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6月 05 2016

素直で柔軟な思想

昨日は白鳥公園に行ってきました。途中あちこちで辻説法をしながら行ったのですが、いやはや皆さんなかなか折れません。(笑)

自分が悪いと素直に認めるのは相当嫌なようです。(苦笑)

しかし、その反面、いやらしそうな顔をしている人も多かったです。(苦虫を噛みつぶしたような顔をした人もいました。〔笑〕)恩着せがましい説法がかなり効いているようです。(笑)

それにしても、そういう人たちを見ていても(特に年寄りなど顕著ですが)こんなおとなしそうな顔をした人がこうも我が強いのかとか、この人、昔はやんちゃだっただろうなという顔をした人が案外素直であったり、意外な態度を取る人が多いのに驚くのですが、人は見かけによらないといいますが、本当にそうですね。

辻説法をしていると、そういう見かけによらない人が結構多いのです。

そういう人たちを見ていてつくづく思います。人が救われるのは本当に外見ではなく心であるのだなとです。

外見など、どれだけしをらしくまじめに見せていても、結局、我が強くて人の意見を聞かないような心の持ち主であるなら、そのような人は救われないのです。

それがこういう時代となってより分かりやすくなったのです。

天変地変が次々に起き(この辺りに起きているような)異常現象も全国各地で起き出しています。

こういう、これまで起きたことがないようなことが起き出した時、我が強くて人の意見など聞きもしない素直でない人が助かる確率が一体どれだけあるでしょう。

少なくとも、人の意見を聞いて素直にそれを行う人よりはグッと低くなるでしょう。なぜなら、我が強く人の意見を聞かない人は、素直に人の意見を聞くん人に比べずいぶん視野が狭いと思うからです。

そういう視野の狭い人が、自分の知らないことが次々に起きだした時にどう対処すればいいのか、視野が狭ければ狭いほど、その対処の仕方が分からないと思うからです。

さて、そこでです。

そのことをちょっと別の視点から書きますが、日本の人たちは長く『唯物無神論』という思想を信じ続けてきました。

しかし、ここにきてその思想が崩れつつあります。

それはなぜか?

その存在しないはずである神が現しているのではないか?と思えるくらいの異常現象が、現在の日本に次々に現れだしているからです。

そうして、その異常現象を、それは『神の業』であると断言し、その異常現象と同じような現象を現す者まで現れてきたのです。

嫌でも無神論であった人たちは神を認めざるを得なくなりました。その異常現象は普段起きている自然現象とは明らかに違っていたからです。

さて、こういう状況になった時にです。我が強くて素直でない人が助かる確率はどれくらいあるのでしょうか?

日本の人々が知らない、神の業が次々に現れだしているこの時にです。

先ほども書きましたが、こういう時にそういう人の助かる確率はほとんどないということです。

そのような人たちは(本当の)神のことをまるで知らないのです。(何せずっと無神論でしたから)そのまるで知らない神の業が次々に現れだしたのです。

では、我が強くて素直でない視野の狭い人たちが、どうやったらその神の業を防ぐことが出来るのですか?

その対処の仕方をまったく知らないのにです。

だから私はいったのです。こういう時代になり(素直でない人たちの危なさが)より分かりやすくなったとです。

我が強くて素直でない人は自分が分かっていることに対しては対処できますが、自分が分からないことに対してはまるで対処できないのです。

人の意見を聞かないからです。

人の意見を聞こうとしなければ当然視野も狭くなります。そうであるならよけいこういう時代は危なくなるのです。

知らないことが起きれば起きるほど、柔軟な思想と視野の広さは大事になるからです。(柔軟な思想と視野の広さがなければ、臨機応変の対応が出来ません。知らないことが次々に起きている時に、頑なな思想と狭い視野しか持っていなければ百パーセント対応を間違うでしょう。)

