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12月 15 2017

結婚初夜に夫に性病を移された女性③

同じく正法誌の1980年十月号より抜粋します。

<書けばこれだけのことになるが、いろいろやりとりがあって私たちは三時間くらい話をした。最初は、悪いのは主人です。私は悪くないのですといって、とてもそんなことは出来ないといっていられたその夫人も、この諸行無常の世界は、神の子の実在である魂をどのように表現するかというその場所であるということを知られ、愛とは、相手のためにどこまで自分を投げ出せるかということであるということがよく分かり、

「では、いわれた通りやってみます」と明るい顔で帰って行かれた。

新聞などの人生相談担当者は、心の表面だけを見て常識的な解決しかしない。そういう人たちがこのような問題を扱ったとしたら「すぐに別れなさい」としかいわないであろう。常識的な解決をしても、魂が成長しなければその指導は失敗である。

三界は画師の如し

画家がどういう画を描くかは画家の心の中にある。同じ風景を描いても、画く画家の心によって一つ一つ画の味わいが違ってくる。

この大宇宙は神が創造された。神が創造された地球というカンバスの上に、肉体という絵筆を持って、どういう人生を描き出すかは、一人一人の心による。どういう人生が現れてきても、それはすべて自分自身の責任であって人の責任ではない。自分の運命を人のせいにしている間は運命はよくならない。すべて自分の責任だということが分かって努力する時、運命は変わっていくのである。変えられない運命は一つもない。

他力信仰は自分の運命を他に頼ってよくしようとするのであるから正しい信仰ではない。信仰は自分でしなければならない。自分が力を出した時、自分の魂が向上し、魂が向上した結果としてよい運命が現れてくるのである。

一ヶ月目に来た手紙には次のように書いてあった。

「お教えいただいてから一ヶ月余り、あれからすべてのものの見方考え方がすっかり変わり、今まで事ある毎に抱いていた疑問も、次々と解かれて行くのが不思議です。今、私の周りのものすべてが甦ってくるような息吹を感じます。ぬけるように青く澄んだ大空を眺めていると、先生との出合いがこんなにも偉大で私にとってかけがえのない大事なものであったことかと日増しに感じております。

夫婦の道に教科書というものがあったらと永い間自問自答してきましたが、高橋信次先生がお示しになった〝正法〟という立派な教科書があったことが身にしみてはっきりと分かりましたこの私の喜びをご想像ください。

振り返るとこの一ヶ月、私自身、生活のペースがすっかり変わってしまいました。かえようとしてかえたのではないのです。ごく自然に………

主人に対して嫌悪感を抱いていたのは事実です。いつも身体が苦痛なので診察に行くと『全然異状なし』とのこと、でも腰が抜けるように痛かったのです。二十年余り続いていた痛さがウソのように消えてしまいました。奇跡といえば奇跡かもしれません。肉の身にとらわれないということを感じ取っていたせいでしょうか。」

完全に夫婦の間は調和し、家出していた娘さんも「お母さん、私が悪かった、許して」と帰って来られて、夫となり妻となり、親となり子となってよかったと今は光明の幸せな生活をしていられるのである。

われわれの人生の目的は、どんな環境をも魂の栄養として、何ごとにも動じない安らかな心を持つことである。現実に逃避することも、心の中で夢をつくって観念的に逃避することも、その心を裏返しにすれば、真正面から現実の問題に取り組む勇気を持たない、弱い自分、卑怯な自分を自分で認めていることになる。自分の潜在意識の中で自分の弱さを認めていたのではいつまでたっても強くなれない。

われわれの背後には神の大なる生命力がある。謙虚な明るい心を持つ時、神の大生命力はわれわれの心を通して神自身の力がそこに現れる。いづれにしても神が実在するということを素直に信じることが信仰の入門であり、またそれがすべてでありあなたが神を信ずる心のいかんによって現象は左右されるのである。(おわり)>

