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10月 21 2016

正しく祈ることの大事さ

プロ野球のドラフト会議も終わりましたね。

地元のチームは、完璧で百パーセントのドラフトであったと、監督が喜んでいる談話が新聞に載っていましたが、マァ、地元チームの誰かがドラフト前に祈ったのかどうなのか、それは知りませんが(その可能性はゼロではありません。このブログは誰でも読めますし、そのチームのために誰が祈ってもかまわないんですから)ゲン担ぎなどするより、祈った方がよほどよい結果が出ます。

だから何をする時でも、ゲン担ぎなどする暇があるのなら神に祈った方がいいのです。

神に祈るなら、必ず神がよい方向に導いてくださるからです。(もちろん正しい祈りでないときいてはくれませんが。だから正しく祈るということは大事なことなのです)

しかし、もし今回、神に祈った人がいるのであれば、必ず「神よこのような結果を現してくださり、ありがとうございました」というお礼の祈りだけはしてください。

何でもそうですが、そういうお礼をするのは当たり前の礼儀であるからです。

また、頼むだけ頼んでおいてお礼の祈りを全然しないということであれば、そういう礼儀知らずの人は、そのうち祈っても、その祈りをきいてもらえなくなります。(もちろん神が怒ってそういうことをされるのではなく、間違ったことをその人がしているから、その間違いに気づかせるため神はそのような態度を取られるのです)

誰に対しても、そのような道に外れた行為はしてはいけないと思いますが、それは神に対しても同じなのです。

このブログを読んでいる人たちは、そういうお礼をいわない人が大変多いのです。(それは私に対してですが)だから悪いことが起きる人が多いのです。

道に外れた行為を平気でしているからです。

そういうことにも早く気づかなければいけないのですが、それはともかく、正しい行いを実践していると一体何が起きてくるのか?ちょっと書いておきましょう。

私が祈ると、いろいろな奇跡が起きるのはご存知の方も多いと思いますが、それは正しい祈りをしてちゃんと神へのお礼の祈りも欠かさずしているからです。

そういう祈りを常にしていると(もう私などしょっちゅう神に祈っていますから)非常に神との距離も近くなってきます。(高橋先生は正しい祈りは神〔光の天使〕との会話であるといわれていました。では、しょっちゅう祈っているということは、しょっちゅう光の天使と会話しているということになります。それは距離も近くなるわけです)

そうすると歩いているだけでいろいろ愛ある現象が起きてくるわけです。(神〔光の天使〕との距離が近くなれば、その光の天使の愛〔神の光〕が常に周りに作用しているということになります。その光の天使の愛が周りに作用するのであれば当然愛ある現象は現れてきます)

この前、庄内川に行ったんですが、その時は雨あがりであったのです。(朝方雨が降っていて、その後やみました)

そういう時は庄内川の川岸にはよくカニが出てきています。この前いった時もそうでしたが、しかし、この前いった時は、そのカニの数が半端なかったのです。

もう凄い数でした。

行く時も「今日はカニの数が多いな」と思って歩いて行きましたが、何と帰りはもう凄まじい数のカニたちが出てきていました。(本当にあれだけ数が多かったのは初めてでした)

もう歩く道の横などびっしりカニがいるのです。(ほんと気持ち悪いくらいいました。〔苦笑〕)そうして、そのカニが道の真ん中までたくさん出てきていて(あふれている感じです)ある場所など、あまりにカニが多すぎて歩けないくらいでした。(道いっぱいにカニがいてです)

「お前ら、どけどけ」と声をかけながら歩いて行きました。カニを踏んづけそうであったからです。(川岸の横が道路でトラックがたくさん走っています。あのたくさんの数のカニを見た運転手もいたのではないでしょうか)

これだけの数のカニが出て来たのは初めてですが(本当に凄い数でしたから。前もたくさん出て来た時はありましたが〔その時は動画に撮ったんですが、今回は撮りませんでした。まさかこれほどのことが庄内川で起きると思わずビデオを持っていきませんでしたから〕その時より多かったです)雨が降った後などカニたちが特に帰り道にはたくさん出てきています。(同じところを通っていても行きと帰りでは全然違います。明らかに帰りの方が多いですね)

それも数多くのです。こういう現象も愛ある現象といえるのではないでしょうか。出てきている数が異常であるからです。(出てきている時などめちゃくちゃな数が出てきていますから。普通はそこまで多くのカニが出てくるとは思えませんから)

また道など歩いていると鳥が喜んで寄って来たり、騒いでいたりするのはもちろんですが、この前、名古屋港水族館に行った時のことです。

あれだけ生き物が多い場所に行くと、どれだけ自分が愛に満たされているのかということが非常によく分かります。

私が行くともう、あそこにいる魚たちの態度が明らかに変わるからです。

急に暴れ出す魚はいる、喜んで泳ぎ回る魚はいる、そういうことが一番分かるのが、比較的大きな生き物ですね。(大きいと分かりやすいですから)