いつまでも私のいうことに逆らうのはいいんですが、そういう人たちはです。

果たして柔軟な思想と視野の広さを持っているのでしょうか?持っていないのならこの時代、非常に危なくなるのです。

現に危ないことが次々に起きているからです。(これまで起きたことがないような激しい天変地変が次々に起き〔東日本大震災、熊本地震、ゲリラ豪雨、スーパー台風、竜巻、などなど〕それ以外の異常現象も〔この辺りのサイレンもそうですが〕全国各地で起きています)

そうして、また一層の危ないことがこの辺りは起き出しているようです。(そうですよね。昨日もずいぶん雰囲気がおかしかったです。どこかの会社はもちろんのこと、いつも土曜日は誰か彼か来ている会社が休みであったり、ずいぶんはや上がりしたりしている会社もあり、一変に静かになった会社もあり、そうかと思うとやたら怒っている会社もありました。昨日一日だけでもずいぶん雰囲気がおかしいのです。そういう雰囲気がここんとこずっと続いています)

神のことを知らない人ばかりであるからです。(だから罰当たりな態度ばかり取っているということです)

しかし、それは全国的に見ても同じでしょう。(この前熊本地震が起きたばかりだし)

これまで起きたことがないことが次々に起き出しています。

もう少し素直で柔軟な思想を持たれてはどうでしょう。そうしないとこの時代、生き延びる術がないように思うからです。

もう日本の人々が知らなかった『神の力』が顕著に現れる時代となりました。(それも頑なで視野の狭い人が多いから、いつまでたってもそれに気づきませんが)

だからこそです。素直で柔軟な思想がなお一層大事となってくるのです。

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6月 04 2016

反省なし感謝なし

また微妙な怒り方しています。本当に悪いことばかり起きて哀れなものです。(どこかの会社がごちょごちょ、バタバタおかしな音の立て方をしていたので「また何か起きたみたいだな」と声をかけたら、一変にシーンとなり引きました。また何か起きたようです)

それにしても、どれだけ悪いことが起きても反省しないし、知らないことをどれだけ教えられても感謝もしません。

この辺りの人たちは、そういう反省も感謝も知らないから悪いことばかり起きているのです。(この辺りもう微妙な会社や家が多いですから)

昨日も庄内川に行ったのですが、川岸を散歩している何人かの人が私の顔を見ると必ず何かしていきます。(すれ違いざまに足を引きずったり、急にせき込んだりです)

同じ人がよく散歩に来ているので顔を何度も見ている人も多いんですが、あそこに来ている人は私が何をいっても認めようとしない人が多いのです。

昨日会ったオバちゃん二人組もそうでした。(年は六~七十歳くらいではないかと思われます)もうその人たちは何度も私の辻説法を聞いているのです。しかし、頑として自分が悪いとは認めません。昨日もそうでした。

またすれ違いざまに足を引きずって行きます。もう何回もそれをやられましたのでこちらもキレて「あんたらは自分さえよければそれでいいのか。あんたらが自分たちが悪いと認めない限り、俺は死ぬまで悪者のままで周りから嫌がらせを受け続けるんだ。散々心を救ってもらっておいて、その心を救ってもらった者に罪を擦り付け続けていて良心が痛まないのか」といっても、無視です。

無視どころか、自分たちで何か話してケラケラ笑いながら歩いて行くのです。まるで私が不幸な目に遭っているのを喜んでいるかのようです。

呆れましたね。この人たちは人の不幸が楽しいのでしょうか?(完全に悪魔に憑かれています)

しかも、私に起きている不幸は完全に自分たちのせいであるにもかかわらずです。

こういう信じられないほど愛のない年寄りもいれば、その庄内川の帰り道のこと久しぶりに中学生たちと会いました。(ここんとこ全然会いませんでしたから)

そうしたらまたこの連中、人に嫌がらせをしてくるのです。(それで祈りだしたら、その祈りをバカにしていきます)

この中学生たちは散々私(目上の者)をバカにしておいて、それを一言も謝らないばかりか(まったく反省しないのですから、それだけでも罪です)さらにまだ人の顔を見れば嫌がらせです。(庄内川の帰りだけでなく、別の場所で会ってもこの連中、同じようなことしてきますから。一人として私に頭を下げた中学生はいません)

