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8月 21 2016

感謝と反省、それに基づく正しい行い

皆さん、ずいぶんお怒りのようです。

昨日など朝だけではなく(昼間はどこかの会社の連中がずっとうるさかったんですが)夕方、家の近くまで帰ってくるとガンガンやってきた会社までありました。

しかし、私はその会社の人たちを知りません。(私がいつも通る道から少し外れている場所にありますから)

何で知らない人たちに、それほどまでにガンガンやられなければいけないのでしょう。(マァ、なれているといえばなれているのですが)

この会社の人たちは私に、こういう嫌がらせだけはしているのです。(私が近くを通っただけで何度かそういう嫌がらせをされたことがあります)

そういう悪いことを自分たちはしているくせに、それを一言も詫びようともせず何か起きたら私のせいにしてこのように怒っているのです。

そういう会社がいくつもあります。(会社だけではなく普通の家もそうですが)

そういう人たちは、悪いことが起きて私のせいにして怒る前に、自分たちの行いをもう少し考えてはどうでしょう。

悪いことをしているのはあなたたちの方だからです。

その自分たちがしている悪いことが自分たちに返って来ているだけなのですが、そのお返しを私のせいにして怒っています。本当に勝手な話です。

それにしても最近は増えましたね。このように急に怒り出すところがです。その反面、急に静かになってしまったところもあります。

ソロソロ業が戻ってくる頃なのではないでしょうか。だから、そういう人が増えたのです。

一昔前(二十世紀の頃)であるならば、これだけ早く自分たちの犯した罪が自分たちに返ってくるということはなかったんでしょうが、やはり時代が変わり(もう二十一世紀ですから)そのお返しが早く返ってくるようになったようです。(一昔前であるならば、十年、二十年単位で返って来たものが、今は数年単位で〔人によってはもっと早く〕返って来ているようです)

それで私に怒っているのでしょう。そういう人たちは私に悪いことをしている自覚のある人ばかりであるからです。

だから、あいつがお返しをしていると怒っているわけです。

しかし、別に私がその人たちに嫌がらせをされたお返しをしているわけではありません。自分たちがしている悪いことが自分たちに返って来てきているだけなのです。

もう何度も書いていますが、こういう怒っている人たちは、私に心が救われている人たちばかりなのです。

それなのにこの人たちは、それにはまったく感謝せず、私の悪口をいい、嫌がらせを繰り返しているのです。

そうして、悪いことが起きるとそれをすべて私のせいにしているのです。

この人たちは、心を救われても感謝はしない、人に嫌がらせをしていても詫び(反省)一つしない、悪いことが起きると、その原因を深く考えようともせず、その悪いことを全部人のせいにしていると、悪いことをいくつも重ねている人たちばかりなのです。

感謝はしない、悪いことをしても反省しない、悪いことが起きるとすべてそれを責任転嫁する、これだけの悪いことをこの人たちはし続けているのです。

だから、こういう人たちにはいずれ天罰がくだるだろうと私は思っていたのですが、その天罰がいよいよくだりはじめた、ただそれだけのことでしょう。

自分たちのしている行いがあまりに悪いからです。また、その悪いことをしているという自覚もあまりにないからです。

では、遅かれ早かれ天罰はくだります。

自覚があろうがなかろうが、その人たちのしていることは悪いことであるからです。

マァ、このような人たちは普段から、こういう悪いことを普通にしているのでしょう。(別にそれが悪いことだと思わずにです。悪いという自覚がなければ当然そうなります)

だから、誰に対しても、自分が少し気に食わないとそういうことをしてしまうのでしょうが、そういうことをしているから自分たちに悪いことが起きるのです。

こういう人たちは自分がつくっている罪を知らずに多くの罪をつくっているからです。そうして、当然自分がつくった罪は自分自身に返るからです。

そういう人たちは、まだまだこれから天罰はくだります。だから悪いことが起きない方法をここに書いておきます。このブログは多くの人を救うブログであるからです。(たとえそれが私に嫌がらせをして来た人であろうとです。神の心はそういう分け隔てをしませんから)

まず自分たちが心を救われたのなら感謝しないといけません。何に対しても感謝することは大事なことであるからです。

そうして、人に嫌がらせなどしたのであれば、一度はその人に詫びを入れ、その嫌がらせしたことをよく反省しないといけません。

そうしなければ、その罪は許されないからです。(もう今はしていないからいいだろうではありません。自分が犯した罪は自分が反省しない限り残り続けるのです)

