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8月 17 2016

因果応報

朝から凄い怒りようです。(何度もキレてでかい音を立てています)

マァ、予想通りですね。だいたい前の会社の連中が、四日も五日も休んでいて悪いことが起きないわけがありません。(まったく最悪な状況ですね)

だから今日はずいぶん怒っているだろうと思っていましたが、まさにその通りでした。

しかし、いつまでそれを(悪い現象を)人のせいにしているのでしょう。

今日もすでに朝からかなりでかい音を何度も立てているのです。(それこそ、この町中に響くようなでかい音をです)

そんなでかい音を立てれば迷惑する人はたくさんいますし、その音に苦(くる)しむ人もたくさんいるのです。

この者たちは、このようなことをもうずっとし続けているのです。ということは、この者たちは周りに迷惑をかけ続け苦しみを与え続けているということになります。

では、そのかけ続けている、迷惑や苦しみはどこに行くのでしょう?

どこにもいきません。そのかけた迷惑や与えた苦しみはすべて自分自身に返るのです。

だから、その苦しみが自分たちに返って来て、自分たちが苦しんでいるのです。

この者たちがいま苦しんでいる理由は「因果応報」ただ、それだけのことなのです。

それなのに、この連中はその自分たちの罪を私のせいにし続け、未だに罪をつくり続けています。

では、その苦しみは止まることはないのではないでしょうか?

自分たちが現在苦しんでいるその苦しみは、自分たちがつくり続けている罪が(人に与えている苦しみが)自分たちに返って来ているだけであるからです。

その自分たちが人に与えている苦しみが自分たちに返って来ているだけなのに、その苦しみを私のせいにして怒り続けているのです。

それではもっと苦しむことになります。

自分たちが人に与えている苦しみにプラスして、自分たちのお門違いな怒りと責任転嫁というよけいな罪までつくっているからです。(それプラス法の流布をじゃましています。この連中は一体どれだけ多くの罪をつくっているのか分からないほどなのです)

だからこの連中は苦しみ続けているのですが、その苦しみはすべて自分たちがつくりだしたものであるのです。

これは、この連中だけではなく、どこかの運転手連中も同じでしょう。

私を見かけてあれだけブシュブシュやれば、私だけではなく、その周りにも迷惑をかけているはずです。

おまけにそのブシュブシュが原因で、あのサイレンは起こされているのです。(もはやそれは承知の事実です。それをブシュとやってきた運転手に問い詰めると、青くなる運転手ばかりだからです。そのような運転手の態度が事実を物語っています)

では、この連中もどれだけ多くの罪をつくっているのか分からないということになります。

その(多くの)罪が自分たちに返って来ているだけなのです。

そういう自分たちがつくった罪が自分たちに返って来ているだけなのに、それをいつまでたっても私のせいにし続け罪をつくることをやめようとしないのです。

では、自分たちは苦しみ続けるということになります。

その苦しみの原因を自分たちでつくり続けているからです。

結局、悪いことをし続けて苦しむのは自分自身なのです。(まさに因果応報です)

早くそれに気づき私のようによいことをしてはどうでしょう。

そうすれば周りに奇跡が現れ続けるからです。

私は毎日のように神や心のことを教え続け人の心を救い続けています。(今日もこのブログを読み、また心が救われる人が出てくるでしょう)

そうして、嫌がらせをして来た人に対しても、それを嫌がらせで返すことなく「この人を正しくお導きください」と正しい祈りで返しているのです。(または辻説法でです。私の祈りを呪っていると勘違いしている人もいますが、こちらは正しい祈りをしているだけなのです。その祈りを受け悪いことが起きる人がいるのであれば、それは悪いことが起きる人が悪いのです。私は正しくお導きくださいとしか祈っていないからです。では、それが〔悪いことが〕正しい導きであるということです)

こういうことをし続けていると、周りに次々に奇跡が起きてきます。

そうして、その(奇跡が起きている)者のいうことを聞いた人にも同じように奇跡が現れることになるのです。(いやほんとに今回のオリンピックは凄いです。連日のメダルですから)

