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12月 18 2015

多生の縁

昨日は東山動物園に行っていました。

特別な理由はありませんが、まだ前の会社の工事が終わっていなくてうるさそうだったのと、この前行った時(十一月二十日です)私は、あまりに東山動物園のスタッフや工事をしている連中に嫌がらせをされたので、翌日のブログに「東山は近いうちに何か起きる」と書いておきました。

その書いたことが当たったかどうか確認したかったからです。

マァ、大当たりでしたけどね。明らかに態度が変わっていたからです。何度も確認しました。「癌になる奴が出たのか」とです。

そうしたら、工事をしている連中が怒ってガンガンやりだすのが何人もいました。

しかし、不思議なことに、工事をしている連中は怒っている奴がたくさんいるのに、その工事に出入りするトラックは、一台も私にブシュとやってこないのです。

工事をしている連中が怒っているのなら、そこに来ているトラックの運転手連中はもっと怒っていてもいいはずです。元々トラックの連中はもっと前から私のことを怒っていたはずだからです。

ところが昨日は、そのもっと怒っていなければいけないトラックの連中が妙に静かだったのです。

この前行った時は、あれだけブシュブシュやっていた連中がです。(それはこの前だけではありませんが)

私が動物園に顔を出した時は毎回、東山動物園の工事に来ているトラックはブシュブシュやっていました。あそこに来ているトラックの運転手で、私の顔を見てブシュとやらなかった運転手はいないくらいです。

それが昨日は一台もそういうことをしなかったのです。

やたら怒っている人と急に静かになった人がいる、このような両極端な態度を見せる人たちがいるということは、そこに何か起きたからです。

確実に東山動物園にも恐ろしい現象が現れだしたようです。(そこにいる動物たちには関係ありませんが。人間限定です。本当に哀れです)

しかし、それは東山動物園だけではないようです。

その東山動物園を出て、地下鉄の駅までは歩いて一分か二分で行ける距離なのですが(地下鉄の駅は東山動物園のすぐ前にあるということです)その地下鉄の駅に歩いて行くだけでも、私は道路を走って行くトラックにブシュブシュやられるのです。

とにかく、私が道を歩くと周りにいる鳥たちが騒いだりするので、すぐに私がいるとみな気づくようで(そういうくだらないことには皆さんよく気づくようです。〔苦笑〕)それで歩いている人はもちろんですが、道路を走るトラック連中もすぐにブシュブシュやってくるのですが、昨日は、その道路を走るトラック連中も誰もブシュっとやらなかったのです。

道を歩いて行く人は相変わらずの人が多いのですが、トラックは東山動物園に来ているトラックだけではなく、そこらを走るトラックまで私になにもやってきませんでした。

これもまた不思議な話です。

トラック連中は何が起きているのかは、無線などですぐに伝わります。それで嫌がらせをやめてしまった人が多いのでしょうか?

しかし、あの辺りを走っていたトラックは、この辺のトラックと違い(この辺りのトラックが急に静かになった時でも)私に平気でブシュブシュやってきたはずです。

それが昨日は、どのトラックも(東山動物園の中でも外でも)私にブシュとやったトラックはいませんでした。

怒っているのは東山動物園の中にいる連中(工事をしている連中や飼育員やスタッフ)だけで、それ以外の人たちは妙におとなしかったのです。

こういうことを踏まえまして、帰りの地下鉄の中では、もう大変なことが起きている、という話をさせてもらいました。もちろん周りの人たちが私にちょっかいをかけてきたからです。

そうしたら、みな怒りたくっているのです。

私が「名古屋や浜松などで癌になる人や死ぬ人が増えている」「今のような心では皆さんそうなります」みたいなことばかり話したからです。

そういう話は東山動物園内でも散々させてもらいました。

「今のままの心では癌は止まらない」「悪いことをみな私のせいにしているのがいけないのであって、このようなことが起きてきたら、もう本当の神の教えを知るしかない」「救われたいのなら『お前が悪い』ではなく『助けてください』といわなければいけない。本当の神の教えを知っているのは私だけなのだから」などなど、だいたいこういった内容の辻説法をしまくりました。

特に工事をしている連中にです。(そうして、私のブログを読めともいいました。私のブログを読むなら少しは法を理解するからです)

しかし、東山動物園の連中もそうです。素直に私の話を聞かず、怒っているのです。

しかし、それも進歩ですよね。少し前にこんな話をしてもみな笑って取り合わなかったのですから。それが今、そのような話をするとみな怒りだすのですから。(ということは、皆さん、そういう話を真剣に聞いているということです)

