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12月 28 2015

本当の信仰で起きる奇跡

北日本は大荒れの天気となっているようです。

北海道は相変わらずの荒れた天気なんですが、その荒れて大雪が降っている北海道の札幌で行われているスケートは、そのような天気とは逆に熱い戦いが行われたようです。

そうして奇跡的なことも起きたようです。

昨日私は、あんなブログを書いた手前、あの選手を祈りました。そうしたら不思議なことが起きたのです。

不思議なことが起きませんでしたっけ?起きていると思いますよ。

またあれだけミスをしながら、予想以上に点がよかったことや(今季の自己最高らしいではないですか。あれだけミスをして今季最高っておかしくないですか?)あの選手の後にすべった選手が、自分のする演技を全部行わず途中抜かしてしまったことなど(これでずいぶんあの選手が有利になりました)不思議なことがいくつか起きました。

そういう幸運が重なって、あの選手も世界選手権の代表に選ばれたのです。(もし、このようなことが起きずに調子を崩したままだったら、世界選手権の代表は危なかったのではないでしょうか)

こういう不思議なことが起きたということは、私の祈りが聞かれた証拠であり、あの選手が反省した証拠でもあるのです。だから、そのような奇跡が起きたのです。

あまり私はスケートをしっかり観たことがないのですが、それでも「あれ、ミスをした割には(前にすべった選手たちと比べて)点数がいいな」と思いましたし、次の選手が犯した演技の間違いも「自分の演技を間違えて、途中の演技を抜くなんてことがあり得るのか」とも思いました。

このような大会(全日本選手権)に出てくる選手なんですから、自分がする演技は、それこそ寝ぼけていても間違えないくらい、練習してきていると思うからです。

そういう不思議なことが昨日起きたのですから、これは祈りが聞かれているなと、あまりスケートを観たことがない私でも思ったのです。

しかし、今回のスケートの大会など、まさに法の証明以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。

このようなこと以外でも、全体的に高得点の選手が続出しました。

一人、二人の選手が自己最高の得点を出したというのなら、それは練習の賜物であろうといえるのでしょうが、今回の大会は自己最高の得点を出した選手がたくさんいたのです。

これはいくら何でも、ただの練習の賜物というには無理があるのではないでしょうか。それ以外の何かをしたから、今大会の多くの選手たちは自己最高得点を出すことが出来た、そう考える方が自然なのではないでしょうか。

明らかに起きていることが不自然であるからです。

だから、神に感謝し、氷に感謝して滑るということが(それが即ち法の実践です)どれだけよいことかお分かりいただけたのではないかと思うのです。

いくら国内トップクラスの選手といえどもです。(ということは、世界でもトップクラスということですよね。特にこのスケート競技はレベルが高いそうですから)

世界のトップクラスの選手といえども、法を少し実践するだけでよいことが起きるのです。では、他の人たちはどうなるのでしょう。

他の人もへったくれもありません。どういう人であろうと、この法を実践するならよいこと(奇跡的なこと)が起きるのです。

その証明を(特別スケートだけではありませんが)多くのスポーツ選手がしてくれているということです。

それなのに何で、これほどの教えを多くの人が無視しているのですか?逆らっているのでしょう。(これだけ奇跡が起きる教えに逆らえばどうなるのか?それも想像できると思いますが……予想以上の恐ろしいことが起きています)

やっていることの大きな(大きなです)間違いがお分かりいただけるのではないでしょうか。

されてはどうでしょう。そうすれば、必ずお蔭があるからです。(だからといってお蔭をあてにしてされてもいけませんが)

今年ももう終わりです。年が明ければ、初詣に行く人も多いでしょう。

しかし、初詣に行って「今年はよいことがありますように」と祈っても、その祈りはまず聞かれることはありません。

それなら、年が明けたら初詣になど行かなくてもいいですから、この教えを勉強しようと誓われ、法を説いている私に寄付などされてはどうでしょう。

その初詣に行かない分のお賽銭や交通費など浮くと思うからです。

その浮いた分を、本当の信仰に使われるのであればよいことがあること請け合いであるからです。

偽の教えを説いている坊さんなどに、いくら寄付しても奇跡など起きませんが、正しい教えを説いている私に寄付するのであれば、それは正しい信仰と天も認めてくださるのですから、それで、その心に応じて、本当の奇跡が現れて来るのです。

