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11月 28 2015

災いを防ぐには

北海道は大荒れの天気となっているようです。(賛助会員の方大丈夫でしょうか)

北海道がすぐに原発が動かせないのなら、あのたくさんある太陽光パネルを外したらどうでしょう。そうしたらとりあえず、これほどの異常気象は収まるからです。

茨木も同じです。(ずいぶん地震が多いようですが)

異常な地震を止めたいのであれば、あの風力発電をやめることです。そうすれば異常な地震は収まるからです。

もし、ここに書いたことをされないのであれば、北海道の異常気象も茨木の地震も収まりません。

それどころか、北海道はこのような冬の爆弾低気圧だけではなく、最近は夏には異常な大雨が降ったり台風まで来るようになりました。少し前までは、北海道に大雨が降ったり台風が行くなどということはなかったのにです。

茨木は今年鬼怒川の氾濫が起こって大きな被害が出ました。茨木にこれほど大きな被害が出るのも珍しいのではないでしょうか。

いっている意味がお分かりですか?

このままほっておけば起きる現象は益々ひどくなるということです。

私のいうことを聞かれてはどうでしょう。それが災いを防ぐ唯一の方法であるからです。

名古屋の人たちもそうです。

愛知県の横の静岡では火葬場が一週間待ちという現象が現れているのです。(先月までは三日待ちでした。それが今月は、一週間待ちになったということは明らかに死ぬ人が増えているのです。それも急激にです)

名古屋の人たちが(正確にいえば東海三県の人たちなんでしょうが)恐ろしい現象をすべて私のせいにするのはいいんですが、いくら私のせいにしたところで、静岡でも、そのような恐ろしい現象が現れ始めたのは事実なんですから、では、その恐ろしい現象は段々拡がっているということになります。

現にサイレンは(名古屋だけではなく)あちこちで聞こえ始めているのですから、そのような恐ろしい現象は確実に拡がっているのでしょう。

先ほど書いた、異常気象も含めてです。

それを、すべて私のせいにするのはいいんですが(それはそれであまりに非科学的だと思いますが…本当に無理やりですね)私のせいにいくらしたところで、この恐ろしい現象は止まることはありません。

くどいほど書きますが、起きる現象はだんだん激しくなっているからです。

では、どうやったら、この(異常気象も含めた)恐ろしい現象を止めることが出来るのですか?

どれだけ私のせいにしても起きる現象は止まらないのです。

そうであるなら、今一番先にやらなければいけないことは、この現象を人のせいにしていることよりも、この現象を止める方法を考えることなのではないでしょうか。

そうしなければ、確実に自分にも、その恐ろしい現象は起きることになるからです。

マァ、自分だけにはそのような現象は起きないと信じている人はいいのでしょうが(そういう人に限って起きるのです)そういう能天気な人はともかく、ほとんどの人はあのサイレンが激しく起きていた時のように、いつか自分にもそのような現象が現れるのではないかと、心配でならないのではないでしょうか。

そういう人が多いのであるなら、いま起きている恐ろしい現象を人のせいにしている場合ではないでしょう。

いま一番にやらなければいけないことは、この恐ろしい現象を止めることなのです。

では、どうやって止めるのですか?

この名古屋の人たちは、あれほど激しく起きたサイレンを知っているはずです。そうして、その激しく起きたサイレンを誰も止めることが出来なかったことも知っているはずです。

そうであるなら、現在の科学も宗教も、あのような神の業の前にはなすすべがなかったということも分かるはずです。

では、どうされるのですか?

このままでは、この現象は激しくなることはあっても止まることはないのです。(正法の世は一年一年深まって行くからです。正法の世になったから神の業がこれだけ頻繁に現れるようになったのです。ということは、年が変われば、また一段と激しい現象が現れてくるということになります)

正法の時代になれば正法を知らないと生きていけないのです。(だから、末法の心を持つ人たちが次々にあの世に引き上げられている、火葬場が一週間待ちという現象が起きているのです)

本当に法を学ばなくてよいのですか?

このような災いが多発する世の中で、奇跡が起きているのは私だけだというのにです。

追伸…しかし、軽減税率は喧々囂々(けんけんごうごう)の議論が続いていますが、ああも揉めていて決まるんでしょうか?