シャチやベルーガなども面白い態度を取りますし(もうそういう場面はたくさん動画に撮ってあります)この前いった時など、イルカのプールを見ていたら中の一頭が(そのプールの中には三頭のイルカがいました)私が見ている前に泳いできて、私の前にとまりプールの中からジッと見ているのです。

目をパッと見開いて(可愛らしい目でしたよ)こちらをマジマジと見ています。

それを周りで見ていた人たちから声が上がりました。

「何、このイルカ、凄い人に寄って来ている」「ここのイルカ、すごく人になついている」中には「この人、イルカ語が分かるんだよ。だからイルカがこんなに寄って来ているだよ」などという人までいて(さすがにその人には私も苦笑いで返すしかありませんでしたが。〔苦笑〕)みな驚いているようでしたが、私の周りに天使の愛があふれているのであればこういうことは当然起きてきます。

その愛に人は気づかなくても動物たちは気づくからです。(人より動物たちの方が〔その心は〕断然天に近いからです)

こういう愛ある現象が私には毎日のように起こるのです。

だからいくらでもこういうことは書くことが出来ますが(もちろんすべて本当に起きていることです。ここに嘘は書きません)神への祈り〔光の天使との会話〕を常にしているのであれば、こういう愛ある奇跡も普通に起きてくるということです。

何度もいいますが、少し真面目にこの法の勉強をされませんか?(本当にこと法については不真面目な人が多いですから。自分に都合のいいことだけ実践するという不真面目な人がです)

そうすれば、考えられないような奇跡がたくさん起きてくるからです。

(じゃまをしかけると悪いことが起きて静かになります。本当に大変そうですね。反省されませんか?そうすれば、その災いは止まるからです)

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10月 20 2016

法則が支配する世界

朝からパニくっています。(前のバカ会社です。一人凄いのがいて朝から大騒ぎです)

このバカ会社の連中、ここ一日、二日はずいぶん引いていたのです。(悪いことが起きっぱなしなんでしょう、きっと)しかし、ずいぶん引いているのですがブログを書き始めるとまだガタガタやりだすのがいて、このブログのじゃまだけはしてきます。

それで昨日、一昨日など、途中まではブログを書いていたのですが、あまりにしつこくじゃましてくるものですから、途中で書くのをやめこの連中をガンガン祈ってやりました。(法の流布のじゃまなど一番してはいけないことですから)

そうしたら今日は朝からパニくっているのがいて大騒ぎをしています。(一人だけ朝から大騒ぎです。ほんとみっともないったらありゃしない。それにやかましくて本当に迷惑ですよねぇ、ご近所の皆さん)

一体何が起きているんでしょうね。この会社にです。

しかし、本当にこの者たちは物分かりが悪いです。結局そういう嫌がらせを私にし続けているから、災いが起き続けているのであり、その嫌がらせをやめれば、その災いも止まるのです。

しかしこの連中は、何が起きても(このようにパニックになりながらでも)それでも嫌がらせ(悪い行い)をやめようとしないのです。

それでは災いは止まりません。その自分たちがしている悪い行いが自分たちに災いとなって返ってきているだけだからです。

この連中はどれだけいっても、また、どれだけ災いが起きても、それを理解しようとしないのです。

本当に哀れとしかいいようがありませんが、この会社はこういう哀れな人たちが集まっているようです。(誰も自分たちの間違いを理解しようとしないからです)

こういう人たちは何度でも同じ間違いを繰り返します。そういう心のレベルの人たちの集まりであるからです。(はっきりいってあまり心の高くない人たちが集まっているのです)

心の低い人たちは神の存在が分からず、起きていることの意味をしっかり理解できません。だから同じ間違いを何度も繰り返すのです。

その起きていることの意味を理解し、自分たちがしている間違いを自覚できるほど心が成長していないからです。

しかし、その自分たちがしている間違いを自覚し反省出来るまで(そこまで心が成長するまで)この災いは続きます。

それがこの世の(心の)修行であるからです。だからこの世の修行は厳しいのです。

自分たちが分かるまでその修行は続くからです。

三日ほど前は庄内川に行ってきたんですが、帰りにまたガンガンやる人がいて、そこで辻説法です。

あの辺りではもう何度も辻説法をしているんですが、入れ替わり立ち替り、そういうことをしてくる人がいます。

はっきりいってあの辺りも心の高い人が少ないようです。だから辻説法を何度もしないといけなくなるのです。

場所によっては一度辻説法をしたら、一変に静かになってしまったところもあるからです。(そういう場所は心の高い人が多く住んでいるのです。だから正しいことが一度で分かるのです)

場所によってずいぶん違うのですが、このような類は類をもって集まる(類は友を呼ぶ)これを「波長共鳴(はちょうきょうめい)の法則」といいます。

いつもいっている「原因結果、作用反作用の法則」。(因果応報)

