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5月 08 2016

使命のある人

それにしても頑固な人が多いのですね。昨日、辻説法をしていて改めてそう思いました。

昨日は、辻説法をしていても(頭を下げた人もいるにはいましたが)ほとんどは私のいうことを聞こうとしない「悪いのはお前」という態度の人があちこちにいたからです。

それでも心の中では聞いている人もいるとは思いますが、私はこの辺りだけだと思っていました。悪いことをみな私のせいにして、絶対に自分が悪いのではないと譲らない人はです。(この辺りは悪いことがたくさん起きているので、頑なになってしまった人が多いようです。〔特に、どこかの会社や運転手連中がそうなんですが…〕)

しかし、そうではなかったですね。少し家から離れたところでも、そういう頑なな人が固まっている場所もあるようです。(どことはいいませんが)

不思議なことに、そういうところに限ってよくサイレンがしてくるのです。昨日もその辺りを歩いている一時間くらいの間に何度もサイレンが聞こえてきました。(走って行く救急車も見ましたし)

サイレンがよく聞こえてくるから、それをみな私のせいにして、頑なに私のことを悪く思う人が多いのかもしれませんが、それは違いますね。

心の悪い人がその辺りには多いから、病気になる人が多い(救急車で運ばれる人が多い)のであって、それも自分たちのせいなのです。

そのような悪いことを私のせいにしているより、自分たちの心を直すことです。そうすれば、その救急車のサイレンは減って行くからです。

そんな私がほとんど行かないようなところで病気になっている人の、その病気になったのが私のせいなどと、あまりにも責任転嫁の度が過ぎていると思うのですが、それにしても困りましたね。

こうもサイレンが聞こえてきて、それを全部私のせいにしている人が多いと(昨日もやたら怒っている人がたくさんいましたから)どれだけ辻説法をしてもきりがありません。(何せ、数が違いますから)

どうしたらいいんだろうと、ちょっとお手上げの状況ではありますよね。

東日本大震災や熊本地震、その他もろもろの天変地変が起き続けているのに、まだ分からないんでしょうか。

自分たちが悪いとです。

分からないんでしょうね。テレビなどで、そういうものは全部責任転嫁していますから。

しかし、分からないといけないのです。そのように自分たちに悪いことが起きるのは、みな自分たちに責任があるのであるとです。

昔からいわれている釈尊の教えなど知っているのですから(善因善果 悪因悪果)自分たちも悪いと少しは思いそうなものですが、最近の人たちは本当に自分たちの責任を認めようとしません。(もう責任転嫁が当たり前になっていますから)

それがこのような不幸の連鎖の原因であるのです。

しかし、私一人でいくらそれをいっても信じる人はわずかでしょう。だから、私のいうことを信じている人たちが(そういう人たちもいると思いますから)立ち上がらないといけないのです。

私と同じことをいう人たちを増やしていかなければ、私一人でいくらいっても理解する人は少ないからです。

また、私のいうことを信じられる人は、選ばれた人(心の高い使命のある人)なのです。(心が高いから法が理解できるのですから、そういう人は法の流布の使命は当然あります)

その使命のある人たちが使命を果たさないから、このような不幸な世界が現れているのであり、厳密にいうなら、いま起きている不幸の連鎖は、そのような使命のある人が自分の(本当の)使命を果たそうとしない、そこに原因があるのです。

最近は、医者があの世はあるという本を出したり、テレビドラマや映画などで、霊を題材にしたものが増えています。

少し前までは、あの世があるなどといえば、誰もそれを信じず、アホかとしか思われませんでした。

そうして、霊を題材にしたテレビドラマや映画などほとんどありませんでした。

それが(宗教家ではなく)医者があの世を認め(ホラー映画などをのぞけばほとんどなかった)テレビや映画で霊を取り上げるようになったのです。

なぜでしょうか?

