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12月 20 2017

大変な事実

凄いですね。なんか、大変なことになっています。

昨日は名古屋港に行ってきたんですが、名古屋港まで行くと行きも帰りもいろんな会社の近くを歩いてくるんですが、そうするとほとんどの会社が異様なほど引いているのです。(怒っているところは二、三社くらいでした)

もう相当災いが起きているということが分かりますね。多くの会社がこんなに引いていることなどこれまでなかったからです。(ということは、これまでにないくらい多くの災いが起きているのではないかと想像できます)

そうしてあちこちに怒っている人がいます。これはもうどこに行ってもそうですね。

運転手連中や歩いている人は怒っている人ばかりだし、会社は引いているところが多いのです。

私はあちこち歩いています。こういうことがもうそこらじゅうで起きているのです。ねぇ、凄いことが起きているでしょう。

いっている意味が分かりませんか?この凄いことが起きているという意味がです。

怒っている人たちは、みな個々で怒っているだけなのです。だから怒れるのではないですか。

起きている現象の範囲を狭くしか知らないからです。

つまり怒っている人たちは、みな自分の周りで起きていることに対して怒っているだけなのです。(または、噂できいている程度)それはそうでしょう。自分の周り以外で起きていることなどよく分からないからです。

ところが、そういうことはもうそこらじゅうで起きているのです。ここでだけとか、あそこの辺りだけということではなく、あちこちで起きているのです。(怒っている〔バスやトラックの〕運転手なども幅広いですし。愛知、岐阜、三重のナンバーの運転手がみな怒っています)

それが私には分かるわけです。何度もいいますが、私はあちこち歩いているからです。そうして、歩いている所々で同じように怒っている人がたくさんいるからです。

しかし、そのように怒っている人たちのほとんどは、その自分の周りで起きている災いに対して(あるいは噂できいていることに対して)だけ、こういうことはお前(私)がしていると怒っているわけです。

しかし、もうそういう人がそこらじゅうにいるわけです。

では、私はそこらじゅうで、そのような(人を病気にしているような)ことをしているというのでしょうか?

つまり、起きている現象が多すぎるのです。

怒っている人たちは、自分が知っている範囲で個々で怒っているだけなのです。しかし、実際はそういう現象はもうそこらじゅうで起きているのです。

では、そこらじゅうで起きている、そういう現象すべてが私のせいだというのでしょうか?

いくらなんでも多すぎると思いませんか?漫画じゃないんだから、私一人でそこらじゅうの人を、次々に病気になど出来るわけがないからです。

多くの人は知らないのです。それだけ多くの場所で同じようなことが起きているということなどです。

だから、自分の周りで起きていることだけをとらえて、それはお前がしていると思っているようなのですが、その全体を見るなら(私も全体までは見えていないと思いますが)凄まじい数なのです。

怒っている人たちは見ている範囲が(または知っている範囲が)狭いからそういう考えが出てくるのであり、しかし、本当に起きている範囲を知るなら、とても人一人でそんなことが出来るわけがないと分かるのです。

それだけ広い範囲で多くの人が同じように怒っているからです。

プラス引いている人もいます。引いているということは、怒っている以上に現象が現れているということになります。(どこかの会社を知ればそれは明らかです)

ということは、少なくとも名古屋市内だけでも(私は名古屋市内の一部を歩きまわっているだけですから)一体どれくらい多くの人が癌などになっているのか分からないということになります。

それくらい広い範囲で同じように怒っている人たちがいるからです。それを(それだけ広い範囲のことを)怒っている人たちは知らないのです。

単に、自分の周りの狭い範囲のことしか知らないから、それはお前がしているなどと簡単にいえるのです。

しかし、私が知っている範囲だけでも凄い数の人たちが怒ったり引いたりしているのです。では、どれだけ多くの人が病気になっているのか想像がつかないくらいです。

そんなことを人がやれるわけがないのです。

人がどうにか出来るような数や規模ではないからです。それくらい(私が知っているだけでも)多くの人が病気になっているようだからです。

それプラス私が知らないところでも、そういう災いが起きているとするなら、その数は凄まじい数になります。

残念ではありますが、いまこの辺りで起きていることは(この辺りだけなのか、それとも、もっともっと広い地域で起きていることなのか、どの程度まで広がっているのか全然分かりませんが)人がどうこう出来るようなことではないのです。

神の力でも現れない限り起きるようなことではないということです。

それくらい凄まじい現象が広範囲に渡って起きているから、大変なことが起きているといっているのです。

それでもまだ「お前のせい」などと小さな視野で責任転嫁するのですか?凄まじい現象が広い範囲で起き続けているというのにです。

ほんと凄い数だと思いますよ。行くところ行くところ同じようなことを皆してくるからです。

何も起きていないところであるなら、同じようなことをして来る人がこれだけ多いのはおかしいですし、噂できいているだけなら、あれだけ怒らないだろうと思う人もあちこちにたくさんいるのです。

この近辺だけでも、凄い数の人が病気になっているようですし(どこかの会社などその典型です)怒っている人や引いている人がドンドン増えているのです。

それに私を待ち伏せする人たちも増えていますが、こういう人たちなど確実に自分たちの周りで何か起きているはずです。

では、この近辺だけでも凄い数の人が(凄い勢いで)次々に病気になっているということが想像できますが(だって日に日にそういう人が増えている感じがしますから。外に出るとです)それが広範囲に渡って起きているということです。

では一体、どれくらいの人が病気になっているのでしょう。まあ、少し考えただけでもゾッとするくらいの数の人が病気になっているのではないかと思われます。(しかも大人から子供までです。私に怒り心頭な人は、大人だけではなく子供までいるからです)

これほどのことを私一人でやっていると思いますか?これだけのことが出来るのですか?