そうしてそれは責任転嫁も同じなのです。自分の周りに起きてきたことは必ず自分にかかわりがあるのです。

自分が悪いことをしていないのに、自分に悪いことが起きてくることはありません。それが法則であるからです。(善因善果 悪因悪果)

だから、そういう法則を無視し、自分に起きてきた悪いことを人のせいにするなど、もうその時点で間違えているのです。

つまり、責任転嫁した時点で、その人はすでに間違いを犯しているということです。

自分に悪いことが起きてきたのであれば、必ずどこかで、自分がその原因(悪いことが起きる原因)をつくっているのです。

だから、人のせいで自分に悪いことが起きたのではなく、自分のせいで自分に悪いことが起きているのです。(人のせいで自分に悪いことが起きることなど絶対にありません)

だから、そのような責任転嫁の心を反省し、自分の責任を認めることです。それが出来て、はじめて自分の考えが正しくなるからです。

感謝と反省、そうして、それに基づく正しい行い、この三つが揃えば、その人に悪いことは起きなくなります。

しかし、それが出来ないということであるならば、その人に悪いことは(天罰は)必ず起きるのです。

自分に悪いことが起きるだけの罪を、その人は自分でつくっているからです。

特に私に対し、このような罪を犯した人は特別罪が重いのです。法を説く人に対しての罪はより重くなるからです。(釈尊やキリストに悪いことをしていることと同じですから)

そういうことをすれば取り返しがつかないほどの罪になります。(法を説く人〔それは即ち多くの人を救う人〕に対しての嫌がらせです。これ以上の罰当たりな行為はないからです)だから取り返しがつかないお返しが返ってきているのです。

それだけ取り返しのつかないことを、自分たちがしているからです。

ただ、それを知らないだけなのです。神、仏の価値が今の人たちには分からないからです。(もちろん唯物無神論の影響です)

しかし、それは起きている現象で理解しないといけないのです。自分たちが犯している罪はどれだけ重いのかということをです。

その自分たちの罪の重さを自覚せず(どれだけ恐ろしいお返しが返ってきてもです)いつまでたってもお前が悪いです。(責任転嫁)

それではすさまじい現象が現れてきます。自分たちが大きな間違いをしているからです。

本当の神仏を思う人から見たら、この辺りの人たちは、ずいぶん恐ろしいことを平気でしているのです。(それこそ大きな間違いです)

それが分からないのは、多くの人が神、仏の価値をいつまでたっても理解しようとしないからです。そうして、いつまでたっても(心では)本当の神、仏を否定しているからです。

だから、どれだけ恐ろし現象が現れてもそれをそれほど怖がらないのです。神、仏を否定しているものですから、そんなことを神、仏がするはずがないと思っているからです。

人がしている(私がしている)と思っているからです。

しかし、一人の人間がこれほどのことを出来るはずがないのです。この辺りで起きているすべてのことは、全部神仏の力、それなのです。

その神仏の力、神仏の恐ろしさをもう理解しないといけないでしょう。

神、仏を(その力と恐ろしさをです)いつまでも理解しようとせず、いつまでたっても罰当たりな行為を続けるのであれば、その人には必ず、恐ろしい天罰がくだるのです。

神仏とは優しいばかりではないからです。分からない人たちには老若男女の区別なく、恐ろし現象を現すからです。(それは激しい天変地変など見ていれば分かります)

感謝と反省、それに基づく正しい行い、それをいつまでも行おうとしなければ、この辺りの多くの人が、これから多くの天罰を受けることになります。

それは、これまでの経過を見ていれば分かると思います。

早く反省し、感謝の心を持って正しい行いをされませんか?

それをする以外、この辺りで起きている天罰から逃れる術はないのです。

追伸…悪いことをしているという自覚がある人はこの辺り多いと思います。

ただそれを素直に認めたくないのでしょうが、もう認めないといけないでしょう。

ずいぶん恐ろしいことがそこかしこで起き出したようであるからです。取り返しがつかないことが起きてからでは遅いのです。

そういうことが起きる前に防がなければ、その天罰を防ぐことは出来ないのです。(もう起きた後ではどうにもならないということです)

今日ブログに書いたことを急いでされてはどうでしょう。もういつ天罰がくだるか分からない、そういう人がこの辺り多いからです。

私に心が救われたことは事実なのです。(それに神や心のいろいろなことを教えられたこともです)もうそれを認められ、感謝の心でドーンと寄付をしてくれませんか?

