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8月 23 2015

常識

しかし、先週はバタバタでしたね。

ブログは、三日間くらいしか書いていないのにバタバタ感が凄いのは、それだけせわしないことをしていたからでしょう。あれだけ集中して祈ったのも初めてであったからです。

あまりに悪いことが起きてくるので、それで切れているんでしょうが、それにしても悪いことをしているのは自分たちです。だから悪いことが起きてくるのであって(因果応報)こればかりはどれだけ怒っても自分たちが反省する以外、救われる道はないのですから、では、反省する以外ないでしょう。

何度もいいますが、私が祈って人を病気にさせているのではないからです。(これも何度もいいますが、そんな人を病気にするような祈りをもしすれば自分も病気になるからです)

自分たちに悪いところがあるから、私に祈られると病気をするのです。

それだけ(仕事にかこつけて)でかい音を立て周りに迷惑をかけ続けているのです。そんな悪いことをし続けていたら天罰は食らいます。

それほどの恐ろしい現象が現れてくるのも、ある意味当然なのではないでしょうか。(もし、本当に仕事をしているだけなら、私がどれだけ祈ろうと悪い現象は起きません。私が祈って、それほどの悪い現象が現れているのなら、それが仕事ではなく嫌がらせをしているという何よりの証拠です。それも天が教えているのです)

そのやっていることを悪いことと自覚して、反省しない限り、その恐ろしい現象は止まりません。

小さな心は捨て、もう少しおおらかな心になって反省されてはいかがでしょうか。それ以外、救われる道はないからです。

などといっても、それが簡単に出来ないのが人間ですが、しかし、あれほど恐ろしい現象が現れてきてもなお私を恨むだけなのでしょうか?

だとしたら逆にずいぶん罪深いことです。神の業を畏れようともしないからです。

悪いことを全部私のせいにしていますが、今起きていることを自分の常識で図らない方がいいでしょう。(どうせ責任転嫁しているだけでしょうから)もう自分の常識など通用しない世になっているからです。その自分の常識のままでは滅ぼされるからです。

だいたい、起きていることがもう常識を超えているのです。(これまでに、それだけ恐ろしい現象が続けて起きたことがありますか?)そうであるなら、いつまでも自分の常識にとらわれていては危ないだけなのではないでしょうか。

現に、そのような常識(責任転嫁)から一歩も出ようとしないため、そのような危ない目に遭っているからです。

しかし、すでに自分たちの常識を超えるような現象が次々に現れているのです。

これほど多くのサイレンがしてきたことがこれまであったでしょうか?

これほど多くの動物たちにかまわれる人間がこれまでいたでしょうか?

これほど多くの天変地変が起きたことがこれまであったでしょうか?(観測史上初の出来事が続出しているのです)

これまでに起きたことがないような出来事が、すでに続々と起きているのです。

こういうこれまで起きていないことが次々に起きていて、それでこれまでの常識が通用すると思いますか?

するわけがないのです。

もはや、二十世紀の常識など通用しない世の中になっているからです。

世はすでに二十一世紀になっているからです。時代が変わっているのです。

その時代が変わったことに気づかず、いつまでも二十世紀の心(末法の心)のままでいては、二十一世紀は生き残ることは出来ないのです。(私は、そのことをもう何度もいっています)

心を変えるしかないのです。釈尊やキリストが説かれた正法の心に、自分の心を変えるしかないのです。世はすでに正法の世に変わっているからです。(正法に責任転嫁という文字はありません。すべて自己責任なのです)

現に、その正法の心に変わっている人(私)と変わっていない人とでは、起きてくることに雲泥の差があるではないですか。何でそれをいつまでも認めようとはしないのですか?

私を認めようとせず、いつまでも頑なに昔のままの心でいるなら、この異常現象が激しくはなっても収まることはありません。

すでに時代は変わっています。

自分の心の殻を破るほかないのです。

追伸…また、明日からうるさくてもいけないと思い警告の意味も込め、今日のブログを書いたのですが、あまり意味はなかったでしょうか?(というか、逆効果ですか?)

