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5月 13 2016

起爆剤

何か異様な雰囲気ですね。

昨日の夕方あたりから(ここら辺ただでさえ異様なんですが)一段と異様さが増しました。

私のいった通りのことが起き出したようです。(今度はコロリですか。本当に危ない)

神に頭を下げられたらどうでしょう。ずっと書いていますが、悪いのはそちらの方だからです。

昨日は私に頭を下げた運転手までいました。(一人だけですが)そういう謙虚な心にならないと、もう何が起きるか分かりません。(特に運転手はやばいでしょう。大事故につながります)

いつまでも怒っている場合ではないのです。神に逆らえば逆らうだけ恐ろし現象が現されます。

反省し、早く心を入れ替えてください。そうしないと、近いうちに名古屋の異様さを全国の人が知ることになるからです。

私のいうことを聞かれてはどうでしょう。奇跡が起きているのは私だけであるからです。

さて、やばい話はこれくらいにしておきましょう。(あんまり触れるのも怖いですから)

しかし、名古屋もそうなんですが、東京もそれに負けず劣らず異様なことが起きていますね。

何ですか、今度の知事は。(苦笑)

昨日のテレビもひどかったですね。(精査ばかりを繰り返してです。あんなことしかいわないのなら、何でテレビに出てきたんでしょう?)

ミスなら返金とか、そういう問題じゃないでしょう。(ミスじゃないのは明白なんだし)あまりおかしな人が都知事をやっていると、東京に何が起きるか分かりません。(知事の心がすぐに現れる、もうそういう時代ですから)

早々に代わってもらった方がよいのではないでしょうか。(東京に)何か起きてからでは遅いからです。

とはいえ、では誰を次の都知事にするのか?という話になるのですが、東京は千三百万人も人がいるのです。誰かいるんじゃないですか。都知事にふさわしい人はです。(別に東京に限ったことでもないのだし。だからといって、かの有名な元大阪市長さんなどという奇策はダメでしょうが。〔苦笑〕)

なかなかいませんかね。東京オリンピックまで都知事を任せられる人などはです。

その東京オリンピックも裏金疑惑が浮上しています。下手したら東京都知事などババを引くことになるかもしれません。よけいなり手がいませんね。(勝手に都知事が代わることを前提に書いていますが。〔苦笑〕)

あの方なんてどうでしょう?自民党の若手有望株で将来の総理は確実といわれている方です。

ああいう、若手の有望株な方が都知事などやって東京を変えてもらわないと、日本も変わりません。

安倍総理との最強タッグで東京及び日本を改革するという案はどうでしょう。

それくらいしないと停滞気味の日本は変わらないからです。

この方、多分やれますよ。過去でもそういう国に関わるような仕事をやっていたからです。ただ安倍総理とは住んでる国が違いました。だからいまいち安倍総理とは肌が合わないのです。(だから私ともいまいち考えが合いません。魏の人はこういう考え方するんだとです。〔マァ、私のことはいいんですが・笑〕あの当時、魏が一番栄えていました。だからこの人、垢抜けしているし〔別に安倍総理が垢抜けしていないというのではありません。私が垢抜けしていないという意味です〕都知事にはぴったりだと思うのです。当時一番栄えていた国を治めていたからです)

しかし、そういうことはともかくです。こう問題ばかり起きては、何かサプライズもないとやっていられません。

ソロソロまたお得意の安倍サプライズを見たいものです。(笑)

どちらにしても、このままグダグダやっていてはよいことも起きてきません。(景気も下降気味ですし)

何か起爆剤はいりますよね。

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5月 12 2016

人を救うと現れる奇跡

昨日は久しぶりに庄内川に行きました。(最近は営業回り〔辻説法〕が忙しくてあまり行けませんでしたから)

しかし、営業も忘れてはいけません。川岸を歩くだけではなく、途中で庄内川から出て辻説法をして(川岸の横にある道路の向こうはもう家がたくさん並んでいますから)また庄内川に戻り、鳥や魚たちに癒されて、そうして家まで帰ったんですが、昨日は少々辻説法をしただけでしたが、それでも頭を下げる人が何人かいました。(もう完全にコツをつかみましたね。〔笑〕)

