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6月 28 2015

正しい信仰を拡げることの大事さ

昨日のことなんですが、あるお寺の前を通ると七~八十歳くらいの婆さんが、さい銭箱に寄りかかるようにして頭を付け、何か必死に祈っているようでした。

よほどの悩み事でもあるのでしょうか、真剣に祈っています。

私は少々哀れに思い、その婆さんの近くを通る時に「婆ちゃん、そこで祈っても祈りは聞かれないよ」といいながら通って行きました。

その婆さんは私が近くにいることを知っていたでしょう。(私が近くにいることを知り、その寺の中にいるすずめたちが騒いで飛び回っていましたから)そうして声も聞こえていたと思います。

しかし、私の声を無視して一心に祈っていました。

名古屋の人は、私に釈尊やキリストと同じ奇跡が現れていると分かっていて、もう既存の宗教では救われないと、それも分かっているのに、それでもまだ既存の宗教に頼り奇跡が起きている者を無視しているのです。

まことに哀れというしかありませんが、そのような人が名古屋にはまだたくさんいるのです。

未だ、お前が悪いと私に嫌がらせをしてくる人は多いのですが、では、その人に何か奇跡が起きているのかといえば、奇跡が起きている人など一人もいないでしょう。

自分にはまったく奇跡が起きていないのに(そればかりか、災いが起きている人までいるのにです)奇跡が次々に起きている私に「悪いのはお前」と嫌がらせをしてくるのですから呆れてしまいます。

そんな悪い者に、なぜ釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているのですか?また、自分たちには何の奇跡も現れていないのです。では、自分たちが正しいと何をもって証明するのですか?

正しいことをしているから奇跡が起きるのであり(釈尊しかりキリストしかりです)正しいことをしていないから、何も起きないのです。(または災いが起きるのです)

これ以上分かりやすい話もないと思うんですが(口だけではないのですから)それはどうしても認めたくないようです。

それを認めてしまうと、私が正しくて自分たちが間違っているということを認めることになるからです。名古屋の人たちは死んでもそれは嫌なようです。(苦笑)

しかし、先ほどの婆さんの件でもそうです。

どれだけ悩みがあっても、お寺に祈っているだけでその悩みが解決されるのでしょうか?

されないということは、すでに多くの人たちが分かっているはずです。分かっていながら祈るのです。そのような習慣から、または苦しい時の神頼みからです。

しかし、そんな気休め程度のことが本当の信仰なのでしょうか?

お蔭があるのかないのか分からない、それが本当の信仰なんでしょうか?

このようなことは信仰なのではなく(単に気分転換だけの)観光なのではないですか?

つまり現在の多くの人たちは、信仰をしていると自分たちが思っているだけで(お寺回りなどの)観光をしているにすぎないのです。

観光を信仰と勘違いしていて、その祈りが聞かれるわけがありません。だから、祈りが聞かれないのです。

祈ればなにがしかの結果が必ず現れる、これが本当の祈りであり、本当の信仰なのです。

現に私は祈ると周りに次々に結果が現れてきます。

私に嫌がらせをしてくる人には、次々に災いが現れ(このような奇跡が、例えばストーカーとか、人とのトラブルの時に現れたらどうなるでしょう。そのような問題はすべて解決するということです)雨や台風を呼ぶことも出来ますし(ひどい日照りの時などこのような祈りは有効です)逆にそのようなひどい災害を止めることも出来ます。(現在の日本に一番必要なことなのではないですか?あまりにひどい災害が起こりすぎているからです)

また、動物が次々に寄ってくるという奇跡も起きています。(このような奇跡など、どれだけ癒されるか分かりません)

このようなことが起きるのも、その教えが正しいものであるからであり、その教えを知れば奇跡が起きるだけではなく、人の正しい生き方が分かり、死への恐怖も段々なくなって行くのです。