多くの人が、このような最新の情報(心の面のです)を聞けるのも私を知ったからです。

「袖振り合うも多生の縁」(そでふりあうもたしょうのえん)といいますが、このブログを見ている人も友達はいると思います。

そのような親しく話す友達となるのも、過去世で五十回以上は顔を合わせていないと、そのような縁は持てないといいます。(過去のどこかの人生で、道ですれ違ったり、どこかの場所で顔を合わせたり、また先ほどのように、何かの乗り物の中で顔を合わせたり、そのような多生の縁が数十回以上も積み重なって、ようやく今生友達となる縁が持てたのです)

先ほどの東山動物園で顔を合わせたり、あるいは行きかえりの電車の中で顔を合わせたりして、私の話を聞ける人は、決して偶然なのではなく、私と過去世で多くの縁があった人たちばかりなのです。(残念に思う人も多いかもしれませんが。〔苦笑〕)

だから私の話が(法の話が)聞けるのであり、そうであるなら、その縁の有難さにもっと感謝して、素直に私のいうことを聞かないといけないのです。(この世だけの表面上の感情に左右されずです…されている人ばかりですが。〔苦笑〕)

これまでの皆さんの過去からの積み重ねがあるから、今こうして法の話が聞けるのです。

しかし、今のような態度をもしこれからも続けるのであれば、その過去世からの積み重ねもパァーになり、自分自身も地獄に堕ちるという最悪の事態にもなりかねないのです。

それほどの罪を今現在、犯し続けている人たちが多いからです。

法の話が聞けるだけではなく、法の奇跡まで次々に見せてもらっているのです。今生、これほどの縁をいただいているのです。もう少し感謝されてはどうでしょう。

これほど法と交わる、法の奇跡が現れる、そのような人生は、過去世を思いだしても、そうはないからです。

いよいよ法の世が深まり、神の業がそこかしこに現れる時代となりました。

そのような時代は嫌だ、もっと自分の好きなことをしたい、ではないのです。

このような時代に生まれ合わせたのも、過去世からの人生の積み重ねであり、その法が目の前に現れる、そのような時代に生まれ合わせることが出来たことを、もっと感謝しないといけないのです。

自分の考えとは裏腹に、これから法の世は深まって行きます。

その過去世からの法の縁に気づいて、法を知ったことに感謝し、法を行った者だけがこれからは生き残ることが出来るのです。

法に感謝され勉強されてはどうでしょう。

そのような人だけが本当の勝利者となるからです。

追伸…縁といえばです。

男と女での、その最大の縁が結婚ということになりますが、その結婚の問題で夫婦別姓の禁止は合憲であるという憲法判断が示されました。

妥当な判断であったのではないでしょうか、過去世の縁を知るならばです。

この世で夫婦の縁を持つ人たちは、過去世で相当縁の深い人たちばかりなのです。

それこそ、過去世でも同じように夫婦であったり、親子や兄弟であったりしたような縁の深い人たちばかりなのであり、そのような過去世の縁を考えるなら、今生での少々の不便が何ほどのことになりましょう。

そのような不便も、夫婦の愛で乗り越えることこそ、その夫婦の心の勉強になるのであり、また過去世からの愛の深さの証明ともなるのです。

世界が夫婦別姓だからと、そんな法を知らない(ということは、過去世の縁の深さを知らない)人たちが決めたことがどれほど正しいものでしょう。

今生で夫婦になることの縁の深さ、そういうことも考え、このようなことは決めた方がいいと思います。

キリストは「夫婦は一体である」といわれていました。

このようなキリストの言葉こそ、過去世から今生、そうして来世に至るまでの幸せの道を語っているのです。

夫婦別姓のおかしさは、このようなキリストの言葉からでも分かることなのです。

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12月 16 2015

反省

今年の漢字は「安」だそうですね。

安心の「安」ではなく不安の「安」というのですから、世相を表しているといえばいえるのでしょう。(安保法案以外でもテロなど不安なことは多いですから)

私的には「異」ですかね。

昨日書いたことではありませんが、異常気象や異常現象の「異」異次元の「異」ですかね。

今年も異常気象や異常現象は多く起こりましたし、異次元からの力も強く感じました。様々な奇跡を通してです。(異次元の技とかいわれている選手もいるようですが、ということは異次元の力が作用したのではないでしょうか)

しかし、私の思った漢字はともかく、今年の世相を表す漢字の不安の「安」の方は本当によく多く人々の心を表していると思います。特に、この辺りの人たちはかなり不安であると思うからです。

不安そうですね、皆さん。そうでもないですか?

