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7月 03 2015

名古屋港での奇跡

昨日は驚きました。本当に不思議なことが目の前で起きたからです。

昨日私は名古屋港に行ったのですが、名古屋港に行くと、ちょうど大きなフェリーが来ていてほとんど海が見えない状態でした。

海が見えなくては魚が跳ねるかどうかも分かりません。それで橋を渡って、水族館がある向こう側に行こうかとも思ったんですが(そちらも大きく海が広がっているからです)フェリーの後ろ側は少し海が見えていました。

あそこなら海が見えるなとも思い、その場所に行って海に呼びかけたのですが、その時すでにおかしかったのです。

何がおかしかったのかといえば海の魚の様子がです。

私が声をかけるとやたらに飛び跳ねるのです。それもあちこちでです。(そこも動画に撮ったのですが、跳ねるのが少し遠くて魚が見ずらかったのでその場面は消しました)

「今日はやたらと跳ねるなぁ」と思いながら、水族館がある方に移動しました。

その場所でのことです。

その場所で私が海に向かい声をかけていると、最初は反応がなかった海の魚たちがあちこちで跳ねるようになりました。

「いつもは大して跳ねないのに今日は本当によく跳ねるな」と思って「お前ら今日は元気だな」とかいいながら動画を撮っていました。(海で呼びかけてもあまり魚は跳ねないものですから)

そうしたらです。その跳ねる魚たちの数が尋常ではなくなってきたのです。

最初は、あちらで一匹、こちらで一匹と跳ねていた魚たちが、段々、跳ねる魚が多くなり、あちこちでひっきりなしに跳ねるようになりました。そのうちに同じ場所で二匹同時に跳ねたり、三匹四匹と跳ねたりして、そこらじゅうで数十匹の魚が同時に跳ねる、という状況になってしまったのです。

さすがにこれには驚きました。多くの小魚があちこちで跳ねるというのは見たことがありますが(それは山崎川とか荒子川などで動画にも撮っています)これほど大きな魚たちが一変に跳ねるというのは初めてだったからです。

見た目で、四~五十センチくらいあるのではないかという魚が(もっと大きな魚もいたかもしれません。魚との距離がだいぶ離れているのもいたからです)ポンポン跳ねるのです。

その大きな魚に交じって、数十匹の小魚の集団が上がってきて跳ねています。「あんな大きな魚に交じって上がってきて大丈夫か?食べられないか?」とこちらが心配になりました。(笑)

そればかりか、沖の方から大きな魚の集団が私の方(岸)に向かいたくさん泳いでくるのです。そうして私の前の辺りを嬉しそうに泳ぎ回り跳ねているのもいます。

とにかく、私の目の前の海の数十メートルにわたって、多くの魚たちが泳ぎ回り跳ね回っているのです。こういう光景を見るのも初めてでしたが(堀川でこういうことがありましたが、これだけ一変に大きな魚が跳ね回ったことはありませんでした。迫力が全然違いました)何か私は魚のショーでも見ている気分でした。

とても自然に起きていることとは思えなかったからです。

まさに奇跡です。数十匹の魚が一変に跳ねるということは、この岸の近くに数百匹の魚が集まって来ているということになります。(そこに数だけいる魚だけが一変に跳ねるということはありえないからです。数十匹の魚が跳ねるのなら、そこの海の中には、その数倍、数十倍の魚たちが泳いでいるということになります。だから名古屋港の岸壁には数百の魚は集まってきていたと思います…下手すればもっと多かったかもしれませんが、海の中のことなので確認しようがありません)

どこにでもある岸壁に(名古屋港だけ特別魚が集まりやすいということもないと思いますので)数百(もしかした数千?)という魚が集まるということが考えられるでしょうか?(もちろん餌などまいたわけではありません。餌をまいたところでそれだけの魚が集まってくるかは疑問ですし)

そうして数十メートルにわたり多くの魚が次々に跳ねるということもそうです。

これを奇跡といわずして、他にどういえばいいのでしょうか?

まさに二千年前のキリストが起こされた奇跡が、もしかしたそれ以上の奇跡が私の目の前で現されているのです。

この奇跡を動画に撮るには撮りましたが、あの迫力は動画では分かりませんね。やはり、その場で見ていると何か独特の雰囲気があり、神の力が現れている感じがします。

私は、このような奇跡が毎日のように現れています。

しかし、他に目を向ければ悪いことばかりが起きて、奇跡が少しも起きていないと感じるのは私だけではないでしょう。

私を見ていただければ分かりますように、奇跡が起きるのが普通なのであって(だって毎日のようにこのようなことが起きているのですから、それが普通だと思えませんか?)起きない方が異常なのです。