だいたい軽減税率など逆進性があって、金持ち優遇の税といわれています。

なんでそんな税を、あれだけ議論を出しあって(しかもまったくかみ合わないです)決めなければいけないのでしょう。

まったく意味が分かりませんね。(軽減税率などしたら、どれだけ手間がかかるか分からないのにです。〔中小企業が泣くだけです〕こういうことを考えても金持ち優遇丸出しです)

選挙公約だの約束だのいったところで、国民が一なのです。党の面子などどうでもいいことです。

本当に国民のためになるのか、ならないのか、その基準でお願いしたいものです。

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11月 27 2015

法の価値

急に寒くなりましたね。

北海道など十一月としては六年ぶりの大雪となっているそうですが、今日も大荒れの天気になる予報が出ています。

相変わらず北海道の異常な異常気象は続いていますね。

鹿児島は、そのような異常な異常気象は収まりました。(多少の異常気象はあるんでしょうが)おまけに桜島の爆発的噴火まで収まってしまいました。

あれだけ異常気象が激しかったのに、よその地域よりも起きる現象が静かになっています。

北海道も早く原発を動かした方がいいでしょう。鹿児島が、これだけ極端に起きる現象が変わったのも、あの原発を動かしてからのことだからです。

私は自分に起きる奇跡だけではなく、少しアドバイスしただけで奇跡が起きたり、こういうこと(原発などの功用)も伝えて、現実にそのような奇跡も現れているのに(こういう静かになったことは、奇跡ではないと思う人もいるかもしれませんが、とんでもありません。鹿児島はあれだけ異常な大雨が続いていたのです。それが急に収まったのですから〔それは桜島の爆発的噴火も同じですが〕こういうのも奇跡というのです)こちらもまた相変わらずで評価の悪いこと悪いこと、昨日もまた中学生と大喧嘩(おおげんか)になりました。

庄内川からの帰り道のことなんですが、歩いていると、そこらの家から出てきたオバちゃんに嫌がらせされましたので、そこで辻説法を始めたのです。

「オバちゃん、浜松では一週間待ちだそうだよ。一週間待ち。火葬場が一週間待ちだってよ。凄い人が死に始めたんだって。名古屋だけじゃないんだぜ、怖い現象が起きているのは。それなのになんで名古屋の人だけ(特別名古屋の人たちだけではないんですが)怖い現象を俺一人のせいにしているの。ボケっとしていたら皆死んじゃうぜ」

「俺には、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているの知っているだろう。同じ奇跡が起きるということは同じ神理を説いているということだ。その神理を聞いて実践しないと、その恐ろしい現象からは逃れられないんだ。悪いことをみな俺のせいにして、俺のことをいつまでも悪者にしていていいのか。それだと救われ道がなくなっちゃうぜ」

などと大きな声でしゃべっていたら、私の横を学生服を着た中学生が二人(マァ、高校生かもしれませんが)自転車で走って行きました。

その時に、一人の中学生が私に向かい「うるせー」といったのです。(一柳の生徒ではないと思います。一柳の生徒は庄内川の帰りはもう全然見ませんから)

それで私が「何がうるさいか、本当のことだろうが」とその中学生たちにいうと、少し走った先でその中学生二人が自転車を止め、こちらを振り向いて「お前、頭おかしいんじゃないのか。精神病院へ行け」とかなんとかいい返してきたものですから、そこで私もいい返して、二人の中学生と大喧嘩になったのです。(苦笑)

わりと家に近いところでしたので、私のことを知らないとは思えません。知ってていったのでしょう。

「お前ら死んでも知らねえからな」といっておきましたが(向こうは「お前が死ね」とかいっていましたが。〔笑〕)本当に死ぬかもしれません。辻説法のじゃまをしているからです。(なにせ、法の流布のじゃまをしている人たちに凄まじいことが起きていますから)

法の流布のじゃまをするのです。では、自分に何が起きても文句はいえないでしょう。法とは、それほど大事なものであるからです。

何でそれくらいのことで死ななければいけないのか、などと思っている人は考えが甘いのです。釈尊やキリストが説かれた法とは多くの人を救う力があるのです。その法の流布をじゃましているのです。

それは多くの人が救われるのをじゃましているのと同じことなのですから、それ相応の現象は現れてきます。

それを、そんなことでだの、お前のせいだの、いくらいったところで、それほどの悪いことをしているという自覚がない自分が一番悪いのです。

自分に起きた悪いことをどれだけ人のせいにしたところで、その悪いことが起きて一番苦しむのは自分自身なのです。では、自分がしていることの罪の重さをもっと自覚すべきでしょう。