それは、それだけ法が拡がったからです。

本当の神の教えが拡がれば、それをみな信じるのであって、この教えを伝える人が増えるのであれば、多くの人が法を信じ救われて行くのです。(現に、医者やテレビや映画などで、そのようなこと〔あの世や霊〕を題材にしただけでも心が救われる人はたくさん出てきます)

しかし、心だけがいくら救われても、その心を変えないと天変地変(異常現象)は収まらないのです。

心を救うだけでは足りないのです。

それを分かっている人がいつまでもボケっとしていてよいのですか。

本当に人を救いたいのであれば、天変地変が起きた後に何かするのではなく、起きる前に起きないよう、行動を起こすべきなのです。

それが本当に人を救うということだからです。(知らないうちに救っている、それが神の心なのです。神も私たちが知らない間に〔この地球も水も空気などもそうですが〕必要なものをみな与えてくださっているのです。それと同じです)

その天変地変(異常現象)を起こさない方法を知っているのは、法を知っている人たちだけなのです。

災難にあった人たちばかりを助けるのではなく、少しは、心を救われた人(法を教えてくれた人)を助けてはどうでしょう。

それも大事な人としての道であるからです。

追伸…昨日テレビでやっていましたが、芸能人ってずいぶん(お金を)もらっているのですね。(もちろん有名な人はですが)

そうして、すごい気前のいい人もいるとか。(酔っぱらうと、そこらの工事現場のオッサンにまで金を配る人がいるらしいではないですか。凄いですね)

しかし、私には全然気前よくしてくれません。(苦笑)

知らない人にまで配るお金があるなら、心を救われた人にもお金を配っていただけないでしょうか。

それが筋であると思うからです。

何かいいことをしても、恰好を付けているだけだったり、売名という思いが少しでもあったりすれば、それは善行を行っているとはいえないのです。(それは偽善です)

だから、善いことをしているといわれている人たちでも私のような奇跡が起きて来ないのです。

本当に心の底から善いことをしている人はいないからです。

一度心から善いことをしてみませんか?(私に布施して、法の流布を手伝ってです)

そうすれば奇跡が起きてくるからです。

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5月 07 2016

法の影響

ひどい現象を起こされたいのでしょうか?

そう思えるほど毎日同じことをしています。(今日も相変わらず朝からうるさいです)本当に哀れです。(同じことをしているのなら、同じ現象しか現れないからです)

そういう哀れな人たちはほっといて、私は昨日も(雨の中)あちこちで辻説法をしてきました。なんとなくコツがつかめたように思えるからです。

そうしたら昨日も(頭を下げる人はいませんでしたが)私の話を真剣に聞いている爺ちゃん婆ちゃんが何人かいました。(あるいは何気なく外に出て来て聞いている人とかです。少し前まではそんな人いませんでしたから)

やはり心に響く(届く)言い方があるのですね。同じことをいっていてもいう順番で全然違うということがよく分かりました。

そうであるなら、救える人は救いたいですね。考えを変えるなら救われる人は(救急車で運ばれなくなる人は)たくさんいるからです。(頑固に考えを変えようとしない人はほっとくしかありませんが)

本当にこの辺りは切実なんですが(神の業がそのまま現れていますから)その切実さがいまいち分からないようで、それを伝えるのも私の役目です。(天罰を恐れるどころか、人のせいにして怒っていますから)

伝えることがたくさんあって(しかも対象が広いですし)大変です。

何せ、神の業より金儲け優先の人たちばかりです。本当に危ない人たちの集団です。(凄いですね。異常現象が毎日のように現れ自分の命まで危ないというのに、それを無視して金儲け〔仕事〕しています。本当に命知らずです。〔神に無知なだけなんでしょうが〕)

しかし、どこに行っても私のことは知られています。辻説法の仕方が分かると逆に楽ですね。辻説法のきっかけがどこでもつくれるからです。

私のことは名古屋だけではなく、愛知、岐阜、三重の東海三県くらいの人までは知られています。(自分で確認していますから)それにトラックの運転手連中には全国津々浦々まで知られているようです。(鹿児島や青森ナンバーの運転手にブシュとやられたことがありますから)