奇跡が起きないどころか、災いばかりが起きているのですから、私からすれば、現在の日本は異常を通り越して逆に不思議ですね。なぜ、これだけ悪いことばかりが起きているのだろうとです。

法を勉強すればするだけ、拡げれば拡げるだけ、次々に奇跡が現れてきます。

だから、そのような人が増えるのであれば、日本に起きる災いは自然に減っていくのです。

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7月 02 2015

本物と偽物の違い

しかし、いいこと起きません。

大雨や火山の噴火だけではなく、今度は台風(9号)まで日本に向かってくるそうですね。

台風が六月の時点で(台風が発生したのは先月の末だったそうですから)9号まで発生するのは四十四年ぶりだそうですが、本当についていません。(まだ日本の南には台風の卵がたくさんあるそうですから、今月もいくつ台風が出来るか分からない状況です)

何も、こんな時に台風まで来なくてもと思うんですが(この時期は台風が強い弱いに関わらず、台風が日本に近づいてくるだけで梅雨前線が刺激され、また各地で大雨となります)不信心の人が多いとこのようなことになるのです。

このようなことは偶然ではなくすべて必然であるからです。(すべて天が起こされていることだからです)

大丈夫ですか?今まで通りのことを今まで通りにしていてです。

こういう危ない状況になるのは、自分たちがしていることが間違っているからこうなるのであって、それを反省しない限りこの状況は変わりません。

何度いったらそれを理解されるのでしょうか?

本当に不信心もここに極まりといったところですが、それでも頑なに自分のことしかしようとしない皆さん方が哀れです。

これほどの現象が現れているのです。皆さん方がいま死んだら、きっと今のような世界に堕ちて行かなければいけないでしょう。(自分の栄耀栄華ばかり求めて気の休まることがない〔安らぎのない〕異常気象が次々に起きてそれが自分の身に降りかかる、そのような世界です)

結局、神を思わない人は神のいない世界にしかいけないのです。心がそれ(神のいない世界)を求めているからです。その心の思う通りの世界に死後は行くことになるからです。

神のいない世界とは当然ではありますが地獄界です。(神が天上界にあられるのは当たり前のことですから)しかし、そういう人はどこでも多そうです。

どこかの会社も哀れです。何か起きっぱなしのようで朝から必死です。

必死なんですが、必要以上にはじゃまが出来ない、そんな感じです。法の流布を露骨にじゃましては、自分たちにいま起きている以上の何が起きるか分からないと知っているからでしょう。

やはりそういう現象が起き続けると少しは学習するようですが、しかし、その程度学習したくらいでは何も変わりません。しっかり反省出来ないと、その現象は止まらないからです。

何か毎日起きているようなところでも、この程度のことしか分からないんですから、自分たちに何も起きない人たちがそれを理解しろといっても、なかなか難しのでしょうが(もう不信心が身についていますから)しかし、日本にこれだけのことが起きているのです。

自分たちがどれだけ罰当たりなことをしているか、いい加減理解されてはどうでしょうか?

最近はこういう(自分たちがしていることの悪さを理解してもらう)ブログの内容ばかりのような気がしますが、私の周りから日本全国に至るまで、これだけ悪いことが続いていてはそうなります。

それを書かざるを得ません。そうしないとどれだけ多くの人が不幸になるのか分からないからです。

もう、今起きていることに対し、これまでの宗教ではまったく対応できないのです。

出来ないでしょう。例えば、この異常気象だけでも今の宗教ではどうすることも出来ないのです。自然現象はどうにもならないとか、それこそ温暖化のせいにするのが関の山です。(それでは無宗教の人と何ら変わりません)

しかし、聖書を見れば分かります。このような異常気象はどうとでもなるのです。

聖書には、その大自然を操る人々がたくさん登場しているからです。(モーゼは有名ですが、あのキリストさえガリラヤ湖の嵐を一瞬で鎮められているのです)

昔の神の使いといわれた方々は、そういうことが出来ているのに、現在の宗教家がそれが出来ないというのは、現在の宗教家といわれる人たちは、本物の宗教家ではないからなのではないですか?

本物の宗教家であるならば、そのようなことが出来るはずだからです。(最近の宗教家は神の使いどころか神とまでいっています。〔そういう教祖様がたくさんいます〕なぜ、神とまでいわれる人たちが大自然一つコントロール出来ないのでしょうか?)

