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1月 17 2017

世界を変える

それにしても凄いですね。もうそこらじゅうの人が怒っています。(明らかに増えていますね。怒っている人がです)

これだけ怒っている人が多いと黙っていられないので書きますが、なんでそんなに怒っているんですか?

そんなに怒っていて楽しいんでしょうか?(怒っているんですから、楽しくはないのでしょうが)

そんな怒るようなことが起きるということは、自分たちのやり方が間違っているから怒るようなことが起きているのであり、自分たちのやり方さえ間違えていなければ怒るようなことは起きないのです。

自分たちが(怒っている人たちが)間違ったことをしているのではないですか?その行いを反省されてはどうでしょう。

それ以外、その災いが止まる手立てはないからです。

少しは私を見習ってはどうですか。私はやり方を間違えていません。だから楽しいことばかりが起きているのです。

昨日でも庄内川を歩いていましたが、もう多くの鳥たちが私の周りを飛び回り(すずめ、ムクドリ、カラス、トビ、カモメ、あとは名前を知らない鳥が何羽も)まるで天上界にいるようで、庄内川の川岸を歩いているだけでしたが本当に楽しかったです。

そのこと自体はね。

あとはダメでしたけどね。何せ、一歩庄内川を出ると周り中の人が怒っているからです。(当然こちらも腹が立ちます。あちこちで嫌がらせをされるからです。まるで地獄界にいるようでした。〔苦笑〕)

私からすればです。そういう人たちがいなければ楽しいことだらけです。そこらを歩いているだけで(特別鳥に限らず)そこらじゅうの生き物がいろいろかまってきて心が癒されるからです。(私は生き物たちとすでに調和が出来ていますから)

だから、周りの人たちがなんでそんなに怒っているのか意味が分からないんですが…?

でっ、その怒っていることが全部私のせいなんですか?本当に異常ですね。この辺りの人たちはです。

その考え方が大きな間違いであるといつまでたっても気づかないからです。

それだけ大間違いをしていれば悪いことは当然起きます。自分たちが間違ったことを続けているからです。

まだ分かりませんか?もう自分たちのやり方(心と行い)では通用しないのです。(悪いことが起きるのです)

すでに時代が変わってきているからです。(正法の世にです)そのような心と行いのままでは悪いことが起きるのです。

やっている行いが善ではなく悪であるからです。

「そんなことはない。今までこのようなやり方をしていても悪いことなど起きなかった。だから悪いことなどしていない。だからこれだけ悪いことが起きているのはお前のせい」といくらいわれても、これまではそのことに気づいていなかっただけなのです。

悪いことに対する気づきの現象が起きて来るのが遅かったからです。

しかし、もう時代が変わり、その気づきの現象が起きて来るのが早くなったのです。だから、段々死ぬ人が増えているのです。(多死社会)

間違った行いをし続けているのに気づかず、天罰を受けている人が多いからです。

この辺り、なぜ怒っている人が多いのか、これで分かってもらえると思います。

つまり、この地域の人たちは、いろいろ起きて来ることが偶然ではなく必然と気づいたから怒っているのであり、他の地域の人たちは、いろいろ起きて来ることはすべて偶然であるとまだ思っているから怒らないのです。

だから私を知らない人たちは、多死社会になったといっても、それは高齢化社会になったのであるから当たり前であるくらいにしか思わず、天変地変が起きても偶然そうなった、事故や病気になってもたまたま運が悪かったからそうなった程度にしか思わないから、怒りもわいてこないのであり(すべて偶然であるから仕方がないと思ってです)この辺りの人たちは、すべてそういうことは必然でそうなっていると気づいたから怒りがわいてくるのです。

