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11月 07 2015

究極の教育法

昨日は堀川に行ったんですが、ずいぶん多くの魚たちが水面まで上がってきていました。

何百メートルにもわたってですから(もっと長かったのかもしれませんが)何千、何万という魚たちが上がってきていたのではないしょうか。(これももっといたかもしれません。とにかくもう想像がつかないくらいの数です)

それを動画に撮っていたんですが、あまりの数の多さに最後はきりがなく思えてきて途中で撮るのやめました。(笑)あれだけの魚たちを撮ること自体無理です。だいたい撮れていればそれでいいと思ってです。

まったくこんなことばかり起きているのですが、その魚たちを一生懸命撮っていたら、後ろからやたら「カアーカアー」とカラスの声が聞こえてくるので振り返ると、なんと今度は大量のカラスまでこちらに飛んで来ています。(数十羽、もっといたかもしれません。後ろを振り返るとカラスだらけでした)

魚やらカラスやら本当に忙しいことです。(笑)

そういう奇跡的なことが次々に起きているのですが、その帰り道のことです。

帰り道にもいくつかの学校の中学生と行き会うのですが(堀川から家まで歩いて帰ってきますので、一時間弱くらいかかりますから)何か様子が変でしたね。(どの中学校の生徒もです)

何かしてくる奴もいるんですが微妙です。(前ほど堂々とやってきません)それに私の顔を見て逃げていくのもいて態度が変なのです。(少し前までは、私の顔を見ると向かってくる奴がたくさんいましたからね。わざわざ私に近づいてきて嫌がらせをしていくのです。しかし、昨日はどちらかというと腰が引けているのが多かったです)

まさか、あちこちの中学校でも何か起きているんじゃないでしょうね?だとしたらかなり危ない状況になりつつありますね。かなり多くの学生が(小、中、高、含めたです)私に嫌がらせをしているからです。

そのような者たち全員に災いが起き出したら、パニックになるかもしれないからです。(小、中、高校生たちに癌が続出しだしたらそうなるでしょう)

運ちゃんたちは大人だからしょうがないとはいいませんが、何度も書いていますが、天は心しか観ません。(だから大人も子供もないということです)

あまりに無反省な者には天罰を下します。早めに詫びを入れに来た方がよいのではないでしょうか。そのような子供たちだけでもです。(多分起きてくると思いますよ。どこかの中学校も起きているようだし)

とにかく隣の静岡でも火葬場が三日待ちという現象が現れているのです。このようなことが現れてきた時に、そういう間違った振る舞いは必要以上にまずかったですね。多分命に関わることになるからです。

しかし、間違ったことをしていたら死ぬということにでもなれば、結局、人はよくならざるを得なくなるのではないでしょうか。

この世で間違ったことをし続ければいつ死ぬか分からない、そういうことにでもなれば、人は必死によい人間になろうとするからです。(死んでもかまわないと思っている人は別でしょうが)

まさに究極の教育法ですね。(笑)

笑ったらいけないのかもしれませんが、私からすると笑ってしまいますね。ここまで天からされないと分からないのかとです。(それでも分からない人がたくさんいますが…そういう人は先ほど書きましたが死んでもかまわないと思っているんでしょう)

そういうことが起き出したのかどうなのかは分かりませんが、そういうことが起きているのなら究極の教育法が名古屋で始まったということです。

そうであるなら、それこそ名古屋の皆さんは一刻も早く心を入れ替えないとやばいですね。心がそのままであれば、もういつ死ぬか分からないからです。

もうとっくに究極の教育法は始まっているのかもしれませんね。だって静岡でも(死ぬ人が急に増えるという)そのような恐ろしい現象がすでに現れているのです。では名古屋はもっと恐ろしい現象が現れるでしょう。罰当たりな人が多いからです。

名古屋の皆さんどうでしょう。もうこの辺りで本気で心を入れ替えられたらです。

名古屋の人々が心を入れ替え、他の地域の人たちにこの辺りで起きていることを体験談として話してくだされば、この法は大きく拡がることになります。

この法が本物であるということ、そうしてこの法の正しさ(それは私が証人です。未だ奇跡が起き続けているからです)を体験も交え話すことが出来るのは、この名古屋の人たちを置いていないのです。

名古屋の人たちが立ち上がれば法は一変に拡がるのです。何度もいいますが世界を救う英雄となられたらどうでしょう。

この法が世界に拡がるなら世界が救われるからです。(これだけ現象が現れる教えが他にありますか?正しい人には奇跡が、間違った人には災いが、即座に現れるのです。正しいか間違いか、すべて天が教えてくれるのです。だから、この教えが世界に拡がるなら世界が救われるのです)