法の価値とはそれほど重いものだからです。

現に、その法を説いている、私のいった通りのことが次々に起きているのです。(奇跡にせよ、災いにせよです)それに、法を聞いて心が救われた人はたくさんいるのです。

何でこれほど当たって、心が救われる法の話のじゃまをしていることが、それほど軽いものなのでしょう。

そのような法の価値が分からない自分たちが一番悪いのです。

しかし、これだけのことが起きているのに、未だ、間違った教えに騙され命を落とす人がいるのは残念でなりません。

昨日もそのようなニュースが流れていました。

龍神などと称する悪魔に憑かれた人を信じた両親が、自分の子供を殺してしまった事件です。

両親が子供を殺したといっても間違いではないでしょう。この子の両親は、どう考えても頭のおかしな人のいうことを、そのまま信じてしまったからです。(糖尿病の子供にインスリン投与をしなかったなど気違い沙汰です)

しかし、このような事件は氷山の一角であり、おかしな宗教に頼って、信仰だけで自分の病気が治ると信じて手遅れになる人はたくさんいるのです。

昨日の話ではありませんが、人間は肉体と精神が一体となって存在しているのですから、心の健康と肉体の健康、この両方から考えなければいけないのであり、片方だけに偏るのは間違いなのです。(だから医者が全面的に宗教を否定するのも間違いなら、宗教家が医学を全面的に否定するのも間違いなのです)

正しい教えを知らないと、こういうことが分からないのです。そうすると、どちらかに偏ってしまって、せっかく助かる命も助からない、ということも出てくるのであり、心も命も両方救うのが法(神理)なのであり、だから、それほどの教えを拡げるのをじゃまする(または、その法を説いている人に嫌がらせする)ことは大変罪が重いのです。

この教えが大きく拡がるならば、多くの人が物心両面から幸せになれるからです。

そう考えるなら、この教えを知っていて、いつまでたっても何もしようとしない人たちの罪もまた大きいといわざるを得ませんね。(この教えが大きく拡がっていたならば、昨日のニュースのような事件も起こらなかったからです)

この法の価値を知っていて、いつまでボケっとしているのですか?

そういう人が多いから、私が、これだけ無理なことをしているのです。

(それを「お前が悪い」などとやっているのですから呆れますね。〔苦笑〕)

追伸…先ほどの龍神などと称していた人は、手かざしや呪文などするだけで一回三万円も取っていたそうではないですか。(先ほどの両親など総額で二百万円も払っていたそうですが)

信じられませんね。その人は多くの人をだましているだけで何の奇跡も起こしていないのです。(災いを起こしているだけです)

私は多くの奇跡を起こし、なおかつ多くの人の心を救っているのに、その私に(その心を救われた)ほとんどの人が一銭も払わないとはどういうことでしょうか?

本当に世も末ですね。

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11月 26 2015

奇跡も災いも自分次第

今日も朝からキレてますね。(本当にキレキレです)

悪魔軍団がキレ出すとよそもキレるところがあって、そうすると、どこからともなくサイレンが響いて来ます。本当に不気味です。(実際さっきもそうでしたから。とか書いていたら、今もサイレンが響いて来ました。まさにホラー映画そのものですね。〔汗〕)

おまけに今日は朝からどんより曇って雨も時折降ってきます。(強く降ったり弱く降ったりです。ますます不気味です)

さらに朝からやたらカラスが鳴いています。(こんな天気が悪い日なのにカラスが近くにたくさん来ているようです)カラスが鳴くと人が死ぬといわれています。本当に不吉ですね。(別につくって書いているわけではありません。本当にそのようなシチュエーションなのです)

これだけ不吉な現象が次々に現れているのです。真剣に心の在り方を考えられてはいかがでしょう。

そうしないと、不吉な現象に拍車がかかると思うからです。

出足からメチャメチャ不気味なんですが、昨日も一昨日も出ているようですね。(現象がです。だからやたらキレているのです。そうかと思うと不気味なほど静かになりますし)

そういえば、園頭先生のご著書によいことが書いてありました。(園頭先生のご著書にはよいことしか書いてありませんが、今のあなたたちにぴったりのアドバイスという意味でです)

