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8月 14 2015

集中より分配

中国の天津市で大爆発が起きたようですね。(危険化学物質の倉庫だそうですが)

もの凄い爆発でしたが、日本も世が世なら大爆発を起こしていても不思議ではありませんね。大会社ばかりがこれだけ儲けていてはです。(昔なら、そんな儲け過ぎの会社は悪徳商人、強欲商人などといわれ暴動とか一揆とかが起きていたでしょう)

別に儲けることは悪いことではありませんが、儲け過ぎはまずいでしょう。(そこも中道です)儲け過ぎているということは、どこかにそのしわ寄せがいっているということになります。

そのしわ寄せ分を大会社が儲けているに過ぎないからです。

会社が儲けるには売り先(お客さん)か、仕入先(下請け企業)か、従業員のどこかに負担をかけないと儲けることは出来ません。

では、どこに負担をかけているのでしょうか?

負担ではなく、今は企業努力といううまい言葉がありますが、いいものをつくったのだから高く売ってもいいとは必ずしもいえないでしょう。いいものを普通の価格で売ってもらえるならお客さんは助かるからです。

いいものを高く売るなら、それはお客さんからよけいな利益を取っているのです。

企業努力で無駄をなくし、それで利益を上げているというのであれば、それはその分従業員に何らかの負担はかかっているはずです。

では、その従業員への負担分を会社が儲けていることになるし、下請け企業の仕入れ値を下げるというのでは、もちろん下請けから利益を取っているということになります。

結局、会社がよけいに儲けるには、どこかの利益(売り先か仕入先か従業員)を会社がよけいに取っているだけなのですから、その利益の多少の還元は必要ではないかと私はいっているのです。

現在は利益を上げる会社がよい会社のようにいわれます。たしかに赤字を出しているようでは話になりませんが、利益を上げすぎている会社はどうなんでしょう。(何度もいいますが、そんな会社には昔なら暴動が起きました)

例えば現在の日本など、地方と大都市の経済格差がドンドン広がっているといわれているのです。(だから地方で、赤字を出している会社はたくさんあるということです)

そんな時でも、過去の最高益を更新するだの何だのいわれている会社は、凄いといわれるのですが、たしかに、その会社に関連する企業が皆黒字であるなら、その会社は凄いと思いますが、自分たちのグループ企業だけではなく、その下請けはどうなんでしょう。

またその下請けの下請けはどうなんでしょう。

その下の下の下の下請けまで利益を上げているというのなら、その会社は凄いということになりますが、自分たちのグループ企業だけは凄い利益であるが、その下請けからは利益がガクンと落ちるとか、下請けの下請けになると、もう赤字であるとかなっているのなら、その会社は凄いとはいわないでしょう。

それは強欲というのです。(先ほどもいいましたが、そのような会社は多くの下請け会社から余分な利益を取っているに過ぎないからです)

もちろんこれは例え話ですが、大会社は人件費やら研究費やらたくさんの経費がかかりますので、儲けてもらわねばいけないでしょう。しかし、そこも中道であり、儲けすぎているのであれば(その基準が難しいのですが)その儲け過ぎているお金は、やはり分配するべきなのです。

よいものをつくったから高く売ってもよい、高い給料を払っているのだからよく働いてもらうのが当たり前、たくさん仕事を出しているのだから安くするのが当たり前、ではなく、せめてそのような企業努力で必要以上に儲けた時は、そのような縁ある人たちに儲けすぎたお金を分配する、還元する、そのような愛の心を忘れてはならないのです。

特に大企業になればなるほど、それだけ多くの人のお世話になっているのです。(いろいろな人が協力してくれたから、それだけの大企業になれたのですから)

では、そうしてくれたお客様、従業員、仕入れ企業に会社側が感謝するのは、それこそ当たり前なのではないでしょうか。その人たちのお蔭で、それだけ大きな企業になれたからです。