三回にわたり書いてきましたが、これだけ苛酷な結婚生活を送られていた人も法(釈尊が説かれた本当の正法)を実践するなら、幸せな人生を歩めるようになるということです。

ここに書かれた結婚生活に比べるなら、ずいぶんたわいない理由で離婚する人たちが最近は増えたと思われないでしょうか。

しかし、結婚くらい(特に女性は)自分の愛を試せる場はないのであり、せっかくそういう場を与えられたのに、ちょっとしたことで別れてしまっては自分の魂も磨かれないのであり、また、その結婚相手とは過去世でも相当深い縁がある人なのです。(過去世でも夫婦であったり、親子であったり、親しい友人であったり、とにかく夫婦となる人など過去世でどれだけ一緒にこの世に出て、心の勉強をしているのか分からないくらいの人なのです。だから、園頭先生は夫婦は最高の友であるといわれていたのです)

そういう人と(結婚して)またともに心の勉強が出来るチャンスが来ているのですから、そのチャンスを活かして、どれだけ苦労があろうがその人とともに、その苦労を乗り越えるなら、また自分の魂はひと回りもふた回りも大きくなるのです。

それが(魂を大きくすることが)この世に出てきた私たちの目的なのです。

どれだけその人が嫌な人でも、愛の心でその人を変える、それが自分の魂の修行なのであり、また神の愛にはそれほどの力があるのであって(神の大生命力は我々の心を通して現れる)多くの人は、その愛の出し方を知らないのです。(法を知らないから)

だから、うまくいかない夫婦が(また、こらえ性のない夫婦が)たくさんいるわけですが、しかし、ちょっとした嫌なことで別れてしまっても、それは逃避にしかすぎず、どれだけ嫌な問題を逃避したところで、いずれどこかでまた同じ問題とぶち当たり、その問題を自分が乗り越えるまで、その問題は出続けるのです。

だから、どっちみち同じことなのです。嫌だからといって逃げてもしばらく時を置いてまた同じ問題が現れてくるからです。

その問題は自分の心が悪いから、そういう問題が自分に現れてきているのであり(だから園頭先生も性病を移された女性にいわれたのです。あなたのせいで家庭が暗くなったとです。その女性は、そういう順序をもらう心を持っていたということです)その問題を自分で解決しない限り、その問題は消えることはないのです。(それは自分の心の問題なのですから。それが別の人を通して現れているだけなのです)

だから、園頭先生はいわれているのです。

「どういう人生が現れてきても、それはすべて自分自身の責任であって人の責任ではない。自分の運命を人のせいにしている間は運命はよくならない。すべて自分の責任だということが分かって努力する時、運命は変わって行くのである」とです。

それは夫婦の問題でも、それ以外の問題でも同じなのです。

いま悪いことが起きている人たちは、自分自身の責任でそのような悪いことが起きているのであり、決して人のせいではありません。

自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きているのです。

それを認めて、その悪いことが起きなくなる努力をしない限り、その悪いことはなくならないのです。

自分で変えられない運命など一つもありません。

もし、自分が悪い人生を歩んでいると思う人は、よい人生になるよう努力してください。そうすればその人生は必ずよくなるからです。

そうして、そのような(幸せになる)道は、どこかに、これもまた必ず用意されているのです。(それが神の愛ですから)

多くの人はそのことに気づかないでいるだけなのです。(気づかないふりをしているだけといった方が正しいでしょうか)

気づいた人から幸せの道はついてきます。

いつまで責任転嫁をしているのですか?それではいつまでたっても幸せにはなれないのです。

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12月 14 2017

結婚初夜に夫に性病を移された女性②

こういう女性に対し、正法(法)ではどういう解決方法を取るのでしょうか?

同じく正法誌の1980年十月号から抜粋します。

<ある教師夫人の手紙

先月号に「正法は一体これをどう指導するのか」ということである教師夫人の手紙を載せておいた。

(中   略)

この教師夫人の手紙のように、夫は自分が浮気するだけでなく妻にも浮気をすすめる、という人に対して霊能に偏った考え方をする人たちはそれは憑依霊のせいであるというであろう。しかし、この問題は憑依霊のせいではない。性に対する心理的なコンプレックスである。

われわれが人を見る場合、過去が立派であったという人はそれはそのまま讃嘆(さんたん)すればよいが、過去に失敗した、罪を犯したという人があったとしたらその人の過去の失敗や罪によって現在のその人を評価してはならないのである。愛とは相手の欠点を温かく真綿で包んでその傷にふれず、その人の本当の魂を見つめていくことである。どんな人もみな神の子である。

過去の失敗によって現在のその人を悪い人だと見てはならないように、自分自身についても過去に失敗したからといっていつまでも自分を罪人だと思ってはならないのである。人の罪を赦すと同時に自分自身の罪も自分で赦さなければならないのである。

