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9月 24 2015

病気の原因

今日は悪魔軍団が静かそうです。(笑)

では、ブログを書きますが、昨日のウナッシーさんのコメントにもありましたが、最近は有名人の癌のニュースが多いですね。

突然死された方までいましたが、こういう病がこれから増えてくるのではないでしょうか。

昨日も書きましたが、自分の心が現象として現れる、そのような時代となったからです。

乳癌でこれから入院される人もいるようですが、例えば乳癌など女性の象徴である胸を切らないといけなくなるのです。

これは女性らしくない心を持っていると、このような病気になるのであって(だから女性としての象徴である胸がなくなってしまうのです)このような病気になる女性は男勝りであるとか、結婚しても妻の役割をしっかり果たさないとか(夫を尻に敷いたり夫のいうことを聞かなかったり)そのような理由でなることが多いのですから、こういう病気になった場合、そのようなところをしっかり反省した方がいいのです。

自分は女らしかったのであるのか、夫を一として夫のいうことをちゃんと聞いていたのであるのか、子供がいるのであれば母として、その役目をしっかり果たしていたのであるのか、そのようなところを思いだし、もし、そういうところで出来ていなかったところがあるのなら、その出来ていなかったところをよく反省し、これからはそのようなところは直します。

これからは女性らしく生き、妻、母の役割をしっかりと果たしますと、神に誓って祈るのであれば、天上界はその人に協力して、もう一度この世の修行を果たせるよう、病気が治るよう導いてくれますが、病気になったのは運が悪かっただけなのだから仕方がないと、そういう反省をまったくしようとせず、ただ入院しているだけだと、その病気は治るか治らないか分からないということです。(その人の使命が、まだこの世に残っているならその人は残されますし、残っていないのならあの世に帰されます。仮に使命が残っていても、もうこの人はこの世で勉強しても勉強にならないと天が判断した場合、その人はあの世に帰されます。どちらにしても反省するのとしないのとでは雲泥の差があるのです)

病気になるのは、自分のどこかに悪いところがあるからなるのであり、病気になるのも一つの気付きの現象なのです。(体を酷使したり、飲みすぎたり食べすぎたりしてなる病気ではないのだから、癌になるのは運が悪かっただけと思われがちですが違います。癌になるのも、やはり普段から癌になるような心と行いでいたから癌になったのであり、原因は必ずあるのです。そのような心と行い〔原因〕を反省しないといけないのです…この辺りの人も癌になる人が多いのなら必ずその原因はあります。〔この辺りは分かりやすい原因ですが〕それを反省しないといけないのです)

悪いことが起きるのは全部気づきの現象なのです。たまたまとか人のせいでとかではないのです。(この辺りの人たちもいい加減それを理解してくださいね)

自分に悪いところがあるから自分に悪いことが起きるのです。だから、悪いことが起きたら、まず自分が反省しないといけないのです。

ところが現代の人は、悪いことが起きてもその反省をまったくしようとしないのです。全部責任転嫁しているからです。(天変地変も全部温暖化のせいです)

病気をしても「病気をしたのだから仕方がない。ゆっくり休んで早く治して」です。

これではいけないのです。病気をしたのであれば「あなたは病気をするだけの間違ったことをしていたのだから、そこをよく反省して早く治してください」といわないといけないのです。

そういう心にならないと、治る病気も人によっては治らないからです。(先ほどもいいましたが、あまりに反省の心がないと、そのままあの世に引き上げられるかもしれないからです)

このような病気の原因も天変地変の原因もすべて人々の心にあるのです。

それを早く理解されるべきでしょう。何度もいいますが、これからは自分の心がすぐに現象として現れる、そんな時代になっているからです。

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9月 23 2015

心の通りに現れる現象

この前、女子プロゴルフのトーナメントを観に行った時、昼に出て来て会場近くの知多の海に行ったんですが、その時遭遇した面白い魚とはエイでした。

堤防のようなところの先まで行って「お前らいないのか、いたら顔を出せ」と呼びかけていたら、底の方から薄っぺらい丸いものが目の前に浮かんできました。すぐに消えてしまったので(もぐってしまったので)最初はゴミか何かかなと思い気にしませんでした。(海の水が濁っているのでよく見えないのです)