その感謝の心があまりに足らないのではないでしょうか。

大会社になればなるだけ傲慢になり、王様のように振る舞う(マァ、お客さんに対しては別でしょうが)それでは子供と変わりません。(現に私は、ある大会社の下請けが次々に潰れたという話を聞いたことがあります。その会社の仕事があまりに安かったからです。誤解のないようにいっておきますが、その大会社とはこの辺りの会社ではありません)

大会社になればなるほど、謙虚さと愛が必要なのではないでしょうか。そのような大会社になるまでに、どれだけ多くの愛を、その大会社の人たちは多くの人たちからもらっているか分からないからです。

だから、当然そのお返しは必要であるのです。

どちらにしても、あまりに儲けすぎているところはいらぬ恨みを買い、最後には滅びてしまいます。(驕る平家は久しからずです)

大会社がもう少し愛を出されてはどうでしょう。そうすれば、これだけ格差がつくこともなく、その愛がまた自らを助けることもあるからです。

集中より分配、これが神の心なのです。

(そのような愛も偏った愛ではいけません。〔お客様だけとか、従業員だけとかです〕そのような偏った愛は本当の愛とはいえないからです。本当の愛は公平であるからです。誰に対しても同じように愛を出さないといけないのです。〔だから当然、下請けにも愛を出さないといけないということです〕)

追伸…いよいよ本日安倍総理が七十年談話を出されますが、元総理が韓国でバカなことをしています。(間違いで総理になった人は本当に何をするか分かりません。恥さらし以外の何ものでもありませんね)

元総理があれだけ他国でバカなことをしているのです。

せめて現総理は世界に笑われないよう、しっかりした談話を出していただきたいと、切に願います。

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8月 13 2015

調和する大事さ

今日の名古屋は久しぶりの雨です。

ここんとこ暑かったので(しかも異常にです)この雨はホッとしますね。少なくとも今日一日は涼しそうです。(やかましい連中も今日から四、五日いないのでそれもホッとします。その間に反省されてはどうでしょう。そうしないと、この雨が涙雨に変わるかもしれないからです)

そういえば昨日は、三十年前に日航ジャンボ機が墜落事故を起こした日でした。

そのニュースをテレビなどでやっていましたが、このような大きな飛行機事故など起きる場合はです。その飛行機会社が不調和なのであり、あの当時の日本航空(JAL)も組合が強く社内はかなり不調和であったようです。(複数の労働組合が存在していて、労使関係など複雑なようでした)

後に、この日本航空が潰れかけたのも、やはり労働組合の問題(社内の不調和)が大きくかかわっていたといいます。

このように社内が不調和であると大きな事故を起こすだけではなく、会社まで潰れてしまうのです。

最近は、航空券が格安の飛行機会社もあるようですが、そのような航空券が高い安いだけで決めるのではなく、その会社の社内は調和しているか、していないか、それを注意して見られた方がいいと思います。

どれだけ航空券が安くても不調和な会社の飛行機など乗れば、どんな事故に遭うかもしれないからです。

しかし、このような会社の不調和は、何も社内の労使関係だけではありません。

互いの会社間でもあり、また仕入先、売り先の間でもそうでしょう。どのような関係でも不調和であればよいことは起きないのです。

前にも書きましたが、大会社が仕入先の仕入れ価格を毎年下げるなど気違い沙汰です。こんなことをしていて調和できるはずがないのです。

だから、景気がよくならないのです。大都市と地方の経済格差が拡大しているとの見方が増えているようですが、このような不調和なことをしているからそうなるのです。

このような大都市と地方経済との経済格差も地方創生も、この大会社が仕入先(中小企業)と調和するなら一変で解決する問題なのです。

それだけ大会社の仕入先は地方に広がっているからです。

よく考えてみてください。大会社が、毎年仕入先の仕入れ値を下げるなどということをしなければ、これだけ地方との経済格差もつかなかっただろうし、地方が過疎化することもなかったのです。