たった一人の人間がです。

少し視野を広げてみれば分かるのです。こんなことを人が出来るわけがないとです。

いま起きている恐ろしい現象を私のせいにしている人たちは、そういう事実を知らないのと、またそういう事実を認めたくないのと、両方の心があるから、事実が分からないのです。

いま起きている現象は人が起こしているわけではないのです。神が起こしているのです。

だから、これほどの現象が現れているのです。起きていることの大きさがそれを物語っているのです。

これほどの広範囲(少なくとも名古屋の半分くらいは出ていると思いますよ。それくらいのところはよく歩いているからです)に渡って凄い数の人が病気になるなど、とても人の業では出来ることではないからです。

神の業が現れない限り、起きることではないからです。

それでもまだ私のいうことを無視し、すべて私に罪を擦りつけ続けるのですか?これほどの物凄い現象が目の前に展開されていてもです。

何度もいいますが、もう、このような神の業が現れる時代になったのです。だからこそ心を正さないといけないのです。その神の業は、その人の心により現れてくるからです。

だから、心の汚い人は次々に災いが(それはこの辺りの病気だけではなく、激しい天変地変や東京などの全国で起きている異常現象なども含めたです)そうして心のきれいな人には次々に奇跡が(私やウナッシーさんなどに起きていることです)起きているのであり、この辺りの人たちなど、心が汚いところにもってきて、奇跡が起きている私に嫌がらせなどしてしまうものですから、その汚い心がよけい汚れて、そうしてよけい災い起きるという負の連鎖が起きているわけです。

そのようなことはすべて自分の心が時代に反応して現れた神の業なのです。

それをこの辺りの人たちは、私のせいにしているだけなのですが、そういう人たちは単純に自分の周りに起きていることだけをとらえて、悪いことを私のせいにしているだけで、起きている現象はすでにその人たちの想像をはるかに超えているということです。

それほど広く大きな現象がもうそこらじゅうに現れているのです。

これほどの現象が現れていても、まだ神を無視し、この本当の神の心である正法神理を無視されるのですか?

それは自由ですが、しかし、今のままの心であるなら、災いは確実に現れるでしょう。神の心からあまりにかけ離れた人が多いからです。

神の心からかけ離れていれば何か災いは現れるのです。そういう時代にすでになっているからです。

しかし、神の心に近づくなら近づくだけ奇跡が現れてきます。(法を実践している私たちがその証明です)

責任転嫁をどれだけしていたところで事実は変わりません。悪い心のままでは確実に悪いことは起きるのです。

少し視野を広げるなら、大変な事実がはっきり分かります。

それでもまだ神を無視し、神の心を無視されるのですか?それは愚かなこと以外の何ものでもないのです。

(この辺り、凄い勢いで災いが広がっているようですが〔何か凄いですよ。歩いているとそれがよく分かります〕それでも意地を張り続けますか?救われる道はこの教えを実践する以外ないのですが…)

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12月 19 2017

筋違い

しかし、昨日は呆れましたね。(「昨日は」じゃなくて「昨日も」ですね)

ある場所で家をつくっているところを通ると、その家をつくっている大工たちが凄い怒りようなのです。(私が近くを通ると、もう、ガンガン、ガシャーンとかやっていました)

その時に思い出したのですが、そこの大工たちはたしか前に私が近くを通った時にガンガンやってきたので「どうなっても知らないぞ」と「俺は何もしないから、何があっても俺のせいにしないでくれよ」と何度もことわったところでした。

そういってことわっている大工は多いですし(あちこちで家をつくっていますので)その場所を通ったのは久しぶりでしたので、その連中のことなどすっかり忘れていたのですが、凄い怒りようでしたので思い出したのです。(忘れているくらいですから、その連中を祈ったりした覚えはありません)

しかし、勝手なものです。前にこの場所を通った時に、この連中には何度もいったのです。

「俺にかまうな」とです。「俺に嫌がらせなどしてきたら絶対に何か起きるからやってはいけない」とです。(実際、百パーセント何か起きていますからね。こういうことをしてきた大工たちにはです。本当に大げさではなくです)

しかし何度いってもこの連中は私のいうことをきかなかったのです。(平気でガンガンやっていました。まあ、そういうところは多いんですが…)