逆効果でも何でもいいです。私は起きてきたことに対し、それ相応の態度で臨むだけだからです。それも心の勉強であるからです。(私もいい勉強をしています)

しかし、ずいぶん恐ろし現象が現れてきたようです。(一昨日ですか、どこかの会社の人に起きた現象を知ったら、みなゾッとしますよ。それほどの現象が現れています。だから昨日あの会社は静かだったのです。切れられないほどゾッとする病気が現れたからです)

どちらにしても、この辺りも(全国的にもそうですが)起きる現象が激しくなってきたようです。いいんですか、私に嫌がらせをし続けたままいてです。本当の神の教えを勉強された方がよいのではないでしょうか。(その方が神から守られるからです)

少なくとも、この辺りはずいぶん罪深いことをし続けています。(私に対する嫌がらせですが)少しくらいの布施はされた方がいいのではないでしょうか。

恐ろしいことが起き出してからでは遅いからです。(その恐ろしことが起きるということも、すでに私は天から聞いています)

これは脅しではありません。一人の者によってたかって嫌がらせをし続けているのです。これだけでも十分天罰の対象にはなるのではないでしょうか。(仮にその者が悪人でもこんなことをしてはいけません。悪人であるなら、その者をしかるべき裁きの場へと導くべきでしょう。一方的な嫌がらせは相手がいい悪いに関わらず、一方的に嫌がらせをした方が百パーセント悪いのです)

この辺りの人たちは、そのような子供が行うような行為はやめて、反省された方がいいのではないでしょうか。そのような行為は百パーセント自分たちの方が悪いからです。(それに、その嫌がらせをしている者にずいぶん心も救われているのですから。〔笑〕)

今週はまた台風が日本を直撃しそうです。とにかく、これほどの悪い現象を次々に起こされているのです。

もはや時代は変わっています。

傲慢な心は捨て、もう少し謙虚になられてはどうでしょうか。何度もいいますが、そうすれば奇跡も起きてくるからです。

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8月 22 2015

神を思う

昨日また奇跡的なことが起きました。

これだけ異常な暑さだとさすがに動物たちも元気がありませんが、少し涼しくなってくるとまた動きが活発になるようです。

昨日も庄内川に行ったのですが、川岸を歩いていくと行きと帰りでは様子が変わります。というのも同じ川岸を歩いていても、帰り道は多くのカニたちが出てきているからです。

行きに「オイ、お前ら元気か」と草むらに向かって、声をかけながら歩いて行くのですが、そうすると私が歩いているのが草むらの中にいるカニたちが気づくようで(そんなことしなくても気づいているようですが、より多くのカニたちに分かるようにです)帰りにはたくさんのカニたちが出てきています。(最近は特にたくさん出てくるようになりました。そうなると、あの無表情なカニたちでも可愛く思えてくるから不思議です)

昨日は雨あがりでしたので、特に多かったです。(というか、また奇跡的なことが起きたようでした)

とにかく帰り道の二~三キロ(早足で歩くと一時間弱、ゆっくり歩くと二時間くらいかけて歩きますので、それくらいの距離ではないかと思われます)の距離のいたるところにカニがいるのです。

凄いですよ。ほとんどのカニが草むらから少し出てきたあたりにいて、私が近づくと草むらに逃げ込むんですが、中には道の真ん中あたりまで出てきているのもいます。

あるいは水たまりの中にいて私が横を通っても逃げないのもいます。

カニも性格がいろいろ違うようです。

そのカニたちを動画に撮っていたら、あっという間に動画のSDカードがいっぱいになり電池もなくなってしまいました。あまりにたくさんのカニが、広範囲にいたからです。

こういう奇跡が起きているのに、横を通って行く人たちは知らん顔で通って行きます。(不思議なものでカニを相手にしない人たちが横を通っても、カニはあまり逃げないようです。カニに関心がない人にはカニも関心がないようです)これだけ多くのカニが出てきているのに、不思議とも何とも思わないようです。

この辺りの人たちは、これだけ多くのカニが出て来ても、たくさんの魚が跳ねても、また多くの鳥たちが飛び回っていても、さほど関心がないようです。

そういう奇跡が次々に目の前に展開されても、それに興味を持つ人はほとんどいません。わざと無視しているのか、それとも本当に関心がないのか、どちらか分かりませんが、どちらにしても不信心、不信仰なことでしょう。