先の先までお金が回っていれば、地方にいても十分生活が出来るからです。

しかし、三十年ほど前にアメリカの合理主義(超利己主義)が入ってきてから、大会社は仕入れ値を下げるようになりました。

それからではなかったでしょうか、地方との経済格差が広がり始めたのも、地方の過疎化が進み始めたのもです。

よく調べていないので分かりませんが、しかし、このようなやり方は必ず経済格差や過疎化に大きな影響を与えていると思います。こんなやり方をされては売り先と仕入先が調和できるはずがないからです。(現実にそうですよね。大会社〔大都市〕が中小企業〔地方〕へ回すお金を毎年減らしているのです。これでは経済格差が広がるのが当たり前です)

だから、このようなやり方を改めない限り、大都市と地方との経済格差も広がるばかりであるし、地方の過疎化も進みます。政府がどれだけ地方創生に力を入れても、それは同じでしょう。

このようなやり方のままでは大都市と地方(大会社と中小企業)は調和しないからです。

では、調和するやり方に変えてはどうでしょう。そうすれば、地方との経済格差も少なくなり、過疎化もなくなり、地方創生がなると思うからです。

大会社はこれだけの儲けがあるのです。(内部留保も最高で円安というメリットもあります)

少なくとも赤字が出ない限り、下請けの仕入れ値を毎年下げるなどという搾取はやめられたらどうでしょう。(搾取としか思えませんが)

最低でも現状維持、会社が儲けた時には(限られた商品だけでもよいので)仕入れ値を上げることをするなら、その金は広く地方に回って行くでしょう。(前にもいいましたが、大会社の下請けのすそ野は広いからです)

そのような資金が地方経済を活性化させ、地方に力を与えるのです。

結局、税金ではダメなのです。そのようにして自分たちが働いたお金が回ってこないと、地方を活性化させることは出来ないからです。

前にも書きましたが、働くとははた(周り)を楽にさせるということなのです。

はたを楽にさせながら、そうしてお金が入ってくるから周りが活性化するのであり、ただお金をもらうだけ(税金)では、周りが楽になるわけでもなく、自分がよいだけなのですから、そこが活性化するわけがありません。

それに税金はその時だけなのです。いつもらえなくなるか分かりません。

しかし、働いてもらえる資金は自分が働いている限り、その資金は入り続けるのです。その働いてもらえる資金が、毎年増えるということであれば、そのマインド(心)も上がります。

そのような、働いてもらえるお金が増えていくという高揚感と継続性が、そこに活発な消費を生むのであり、同じお金をもらうにしても、税金では継続性も高揚感もはたを楽にするということも出来ないのですから、税金をいくらつぎ込んでも地方はよくならないのです。

だから、これまで地方創生は出来なかったのです。ただ税金をつぎ込んでいただけだからです。

しかし、そこで働く人たちの、その働いて得たお金を少しずつでも上げてやるなら(それも単発ではなく継続的にです)その地方創生はなるのです。自分たちが働いて得たお金でこそ、自分たちの消費意欲も上がるからです。

だから、地方創生はいくら地方に税金をつぎ込んでも出来るものではないのであり、大会社が下請け企業に、もっと資金を流してやり、大会社と中小企業が調和してこそ出来ることであるのです。

大会社は下請け企業とはいえ、その下請け企業が結局その大会社のお客さんになるのですから(例えば、トヨタ自動車の下請け企業はトヨタの車を買うのですから)下請け企業は下請けというだけではなくお客様という側面もあるのです。

そのお客様と調和するなら、よけい業績は上がります。(例えば、トヨタ自動車がその下請け企業と調和するなら、その下請け企業の従業員はトヨタのことを褒めます。そうすれば、その下請け企業の従業員から、その家族、その身内や友達までトヨタの車はいいという評判になって、そのような人たちにまたトヨタの車は売れていきます。多くの人と調和すればするだけ業績はよくなるのです)

損して得とれではありませんが、下請け企業の仕入れ値を上げるということは、その下請け企業に払った余分なお金は、結局またその大会社に返ってくることになるのです。(これは必ずそうなります。ただその分損をしたというわけではないのです)

いくつか例を上げましたが、調和することの大事さが少しはお分かりいただけるでしょうか。

もう少し日本全体が調和されてはどうでしょうか?