だから私は、今の宗教家で本物の人はいないといっているのだし、今の宗教では救われないといっているのです。

その聖書や仏典に出てくる方々と、同じことをやれる宗教家が一人もいないからです。

そういう中で(私は宗教家ではありませんが)聖書に出てくる神の使いといわれる方々と同じことが出来ているのが私なのです。だから私のいうことを聞いたらどうですか?といっているのです。

聖書を読めば分かると思いますが、そのような神の使いといわれた方々のいうことを聞いた人たちは、みな幸せになっているからです。

そのような方々に逆らった人たちはみな不幸になっています。それと同じことも私の周りでは起きています。聖書の中で起きていることと、同じようなことが現在の私の周りでは起き続けているのです。

では、過去に起きたことと同じことが現在に起きているということになりますから、それなら聖書に書かれてあることと同じことをした方がいいのではないでしょうか。

何度もいいますが、歴史に学ぶということは大事なことだからです。

私は宗教家ではありません。ただのアドバイザーです。ただのアドバイザーですが、聖書に書かれてある、神の使いといわれた方々に起きたことと同じことが起きているのです。

では、立場は関係ありません。そのようなことが現に起きているのですから、そのようなことが起きる人のいうことを信じた方がいいのではないでしょうか。その方が幸せになれると聖書に書かれてあるからです。(それに宗教家よりアドバイザーの方が立場的にも軽いです。軽い方がいいでしょう。今の人たちは重いのを嫌がりますから。〔笑〕)

何度もいいますが、私は口だけではありません。奇跡が起きているから起きているといっているのだし、信じられないのなら、皆さんの前でも起こしましょうかといっているのです。

もう勝手に何度も起こしてしまったんですが、起こさなければ日本の人々は神の存在など永遠に信じなかったでしょう。もちろんあの世も人の輪廻転生もです。

日本の人々は法に目覚め、その法を世界に拡げるという使命があります。

その使命をいつまでたっても果たそうとしないのです。ひどい目に遭うのは、ある意味当たり前のことなのではないでしょうか。それだけ大事な使命であるからです。(如来がそれを優しく教えても信じなかったのです。それではひどい目に遭います。日本の人々の罪は重いといわざるを得ません)

いつまで責任転嫁をしているのですか?一番悪いのは自分自身なのです。

早くそれに気づいて私を手伝ってください。それが日本に生まれた人々の本当の使命であるからです。

とりあえず、いま起きている災い(大雨や火山の噴火など)を減らしたいのであれば、私に協力されることです。(それが一番手っ取り早いです)

そうすれば私もその地域を祈りますし、その地域の人たちが私に協力されるのなら、それは即ち神に協力されていることと同じなのですから、私の祈りも聞かれるはずだからです。

その協力を皆さんが遅らせれば遅らせるだけ、日本に起きる災いも増えていくことになります。(それは即ち不幸になる人が増えるということです)

奇跡が次々に現れています。それほどの奇跡が現れている者のいうことは聞いた方がいいのです。(それが古今東西の大昔からの教えなのです)

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7月 01 2015

正しい宗教と間違った宗教の差

一昨日でしたか、そんなことを書いたばかりなんですが、昨日、新幹線の車内で焼身自殺した人がいたそうですね。(何でそんなところでと思いますが)

いかなる理由があろうと自殺はいけないのであり、その人は、今も地獄で業火に焼かれ苦しんでいるはずですが、こんなバカなことも、法が拡がっているならやる人はいないのです。

今日は朝から名古屋も雨がよく降っていますが、また九州も激しい雨になっているようですね。それに箱根の山もいよいよ危い。(噴火警戒レベルを3に引き上げたそうですが)

悪いことが連続して起きているようですが、しかし、よくなる気配がありません。

いつになったら悪い現象は収まるのでしょう。それもこれも日本の人々の不信心の賜物ですね。(これもまた天からのいただきものには変わりありませんから)

どうします。皆さん方が動かなかったらこの状況は変わりません。(というか悪くなる一方です)やってもらうしかないのですが、少なくともいま何かしている人がいたとしたら、その程度では全然足らないということです。(よいことが全然足らないから悪いことが日本に起き続けているのですから)

何せこちらでは、協力どころかじゃまをしている人ばかりです。(このブログをじゃまするばかりでなく〔どこかの会社、こんなに雨が降っているのに、それでもやっていますからね。それは罰が当たるはずです。どれだけ罰が当たっても、悪いことを毎日続けているというのですから凄まじいですね〕私の悪口をいっている人も法の流布をじゃまをしているのです。私の評判が悪くなればなるほど法の流布が遅れるからです)

よほどのことをしない限り、今の日本の状況を変えるのは難しいでしょう。

何せ、不信心の期間が長いですし、それを反省するどころか、そのせいで起きてきた悪いことを全部私のせいにして、嫌がらせを毎日し続けている人たちがたくさんいるのです。少々よいことをしたところでおっつきゃしません。

どなたか一発ホームランでも打っていただけないでしょうか?