これだけの神の業を無視しているからです。

これでは起きるでしょうね。恐ろしい現象がです。

だって、どんな奇跡を起こしても神に関心を持とうとしないのです。では、恐ろしい現象を現すしかないのではないでしょうか。

自分に恐ろしいことでも起きない限り、このような人たちは、これっぽっちも神仏を思おうとはしないからです。

自分の命に関わるようなことが起きて、初めて真剣に神を思うからです。

では、恐ろしい現象を現されても仕方ないのではないでしょうか。あまりに多くの人たちが神から遠いところにいるからです。

この辺りの人たちは悪いことを全部私のせいにしていますが、では、自分の不信心は悪いことではないのでしょうか?(間違った信仰をしている人たちも同じです。真剣に神を思うなら正しい信仰をしているところに行くからです。そのように導かれるからです。間違った信仰をし続けているということは、神を思う真剣さが足りないのです)

すべてを神からいただいているのに、その神を少しも思おうとしないことは悪いことではないのでしょうか?

日本の人々は、唯物無神論という大変恐ろしい思想に毒され続けてきました。

神など存在しない、罰など当たるわけがない、それが当たり前の考えであったのです。しかし、それは大きな間違いであるということが、これから分かることになります。

各地で起きる天変地変、名古屋で起きているサイレンなどの異常現象(私の周りに起きている奇跡もそうですが)このようなことはすべて、唯物無神論などという恐ろしい思想の人が多かったため、起こされている気づきの現象であるのです。

しかし、その気づきの現象をいつまでも気づかないふりをしていれば、もっと恐ろしい気づきの現象が現れてきます。(そうしないと、いつまでたっても誰も気づこうとしないからです)

異常な暑さが和らいだと思ったら、今度は台風が近づいてきています。ゲリラ豪雨、突風、地震、火山の噴火などの異常現象も相次いでいます。

早く気づかれることです。神の心にです。そうしなければ、このような異常現象はその激しさを増していくことになるからです。

人が悪いのではなく神を思おうとしない自分が悪いのです。

これだけの奇跡が現れている者もいるのです。もう少し、その者のいうことを聞いてはどうでしょうか。

その者のいうことを聞くのであれば、同じ奇跡が起きてくるからです。

(奇跡と恐ろしい現象とどちらがいいのでしょう。私は奇跡が起きた方がよほどよいと思うのですが、災いが起きてもいいと思っている人もいるようです)

追伸…今日はずいぶん静かです。どうしたのでしょう。昨日まであれだけうるさかったのにです。

一体どうしたんですか?…なんてね。先ほどもいいましたが、そちらに起きた恐ろしい現象はすでに聞いています。(天からですが)

だから私はいっているのです。そんなことをしていたらもっと恐ろしい現象が起きてくるとです。

私は嘘はつきません。嘘などついたら奇跡が起きなくなるからです。(冗談はいいますけどね。〔苦笑〕)私のいうことを少しは聞かれたらどうでしょう。

そうすれば、その恐ろしい現象も段々なくなって行くからです。(逆に、逆らえば逆らうだけよけい恐ろしい現象が現れてきます。気をつけてくださいね。どこかの会社の皆さんもこの辺りの人たちも、そうして運転手の人たちもです。昨日などずいぶん調子にのっている人もいましたが〔ブシュブシュやってきた人ずいぶんいましたが〕知りませんよ、本当に癌になってもです。現にこの近所は凄い現象が起きているところもあるからです)

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8月 20 2015

お門違い

何か大変なようです。

このブログをやめていた三日間(月、火、水)前の会社は大騒ぎでした。

月曜日は確か午前中からそうでした。二日目の火曜日は夕方あたりから、昨日は昼からキレ出してうるさいうるさい(さすがに昨日、一昨日は暗くなってもうるさかったので文句をいいに行きましたが、文句をいいに行くと「すいません」とか、へらへらしながらいっています。そうして「何かあったのか」と聞くと「別に何にもありません」です。いつも同じようなこといっています)そうして今日ですが、今日は(単発では何かしていますが)さしてうるさくありません。