そうすれば、これまで出来なかったことも(景気回復や格差是正など)簡単に出来るようになり、また大きな危険も避けることが出来るからです。

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8月 12 2015

成長

昨夜は久しぶりによく眠れました。(夜中一度も起きなかったです)

本当に原発の再稼働が始まって少し涼しくなったのではないでしょうか。だから、昨夜はよく眠れたのだと思います。

何か無理やりかもしれませんが、それにしても原発の再稼働の反対は根強いものがありますね。しかし、ケチばかりつけていても進歩がないのではないでしょうか。

日本のような資源の少ない国で、原発は自前で調達できる大事なエネルギー源なのです。

それを一度事故を起こしたからと、それを糧にしてもっと安全なものをつくろうとするのではなく、やめてしまおうというのですから、あまりに進歩がないのではないでしょうか。

あそこがダメだからやめろ、ここがダメだからやめろ、ではなく、あのようなところはこうしたらどうか、このようところはこうしたらどうか、とそれぞれが意見を出しあい、もっとよりよいものに進歩させる、それが調和するということであり、人が成長するということなのではないでしょうか。

いろいろ原発の苦労はありますが、そのような苦労を乗り越えてこそ人は成長して行くものです。

これほど科学の粋を集めた原発を簡単にやめろなどとは思わないことです。この原発を発展させるなら、多くの資源のない国や多くの人々をも救うことが出来るからです。

しかし、進歩がない(成長しない)ということはこれほど不幸なことはありませんね。

周りの人を見ているとつくづくそう思います。

大変なことになっているようです。(もうどことはいいませんが)毎日どころではありません。一日に何度も何か起きているようです。(今日も朝からハイテンションです…と思うと急に静かになったり、情緒不安定の激しさが増しています)

明日辺りから盆休みなのでしょうが、これだけ楽しみのない(というか不安が多い)盆前もないのではないでしょうか。下手すれば盆に帰ってきたご先祖様と一緒に、盆が終わったら帰って行かないといけなくなるかもしれないからです。(盆前にこんなこと書いてたら本当にシャレになりませんね)

突っ張っていないで詫びを入れられたらどうでしょう。それ以外救われる道はないからです。(もう誰が祈っているか分からないので、周り中にです。周り中に迷惑をかけているのですから、それはそうでしょう)

成長出来ない人たちは本当に哀れです。自分たちの今やっていることから一歩も外に出ようとしないからです。

しかし、少し素直になり視野を広げれば素晴らしい世界が現れてきます。ちょっと考え方を変える、それだけでいいのです。(それだけでも成長しますから)

私は昨日は庄内川に昼過ぎから行ったのですが、本当に次から次に不思議なことが起こります。

最近はカニですね。

庄内川の川の近くの石だらけの川岸に座っていれば、回りからたくさんカニが出てきますし(私が、その辺りに座っているだけで回りの石の間からカニが出てくるのです。不思議でしょう)川から少し離れたところに座っていれば、川岸の近くの一角にカニがたくさん出てきています。

その場所に行ってカニを見ていると、ジッとしているものもいれば歩き回っているものもいます。中にはケンカするものもいて、そのカニたちを見ているだけで楽しいのです。(いくつかの場面を動画に撮ってありますので、また公開します)

そのカニたちは私が近くにいても全然逃げません。私の目の前でたくさんのカニがそんなことしているのです。何か微笑ましいですよね。

そうして、川を見ればたまにでかい魚が(鯉だと思いますが)跳ねたり、水面がざわざわしてきたと思ったら、小魚が一団で水面に上がってきていたりして楽しいものです。(もちろんすずめなどの小鳥たちもよく飛んでいます。あの辺りはまだツバメもいます)

多くのカニが特別なことでもないのに(例えば雨が降っていたりすると出てきますが)外に出てきたりするでしょうか?カラスなどの天敵も多いのにです。

それは、鳥や魚でも同じでしょう。鳥など飛ぶだけでも大変な体力をつかうのです。それなのにそのような鳥たちが私の回りを平気で飛び回っているのです。

魚でも同じです。鵜が近くにいてもカモメが近くにいても跳ねる魚もいれば、多くの小魚が川岸のすぐ近くの水面に出てきて集団で泳いでいるのです。(魚が天敵のすぐ近くで跳ねるのです。考えられますか?それが嘘ではないということは動画を観てもらえれば分かります。カモメのすぐ横で魚が跳ねている場面が撮れているからです)