今のようにビクビクして暮らすより、心を入れ替え世界を救うために立ち上がるのです。その方がよほど人として正しい道であるからです。(正しい道を行くから自分も救われるのであるしです)

元々、私一人をこの恐ろしい現象の犯人に仕立て上げ、よってたかって嫌がらせをしたのは名古屋の人たちなのです。(これだけ起きることに差があるのです。もう自分たちの間違いを認めてはどうでしょう)

それに私のブログで、ずいぶんいろいろなことを知ったはずなのに(心が救われたはずなのに)それにまったく感謝もせず、そのお返しが嫌がらせとは、あまりに人として道が外れているでしょう。

そのような諸々の罪を考えますと、名古屋にこのような究極の教育法が現れたのも納得できる話です。

一番神のことを教えてもらいながら、一番感謝が足りない人たちであるからです。

だから早く心を入れ替えないといけないのです。神のことを一番教えてもらっていながら、一番感謝が足りないということは、一番悪いことをしている人たちであるということだからです。

二、三日前の話ですが、東京都渋谷区で同性のカップルに結婚に相当する「パートナシップ」を認める証明書の交付を開始しました。

このことは何度も書いていますが、このようなことを認めるのは神の心に反するのです。しかし、この神の心に反することを世界が認めつつあります。

そうであるなら、日本でもこのような間違った思想は大きく拡がる恐れがあるのです。しかし、こんな思想を拡げるなら世界が滅んでしまいます。(ソドムとゴモラの町の話はもう何度も書いています)

このような思想は神の心とは相いれない話であり、絶対にこのような思想は受け入れてはいけないのです。世界がしているからではなく、このような間違った思想を、これ以上世界に拡げないよう日本で食い止めないといけないのです。

日本にしか本当の神の教えは存在していないからです。(だから、この思想がおかしいと正しくいえるのは日本の人たちだけなのです。正しい教えが他の国には存在していないからです)

だから、私たちもこの神の教えを拡げる運動を始めないといけないのです。こういう間違った思想の拡がりを止めるためにもです。

名古屋で、このような究極の教育が始まったのも、もう天が相当急いでいるのでしょう。これ以上、神の教えを拡げるのをなまけているのは許さないとです。(じゃなければ、これだけ極端なことは起こりません。名古屋でも静岡でもです。つまりこの名古屋周辺でこのようなことが起き始めているのです)

元々私たちは、この神の教えを学び拡げるために日本に出てきたのです。(高橋先生〔如来〕が日本に生まれられたのですから、それは当たり前のことです)

それをいつまでも理解しようとしない(自分たちのことばかりやっている)日本の人たちが悪いのです。

今のように日本に激しく起きる天変地変も、名古屋や静岡で起きている異常現象も(この異常現象もすでに全国に拡がりつつあると思いますが)すべて、本当の神の教えが出ているにもかかわらず、それを無視している日本の人々が原因なのであり、その教えを学び拡げるのなら、このような異常気象も現象も収まってくるのです。

いずれこの教えは世界に拡がります。(これ以上奇跡が起きる教えはないのですから、当然そうなります。それにこの教えを拡げることが神の意志なのです)

名古屋から大きなうねりを起こしませんか。それが自分も、日本も、そうして世界さえも救うことになるからです。

(大阪ダブル選挙も始まりました。話題は東京や大阪ばかりです。ここで名古屋を売りだすにはこの法しかありません。逆にこの法の体験談を名古屋の人たちが多くの人に話してくだされば、名古屋は日本中に世界中に知られることになります。これ以上の名古屋の発展も世界の平和への道もありません。名古屋の人たちが立ち上がれば世界が救われるのです。小さな心を捨てこの法とともに立ち上がりませんか?)

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11月 06 2015

神の意志に従う

昨日は名古屋港に行ってきましたが不思議でしたね。

魚が一匹も跳ねなかったからです。

最近はよく魚が跳ねていましたが「こういう跳ねない日もあるんだな」と逆に跳ねないのが不思議に思えてくるんですから変われば変わるものです。(笑)

不思議なことが毎日のように起きると、そういう場所に行って何も起きない方が不思議に思えてきます。ずいぶん感覚が変わってしまいました。(笑)

こういう日はすぐに水族館に行きます。すると水族館で面白いことが起きるからです。

面白いことというか、相変わらず可愛らしかったですよ。イルカやベルーガやシャチなどです。

ベルーガなど私が顔を出すと急に泳ぎ方を変えて、底すれすれにゆっくり泳いで私の足元まで泳いできて、急に私の目の前で浮かび上がったり、私の方に泳いできて目の前で反転したりしているのがいます。

