、それでも態度を改めるのは嫌だといわれるのでしょうか?

悪いのはお前だといい続けるのですか?

しかし、間違っているのは、そういい続けている人たちの方なのです。

この辺りの人は私のブログを見て心が救われている人も多いと思います。そういう人たちが、それに対して少しも感謝しなかったのは事実なのです。

そうして、本当に私が悪いことをしているのかどうか、自分で確かめもせず一方的に嫌がらせをしてきたのは、その私に心を救われた人たちなのです。

そのような行いは、どこをどう取っても自分たちが悪いのであり、私の行いうんぬんをいう前に、まず自分たちのそのような行いを反省するのが筋なのではないですか?

それを反省した後に私のやったことをとがめるならとがめればいいのです。

それが当たり前の筋であるからです。

どちらにしてもです。まず自分の行いを反省し私に報恩の行為をされてはどうでしょう。(そこまでが筋だからです。私に心が救われたのは事実であるからです)

それをしてからでなければ、この辺りの人たちの行いは何一つ神に認められることはないのです。(もちろん人からもです。筋を通していないのですから)

今、この辺りで災いの連鎖が起きているのは、法を説いている人に対する態度が悪いからです。

では、その行いを正せば、今度は奇跡の連鎖が起きてくるはずですし、正しい法を説いている人に善を行えば、それだけの神の力が現れてくるのです。

法を説いている人には常に神が(天が)協力してくださっているからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです)

自分たちのこれまでの間違いを正し、法を説いている人に対する態度を改めませんか?

そうすれば、自分だけではなく周りにも多くの奇跡が現れてくるからです。

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1月 12 2018

法を伝えてくれた人に対する態度

最強寒波の影響で北海道から九州まで各地大雪になっているようですね。

そのような荒れた天気同様、この辺りも(雪は降っていませんが)ずいぶん荒れています。この辺りの多くの人たちが凄まじい怒り方をしているからです。(今年も変わりませんね。昨日も凄かったです。大人から子供までです。〔苦笑〕)

引いている人たちは引いていますが、怒っている連中は中学生くらいまで凄まじい怒りっぷりです。本当に呆れますね。

自分たちの行いを棚の棚の棚のもっと上の棚に上げているからです。

いい加減気づかないのでしょうか。自分たちの行いが悪いからそういうこと(怒るようなこと)が起きているとです。

だって、例えば、この怒っている中学生連中など、自分たちの方から私にちょっかいをかけてきているのです。(しかもかけまくりです)

私の方からちょっかいをかけたことは一度もありません。私はただ歩いているだけなのです。

ところが歩いていると向こうから歩いてきた中学生が必ず何かして来るのです。(百パーセントとはいいませんが、ほとんどのです)

そういうことを散々されたから、文句をいったり祈ったりしているだけで、相手が何もしてこなければこちらも黙って歩いていくのです。

自分たちはこれまでそういう(悪い)ことばかりしているくせに、それを忘れたかのように悪いことを私のせいにして怒っているのです。

だから呆れたといっているのです。

そのような態度を取っていていいことが起きるわけがないからです。(因果応報だと何度いえば分かるのでしょう。バカじゃないでしょうか)

この中学生連中は私のブログを見ているのです。しかし、感謝した者は一人もいないのです。

一人、二人、頭を下げた者はいましたが(ほんと少ないです)「いろいろブログで勉強させてもらっています。ありがとうございます」としっかり私に感謝した中学生は一人もいません。