では、法もずいぶん拡がっているということになります。

私の悪評がそれだけ拡がっているのなら、当然唯物論は間違いで唯心論が正しいと思う人もたくさん出て来ていると思うからです。

そう考えると、私はずいぶん多くの人の考えを変えたのですね。

愛知県の人口は約七百万です。岐阜県は約二百万、三重県は約百八十万です。

その半分の人たちが、私のことを知り悪評を信じたとしたら、五百万前後の人たちが唯物論から唯心論に考えが変わったということになります。

それプラス、トラックの運転手連中、このブログを見ている東京やら他の地域の人たちやら日本全体の人たちプラス、世界の人たちです。(他の国の人もこのブログを読んでいる人はいます。〔それは確認することが出来ますから〕そうして、その世界の人たちも〔神はともかく〕あの世の存在を確実に信じていた人はそうはいません。このブログを知り、しっかり唯心有神論に変わった人は多いと思います)

では、私は一体(世界の)どれくらいの人の(考えを変え)心を救ったのか分からないくらいです。(私一人の力ではないんですけどね。天上界のご協力と私の悪評(少ないと思いますが、よい噂も含めてです)を拡げてくれた皆さんのお蔭です。〔苦笑〕)

下手な宗教も真っ青ですね。それほど多くの人の心に影響を与えているからです。

だから、現れてきたのです。

釈尊やキリストと同じ奇跡がです。

それだけの善行を私が行っているからです。

そういうこと(善行)を行わなければ、それほどの奇跡が現れることはないのであって、毎日のように釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているということは(昨日でも雨が降っているにもかかわらず、おかまいなしに鳥たちは騒いでいました)それだけ多くの善行を行っている何よりの証拠なのです。

それなのに、それだけ善行を行っている者が何で人を病気にするのですか?

そういうこと(私が人を病気にしている)をいっている人は、何の奇跡も現れていないのではないですか。だとしたら、その人は口から出まかせをいっているのかもしれないのです。

なぜなら、その人が本当に正しいことをいっているのであれば、何らかの奇跡が現れてこなければおかしいからです。(釈尊やキリストがそうであったように、正しい人には奇跡が現れます。もうそういう時代になったからです)

そういうことをいっている人たちに奇跡が現れず、災いばかりが現れているとしたら、それこそ、その人たちが間違ったことをいっている何よりの証拠なのです。

間違ったことをいっている(している)人に天罰がくだるということは、昔からの常識であるからです。(そのような人は、よく神のことが分からず人に罪を擦り付けているだけなのです)

そういう(神に無知な)悪人のいうことを聞いているから不幸になるのであって、本当の善人のいうことを聞くのであれば、幸せになれるのです。

現に、その善人のいうことを聞いたから(唯物論は間違いで唯心論が正しいと)多く人の心が救われたのです。

そのように、すでに心が救われた人が多いという結果が、その者が善人であるということを裏付ける何よりの証拠なのです。

それに対し、私を悪人に仕立て上げ、私の悪口ばかりいっている人たちの一体どこが救われているのでしょう。

そういう話をいくらしても(聞いても)何一つ救われないではないですか。心が怒りや恨みに満ち溢れるだけだからです。(私の悪口や人が病気になった話ばかり聞いて幸せを感じますか?怒りが満ちてくるだけです。それだけ不幸な心もないのです)

しかし、善人のいうことを聞くなら、それとは正反対に心の安らぎを得られるのです。(神やあの世や人の輪廻転生、奇跡の話を聞いて、心が怒りや恨みに満ち溢れるでしょうか。ホッと安らぐはずです。それだけ幸せを感じる話もないのです)