とにかく恩着せがましくを忘れてはいけません。(笑)そういういい方をモットーにしていると、さすがに後ろめたいのか頭を下げてくる人が何人もいました。

昨日も庄内川から途中で出ると、すぐにです。(ほんと私をすぐに見つけて何かしてくる人がいますから)オバちゃんが何かしてきました。

それで辻説法を始めると、ちょうどそこに犬を連れた爺さんが歩いて来ました。その爺さんも私を見ると急に足音が大きくなります。

それでその爺さんに「神からあの世から生まれ変わりから俺がこういう現象を現して(その時も鳥が騒いでいましたから)皆に伝えたから信じたんだろう。よかったなぁ爺ちゃん、あの世があることが分かって。死んで終わりじゃないんだぜ。まだ先もあるんだぜ。希望もわいただろう」とか「こんな鳥が寄って来るなんて知ってたかい。こういうことも俺がいなけりゃ分からなかったんだ。よかったな、知らないことをいろいろ見せてもらって」とか、とにかく、恩着せがましい言い方をたくさんしたのです。

するとその爺さん、私の近くまで来ると頭をぺこりと下げていくではありませんか。

そうして通り過ぎていくので「そうそう爺さん、そうやって感謝の態度を見せないといけない。そういうのが普通よ。散々心が救われたんだから」と後ろからしゃべっていると、その爺さんが歩いていきながら、また足を引きずったり、大きな足音を立てたりして怒っています。(態度で分かります。〔笑〕)

私に図星をつかれて腹が立ったのかもしれませんが、しかし、怒っても仕方ないでしょう。

事実は事実だからです。

私がいろいろ教えたから心が救われたのだし、鳥などが寄ってくるような現象など見たことなかっただろうし、そういう現象が目の前に現れたから、これまでは信じていなかったことも信じたのだし、そういう諸々のことを考えるならです。

感謝するのが当たり前なのであり、そんなことさえ知らずにいた方が悪いのであって、そういう自分がまったく気づいていなかったことまで私に気づかされているのです。(もし、そのままの心で死んで行ったのなら、どれだけ深い地獄に堕ちたか分からないほどなのです。恩を仇で返しているからです)

何から何まで教えられ、自分のあまりのいたらなさに気づかされてもいるのです。

そこは怒るところではないのではないでしょうか。自分のいたらなさを恥じるところなのではないでしょうか。

しかし、この爺さんは恥じるどころか怒っているのです。どれだけ自分が私に救われているのか、まだ分かっていないようです。

その爺さん一人に関してだけでも、私はどれだけ(心を)救っているのか分からないほどなのです。

その救う対象が私は一人や二人ではありません。

何千、何万、何十万(もっとかもしれませんが)という人が対象なのですから、どれだけ多くの人が(法を知ったことで)救われているのか、そうして、現時点でも救われつつあるのか分からないほどなのです。

こういうことをし続けているから、釈尊やキリストと同じ奇跡が現れてきたのであり、それだけのことをしないと、それほどの奇跡が現れることはないのです。

昨日もそうでした。

先ほどの爺さんに説法をしたところは前に動画を撮ったところで、あの池からたくさんの亀たちが顔を出したところでした。(その動画はもう公開しました)

その爺さんが行ってしまったので、私はすぐ向こうにある池に向かい「お前ら元気か」と声をかけると、またたくさんの亀たちが池の中から顔を出しました。

そうして私の方に寄って来ます。その亀たちの中に混じって、大きな鯉も(三、四十センチくらいの大きさでした)一匹寄ってきて、私の前で泳いでいます。

「あれ、ここ鯉もいるのか。この前は亀しかいなかったのにな」とかいっていると、あちらからこちらからと次々に鯉が寄って来て、私の前でバシャバシャ泳いでいます。

そうして、ツバメまで飛んできて、大騒ぎになりました。(笑)

そこも動画で撮りました。

結局、次々に人を救っていると、次々に奇跡も起きてきます。自分がしていることの正しさが、まさにこのような奇跡で確認できるのです。

唯物論の人たちばかりであったから、心が救われたという実感がわかないのかもしれませんが、ずいぶん多くの人を私は(深く)救っているのです。(このような奇跡がその善行を現しています)

それだけ救われていて、頭を下げているだけでよいのですか?

