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11月 23 2015

業の浄化

大阪ダブル選挙も終わりました。

大阪維新の会が圧勝でしたね。ということは、大阪の人たちは今度は都構想を受け入れるということでしょうか?

あの都構想の住民投票の後、大阪の自民党が何もしなかったという勇み足もありましたが、やはり多くの人は改革を求めているのでしょう。

時代が変わっているのです。では、時代に合わせた改革は必要でしょう。

そうであるなら、心の改革は一番必要なのではないでしょうか。すでにそのような心の時代となっているからです。

もう今がすべてという時代ではありません。人は現在、過去、未来の三世を通して、永遠の修行を続けている魂であるということを早く自覚すべきなのです。(多くの人がそれを理解すれば、その理解に合わせた心の改革が出来るからです)

それにしても驚きましたね。何に驚いたかといえば、プロ野球選手の中で一番嫌いな選手と縁が深かったことがです。

一番嫌いといっても、だいたいプロ野球選手などよく知らないので好きも嫌いもないのですが、ただ、あの選手は今年のプロ野球の交流戦をテレビで観ていた時、ずいぶん腹の立つことをしたのです。

それから嫌いになったのです。(というか、一番印象に残りました。いま思うとそのような順序をもらっていたのかもしれません)

その腹の立つようなこととは次のようなことでした。

その選手が塁に出ていて、バッターがヒットを打ったので、その選手がホームに返ってきました。

きわどいタイミングでも何でもなかったので、その選手はホームベースに滑り込むわけでもなく、走り抜けたのですが、その選手が走り抜けた後、そのホームベースをガードしていたキャッチャーが急に足を押さえて痛がりだしたのです。

最初は、何でキャッチャーが痛がっているのか分かりませんでしたが、そのプレーをスローで観てその原因が分かりました。

なんと、その走ってきた選手がホームベースを走り抜けた時、ホームベースを踏まずに、そのホームベースをガードしていた相手チーム(地元のチームですけど)のキャッチャーの足を踏んづけていったのです。

だから、その選手が走り抜けた後キャッチャーが足を痛がったのです。

そのプレーのスローを、何度かテレビで映していましたのでよく分かったんですが、たまたま踏んだという感じではありませんでした。あれは完全に故意ですね。

そのプレーを観てから、この選手が嫌いになったのです。(「なんじゃこいつ祈ったろか」と思いましたもん。〔笑〕)

こういうずいぶん気の荒そうな性格の選手です。まさかこの選手に神の力が現れるとは思わなかったのです。

だから、今回の野球で最初によく打ち始めた時は「たまたま今日は打っただけだろう」と思っていました。

ところが、次の日も、その次の日もパカパカ打って、神がかりとまで新聞に書かれています。そのように皆が思うのなら、実際に神がかかっていたのでしょう。

そういう神がかり的な現象が現れるのなら、それはこの法を知ったということであり、そうしてそれほどの現象が現れたのです。

そうであるならその選手は、過去にも法に縁があったということになります。(「何で法を知っていてこんな性格なんだよ」と二重のショックでした。〔笑〕)

しかし、その選手の過去世を知るなら、それもあり得る話だなと妙に納得しました。(そういう性格だったから横死したのです)

では、今生同じ間違いを繰り返してはいけないでしょう。

もう、そのような性格は直さないといけない。もう少し相手のことも考えもっと思いやりを持たないといけないのです。あなたはあまりに人のことを考えなかったため、それで部下に殺されるという最後を前世で体験しているからです。

もし、来年の交流戦でも同じようなことをしたら、今度は遠慮なく祈ろうと思います。それがその選手のためになるからです。

このように、人には過去世があり、現在があり、そうして未来があるのです。

その未来を決めるのは現在の心と行いなのであり、その現在の心と行いは過去につくられたものなであり、現在の心と行いに悪いところがあるなら、過去に起きた悪いことがまた繰り返されるということになります。

だから悪いところは出来るだけ直さないといけないのです。

そうしないと、過去で起きた悪いことが現在に起きるだけではなく、未来でも起きることになるからです。

これは悪いことだけではなく、よいことも同じです。だからよいところは伸ばさないといけないのです。

よいところを伸ばせば、今よいことが起きるだけではなく、未来にもそのよいことが起きてくるからです。(だから私の場合、来世でも、この鳥や魚が寄って来る奇跡が見られるということです)

人は、よい業と悪い業があります。(こういう過去世からの体験が業として残るのです)

よい業は伸ばし、悪い業はなくす。これは、この世の問題だけではなく、ずっと先の未来にまで影響する話なのです。

時代は変わりました。

だから現在のことをいっているだけではなく、早くこのような過去のことから未来のことまで話しが出来る、そのような世の中にならないといけないのです。

そうしないと、本当の業の浄化は出来ないからです。

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11月 22 2015

共通点

しかし、浜松の火葬場が一週間待ちになっているというのは気になります。(先月までは三日待ちとかいってませんでした?)