そうすれば(それほどの感謝の心があるならば)災いどころか、奇跡が起きるようになるからです。

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8月 20 2016

間違っているから災いが起き、正しいから奇跡が起きる

一昨日の名古屋港での話をもう少し書きますが、名古屋港ではこうも暑いとすずめたちも元気がなく、ちょこちょこ騒いでいるだけでわりと静かでした。(この時期はどこでもそうです。さすがの鳥たちも一番暑い昼中は元気がありません)

海に向かって「お前ら元気か」と呼びかけても、あちこちで小さい魚が少し跳ねる程度でたいして魚も跳ねません。

それで、しばらく名古屋港で休んでいて、夕方くらいになって涼しくなってきたので、辻説法をしながら(運転手連中の様子も見ながら)帰ろうと名古屋港を出ました。

名古屋港を出るとすぐに橋があるところがあり、下は海なのですが、その橋の上から海に向かい「お前ら元気か」と呼びかけてみました。

名古屋港ではあまり魚も跳ねなかったので、ここもしれてるかなと思っていましたが、しばらくすると少し向こうの水面がざわつき始めました。

「ンッ」と思いそちらを見ていると、凄い数の魚が水面に上がってきて、泳ぎ回っているようでした。

ありゃ、ここは凄いなと思い「おう、お前ら元気じゃないか」と声をかけていると、その水面に上がってきてビチャビチャやっている魚の塊が段々私の方に近づいて来ました。

私がいる橋の下あたりまでその塊が来ましたのでよく見えましたが、十~十五センチくらいの魚が数十、数百匹はいたでしょうか。(水が汚くて、上の方の魚しか見えなかったものですから数はよく分かりませんが、上から見える魚だけでもかなりの数はいました)凄い数の魚たちが泳ぎ回っていました。

その魚の集団に声をかけていると、嬉しそうに飛び跳ねる魚もいます。

ふと気づくと、そういう塊があちこちに出て来ているようでした。(水面のあちこちでさざ波が立っていましたから)

「お前らようけおるな」と声をかけると、下にいる魚たちだけではなく、あちこちの塊で魚がチョコチョコ跳ねてみな嬉しそうです。(見た感じ同じような大きさの魚たちばかりでした)

そういうのを見ているだけで心が癒されるのですが、こういう不思議なことが次々に起きているのです。

私が声をかけると、それまでは静かだった水面が急にざわつき始め、底から多くの魚が上がってきて、凄い勢いで水面を泳ぎ回り飛び跳ねる魚までいます。

魚まで、こんな愛ある態度を取るのに、これだけ愛ある現象が起きている私がそれほど悪者なのでしょうか?(魚ですよ。魚。魚が愛を感じているなど誰が理解出来たでしょう。しかし、私の目の前で、そういう愛らしい態度を多くの魚たちが取るのです。これ以上の愛の存在が分かる行為もないでしょう)

私には、魚ばかりでなくいろいろな動物が愛ある行動を取るということは、すでにいくつも公開している動画を見てもらえれば分かるはずです。(あの動画は、どのような動物にも〔それこそ、貝のような軟体動物までです〕愛があるということを証明した稀有な動画であると私は思っています。そういういろいろな動物たちの愛が、このブログの中に公開している動画を見れば分かるはずです)

そのこれだけ多くの動物たちから愛される私を悪者に仕立て上げたのは、この辺りの人たちなのです。

それは正しいことなのですか?

何の証拠もないのに、悪いことをすべて私のせいにして怒っている、そのような行為はです。

詫びを入れたらどうですか?悪いのはあなたたちの方であるからです。

今日も朝からガンガンでかい音を立てて怒っている人がいました。ドンとかガンとか、音を立てて怒っている家もありました。(今日は朝から〔どこかの会社だけではなく〕ずいぶんお怒りの人が多かったです)

そうかと思うと、ずいぶん静かになってしまったところもあります。(無理してこのブログをじゃましているところも、もちろんあります)

そういう人たちは皆、私のブログを読んでいるのです。

私のブログを読んでいるのなら(先ほど書いた動物たちの動画も当然見ているでしょうから)多かれ少なかれ心は救われているはずですし、これまで知らなかった(信じていなかった)ことを知った(信じた)ということもあるでしょう。

そうであるなら、それは当然感謝に値することであるはずですが、しかし、そういう人たちの中で私に感謝する人は一人もいないのです。(この辺りで私に布施してくれた人はいないのですから、それが私に感謝などする人がいない何よりの証拠です)

心を救ってもらい、知らないことを教えてもらっているにもかかわらず、少しも感謝しない、それどころか、やることといえば嫌がらせするくらいのものである、ということであれば、そういう人によいことが起きるのでしょうか?

