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12月 23 2015

正しさの証明

もうこれだけの神の業が現れてきたのであるし(ということは時が来ているということですから)はっきり書いておきましょう。

これまでの信仰といわれているものが、まったく意味がなかったのであると、ただの気休めや自己満足でしかなかったのであるとです。

これまでのような信仰では実は誰一人救われていなかったのです。(このようにはっきり書かないと手遅れになりますので)

それが名古屋で現れている神の業で分かったのです。

お墓参りやお寺参りをどれだけしたところで(気休めにはなるのでしょうが)実は何一つ救われていなかったのです。

そうしてそれは、霊験あらたかといわれることや自分たちが信じて行っている信仰も同じであったのです。

そのようなことをしている人たちは、名古屋にもたくさんいるでしょう。しかし、名古屋では、そのような人たちにも次々に恐ろしい現象が現れ、一つの奇跡も起きていないのです。

では、そのような信仰は(完全に)間違いであったということなのではないでしょうか。

それが正しい信仰であるならば、そのような人たちには災いなど起きずに、奇跡が起きて来ないといけないからです。

しかし、災いが起きる人はあっても、奇跡など起きている人はいないのです。

では、そのようなことのどれも正しい信仰ではなかった、まったく意味がなかったと理解した方がいいではないでしょうか。

そのような信仰と思われるようなことを熱心にしている人でも、恐ろしい現象は現れているからです。

そうして、霊験あらたかといわれるところにお参りに行っている人でも、正しい信仰をしていると思っている人でも、何の奇跡も現れていないからです。

もし、正しい信仰をしているのであれば、周りにどれだけ恐ろしい現象が現れてきても、自分には、そのような周りの現象に左右されず奇跡が起きるはずです。(それは釈尊しかりキリストしかりです)

しかし、そういう周りに左右されず奇跡が起きている人は誰もいないのです。

私一人を除いてはです。

私の周りでは、どれだけ多くの人が救急車で運ばれていようと、鳥たちが騒ぎ、多くの魚たちが寄って来ます。(もちろん、それ以外の動物もですが)

そうして、私のいうことを聞いた人には次々に奇跡が起き(逆らう人には次々に災いが起きていますが)私が祈れば大自然さえ動くのです。

こういうことが起きている人こそ、正しい信仰をしているといえるのではないでしょうか。

それを証明するような出来事が次々に起きているからです。

私は口でいっているだけではないのです。そういう奇跡も続出しているのですから、これ以上の正しい信仰をしているという証拠もないでしょう。

それをいつまでたっても名古屋の人たちは認めようとしませんが、しかし、無視しようが、逆らおうが、そういう人たちに次々に恐ろしい現象が現れているのは事実なのです。

それでもまだ、そのような意味ないことを続けるのですか?そこに救われる道はまったくないというのにです。

私のいうことを無視しても、逆らっても、これまでの信仰を続けても、どこにも救われる道はないのです。(次々に病気になっていますよね。そのような人たちがです)

ただ、私のいうことを聞いて、それを行う、それのみが唯一の救われる道なのです。(現にそれをしている人には奇跡が現れています)

こういう事実が目の前にあるのに、いつまでそれを認めず、自分たちの狭い考えの中に閉じこもっているのですか?

そういうことを続ければ続けるだけ不幸になるのです。(だから名古屋は不幸になる人が続出しているのです)

このような現象が現されるのは、自分たちが悪いからです。自分たちの心が悪いから悪い現象が現れるのであって、人のせいではありません。(それは、私自身が証明しています)

これまで、自分たちの心を、きれいにしようと思われた人はいるのですか?心の偉大さをこれだけ理解していた人はいるのでしょうか?

誰もいないはずです。

これまでは唯物論が全盛であり、心など二の次に思われていたからです。

それがいけなかったのです。そのつけがいま現れてきているのです。あまりに多くの人が、心の偉大さに気づいていなかったからです。

心を少し変えるだけでも十分奇跡など起きてきます。

奇跡が起きるのであれば、そこに災いは起きないでしょう。(ただしそういう奇跡が起きる心を持続できればという話ですが)

この教えを勉強されたらどうでしょう。

この教えを勉強される以外で奇跡など起きないからです。(この教えを勉強していないのに起きた奇跡は、全部地獄霊が起こしていたことなのです。間違った信仰をこれまでしていたのですから、正しい奇跡が起きるわけがありません。そのこれまで起きた奇跡は悪魔の魔力で起こされたものであり、ほんの一時救われたように見えただけなのです。そのような魔力に惑わされていては最後には不幸になるのです)