これまでは縁起がいいと思って、初詣やお寺や神社に行って、お賽銭を上げてお参りしたりしているのですが、実はそのようなことは何の意味もなくご利益もなかったのです。(実際なかったですよね。ご利益も何も)

そのようなことは本当の信仰ではなかったからです。

しかし、本当の信仰を(少しではありますが)行っている人たちには続々と奇跡が起きているのです。

本当の信仰とは、そのように自分の心と行いをよい方に変えるものであるからです。

いつまで、昔からいわれているだけのただの習慣を続けているのでしょう。パワースポットなどといわれ、行くと何か感じるなどといっていても、それは気休めでしかないのです。(それか、そのような場所で感じているものは地獄霊からの波動なのです。霊域のよいところなど日本にはほとんどないからです)

そんなところに行っても所詮は何の奇跡も起きないのです。(それどころか、災いが起きます。そういう場所は〔パワースポットとか、お寺や神社は〕霊域が非常に悪いところが多いからです。地獄霊や動物霊の巣となっているところも多いからです)では、何のために行くのですか?(そんなところに行っても危ないだけです)

そのような特別な場所にわざわざ行かなくても、自分がいるその場所で奇跡などいくらでも起きるのです。

本当の信仰とはそのようなものであるからです。

信仰は場所でするものではなく、自分の心と行いを変えることによってするものなのです。

いつまで間違った信仰をし続けるのですか?

正しい信仰を行った人には、これほどの奇跡が現れているというのにです。

追伸…もし、今回のスケートをしていた人たちの心がもっと変わっているのなら、あの北海道の荒れた天気も収まるのです。

心のきれいな人たちが何十人もその場所に行くのなら、そのような大きな奇跡も現れるからです。しかし、まだそこまで心を変えられる人はいません。

だから、自分の成績がよくなる程度の小さな奇跡しか現れていませんが、もっともっと、自分の心を磨く人がたくさん出て来るのなら、そのような大きな奇跡も起きるようになるのです。

どうですか、スケートでよい成績を出すだけではなく、多くの人まで救える、そのような人になったら。

そういう人こそ、神から最も喜ばれる人であるからです。

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12月 27 2015

感謝する大事さ

昨日も異様でしたね。

朝方うるさかったのですが、途中から急に静かになりました。(もちろんどこかの会社ですが)よほど恐ろしいことが起きているのでしょう。(一昨日に引き続きです)

午後の三時頃家を出る時に、どこかの会社の横を通って行きましたが、やたら怒っている人がいました。

どれだけ怒って、恐ろしい現象を人のせいにしたところで、その現象は止まりません。自分たちが反省するしかないのです。

歩いていると、そういう怒っている人があちこちにいます。本当に反省を知らない人たちばかりです。(そういう人たちにいちいち辻説法をしなといけません。こちらも大変です)

もう傲慢さと責任転嫁がしみついているようです。そのような心を直さない限り、恐ろし現象は出続けるでしょう。まったく恐ろしことです。

このように私のいうことに耳を貸さない人たちはよいのですが、多少でも耳を貸している人たちには奇跡も起きています。

傲慢で責任転嫁がひどい人たちは、そういう奇跡を少しは認めてはどうでしょうか。

昨日のスケートを観ていてもそれは感じました。

やはり三度は続かなかったですね。疲れもあるんでしょうが、こちらにお礼でもしてくれれば(そのような法の実践を行えば)まだまだ天も協力してくれたのでしょうが、そういうことをする気がないのであれば、奇跡もそれほど続きません。

奇跡が起きるかどうかは、法をどれだけ実践できるのか、それのみなのです。

もっと法の実践が出来るなら、もっと奇跡も起きてくるでしょう。

しかし、総じてよかった選手が多かったのではないでしょうか。(自身の最高得点の更新をした選手も多かったからです)肉体ばかりを鍛えるのではなく、心の在り方を少し変えるだけでも十分よい結果が得られる、その証明は出来たのではないかと思います。

そういうよくなった選手が多かった中で、一人、調子の悪かった選手がいます。それもまたよかったですね。(苦笑)

別に皮肉をいっているわけではありません。本当によかったから、よかったといっているのです。

この選手も、このブログを読んで法を知ったのでしょう。だから、そのような結果が現れたのです。

法を知って、それを行っても、よい現象が現れる人たちばかりではありません。悪い現象が現れる人たちもいるのです。

その違いは何か?