人としての正しい生き方が分かり、死の恐怖がなくなり、祈れば次々に奇跡が起きる、このような結果となるのが正しい信仰であり、私たち人間が絶対しなければいけない信仰であるのです。

この正しい信仰は何も日本の人だけにとどまりません。(お経を上げなさいとか、仏像に祈りなさいとか、そういう限られた人たちだけが限定的にやっているようなことを、信仰としていないからです。正しい心の在り方を教え実践することと祈り、基本それだけしかやっていないからです。これは世界中の誰もがやれることであるのです)

現在は、イスラム国で説いているような間違った教えが世界中でテロを起こし、戦争まで起こしています。

しかし、このような人たちにも正しい心の在り方を説くのであれば、正しい生き方が分かり(例えば、貧困のせいでこのようになったという人には「あなたは、そういう貧困の生活の中から神の心を知るように自分で仕組んで生まれて来ているのです。だからそのような貧困な生活に感謝して努力していれば必ず道は開けます。決して貧困のせいにして人を恨んだりねたんだりしてはならないのです。その貧困でしか得られない勉強もあるからです」と説くのです。そうして、そのような環境に感謝できる心にしてから祈れば、必ずそこに奇跡が起きるのです)正しい生き方が分かれば、テロや戦争をすることがどれだけ間違っているのか、それも分かるというわけです。

そういう話をしていきながら、祈れば、またそこに様々な奇跡が起こります。(モーゼの大奇跡のようなことが起きることもあれば、キリストがされた癒しの奇跡が現れるかもしれません。そこにいる人たちの心次第です)

そうなれば、すぐには無理かもしれませんが、このイスラム国のような集団をなくすことも出来るのです。

もちろん、世界中で起きている(科学者が温暖化のせいにしている)異常気象も収めることが出来ます。(それは先ほどの説明でお分かりいただけると思います)

とにかく、いま地球上に起きているすべての問題を解決することが出来る、それが本物の神の教えであり、正しい信仰であるのです。(しかもこれは何の武器も何の機械も必要ありません。空手〔手に何も持っていないという意味です〕で出来るのです)

逆にいえば、正しい信仰をしないから、いま地球上で起きている様々な問題が生じてくるのであり、したがって日本の人々が正しい信仰に目覚めるのであれば、世界を救うことが出来るのです。

日本から世界中に行くことは造作もないことだからです。

日本の人々が正しい信仰を知るなら、あとはそれを世界に拡げてくれるだけで世界が平和になるのです。

世界を救えることが可能なのは(法が出現している)日本だけなのです。

正しい信仰を知ることの大事さ、少しはお分かりいただけるでしょうか。

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6月 27 2015

国を潰(つぶ)す思想

今日の中日新聞の一面が、昨日のニュースでガンガン流れていた、例の言論弾圧の記事なんですが、あれ本当の話なんでしょうか?

本当の話というより、私的な雑談での話というではないですか。何でそんな話をさも正式に発言したように新聞は書いているのでしょう。

これでは人を陥れているのと同じですね。(何か他人事ではありませんね。私もそれに近いことされていますから。〔笑〕)

いくら与党(自民党)の勉強会とはいえ、私的な雑談の話を正式に話したかのようにテレビや新聞で取り上げて、ボロカスいわれるのもかないません。

そんなことがもし事実であるなら、それは犯罪に近い行為といえるでしょう。

こういうことを平気でする報道陣がいるなら、それこそ報道規制をした方がいいのではないですか?それは正しい報道とはいえず、人を陥れているだけだからです。

マァ、これからは正しい報道をしなければ、その正しくない報道をしているところにも災いが起きてきます。もう少し慎重な報道を心がけていただきたいものです。それがご自分の為でもあるからです。

しかし、報道の自由だの、言論の自由だの、出版の自由だの、何でもかんでも自由、自由といいますが(さも自由が正しいことのようにいいますが)この前のあの元少年Aが出した本、あれなどもやはり出版の自由の範囲内なのでしょうか?