この教えを勉強することが唯一正しい信仰であるからです。

この時代、もう正しい信仰をしない限り、救われる道はないのです。

いつまで意固地でいるのですか?それは不幸なだけなのです。

(単に自分がそれでいいと思っているだけでです。正しい信仰を知らずにいる今の自分がどれだけ不幸であるのか、それは死ねば分かります)

追伸…現在の信仰を、真っ向から否定することはこれまで避けてきたのですが(あまりに反発が強いと思ってです)しかし、もうそれをはっきりいわないと病人続出ということにもなりかねません。(名古屋はすでにそうなっているようです。この辺りやたら怒っている人が多いし、やたら静かになってしまった人も多いのです。運転手連中も最近特に元気がありません。〔ブシュとやってくる人、本当に少ないです〕多分、相当出ているのではないでしょうか、危ない病気がです)

そうであるなら、もう間違った信仰をいくら続けていても、意味がないですし、かえってそういう人は危ないのです。(正しい信仰をしている人がいるのに、それを分かっていて、無視して間違った信仰を続けているということは、あからさまに神に逆らっているということになります。よけい危ないですね。そのような人たちはです)

だから、はっきり書くことにしました。

そういうことをしていても、まったく意味がないとです。

それが、一番早く気づこうとしない人たちを気づかせる方法であると思うからです。

これからよけい反感を買うかもしれませんが、どちらにしても私は多くの人に反感を買っているのですから、大して変わらないでしょう。

そんなことより、多くの人が、危ない病気に次々にかかることを防ぐことの方がよほど大事なことであると思うからです。

こういう時代となり、いつまでも間違った信仰をしている人たちは次々に裁かれて行くことになります。(神の業が現れてくるということです)

すぐに信仰を変えることは出来なくても、今している信仰といわれることが本当に正しいのかどうか、疑問くらいは持つことです。

そうしないと、昔からしているからと、何の疑問も持たず、それを続けているのなら(幸運ではなく)どのような災いがその人に降りかかるかもう分からないからです。

正しい信仰に目覚めなければいけない時がすでに来ています。

いつまで同じことを続けているのですか。

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12月 22 2015

おかしな信仰

しかし、皆さんお怒りです。(どこかの連中も昨夜からかなりお怒りのようです。何も起きていないはずですが何をそんなに怒っているのでしょう?)

昨日も夕方家に帰ってくると近くの家の前に救急車が止まっていました。未だサイレンも(一時ほどではないにせよ)聞こえてきます。

まったくなんて町なんでしょう。恐ろしいことが次々に起きているようです。(ホラー映画じゃないんですから、本当に勘弁してほしいものです)

早く神に頭を下げればいいものおと思います。これほどの現象が現れているのに、一体何に対し、それほど突っ張っているのでしょうか?(私に対してですか。これほどのことを私一人がやれると思いますか?本当にナンセンスです)

それでいて、そこらにあるお寺や神社、小さな仏像にまで賽銭や線香を上げ、花などたむけてお祈りしています。(ジイちゃんバアちゃんがです)

しかし、そのような行いもどこへやら、そのように神仏に祈っている人たちが私が通ると嫌がらせをしてくるのです。(昨日もされました。仏像に祈っていたバアさんの近くを通ったら、ガチャンとかやられました)

神仏に祈っていて、それで気にくわない者が通るとキッチリ嫌がらせだけはしてくる。

では、その人は、敬虔な態度とは裏腹に、心の中は怒りに満ちているということになります。(敬虔な心であるなら、人に嫌がらせなどしてこないでしょうから)

そんな心で祈っていて、それで神仏に祈りが聞かれると思っているのでしょうか?神仏に祈っているその前で、人に嫌がらせなどして、その祈っている神仏に恥ずかしくはないのでしょうか?

こういうところでも、いま多くの人がしている信仰がいかに形だけのものかよく分かります。

そのような怒りに満ちた心を反省するのが、本当の信仰なのです。

これから本当の神の世になります。このような不信心な人たちは(こんなの信仰でもなんでもないですから)次々に現象が現れ反省させられるのです。

しかし、こういう人たちはバカじゃないかと思います。

だってそうでしょう。奇跡を起こしながら歩いている者がいるのです。(どこを歩いていても、鳥が騒いだり寄って来たりしますので)その奇跡を横に見ながら、そのような敬虔な(態度だけですが)祈りなどしている人たちには何一つ奇跡が起きていないのです。

