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8月 08 2015

祈りの意義

いやはや連日の凄い怒りようです。(昨日も何か起きたようですし、これは相当効いていますね。皆さんの祈りがです)

やはり一人で祈るより、大勢で祈った方がより天上界は祈りを聞いてくれるようです。(皆さんこの連中が反省するまで頑張りましょう)

高橋先生は、祈りは天上界の光の天使との会話であるといわれていました。正しい祈りが、あの世の光の天使との会話であるなら、やはり多くの人の意見は光の天使もより聞かざるを得ないということでしょう。

どのような時でも正しい祈りは聞かれます。

少し、このような祈りも覚えておいた方がいいのではないでしょうか。自分が困った時でも、また何かする時にでも、正しい祈りをするのとしないのとでは雲泥の差があるからです。

私は、このような正しい祈りをし続け、そうして奇跡が次々に起きるようになったのです。

どのよう結果が出ようと、祈りが聞かれているのはその祈りが正しい証拠なのです。正しい祈りはすればするだけ自分の徳となります。逆にやらないと損ですよね。

だから、あのタイの大洪水を引かせた祈りなど、どれだけの徳となったか分からないほどです。

例えば、私の祈りのお蔭であの洪水が一ヶ月早く引いていたとしたら、その一ヶ月早く引いたことで、どれくらいの人々や企業などが助かったか知れません。それが全部私の徳となるのです。(どれくらいの徳となるのか分からないほどです)

たとえ、この世で評価されなくても、そのような祈りは心の世界では凄まじい評価を得るのです。私たちの本当の安住の地とは心の世界であるあの世なのです。

そのあの世で凄まじい評価を得るのですから、これ以上のよいことはありません。(これがキリストがいわれた「天に宝を積む」ということです)

よい祈りは人に知られずともされた方がいいのです。神は、天は、その祈りをすべて知っていられるからです。(だから、あのカリフォルニアの大干ばつなどでも〔未だ続いていて山火事まで起こしているそうですが〕私一人ではうまくいきませんでしたが〔少々雨が降った程度でした〕大勢で祈れば、あの場所に大雨を降らすという奇跡も起こせるかもしれないのです。祈ってもいいという人がたくさん現れれば祈りたいものです)

そういう陰徳ばかり積んでいると、私のような愛ある現象が周りに現れてきます。

このブログを読んでいる皆さんも(人の評価ばかり得ようとするのではなく)ぜひ、そのような陰徳も積んでいただきたいものです。

その愛ある現象の証拠である動物の不思議の動画がまた出来てきました。

今回は、南知多ビーチランドと東山動物園の動物たちが中心ですが、水槽や檻(おり)に入れられていても、その動物たちはみな私のことを知っていて、愛想のある態度を取ってきます。(取らないのもいますが、そのよう動物もまたご愛嬌ということで。〔笑〕)

動物たちは天からの声を聞いています。だから私のことをみな知っているのです。

ご存知のように、水族館や動物園の動物たちは世界中から集められています。世界の動物たちがみな私のことを知っているということは、すでに世界の人がみな私のことを知っているということなのです。(もちろんそれは、この世の人たちのことではなく、あの世の人たちのことなのですが)

たしかに、多くの人のから評価を得るような善いことも評価されますが、本当に評価が高いのはこのような陰徳なのです。(隠悪〔いんあく〕しか積んでいない人も多いようですが〔特にどこかの会社など〕これもまた表で悪をするよりも、その罪は重いのです。人の知らないところでする善はより評価が高くなり、人の知らないところでする悪はより罪が重くなるのです)

私がやっている善行は、この世の人には知られていませんが、神とあの世の人たちにはおおいに知られているのです。

だから、このような(全世界の動物たちに知られるという)奇跡も起きるのです。

どうせやるなら陰徳を積んではどうでしょうか。それはこの世の評価よりもよほど評価が高いことであるからです。(この世で評価を得ることをいくらしても、私のような奇跡が起きる人がいないのがそのよい証拠です。こういう奇跡が起きてくることが、そのやっていることの評価の高さを現しています)