しかし、何度も上がってくるので何だろうと思いよくよく見たらなんとエイでした。エイが近寄ってきていたのです。

これは珍しいと思い、ビデオをかまえたのですが、そうしたらもう上がってこなくなりました。せっかくエイを撮れるチャンスでしたが、その後、何度呼びかけても上がってきませんでした。(仮に水面近くに上がってきても、あの水の汚さでは撮れたかどうか分かりませんが)

動画には撮れませんでしたが、エイまで寄ってくるとは(そりゃエイも寄ってくるでしょう。いろいろな魚が寄って来ているのですから)珍しいものが見られたと一人喜んでいました。(水族館では嫌というほど見ていますが、海で見るエイはまた違いますから。〔笑〕)

本当に私は変わったものを見ることが多いのですが、このような奇跡とは裏腹に災いもたくさん起きているようです。

また明日から書けなくなるといけないから(明日から悪魔の軍団が現れますから。どこかの会社です。〔笑〕)くどいくらい書いておきますが、詫びを入れられたらどうでしょう。

昨日でもそうです。近所でも何か起きたみたいですが(態度がガラリと変わるのでよく分かります)運転手連中の変わりようは凄いですね。

私の近くを通るトラックは、無理してブシュブシュやって行きますが(もう皆さん顔が必死です)少し離れたところを通るトラックは無視して行ってしまいます。(その離れたところを通るトラックも運転手連中の顔は引きつっています)

よほど現れているんでしょう。現れていると思いますよ。

だって、そのような人たちに天が恐ろしい現象を現すのであれば、中途半端にちょこちょこ現すはずがないと思うからです。

そのような人たちに現象を現すのであれば、一変に多くの人たちに現すはずだからです。

それはそうでしょう。そうしないと、絶対にそのような人たちは反省しないからです。

あちらの人に現象を現し、そうしてしばらくしてまた別の人に現象を現す、などという中途半端なことをしていたところで、私に嫌がらせをしている運転手の人たちは、私に嫌がらせをしている人たちに何か起きていることはもう知っているのです。

それを知らない人たちであれば、少しずつ現象を現しても十分反省するのでしょうが、それを知っていてもそれでも反省しない人たちばかりです。

そうであるなら、そのような人たちにはよほど激しい現象を現さない限り、その人たちを反省させることは出来ないでしょう。

だから、一変に現象が現れると私はいっているのです。そのような現象の現れ方をしない限り、運転手連中は神を恐れることもないだろうし反省もしないからです。

神を恐れているなら、これだけ無神経な態度は取らないでしょう。神の業がこれだけ現れているのです。とっくに反省して私への嫌がらせはやめているでしょう。

しかし、何が起きても平気で私への嫌がらせを続けているのです。ということは神さえも恐れていないということです。

「神をも恐れない」これは最悪です。神の子である人間にとってこれ以上の罪はありません。

神をこれだけ怒らした人たちはいないでしょう。(本当に無神論という思想は罪です。神や神の業を認めようとしないのですから)だから、いっているのです。早く詫びた方がいいとです。

下手すれば、運転手の間で癌があっという間に広がるかもしれないからです。

聞く耳をまったく持とうともせず、これだけ一方的に嫌がらせをし続けたのです。そうして、どれだけそのようなことをしている人に災いが起きていると聞いても、そのような神の業を少しも恐れようとせず、それでも嫌がらせをし続けたのです。

これはどれだけ大きな罪となるか知れないのです。(神を恐れず、一方的に人を悪人に仕立てあげ、嫌がらせを実践し続ける、一体どれほどの罪をつくっているのでしょう)

だから、このままでは運転手の間であっという間に癌が広がりますよ、といっているのです。

それは運転手の人たちだけではないでしょう。運転手と同じことをしている人たちも多いのです。そのような人たちにも同じようなことが起きるはずです。

だから私はいったのです。これから多くの人が癌になるとです。そのように天から聞いたからです。(脅しでもなんでもないでしょう。現にそのようなことが起きつつあるのですから)