だから「それなら何が起きても知らないぞ」と「俺は何もしないから、もし何か起きてもそれを俺のせいにはしないでくれよ」とそういって、そうして「何か起きても、それはそういう嫌がらせをしている自分たちの行いが悪いからそうなったんであって、それは天罰だからな」ともいっておいたのです。

そういう話をこの大工たちに散々いったにもかかわらず、本当に何か起きたら、全部それを私のせいにして怒りまくっているのです。

勝手なものです。

そんなのどこをどうとっても自分たちのせいであるからです。

私は何度もことわっているのです。それにもかかわらず、私のいうことを無視して嫌がらせをしたのは自分たちの方なのです。

それなのに、何で何か起きたらそれが私のせいになるのでしょう。

そんなのは自分たちのせい以外の何ものでもありません。私のいうことを一切きかず嫌がらせをし続けた自分たちが悪いからです。

本当に何か起きるとは思わなかったのか、それとも意地でやっていたのか、それは知りませんが、こちらはもうそんなことは何度も起きて知っているのです。

だから何度も「そんなことをしてはいけない」といったのだし、その大工連中はそういうことも知っているはずなのだから(いろいろきいているから私に嫌がらせをしてきたんでしょうし)私のいうことをきいて静かにすることはいくらでも出来たはずです。

しかし、それをしなかったのは自分たちなのです。自分たちが、お前のいうことなど知ったことかと嫌がらせをしておいて、それで何か起きたら私のせいでは明らかに筋違いです。

そういう筋もへったくれもない、道理から外れたことを平気でしているから呆れたといっているのですが、この辺りの人たちはこういう人が多いのです。

自分が好き勝手やっておいて、何か起きたら皆こちらのせいにしているのですから、こんなデタラメな話もないでしょう。

だからこの辺りは悪いことばかりが起きているのです。筋の通らないことを多くの人が平気でしているからです。(今日は朝からどこかの会社も怒っているようですが〔元気なさめにです〕その起きている災いは、すべて自分たちの行いの悪さから来た自分たちのせいなのです。早くそれを〔自分たちのこれまでの行いを〕反省してください。それ以外でその災いを止める方法はないからです)

これではいいことが起きるわけがないと他の地域の人たちは思わないでしょうか。(ねぇ、ひどいでしょう。この辺りの人たちはです)

こういう筋違いなことをこの辺りの人たちはし続けているのですが、しかし、他の地域の人たちもです。くれぐれも、この辺りで起きていることを他山の石として同じようなことが起きてきた場合でも、責任転嫁だけはしないでください。

第三者の立場であれば、正しく物事を見ることが出来ても、今度自分がそのような立場になった場合、そのように正しく物事を見られなくなるかもしれないからです。

しかし、それではいけないのです。自分が同じ立場になっても正しく物事を見て、正しい判断をしないといけないのです。

そうしないと、起きる災いは止まらないからです。(筋違いなことをし続ければ災いは起き続けるということです)

他の地域の人たちも(この辺りの人と)同じように、いつ災いが起きるかもしれません。相変わらず神の教えを無視し続けているからです。

よい実践を行おうとしないからです。

そうなるといつ自分たちに災いが降りかかるかもしれません。その時に責任転嫁だけは(また私のせいにだけは)しないでください。それをしだしたら、この辺りの人たちと同じように災いが止まらなくなるからです。(いま現在も、すでにその災いは起きているんですけどね。天気が異様に悪かったり、電車が何度も止められたりしてです。それを皆さん平気で無視していますけどね。ちょっと怖いです)

その災いといえば、例のフィギュアスケートの選手は全日本選手権を欠場するとのことですが、二月のピョンチャンオリンピックもダメっぽいですね。

まだ、右足首のけがが全然治っていないんでしょう。

しかし、あれは災難でしたね。本番前の練習中のけがでしたから。

これも災いといえるのではないでしょうか。一時あれほど神がかり的な技を見せた選手です。その選手が本番前の練習中に何でもないことで、これほど長引くけがをしてしまったからです。(だってあの時は、他の選手にぶつかってこられたとかそんなことではなかったですから。〔それならひどいけがにつながってもおかしくはありませんが〕普段から飛んでいる四回転ジャンプの着地を失敗してのひどいけがです。普段から飛んでいる四回転でのこれだけひどいけがなのです。災いが現れたとしか思えません)

しかし、そんな災いが起きたのなら、そういう災いを祓い、神の光を降ろすことができるのは(正しい法を説いている)私の祈りしかないのですが(私が祈ればけがの治りも早まるでしょうし)しかし残念ではありますが、ご本人が(知ってはいても)それを望まないのであればどうしようもありません。

こればかりは見守るしかありませんね。

ただ、今回オリンピックがダメになるだけならいいんですが、結局けがが治りきらず、このまま引退などとなったら、それはそれでフィギュアスケートのファンも悲しむでしょう。(なきにしもあらずですから。それほど軽いけがでもないでしょう。もうずいぶんたつのにまだ氷の上にも立てないというのですから)