そうであるなら、自分たちがしている信仰はおかしいのではないのか、自分たちがしている信仰は間違っているのではないのか、と疑問を持つのが普通なのではないでしょうか。

しかし、このような人たちは、そういう疑問など何一つ持たず(何の奇跡も起きないのに)ただ同じ行為を繰り返しているのです。

そのような同じ行為を繰り返している人たちの中にも、救急車で運ばれた人はいるでしょう。

では、よけいに、その自分たちがやっている信仰は間違いではないのかと、疑問を持たなければいけないはずなのに、まったく自分たちの信仰には疑問を持たず、そのような悪いことを人のせいにして、未だ何一つ奇跡が起きない信仰をし続けているのです。

横に私のように次々に奇跡が起きている者がいるにもかかわらずです。

その奇跡には関心を示さず、何一つ奇跡が起きない信仰を続け、そうして、次々に自分たちに悪いことが起きてきても、それでも自分たちの信仰には疑問一つ持たずに、その悪いことを人のせいにしている。

こういう人たちをバカとはいわないのでしょうか?

少なくとも賢くはないでしょう。

少し賢い人であるなら、どう考えても自分たちがしている信仰は間違っていると気づくはずだからです。

最初はそれを認めなくてもです。もう何年にもわたり、このような(サイレンなどの)恐ろしい現象が現れ続けているのです。(名古屋はです)

そうであるなら、では、自分たちの信仰はおかしいのではないのか、自分たちがしていることに間違いがあるのではないのかと疑問に思い、近くに奇跡が起き続けている人がいるのなら、何であなたにはそんな奇跡が起きているのですか、と聞きに来るはずです。

信仰をしている人たちは、普通の人たちと違い(神仏に帰依しているのですから)そのような素直な心を持っているはずだからです。

しかし、誰一人この辺りで、そういう素直な心で私に聞きに来た人はいません。私のことを目の敵にしている人たちばかりなのです。(だいたい坊さんにまで嫌がらせされましたから)

では、この辺りで信仰をしている人たちは、よほどのバカなのか、と思わざるを得ません。

バカでないのなら、そんな信仰をどれだけ続けていても救われないと分かるはずだからです。

早く本当の信仰をするべきでしょう。そうしないといつまでたっても救われないからです。

次々に奇跡が起きている者がここにいるのです。信仰をしている人たちは、何でその者に聞きに来ないのですか?

おかしいと思いませんか?信仰をどれだけ続けていても何も起きないなんてです。そのような信仰を続けている人たちにも、災いが起きているなんてです。

本当の信仰を続けているなら、災いが起きてくるはずがありません。奇跡が起きないといけないのです。

それは、釈尊やキリストを見ていただければ分かると思います。

あのような方々に、災いが起きたことなどありませんでした。そればかりか奇跡を次々に現し、多くの人々を救われたのです。

信仰をしていて、災いが起きるなど、それは本当の信仰ではないのです。本当の信仰をしていて災いが起きるはずがないからです。

信仰をしていて、奇跡がまったく起きないなど、それは正しい信仰をしていないのです。正しい信仰をしているのなら、必ずお蔭があるからです。

これまでの信仰は間違っていたのです。

だから、これほどの現象が現されているのです。また、間違った信仰をし続けているから、恐ろしい現象が止まらないのです。

そのような部分も反省しないといけないからです。

本当の信仰とは、これまでして来たような、気休め(お寺や神社にお参りする、あるいは仏像に祈るなんてことはただの気休めですよね。そんなことをしても何の奇跡も起きないのですから)や自己満足(お経を上げても、写経や座禅などしても同じでしょう。何の奇跡も起きないのです。ではそれは、そういうことをしたという自己満足でしかないのです)程度のものではないのです。

ちゃんと奇跡が起きて、神との会話が出来る(正確にいうなら、心の内より思いが上がってくる〔導かれる〕光の天使との会話です)そのようなしっかりとした、神仏とのつながりが理解出来る、そのようなものなのです。

信仰とは名ばかりの似て非なるものを続けていても意味はありません。(まったく意味がありませんね。それどころかこのような時代となったら危ないだけです。それはこれだけ多くの神の業が現れてきたのですから〔奇跡にせよ、災いにせよです〕もう誰でも分かるはずです)

早く本当の信仰を行うべきでしょう。それが自分が一番幸せになる道であるからです。

本当の信仰を行えば、この世で奇跡が起きて幸せになれるだけではなく、あの世に行っても幸せなのです。(天上界に行けるからです)

ということは、今のままおかしな信仰を続けるのであれば、今も(災いばかり起きて)不幸ですが、あの世の行っても不幸なのです。(地獄行きですから)