簡単話です。これまでの思いが間違っていたのです。その間違った思いが強ければ強いほど、悪い結果が現れてきます。(それも法を知ったことによる気づきの現象です)

だから私はよかったといっているのです。そのような自分の考えの間違いがよく分かったからです。

だってこの選手、オリンピックで銀メダル取って、悔し涙を流していましたよね。(うれし涙じゃなくて)あれはダメでしょう。あまりに思いが偏っているからです。

金メダルを取りたいという思い込みが激しすぎるのです。

オリンピックでも何でもそうですが、メダルを取れない選手などごまんといるのです。銀メダルを取って悔し涙を流すなど、では、そのようなメダルを取れない選手はどうなるのでしょう。

それに金メダルを取った選手を祝福もしません。

ただ「金メダルがほしい」「金メダルじゃないと嫌だ」では駄々っ子と同じです。

それではあまりに考えが狭量なのではないでしょうか。(自分さえよければいいという考えがモロに出ています)これではダメなのです。

だから、この選手は法を知ったばかりに普段より悪い結果が出たのです。自分の考えがこれまであまりに偏っていたからです。(そういう意味では、前回の大会でしたか、二位になった外国の選手が一位になった、あの三百点以上の点数をたたき出した選手を「恐れ入りました」という態度で祝福していました。ああいう態度こそ人として取るべき態度であり、立派な態度であるといえるのです)

どうですか、そのような心を反省されたら。

そうすればよい結果が出てきます。なぜなら、あなたも法と縁のある方であるからです。

もう、金メダルを取りたいだの、一位じゃなきゃ嫌だだの、そんな小さな心は捨てることです。

「自分が今ここでスケートをやれるだけで有難い」まず、そのような感謝の心を持つことです。

休養していて、急に出てきて、それでもそのような場に立てるということは、どれだけ有難いか分からないのです。ずっとスケートの練習をし続けていても、そのような場に立てない選手はたくさんいるからです。

そう考えるのであれば、その場に立てることの有難さは分かるはずです。

そうして、どういう結果が出ようと、その結果に感謝することです。

自分が優勝するなら、二位、三位の選手がいるのであるし、自分が二位であれば優勝の選手がいるし三位の選手がいるのです。

どのような順位になろうと、その順位になった人はなった人の思いがあります。それをもっと思いやることです。

そのような自分の順位にもなれない人はたくさんいるからです。

そのように少しずつでも心を広げていくと、よい結果が出るようになります。(そのよい結果とは、特別スケートだけの結果とは限りませんが)

とにかく、法を知って悪い結果が出たのなら、まず自分が反省することです。そのような反省すべき、大きな間違いを自分がしているからです。

その間違いを法が教えてくれているのです。

マァ、そのような感じで今日はリラックスして今年最後の演技に臨んでください。自然体が一番大事ですから。(こんなこと書いたら、自然体で臨めるわけがありませんかね。よけい力みますかね。〔汗〕)

とにかく、法を実践することこそ、幸せの道であるのです。

それを一人でも多くの人に証明してもらいたいと思っています。

(法を勉強することは不幸の道、などと思っている人もいるようですから。勝手に自分たちが法に逆らって不幸になっているだけにもかかわらずです)

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12月 26 2015

法灯(ほうとう)

一昨日に引き続き、昨日も何か異様でしたね。

どこかの会社が朝からやたら怒ってうるさかったのですが、昼前くらいからでしょうか、急に静かになり、それからうるさくなくなったのです。

あそこの会社があれほど態度を変えるのです。よほどのことが起きたのでしょうが、今日はまた朝から同じようにガンとかドンとかやっています。

起きたことをすぐに忘れてしまうようです。(苦笑)