これから正法の世は深まって行きます。今の心のままで本当によいのでしょうか。(それではこれから死ぬ人が増えますよ。きっと)

マァ、それはともかく、自分でいうのも何ですが私の人気は異常ですね。(不人気も人気のうちですから)この辺りではどこに行っても私のことを知っている人がいるようですし、名古屋だけではなく、愛知県のどこに行っても、そうして他県でも私のことを知っている人は多いようです。(岐阜県にゴルフを観に行った時でも、三重県の木曽川や長良川に行った時でも、私を知っている人はたくさんいたようです。あちこちで嫌がらせをされましたから。〔苦笑〕)

しかし、芸能人や有名スポーツ選手ならまだ話も分かりますが、テレビに出たこともない、そこらのオッサンがこれだけ皆に知られるというのもまた不思議な話です。

過去世でよほど私は人気があったんでしょうか。(笑)

その人気があったといえば、この前書いた中国の劉邦は有名なのですが、その後の中国にまた劉邦とよく似た人物が現れます。

それがあの三国志で有名な蜀の皇帝「劉備玄徳」です。

劉備もまた劉邦同様、ずいぶん人気があったようです。

劉備は、蜀の皇帝になる前に義勇兵を募って将軍になったり、国を収めたりしたこともありますが、ずいぶん人気があり、劉備の下に多くの人々が集まったそうです。

関羽や張飛はもちろんのこと、趙雲(ちょううん)や馬超(ばちょう)という剛の者から、あの諸葛孔明、その孔明と並び称された龐統(ほうとう)や法正(ほうせい)などの名軍師まで、多士済々の人々が集まり、そうして劉備が逃亡した時がありましたが、その逃亡になんと十数万の民衆がつき従うということまで起きたのです。

普通は、民衆が自分たちの家や土地を捨ててまで一人の者について行くなどということはあり得ません。しかし、そのあり得ないことがこの時起きたのです。(いってはいけませんが、現在の習近平国家主席が逃亡して、それについて行く中国人がいるでしょうか?まず行く人はいないでしょう。しかし、この時の劉備にはなんと十数万の民衆がつき従ったのです。それも劉備に命令されたわけでも何でもなく、民衆自らです)

中国の歴史上でも(中国だけではないと思います。どこの国であってもです)最初で(多分)最後の奇跡の出来事だったのではないでしょうか。

それほどの魅力が劉備にはあったということです。

しかし、そういう人気とは裏腹に戦には弱かったようで(配下に関羽や張飛といった猛者がいたにもかかわらずです。孔明が来てからようやく劉備軍は戦に勝つようになったのです)こういうところも劉備は劉邦と似ているのです。

三国志を書いた陳寿(ちんじゅ)も次のように劉備のことを評しています。

「度量が大きく強い意志を持ち、おおらかな心を持って礼儀正しく人に接し、人物をよく見極めてふさわしい待遇を与えた。それらは前漢の高祖(劉邦)に通じ、英雄の器を備えていたといえよう…」

陳寿も認めていますが、このように劉邦と劉備は共通点がたくさんあり、非常によく似ていたということです。

なぜ、私がこういうことを書いたのか?

もう、分かる人には分かると思いますが、劉邦が時を置いてまた中国に今度は劉備玄徳として生まれた…かもしれないということです。(笑)

あまりに共通点が多いからです。非常に劉邦と劉備はよく似ているからです。

しかし、その三国志時代に生まれていた魂たちが、もし現在の日本にたくさん生まれてきていたとします。

そう考えたら面白いでしょう。(生まれ変わりは確実にありますから)

魏の曹操、夏候惇(かこうとん)や夏侯淵(かこうえん)張遼(ちょうりょう)など、呉では孫権を始めとして周瑜(しゅうゆ)や魯粛(ろしょく)呂蒙(りょもう)など、一体誰であるのか?