心を救われたということは、何ものにもかえがたいことであるからです。

(何か、ブログまで恩着せがましくなっていますね。〔笑〕)

追伸…アメリカのオバマ大統領が伊勢志摩サミットに合わせて広島を訪問されるらしいですね。

それはよいことです。核兵器廃絶への思い、ぜひ伝えていただきたいものです。

被爆者の方々は、当然、謝罪をしてほしいという気持ちがあるのでしょうが、それを口にせず、未来志向を唱えていられます。

本当に立派な態度であると思います。

どこかの国の人々も、このような態度、ぜひ見習っていただきたいものです。

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5月 11 2016

知らずにしている悪いこと

今日は静かですね。(最初だけなんでしょうが)

その静かといえばです。昨日は金山の辺りを営業で回りましたが(辻説法のことです。私の仕事を考えますと辻説法が営業ですから。〔笑〕)思ったより静かでしたね。

もっと工場や工事の連中にガンガンやられると思っていましたが、そういうところは数軒で後は電車やバス、トラックも静かなものでした。(やって来る工場はガンガンやってきましたが)

最近は「よかったのう、神からあの世から生まれ変わりから何から何まで分かって。こっちが体を張ってそういうこと伝えたから信じたんだろう」とか「そういうことを知りずいぶん心も救われたんじゃないの。それなのに感謝もなしかい」とか、恩着せがましい話をまず最初に先制パンチとして食らわせます。(笑)

そうすると黙る人が多いですね。

それでも何かしてくる人には「何で悪い奴にこれだけ鳥が寄って来るのか?善人だからこれだけ鳥が寄ってくるんだろう」と、追加で自分の善人ぶりをアピールするともうほとんどの人は静かになります。(笑)

それでも何かしてくる人もいますが、そういう人はよほど頑固か何か自分たちに起きた人でしょう。

そういう人たちはどうしようもありませんが(お前が悪いと譲りませんから)それでもこちらは、それは自分たちに原因があるといい続けますね。(少々むきになりますが。〔苦笑〕)

そうしなければ、その人たちは自分が悪いといつまでたっても気づかないからです。

それにしても電車の静かになりっぷりには驚きますね。少し前までは、私が線路沿いなど歩いていればファンファンやられっぱなしでした。それが最近はずいぶん静かです。(やる人はやりますが、そういう人は少ないです。バスやトラックもそれは同じなんですが)

ソロソロ詫びを入れたらどうでしょう。そうしなければ、その神の業は止まらないからです。(何か起きていなければ、それだけ静かにするはずがないですから)

よってたかって嫌がらせをしてきたのはそちらなのです。

どういう理由があったにせよ、そのような行いは悪いことですし、私が悪いことをしていると思ってそういうことをして来たのかもしれませんが、しかし、私は悪いことをしていなかったのです。

むしろ人以上の善いことをしていたのです。(それは今は理解出来なくても死んだら理解出来ると思います。その人がどういう心の勉強をしているのか、死なないと分からないからです)

だから、私一人に(釈尊やキリストに起きたような)奇跡が現れて来たのです。

それだけの善行を行わなければ、それだけの奇跡は起きてきません。そのような現れた奇跡こそ、私が善人であるという何よりの証拠なのです。

それに皆さんは私のブログを読んでいる人も多いと思います。

なぜ、そんな悪い奴のブログを読むのですか?

自分が目の敵にしている、それほどの悪い奴のブログなど読めば自分自身の心も汚れると(気分も悪くなると)普通であるならそんな奴のブログなど絶対に読まないはずです。

しかし、私を悪く思っているはずの多くの人が(前の会社の連中まで読んでいますから)私のブログを読んでいるのです。

なぜでしょうか?

それは私のブログを読めば、いろいろなことを教えられ、なおかつ心まで救われるということを知っているからです。

だから、私を目の敵にしている多くの人まで私のブログを読んでいるのです。

誰であろうと心は救われたいからです。

しかし、悪人のブログを読んで心が救われますか?

