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10月 29 2016

法の価値

昨日は家の隣で工事をやっていて、それがうるさくてブログが書けなかったんですが、一昨日は内海に行っていました。

暖かいのは一昨日が最後とか何とか天気予報でいっていたので、暖かいうちに行っておきたいと思ったからです。(寒くなると魚もあまり出て来なくなりますから)

ところが一昨日は天気がいいだけで風が強くて波も荒く、ちょっと失敗したなと思ったんですが、それでもいろいろな鳥たちは騒ぐし魚もたくさん出て来て楽しかったです。

私が歩いていると、大きな鳥の影が行ったり来たりしているので、上を見るとまたトビが頭上を何羽も飛んできていて「何だお前ら、そんなに近くにいたのか」と声をかけると、急に元気よく飛び出すのがいて、急降下したかと思うと急上昇したり、電線にとまったかと思うとすぐに空高く飛んで行ったりしています。

小さな鳥は小さな鳥で、大きな鳥は大きな鳥で、それぞれ愛らしい態度を取りますので可愛らしいんですが、あの強面のトビがそういう愛らしいことをすると、ギャップが激しいんでよけい可愛く見えます。(笑)

姿かたちは怖そうでも、心はみな同じで、すべての生き物の心には愛があるようです。

愛がある者には、ちゃんとその愛で応えてくれるのです。

そんなこんなで鳥たちにかまったり、内海につながる川など見ていたら小魚がたくさん出てきたりして、そういう魚たちにかまったりしていたら(また、小魚がたくさん水面に上がってきてピチャピチャやるものですから)あっという間に時間が過ぎます。

本当に海など行くといろいろな生き物たちに愛をもらえます。だから、チョコチョコ行っているのですが、一昨日行った時は肝心の海の魚が全然出てきませんでした。

あまりに海岸の風が強すぎて波も荒く寄ってもこれないようでした。

それでも海に向かって呼びかけていると、近くでピチャピチャ跳ねる魚たちがいました。

「おっ、寄ってきたな」と思っていると、また、波がたつとその波の中に魚がいっぱい見えます。

「うわ、すげぇー」と思って、その場面を動画に撮りました。(もうほとんどSDカードの残量もないんですが、その残っている分だけ撮りました)

画面が見にくいので、あまりうまくは撮れませんでしたが、それでもいくつか波の中にたくさんの魚がいる場面が撮れています。

マァ、あの動画を見れば私のいうことを信じてもらえると思います。

どうも、私が呼びかけると少し沖の底にいる魚たちがたくさん水面に上がってきて、岸の近くまで寄ってくるようです。

そういう魚が、少ない時で数十匹(一昨日などそうでした。それほど数はいませんでしたから)多い時は、数百から数千匹(大げさではなくもっといるかもしれません。水面上にいる魚だけではなく水中にいて見えない魚もたくさんいるでしょうし、そういう波に乗っかっている魚たちが数百メートルの距離でいた時もありますから)も寄って来るのです。(それに波打ち際まで来ている細かい魚たちもいっぱいいますし)

一昨日など、多くの魚があれだけ荒い波に乗かっていて(その波に乗って、そのままバシャと水面に叩きつけられますから)大丈夫かと思うんですが(マァ、私がやらせているんですが…〔汗〕)こういう愛ある奇跡が次々に現れるのです。(普通ならこういうことは絶対起きないと思います。あれは、絶対魚も危ないですから。〔大汗〕)

こういう奇跡ばかりが起きるのです。私が海に行きたくなる気持ちもお分かりいただけるのではないでしょうか。

別に私だけに特別このようなことが起きるのではなく、法を実践していると、こういうことも起きてくるということです。(実践すればするほどです。法を実践すればするだけ愛が表にあふれてくるからです。その愛に生き物たちは寄ってくるのです)

それだけ法とは価値ある(愛ある)ものであるからです。

そうして、そのような愛をたくさんもらってこちらに帰ってくると、何か様子が違っていました。(マァ、こちらに愛がないのは変わらないのですが)

やたら怒っているところもあれば、今まで散々嫌がらせをしていたのにピタリとやめてしまったところもある。

「それは別に変わったことではないだろう」といわれそうですが、そういうところがずいぶん増えているように感じました。(またサイレンもよく聞こえてきますし)

それに、どこかの会社の落ち込みぶりはひどいですし(今日もずいぶん元気がありません。それでも無理してじゃましています。決して無理はなさいませんように。〔苦笑〕)昨日などトラック連中も静かでした。(雨が降っていたからたまたまですかね?ここ二、三日、何か様子が変なんですが)

もしかしたら、私が書いたことが起きてきたのかもしれません。(園頭先生の予言〔多くのビルから人がいなくなり廃墟になる〕が実現しつつあり、災いのレベルが上がる)