いい加減にしないと取り返しのつかないことになります。(もうなっていますか?)本当に学習するということを知らない人たちです。

クリスマスイブとクリスマスに異様なことが起きるなど、天のキリストが怒っている証拠でしょう。

早くキリストの心を知ってもらいたいものです。

この辺りの人たちも怒ってばかりいないで、歌でも聞いて心を和ましたらどうでしょう。そういう歌番組もやっているからです。

昨日も、そのような歌番組をやっていましたが、相変わらず白黒テレビを観ているような感じでした。(笑)

この前テレビで、来年は、多くの人が同じ色の服を着るのが流行るといっていましたが、テレビに出ている人たちが、同じような色の服ばかり着ているのですから、それはそういうことも流行るでしょう。

それだけテレビに出ている人たちの影響は大きいということです。

そういうことより、法を流行らしてもらいたいですね。

そういう法らしき歌を歌っているグループもありますが(あなたたち私と同じ能力を持っているそうですね。だから、そういう名前にしたんですか?)もっとそういう歌詞の歌が増えるといいと思います。

そうなれば、知らない間に多くの人々の心の中に法の種がまかれることになるからです。

それに歌手の人たちの心が変わってくると、その歌っている歌詞が、聞いている人たちの心深くに入るばかりか、その場所に奇跡が起きるようになります。

歌っている場所で奇跡が起きればファンはもっと増えるでしょう。だから、どういう人たちが法を勉強しても損はないということです。(例えば、嵐という名のグループが嵐という歌を歌っていたら、本当に嵐が来たなどとなったら奇跡でしょう。〔かえってやばいですか。そういうことが起きたら〕もう、そうなったら変な演出をするより話題になります。〔笑〕)

誰でも同じなのです。役者が法を勉強したら、売れなかった人が急に仕事がきだすとか、撮影が予想以上にうまくいくとか、雨の場面を撮影したいと思ったら本当に雨が降りだすとか、実際にそういうことが起きるのです。(それはこのブログを読んでもらえれば分かると思います。そういう奇跡など、私や私のいうことを聞いた人たちには普通に起きています)

この法を勉強するということは、当たり前のように奇跡が起きることなのであって(要は異常に運がよくなるということです)本当であれば、そのような人生が当たり前なのです。

今のような人生が運が悪すぎるのです。(特に現在は運が悪い人が多いのですが)

高橋先生は「法を知らない人は、自分の運勢の中から下の間を行ったり来たりしているだけです」といっていられました。

それが事実であるということは、最近のスポーツ選手に奇跡が現れたことでもよく分かります。

最近、何人かのスポーツ選手が法を知って実践されたのだと思います。(その実践の仕方をここに書いておきましたので)だから、奇跡が起きたのです。

その奇跡が起きるということが、上の運勢ということなのです。(あのスケートの選手も三度は続かないだろうと思っていましたが、それでも百点超えですか。凄いですね。法を大して知らないのにそれです。では、しっかり法を知って実践したらどうなるのでしょう)

こういうことを知るのであれば、普段の生活で奇跡など起きないのですから、そのような運勢は中から下だということも分かります。

しかし、法を知って実践するなら、上の運勢(奇跡が起きる生活)が得られるのです。

現に、ウナッシーさんも奇跡が起きて、何かに導かれる生活を続けていられます。ウナッシーさんは普通の会社で働いている人なのですから、そういう人にも奇跡は現れるのです。

この法を知って実践することが、いかに大事かよく分かります。

「法を知らないということは、真っ暗な夜道を灯りなしで歩いているのと同じです」と高橋先生はいっていられました。

これまでの夜道は、まだ平坦であったから、無事に歩いていける人も多かったのですが、これからの夜道は平坦ではなくなります。

かなり険しい道に変わって行くのですが、それでもまだ灯りなしで歩いて行かれるのですか?(ずいぶん崖から落ちて行く人が多いようですが)

伝教大使が「法灯を絶やさず行け」といわれた意味を、もう少し理解されてはどうでしょうか。

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12月 25 2015

心の偉大性

昨日は皆さん、素敵なイブをお過ごしであったと思います。

しかし、私の場合は素敵でもなんでもなく異様なだけでした。

本当に昨日は異様なクリスマスイブでしたね。多くの人が、いつまでたっても同じ間違いを繰り返しているからです。(今日も朝からお怒りのようですが)

昨日は、午前中くらいからどこかの会社がやたら怒っていました。それはいつものことなんですが、何か昨日はまた一段と変でしたね。

やたら怒ってはいるのですが、よく電話が入り、その電話がかかってくるとよけい怒るといった感じでした。(仕事の電話ではなく悪い知らせの電話ばかり入っているのでしょうか?)