このような動物たちは、絶対にこのような無駄で危ないことなどしないのです。そんなことをすれば、即、自分たちの命にかかわってくるからです。

しかし、不思議なことに、そのような命懸けの行いを私の周りにいる動物たちは平気でしてくるのです。

よく考えてみれば、これ以上の奇跡もないわけです。みな命懸けで、そのような態度を現しているからです。

同じ命懸けでも、神の心を現していることと、神の心に逆らっていることとでは天と地ほどの差があるでしょう。(今日もコチョコチョじゃましていますが、もうあまり大きな音ばかりは立てられないようです。もちろん怖くてです…こんなこと書くと意地になってやってくるかもしれませんが。〔苦笑〕)

皆さん方が軽い気持ちで観ている動画も、実際は命懸けで、そのような態度を(神の心を)現している動物たちも多いということを知ってください。

それを思えばです。

自分たちの思いや、やっていることがいかに小さいかお分かりいただけるのではないでしょうか?

何をするにも、ほとんどの人が自分のためだけにやっていると思うからです。

しかし、動物たちは動画に撮っていることを自分のためではなく(自分だけのために命は懸けないでしょうから)他を生かすためにやっているのです。

そのような奇跡を現すことで、自分たちが知っている神の心を多くの人に知ってもらおうとです。(動物たちはそのような神の心を知っているから、みな私のことを知っているのです)

動物たちでさえ神の心を多くの人たちに知らせようと必死なのです。まして、その動物たちの長である人間が、万物の霊長である人間が、そのようなことをまったくしようとせずにいて、そのような心に少しも気づかずにいて、それで恥ずかしくはないのでしょうか?

そんな進歩のないことを続けていて(自分のことばかりやっていて)恥ずかしくはありませんか?

私の周りでは多くの生き物たちが成長しているのです。(そのようなことを実践している動物たちは、それは心は成長していると思いますよ。神の心を世に現しているのですから)

私の周りにいる人々も、もう少し成長されてはいかがでしょう。同じことばかりやっていては、そのような動物たちからも笑われると思うからです。

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8月 11 2015

七十年談話と安保法案

いよいよ今日から鹿児島の川内原発が再稼働されます。

この原発の再稼働で、少しはこの異様な暑さも収まるといいですが、安保法案で安倍政権の支持率が下がっているところに、この原発再稼働です。

これ以上支持率が下がらないといいんですが(どちらも反対派が多いですから)そうしてこの十四日には七十年談話も閣議決定されます。

ここは安倍政権の正念場ですね。

その七十年談話なんですが、閣議決定が近づくにつれ、何かあまりよくない話ばかりが聞こえてきますが気のせいでしょうか?

まさか五十年、六十年談話と、さほど変わらないものが出てくるのではないでしょうね。そうであるなら出さな方がよいように思われますが、そこはどうなんでしょう。(侵略からおわびから、全部入れるようなことをいっているテレビもあるようですが、広い意味での〔西洋列強も含めた〕侵略行為があった程度に入れる分には仕方がないと思いますが、また日本だけが悪いような書き方はしてはいけないでしょう。それにおわびはもう何度もしているのです。これ以上おわびを入れる必要があるのでしょうか?戦争などしてもおわびなどしようともしない国もあるというのにです)

何か、ずいぶん七十年談話が後退したように感じますが、それはやはり支持率が落ちているからですか?だとしたら、それは主に安保法案が原因なのですから、そちらをなんとかした方がよいのではないでしょうか。