本当の信仰を行うのなら、そのようにこの世でもあの世でも幸せになれ、そうして、先にあの世にいっている人たちさえも(先に死んだ人たちという意味です)救うことになるのです。(自分たちが本当の信仰に目覚めるなら、自分と縁が深くて地獄に堕ちている人たちが、その本当の信仰に気づいて、自分たちも反省するからです。死んだ人たちを救う方法は、お経を上げることでも、お墓に行って祈ることでもないのです。自分たちの正しい行い、それをそのような人たちに見せることなのです。死んでいった人たちは、この世の人のそのような正しい行いを見て、自分たちの生前の行いを反省するからです。それ以外、亡くなった人を救う方法はないのです)

本当の信仰は生きている間も、死んで行った先でも幸せになれる方法を教えるものであり、そればかりか、先に死んでいった人たちさえ救う方法であるのです。

おかしな信仰を続けるのであれば、このようなことは一切成就されません。

これまでそのようなことは、おかしな信仰を続けていても成就されると思われてきました。しかし、それが嘘であったということが、このような時代となり明らかになったのです。(本当に、これまでの信仰が間違いであったというボロが出っぱなしです)

それなのに、いつまで、そのおかしな信仰を続けているのですか。

それが間違いであるということを、数々起きる現象が教えているのです。

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12月 21 2015

万物の霊長

昨日名古屋で、男性が運転中に車に前後をふさがれ、降りてきた複数の男から刃物で切られるなどして殺害された事件がありましたが、あの事件があった場所は家から車で十~十五分くらいのところです。

家のすぐ近くで物騒な事件が起こりましたが、名古屋の人たちが(特にこの辺りの人たちが)こうも神に逆らっていては、そのような(悪い)順序ももらうでしょう。

今の名古屋は、例の山口組分裂騒動で、いつやくざ同士の抗争があるのか分からないともいわれています。

おかしな(癌などの)病気が多発していることといい、このような物騒な事件もいろいろ起き出しそうなことといい、本当に名古屋はいいこと起きません。

それだけ神に逆らっている人が多いからです。

本当に神に逆らう人が多いと悪い順序ばかりもらいます。こっちは大迷惑です。(そういう悪いことを全部私のせいにされますしね。〔苦笑〕)

しかし、心を入れ替える人が多いのなら、そのような事件も解決に導かれ奇跡も起きてきます。どちらがよいのでしょうか?

聞くまでもないと思いますが(聞くだけ野暮ですね。どうせ責任転嫁されるだけだし)例えば、昨日書いた動物園でもそうです。

心を入れ替える人が多いのなら(マァ、自分でいうのも何ですが、私のような心の人が多いのなら、という意味です)あのような形態はとらなくてもいいのです。(だいたい動物たちが可愛そうでしょう。あんな狭い檻に入れるなんて)

サファリパークのように放し飼いにしておけばいいからです。

普通なら、動物たちは餌さえ与えておけば、他の動物を襲ったり、人間を襲ったりはしないのです。

そうであるなら、動物園は動物たちを檻になどいれないで、放し飼いにして飼えばいいのです。牛などがいる牧場のようにです。

しかし、なぜそれが出来ないのか?

それは、草食動物だけでなく、肉食動物を一緒に放し飼いなどすれば、その肉食動物が、他の動物たちを襲ったり、人を襲ったり(または外に逃げだしたり)するといけないからです。

そのような危険性があるから出来ないのですが、しかし、おかしいと思いませんか?

先ほども書きましたように、肉食動物は餌さえもらえるなら(普段は餌となる)草食動物さえ襲わないのです。それなにの人間まで襲われる可能性があるなんてです。

こういうところで分かるのです。人間の心の汚さがです。人間の不調和がです。

人間の心が汚くて不調和であるから、動物たちに襲われるのです。(その不調和な心が動物たちに伝染してです。釈尊やキリストが動物に襲われたなんて聞いたことがありません。そのような動物たちが寄ってきたとは仏典などに書かれてありますが)

多くの人の心が変わるなら、動物に襲われる心配などなくなります。

基本的に動物は人間のことが好きだからです。(それに動物たちは、人間が万物の霊長であるということを知っています。だから本当は動物は人間のいうことをよく聞くのです)

その動物たちが、人間のいうことを聞かないと思っているのは、これまでは心が汚く不調和な人が多かったからです。だから、動物たちは人間のいうことを聞かなかったり、襲ったりしたのですが、心がきれいで調和できる人が増えれば、今の状況は変わります。