過去にどうあったかということによってその人を評価することはやめなければならない。その人が現在どうあるかということを大事にしなければならないのである。

私はその教師夫人にあって次のような話をした。

「あなたはこんなひどい主人はいないと思っていられるでしょうが、ご主人に浮気をさしているのはあなたなのです。結婚初夜の晩にご主人に性病を移されたあなたの悲しみがどんなものであったか、男の私でも想像できます。そのことでご主人はあなたに大きな負い目を感じてしまわれたし、妻に性病を移したという罪悪感を持ってしまわれたわけです。

あなたはそれ以来、ご主人を拒否してしまわれた。妻に拒否されてしまった男はどこかにか掃け口をみつけることになります。金があれば金で女を買うでしょう。金がないとなれば自分たちの行為を自分たちで正当化する理由をつけてどこかで発散することになります。

悪いと知りつつ自分を正当化しようとすることがどんなにつらいものであるか。女に弱目を見せたくない男は虚勢を張るものです。どんなに愛する努力をしても妻がその努力に対して喜びの表現をしてくれない場合、男は、自分には妻を愛する力はない、自分は妻を愛する資格はないと思うのです。愛するがゆえに別れたくないと思っている夫は、自分の行為が妻を喜ばせることができないならば、妻の喜びのために妻が喜ぶ自分以外の男性を妻に提供しよう、そういう機会をつくってやろうと思うのです。酔ったご主人を送ってこられたその友人と関係せよと迫られたということは実はご主人があなたを心から愛していられるその愛の倒錯した表現なのです。普通の人は表面だけを見て心の奥にどういう心が働いているのかを知りません。

夫が自分の代わりに妻を満足さしてくれる男を選ぶという場合、その男は自分の分身として自分でも好感を持つことが出来る男性を選ぶのです。

自分の血も肉体も汚されたという悲しみと怒りとがあなたの心の中にはあるでしょう。実は夫を赦さないあなたの心があなたの家庭を暗くし、娘が男の人と家出したというその原因も実はあなた自身がつくってしまったのです。四回も手術して自分の身体はずたずたになってしまったと思っていられるでしょう。しかし二人も立派な子供さんが生まれていられるということは、既にその病気は治っているということではないでしょうか。

われわれはこの肉体を使い、この地球という環境で魂を偉大に成長させるために生まれてきたのです。死んだ時に一番最初にあの世の入り口できかれることは「あなたは、どれだけ人を愛してきましたか」ということなのです。愛の行為こそが私たちの魂を偉大に成長させるのです。この肉体は、愛の行為を実践することによって魂を成長させるための道具なのです。肉体をどんなに清潔に保ったとしても、心が暗かったら地獄行きです。この肉体がどんなに性病菌によってずたずたに汚されて灰になったとしても、自分をご主人の前に完全に投げ出されることによってご主人の心が満たされ、ご主人のそういう行為がなくなり、ご主人の心が安らかさに満たされたとしたら、その方が人生の勝利です。あなたが自分のすべてをご主人の前に投げ出されれば、そこから家庭の中に明るさが甦り、娘さんの問題も全部解決します」

「しかし、先生、私の身体はもう主人を受け入れることは出来ないのです。身体が固くなってしまっているのです」

「それはあなたの夫を赦さない心の固さが肉体の固さとなっているのです。赦す心になれば肉体はやわらかくなります。われわれは魂を磨くためにお互いに相手を選んで生まれてくるのです。肉体はどこでどういう方法で朽ちて灰になってもいいのです。魂が救われて魂が生まれてくる時よりもひと回り大きく成長していけばそれで人生の目的を達したことになるのです」>

追伸…昨日はたくさんの人に待ち伏せされました。(苦笑)

小、中学生の団体さんが(三~六人)三、四組、それにオッちゃんが二、三人でしょうか。

昨日など庄内川から歩いて帰って来る三、四十分の間だけでそれだけいました。もう相当出ているのではないでしょうか?危ない現象がです。

しかも大人から子供までです。

もう分かりますからね。待ち伏せしている連中はです。だから先に声をかけるのです。

昨日など暗いところに座って(夕方の六時頃でしたのでこの時期はもう真っ暗です)資料を見ているオッちゃんがいました。(この寒いのにです。だいたい、そんな暗いところでは資料が見えないでしょうし。〔苦笑〕)