そのような態度は間違っているのではないですか?普通であるなら、心を救ってもらい知らないことまで教えてもらっているのなら、感謝するのが当たり前のことであるからです。

その当たり前のことさえせず、恩を仇で返すような、嫌がらせを繰り返しているなど、これ以上罰当たりな行為もないと思うからです。

そういう罰当たりな態度を取り続けていて、そういう人に罰は当たらないのでしょうか?

「悪いことが起きたのはお前のせい」という前に、もう少し自分たちの態度を考えてはどうでしょう。

自分たちが悪いことをしていなければ、自分たちに悪いことが起きるということは、考えられないことであるからです。

「善因善果 悪因悪果」という釈尊の教えは、どの人も知っている正しい教えであるからです。

これだけ愛ある現象が起きている者が(そればかりでなく、これだけ多くの人の心を救っている者が)それだけ多くの人に悪いことをしているでしょうか?(あちこちにいますからね。悪いことをすべて私のせいにしている人がです)

口でいっているだけではないのです。これだけの愛ある現象が起きているのだから、皆さんに悪いことが起きているのは、私のせいではないのではないですか?といっているだけなのです。

その起きている現象が私が悪いことをしていない、何よりの証拠であるはずだからです。

悪いことが起きている人が間違っているのです。悪いことが起きていることが自分たちの考え方が間違っているという何よりの証拠なのです。

自分たちの考えに間違いがなければ悪いことなど起きるはずがないからです。自分たちの考えが正しければ奇跡しか起きて来ないはずであるからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです。釈尊やキリストは自分たちの考えに間違いがなかったから奇跡ばかりが起きたのです)

間違っているのは、その悪いことを何でもかんでも私のせいにして怒っている、その人なのです。

メールでも何でもいいです。そのような人は私に詫びを入れたらどうでしょう。

間違っているのはあなたの方であるからです。

そうして、ずいぶん心も救われ知らないことも知ったのです。少しくらいの布施はされることです。(せっかく寄付のページもつくったのですから分かりやすいでしょう)

そうすれば、その起きている災いは止まるからです。

私のいうことが正しいから、私には奇跡が起きているのであり、私が悪いことをしていないから、私には鳥や魚が寄ってくるような愛ある現象が現れているのです。

その起きている現象が私が正しいという何よりの証拠なのです。(何度もいいますが、こういう時は口など信じてはいけないのです。〔口でなど、どうとでもいえますから〕現象を見ないといけないのです。現象は嘘をつきませんから)

間違っているから災いが起き、正しいから奇跡が起きるのです。

では、奇跡の起きている人のいうことを信じてください。

その奇跡が起きている人のいうことが一番正しいことであるからです。

追伸…北海道の大雨や茨木(昨日でしたっけ、また震度4の地震が起きましたが)の地震は続いているようですね。

私が警告していた通りのことが起きています。(私はそのままでは災いが起きると何度もいっています)

その反面、今回のリオオリンピックは日本選手団のメダルが過去最多だそうですね。(現時点で四十個)

今回の日本選手団は私のいうことを聞き、神を思う人が多かったのではないでしょうか。それがこれだけの好結果につながったのです。

法に従うか、従わないかで、これだけの違いが現れるのです。

それでもまだ法に逆らうのですか?

法に逆らっている人に幸運は訪れないのです。

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8月 19 2016

反省と謝罪

昨日、私は名古屋港に行ってきました。

水族館には入らなかったんですが(夏休み中は混んでいるでしょうから)その帰りのことです。私はわざと広い通りばかり選んで帰ってきました。

昨日のようなブログを書けば、さぞ運転手連中が怒っているだろうと思ってです。(運転手連中の様子見です)

マァ、トラックの連中は予想通りでしたが(あちこちでブシュブシュやられました。しかし、前を向いて私の方は一切見ない、そんな運転手ばかりでしたね。やはり後ろめたいのでしょう)バスの運転手の態度は予想外でしたね。

私はバスの運転手の方が怒っているとばかり思っていたからです。(とにかく市バスの運転手など私の顔を見るとみな凄い怒りようですから)

しかし、実際は(昨日は私の横の道路を何十台もバスが通りましたが)ブシュとやってきた運転手は二~三台で後は静かなものでした。

私的にはかなり違和感を感じました。

一昨日まで、あれだけ怒っていたバスの運転手たちが急に静かになってしまったからです。

よほど昨日のブログが的を射ていたのでしょう。

だからやれなくなったんじゃないですか、私に対する嫌がらせをです。(トラックの連中もそれは同じだと思いますが〔態度が明らかに変わっていましたから〕トラックはいろいろな会社の人間がいますからね。バス会社ほどまとまっていないんでしょう)