今起きている悪いことは私のせいではありません。そのような時代(正法の世)となったから起きていることなのです。

現に、この辺りに起きている現象だけではなく、天変地変も激しく起きるようになったではないですか。それに今起きているサイレンも(この辺りは最近また増え出したように感じますが)あちこちで起きるようになっています。

この前、女子プロゴルフのトーナメントを観に行った岐阜でも聞きましたし、知多の辺りでも聞きました。豊田の辺りでも聞きましたし(私の動画の中にも、そういった場所でサイレンが聞こえてきているはずです)ウナッシーさんのコメントにもありましたが、すでに静岡の辺りでも聞こえているのです。

また全国版のテレビのニュースでも、中継などしていると最近はサイレンが聞こえてくることがよくあります。

もう、この辺りで起きていることが全国的に起き始めているのです。

これが全部私のせいだというのでしょうか。(もし、そういうことを本気で思っている人がいるとしたら、責任転嫁もここに極まりです)

違います。神から離れた愛のない人が多いのです。

だから、このような現象が現れ始めたのです。何度もいいますが、そのような愛のない心が恐ろしい現象として現れる時代となったからです。

愛がないから悪いことが起きるのです。それを人のせいにしてるだけなのです。

釈尊やキリストに災いが起きたでしょうか?

愛と慈悲の塊といわれる、あのような偉大な方々には災いなど起きていません。奇跡しか起きていないのです。(仮に、私がどれだけ祈ろうとあのような方々に災いは起こらないでしょう。心が愛と慈悲に満ちているからです)

それがよい証拠であり、心が愛と慈悲に満たされているなら、誰がどれだけ祈ろうが災いなど起こるはずがないのです。奇跡しか起きないのです。

「あいつが祈ったから悪いことが起きた」「悪いことが起きたのはあいつのせい」など、責任転嫁以外の何ものでもないのです。

どれだけ悪い状況になろうと心に愛と慈悲があるのなら、そこに災いなど起きません。奇跡しか起きないのです。(それは私が実証しています)

悪いことを人のせいにしているなど所詮は泣き言にすぎないのです。悪いことが起きたのなら、自分たちに愛と慈悲の心がなかったせいだと、そのような無慈悲であった自分の心をまず反省すべきなのです。

もう、そうせざるを得ない状況になりつつあり、この状況は深まることはあってもなくなることはないでしょう。

これからは責任転嫁をすればするだけ災いが起こり、愛と慈悲の心を実践すればするだけ奇跡が起きるのです。

ということは、奇跡が起きている人ほど愛深い正しい人であり、災いが起きている人ほど愛のない間違った人ということになります。(自分たちが間違っているから災いが起きているのですから)

「目は口ほどに物を言う」という言葉がありますが、これからは「現象は口ほどに物を言う」ということです。

現れる現象ほど正しいことはありません。

その現れる現象が激しさを増しています。(奇跡、災いともにです)災いが起きている人たちは自分たちに間違いがあるから災いが起きているのです。

その間違いに早く気づかなければいけないのです。

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9月 22 2015

調和する大事さ

昨日は、久しぶりに野球観戦に行きました。(今年初めてです)

本当は今年は行く気がなかったのです。そこの球団の選手に嫌がらせをされて気分が悪いのと、こちらは人が多いところに行くのが大変だからです。(行く電車の中も〔下手すると〕大変ですし、行ったところでも大変だからです。ゴルフ観戦は、まだあちこち移動できますのでいいのですが、野球観戦はその場所でジッとしていないといけません。近くにおかしなのがいると修羅場になりますからね。〔苦笑〕)

しかし、今年で引退する選手も多かったので、最後くらい観ておこうかと、それで行ったのです。

しかし、あの球団最後までダメでしたね。(昨日も完封負けです)

いや、最後までというか、ずいぶん成績が極端でした。何連敗もしたかと思うと急に連勝が始まって何連勝もするのです。

一年を通してそんな感じでした。強いのか弱いのかよく分からなかったんですが、成績は最下位です。(まだ分かりませんけど多分そうでしょう)