よい行いをすればするだけ、その者の心も広がり、その与える影響も大きくなって行くからです。

このようなことはすべて、その者の徳になります。

だからよけいにまた奇跡が起きるのです。よいことによいことを重ねているからです。(この辺りの人たちとはまったく逆の現象が起きているということです)

これまもた因果応報ですが、こういうよいことをし続けていると、将来にわたってよいことが現れ続けるということになります。

善い原因しかつくっていないのですから、善いことが起き続けるのはある意味当然のことであるからです。

いま現在もでかい音を立て、周りに苦しみを与え続けている人もいます。

そういう人たちは何かよいことをしているのですか?

このような人たちは、周りに苦しみを与え続けているだけで、自分たちは人に対し何もよいことをしていないのです。

周りに迷惑をかけ続け(苦しみを与え続け)少しもよいことをしない。(何の善行もしない)

これでは、よいことが自分に返って来るはずがありませんし、悪いことしか起きて来ないのも当然であるということです。(すべて因果応報です)

悪いことが自分たちに起きてほしくないのであれば、まず自分たちが悪いことをやめることです。

そうして、自分たちによいことが起きてほしのであれば、自分たちもよいことをすればいいのです。

いま現在、自分の周りに起きていることは、すべて自分自身が(過去に)つくり出していることであるからです。

そうであるなら、今の自分の行いをまず直すことでしょう。そうすれば、先の自分にはよいことが起きてくるからです。

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8月 16 2016

悪魔の洗脳

人気グループSMAPが解散ということでまた世間は大騒ぎですね。

前回解散騒動が出てから、なかなかわだかまりが消えなかったんでしょう。若い人たちばかりならともかく、SMAPのメンバーは四十歳前後の人たちばかりです。

そのくらいの年になると一度壊れた心を元に戻すのは難しいのでしょう。ずいぶん心も頑になっていると思うからです。

こういう時は、神を思い、神の心の元、もう一度初心にかえってやり直そうと全員が思うことが出来れば、神が正しく導いてくださり、またやり直すことも出来るんでしょうが、それほど神を思う人ばかりではなさそうです。(何せ、誰も私に布施しませんから。〔苦笑〕)

神が導いてくださらなければ心を戻すことは難しいですし、では、解散もやむなしということになります。(神の心からするとずいぶん小さなことで揉めているんでしょうが。〔苦笑〕)

マァ、よいではないですか、SMAPが解散したところで、誰かが天罰を受けるわけではありません。しかしこちらは、このままほっとけば天罰を受ける人がたくさん出てくるのです。

では、こちらの方がよほど大変であるということになります。

昨日もあちこち歩いたんですが、相変わらずの不人気ぶりでした。(SMAPとえらい違いです。〔苦笑〕)ゴンとかガンとかやる家がちょっこちょっこありました。(前よりはずいぶん減りましたが)

それでその辺りで辻説法をするんですが、もう暑いんで汗だくです。いい加減分かってほしいものです。そんな心のままでは天罰を食らうということをです。

だいたい悪いことをすべて私のせいにしていますが、散々嫌がらせをしているのは、その悪いことが起きている人たちの方ではありませんか。

私に心を救われていながら、それには少しも感謝せず、散々嫌がらせをしているのです。それでは悪いことが起きない方がおかしいでしょう。

その自分たちのしていることのおかしさが分からないのでしょうか?

悪いことが起きたのはお前のせいではなく、ただ罰が当たっているだけなのです。自分たちの行いが悪いからです。

そういうところをまったく反省しようともせず、悪いことをすべて私のせいにしています。

だからよけい罰が当たるのです。(悪いことに悪いことを重ねているからです)

そればかりではなく、この辺りでは私が見たこともない(ということは、当然祈ったこともないということになりますが)人まで病気をすると私のせいになります。

私が見たこともなければ祈ったこともない人が病気をして、なぜそれが私のせいになるのでしょう?