この中学生連中は、私のブログを読んでいる者もいるのです。

私のブログを読んでいるのなら、それまで知らなかったことを知ったということもあるでしょう。心を救われた者もいるはずです。

しかし、そういうことに少しも感謝せず、自分たちが(嫌がらせやバカにするなどの)悪いことを散々目上の者にしているのに、それをまったく反省しようともせず、さらにまだ嫌がらせを続ける、先ほどのオバちゃんたちといい、この中学生たちといい、こういことをし続けている、こういう人たちに天罰はくだらないのでしょうか?

これだけ悪いことをし続けているのにです。(反省や感謝しないだけでなく、明らかに恩を仇で返しています)

どこかの会社も、また、バスやトラックの運転手連中もそれは同じでしょう。

悪いことをし続けているのに、まったく反省も感謝もない人たちに悪いことが起きるのは、ある意味当然なのではないでしょうか。

悪いことをしている人たちには罰が当たる、昔からそう教えてもらっているからです。

そして、その教えは正しいからです。(善因善果、悪因悪果)

それなのにこういう人たちが病気になると「それはお前のせい」となるのです。

なぜでしょうか?

悪いことをしているのは、その病気をしている人たちの方なのにです。

こういう人たちが増えたから(病気だけでなく)天変地変も増えているのです。

そのような自分本位な心が、そのような災いを呼んでいるからです。災いとは即ち天罰であるからです。

そのような反省も感謝もない心を棚に上げ「悪いのはお前」では悪いことも起きるでしょう。本当に悪いのは、そういうことをいっている(私に罪を擦り付けている)自分自身であるからです。

自分がやった悪いことをまず反省し、いろいろ教えてもらい心を救ってもらった人にはまず感謝しないといけない。

それをまったくしようともせず、文句ばかりいっているようではよいことなど起きてくるわけがないのです。(本当にモンスターペアレントも真っ青です)

私は昨日も庄内川でまた愛ある現象が現れました。

昨日も庄内川の川岸を歩いて南陽大橋の下で休んでいたのですが、その時、一匹のカニが川から上がってきて、私の足元までひょこひょこ歩いて来て、私の靴の周りを自分の体をつけるようにしてぐるっと回り、そうしてまた川に戻るという可愛らしいことをしていきました。

そこらにいるカニが近寄ってきて、足の周りを楽しげに回ってまた川に戻る、こういうことが普通起きるでしょうか?(カニなんか人を見たら逃げて行きますので)

しかし、反省すべきは反省し、感謝すべきは感謝する、そういうことを続けて愛を持った行いを心がけるなら、こういう愛ある現象は毎日のように起きるのです。

少しは自分の行いを反省し(どうしたんですか?今日はやけに静かです。反省したのですか?)感謝の心を持たれてはどうでしょう。

そうすれば、その災いは消えてなくなるからです。

追伸…そのカニが寄って来ている(私の足の回りを回っている)場面も動画に撮りました。

もうずいぶん動画を撮ったSDカードがたまっています。(六~七枚あるのではないでしょうか)

このブログでいろいろ知って心を救われた人も多いと思います。では、少しくらい布施してくれないでしょうか?(こうお金がなくては動画も公開できません)

それも一つの感謝の印(しるし)であるからです。

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6月 03 2016

テレパシー

今日は妙に静かです。(いよいよやばいんじゃないですか)

どうせまたうるさくするのでしょうが、とりあえず静かなうちに書けるだけ書きましょう。(苦笑)

前回も書きましたが、私はどこに行っても鳥が騒ぎます。(行ったことがないところでもです)そうして、それは魚も同じでなぜかどこの川や池の魚も、また生まれたばかりの魚まで私のことを知っているのです。(生まれたばかりの小魚が私が声をかけると寄って来たり、喜んで泳ぎ回ったりしているのを見ればそれは分かります)

何でこういうことが起きているのでしょう。鳥や魚たちはテレパシーでもあるのでしょうか?