七十年談話を後退させるのは筋違いであると思います。

七十年談話をあまり後退させてはまずいでしょう。この七十年談話を、これまでの日本とこれからの日本を指し示す、大事な指針としないといけないからです。

それを世界に向け発信しないといけないからです。

その大事な談話を五十年、六十年談話同様、属国意識に支配された他国に媚びるような談話にしてしまっては、日本をより貶めることになります。

三人続けて、日本の総理大臣がそんな談話を出されては、世界の国々からやはり日本はそのような国であったのかと思われてしまうからです。(そんな談話ばかりでは、これ以上日本を貶めることはないですし、英霊に対しどう顔向けされるのでしょう。いずれ私たちは、そのような英霊の方々ともお会いすることになるのにです。〔もちろんあの世でです〕)

もし、支持率を気にされての七十年談話の後退であるならば、七十年談話を後退させてはいけないでしょう。

後退させるのであれば、安保法案の方であるからです。

この安保法案を先延ばしされてはどうでしょう。仮に後退した七十年談話を閣議決定したところで、どちらにしても、安保法案を参議院から衆議院に差し戻して強行採決されれば、安倍政権の支持率はまた下がるのです。

そうであるなら、支持率を下げている一番の原因である安保法案を先延ばしされるべきではないでしょうか。

その方が支持率の低下は抑えることが出来るからです。

それに、この法案は反対が多いだけではなく、安倍総理が先にアメリカ議会で夏までに決めると宣言してから、日本での法案審議が始まったのです。

これはどう考えても順序が逆であり、そこに持ってきて十の法案を一つにまとめるという手荒なことまでしているのです。

これでは「日本のためにこの法案を通す」といくら安倍総理がいわれても、これだけ法案を急ぐのは、日本のためではなくアメリカのためではないかと日本の国民は誰でも思ってしまいます。

だから、この法案を急いで通そうとすればするだけ支持率が落ちていくのです。国民はこの法案に対する不信感の方が大きいからです。

そのような日本国民の心を考えるのであれば、ここで安保法案を強行採決するのは(参議院で賛成票が上回れば別でしょうが)間違いであり、その国民の心が少し落ち着くまで、この法案はもう少し議論を尽くし(次の国会まで)先延ばしすべきなのではないでしょうか。

どう考えても、この法案の時はまだ来ていないように思うからです。

それとも、それではアメリカに顔が立ちませんか?(そうであるなら、安倍総理は日本国民よりもアメリカの方が大事であるということになってしまいますが)

この安保法案を少し先延ばししたくらいで、アメリカとの同盟がどうこうなるわけでもないでしょう。(日米同盟は、それほど薄っぺらな同盟ではないはずです)それに参議院をこれだけ延ばしても反対票が上回ったとなれば、アメリカにも一応の顔は立つはずです。(それにアメリカの議会で、少々吹くのはアメリカ側も織り込み済みなのではないでしょうか)

日本の安全保障はもちろん大事ですが、こうも国内が揉めていては、まずその揉め事を解決しないと、政権自体が終わってしまいます。

政権が終わってしまっては元も子もないのではないでしょうか。

それとも安倍政権は、この安保法案と心中されるつもりですか?まだ決めなければいけない法案は山ほどあるというのにです。

安倍総理の目的は安保法案を通されることなのでしょうか?それとも憲法改正まで考えていられるのでしょうか?

もし、安倍総理が安保法案を通すことを最終目的とされているなら、七十年談話を後退させようが、強行採決をされようがそれはかまわないと思います。しかし、先々憲法改正まで視野に入れていられるのなら、ここで一法案にこだわって大きく支持率を下げる愚は避けられた方がいいと思います。

最終目的を果たせなくなるからです。(先送りしたら、安保法案が通せなくなるかもしれないという心配があるなら、その心配は無用でしょう。少し先送りしたくらいで安保法案程度の法案を通せないようでは、どちらにしても憲法改正など出来ないからです。安保法案を通すことよりも、よほど憲法改正の方が難しいからです)

第一次安倍政権の時にも、法案を急ぎすぎて(次々に法案を決めてしまったため)それに国民がついていけなくなって安倍政権の支持が急落し、それが政権崩壊につながったのです。(もちろん他の理由もありましたが)