つまり、人の心がよい方に変わり調和できるなら、動物園も今のような形態ではなくなり、もっと調和された、もっと動物たちと身近に触れ合える、そのような自然に近い場所となるということです。

現にサファリパークのような形態のところがあるのですから、そのようにすればいいのです。

その方がよほど動物たちと触れ合えるからです。それに動物たちもその方がよほどよいと思うからです。

そのサファリパークのようなところを、来園者は(もちろん車などではなく)歩いて回るのです。そうしていろいろな動物たちとじかに触れあうのです。

人間が調和できるなら、こういうことも可能となるのです。

そういうことが出来ないのは、人間の心が悪いからです。人間が不調和であるから動物たちも調和できず、肉食動物が他の動物を襲ったり人間を襲ったりする危険性が高くなるのです。

しかし、人間の心がきれいになり調和するなら、そのような危険性はなくなります。

すると、どこの動物園でも、牧場のような、サファリパークのような、そういう動物園となり、人間たちも、そのような動物たちの中に歩いていけて、その動物たちとじかに触れ合えるというようになるのです。

人間同士の調和は動物たちに大変大きな影響を与えるからです。

本当は動物たちもその方がうれしいのです。基本的に動物たちは人間が好きだからです。

人間は万物の霊長といわれます。人間は、そのような万物の中で最も優れた長であるのですから、動物から好かれるのが当然なのです。

だから私のもとにたくさんの動物たちが寄ってくるのです。これは動物たちが私だけを好きだからではなく、基本的に動物は人間のことが好きだからです。

そうして万物の霊長として尊敬もしているからです。(だから心のきれいな人間が来てくれただけで動物たちは大喜びするのです。それだけ人間を慕っているからです)

人間の心が変われば、動物たちの形態も大きく変わります。

人間が心を入れ替え調和するということは、人間だけではなく、動物にまで(もっというなら大自然にまで)影響を与えるのです。

もう少し、私たち人間がなぜ万物の霊長といわれるのか、その意味をよく考えられてはどうでしょう。

私たち人間が万物の霊長といわれるのであれば、そのいわれるだけの責任と行いは果たさないといけないのです。

その責任と行いを、今の私たちは少しも果たしていないのです。

(だから動物に襲われるなどという事件も起きるのです。動物たちも人間の心の汚さに怒っているからです)

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12月 20 2015

進む道

それにしても皆さん、頑として自分が悪いとは認めないようです。

昨日、外を歩いていてそう思いました。とにかくお前が悪い、お前のせいでこうなった、という顔をした人ばかりで、私の顔を見れば嫌がらせです。

「癌になっても知らないぞ」といくらいってもやってきます。(特にオバちゃんがです)

もう意地になってやっている人が多いのかもしれませんが、哀れですね。そのような人には必ず恐ろしい現象(天罰)が現れるからです。

そういう時代となったからです。(天罰覿面の時代にです)

早く反省された方がいいでしょう。そのような悔い改めの心を持つ以外、救われる道はないからです。

「時は来たりて神の国は近づけり。汝ら悔い改めて福音を信ぜよ」といわれたキリストの言葉を思いだしてほしいものです。

本当に悔い改めないと危ない時代となったのです。(そのような悔い改めた人ばかりいる国が、神の国なのです)

そういえば最近は前のマンションも静かになりました。(バシバシやらなくなりました)しかし、昨日は珍しくバシバシやる人がいたので、何か起きたのだろうと思い「自分が悪かった。どうもすいませんでした。助けてください」といいに来ないと、またその恐ろしい現象は起こりますよ、とマンションに向かい声をかけたら「ガシャン」という凄い音で返されました。

こちらは心配して声をかけているのに、なんという態度でしょう。

八つ当たり以外の何ものでもありませんが、そういう無反省な(超責任転嫁な)態度では、まだまだ恐ろしい現象は現れます。

早く反省してもらいたいものです。

そのような憎たらしい人間たちのことはおいておいて(笑)可愛らしい動物たちのことを少し書きましょう。

最近は動物園などに行くと(水族館でもそうですが)もう何度も行っていますので、そこにいる動物たちがよりなついて、私が行くと大はしゃぎする動物たちも増えてきました。

少し前までは、猿とか、カワウソとか、元々ジッとしていない動物たちが騒いでいるだけでしたが(動物園にいるすずめやカラスなどもうるさいのですが)最近は、普段おとなしい動物たちまでも騒ぐのです。

本当に可愛らしいものです。(このような態度を見ても、どの動物たちも表面上の態度は違っても心は変わらないのだなと改めて思います)