その向こうを見ると中学生たちが三人かたまって話しています。暗いところで資料を見ているおっちゃんといい、暗い中でかたまって話している中学生といい明らかに不自然です。(苦笑)

だからそちらに向かって歩きながら「あんたらみたいな人たち見たこともないけど、見たこともない祈ったこともない人たちに何かあっても俺のせいなのか。悪いことをみな俺のせいにしているようだけど本当に大丈夫か」と声をかけます。

そのとたん、ビクッとして、何か私にしようとしていた人の動きが止まります。そこで畳み掛けます。

「人のブログを読んでいながら、感謝もせず、嫌がらせなどしていたら悪いことは起きるぜ。あなたたち自分のそういう行いを考えたことがあるのか?」「もう心が汚いと悪いことが起きるの。そういう時代なの。心が汚いにもかかわらずそんな行いまでしていたら、悪いことは起きて当然だろう。それが何で俺のせいなんだ」「いちいち、自分たちに何か起きたからと俺のところに八つ当たりをしに来ても悪いことは止まらんぜ。お前のせいではなく、助けてくださいなんだよ。もう汚い心のままでは悪いことが次々に起きる、そういう時代になっているからな」「人のブログを読んでいるのならもっとしっかり読めよ。自分たちが間違っているから悪いことが起きているんだぜ。こっちは正しいから奇跡が起きているんだ。とりあえず、心を救われた者には感謝しないといけない。そういう自分たちの態度をまず改めないといいことは起きんわな」

と立て続けに話しました。

そういう話をしながら歩いていくと、そのオッちゃんも中学生たちも嫌がらせをしたくても出来ないようで(自分たちが悪いと分かるので)少々かたまっているようでした。

しかし、段々増えていますね。こういう人たちがです。(プラス怒っている人、プラス引いている人ですから)しかも、昨日など子供の待ち伏せがこれだけ多いというのですから、もう大人だけではなく子供にまで恐ろしい現象が次々に現れているということになります。

この法を実践している私たちのような心にならない限り、悪いことは止まらないのですが……それでもまだ自分たちの態度を変えようとはしませんか?

頑なに「お前が悪い」を続けますか?

しかしそれでは、悪いことは起きてもよいことは起きないのです。(そういう態度がいかに間違っているのか?明日のブログを読めば分かります。そういう責任転嫁の間違いを園頭先生がしっかり解説してくれるからです)

子供も(私のブログを読んでいる子供が多いのだから)私にあったら頭ぐらい下げて感謝しないといけない。(最近はこういう子供はゼロではありません。ほんの少しですがいます。そういう〔心の〕子に悪いことが起きることはないでしょうが、大半は私の顔を見ると怒って嫌がらせをしてきます。これでは子供に起きる悪いことは止まらないでしょう。その子たちは大間違いをしていて心が悪いままであるからです)

大人はもちろん、感謝して布施くらいしないといけない。(ほとんどの人が私のブログを読んでいるのですから)

それが災いが起きない秘訣(ひけつ)なのです。

それが出来ないというのであれば、何が起きても私のせいにしないでください。(いちいち私のところに来られても迷惑です…嫌がらせしかしないんだから)自分の行いが悪いからです。(どこかの会社も人が変わったように静かになってしまいました…相当やばそうです。〔汗〕)

よい行いをしない限り、よいことは起きてきません。自分のことだけしていても悪いことは起きるのです。(自分のことだけしているなど悪いことだからです)

よい行いをしませんか。それ以外救われる道はないからです。

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12月 13 2017

結婚初夜に夫に性病を移された女性①

前回、前々回と子供のことを書きましたが、最近はその子供をほっておいてすぐに別れる(離婚する)親たちが増えました。(子供の気持ちなど考えずにです。私は体験者ですから)

そんなに簡単に別れるのではなく、ずいぶん苛酷な夫婦生活を続けていて、園頭先生のご指導を仰ぐことにより、幸福になった夫婦の例が正法誌の中に出てきます。

その苛酷な例を一つ書いておきましょう。そういう夫婦を知れば、そんなに簡単に離婚する人たちも減ると思うからです。

1980年九月号から抜粋します。

<正法は人生をどのように解決するか

お釈迦様が説かれた八正道こそは、人生のすべての問題を解決する道である。正法によって解決出来ない問題はない。ある時、次のような手紙が来た。あなたたちならこれをどのように解決されるであろうか。