その必然をすべて私のせいだと思ってです。

おいおい、という感じですが、この辺りの人たち、いろいろ起きて来ることが偶然から必然と分かったのはいいんですが、その必然の原因をみな私のせいにしてはいけません。

そこまで分かったのなら、その先も分からないといけないのです。(因果応報、善因善果、悪因悪果)それが分からないと結局不幸になるからです。

いってはいけませんが、そういう中途半端な分かり方が一番いけない。だから、この辺りは集中して悪いことが起きているのです。

自分たちの罪をみな私に擦り付けているからです。

せっかく、起きて来ることが偶然から必然と分かったのです。しかもこれだけ多くの人がです。(どれだけ多くの人がそれに気づいたのか分からないくらいです。日本だけでなく世界の人までです。だってこの辺りにいる外国人まで私のことを怒っているくらいですから。〔苦笑〕)

では、しっかり理解しませんか?そうすればよいことが起きて来るからです。

よい原因をつくればいくらでもよい結果が現れて来るのです。それは私が証明しています。

しかし、これは逆に考えれば大変なことなのです。もしかしたら世界が一変に変わってしまうかもしれないからです。

もちろんよい方にです。

これは画期的なことですよね。

だって心が変われば起きて来る現象も変わると多くの人が気づいたのですから。

では、やり方さえ変えれば、よいことが起きると大勢の人が知ったということになります。本当にこのことに気づいた人が大勢いるということは素晴らしいことなのです。

だって、大勢の人がそのやり方を変えるなら、よいことばかりが起きて来る世の中に変えることが出来るからです。

現在、悪いことばかりがたくさん起きている世の中を、よいことがたくさん起きる世の中に一変に変えることが出来るのです。

そのやり方を知っている人が大勢いるからです。

これ以上の画期的なことはないのではないですか?

何千年も前から伝えられてきた釈尊やキリストの本当の神理を、いま多くの人が理解しつつあるからです。(この「考え方で現れる現象は変わる」これこそ釈尊やキリストが伝えられた神理の真意なのです)

こう考えるのであれば、この辺り大変怒っている人が多いのですが、実は今、大変なことが起きていると分かるはずです。

『心を変えれば起きて来る現象は変わる』

もし、このことに世界の人が気づくのであれば世界が変わります。

その世界を変えることが出来る、その方法をこの辺りの多くの人は(私を知っている人は)すでに知っているのです。

その大変な事実にいつ気づくのですか?

それを理解し「自分の大きな使命」に気づくのであれば、いつまでも自分の殻の中にとじこもって自分のことばかりしていたり、悪いことを責任転嫁している場合ではないと気づくはずです。

自分の心と行いをこの法に合わせて変えてみませんか?

そうすれば世界を大きく変えることが出来るからです。

(災い転じて福となす。やりませんか、このブログを読んでいる人たちは世界を変えることが出来るのですよ)

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1月 15 2017

愛が足りないために起きた災い

今日は一面真っ白ですね。この辺りはずいぶん雪が降っています。

この雪のように真っ白な心であるなら、どんな災いも起きないのでしょうが、残念ではありますが多くの人が心をずいぶん汚しています。

だから悪いことが起きているのです。

昨日も雪が降っていたものですから家を出て行かなかったんですが、それでも家の周りの何人かの人たちが、家に私がいるのが分かると近くでガタガタ音を立てて怒っていました。

この近所の人たちは不幸が起きている人が多いからです。

そういう起きている不幸をみな私のせいにしているのです。本当にあいた口がふさがりません。

このような人たちは自分たちの汚い心を棚に上げているからです。

そういう人たちは普段から人の悪口はいっていないんでしょうか?意地の悪いことを人にしていませんか?(私は散々されていますが…)

中には悪魔に憑かれている人たちもいるようですが(自覚のある人はいくらでもいますよね。私がその耳元できこえている声は悪魔ですよと皆に教えてあげたからです)悪魔に憑かれているようでは相当心が汚れているということになります。(汚い心の人にしか悪魔は憑けませんから。心がきれいで光が出ているような人に悪魔は憑くことが出来ませんから)

なんでそんなに心が汚れているのですか?自分で自分の心を汚しているからでしょう。(人の悪口や嫌がらせなど、そのような間違った行いをし続けてです)