ならば、詫びを入れたらどうですか?そうしない限りあなたたちが救われる道はないからです。

それどころか、このままでは、どれだけ多くの人が不幸になるか分からないからです。

その次々に起きている災いは(自分たちだけではなくサイレンも含めたです)私のせいなどではなく、自分たちの行いが招いている結果なのです。

では、その行いを反省して、私に罪をかぶせて嫌がらせしたことを詫びない限り、その災いは止まりません。

それをしない限り(私に嫌がらせを続ける限り)この辺りでしている救急車のサイレンは止まらないし(あなたたちのそのような行為が原因なのですから)自分たちが(恐ろしい)病気になっているのも止まらないのです。(あなたたちの行いがあなたたちに返って来ているだけですから)

では、行ったらどうでしょう。

この辺りに、これだけの災いを招いたその責任は(自分たちも含めたです)あなたたち運転手の人たちにあるからです。

あなたたちが率先して悪いこと(私に対する嫌がらせ)を始めなければ、これだけ多くの人が私に嫌がらせをするということもなかったと思うからです。

それが原因で、この辺りのこれだけ多くの人を病気にしたのです。(一時は凄いサイレンがしていましたから)

反省と謝罪は当然のことなのではないですか?

それをしない限り、この辺りのサイレンは止まらないからです。そうして自分たちに起きている災いもまた止まらないからです。

あなたたちが一番はじめに間違ったことをしだしたのです。では、あなたたちが一番はじめに直すべきでしょう。

そうすれば、後の人たちもあなたたちに続いて、私に対する反省と謝罪の心が出てきて、感謝の心も出てくるからです。

そういう心に多くの人がなって(私に対する感謝、それは即ち神に対する感謝)はじめてこの辺りで起きている災いが止まり、奇跡が起き出すのです。

もう私に対し、感謝した方がいいのか、それとも逆らった方がいいのか、どちらがいいのかは火を見るよりも明らかなのです。

私には(法を説いている人には)感謝した方がいいに決まっているのです。

私に感謝した人たちには多くの奇跡が、逆らった人たちには多くの災いが、実際に現れているからです。

これはもう多くの人が知っていることなのです。

しかし、知っていながらこの辺りの人たちは私に感謝しようとしないのです。

なぜでしょうか?

それは、あなたたちが私一人を悪者にし、未だに嫌がらせを続けているからです。

どれだけ奇跡が起きようと、そんな悪い奴のいうことなど聞けるか、それがこの辺りの人たちの考えであるからです。

あなたたちが私一人を徹底的に悪者に仕立て上げたため、この辺りの多くの人たちが(私のいうことを聞けば奇跡が起きると分かっていても)それでも私のいうことを聞けなくしているのです。

どれだけ奇跡が起きても「悪人のいうことなど聞けるか」という悪感情がじゃまをしてです。

こういうことも含めてこの辺りで起きているすべての悪いことは、あなたたちの責任なのです。

あなたたちが(私に対する悪感情の)先鞭をつけたからです。

だからあなたたちの多くが次々に病気になるという現象が現れているのであり、これだけの悪を犯したのです。(私に対する悪感情がなければどれだけ多くの人を救えたでしょう。そればかりか多くの人に奇跡が起きたのです。それなのに、その悪感情のせいで奇跡どころか多くの人に災いを起こしてしまいました。どれだけ罪が深いでしょう)

もし、あなたたちが絶対に反省と謝罪をしないというのであれば(あなたたちがどれだけいようとです)あなたたちの最後の一人まで、その恐ろしい現象は現れ続け、その最後の一人まで苦しみぬいて死ぬことになり、死んだ後も永い期間地獄で苦しみが続くことになるのです。

それだけの罪を(それほどの罪を)今生あなたたちはつくっているからです。(私を知って法を知り、救われるはずだった多くの人(少なくとも東海三県くらいに住む人)を救えなくして、地獄に堕とした人までいるのです。一体どれほどの罪でしょう)

これは脅しでもなんでもありません。事実です。

もしあなたたちが私のいうことに従わないのであれば、これからまだまだあなたたちには凄まじい災いが起こり、大きな苦しみを与えられることになります。

何度もいいますが、あなたたちはそれだけ大きな罪をすでにつくっているからです。

しかし、私のいうことに従うなら災いもなくなり、奇跡も起き出すのです。

それはもう多くの人が知っている承知の事実であります。(奇跡も災いもです)