そこのところを抜粋しておきましょう。

「正法と人生の原点」から抜粋します。

<右は、荘淑旂(そうしゅくき・この方は台湾で医師の資格を取り、更に日本で医学を勉強し、中国医学の伝統を踏まえ、国際家庭癌連合会の会長として三万六千人以上の癌患者を治療された方です)先生の著書より引用であるが、ガンの治療について次のように書いていられることも注目すべきである。

ガン治療の第一歩はガンを恐れないこと

日々規則正しい生活を送り、自分の体型や体調をよく理解して、自然のリズムに調和して生きていけば、ガンだからといって、少しも恐れる必要はないのです。

一般にガン患者は、ガンだ、ガンだと恐れて、消極的になりすぎています。それが精神的なストレスとなって、ただでさえ弱っている体内代謝を悪くし、ますますガンを発達させる原因になっています。身も心も、前向きにならなければならないということを、まず認識してください。

ガンをつくった、それまでの自分の生活の仕方、食生活などの問題を少しも考えずに、ちょっとしたガンを見つけたら、もう大変だ、早く手術しなくては、というように考えるのは、性急にすぎます。

それよりも、ガンをつくり出したこれまでの自分の生活そのものを(反省して)改善していく、そしてガンが異常発達しないように自分の体質環境をつくりだしていく、そのことこそが、本当のガン治療だと思います。

胃の検査に行ったら、なんの症状も感じなかったのに、いつのまにか潰瘍をやって、その都度気づかないうちに治っていた跡が見つかる、ということがよくあります。ガンの場合も同じことがよくあります。

医師から見放されて、やむなく宗教に頼ったら、奇跡的に治ったという話をよく聞きます。しかし、それは奇跡でもなんでもないと私には思われます。宗教にすがって、そこで自分を捨てて、残り少ない人生を正しく生きようとする時、心の方が、ガンをなんでも治したいという、積極的な前向きな姿勢になることで安心立命を得て、防衛力が働きだし、ガンを封じ込めてしまうからです>

荘淑旂先生は、癌になったら、その癌を恐れてはいけない、そして癌をつくりだしたこれまでの生活そのものを反省して改善して行く、そうして、自分を捨て残り少ない人生を正しく生きようとする時に、癌を何が何でも治すんだという積極的な前向きな姿勢となって、そのような安心立命の心を得ることで、体の防衛力が働き出して、そうして癌を封じ込めるといわれているのです。

ただ、この方は宗教家ではありません。そのような心になるだけで癌が治るとはいわれていませんが、そのような癌を恐れないこと、反省すること、そうして残り少ない人生を正しく生きるということ、癌を治すという積極的な思いが大事であるといわれているのです。(これは癌を手術して切り取って治った人も同じでしょう。このような心にならないとまた癌は再発するのです)

そのうえで適切な治療を行われたので、三万六千人以上の癌患者をこの方は治されたのです。(だから、昨日西洋医学の弊害を少し書きましたが、もちろんそのような弊害はさけなければいけませんが、だからといってまったく医学を否定するのも間違いであり、心の治療と体の治療、両方を共にすれば病気が治る確率もぐんと上がるということです)

この荘淑旂先生もいわれていますが、これまでの間違った心と行いが癌をつくり出したのであり、人のせいで癌になったわけではありません。(癌の専門家が、人のせいで癌になるなどとは一言もいわれていないのです。癌になったら、これまでの生活そのものを反省しろといわれているのですから〔それは即ち自分のせいということですから〕これだけ確かな話はありません)

では、これまでの生活でどこかに間違いがあったのでしょう。それを反省することです。それが反省出来ないと、癌になってしまった人だけではなく、これからもたくさんの人が癌になるかもしれないからです。

私のいうことを聞かなくても一向にかまいませんが、私のいうことを聞いている人たちには奇跡が起きています。

その奇跡が起きている人たちは、普通の人やら野球の選手やらゴルフの選手やら千差万別で、どのような人でも、私のいうことを聞き(少し)心を変えれば奇跡が起きるのです。

別に私のいうことを聞かなくても結構ですが、こういうことが現実に起きているのです。(私のいうことに逆らっている人に何が起きているのかはよく知りませんが)

少しは聞かれたらどうですか?私のいうことをです。

そうしたらどのような人にも奇跡が起きるかもしれないからです。(かもですけどね。すべての人の心は違いますから。心が神の心に叶わないと奇跡は起きません)