やっていること、起きていることがこれだけ違うのです。

では、どちらが正しいのか、またどちらが善人であるのか、それもよく分かるはずです。

人の噂話ばかり聞いていても正しいことは分かりません。

そのような一方的な噂だけではなく、その噂されている相手の話も聞き、そうして起きている現象も知って、総合的に判断されてはどうでしょう。

それが一番、正しいことが分かる方法であるからです。

善人の話を聞き、それを行うことが一番の幸せの道なのです。

いま不幸な人が多いのは、悪人の話を聞き、それを行う人が多いからです。

善人の話を信じ行ってはどうでしょう。

そうすれば、多くの人に幸せが(奇跡が)現れてくるからです。

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5月 06 2016

悪行より善行

休み明け早々大変な怒りようです。(ほんとやること変わりません。〔苦笑〕)

どれだけ怒ろうがわめこうが、そういう心と行いをしているから悪いことが起きるのです。では、そのような心と行いを変えるしか、その現象を止める手立てはありません。

それをしたらどうでしょう。それ以外に助かる方法はないからです。(私が祈っても祈らなくても、その恐ろしい現象は止まらなかったのです。後は自分たちの行いを変えるしかないでしょう。いつになったらそれが分かるのですか?)

こういう進歩のない、感謝のかの字もない連中はほっておいて、昨日の話を少し書きます。

前回のブログで、一昨日辻説法をしていたら十人くらいの人が頭を下げたと書きましたが、昨日もそうでした。わりと頭を下げる人はいたのです。

ただ、その頭の下げ方が微妙なのです。(そういえば一昨日もそうでした)

どの人もそうです。私が横を向いた時とか、下を向いた時とか、あるいはすれちがう寸前とか、私に分からないように頭を下げるのです。(私の目の前で頭を下げる人は少ないですね)

どうも、昨日、一昨日のような辻説法を聞いて(いろいろ教えてもらい心まで救ってもらっていながら感謝もしないのか、というです)それに気づいて感謝する人はいるようなのですが、正面切って頭を下げるのが嫌なようで、それでそういう微妙な態度を取る人が多いようなのです。(笑)

私の話を聞いて、そうして自分たちが悪かったと気づいて、そのまま行くのも気が引ける、さりとて素直に詫びを入れるのも嫌だという思いが、そのような態度として現れているのでしょう。

だから、そういう態度を取るのも分かるといえば分かるのですが、しかし、よく考えてみてください。

そういう誤解を多くの人がしていたせいで(まだまだそのような誤解をしている人は多いのですが)私は大変な迷惑をこうむっているのです。(他の人が私のような立場になれば、それこそ、うつになるかキレて犯罪者になるかのどちらかくらいの数々の嫌がらせです)

普通であるなら、感謝してもしきれないくらいの人に(それだけいろいろなことを教え、心まで救ってくれる人などそうはいません)よいことをしてほめるどころか、その反対の悪口をいって嫌がらせをし続けているのです。

この罪がどれだけ深くて重いかお分かりでしょうか?

心を救っていろいろ教えてくれた人に、多くの人がそれほどの大迷惑をかけ続けているのに、それに気づいていながら正面切って頭を下げることが出来ない、それではあまりに人として道に外れているでしょう。

自分が間違っていたと気づいたのなら、すぐに頭を下げることくらいやって当然なのではないでしょうか。

それほどの罪を(またそれほどの恩を)その人にはしているからです。

だから、そのような微妙な頭の下げ方はおかしいのではないですか?と私はいっているのです。

マァ、そういういい方もきついですかね。私のことを長い間、悪者(悪魔)だと思い込んでいたのです。

しかし、それは間違っていたと気づいてすぐに頭を下げられる人もそうはいません。

だから、微妙であっても、自分が間違っていたと気づいて、すぐに頭を下げる人は、まだよい方だといえばいえるのですが(逃げていく人もいますから。昨日もそういう人がいました)しかし、ずいぶんひどいことを多くの人は私にしているのです。(現在進行形です)

だから、そういう頭を下げることがすぐに出来る人は(そういう人は心が高い人なのです。心が高いから、すぐ反省して、よいことがすぐに出来るのです)早くしっかり謝られた方がいいでしょう。

そのような心と行いが災いを防ぎ奇跡を現すからです。(それは善行、善い行いであるからです)

