12月 15 2017
結婚初夜に夫に性病を移された女性③
同じく正法誌の1980年十月号より抜粋します。
<書けばこれだけのことになるが、いろいろやりとりがあって私たちは三時間くらい話をした。最初は、悪いのは主人です。私は悪くないのですといって、とてもそんなことは出来ないといっていられたその夫人も、この諸行無常の世界は、神の子の実在である魂をどのように表現するかというその場所であるということを知られ、愛とは、相手のためにどこまで自分を投げ出せるかということであるということがよく分かり、
「では、いわれた通りやってみます」と明るい顔で帰って行かれた。
新聞などの人生相談担当者は、心の表面だけを見て常識的な解決しかしない。そういう人たちがこのような問題を扱ったとしたら「すぐに別れなさい」としかいわないであろう。常識的な解決をしても、魂が成長しなければその指導は失敗である。
三界は画師の如し
画家がどういう画を描くかは画家の心の中にある。同じ風景を描いても、画く画家の心によって一つ一つ画の味わいが違ってくる。
この大宇宙は神が創造された。神が創造された地球というカンバスの上に、肉体という絵筆を持って、どういう人生を描き出すかは、一人一人の心による。どういう人生が現れてきても、それはすべて自分自身の責任であって人の責任ではない。自分の運命を人のせいにしている間は運命はよくならない。すべて自分の責任だということが分かって努力する時、運命は変わっていくのである。変えられない運命は一つもない。
他力信仰は自分の運命を他に頼ってよくしようとするのであるから正しい信仰ではない。信仰は自分でしなければならない。自分が力を出した時、自分の魂が向上し、魂が向上した結果としてよい運命が現れてくるのである。
一ヶ月目に来た手紙には次のように書いてあった。
「お教えいただいてから一ヶ月余り、あれからすべてのものの見方考え方がすっかり変わり、今まで事ある毎に抱いていた疑問も、次々と解かれて行くのが不思議です。今、私の周りのものすべてが甦ってくるような息吹を感じます。ぬけるように青く澄んだ大空を眺めていると、先生との出合いがこんなにも偉大で私にとってかけがえのない大事なものであったことかと日増しに感じております。
夫婦の道に教科書というものがあったらと永い間自問自答してきましたが、高橋信次先生がお示しになった〝正法〟という立派な教科書があったことが身にしみてはっきりと分かりましたこの私の喜びをご想像ください。
振り返るとこの一ヶ月、私自身、生活のペースがすっかり変わってしまいました。かえようとしてかえたのではないのです。ごく自然に………
主人に対して嫌悪感を抱いていたのは事実です。いつも身体が苦痛なので診察に行くと『全然異状なし』とのこと、でも腰が抜けるように痛かったのです。二十年余り続いていた痛さがウソのように消えてしまいました。奇跡といえば奇跡かもしれません。肉の身にとらわれないということを感じ取っていたせいでしょうか。」
完全に夫婦の間は調和し、家出していた娘さんも「お母さん、私が悪かった、許して」と帰って来られて、夫となり妻となり、親となり子となってよかったと今は光明の幸せな生活をしていられるのである。
われわれの人生の目的は、どんな環境をも魂の栄養として、何ごとにも動じない安らかな心を持つことである。現実に逃避することも、心の中で夢をつくって観念的に逃避することも、その心を裏返しにすれば、真正面から現実の問題に取り組む勇気を持たない、弱い自分、卑怯な自分を自分で認めていることになる。自分の潜在意識の中で自分の弱さを認めていたのではいつまでたっても強くなれない。
われわれの背後には神の大なる生命力がある。謙虚な明るい心を持つ時、神の大生命力はわれわれの心を通して神自身の力がそこに現れる。いづれにしても神が実在するということを素直に信じることが信仰の入門であり、またそれがすべてでありあなたが神を信ずる心のいかんによって現象は左右されるのである。(おわり)>
三回にわたり書いてきましたが、これだけ苛酷な結婚生活を送られていた人も法(釈尊が説かれた本当の正法)を実践するなら、幸せな人生を歩めるようになるということです。
ここに書かれた結婚生活に比べるなら、ずいぶんたわいない理由で離婚する人たちが最近は増えたと思われないでしょうか。
しかし、結婚くらい(特に女性は)自分の愛を試せる場はないのであり、せっかくそういう場を与えられたのに、ちょっとしたことで別れてしまっては自分の魂も磨かれないのであり、また、その結婚相手とは過去世でも相当深い縁がある人なのです。(過去世でも夫婦であったり、親子であったり、親しい友人であったり、とにかく夫婦となる人など過去世でどれだけ一緒にこの世に出て、心の勉強をしているのか分からないくらいの人なのです。だから、園頭先生は夫婦は最高の友であるといわれていたのです)
そういう人と(結婚して)またともに心の勉強が出来るチャンスが来ているのですから、そのチャンスを活かして、どれだけ苦労があろうがその人とともに、その苦労を乗り越えるなら、また自分の魂はひと回りもふた回りも大きくなるのです。
それが(魂を大きくすることが)この世に出てきた私たちの目的なのです。
どれだけその人が嫌な人でも、愛の心でその人を変える、それが自分の魂の修行なのであり、また神の愛にはそれほどの力があるのであって(神の大生命力は我々の心を通して現れる)多くの人は、その愛の出し方を知らないのです。(法を知らないから)
だから、うまくいかない夫婦が(また、こらえ性のない夫婦が)たくさんいるわけですが、しかし、ちょっとした嫌なことで別れてしまっても、それは逃避にしかすぎず、どれだけ嫌な問題を逃避したところで、いずれどこかでまた同じ問題とぶち当たり、その問題を自分が乗り越えるまで、その問題は出続けるのです。
だから、どっちみち同じことなのです。嫌だからといって逃げてもしばらく時を置いてまた同じ問題が現れてくるからです。
その問題は自分の心が悪いから、そういう問題が自分に現れてきているのであり(だから園頭先生も性病を移された女性にいわれたのです。あなたのせいで家庭が暗くなったとです。その女性は、そういう順序をもらう心を持っていたということです)その問題を自分で解決しない限り、その問題は消えることはないのです。(それは自分の心の問題なのですから。それが別の人を通して現れているだけなのです)
だから、園頭先生はいわれているのです。
「どういう人生が現れてきても、それはすべて自分自身の責任であって人の責任ではない。自分の運命を人のせいにしている間は運命はよくならない。すべて自分の責任だということが分かって努力する時、運命は変わって行くのである」とです。
それは夫婦の問題でも、それ以外の問題でも同じなのです。
いま悪いことが起きている人たちは、自分自身の責任でそのような悪いことが起きているのであり、決して人のせいではありません。
自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きているのです。
それを認めて、その悪いことが起きなくなる努力をしない限り、その悪いことはなくならないのです。
自分で変えられない運命など一つもありません。
もし、自分が悪い人生を歩んでいると思う人は、よい人生になるよう努力してください。そうすればその人生は必ずよくなるからです。
そうして、そのような(幸せになる)道は、どこかに、これもまた必ず用意されているのです。(それが神の愛ですから)
多くの人はそのことに気づかないでいるだけなのです。(気づかないふりをしているだけといった方が正しいでしょうか)
気づいた人から幸せの道はついてきます。
いつまで責任転嫁をしているのですか?それではいつまでたっても幸せにはなれないのです。



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