だからブログを書いているのです。

この連中が静かになるということは、よほどのことが起きていると想像できますが、このブログを書かなかった三日間、私は、そのブログを書いている時間(だいたい午前中の九時から十一時くらいまでです)ずっと前の会社を祈っていました。(だから私はブログを書く時間を祈りの時間に変えただけなのですが)

そうしたら、そのような異変が前の会社に起きたのです。

しかし、悪いことをしていない人たちに私がいくら祈っても悪いことは起きません。(私は呪っているわけではないからです。「この人たちを正しくお導きください」としか祈っていないからです)

悪いことをしているから悪いことが起きているのです。それを私の祈りのせいにするのはお門違いでしょう。私が祈らなくても、どちらにしてもこのような人たちに悪いことは起きたからです。

自分たちが、その悪いことを反省したらどうでしょう。そうすれば誰が何をどれだけ祈っても自分たちに悪いことは起きないからです。

本当に、どれだけいっても分からない哀れでお門違いな人たちとしかいいようがありませんが、しかし、お門違いな人たちはこの人たちだけではないでしょう。この辺りにはずいぶんいるようです。

この辺りは、悪いことを全部私のせいにして、嫌がらせをしてくる人がたくさんいますが、前のブログにも書きましたが、もし私に何の罪もなかったらそのようなことをしている人たちはどうするのでしょう。

そのような人たちは、無実の者を悪くいって(ということは、無実の者に罪を着せているということになります)嫌がらせをし続けているのです。

もしそうなら、そのような人たちは無実の者に罪を擦り付け、なおかつ嫌がらせまでしているというのですから、二重の罪になり、大きな罪を負っていることになりますが、では、そのような人たちに天罰は下らないのでしょうか?

あのサイレンなど(最近はまたよく聞こえてきますが)その天罰なのではないでしょうか?

そうでなければ起きてきた順序がおかしいからです。

だって、多くの人たちが(バスやトラックの運転手が)よってたかって私に嫌がらせを始めてから、あのサイレンは始まったのです。

もし、私があのサイレンの犯人であるなら、もっと早くからサイレンがしていてもおかしくはないでしょうし、私にそんな次々に人を病気に出来る業があるなら、同じ知らない人を病気にさせるにしても、まず、嫌がらせをしてきた運転手連中を病気にさせると思いますが、何でまったく知らない人を(しかも私に嫌がらせしたこともない人を)私は病気にさせないといけないのでしょう?

あのサイレンが私のせいというなら、起きる順序もおかしければやることもおかしいのですが、何で私はそんな意味のないことを、というか、そんな誰彼かまわず病気にしていたら、どういう恨みを買うか知れません。

私にとって何一つよいことはないと思いますが、何で私は自分にマイナスにしかならないようなことをするのですか?

逆に、あのサイレンを私のせいにしている人たちにそれを聞いてみたいですね。

しかし、聞いても無駄でしょう。誰一人その質問に答えられる人はいないと思うからです。そこまで深くあのサイレンの原因を考えている人はたぶんいないと思うからです。

「あのサイレンはあいつのせい」人にいわれるままに、そう信じている人が多いと思うからです。

しかし、やはりあのサイレンは天罰なのではないでしょうか。

皆さん方のあまりに神から遠い心が、私に嫌がらせをすることで(私は、その神から遣わされた者ですから)その神の怒りを買い(そのような行為が、ついに神への不遜の限度を超えたということです)そうして、神の業(サイレン)は現された、ということなのではないでしょうか。(あのサイレンはどう考えても人の業ではなく神の業であるからです)

そうであるなら、あのサイレンは、これまでこの日本の多くの人がしてきた神への不遜な態度の天罰だとしか思えませんが、そこはどうなのでしょう。(じゃなければ、あれほど無制限に多くの人が病気になるなど考えられませんが)

マァ、そんなことを書いても、名古屋の誰もそれを認めないのでしょうが(しかし、あの現象を一人の者のせいにしますか?凄まじいですね、名古屋の人たち)一つだけいっておきますが、もし、私がなんの罪もないなら、その私に嫌がらせをしてきた人は大きな罪を負っているということになります。(私の悪口ばかりいっている人もそれは同じでしょう。私に罪を着せていることになるからです)