そうでもない割には、ずいぶん態度も雰囲気も変わってしまったところが多いようです。

運転手連中も最近は静かにしている人が多いですね。やって行く人はやって行くのですが、そういう人は少ないですし、そのやって行く人も顔が引きつっている人が多い。そうでもない人は今起きている(最近起きている)ことを知らないのでしょう。

最近はまた特に現れてきているのではないでしょうか。神の業がです。(異次元の業がです)

違いますか?

そうとは思えないのです。そのような運転手連中の態度だけではなく、この辺りの人たちの態度が最近は急に変わり始めたところも多いからです。

庄内川の帰りにはもう中学生とも小学生とも会わなくなりました。(特に中学生はどこに行ってしまったんでしょう)ところがそういう場所が、その辺りだけではなくなってきたのです。(会うところでは、そのような時間帯は〔夕方五時~六時くらい〕たくさんの中学生に出会います。そういう連中はまず何かちょっかいをかけてきますが)

それに、あれだけちょっかいをかけてきたのに、ずいぶん静かだなという場所も多いのですが、ある工事現場に行くと烈火のごとく怒っている連中がいるのです。

つまり、この辺りは妙に静かになってしまったところと、やたら怒っているところと両極端に分かれているのです。

歩いてくる人も同じです。顔の引きつりが激しい人とやたら怒っている人が多く、中間の人が少ないのです。(そういうことをあまり知らない人、私の顔を見ると普通に嫌がらせをしていく人が中間の人です。〔苦笑〕)

ということは、私の経験上、何か周りに起きて来た人が多いのではないかと思えるのですが、その推測は違っているのでしょうか?

だから私は、この辺りの人たちは特に不安なのではないですか?と書いたのです。

なんか、近くの人もやたら怒っている人がいます。(悪魔軍団だけではなくです。あの連中は相変わらず烈火のごとく怒っていますが、よくあれだけ毎日怒っているものです。それだけでも体に悪そうです)

その人たちは、悪いことが起きると私のせいにしているようですが、あなたたちは私に嫌がらせをしていないのでしょうか?(ずいぶんされたような気がしますが)

私の祈りのせいで病気になった、と思っている人も多いのですが、私は嫌がらせをされたから、その人を祈ったのです。(キリストの「汝を責め憎む者のために祈れ」という言葉に従ってです)

もし私の、その祈りが人を病気にさせるものであるならば、私が祈った人は片っ端から病気にならないといけません。しかし、実際はそうなっていないのです。(私に嫌がらせをしてきて、私に祈られても、ピンピンしている人はたくさんいます)

では、私の祈りで病気になったという言い方はあたらないのではないでしょうか。私が祈っても病気になっていない人はたくさんいるからです。

「では、その中でなぜ病気になる人もいるのか。お前が何度も祈ったからだろう」といわれる人がいるかもしれませんが、何度もいいますが、私はいきなり人を祈るということはしません。

私が祈るのは、その前に私に嫌がらせなどしてきた人限定なのであって、その嫌がらせがなければ私から人を祈るということはしないのです。

では、私が祈って病気になったといわれる人たちは、私が祈る前に、必ず「嫌がらせ」という行為を私にしているはずです。

それが病気になった(本当の)原因なのではないのですか?

私が祈って病気になったと思われている人たちは、すべて(すべての人がです)必ず私に嫌がらせをしてきているのです。

なぜ、その「嫌がらせ」という悪の行為は抜いて、人を祈るという善の行為(これは善の行為ですよ。私はその人を呪っているわけではないからです)だけ問題にしているのですか?

それは明らかに的外れでしょう。

私は人に対し、善い行為しかしていないのです。なのに、何でそのような善の行為しか行っていない者が人を病気にするのでしょう。

善の行為を行って悪い結果が出るというのもおかしな話です。そうであるなら、その悪い結果が出ている人は、悪い行為を行っているから、そのような悪い結果が出ているのではないのでしょうか。

では、その悪い行為とは何ですか?

