4月 05 2016
専門家
しかし、誰も折れませんね。
昨日もそうでした。金山の辺りに行ったんですが、歩いて帰ってくると何かそこらじゅうの人が怒っているのです。
怒っているんですが、何もしてこない人も多いのです。(バスやトラックの運転手連中などそういう人が多いように感じました)ブシュとやってくる人は少数なのですが、何かみな雰囲気が変です。
それに怒っている会社は相変わらず怒っています。
昨日など、またどこかの会社の連中が烈火のごとく怒っていて(朝からガンガンやってきたものですから)これではとてもブログは書けないと思ったから、ブログの時間を祈りの時間にしました。
そうしたら今日はやけに静かなのです。(何かいろいろ起きたみたいで)と、そう思っていたら電話の音が響いて、その後また急に怒り出すのがいます。
何かもうそこらじゅうで次々に災いが起き出したようにも感じますが、この辺りの皆さん、本当に大丈夫ですか?
マジでです。反省しないとまずいのではないでしょうか。そうしないとどれだけ病人が出るか分からないような雰囲気だからです。
何でもそうですが専門家はいます。
病気やけがをした時は医者に聞くのが一番ですし、テレビやパソコンが壊れた時は電気屋に聞くのが一番でしょう。
このような神の業が(天罰が)次々にくだりだした時は、その道の専門家に聞くのが一番なのです。
では、その専門家とは誰なのか?ということです。
普通に考えれば、天罰が次々にくだりだした時にどうしたらいいのか聞く人は、坊さんとか霊能者とかいわれる人たちでしょう。
だからそういう人に聞けばいいではないか、と思う人もいるのでしょうが、医者でもそうです。
名医からヤブ医者までたくさんいるのです。
名医に聞けば、自分がなっている病気もすぐに完治するのでしょうが、ヤブ医者に聞くなら、その病気が治らないどころかもっと重くなるかもしれません。
同じ聞くにしても名医に聞かないと意味がないのです。
では、どこに名医がいるのか?ということです。
こういう時の一番の名医は、いわずと知れた釈尊やキリストでしょう。このような方々は正しい人の道を説かれ、多くの奇跡を現し、天罰がくだりそうな人たちを(あるいは下っている人たちを)次々に救われたのです。
その次はこのような如来の弟子たちである菩薩でしょう。
菩薩も法を説いていくつかの霊能力を持ち、多くの人々を救って行かれるのです。(ただ菩薩は如来ほど完璧に法が説けるわけではありません。だから、救える人も限られるのです)
このような神・心の専門家が如来であり菩薩であるのですが、では、現在いる坊さんや霊能者といわれる人たちに、このような方々が果たしているのかどうかということです。
坊さんや霊能者の中に如来や菩薩がいるのなら、その人は名医ということになりますが、如来、菩薩といわれる人がいなかったら、その人たちはヤブ医者ばかりということになります。
では、そういう人がいるのでしょうか?
そういう人を見分ける基準は、このブログの中に何度も書いていますので、あえてここでまたそのことを書くことはしませんが、少なくともです。
少なくとも、このブログを書いている私には如来と同じ現象が現れているのです。(それも何度も書いていますのでここでは書きませんが)
では、こういう時は、その如来と同じ現象が現れている人に聞く方がよいのではないですか?如来と同じ現象が現れているということは、如来と同じことをいっているということになるからです。(同じことをいっているから同じ現象が現れるのです)
こういう時は、現象を見ないといけないのです。口だけを信じては絶対にいけないのです。
口だけでは何とでもいえるからです。(だってそうでしょう。口でなど、どうとでもいえるのです。自分を聖人君子のようにいうことも出来るし、スーパーマンのようにいうことも出来るからです)
しかし、実際にその人は本当に正しい人なのか、ということを見極めないといけないのです。
その人が自分とどれだけ意見があってもです。
その人に災いが起きているのなら、その人の意見は間違っているからです。その人の意見が正しいのであれば、よいことが起きて来ないといけないからです。
悪いことが起きているということは、その人の考え(やっていること)が間違っているというなによりの証拠だからです。(それは仕事でも同じです。正しい仕事の仕方をしていれば儲かるでしょうし、間違った仕事の仕方をしていれば赤字になります。赤字を出している人の意見をいくら聞いたところで、決して自分の会社はよくならないということです)
その人の考えが違っているから、その人に悪いことが起きてきたのですから、その人と自分が同じ考えであるなら、その考えは変えた方がいいということです。
同じ考えのままでは、その人と同じ(悪い)ことが起きてくるからです。(人の振り見て我が振り直せですよね)
結局、悪いことが起きている者同士でどれだけ話し合っても悪いことしか起きて来ないのです。(それは先ほど書いた会社の例と同じです)
その人たちは、よいことが起きる方法を知らないからです。(黒字の出し方を知らないからです)
だから、私はいっているのです。何でもそうですが、その道の専門家に聞かないといけないとです。
このような時代になったのなら(正法の世)もう、神・心の専門家に聞かないといけないのです。
その道の専門家でなければ、このような時代の対処の仕方など分からないと思うからです。
分かるわけがありません。これまでは末法の世であり、唯物無神論の世であったのです。(正法の世になど、ここ数千年〔キリストが出世されて以来〕なったことがありませんから)
物がすべてで、その物(地位、名誉、金など)をたくさん持っている人が偉い人であり、そのような人たちの意見が一番正しいという時代が長く続いたのです。
金持ちが一番幸せだと思われていたからです。
そういう時代が長く続けば、当然、神や心など二の次になり(それどころか日本では神の存在を否定し)正しい心の在り方など分からなくなります。
神や心が二の次ということになれば、当然ではありますが、その神や心の関係の人はヤブが多くなるということです。
そのような人たちの中に本当の神の教えが存在しないからです。
だから、神や心を説く人はヤブが多かったのですが(本当の神の教えが存在しないのですから、それもやむをえないのですが)その中で本物の如来が現れます。(それが高橋信次先生です)
もう時代が変わることが分かっていたからです。その時代に合わせて如来は現れるからです。
では、その如来の系統でないと名医はいないということになります。本物の神の教えはその本物の如来でなければ説けないからです。
本物の神の教えがないところに名医はいません。本物の神の教えを知らないと名医にはなれないからです。
では、名医がいるのは本物の系統だけということになります。(これは当たり前といえば当たり前の話だと思います。本物の教えがないところに本物が出てくるわけがないからです)
だから私のいうことを聞かないといけないといっているのです。私は本物の系統であるからです。(私は高橋先生の弟子である園頭先生の弟子ですから)
そうして、本物の証である、如来と同じ現象(奇跡)も次々に現れているのです。
本物は本物の系統にしか現れないのであり、その証が奇跡であるということです。
だから私はいっているのです。こういう時代になったら、現象で判断しないといけないとです。
現象以外では判断のしようがないからです。
ところが多くの人が現象を見ずに、口で判断してしまったのです。(適当な噂を真に受けたということです)
その結果、この辺りで大変な不幸が起きているのです。
間違った意見を多くの人が信じたためです。
多くの人が間違った意見を信じ、その間違ったことを行ってしまったのです。(私への嫌がらせ)
だから多くの人が不幸になっているのです。その意見が違っているからです。
災いが起きている人の意見をいくら聞いたところで、奇跡は起きてきません。
奇跡が起きている人の意見を聞いて(それを実践して)ようやく奇跡が起きて来るのです。
誰の意見を信じていいのか、まだお分かりになりませんか?
間違った意見をいつまでも聞いていては不幸にしかならないのです。



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