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11月 25 2015

自然にしたがう

昨日のウナッシーさんのコメントのことで少し帝王切開のことを書きましたが、コメント欄ではしっかり書けなかったので簡単に書いたのですが、あまりに簡単に書きすぎました。

このブログは女性も見ています。そのような女性たちのためにも(特別女性のためだけではありませんが、男性も知っておいた方がいいと思いますし)もう少し詳しく帝王切開の弊害や生まれたばかりの乳児にはどのような接し方がいいのか、園頭先生のご著書から抜粋しておきます。

「正法と人生の原点」から抜粋します。

<帝王切開はなるべくやらない方がよい

陣痛が始まって子宮が収縮し始めると、胎児は自然に頭の先で産道を押し開いて外へ出ようとする。その時に産婦の心に何のストレスも抵抗もないと、産道は柔らかく開くが産婦が結婚前、結婚、結婚後を通じて心にストレスと抵抗を持ち、特に喜んで子供を生めない心理状態にあると、生むことに恐怖に似た感情を持ち、生みたくないと思ったりすると、その心の緊張は産道の筋肉を硬化させて固くなり、産道が開かずに出産に時間がかかり難産をするということになる。

動物は新生児が生まれると皮膚をなめる。なめることによって、その後の生育に必要な生理作用が調整される。人間ではなめる代わりに子宮の収縮と産道を通過する時に、頭のてっぺんから全身がすべて摩擦されて刺激を受け、それによって神経系統、ホルモン系統の生理作用が完全に働くように調整される。

帝王切開児は、そういうことがなくいきなり取り出されるのであるから、身体の調整がうまくいかない。産道を通って出てくると自然の愛撫のマッサージが行われて安心してこの世に出てくるのであるが、愛撫のマッサージも行われず、いきなり空気中に取り出されるから、それだけ不安が大きく神経過敏になり、感覚は鋭敏であるが姿勢や運動の調節だけでなく手の動きも言葉も遅れる。

学齢前の幼児期には帝王切開児は正常出産児に比べて死亡率は二倍で、情緒不安定で落ち着きがない。腸や膀胱の調整の遅れ、夜尿、はにかみ、親指を吸うこと、拒絶症、音に対する神経過敏など、また、風邪を引きやすく、呼吸器系、消化器系、泌尿生殖器系の病気にかかりやすく不調を訴えることが多い。

帝王切開は、何しろ不自然な方法なのであるから、自然出産に比べてマイナスの要素が多いのである。

小さい子供ほど背中を愛撫されて喜ぶのは、出産の時に産道で締めつけられたり摩擦されたりしてマッサージされた原体験が潜在意識にあり、その皮膚刺激が快感であるからであり、その快感な刺激が全身のホルモン系統の分泌を促進するから、帝王切開児ほど愛撫してやる方がよい。>

帝王切開の弊害はこのようなことなのですが、だから、帝王切開児ほど愛をかけ体を愛撫してやる方がよいのです。(園頭先生は帝王切開以外でも、誘導分娩なども害があるといわれています)

そうして、生まれて来た乳児に対しては次のような接し方がいいといわれています。

同じく「正法と人生の原点」から抜粋します。

<母乳を飲ませること

胎児は羊膜(ようまく)に包まれた羊水の中で心は涅槃の状態、心の安らかな状態にあり、そこで妊娠中の全期を通じてもっとも強く大きく聞いてきた音は、母親の心臓の鼓動とともに、母親の腹部大動脈を伝って流れてくる血液の流れの音である。胎外へ出産されてすぐ母親の胸に抱かれると、母親の心臓の鼓動をじかに聞くことが出来るから、胎内で聞いていた時の記憶をすぐ思い出して安心するのである。

保育器の中に入れられた未熟児が情緒不安定になり、成長してもうつ病にかかりやすいといわれるのは、胎外へ出ても母親に抱かれて母親の心臓の鼓動を聞くことなく、不安定な心の状態のままで長く置かれるからである。

(中略)

西洋の産婦人科医師たちは、女性を育児の苦痛から解放するということで、人間の子供を動物の子供を大きくするのと同じ感覚で、肉体的にのみ大きくすることを考えた。そのためにミルクを飲ませるようになったのであるが、その結果、肉体的に大きくなっても、精神的にはいろいろな障害を持つ子供たちになって、非行暴力を働くようになったために反省が起こり、現在では「母乳を飲ませるべし」ということになってきたのである。