そのような仕草を見ているだけでも可愛らしいのですが、イルカなども私が見ていると、何度も水面に上がってきて、声を上げたり、こちらをチラチラ見ていくのが何頭もいました。

そのうちの一頭が、私の目の前で水面から顔を出したりしずめたりして遊んでいます。逆に尻尾の方から体を出すイルカもいて、これもまた可愛いんですが、その奥にあるプールではシャチが飛び跳ねていました。

あれだけ跳ねているシャチを見たのも初めてですが、あんなでかいシャチが飛び跳ねるのです。プールのあちこちに体をぶつけるようで、ガンとかバシッとか凄い音を立てていました。

「あんなに跳ねて大丈夫か?」とこちらが心配になりました。

そのような大きなのばかりでなく、小さなイワシなども面白いことをやってくれました。

名港水族館はイワシも大量にいるのですが、そのたくさんいるイワシを見ていたら、右から来た大量のイワシと左から来た大量のイワシが、私の目の前で合体して超大量のイワシが目の前でグルグル回っているのです。

「何だこれ凄いな」とかいいながら、動画を撮っていましたが、そのような迫力のある動画(さっきのシャチもそうですが)やイルカやベルーガの愛らしい動画も撮れました。

あちらがダメな時はこちらと、まるで今日はこちらはいいからあちらに行けと、目に見えない何かが導いてくれているような、そんな気がしてなりません。

この世はこの世だけではなく、明らかに目に見えない何かの力が作用しています。

それこそが神の意志であり天の導きなのです。

その天の導きに従えば奇跡が、逆らえば災いが起きます。

だから、そのような天の導きを知らなければいけないし、また、そのような神の意志に逆らってはならないのです。

それなのに、その神の意志に逆らいまくっている人たちが多いのです。だから災いばかり起きるのです。

今日も朝からこの辺り、よくサイレンがしていますが(これみんな私のせいですから。あちこちで怒っている人がいます)このような病気は、この世の肉体だけにとどまらないのです。

例えば、癌になって死んだ人がいたとします。

その人は死ねば楽になると、周りは思っているのかもしれませんが(死に顔は眠ったように死んでいるだけですので)しかし、その癌で亡くなった人の魂は、その癌の意識を持ったまま死んでいるのです。

ということは、その人の魂は、その癌の意識のまま、ただ魂が肉体から離れただけですので(癌の末期は死ぬほど痛みがひどいといいますが)その意識は(末期の)癌の痛みを引きずったまま苦しんでいるということなのです。(だから相当いたいと思いますよ)

外見からはそれが分からないだけで、本当は死んだ後も、その癌で亡くなった人などは、その癌の痛みで苦しみ続けているのです。

つまり、苦しみながら死んだ人は実際は死んだところで、その苦しみからは抜けることが出来ないということです。(臨死体験などの体験本など見ると、死んだらとたんに体が楽になったと書いてありますが、ああいう人はごく一部です。〔または天上界に行けるような心の持ち主です〕だいたいの人は、その死ぬ時の意識を強く引きずります。だから苦しんで死んだ人などは、その苦しんだ意識のままあの世に行くのです)

だから、年寄りだからと、もういつ死んでもいいからと、無茶なことをしますと、そのつけは死んだ後に払わなければいけなくなるということです。(この辺りは年寄りが無茶してきますからね。〔普通は若い奴でしょう。無茶するのは〕私に平気で嫌がらせをしてきますが〔自分は年寄りだからもうどうなってもかまわないとです〕その死んだ後が長いのです。そのようなつけは地獄界で払わないといけなくなるからです。肉体が若かろうが年寄りだろうが関係ないのです。正しい判断ができなければ、その反省はどこかでさせられるのです)

だから、年寄りであろうと、若者であろうと、そのような神の意志は理解しないといけないのです。

生きている間はともかく死んでからが困るからです。

生きている間は、悪いことが起きても、なんとかごまかして生きていけるかもしれませんが、亡くなると(肉体がなくなると)その災いが一人一人にまともに現れてくるのです。

そこが肉体の世界ではなく意識の世界であるからです。神の意識は一人一人の意識と繋がっているからです。

だから、その神の意志に逆らっているということは、即ち、その神の意識に逆らっているということです。

そうであるなら、その意識が(神の意志に逆らっている思いが)なくなるまで、徹底的に意識改革が行われることになります。

それが地獄界での修行なのです。

地獄界での修行とは簡単にいえば意識改革です。(そうですよね。もう肉体などないんですから。意識だけなのですから)

この世の修行に出て、その修行に失敗して間違った意識を持ってしまったため、その間違った意識の意識改革のため厳しい環境に置かれて自分の意識をもう一度叩き直す、分かりやすくいえば、地獄に堕ちるとはそのようなことでしょう。

