12月 18 2015
多生の縁
昨日は東山動物園に行っていました。
特別な理由はありませんが、まだ前の会社の工事が終わっていなくてうるさそうだったのと、この前行った時(十一月二十日です)私は、あまりに東山動物園のスタッフや工事をしている連中に嫌がらせをされたので、翌日のブログに「東山は近いうちに何か起きる」と書いておきました。
その書いたことが当たったかどうか確認したかったからです。
マァ、大当たりでしたけどね。明らかに態度が変わっていたからです。何度も確認しました。「癌になる奴が出たのか」とです。
そうしたら、工事をしている連中が怒ってガンガンやりだすのが何人もいました。
しかし、不思議なことに、工事をしている連中は怒っている奴がたくさんいるのに、その工事に出入りするトラックは、一台も私にブシュとやってこないのです。
工事をしている連中が怒っているのなら、そこに来ているトラックの運転手連中はもっと怒っていてもいいはずです。元々トラックの連中はもっと前から私のことを怒っていたはずだからです。
ところが昨日は、そのもっと怒っていなければいけないトラックの連中が妙に静かだったのです。
この前行った時は、あれだけブシュブシュやっていた連中がです。(それはこの前だけではありませんが)
私が動物園に顔を出した時は毎回、東山動物園の工事に来ているトラックはブシュブシュやっていました。あそこに来ているトラックの運転手で、私の顔を見てブシュとやらなかった運転手はいないくらいです。
それが昨日は一台もそういうことをしなかったのです。
やたら怒っている人と急に静かになった人がいる、このような両極端な態度を見せる人たちがいるということは、そこに何か起きたからです。
確実に東山動物園にも恐ろしい現象が現れだしたようです。(そこにいる動物たちには関係ありませんが。人間限定です。本当に哀れです)
しかし、それは東山動物園だけではないようです。
その東山動物園を出て、地下鉄の駅までは歩いて一分か二分で行ける距離なのですが(地下鉄の駅は東山動物園のすぐ前にあるということです)その地下鉄の駅に歩いて行くだけでも、私は道路を走って行くトラックにブシュブシュやられるのです。
とにかく、私が道を歩くと周りにいる鳥たちが騒いだりするので、すぐに私がいるとみな気づくようで(そういうくだらないことには皆さんよく気づくようです。〔苦笑〕)それで歩いている人はもちろんですが、道路を走るトラック連中もすぐにブシュブシュやってくるのですが、昨日は、その道路を走るトラック連中も誰もブシュっとやらなかったのです。
道を歩いて行く人は相変わらずの人が多いのですが、トラックは東山動物園に来ているトラックだけではなく、そこらを走るトラックまで私になにもやってきませんでした。
これもまた不思議な話です。
トラック連中は何が起きているのかは、無線などですぐに伝わります。それで嫌がらせをやめてしまった人が多いのでしょうか?
しかし、あの辺りを走っていたトラックは、この辺のトラックと違い(この辺りのトラックが急に静かになった時でも)私に平気でブシュブシュやってきたはずです。
それが昨日は、どのトラックも(東山動物園の中でも外でも)私にブシュとやったトラックはいませんでした。
怒っているのは東山動物園の中にいる連中(工事をしている連中や飼育員やスタッフ)だけで、それ以外の人たちは妙におとなしかったのです。
こういうことを踏まえまして、帰りの地下鉄の中では、もう大変なことが起きている、という話をさせてもらいました。もちろん周りの人たちが私にちょっかいをかけてきたからです。
そうしたら、みな怒りたくっているのです。
私が「名古屋や浜松などで癌になる人や死ぬ人が増えている」「今のような心では皆さんそうなります」みたいなことばかり話したからです。
そういう話は東山動物園内でも散々させてもらいました。
「今のままの心では癌は止まらない」「悪いことをみな私のせいにしているのがいけないのであって、このようなことが起きてきたら、もう本当の神の教えを知るしかない」「救われたいのなら『お前が悪い』ではなく『助けてください』といわなければいけない。本当の神の教えを知っているのは私だけなのだから」などなど、だいたいこういった内容の辻説法をしまくりました。