どちらにしてもです。よいことも悪いことも(奇跡にせよ、災いにせよ)この法の実践を続ける限り、大きくはなっても小さくなることはありません。

よいことも悪いことも、法にかかわればかかわるだけ大きく現れて来るのです。

それだけ法の価値とは大きなものであるからです。(価値があるから、それだけのことが起きるのです。よい悪いにかかわらずです)

法はこの世で最も価値あるものであるのです。

その最も価値あるものに対し、逆らい続けているのなら、当然その反動は大きくなりますし、従い続けているのなら、当然その祝福は大きなものとなります。

その通りのことが起きているのです。

この法の価値をいい加減理解されてはどうでしょう。

その法にかかわった人たちは、どれだけ災いが起きようと、どれだけ奇跡が起きようと、どちらにしても法を知って救われていることには変わりがないからです。

(法を知らなかったら、そんな体験は出来なかったのです。知らない体験が出来ているのなら、その分、心は進歩します。その心が進歩した分は救われているのです)

追伸…しかし、こちらが元気がなくなったり、怒りまくったりするというのならまだ話も分かりますが(私はよってたかって大勢の人にいじめられているわけですから)私をよってたかっていじめている大勢の人たちが、そのような態度を取るというのは一体どういうわけなのでしょう。(本当に最近はそういう人が増えました)

普通は逆ですよね。(本当に私の立場がありません。〔苦笑〕)

大勢からよってたかって嫌がらせを受けている者が、急に元気がなくなったり、急に怒り出したりと情緒不安定になるのなら話も分かりますが、私に嫌がらせをしている大勢の人たちの方が情緒不安定になっているというのですから、これ如何にといったところでしょうか。(苦笑)

それだけ価値がある法は、それだけ起きる現象も凄まじいということです。(起きる現象の数も大きさも限りがありませんから。神が現す力は永遠不滅です)

自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きるのです。

それを早く認め、この法に従いませんか?

そうすれば私と同じような奇跡も起きてくるからです。(もう何度もいっていますがね。そういうことはです。しかし、最近は起きる現象のレベルもさらに上がっているように思います。急がれてはどうでしょうか?私に嫌がらせをしていればいるほど、その人はやばいからです)

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10月 26 2016

心の基準

今日はすでに何か起きたようですね。(朝の八時過ぎくらいでしょうか、急に怒り出すのがいて、それから一変に静かになりました)

いま妙に静かで空気が重く感じますが、それでもしばらくするとじゃましてきます。もはやまともではないですね。(前のバカ会社はです)

昨日のようなブログを私が書くということは、何か天上界が警告しているのです。(つまりこれから昨日書いたようなことが起きるということなどです)だから、災いが朝一から起きているのでしょう。(それも気づきの現象です)

早くその警告に気づいてほしいものです。

そういう気づきが次々に現れているにもかかわらず、それでも心を入れ替えようとしない、本当にまともではありませんが、そういうまともでない人たちがこの辺りは他にもたくさんいるようです。(本当に神をも恐れぬ人たちです)

あんなブログを書いたからでしょうか、昨日は運転手の皆さんはずいぶんお怒りでした。(特に市バスの皆さんはお怒りでした)

しかし、なぜ怒るんでしょうか?こちらは今のままでは早死にしますよと教えてあげているだけなのにです。(「よいことを教えてくれた、あなたは命の恩人です」と感謝されるかと思いましたが…)

しかし、どれだけ怒ろうがわめこうが事実は事実です。早く私に詫びを入れて「助けてください」と懇願されてはどうでしょう。

それ以外であなたたちが早死にしない方法はないからです。(あれ、神経、逆撫でですか?)

しかし、こればっかりは事実です。土下座でもされて私に許しを乞うてはどうでしょう。

そうしないと、あなたたちが早死にするのはもはや避けられない決定的な事実であるからです。

だってそうでしょう。それだけの悪いことをすでにあなたたちはしているのです。

だから私は、今のままではあなたたちは早死にします(早々にあの世に引き上げらます)といっているのです。(何度もいいますが、そのことを私はあなたたちに教えてあげているのです。もっと感謝されてはどうでしょうか?)