自分が悪いと分かっても、開き直ってまだ嫌がらせをし続けている人たちもいます。それではとても災いを止めることは出来ないのです。(こういう人たちは心が低い人たちなのです。だから自分の悪をすぐに認めることが出来ないのです)

そのような態度は、自ら災いを呼んでいるようなものであるからです。

今のように天変地変や異常現象が多発しているのは、そのような災いを自ら呼び込む心と行いをしている人が多いからです。

悪行は災いを現し、善行は奇跡を現します。(私がよい例です)

では、善行を行ってはどうでしょう。そういう善行を行う人が増えるのであれば、天変地変や異常現象は段々減って行くからです。

いま災いが多く現れているのは、悪行をしている人が多いからです。

悪行より善行を行ってはどうでしょう。

そうすれば、自分に起きている災いも、日本に起きている災いもなくなって行くからです。

追伸…熊本はまだ多くの余震が続いています。

それで子供がその余震を怖がり、家で寝られなくなったとか、性格が変わってしまったとかいわれますが、このようなことも法が拡がっていない不幸でしょう。

法が拡がっているのなら、このようなことにはならないからです。

法が拡がっているのなら、自分は常に神とともにあるのである、自分はいつも神に守られているのである、と自覚でき、地震をそうも怖がることはないからです。(「神が近くにいてくださる」と思えるなら安心感は段違いです)

常に神を思っていないから、怖くて仕方がないのです。地震など起きても誰も守ってくれない、自分は一人であると思い込んでいるからです。

しかし、法を知って実践するなら、心から神の光が出てきて、その神の光が自分自身を守ってくれるのです。(それは園頭先生が証明されています。先生は弾丸飛び交う戦場であっても一発の弾丸も爆弾も当たらなかったのです)

法が拡がらない不幸は、そこかしこに現れています。

早く法を拡げないといけないのです。

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5月 05 2016

個人の尊重、自由、平等より、愛、慈悲、調和

昨日も普段行かないところを辻説法して回ったんですが、十人近くの人から頭を下げられました。ちょっとコツがつかめましたかね。(なんていってると、またボコボコにされますが。〔笑〕)

私が歩いていて鳥が騒いでいますと、だいたい最初にちょっかいをかけてくるのは年寄りです。(わざわざ家から出てきて大きい音を立てたり、少し離れたところにいて大きい音を立てたりです)

最近は年寄りは私の得意分野です。(笑)そういうことをされたら即、声をかけます。

「何でそんな悪い奴にこれだけ鳥が寄ってくるのか。その聞いてる噂、違ってたらどうするの?その噂が正しいかどうか確認したの」と先制パンチを食らわせ(だいたい、そういうことをいうとビクッとする人が多いです。噂を疑いもせず鵜呑みにしている人が多いからでしょう)後は昨日書いたような話を次々にします。

そうすると、だいたいは逃げていくか静かになるかですね。それでも嫌がらせをし続ける年寄りは(いるにはいますが)少ないです。

「あの世がある」「心が救われた」このような言葉は、先が短いと思っているお年寄りにはやはりよく効くのでしょう。

だから年寄りの弱点を見つけたのは大きいのです。これまでは何をいっても聞かない年寄りが多かったからです。そうすると周りも同じように聞きません。

年寄りを静かにさせることが出来たのは、多くの人に私の辻説法を聞いてもらう上では本当に大きかったのです。

しかし、私のいうことを聞く人がたくさん出て来ないと、本当に名古屋は危ないのです。(特別それは名古屋だけではありませんが)

まだサイレンはよく聞こえてきますし、悪いことを人のせいにし続けたって、その悪いことは止まらないからです。

私たちに起きている悪いことは、よそに原因があるのではなく自分たちにあるからです。

それに気づくか、気づかないかでずいぶん違うのです。

昨日私に頭を下げた人たちは、少しはその原因が(自分にあると)分かった人たちだと思います。そういう気づきの積み重ねが大きいのです。(高橋先生も小さな悟りが大きな悟りにつながるといわれていました。小さな気づきをいくつもすることが大きな気づきとなっていくのです)