本当に不思議ですね。

というより異常ですね、そのような考え方はです。

その人は私生活が乱れているようなことはなかったんでしょうか?(例えば、暴飲暴食をするとか不摂生とかです)仕事のストレスはなかったんですか?(仕事のストレスは多かれ少なかれ誰でもあると思いますが…)

普通であるなら、人が病気をしたといえば、まずそういうことを考えるはずですが(不摂生とか、ストレスとかです)この辺りの人たちは、人が病気をしたといえば私のせいです。

こういう考えがどれだけ異常かは他の地域の人たちなら分かるはずです。

この辺りの人たちは、そのような明らかに異常な考え方をしているのですが、その異常さがまるで分らない、悪魔の噂に騙され、悪魔のいうことをそのまま信じている人が多いからです。

では、天罰がくだる人が多いというのもうなずける話なのではないでしょうか。それだけ悪魔に洗脳されて悪魔と同じことをしている人が多いからです。

それにしても哀れなものです。この辺りの人たち、唯物論から唯心論に変わったのはいいんですが、それが変わりすぎてしまって、いっていることや、やっていることの異常さが分からないというのですから。

人が病気をしたのをすべて一人の者のせいにしたり、その病気の原因を不摂生やストレスと考えず(病気の原因はまずそのようなことであるからです)あいつの祈りのせいなどと思うのは、明らかに異常なのです。

しかし、その異常さがまるで分らない、それが悪魔の洗脳の怖さなのです。

前にも書きましたが、悪魔はそれと悟らせないのです。

悪いことを悪いと思わせず、異常なことを異常と思わせず、さもそのことが当たり前だと思わせる。

それが悪魔の洗脳なのです。

そういう悪魔に洗脳された人がこの辺りは多いのです。だからこの辺りは天罰を食らう人が多いのです。

自分たちがしていることの異常さが分からないからです。

その異常さにまったく気づきもせず、私一人を敵だと思い、徹底的に悪いことを私のせいにして嫌がらせをする、しかし、その敵である私には次々に奇跡が起きているのです。

どうしてそんな悪い者に奇跡が起きるのですか?鳥が喜んで寄ってくるような愛ある現象が起きるのでしょう。

しかし、そういう疑問は一切もたず、ただあいつが悪い、それのみです。これが悪魔の洗脳なのです。

とにかく理屈抜き、何をいっても聞こうとしない、ただ一心にあいつが悪い、無理が通れば道理引っ込む式の強引なやり方、それが悪魔の洗脳なのです。

自分たちは正しいことをしていると思っていても、第三者から見たら、ずいぶんおかしなことをこの辺りの人たちはしているのです。

しかし、そのようなことをしている人が多いと、それはおかしなことではないと思ってしまう、それで自分たちの行いに疑問一つ持たない人が多いのですが、少し冷静になり、自分たちの行いを考えてみることです。

そうすれば、ずいぶん自分たちがしていることが(冷静さを欠いた)異常な行動であると分かるからです。

それに(その異常さに)気づいた人から悪魔の洗脳は解けていきます。

しかし、悪魔の洗脳にいつまでも気づかず奇跡が起きている人の悪口をいい続け、嫌がらせをし続けるのであれば、必ず天罰を食らい、死後は地獄界へと堕ちていかなければいけなくなるのです。

早く自分たちのしていることの異常さ気づかれてはどうでしょう。

その異常さに気づかなければ、いずれ自分自身に恐ろしい現象が現れ、死後は同じような異常な世界に堕ちて行かなければいけなくなるからです。

(本当に恐ろしい話です)