私に協力してくだされば、その陰徳は積み放題です。少しは協力されてはどうでしょうか。

マァ、それをいっていても仕方ありません。とりあえず、南知多ビーチランドの方の動画を公開します。

それを観て、少しでも癒されてもらえれば幸いです。

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8月 07 2015

無神論の罪の重さ

それにしても暑い。

本当に異常な暑さですね。台風の影響やら何やらいっていますが、台風がこちらに来ていない時でも暑かったんですから、この異常な暑さは台風の影響だけではないでしょう。

この異常な暑さは、やはり正常な考えの人(それは普通に神を思える人)が少ないため、起こされている異常現象の一つであると思います。

早く正常な考えの人が増えてくれることを望むばかりです。そうしないと異常現象は収まらないからです。

しかし、こちらも異常な熱さですね。

どうしたのでしょう。明らかに態度が違っています。(もう一段ギアが入りましたね)

もう朝から凄い怒りようです。(もちろんどこかの会社ですが)起きる現象が激しくなっているのでしょう。ということは、祈っている人がいるということですね。(一昨日の夜辺り〔私が一緒に祈りましょうと呼びかけた日です〕からまた一段と態度がおかしくなりました。私が一人で祈っている時とは明らかに態度が違っています。確実に誰か祈っていますね)

昨日あんなブログを書いたら、この辺りの人たちだけではなく、他の地域の人たちまで祈るかもしれません。(私のブログの隠れファンがいるかもしないからです)

よく考えてみれば、昨日のブログはかなりやばいブログであったのかもしれませんが、悪いことをしなければ悪いことは起きません。祈られている人たちが反省すればよいだけの話なのですから、別にどうということもないでしょう。

皆さんおおいに祈られればいいのです。それは善行であるからです。

しかし、祈る人がいたんですね。私のいうことなど聞かない人ばかりだと思ったものですから、冗談半分に呼びかけたのですが、ということは、よほど、どこかの会社の人たちも周りから嫌われているのでしょう。

私ほど嫌われている者のいうことを聞く人がいるというのですから。(あれだけでかい音を毎日立てているんですから嫌われて当たり前でしょう。その自覚がないのが怖いです)

しかし、この辺りの人たちは私の祈りを毛嫌いしている人たちばかりだと思っていましたが、その毛嫌いしている祈りをした人がいるのです。

そうして、即、その祈りは聞かれたのです。(もう病気になる人が出たようですから)

ということは、祈った皆さんも私と同じように、人を祈って病気にさせたということになります。

ということは、そのような人たちで私を非難している人がいたとしたら、その人も私と同じ罪を犯したということになります。では、同罪ですよね。そのような人たちもです。

それでもまだ私を非難されるのですか?自分もそのような祈りをしておいてです。

こちらがやらせておいてそのような言い方もありませんが、何度もいいますが、こういう祈りは間違いではありません。

間違ったことをしている人を、神に「正しくお導きください」と祈るのは善行であるのです。

それで、その祈りをされた人が仮に不幸になったとしても、それはこの世的にそう見えるだけで、その人は、そのような順序を通して心が磨かれて行くのですから、その人はそうなった方が幸福であったのです。(そのまま悪いことをし続けるよりはです)

そのような祈りもした、モーゼやエリヤ、エリシャといわれる方々が預言書として称(たた)えられているのがそのよい例です。

決して、このような祈りは間違いではないのです。

しかし、どうですか、自分の祈りが聞かれた気分はです。

起きた現象はどうであれ、自分の祈りが聞かれたということは、それはそれで気分がよいのではないでしょうか。神が(天が)自分の祈りを聞いてくださったということだからです。

神が自分がした祈りを聞いてくださる、これ以上の充実感もないと思います。私たちは皆、神の子であるからです。(ということは、神が認めてくださったということであるからです。親が子の祈りを認めてくださる、これ以上嬉しいこともないのではないでしょうか)

本当の信仰とはこのような充実感があり、そうして、祈りの正しさの証明として、何らかの現象が必ず現れるのです。

私はこのような祈りの現象ばかりでなく、釈尊やキリストにも起きていたであろう、動物たちがたくさん集まってくるという現象まで起きています。

ではもう、どちらが正しいのかはお分かりなのではないでしょうか。

こちらは、釈尊やキリスト、モーゼが行われた同じ現象が次々に現れ、私を非難している人たちには災いしか現れていないのです。

これだけ起きる現象に差があるのです。もうどちらが正しいのかは明白であるはずです。

そのような、すでに積んでいる勝負を多くの人たちはまだ続けているということです。

しかし、そのような負けた勝負を続けている限り、その勝負は終わりません。(災いは出続けるということです)