そうなるでしょうね。これだけ極端な成績ではよい結果が現れるわけがありません。中道でないからです。

この球団がこれだけ極端な成績になったのも、この球団の中に極端な人がいるからでしょう。その人の心が成績に現れたのです。

では、その人の心を変えるか何かしないと、また来年もこのようになりよい成績はあげられないということになります。

選手補強も大事なのですが、調和するということはもっと大事なことです。調和する努力をされてはどうでしょうか。(しかし、あの背番号7の選手も今年は悪かったですね。手は骨折するわ、成績はまるで上がらないわ、最悪でした。厄払いに背番号を変えられてはどうでしょう。あの選手が7をつけていては逆に成績は悪くなるからです。これだけ神の運動に協力しなくては七大天使は協力しません。あの選手がそんな番号などつけていれば、それではいけないという災いの現象はよけい現れます。あの選手に7は不吉なのです。〔選手によっては7はラッキー7ではなく、アンラッキー7になるということです〕)

マァ、プロ野球球団のことはいいのですが、その調和といえばです。

運転手の皆さん大丈夫でしょうか?

昨日も下を向いたり横を向いたりしている人が多かったですね。(運転中にあんなことしたら危ないですよ)二、三の人がブシュとやってきたので祈ったんですが、中の一人の運転手が烈火のごとく怒っていました。

それが凄い怒りようなのです。「俺を殺す気か」というような表情で怒っています。

その怒りように私は思わず謝りかけましたが(凄い目でにらんでくるのでビビりました)よく考えてみれば嫌がらせをしてきたのは向こうの方です。

その嫌がらせに対し、私は「そのような嫌がらせをやめてください」という祈りをしているだけなのですから、私が謝るというのは筋が違うでしょう。

詫びを入れるのは運転手の方だからです。

しかし、それを忘れるくらいの怒り方でした。一体運転手の皆さんに何が起きているのでしょう?(それ以外の運転手はみな顔を引きつらせていましたし…では、嫌がらせなどしなければいいのにと思いますが)

それにこの辺りも変です。

昨日は前のマンションがバシバシやっていましたが、今日は静かです。昨夜何かマンションもおかしかったのですが(急に怒りだしたところがあったようですが)また何か起きたのでしょうか?

次々に不吉なことが起きているように感じますが、先ほども書きましたがもう少し調和されたらどうでしょう。

お前が悪い、お前が悪いの一辺倒で、悪いことを全部私のせいにして怒っていたところで、この災いは止まりません。自分たちの神を思おうとしない不信心さが現象として現れる時代となったのです。

その時代が変わったから起きだしたことを人のせいにしているだけなのです。

自分が悪かったと認められ、少しは私のいうことを聞かれてはどうでしょう。その悪者のはずの私には奇跡が起きているからです。

何でそんな悪者に奇跡が起きるのですか?そうして悪くない人たちに災いが起きるのでしょう。(普通逆でしょう。というかどう考えても逆です。そのように思っている人たちが間違っているのです)

口だけではなく、そのような現象が現れているのです。この起きる現象の違いだけは認めざるをえないでしょう。認められてはどうですか?自分たちが悪かったとです。

災いが起きるより奇跡が起きる方がよいのではないですか?(前に中学生もそれをいっていましたが)素直に自分が悪かったと認められ、私のいうことを聞くなら災いではなく奇跡が起きてきます。

また奇跡まで起きなくても、反省するなら災いは起きなくなります。それだけでも十分なのではないでしょうか。

しかし、今のままなら(まったく私の話に耳を傾けようとしないなら)少なくとも私に嫌がらせをした運転手連中は、もう一生楽しくはないでしょう。

私の癌という言葉に、それだけ顔を引きつらせているのです。そのような態度は、すでに多くの人に癌が現れた証拠であるからです。

それだけ癌が現れているのであれば、もういつ自分に癌が現れるか分からないのです。(もうはっきり書いておきます。このままではどれだけ癌になる人が現れるか分からないからです)

それでは仕事をしている時でも、一家団欒の時でも、そのことが頭から離れることはなく、トイレに行くたびに今回は大丈夫であろうか、またどこかにしこりなど出来ていないのだろうかと、ビクビクしながら生活して行かなければいけません。