そんな感じでどこかの会社は怒りっぱなしでしたが、私が昼の三時頃出かけようとすると、なんと家の前に救急車が止まり、前のアパートの爺ちゃんが運ばれて行きました。

「なんて日だよ」と思いながら出かけたのですが、夕方帰ってくると、今度は家の近くの工場の連中がやたら怒っています。

もう私が近くを通るとガンガンやってきます。また何か起きたんでしょうが「なに怒ってんだろ、こいつら」と呆れながら通りました。(かわいそうだから祈りましたけど。こういう連中はもう何をいっても分からないんだから祈るしかありません)

いつまで同じことをしているのでしょう。(本当に哀れです)

いくら怒っても、その恐ろしい現象は止まらないのであり、自分たちが反省するしかないのです。どれだけ私のせいにしていてもダメなのです。

これまでは、そのような不幸の原因を知らなかったのです。

何が起きても偶然ですましていたからです。

天変地変が起きても偶然、悪いことが起きても偶然、自分や自分たちの家族が不幸になっても偶然、これまでは何でもかんでも偶然そうなったのだから仕方がないと、まるで反省してこなかったのです。

しかし、とても偶然とは思えない不幸が次々と起こりだして、それでようやく、このような不幸は偶然なるのではないと、多くの人が気づき始めたのです。

気づき始めたのはいいんですが、今度はその不幸の原因を全部責任転嫁しています。それでよけい不幸になっているというのが現状なのです。

もう言葉がないくらい哀れなんですが、そのような考えも含めて、すべて悪いところは反省しないといけないのです。

自分の責任を認め反省しないと、恐ろしい現象が次々に自分の周りに現れる、そのような時代となったからです。(現にそうなっています)

天変地変を温暖化のせいにしていますが、本当にそうなのですか?

では、何で私が祈ると天気が変わるのですか?これは私だけではありません。昔から雨乞いなどして本当に雨が降ったことがあります。

では、天気は人の意識で変えることが出来るのではないでしょうか。そのようなことが現に起きているからです。

これまでこのようなことを偶然でかたずけてきたから分からなかったのです。

天気さえも、ただの自然現象で偶然そうなっているのではなく、人の心で変わるのです。(ということは、悪い天気になったのは、そこに住む人たちの心が悪かったから、ということになります)

では、私たちの身近で起きていることも、人の心でいくらでも変えることが出来るのではないでしょうか。天気でさえ変わるのですから。

昨日書いたことでもそうです。あのようなことを気づいている人がどれくらいいるのでしょう。

自分の子供が病気ばかりするのは、母親の意識が悪いからです。母親の意識は子供に大きな影響を与えます。(もちろん父親の意識もそうですが、母親ほどではありません)

特に小さな子どもは親の影響をまともに受けるのです。(体と心、両方にではありますが)

だから、母親の意識が悪いから子供の体がいつまでも悪いままなのであり、母親の意識が変われば子供の体は回復に向かうのです。

人の意識である心は、常に波動を発しているのです。その波動がよくなることが子供がよくなる秘訣であるからです。

肉体を治す医者も大事ですが、母親からよい影響をもらうのはもっと大事なことであり、そのようなよい波動を母親からもらえるのであれば、子供は心も肉体も活性化し、肉体の回復力はより増していくのです。

しかし、悪い波動しかもらえなければ、その子供の心も肉体も元気がなくなり、肉体の回復も遅れ、最後には回復しなくなってしまうということです。(死ぬということです)