では、感謝しているとはとてもいえないでしょう。

感謝もせずに私のブログを見ているようでは(私のブログには法が書いてあるのですから)そういう人たちにいいことが起きるわけがありません。

それだけでも不幸になるのです。本当の神の教えを伝えてもらっているのに、何の感謝もなしでは、それだけ礼を欠く行いもないからです。

だから、それだけでもいいことが起きないのに、この辺りの中学生は、私に感謝どころか嫌がらせをしているのです。

それでいいことが起きるわけがないでしょう。そんなことをしていては、必ず災いが起きるのです。

その災いは天罰以外の何ものでもないからです。

天罰は自分が悪いことをしているから起きるのであり、そういう自分たちの態度が(非常に)悪いから天罰がくだっているのです。

法を(本当の神の教えを)伝えてもらうくらいよい行いはないからです。

それに対する嫌がらせです。一番よいことをしてもらっているのに、それを悪いことで返しているというのですから、当然天罰はくだるでしょう。

そんな悪い行いもないからです。

では、その災いを止めたいのであれば反省するしかないのであり、それをしない限り(悔い改めない限り)その起きている災いは止まらないのです。

その災いの原因をつくっているのは他ならぬ自分自身であるからです。

それを私のせいにし続けているわけですが、だから止まらないのです。

その起きている災いの原因は自分たちにあるのであり、私にあるわけではないからです。

私に原因がないから私には奇跡が起きているのであり(私が災いを起こしているのなら、そんな悪い者に鳥が寄ってくるうような愛ある奇跡は起きません)自分たちに原因があるから、自分たちに災いが起きているのです。(自分たちに悪い原因がないのなら、その人に災いが現れることはありません。奇跡しか起きません。釈尊やキリストがそうであったようにです)

それを理解しない限り(自分が悪いと理解しない限り)起きている災い(天罰)は止まらないのです。

どれだけそれを否定しようが、どれだけ悔しかろうが、事実は事実なのです。自分たちが悪いから、自分たちに悪いことが起きているのです。

それ以上でも、それ以下でもありません。真実は一つです。自分が悪いから自分に悪いことが起き、自分がよければ自分によいことしか起きないのです。

それ以外の答はありません。それが正しい答なのです。(どれだけ認めたくなくてもです)

今のまま態度を改めなければ、起きる災いはまだこれからいくらでも現れてきます。その災いは、その自分の心と行いに応じて現れているものであるからです。

だから、反省するしかないのです。反省して、自分の心を入れかえない限り、その災いは止まらないからです。

どれだけそれを私のせいにしても無駄です。私のせいにしている間は(責任転嫁している間は)災いは止まりません。

そのような責任転嫁の心を直すために、その災いは現れているからです。

高校生以下の人たちは、私のブログを読んでいるのなら私に感謝しなければいけないし(ちゃんとそういう感謝の心と態度を取らないといけないということです)それ以上の人たちは、報恩の行為くらいしないといけないのです。

法を伝えてくれた人には、法を伝えてくれた人に対する態度というものがあり、そういう態度を頑なに取ろうとしないから、それだけの災いが起きているからです。(その態度が礼を欠いているのです。絶対に、礼を欠いてはならないのです。法を伝えてくれた人に対してはです)

中学生に置き換えて書いていますが、これは大人の人たちにとっても同じなのであって、そのような法を伝えてくれている人に対する態度を改めない限り、災いは止まらないのです。

何度も書きますが、その災いは天罰であるからです。

法を伝えてくれたことに感謝して、法を伝えてくれている人にそれなりの態度を取るなら、不幸どころか奇跡が起きてきます。

しかし、ぞんざいな態度を取り続けるなら、今のような(大変な)ことが起きるのです。

いい加減理解されたらどうですか?皆さん方は、これまで法を説いている人に対する態度を間違えていたのです。

というより、知らなかったという方が正確でしょうが、知らないで不幸になることはいくらでもあります。

しかし、知らないでいて一番不幸になることが、この法を説いている人に対する態度なのです。

だから、この辺りの多くの人たちが不幸になっているのです。その一番大事な法を説いている人に対する態度を知らなかったからです。

その通りのことが起きているのですから、信じるしかないのではないですか。それ以外のことで、これだけ多くの人が不幸になるなど考えられないからです。

しかし、この辺りは、その法を説いている人に対する態度が悪いばかりに、凄まじい数の人たちが不幸になっているのです。(実際にそういうことが起きているのだから、こればかりは認めるしかありません。私に対する態度が悪かったからこうなったのです)

法を説いている人に対する態度を改めませんか。そうすればこの辺りにもよいことが起きてくるからです。

(というか、それ以外でこの辺りによいことが起きることはありません。私に対する態度を変えない限りは〔大人から子供まで〕起きている災いは止まらないのです)

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1月 11 2018

徳のない人

例の最強寒波の影響で大雪になっているところがあるようですね。

まだ、この寒波は四、五日続くようです。また大きな被害が出ないか心配です。(というか、出るでしょう)