いくら悪人でも悪いことばかり書くわけではありません。だから、心が救われるようなことも書くかもしれませんが、私のブログを読んで、そこに書いてあることを実践して奇跡が起きた人もたくさんいるのです。

悪人が書くブログでこういう奇跡が起きるでしょうか?(しかも何度もです)

私のことを悪人と思っている人たちまでが、このブログを読み、いろいろ知らないことを知って心まで救われている、そうして奇跡まで起きた人までいるというのですから、とても悪人がやっていることとは思えません。

だって、自分に好意的な人も悪意のある人もどちらも救っているのです。それではまるで神ようです。

こういうことをしている者が(口だけではないのです。実際にやっているのです)悪人なのでしょうか?

実際に多くの人が救われているのにです。

そうではないでしょう。行いだけではなく(釈尊やキリストと同じ)奇跡まで現れているのです。

これ以上の善人だという証拠はありません。

だから私は悪人ではありません。

その悪人でない私を、あなたたちが悪人に仕立て上げたのです。(違いますか?)

悪いことを全部私に擦り付け(その悪いことの原因は、すべて自分たちの心と行いにあったにもかかわらずです)散々私を悪くいって、あいつがいるからこういことが起きると、起きた悪いことを全部私のせいにしたのです。

その結果、私は大悪人に仕立て上げられ、そこらじゅうで嫌がらせを受けることになったのす。

そこらを歩いていれば歩いてくる人から車や電車、バスやトラックに至るまで様々な嫌がらせを受け、家の横や工場の横を通ればでかい音を立てられ、どこかの店に入れば嫌がられ、子供にはバカにされ石まで投げられたことがあります。

それだけ悪行を多くの人は私にしたのです。自分たちの心は、その嫌がらせを行っている私に救われたというのにです。

そのような悪いことをしたから(こんな悪いことありませんよね。恩を仇で返しているのですから。しかも大勢の人がです)そういう悪いことをしている人たちに天罰がくだっているのであり、また、その悪いことをそのまま信じる人たちにも天罰がくだっているのです。

悪いことを(間違ったことを)信じた人もまた悪いからです。(だから間違ったことをいっている人は多くの不幸な人もつくるということです。その間違ったことを信じた人たちがみな不幸になるからです)

善いことを(正しいことを)信じた人たちには奇跡が起きるのです。現に私のブログを読み、それを信じ行った人にはちゃんと奇跡が起きています。(だから正しいことをいっている人は多くの幸福になる人もつくるということです。その正しいことを信じた人たちがみな幸福になるからです)

正しいことを信じ行った人には奇跡が、間違ったことを信じ行った人には災いが、必ず現れるのであり、それは釈尊がいわれた「善因善果 悪因悪果」の結果がそのまま現れているだけなのです。

ソロソロ自分たちの悪行を認め詫びを入れたらどうでしょう。

ざっと書いただけでもずいぶん悪いことをしてるからです。散々心を救われた恩ある私に対してです。

だから、多くの人に災いが起きているのです。それだけ多くの人たちが(間違えたとはいえ)悪いことをしてるからです。

その罪を反省し、私に感謝するなら、もちろん今起きている災いは止まり、奇跡まで起きてきます。(現にそういう人がいますから)

どれだけ意地を張ろうと(私のせいにしようと)災いは止まりません。

その原因は自分たちにあるからです。

今のまま意地を張り続ければ、最後には昨日書いたようなことが起きるのです。(大天変地異)

自分を救うだけではなく世界を救いませんか?