その当時の、その人物たちの性格や行いを知るなら、案外当てはまる人はいるかもしれません。

過去世の性格や行いは必ず今生でも現れるからです。

そう考えるなら、プロ野球選手やプロゴルファーなどバットやクラブを剣や槍に持ちかえるなら、さぞ達人や名人といわれる人になっていたでしょう。

あれほどの運動神経をみな持っているからです。(それはサッカーやラグビーなど他の運動選手も同じでしょうが)

そういう人たちの中にも、案外そのような過去世で武将やら一騎当千の強者であった人が混じっているのかもしれません。それも一つの共通点であるからです。

そういうことはともかく、たまにはそのような過去に思いを馳せ、考えてみるのもよいことかもしれません。

その方が自分の思想も広がり豊かになると思うからです。(だからって、自分が英雄ばかりの生まれ変わりなどという勝手な妄想もいけませんが。〔どこかの教祖みたいにです・笑〕)

しかし、もし、そのような三国志時代に生まれていた人たちが現在の日本に多く生まれて来ているのなら、それはそれで心配なことがありますね。

あの時代は中国の歴史上でも一番問題があった時代であるからです。

その一番の問題とは、前にも書きましたが戦乱の中国史にあっても、この時ほど中国の人口が減った時はないからです。

中国の長い歴史の中で三国志の時代が一番中国の総人口が少ないのです。それだけ激しい戦が各地で起きていたからです。

ということは、この時代の人たちは早死にした人が多いということになります。

では、その三国志時代の人がもし今生にたくさん生まれて来ているとしたら、それと同じ現象が起きるかもしれないのです。

そのようなこともまた共通点であるからです。

やはり一番最初に書いたことを(浜松の火葬場の件ですが)現在の人たちはもう少し気にされた方がいいのではないでしょうか。

そうでないと、過去世で起きたことと同じことがまた起きるかもしれないからです。そのような(三国志の)時代に生まれていた人が、現在の日本にたくさん生まれてきているように感じるからです。(多分そうですよ。そのようなことを天から教えられていますから)

自分が英雄かどうかを想像するのもいいのですが、あの当時は凄まじい戦で多くの人々が死ぬことになったのです。

現在の日本に戦はありませんが、それに変わる神の業が凄まじく現れています。

戦は武力でしか対抗できませんが、神の業には心の在り方でいくらでも対抗できるのです。(心の在り方でいくらでも救われるのです)

やはりこれからは心の在り方を気をつけられた方がいいと思います。

なぜなら、現在日本に出ている多くの人々は過去に早死にしている人が多いと思うからです。

追伸…そのような三国志時代に生まれていた人が現在の日本に多く出ているのなら、現在の日本の総理が、その当時に有名な軍師であった人であっても何も不思議ではないわけです。(十分あり得る話です)

私がなぜ、総理に安倍総理を押したのかこれでお分かりになると思います。(過去世で縁があった方だからです)

そうして、安倍総理は過去世の実力を発揮しつつあります。

二十年近く続いたデフレを脱却出来たのも、景気が戻りつつあるのも、そうして地球儀外交などと視野の広い外交をされているのも、その過去世での経験と実力を今生でも発揮されているからです。(これで安倍一強時代といわれるわけもお分かりになると思います。過去世での実力が群を抜いているなら、今生でもその力は突出するからです)

しかし、安倍総理に一つだけいっておきたいことがあります。

「泣いて馬謖を斬る」という言葉があります。

それと同じ間違いだけは、今生繰り返していただかないようお願いいたします。

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11月 21 2015

愛ある人

昨日は動物園、一昨日は水族館に行ってきました。

特別理由はありませんが、前の会社(悪魔軍団)が工事をしていてうるさかったので、昨日は朝から出かけたのです。(マァ、同じことといえば同じことなんですけどね。工事の連中がうるさくなければ悪魔軍団がうるさいですから。〔笑〕)

相変わらず動物たちは可愛いですね。それに引き換え人間たちの憎たらしいこと。(笑)あまりといえばあまりの差ですね。(どこの連中も総じてひどいんですが、特にあの東山の連中はひどいですね。〔東山動物園の動物たち可愛そうですね。愛がないスタッフが多そうでです〕あそこは近いうちに何か起きますよ。あまりに愛がないからです)