それは私に祈られる前にその人が行っている、私に対する嫌がらせです。

私と私に祈られている人の間での悪い行為は、それ以外、見当たらないからです。

私に祈られて病気になった人は、それは私の祈りが原因なのではなく、私が祈る前の私に対する「嫌がらせ」それが原因となっているのです。

その人が、私に何度も祈られているということは、それは私に何度も嫌がらせをしているということです。その何度もした嫌がらせが原因となり病気になったのです。

嫌がらせは悪の行為であるからです。悪の行為を何度も続ければ、その報いは当然受けなければいけなくなるからです。

何で自分がしている悪の行為を抜かして、私がしている善の行為(祈り)を病気の原因にしているのでしょう。そんなの間違いに決まっています。

だから、私には奇跡が起き、皆さん方には災いが起きるのです。善因善果、悪因悪果の法則が現れているからです。

口ではなく、現象として、その善悪がはっきり現れているのです。これ以上正しい話もないわけです。(それをなかなか認めようとしないから、何度も同じことを書いているのですが。〔苦笑〕)

このように考えれば、私が何もしていないのに(祈ってもいないのに)お前のせいで病気になったといっている人も同じなのです。

自分のこれまでの行いをよく考えてみてください。

そんなによいことをしているのですか?人の悪口はいいませんでしたか?人に嫌がらせはしていませんか?嘘をついたり、人をだましたことはありませんか?そのようなことはすべて悪いことなのです。(こういうことが悪いことであるという自覚がある人が少ないのではないでしょうか。だから自分は悪いことをしていない、などととんでもないことをいうのです。こういうことも悪いことと知れば、悪いことをしている人はずいぶん多いのではないでしょうか)

そうして、そのような自分でしている悪いことが自分自身に早く現れる、そのような時代となったのです。(善因善果、悪因悪果の法則が早く現れる時代になったということです)

その時代が変わって現れてきた現象を、この辺りの多くの人は私のせいにしているだけなのです。(しかし、浜松など誰のせいにも出来ません。訳が分からず死ぬ人が増えているのです)

現に、私にはよい現象ばかりが現れているのです。そのような悪い心を反省したからです。

私だって悪いことはやりました。ここにその悪いことを全部書くなら「なんだこいつ、こんな悪いことをしているのか」と信用を無くすこともあるかもしれません。(だから、そこまでやばいことは書きませんが)

しかし、そのような悪いことを全部反省したのです。そうして、よいことを(法の流布など)これからしていこうと心に誓い、それを実践しているのです。

そうしたら、奇跡が次々に現れてきたのです。

こういう者もいるのです。ずいぶんこの辺りは、恐ろしい現象が現れてきたようです。

反省しなくてよいのですか?

その恐ろしい現象から、自分を守れるのは、その反省の心しかないのです。

(このようなことはどちらにしても起き出したのです。それと、これまで気づいていなかった多くのことに、多くの人が気づいただけです。その気づきを与えた者に、今のような仕打ちはひどいのではないでしょうか。これからは反省し、心を入れ替えた者だけが救われるのです。特にこの辺りの人たちは早く心を入れ替えた方がいいでしょう。それほどの悪いことを〔知らなかったとはいえ〕行っているからです。よいのですか?私を悪者にしたままでです。残念ではありますが、その悪者と思っている者にしかあなたたちを救えないのにです)

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12月 15 2015

異常さ

香川県の高松市ではもう梅が開花したそうですね。(観測史上二番目の早さだそうですが)

冬が来ないうちに春が来ましたか、たまには冬がない年もいいでしょう。あまり寒いのは好きではありませんから。(笑)

などという個人的な見解もいけませんね。冬は冬でしっかり来てもらわないと困りますが、それにしても最近は異常なことばかり起きるので、こういうことが起きてもあまり驚かなくなりました。

異常さになれてしまっているのですから、ずいぶん恐ろしい状況ですね。

これほど異常な世の中になっているのも、異常な人が多いからです。その自分の異常さに多くの人は気づいていないのです。

次々に奇跡が起きている教えがあるというのに、それを一向に勉強しようとしないのです。それは異常なのではないですか?

鳥やら魚やらがたくさん集まってくる者がいるのに、そのような現象に一切驚くことなく無視しているのです。それは異常なのではないですか?

どれだけ天罰を食らっても、それを反省しようともしないで責任転嫁して怒っているだけなのです。それは異常なのではないですか?

このように多くの人たちの態度が異常なのです。気象も異常になるでしょう。

普通であるなら、それだけ奇跡が起きる教えがあると知れば、われ先にと教えを乞うはずです。

普通であるなら、そんな鳥や魚がたくさん寄ってくる者がいるなら「何で鳥や魚がそんなに寄ってくるのですか?」と不思議がり、興味を持って聞きにくるはずです。

普通であるなら、自分たちに悪いことばかり起きれば、それは自分たちのどこかに悪いところがあるのであろうと謙虚に反省し、神にでも仏にでも頼るはずです。

しかし、このような普通のことを誰もやろうとしないのです。

こういう人たちを異常とはいわないのでしょうか?