どうもそのようです。それを元ハーバード大学の脳神経外科医が書いていられます。

この方(アレキサンダー博士)は2008年に脳髄膜炎で倒れられて昏睡状態となり、その時に臨死体験をされたそうです。

そうして、その自分が昏睡状態であった時に自分の脳はまったく機能していなかったということを自分で調べて証明し、発表していられる方です。

脳外科医がそれを発表されたのですから、みな信じるほかないということになりますが(脳の専門家ですから)自分の脳がまったく機能していないのに臨死体験をされたということは、その体験は(脳が機能していないのなら夢など観るはずがありませんから)本当に自分自身が体験したことであるということで(その臨死体験とは天国に行かれたらしいのですが)死後の世界を認め、自ら死後の世界はあるという本を書かれているのですが、この本がアメリカでベストセラーとなり、死後の世界はあるのかないのかずいぶん議論されているようです。

しかし、アメリカはずいぶん遅れているのですね。もう日本など多くの人がすでに死後の世界を信じています。(私のせいですけど。〔笑〕)

もはや死後の世界があるのは常識といってもいいくらいですが(それはこの辺りの人たちだけでしょうか。〔笑〕)死後の世界を元ハーバード大学の脳神経外科医が書いていられるのですから、これはダメ押しでしょう。

もう死後の世界は信じるしかないということになりますが、この方が書いている本の中に天国とは次のようなところであると書いていられるのです。

・天国とは愛が満ち溢れた空間

・天国は様々な光を放つオーブに満たされた空間

・天国では言葉は必要なくすべてテレパシーによってコミュニケーションがとれる

このアレキサンダー博士は、特別なことを書いていられるわけではありませんが(これまでも臨死体験の本の中にこういうことを書いた人はいくらでもいたからです。つまり臨死体験をされた人なら誰でもこれくらいのことは分かるということです)何せハーバード大学の脳神経外科医だった方です。

同じことを書いても話題になるのでしょう。(笑)

この方の書かれた本の中に先ほど私に起きている現象の答えが出てきます。

それが天国は言葉は必要なく「すべてテレパシーによってコミュニケーションがとれる」と書いてある部分です。

鳥や魚たちは(あの世、天上界からのです)テレパシーによって教えられているのです。だから、私を見たことがない鳥や魚たちであっても、みな私のことを知っているのです。

また言葉ではなく心と心、精神と精神で通じ合えるのなら、どんな生き物でも意思は通じます。

だから、すべての生き物が私のことを知っているのです。(動物園や水族館の生き物たちから、その辺にいる野良猫や飼い犬などに至るまでです)

この私に起きている現象が、アレキサンダー博士の本の正しさを証明しているのです。(テレパシーでもなければこんなことが起きるわけがありませんから)

どうやら私は天上界(天国)ではすでに相当有名なようです。(だから天に通じているすべての生き物が私のことを知っているのです。知らないのは天に通じていない人間だけです。〔苦笑〕)

この世はこの世だけなどという単純なものではなく、当たり前のようにあの世は存在し、そのあの世からの通信は常にこの世に届いているということです。(それは私を見て騒ぐ動物たちが証明しています。また、このブログに書いたことと同じことを〔書いたその日に〕したすずめやツバメがいましたが、それもテレパシーで教えられているのなら説明がつきます)

このように、この世はこの世だけ、などという視野の狭い考えの人たちでは、もうついていけないようなことが次々に起きて来ています。

いつまでも狭い視野のままでいてよいのですか?(今がすべてみたいなです)

もはやあの世があるということは常識になりつつあるのにです。

(またうるさくしだしました。バカですね。また同じ災いが今日も起きるでしょう)

追伸…では、あの世ではどうやったら有名になれるのかということです。(それほどあの世で有名になっているのなら、死後に天上界に行くのは保証付きでしょうし。〔笑〕)