「前略、先生に思い切って何度となくご相談したかったのですが、書こうとするとすぐに涙があふれてしまい、なかなか書けませんでしたが、本日思い切ってペンを取りました次第です。

結婚して二十四年です。気性の激しい、欲望を満たすためには手段を選ばないそんな主人ですが、反面気の小さな情の厚いところに私は引かれたのかもしれません。結婚して子供を育てるのと、酒を飲んで少ししか給料を入れてくれないそのやりくりに精一杯で、子供を捨てるわけにはいかないと意地で頑張ってきました。結婚十七年目にOO市に出て家を求め(借金で)ホッとしたところに突然主人が「好きな女がいるからその女に子供を生ませる。その子供は私に育てさせてその女はこの家から働きに出させる」といいだしました。びっくりしたのです。中三の娘の高校受験を眼前にして、毎晩のように酒飲みに明け暮れ、深夜主人の友人が送ってくると、私にその友人と俺の前で関係しろというのです。その友人の人を玄関まで送って部屋に帰るとなぜ関係して来なかったかと怒るのです。そのような日が約三年つづきました。その後、主人は飲んで帰ってきては私に浮気しろとせめるのです。そうしているうちに娘の家出です。娘が男と夜逃げしたのです。娘の問題でごたごたしている間はおとなしそうにしていたのがまた突然「若さを保つために若い女がほしい家庭はこわさないから」といいだしたのです。いい年をしていて服装容姿と派手さを加え、まるで不良青年なみでございます。

ある日突然、ある人妻の人が私に泣いて訴えて来られたのです。「お宅の先生(このご主人は学校の教師である)が、わしは家内と別れるから、あなたはご主人と別れて私と一緒になってくれと泣いて頼まれたのです」と。彼女との関係は去年の夏からこの春まで続きました。やれやれと思っていると今度はPTAのご婦人のお宅に入りびたりの日が訪れたのです。そこはご主人もあり、子供さんも三人もあるのですが、主人は学校帰りにその家に寄って、日が暗くならないと家に帰って来ないのです。私が苦しい余りに信仰を求めていろいろ会合に出ると「そこで知り合った男といつでも関係してきていいよ」というのです。

私は四十八才になりました。こんな動物みたいな人と暮らすのはもうご免です。いつまでも主人の犠牲になりたくありません。どこの学校にいても、女の先生と問題を起さなければPTAのご婦人と関係が出来て、それがばれてその学校にいられなくなるということのくり返しで、今は教育委員会で学校には置けないということになり教育主事をしております。まだ四十代であったら女一人生きていく道を探されると思います。五十になったらだめだと思いますので別れるなら今のうちだと思います。私はどうしたらいいでしょうか教えてください。

二十七日                            O O O O

園頭先生へ

申し添えますが、私は結婚二日目、初夜に主人に性病を移され、それが原因で四回手術をしています。病気も一度ではないのです>

このような相談の手紙が来たら、このブログを見ている人たちならどうされますか?

こんなメチャクチャな旦那ならすぐに別れろと、夫も子供も捨てて(どうせ子供は家出してしまっているのだし)女一人で生きていけばいいではないかと、今の人たちならそういうでしょう。

それが一番、この人にとってよいことであるはずだからです。

しかし、それは違うのです。園頭先生は続けてこう書いていられます。

同じく1980年九月号から抜粋します。

<新聞雑誌などの人生問題担当者や婦人運動家たちは、人権じゅうりんも甚だしい、女性侮辱である。即刻離婚して自分一人で生きて行きなさいという指導しかしないであろう。こういう人が家を飛び出して千石イエス(この時ちょうど千石イエス問題が話題になっている時でした)の下に走ったとしたら、地獄から逃れたみたいでほっと救われた気持ちになるであろう。しかしそれは逃避であって解決にはなっていない。道徳的という人たちは心を考えずに上辺の形だけで解決しようとする。正法は心の面から解決して行くのである。人間は何のためにこの世に生まれてきたのかという人生の原点に立って一切を解決して行くのである。逃避した人の心の中には安らぎはない。たとえばどんなに自分を正当化する理由があろうとも「夫を捨てた」「子供を捨てた」という心の暗さ、悔いは最後まで残るはずである。正法の基準は真の心の安らかさである。一見、表面上はどんなに穏やかに見えていても、心の内面に穏やかでない暗さ、悲しさ、さびしさが潜んでいるとしたらそれは本当の正しい解決ではない。