もう「負けました」と認められてはどうでしょう。そうすればこの勝負は終わることになるからです。

そのように負けを認めて(反省して)はじめて災いは止まるからです。

すでに私と同じ祈りを体験している人もいます。

唯物無神論でいた人たちが、このような体験をすることが出来たでしょうか?このような体験は(あるいは輪廻転生などの知識を得られたのは)神の心を知ったから出来たのです。

もし、まだ多くの人が神の心を知ろうとせず、私のいうことを信じなかったら、これほどの体験が出来たでしょうか。

曲がりなりにも私のいうことを信じた人が多かったから、これだけの知識(神の心のです)を得て、これだけの体験が出来たのです。

私がいなければ、未だ多くの人は異常気象を温暖化のせいにして、起きてくることはすべて偶然でかたずけ、段々ひどくなる天変地変に右往左往して、人間は死ねば終わりなんだから好きなことをしなければ損と、好き勝手をしながら不遇な人生を送るだけだったのです。(段々天変地変が激しくなれば、多くの人が不遇な人生を送らなければいけなくなるでしょうから)

しかし、私が神の心を説いて神やあの世の存在、人の永遠の生命を多くの人に知らせたから希望が持てたのです。そうして祈り、様々な現象を現したから天変地変は偶然ではないと分かったのです。

このようなことすべて、神の心が分かったから知ることが出来、体験として自覚出来たことであり、神の心が理解されていなければ、この次々に起きる異常現象をすべて責任転嫁して、偶然の産物として切り捨てていたのです。

このようなことを深くは考えなかったのです。

もし、そのような人生を送っていたのなら、なんと空虚な人生を送っていたことでしょう。

少なくとも、神の心を少しでも知ることで、そのような空虚な人生を送らずにすんだのは確かなことであるのです。

神の心を知ることで、これだけ送る人生の中身が違ってくるのです。神の心を知ることの大事さが少しはお分かりいただけるのではないでしょうか。

それが少しでも分かってもらえるのなら、これまで無神論でいたことの罪の重さもまた分かるはずです。

日本の多くの人々は、唯物無神論という間違った思想に長い間支配されてきました。

その罪の重さを少しは自覚されることです。そうすれば反省もまた素直に出来ると思うからです。

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8月 06 2015

正しい祈り

今日は七十回目の原爆の日です。

私たちは、核兵器廃絶のための努力と祈りはし続けないといけないでしょう。

それは日本が原爆の被爆国であるということだけではなく、そのような核戦争など起きれば地球全体が破壊されてしまうからです。

核兵器は世界人類を滅ぼします。核兵器廃絶の祈りだけは私たちは忘れてはならないのです。

その祈りといえば、昨日私よけいなこといいましたかね。その祈りのことでです。

昨日帰ってくると凄い怒りようでした。(どこかの会社ですが)そうして今日も朝から怒っています。どうやら皆さんの祈りが聞かれているようです。

何をいったかといえば、もうどこかの会社がうるさくて(私ばかりでなく)周りにも迷惑をかけ続けていると思ったから「周りの皆さんも一緒に祈ったらどうですか」と声をかけたのです。(ここでそのようなことをいうだけで、町中にそのいったことが広まります。そういう点では本当に楽です)

皆で祈った方が現れる現象も早くなると思ったからです。(私もこの近所では嫌われているんですが、敵の敵は味方ということで、協力される人もいるのではないかと思ってです)

もちろん、怒りなど持って祈ってはいけません。そういう怒りや恨みの心を持つのではなく「神よどうぞこの人たちを正しくお導きください」という愛の心で祈ってくださいと念を押しました。(祈り方は「神よこの者たちに様々な現象を現し、そのような現象を通しこの者たちを正しくお導きください。この者たちに光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」程度でいいのです。いい方はだいたいでよくて、その心だけ間違えなければそれでいいのです。あとは神が〔天が〕祈った人の心と祈られた人の心を観て、それで判断してくれます。愛の心で祈り、あとは天に全託〔ぜんたく・すべて委ねるという意味です〕すればいいのです)

そうしたら覿面(てきめん)です。昨日帰ってきた時の怒りようは尋常じゃありませんでした。

即、何か現象が現れたようで、昨日はかなり怒っていました。あの怒りようだと多分誰か祈った人がいるのではないでしょうか?その祈りが聞かれているのです。

自分の祈りでこの連中に何が起きていてもです。(何が起きているのか知りませんが)それはこの連中が悪いことをしているから、天がそのような心と行いを観て、そのような現象が現れているのですから(それともちろん自分の良心の判断です)何一つ自分が罪の意識など持つ必要はないのです。