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8月 15 2016

法の奇跡

今日の朝方のことですが、不思議な夢を観ました。

その夢とは次のようなものでした。

私があるところでバスに乗っていたのです。そのバスの中はわりとすいていて、私は空いている座席に座っていました。

するとある女の人が私の前に立ちます。そして、その人は私に「あなたの話を聞いていたら病気が治った」といい、あれこれ話しかけてきたのです。

私も、その女の人の話を聞きながら「へぇー、それはよかったですね」と話していました。

その人は降りるバス停が来たので降りて行きましたが、またしばらくすると一人の女の人が私の前に立ちました。

するとその人も私に話しかけてきて、その話が先ほどの女の人と同じような話をするのです。

「あなたの話を聞いていたら病気が治ったの。それでこれあげるわ」と何か金のネックレスのようなものを私に渡します。

私も一瞬「エッ」と思いましたが、マァ、法を聞いて病気が治ったという話はよく聞きます。(高橋先生や園頭先生のご講演を聞いていて病気が治ったという人もいましたから。それに釈尊やキリストの話を聞いていて病気が治ったという人も、もちろんいたでしょうし)

別に布施だと思ってもらえばいいかとも思い「それはありがとうございます」とこちらもありがたくそれをいただきました。

その後、あなたの話をもっと聞きたいからと、その人の家までついて行くことになり、バスから降りて歩いていると、途中で、その女の人と知り合いの人でしょうか何人かの人と出くわします。

すると、その女の人はその人たちに「この人の話を聞くと病気が治るのよ」と話しているようで「それなら私も聞きたい」「俺も話を聞かせてくれ」とそこにいる人たちが私の話を聞きたがっているようでした。

と、そんなところで目が覚めたのですが、何とも今の私の状況とは真逆の夢を観たものです。(今の私は多くの人を病気にしているといわれているのですから)

しかし、実際はこの辺りでいわれている、そういう悪口丸出しの噂より、その夢の方が正しいでしょう。

法を聞いて病気が治ったという話は(先ほども書きましたが)昔からよく聞く話であるからです。

ソロソロ、この辺りの人も真実に目覚め(悪魔の噂にいつまでも騙されているのではなくです)私によいことをされたらどうでしょう。

そうすれば、そのような奇跡もまた現れてくるからです。

この辺りにまったく奇跡が現れないのは(というか、災いばかりが現れるのは)私のいうことを聞こうとせず、私に対し嫌がらせのような態度ばかり取るからです。

法を説いている人に、そのような態度ばかり取っているなら当たり前の話ですが、よいことは起きてきません。

災いばかりが起きて当然でしょう。そのような悪い態度は天罰の対象でしかないからです。

しかし、逆の態度を取るなら、これもまた当たり前の話ですが奇跡が起こります。

法を説いている人に対するよい行いは、これ以上の善行もないからです。

実際にそうなのではないでしょうか。

私に布施したり、私のいうことを聞いている人たちには次々に奇跡が起きているのです。

それに対し、私に嫌がらせをしている人たちには次々に災いが起きています。(どこかの会社やどこかの運転手連中などその最たる人たちです)

そのような分かりやすい現象が目の前で次々に現れているのですから、私に対し、どういう態度を取ることがよいのかは分かるはずです。(それがいつまでたっても分からないというのですから、これいかにですね。〔苦笑〕)

今日はまだ盆休みの最中の人が多いようです。この休みの間によく考えられてはどうでしょう。

自分たちの態度をです。

今日観た夢は、この辺りの人たちが、これまでの態度を反省し、私によい行いをするのであれば、これからはそういう奇跡も現れる、それを教えてくれた霊夢ではなかったかと思います。

それくらいの奇跡は、多くの人が私に対する態度を変えれば、起こり得る現象であるからです。

私の周りでは次々に奇跡が起きています。(それを知っている人はたくさんいるはずです)

では、よいことをされてはどうですか。私によいことをする人が増えれば増えるだけ、天は、また多くの奇跡をこの世に現してくださるからです。

追伸…こんな鳥や魚が(それ以外の生き物まで)次々に寄って来る奇跡まで現れているのです。

もしかしたら、これほどの奇跡は史上初の出来事かもしれないのです。(聖書や仏典を読んでもここまで露骨に動物が寄ってくるなど書かれていませんから)

ということは、それほどの奇跡を(考えられないような奇跡を)天は現してくださる時代になったということです。

では、これからまだ、どういう奇跡が現れるか分からないということになります。(下手すればモーゼの時代以上の奇跡が現れるかもしれないということです。現に高橋先生はそのような予言をされていましたから。そういう不思議なことが次々に起きる時代になるとです)

そういう史上初の奇跡を次々に現すことも、逆に史上初の災いを次々に現すことも、これからは可能な時代になったということです。(それは今現在起きている現象を知るならば分かるはずです)

多くの奇跡を現すことも、多くの災いを現すことも、多くの人の心次第なのです。

多くの奇跡を現してみませんか?