だから、今のうちから神の意志に従う、天の導きに従うことをしていかないといけないというのです。

そうすると奇跡が起きるというのはもちろんですが(それは天上の世界そのままです)その天の導きに従うことが、自分の本当の使命を果たすことになるからです。

この世に出てきた目的は自分の本当の使命を知ることにあるのです。(園頭先生もいわれていました。「この世に生まれて来た目的は、この世に生まれて来た目的を知ることである」とです)

天の導きに従うのであれば、その自分自身の本当の使命を知ることが出来ます。自分の本当の使命を知り、それを果たすことが出来るのであれば、自分の心の向上はもちろんですが、死後の生活まで安泰(天上界)であるということです。

しかし、そのような神の意志に逆らい続け(我ばかり出してです)この世の栄耀栄華だけを望んでいるのであれば、この世だけはなんとか面白おかしく生活できたとしても、その後は地獄での生活を余儀なくされるということです。(もちろん、自分の本当の使命も果たせず心の向上もありません。では、何のためにこの世に出てきたのか?ということになります)

ずいぶん神の意志を無視している人たちが多いのですが、大丈夫ですか、それだけ我を張っていてです。(この世に出てきた意味なくなりますよ。我ばかり張って間違ったことやっているんですから)

そんなことをしていても一つの得にもならなければ、このような時代となれば、どんな災いが現れるかもしれません。(ずいぶん災いが現れているようですが大丈夫ですか?)

どれだけ災いが現れても、それでも、そのような心と行いを変えようとしませんが、そのように突っ張っていられるのも今だけなのです。

死んだあとは、そのような突っ張りなど屁の突っ張りにもならないのです。

今の苦しみより、あの世地獄界での苦しみは、その数倍、数十倍にもなります。

今のうちにもう少し素直な心をもつ練習をされてはどうでしょう。そのような心が唯一自分を救うからです。

(神の業が現れて死んでいった人はみな地獄界です。本当に大丈夫ですか?…すいません、今日のブログはまたこちら中心になってしまいました。本当に周りにいろいろなことが起きていますので、それはご了承ください)

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11月 05 2015

基準

しかし、昨日は面妖でしたね。庄内川の帰り道、中学生を一人も見なかったからです。

道路を挟んだ反対側の歩道にもどこにもいなかったですね。

夕方五時半前後ですので、一人や二人は(多い時は数十人単位で)下校途中の(一柳の)中学生がいてもよさそうなものですが、昨日は一人もいませんでした。(小学生ばかりでした)

おかしいなと思い、一柳中学をのぞいていきましたが、真っ暗で誰もいないようでした。

あそこの中学生、あまりに神を冒涜しているので神隠しにでもあったんじゃないでしょうか?

まさかそんなことはないと思いますが、では昨日は休みだったんでしょうか?

それも違いますよね。一昨日が休日でしたから。その一昨日の文化の日にも高畑の辺りを歩いていたら、一柳らしき中学生に嫌がらせのようなことをされました。(数人の連中と一人の奴にです。ヘラヘラ笑っていましたので一柳の中学生でしょう)

そういうこともあって(少々ムカつきましたので)昨日の庄内川の帰り道は、会う中学生を片っ端から祈ってやろうと意気込んで歩いていたら、一人の中学生もいなかったのです。(初めてですね、こんなこと。なんか異様な雰囲気でした)

マァ、昨日はたまたまでしょう。あの礼儀知らずな態度はそのままにしておけません。(何せ、親より年が上かもしれない者を平気でバカ、アホ扱いですから)

徹底的に祈って天に指導をお任せしましょう。(それしか方法がないからです。どれだけ口でいっても分からないんですから)

天の指導は甘くはありません。体罰がどうの、年がどうのと、それも関係ありません。あまりに心が悪ければ最悪あの世に引き上げられます。

天は心しか観ないからです。

肉体が若かろうが年を取っていようが関係なく、体罰も関係ありません。子供であろうと年寄りであろうと痛い現象が現れる時は痛い現象が現れるし、苦しい現象が現れる時は苦しい現象が現れるのです。(よいことをしていればもちろん奇跡が現れます)

天の指導とは、そのような現象を通して心を磨いて行くからです。

神に関わること、そうしてこの世の修行とはそのようなものです。それを知らない人が悪いのです。

体罰はいけないの、押し付けはいけないの、そのような(甘えた)ことをいっているのはこの世の人たちだけです。

修行、勉強とはそのような元々厳しいものなのです。

勝手に甘やかして間違った行いをし、悪いことが起きて、それで泣き言を(責任転嫁など)いくらいったところで、それは後の祭りでしかないのです。

だから私は、昨日のウナッシーさんのコメントに対し、若いうちから甘やかすようなことをしてはいけないと、若いうちから少し苦労は教えた方がいいと、そういっているのです。

結局、人生のどこかで必ず苦労はするからです。(学生の時はともかく社会人になれば、そのような学生の時までの考えがどれだけ甘いか、だいたいの人は分かるはずです)

そのような苦労を子供の時から教えないで、では、社会人になって、その苦労を経験したら、その時、苦労を全然知らない子供たちはどう対処するのでしょう?