あれも出版の自由の範囲内というなら、被害者遺族のお気持ちはどうなるのでしょう。

私は、その出版の自由よりも、もっと勝るのが被害者遺族のお気持ちであると思うからです。(というより、被害者遺族のお気持ちを一としないといけいないでしょう。それが当たり前のことだと思いますが)

その被害者遺族が出版の差し止めを求めていられるのです。

それなのに、出版社はそれを無視しているのです。こういう自由がまかり通っていてよいのでしょうか?(いけないと思いますよ。こういうことを平気でやっているから災いが起きるのです。そのような行為は間違いであるという気づきの現象です)

先ほどの人を陥れているような記事といい、このような被害者遺族のお気持ちを無視した金儲け第一の出版といい、だからある程度の規制は必要なのではないでしょうか。

何でも自由というほど怖いものはないのです。(そんなことをいっていたら、イスラム国がやっている、人を殺傷するようなテロまで自由という人が出てきかねません。何でも自由というのではなく「ある程度の規制は何でも必要である」といわないといけないのです。極端な発想を持つ人は必ず出てくるからです)

しかし、人を陥れるような記事はともかく、あの「沖縄の新聞は潰さないといけない」といわれたことは本当のようですが(もちろん雑談の中ででしょうが)沖縄の新聞が左翼思想丸出しの新聞なら(私は読んだことがないので分かりませんが、仮にそうだと仮定してです)それは潰した方がいいでしょう。

左翼思想が沖縄に蔓延するなら、それこそ沖縄が潰れるかもしれないからです。

左翼思想(共産思想)の危なさは、これまでにこのブログにくどいほど書いてきましたので(共産思想は国を滅ぼすとです)あえてここでは書きませんが、そのような国が潰れるような思想は持たない方がよいでしょう。

そのような思想は国を潰すだけではなく(当たり前の話ですが)自分自身も潰してしまうからです。

あまりに神の心から離れた思想であるからです。

しかし、その神の心から離れた危ない思想を、なんとアメリカ全体が持ってしまうとは思いませんでした。なんとアメリカは危ないことをしているのでしょう。これではアメリカもいつ潰れるか分かったものではありません。

本当にアメリカは危ない思想と行いをしてしまったものです。その危ない思想と行いとは、あの同性婚の解禁のことです。

あれはまずいでしょう。この前、どこやらの国も同性婚を認めたようなニュースが流れていましたが(どこだったか忘れましたが)アメリカがそれを認めたとなると、世界に及ぶす影響が違います。

アメリカが先に立って間違ったことをしてしまったとなれば、それは天も黙っていないでしょう。これからのアメリカは何が起きるか分かりません。日本以上に怖いですね。(恐)

アメリカの人たちは、ソドムとゴモラの町の話を知らないのでしょうか?キリストが同性婚はよいなどといわれているのでしょうか?

アメリカは聖書を読んでいる人が多いはずなのに、何でこんなことを認めたのでしょう。先ほどの話ではありませんが、これが自由(と平等)の怖さなのです。

何でもかんでも自由という話になると、このような、そういうことを行えば国が滅びると昔の書物に遺されていても、偉大な方がそんなことを認めていなくても、それを無視して、このような間違ったことをしてしまうのです。

だから規制は必ず必要なのであり、昔の書物に学ぶ(歴史に学ぶ)ということも必要なのです。

今の流行りの思想に(単に、いま盛んにいわれるようになったというだけで)簡単に乗っかることが、どれだけ危ないことかお分かりいただけると思います。

私たちは、昔から遺る偉人の言葉、そうして歴史に学ぶということを忘れてはならないのです。

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6月 26 2015

科学と宗教の融合

鹿児島は記録的な大雨になっているようですね。百年ぶりの大雨とテレビでいっていましたが、いくら異常気象とはいえ一体何が起きているんでしょうか?(特別警報の五十年に一度を通り越して、百年ぶりの大雨というのですからね。異常すぎます)