自分たちが現したサイレンをすべて私のせいにして、私一人を悪者に仕立て上げ、自分たちは善人のふりをして「あいつがすべて悪い」と根も葉もない噂をいいふらし、よってたかって私への嫌がらせ。

そのせいで、私はあなたたちだけではなく、そこらじゅうの人たちから(それこそ大人から子供までです)嫌がらせを受ける羽目になり、そればかりか、そんな根も葉もない噂を信じて私に嫌がらせをしたばかりに、多くの人が病気になっているのです。(そんな罰当たりな行いもないからです。心を救われている者に感謝もせず嫌がらせです。これでは天罰も食らいます)

これだけ恐ろしい現象(サイレン)を世に現したにもかかわらず、それをすべて法を説いている者のせいにして、法を説いている者を大悪人に仕立て上げ、その噂を信じた多くの人まで病気にしている。

これだけ極悪非道の所業はありません。(これだけの悪事、そうは出来ません)

だから『あなたたちが早死にするのはもはや避けられない決定的な事実である』といっているのです。

それだけの悪行を(知ってか知らずかは知りませんが)すでにあなたたちはしているからです。(「知らなかった」ではすまされないほどの悪事です)

ただでさえ法を説く人への悪事は罪が重いのです。

それは、法の流布のじゃま、法を説いている人への嫌がらせは、殺人を犯すことよりも重いと昨日書いた通りです。

なぜ、そんなことがいえるのか?

それは天罰の多さを知るなら分かるはずです。

殺人を犯した者に、この辺りで起きているような天罰がくだるでしょうか?

もし、法のじゃまをすることより、殺人の方が罪が重いのなら、天はこの辺りで起きているよりもっと重い罰を殺人者には与えるでしょう。

しかし、殺人を犯した者にそんなに次々に天罰がくだるようなことはないのです。

なぜでしょうか?

それは、法をじゃますることより、まだ殺人の方が罪が軽いからです。だから、天はそのような殺人者に罰はくださないのです。

肉体を殺す罪は心を殺す罪よりずっと軽いからです。

そういう起きている現象で、自分たちがどれだけ悪いことをしているのか理解しないといけないのですが、これが唯物無神論の弊害なのです。

日本の人々は長く唯物無神論であったため、その天罰の意味がまったく分かりません。

天が罰をくだすわけがないと頭から思っているのです。だから、どれだけ天罰を食らっても、それは一個人がやっていると思い込んでいるのです。(そういうことを一人の者がやれるのかまったく疑問ですがね。都合のいいこじつけとしか思えませんが)

しかし、あまりに重い罪をこの世の人が犯した場合、天は罰をくだすのです。

それがこの辺りで起きている恐ろしい災いなのです。

罰が当たっている人がより重い罪を犯しているのです。いい加減それを理解しないといけないのです。

この世の罪で、およそ法に関わる罪ほど重い罪はないのです。(無差別殺人の犯人でも、これだけの天罰はくだりません。なぜ、天がこれほどの罰をこの辺りの人たちにくだしているのか?それは、無差別殺人を犯すよりも〔ずっと〕重い罪をこの辺りの人たちは犯しているからです)

これくらい説明すればもうお分かりでしょう。(それともまだ分かりませんか?そういう人はよほどの無知です)

これだけの天罰が次々にくだるような恐ろしく重い罪を、あなたたちは(自分だけでなく)多くの人に科してしまったのです。

その罪は凄まじいものになっているのです。(あなたたちが知らないだけでです)

この世の基準と心の基準は違います。その心の基準を基準としないといけないのです。(とはいえ、では、この世の法律を守らなくてもいいのか、といえばそうではありません。この世の法律も当然心の基準の中に入っています)

この世の基準を知っていても心の基準(法)を知らない人は多いのです。

しかし、心の基準を知らないと、知らず知らずのうちに大きな悪を犯してしまい、天罰を受けるということは往々にしてあるのです。

これからは特に、この心の基準を知らないと、どこでどんな天罰を食らうか(どこでどんな罪をつくるのか)分からない時代となっています。

いい加減反省されてはどうでしょう。

悪いのは、その心の基準をそっちのけにして自分のことばかりしていた多くの人々であるからです。

追伸…本当にどこかの会社の様子が変ですね。(よく電話がかかって来てバタバタしています。それでもたまにキレていますが)

昨日書いたブログのようなことが起きてきたのではないでしょうね。(次々に病気になる人が出だしたとか)だとしたら、もう怒っている場合ではありません。

怒れば怒るほど病人(天罰)が増えていくからです。

私が祈れば、その現象も止まるかもしれませんが…どこかの運転手より先に来られたらどうでしょう。

あなたたちを救えるのは(もちろん私などではなく)この法しかないからです。

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10月 25 2016

無知の罪の重さ

昨日はバカ会社がうるさくて書けませんでした。

そうしたらまた何か起きたようで、昼前くらいからずいぶん引いていました。

災いが起きることが分かっていても悪いことをやめよとしない(というか、どちらにしても悪いことが起きるので〔こうも無反省では当然そうなります〕やけくそなんでしょうが)本当に哀れなものです。