それで楽しいはずがないでしょう。すでにその人たちの心の中は地獄であるからです。

このままでは、そのような地獄の心のままで一生を終えないといけなくなるのです。それでは仮に百まで生きても楽しくはないでしょう。

逆に長く生きれば生きるほど、その苦しみが長く続くのです。まさに生き地獄ですね。(そうして死んだ後も地獄に堕ちないといけません。生き地獄の後に本当の地獄が待っているのです)

ここに書いたことは脅しでもなんでもありません。実際に起きていることだからです。(そうでなければ運転手連中があれほど顔を引きつらせないでしょう)

調和することの大事さを少しは分かっていただけるでしょうか。(これまでは、ずっと運転手連中が私に嫌がらせをし続け不調和なままで来たのです。〔それも根も葉もない噂を信じてです。私に何の罪もなかったのなら、これだけの嫌がらせを大勢で続けてきたのです。その罪はどれだけ重いか分かりません〕だからこれだけのことが起き始めたのです。罪もない者に嫌がらせを続け不調和なままでいたからです)

今のまま、私に逆らい続けるのであれば、このような地獄しかまっていません。

しかし、私に詫びを入れ調和することが出来れば、奇跡も起きて来て、そこにそのまま天上の世界が現れるのです。

調和しますか?それとも不調和のままでいいのですか?

早く決断された方がいいでしょう。もう残り少ない時間の人もたくさんいると思うからです。

(悪いことはいいません。運転手の人たちは急がれた方がいいでしょう。あなたたちは私に対し〔神に対し〕相当悪いことをしているからです。〔間違ったことをし続けているのはあなたたちの方なのです〕その自覚がないだけです。しかし、起きだしたことの恐ろしさで、自分たちのやっていることの罪の深さを知ってください。如来の悪口をいっただけで次々に癌になる人を私は何人も見ています。今起きていることはこれが初めてではないのです。すでにこのようなことは起きているのです)

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9月 21 2015

三つの健康

シルバーウィークとはいえ、仕事をしているところは多いようです。あちこちから仕事をしている音が聞こえてきます。(幸いどこかの会社は休みのようですが、嫌がらせみたいなことをしている会社もあるようです。前の会社の向こう側にある会社のようですが、法の流布をじゃまする悪魔はどこにでもいるようです。〔笑〕)

世間が休みでも休まず仕事をしている、それは感心しますが、休みに仕事をしている人たちは、それくらいしないと食えない、納期が間に合わない、少しでも余分に金儲けがしたい(笑)など様々な理由があるのでしょう。(私はどっちみち食えないから同じですが。〔笑〕)

このように仕事をよくやる人はたくさんいますし、最近は健康ブームで食事に気を付けたり、適度な運動をしたりしている人もたくさんいます。

体に気を付けよく仕事をする、これはとてもよいことであると思いますが、健康にはこのような肉体の健康と経済の健康、そうしてもう一つ健康であらねばならないものがありますが、それは何だかお分かりでしょうか?

このブログを読んでいる人ならすぐに分かると思いますが、もう一つの健康とは心の健康のことです。

心の健康と肉体の健康、そうして経済の健康と、人はこの三つが揃って、はじめて健康な人というのであると高橋先生はいわれていました。

肉体の健康や経済の健康を気にする人は多くても、心の健康を気にする人はあまりいません。しかし、この心の健康こそ、人としての根源をなすものであり一番大事なものなのです。

先ほども書きましたが、人は肉体の健康を維持するためには食事に気を付けたり運動したりしています。そうして経済の健康を維持するために、このような休みの日にでも出て来て仕事をしている人たちもいます。

多くの人は、肉体の健康や経済の健康のためにいろいろな努力をしますが、心の健康のための努力はあまりしようとしません。だからだめなのです。

心の健康は、その心が病んだ時くらいにしか健康になろうと考えません。肉体と経済が健康であるなら、心などほっぽっておく人が多いのです。

しかし、それはおかしいと思われないでしょうか?