そうしてこのような「波長共鳴の法則」。

心の傾向性をいう「慣性の法則」。(クセや業のことです)

すべての物は循環しているという「循環の法則」。(地球は自転しながら公転していますし、それは水や空気も同じです。〔水は水蒸気となって蒸発し雨となってまた降る。空気は私たち人間などが吐き出した二酸化炭素を植物が吸って酸素を出す。これらは水や空気の循環です〕人間も同じように循環しています。〔輪廻転生〕)

エネルギーは増えることも減ることもなく(永遠不滅)ただ別の形に変わるだけという「エネルギー不滅(保存)の法則」。(だから人間も消滅することはない〔エネルギーの数量が変わらないということがその証明です〕人間はこの肉体の世界〔この世〕を去れば、あの世の霊の世界で生活するのです)

この世界はこの五つの法則に支配されているのであり、どこにいても(たとえあの世であっても)この五つの法則の支配からは逃れることは出来ないのです。

すべての世界が、この神がつくられた五つの法則で支配されているからです。

この法則に従って、いま私たちの周りの出来事は起きているのです。

だから、この法則を無視して何かが起きることはありません。だから、いつまでも責任転嫁していてはいけないと私はいっているのです。

悪いことをいくら私のせいにしたところで、原因結果の法則を知るならばそれは自分のせいと分かるのであるのだし、それを人のせいにし続けるのであれば(同じことをいう人が周りに多いのは、それは波長共鳴の法則に従ってそういう人ばかりが集まっているだけなのです。そういう人たち全員のいっていることが間違っているのです)それは慣性の法則に従って、それが悪い業となって自分に残り、その悪い業がなくなるまで苦しい修行を続けなければいけなくなるのです。

その苦しい修行が、例えば今どこかの会社がやっているようなことなのです。(災いが何度でも起きて来る)

それが心の修行なのであり、この心の修行に甘えは許されません。自分の間違いを自分で悟り、その間違を反省するまで、その災いは続くのです。

それはどこかの会社だけではないでしょう。この辺りは、そのような(自分の間違いが原因で)災いが起きている人がたくさんいるからです。

そのような自分の周りに起きて来ることすべては自分に責任があるのです。

この世界は先ほど書きました五つの法則が支配する世界です。その法則の支配から一歩も外に出ることは出来ません。

いい加減認めてはどうでしょう。自分の間違いをです。

ここに次々に奇跡が起きている者がいます。

その者のいうことを参考にされてはどうでしょう。奇跡が起きている者のいうことだけが、その災いを封じる唯一の手段であるからです。(災いが起きている人たちのいうことをいくら聞いても災いしか起きませんから。それではまったく参考になりませんよね)

心と行いを変えるなら次々に奇跡が起きてきます。

いつまで時代遅れの行いをしているのでしょう。(末法の世のです)そのようなことをしていてはもう救われる道はないのです。

追伸…今日はプロ野球のドラフト会議がありますね。

験を担ぐ(げんをかつぐ)監督も中にはいるのでしょうが、もうそういうことはやめられてはどうでしょう。

そういうことはもう時代遅れでしかないからです。(だって、そういうことをしてよい時もあればよくない時もあるんでしょう。では、あまり意味がないのではないでしょうか)

二十一世紀は法の時代です。そうであるなら、その法に従った行いをすればいいのです。そうすれば確実によいことが起きる(よいドラフトになる)からです。

では、法に従った行いとは一体どのようなものなのか?ということになりますが、それはマァ、私がいつもいっている祈るということでしょうね。

ドラフト会議の前にしばらく心を落ち着け静かに神に祈るとよいのです。

もちろん、その祈り方を間違えたらなんにもなりませんが、こういう場合は「神よ、今日のドラフトでチームにとってもっともよい選手が来ていただけますように」と祈るのが正解なのです。

そういう祈りをしてからドラフトに臨むと、チームにとって一番よい選手がドラフトで取れることになり、その選手もそのチームに行って活躍することになりますが、いけないのが、この選手がほしいからと、この選手が来てもらえますようにという祈りなのです。

祈るというとこういう祈りをしがちですが、こういう祈りが実は一番よくないのです。

そのような祈りは自分の我の祈りでしかないからです。

そういう我の祈りは仮にきかれても、その選手が活躍しなかったり故障したりとあまりいいことが起きないのです。自分の我の強さで、その選手が行くべきではなかったチームに行ってしまうことがあるからです。

ただし、その選手がそのチームに行くべきであった選手であるなら、その選手は活躍しますが、一番間違いのない、正しい祈りが先ほど書きました「チームにとってもっともよい選手が来ていただけますように」という祈りなのです。