そんな災いなど起きたままでいては、その後もいいことは起きないのです。そのような災いが起きたということは、それだけ自分の心に悪いところがあったからです。

そういう心のままではその後もいいことは起きないでしょう。(それはこの辺りの人たちも同じですが)そういう心を正さない限りまた災いは現れるからです。その心が災いを呼んでいるからです。

どの人もそうですが、筋違いなことをし続けているからよい事が起きないのです。

やはり筋を通し、道理は通さないといけないのです。そうしないと(筋を通さないと)いいことは起きてこないからです。

筋を通せば、よい道もついてきます。

筋違いなことはやめませんか?それが正しい人の道であるからです。

(本当に筋の通ったことをしませんか。ずいぶん不幸なことが起きているようだからです。〔大工さんもそうですが、この辺り特にそんな人が多いようです〕昨日も書きましたが、どの人も私のブログを読んでいるのだから、少しくらいの報恩の行為の実践はするべきでしょう。それを頑なにしようとしないから悪いことも起きてくるのです。これからはおきている時だけではなく寝ている時にも〔夢の中で〕そういう導きを受ける人も出てきます。そういう人は早く実践を行ってください。そのままボケッしていれば必ず災いが現れるからです。もう罰当たりな行いはやめましょう。同じ実践をするにしても、罰当たりな行いは罰しか当たらないからです…本当にもったいない話です。実践していることが罰当たりなことだけだなんてです)

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12月 18 2017

後は実践、一日一生

何度もいいますが、やらないならやらないで結構なんですが、ただこの辺りはドンドン(危ない)現象が現われています。(悪いことをしすぎましたよね。この辺りの人たちは)

この辺りは、ずいぶん前からこのブログを読んでいる人も多いのです。自分がやれる範囲でいいから実践してみたらどうですか?

その方が危ない現象も減ると思うからです。

また、こういうことを書けば怒る人も多いのですが(本当にこの辺りはひねくれている人が多いですから)しかし、怒ったところで止まる話でもありません。逆に怒れば怒るほど危ない現象は現れるのです。(それは、どこかの会社で証明済みです。今日も静かです。本当に人が変わったようです)

罰が当たっているのですから、態度を変えるしかないのです。態度を(よい方に)変えれば、その罰は当たらなくなるからです。

そればかりでなく、せっかく法の勉強をしたのにもったいないですよ。何も実践しようとしないのはです。ずいぶん心が変わっている人も多いはずだからです。

高橋先生がいわれていましたが、高橋先生の本を何度も読んでいる人は心もきれいになるらしいのです。法が書かれたものからは光が出ています。その光で心が磨かれるからです。

正しい法が書かれたものは、高橋先生と園頭先生のご著書か、このブログしかありません。ということは、このブログをずっと前から読んでいる人たちは、ずいぶん心が磨かれているということになります。(ただし適当に読んでいるのではダメですけどね)

人によってはグンと心のレベルが上がっている人もいるはずです。(このブログを見る前と現在とでは考えがずいぶん変わった人がいませんか。そういう人は心も変わっているのです)そういう人が法を実践するのならすぐにでも奇跡が現れるのです。(ウナッシーさんなどよい例です)

そのような心の磨かれた人が読んでいても何の奇跡も現れないのは私に何もしないからです。

ウナッシーさんでもそうだったんですが、一昨年は今年と同じようによく寄付をしてくれていました。そういう時はよく奇跡が現れていたのです。

ところが去年は布施をしてくれなかったのです。そうしたら去年は、奇跡らしい奇跡が現れなかったのです。(コメントなど見るとそう感じました)

そうして今年です。また布施をしてくれるようになると、とたんに奇跡が現れてきたのです。(ウナッシーさんに今年おきた奇跡は、ウナッシーさんのコメントを見てもらえれば分かります)

別に、私に布施をしたから奇跡が起きたということではありませんが、それだけ法を説く人に対しての愛の行為は徳を得るということです。だから奇跡も起きるのです。(逆に災いもです。それだけ法を説く人に対しての悪の行為は罪になるということです)

そういう心が磨かれているのに奇跡らしい奇跡が起きない人は、よい実践をしていないからです。私に布施するくらい(法を説いている人に布施するくらい)よい行いもないのですから、それがきっかけで奇跡が起きだす人もいます。

頭で考えているだけではダメなのです。実践が大事なのです。実践しないことには奇跡は起きてこないのです。

では、されてはどうでしょう。愛の実践をです。

もちろん、このブログを読んで自分で法を実践した結果、奇跡が起きだすこともありますが、そのような奇跡は、どちらにしても、その法を教えてくれた人に対し報恩の行為を行わなければ、その反動も現れるのです。

だからもう、けがをした人や調子を落とした人が続出です。(男女ともにです)そういう、いいとこ取りしかしなかった人がこのブログを見ている人には多かったからです。

しかし、それではダメなのです。法を説く人はそれだけ大事な存在であるからです。(釈尊しかり、キリストしかりです。その法を知らなければ奇跡は起きないのですから)だから法を説く人をぞんざいに扱ってはいけないのです。