この連中が(昨日の災いもあり)引いているうちに書けるだけブログを書きましょう。

最近の名古屋は、最も魅力がない街とか、日本一の嫌われ都市とかいわれて、ずいぶん人気がないようですね。

それに加えて、もう日本全国で起きている現象を(人が次々に病気になる)私一人のせいにして、その現象を強調して(まるでこの辺りだけに起きているようにです)「あいつのせいでこうなった」と怒っている人が多いというのですから、よけい嫌われるでしょうね。

そんな人が次々に病気になっているような街など呪われているとです。(苦笑)

しかし、この頃はそういう噂が立つと逆に怖いもの見たさで名古屋に来る人が増えるのかもしれません。

最近はそういう怖いもの知らずの人が増えたからです。

しかし、それは単に、怖いものを知らないだけなのであって、その怖いもの(天罰)の本当の怖さを自分たちが知らないから平気でそのようなことが出来るのです。(先ほどのバカ会社の連中と同じです。そういうことをしていたら〔やけくそな態度〕後でどれだけ恐ろしい目に遭うのか、それをこの連中は知らないのです)

それは自分の無知さの現れなんですが、その無知ということが分からない、だから、これだけ悪いことが起きる人が多いのです。

自分たちが神のことも、心のことも、まるで分かっていないといつまでも気づかないからです。(だから、この時代、神のことも心のこともよく知らないと、どれだけ危ないのかということも分からないということです)

昨日テレビでやっていましたが、すでに日本は多死社会となり、火葬場が不足しているそうです。

つまり、亡くなる人が増えたため、人が亡くなっても火葬が追い付かず、すぐに火葬が出来ない自治体が増えているのです。(昨日やっていた埼玉の火葬場など早くて三日待ち、混んでいる時は十日待ちだそうです)

現在の日本は年間百三十万人の人が亡くなっているのですが、これが先々(十年~二十年先です)百六十万くらいにはなるのではないかと昨日のテレビではいっていたようですが、ずいぶん甘い予想ですね。

私はその程度ではすまないと思います。というのも、園頭先生が気になることをいわれていたからです。

前にも書いたのですが、名古屋に先生が講演会で来られた時に、名古屋駅など今ビルがたって人がいっぱい入っていますが、これから人が減っていって、今いっぱいに人が入っているビルもガラガラになって、廃墟になるビルも増えるといわれていたのです。

それはもう二十年以上も前にいわれたことです。

その時は、これだけ多くの人が亡くなっているわけでもなく、日本の人口の減少のことをそれほどいわれている時代ではありませんでした。(マァ、多少はいわれていましたが)

だから、そんなことが起きるのだろうかと不思議でしたし(というか、ピンと来なかったですね。いくら園頭先生のお話とはいえ、あまりに現実離れのした話であったからです)仮にそういうことが起きたとしても、それは百年も二百年も先の話であろうと思っていました。

しかし、今の現実を知ると、園頭先生は近いうちにこういう時代が来ると(多死社会)すでに知っていられたのですね。

だから、そういうことを、私たちにいわれていたのだと思います。

しかし、いま多くの人が亡くなっているといったところで、名古屋駅にあるビルにはまだまだ人があふれています。

そんなガラガラのところなどありませんし〔まだ新しいビルを建てているくらいですから〕廃墟となっているようなビルもありません。(マァ、古いビルでそういうところはあるのかもしれませんが)

やはり園頭先生がいわれたことは、外れているか、それとも、もっとずっと先のことをいわれていたのでしょうか?

そうではないでしょう。園頭先生は、この先(それも近い将来です)日本の人口が急激に減るということを天上界から教えられていたのだと思います。

だから先生は、私たちにそのようなことをいわれていたのであって、そんな先の話なら、その時にそういうことわりを入れるはずであるからです。(これは百年、二百年先の話ですと)

それに、よく考えてみれば今あるビルが百年も二百年も持つわけがありません。(せいぜい数十年です)ということは、やはりこの数十年以内に、日本に大きな人口減少が起きるということを園頭先生は予言されていたのです。

二十年以上も前に誰がそんなことを考えたでしょう。これからまだまだ医学は発達していくのです。

では、日本は今以上の長寿社会となり、先々、日本の人口は増えるのではないかとさえ思えた時に、園頭先生はそういう話をされたのです。

しかし実際に、その時には考えもしなかった多死社会などということが起き始め、亡くなる人が年々増えているのです。

だから、その時、園頭先生がいわれていたこと(予言)は当たっているのであり、その園頭先生の予言に従って、今このようなこと(多死社会)になっているのではないかと思えるのです。

でなければ、毎年毎年(数万単位で)亡くなる人が増えていくなど、どう考えてもおかしいからです。(昨日のテレビでも、ではなぜ、毎年毎年亡くなる人が増えているのか?ということについては一言も触れませんでした。つまりその理由は分からないということです)

しかし、数万単位で亡くなる人が増えたとしても、それで今あるビルがガラガラになり、廃墟になるビルが増えるのかといえば、そうなるまでにはまだ数十年もかかるということになります。

そういう先の予言をその時、園頭先生はされたのでしょうか?