苦労を知らないのですから、その対処の仕方も知らないでしょう。

だから、仕事をすぐにやめてしまう子が多いのではないですか?何かと文句ばかりいってです。(わがままに育てられているので我慢はしませんが口だけは減りません。そういう減らず口の勉強だけは皆さんたくさんしているからです。〔笑〕)

苦労を知らないで、何でも自分中心のわがままですから、当然、上の人に対する態度も知らないのでしょう。だから、この辺りの中学生は(小学生もですけどね)私に対する態度が誰も悪いのです。

あまりに教育の仕方が悪いからです。なんでも自主性を尊重するなどとわがままを増長するだけで、まず一番大事な礼儀作法とか、人に対する態度とか(特に目上の人に対する態度など)しっかり教えていないからです。

そうして苦労も教えないからです。

だいたい、私の小さい頃など(それ以前はもちろんですが)先生に叩かれたなどと親にいえば「お前は先生に叩かれるほどの悪いことをしたのか」と叱られたものです。

しかし、今は子供が先生に叩かれたといえば、学校に怒鳴り込んでくる親もいるというのですから「お前の子供は神か」と、そのような親にいいたくなります。(笑)

神ほど物事が分かっているのならともかく(それなら子供が百パーセント正しいでしょうから)子供は先生ほどの知識も経験もないのです。

では、子供の方が間違っていたから、その子供は先生に叩かれたのではないのですか?

叩くのは体罰といわれますが、子供が口でいっただけで分かるのでしょうか?(この辺りの中学生は〔小学生もですが〕口でいくらいっても上の者に対する間違った態度が直りませんが、これは私のいい方が悪いということでしょうか?)

たしかに、体罰はいけませんが愛のムチは致し方ない部分があるでしょう。口だけでいっても分からない子供はたくさんいるからです。(特に最近は増えました。そのような間違った教育をしているからです)

極端はいけませんが中道であるなら、少々厳しい教育は必要なのです。そのような苦労は後で必ずするからです。

そういう苦労を教えることもまた教育であるからです。(そうしないと苦労の乗り越え方が分からないのではないでしょうか)

最近は何でも世界がこうだからこうしないといけないとか、古い新しいで物事を決めるようですが、そのような基準が正しいのでしょうか?

世界、世界といいますが、その世界の国々が日本より離婚率が高かったらどうなるのでしょう。(今ちょうど夫婦別姓の裁判などしていますが)そのような国に基準を合わせれば当然日本の離婚率は高くなります。

そのような国が日本より治安が悪かったらどうなるのでしょう。(教育が悪くてです。結局、教育が悪いから段々治安が悪くなるんですよね。バカガキ〔大人もそうですが〕が増えて)当然日本の治安はもっと悪くなります。

そのような国が日本より差別がひどかったらどうなるのでしょう。(例えば、人種差別でもよいのですが)当然日本の差別はもっとひどくなります。

正しさの基準とは、世界が基準、古い新しいが基準ではないのです。

その国が日本よりも、そのような点で勝っているのかどうなのか?

その一点なのです。

そのような意味で、日本よりも劣ることをしている国々を(離婚率にせよ、治安にせよ、差別にせよです)なぜ基準としなければいけないのですか?

単に世界が手本、世界が見本というのは(あるいは古い新しいで決めるのは)考えが浅く狭量であると思います。

本当の正しい基準で教育をするべきなのではないでしょうか。

そうしないとこれからは、あの世に帰らないといけない人がたくさん出てくると思うからです。(それだけ厳しい修行がすでに始まっているということです)

追伸…どこかの中学校の皆さんもまだ私が祈り始めて一週間もたっていません。

逃げるの早すぎです。(苦笑)

どこかの会社の連中など、どれだけ恐ろしいことが起きても、それでもじゃまをし続けているのです。その連中の爪の垢でも飲んだらどうですか?(今日も無理してやっています。もう毎日何か起きて大変そうです)

しかし、もし反省するというのなら早めに詫びを入れられた方がいいでしょう。そのような現象が激しく現れるのはこれからであるからです。まだ始まったばかりであるからです。

運転手連中もそうですが、そういうバカ大人のまねはしない方がいいでしょう。もたもたしていれば、どれだけ神の業が現れるか分からないからです。

あなたたちは中学生です。詫びを入れるのならすぐにでも祈りはやめますが…どうされますか?