そういう汚い心の持ち主であるなら(その汚い心が原因となって)悪いことは起きます。それを私のせいになどしているからよけい悪いことが起きるのです。

それでは汚い心がよけい汚れるからです。(罪に罪を重ねるのですから、よけい心は汚くなります)

だいたい、この辺りの人たちなど私のブログを読んでいる人も多いのに、少しの感謝もしないし嫌がらせをするだけして詫びの一つもないのです。

そういう態度を普段から取っていて、なんで悪いことが起きると私のせいなのでしょう。

どう考えても悪いことが起きた原因は、その自分たちの普段からの行いにあるのではないでしょうか。

そのような悪い行いを悪いという自覚がなく普通に行っているからです。

そういう明らかに自分たちが悪いことをしているにもかかわらず、なお、その悪いことを私のせいにし続けて嫌がらせを繰り返している、そのような(悪に悪を重ねている)行いが、この辺りに次々に災いとなって現れているのです。

その起き続けている災いは、自分の行いが自分に返ってきているだけだからです。(善因善果、悪因悪果)

いい加減それを認め、自分のこれまでの行いを反省し、よい方に変えられたらどうですか?

そうしない限り、その起きている災いは止まらないからです。

それを責任転嫁し、どれだけ怒っていてもダメなのです。

悪いことが起きている、その原因は自分にあるからです。

そうして、中学生や小学生も同じなのです。

散々そういう子供たちも心を汚しているのです。普段から人の悪口をいったり、いじめなどしたりしてです。

そればかりでなく、家で親から毒をもらっているということもあります。(子供の前での夫婦喧嘩や人の悪口などは十分子供に毒を食わせています)

そういうことで心を汚している子供などが私に嫌がらせなどしてきた場合、一発で現象が現れます。(心が汚いため、私が祈ると即座に気づきの現象が現れるのです)

しかし、それを私のせいにするのはお門違いなのです。

親が普段から子供への愛を欠かしていなければ、私がどれだけその子を祈ろうと、そういう子供に悪いことが起きるわけがないからです。(親の愛で心がきれいになっているからです。心のきれいな子に不幸は起きません)

私に何かして(そうして祈られて)悪いことが起きた子がいるのであれば、それは親の愛がその子には足らなかったと、その子の親が自分たちの子供に対する愛の少なさを反省しないといけないのです。

子供が小さければ小さいほど親の影響は大きく子供に現れるからです。(そういうこと〔親の愛の少なさ〕まで私は教えてあげているのですから感謝してもらわないといけない。子供に何か起きたからと私に怒るのではなく、自分たちの子供に対する愛が足りなかったことを反省するのです。そうすれば奇跡は起きるからです。すべて心の持ちようなのです。その心の在り方一つで奇跡も災いも起きるからです)

どのような災いも自分たちの愛が深ければ起きませんし、愛がなければないだけ災いは起きやすくなります。

そのようなこともすべて自分たちの責任なのです。

だから、愛や慈悲を説かれ、その愛と慈悲の塊であられた釈尊やキリストには災いが起きなかったのです。

愛深く、慈悲深かった釈尊やキリストは、その災いの原因をつくられなかったからです。

このように考えるのであれば、悪いことをすべて私のせいにしている(この辺りの)多くの人たちが、いかに的外れなことをしているのかお分かりいただけると思います。

すべての悪いことは自分たちの愛が足りなかったから起きていることであるからです。

愛があるなら、私を悪人に仕立て上げることもなかったし、嫌がらせをすることもなかった、つまり災いの原因をつくることはなかったということです。(では、災いなど起きません。その原因をつくっていないからです)

しかし、この辺りの人たちは愛が足りなかったため、私に心を救われているにもかかわらず、まったくそれに感謝しなかったのであるし、きいている噂が正しいかどうかの確認もせず、一方的に私を悪人と思いこみ嫌がらせをし続けた、その結果、災いが次々に現れるようになったということです。