では、従ってください。

私のいうことに従わなければ、あなたたちだけではなく、多くの人たちが不幸になるからです。

(もう意地になり私のいうことに逆らうなどというレベルではないのではないですか?そんなことをしていれば滅ぼされてしまうからです。〔あなたたちだけではなく、多くの人がです〕どこかの会社も、その意地を段々通せなくなってきているようです。〔祈るとすぐに何か起きるようだからです。天罰覿面です〕それでもまだ何かしようと必死のようですが、そういう愚かな人たちばかりなのですか?自分が悪いと思ったら、自分一人でも反省と謝罪をするべきでしょう。正しいことは一人でもする、それが本当の正しい人であるからです。というよりも、それが神の子の人間として当たり前の行為であるからです。運転手の人たちは自分が考えている以上の大変な罪を犯しているのです。その罪の重さ、少しは自覚されてはどうでしょう)

追伸…昨日の話ですが、オリンピックの女子レスリングで日本人選手三人が金メダルを取りました。

しかもその三人の金の取り方が劇的で、三人が三人とも、みな逆転の勝利であり、その逆転の仕方が試合の残り時間がわずか数秒から数十秒での出来事であったのです。

このことはずいぶんニュースでも流れていましたので(奇跡ともいわれていますが)多くの人は知っていることなのですが、一昨日の夜のことです。

オリンピックを見ていたら「オリンピックも残りあと五日です」(一昨日の時点で)ということをテレビのアナウンサーがいっていました。

「オリンピックもあと五日か」と思い、その後「このオリンピックはずいぶん神の力が現れたオリンピックであったな」と私は思ったのですが、しかし「これでも神の力など信じない、今回のオリンピックの成績がよいのは、選手やコーチ、監督たちの努力のたまものだとしか思わない人もいるだろうな」とも思いました。

それで寝る前に「神よ、最後にもう一度このオリンピックで神の力を多くの人にお見せください」と祈ったのです。

そうしたら、翌日の朝、あのような劇的な勝利を女子レスリングの三人の選手が見せてくれたわけです。

あんな大逆転勝利を一人や二人ではなく、三人もの選手が続けて見せてくれるものでしょうか?(三は神の数字ですが…)

私は最後にまた神の力を見せられたようで、やはりこのオリンピックに神の力は現れていた、と確信したわけです。

私的にはそう思うのですが、皆さんはどう思われますか?

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8月 18 2016

法に従うか、それともいつまでも逆らうか

北海道は大荒れの天気になっているようです。

台風七号が直撃して川が氾濫したところもあり避難指示まで出ているようですが、北海道はこういう荒れた天気ばかりです。

何度もいいますが、太陽光パネルを減らしてはどうでしょう。そうすれば、荒れた天気も減るからです。

鹿児島で原発を動かしたとたん、異常な大雨がなくなり、桜島の爆発的噴火までぐっと減りました。

それがよい例なのではないでしょうか。

私のいうことは聞いた方がいいのです。そうすれば、災いは減るからです。

茨木なども地震が多く、昨日など凄いゲリラ豪雨にもなったようですが理由は同じですね。(原因は風力発電)

反原発の建物は出来るだけなくした方がいいのです。そうすれば、茨木の災いもぐっと減るはずだからです。

昨日に比べ今日はずいぶん静かになってしまいました。(どこかの会社ですが)

よほど危ないことが起きているのでしょう。(昨日も夕方変でしたから)それもまた私のいった通りです。

そのような態度では(昨日の昼間は嫌がらせをしっぱなしでしたから)恐ろしい現象は現れるとです。

それでも無理してやっていますが、本当に罰当たりなことをし続けています。

そんな態度では今日もまた災いは現れるでしょう。

ブシュブシュやっている人たちもそうです。

どうされるのですか?あなたたちが大変な悪行を行い(私へのよってたかっての嫌がらせ)適当なことをいい広めたため(あのサイレンは私のせい)多くの病人をつくりだしたのです。

そうして、その悪行がいま自分たちに返って来て、あなたたち自身が苦しんでいるのです。

分かりませんか?だから(バスやトラック、電車の運転手は)病気になる人が多いのです。

あなたたちが行っている悪行が、自分たちに返って来ているからです。

そういう現象を見ても分かるはずです。私が人を病気になどしていないとです。

もし私が人を次々に病気になどしているのなら、もうとっくに病死しているか、または病気で寝たきりくらいにはなっているでしょう。

もしあのサイレンが私のせいというのであれば、これまで私はずいぶん多くの人を病気にしているはずだからです。

それだけ多くの人を病気にしているのです。そういう行いは必ず自分に返ります。では私は無事でいられるわけがありません。

しかし、私はピンピンしているのです。特別悪いところなどないのです。(多少のあちこちの悪いところはありますが、年も年ですので。〔苦笑〕)

その反面、あのサイレンはお前のせいとサイレンを(すべて)私のせいにして、私を見ると、散々ブシュブシュやり嫌がらせをしてくる運転手連中に病気が多発しているのです。(あのバスの運転手の怒りぐあいや、急におとなしくなった電車の運転手など見ていればそれは分かります)

なぜでしょうか?