神が起こす奇跡に興味もない、謙虚さもない、神をも恐れない、金儲けと遊びにしか興味がない。これはすでに神の子の人間として、異常といわざるを得ないのです。

神の子の人間が、まったく神の心を理解していないからです。(多くの人は、自分が神の子であるということさえ理解していません。ほとんどの人が自分は人の子であると思っています。とんでもありません。神がそのような順序で人がこの世に生まれてくるようにつくられただけで〔これはあくまでこの世限定の順序でしかないのです。人はあの世ではそんな生まれ方はしないからです〕元々人はみな神につくられた神の子なのです)

奇跡が次々に現れる教えがあるなら「教えてください」と頼みの来るのが普通なのです。

鳥や魚が寄って来る、そのような奇跡を起こす者がいるのであれば、そのような現象が自分にも現れるようになりたいと「どうやったら、そういうことが起きるのですか?」と聞きに来るのが普通なのです。

そうして、自分たちの周りに悪いことばかりが起きているのなら、自分たちが悪かったと反省し、神や仏に頭を下げて祈るのが普通なのです。

それなのに、多くの人たちの今の態度はどうでしょう。

次々に奇跡が起きる教えがあるというのに、興味を示さない人がほとんどで、興味を示す人も自分に都合のよいところを自分でコソコソやっているだけ。

それでは興味を示さない人よりはましというだけでしょう。やっていることがずいぶん姑息だからです。

鳥や魚が自分たちの目の前で寄ってくる人がいるというのに、そのような現象も無視する人がほとんどで、そんなことに何の価値があるのかと「バカじゃないか」という顔をする人もいる、その現象を見て「何でお前ばかりに寄って行く」とねたんだり、ひがんだりして嫌がらせしていく人もいる、と人としてあるまじき態度を取っている人たちばかりなのです。

自分さえよければよいと姑息なことばかりしていることが正しことでしょうか?

鳥や魚が寄ってくるという奇跡は人が起こしているのでしょうか?それとも神が起こしているのでしょうか?

もし、このような現象を人が起こしているのであれば、これまでも私のような人はたくさん出てきていたでしょう。人が起こしているのであれば、誰でもそのような現象は起こせるはずだからです。

しかし、このような現象は、後世に名を遺す救世主や預言者といわれている人たちにしか起きていないのです。

そうであるなら、その現象は神が起こされているのでしょう。だから、そのような偉大な方々にしか現れないのです。

神が起こされている現象であるなら、その現象を無視するのは間違いであるし、その現象を見て「バカじゃないか」と思っている人の方がバカなのであるし「何でお前ばかりに寄って行く」とひがんでいる暇があるなら、その人のようになれるように努力すべきなのではないでしょうか。

神が現す現象が現れている人ほど立派な人はいないからです。(それは、釈尊しかり、キリストしかりでしょう)

このような今の人々の態度を知れば分かるでしょう。多くの人が、正しいことを何一つやっていないのです。

それでは自分たちの周りに悪いことばかり起きるのは、当たり前のことなのではないでしょうか。自分たちのしていることが悪いことであるからです。(善因善果 悪因悪果)

それなのに、その自分たちのせいで起きている悪いことを、その悪いことをしている人たちがあろうことか責任転嫁しているのです。(温暖化のせいにしたり、私のせいにしたりです)

そうであるなら、このような人たちは一体どれだけ多くの悪を犯しているのでしょう。悪いことの上にまた悪いことを重ねているからです。

心の世界(天上界)から観たら、これだけ現代の人たちは悪いことを重ねているのです。(その上に、犯罪などの悪いことをしています。心の世界の基準から観たら、この世の人たちは、もうどれだけ悪いことをしているのか分からないくらいなのです)

これでもまだ自分たちは悪いことをしていないですか?

悪いのは全部お前なのでしょうか?

そういう無反省なことをいっているから、異常なことばかり起きるのです。(起こされるのです)

早く気づいてください。

これだけ異常なことばかり起きるのは、自分たちの心と行いが悪いからです。

(この世の法律には引っかからなくても、心の世界から観たら悪いことはたくさんあるのです。その心の世界の基準が、本当の善悪の基準なのです。この世の人は、その悪いことの基準を甘く見ているのです)

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12月 14 2015

奇跡を起こす方法

最近のスポーツ界は日本の選手が大活躍ですね。

スケートはもちろんのこと、体操、卓球、バトミントンなどなど、国際試合で優勝する選手が続出しています。

この流れは、あの野球のプレミア12から始まったことなのではないでしょうか。(あの神がかり的なバッティングをした選手からです)

あの頃に私は、このブログにスポーツ選手の心の在り方を少し書きました。(何に対しても感謝しないといけないとです)