しかし、動物たちは一体何を知っているんでしょう。

二日も続けて動物たちを見ていると本当に不思議さを感じます。どの動物たちも私の方を見ているからです。

水族館の魚たちはもちろんですが、昨日行った動物園でもそうです。

どの動物も私を見ていますね。チラッチラッと見るのもいればジッと見てくるのもいます。何であんなに私を見ているのか不思議で仕方ないですね。

動物たちは何を知っているのでしょう。動物たちの言葉が分かればと本当にそう思います。

しかし、動物たちの言葉が科学的に分かるようになれば、これまで人間が知らなかった多くのことが分かるようになるでしょう。(特に神のことやあの世のことなどです)

動物たちは人間たちの知らないこと(気づいていないこと)をたくさん知っている(たくさん気づいている)そう思えてならないからです。

そのような日を楽しみに待つしかありませんが、マァ、そのような動物たちの不思議な仕草や可愛らしさは動画を観てもらうとしまして、今回の話は昨日の、その行きかえりの電車の中での話です。

いろいろ事件が起こりました。

最初は行きの電車の中での話です。私が座っていると車掌が来て席を代わってくれというのです。

「え、何で?」と思ったら、その車両は女性専用車両でした。それを知らずに座っていたからです。(笑)

そういうかっこ悪い話はどうでもいいんですが(笑)それで席を代わったんですが、その代わった席が悪かったのです。そこらじゅうでゴホゴホ、ガハガハやられてうるさかったので、その電車内でおもっきり辻説法をしました。

「静岡では火葬場が一週間待ちだそうです。先月までは三日待ちだったのが、今月に入り一週間待ちにのびたそうです。静岡では死ぬ人が急激に増えているそうですが、大丈夫ですか、名古屋の人たち、悪いことを私のせいにしていてです」

「もう怖い現象が起きているのは名古屋だけではないのです。あちこちで起き始めているのです。サイレンももう全国的にしているようです。こういう怖い現象が全国的に拡がり始めていますが、それも私のせいですか?」

「私のせいにしようが誰のせいにしようが、その恐ろしい現象が日本に拡がり始めているの事実なのです。その現象をどうやって止めるのですか?皆さんお金儲けにはずいぶん詳しい人が多そうですが、このような現象の止め方を知っている人はいるのですか?」

「お経をどれだけ上げても、仏像をどれだけ拝んでも、この現象は止められないと(名古屋の皆さんは)みな知っているはずです。ではどうするのですか?」

「私には鳥や魚がたくさん寄って来ますが、これは釈尊やキリストにも起きていた奇跡です。私に、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きるということは同じ神理を説いているということになりますが、いいんですか、その神理を聞かなくてです。その神理を聞いて実践するしかこの恐ろしい現象を手める手立てはないのにです」

実際は、もう少しきつい言い方をしているのですが、だいたいこういうような話を電車の中でしっぱなしでした。

そうして気がついたら、降りる駅(地下鉄の東山公園駅です)を二つも通過していました。(笑)

慌てて戻ったんですが、行きはこんな感じで、辻説法をしっぱなしだったんですが、帰りは全然違って電車内は静かなものでした。

ところがです。途中の駅で見るからに危なそうな、杖を両手に持ってふらつきながら乗ってくるオジサンがいました。(明らかに足が悪そうでした)

杖をつきながら乗ってきましたが、電車が動いたら倒れそうです。

それで(私は座っていましたので)席を譲ろうとしたら、斜め前のオバちゃんが席を代わりますと立ち上がりました。(本当に席を譲ろうと思ったのです。だって行きの電車でも私は途中で乗ってきたジイさんに席を譲りましたから。マァ、その座ってた席は優先席だったんですけどね。〔笑〕)

ところがそのオジサンは「すぐ降りますんで結構です」と、そのオバちゃんの申し出を断ったのです。

「大丈夫か」と思ったんですが、そういう話をしていた時に電車が動き出しました。そうしたら、とたんにオジサンはバタンとひっくり返ってしまったのです。

そのオジサンと話していたオバちゃんが「大丈夫ですか?」とそのオジサンを起こしています。私も、そのオジサンの転んだ拍子に飛んだ杖を拾ってそのオジサンに渡しましたが、そういう感じでとても電車が動いたら立っていられないくらい、足が悪いオジサンが私のすぐ近くに乗って来たのです。