そうであるなら、このままでは済まないでしょう。

必ず、前の会社に起きていることと同じことが、そのようなことをしている人たちにも起きると思うからです。

罪を罪のまま残しておいて、それで何も起きないとは思えないからです。その罪の償いは必ずしないといけなくなるからです。

前の会社に何が起きているのか、それはこの辺りの人たちはよく知っているでしょう。私は知りませんが、ただ私も、そのような如来の悪口をいっていた人たちに何が起きたのか、それは知っています。

そのような人たちの多くが、癌になったのです。

前の会社に同じようなことが起きているのかどうか、それは分かりませんが、私に罪を擦り付け嫌がらせをしておいて、それをまったく反省しようとしなければ、同じように癌になる人は出てくるのではないでしょうか。

自ら罪をつくっておいて、それを放置したまま何も起きないはずはないからです。

私に嫌がらせをするのはいいのですが、それなら癌になっても仕方がない、その覚悟だけはしてやってください。その行為が正しいことかどうかは分からないからです。(というか、嫌がらせが正しい行為とはとても思えませんが)

しかし、釈尊やキリストに災いが現れたでしょうか?

釈尊やキリストには奇跡しか現れなかったのです。災いが現れる人は悪い人と、昔から相場が決まっているのですが、今生は災いが現れる人がいい人で、釈尊やキリストと同じ奇跡が現れる人は悪い人と思われるようです。

しかし、そのような考えは間違っているのです。(究極のご都合主義でしかありません)

昔も今も、奇跡が現れる人がいい人で、災いが現れる人は悪い人なのです。

いい加減お門違いはやめたらどうでしょう。悪いのは災いが起きている人たちだからです。

追伸…そういえば桜島の激しい噴火は桜島周辺だけではなく、東京も危ないとコメントに書いておきましたが、その理由も書いておきます。

高橋先生は「桜島が噴火するのは、東京の地下にたまっているエネルギーを、あの桜島から放出しているからである」といわれていました。

つまり東京の地下にはいつ巨大地震が起きてもおかしくない、巨大なエネルギーが蓄積されているということです。(そういう危ない心〔それは怒りや妬みやひがみなどのマイナスの意識です〕を持っている人が、他の地域に比べて東京の人たちは多いということです。〔人口も多いので、そのエネルギーも巨大になります〕東京は日本の首都であるのです。他の地域より、ストレスなど多くたまるのでしょう。そのようなことがマイナスの意識の多さにつながるのかもしれません)

その東京の地下のエネルギーを、少しずつ鹿児島の桜島から放出しているのですが、その桜島の噴火が激しいということは(もしかしたら大噴火するかもしれないといわれていますが)東京の地下のエネルギーは大変なことになっているということです。

大正三年に桜島の大噴火がありましたが、その数年後(九年後)に関東大震災が起こりました。

これは偶然ではないと思います。高橋先生がいわれていたことに近いことが起きているからです。

もし桜島が大噴火など起こしたら、そのあと東京にも大地震が起きるのではないか?それは注意しておいた方がよいと思います。その桜島と東京は地下でつながっているからです。

どちらにしても今のままの心では、いつ東京に大地震が起きてもおかしくはない、そのような状況であることは確かなようです。(桜島の噴火を見ればそれは分かります)

東京の皆さん、このブログを他人事のように見ていて大丈夫ですか?明日は我が身に災難が降りかかるかもしれないのにです。

もう少し真剣に心の勉強をされてはどうでしょう。それが(東京だけではありませんが)唯一の救われる方法であるからです。

(再開早々、ずいぶん恐ろしい内容のブログになりました。しかし、どこも非常事態です。〔異常気象もそうですが、こちらなど毎日神の業が現れている人たちもいますので〕軽い内容のものなどとても書けませんね)

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8月 16 2015

正しい教えと間違った教えの違い

昨日も午後から家を出て行ったのですが、神社やお寺など通りかかると人がたくさんいました。

お盆ですからね。正月に続いてのかき入れ時です(?)そりゃ人もいるのでしょうが、大丈夫なんでしょうか?

私が歩いていると、前から来る人やバスやトラックの運ちゃんが嫌がらせをしていきますが、これも大丈夫なんでしょうか?