もう誰でもそれが出来る、そのような時代になっているからです。

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8月 14 2016

これまでのつけ

昨日も歩いていると、あちこちで怒っている人がいました。(横のオバちゃんもやたら怒っていますし)

私が通ると怒ってでかい音を立ててまあ、子供には見せられませんね。(横に、そのでかい音を立てたオバちゃんの子供〔だと思います〕がいたんですけどね。〔苦笑〕)

何か悪いことでも起きているんでしょうか?それで私に八つ当たりですか?

自分たちがしていることは棚の棚の棚に上げてです。

こういう怒っている人たちはみな私に嫌がらせをしている人たちばかりなのです。中には私のブログを読んでいる人もいます。(横のオバちゃんなどそうです)

自分たちは私に散々嫌がらせをしておいて、それを一言も詫びようともせず、そればかりか(私のブログなど読み)心まで救われているにもかかわらず、それには少しも感謝せず、平気で生活している人たちが何か悪いことが起きたら私のせいです。

一体この人たち、どれだけ自分本位で都合がいいのでしょう。

こういう人たちは一事が万事こうなのです。

反省もしなければ感謝もしない、それでいて悪いことが起きると人のせい(責任転嫁)こういう人たちに悪いことが起きないはずはないのです。

これまでだってこういう人たちに悪いことは起きていたのです。

不慮の事件や事故に遭う人はいくらでもいますし、不治の病におかされる人だっていくらでもいます。

そういうことが自分たちに起きているだけなのに、それをこれまでは偶然であると思っていて、それでそういう悪いことが起きても、それは運が悪かったと諦めていたことを、私のような者が出てきたものですから、そういうことは偶然ではないと分かり、それで悪いことをみな私のせいにしているのです。

自分たちの心と行いは一切問題にせずです。

悪いことが起きるのは偶然ではなく必然であると分かると(そこまで分かったことはいいんですが)今度はとたんにそれを責任転嫁する、どこをどうとっても自分が悪いとは絶対に思わないのですから、本当に始末が悪い。

それにしても人を反省させるということがこれだけ難しいとは思いませんでした。

こういう人たちはこれまで、ずいぶん都合のいい人生を歩んで来たんだなとつくづく思います。

よほど都合のいい人生を歩んでこなければ(悪いことが起きるのは偶然ではないと分かったのなら)少しは自分も悪かったのではないかと反省の心が出てきてもおかしくはないからです。

しかし、このような人たちは、自分たちに悪いことが起きると、自分たちのことは一切反省しようとせず、その悪いことをみな私のせいにして怒っているのです。

本当にそれでは都合がよすぎです。もう少し自分たちの行いを考えてはどうでしょう。(まったく感謝もせず、反省もしないです)

そうしないと悪いことは止まらないからです。

自分たちに悪いことが起きた原因は自分たちにあるのです。それ以外にありません。つまり、その悪いことを私のせいにしているのはまったくの見当違いであるということです。(自分たちの性格が悪いから自分たちに悪いことが起きるのです。はっきりいうなら、自分たちの性格の悪さを自分たちが知らないだけだということです。きつい言い方ですが本当のことだから仕方ありません。そういうきつい言い方でもしないといつまでたっても自分の性格の悪さに気づかないからです)

せっかく悪いことが起きるのは偶然ではなく必然と分かった人が多いのです。

では、もう少し考えを進め、その悪いことが起きたのは人のせいではなく、自分が悪かったのではないかと少し自分の心と行いを反省してみたらどうでしょう。

そこまで出来ないと、その悪いことは止まらないからです。

マァ、まだそこまで出来ない人が多いから(どこかの会社の連中やらどこかの運転手の連中やらもそうですが)この辺り、悪いことが起きる人が多いのでしょうが、そこまでしない限り、その悪いことは止まりません。