心が病んでいては、仕事も健康もありません。では、心が一番大事なのではないかと思われますが、その心の健康を維持するための努力はしないのです。

では、心の健康を保つためには、心も肉体と経済と同じように健康になるための努力は、しなければいけないのではないでしょうか。

その心の健康を保つための努力、それをしなかったばかりにこれだけ不幸な世の中になっているからです。

現在は心が不健康な人が多いのです。だからこんな不幸な世の中となっているのです。(心が健康な人〔健全な人〕が多ければこんな世の中になっていません)心の健康を保つための努力をしてこなかったからです。

肉体や経済の健康を保つためには、皆(体が健康になるための勉強や仕事の勉強など)それなりの勉強をします。心の健康を保つための勉強だけしなくてよいはずがありません。

当然、心の勉強はしないといけませんが、それをしている人がほとんどいないのです。だから、心が不健康な人が多いのですが、その心の不健康さを自覚している人はあまりいません。

だから不幸な世の中になっているのです。自分たちが悪い人間(心が不健康)であるとは誰も思わないからです。

しかし、心の勉強をするなら、自分たちの心の不健康ぶりがよく分かるのです。

例えば、心の勉強をしていない人は、心で何を思っても(それが悪いことでも)それを実際行わなければいいのだから、思うのは何をどう思おうが勝手であり、思うことくらい自由にさせてくれと思うわけです。

しかし、実際は思うということは、行うということの前提に立っているのですから、そうであるなら、その思うということも正しくなければいけない、思うということからよくならないと、本当の善人ではないと心の勉強をしている人は分かるわけです。(それはこの世のことを考えても分かるはずです。例えば、銀行強盗を計画して、もしそれが発覚したら、その銀行強盗をしていなくてもその人は捕まります。〔ということはその人は悪人ということです〕実際はそれをしていなくても、そのような悪い計画をしただけでも捕まるのです。これと同じように心で思うことは、それは行うことと同じなのです。だから悪いことを思っている人は、その悪いことをしていなくても悪人ということです)

しかし、心の勉強をしていないとそれが分かりません。

また、人の悪口などいっても、人がいないところでいう分にはそれはかまわないと思っている人も多いのですが、しかし、そのような悪口は、自分の心にその人の悪を描きながら話しているのですから、自分の心にどれだけ悪いか分かりません。

こういう心に悪いことを平気でしていると、それが積み重なって知らず知らずのうちに自分自身がずいぶん心の悪い人間になっているのですが、それも心の勉強をしていないと気付かないのです。

自分の心の悪に気付かないと、いつの間にか悪魔を呼び寄せ、本当に悪いことをしてしまうとか、あるいは不慮の事故に遭うとかしてしまうのです。(本当の悪人になってしまうということです)

二、三例を出しましたが、このようなことを少し考えただけでも、心の健康の大事さは理解していただけると思います。

心が不健康であると、いつのまにかずいぶんな悪人になっているからです。

ずいぶんな悪人にまでいかなくても、まず、心がよくならないと何もかもうまくいきません。

心が健康であって、はじめて正しい人になれるのであるし、正しい人であるなら不幸になることはありません。(それなりの〔その人の分にあったです〕幸せの道がついてくるからです。天上界が協力してくれるからです。これも心の勉強をしないと分かりません)

そうして、心の健康がなければ、肉体の健康も保てないのだし経済の健康も保てないのです。(心が病んでいては、肉体も健康でいられないし、仕事もしっかりできないということです)

何もかも、まずこの心が元であるからです。だから私は、この心の健康こそ人としての根源をなすものであるといっているのです。

それなのに皆さん、その心の健康を保つための心の勉強はずいぶんおざなりのようです。

しかし、その心の勉強をおざなりにしてきたことが、現在の世の中の混乱に拍車をかけているのです。

心の健康、肉体の健康、経済の健康、この三つが揃ってはじめて健康な人といえるのです。

そうであるなら、長寿大国といわれている日本も、ずいぶん不健康な人が多いと思われないでしょうか?