嫌がらせはしないまでも、私を凄い顔をして見て行く人がいます。(オバちゃんなどそうですが怖い顔でにらみつけたり、さげすむような目で見て行く人が多いです)こういう人たちもそうなんですが、私はよくそのようなことをしていく人たちに声をかけます。

「その聞いてる噂の真意は確かめたのか?」

「その噂が違っていたらどうするんだ。その噂が間違いなら、あんたはまったく罪のない者に一方的に嫌がらせをしていることになる。そうすると当然それは罪をつくっていることになるけど、それは分かってるんだろうな」

「そういうこと(罪のない者に一方的な嫌がらせ)をたくさんの人がしているなら、当然天罰を食らう人も出てくると思うが、それはどう思うのか」

「何で、そんな悪いことばかりしている奴に鳥が寄ってくるのか」

などというと、ほとんどの人が逃げるように歩いて行くのですが、自分のやっていることに自信があるなら、このような態度は取らないと思うのですが(堂々といい返しますよね。自分が間違っていないと思うなら)これだけ多くの人が私に嫌がらせをしていくのです。

では、私はよほど悪いことをしているのでしょう。

そうであるなら、自分のやっていること(嫌がらせ)は間違いでないという自信がある人も多いと思うのですが、しかし、そのようなことをしてくる人に少し私が何かいうと、自身なさげな態度で逃げていく人が多いのです。なぜでしょうか?(意地になって嫌がらせをやり続ける人もいるにはいますが、いい返してきた人は一人としていません)

私が人を病気にしているといいますが(直接聞いたわけではありませんが、多分そのようなことをいっているのでしょう)本当にそれは私がしていることなのでしょうか?

もし、それが天罰であるならどうするのですか?

それが天罰であるなら、その人が病気をしたのは私のせいではなく自分のせいということになりますが、そこの違いは、そのように私が人を病気にしているといっている人たちは分かっているのでしょうか?

そこが分かっていないから、先ほどのようなことをいわれると逃げていく人が多いのでしょうが、申し訳ありませんが、正しい教えが現れた時はこのようなものなのです。

多くの人は間違った教えしか知らないのです。(だから、お盆だからと神社やお寺に参詣しているだけで大丈夫ですか?といっているのです)

だから、何か悪いことをして罰が当たるなどといわれても、それはただの脅しでしかなく、実際は罰など当たらないと思っているわけです。

これまでの間違った教えでは、罰など当たらなかったからです。(当たったとしても、それが大分あとから来ますので、それが罰であったという自覚がなかったのです)

しかし、正しい教えが出現した場合、その罰は本当に当たります。(かなり早くそのお返しが来ます)

それが現在起きていることなのです。

それは何度もいいますが、聖書を見てもらえれば分かります。

モーゼは多くの天変地変を現しました。エリヤなど四百五十人もの偽預言書を殺してしまいます。エリシャも小さな子供まで殺しているのです。

もちろん、このような偉大な方々はそれ以上によいことをしていますが、こういう激しい現象も現しているのです。法(正しい教え)を理解しようとしない人たちにはです。

いま私の周りで起きていることと、それほど変わらない出来事が聖書の中にも書かれてありますが、この聖書に書かれたことを、では、私の周りの人たちはどう判断されるのですか?

私が悪いと思われている人たちは、モーゼやエリヤやエリシャも悪いといわれるのでしょうか?それとも、聖書に書かれた預言者たちが悪いわけはない、悪いのはお前だけとでもいわれるのでしょうか?

それはずいぶん都合のいい話ですが(やっていることはそんなに変わらないのにです)さすがに聖書の中に書かれている預言者を悪い人とはいえないでしょう。そんなことをいえば世界中の人から非難を浴びるからです。

聖書に出てくる預言者を悪い人とはいえないのですから(というか、聖書に出てくる預言者は悪い人ではありません。偉大な方々です)そうであるなら、私も悪い人ではないのではないでしょうか。

私もあのような予言者同様、神の教えを説き(このブログですが)神の力をこの世に現して多くの人々を正しい道に導いているからです。(結果的にこれだけ多くの人が私のことを知って心を変えたのです。〔唯物無神論から唯心有神論にです〕このように心を変えさせることを導くというのです)

