9月 20 2017
感情ではなく法則
ずいぶん怒っている人が多いようですので(また最近増えてきました)書いておきますが、私は何度も断っています。
私のブログをいつまでもただで見ている人は癌になるとです。そうして、それは嫌がらせしている人たちも同じであるとです。
そのいった通りのことが起きているのでしょう。(だから怒っているのでしょう)では、きいてはどうですか。
私のいうことをです。
私はこの辺りで、そのような話をそこらじゅうでしているのですから、そのいっていることを無視していて、そうして癌になる人が出たからと私に怒ってきても、それで私に怒るのは筋違いでしょう。
私のいうことをきこうとしない人たちが悪いのです。
そういう人が出るのが嫌なら私のいうことをきけばいいのです。そうすれば、そのような(罰が当たる)人がたくさん出ることもないからです。(特にどこかの会社の連中はきいたらどうでしょう。毎日怒っているんですから。〔今日も朝から怒っています〕しかし、この連中、どうするつもりなんでしょうね。このままここで嫌がらせを続けても癌になる人が出続けるだけなのにです)
私のいうことなどききたくないのか、それとも信じたくもないのか、それは知りませんが(しかし、私のブログを読んでいて私のいうことを信じないというのも意味が分かりませんが)私のブログを読み続けていて(法を伝えられ続けていて)感謝の一つもせず、嫌がらせをしっぱなしではいいことが起きるわけがありません。(いい加減分かりませんか。自分たちの行いが間違っているとです)
だから私はいっているのです。(そういう人がこの辺りは多いので)嫌がらせをしてただでこのブログを見ていてはいけないとです。(嫌がらせを反省して布施くらいしないといけないとです)それをしないと必ずどこかで、そのような(間違った)行いの反動が現われるからです。
これは私が嫌がらせをされたままでは悔しいからいっているわけではないのです。
そのような感情論をいっているわけではなく法則をいっているのです。
悪い行いをしたままでは、その悪い行いは必ず自分に返ってきます。
だからその悪いことを反省してよいことをしなさいといっているのです。そうすればよいことが自分に返って来るからです。(それが法則です)
その自覚があろうとなかろうと、自分たちが悪いことをしているのです。だから、自分たちに(または周りに)悪いことが起きるのです。
私にどうこういくらいわれても、私がそういう人たちに何かしているわけではなく、自分たちが悪いことが起きる原因をつくっているから、自分たちに悪いことが起きているのであって、だから、自分たちの行いを直さない限り(それが悪いことが起きる原因ですから)自分たちに起きている悪いことは止まらないと私はいっているのです。
何度もいいますが、その起きている悪いことは自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけだからです。
だから、その起きている災いをどれだけ私のせいにされ、私に怒ってきても、それはこちらではどうしようもないのですから(私に原因があるわけではありませんから)そちらでどうにかするしかないのです。
いくら私に罪を擦り付けても、自分たちの心と行いが間違っているから悪いことが起きているのであり、その間違った心と行いを正さない限り、その起きている災いは止まらないからです。
法則は正しく作用するからです。(善因善果、悪因悪果)
それに極力、法に関することは悪い行いは慎んだ方がいいのです。少しのことでも、こと法に関する問題は、その反動も大きいからです。
それだけ法に関することで罪を負うならその罪が重くなるということです。法とは神の心そのものだからです。神の心に直接悪さをするのなら普通よりも罪は重くなります。
だから特にこの辺りの人たちは、よく反省しないといけないといっているのです。
その法を説いている私に直接嫌がらせをしているからです。(どこかの会社の連中など一生懸命です。仕事そっちのけでこのブログを書くのをじゃましています。本当に哀れです。これでは癌は止まらないでしょう)
よいことをしてはどうでしょう。この辺りのすべての人は私に心が救われているのは確かであるからです。
それを認めたくない人がたくさんいるようですが事実は事実です。この辺りの(大人から子供まで)ほとんどすべての人が私のブログを読んで救われているのです。
すでに小学生で私に頭を下げていく子がちょこちょこ出てきました。やはり子供は自分が悪いと分かると反省するのが早いようです。
しかし、子供はそれで許されるのでしょうが、大人はそうはいきません。
何度もいいますが、早く心を入れかえ、布施くらいしてください。そのように心と行いを変えてはじめて大人は救われるからです。
そのようなよいことを法を説いている人にするなら、先ほど書きましたが(先ほど悪いことをすれば罪が重くなると書きましたが、それは逆の場合も同じで、よいことをするのならこれだけ徳を得る行いは他にないのです)法を説いている人に直接布施するくらいよいこともありません。
布施くらいされてはどうでしょう。何度もいいますが、この辺りの人たちは私に心が救われているのは事実であるからです。(こういうこともそう出来ることではないのです。釈尊やキリストに布施したくても今の人たちは出来ないでしょう。同じ時代の同じところに生まれ合わせないとそういうことも出来ないのです。つまり、法を説く人に直接布施するということは、これほど貴重でこれほど徳を得る行為もないということです)
昨日、博多湾に大量の魚(コノシロ)が出現したとテレビでいっていました。
そのニュースを見ると確かに大量のコノシロが水面近くを泳ぎまわっているのですが、しかし、私はあのくらいの数の魚をちょくちょく見ています。(堀川などでです。呼ぶと出てきますから。昨日もそうでした。堀川に行ったんですが、十センチ前後のぼらが次から次に水面近くを泳いでくるのです。堀川の川岸からそれを見ていたのですが〔「お前ら元気か」とか声をかけながらです〕あまりに大量のぼらが次から次に泳いでくるので、さすがに途中で見るのをやめました。ぼらを見すぎて夢に出てきそうだったからです。〔笑〕)
あれくらいでニュースになるなら、私が撮る動画など毎回ニュースになるでしょうね。
あれくらいの数の魚など堀川や美浜の海で何度も撮っているからです。(それ以外でも大量のすずめや鵜なども撮れていますから。〔笑〕)
普段からよいことをしているのなら、これくらいの(普通にニュースになるくらいの)奇跡は起きてきます。
自分がしているよいことが自分に返ってくるからです。
法則は絶対で間違いはありません。
普段の自分の行いをよく反省してみてください。
そうすれば、その災いは止まるからです。
追伸…「空飛ぶ車」をある団体が開発中とのことですね。
いずれはこの空飛ぶ車が主流となります。(というか、未来の車はこのような車ばかりとなるでしょう。高橋先生が先々は車のタイヤはなくなると予言されていますから)
ということは、この空飛ぶ車(タイヤのない車)を最初に開発したところが、将来の車業界を引っ張っていくということになるのではないかと思われます。
高橋先生の予言が次々に実現してきています。(ソ連の崩壊、アメリカの没落、車のタイヤがなくなる)
これからは法の世となります。(もちろんこれも高橋先生がいわれたことです)ということは、この法を知らないと、これからの時代は生きていくことは出来ないということです。
その法があるのは日本だけです。その重要な意味を日本の人々は理解しないといけないのです。



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