1月 03 2016
功徳を積む
やっとひどい二日酔いも収まってきたようです。(苦笑)
こんなにひどい二日酔いをしたのは何十年ぶりでしょう。(さすがにもうそれほど飲みませんから)本当に年末年始はひどい目に遭いました。
説き足らない部分をほっといた私が悪いのですが(それにしても、もう少し優しく教えてほしいものです。〔笑〕)今年の目標はより多くの人から布施をもらうことです。(もちろん金額ではありません。それがこの世とあの世の違いです)
その目標が達成できないと、また今年の年末は何が起きるか分かりません。(怖)
出来たら早めにその目標は達成したいものです。(笑)
しかし、やっと神の存在に気づき始めた人も出てきたようです。(ようやくですが)では、布施の大事さも理解していただかねばいけないでしょう。
それが一番神が喜ぶことであり、また自分にとっても一番の功徳となるからです。
その布施の話ですが、去年の年末くらいでしたか、一千万円の寄付を福島かどこかにしたプロゴルファーがいたようですが(よいことを教えてくれた人には一銭も寄付しないんですね。〔苦笑〕)こういうことはもちろんよいことです。
よいことではありますが、これがもし売名という心が少しでもあるなら、その価値は下がります。
寄付をするのであれば、真から「困っている人のために」という心のみで行うことです。そうしなければ功徳は得られないからです。
そういう意味では、このように表に出さず、裏で寄付を行っている人もいることでしょう。そのような人こそ、真に功徳を積んでいる人といえるのです。
このような功徳を積むことを意味がないと思っている人もいるかもしれませんが、とんでもありません。
このよう功徳を積むことは、この世的にいえば、これ以上の投資はないのであり(しかも先に行けば確実に得をするです)株などに投資するより、よほどよいことであると自覚すべきなのです。
政府はずいぶん投資を勧めているようですが、株への投資などは、その株を勉強するために行うのであればよいのですが、株で儲けようとして投資するのであればやめておいた方がいいでしょう。
大してお金がない人が株をやり、一時は儲けることが出来ても、最終的には損をすることになるからです。(株は超金持ちしか儲からない、元々そのようにつくられているからです)
そんなものに投資するより、功徳を積まれた方がいいでしょう。そのような心の投資の方が確実に得をえることになるからです。(功徳を積むなら、その功徳は天に積まれて行きます。キリストは「天に蓄えられたものには盗人も近づかず、虫に破られることもない」といわれていました。だから功徳は絶対に減ることのない、増えていくばかりの投資であるのです。その功徳が後々自分を救うのです)
金を一生懸命稼ぐのもいいでしょう。しかし、金はあの世に持っては行けません。では、その金をどうするのですか?(明日死ぬかもしれないのにです)
何かあった時のためにためておく、確かにそのように貯金しておくのも大事なことです。しかし、必要以上に貯金などすれば、それは執着につながります。
自分の稼いだ金は自分の為だけに使う、自分で稼いだ金なのですから、それはご勝手にということですが、それではあまりに狭量なのではないでしょうか。
その自分で稼いだ金も、そのような稼ぐ場所があり、稼がせてくれる人がいて、そうして稼げるものであるからです。決して自分一人で稼げるものではないからです。
そうであるなら、その自分で稼いだ金を自分のためだけに使うというのは、考えが狭いのであって、その金の使い方が問題なのではないでしょうか。
自分で稼いだ金を、自分の為だけに使うのではなく、その一部でいいですから、人のために使う、そのようなことで功徳を積むことが出来るのであり、そのような心こそ、一番大切なことであり(生きている間はもちろんのことですが)自分が死んだ後、天上界に行ける道であるということです。
お経を上げたり、仏像を拝んだりすれば救われるのではなく、そのような功徳を積むことが一番自分が救われる道なのです。(そこはお間違いのないように。奇跡が起きている私がいうのですから間違いないでしょう)
その功徳を積むことが一番出来る方法が、法を説く人への布施なのです。(それは釈尊しかり、キリストしかりでしょう)
法を説く人が一番多くの人を救えるからです。だから、法を説く人に布施することが一番功徳を積むことになるのです。
現に私のブログを読み、心が救われた人はたくさんいるはずです。奇跡が起きた人もいるはずです。
それはすでに、そのような人たちを救っているということなのであり(もっというなら、災いが起きている人も救っているんですけどね。心の部分だけ観れば)そのような結果だけ見ても、これまでとは違うということは分かるはずです。(本当の神の教えを説く人と偽の教えを説いている人との違いはです。起きてくることがまったく違っているからです)
では、そのような結果に対する報恩の行為はしないといけないのであり、そのような法を説く人への報恩の行為は、そのまま自分の功徳を積むことにもなるというのですから、法を説く人への布施はこれ以上の得なことはないのです。(この世的にいえば、年末と年始の大安売りが一緒に来たみたいなものですから。〔笑〕)
もう少し考えを広げられてはどうでしょう。
そうすれば、望外の徳が得られることになるからです。
(また、災いを防ぐ手段にもなります。今年は去年以上に災いが現れるそうです。〔法に逆らっている人はです。この辺りの人相当やばいです〕功徳を積むことは、そのような災いからも身を守れるのです。怒ってばかりいないで、功徳を積まれたらどうでしょう。〔このブログを読むだけ読んでいるのですから〕)



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