この災いが起き出したすべての原因は、この辺りの人たちに愛が足りなかったため(自分たちの行いを間違えて)起きたことであり、もし、愛深い人が多かったのであれば、これだけの災いは起きていなかったのです。(そういう人たちは私に対する評価も正しいものであったはずだからです。つまり間違った行いはしなかったということです)

それどころか、もし愛深い人が多かったのなら(正しい人が多かったのなら)多くの奇跡が起きたのです。

愛は奇跡を呼ぶからです。(キリストしかりです)

そういう愛深い人たちに私が法を説いたのなら、そのような人たちには一変に奇跡が現れます。

そのような(愛深い)心の持ち主がこの辺りに多ければ、今頃この辺りには多くの奇跡が現れユートピア化していたのかもしれません。

これだけ私のいうことを(法を)きいている人たちは他にいないからです。

しかし、残念ではありますが、そういう愛深い人たちがいなかった、それが現状のような悲惨な状況を現している理由であります。

すべて自分たちに愛が足りなかったから(判断を間違え)このような悲惨な状況になっているのであり、その現れている悲惨な状況は人のせいではないのです。

それをいつまで否定し我を張り続けるのですか?

その我を張り続けている間は災いは止まらないのです。

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1月 14 2017

意識改革

今日は休みですか…今週は月曜日も休みだったので(成人の日で)珍しいですね。どこかの会社がこれだけ休むのもです。(毎晩八時、九時くらいまではやっているのにです)

というか、今日は急きょ休みにでもしたんじゃないですか。今週あまりにいろいろ起きすぎてです。(なんか凄かったですよ。もう次から次に何か起きてるみたいで、騒ぐは、怒るは、引いてるわで、そちらの方が忙しかったようです)

なんかメチャメチャ起きてますね。(どこかの会社だけではなく)そこらじゅうでです。(昨日でも帰ってくるとやたら怒っている近所の会社がありましたし、私が近くを通ると怒ってでかい音を立てて雨戸を閉めているオバちゃんもいました。近所だけではなくもうそこらじゅうで怒っている〔か、または思いっきり引いているかしている〕人がいます)

それに中学生も大丈夫でしょうか。冬休みに何か起きたんでしょうか?

冬休みの前と後では態度がずいぶん違う中学生もいるようだからです。

そういう小、中学生から年寄りに至るまで多くの人たちが私に嫌がらせを繰り返しています。これでは悪いことは起きるでしょう。

自分たちの行いがあまりに悪すぎるからです。

私に心を救われていながら、そのお返しが嫌がらせでは話にならないでしょう。罰が当たるのは当然ですが、その罰まで私のせいにしています。

この辺りの人たち、どれだけ罪を重ねれば気がすむのでしょう。

それだけ悪いことを重ねていれば(自覚が全然ないようですが)天罰が激しくなることはあっても収まることはありません。

もう自分が悪かったと反省するしかないのです。

何度もいいますが、反省されたらどうですか?悪いのはどこをどうとってもそちらの方であるからです。

私は人の心を救っているだけです。ブログを書いたり辻説法をしたりしてです。

それ以外は祈りで皆さんの目を覚まさせるため(神の存在を知らせるため)祈っているだけで、何も悪いことはしていないのです。

それなのに、濡れ衣を着せて一方的に私を悪者にしているのは、その災いを受けている人たちの方なのです。(悪いことが起きることが偶然ではなく必然と分かったとたん、その罪を全部私にかぶせるというのですから、大した悪党ですね。この辺りの皆さんはです)

そういうことをしているから天罰を食らうのです。

起きている現象の違いが、私のいっていることの正しさを裏付けています。悪いことが起きている人たちはもう観念して反省するしかないのです。

その反省をしない限り、起きている悪いこと(天罰)は止まらないからです。

「自分が悪かった」と思わない限り、その現象から逃れる術はないのです。では、思われたらどうですか?