そういうことをしていれば、必ず、天罰がくだるからです。(実際この当たりは天罰がくだりまくりです。法を説く人を超ぞんざいに扱っているからです)

もうこのブログを読んでいる人たちは、特に、もう何年も前から毎日のように読んでいる人たちは、ずいぶん考え方が変わっているはずです。そういう自分(の心)と共鳴する部分が多かったから、そのような人たちはこのブログを何年も前から見ているはずだからです。

そういう人は過去世でも法をきいたことがある人たちなのです。だから(表面上はともかく)心では共鳴できる部分が多いのです。

自分の過去世の記憶はすべて心に詰まっているからです。

そういう人たちはすでに心では、ここに書かれたことが正しいと、本当の神の教えであると、分かっているのです。

それが表面意識までしっかり伝わってこないので、なかなか実践することが出来ませんが、そこがこの世の修行であり、その心の中の真実をどれだけこの世に現すことが出来るのかが、この世でどれだけ自分の修行になるのかの分かれ目なのです。

その心の中の真実を、この世で実践できれば出来るほど自分の修行が出来ているということになり、心は向上するのです。

また、そういう人たちの中には、このブログを毎日読んでいるだけではなく、一日に何度も読んでいる人たちもいるはずです。

そういう人たちは絶対にやらないといけないのです。そういう人たちは特に法に縁が深い人たちであるからです。

普通は読まないでしょう。人のブログなど一度読めば十分であるからです。(しかもこのブログは長々と書いてあるのですから。〔苦笑〕)

ところがこのブログを一日に何度も読む人がいるのです。(いますよね。そういう人が何人もです。〔笑〕)

そういう人は読みたくなるのです。読まなければいられなくなるのです。法との縁が特に深いからです。(私もそうでした。高橋先生や園頭先生のご本が読みたくて仕方がない時がありました。まあそれは今も大して変わりませんが。〔笑〕もう中毒ですね。法の本がないと生きていられないのです。〔笑〕)

そういう人は法が読めなくなると思うともう寂しくてどうしようもないですよ。園頭先生が亡くなられた時の私がそうでしたから。(園頭先生の書いたものがこれから読めないと思ったら、もう悲しすぎてゾッとしましたもん)

だからやらないといけないのです。そういう人は自分で法を実践していくのなら、必ず奇跡が起きるようになり、自分でその法も説けるようになるからです。

そうすれば、そのような悲しみも半減するからです。(自分で法を説けばいいからです)

また、そういう人はこの世でそのような法の実践を絶対にしてこないといけないのです。もし、その人たちが法にかかわることを何もしなくてあの世に帰るのなら即地獄行きです。

そのような法に特に縁が深い人たちは、それだけ(他の人とは違う)絶対に法をこの世に拡げてきますという、かたい約束を神と交わしているからです。(他の多くの光の天使たちともです。中には釈尊やキリスト、モーゼや七大天使たちと、そういう約束を交わした人もいるかもしれません)

それは男女にかかわらずです。性別は関係ないからです。男でも女でもやらなければいけないことはやらなければいけないからです。(こういう場合は男女平等です。〔笑〕)

それはともかく、どちらにしてもです。このブログを長年見ている人たちであと足らないのは実践だけなのです。

せっかくこれだけ法を知ってです。何も実践しないようなら、これだけもったいない話もないのです。(人によっては実践すれば次々に奇跡が起きる、そういう人もいるからです)

法を説いている人に無視や嫌がらせなどするから罰が当たるのです。

法を説いている人を見たら「ありがとうございます」と感謝して布施でもするのです。(過去の人たちは皆そうしていたのですから)

そうすれば、その人たちには奇跡が起きるからです。(何かよいことは起きると思いますよ。そういう人には私も祈るからです)

そういうことをあまりに知らないのです。現代の人たちはです。神から心が離れてしまったからです。

しかし、このブログを読んでいる人たちは、その神との距離もずいぶん縮まったと思います。そうして神の心もずいぶん分かったと思います。

後はそれを実践するだけなのです。

では、すぐにでもされたらどうですか?明日、自分の命がなくなるかもしれないからです。

別にこれは縁起の悪いことでも何でもありません。実際に私たちはいつ死ぬか分からないのです。(分からないでしょう。分かりますか?自分の寿命がです)

だから高橋先生は「一日一生」といわれたのです。

今日出来ることを明日でも出来るからと伸ばしていては、明日自分が死ぬことになったら、それは出来なくなる。だから、今日できることは今日やらないといけない、明日は明日でやれることをやればいいと、そういう意味で高橋先生は一日一生といわれていたのです。(今日一日を全力で生きろとです)

何度もいいますが、このブログを見ている人たちは、後はこのブログに書かれたことを実践するだけなのです。

そうして一日一生です。

今日、それを実践されてはどうですか?そうしないと明日では後悔するかもしれないからです。

(特にこの辺りの人たちはです。別に明日をも知れぬ命とまではいいませんが。〔笑〕)