しかし、このブログを読んでいて(法が書いてあるものを読んでいて)悪いことが起きる人の方が多いというのですから呆れますね。

普通であるなら、法が(本当の神の教えが)書いてあるものを読んでいるのですから、奇跡が起きてこないといけないはずなのに、奇跡が起きる人はごくわずかで、災いが起きる人がたくさんいるというのですから、それでは、どれだけ多くの人が神の心に逆らっているのかということになります。

だからいいことが起きないのです。神の心に逆らう人ばかりであるからです。(それはこのような天気を見ても分かりますが)

神の心には従わないといけないのです。そうしないと(悪いことが起きるばかりでなく)徳を得られることもないからです。

久しぶりに三国志時代のことを書きましょう。

劉備が蜀を支配する前、この蜀は劉しょうという人物が治めていました。

この劉しょうの下に法正という人がいたのですが、この人は大変有能な方ではありましたが、劉しょうの下では重用されることはありませんでした。

この法正という人は、劉しょうではこの蜀を守りきることが出来ないとかねがね考えていました。(劉しょうは凡庸な人物でありましたから)

その後、法正は劉備が蜀の地をほしがっているということを知り、劉備ならこの蜀を守ることが出来ると、法正は劉備が蜀を取る時に大いに協力して活躍し、支配に成功した時、劉備の策謀相談役となるのです。

そうして蜀を支配した劉備は、法正の策により曹操を何度も打ち破ることに成功しますが、こと軍略だけに限れば、この法正という人物は諸葛孔明より上であったのではないでしょうか。

性向は異(こと)なっていましたが、孔明も法正の智術は高く買っていましたし、曹操も「わしは有能な人材をほぼすべて集めたが、なぜ法正のみ手に入れられなかったのだろうか」と嘆(なげ)いたといわれます。

それほどこの法正という人は優れた軍師であったのです。

しかし、それほど優れた人物であった法正もいま現在はそれほど知られていません。

なぜでしょうか?

活躍期間が短かったということもありますが(法正は四十五くらいで病死しています。劉備の軍師として活躍したのはわずか数年でしたから)この法正という人は、軍略の面ではたしかに優れた人物ではありましたが、その反面、徳という部分がなかったのです。

この人はずいぶん情にうすかったようで、蜀の太守に着任すると、わずかな恨みにも必ず報復し、自分を非難した者を勝手に殺してしまったということもあったようです。

三国志を書いた陳寿は法正を次のように評しています。

「法正は判断力に優れ、並外れた計略の所有者であった。しかし、徳性について賞賛されることはなかった」

そのような徳のなさが祟り、それで後世それほど人気が出なかったのではないかと思われますが、しかし、この法正がもっと長生きをしていたのなら、蜀の運命は大きく変わっていたことでしょう。(魏、呉、蜀の三国の中で、蜀が一番はじめに滅びるということはなかったでしょう)

そこは少々残念ですが(やはり私は蜀の〔劉備の〕ファンですから。〔笑〕)しかし、もしこういう人が現代に生まれ変わってきているのなら、さぞ頭のいい人なんでしょうね。

三国志の頃から頭は抜群によかったようであるからです。

しかし、徳の方はどうでしょう。過去世でそういう残酷なことをしているのなら、今生もその業は必ず現れます。そういう残酷な(恨みには必ず報復し、非難した者は殺す)部分は出てくるのかもしれません。

そのものずばりが出るわけではありませんが(死んだ後、あの世でそういう部分はずいぶん反省させられますから)しかし、そういうところがゼロになるわけではありません。

多かれ少なかれ、そういう部分は現れるのです。

まあ、こういう業の持ち主がもし今生でてきているのなら、その人は、そのような残酷な部分をなくし、徳を得る努力をしないといけないのです。

それがその人の今生の一番の修行であるからです。

まあ、この法正に限らずです。そういう徳のない人は案外多いのではないでしょうか。(自分が気づいていないだけでです。〔笑〕)

しかし、そういう徳のない人が徳を得るにはこの法の実践が一番です。法の実践以上の徳を得る方法はないからです。

だから、好き嫌いをいうのではなく、思考停止するのではなく、何でもここに書かれてあることは実践することです。

そうすれば、徳はいくらでも得られるからです。(私がよい例でしょう。毎日、鳥やら魚やら寄ってくるんですから。徳を得すぎてあふれています。〔笑〕)

徳がない人ほど悲しい人はいません。もう少し徳を得られる努力をされませんか?

そうすればこれだけ悪いことが起きることもないからです。

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