違うでしょうね。仮に数万づつの人がこれからよけいに亡くなっていっても、十年、二十年先の年間の死者の予想が百六十万くらいなのです。

そのくらいの人が亡くなっても、多くのビルが廃墟になるくらい人が減るとは思えないからです。

ということは、どこかでもっとペースが上がるということです。そうでないと、園頭先生がいわれた予言は外れることになるからです。

園頭先生の予言は外れないでしょう。当たると思います。(つまり年間で亡くなる人のペースはもっともっと上がるということです)

なぜそう思うのか?

それはこの辺りの人たちを見ていれば分かるからです。

特にどこかのバカ会社など顕著ですが(相も変らずじゃましています)この辺り、こういう態度を取っている人がたくさんいるのです。(私のブログを読んで心が救われていながら、感謝一つせず、そのお返しが嫌がらせ)

これでは多くの人が罰が当たるのが必然なのです。

それは、どこかのバカ会社やどこかの運転手連中を見ればわかるはずです。(罰が当たりっぱなしですから)

そういう態度をとっていれば、罰が当たるという見本のような人たちがたくさんいるにもかかわらず、それでも、そういう間違った態度を改めない、そういう人が、この辺りわんさといるのです。

では、罰が当たって死ぬ人も増えるということになります。現実に亡くなっている人もいると思うからです。

これはどこも似たり寄ったりでしょう。それは、いま起きている天変地変の激しさでも分かります。(私のブログを前から読んでいて、少しも布施しようともしない、そのような人が多いことでもそれは分かるのです)

そういう人が多ければ、罰が当たる人がこれからもたくさん出てくるということになります。そうであるなら、亡くなる人はもっともっと増えるでしょう。

これからは正法の世がより深まっていくからです。(ということは、よけい罰が当たりやすくなるということです)

この辺り、そういう(神のことも心のことも知ろうとせず不遜な態度を続けている)人たちに次々に罰が当たっているのです。

法の流布のじゃまはもっとも悪いことなのです。それこそ、殺人を犯すよりもです。(法は心を救うのです。肉体よりも心を救うことの方がより大事なのであり、ということは、法の流布のじゃまは心を救うことをじゃましているというということになり、それは心を救わない〔即ち心を殺す〕ということであり、それは肉体を殺すことより罪が重いのです)

そういうこの世で一番悪いことを平気でして、心が救われている人にこれまた平気で無視や嫌がらせです。(それも非常に悪いことです。心が救われるほどのよいことはないのですから。それだけよいことをしている人に嫌がらせや無視を決め込んでいるのです。だから、それも非常に悪いことであるといっているのです)

これではよいことが起きるわけがなく、この辺りに次から次に悪いことが起きるのはある意味、当然のことなのです。

その一番悪いことをいつまでたっても理解しようとしない人が多いからです。(だからこの数年でこの辺りずいぶん人が減るのではないかと思えてなりません。特にこの辺りは、そのような無理解な人が多いからです)

だから、これから亡くなる人は急激に増えるのではないかと思えるのです。

そのような神や心のことにいつまでも無知な人が多いからです。

いつまでも勉強する気がないのであれば、いつまでも無知なままなのです。しかし、もう無知では危ない時代になっています。

しかし、それさえも無知な人は気づかないのです。

釈尊は、この世で一番悪い人は「知るべきことを知らない(無知な)人である」といわれました。

その釈尊がいわれた神理はいつの時代においても正しいのです。

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10月 23 2016

なぜ多死社会となったのか

前のバカ会社の最近の態度は本当におかしいです。

朝はいつものようにガチャガチャやりだすんですが、途中で静かになります。そうして中でやたら怒っている者がいるのです。

ああいう態度を見ていて思うんですが、多分、次から次へと災いが起きてきて、こちらに嫌がらせをしたくても出来ないのではないでしょうか。(また何か起きはしないかとヒヤヒヤでです)

だから、途中で静かになるのでしょうが、それならもう嫌がらせをやめておけばいいのに、その嫌がらせだけは意地になってやっているのです。

本当に哀れなものです。それでは災いは止まらないからです。

それにしても相変わらずの視野の狭さです。自分たちがやっていることがどれだけ危ないことなのか、未だに分かっていないからです。

だってもうこういう危ない現象は、この辺りだけではなく日本中で起きているのです。(起きているはずです)

それをちっとも理解していないから、相変わらず視野が狭いといっているのです。

そういう危ない現象は何も天変地変だけではありません。この辺りで起きているようなことと同じような災いが(多くの人が病気となり死んでいく)あちこちでも起きているということです。