すべて本人の問題であるからです。

自分たちがした祈りは、その人が反省を促すための善意の行為なのであり、むしろよいことをしているのです。

だから私など、どれだけ祈りをしているか分かりませんが、そのような祈りをすればするだけ奇跡が起きてくるのです。

相手に何が起きても、それはその人にとってよい祈りであるからです。そのような現象を通して、その人の心は向上して行くからです。

だから、正しい祈りはこれ以上ない善行なのであり、すればするだけよいのです。(だから、釈尊やキリストも善人にも悪人にも同じように祈られたのです。それは善行であるからです)

このような正しい祈り(それは即ち正しい心で祈るということです)は何に対しても有効なのです。

例えばストーカーなどの問題でもそうでしょう。

警察にいったからと、そう簡単に諦めるストーカーばかりではありません。逆に警察にいったことを逆恨みし殺されることまであるのです。

こういう時に、正しい祈りを知っているのならすべて丸く収まるのです。

こういう場合は、相手の幸せを心から思って(「どうぞあなたも幸せになってください」とです。相手の心に愛を与えるのです。このような人たちは愛がほしいから寄って来ているからです)「神よこの方に光をお与えください。安らぎをお与えください。どうぞこの方を正しくお導きください」と祈ってから「あなたも神の子です。あなたはあなたのふさわしいところで幸せな生活をお続けください。神よ、どうぞこの方に光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と相手に祝福の祈りを送るのです。

そのような祈りを続けていると、相手の心に天から指導が与えられて(愛も与えられて)段々ストーカーをしている人に対する思いもなくなってきて、そのうちにストーカーをされなくなるのです。

ストーカーなどに対しては、こういう祈り(思い)が正しいのですが、だいたいの人はストーカーしてくる人を気持ち悪がったり、避けたりします。そのような行為(思い)が逆にストーカーを呼び込むということを知ってください。(愛のない行いが、よけいストーカーが愛をほしがるということになるからです)

そのストーカーも神の子です。ただ愛がほしいだけなのです。そのストーカーに愛を持って祈るのであれば自然に調和しながら、そのような事件は解決に向かっていくのです。

この正しい祈りを皆が知るようになれば、おかしな事件も減り、また悪いことをする人も減って行くと思います。(悪いことをしていると、そのしている人におかしな現象が現れるからです)

誰が祈っても、それが正しい祈りであるなら、その祈りは聞かれます。

そのような意味でも、この法を拡げることは重要なことであると思います。

追伸…ただし、正しい祈りは次のようなことも起こりますので、それはご用心ください。

例えば、ドメスティックバイオレンスをされていた妻が夫から逃げ、そうしてその夫が追ってくるのが怖くて夫を祈ったとします。

その場合、夫が悪ければ夫に現象が現れますが、妻が悪かった場合は祈った妻に現象が現れます。(正しい祈りは悪い方に気づきの現象が現れるからです)

この場合、夫を祈っていながら、妻がひっくり返るということもありますので、それはお気を付けください。

このようなドメスティックバイオレンスの場合、表面上は一方的に夫が暴力をふるうわけですから(妻がふるう時もありますが)夫が悪いということになりますが、内面(心)を観ると、妻が十分夫に愛を与えていなかったため、それが寂しくて夫は妻に暴力をふるっていた、という場合があります。(というか、こういうことが多いと思います。妻が夫に十分愛を与えているなら、その愛を与えてくれる妻に夫が暴力をふるうわけがないからです)

この場合は、妻が悪いというのことになり、妻に現象が現れます。

この世では表面を見ますが、天は内面を観ます。もし自分が悪いのではないかと思えるのなら、正しい祈りはされない方がいいでしょう。

自分に悪いことが起きるからです。

とにかく、正しい天への祈りはそれくらい公平に現象が現れるということです。決して、どちらかを贔屓(ひいき)することはありません。

だから、正しい祈りをされて悪い現象が現れた場合、それは現れた方が百パーセント悪いのです。(また天の観る目に間違いはないからです)