そういう祈りをしてドラフトに臨むなら、チームにとって一番よい、そうして、その選手にとっても一番よい球団に入団できることになります。

すべて神が正しく導いてくださるからです。(ただしその選手にとっては希望の球団ではないかもしれませんが。その自分の希望の球団と自分が行かなければいけない〔本当の自分の使命を果たせる〕球団は違うこともありますから。しかし、神に祈るのであれば、その自分が行くべき正しい球団を神が導いてくださるのです。だから、ドラフト前に祈るということは監督や球団側だけではなく選手にもいえることなのです)

もう正法の世となっています。

そうであるなら、ゲン担ぎなどという意味のないことをするよりも正しく祈った方がよほどよい結果が得られることになるのです。

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10月 17 2016

知らずにしている不遜な態度

朝方はずいぶん激しい雨が降っていました。

今は小ぶりになりましたが、今日は激しい雨になるところも多いとか。気をつけないといけませんね。(最近の雨の降り方は異常ですから)

この辺りでは雨だけではなく、激しくお怒りの人もいるようですが(ほんと朝からうるさいです。どうせバカ会社でしょう。今もやっていますから)怒っているだけでは何も解決しません。

心を入れ替えるしかないのです。そうしない限り状況は変わらないからです。

土曜日もずいぶんお怒りでした。(どこかのバカ会社の人たちです)今も変わらず怒っていますが(ずっと怒りっぱなしなんですかね。よく体が持ちますね。だから病気になっているんじゃないですか?)自分たちが罰当たりなことをしているのですから罰は当たります。

悪いことをいつまでも人のせいにして怒っているのではなく、自分たちの行いをよく考えてはどうでしょう。

自分たちがしていることは、例えば、高名な坊さんが(神通力を使えるような釈尊やキリストのようなです)説法をしている横で、その説法をじゃましているようなものなのです。

そんなことをしていて罰は当たらないのでしょうか?

そんな悪い行いをしていたら当然罰は当たります。(その坊さんの説法を聞けば多くの人が救われるのですから)

だから罰が当たっているのです。

このブログを止めている間はずいぶん天気が悪かったのです。あなたたちが法の流布を止めてしまったからです。(台風もずいぶん来ましたし。あれだけ立て続けに台風が来たのも、きっとこの連中が法を説くのを止めてしまったせいでしょうね)

これだけ影響のある教えを止めてしまっては、それはひどい罰も当たるでしょう。大きな影響を多くの人に与える教えであるからです。

だからそれだけ悪いことが起きているんでしょうが、それはどこかの運転手連中も同じなのです。

これだけ(影響のある)教えを説いている者に徹底的に嫌がらせをしているのです。

それは恐ろしい現象も降りてきます。

しかも、その恐ろしい現象をすべて法を説いている者のせいにし、法を説いている者を稀代の悪人に仕立て上げている、一体どれだけ皆さん悪い(恐ろしい)ことをしているのでしょう。

本当に想像できないくらいの罪を現代の人々はつくっているのです。(そういう自覚があまりなさそうですが)

それだけ悪いことをしているのなら、こういう激しい天気に(頻繁に)なっても仕方がないでしょう。

あなたたち以上に天の怒りは凄まじいからです。

凄まじくもなります。この教えに素直に従い、多くの人にこの教えを伝えるのなら、どれだけ多くの奇跡が起き、どれだけ多くの人が幸せになれるのか分からないくらいだからです。

しかし、あなたたちはまったく逆のことをしているのです。だからこれだけ多くの人が不幸になっているのです。

あなたたちのしていることがまったくの反対のことであるからです。(法の流布のじゃまをし、悪いことをすべて法を説いている者のせいにして嫌がらせをし続けている。本当にこれだけ逆の行いもありません。法を拡げることに協力し、よいことを法を説いている者のお蔭と称賛し〔そのくらいの謙虚な心は持たないといけません〕喜んで布施をする、これが本来の〔神の子としての〕人間のあるべき姿であるからです)

それだけ人として反対の行いもないのです。だから「あなたたち以上に天の怒りは凄まじい」と私は書いているのです。

だから悪いことばかり起きるのです。自分たちのやっていることが、神の子である人間としてしてはいけない行為をし続けているからです。(ということは、天に逆らい続けているということです)

それを直してください。そうすれば、よいことが起きてくるからです。(そうしないとよいことは絶対に起きません)

法を説いている者に心を救われているのは事実なのです。では、そのことに感謝し、法を拡げることに協力し、その法を実践することで奇跡が起きたのなら、それは法を説いてくれた人のお蔭ですと(決して自分の手柄にするのではなく)法を説いてくれた人を褒め「あなたのお蔭でまた奇跡が起きました」と、ちゃんと報恩の行為(布施)をするのです。