では一体、正法ではどんな解決方法をとるのであるか>

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12月 12 2017

子供の教育

まったくよく怒っていますね。特にこの近所などひどいものです。(近所づきあいもへったくれもありませんね)

しかも、怒っている人たちが百パーセント被害者面(づら)して怒っているのですから本当に呆れます。

どこまで勘違いがひどいのでしょう。百パーセントの被害者は怒られている私の方であるからです。

あくまで怒っている人たちは加害者なのです。(そりゃそうでしょう。怒っている人たちは、私に一方的に嫌がらせをしてきているのですから。しかもブログだけは読んでいてです)

自分のことしかしなかったり、感謝一つせずに嫌がらせばかりしている人たちにいいことが起きるわけがありません。

少しは損得ぬきで世のため人のために尽くされたらどうですか?そういうこともすればよいことも起きてくるからです。(善因善果です)

自分の行いを変えない限りいいことは起きてきません。(皆さんが大嫌いな)私を見習ったらどうでしょう。私は奇跡しか起きていないからです。(災いが起きるのが嫌なら嫌でもそうするしかありません。奇跡が起きている人を見習うなら奇跡が起きてくるからです)

さて、そういう責任転嫁ばかりしている人たちの相手はこれくらいにしまして、前回、赤ちゃんのことを書いたのですが、もう少し子供のことを書いておきましょう。

そういう子供の教育真っ最中の人たちもこのブログを見ているからです。そうして正しい教育には園頭先生が書かれたものを読むのが一番であるからです。(おかしな教育書など読むよりです。奇跡を次々に現されていた方の書いたものを読んでその通りにするなら、子供に奇跡が起きるからです。少なくともおかしな育ち方はしないということです)

正法誌の1979年十一月号より抜粋します。

<第四十五章 泥んこ遊びはさせた方がよい

幼児は泥んこ遊びや粘土遊びやにちゃにちゃしたものをもてあそぶのがすきである。幼児はそのにちゃにちゃした手指の感触の中に、お母さんの膝に抱かれてお乳を飲みながら一方の手をお母さんの胸に入れ、空いた方の乳房をまさぐっていたあの時の感触を感じ、その時に抱いた心の安らかさを味わっているのである。するなと叱られても幼児が泥んこ遊びをするのはその心の安らかさを味わっていると同時に、何でも自分の思う通りにこね廻してつくれる創造の喜びを体験しているのである。服が汚れて洗濯の手間がかかるのをおそれて、子供に泥んこ遊びをさせない母親は、子供の大事な心の成長を妨げているのであり、泥んこ遊びをさせられなかった子供は心の安らかさを体験させられないから情緒不安定になる率が高いのである。落ち着きのないいつもはしゃいでばかりいる子供は母親によって心の安らかさの体験を奪われた子供なのであって、いくら「静かにしなさい」と叱ってみても直らないのである。これを直す道は、子供をしかと抱きしめて、母親の膝の上で心の安らかさを体験させる以外にないのである。

第四十六章 ミルクは抱いて飲ませなさい

ソ連が共産党の闘士を育てるというので、生まれたばかりの赤ちゃんを母親の手から引き離し、国家で養育するということをやったことがある。これは完全に失敗に終わりました。抱かれることもなく機械的にミルクを飲まされた幼児たちがハイハイをはじめるようになると幼児たちはお互いに相手にかみついて血だらけになってしまって、その血の中を這いずり回って相手を見てはかみつくということをやり、結局育児を共産主義的考え方と手段でやるのは失敗だということになり、母親の手にかえされることになりました。情緒不安定児、自閉症児は母親の膝に抱かれる時間が少なく、また母親が言葉をかけることの少なかった子供たちである。うちの子はおとなしくて泣きもしない育てやすい子供だということでテレビの前に寝かされていた子供が自閉症になりやすいのである。いつも耳に入るのはテレビを通して出ている声と音だけで、テレビの方はよく見るが、お母さんの生の声をきく機会が少ないのでお母さんから自分の名前を呼ばれても、自分の名前を呼ばれたことに関心がない子供になってしまう。