では、するしかないのではないですか?その反省をしない限り悪いことは止まらないからです。それをいくら人のせいにしていても、それは泣き言でしかないからです。

泣き言をどれだけいいならべても、それで許されることはないのです。子供ではないのですから、そういうことがどれだけ無駄なことかはお分かりいただけると思います。

自分たちがこれまで悪いことをし続けていたのです。(それは私に対してだけではなく、神に対してもです)

泣き言ばかりいっている人たちは、ただ、その悪いことを知らずにいただけなのであり、私は、そのこれまで多くの人が知らずにいた悪いことを教えただけなのです。

だから、その知らずにいた悪いことを少しでも反省した人には奇跡が起きているです。そういうことが出来るようになったことで、また一つ心は成長するからです。(心が成長するなら奇跡は起きます)

そういう奇跡を見てもらえれば、私がいっていることが正しいと分かるはずです。

いま悪いことが起きている人たちは、ただ自分たちのこれまでつくってきたつけが現れているだけであり、そのつけはみな自分たちがつくったものなのです。

しかし、自分がつくったつけなら自分が払わない限り、そのつけはなくならないのです。そのつけを払うということが反省するということなのです。

災いばかり見ているから、私が悪く見えるのであって、私は多くの奇跡も現しています。

人の悪いところばかり見ずによいところも見てはどうでしょう。そうすれば、その人が本当に悪い人か、それともよい人か分かるからです。

私に従う人には(法に従う人には)奇跡が、私に逆らう人には(法に逆らう人には)災いが、これだけはっきり現れているのです。

そういう事実をいつまでも認めようとせず、自分たちの間違いを認めようともせず、責任転嫁ばかりしているから悪いことが起きるのです。

自分がつくったつけは自分で払わないといけません。(自分がつくった罪は自分が反省しないと消えません)

どれだけ人にそのつけを回そうと、自分のつけを人が払ってくれることはないのです。

早くそのつけに気づかないと、そのつけは増えていくばかりです。ということは災いも増えていくばかりであるということになります。

私は昨日は堀川に行き、一昨日は荒子川に行っていました。

そういう川に行って呼びかけると、多くの魚たちが水面まで上がってきてピチャピチャ跳ねて泳ぎ回っています。

そういう魚たちを見ているだけで癒され、不思議な気分になります。

川に向かって呼びかけるだけで魚たちがたくさん底から上がってきて、寄ってくるのですから、不思議なことが起きれば起きるものとも思えるからです。

そういう不思議で心が癒される奇跡的なことも、その奇跡を多くの人に現すことも、また、多くの人の災いをなくすことも、この法を実践するなら可能なのです。

いつまでも進歩のないことを続けているのですか、進歩のないところには災いは現れても、決して奇跡が現れることはないのです。

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8月 13 2016

間違ったものから正しものへ

さすがに今日からはどこも盆休みですかね。どこかの悪魔軍団も休みのようで数日はブログも静かに書けそうです。(といってもじゃまする人はいるでしょうけどね。〔苦笑〕)

しかし、悪魔軍団は昨日も変でした。静かにしていたかと思うと急にキレて、またしばらく静かにしていたかと思うと急に誰かがキレるのです。

ずいぶん極端な態度を取っているようでしたが、何か起きていることだけは確かなようです。何も起きていなければ静かになど絶対にしないからです。(苦笑)

そういう悪いことが起きっぱなしの人たちに比べ、よい結果が出っぱなしの人たちもいます。

同じ法を知った人たちでも、その法に従うか、逆らうかでずいぶん起きることが違うようです。

それにしても今回のリオオリンピックの日本選手団はすさまじいですね。(笑)

メダルラッシュだけではなく、日本初のメダルとか、日本何十年ぶりかの入賞とか、日本大金星とか、そのような言葉が毎日のように飛び交っています。(ということは、競技中に奇跡的なことが次々に起きているということです)