「あいつのせいでこんなことになった」「いつ自分は病気になるのか」などという怒りや不安の心で毎日を過ごすより、自分が反省することによって、そのような怒りや不安が心から取り除かれるのなら、その方がよほどよいと思うからです。

人の一番の幸せは、その「心の安らぎ」であると思うからです。

このような災いは何年にもわたって続いているのです。そうしてこの災いは今の心のままでは絶対に止まりません。

それはもう分かっているはずです。心を少し変えただけで奇跡が起きた人がすでに何人もいるからです。

私に関わった人で、災いが起きている人ばかりでなく奇跡が起きている人もいるのです。

では、なぜその人たちは奇跡が起きたのですか?

それは自分の心を変えたからです。自分の心をよい方に(神の方に)変えたからその人たちは奇跡が起きたのです。

では、そのよい方に心を変えるしかないのではないですか?そうすれば奇跡が起きると証明している人がすでに何人も(何十人も)出てきているからです。

そういう奇跡が起きている人たちは自分から意識を変えたのです。私にいわれてイヤイヤ変えたわけではありません。

私が「こうするといいですよ」といったことを素直にきいて自分で意識を変えたのです。

そうしたら奇跡が起きたのです。

では、そうする以外で救われる道はないということになります。現にそうして救われている人たちが(奇跡が起きている人たちが)たくさんいるからです。

自分から救われたいと思い、自分でよいことを実践しない限り、自分が救われることはありません。

救われたい人だけそうしてください。私に詫びを入れ、そうして「自分はどうしたら救われますか?」とききに来てください。

そういう人にだけ救われる道を私は説きますから。(メールでもなんでも結構ですから連絡をもらえませんか?今のまま私のいうことを無視しているのなら、多くの人に災いは現れるでしょう。「そのままの心では悪いことが起きる」そのような心の人がたくさんいるからです。それがどうしても無理だというのなら、悪かったというメールだけよこし布施でも何でもしてください。そういう〔善い〕行いが自分を救うからです)

もし、何もしようとしないのなら(何も変えようとしないのなら)そういう人にはまず災い(天罰)が起こります。

それほど多くの罪を(神に対し)すでに現代の人々は負っているからです。

反省(意識改革)されませんか?

それが自分が救われる唯一の道であるからです。

追伸…これだけメチャメチャ何か起き出したようだと、人がしているとは思えませんね。何か限度を知らないような気がするからです。

このようなことが起きて来たのは今年に入ってからでしょうか?というより、去年の年末にあのブログを書いてからではないでしょうか。

この辺り急に災いが増え出したのはです。

あの真っ黒な龍が来たと書いてから何かこの辺りの様子が変わってきたように感じます。引きつった顔をした人は増えたし、怒っている人は多い、そうして逃げていく中学生も増えたからです。(遠くで私を見かけるとです。近くで顔を合わせる中学生などはまだ無理して何かやって行く中学生もいるにはいますが…それでも私の顔を見て脱兎〔だっと〕のごとく逃げ出した中学生もいました。〔苦笑〕)

この辺りで起きている災いが、もし龍が起こしているのであれば、あちこちで災いがメチャメチャ起き出したというのも分かります。

龍など加減を知らないからです。情もへったくれもなくやるだけやってしまうからです。(マァ、動物はそういうものです)

その龍が暴れているのかどうなのか、それは分かりませんが、その龍のように自分勝手に暴れ回る指導者が今年はたくさん現れそうですね。

アメリカやヨーロッパなどにです。(すでにアメリカの次期大統領などやらかしてくれていますから。〔苦笑〕)

それに加えて中東(ISやイスラエルなど)やアジア(中国、北朝鮮など)問題もあります。

今年は不穏な年となりそうです。

そうであるなら、今年の漢字を一文字であらわすなら「龍」(竜)という文字がぴったりなのではないでしょうか。

そういう生き物がまさに龍であるからです。

これから出て来る新しい指導者が龍のような人でないことを祈るばかりですね。

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1月 09 2017

都合のいい人たち

今日はこの辺り休みの会社が多いようです。(どこかの会社も休みですか…では、休みの間に反省されたらどうでしょう。いい加減反省しないと、もう滅ぼされそうだからです。〔先週などひどい怒りようでしたから〕)

静かでいいと思っていたら、どこかのマンションの人で何かやたら怒っている人がいます。(昨夜からバシバシやって怒っていますね)何か悪いことでも起きたんでしょうか?