特に工事をしている連中にです。(そうして、私のブログを読めともいいました。私のブログを読むなら少しは法を理解するからです)
しかし、東山動物園の連中もそうです。素直に私の話を聞かず、怒っているのです。
しかし、それも進歩ですよね。少し前にこんな話をしてもみな笑って取り合わなかったのですから。それが今、そのような話をするとみな怒りだすのですから。(ということは、皆さん、そういう話を真剣に聞いているということです)
多くの人が、このような最新の情報(心の面のです)を聞けるのも私を知ったからです。
「袖振り合うも多生の縁」(そでふりあうもたしょうのえん)といいますが、このブログを見ている人も友達はいると思います。
そのような親しく話す友達となるのも、過去世で五十回以上は顔を合わせていないと、そのような縁は持てないといいます。(過去のどこかの人生で、道ですれ違ったり、どこかの場所で顔を合わせたり、また先ほどのように、何かの乗り物の中で顔を合わせたり、そのような多生の縁が数十回以上も積み重なって、ようやく今生友達となる縁が持てたのです)
先ほどの東山動物園で顔を合わせたり、あるいは行きかえりの電車の中で顔を合わせたりして、私の話を聞ける人は、決して偶然なのではなく、私と過去世で多くの縁があった人たちばかりなのです。(残念に思う人も多いかもしれませんが。〔苦笑〕)
だから私の話が(法の話が)聞けるのであり、そうであるなら、その縁の有難さにもっと感謝して、素直に私のいうことを聞かないといけないのです。(この世だけの表面上の感情に左右されずです…されている人ばかりですが。〔苦笑〕)
これまでの皆さんの過去からの積み重ねがあるから、今こうして法の話が聞けるのです。
しかし、今のような態度をもしこれからも続けるのであれば、その過去世からの積み重ねもパァーになり、自分自身も地獄に堕ちるという最悪の事態にもなりかねないのです。
それほどの罪を今現在、犯し続けている人たちが多いからです。
法の話が聞けるだけではなく、法の奇跡まで次々に見せてもらっているのです。今生、これほどの縁をいただいているのです。もう少し感謝されてはどうでしょう。
これほど法と交わる、法の奇跡が現れる、そのような人生は、過去世を思いだしても、そうはないからです。
いよいよ法の世が深まり、神の業がそこかしこに現れる時代となりました。
そのような時代は嫌だ、もっと自分の好きなことをしたい、ではないのです。
このような時代に生まれ合わせたのも、過去世からの人生の積み重ねであり、その法が目の前に現れる、そのような時代に生まれ合わせることが出来たことを、もっと感謝しないといけないのです。
自分の考えとは裏腹に、これから法の世は深まって行きます。
その過去世からの法の縁に気づいて、法を知ったことに感謝し、法を行った者だけがこれからは生き残ることが出来るのです。
法に感謝され勉強されてはどうでしょう。
そのような人だけが本当の勝利者となるからです。
追伸…縁といえばです。
男と女での、その最大の縁が結婚ということになりますが、その結婚の問題で夫婦別姓の禁止は合憲であるという憲法判断が示されました。
妥当な判断であったのではないでしょうか、過去世の縁を知るならばです。
この世で夫婦の縁を持つ人たちは、過去世で相当縁の深い人たちばかりなのです。
それこそ、過去世でも同じように夫婦であったり、親子や兄弟であったりしたような縁の深い人たちばかりなのであり、そのような過去世の縁を考えるなら、今生での少々の不便が何ほどのことになりましょう。
そのような不便も、夫婦の愛で乗り越えることこそ、その夫婦の心の勉強になるのであり、また過去世からの愛の深さの証明ともなるのです。
世界が夫婦別姓だからと、そんな法を知らない(ということは、過去世の縁の深さを知らない)人たちが決めたことがどれほど正しいものでしょう。
今生で夫婦になることの縁の深さ、そういうことも考え、このようなことは決めた方がいいと思います。
キリストは「夫婦は一体である」といわれていました。
このようなキリストの言葉こそ、過去世から今生、そうして来世に至るまでの幸せの道を語っているのです。
夫婦別姓のおかしさは、このようなキリストの言葉からでも分かることなのです。



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