そうでなければ、日本が多死社会になるなどおかしいからです。

現在の日本は、年間の死者数が2011年には百二十万人を超え、去年(2015年)は百三十万人を超えました。

今年はもっと増える予想が出ています。

毎年亡くなる人が数万人単位で〔今年はもっと多いかもしれませんが〕増え続けるなど、どう考えてもおかしいのです。

それに、その亡くなっている人の多くが天変地変で亡くなっているわけでも(東日本大震災級の大災害が起きれば別ですが〔あれほどの大災害が起きれば数万の人が一変に亡くなるということもありますから〕そうでなければ、そんなに多くの人が一変に亡くなるということはありません)交通事故や事件などで亡くなっているということでもないのです。(そんな事件や事故で数万単位の人がよけいに死ぬなどありえないからです)

では、なんで毎年、毎年、数万単位の人がよけいに死んでいくのか?ということになります。

日本はペストか何か、おかしな伝染病でも流行っているのでしょうか?もちろん、そういうこともありません。

ではなぜ、これだけ多くの人が毎年よけいに亡くなっているのでしょう?

だから私は、この辺りで起きていることと同じようなことが日本全国で起きている、といっているのです。

こういうことはニュースになどなりません。(よほど何か一つの病気が固まって出るようなら話は別でしょうが)だから皆が知らないだけなのであって、この辺りで起きているようなことなど(多くの人が次々に不治の病にかかり亡くなる)もう全国で起きているのです。

そうでなければ、これだけ多くの人が毎年よけいに死んでいくなど考えられないからです。

このような現象を、この辺りの人たちは私のせいにして騒いでいるから、何かこの辺りだけ特別、そのような人が(私のせいで不治の病になる人が)多いように思っていますが、何のことはない、こんなことはもうどこでも起きているのです。

そうでなければ、多死社会になるわけがないからです。(火葬場の三日待ちや一週間待ちなど、もうそこら中で起きているそうです。それだけ亡くなる人が多いからです)

それなのに、この辺りの人はそのような不幸をすべて私のせいにして怒っているだけなのです。

どれだけ愚かなのでしょう。

もう日本全体を見れば、このような不幸なことはそこら中で起きていると分かるはずなのにです。

その怒っている人たちは、なぜこんなことが起きているのか(毎年死者数が増えているのか)分からないんでしょうが(マァ、分からないのは、そのような人たちばかりではないのでしょうが)しかし、私はこういうことが起きるということをもう何年も前からいっていました。(ここに書いていました)

そのいった通りのことが起きているだけなのです。すでに時代は変わっているからです。(末法の世から正法の世にです)

末法の心のままの人は正法の世にいられないのです。心が時代に合わないため、そのような人は病気をしたり、事故などしたりして、あの世に引き上げられてしまうからです。

だから、死ぬ人が増えているのです。(老若男女問わずです)ほとんどの人が、まだ末法の心のままでいるからです。

だから私は「法を知らないといけない」「法を基準としないといけない」と、くどいくらいいっているのです。

そうしないと(正しい心の基準を知らないと)もうどういう悪いことが起きるのか分からない時代になっているからです。(それも命に関わるです)

その時代が変わって起きてきている現象を、この辺りの人たちはみな私のせいにしていますが、それがどれだけ愚かな行為なのかは日本全体を見るならば分かるはずです。

この法こそ、正法の世の心、そのものであるのです。

もう現実逃避していても危ないだけなのです。実際に不幸なことが次々に(ニュースにならないので知らないだけで)起きているからです。

帰依されてはどうでしょうか?この教えにです。

それが一番の安心、安全の道であり、幸せの道であるからです。

不幸が起きてからやる人は智慧のない人です。

不幸が起きても、それでもやろうとしない人は愚かな人です。

不幸が起きる前に、これこそ幸せの道であると悟り、やる人こそ智慧ある人なのです。

次々に不幸が起きています。

この教えに帰依することこそ唯一の救われる道であるのです。

追伸…今日の朝方、また不思議な夢を観ました。(というか懐かしい夢ですね)

その夢とは次のようなものでした。

私が自宅で一人で何か資料を読んでいました。ふと時間を見るともう会社に行かなければいけない時間を過ぎています。

これは遅刻すると、急いで家を出るのですが、出る時に家の門にカギをかけて行こうとすると、家の中から誰か出て来て、そのかけたばかりのカギをガチャガチャ外そうとしていました。

誰か家の中にいたかと思い、振り返ると、なんとそのカギを外そうとしていたのは亡くなった父であったのです。

「あれ、何で親父がいるの?」と不思議に思い「待て、待て、俺があけてやるから」と門のカギをあけていると、家の中から母と妹も出てきます。

そうして、父と一緒に散歩に行くというのですが、よく見ると、父も母も、そうして妹もずいぶん若いのです。(二~三十歳くらい若く見えました)