同じ轍を踏んではいけないでしょう。

どれだけそれがよい法案であろうと、その法案のよさを国民がほとんど理解できないうちに、その法案を通すのは強行でしかないのであって、それはよいことではありません。

ある程度の国民が、その法案のよさを理解出来てはじめてその法案は生きるのであって、なんでもそうですが、その時は大事であるということです。(時を待たずにやってしまっては、どれだけよいことでも失敗します。)

まだ安保法案の時は来ていないように思います。

後退させるのであれば七十年談話ではなく、安保法案であると思います。安保法案を少し引かせるのであれば、またうまくいくのではないでしょうか。

(引くべき時に引くのもまた時なのです。時を間違えてはいけないのです)

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8月 10 2015

七十年談話

今日も朝から、くだらないことをしているようですが(どこかの会社です)先人たちの(先人とは釈尊やキリストのことです)多くの苦労の上に、やっと説けている法なのです。

その法の流布をじゃましているのです。これ以上の罪はありません。どれだけ罪をつくれば気がすむのですか?

やめられてはどうでしょうか。悪いのはすべてあなたたちであるからです。(こちらの苦労も知らずに調子に乗ってじゃまをしたです)

マァ、そういう連中ばかり相手をしていても仕方ありません。

今週の十四日には、いよいよ安倍総理の七十年談話も発表されます。期待しましょう。

五十年、六十年談話のような属国意識丸出しの談話では(あれはへりくだった態度とはいいません。媚〔こ〕びているのです)他国に侮られ(中国、韓国など表面上はどうあれ、腹の中では笑っていたでしょうから)日本を貶める以外の何ものでもありません。

少なくとも安倍総理は、あんな談話は出されないと思いますが、くれぐれも媚びることなく他国に侮られることなく、しっかりした談話を出していただきたいと思っています。

あのような他国に媚びるような内容の談話を出されても、結局他国とはうまくいかないからです。(あの五十年、六十年談話を出された後も中国、韓国とはうまくやれませんでした。結局、媚びるような内容の談話では他国に侮られるだけだからです)

戦後七十年、日本ほど平和を実践してきた国はないのです。それはどこよりも誇れることであると思います。

口だけで平和を唱え、やっていることは正反対という国もあるのです。

そのような国をいさめ、日本はこのような平和国家としての実績があります、そうして将来このように世界平和を実現して行きます、と未来志向を強調し、過去のことはそれほど強調されることもないのではないでしょうか。

もう過去の反省は散々してきたからです。(それに大東亜戦争を単に日本の侵略戦争とはどう考えてもいえないでしょう。当時の世界情勢を考えれば〔西洋の国々がアジアの国々を次々に植民地化していたのです〕日本が中国や他のアジアの国々に進出したのは仕方がない話です。日本一国にとどまっていれば、日本も西洋の国々に植民地化されるのは目に見えていたからです。そのアジアの国々に進出したことを単純に「それが侵略だ」という人もいますが、当時の世界情勢を考えるなら、それは侵略ではなく戦略というのです。何度もいいますが、当時のことを今の常識で図るのは間違いであると思います。そんな見方をするなら戦国時代に天下を統一した信長や秀吉、家康など大悪人ということになってしまうのではないでしょうか。より多くの人を殺した者が天下を取ったからです)

そうして、そのような戦後日本がしてきたよいことを堂々と宣言することがまた、日本のために亡くなられた英霊へのよき供養ともなるのです。

何も靖国神社に参詣するだけが英霊に対する信仰ではないのです。

そのようなしっかりした談話を世界の向かって出されることで、亡くなられた英霊もまた日本を誇ることが出来、そのような立派な国を自分たちは命懸けで守ったのである、という誇れる心が、その英霊たちをも救うのです。(ということは他国に媚びるような談話では、誰一人救われないということです)

そのような行いが諸霊への信仰となるのです。(正しいことを信じて行う、本当の信仰とはそのようなものなのです。寺や神社など行って、形ばかりのお参りをする、そのようなものは本当の信仰ではないのです)

これまでの日本の平和の実践、そうしてこれからの世界平和への実現に向けどのように進むのか、安倍総理が出される今回の七十年談話が後世に遺る、そのような素晴らしい談話であることを願ってやみません。

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