簡単な話です。私と同じことをすればいいのです。

私は常に人のためになる行いを心がけています。今やっていることでもそうでしょう。まったく自分のためにならず(それはそうです。これだけじゃまをされ悪評が拡がっているのですから)お金にもなりませんが、それでもやり続けています。

このブログを書くことが、人の救いになると信じているからです。

こう考えるのなら、仕事だけしていることがよいことであるなど到底いえないと思います。

仕事は、金儲けだけでなく社会貢献という部分もあるにはありますが、その仕事と私のように金や評判を度外視し、ただ一心に神を信じて人を救うために行っている行為とでは、やはり次元が違っていると思うからです。

仕事はあの世でいえば低次元(幽界や霊界クラス)の行いにすぎず、私がしている行為はあの世でいえば高次元(菩薩界や如来界)の行いであるのです。(それだけの行いをしないと釈尊やキリストと同じ奇跡など起きて来ないでしょうし)

低次元の行いばかりしているのもいいんですが、少しは高次元の行いも手伝ってはいただけませんか?

その方が当然ではありますが、死後に高次元に行けるからです。

せっかくあの世があることがアメリカからも分かってきました。

では、死後のことも当然考えておかないといけないのです。(仕事でも低次元なのです。嫌がらせなど百パーセント地獄界ですね。〔苦笑〕)

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6月 02 2016

不思議な出来事

段々哀れになりますね。(本当に恰好だけつけているようでです)

無理して嫌がらせをし続けるより素直に詫びを入れたらどうでしょう。その方がよほど救われると思うからです。

早くそのどうでもいいプライドがなくなることを祈ります。

さて、ではこの前、木曽川や長良川に行った時に一体何が起きたのか、ちょっと書いておきましょう。

私はこの前、JRで長島駅まで行き、そこから歩いてまず長良川に行ったんですが、駅を降りるともうすずめたちが騒いでいます。

するとすぐに「ゴホゴホ」とか「ウウーン」とか、やる人がその辺にいるものですから、長島の駅を降りた時点から即、辻説法をしながら歩いて行きました。(ほんと即です。即。宇宙即我ではなく駅即説法です。〔笑〕)

そうして長良川に行くと、またまた小魚たちがたくさん岸近くにいて私が声をかけると大喜びして泳ぎ回っています。(中には跳ねるのもいます)

そのうちに大きめの(三、四十センチくらいのです)魚まで近くに寄ってきて、私の目の前で泳いでいました。

それだけでも不思議なんですが(普通大きな魚が人が騒いでいるのに岸近くまで寄ってこないでしょう。逆に逃げますよね)昨日書いた不思議なこととはこの長良川で起きたことではありません。

別の町中を流れている細い川で起きたのです。(用水といってもおかしくないくらい細い川でです)

長良川はそんな感じでいろいろな魚や鳥も寄って来て、そこでは動画もいくつか撮ったのですが、それから町中を通って木曽川に行こうとしていた時です。

長島町には木曽川と長良川の間に長島川という川も流れているのです。(マァ、水はあまりきれいではないのですが。〔笑〕)その川の川岸には歩道がつくってあり、いくつか休めるところや見学出来るところもつくってあります。

それで私はいつも長良川から木曽川に行く前に、その長島川の川岸の歩道も歩いて、いろいろその辺りを散策するのですが、この前に行った時もその長島川の川岸をしばらく歩いていました。

すると途中に池のようなところがつくってありました。その池の方に行ってその池を見ているとバシャバシャ何かやっていました。

何かいるなと思い「オイ、元気か」と声をかけたのです。するとすぐ近くで(私が立っていたところから一メートルくらいのところでしょうか。少し浅くなっているのですが)ボラのような魚が水面近くまで上がってきて、バシャバシャ始めました。

そのうちにもう一匹現れて、二匹でバシャバシャやり始め、楽しそうに水面近くで泳いでいます。(二匹とも大きさは三、四十センチくらいです)