それで、その起きた悪いことがまた私のせいなんですか?

本当にいい加減にしてほしいものです。(しかし、この辺りの人たち、そういうことがすべて偶然だと思っていた時までは、そういう悪いことが起きても仕方がないと思っていたはずなのに、それが必然と分かったとたん、その悪いことの原因を全部私にかぶせるんですから、ほんと呆れますね)

緊急性がありそうなので書きますが、癌にでもなりましたか?

もし、そんな病気になったのなら、入院して手術するかどうかなどいろいろ決めないといけないんでしょう。

大変ですね。

私は前に、末期癌の人を祈ったら、その人の癌が小さくなり痛みもなくなって、安らかに逝かれたという奇跡が起きましたが、この教えを勉強するなら、まだ早いうちなら(私が祈れば)その癌が治ってしまうかもしれません。

この教えを少しは勉強されてはどうでしょう。そうすればそのような奇跡も現れるからです。

それとも感謝すら(布施一つ)しないのに、心が救われただけでは飽き足らず、体まで救ってもらおうなどという気は毛頭ありませんよね。(お前のせいでこうなったんだから、何もいわなくてもお前が治せ、みたいな感じでです)

それではあまりに都合がいいでしょう。そういう人には仮に私が祈ったところで何の奇跡も起きないのです。

そんな傲慢な心の人ではいくら祈っても、その祈りは天に届かないからです。

謙虚で神を一心に思い、ちゃんと感謝すべきところは感謝できる、分別をよくわきまえている、そういう人にしか奇跡は起きないのです。(そういう人じゃない人にも奇跡が起きる場合がありますが、そういう時は神の存在を証明するためとか〔この法の正しさを証明するためとか〕何か特別な理由がある場合はこの限りではありません)

では、そういう謙虚で感謝できる人になってはどうでしょう。そうすればよく奇跡が起きるようになるからです。

自分勝手な都合のいい考えでは何も奇跡は起きないし、結局そういう考えの人は不幸になるのです。

そういう考えは間違っているからです。

間違った考えでいつまでもいるなら、どこかで気づきの現象は必ず現れるからです。

都合のいい考えは捨て、謙虚に神を思い、その神の本当の心を書いている私に心から感謝され布施でもされませんか?

そうすれば黙っていても奇跡は起きて来るからです。(これだけはいえます。怒っているだけでは一つも救われません)

追伸…このブログを読んでいて、法を教わって心まで救われているのに、少しの布施もしないでは、それは悪いことも起きてきます。

悪いことをしているのは、法を教えてもらっていながら、布施一つしようとしない、そんな愛のない行為を平気でしている、このブログを読んでいる人たちの方であるからです。

この時代の人たちくらいですよ。法を教えてもらっていながら、これだけ頑なに感謝しようとしない人たちなどです。

普通であるなら、法を知って心が救われ、これだけの現象まで現れているのですから、喜んで布施する人がそこらじゅうにいても不思議でもなんでもないのです。

しかし、この時代の人たちは、心も救われ、不思議な現象も次々に現れているという実感がありながら、それでもこの教えを無視しているのです。

そういう意味でも異常なのです。この時代の人たちはです。必要以上に神を(神の力を)無視しているからです。(何でそこまで無視しているのか本当に不思議ですね。神の業に驚くのが恥ずかしいんでしょうか?)

あまりに科学に(現実のことだけに)考えが偏っているのか、それとも神の業に驚くなど自分のプライドが許さないのか(一体何のプライドでしょう?)それはよく分かりませんが、そんな異常な(罰当たりな)考えであるから、これだけ災いを起こされるのです。

神の子である私たち人間が、その神の心からあまりに離れすぎているからです。

この世はすべて神がつくられたのです。科学や物質をいう前に一番初めに神があるのです。

では、その神を一に思われてはどうですか?