そういう行いが出来れば、悪いことなど起きなくなり、周りに奇跡ばかりが起きてくるからです。

また、そうすることが当たり前のことなのです。古来より、法を説く人がこの世に現れた時、多くの人々は皆そうしてきたからです。

釈尊やキリストがこの世に現れた時、そうする人が多かったのです。だから、これだけ多くの人が〔後世に至るまでです〕救われたのです。

そのようなよい行いを多くの人がすることで多くの人に法が伝わったからです。

法が多くの人に伝わるなら、それだけで多くの人が救われるのです。だから、そのような態度を取ることが(神の子である)人間として当たり前のことであるのです。

しかし、現代の人たちは、その当たり前のことさえ出来ないのです。といより、そういう当たり前の態度を取ることさえ知らないようです。

神などいないと神を否定し(無神論)この世がすべてと金儲けだけにうつつを抜かしてきたからです。(唯物論)

だから、法を説いている人に対する正しい態度が出来ない(分からない)のです。(無視したり、逆らったり、そういう態度を平気で取る人ばかりです。どれだけ正しい態度を知らず傲慢不遜なのでしょう)

そのような(法を説いている者に対する)態度が悪い人たちばかりだから、これだけの災いを起こされるのです。(それはこの辺りだけではなく、数々起きる天変地変でもよく分かります)

現代の人たちは、昔の人がしていた法を説く人に対する当たり前の態度さえ出来ていないのです。

自分たちのそのような態度を反省してみませんか?

法を説いている者に(心が救われている人に)それだけ不遜な態度もないからです。

追伸…昨日大坂の寝屋川市で豪栄道の祝勝パレードがあったそうですね。

この前の大相撲秋場所でのまさかの豪栄道の全勝優勝、驚きましたね。(ちょっと失礼ですか?でも、豪栄道ってあんなに強かったですかね)

しかし、意外な力士が出てきます。最近の相撲は本当に面白いですね。(その分、稀勢の里にはがっくりですが…マァ、稀勢の里にはまたここからの頑張りを期待しましょう)

日本人力士がずいぶん頑張っているからです。(日本の国技なんですからそうでないといけません)

今度の九州場所はまた日本人横綱が誕生するか否かの場所となりますが、今度こそ日本人横綱の誕生を見たいものです。

しかし、モンゴル勢はやはり強いですし(今度は白鵬も出てくるようですし)ただ勝負にだけこだわるというのも日本の国技である相撲道に反しています。

元々日本の相撲は神事であったからです。(古代での相撲は豊作の吉凶を占う農耕神事であったそうです)

では、神に祈って、日本古来の相撲の心を思いだし、そのような心で相撲をとるならば、よい結果は必ず得られるということになります。(相撲の神に導かれてです)

どちらにしても力士の方々には、そのような日本古来の相撲の心を忘れないようにしてほしいものです。

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10月 16 2016

素晴らしい世界

昨日道を歩いているとです。

バスやトラックの運転手の皆さんが、ずいぶんお怒りのようでブシュブシュやられました。

しかし、元気がない人が多いようです。(ブシュブシュに元気がありませんでしたから)それはそうでしょう。そのような行為は本気ではないからです。

本心からではありませんよね。私に対するそのような嫌がらせはです。

そういうことをすればするだけ、また多くの人が病気をするのです。(もちろん自分も含めてです)もうそれを多くの運転手が知っているのです。

それは元気もなくなるでしょう。誰でも良心はあるからです。

それだけ罰当たりな態度もないのです。

心を救われている者に、そのお返しを嫌がらせで返している。これ以上の罰当たりな態度はありません。

だからそういう人たちを含めた多くの人に罰が当たっているのです。いつまでも罰当たりな行為をやめようとしないからです。

そういう自分に対する怒りもあるんでしょうが(何でこんなことをしたのかというです)それをいつまでも私のせいにして八つ当たりをしていたところでどうにもなりません。(それどころか、事態は悪くなる一方です)

心を入れ替え、心を救われた人には素直に感謝で返されませんか?

そうしなければ、この辺りで起きている災いは止まらないからです。(そうしなければ、この辺りで起きている事態は収拾〔しゅうしゅう〕しないということです)

しかし、自分のことばかりでなく、少しでも人のことを考えるのであれば(それは自分の家族でも恋人でも友達でもいいのですが)自分が頭を下げてこの災いがなくなるのならと、そのような人たちのためにも、少しくらい私に詫びを入れようという気が起きてきても不思議ではありませんが、そういう人が一人もいません。

この辺り、よほど愛のない人が多いのでしょうか?

自分の子供が可愛くはありませんか?親に何かあってもいけないという心はないのでしょうか?自分の好きな人は大切なのではないのですか?