簡単な話です。この運転手連中が多くの人を病気にしたからです。(だから、あのサイレンが起き出したのは運転手連中のせいということです)だから、それが自分たちに返って来て、いま多くの運転手が病気になっているのです。

因果応報です。

そうでなければ、それだけ多くの人が次々に何かなるわけがないでしょう。(私一人で出来ることではありません。漫画じゃないんですから)自分たちが多くの人を病気にしたから、自分たちの多くが、病気になっているのです。

多くの運転手が間違った判断で私に嫌がらせを始め、そうして、その天罰として起きて来た災い(サイレン)を私のせいにして、すべての罪を私に(法を説いている者に)擦り付けたのです。

そのような悪行を運転手連中が行った結果(法を説いている者に罪を全部擦り付けたのです。これほどの悪行はありません)大変な災い(天罰)がもたらされたのです。(だってこのサイレンは東海三県くらいにまで広がっているでしょう…もっとですか?)

それだけ大きな悪行をこの者たちはしたからです。

だから自分たちが苦しんでいるのです。自分たちが犯した大悪行のせいでです。

こういうことも含め、すべて、私のいうことを聞かなかったからです。(法に従わなかった)だからこれだけの災いが次々に起きているのです。

お前がいなかったらこんなことは起きなかった、ではないのです。

もし、私がいなかったら、もうとっくに南海トラフ大地震は起こされていました。つまり日本は滅ばされていたということです。

それを救ったのが私なのです。だからこれほどの奇跡が起きているのです。私が日本を救ったからです。

それが嘘ではないということは(だいたい嘘をつく者に奇跡など起きませんが)これだけ起きている災いを知るならば分かるはずです。(この辺りで起きていることだけではなく、東日本大震災や熊本地震、火山の噴火や数々起こるゲリラ豪雨や雷雨などなど)

数多くの災いが次々に日本に起きているのです。なぜこれだけ多くの異常現象が日本に固まって起きているのですか?

これこそ日本が滅ぼされていた何よりの証拠であり、それが何らかの理由で先延ばしされている理由なのです。

だから滅ぼされない程度の災いが次々に日本に起きているということです。今の心のままなら日本を滅ぼすと警告を兼ねてです。

いつまでも夢の中にいるのではなく、現実をしっかり見てください。

もう日本が危ないのです。そうして、そのような心(末法の心)のままでは、そういう心の人たち全員が危ないのです。

もう細かい理屈は抜きなのです。(それをいちいち説明し、多くの人が納得するのを待っていたら日本は滅ぼされてしまうからです)

現に私がいっていることは当たっているのです。北海道や茨木、九州(鹿児島)のこともそうですし、この辺りのこともそうです。

私のいった通りのことが起きているのです。

それは今回のオリンピックを見ても分かります。私が予想した通り、今回のリオオリンピックは日本選手によい結果が出ているではないですか。(それも予想以上のです)

それでもまだ法を疑うというのでしょうか?

法には従えないというのでしょうか?

法に従うのなら奇跡が起こり、逆らうのなら災いが起こります。その通りのことが日本に起きているのです。

それではまだ法に逆らうのですか?

法に従いさえすれば、多くの奇跡が現れるというのにです。(というか、このまま逆らい続けるなら、滅ぼされそうな人、この辺りにたくさんいるんですが…。〔汗〕)

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8月 17 2016

因果応報

朝から凄い怒りようです。(何度もキレてでかい音を立てています)

マァ、予想通りですね。だいたい前の会社の連中が、四日も五日も休んでいて悪いことが起きないわけがありません。(まったく最悪な状況ですね)

だから今日はずいぶん怒っているだろうと思っていましたが、まさにその通りでした。

しかし、いつまでそれを(悪い現象を)人のせいにしているのでしょう。

今日もすでに朝からかなりでかい音を何度も立てているのです。(それこそ、この町中に響くようなでかい音をです)

そんなでかい音を立てれば迷惑する人はたくさんいますし、その音に苦(くる)しむ人もたくさんいるのです。

この者たちは、このようなことをもうずっとし続けているのです。ということは、この者たちは周りに迷惑をかけ続け苦しみを与え続けているということになります。

では、そのかけ続けている、迷惑や苦しみはどこに行くのでしょう?