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11月 04 2015

過去世の証拠

過去世の話をもう少し書きますが、高橋先生が、過去世のことをいわれるようになってから「私の過去世は誰誰だ」と過去の有名な人を吹聴する人が増えましが(特に幸福の何とかという教団の教祖はひどいんですが)しかし、ただ漠然とそのようなことをいわれても、それは信じるに値しないでしょう。

なぜなら、自分の過去世が例えば誰か名のある人物であるならば、必ずどこか、その有名な人と自分が共通する部分があるからです。

いくら違う時代にこの世に生まれているとはいえ、同じ人物であるのですから、同じような癖などは必ずどこかに現れるのです。

例えばそれは高橋先生でもいえるのです。

高橋先生は釈尊であった方ですが、高橋先生はよくこのようなことをいわれていました。

「私のいうことでもすぐに信じてはいけません。疑って、疑って、もうこれ以上疑う余地がないと思ったところで初めて信じなさい」

釈尊も次のような言葉を残されています。

「私に対する尊敬から私のいったことをそのまま鵜呑みに認めてはならない。師の言葉であっても試金石にかけるように吟味すべきである」

たとえ私が言った言葉であってもすぐに信じてはならない。自分でもいろいろ勉強して、そのいっていることが間違いないと分かったら、そこで初めて信じなさいと釈尊も高橋先生もいわれるのです。

高橋先生も釈尊も同じことをいわれているのです。

何千年たっても(釈尊は二千五百年前の方でありますから)教え方は変わらないのだなと、私はこの釈尊のお言葉を聞いた時に思いました。

それに釈尊はキノコがお好きだったそうですが(釈尊が亡くなられる前の最後の食事が、このキノコの天ぷらであったそうです。弟子が釈尊が好きなキノコを天ぷらにして出したのです)これは高橋先生も同じで、高橋先生はキノコが大好きであったそうです。

このように過去の有名な人がもし自分ということであるならば、今の自分と過去のその有名な人とはいくつかの共通点が必ずあるのです。(外見にせよ、癖にせよ、能力にせよ、そのような嗜好にせよです)

その共通点で面白い例がありますが、高橋先生があの女優のマリリン・モンローの過去世は楊貴妃(ようきひ)であった、といわれたことがあります。

楊貴妃は才色にすぐれ歌や踊りもうまかったといわれます。

楊貴妃は、中国四大美人(ちゅうごくしだいびじん)の一人にまで数えられるくらいですから、さぞ美人だったのでしょう。

マリリン・モンローはもちろん美人ですが、そのような美貌まで輪廻するとは羨ましい限りですね。(笑)

必ずしも美人がまた美人に生まれるということはありませんが、過去に超がつくくらい美人であった女性が、また今生美人で生まれるなら、過去の美人顔と同じような顔で生まれてくることは事実でしょう。

それもまた一つの共通点であるからです。(だとしたら、楊貴妃の顔はマリリン・モンローによく似ていたということです。〔笑〕)

だから、その共通点が全然ないのに、そのようなことをいう人のいうことなど信じてはならないということです。(では、どこかの教団の教祖のいうことも信じない方がいいのではないでしょうか。そんな共通点などどうせないのですから)

しかし、科学的にも生まれ変わりを(生まれ変わりを調べた科学者の事例はいくらでもあります)主張しても、それでも生まれ変わりを信じる人はなかなかいませんが、高橋先生が人の生まれ変わりはあるといわれて現象でそれを証明しています。(当時の過去世の言葉で語っている人のビデオなど何十本もあります)

人の生まれ変わりは確実にあり、近い将来、それは多くの人に信じられることになるでしょう。(その時に科学者の証言と高橋先生のビデオは大きな証明となると思います)

人の生まれ変わり(輪廻転生)を多くの人が信じるのであれば、またそのような人たちの人生観も変わります。

早くそのようになるとよいのですが、そうなったらそうなったで、すぐに過去の有名人の名を出し、自分がその人の生まれ変わりであると嘘をつく輩もたくさん出てくるでしょう。

しかし、そのような時は、先ほど書いた共通点をよく調べてみて、それがたくさんありそうなら信じてもかまいませんが、そうでない人のいうことを信じてはいけないということです。