しかし、いつまでもそれに気づかない(認めない)人はたくさんいます。昨日もやたら怒っているバスの運転手がいました。

哀れですね。自分たちがどれだけ危ない目に遭っていても、まだ自分が悪いと認めようとしないからです。

多分、この人たちはもう自分が悪いと分かっているでしょう。

分かっていても、それを認めようとしないのです。(本当に我が強い、年寄り顔負けですね)

しかし、それでは危ない現象は止まりません。自分が悪かったと認めて、その悪かった行いをしっかり自分で反省しない限り、その危ない現象は止まらないのです。

では、それをやったらどうでしょう。それは誰のためでもない自分のためであるからです。

こういう(自分の罪を認めようとしない)自分本位な人が増えつつあるのです。だから、昨日書きましたように、おかしな現象が次々に起こされているのです。

だいたい、自分のことばかりやっている(いっている)ことが正しいことでしょうか。

そういう個人の尊重、自由、平等などと主張する人が増えたから、自分本位で狭量な人が増えたのです。

そういう教育を私たちはもう小さい時から受けてきたからです。(このような教育は戦後からですから、もう七十年にもなります)

しかし、自分ばかり尊重して自由で平等なら、他の人のことなど考えなくなります。(何せ自分が一ですから。ドンドン狭量になって行きます)

そうなれば自分が少し気に食わなければ反対します。当然保育園に反対という人も増えるでしょう。自分の都合しか考えなくなるからです。

だから、学級崩壊も増えている、子供にそのように教えているからです。(子供にそんなこと教えてしまったら、わがままな子が増えますよね。今の教育評論家といわれる人たちがこういう教育を推進しているのです。〔日教組の考えそのままです〕学級崩壊も進むわけです)

しかし、大人から子供まで、そういう(愛のない自分本位な)人が増えたから(そのような考えが間違っているから)こういう恐ろしい現象が次々に起き出したのであり、そのような心を反省しないとこの現象は収まらないのです。

「お前に何が分かる」といわれましても、そのような現象と正反対の現象が私には現れているのです。(これだけどこを歩いても鳥が騒ぐのです。その現象の否定は誰も出来ないでしょう)

では、何で私には多くの人々と正反対の現象が現れているのですか?

そういう自分本位な人たちとは考えていることと行っていることが正反対だからです。だから、正反対の現象が現れているのです。

そうではないでしょうか。私は自分のことなど考えず(自分のことを考えていたらこんなことやれません)神の教えを多くの人々に説いているのです。(損得も抜きでです)

この教えを実践すれば、多くの人が幸せになれると思ってです。(愛と慈悲の心です)

それのみの考えを実践していたら、そういう愛ある現象が次々に現れてきたのです。

これだけ正しいことをしているという証拠はないのではないでしょうか。

何度もいいますが、起きている現象が多くの人々とは正反対であるからです。(私には釈尊やキリストと同じような奇跡が、皆さん方には災いが起きているのです。これだけ分かりやすい話もありません)

どちらが正しいかは、その起きる現象が教えています。(だって、災いばかり起きていたらまともな生活が出来なくなるのです。どう考えてもそれはまずいですよね)

いってはいけませんが、教育評論家とか今の学校の教育の仕方がおかしいから学級崩壊も進んでいるのであり、そういう(自分本位な)心の子供が多くなったから、子供にも恐ろしい現象が起こっているのであり、自分本位な(個人の尊重、自由、平等)教育を受けて、それが正しいと思っている人が多いから、悪いことばかり起きて、次々に恐ろしい現象が現れているのです。

では、その考えを変え、その変えた考えを実践するしか恐ろしい現象を止める手立てないということになります。

では、そうされてはどうでしょう。現に私には奇跡しか起きていないんですから、これ以上確かな話もないと思うからです。(私の考えは愛と慈悲と調和です。〔個人の尊重、自由、平等とはえらい違いです〕それを実践するしかありません。そうすれば、私と同じことが起きてくるからです)