どこにもいきません。そのかけた迷惑や与えた苦しみはすべて自分自身に返るのです。

だから、その苦しみが自分たちに返って来て、自分たちが苦しんでいるのです。

この者たちがいま苦しんでいる理由は「因果応報」ただ、それだけのことなのです。

それなのに、この連中はその自分たちの罪を私のせいにし続け、未だに罪をつくり続けています。

では、その苦しみは止まることはないのではないでしょうか?

自分たちが現在苦しんでいるその苦しみは、自分たちがつくり続けている罪が(人に与えている苦しみが)自分たちに返って来ているだけであるからです。

その自分たちが人に与えている苦しみが自分たちに返って来ているだけなのに、その苦しみを私のせいにして怒り続けているのです。

それではもっと苦しむことになります。

自分たちが人に与えている苦しみにプラスして、自分たちのお門違いな怒りと責任転嫁というよけいな罪までつくっているからです。(それプラス法の流布をじゃましています。この連中は一体どれだけ多くの罪をつくっているのか分からないほどなのです)

だからこの連中は苦しみ続けているのですが、その苦しみはすべて自分たちがつくりだしたものであるのです。

これは、この連中だけではなく、どこかの運転手連中も同じでしょう。

私を見かけてあれだけブシュブシュやれば、私だけではなく、その周りにも迷惑をかけているはずです。

おまけにそのブシュブシュが原因で、あのサイレンは起こされているのです。(もはやそれは承知の事実です。それをブシュとやってきた運転手に問い詰めると、青くなる運転手ばかりだからです。そのような運転手の態度が事実を物語っています)

では、この連中もどれだけ多くの罪をつくっているのか分からないということになります。

その(多くの)罪が自分たちに返って来ているだけなのです。

そういう自分たちがつくった罪が自分たちに返って来ているだけなのに、それをいつまでたっても私のせいにし続け罪をつくることをやめようとしないのです。

では、自分たちは苦しみ続けるということになります。

その苦しみの原因を自分たちでつくり続けているからです。

結局、悪いことをし続けて苦しむのは自分自身なのです。(まさに因果応報です)

早くそれに気づき私のようによいことをしてはどうでしょう。

そうすれば周りに奇跡が現れ続けるからです。

私は毎日のように神や心のことを教え続け人の心を救い続けています。(今日もこのブログを読み、また心が救われる人が出てくるでしょう)

そうして、嫌がらせをして来た人に対しても、それを嫌がらせで返すことなく「この人を正しくお導きください」と正しい祈りで返しているのです。(または辻説法でです。私の祈りを呪っていると勘違いしている人もいますが、こちらは正しい祈りをしているだけなのです。その祈りを受け悪いことが起きる人がいるのであれば、それは悪いことが起きる人が悪いのです。私は正しくお導きくださいとしか祈っていないからです。では、それが〔悪いことが〕正しい導きであるということです)

こういうことをし続けていると、周りに次々に奇跡が起きてきます。

そうして、その(奇跡が起きている)者のいうことを聞いた人にも同じように奇跡が現れることになるのです。(いやほんとに今回のオリンピックは凄いです。連日のメダルですから)

よい行いをすればするだけ、その者の心も広がり、その与える影響も大きくなって行くからです。

このようなことはすべて、その者の徳になります。

だからよけいにまた奇跡が起きるのです。よいことによいことを重ねているからです。(この辺りの人たちとはまったく逆の現象が起きているということです)

これまもた因果応報ですが、こういうよいことをし続けていると、将来にわたってよいことが現れ続けるということになります。

善い原因しかつくっていないのですから、善いことが起き続けるのはある意味当然のことであるからです。

いま現在もでかい音を立て、周りに苦しみを与え続けている人もいます。

そういう人たちは何かよいことをしているのですか?

このような人たちは、周りに苦しみを与え続けているだけで、自分たちは人に対し何もよいことをしていないのです。

周りに迷惑をかけ続け(苦しみを与え続け)少しもよいことをしない。(何の善行もしない)

これでは、よいことが自分に返って来るはずがありませんし、悪いことしか起きて来ないのも当然であるということです。(すべて因果応報です)

悪いことが自分たちに起きてほしくないのであれば、まず自分たちが悪いことをやめることです。

そうして、自分たちによいことが起きてほしのであれば、自分たちもよいことをすればいいのです。

いま現在、自分の周りに起きていることは、すべて自分自身が(過去に)つくり出していることであるからです。

そうであるなら、今の自分の行いをまず直すことでしょう。そうすれば、先の自分にはよいことが起きてくるからです。

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