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12月 17 2017

やれば天国やらねば地獄

それにしてもどうしたんでしょうね。どこかの会社などです。

本当に静かになってしまいました。ちょこちょこ怒ってはいるんですが知れたものです。この会社が静かになるとは思いませんでした。

もう、何年にも渡りでかい音を立て続けていたからです。

この会社は(このブログを見ている皆さんもよく知っているでしょうが)どれだけ災いが起きようが逆にそれに腹を立ててよけいでかい音を立てていたのです。そんな何が起きても開き直って怒りまくっていたところが、ここ一~二週間は急に静かになってしまったのです。

ちょっと予想できなかった変わりようです。(この連中は絶対に静かになどしないと思っていましたから)一体何が起きたらこうも変わるんでしょう。

あれだけ意地になって嫌がらせをやめようとしなかった連中がです。

それが急に静かになった。(ちょっとというか、かなり怖いです)何が起きているのか知りませんが、それだけ危ないことが起きているのなら、もう頭を下げれば(これまでのことを反省すれば)いいのです。

そうすれば、その災いは止まるはずだからです。

まあ、それは他のところも同じでしょう。怒っているところや引いているところがドンドン増え、待ち伏せしている人まで増えています。

ずいぶん災いが現れているのでしょうが、しかし、もう反省する以外ないのです。神のことを少しも考えようとせず、神の業を人のせいにして間違ったことをしていたのは自分たちの方であるからです。

では、神を認めて頭を下げるしかないのです。

これまで神と神の業を(まったく)認めようとしなかった自分たちが悪いからです。(だからこれほどの罰が当たっているのです)

この辺りの多くの人が神を認めて素直に頭を下げるなら、多くの奇跡が現れてきます。どれだけそれが嫌なことであってもやってもらうしかないのです。

それが自分のためであり、また多くの人のためでもあるからです。

なぜ、多くの人のためでもあるのか?

それは名古屋の多くの人たちが反省し、心を入れかえるのなら、名古屋から一気に奇跡が日本中に広がるからです。日本中に奇跡が広がるのなら、どれだけ多くの人のためになるのか分かりません。

だから、この辺りの一人一人の人が素直になるなら、それは多くの人のためにもなるといっているのです。それだけ大きな影響を法を知った人は多くの人に与えるからです。(そういうことを理解していないのです。本当の神の教えをよく学んでいるのなら、その教えを知らない人に影響を与えないわけがないでしょう。自分たちの力をこのブログを見ている人たちは知らないだけなのです。このブログを長く見ている人たちは、知らずにもう大変な力を手に入れているのです)

もう名古屋の人たちは私のブログを長く読んでいる人が多いのです。では、法もある程度は理解しているでしょうし、法を理解して心を入れかえるのなら、一変に奇跡が起きるようになります。(ウナッシーさんのような人が名古屋に一挙に出現するということです)

では、どれだけ大きな影響をこの日本に与えることになるのか分からないのです。

名古屋発の奇跡が日本中に広がるのです。どれだけ人のためになるのか分からないくらいです。

ウナッシーさんがよい手本です。このブログを見ている人たちはウナッシーさんに続かないといけないのです。

そうすれば同じような奇跡が現れてくるからです。自分の行いによってです。

そのウナッシーさんは、いよいよ次の段階に進まれるようです。(法の流布)しかし、ここからが難しいのですが、それをしないことには先に進めません。

少なくとも私が伝えている法をきいている人でトップを走っている人です。(笑)やってもらうしかないですね。

法を勉強するだけなら、誰だって出来るのです。(この辺りの人たちなど私に反発しつつも法の勉強だけは続けている人が多いですから。私のブログを読んでです)

しかし、その法をどれだけ実践できるのかが問題なのであり(それがこの辺りの人たちはまったく出来ないのです。だから災いばかりが現れるのです)その法を実践して多くの人に法を伝えて、その伝えられた人に奇跡が起きるようにならないと、法の勉強がしっかり出来ているということにはなりません。

伝えた相手に奇跡が起きるということは、その伝えた法が正しいことを意味しているからです。

法を勉強して、実践し、人に伝える。そうして、その伝えた人たちに次々に奇跡が起きる。ここまで出来て、初めて神に「法を世の中に伝えてきました」と報告できるのです。

私たちは、ここまでしてこないといけないのです。それが日本に出てきた人々の神との最低限の約束であるからです。

最低限、ここまではしてこないといけないのですが、まあ、このブログを見ている皆さんはそんなことは知らないというのでしょう。(このブログを読んでいてよくそんなことがいえます。本当に怖いです。〔恐〕)