前回行った時は、普段静かな鶴やアザラシが大騒ぎをしていました。(ちゃんと動画に撮ってあります)

今回は、あのこれまでおとなしかったチンチラがチョコチョコ動き回っていました。(前回まではまったく動こうとしませんでしたが)私のまん前に来たり、少し離れたところに走って行ったり、あっちにチョコチョコ、こっちにチョコチョコと動き回ります。

チンチラなどジッとしているだけでも可愛いのに、それがチョコチョコ動いたらもう想像を絶する可愛さです。(笑)

それも動画に撮りました。

意外なのも騒いでいました。それがハクトウワシです。

ワシなど普段はジッとしていることが多いと思うのですが、この前見ていた時には檻の中を飛び回り(大きなワシが飛び回るのです。豪快でかっこよかったですよ)ギャーギャー鳴いてるのもいて(あれは子供のワシかもしれませんが)ワシの鳴き声も初めて聞けました。

それにもっと意外な動物も大騒ぎしたのです。

その意外な動物とはバイソンです。

これまでも東山で何度かバイソンを見ていますが、ほとんど動きませんでした。餌を食べていたり、ジッと立っているだけであったり、やっと前回行った時に少し動いているバイソンを動画に撮ることが出来たのです。

しかし、今回は凄かったのです。

なんとあのでかいバイソン二頭が大騒ぎを始めたのです。(他にまだ二頭ほどいましたがそれは静かにしていました)

バイソンの檻はわりと広めにつくってあるのですが、その中を走り回っています。

そうして、私の前に来て檻につのや頭をぐりぐり押し当てて、私の前でも興奮して何かやっています。そうして私の前から凄い勢いで向こうに走って行ったかと思うと、またこちらに戻ってくるのですが、それもまた凄い勢いで走ってくるのです。

あのでかいバイソン二頭がそんな勢いでこちらに走ってくるのです。ちょっとビビりましたね。(テレビで見るのとは全然違います。実際にそのような場面を見ると凄い迫力です)

「お前ら凄いな」とかいいながら、動画に撮っていましたが、本当に動物園に行くだけで貴重な映像がたくさん撮れるのです。(初めて見るような映像がです)

そういう点でもラッキーなのですが、このように私の顔を見ると、大はしゃぎする動物たちはたくさんいます。このような動物たちはみな私のことをよく知っているようです。

あの世では、釈尊やキリスト、七大天使といわれる方々を知らない人(霊)はいません。(もちろん動物霊も同じです)だから動物たちはみな私のことを知っているのでしょう。

動物たちはあの世のことをよく覚えているからです。

昨日も書きましたが、そのようなことを忘れてしまっているのは人間たちだけです。

あの世の天上界の心を思いだしてください。

そうすれば、謙虚に反省し詫びをいれることも苦でなくなり、動物たちからも好かれるようになるからです。

そのような心になるなら、奇跡まで起きてきます。

そういう(心の)人が増えれば、別世界がこの世に現れて来るのです。(人間と動物が大調和し奇跡が次々に起きる、そのような世界がです。今とはまったく逆の世界です。今の世界は動物たちに襲われ災いばかりが起きる世界であるからです)

自分たちのことばかりいっているのではなく、もう少し広い視野で物事を考えてはどうでしょう。そうすれば救われる道も見えてくるからです。

意固地になればなるほど不幸になります。そのような小さな心は捨て、大きな心を持つことです。

そうすれば進む道も、もっと広がってくるからです。

追伸…これは何でも同じです。くれぐれもいっておきますが、一つの道しかないとは思わないことです。

道はいくつもあるからです。

この世の修行は失敗することも多々あるのです。

例えば、結婚して離婚する人がありますが、このようことはこの世の修行の失敗なのです。あの世で離婚することなど計画してこないからです。(結婚する計画は立ててもです)

しかし、離婚してもまた再婚して幸せに暮らしている人はたくさんいるのです。

これは、自分の失敗を反省して、成功につなげた一つの例であり、この世の修行とはこのような失敗と成功の繰り返しなのです。(だからといって離婚していいといっているわけではもちろんありません。離婚はあくまで失敗だからです。どれだけ苦労をしても一度結婚したなら、最後まで一緒にいるのが、その人の心の修行の成功であるからです)

だから、いくつも道はあるのですから、一つがダメになったのであれば、また別の道を進めばいいのです。自分と縁のある人はまだ何人もいるからです。(だから再婚できるのです。自分と深い縁の人が一人しかいなければ、一度結婚した人が再婚することは出来ないでしょう)