もう自分たちが悪いということは、目の前に起きる現象が教えているのです。

そうして、その現象はいくらでも自分で止めることが出来るということもです。(それを私が教えています)

あとはいつそれをやるか、それだけなのでです。

愛と慈悲と調和の実践が遅れれば遅れるほど、恐ろしい現象は激しく起きてきます。

天が現象を通して教えていることをいつまでも無視していてはいけないのです。

追伸…アメリカの大統領選の候補者が決まりそうですね。(共和党、民主党ともにです)

予想通りの方々が候補者になりそうですが…大丈夫なんですか?憲法も安全保障も何も変えようとせず、このままでいいといっている人たちはです。(特に共和党の候補者はやばそうなんですが…)

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5月 04 2016

おかしな行為

世はゴールデンウイークの真っ最中でありますが、おかしな天気が続いています。

昨日は名古屋もそうであったのですが、全国的に強風に大雨です。(何か台風が来ているようでした)

数日前もそんな天気でありましたし、北海道の暴風雪もそうです。何でよりにもよって大きな地震が起きたばかりなのに、こんなおかしな天気が続いているのでしょう。

また天気ばかりでなくおかしな事件も起きています。

昨日神戸で、また車が暴走して多くの人をはねるという事件がありました。何でこんな事件が起きたのかまだはっきり分かっていませんが、運転手が頭にけがをしたことが原因ではないかといわれています。

昔は病気やけがが原因で車が暴走するなどあり得なかったんですが、最近になりこういうおかしな事件が続いています。(ついこのあいだも、動脈瘤〔どうみゃくりゅう〕か何かで亡くなった人が車を暴走させて多くの人をはねた事件がありました。病気の人が無意識のうちに車を暴走させるなどちょっと考えられませんが…)

天気から事件まで、何で、こんなおかしなことばかり起きているのでしょう?(この辺りのサイレンもそうですが)

もちろんそれも多くの人の心と行いに原因があるからです。

多くの人がおかしなことばかりやっているのでしょう。だから、おかしな現象ばかりが現れるのです。

親が子を殺したり子が親を殺したり、ストーカー殺人や無差別殺人など、これ以上ないというほどおかしな行為です。

そのような犯罪ばかりでなく、あの保育園をつくるなというのもそうでしょう。自分たちはそういうところにお世話になっていながら、そういう場所をつくらせない、本当におかしな行為です。

それは、この辺りの人も同じでしょう。

自分たちが知らないことを散々教えられ、心まで救われていて、知らないことまで見せられているのに(鳥や魚が寄ってくるなどの奇跡です)感謝するどころか嫌がらせをしている。(または、このブログを書くのをじゃましている)

これ以上おかしな行為もないでしょう。自分たちが救われているのに、その救っている者に嫌がらせをしているというのですから。(自分たちがされていることの正反対の行為をしています)

多くの人が、こういうおかしな行為ばかりしているのです。

そのような心と行いが現象として現れる、これは当たり前のことなのです。

昨日私は、普段はあまり行かないところに行って辻説法をしてきました。こういう休みの日でなければそういうところで辻説法も出来ないからです。(普通の日に、そんなところを歩いていては、そこらにある工場やバスやトラックがうるさくて辻説法どころではないからです。〔苦笑〕)

これだけおかしなことが全国的に続いているのです。少しでも多くの人に自分たちの間違いを気づいてほしいと思ったからです。(ブログに辻説法と本当に私は人を救うことに奔走しているのですが…誰も感謝してくれません。〔涙〕)

私が歩いているとどこに行っても鳥が騒ぎます。その点は便利ですね。私がいることがその辺りの人にはすぐに分かるからです。(笑)

そうすると何かやってくる人が必ずいます。辻説法のきっかけはすぐに出来ますね。(笑)