私は「ずいぶん若いな」と思って門から出て行く三人を見ていましたが、それで行こうとすると、今度は家の玄関のドアがあいています。

中をのぞくと、婆ちゃんと親戚のオバちゃん二人がいました。(もう亡くなっている人たちばかりです)

これは久しぶりだなと思い、家に入っていって親戚のオバちゃんに「オバちゃん元気」と聞くと、三人は怪訝(けげん)な顔をして「元気だよ」といいます。(どうも私は、先ほどまでここにいたという設定になっているようです。〔笑〕)

それで家の中を見回すと家の中もきれいになっていて(家も三十年ほど前くらいのつくりになっていました)前に飼っていた犬までいました。(その犬はずいぶん前に飼っていた犬でしたけどね)

「あれ、お前もいるのか」と、私はその犬に話しかけ、嬉しかったので、その犬をさわりまくっているところで目が覚めたのですが、ずいぶん懐かしい夢を観たものです。

父も母も妹も婆ちゃんまでみな若く、ずいぶん前に死んだ犬まで出てきました。

この夢にどういう意味があるのかよく分かりませんが、よいことをしていると、よい夢も(懐かしい夢も)観せてくれるということでしょうか?

昨日書いたブログに、天上界にいる光の天使はいろいろな力を持った天使がいると書いたからです。(だから、高橋先生のような夢を操る能力を持った天使もいるのでしょう。それを証明してくれたのではないでしょうか)

とにかく法を勉強していれば、このような不思議な夢も頻繁に観ることがあります。そうして、そのような夢の中でも教えられるのです。(このような死んだ人のこととか、先に起きることとか、これからこうするとよいということなどです)

法を真剣に勉強されてはどうでしょう。

それが神の子の人間として正しい道であるからです。

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10月 22 2016

本当の原因

鳥取で震度6の地震が起きました。

その後、震度1~3クラスの地震が続いているようですが、大きな地震がまた起きましたね。

今年は熊本地震もありました。だから、地震と聞くとまたかとちょっとゾッとするんですが(あとからもっと大きな地震が来るかもしれないし〔何ですかね、あの前震とか本震とかはです。熊本地震の時、初めて聞きましたが〕小さな余震が止まらない状況では生活もまともに出来なくなりますし)それにしても多いですね。

このような天変地変がです。

北海道はたくさんの初雪が降り(北海道の人が、これだけ初雪がたくさん降ったのは初めてだとかいっていましたが)また荒れた天気になっているようですし、九州南部など今日は大雨が降る予報が出ています。

こういう天変地変が、今年は必ず日本のどこかで起きているような気がして、何か悪いことが起きっぱなしのような気がするんですが気のせいでしょうか?

そうでもないでしょう。実際に起きていると思います。こういう不幸な現象が各地でです。

温暖化だの、日本は地震大国だから仕方がないだのいっていたところで、それでこの現象が収まるわけではありませんし、何でも責任転嫁していたところで、それでこういう問題が解決出来るわけでもありません。

そうではないのです。何でもそうなのです。必ずどこかに原因があるのです。

だからその本当の原因を知らないといけないのです。

その本当の原因を知らないため、このような悪いことが連続して起きているからです。

今年など、これだけ大きな地震が立て続けに起きたり、日照りで水不足になったり、そうかと思えばぐずついた天気が続いたり、あるいは台風が急に日本近海で発生して、それがボンボン日本を直撃したりと何か起きていることが不自然なのです。(悪いことが起きすぎています)

もうこういう時代になったのです。そのような皆さんの心が現れる時代にです。

これだけ悪いことが続くのは多くの人々の心に原因があるのです。

学者はよく地震プレートの上で地震が起きているといいますが(その地震プレートが震源となってです)今回の鳥取などプレートの上でもなんでもなく、まったく関係ないところが震源となり起きているのです。

では、学者のいうプレートを震源としなくても地震は起きるということになります。その理由を学者はいろいろいうのでしょうが(学者はそういう知識はたくさんありますから。起きた後ではいくらでも理由はつけられます)はっきりいって地震はどこで起きるのか分からないのです。

簡単にいうなら、地震が起きるも、起きないも、すべて、天のエネルギーが、その地にかかるか、かからないか、その違いなだけであるからです。

考えてみてください。よく学者は地震プレートがこの大地震で片方に寄ってしまったので、そのプレートに戻る力が加わって、いつかはまたそこで地震が起きる、などということを平気でいいますが、一見聞くともっともらしいのですが、しかし、よく考えてみるとおかしなことをいっています。