赤ちゃんは必ず名前を呼んで声をかけて抱き上げて、しっかり胸に抱いてミルクを飲ませるようにしないといけない。お母さんの膝に抱かれていた時に味わう心の安らかさ、その安らかさが人間を落ち着きのあるものにするし、その安らかさが実は禅定をする時の心の安らかさになるのである。だから禅定をする人は、お母さんの膝に抱かれていた時の自分の姿を想像して心の安らかさを取り戻せばいいのである。

第四十七章 幼児に愛しすぎる弊害

かわいい、といってはお母さんは赤ちゃんに頬ずりしたり抱擁したりする。その肌と肌のふれ合いによって相手に対する自己同一化すなわち愛の感情が培われていく。ところが幼児を愛撫する母親の感情の中に、また子供が小学生から中学生となり性徴が出てくるその中で、母親が幼児を愛撫する中で性的快感を味わい、また、夫によって満たされない性的欲求不満を、子供を見、世話をする中で満足させたいというような性的感情が入ってくると、その子供は性的に早く目覚め、ませて性に普通の子供以上の関心を持つようになる。性的非行に走る子供たちは、知らず知らずのうちに親によってそのようにしむけられたのであり、非行に走る勇気を持たない内向型の子供は、頭の中は性のことで一杯になり、性以外のことが考えられず逆にノイローゼになるのである。甘やかされて育った男の子がノイローゼになるのは、原因は性の葛藤にある。母親は、特に男の子供の性的興奮を誘発するような愛撫の仕方をしてはいけない>

以上、園頭先生が書かれた正法誌から、いくつか子供の教育面で気をつけなければいけないことを書いておきました。

子供を教育する時に気をつけなければいけないことはいくつもあるのであって、今よく問題になっている性犯罪など実は小さな時に、その原因がつくられているということは案外多いのです。(三つ子の魂百までもです。だから小さい時の教育はしっかりしないといけないのです)

だから女性は、妻としても、母としてもしっかり愛を出さないといけないのです。

夫に愛を出すなら、妻が欲求不満になることもないし(別に性的な面だけではなく様々な面でです)妻が欲求不満にならないのであれば、子供をしっかり育てることも出来るからです。

子供をしっかり育てることさえ出来れば、犯罪は激減するでしょう。そのような犯罪を犯す原因の多くは小さい時につくられているからです。

小さい時にしっかり母親が子供を教育しているのなら、その子は立派な人間となって世の中を救います。

だから母親の仕事は大事なのです。今ではなく女の(母の)仕事は未来社会を救うからです。(今はイクメンとかいって夫が教育に参加することが善のようにいわれますが、とんでもありません。母の愛に勝る愛などないのです。小さな時に父親の中途半端な愛など子供に入れたら、その子は愛のない子に育つのです。小さい時にこそ母の深い愛をその子に入れておかないといけないのです。それでこそ愛深い子に育つからです)

母親の仕事は片手間に出来ることではありません。

今は女性を家庭から出すことばかりをいわれますが、しかし、その家庭での母、妻の役割をもう少ししっかり理解してもらいたいものです。

そうすれば、今のような(愛のない)おかしな世の中にはならないからです。

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12月 11 2017

リズム

古来より次々に奇跡が現れている教えを伝えてもらっていながら、嫌がらせや無視を平気でしている。

今日からまた北日本や西日本の日本海側などが大荒れの天気になるとのことですが(大雪や強風でですが、ほんと多いですね。こういう荒れた天気がです)そういうことも起きるでしょう。

これだけ天の思いを無視している罰当たりな人たちが多ければです。

どれだけひどい天気や現象を現されても反省しようとはしないのですか?自分たちのことが優先なのでしょうか?