最近は「オバちゃんあの世があると分かって救われたな」とか「何で、神からあの世から生まれ変わりから分かって心が救われたはずなのに感謝しないの。俺がいなかったらそんなこと誰も信じなかっただろう」とか「こういう鳥が寄って来るなんて奇跡、知っていたか。俺に現れたからこういう現象も起きると分かったんだろう。よかったな、自分の知らないことが分かって」とか、比較的恩着せがましい言い方を最初にするのです。

すると後ろめたいのか、下を向く人や横を向く人が多いのです。(年寄りなどそれを聞くと急に落ち着きがなくなり、目が泳いでいる人までいます。年寄りにはこういういい方は効果抜群ですね。〔笑〕)

それからいろいろ話をするのです。そうすると私のいうことに耳を傾ける人も多いからです。

「いろいろ教えてもらい心まで救ってもらった者に、感謝もしないで嫌がらせをしているのか。それ悪いことじゃないの?」とか「そういう悪いことを自分たちは散々しているのに、悪いことが起きると俺のせいってか。それってただの罪の擦り付けじゃないの」とか「そういう嫌がらせを俺に始めてからサイレンがするようになったんだ。サイレンがしだしたから俺に嫌がらせをするようになったんじゃないんだぜ。あのサイレンが俺が原因というなら起きてくる順序が逆じゃないか。それどうやって説明するんだよ」とか、とにかく疑問を持たせる後ろめたいような話を続けるのです。

そうして「そんな悪い奴に何で鳥が寄ってくるのか。この奇跡は釈尊やキリストにも起きていた奇跡なんだから、そんな奇跡が悪い奴に起きるわけがないだろう」とか「俺が多くの人の心を救っているから、こういう奇跡が現れてくるんだ。そういう善行をたくさん行わなければこれほどの奇跡が次々に起きてくるわけないだろう」とかいって、今度は自分を持ちあげます。(笑)

そうするとほとんどの人は私に対する嫌がらせをやめ話を聞くのです。最近、このパターンを覚えてから、私の話を聞く人が増えました。(中には頭を下げる人までいます)

それでまた積極的に辻説法を始めたのです。(一時は自信をなくしましたが。本当に聞かない人が多くてです。〔笑〕)

しかし、本当にこのままでは日本が危ないのです。

あまりにもおかしなことをする人が増えたからです。

犯罪は論外ですが、すべての人が散々お世話になった学の場をつくらせないなど、こんなおかしな狭量な行為はありませんし、いろいろ教えてもらい心まで救ってもらった人に対し、まったく感謝の態度を見せないどころか、嫌がらせまでしているのです。

これほどおかしな行為もありません。(本当におかしな態度です。普通なら感謝しないといけないからです)

こういうおかしな行為をしていてもそれにまったく気づかない、そういう人がドンドン増えているのですから、天もそのような現象を起こさざるを得ません。

天はそのおかしさを多くの人に気づかせなければいけないからです。

なぜ、自分のおかしさに気づかないのですか?

だからおかしな現象ばかりが現されているのです。

(だから憲法から何から変えて、日本の人々の思想を変えないといけないのです。このままの思想で進めば〔それはドンドン狭量で自分勝手な人が増えるということですから〕必ず滅ぼされるからです。そのような気配がもうそこかしこに現れているからです)

追伸…だいたい、こういう鳥や魚が寄ってくるなどの奇跡は、釈尊やキリストが現して以来、数千年ぶりに現れた奇跡であるのです。

それほどの奇跡なら、それこそ手を合わせて見ないとけないほどの有難い奇跡のはずなのに、それを有難がらないどころか「それがどうした」と鼻で笑うような態度を取る人までいるのです。(この辺りの人、そういう人ばかりです)

それはあの世に引き上げられても仕方がないのではないですか?それほど傲慢不遜な態度もないからです。

今の人は一事が万事そうなのです。何が起きても驚こうともしません。(本当に素直さのかけらもありません)

自分たちのやっていることのあまりのおかしさ気づきませんか?

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