年間降る雨の半分くらいが、一変に降ってしまったとかなんとかいっていましたが、まだこれから降るんですよね。

すでに土砂崩れなども相次いでいるとか、鹿児島は桜島の噴火もあります。このまま激しい雨が降り続くと、下手すると潰れてしまうのではないかと心配になります。

だから私はいったのです。鹿児島の川内原発を動かすか、太陽光パネルを外すかしたらどうですかとです。

一度やってみてください。この激しい雨が止まるかもしれないからです。

などといったところで、そんなことそんなにすぐにやれるわけがありません。では、祈りましょうか?とりあえず鹿児島の雨を止める方法はそれしかないからです。

しかし「雨乞い」というのは(あまりに雨が降らなかった時など)されるところもあるのですが、雨を止める方の祈りはされないんですね。

なぜですか?(素朴な疑問ですけどね)

ほしいものがある時だけ祈り、いらないものがある時は祈らない「困った、困った」と見ているだけ、現世利益宗教(間違った宗教)の典型のような祈り方ですが、雨を降らせる祈りがあるなら大雨を止める祈りがあってもいいはずです。

なぜ、干ばつの時だけ祈り大雨の時は祈らないのですか。やらなければいけないでしょう。今の鹿児島などそのような祈りが必要だからです。

間違った信仰は祈りまで偏っています。

自分たちがほしいものだけ祈り(現世利益)いらないものを止めることは出来ないと思っているからです。

しかし、祈りとはそんな偏ったものではないのです。あらゆるところで救われる、それが本当の祈りであるからです。

私がタイの大洪水を引かせたのがいい例でしょう。このような困ったことが起きた時、それを救ってくれるのが本当の祈りなのです。

では、鹿児島を祈ればあの雨は止まるのか?ということですが止まるでしょうね。私が祈っても無理でしょうが、鹿児島の人たちが本当に神を思い祈るのであれば、あの雨は止めることが出来ます。(昨日の話ではありませんが、善因善果、悪因悪果、鹿児島に悪いことが起きているのは鹿児島の人たちに問題があるからです。だから鹿児島の人たちが本当に神を思い、自分たちの心を反省して祈るのであれば、あの雨は止まります)

つまり現代風にいえば、祈りで梅雨前線を動かすことも出来れば、前線の活動を弱めることも出来るということです。(そういうことを私は実際にやっています。〔祈って前線を動かしたり急に活発化したりです〕私がやっているのですから不可能ではありません)

要は、鹿児島の人たちの心次第なんですが、しかし、それを伝える術もなければ、それをいったところで誰も信じないでしょう。

では、やれないのと同じですね。

だから私は法を早く伝えてくださいといっているのです。

法を多くの人が知っているなら、鹿児島のようなところも救うことが出来るからです。しかし、これほど法が知られていないのでは、仮に私が祈っても鹿児島の雨は止めることが出来ないでしょう。

天がそのような祈りを聞いてくれるわけがないからです。

『法を先に拡げろ』といわれるに決まっているからです。(心が変わって初めて天変地変は収まるのです。先に天変地変を収めてしまっては順序が逆です。それでは肝心の心を変える〔法を伝える〕ことが出来ません。だから、そのような祈りは聞いてくれないのです)

科学、科学と、科学にばかり頼っていますが、しかし、現実に科学ではどうにもならないこともあります。

もう少し(もう何度もいっていますが)神に頼られてはどうですか?