一番の元である、心の健康をおざなりにしている人があまりに多いからです。

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9月 20 2015

保身の間違い

今日からシルバーウィークですか。(昨日からですか?ここらは今日から休みの会社が多いものですから)

私には全然関係ありませんが、前回長い休みがあった盆休み過ぎから、また一段と神の世が深まったように思います。

あれから、いろいろ起きてくる現象に拍車がかかったように感じるからです。

天気が一変に悪くなって、あの関東・東北豪雨が起こりました。そうして関東辺りでは地震も多発しました。(阿蘇山の噴火もありましたし)

関東・東北豪雨は衝撃的な現象でしたが、その関東、東北豪雨に劣らず、こちらにも衝撃的な現象が現れ始めたようです。

こちらの現象は、見た目は分かりませんが、ある意味、関東、東北豪雨以上に恐ろしい現象が現れ始めたのではないでしょうか。

そのきっかけが、あの会社の連中なんでしょうが(もっといえば、関東・東北豪雨のきっかけもそれでしょう)多分、どこかの会社は盆の間も恐ろしい現象が止まらなかったのでしょう。

それで盆明けは朝からキレまくって、うるさくて法の流布も出来なくなったのですが、それがよけい恐ろしい災いを招くことになった、ということなのではないでしょうか。

どっちみち不信心を続けている人たちばかりなのですから、こういうことは起きてきたのでしょうが、それが少々早く起き始めた、それだけでしょう。

しかし、その法の流布が出来なくなったことをきっかけとして(出来なくなったといっても毎日ブログを書かなくなっただけなんですが)次々に恐ろしい現象が現れたのです。

祈っていると、私の心に龍が現れ、その龍が恐ろしい現象を現しました。(あの会社にもそうですし、各地に起きた豪雨や突風もそうでしょう。あの直線の〔名前なんでしたっけ?〕龍のような雲が現れたのがそのよい証拠です)

そればかりでなく、この辺りに癌になる人が増え出したのです。

癌になっている人はいると思いますよ。(それも一人や二人ではありません。かなり出ているのではないでしょうか)運転手たちの態度が明らかに変だからです。

昨日でもそうでした。別に煽っているわけではありませんが、私が最近ブログにそのようなことばかり書くので、運転手たちも意地になり、私の近くを通るトラックなどはみなブシュブシュやって行くのですが(しかし、そのブシュブシュもずいぶん元気がありません。〔苦笑〕)運転手を見るとみな顔を引きつらせています。(前はヘラヘラ笑いながらやって行くのもいたんですが、最近はいません)

そればかりではなく、私がそのような運転手を祈ると、その顔のこわばりはいっそう増して、中には怒り出す人もいるのです。(それなら嫌がらせなどしなければいいのにと思いますが)

しかし、私の近くを通るトラックなどはそんな感じなのですが、少し離れたところを通って行くトラックはまずなにもしていきません。(少し前までは、近くを通るトラックはもちろんのこと、ずいぶん離れたところを走っているトラックにまでブシュブシュやられましたから)

とにかく、一週間、十日ほど前までのトラックの運転手たちの態度と今の態度では、まったく違っているのです。

本人たちは、それを何とか隠そうとしているのですが、どうしても態度に出てしまうのです。

だからこちらに運転手の間で何か起きているということは、絶対に分かってしまうのです。何か起き出しているのに、それを無視して同じ態度でいられる人などまずいないからです。(一人や二人くらいなら何とかごまかすことも〔平静でいられることも〕出来るかもしれませんが、私は一日に何人も何十人も〔バスやトラックの〕運転手を見るのです。それだけ多くの人たちがごまかし切れるわけがありません。態度が変わってしまった人などいくらでも目にします)

私は、この運転手の間から癌になる人が出てくるとすでに運転手たちに伝えていました。(それは前に書いた通りです)

それをヘラヘラ笑って聞いていた人もいたようですが、その通りのことが起きてきたのです。それでもまだ私に嫌がらせを続けるのでしょうか?

そればかりではありません。私はこの辺りでもそのような人が出てくるといって回っていましたが(あほかと思われたでしょうね。きっと)そのような人が現に出てきているのではないでしょうか?

やはり明らかに態度が変わってしまったところもいくつかあるからです。

いった通りのことが起きてきているのに(しかも、ずいぶん恐ろしい予言です)それでも私を認めようとせず、神を畏れようとしませんが、今起きていることは、人の業なのでしょうか?それとも神の業なのでしょうか?

次々に人が癌になるようなことを人が起こせますか?鳥や魚などいろいろな動物たちが寄ってくるようなことを人が起こせるのでしょうか?