それに過去世がいくら有名な人たちでも、今生失敗した人たちはたくさんいます。(釈尊の弟子でいえば、園頭先生〔シャリプトラー〕をのぞく十大弟子のほとんど、マイトレイヤー、アサジ、ヤサなど、キリストの弟子でいえばパウロ、ヨハネ、ピリポなど、これにモーゼの弟子たちも加わりますので、どれくらい多くの過去の名のある弟子たちが失敗したか分からないくらいです)

このようことを考えれば過去世の名などあまり関係ないのであり、今生どれだけ出来るか、今が勝負なのです。(だって、その過去の有名な人とは、その人の過去、何万回も何十万回も輪廻転生している人生のわずか一度の人生であるだけだからです。一度や二度、歴史に名を残しているからとそれがどれほどの価値なのでしょう。歴史に名を残していない人生の方がはるかに多いのにです)

しかし、それはともかく人の生まれ変わり(輪廻転生)は確実に存在します。

そうであるなら、歴史に名を残す、そのような仕事がしたいものです。

その方が将来の自分の楽しみも増え(来世で、あの仕事をしたのは自分だったんだと自慢できます。〔笑〕)自分の心の向上にもなるからです。

そのような意味で人生は(今生だけではなく)ずっとつながっているのです。

今が大事ですが、今がすべて、そのような小さな考えだけは捨てた方がよいと思います。

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11月 03 2015

続、過去世の業

今日は悪魔軍団も休みです。多少は静かにブログが書けると思いますが(どこかのマンションがじゃまするかもしれませんが)しかし、昨日も三時過ぎから悪魔軍団はうるさかったです。

急にキレ出してガンガン音を立てる奴がいました。何が起きているのか知りませんが(本当に起きっぱなしですね。〔驚〕)同じことをしていてもその現象は止まりません。

その現象を止めることが出来るのは私だけです。早く心を入れ替え詫びを入れてください。(悪いのはあなたたちの方なのですから)

そうすればその現象はピタリと止まるからです。(こういう現象が起きていること自体、私が正しいことをしている証拠です)

このように私の周りは現象が(奇跡が)起きっぱなしなんですが、昨日の話をもう少し書きましょう。

しかし、もし安倍総理が過去世で軍師などをやっていられたとしたら、今回、安保法案を通されたということもよく分かる話ではあります。

そのような過去世をお持ちなら、ジッとしていては国を守れないという心を強く持っていられると思うからです。

世界中が平和であるならともかく、すぐ近くに(軍事的に)危ない国がいくつもあるのです。このような時に、そのような過去世を持つ方が日本の首相になられたとしたら、それも天の導きでしょう。

そういう過去世をお持ちでない方々は、国をどうやったら守れるのか、その方法を知りません。

そのような、いろいろな勉強をされるのもまたよいことなのではないでしょうか。

それはともかく、昨日書いた三国志時代から五百年ほど前の話です。

秦の始皇帝が史上初の中国統一を成し遂げ、最初の皇帝となります。

その始皇帝の死後、その秦を滅ぼして漢をつくり最初の皇帝となったのが劉邦(りゅうほう)です。(現在日本で使われている漢字は、この漢でつくられたものです。漢でつくられた文字であるから漢字というのです)

この漢の初代皇帝であった劉邦は若い頃は酒色にふけり、それほど能力のある人物には思われていなかったそうです。

しかし、不思議なことに人望だけはあって、飲み屋で酒など飲んでいると自然と人が集まり、その飲み屋が満席になることがよくあったそうです。それに仕事などで失敗しても周りの人たちが劉邦をよく擁護していたそうです。

何か、この男をほってはおけない、一緒にいると楽しい、そのような不思議な魅力が劉邦にはあったようです。(そうして顔の相もまたずいぶんよかったそうです。見る人が見れば天下を取れる、そのような相をしていたそうです)

その後、始皇帝が亡くなって秦に統一された中国がまた乱れ始めるのですが、そのような乱れ始めた中国で(当時は秦ですが)この人望だけはやたらある劉邦が将となって戦をするのですが、百戦して百敗するくらいとにかく戦には弱かったそうです。

その戦にめっぽう弱かった劉邦が、なぜ始皇帝の後の中国を統一し漢として、その皇帝となれたのか、それは劉邦の持っている能力が人とはまったく違っていたからです。

劉邦は、普通の人にない能力を持っていました。その能力が劉邦を皇帝にまで押し上げたのです。

その人にはない能力とは「将の将たる器」なのです。

つまり劉邦は、普通の人よりはるかにでかい度外れた器を持っていたということです。(それを能力というのかどうか知りませんが)

だから、普通の人と同じようなことをしても、そのような人は自分の本当の能力を出せないのです。器が違っているからです。(だから、人と同じような場所で同じような仕事をしていても、大して力を出せないということです。だから戦に負け続けたのです)