それでその魚たちを動画に撮っていたのですが、その二匹の魚たちに気を取られていた時でした。

私のすぐ足元でもバシャと音がしたのです。

「エッ」と思い足元をみると、なんと私の足元にも、同じくらいの大きさのボラが(ボラかなんかだと思うんですが、魚の種類がよく分からないので一応ボラと書いておきます)いつの間にか寄って来ていて泳いでいるではありませんか。

そのボラに気づいていなかった私は「お前いつ来たの」と驚いて声をかけました。

普通、人が近くで声などかければ魚は逃げるはずですが、しかし、そのボラは全然逃げません。

逃げるどころか、私が声をかけてもまったく気にするそぶりもなく、私のすぐ足元で体をくねらせ嬉しそうにゆっくり泳いでいるのです。

近くでバシャバシャやっている二匹のボラといい、すぐ足元にいるボラといい、自分から近づいてきて私の目の前で嬉しそうに泳いでいます。

これまで小さな魚が寄ってきたことは何度もありましたが、わりと大きな魚がこれだけ近くに寄ってきたことなどありませんでした。だから、この辺の魚は人になれているのか?とちょっと疑ったくらいです。

しかし、前にこの川に来た時にはこんなことは起きなかったのです。

では、また奇跡が起きたのだなと思い、こんなことも起きるんだなと改めて驚きました。

しかし、これだけではなかったのです。実はこの後、もっと驚くようなことがこの川で起きたのです。

私はしばらくそのボラたちを動画に撮っていましたが、そのボラたちは全然私の前から逃げようとしません。

いつまでも私の前で泳いでいるものですから、こちらが適当なところで切り上げ「お前らまたな」といって、その池から離れ、また長島川の川岸を歩き始めました。

しばらく歩いていると、また先ほどと同じようなボラが水面近くを泳いでいました。

それで私が「オイ元気か、お前らちょっと顔を出せ」と声をかけていたのです。するとこの後です。本当に不思議なことが起きたのです。

私が、その一匹で泳いでいるボラに「顔を出せ」と声をかけると、そのボラは途中で本当に水面から顔だけ出して口をパクパクさせながら泳いで行きました。

それで私が「オイオイ、よくいうこと聞くじゃないか。人とはえらい違いだな。(笑)」とかいいながら歩いていると、また前から同じようなボラが泳いできました。

しかし、その前から泳いできたボラはすぐに分かりました。

なぜ分かったかといえばです。そのボラは最初から水面から顔だけ出して、口をパクパクさせながら泳いできたからです。

「何だあいつおかしな泳ぎ方しているな」と自分がさっき「顔を出せ」といったことも忘れて、そのボラを見ていると、なんと、そういう泳ぎ方をしているボラがあっちにもこっちにもいるではありませんか。

そういうおかしな泳ぎ方をしているボラが先を見るとあちこちにいるのです。

「なんだこいつらおかしな泳ぎ方して」と不思議に思いました。こんな泳ぎ方をしている魚を見たことがなかったからです。(小さい魚が口をパクパクさせて泳いでいるのは見たことがありますが、このボラはみな三、四十センチくらいの大きなボラたちばかりです。それで驚いたのです)

「お前ら元気か」とかいいながら、そのような泳ぎ方をするボラたちを動画に撮っていました。

珍しいと思ったからです。

しかし、ふと気づくとなんとそういう泳ぎ方をするボラたちが、あちらからもこちらからも(だから私が歩いて行く進行方向からと後ろからとです)たくさんこちらに寄って来ているではありませんか、その魚たちの光景を見てさらに驚きました。

そういう顔だけ出して、口をパクパクさせながら固まって泳いでくるボラたちがたくさんいたからです。(驚くというか、ちょっと不気味でしたね。水面から目がクリッとして口だけパクパクさせた生き物が五匹も六匹も固まって前と後ろから私のいる川岸に迫ってくるのです。夜にそれを見たらユーマではないかと驚くでしょうね。〔笑〕)