おかしくはないでしょうか?だって、プレートがひとりでに動くようなそんな言い方を学者はしているからです。

地面は鉱物なのです。

鉱物が自分の力で動くということはありません。つまり鉱物が片方にずれたらずれたままでないとけないはずなのに、その鉱物がまた元あった位置に戻るというのです。

何か鉱物が自力で動くような言い方をしています。

だからおかしいのではないですか、といっているのですが、別に私は、学者にそういうなん癖をつけたいのではなく、もう少し学者の意見も疑って聞いた方がいいといっているだけなのです。

鉱物は自力では動きません。鉱物が動くのなら、その鉱物が動くだけのエネルギーが、その鉱物にかからないといけないのです。

私が何がいいたいのかといえば、たとえ地震プレートが大きな地震でずれたとしても、そのプレートに大きなエネルギーがかからない限りは、そのプレートは動くことはない(そのプレートが戻ることはない)ということです。

では、その大きなエネルギーとは何かということです。

それを学者は、他の場所がこうなるからかかるだのなんだのいいますが、そういう連動した力はかかるにせよ、そのプレートを動かす元々の力は天からかかっているのです。

だから、プレートが動くのです。そのような天のエネルギーがプレートにかかってです。

私が祈るといろいろ奇跡的なことが起きると書いていますが、私が祈ると、そういう不思議な現象が現れることは知っている人も多いと思います。(前は天気さえも変えたことがありますから)

何でこんなことが起きると思いますか?

それは私の祈りが天に通じ、その天に通じた祈りを天がきいてくださり(そういう力を持った光の天使たちがです)そうして天のエネルギーが(光の天使のそれぞれの力がです)この世に降りて来て、それでそういう不思議だと思える現象が起きるわけです。

祈って不思議なことが起きる、そのすべての原因は全部天からのエネルギーにあるのです。

つまり、天からエネルギーが降りてくれば不思議なことが起きるし、天からエネルギーが降りて来なければ何も起きないということなのです。

私の祈りも、いま起きている自然現象も同じなのです。

災いが起きているところは、その人たちの心が天に通じ(天がその人たちの心を観て)そのようなエネルギーを天から降ろされているのであり、今回の鳥取の地震などもそうですが、鳥取はもう前から小さな地震が続いており数日前から地鳴りまでしていたそうですね。

だから近いうちに大きな地震があると、その辺りの人たちは予想していたそうですが、そうではないのです。

そういう地震の兆候があったのなら、その辺りに住んでいる人たちは心を変えないといけなかったのです。(もちろんよい方にです)

そうすれば、その地震は起きなかったのです。

そのような地震の兆候は、天がその辺りの人の心を変えなさいといっている警告であったからです。

だから、その辺りの人たちが自分たちの心の悪いところを反省し、もっと愛を出すのなら、その地震の兆候は段々収まって行ったのです。

その地震は、その辺りの人たちの反省を促すために起こされることであるからです。(そういう大きな地震が起きれば、周りの人たちにいろいろお世話になります。その時に愛の大事さに気づくとかです)

ところが誰もそういうことに気づかず、心はそのままに大きな地震が起きるのではないかという心配だけしていた。

これではその大きな地震は起きるのです。

だから心の在り方が大事なのです。その心が基準となって、このようなすべての現象は起きているからです。

学者がいう意見より、私がいう意見の方を信じられてはどうでしょう。私は、その地震学者がいう地震も、気象庁が予報を出している大雨も祈りで現したことがあるからです。

では、そのような天変地変もすべて祈りで(心で)何とかなるという証明を私はしていることになり、そうであるなら、私のいうことを信じた方がいいのではないでしょうか。

そういう証明をしている私のいっていることの方が正しいと思うからです。

すべてこの世に現れる現象は、すべて天のエネルギーによってなされていることであり、その天のエネルギーは、人々の心が元となり現されているのです。

そうであるなら、すべての人の心を正せば、この世に起きる悪いことは一切起きなくなるということになります。

悪いことが起きる本当の原因は、人々の心にあるからです。

人々の心を正す、この私の説いている『法』がいかに大事か、いい加減お分かりいただけないでしょうか。

(こういう時代になって、法を無視していて大丈夫ですか?〔本当の正しい心の基準ってお分かりですか?〕自分流でやっているといつ悪いことが起きるか分かりませんよ。もう、そのような時代になっているからです)

追伸…ずいぶん恐ろしい現象が立て続けに起きているようですね。(今日も昨日と同様、最初ゴチャゴチャやっていましたが、途中で静かになりました)

そのような起きる現象もすべて同じです。天のエネルギーがかかり起こされているのです。

悪いことが起きているのはあなたたちだけではありません。もう日本中で起きているのです。

自分たちの心を正しませんか?

それ以外で救われる道はないからです。

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