生まれたばかりの赤ちゃんは、母親に抱かれて胎内での涅槃の安らかな心にひたり、情緒が安定して母親から初乳を受取る。

初乳には、普通の母体の乳よりもガンマ・グロブリンという抗体を十五倍から二十倍も含み、胎便を排出し、下痢しても悪化しないようにし、ラクトグロブリンといわれる、あらゆる病気に対する免疫性を含んでいる。六ヶ月間免疫を整え、徐々に赤ちゃん自身に抗体が出来るのを待つのである。だからして、初乳を飲ませなかった赤ちゃんは、下痢しやすいし病気にかかりやすいのである。

初乳は二日間続く、そのあと八日間は中間の乳が、そして十日目に普通の乳が出る。それは完全に赤ちゃんの消化器官の生理的な発達に合致しているのである。

赤ちゃんが乳を吸い始めると、その刺激は神経系統を通って脳下垂体(のうかすいたい)に届く。そこでオキシトシンというホルモンが血液中に分泌される。そのオキシトシンが乳房の腺組織に到達すると、その結果、乳導管が拡大する。すると乳首の後の空洞の部分に乳が流れ込む。こうして赤ちゃんが乳房を吸い始めてから三十~九十九秒後には、赤ちゃんの口に乳がどんどん流れ込むということになる。

母乳を飲んだ子供は、人工乳で育てられた子供より肉体的、知的両面ですぐれ、人工乳で育てられた子供は母乳で育てられた子供より呼吸器等の伝染病で四倍、下痢で二十倍、雑多な伝染病で二十二倍、湿疹で八倍、ぜんそくで二十一倍病気をしやすいという統計もある。

母乳を飲ませている間は自然のバース・コントロールが行われて妊娠しない。母乳を飲ませることは子供の肉体的、精神的成長にはもっともよいことであり、同時に母体の肉体的、精神的健康にも絶対必要な大事なことである。>

人類はもう何千年も何万年も何十万年も、そのもっと前の人類発生当初から母乳によって子供を育ててきました。

そこにここ百年ほどの西洋の医学が入ってきて、よけいなことをいっているのですが、いってはいけませんが、妊娠にせよ、出産にせよ、子育てにせよ、連綿と続いてきた歴史があります。

そのような(妊娠や出産や子育ての)これまでの歴史が正しかったから、人類はここまで続いてきているのです。では、ここ百年余りの医学がどれだけ正しいのでしょう。その西洋の医学が正しくなかったから、これだけ妊娠や出産や子育てなどの混乱が続いているのではないでしょうか。

最近は古いからダメだとか、新しいからいいとかいいますが、古い新しいではなく、何が正しいのか、なのです。

古いからダメなのではなく、そのような歴史から私たちはもっと学ぶべきなのです。

このような歴史を考えるなら、一事が万事、自然が一番良いのであり、人間はもっと自然にしたがった生活をするべきなのです。

自然が一番、それをもっと自覚すべきでしょう。

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11月 24 2015

はっきり出る結果

しかし、もったいない話です。これだけはっきり結果が出ているのです。その結果をいつまで無視しているのでしょう。

今の人たちは物事を結果でしか見ない人が多いはずです。では、その出ている結果をもっと尊重すべきなのではないでしょうか。

私や私のいうことを聞いた人には奇跡が、そうして、その私のいうことに逆らっている人たちには災いが、次々に起きているのです。

これだけはっきりした結果が何度も現れているのに、何でそれをいつまでたっても認めようとしないのでしょう。

もうこのようなことが、何年にもわたって出続けている同じ結果であるにもかかわらずです。(これだけ同じ結果が出続けているのです。ここまでくるともう科学の領域ですね。再現性があるものは科学といわれるのですから、これだけ再現性があるのです。もはや私が説いている教えは宗教ではなく科学です)

今回でもそうでしょう。あの野球選手たちがなぜ神がかり的な活躍をしたのか知っている人はたくさんいるはずです。(このブログを見ている人でも、この辺りの人でもです)

失礼な言い方ですが、こんなに打てないだろうと思われる選手もよく打っていたし、三位とはいえ、一番評価が高かったのが日本チームでした。

このような大会で、こういう高評価がもらえるのも珍しいことなのではないでしょうか。

だいたいは優勝したチームが一番評判がいいはずですし、ただでさえ日本はこのような国際大会で優勝ばかりしていたのです。それが今回三位なんですから、普通ならボロカスいわれるはずです。

しかし、今回はさほどいわれていません。優勝できなかったことより選手個々の評価の方が高いのです。

なぜでしょうか?