この教えにはそれだけの力があるからです。

(皆さんは毎日のようにこのブログを読んでいるのです。ではもう人を救う力は十分あるということです。それだけ法を勉強しているということだからです。後は心を切り替えるだけなのです)

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5月 10 2016

間違いの繰り返し

今日もやっています。

この連中、気は確かなのでしょうか?どれだけ悪いことが起きても、それでも自分たちがしている悪いことをやめようとしないのです。

もはや学習しないとか、バカとかいうレベルではありません。気が違っているのではないかとさえ思えます。

何でこれだけ同じ間違いを繰り返しているのでしょう。

ここまで神に逆らい続けているのです。ではもうこの者たちは滅びるしか道がないのではないでしょうか。

本当に哀れです。(どこかの運転手の人たちも気をつけてください)

しかし、このような間違いの繰り返し、実はこの連中だけではないようです。

昨日の中日新聞の夕刊にナスカの地上絵の記事が載っていました。

その記事によりますと、ペルー南部の世界遺産「ナスカの地上絵」の研究所を持つ山形大が、新たな地上絵を相次いで見つけているそうです。

これまで三百四十点以上を発見し、今回また新たに「舌を伸ばした動物」を発表したそうです。

この「舌を伸ばした動物」は全長が約三十メートルで、斑点のある胴部から八本の足を、二つ目がある頭部からは長い舌を伸ばした空想上の動物と考えられていますが、紀元前400~同200年頃のものではないかといわれています。

このナスカの地上絵は、紀元前400年頃から二千年間にわたって描かれたと考えられていますが、この地上絵の中には、宇宙から見ないと分からないほどの巨大な絵まであるのです。

それほどの巨大なものや多くの地上絵を、どうやって描いたのか今もって謎なのですが(気球にのって、空から指示して描いたという説もありますが、それでは宇宙規模の巨大なナスカの地上絵の説明は出来ません)こういうオーパーツ(それが発見された場所や時代にそぐわない物品)を知れば分かります。

科学が発達していた時代は現在だけではないということがです。(科学が発達していたからこういう地上絵なども描けるのです)

ということは、人類が繁栄していた時代は今だけではないのです。(人類が繁栄しなければ科学は発達しないでしょう。オーパーツは世界中から発見されています。ということは〔四大文明だけではなく〕時代によって違うのでしょうが、過去繁栄していた国はあちこちにあったということです)

しかし、不思議なことにここ数百年の人類は繁栄していなかったのです。それは世界の人口の推移を見れば分かります。

現在の世界の人口は七十億を超えていますが、1900年は二十億、1800年はわずか十億人しか世界にはいなかったのです。

当然、それより以前はもっと少なかったということになります。

世界の人口はここ数十年で急激に増えただけであり、それより以前の数百年は、異常に少なかったのです。

人類は七百万年も前に発生しているのです。(今の科学によればですが…本当はもっと前から人類はこの地球上に存在していたのですが)

科学が発達していた時代が(数百年)以前にもあるなら、数百年以前の人口は、もっと多くないといけませんし、それに科学の発達していたという記録も残っていないといけません。

それが数百年以前の世界の人口は異様に少なく科学の記録も〔オーパーツで知る以外〕残っていません。

なぜでしょうか?

その理由は、こういう世界の人口の歴史を見ても分かるのです。

ここ数百年、数千年の間だけでも、世界の人口はもの凄い増減を繰り返しているということです。

世界の人口が極端に増えたり減ったりを繰り返しているから、百年、二百年前の世界の人口が異常に少なかったのであるし、また最近急激に人口が増えているのです。

人類は、同じような歴史を数百万年も前から(実際はもっと前ですけど)繰り返しているからです。

つまり、科学の発達とともに、世界の人口は急激に増え、その増えたはずの人口が何かの原因でまた急激に減ることがあるということです。

減ることがあるというよりも増えた人口は、ある一定の時を置いて必ず何かの原因で急激に減るのであるということです。

では、何で増えた人口が急激に減ってしまうのでしょう。その理由は何なのでしょう。

それは現代を見れば、その答えはおのずと分かるのです。

科学の発達とともに、人々はおごり高ぶり神さえもないがしろにしています。そうして、愚かな内輪もめを繰り返しているのです。(戦争やテロなどがそれにあたります)

そういうことをやり続けていると、天変地変も激しくなります。(実際にそうです)

そうすると最後には大天変地異を起こされるということです。(もちろん世界的規模のです。だから科学の記録もたくさんは残っていないのです。〔オーパーツくらいしかです〕その大天変地異のせいでほとんどの科学的技術が失われてしまうからです)