私も今のままでは、結婚どころか生活もままなりません。この法が多くの人に理解され、そうして拡げることが出来れば、その先の人生も見えてきますが、それが出来なければのたれ死ぬしかないからです。

それは私の修行の失敗ということになるのですが、今の状況では私の修行が成功するか失敗するかは分からないのです。(今のところ失敗する確率の方が高いですね。意固地な人が多いですから。〔苦笑〕)

沈没しそうな船にあえて乗ることはないでしょう。自分は自分の修行をするべきなのです。(ただでさえ修行が遅れているのですから。〔苦笑〕)

すべて自分で判断し、自分で行うのですが、とにかく自分の心が向上する道、それを進むことが一番大事なことなのです。

何度もいいますが、心の修行はたくさんのやり方があります。

一つのやり方に固執していてはいけないのです。

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12月 19 2015

神を思う

今日も朝からでかい音を立てているバカがいましたね。(七時頃です)なに朝から興奮しているんでしょう。

昨日もどこかの会社はやたら感情的に怒っていたし、夜などわざわざ家の前にトラックが来て嫌がらせをしていきました。(ガタガタ音を立ててです。何とかヤマトの連中です。私が「誰か癌でもなったのか?」と家の中から声をかけると、ドアを慌てて閉めて逃げていきました。何やってんでしょうか?)

何でもかんでも、悪いことを私のせいにして怒っている人がありますが(というか、そういう人ばかりなんですが)お門違いもいいとこです。

私に祈られて病気になったという人がもしいたのであれば、それは先に嫌がらせを私にしているからであるし(それなら病気になったのは、その嫌がらせが原因でしょう)私が祈ってもいないのに病気になった人があって、それも私のせいにしているのであれば、何で私にかかわりがない人が病気になって、それが私のせいになるのでしょう。(それは自分のせい以外の何ものでもないでしょう)

もう少し自分たちの責任も考えてはどうでしょう。何度も書いていますが、皆さんはすでに大変な罪を負っているからです。

だいたい、これだけのことが起きてきても、それでもまだ神に手を合わそうとも、神に頭を下げようともしないのです。

しかし、金儲けだけはしています。(そうですよね、こういうことが起きたからと、仕事を休む人はいません)

大丈夫ですか?ずいぶん恐ろしい現象があちこちに現れてきたというのに、それを人のせいにして怒っているだけで、少しも神を思おうとせずにいてです。(しかし、金儲けのことだけは思っています。〔苦笑〕)

こういう態度を見ても分かります。どれだけ不信心であるのか、どれだけ罰当たりなのか、ということがです。

これが悪いことであるのです。

これほどの神の業が現れているのに、毛ほども神を思おうとしないのです。しかし、金儲けは常に思っています。これほど神を冒涜した行為もないのです。(神の業がこれほど現れているということは、もっと神を思わなければいけないと天が教えているからです)

これまでの日本の人々は、少しも神を思おうとしませんでした。(無神論者)また神を思っていると思っている人たちでも、それは間違った信仰をしているのですから、実際は本当の神を思ってはいなかったのです。

そうして金儲けばかりやっています。(生活のためとかいいながらです。しかし、神を思うことは誰でも出来ます。その神を思うということを日本の人たちはしないのです。〔無神論者ですから〕金〔欲望〕を一としているのです。これは大きな間違いなのです)

そういう人たちばかりであったから、神が天罰を下されているのに、何でその天罰を私のせいにしているのでしょう。それだけ悪いことをずっと続けていてです。

日本の人たちは、単に自分たちが悪いことをしている自覚がないだけであり、神に対し不遜な態度を取り続けているのです。未だにです。

これだけ恐ろしい現象があちこちに現れだしたのに、それでも神に手を合わせようともしない、頭を下げようともしない、それでいて金儲けだけはしている、そのような態度が神への不遜を現しているです。

それに本当の神の教えが出現したのを知っていても、それをやろうともしない、そればかりか、その教えを潰そうとしているのですから(その法を説いている者によってたかって嫌がらせをしてです)自分たちが潰されても文句はいえないでしょう。

それほどの神への大きな罪を日本の人々はすでに負っているからです。

一体どれだけ罪を重ねれば分かるのですか?自分たちが悪いとです。

金儲けを一として、神の奇跡が現れていても見向きもしない、それは罪となるのです。そればかりか、その奇跡を毛嫌いし潰そうとしています。どれだけ恐ろしいことをしているのですか?

だからこれだけ恐ろしい現象を現されるのです。自分たちがそれ以上の罪を重ねているからです。

誰も私に協力しなくていいのですか?