皆さん方は本当の神の教え(正しい教え)を知らないのです。そうしてその正しい神の教えが出現した時に起きる現象もです。(聖書をよく読めば分かると思いますが…まさかそのような現象が実際に起きるとは思わないのでしょう)

だから、このようなこと(天罰)が起こると、それをみんな人のせいにしていますが、正しい教えが出現した時は、その教えに逆らったり、信じなかったりすれば、そのような人たちには天罰が下るのです。

正しい教えはすべての人が知らなければいけない教えであるからです。

だから、そういう神に逆らう人が多ければ、正しい教えが出現した時には激しい現象は常に起きたのです。

現在の日本は唯物無神論の人たちが多かったのです。そうであるなら、激しい現象は現れるでしょう。それだけ神の心から遠い人が多かったからです。(神から心を離すというこれも大きな罪です)

その自分たちが悪かったために起きている天罰を、全部私のせいにしているのですから、よけい激しい現象は現れます。

今、私の周りでは、それこそ大人から子供まで、多くの人が天罰を受けているようですが、それは自分たちの心が神から遠いからそのようなことが起きるのであって、もっと神に近づくのであれば、そのようなことは起きないのです。

しかし、いま私の周りの人たちを見れば分かりますが、どれだけ恐ろしい現象が現れても、それを人のせいにして(私だけのせいにして)少しも神を思おうとしません。(神などというと笑っている人もいるくらいですから)

これでは、天罰は下り続けるのであって、それをどれだけ人のせいにしていても、自分たちの心が悪いから、そのような天罰が下っているのですから、その心を直さないとその天罰は止まらないのです。

これだけのことがこの辺りで起きていて(多分、多くの人が病気になっているのでしょう。どこかの会社だけではなく、どこかのマンションも急に静かになりました。このような態度を見てもそれが分かります)それでも誰も神を思おうとしないのです。

よく考えてみれば、そのような心は明らかにおかしいと思いませんか?

こういう恐ろしいことが次々に起きているというのに、神を思わず人を憎んでいるというのですから。(どう考えても見当違いです)

普通なら、これほどのことが起きているのです。いい加減、自分たちの行いを反省し神に救ってくださいと祈るはずですが、この辺りの多くの人たちは、どれだけ激しい現象が現れても少しも神を思おうとせず、それを全部人のせいにして人を恨み続けているのです。

このような考えはどう考えてもおかしいでしょう。

その心に慈悲も愛も反省もないからです。すべて、あいつのせいという憎しみしかないからです。

すでにそのような心が、人の心からは大きくかけ離れた心であるということを自覚してください。

そんな心の人が多いから、この辺りは恐ろしい現象が現れ続けているのです。その恐ろしい人とは思えない心が神の怒りを買っているからです。

しかし、そんな心の人たちとは裏腹に、私の周りでは多くの動物たちが集まってくるという、愛ある現象が毎日のように現れています。

このようなことからでも分かるのではないでしょうか?

あまりに愛から離れてしまった人たちと、その愛を心に持ち続けている人との違いがです。

正しい教えが現れる時は、その人々の心が大きく世に現象化します。

悪いことが自分の周りに現れているのなら、それは自分の心が悪いからなのです。その悪い心が現象化しているのです。

人のせいにしても悪い現象は止まりません。

何度もいいますが、自分が反省するしかないのです。その反省が唯一自分を、そうして周りを救える道だからです。

(それはこの辺りだけではありません。日本中に異常現象が起きているからです。この地域以外の人々も早くそのことに気づいてください。自分たちの心を変えない限り〔もっと神の心に近づけない限り、ということは、もっと愛と慈悲の心を深めない限り〕この異常現象は止まらないのです)

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8月 15 2015

戦後七十年と日本の人々の心

安倍総理の七十年談話が発表されました。

私たちから見ると少々曖昧(あいまい)に思えますが、総理大臣というお立場からすればあれがギリギリなのでしょう。

少なくとも五十年、六十年談話とは一線を画する談話ではあると思います。(五十年談話を出された元総理も「引き継がれた印象ない」といわれているくらいですから)