どれだけよい薬を投与されても、自然治癒力が高まらなければ、結局、その子の体は回復しないからです。

そのようなよい薬を生かすのも、すべて、その本人の自然治癒力にかかっているからです。

その自然治癒力を高めるのは、母親のよい心の波動しかないのです。(子供が小さければ小さいほど、母親の心の波動の影響は大きいのです)

だから私は、母親の心が悪いと子供は死んでしまいますよ、といっているのです。

体が弱い子が生まれるには生まれるだけの理由があり、その正しい理由を知らないといけないのです。

それを偶然そうなったとか、別なところの原因をいっているのが現代の人たちなのです。

特に現代の人たちは、物質的な部分をすぐに原因にしたがるのですが(何せ唯物論の人が多いですから)そうではなく、そのような原因のほとんどは心にあるのです。

その心の部分をこれまで見て来なかったから、本当の不幸の原因が分からなかったのです。

一人の人を例に上げましたが、いまこの辺りで起きていることは(あるいは浜松の件でもそうですが)物質的な部分が原因なのでしょうか?

違います。すべて人々の心が原因なのです。そのような神を知らなかった、知るべきことを知らなかった心が、今の恐ろしい現象を引き起こしているのです。

物質的な部分など二次的作用にすぎないのです。

一番最初に思い自分の体を動かすのは、すべて、その心でつくられることであるのです。

では、すべての原因は、その心でつくられていると思われないでしょうか。だから釈尊もキリストも、その心を直せと、悔い改めよと、そういわれたのです。

この世のすべての不幸の原因は、その人々の心でつくられるからです。

だから、今起きている恐ろしい現象も、その人々の心で抑えることも出来れば、もっと激しい現象を現すことも出来るということです。

そうして、その心は先ほど書きましたように、エネルギー(波動)を常に発しています。

人は言葉など交わさなくても、あの人は自分のことを好いている、嫌っている、ということが分かる人はいくらでもいるでしょう。

それは、その人の出す心の波動を感じているからです。

そのような波動が人々に大きな影響を与える人もいるのです。

この波動のもっとも強い人たちが釈尊であり、キリストであるのです。この人が出す波動の極致が、あのような方々が現される偉大な霊能力であるということです。

人の心とはそれほど偉大なものなのです。(人と人との生活から大自然に至るまで、もっといえば、動物たちに至るまで影響を与えているからです)

この心の偉大性をもう少し理解されてはどうでしょう。

そうすれば、今起きている不幸な現象を抑えることも出来るし、もっともっと幸せになることも出来るからです。

心の偉大性をもっと理解し、その心の偉大なる力を世に現す、そのような人こそ、偉大な人といえるのです。

(その筆頭が釈尊でありキリストであるのです)

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12月 24 2015

役割の大事さ

自民党の議員で育休を取る人がいるそうですね。

ハァ、といいたくなりますが、国会議員がそれをやったらダメでしょう。国民の代表であるのですから。(この理論でいきますと、総理大臣も育休を取ってもOKということになります。まずいでしょう、それでは)

いくら自分たちが決めたこととはいえ、税金をもらって働いている人が、こういうことを堂々とやられては他の人に示しがつかなくなります。もう少し考えられてはいかがでしょうか。(だから世界の潮流だからと、何でもかんでも法案を通せばいいというものではないのです。中には間違っていることもあるからです。自民党もイクメン推進の法案など通さなければよかったのです。そういう間違った法案を通すからこういうことになるのです)

だいたいこの議員、結婚もできちゃった結婚かなんかでしょう。(本当に順序もへったくれもありませんね。子供は結婚してからつくるものです)自民党の若手は口ばかりで(この前もいいことをいっていたわりには、ホモだった議員もいますし)やっていることがついて来ていません。

最近の自民党は若手の教育がなってないのではないでしょうか。

ただでさえ風紀が乱れているのに、与党の国会議員が、こういう順序もへったくれもないようなことをされてはよけい風紀が乱れます。あまりに自民党内がたるんでいるようなら、一度自民党を祈りますがどうされますか?(そうすれば、天がよく指導してくださるでしょう。こちらはこちらで大変なのです。同じ目に遭ってみますか?)