奇跡が次々に起きているのは私だけなのです。そうして、私のいうことを少しでも聞いた人たちにも同じように奇跡が現れています。

これほど起きてくることに差があるのに、それでも悪いことはみな私のせいなのですか?

しかし、災いが起きている人は、みな私のいうことを聞かない人ばかりなのです。

この違いはどのように説明されるのですか?

このように考えるのであれば、誰も私のいうことを聞かなくなったら、災いしか起きなくなると思うのですが、それでも私のいうことを聞かなくてもいいのでしょうか?(これだけはっきり結果が出ているのにです)

これほどのことが起き出したのです。(命に関わるようなことを神から起こされているのですよ)もう少し真剣に今のこの恐ろしい状況を考えたらどうですか。人のせいばかりにしていないでです。

これまで神を少しも思おうとしなかった、自分たちが悪いのです。だから、このような天罰が次々に下されているのです。いま起きている恐ろしい現象は私のせいではありません。(天罰の意味お分かりですか?)

少し、私のいうことを聞いて(本物の)神に手を合わせるなり、祈るなりしてみなさい、そうすれば奇跡も体験できるからです。

どちらにしても、自分が悪いという謙虚な心を持たないと、そのような考えも出て来ないでしょう。その「お前のいうことなど聞けるか」という傲慢な心もなんとかならないのでしょうか。

そのような傲慢な心も、自分を危うくしているからです。(このような傲慢な心を大人から子供まで持っています。だから、大人や子供に関わらず神の業が現れているのです。その心が悪いからです)

とにかく、そのような神を思おうとしない不遜で傲慢な心、責任転嫁(それも超がつくです)こういう心を持っていると、もう何が起きるか分からない時代になりました。

そのような心を変えないと、自分が危ないのです。

では変えてはどうでしょう。どこまでも意地を張り続けるのであれば、最後には癌になるということも現実に起きて来るからです。

昨日少し書きましたが考えてみてください。このような現象は人間にしか起きていないのです。

そこらの鳥や魚が大量死するなどということはありません。(たまに魚が酸欠で大量死するということはありますが、それは大雨とか、おかしな排水を流したとか、何か理由があります)

水族館の動物たちも、動物園の動物たちも、癌が多発するなどということは起きていません。(それは植物も同じですけどね)

このような恐ろしい現象が起きているのは、人間だけなのです。

なぜ今、人間だけに恐ろしい現象が現れているのでしょうか?

簡単な話です。

動物たちは常に神を思っているからです。

そうして人間は本当の神を思おうとしないからです。

(だから、動物たちはみな私のことを知っているのです。神の心を理解しているからです。私を知らないのは〔神の心を理解出来ない〕人間たちだけなのです)

追伸…本当に人の可愛げのなさとは裏腹に動物たちは可愛いですね。(神のことをよく知っていますから)

この前の動物園でも、そのような可愛らしいことはたくさん起きました。また、それも書かないといけませんね。

その可愛らしいといえばです。この前テレビで、可愛らしい子たちばかりが集まって歌のコラボをしていました。

あのようないろいろなグループのコラボもたまにはいいものです。(あれだけのグループが集まったのも前代未聞とかいっていましたが、何でも調和することはいいことです)

そのような子たちは外見同様、心まできれいになってほしいと切に願っていますが、男のグループ(といっても二人で歌っている人たちですが)の曲で「君という名の翼」という歌がありますが、あの曲はわりと好きですね。私は。

その反面、同じように二人で歌っている人たちの歌で「どんな君でも愛している」という歌詞がありますが、あの部分は嫌いですね。

何か進歩がないように感じられてです。

だって、心がきれいであるなら、外見がどうなろうと、それは愛しもするんでしょうが、心がちっともよくならなくて、それでも愛しているとはならないからです。

心が素直できれいであれば、どんな君でも愛しますが、心がひねくれていて、汚いのであれば、それを直さない限り愛せないでしょう。仮にどれだけ外見がよくてもです。(そんな心の女と一緒になるなら男が不幸です)

そういう意味で「どんな君でも愛している」ということにはならないのであって「心が素直できれいになるなら、どんな君でも愛している」という風にならないといけないのです。

この世にはいろいろな心の勉強の仕方があります。

どうしても心を変えないのであれば、それは離れた方が、お互いのためになることもあり、また一緒にいてその心を直すという方法もありますが、それは個々でやり方が違うのであって、それは見極めないといけないのです。

とにかく私たちは進歩しないといけません。

心が同じところにいるのもまた悪なのです。

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