だから現象が現れた方が反省しないといけないのです。それをしないから、いつまでも悪いことが起きているのですが、その起きている人について同情などいりません。

それは現れている人が百パーセント悪いからです。その悪いところを直さないと、その人は結局地獄に堕ちるからです。

その地獄に行かなければいけない人たちを救うために、正しい祈りをしているのです。

なんの同情がいるのでしょう。

正しい祈りは、そのような人(の心)を救うために行っているのです。それがその人の本当の救いになるからです。

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8月 05 2015

自業自得の本当の意味

予想通り誰からもコメントをいただけません。では、昨日書いたことは正しいのでしょう。

このブログを読み、ずいぶん昨日は怒っているようでしたが、今日はあまり元気がありません。(この暑いのにこちら側の窓は閉めっぱなしですし)また昨日何か起きたようです。(あんな態度を取るからです)

悪いことをしているのはあなたたちの方なのです。起きている現象でそれは分かります。外面よりも、そのような起きている現象こそ正しいことを物語っているからです。

釈尊は、人一人殺している人よりも、実際には人を殺してはいないが心の中で大勢の人を殺している人の方が(はるかに)悪い人であるといわれているのです。

心に思うことだけでも悪いことを思えば、どれだけ大きな悪となるのか、それをもっと自覚すべきなのです。

なぜ、心で思うだけでもいけないのか?

それは、心で思うということは、それを行うということの前提に立っているからです。

そのあとそれをしようがしまいが、それをしようとしたことには変わりありません。それが悪いことであるなら、その悪いことを計画しているのですから、それは悪いことをしたのと同じことになるのです。(それはこの世でも同じですよね。例えば、銀行強盗など計画して、その計画がばれただけでも捕まります。それと同じです)

だから、表面上はいつもニコニコ笑っていたとしても、心の中では「あいつはうっとうしいから病気になればいい」とか「死ねばいい」とか常に思っている人がいたとしたら、その人はこの世では善人といわれますが、実際はどれだけ悪人か分からないということです。

そのような思いは、多くの人を殺し、病気にしたのと同じことだからです。

そのような人は死ねば深い地獄に堕ちるのです。

そのような人でもそうなのです。まして、態度からして怒りまくり、心の中では「あいつは死ねばいい」とか「病気にでもなればいいのに」とか思いながら、物を叩き付けでかい音を立てながら、やけくそのような仕事をし続けている人たちがいたとしたら、そのような人たちは、たとえ悪いことをしなくても実際は大悪人ということになります。(それだけ物を叩き付けてでかい音を立てていたら、周りは大迷惑しますし、お客さんにも傷物を売っているということになります。〔叩き付けた物を売るのですから〕それだけでも十分悪いことをしているとは思いますけどね)

では、そのような人たちに天罰が下っても何も不思議ではないように思いますが、そこはどうなんでしょうか?

このような大悪人に、みな同情しているようですが、しかし、実際はこのような人たちはずいぶん悪いことをしているのです。(心の中だけでもそうですし、実際に周りに迷惑をかけ続け、お客さんには不良品を売っているブラック企業なのです)

悪いことが起きる人たちは、必ず悪いことをしているのです。まして、考えられないような悪いことが起きているのであれば、その人たちは相当の悪者であるということです。

それは確かなことであり、それが実際に行いに出るのか出ないのかは分かりませんが、その心を観るなら、このようなことが起きたのは自業自得であるとすぐに分かるのです。(そのような人たちの心が観られるなら、それはそれはひどい心をしているからです)

だから裁かれているのです。(この裁くということを勘違いしている人がいますが、これは何も神が裁くわけでも、まして人が裁くわけでもありません。このような人たちは自分〔の良心〕で自分を裁くのです。つまり、自分の良心が自分の行いの悪さに耐えきれなくなり、そうして病気などの現象を現すのであり、決して、人や神がそれをするのではないということです。だから自業自得であるといっているのです。心の世界を知るなら、自分に起きてくることはすべて自分の問題であると分かるのです)