まさに現在がそうなのではないでしょうか。

人々は神を否定し(科学万能などという言葉がそれを象徴しています。日本だけではなく、他の国の人々も、神と唱えているのは口だけで心から神の存在を肯定しているわけではないのです。私と同じ奇跡が起きる人がいない、それが神を思っていない何よりの証拠なのです。本当に神を思うなら、私と同じ奇跡が起きないといけないからです)おごり高ぶり、戦争やテロを繰り返しています。

そのような態度を反省しようともしなければ、愛や慈悲や調和などという神の心など思いもせず(何せ、現在は自由、平等、友愛ですから)毎年、天変地変が激しくなっているにもかかわらず、それを温暖化やら何やらに責任転嫁して平気でいるのです。

では、このような人たちはどうすれば自分が悪いと理解するのでしょうか?

何が起きても、自分たちが悪いとは理解せず、同じ間違いを繰り返す。そうなると天は同じ現象を現します。

同じ現象とはもちろん世界的規模の大天変地異です。

もうお分かりですよね。それが人類が急激に減る原因なのです。

ここまで書かなくても、このブログを読んでいる人はもうお分かりだと思います。

また人類は同じ間違いをしだしているのです。だから、これだけ多くの世界的規模の天変地変が起きているのです。

この世界的規模の天変地変は、これ以上分からなければ(過去同様に)大天変地異を起こすという天の警告なのです。

だから、世界中で異常現象が多発しているのです。(日本だけではなくです。視野の狭い人たちはもう少し世界を見てください。そうして、これまでの人類の歴史を見てください。そうすれば、いま日本でなぜこんなことが起き出したのか〔それは私のせいではないと〕分かるはずです)

世界中の人たちが神の心から段々離れて行っているからです。

このままでは、また同じことを(世界規模の大天変地異)起こされます。

そうなればまた急激に世界の人口は減るのです。そうして科学技術も失われます。

現在の科学ではどんな天変地変も防ぐことは出来ないのです。神の力を見くびってはなりません。

いつまで同じ間違いを繰り返しているのですか。

もう自分たちの間違いに気づかなければいけないのです。

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5月 09 2016

カッコつけ

今日も朝から激しくお怒りですが、前回のブログではありませんが、こういう連中もまた格好(かっこう)ばかりつけているのでしょう。

本当は怖くて仕方ないのに、その怖いのを隠して「この野郎」といきがって見せている、ただのカッコつけなのです。

しかし、格好ばかりつけているようでは恐ろしい現象は止まりません。

怖いのなら「自分たちが悪うございました。(実際に、自分たちが嫌がらせばかりして悪いことを繰り返しているのですから)助けてください」と私に頭を下げに来ることです。

そうすれば、私も共に神に祈るからです。(この者たちをお助けくださいとです)

もう自分たちが反省する以外で、その恐ろしい現象を止める手立てはないというのに、いつまでたっても格好ばかりつけています。

本当に哀れなものです。

しかし、格好だけつけていても不幸にしかならないのです。

今から二十年くらい前の話ですが(もっと前でしたっけ?)住専の問題が大変な話題となった時がありました。(住宅専門の貸付会社が巨額な不良債権をつくった問題です)

私はその時、ちょうど大阪に仕事で行ったんですが、大阪駅から乗ったタクシーの中でもそのことが話題になりました。

その住専の多額の不良債権をつくった会社のベストテンのほとんどが、大阪の会社であったからです。(六社か七社くらいが大阪の会社であったと思います。愛知県の会社も入っていましたが、一社だけで後は東京の会社でした)

その大阪のタクシーの運転手に「今回の住専の問題で、大阪の会社は凄かったね。不良債権の多かった会社のベストテンのうちの六社(か七社)も大阪の会社じゃない」というと、その運転手は「そうでしたね、凄いでしょう」といいます。

てっきり私は、それだけ多くの人に迷惑をかけたということで「凄いでしょう」といっているとばかり思っていたのですが、その大阪のタクシーの運転手の話を聞いていると違うのです。