そうすれば、その科学で足りないところを足すことが出来るからです。

科学と宗教の融合(もちろんその宗教は本物の宗教、即ち法でないといけませんが)それこそが真の平和をもたらすものであり、人が物心両面で幸せになれる道なのです。

現在は科学は宗教を否定し、宗教は科学を否定しています。(宗教は科学を否定しているというか、宗教は科学の裏付けがないといけないのです。今の宗教は、いきなり神の力でこれをやったとか、教祖様の力であれをやったとか、まったく科学的な裏付けがなく結果だけをいっているのです。これは科学を否定しているのと同じです)

これでは偏った幸せしか得られないのであって、だから、科学に偏っている人は表面上だけの形だけの幸せしか得られないし、宗教に偏っている人は、表面も内面も全然幸せになれないのです。(宗教に偏っている人は、金を〔布施の名目で〕むしり取られ、貧乏な不幸な生活をしていても、それが幸せだと勘違いしているだけなのです。現在は正しい宗教がないからです)

しかし、そのような科学と宗教が別々の道を歩む時代は終わりました。

科学は宗教を認め、宗教は科学を認め、科学と宗教の融合、科学と宗教が調和する時代が来ているのです。

そうなって初めて本当の幸せが得られるからです。

科学、科学と偏ったことをいっているのではなく、少しは(本当の)宗教も認められてはどうでしょう。

それを認めないと、解決しない問題も多々あるからです。

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6月 25 2015

原因・結果の法則

しかし、呆れましたね。

何に呆れたかってどこかの会社の連中にです。昨日どこかの会社の連中が、仕事にかこつけてこれまでやってきた悪事が全部ばれたのです。それで呆れているのです。

昨日もまたこの連中、朝から烈火のごとく怒って仕事をしていました。(物を叩き付けたりしてでかい音を立ててです)次々に自分たちに現象が現れるので、それが全部私のせいということで怒っているようでした。

もう、このような態度は何年にもわたって続けられているのです。(何か起きていない時でもそういう態度を取っているのですから、変わらないといえば変わらないのですが、何か起きた時の方がやること極端です)

しかし、そのような態度は私がここでブログなど書いているから、そのパソコンの音がうるさくて、それで迷惑してやっている、自分たちは被害者である、あくまでそのような立場であったようです。(周りもそのように見ているふしがあるようです。私が加害者でどこかの会社は被害者であるとです)

ところが昨日のことです。私の家の前で若い者が(高校生か大学生くらいだと思います)二人でボール遊びを始めたのです。声を出したりボールをつく音がわりと大きく響いていました。

私はこんな音を立てたら、さぞどこかの会社の連中(何せ、その会社のすぐ近くでそんなことをしているのですから)怒るだろうな、これはまたでかい音が響くぞ、と思っていました。

そうしたらです。私の意に反し、その会社の連中うるさいどころか、静かになったのです。それまででかい音を立てていたのが、ピタリとやみ静かに仕事をしているではありませんか。

私は「ハァ?」と思いました。

「何だこの連中、音がうるさいと怒るんじゃなかったのか」

私は不思議だったのでいくつか声をかけてみました。「お前ら、こんなでかい音を立てているのに怒らないのか」「お前ら(パソコンの)カチャをうるさがっているのに、ボールの音はうるさくないのか」いろいろいいましたが、ほとんど反応しません。(いつもなら烈火のごとく怒り物を投げつけるはずなのにです)

それで分かりました。この会社になぜこれほど災いが起き始めたのかがです。

この会社の連中、私のパソコンの音がうるさくて怒っていたわけではなかったのです。単に私に嫌がらせがしたかった、それだけだったのです。

それがそのよう態度で分かったのです。

そうではないでしょうか。この会社の連中はパソコンのあんな小さな音でも気にするのです。それがボールをつく音などもっと大きいのに、その音がしてきたら怒るどころか、全然気にも留めずに静かに仕事をしだしたのです。

そうして私がどんなに冷かしても、その態度を変えませんでした。

ということは、そんなボールの音がそれほど気になるわけではないということになります。

ボールをつくような大きな音が気にならないのですから、それよりもっと小さなパソコンの音が気になるわけがありません。

大して気にならないパソコンの音を、さも気にするそぶりで、これまででかい音を立て続けてきたそのわけは、単に私に嫌がらせがしたかっただけでしょう。

何かと私が気に食わなかったからです。(マァ、ここまでくると、いろんな理由があるのでしょうが)