いい加減、そのような自分本位な態度を反省されてはどうでしょう。そうしないと今回もまた多くの人が大きな被害に遭うからです。

このような荒れた天気などいくらでも防げるのです。人々の心一つでです。しかし、誰も神を思おうとしません。

では、こういう荒天は続くということになります。そのような荒れた天気は、人の心と天の心を現しているからです。

夏は猛暑に長雨(今年など、こういうことが同時に起きているというのですから信じられませんよね。西日本は猛暑で関東や東北など長雨でした)ゲリラ豪雨に台風、冬は爆弾低気圧に凄まじい寒気、ほんと休む暇がありません。(何せ最近は春と秋がなくなりましたし。すぐ暑くなってすぐ寒くなります。ということは、こういう天気がずっと続いているということです。そういえば今年は、五月晴れとか秋晴れの日ってほとんどなかったんではないですか?あった記憶がありませんけどね。〔猛暑はありましたが〕天気が悪い日が多くてです)

これだけの天気が現されているのに、何で皆さんそれだけ自分のことばかり出来るのでしょう。少しくらい神に手を合わせようとは思わないのでしょうか?

いくら無神論の人が多いとはいえ、もう少し神秘的な部分も考えてもよさそうなものですが(全然、私の話に乗ろうとしないのですから。このブログを見ている人たちはです)そういえば、二、三日前にウナッシーさんから命のことでコメントをもらいました。

そのような自分本位なことだけしていることがいかにまずいのか、少しその命とも絡めて書いておきましょう。

園頭先生が、何か生まれる時には必ず一定のリズムがあると正法誌に書いていられます。

自分本位ではいけない、そのようなリズムに合わせる(神の波動に合わせる)ということが、いかに大事なことであるのかということを、その正法誌から抜粋しておきます。

1980年十二月号より抜粋します。

<神は決してこの自然をでたらめに創造されたのではないのであって、一定のリズムをもって創造されたのであり、そのリズムある創造の原則を「法則」というのであります。

お母さんが一定のリズムのある子守唄を歌って、赤ちゃんの背中やお尻を一定のリズムで軽く叩いたりさすったりすると、赤ちゃんはスヤスヤねむります。それはそのリズムによって生命の本源の世界へ心が帰って心が安らかになるからであります。

(中   略)

ニューヨーク科学アカデミー主催の国際バイオ・リズム学会で、ユタ大学産婦人科教室のカイザー博士は、約六十万人の産婦の出産をした時の時間を統計にとった結果「赤ちゃんはリズムに乗って夜うまれる」ということを発表したといいます。赤ちゃんの発育には一定のリズムがあるというのです。生まれたばかりの赤ちゃんは一日のうち二十時間は寝ていて、起きている時間が合計四時間である。その四時間を七回にわけてお乳を飲む。母親は夜は寝て昼は起きているわけですが、母親が夜ねている間にも赤ちゃんが何回か目を覚ましてお乳を欲しがる。だから母親は、赤ちゃんの発育のリズムに合わせて世話をし、お乳をやらなければならない。ところが育児ノイローゼになる母親は、大人である自分の生活のリズムに赤ちゃんを合わせようとする。いくらそうしようとしてみても、生まれたばかりの赤ちゃんは自然の生育のリズムに従って寝て、目を覚まして起きた時はお乳を欲しがるということで、赤ちゃんが、母親の生活のリズムに合わせることなど絶対にできるはずがない。そこで自己中心主義の我の強いわがままな母親は「この子は自分の生活のリズムを狂わせる」ということで「養いにくい子だ」とわが子を憎むことになる。いわゆる育児ノイローゼという人たちは、赤ちゃんの発育にはリズムがあることを知らないからで、母親は自分の生活を、赤ちゃんのリズムに合わせて生活しなければいけないのであります。

こういうところにも、自然のリズムを尊重しなければならないことが現れております>

赤ちゃんが生まれてくるのも自分勝手に生まれてくるわけではなく、ある一定のリズム(神の波動)があって、そのリズムに乗って生まれてくるそうです。

そうして、赤ちゃんが育っていく過程でも、そのようなリズムがあって、決して赤ちゃんは自分勝手に泣き出してお乳を欲しがるわけではないということです。(だから母親は、その赤ちゃんのリズムさえ分かれば夜泣きもさほど気にならなくなるということです。その赤ちゃんのリズムに合わせてお乳をあげればいいからです)

法を実践するということは、そのようなリズム(神の波動)に合わせるということなのです。

そのリズムに合わせれば合わせるだけ奇跡が現れ、外れれば外れるだけ災いが現れるということです。

そういうリズムを無視し、自分勝手にやっている人が多いから、天気が悪くなるのです。

法にリズムを合わせれば奇跡が起きてきます。

そのような神の波動に合わせてはどうですか?そういう人が増えてくるのなら、これだけ起きている災いも段々減っていくからです。

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