自分たちに起きてきた悪いことを人のせいにしていることが、いかに愚かなことかお分かりいただけるのではないでしょうか。

人も神も関係ないのです。自分のやっている悪事が自分を滅ぼすからです。

その悪事を今日も朝から一生懸命やり続けています。そうして起きてきた悪いことを私のせいにいくらしたところで、それはお門違い以外の何ものでもありません。

悪いことをやめたらどうでしょう。そうしたら、その悪いことは起きなくなるからです。

(そのような悪い人たちはともかく、多くの人たちの心がもし観られるなら、私のことをずいぶん怒っている人もいますが〔私が人を病気にしているとです〕私以上の凄いことをやっている人も案外多いのではないでしょうか。〔心の中では人を殺しまくったり、物を取りまくったり、あるいは、きれいな女性に手を出しまくったりしている人も多いのではないですか?〕それも心の世界では犯罪なのです。では、私以上の悪い人はいくらでもいるのではないでしょうか?〔というか私は悪いことをしていないんですが…〕それどころか、私に怒ることが出来る人が果たしてどれくらいいるのでしょう。キリストも、心の中で姦淫を行った者は実際にそれを行ったのと同じである、といわれています。外見だけの行いよりも、その人の心をもっとよく観ることです。そうしなければ、その人が本当の善人なのか悪人なのかは分からないからです)

追伸…また、自民党の議員のツイッターか何かが問題になっているようですが、それほど問題になるようなことでしょうか?(本当に言論封殺が好きですね)

現に、あの学生のデモなど日本の国内事情をいっているだけで、日本の周辺事態のことなど一言もいわないのです。逆にあのような団体に一言いうのもまた国会議員の仕事なのではないですか?

それにあのようなデモに反対している人たちもいるのです。(とりあえず私はそうです)そのような声を伝えるのもまた国会議員の役目であると思うし、それが少数意見にせよ、いつもはその少数意見も大事にしないといけないといっている人たちが、今回は多くの国民の意見を聞けですか。(それに言論の自由を守れともいっているのに言論封殺ですか〔笑〕)

ずいぶんいうことが場面場面で変わるのですね。(笑)

民衆迎合ばかりの国会議員では、それこそ日本も終わってしまいます。少数意見を伝える政治家も必要であると思います。(私はその少数意見の方ですし)

それに、これまでのようにアメリカの笠の下で安穏としていられる時代も終わりつつあるのです。そういう現実はもっと知らないといけないのではないですか?(なんで、そういう現実は認めようとしないのでしょう)

憲法を守っているだけでは日本は守れません。逆にそのことをあのような学生たちに教えないといけないのではないでしょうか。(それなのにマスコミの皆さんから学者の皆さんまで、その学生たちと同じ意見です。あまりに現実無視なのではないでしょうか)

中国の脅威論は煽っているわけではなく、実際にあるのです。(北朝鮮の核問題もです)国内の事情をまったく無視しろとはいいませんが、その国内事情と同じくらい、周辺事態の事情も議論されるべきではないでしょうか。(あまりにいっていることが偏っていると思います)

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8月 04 2015

自業自得

昨日はまたどこかの会社がうるさかったものですからね。早々に書くのを諦め出て行きました。

今日はどうなんでしょう。(チョコチョコやっていますが、また何か起きたみたいです。少し引いてますから)本当に勝手な話です。こちらはただブログを書いているだけなのにです。

最初からそうです。この連中はこちらの小さな音を気にして怒りまくり、何かにつけてでかい音を立てて嫌がらせを続けているのです。(もう何年にもわたりです)

こういう悪いことをし続けているくせに、このブログはしっかり読んでいるのです。そうしてこのブログでいろいろ知ったくせに、そのお礼は一言もいわず、ただパソコンの音がうるさいと怒りまくり、内容が気に食わないとまたそれでも怒って、何でもかんでも怒ってよってたかって嫌がらせです。(もちろん、あまりにうるさくてブログが書けなくなったこともあります)

この連中、私がいる間は四六時中嫌がらせですからね。(かわるがわるよってたかってです)これで私がうつ病にでもなっていたら、この連中どうしたのでしょう。

マァ、悪いとも思わなかったでしょう。ザマーミロくらいにしか思わなかったのではないでしょうか。(悪いという気持ちがあるなら、ここまでしないでしょうから)

では、このような人たちに悪いことが起きてくるのは、ある意味当たり前のことなのではないでしょうか?