まさに神の力が日本選手に次々に現れている、そんな気がしてなりません。

これは個人の努力を超えているでしょう。まさに神の奇跡です。(もちろん個人の努力が第一ですが、その努力以外で、不思議と調子がいいとか、今日はついているとか、ここぞという場面でよいことが起きるとか、今回の日本選手団は、そういうことが度々起きているはずです。それが神の力なのです)

無神論の人が有神論に変わると、あるいは無神論まで行かなくても間違った信仰をしていた人が、少し正しい信仰を始めるだけでこれだけよいことが起きる、その見本のようなオリンピックになっていることだけは確かでしょう。

それがこれだけのよい結果となって現れているのです。

このようなよい結果が現れると、当然よい相乗効果も現れます。

次々にメダルを取る(あるいはよい結果を出す)オリンピック選手を見て(これだけ災いが起きている日本の)復興を頑張ろうと思う人もいれば、仕事や勉強にやる気を出す人もいるでしょう。

当然スポーツをやっている人など、よりやる気を出します。とにかく、この日本選手団の活躍に励まされる人は日本中に大勢いるはずです。

では、沈滞ムードの日本の復活は早まるでしょうし、そればかりか、今回のリオオリンピックが終われば次は東京オリンピックなのです。

今回のリオで日本選手が出色の活躍を見せれば、次回の東京オリンピックはいやが上でも盛り上がります。

では、オリンピック景気はより大きくより長くなり、それで日本の景気がよくなるということは当然あるでしょう。

オリンピックは世界の人が見ているのです。オリンピックで日本の選手が活躍すればするほど、世界の人は日本に興味を持ち日本に集まって来ます。

金メダル記念の切手などすでに販売されているようですが、そのようなオリンピックの関連商品は当然これからも続々と出てくるでしょうし、これで外国からの観光客が増えれば、黙っていても日本の景気はよくなって行きます。

このように一つや二つではなく、そこらじゅうによいことが起きる、これが神の力であり、法を実践する人が増えると奇跡が起きる(よいことが起きる)その法の効果であるのです。

だから私はいっているのです。

「法を実践する人が増えると奇跡が起きますよ」とです。

それなのに、逆らいまくっている人たちが多いから(逆の)災いばかりが増えているのです。

それもまた法の効果であるからです。(法には従わなければいけないという気づきの現象です)

もうどこどこのパワースポットがいいからそこに行きましょうとか、そこでパワーをもらったとかいうことが、まったくの気のせいで意味がなかったということが分かったのです。

本当に、そういう場所がいいところでパワーをもらえたのなら、確実に奇跡が起きないといけないからです。

しかし、どの場所に行ってもそんな奇跡が起きる人はいないのです。(そういう場所に行き、多少の奇跡が起きた人もいるかもしれませんが、その奇跡はたまたまそういうことが起きたのか、または、そういう場所に行ったのをきっかけとして、自分の心が変わったため起きたのかのどちらかなのです。つまり、そういう順序が最初からあったのか、それとも自分で自分の心を変えたため起きたのかの、その二つの原因以外で、そのような奇跡が起きることはないということです)

では、そんな場所には何の力もなかったということになります。

今回のリオオリンピックをよく見てください。本当にパワーをもらったのであれば、これくらいのことが起きないといけないのです。

本当に神からパワーをもらうとはこういうことをいうからです。

気持ちだけよくなればいいと、それでそういう場所に行くのは自由ですが(パワースポットと呼ばれるようなところなど、空気がよくて緑が多そうな場所が多いのでマイナスイオンはたくさん出ていそうですから)本当によくなりたいと思うのであれば、この法を実践すべきなのです。

この法こそ、次々に奇跡が起きる唯一のものであるからです。

間違ったものから正しいものへ、やることを変えていかなければ、自分たちが本当によくなることはないのです。

間違った習慣をいつまでも続けていても意味はありません。

このオリンピックを契機として、間違った習慣を正しいものに変えてみませんか?

そうすれば、本当のパワーが(神の力が)もらえることになるからです。

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