そういう心が少しでもあるなら(自分のためではなく、そのような人たちのために)自分が率先して私に頭を下げるべきでしょう。

そういう心になるのなら(自分のためではなく人のためにとです)そのような人たちに災いが起きることはなくなるからです。(そのような愛の心は一変で神の光を降ろします。その神の光が自分も家族も守るのです。〔もちろん、その人の心に応じてですが〕)

しかし、自分のことしか考えない、そういう人が最近は増えたのでしょう。この辺りで(これだけ大変なことが起きているのに)いつまでもくだらない意地を張って、私に頭を下げようとしない人ばかりということでもそれは分かりますし、保育園をつくるなというところが増えたと今日の新聞にも書いてありました。

そういうところでも、自分のことしか考えていない「狭く小さい」心の人が増えたということは分かるからです。(今日も朝からバシバシ、ドンドン、バカマンションの連中がやっています。パソコンの音がうるさいからなんでしょうが〔家の中でパソコンを打っているだけでうるさがるのですから〕そういうことをしている人に限ってこのブログを読んでいます。それだけ自分本位の人が多いのです。そりゃ罰も当たります)

しかし、こういう心が狭く小さく愛のない人たちに比べ、少し心を広くして愛を出すのなら、楽しいことが次々に起きてきます。

そういう例を少し書いておきましょう。

昨日また内海に行ったということを書いたのですが、途中下車して辻説法をするのなら、わざわざ内海まで行かなくても、最初からその駅に降りて、そうして辻説法をすればいいのにと思う人もいるでしょう。

確かにその方が手間がないのですが、私がわざわざ内海まで行くのは、やはり、そこまで行ったのなら内海の海が見たいからです。

海には多くの生き物がたくさんいるからです。そういう生き物と会うことがまたことのほか楽しいのです。(笑)

私はいつも内海の駅につくとその辺りをプラプラ歩いて海まで行きます。

前は辻説法をしながら行くことが多かったんですが、最近は減りました。内海の人たち、最近はあまり何もしてこなくなったからです。(それでも何かされたらしますけどね。辻説法はです)

内海につながっている川沿いを歩くことが多いのですが、なぜかといいますと、その川に魚がいて、呼ぶとたくさん寄ってくるからです。

その川を見ながら歩いている最中も空では鳥たちがあちこちで騒いでいます。すずめはまだいいのですが、ムクドリが騒ぎだすとうるさくていけません。(あの声は半端ないですから。町中に響きます。〔苦笑〕)

しかし、そういう空には鳥たちが騒ぎ、川や海には魚たちが騒ぐ、それはそれで癒されます。そういう生き物たちの愛をヒシヒシと感じるからです。(そういう愛以上に心が癒されるものはありませんね)

そうして海につくと海沿いを野間あたりまで歩いて行くのですが(砂浜が続いていますから)その歩いている最中にもいろいろな鳥が飛んで来たり(トビなどずいぶん近くまで飛んでくる時があります。この前などふと気づいたらトビが上空を五羽も六派も飛んでいました。「お前らいたのか、元気か」と声をかけると、急に飛び方を変え、私の声に答えてくれるトビもいました)いろいろな海の生き物に遭遇します。

それがまた楽しいのです。

内海から野間まで行く途中にちょっとした岩場があるのですが、その岩場には潮が引いているとあちこちに水たまりが出来ています。

そういう水たまりをのぞくといろいろな生き物がいるのです。

そのような水たまりに小魚がいるのは当たり前のことですが(声をかけると細かいのがコチョコチョ泳ぎ回りますので、それを見ているだけでも楽しいです)この前などある水たまりを見ていたらなにもいませんでした。

「ここは魚も何もいないな」と思って「お前らいないのか」とその水たまりに声をかけていたら、その水たまりの底にある石がムズムズ動き出したのです。

「何だ、この石、動いているな」と思って見ていると、なんとそれは石ではなく、ヤドカリであったのです。

そのヤドカリの殻が、そこの岩と見分けがつかない色をしていました。それで分からなかったのですが「お前、元気か」と、その動きだした水中にいるヤドカリに声をかけていたら、近くにあったあちこちの石まで動き出すではありませんか。

「なにこれ」と思っていたら、その水たまりの中にあった小さな石ころはみなヤドカリであったのです。(ずいぶんいましたよ。十匹以上はいたんではないでしょうか)

そのヤドカリ連中が、その水たまりの中でガサガサごそごそやりだしました。あちらに歩いて行ったり、こちらにゆっくり歩いて来るヤドカリもいます。

面白かったので、しばらく、そのヤドカリたちを見ていたのですが「分かった、分かった、お前ら頑張れよ」といって、他の水たまりをあちこち見ていると、小魚ばかりか、急に大きな魚が泳ぎだす水たまりまであります。(大きな水たまりには割と大きな〔十センチくらいですか〕魚がいる時があります)

波打際の水たまりを見ながら「お前らいないのか」と呼びかけていたら、その水たまりからではなく波打ち際の岩場の裏からなんと割と大きめな(十~十五センチくらいあったでしょうか)カニが出てきたのには驚きました。

「お前もいたのか」と声をかけながら見ていると、しばらく私の前をウロウロして、また岩場の裏に行ってしまいましたが、そういういろいろな生き物が見られるのが楽しいのです。

そうして、野間の辺りまで歩いて行くと、今度は砂浜の辺りまで寄って来ている魚たちがいます。(この辺りの海岸だけですね。これだけ近くにたくさんの小魚たちが寄って来ているのはです。あの辺りの海岸の魚は岸の近くに寄って来る習性でもあるんでしょうか?)