そうしてひっくり返っているのに、そのオジサンはひたすら座ることを拒否しています。そして私の横にふらつきながら立っていました。(私の席が角の席でそこにつかむところがあったからです)

あまりにふらつきながら立っているので、私も見かねて「それなら手を貸しましょうか?」と聞きました。

しかし、それも「あ、大丈夫です」と断って、そのオジサンはひたすら立っていました。

三つほど先の駅で降りて行きましたが、その横に立っているオジサンがいつまたひっくり返るのではないかと気が気ではなかったです。(ひっくり返りそうになったら助けようと、少し身構えて座っていました。〔笑〕)

しかし、そのようなオジサンを気にかけて声をかけたのは、私と、最初のオバちゃんだけでした。

後の人は、知らん顔とはいいませんが、ただ見ているだけです。中には怒った顔をしているようなオバちゃんもいました。(そんな体で電車など乗ってくるなといわんばかりの顔でです)

私の隣や前に座っていた高校生は(学生服を着ていましたので分かります)隣の高校生は素知らぬ顔をし、前に座っていた女子高校生など寝たふりをしているのです。

そのような態度の人たちのあまりの愛のなさに呆れました。

昨日は、行った目的地(動物園)より行きかえりの電車の中の方がいろいろ教えられることが多かったです。

このようにどこにいても心の修行(心のレベルアップ)は出来ます。

そうして、これからは特に誰であっても、その心の修行を怠ってはならないのです。なぜなら、先ほども書きましたように恐ろしい現象が全国的に拡がり始めているからです。

このような恐ろしい現象は、自分の心が成長していない(ということは心が悪いままであるということです)そのような人々に現れるからです。

浜松の火葬場が一週間待ちとはいえ、それは現時点での話なのです。(先月までは三日待ちだったのです。それが今月に入り一週間待ちになったのです)

来月になればそれが十日待ちになるかもしれないし、年が明ければもっと増えるかもしれない、どれだけ恐ろしい現象が増え出すかまだ分からないのです。

もう愛がなければ生きて行けない、そのような状況になりつつあります。

反省されてはいかがですか?

愛ある人にならなければこの時代、もう生きては行けないからです。

(昨日は昭和の大横綱といわれた方が急死しました。その少し前にも役者の方が急死しました。最近は芸能界でも癌で亡くなる人が多いといわれますが、これは何も芸能界だけの話ではないでしょう。全国的にそのような病気(癌や急死)で亡くなる人が増えているのです。だから、浜松なども火葬場の一週間待ちということも起きてくるんでしょうが、このような時代となりました。皆さん本当にこの法を無視していてよいのですか?)

追伸…野球は残念でしたね。(最後に逆転負けで)

しかし、今回の野球で神の力がまともに現れた選手が二人いました。(それで分かりましたが)

そこにいたのですね。(どこにいるんだろうとずっと思っていましたが)しかも同じチームに。(それも過去世の縁ですね。〔笑〕)

今回は、年が逆で生まれて来たようですが、さすがその当時、万人敵(まんにんのてき)といわれた剛の者です。いまやトップクラスの野球選手ですか。

その資質を知るなら、それも分かる話です。

昔々に縁があった者として、これからの活躍を祈っています。

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11月 19 2015

正法の時代

また昨日ウナッシーさんから凄いコメントが届きました。

静岡県の浜松市の火葬場は一週間待ちだそうです。

二十世紀の心(末法の心)のままでは二十一世紀(正法の世)は生き残れない、まさにその通りのことが起きています。

大丈夫ですか?法を勉強しないで。今の心のままではみな早死にしそうですね。正法の心を持つ人たちなどほとんどいないと思うからです。

それでは正法の世は生きていけないと思うからです。

日本はあまり心のことをいいません。(それは日本だけではないかもしれませんが)

信仰をするにしても、お経を上げたり、仏像を拝んだり、先祖を拝んだりするだけです。日本の信仰とはそのようなもので誰も心をきれいにしろとはいわないのです。

それは私生活でも同じです。心などそっちのけで、表面上の身なりや行いは気をつけるようにいいますが、心をきれいにしろとは誰もいわないのです。

では、心がきれいな人がいるのかと逆にそちらの方が疑問ですね。誰も心のことをいわないからです。

しかし、人間はその心をきれいにしないといけないのです。

心がきれいであることが、神の子である人間の本来の姿であるからです。

だから、私たち人間は何より心をきれいにしないといけないのですが、その心をそっちのけで生活をしているのです。ではずいぶん心は汚れているでしょう。

何でもそうですが、ほっておいてきれいなままであるものなどないからです。(自分の部屋でも何でもほっておいては段々汚れていきます。ちゃんと掃除しないときれいにはならないのです)