あの自民党のオバちゃん議員もそうですが、自分のいっていることが間違っているから、子供があれだけ苦しんでいるのです。

それがまだ分からないんでしょうか?(この人も本当に哀れです)

自分のいっていることが正しいのであれば、子供にあれだけの不幸は起きないのです。しかし、自分のいっていることが違っているから(この人、左翼〔共産〕思想ですから)家族が不幸になっているのです。

もし、自分の(母親の)考えが正しければ、どれだけ体が弱い子であれ、体は回復に向かうのです。しかし、母親の考えがいつまでたっても違っているのであれば、そのような子供の体は回復しません。

よくなったり悪くなったりの繰り返しで、最後にはその子は死ぬことになります。

だから、あのような順序をもらったのであれば、自分の思いと行いにはより気をつけて、間違っているところがあれば直し(自分の考えが正しいかどうかは、子供の体が教えているのですから)反省しながら、生活をしていかないといけないのです。

それだけ悪い順序をもらっているということは、自分の考えが相当違っているということだからです。その考えを一から直さないといけないのです。

だから私はいっているのです。左翼(共産)思想はいけないとです。それは一番神から遠い心であるからです。

そのような左翼思想のアナウンサーで、子供が出来て番組を休んでいる人がいますが(休んでいるんじゃなく首ですかね?この人もできちゃった結婚か何かでしょう。いい年して順序も知らないんですから呆れます)この人もそうです。

そういう思想が間違っているから、何度も離婚しているのです。

それなのに、まだそのような自分の考えの間違いが分からないのです。(この前、子育てに専念したいので、番組をやめるというコメントか何か載っていたので〔子供が出来て〕少しは考えが変わったのかと思っていたら、即座に、そのコメントを否定していました。〔子育てより番組を優先したいようなことをいってです〕本当に変わりません)

何でも平等の左翼思想では不幸にしかならないのです。

なぜなら平等思想は男女の役割を無視しているからです。

もし、男と女が平等であるなら、なぜ神は、男と女を思想から、体から、能力から、何から何まで違うようにつくられたのですか?

平等であるなら、男と女に分けずに、同じような中性の人ばかりをつくればよいではないですか。

しかし、神は、人間をそのようにはつくられていないのです。

神は、男と女をわざわざ別々につくられているのです。

そこに意味があると、どうして理解出来ないのでしょうか?

だから私は、男と女は平等ではなく、それぞれの役割があり、順序があるのだから、それを守らないといけないといっているのです。

それだけ違うようにつくられているのなら、そこに必ず意味があるからです。(その男女の違いの意味を、私たちは釈尊やキリストのような聖者から学んでいるのです)

平等思想は、そのような(釈尊やキリストから教えられた)役割や順序を無視しているのです。だから、その平等思想を実践する人は不幸になるのです。

その考えに間違いがあるからです。

男の役割や女の役割、順序などは、これまでも何度か書いて来ましたので、ここでは書きませんが、そういう役割も順序も守ろうとしないから、家族に不幸が起きるのです。

夫婦は一体といわれたキリストの言葉を守ることが出来ず、離婚を繰り返すのです。(実際、キリストの教えに逆らっているのですから、そりゃそうなるのでしょうが)

すべて、自由平等などの左翼思想が間違っているからです。

左翼(共産)思想はもっとも神の考えから遠い思想であるのです。この時代、そのような考えを強く持っていては不幸にしかなりません。

一刻も早く反省すべきでしょう。そうしないとまたどんな不幸が起きてくるか分からないからです。

自分の考えが正しいのか、正しくないのかは、もうすぐに分かる時代となりました。(正しければ奇跡が、間違っていれば災いがすぐに起きてくるからです)

今いわれているような平等思想こそ、すでに時代に合わない思想であるのです。(だから、それだけ世界が時代遅れであるということです。日本が一番進んでいるのです。日本には法が存在するからです)

すでに時代は大きく変わっています。

一昔前の間違った左翼思想にいつまでも騙されていてはいけないのです。

追伸…今日はクリスマス・イブですが、国会議員からして、こうも間違った思想の人が多くてはキリストも泣いていられるでしょうね。きっと。

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