そういう魚たちに声をかけていると、またビチャビチャバチャバチャ近くを泳ぎ回り楽しそうで面白いのです。

こういう生き物たちがたくさん見られるのです。これだけ癒される場所もありません。

だから私は(そちら方面に行く時は)わざわざ内海まで足をのばすのです。いろいろな生き物に会うことが出来るからです。

少し心を広くして愛を出すのなら、こういう楽しいことが毎日のように起こります。(毎日動物園や水族館に行っているようなものです。〔笑〕)

狭く小さな心でいつまでもいるより、少し広く大きな心で愛を出してみませんか?

そうすれば、素晴らしい世界が広がっていることに気づくからです。

(そこらじゅうに愛があふれている世界にです。狭く小さな心ではそういう世界に気づくことはありません。それどころか、もうそのような心ではいつ災いが起きるか分からないのです。時代に合わないからです。〔だからそういう心の人たちに悪いことばかりが起きているのです〕心が変われば見ている世界も変わります。〔また起きてくることもですが〕早くそれに気づいてほしいものです)

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10月 15 2016

正直

昨日は内海に行っていました。

内海は一週間前に行ったばかりなんですが、今回は別の要でまた行ったのです。

それは後で書くとしまして、行く時に駅まで歩いていたら、もう道を通るバスやトラックのうるさいことうるさいこと、前回ああいうブログを書いています。

マァ、予想はしていましたが、皆さん「お前のいうことなど聞けるか」という態度なのか、それとも、いつ自分に恐ろしい現象が現れるのかとヒヤヒヤで怒っているのか知りませんが(もうほとんど後者でしょうね)こちらにちょっかいをかけまくりでしたね。(苦笑)

しかし、どれだけ怒ろうがどれだけちょっかいをかけようが無駄です。自分が聞こうが聞くまいが、ヒヤヒヤしようがしまいが法則は必ずかかるからです。

かわいそうもへったくれもありません。(それこそ大人から子供までです。嘘もごまかしも出来ません。必ず正しく現れます。すべて自分の心と行い次第なのです)自分に悪いことが起きたくなけば、自分が悪いことをしなければいいのです。

それにしてもどうするつもりなんでしょうか?このまま嘘をつき続けるつもりなんでしょうか。運転手の人たちはです。

全員が全員とはいいませんが、そういう嘘をついて、私一人に罪を擦り付けた人はいます。(あとの大方の人は騙されたんでしょうが)

そういう(間違ったことを先導した)人たちが正直に事実を話し(このサイレンは私のせいではなかったとです。自分たちのせいであったと多くの人の前でです)自分が悪かったと反省する以外、この災いを収める手段はありません。

つまり、そういう人たちがいつまでも事実を黙っていればいるほど、まだこれから多くの人に災いが現れるのです。

それはそうです。悪いことはみな私一人のせいと思い込んでいる人たちが多いからです。そういう心の人たちは必ずどこかで災いが現れます。

その思いが間違っているからです。

だから、この辺りの人たちは災いが起きる人が多いのです。自分たちが間違っているのに、その間違いを認めず悪いことをすべて私のせいにしているからです。(法則無視です)

マァ、この辺りの人たちはともかくです。多くの人にその間違った思いを植え付けたのは、そのような(バスやトラック、電車の運転手の)先導者の人たちです。

ですから、その人たちの罪は大きいといわざるを得ないのです。

では、責任を取るしかないでしょう。どちらにしても、その(大変大きな)責任は取らされることになるからです。(この世で取らないのなら地獄でです)

しかし、そのような人たちは心が痛まないんでしょうか?自分たちが黙っていればいるだけ、私のせいにし続ければし続けるだけ、不幸になる人が出るのにです。

今のままでは不幸は必ず起きるのです。(起きていますよね。現に)

そういう人たちが黙っているから、これだけの災いがこれだけ大きく拡がっているのです。(もう、そういう事実を知っている人ばかりです)

本当に、そういう嘘を最初についた人たちは心が痛まないんでしょうか?そんな嘘をつかなければ、これほどの災いが起きることもなかったからです。(いま思うと大変なことをしましたね。その人たち)