では、心も同じでしょう。心をきれいにする努力をし続けないと心もすぐ汚れてしまうのです。

しかし、その心をきれいにする努力を誰もいわないのです。(心をきれいにしなければいけないはずの信仰でも心のことをいわないのですから、他でいうわけがありません)では、心が汚れている人がずいぶん多いと思います。

自分で気づいて自分の心をきれいにしようと努力する人も少ないと思うからです。

しかし、心が汚れているとは実は大変不幸なことなのです。各自がそれぞれ持っている心とは多くの力を持っているものであるからです。皆、その心の偉大性を知らないのです。

各自が持つ心とは唯一神に通じているものであり、異次元への電話のような役割も有しているのです。

その電話が地獄に通じれば悪魔が、天上界に通じれば光の天使が近くに寄ってきます。

そうして悪魔が寄ってくれば災いが光の天使が寄ってくるなら奇跡が起きるのです。

心が汚れていると勝手に地獄に心の電話が通じてしまいます。そうすると災いも起きやすくなるということです。

そのような不意の災いが起きないためにも、心をきれいにしておくことは大事なことであるのです。

私たちがしている祈りとは、実は心を通して異次元に電話をかけているのと同じことで、だから祈りがきかれたという人は、それは心を通し異次元にかけた電話が光の天使に通じて起きたものなのです。(または悪魔に通じてです。悪魔も奇跡を起こすからです)

そうして、この心はそのような役割だけではなく、自分が経験した過去世の記憶も残されています。

そういう過去世の記録が、この世を生きていく上で大きな助けとなっているのです。(知らず知らずのうちに過去世の経験が今生現れてです)

各自の心は神に通じているだけでなく、天上界にも地獄界にも通じ、そうして自分自身が過去に体験したすべての記録まで残されています。

そうしてこの心を通じて神の力をこの世に現すことまで出来ます。

目には見えませんが、私たちが知らないだけで、この自分たちが持っている心とは偉大なものであり、多くの可能性を秘めたものでもあるのです。

だからこそ、そのような偉大な心を汚してはならないのであり、その心を汚していてはその偉大な心の能力も発揮できないのです。

これからの時代、この心の偉大性を理解出来ず、心の偉大な能力が発揮できない人たちはいられなくなります。

これからは、そのような心の偉大性を理解し、その能力が発揮できる人しか生活できない時代となるからです。

時代が変われば、前時代の考えをいつまでも持っている人は生活できなくなります。それはいつの時代でも同じなのではないでしょうか。

戦国時代の考えのままの人は江戸時代を生きることは出来なかったであろうし、そのような武士の時代の考えのままの人は、明治や大正の時代を生きることは出来なかったでしょう。

昭和の時代でさえ、戦前と戦後では大きく時代が変わったのです。

では、平成も同じでしょう。平成十一年までと十二年からとでは時代が変わっているのです。(西暦1999年までと2000年からとではという意味です)

しかし、今回は物質的に時代が変わったのではなく精神的に時代が変わっているのです。だからみな気づかないのです。

時代が変わったことにです。

しかし、確実に時代は変わっているのです。それは現れる現象で証明されているのです。

起きる天変地変の激しさは増し、そうして各地で起きる異常な現象。それにこれまで起きていない現象まで現れてきいるのです。

すでに全国で起き始めたサイレン(昨日でもちょっと観ていただけのテレビ番組のロケで〔場所は東京だと思いますが〕サイレンが聞こえていました)浜松などの亡くなる人の増加、そうして名古屋で数々起きる不思議な現象。(私に起きている鳥や魚の奇跡や次々に人が病気になっていることなどです)

このようなことは、これまで起きていなかったことなのです。しかし、最近になり起き出した現象であるのです。

なぜ、これまで起きていない現象が現れてきたのか?