言葉のキーワードばかりいわれますが(侵略だの、お詫びだの、反省だの)使い方が全く違います。そうであるなら、言葉のキーワードにあまりこだわっても意味はないでしょう。

七十年談話は西洋諸国の植民地支配から始まり、それからの大戦までの流れ、子や孫や先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないという下り(ということは、もう謝罪は終わりであるということです)そうしてこれから先の日本のことがいわれており、五十年、六十年談話とは異質のものであるといえます。(本当に五十年、六十年談話は不正確な部分が多く後ろ向きでしたから)

そのような意味では(他国からもおおむね好評のようですし…中国、韓国は別にしてです)正確な部分も多くよい談話であったといえますが、やはり曖昧さはぬぐえません。次の談話に期待しましょう。(あれ、これで打ち止めですか?)

今日は終戦記念日です。

終戦後の日本は、これまでの日本とは違った別の道を歩み始めたように思いますが、大戦で犠牲となった戦没者の方々のためにも、別の道を歩きだした日本の人々が間違った道を歩んで行ってはならないのです。

しかし、最近の日本を見ていると、どうも間違った道を歩いて行っているように思えてなりません。

もう少し戦前まであった謙虚さや控えめさ、愛や慈悲の心を持たれてはどうでしょう。これだけ天変地変が続くと、やはり、そのような心を忘れてしまった人が多いのではないかと思えてならないからです。

最近は天気の異常さばかりでなく(また台風が出来たそうですね。〔しかも二つも〕この異常な暑さにゲリラ豪雨、それでまた台風ですか?本当にろくなこと起きません)獰猛(どうもう)なサメが日本近海にたくさん寄ってきているそうですが、これもまた異常な現象であるといえるでしょう。

海水温が高いとか、餌を求めて寄ってきたとかいわれていますが、それにしても、これだけ多くのサメが一変にあちこちから日本近海に寄ってくるでしょうか?

やはりこれだけのサメが寄ってくるのは異常でしょう。昨日も神奈川県の茅ヶ崎の海岸にシュモクザメが三十匹以上も寄ってきたそうですが、海水浴の一番良い時期にサメが次々に寄ってくるなど、本当についていませんね。

何でこんな異常なことばかり起きているのでしょう?本当に悪いことばかり起きているという感じです。

こういう悪いことばかり起きるということは、悪いことばかりしている人が多いからです。表面上はともかく、心が悪い人が多いのだと思います。だからその心の悪さに比例した現象が現れているのです。(心がきれいだと胸張っていえる人、誰かいますか?いないでしょうね。誰も。それが心が悪いという証拠です。その悪い心が現象として現れる時代になったのです)

しかし、法を知っている人(心が正しい人)には逆の現象が起きています。それは私を見てもらえれば分かるでしょう。

法を知っているなら仮にサメがいる海でも襲われる心配はありません。

何せ法を知るなら、サメから何からすべて友達です。一緒に泳いでも何ら問題はありません。むしろイルカなどと同様、サメとも楽しく泳げるのではないでしょうか。

別にそれは嘘ではありません。現に、私が撮った動画の中に(水族館のサメですが)私の前を嬉しそうに泳ぐサメも撮れています。(まったく動こうとしなかったサメが、私が「動け」というと急に泳ぎ回ったサメがいましたが、あれなどそうです)

動物園の豹やライオンなどでもそうですが(ライオンは撮れていませんが)私の前で急に愛想がよくなる動物たちもたくさんいます。

このようなことがよい証拠です。

法を知るなら、危ない動物などいなくなるのだし(みな友達ですから)天変地変も防ぐことが出来るのです。

それに愛や慈悲、謙虚さややさしさなど、すべて法の中でいわれていることです。

戦後、間違った道を歩み始めた日本の人々を正しい道に戻すことが出来るのは、この法を置いて他にないと思います。

この終戦の日に思うことは、今の日本に起きていることの異常さと日本の人々の心です。

戦後七十年、平和、平和とよくいわれますが、あまりに平和であったがため、失ってしまったものもあるのではないでしょうか。(それが愛や慈悲、謙虚さなどの心だと思えてなりません)

その日本人が失ってしまったものの大事さを、この異常現象が教えているのではないでしょうか。

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