前から、そのような態度は見受けられました。大きな工事の音が響いていた時も、近くで家を建てていた時、その大工が立てる大きな音にも、まったく反応せず妙に静かだったのです。

それまでは静かに仕事をしているのに、そういう人たちがいなくなると、またでかい音を立て始めるのです。(ということは音など立てずとも仕事はできるということです)

だから前からおかしいと思っていたのですが、昨日の若い連中のボール遊びでそれがよく分かりました。

この会社の連中が、これまで出してきた大きな音は、単に私に嫌がらせがしたかっただけであり、大勢で一人の者を、よってたかっていじめている集団いじめだったのであり、仕事でもなんでもなかったのです。(だからでかい音は全部嫌がらせです)

仕事で、でかい音が立てられるのをいいことに、この連中がこれまでやっていたことは、その仕事にかこつけた、周りも巻き込んでの個人に対する集団嫌がらせにすぎなかったのです。

だから、この連中にこれだけ立て続けに災いが起こり始めたのです。それだけの悪いことをこの連中はもう何年も前からしていたからです。

そうして、その災いさえ利用してなお私に嫌がらせをし続けているのです。

この災いはあいつのせいと、それを全部私のせいにしてです。そうして被害者ずらして、だからこういうことをするのも仕方がないと、自分たちのやっている嫌がらせを正当化して周りから同情を買っているのです。

そうなったのは私のせいでもなんでもなく、ただ自分たちが悪かっただけなのにです。

この人たちは、五年もの間、一人の者に対し嫌がらせをし続けているのです。そうしてその嫌がらせの仕方は回りにどれだけ迷惑をかけてもお構いなしです。

そうして、そのような悪事をし続けていたため、起きて来た天罰まで嫌がらせしている者のせいにして、自分たちは被害者ずらして、未だそのような嫌がらせをし続けているのです。

これだけ悪いことをし続けている人たちもそうはいません。だから、その悪さに匹敵する天罰が起こり始めたのです。(その起きている災いがどれだけのものか私には分かりませんが、その災いと同じくらい悪いことをあなた方はしているということです)

原因・結果の法則(善因善果 悪因悪果)に間違いはありません。

自分たちに災いが起きてきた理由は自分たちにあるのです。

(今日は高橋先生が昇天された日です。そんな日に、自分たちの悪事が全部ばらされたのもまた高橋先生のお導きではないかとも思えます。反省する最後のチャンスかもしれませんね)

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6月 24 2015

神の業が現れた時の対処の仕方

荒れた天気が続いているようですね。

昨日も、関東などで局地的大雨になったところが相次いで、激しいカミナリや冠水被害、停電まで起こしてしまったところまであるそうです。

今日もまだ荒れた天気に注意が必要とのことですが、日本各地も荒れていますが相変わらずこちらも荒れています。本当に荒れた現象には注意が必要ですね。

毎回この話題なんですが、こうも朝からアピールされてはね。(また何か起きたようですが)無視も出来ませんし、そうはいっても何をいっても聞かないんですから、もう書きようがないといえばないんですが、一体どうするつもりなんでしょうか?