このような現象こそ、時代が変わったから起きてくる現象であり、その時代が変わったことに気づいていない人たちが、そのような現象をすべて責任転嫁しているだけなのです。(私に起きている現象はさすがに責任転嫁は出来ないでしょうが)

このような(これまで起きていない)現象は、時代が変わったから起きている現象であり、そうであるならば、その時代が変わったことを自覚し、その時代に合った心と行いをしなければこの現象は止まらないということになります。

そうして、時代に合った心と行いをしなければ生きられないということになります。

これほど起きる現象が変わっているのに、それをいつまでも無視し続けることが出来るのでしょうか?

いつまでも責任転嫁をし続けていることが出来ますか?

そんなことをしている間に自分にその現象が現れるかもしれないのにです。

これまで起きていなかった現象が、次々に現れています。これは時代が変わっている証拠なのです。

早くそれに気づいて、その時代に合った心と行いを(生活を)出来る者だけが、その時代を生きていくことが出来るのです。

今まで通りの心と行いでよいのですか?

それではいけないということは、起きる現象が教えているのです。(そのままでよいということも起きる現象が教えています。私は奇跡が次々に起きているからです)

追伸…安心してください。今日は庄内川には行きませんよ。(笑)

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11月 18 2015

この教えの恩恵

昨日も午後から庄内川に行きました。

もういくら街中に出て辻説法をしても理解する人はいません。

段々アホらしくなってきて、最近は人がいないところばかり行くようになりました。

近くで人があまりいないところなら庄内川がうってつけです。(庄内川の川岸はあまり人がいませんので。それに動物たちとの奇跡もよく起こりますので)

それで最近はよく庄内川に行くのですが、昨日も雨の中、川岸を一時間ほど歩いて(何せ血糖値が高いのに食欲だけはあります。〔また母がやたら食べる物買ってきますし〕一時間以上は歩かないとやばいです)南陽大橋の下で休んでいると、カニたちがまた出てきました。

「お前ら雨の中元気だな」と声をかけていると、すぐ前の水面が大きく揺れ細長い尻尾が出てきました。

あれ、またエイが来た、と思い「お前いたのか、久しぶりだな」と声をかけました。(あの動画を撮って以来、そこでエイを見かけませんでしたから)

そうして「オイ、顔を出せよ」と声をかけていると、顔は出しませんでしたが、何度か水面が揺れ水面から尻尾を出していました。

エイとはいえ可愛いものです。こちらの言葉が(カニたちもそうですが)よく分かるようです。

雨の中、人はいませんでしたが、このような動物たちとの楽しい会話もあり(こういうのも一つの会話ですよね)庄内川から出てきたのですが、帰り道は相変わらずゴーストタウンのようでした。(昨日は小学生も中学生も一人もいませんでした)

そうして、たまに前から歩いて来る人も顔をこわばらせ足早に行ってしまう人ばかりです。(本当にゴーストタウンのようです)一体あの辺りで何が起きているのでしょう。何かまったく雰囲気が変わってしまいました。

大丈夫なんですかね。一柳の連中、逃げているだけでです。(こうも雰囲気が変わると、よほどのことが起きているのではないかと逆に心配ですね)

逃げているだけでは現象は収まりません。反省して詫びを入れないと、その現象は止まらないのです。

それはこの辺りがいい例です。悪魔軍団は今日も休みなくブログのじゃまをしています。(特別悪魔軍団だけではありませんが)だから毎日のように恐ろしい現象が現れているのです。

それに腹を立て意地になってやっているようですが、昨日も書きましたが、本当の信仰をしている者に、意地になって法の流布の邪魔をし嫌がらせをし続けているのです。

この者たちは、一体どれだけ大きな罪をつくっているのでしょう。それは昨日書いたISのテロの比ではないのです。

もちろんそれよりひどい行いであるということです。釈尊やキリストの説法をじゃまして嫌がらせをしているのと同じことであるからです。(ということは、多くの人〔の心〕が救われるのをじゃましているということです。それを何年にもわたり続けているのです。テロの比ではありません。人の本当の救いは心にあるからです)

本当の信仰のじゃまをし嫌がらせを続けているとはそれほど大きな罪となるのです。

では、同じように何年にもわたり、本当の信仰をしている者をバカにしている者たちがいたとしたら、その者たちはどれほどの罪となるでしょう。そのような行為もまた同じように大きな罪となるのです。

だから、それほどの現象が現れているのです。

だから早く詫びた方がいいといっているのです。詫びない(反省しない)限り、その現象はひどくなることはあっても、止まることはないからです。(それもまた悪魔軍団たちが教えています)

本当の信仰とは、これほどのお蔭があるのです。なぜいつまでも皆さん学ぼうとしないのですか?