そうすれば災いなど現れず奇跡が現れるからです。

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1月 08 2017

間違った信仰の弊害

毎日毎日、あちこちで本当によく怒っています。(どこかの会社などもうカンカンです)

昨日でも二十二、三くらいの若い奴にいちゃもんをつけられるし(何かやたら怒っていました)これだけ悪いことを私のせいにされてはねぇ。

仕方がないのでちょっとブログを書いておきます。

そこらじゅうで怒っている人がいるようですが、悪いことはみな私のせいなんですか?自分たちは少しも悪くないんでしょうか?

私が全然知らない人が病気になっても私のせい、けがをしても私のせい、消防車であろうとパトカーであろうと何であろうとサイレンがしてきたら、それは全部私のせい、まったく異常ですね。(分かりませんか?そういう発想の異常さがです)

何でもかんでも私のせいにして怒ればいいというものではありません。

もう少し自分たちの心と行いを考えてはどうでしょう。そうしないと大きな間違いをしてしまうからです。(もう大部分の人がしていますけどね。大きな間違いをです)

それほど自分たちの心はきれいなのですか。自分が思っているほど自分は善人なのでしょうか?

とんでもありません。勘違いもはなはだしいのです。

極端ないい方をするなら、悪いことが起きている人はみな悪人なのです。(悪人だから悪いことが起きるのです)自分が悪人なのを自分がよく分かっていないだけなのです。

悪いことが起きた人など、例えば人の悪口はいっていませんでしたか?人に嫌がらせなどしたことはなかったでしょうか?

そういうことも十分悪いことなのです。

もし、その人が(表面上はともかくです)陰ででも人の悪口をいっているのであれば、その人の心はすでに汚れているということになります。(悪口でも十分心は汚れますから)

また、そのような行い(人への悪口)をまったく反省しようともせず、当事者がいないのなら別にかまわないだろうと、いない人の悪口を平気で何年も(あるいは何十年も)いい続けているのであるなら、その人の心はもう相当汚れています。(多分そういう人の心は真っ黒でしょうね。反省しないで〔心をきれいにしようとしないで〕心を汚すばかりであるからです)

そうであるなら、そのような人に悪いことが起きるのはある意味当たり前のことなのです。

心が汚いのであれば、災い(気づきの現象)は起きて来て当然のことであるからです。

だから、そこらじゅうで悪いことが起きているのでしょう。(この地域だけではなく、他の地域でもです。もちろん日本だけではなく世界でです)

そのような人たちはみな間違ったことをしているからです。だから気づきの現象(悪いこと)を天から起こされるのです。

自分で間違った行いをして自分の心を汚しているにもかかわらず、自分で気づいていないからです。

心が汚くないのであれば悪いことは起きません。それは釈尊やキリストを知ってもらえれば分かると思います。

釈尊やキリストは心がきれいであったから災いなど起きずに奇跡しか起きなかったのです。自分たちの心と行いに間違いがなかったからです。(だから心も汚れなかったのです)

その自分が悪いために起きている現象を、この辺りの人たちは全部私のせいにしているのです。(この辺りで悪口をいったことがない人いますか?いないでしょう。法を知らない人ばかりなんですからいないと思います)