このようなことすべて神が現している業であるのです。

なぜ、このようなことが次々に起きているのに、この辺りの人たちは未だ神を認めようとせず、神を畏れもしないのでしょう。(これほどの偉大な業が現れているというのにです)

人のせいにして、怒っていても仕方ないでしょう。(癌の人が増えるだけです)いい加減にされてはどうですか。間違っているのはあなたたちの方なのです。

この辺りの人たちは、なぜこれだけの現象が現れて、それでもなお考えを変えようとしないのでしょうか?

これは単に我が強いというだけでは説明できませんが、それは、あの安保法案を反対している人たちも同じでしょう。(同じ心理であるということです)

この辺りの人たちも、あの安保法案を反対している大半の人たちもそうなんですが、結局、自分たちの今の生活を変えたくない、今のままがいい、それが根底にあるのです。

だから安保法案に反対しているのです。(この辺りの人たちは私のいうことを聞こうとしないのです)このまま何もしなければ自分たちの生活が変わらなく出来ると思っているからです。

しかし、このまま何もしようとしなければ、アメリカはドンドン日本から離れていきます。(自分のことは自分でやってくれとです)

アメリカが日本から離れていくなら、中国はもちろんのこと北朝鮮やロシアまで、日本にちょっかいをかけてくるかも知れないのです。(まずかけてきますね。アメリカが日本から離れれば離れるほど、その確率は高まっていきます)

その時、日本一国で日本を守れるのかということです。(国連だのなんだのいっている人もいますが、国連などに頼っていたら、まず日本のどこかは取られてしまいます。南シナ海の中国がよい例です。アメリカが離れたとたんあれですから)

しかし、そのような話より、まず自分たちの生活なのです。自分たちの生活を変えたくないのです。

安保法案など通し、自衛隊が今以上の活動を外国でしだしたら、他国から日本は恨まれるのではないのか?

そうなったらテロの対象になりかねないし、戦争に巻き込まれるかもしれない、そうなったら日本に何が起きるか分からない、日本に何が起きるか分からなくなったら自分たちの今の生活が出来なくなる、今のように金儲けが出来なくなる、だから安保法案に反対しているだけで、自衛隊員の命が危なくなるから反対とか、違憲だから反対とかは後付けにすぎないのです。

その心の内を知るのであれば、自分たちの保身しか考えていないのです。

だから、安保法案に反対している人たちは、日本を守れとは一言もいわないのです。 日本を守ることより自分たちの生活を守ることの方がより大事であるからです。

しかし、そのような自分のことしか(自分たちの生活を変えたくないとしか)考えていない人たちは、結局は不幸になるのです。

それはこの辺りの人たちが証明しています。

そういう考えの人たちは、自分に何か起きない限り、それが間違っていると分からないからです。(周りに癌が出始めても、それでも態度を変えないのです。こういう人たちは自分が癌になって、はじめて自分が悪かった、自分がしたことは失敗であったと分かるのです。つまりそれでは手遅れであるということです)

自分の生活を変えたくないと思っている人たちは、仮に尖閣を中国に取られても、それも仕方がないと考えるわけです。それくらいでは自分たちの生活が変わることはないからです。(つまり変わらず金儲けが出来ると思うのです)

しかし、そういうことになれば、竹島も韓国に取られてしまうだろうし北方領土も返ってくることはないでしょう。

つまり、それではあれもこれも他国に取られてしまい、最後には自分たちの生活まで犯されるということです。

しかし、そこまで考えないのです。ただ漠然となんとかなるだろうと考え、今の生活がこれからも続くことだけを願うのです。

それだけ考えが小さいということです。だから日本全体のことは考えないのであり、自分たちの生活のことしか考えないのです。心がそこまで広くないからです。

しかし、そのような狭い考えは間違いであり、それでは手遅れとなるのです。

安保法案も神の業も同じです。自身に何か起きる前に行動を起こさないといけないのです。

そのような身を守る行動をして(心と行いを変えて)はじめて自分は守られるのであり、それをしなければ、いつかは自分に災いは振りかかってくるのです。

そのような昔のままの心(末法の心)ではやれない時代となったからです。

自分の保身だけを考え、今の生活を変えようとしなければ(そのような狭い心では)いづれ不幸になります。

それに早く気付かなければいけないのです。そのような気付きの現象がすでにそこかしこに現れているからです。

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