偽の間違った信仰などしていて、これほどのお蔭があった人がいるのでしょうか?

私はこのような状況がもう何年も続いているのです。(先ほどの動物たちの奇跡から、嫌がらせをする人たちへの災いまで)これだけ正しい信仰であるという証拠もないでしょう。

口だけではなく、これだけの現象が現れ続けているからです。

別に一変に変えろとはいいません。そんなことをすれば反動も大きいからです。

しかし、少し興味を持ち、そうして、自分の中にも取り入れたらどうでしょう。

これほどのお蔭がある教えもないからです。(もうそのお蔭をどれだけ書いたか分かりません)

これまで通りのやり方を変えなくていいのです。仏壇を拝むのもいいですし、心が安らぐというのならお寺や神社にお参りに行くのもいいでしょう。お経を上げ仏像に手を合わすのも悪くはありません。

しかし、そのようなことをただ続けているというのではなく、少し疑問を持ってください。

「こういうことが本当の信仰であるのか」「こういうことをしているだけで本当に救われるのであろうか」とです。

昔から皆がそうしているからと、漠然と続けているだけではなく、疑問追求の心だけは忘れてほしくはないのです。そのような努力を続けた先に真実が待っているからです。(それは特別信仰に対してだけではないと思います。何に対しても同じなはずです。そのような努力がなければそう簡単に正しいことは分からないからです)

今やっていることをやめなくてもかまいませんが、現実にこれだけお蔭が出ている者がいるのです。

では、その教えを少しくらい勉強されてもよいのではないでしょうか。

そうして、自分で奇跡を味わうなら、この教えの正しさも分かると思うからです。

実際、この教えを勉強している人には奇跡が起きています。その奇跡を体験している人はわずかしかいませんが、この教えを勉強している人がわずかしかいないのです。

それは仕方がない話でしょう。しかし、数ではありません。この教えを勉強している(ちゃんと私のいうことを聞いて寄付などもしてくれている)お二人には確実に奇跡が起きているのです。

では、この教えを真剣に勉強していれば奇跡が起きる確率は百パーセントということになります。(たいして勉強していない人たちにまで奇跡が起きているくらいですから。ある野球選手などそうです)

その数倍(数十倍でしょうか?)災いが起きている人たちもいますが、そのような人たちは私のいうことに逆らい、嫌がらせをし続けている人たちなのです。

奇跡が起きている人たちは少ないのに災いが起きている人はたくさんいる、このような結果がこの教えを敬遠される理由の一つであるのかもしれませんが、何度も書きますが、この教えに逆らうから災いが起きるのであり、そのような善悪がはっきり現れる結果こそ本当の神の教えの証拠なのであり、だからこそやるべきなのではないでしょうか。

正しいことをするのが、神の子の人間として当たり前のあるべき姿であるからです。

自分のしていることが善か悪かはっきり分かるのです。これ以上素晴らしい教えもないと思うのですが、どれだけ悪いことが起きても、今の考えを変えようとしない人もダメなら(災いが起きっぱなしになります)何か災いが起きるのが嫌だからと、それで正しい教えを学ぼうとしない人もダメで(そういう人は結局災いが起きてきます)また何も起きていないからと、このような(凄い)教えが出ているのを分かっていながら、いつまでたっても自分たちの生活態度を変えようとしない人もダメです。(まったく心が成長しません)

こういう世界に類を見ない教えが日本に存在しているのです。(これほどの現象が現れる教えは世界にありません)では、その教えに興味を持ち一所懸命にそれを行う人こそ、正しい人なのであり、最後は人生の勝利者となれるのです。(人生の勝利者とならなければ生まれてきた意味がありません)

いつまでこの教えを無視しているのですか?

特別今の生活を変えなくても結構です。その今のままで、この教えを少しずつでも勉強してください。少しずつでも実践してみてください。

そうすれば、この教えが絶対に必要であると、必ず分かるからです。

(現実に、この教えを実践している人たちに奇跡が起きていませんか?いま現在です。〔神がかり的な成績の人もいるし〕少しやるだけでもそれだけよくなるのです。もう少しやったらもっとよくなります。片手間ではなく、少し真剣にされてはどうでしょう。そうすれば心身ともにもっとよくなり、多くの奇跡もこれから体験できるからです)

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