その顔だけ出して口をパクパクさせて泳ぐボラたちが、私の前を何度も行ったり来たりして、私の前で十数匹のそのようなボラたちが泳いでいる動画も撮ってあります。(しかし、このような泳ぎ方をするボラたちを見ていてつくづく思いました。やはり魚は普通に泳いでいた方がいいとです。〔笑〕)

何でこいつらこんな泳ぎ方をしているんだろうと、その時は分からなかったんですが、よく考えてみればです。

私が長島川に向かい「お前ら顔を出せ」と声をかけながら歩いていたことが、ボラがこのような泳ぎ方をしている原因なのではないか、と後で思いました。

これまでこんな泳ぎ方をしているボラなど見たことがなかったからです。(だとしたら、凄い言うことのきき方です。〔笑〕)

この川のボラたちが、どうしてこういう泳ぎ方をしていたのか、その真意は分かりませんが、そのちょっと不気味な動画もまた公開したいと思います。(笑)

しかし、こういう不思議なことも起きるのです。

法を実践すればです。

心が愛に満ち、きれいであるなら、動物たちは嬉しそうに近くまで寄ってもくるし、こちらがいった通りの態度も取るのです。

なぜなら私たち人間は万物の霊長なのであり、そのような動物たちの長(おさ)であるからです。(長のいうことは聞きますから)

この法の素晴らしさが少しはお分かりいただけるでしょうか。

こういう動物たちとの不思議な体験はもう私には枚挙にいとまがないほど起きています。

心が変われば起きることも変わります。

心と行いを変えられてはどうでしょうか。

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6月 01 2016

罪の擦り付け

昨日は三重県の長島町まで行って長良川と木曽川に行ってきました。

別に昨日行こうと決めていたわけではありませんが、陽気もよくなりましたし、ソロソロあの辺りにも行きたいと前から思っていたからです。

そうしたらまた不思議なことが起きましたね。

本当に自分でいうのも何ですが行いのよさが現れています。朝から出て行く時など、必ず「何でこんなことが起きるの?」という不思議な現象が現れるからです。

それに引き換え行いの悪さが現れていますね。この辺りの人たちはです。

昨日など、私がいなかったにもかかわらず、帰ってくるとやたら怒っている会社はある、いつもならこんな時間に終わらないだろうという会社があちこち早じまいしている、何か雰囲気がおかしいのです。

その雰囲気のおかしさは今日も続いています。どこかの会社が朝からやたら怒っているのはいつものことですが、ずいぶん元気のない怒り方です。(何か、ほんと恰好つけているだけという感じですね)

いろいろ悪いことが起きているのなら行いを反省されてはどうでしょう。自分たちの行いが悪いから悪いことが起きているからです。

私はよいことをしているからよいことが起きているのです。

そのよいことといえばです。昨日は不思議なことが起きただけではなく辻説法もしてきました。どちらかといえば、そちらがメインであったからです。(せっかく三重県まで行ったんですから)

木曽川や長良川から離れて長島町の町中を歩いていると、あちこちで嫌がらせをされます。(もう、私が歩いているとそこらじゅうで鳥が騒ぎますので、すぐに私がいることは分かります)

この辺りにまで私の名前は轟(とどろ)いているようです。(苦笑)

「オバちゃん、あの世があるって分かってよかったな」「オジちゃん、神もあの世も生まれ変わりも俺がいてこういう現象を現したから信じたんだろう。よかったな、そういう知らなかったことをいろいろ教えらてもらって」あの辺りは田んぼや畑が多いので、そこで作業している人や家から出てきている人に片っ端から辻説法です。