それは日本チームの選手の活躍が光っていたからです。その選手の活躍が勝敗より上をいったのです。

神の心とはこのようなものなのです。

勝ち負け(結果)ではないのです。その過程(今回でいうなら選手個々の活躍)が大事なのです。

それにただでさえ日本はこのような国際大会に勝ちまくっているのです。

神の心は集中より分配です。では今回の優勝は他国に譲る、こんなところにも神の心が現れているのです。

そういう意味でいえば、今回の野球の国際大会は日本の選手を中心とした神の心に満ち溢れた大会であったのです。

なぜ、こういうことが起きたのでしょう?

それは、このブログを読んでいる人たちはお分かりでしょう。この大会の期間中に私が野球選手はボールに感謝しろと書いたからです。

それを実践した選手に即神の奇跡が現れ(その選手の心により、そうして過去世での法との縁の深い浅いにより、その現れ方はまちまちでしたが)そうして、そのような神の心を体現する選手が現れたため、大会自体が神の光に覆われ、それがこのような(何か調和された正当な評価を得た)よい大会となったのです。

今大会はいつものようなぎすぎす感がなく、調和されていたように感じましたが、それは私がそう感じただけでしょうか?

そうではないはずです。神の心をプレーの中で体現する選手が一人でもいるなら、その選手に降りる神の光だけでも周りは調和されるのです。(あの因縁の韓国戦でもそれほど感情的にはならなかったはずです。神の心を体現したピッチャーがいたからです)

そのような選手が、もし今大会にたくさんいたのなら、その光はより大きくなり、大会全体が調和されても決して不思議ではないのです。

だから、大会全体が神の光に覆われ調和されていた、このような書き方は間違ってはいないはずです。現にそのような大会であったからです。

これは何も野球選手に限ったことではないでしょう。私は、ゴルフやらサッカーやら、あるいは水泳やスケートなど他のスポーツも同じである、感謝することが大事である、と書いたのです。

だから、そのことを知り実践した人には何か神の奇跡が現れたはずです。(よかったでしょう。名古屋に住んでいてです。〔笑〕)

神の心を実践すれば奇跡が、それに逆らえば災いが、必ず起きるのです。(今日も悪魔軍団はやっていますが哀れなものです。この人たちには災いが起き続けているからです。こういうところでも確実に結果が現れています)

これだけはっきりした結果が出続けているのです。

だからもったいないと最初に書いたのです。

なぜ、真剣にやろうとしないのですか?奇跡が起きることが分かりきっているのにです。

なぜそれに逆らうのですか?災いが起きることが分かりきっているのにです。

これだけはっきりした結果が出る教えもないのです。

何でそれほどの教えをいつまでも無視しているのか、本当に不思議ですね。

追伸…悪いことはいいません。少し、この教えを勉強し、私に協力されてはどうでしょう。そうすれば必ず道が開けてくるからです。

特に、スポーツ選手など結果がまともに評価される人たちは、この教えを勉強した方がいいのです。

その結果が必ずよくなるからです。(今回だけではなく、前にもそういう選手いましたよね。もう何度もこんなこと起きています)

もちろん、スポーツ選手だけではなく、どういう人にも、この教えを勉強し実践するならよい結果が現れます。

スポーツ選手などは、その現れる結果が分かりやすいというだけのことです。

ただ、勘違いしてほしくないのは、よい結果が必ずしも自分から見たら百点ではないのかもしれませんが、自分の分にあったよい結果が必ず現れます。(または自分のやるべき本当の道がついてきたりです。そういうことを総合したよい結果が現れるということです)

私が私利私欲で、この教えを勉強しなさいとか、法の流布に協力してくれとか、布施してくれなどといっていると思いますか?

そういう心の人のいうことを聞いていて奇跡が起きるはずがありません。奇跡が起きることが私に私利私欲などない証拠なのです。(もちろん自分も含めてです)

この教えを一刻も早く世界に拡げないといけないのです。(そうすれば世界中の人に奇跡が起きるからです)だからいっているのです。(くどいくらいいいますが、その一点しかありません)

この教えを勉強するのが遅れれば遅れるだけ自分が不幸なだけなのです。

早くそのことに気づいてください。

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