すると、そのプレミア12で急に異常に打ち始める選手が出てきて、それから神がかりとか、神の領域とかいわれる選手が出て、そうして国際試合で優勝する選手があちこちから出始めたのです。

別に、それが私のここに書いたアドバイスのせいとはいいませんが(もちろん個々の選手たちの練習の賜物なんでしょうが)あまりにタイミングが合いすぎています。

それに、神と名のつく技を現す選手があちこちに現れているのですから、ただ単に自分たちの練習の成果というだけとも思えません。

何かきっかけがないと、そのような『神』といわれるほどの技が出せるようにはならないからです。

そうであるなら、ここに書いたスポーツ選手の心の在り方を、何人かの選手は実践したから、そのような結果が出たとも思えます。この教えを実践するなら、それくらいの結果が出ても不思議でもなんでもないからです。

それほどの教えがここに書かれてあるからです。(それに気づいていない人が多いんですが。あまりに分かりやすく〔子供でも分かるように〕書きすぎていてです。しかし、本来の神の教えとはそのようなものなのです。大人から子供まで、すべての人に伝わらないと本当の神の教えとはいえないからです)

もし、そうであるなら、この教えは大自然に奇跡を現し、動物に奇跡を現し、そうして今度は人間にも奇跡を現す。

すべてのものに奇跡が現れる、まさに本当の神の教えということになります。

それがあちこちで証明されている、それだけのことでしょう。

この教えが、本当の神の教えであるということは、すでに多くの人が知っているからです。

知っていて、何もしようとしない人が多いのですが、それはともかく、信仰とはこのようなものなのです。

お寺や神社に行ってお参りしても、どれだけお経を上げても、このような奇跡は起きないのです。

しかし、少し心を変えて、その心を実践するだけで、すぐに奇跡など起きるのです。

奇跡とはそれほど遠いところにあるものではなく、すぐ近くにあるものだからです。(自分の心の内にです。その心に奇跡を現す原点があるのです。だから心が変わると奇跡が起きるのです)

しかし、その奇跡を現す方法は、これまでの信仰といわれていたような(お経や仏像などに祈るような)そんなやり方ではなく、心と行いを変えることで現れるのです。

何度もいいますが、それが本当の信仰であるからです。

ということは、これまでの信仰は間違いであったということです。だいたい、神社やお寺にお参りしても、お経をどれだけ上げても、奇跡も何も起きないのです。(ただ気分がよくなったとか、すっきりしたとかいっているだけでしょう。そんなのただの勘違いです。そういう風に思い込んでいるだけです)

何でそんなものが信仰なんでしょう。神に祈って何も起きないなどおかしいでしょう。

本当の信仰は(神とかかわりを持つのですから)必ず、何かよいことが起きるのです。よい導きがあるのです。信仰とは本来そのようなものであるからです。(必ずお蔭がある)

本当の信仰とは、キリストがいわれた「悔い改めて福音を信ぜよ」ということなのです。

悔い改めて〔反省して〕福音(法)を信じ、それを行う。そうすることで自分自身(の心)も成長し、そうして奇跡も現れる、それが信仰なのです。

本当の信仰とは、簡単にいうなら、自分の心と行いを(良い方に)変えることなのです。

それだけのことなのです。別にお経など上げなくても、仏像などに祈らなくてもよいのであって、法を知って実践できるようになればそれでいいのです。(それで十分心も成長するからです。口でいうほど法の実践は簡単なことではありませんから)

ですから、私のいうことを聞いて、それを自分がしているスポーツの中で実践した選手がもしいたとしたら、その選手はもう法の実践を行っているということであり、本当の信仰をしているということになるのです。

災いが起きるのも、この教えが本物の証拠でしょう。本物の教えに逆らうから災いが起きるのです。(偽の教えに逆らっても災いが起きるわけがありません。もし、偽の教えに逆らっているのなら、むしろそれはよいことをしているのですから奇跡が起きるでしょう)

本物の神の教えをじゃましているから災いが起きるのです。その教えに従えばいいのです。そうすれば奇跡が起きてくるからです。

この教えが現れたことで、多くの災いも起きていますが、それはこれまでの間違った信仰など続け、間違った心の在り方でいつまでもいるからであり(だから自業自得といっているのです)その間違った心と行いを少し正すのであれば、それだけでもう奇跡が起きてくるのです。

ここに書いたことが嘘ではないという証明が、あちこちに現れ始めています。(大自然に、動物に、そうして人間にもです)