「そのようなことを教えたのはみな私です。今日は本人がわざわざ参りました」と声を張り上げ、わざとアピールしました。

その方が(鳥が騒ぐ現象も現れていますので)その町の人たちに私のいっていることの正しさが理解しやすいと思ったからです。(まだ名前はいいませんが。選挙期間でもないのに名前を出しては公職選挙法に引っかかってもいけないと思ったからです…って、別に選挙に出るわけではないんですけどね…ダブル選挙もなくなったんですね。面白くなかったですか?ダブルのダブルって。私はなかなか面白いと思ったんですが〔話題性抜群です〕しかし、今日は国会の会期末です。最後の最後に解散を総理がいわれたらそれはそれで話題性は抜群ですけどね。〔笑〕)

しかし、そういう恩着せがましい言い方をするとほとんどの人が下を向きます。だから私は、よけいかさにかかってそういう言い方をしました。

その方が反省する人が多いと思ったからです。

それに走って行くトラックがやたらブシュブシュやって行きます。そういう連中にわざと大きな声で「何だ、いろいろ教えられて散々心を救われている者に嫌がらせか。そんなことしてたら罰も当たるわな」と天罰も、猛アピールです。(笑)

そんな感じであちこちで辻説法です。よけい下を向く人が多かったですね。(車で走っている連中も含めてです)

「こういう現象(鳥が騒ぐ)まで現れているのです。私のいうことを信じてはどうですか?この現象は釈尊やキリストにも現れているのです。私は多くの人の心を救っているのです。そうして(名古屋だけでなく)三重県の人まで救っているのです。これだけよいことをしている者が何で人を病気にするのですか?」

「もう三重県だけではありません。私のことは愛知、岐阜、三重の三県の人がみな知っているのです。もっと多くの人が知っているのかもしれませんが、愛知、岐阜、三重の三県は自分で行って確認しました。それだけ多くの人が私のことを知ったということは、それだけ多くの人の心が救われているということです。それだけよいことをしているから、こういう(鳥が寄ってくるような)奇跡も起きているのです」(何か本当に選挙運動のようです。「だから清き一票をよろしくお願いします」とまではいいませんでしたが。〔笑〕)

愛知、岐阜、三重の全員の人が私を知っているとは思えませんが、少々はったりもきかせ、あちこちで辻説法をしてきました。

聞いていた人は年寄りが多かったので、それなりに効き目はあったんではないでしょうか。(名古屋でも、そういう話を聞いて頭を下げる年寄りが増えていますので。こういう恩着せがましい話は特に年寄りには効果抜群です。〔笑〕)

しかし、実際そうなのではないでしょうか。

最初に書きましたが、私に次々に不思議な奇跡が起きるのは(その不思議なことは〔魚のことですが〕また書くことにします。動画にも撮ってありますので、その起きたことが嘘ではないと分かります)それだけの善行を行っているからです。

私は多くの人に多くのことを教え、心まで救っているのです。そうして、その救われる人は日々増えていると思います。

あのように普段いかない場所に私が行くなら、その辺りの人たちはまた私のことを話題にするからです。(そうするとまた私のことを知る人が増えます。〔あちこちで噂になるからです〕私のことを知る人が増えるのなら、それだけ心が救われる人も増えるということです)

そうして、私に起きている現象を見て辻説法を聞くなら、心がまたよい方に変わる人も出てくるからです。(心がよい方に変わるのなら、その人はよけい救われます)

行っていることがこれほど違うのです。(このブログを書くのも含めてですが)では、起きることが違うのも当たり前のことなのではないでしょうか。

この二~三時間だけでもです。一方は心を救うためのブログを書き、もう一方は嫌がらせをし続けているのです。(本当にうるさいです。やっていることが天と地ほど違います)

わずか二~三時間だけでもこれだけしていることが違うのです。

では、起きてくることが大きく違っていても何も不思議ではないのではないでしょうか?

むしろ、これだけしていることが違っているのです。同じことが起きる方がおかしいのではないでしょうか?

私はほんの少しの時間まで人を救おうと考え、それを実践しているのです。

もう一方は嫌がらせを実践し続けています。

それだけ行いが違っているのにです。

その自分の行いを反省しようともせず、いつまでも人に罪を擦り付けているのは、大きな罪以外の何ものでもないのです。

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