どうも、それだけ大きなことをした、ということで喜んでいるようなのです。

その運転手は「あれだけ話題になって日本中で騒がれている。大阪はそれだけでお祭り騒ぎです」みたいなことをいいます。

私は「ハァ」と思いました。

不良債権で問題になっているのに(不良債権とは回収できる見込みのない債権のことですから)この大坂の運転手は大阪の会社に、その不良債権がたくさんあることを喜んでいるのです。

はてと思い「何で不良債権がたくさんあるのがそんなにうれしいの?」と聞きました。

するとその運転手は「大阪は結果はどうでもいいのです。結果がどうあれそれだけ大きなことをした(不良債権の額が一億や二億の話じゃないのにですよ。数千億から数兆円くらいあったというのにです)それだけ大きな花火をぶち上げたということが、大阪の人間にはうけるのです」といいます。

私は驚きましたね。

それだけ多くの不良債権を出したということは、それだけ多くの人が不幸になったということです。

それなのに、この人は、多くの人が不幸になったことより、そういう大きな話題をつくったことの方が凄いといっているのです。

「そんなこといっているの運転手さんだけじゃないの」と私がいうと「とんでもない。大阪の人間はみな喜んでいますよ。住専問題は大阪の会社がほとんどを占めていた、だから凄いと、さすが大阪やとです」そうして「お客さん名古屋から来られたそうですが、愛知県の会社なんか、あの不良債権のベストテンのうちに一社しか入っていないではないですか。ずいぶん愛知県は商売が小さいんですね」とバカにしてくるのです。

私は笑って聞いていましたが、本当に呆れました。

住専の大阪の会社が日本全体に大変な迷惑をかけているのです。

普通であるなら「大阪の会社があれだけの不良債権をつくって申し訳ない」くらいの話をするはずです。

しかし、この人はそんなことは関係ない(よかろうが悪かろうが)派手なことをやればそれでよいのだと開き直り、悪いことをしているのに、それをまったく意に介していないのです。

格好をつけているだけなのか、それとも無責任なだけなのかよく分かりませんが、そういう考えの人が多い大阪は、それからずっと不況が続いているのです。

前に飲み屋のオバちゃんから聞いた話ですが、そのオバちゃんは東京でも大阪でも飲み屋を開いたことがあるといっていました。

しかし、名古屋の人は、大阪や東京と比べ見栄を張らないといっていました。

名古屋にも見栄を張る人はいるだろうと「名古屋も見栄を張る人は張るよ」というと、そのオバちゃんは見栄を張るレベルが東京や大阪は違うというのです。

とにかく、東京や大阪は無茶苦茶な見栄の張り方をするそうです。

多くの人を引きつれ、よく飲みに来ていた人が(もちろん払いはその人が一人で全部していたそうです)急に来なくなったので「あの人どうしたの?」と、その人の連れの人に聞くと、あの人は破産したとか、飲みに来て、高価な物をよくくれた人がいたのですが、その人も急に来なくなって、その人どうしたのかと思っていたら、夜逃げしたという話を後で聞いたとか、そういう人が東京や大阪にはゴロゴロいたそうです。

東京や大阪は、とにかくお金がなくなるギリギリまで格好をつける、そういうデタラメな見栄の張り方、カッコのつけ方をする人がたくさんいたようで、だから名古屋の人は見栄を張らない、カッコをつけない、とそのオバちゃんはいったのです。

その話がどこまで事実なのかそれは知りませんが、そこまで見栄や格好をつける人は確かに名古屋にはいないでしょう。名古屋は(東京や大阪に比べれば)地味な人が多いからです。(苦笑)

しかし格好ばかりつけていて、無理をするならするだけ不幸になります。

カッコばかりつけていないで正直な態度を取ってはどうでしょう。

そのカッコをつけている相手は人ではなく神なのですから。

(いまだ凄い怒りようです。途中静かになって、また急に怒り出したりしたんですが〔ほとんどパニくっています〕また何かあったのでしょうか?カッコをつけるのも人が相手なら破産程度ですみますが、神が相手だとその程度ではすみません。〔激しい天罰を食らい最後には深い地獄に堕とされます〕早く反省されてはどうでしょう)

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