このような奇跡は、これからまだまだ起きてくるのです。正法の世はこれから益々深まって行くからです。

ということは、これから奇跡もたくさん起きてくるけれども、災いも増えるということです。この教えに逆らっている人も多いからです。

現在はまだ間違った教えが全盛なのですが、そこに正しい教えが現れ、その正しい教えが拡がりつつあり、間違った教えから正しい教えに変わる過渡期にあるのです。

だからこれほどの混乱をきたしているのですが、これから時代は正法の時代にドンドン移行していきます。

そうなれば、先ほど書いたように法を実践する人には奇跡が、逆らう人には災いがより激しく現れてくるのです。

もはや、どちらが正しいのかは明らかです。(奇跡が証明しています)

この教えを実践した人から奇跡が起きて幸せになって行くのです。

何でこれほどの教えに、いつまでも逆らっているのですか?(時間の無駄です)

これほどもったいない話もないのです。

(まだ前の会社が工事をしています。うるさくて気が散るので、今日のブログはこれくらいにしておきます)

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12月 13 2015

金にボケるな

前の会社、こちら側に(倉庫ではなく)でかい塀(へい)のようなものをつくったようです。

その塀のせいで多少静かにはなりますが、昨日、一昨日のように窓を開けてガンガンやられたらどちらにしてもうるさいのです。

いくらでかい塀をつくっても、その会社で働く人の心が変わらなければ、何をつくっても同じでしょう。あれでは恐ろしい現象は止まらないからです。

昨日も一昨日もあの会社の連中やたら怒っていました。

そうして、でかい音を出し続けていると、急に音が止まってシーンとなるのです。何かこの頃は、そのような嫌がらせを続けていると、すぐに恐ろしい現象が現れるようになったようです。天罰覿面とはこの会社のためにあるような言葉ですね。(本当に哀れです)

それにしても、こんなでかい塀を年末につくるのです。儲けていなければ出来ないことですね。(年末締めの前に金を使うというのですから、さぞ今年は利益が上がったのでしょう。〔苦笑〕)

しかし、どれだけ儲けていたところで、恐ろしい現象が次々に現れるのなら、何も楽しいことはありません。

こういうところでも、金儲けより大事なものは何かよく分かる話なのではないでしょうか。

どれだけ金を儲けようが、自分がいつ癌になるか分からない、そんな思いが常にあるなら何一つ楽しいことはないのです。

金よりなにより、まず自分が健康でいたい、と考えるのが普通であるからです。

というより、心が安らぐ楽しい生活がしたい、と思うのが人として一なのではないでしょうか。

しかし、これまでは、このように金儲け第一でやってきた人が多いのです。金がたくさんある生活、それが即ち心が安らぐ楽しい生活であると思っている人がほとんどであったからです。

そうして、そのような生活に神など入る余地はありませんでした。

信仰といえば、そのような楽しい生活がしたいため(金儲けのため)にしているだけで、決して神のためにしているわけではなかったのです。(だから自分の欲望を満たす現世利益信仰が全盛であるのです)

しかし、そのような考えは間違いであったのです。

間違いであったから、このような恐ろしい神の業が次々に現れるようになったのです。(私の周りに起きていることにせよ、異常な異常気象にせよです)

自分たちの生活の仕方にせよ、信仰にせよです。自分中心ではいけなかったのです。あくまで神を中心としなければいけなかったのです。

この世界のすべてをつくられたのは神であったからです。(それはこの世界のルールも含めてです)

それは違う、まず自分が一番だろうといくらいわれても、その自分にいつ恐ろしい病が発症するか分からないのです。いつ激しい現象に襲われ命を落とすかもしれないのです。(大雨や地震などで)

そのような状況になっていて、それでも金儲けを優先するのですか?遊びが先なんでしょうか?

そんな人はまずいないでしょう。

そのような状況になれば、人は誰でも神に頼るのです。「神様助けてください」と手を合わせ祈りを捧げるのです。

それが人としての原点であるからです。

そのような態度こそ神の子の人間として、神に対し、とるべき当たり前の態度なのであり、今のように、神を便利屋のように使ったり、神など存在しないと否定するなど、神の子の人間としてはあるまじき態度であったのです。

