8月 08 2015
祈りの意義
いやはや連日の凄い怒りようです。(昨日も何か起きたようですし、これは相当効いていますね。皆さんの祈りがです)
やはり一人で祈るより、大勢で祈った方がより天上界は祈りを聞いてくれるようです。(皆さんこの連中が反省するまで頑張りましょう)
高橋先生は、祈りは天上界の光の天使との会話であるといわれていました。正しい祈りが、あの世の光の天使との会話であるなら、やはり多くの人の意見は光の天使もより聞かざるを得ないということでしょう。
どのような時でも正しい祈りは聞かれます。
少し、このような祈りも覚えておいた方がいいのではないでしょうか。自分が困った時でも、また何かする時にでも、正しい祈りをするのとしないのとでは雲泥の差があるからです。
私は、このような正しい祈りをし続け、そうして奇跡が次々に起きるようになったのです。
どのよう結果が出ようと、祈りが聞かれているのはその祈りが正しい証拠なのです。正しい祈りはすればするだけ自分の徳となります。逆にやらないと損ですよね。
だから、あのタイの大洪水を引かせた祈りなど、どれだけの徳となったか分からないほどです。
例えば、私の祈りのお蔭であの洪水が一ヶ月早く引いていたとしたら、その一ヶ月早く引いたことで、どれくらいの人々や企業などが助かったか知れません。それが全部私の徳となるのです。(どれくらいの徳となるのか分からないほどです)
たとえ、この世で評価されなくても、そのような祈りは心の世界では凄まじい評価を得るのです。私たちの本当の安住の地とは心の世界であるあの世なのです。
そのあの世で凄まじい評価を得るのですから、これ以上のよいことはありません。(これがキリストがいわれた「天に宝を積む」ということです)
よい祈りは人に知られずともされた方がいいのです。神は、天は、その祈りをすべて知っていられるからです。(だから、あのカリフォルニアの大干ばつなどでも〔未だ続いていて山火事まで起こしているそうですが〕私一人ではうまくいきませんでしたが〔少々雨が降った程度でした〕大勢で祈れば、あの場所に大雨を降らすという奇跡も起こせるかもしれないのです。祈ってもいいという人がたくさん現れれば祈りたいものです)
そういう陰徳ばかり積んでいると、私のような愛ある現象が周りに現れてきます。
このブログを読んでいる皆さんも(人の評価ばかり得ようとするのではなく)ぜひ、そのような陰徳も積んでいただきたいものです。
その愛ある現象の証拠である動物の不思議の動画がまた出来てきました。
今回は、南知多ビーチランドと東山動物園の動物たちが中心ですが、水槽や檻(おり)に入れられていても、その動物たちはみな私のことを知っていて、愛想のある態度を取ってきます。(取らないのもいますが、そのよう動物もまたご愛嬌ということで。〔笑〕)
動物たちは天からの声を聞いています。だから私のことをみな知っているのです。
ご存知のように、水族館や動物園の動物たちは世界中から集められています。世界の動物たちがみな私のことを知っているということは、すでに世界の人がみな私のことを知っているということなのです。(もちろんそれは、この世の人たちのことではなく、あの世の人たちのことなのですが)
たしかに、多くの人のから評価を得るような善いことも評価されますが、本当に評価が高いのはこのような陰徳なのです。(隠悪〔いんあく〕しか積んでいない人も多いようですが〔特にどこかの会社など〕これもまた表で悪をするよりも、その罪は重いのです。人の知らないところでする善はより評価が高くなり、人の知らないところでする悪はより罪が重くなるのです)
私がやっている善行は、この世の人には知られていませんが、神とあの世の人たちにはおおいに知られているのです。
だから、このような(全世界の動物たちに知られるという)奇跡も起きるのです。
どうせやるなら陰徳を積んではどうでしょうか。それはこの世の評価よりもよほど評価が高いことであるからです。(この世で評価を得ることをいくらしても、私のような奇跡が起きる人がいないのがそのよい証拠です。こういう奇跡が起きてくることが、そのやっていることの評価の高さを現しています)
私に協力してくだされば、その陰徳は積み放題です。少しは協力されてはどうでしょうか。
マァ、それをいっていても仕方ありません。とりあえず、南知多ビーチランドの方の動画を公開します。
それを観て、少しでも癒されてもらえれば幸いです。



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