しかし、私のいっていることが正しいから奇跡が起きているのであり、では、奇跡の起きている者のいうことを信じてもらわねばなりません。

正しいことをいっているから、奇跡が起き続けているからです。

どちらにしてもです。この辺りの人たちは布施くらいはしないといけないのです。私のブログを見続けている人が多いからです。

そういう(法を伝えられた)恩があるのにこの辺りの人たちは、よりにもよって、その恩ある私に嫌がらせをしているのです。

これは最悪ですね。

だから、生死にかかわるような(癌になるような)天罰までくだっているのです。やっていることが最も悪い行いであるからです。

一番してはいけないことを(法を伝えてもらった人に対する嫌がらせ)多くの人が実践しているからです。

だからこれほどの災いが多くのところで起き続けているのです。

東京は相変わらず電車が止められているようですね。

架線が切れたり(昨日は横浜で切れたらしいのですが、それが原因で東京の電車まで影響したようです)電車の窓ガラスが割れたりしてです。

電車の窓ガラスなどは誰かが石を投げたのではないかといわれていますが、どちらにしてもそういう順序をもらうのです。行いが悪い人が多いとです。

結局、法を伝えられている人たちの態度が悪ければ天罰はくだるからです。(程度問題なだけです。直接嫌がらせなど私にしてしまえば命にかかわるような天罰が現れてくるし、そうでなければ、それ相応の天罰が現れるということです。法を説いている人に対し悪いことをしていることには変わりがないからです)

少しはよいことをしてはどうでしょう。(ほんと罰当たりです)このブログを見ている人たちが少し動いてくれるだけでいいのです。(すでに実力者ばかりなんですが…本当にもったいないです)

そういう(少しでも動いてくれる)人がたくさん出てくればあちこちに奇跡が現れ、その奇跡が一気に広がるからです。それをしてもらうだけでもずいぶん変わってくるからです。

日本がです。

だから、動いてもらわねばならないのですが、私は、こういう(動かざること山の如しの)人たちをどれだけ動かすことが出来るのかが、これからの修行であるということになります。

こういう人たちを動かすことが出来れば状況は一気に変わってくるからです。

だから私も、ウナッシーさんのことばかりいっている場合ではありませんが(自分が悪いと)気づく人が出てこない限り、この辺りの災いは止まらないし、東京などで起きている災いも止まらないのです。

しかし、それに気づいて反省し、この教えを実践する人が出てくるなら(ウナッシーさんの例を見ても分かりますように)それを行えば行うだけ奇跡が現れてきます。

そういう人が増えてくるなら、多くの奇跡をこの日本に現すことも不可能なことではないのです。ずいぶん多くの人がこのブログを見ているからです。

ということで(このブログを見ている人たちが)やってもらわねばこの異常現象は収まらないし、やってもらうなら多くの奇跡が現れてくるのです。

もし、日本で多くの奇跡が現れるのなら(外国の人たちは有神論の人たちが多いのですから)どれだけ多くの世界の国々にこの教えが拡がるか分からないのです。

そうなれば、黙っていても世界は平和になっていきます。(近いところでは北朝鮮や韓国、中国などともうまくやれるのです。今度は〔外交ではなく〕信仰で結びつくことになるからです。これは心と心で結びつくということになりますので深いです。そこに神の力が加わります。このようなあまり仲のよくない国との間でも〔北朝鮮だけでなく中国や韓国とも実際は仲はよくないですよね。いろいろ揉めているし〕どんな奇跡が起きるか分からないのです)

私たちが動くか、動かないかでずいぶん起きることが変わってくるのです。(それも世界的にです)

少し心を入れかえ実践されてはどうですか?この教えをです。

そうすれば今と逆の現象が(もちろん奇跡です)たくさん現れてくるからです。(前からこのブログを見ている人たちは、それだけの力はもうついているからです)

やれば天国やらねば地獄です。(なんか地獄にいる人がたくさんいるようですが…どこかのマンションの人たちも大丈夫ですか?ひどく怒っている人もいるようですが、反省してこの教えを実践するなら奇跡が起きますよ)

自分たちが積極的に神の運動をしようとしない限り、神は力を貸してくださらないのです。

しかし、神の力が現れるのなら多くの奇跡も現れます。その神の力を現す教えこそ、この正法神理なのです。

ずいぶんこのブログを長く見ている人たちも多そうです。(ずいぶん法を学ばれましたね。誰のお陰ですか?)後は行うだけなのです。

やりませんか?何度もいいますが、やれば天国やらねば地獄であるからです。

(悪いことをいわないから、私のいう通りにまず私にいいことをしてみなさいって。そうすれば悪いことは止まりますから。そうして、このブログに書いていることを実践してみなさいって。そうすればどれだけ奇跡が現れるか知れないからです。すでにそれくらいこのブログを長く読んでいる人たちの心は変わっているのです)

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12月 16 2017

責任転嫁

少しは分かってもらえたでしょうか?責任転嫁をしていることがいかによくないかがです。(園頭先生がいわれていたように、責任転嫁をしている間は運命は好転しません)

そこが気に障ったのでしょうか。昨日は、やたら怒っている人が何人もいたようですが、怒ろうがわめこうが、いけないものはいけないのであって、いけないことをしているから悪いことが起きるのです。

いけないことをやめて、潔く自分の罪を認め反省するなら悪いことも止まると思いますが、それでも認めませんか?