しかし、私なら正直にいいますけどね。だって自分が嘘をついているせいで多くの人が病気になっているのです。

私がもしそんなことをしているのなら、それはそれは心が痛んで夜も寝られなくなります。当然どこかでいいますね。

「私が嘘をついていました」とです。

その方がよほど(心が)楽になるからです。

もちろん大いに悩むとは思いますがね。それでもいうでしょう。私の周りの人が私のせいで次々に病気なるのです。

それをずっと見続ける方が嘘をつき続けることよりも、ずっとつらいことであるからです。(別にいいかっこしているわけではなく、普通の人ならそういう思いになりませんかといっているのです。年寄りから小さな子供まで、自分のせいで病気になるのです。普通なら堪えられないでしょう)

その後の自分の人生がめちゃくちゃになるかもしれませんが、そんな大それたことをしてしまったのです。

自分の自覚があるないにかかわらずです。もうこれだけのことが起きているのです。その責任は取らなければいけないのではないでしょうか。

それに心から詫びを入れるなら、必ず道はついて来ます。そういう(正直にいって反省する)心と行いが一番大事だからです。

そういう人を神は見捨てることはないからです。

いま現在、そういうめちゃくちゃな人生を歩んでいる私がいうのですから間違いありません。

今の私はめちゃくちゃな人生を歩んでいますよね。私一人が悪者にされ、そこらじゅうで嫌がらせを受けているのですから。

それでも自分が正しければ神の奇跡は起きるのです。その奇跡に大いに助けられているのです。

そういう奇跡も何もなかったら私はとっくに自殺しています。

私は悪いことをすべて自分のせいにされ、そこらじゅうで嫌がらせを受けているからです。(そこらじゅうで嫌がらせを受ける集団ストーカー状態がもう何年も続いているのです。普通だったら堪えられないでしょう。このブログを書いている今でも、バカ会社やバカマンションの連中がじゃましているくらいですから)

どれだけつらいか分かりますか?いま自殺を考えている人がもしいたとしたら、私のつらさからしたら、そちらのつらさなど大したことはないのです。

神に祈って、悪いところを反省し正直に生きるのなら、必ず道は開かれます。頑張ってください。

…話が横道にそれましたが(苦笑)自分たちが嘘をついているために多くの人が(いま現在も)不幸になっているのです。

何度もいいますが『心は痛まないのですか?』

すでに事実は分かっているのです。それを正直に話し責任を取ってください。そうしなければ、その不幸は止まらないからです。

その怒りまくっている人たちに辻説法をしながら駅まで行って電車に乗ると、私は内海まで行きました。

なぜ、こんなに何回も内海に行くのかというと、この前行った時に途中の駅で電車が止まると、その辺りの人たちで怒っている人たちがいたからです。(何せ、電車が駅で止まっただけでも鳥たちが異様に騒いでいるところがありますからね。私が電車に乗っているとすぐに分かるようです)

だから、内海に行った帰りにその駅で降りて辻説法をしながら帰ろうと思ったのです。

内海の帰りに、その駅に降りると(名鉄の富貴駅です)思っていたほどではなく皆さん静かなものでした。(道を走るトラック連中はうるさかったんですが)

それであまり辻説法をする機会がなかったんですが(一駅歩いたんですが、二、三回くらいしか出来なかったです。あまりドンとかガンとかされなかったものですから)その辺りは川や海があります。

そうするといけませんね。どうしても、辻説法より、そちらの方に興味が行ってしまうからです。(そこにいる魚たちにです)

富貴駅を出て少し歩くと海がありますが、その海を見ながら歩いていたら、また浜辺の水際に小魚の集団がいました。

「あんなところに固まっているよ」と思って(なんか友達にあった気分です。〔笑〕)「おいお前ら、元気か」と声をかけました。

その小魚の集団は最初は驚いたようで、逃げかけましたが、私と分かると嬉しそうに水際を泳ぎ回っていました。

その仕草が本当にかわいらしく癒されます。(こういうところで心が癒されるのです)

その海につながっている川があるのですが、その川沿いを歩いていると、また小魚の集団がいました。

その集団に声をかけていると、あちこちから小魚が集まって来ました。(近くにたくさんいたようです)

私の前に数十匹の魚が泳ぎ回っていたのですが、すると、また一匹違う魚が泳いできました。

その魚を見ると何とエイでした。(今回のエイは小さかったですが)

「あれ、こんなところにもエイがいるのか」と思い「おい、お前も元気か」というと、そのエイもゆっくり私の方に泳いできて、前を泳いで行きました。

エイって私たちが(私だけかもしれませんが)知らないだけで、案外どこでもいるんですね。(それも岸の近くにです)

そういうこれまで知らなかった鳥や魚たちの生態も分かってきて、本当に心が癒されます。

こういう奇跡が起きなかったら、多分、私はもうこの世にいなかったんでしょうが(もうさっさと自殺しています。こんなつらい状況はありませんから。布施も全然入らないし)正しい行いをするのであれば、必ず神は導いてくださるのです。

その神を信じ、正直に事実を話してみませんか?

そうすれば、本当の幸せの道がついて来るからです。

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