だから私は、この辺りの人たちは異常だといっているのです。

そういう自分たちの心と行いを棚の棚の棚に上げて、すべて私に責任転嫁しているからです。

では、自分たちの心と行いはまったく間違っていないとでもいうのでしょうか?そうであるなら、その人に悪いことは起きません。

だいたい、もし、自分たちの心と行いに間違いがないのであれば、その人に災いなど起きないのです。

そのような正しい人は必ず神のご加護があるからです。

自分たちの心と行いに間違いがないのであれば、その人をいくら不幸にしようと祈ったところで、そういう正しい人は不幸にならないのです。

それこそ、そのような正しい人なら(仮にその人が神を意識していようがいまいが)神がその人を守ってくれるからです。

だから、自分たちに悪いことが起きているということは、それはその人が悪いことをしている(間違った心と行いをしている)という何よりの証拠なのですが、そういう証拠があるにもかかわらず自分に対する反省は一切しないで、自分たちの心と行いが悪いために起きて来ていることまで全部私にかずけて、そうして「自分は何も悪くない」「あいつがすべて悪い」などというひどい勘違いをしているから、特にこの辺りの人たちに悪いことが集中して起きているのであり(それでは二重、三重の罪をつくっていることになるからです)自分たちに起きてきた悪いことを人のせいにしているなど、所詮は責任転嫁以外の何ものでもないのです。

天は公平であり、一方に味方するなどということは絶対にありません。

一方によいことばかりが起き、もう一方に悪いことばかりが起きるのは、これは一方の人が正しいことをしていて、もう一方の人たちが間違ったことをしているからです。

それを、そのまま天は私たちに教えているだけなのです。

天は正しいことをしている人には正しい現象(奇跡)を、間違ったことをしている人には間違った現象(災い)を、その人たちの心の通りに現し、常に私たちを導いてくださっているからです。

そのことに早く気づかないといけないのです。そうして、そのように常に導いてくださる天に(神に)感謝しないといけないのです。

そうしないと奇跡は起きて来ないからです。

しかし、これだけ分かりやすい現象が現れていても(天罰と奇跡)それでもこの教えを認めようとしない、いやはや現代の人々の頑なさは想像以上ですね。(苦笑)

これも間違った信仰の弊害といわざるを得ませんが、だから私の説いていることが、例えばこれまでの流れに沿った「お経を上げれば救われますよ」とか「お寺や神社にお参りに行けば救われますよ」とでもいいながら導くのであれば、あるいはもっと私のいうことをきく人も出てきたのかもしれませんが、私はまったくそういういい方をしません。(だってそういうのは間違っていますから、いいようがありません)

「そういうことはしなくていいです。心が一番大事なのです」「反省と祈りをしっかりやってください」「祈るのはどこでも構いません。正しい祈りをすれば誰でもきかれますよ」などといっていても(これまでの信仰とあまりに違い)拒否反応が強くて、そんな教えなど、多くの人はなかなかきくことが出来ないのかもしれませんが、しかし、この教えこそ正しいのです。

だから、次々に現象が現れているのです。(現実は現実なのです。私の説いている教えが正しいから即座に神が〔天が〕反応してくださり奇跡が現れるのであり、他の教えが間違いであるから、これほどの現象がどの教えにも現れないのです)

私の説いている教えこそ正しいからです。この教えこそ本当の神の教えであるからです。

いつまでも、これまでの間違った信仰にとらわれず、簡単で分かりやすいこの教えに帰依されませんか?

そうすれば、皆が皆、幸せになれるからです。

追伸…だから、この教えに関わった人たちはもう布施などもしないといけないのです。この教えを知った時点で、その人たちは救われているからです。(この教えは少し知っただけでも、その分、心が救われるからです。実際そうなのではないでしょうか)

それなのに、まったく感謝もせず、嫌がらせなどしていては、それは災いもたくさん起きるでしょう。

やっていることがあまりに罰当たりであるからです。

罰当たりな行いを続けているから罰が当たる、これもまた当たり前の現象が現れているだけなのです。

何度もいいますが、この教えを知って、いつまでも知らん顔をしていてはいいことは起きてきません。

悪いことではなく、よいことをされてはどうですか?

この教えを知った人たちは、すでに大変よいことをされているからです。

(年末バタバタ悪いことが続いて、いま起きていませんが、これで終わりということではありません。一時起きなくなっただけでまた悪いことは起きてきます。今の〔心と行いの〕ままならです。〔今は反省の期間でしかないからです。これで分からなければ、もっと悪いことが起きてきます〕他の地域の人たちは、この辺りの人たちと同じ間違いを繰り返さないでいただきたいものです)

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