そのようなあるまじき態度を続けて来た人たちばかりなのです。

そういう恐ろしい状況になっても決して不思議ではないのではないでしょうか。これまでの態度があまりに神に不遜であったからです。あまりに自分本位であったからです。

そういう恐ろしい状況に(不治の病に次々にかかり、天変地変が激しく起こる)すでになっているのです。

しかし、現代の人たちは、あまりに自分本位がすぎて、そのことに気づいていないのです。

不治の病にかかる人がたくさん出てきたら、それは人のせいにして、激しい天変地変は温暖化のせいです。

決して、自分たちが神に対し不遜であったから、そのような天罰が下っているとは思わないのです。現代の人たちは自分本位に加え傲慢不遜でもあるからです。

そういう考えの上に金儲けが第一なのです。

自分の命よりも金儲けの方が大事なのですから、自分の命がどれだけ危なくなっても、その危なさに気づかないわけです。

だから、どれだけ危ない現象が現れていても、それでも仕事が第一なのであり、神に頼ることもしないのです。

神の恐ろしさも、自分の命の危うさも、金にぼかされて理解出来ないからです。

いい加減理解されたらどうでしょう。自分たちがどれだけ金にボケているかをです。

すべて、金が先に来ているから、神がどれだけ怒っているのか、そうして、今の自分たちがどれだけ危険な状況であるのか理解出来ないのです。

しかし、その金という部分を抜くと分かるのです。自分たちがいかに危ないことをしているかがです。

よく考えてみてください。自分たちは大変おかしな考えを持っているのです。

なぜ勉強するのですか?

それはよい大学に入って、よい会社に入り、そこで出世するためです。

なぜそれほど一生懸命にスポーツをするのですか?

それは将来、プロのスポーツ選手になりたいからです。そうしていろいろな記録をつくりたいからです。

なぜそれほど歌や踊り、あるいは役者の勉強をするのですか?

それは将来大スターになりたいからです。

このようなことはすべて、たくさんの金がほしいからといっていることと同じなのです。

もしたくさんのお金がもらえなかったら、人は会社で苦労して出世を望むでしょうか?

スポーツでも同じです。有名な野球やサッカーのプロ選手は大変な額のお金をもらっています。

しかし、もし、有名になってもそれほどのお金がもらえなかったら(例えば、どれだけ有名になっても、偉大な記録を残しても、十万や二十万程度の月給しかもらえなかったら)それだけ厳しい練習に耐えて、スポーツ選手になる人がどれだけいるのでしょう。

これは歌手や役者の人でも同じでしょう。

大したお金がもらえなかったら、それをやる人がどれだけいるのでしょう。

まったくやる人がいなくなるとはいいませんが(純粋にスポーツ選手になりたいとか、歌手になりたい、役者になりたいという人はいますから)やる人がずいぶん減るのはたしかなのではないでしょうか。

そのような苦労の代償が金であるからです。

つまり、金をもらえる保証がなければ、人はいらない苦労はしないのであり、現在のほとんどの人の最終目標が金をたくさん儲けることになっているのです。

だから、その最終目標に血眼になっていて、自分が神にどれだけ逆らっているのか、その神を怒らせ、自分の命がどれだけ危ない状況であるのか、分からないのです。

最終目標の金にしか、みな目がいっていないからです。

だから、これだけ恐ろしい状況になっていても、その恐ろしさがあまり分からないのです。危ない状況より金儲けが先に来ているからです。

しかし、現在の日本は大変危ない状況であるのです。もう何十年も(もっといえば何百年もです)神に不遜な態度を取り続けているからです。(普通ならとっくに滅ぼされています。日本には大きな使命があるから残されているだけです)

早く気づいてください。どれだけ自分が金にボケているかをです。そして神の現す業がどれだけ恐ろしいかをです。

そうして、神が現す奇跡がどれだけ偉大であるかをです。

現在の人々は、奇跡よりもお金の方がよほど興味があるようです。(だから、私が現す奇跡をあまり評価しないのです。お金儲けの方が大事だからです)

しかし、そのような奇跡こそ、本当に自分自身を救うものなのです。

神の偉大さ、奇跡の偉大さをもう少し理解してください。金の偉大さばかり理解していないでです。

(金って偉大でもなんでもないんですけどね。しかし、今のままの心の人ばかりなら、多分この二~三年の間に日本の人口はガクッと減ると思いますよ。そういう恐ろしい現象があちこちに現れているからです。本当に早く気づいてください。現在の日本は大変恐ろしい状況にあるのです)

追伸…またあの選手、凄い得点を上げたようですね。

どうですか、そんな神の領域のような業が現せたのも、その神が協力してくれたお蔭です。

では、今度はあなたが神に協力されたら。

そうすれば、そのような成績は今後も続くからです。

と書いても、何の協力もいただけないでしょう。今日、本文に書きましたが、みな金にボケている人たちばかりだからです。

しかし、神の心を少しは知って奇跡も起きたのです。少しは、報恩の行為も実践された方がいいと思います。

それが人として当たり前の行為であるからです。

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