どれだけ怒っても、その現象は止まらないんですから、怒る以外のことをすればいいのに、いつまでたっても怒っているだけです。

では、怒り続けていてはどうでしょう。多分最後の一人までその現象は現れると思うからです。

神の業が現れているんですから、その神に頭を下げる気にならない限り、その神の業は止まりません。

怒りたいのであれば、どうぞ好きなだけ怒っていてください。その現象はずっと止まらないからです。

私など、何か悪いことが起きたら即、神に詫びを入れます。早いですよ。

私は何か悪いことをしたらすぐに現象が現れます。その現象に対し、怒ろうものならもっとひどい現象が現れるのは目に見えています。(怒ったことないので分からないんですが、多分そうだと思います。だいたい怒ることなど出来ないでしょう。神の業が現れているのですから)

だから即、反省するのですが、そうすると悪い現象はピタリと止まります。

それが悪い現象を止める唯一の方法なのですから、どうやったら怒るなどという発想が出てくるのか、まったく意味が分かりませんね。(これは体験談ですので、これ以上正しいものはないと思います)

私が悪いことをした場合、前にも書きましたが、この世でひどい目に遭ったこともあれば、あの世、地獄界に連れて行かれてひどい目に遭わされたこともあります。そんなことをされたら、もうそれだけでげんなりです。

即、反省しますね。

しかし、何度もひどい目に遭わされて、それでも反省しない人たちはよほど神経が太いんでしょう。普通は、そんなことを一度でも起こされたら(精神的にも肉体的にも)かなりこたえるからです。

しかし、そんな無反省な態度を続けていれば地獄行きは決定的です。それでもそういう態度をし続けるのですか?地獄は苦しいところですよ。

私も二回ほど連れて行かれましたが(同じ場所にです)その地獄界は、暗い洞穴の中に虫がびっしり張り付いているという気持ちの悪い場所でした。

その虫たちが、体にはい上がってくるのですからそれだけでもたまりませんが、そのような場所で、カエルを食わされるという異常なことまでさせられました。(おいしそうなパンに見えたので食べたら、それがカエルであったのです)

そのようなことが、夢ではなく実体験で起こるのですからゾッとしますが(実際は夢で観たのですが、あまりにリアルでとても夢とは思えませんでした。気持ち悪くて二~三日食欲がなかったくらいですから)このような気持ちの悪い世界から、火炎地獄のような苦しい世界(放火などした人はこういう地獄に堕ちて行くそうです)血の池地獄などもあるそうですから(業の深い女の人たちなど気を付けてください。あまりに我が強いとこのような地獄界に堕ちて行きます)地獄界もいろいろな世界に分かれているようです。

我が強ければ強いほど、死後に行く世界は深く厳しい地獄界です。

少しは、聞く耳をもつとか、反省ということを知っておいた方がいいでしょう。そういう素直な心がなければ、そのような苦しい地獄界から抜け出ることは出来ないからです。

追伸…こういう話ばかりだと気が重たくなるばかりです。少し違う話も書いておきますが、女子サッカーのなでしこジャパンが太陽の回りに虹が出来る(パワーという現象だそうですが)現象に遭遇したということで、縁起がいいと喜んでいたとニュースでやっていました。(この現象、どこかの宗教ですと「奇跡です。奇跡が起きました」と大騒ぎになるのですが。〔笑〕)

実は私も、この前の月曜日にブログを書かなかった時に行った庄内川で、同じ現象に遭遇したのです。

上を見ると太陽の回りに虹のような輪っかが出来ていました。

珍しいなと思い私も動画に撮ったんですが(あまりきれいに映らなかったので消してしまいましたが)その夜(翌日でしたっけ?)同じことが、なでしこジャパンにも起きていたとニュースで知って、まったく違う場所なのに(なでしこはカナダかどっかですよね)同じ時期に同じことが起きるとは、偶然とはいえ不思議なものだなあと感心ました。

このように私は、どこに行っても何か奇跡的なことが起きています。(もちろん魚や鳥たちもたくさん寄って来ましたし)

常に災いが起きている人たちとはずいぶん違いますが、ところで、なでしこジャパンにかけて少し女性のことも書きますが、前に私は、妻は夫の(女は男の)心が分からないといけないと書いたことがありますが、女が男の心を分かりすぎてもまたいけないのかもしれません。

最近、そういう気もしてきました。いろいろ体験することは大事なことですね。(笑)

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