自分の罪をです。

自分の罪を認めない限り、悪いことは止まりませんが、それでもよろしいのですか?(ずいぶん態度が変わってしまったところもありますが…どこかの会社などその典型です)

昨日も書きましたように、自分に悪いことが起きてくるのは、自分の悪いところを人や病気などを通して教えてもらっているからです。

だから、悪いことが起きるのは人のせいではなく自分のせいであるといっているのです。(だからそのようなことは悪いことというより気づきの現象なのです)

例えば、いま話題になっている芸能人の不倫などもそうです。

今回は(いつもは夫の方が浮気をするパターンが多いのですが)妻の方が浮気をしたということで騒がれているようですが、あそこの芸能人夫婦の家庭はずいぶん亭主関白であったようです。(そんなことをテレビでいっていました)

別に亭主関白が悪いわけではありませんが(私的には嫁さんの尻に敷かれるよりはよほどよいと思いますが)ただ、余りに夫の亭主関白がすぎると妻は不満を持つことになります。

そのような夫に対する不満がたまってくると(亭主関白であるので夫にいいたいことをいえませんし)妻は、陰でよその男と浮気をすることによって夫への不満のはけ口を求めるということになります。(そのような夫に対する裏切り行為を行うわけです。夫の傲慢な亭主関白に対する当て付けとしてです)

だから、今回の芸能人妻の浮気はです。

そのような夫の妻に対する(あまりに妻の気持ちを考えない)傲慢さが、妻が他の男と浮気をするという結果となって現れたのではないかと思われますが、まあ、その芸能人夫婦のことは詳しく知りませんのでどこまで当たっているのかは分かりませんが、そのような原因(一方的な亭主関白)をつくればこのような結果(妻の浮気)も現れるということです。

だから、亭主関白も暴君ではダメなのです。愛ある亭主関白でないとダメなのです。

亭主関白も中道でないといけないということです。その中道の範囲内の亭主関白なら大いにやるべきです。何度もいいますが、嫁さんの尻に敷かれっぱなしよりはよほど(男主導の)亭主関白の方がいいからです。(男は先に立ってやらねばならないからです)

妻はそのように夫を好きなようにやらせておいて、裏から夫をコントロールしないといけないのです。正面からギャーギャーいってはいけないのです。(たまにギャーギャーいわれないとやらない男もいますが、そういう例外はのぞいてです。〔笑〕)

こういう場合、浮気をした妻が一方的に悪いとはいえないでしょう。

だから、園頭先生は、その人の心の面まで知らないといけないといわれているのです。その人の心の中に起きていることの原因があるからです。

ついでに書くなら夫の浮気の場合は妻の愛が足りないと夫は浮気をします。男は、その足りない分の愛を別のところで補給しないといけないからです。

男は仕事がやれればやれるだけ愛のエネルギーが必要なのです。だから、仕事が出来る男ほど外に女をつくるのです。

妻だけの愛では足りないからです。

だから、そういう場合は浮気をしている夫に対しもっと妻が愛を出すなら、夫の浮気は直りますが、いつまでも愛を出そうとしないと(口しか出さないと)いつまでも夫の浮気癖は直らず妻が苦労するということになります。(だから、何度も浮気をしている芸能人なんかいるでしょう。〔笑〕ああいう人は妻の愛が足りないのです。だからもっと妻が愛を出すなら、あの芸能人の浮気癖は直るのですが、妻が口でギャーギャーいっているだけで態度を変えようとしなければ、絶対に直りませんね。あの浮気癖はです。あの浮気をしている芸能人はもっと妻の愛が欲しいからです)

こういう場合も夫が悪いと一言ではいえないはずです。元々の原因は妻にあるからです。

こういうことなのです。園頭先生がいわれていた「どういう人生が現れてきてもそれは自分自身の責任であって人の責任ではない」ということはです。

自分の周りに現れてきたことは必ず自分に原因があるのです。人に原因があるわけではありません。

この辺りで起きていることも同じなのです。

自分たちが心を救われ不思議な現象まで見せてもらっているのに、その人にまったく感謝せず嫌がらせを繰り返していて、それでよいことが起きると思いますか?

そういう行いを何年にも渡って続けているくせに、何で自分たちに起きてくる悪いことが私のせいなのでしょう。

どう考えても、自分たちの行いが悪いから自分たちに悪いことが起きているだけではないですか。

それが何で私のせいになるのでしょう。そういう(見え見えの)責任転嫁を多くの人がいつまでも続けているから、この辺りは多くの人が不幸になっているのです。

自分たちが反省する以外で、その悪いことを止める方法はないのです。

園頭先生は「自分の運命を人のせいにしている間は運命はよくならない」といわれ「すべて自分の責任だということが分かって努力する時、運命は変わっていくのである」といわれています。

責任転嫁をするのではなく、いい加減、自分の責任を認めませんか?

自分の責任を認め、よくなるよう努力し出して、はじめて自分の運命はよい方にと変わって行くからです。

それをしない限り運命がよくなることはありません。

責任転嫁はやめませんか。それをしている間は絶対によくなることはないからです。

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