この連中は、そのような(私が病気になってもいいという)心があったからです。だから、自分たちが病気になっているのです。人を病気にしてもかまわないという心が自分たちにあるからです。(逆に、そういう心がなければ、この会社からこれだけ多くの病人が出るなどあり得ません。自分たちの心にないものは自分たちの回りに現れないからです。人を病気にしてもいいという心が自分たちにあったから、自分たちが病気になったのです)

だから自業自得であるというのですが、しかし、そういう反省はまったくしようともせず、悪いことが起きてきたのを全部私のせいにして、そのような現象にも怒り、なおでかい音を立てている、これでは罪に罪を重ねていることになり、なお悪いということになるのですが、それもこれも全部私のせいです。

ずいぶんひどい話なのではないでしょうか?(自分たちの心と行いを棚に上げてです)この人たちは理不尽極まりないと思うのですが、他の地域の人たちはどう思われるのでしょうか?

こういうことをし続けていては(人を病気してもかまわないという心があっては)病気になっても仕方がないと思うのですが、不思議なことにこの辺りの人たちは、この人たちがこれだけ悪いことし続けていても、それでも病気になる方は悪くなくて、病気にする方が(別に私が病気にしているわけではないのですが)悪いと思い続けているのです。(またそういう人たちに限って、怒っている割には私のブログはしっかり読んでいるのです。よくそんな悪い奴のブログを読みます)

それはこの辺りの人たちばかりではなく、バスやトラックの運転手やそこらじゅうの人たちがそうなのです。(私があちこち回った感じでは名古屋以外の人までそう思っているようです)

とにかく、悪いことが起きている方がよくて、悪いことが起きていない方が悪いと、そう思いこんでいるようです。

そうして、私の顔を見れば嫌がらせです。

こちらの言い分は一切聞かずに一方的な嫌がらせなのです。こういうことをしている人たちもやはり悪いことをしているといわざるを得ません。(悪いことが起きている人たちの心と行いをまるで知ろうとしないからです)

だから悪いことが自分たちに起きるのですが、それを同じようにみな私のせいにしているのです。

しかし、私のせいにする前によく考えてみてください。自分たちは悪いことをしていないのかとです。(その行いだけではなく心もです。自分たちの心に人が不幸になってもよいという心があるのなら、自分が不幸になるのです。〔多くの人が私など不幸になってもかまわないと思っていますよね〕そのような心が不幸を呼ぶからです。どういう悪人であっても不幸になってもよいなどとは思わないことです。その思いが自分に返ってくるからです)

善因善果 悪因悪果が神理なのです。(もちろんこれは心も含まれています)自分たちの心と行いが悪くなくて、自分たちに悪いことが起きるわけがないのです。

人のことより、まず自分の心と行いなのです。

その自分の心と行いが悪くて、不幸になるのは結局自分自身であるからです。

もう一度よく考えられてはいかがでしょうか?本当に悪いのは誰であるのかということをです。

(そんな悪い奴に釈尊やキリストと同じ奇跡は起きないでしょう。もし、ここに書いたことが嘘であるというなら、いくらでもコメントください。〔特にどこかの会社は違うというのならコメントをください〕こちらはいくらでも議論する気があるからです。皆の見ている前で大いに議論をしようではありませんか。私は来たコメントは必ず公開するからです。〔ただ無記名ではダメですよ〕誰もコメントくれないというなら、私のここに書いたことは百パーセント正しいということになります。それでもいいならコメントくれなくて結構ですが、それだけガンガンやっていて何もいえないではあまりにだらしがないですね。〔笑〕)

追伸…これまで魚類は思考や推論を伴う「認知能力」がないとされてきましたが、大阪の学者のグループが、熱帯魚の一種は論理的な思考力を持つということを実験で明らかにしたそうです。

科学はずいぶん遅れているのですね。

やっと魚の一部が論理的な思考力を持つと分かったというのですから。

論理的な思考力は別に一部の魚が持っているだけではありません。すべての魚が持っていますし、魚類以外でもカニやエビのような甲殻類から貝類まで、そのような「認知能力」はあると思います。

私の公開している動画を観てくださればそれは分かると思います。(まだカニやあのマテ貝の動画は公開していませんね。多少の寄付でもいただけるのであればすぐにでも公開するのですが、何せ皆無ですから。〔笑〕)

それを思うと、ここに書いているブログだけではなく、公開している動画も、これから解明されるであろう、そのような動物たちの本当の思考(心)を先取りしていると思わざるを得ません。

このブログは人間ばかりでなく、動物たちの心の中まで、正しいことが書かれてあるのです。(自分でいうのも何ですが)これほど貴重なものもないと思うのですが、しかし、その割には扱いがずいぶんぞんざいですね。(笑)

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