このような人物は、その自分の能力が出せるだけの場所に行かないと、その能力は現れてこないのです。

戦に負け続けた劉邦が、自分の能力を発揮し出したのは、その自分の下に多くの力がある人材が集まってきた時でした。(それは自分の人望によってですが)

天才軍師といわれた張良(ちょうりょう)や後に大将軍となる韓信(かんしん)このような才能ある人物が劉邦の下に集まってきた時、そのような力のある人物の力を最大限に引き出し、存分に働かせたのが劉邦であり、そのような力がある人物の多くを使いこなすことが出来る能力が劉邦にはあったということです。(多くの人の上に立って指揮が出来る将軍や、多くの戦略を立てることが出来る軍師といわれるような人物を、使いこなせる能力、それが劉邦にはあったそうです。これが将の将といわれる所以です。もちろん劉邦はこのような能力だけではなく、ずいぶん広い視野も持っていたようです。だから、優秀な人材がよく分かったのです)

その将の将といわれる能力を存分に発揮して、劉邦は宿敵項羽(こうう)を打ち倒し、漢をつくって中国統一を成し遂げるのですが、その劉邦の妻がまた(下手すれば劉邦以上に)有名なのです。(ただし、よい方ではなく悪い方ではなのですが)

劉邦の妻、皇太后は「中国三大悪女」の一人といわれています。(最悪ですね。後の二人は唐の武則天とこれまた有名な清の西太后です)

皇太后は、劉邦が生きていた時まではよかったのですが、劉邦の死後、多くの悪行を行ったからです。

その中でも特に有名な悪行が、あの劉邦の側室であった戚(せき)夫人を人豚にしたことです。

戚夫人は劉邦が晩年一番愛した女性でした。(だから、どちらかというとあの子、愛人みたいな顔をしています。〔笑〕)

それを根に持っていた皇太后は劉邦が亡くなると、その戚夫人を殺すだけでは飽き足らず、両手両足を切り落とし、目をくりぬいて、耳も聞こえなくし声も出せなくさせて、便所で飼うということをしたのです。(当時の中国では便所の下を広くして、そこで豚を飼い、人の大便を豚の餌にしていたのです。その豚と同じ場所にそのような戚夫人を押し込め、そこで生活させたのです。考えただけでゾッとします)

このような残酷な皇太后が、もし現世に出てきていたら、それはそれは凄い悪女となっているだろうと想像できますが、そうでもないのです。

その皇太后の悪行は二千数百年も前の話ですし、皇太后はこのような悪いことばかりしていたわけではありません。

皇太后は劉邦に嫁いだばかりの頃は、家のことから子育て、そうして畑仕事までよくこなしたといわれています。そうして、劉邦が皇帝になるまでの苦労はもちろん、皇帝になった後の劉邦にもよく尽くしたのです。

しかし、劉邦の死後、皇太后はおかしくなったのです。それまでの不平不満や嫉妬や欲などが心にはたくさん詰まっていたのでしょう。

そのような心が皇太后を悪女にしますが、皇太后は死後、地獄でよくそのことを反省し、そうして天上界に昇って、そこからこの現象界(この世)に出てくるのですから、その当時のことをそのままするわけではありません。

だからこの世に出て来て悪女となるとは限らないのです。むしろ、よく出来る女になる確率の方が高いのです。(元々そちらの能力の方が高いからです。善に強い人は悪にも強いといわれますが、普通以上によい人は普通以上に悪くもなるということです)

しかし、もし皇太后がこの世に出てきていて、そのような出来る女になっていたとしても、その過去世の業がすべてよくなっている、そのような心がまったく直っているというわけではないのです。

多かれ少なかれ、必ず、そのような悪心は残っているのです。

その底意地の悪い(しかも非常にです)その心をしっかり反省しないといけないのに、それがまるで出来ないようです。(それでは失敗ですね)

別の子も、あのグループを卒業するというので、これは家事育児などの勉強をするため、嫁に行くための準備かと思っていたら、また(歌とか踊りとか)同じようなことをしたいというようなことをいっています。

それでは本当の心の勉強にはなりませんね。(苦笑)

皆さん、ずいぶん遠回りが好きなようですが、誰でもいろいろな過去世があります。その過去世ともども反省出来る、そのような修業をしないといけないのです。

(それは自分の一番悪いところを一番直す、ということです)

追伸…私はどうも一番人気のあるグループの子たちとは縁が薄いようです。(残念です)

しかし、私はどこかの国のように過去の歴史など気にしません。未来志向です。(笑)

今生、そのような子たちと縁が持てるなら、大いにそちらも広めていきたいと思います。だってその方がよく法が拡がるからです。

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