例えば、誰か有名な人が、私に全面的に協力しますと宣言するのです。そうしたら多くの人が一変にこの法に注目します。それくらいのことをすれば、この悪い状況も好転し出すと思うのですが、それくらいのことをしない限りこの状況を変えるのは無理ですね。

それともまだ私を信じることが出来ませんか?(ずいぶんいろいろ起きていると思うのですが)まだ巷の間違った宗教を信じ続けるのでしょうか?(まったく意味がありません。意味がないどころか悪い現象がよりいっそう起きてきます。それは悪いことであるからです)

正しい宗教と間違った宗教との差は、真理(神理)を説いているということもありますが(これがまた分かりにくいのです。間違った宗教もよさそうな話はいくらでもするからです)やはり奇跡が起きる度合いが違うということでしょう。

間違った宗教も奇跡じみたことを起こしますが(それは悪魔が起こしているので)人の興味を引くこととか(例えば、あなたはこのような性格ですねとか、最近このようなことがありましたねとか、近いうちにこのような悪いことがある、などのあて事です。悪魔もあの世、心の世界にいるのですから、それくらいのことは分かるのです)人が驚くようなことしかしません。(オウム真理教がやっていた、座ったままピョンピョン飛び跳ねたり、あるいはスプーン曲げや念力で物を引き寄せたりするようなことです。あのようなことをするのはすべて悪魔です。そんなこと光の天使はやりません。そんなことをしたところで〔人が驚くだけで〕まったく意味がないからです。あの悪魔が起こしているといわれるポルターガイスト現象など、その典型です。悪魔が起こす現象はみな似たようなものなのです)

しかし、正しい宗教は人のためになる奇跡しか起こさないし(それは肉体の面だけではありません。特に心の面を重視しているのです)その起きる奇跡の数が違います。(高橋先生も園頭先生も毎日のように奇跡を起こされていました。〔現象や癒しの奇跡です〕もちろん私もです)

正しい宗教が起こす奇跡と間違った宗教が起こす奇跡では、まったくものが違うということです。

さて、そこでです。

正しい宗教を勉強されるなら、本当によいことが起きるのか?その実験をしてみましょう。

あの箱根の山は気象庁によりますと、すでに小規模な水蒸気噴火が発生しているということで、今後も小規模な再噴火が発生し、半径一キロの範囲内に大きな噴石も飛ぶ恐れがあるとのことです。

そうして、箱根山の噴火がこのまま終わるかどうか分からない、水蒸気噴火よりもっと大規模なマグマ噴火に移行する恐れもあるとのことです。

神奈川県にある箱根の山が、もし大規模なマグマ噴火など起こしたら、それこそ日本に与える影響は大きいでしょう。(何せ日本の真ん中ですからね。東京にも確実に被害をもたらすでしょう。距離が近い分、富士山が噴火するより深刻なんじゃないですか?)

このまま箱根の山が大噴火など起こしたら、ただでさえ日本はこれほどの異常現象が起きているのです。下手すれば潰れかねません。(そんな大噴火が日本の真ん中で起きれば半身不随くらいには確実になるでしょう)

かなりやばいのではないでしょうか?あの箱根の山が大噴火など起こしたらです。

では、止めましょうか?あの箱根の山の噴火をです。

もちろん、私に協力してくれる人が何人か出てきたらという話ですが、もし、そのような奇特な人が現れたら祈ることにします。(ただ私一人が祈っても、絶対にその祈りが聞かれることはないからです)

私は、タイの大洪水も引かせたことがありますし、数々の大きな現象も現したことがあります。あの箱根の山の噴火を、止めることが出来るのは私が祈るしかないと思いますが、このブログを読んでいる皆さんはどう思われるでしょうか?(マッ、やってみないと分かりませんが祈る価値は十分あります。日本が危ないのですから)

また無視されるなら無視されても結構です。(ただ、今回無視するなら東京の人たちどうなっても知りませんよ。マジでです。〔怖〕)

正しい宗教は、本来はこのように多くの人を救うために祈るのです。そうしてちゃんと結果を出すのです。(正しい祈りは聞かれますから)

いま私が本来の祈りが出来ないのは、あまりに神から遠い人ばかりがいるからです。(もちろん、そのような人たちを救う祈りをしていますが、肉体的に見ると私の祈りで不幸になっている人たちもいるのです。心がまだ出来ていないからです)

自分さえよければいいという傲慢な心では救われません。(いくら違うといわれても、結果的にそういう態度を取っている人が多いのです。だから、これほど危ないことが次々に日本に起きるのです)

この辺りで少し謙虚になり、神の運動に協力され神に祈られたらどうでしょう。

そういう人がたくさん出てくるなら、目の前で大きな奇跡が起きるかもしれないからです。

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6月 30 2015

法を伝える使命の重さ

だから、私のブログを読んでいる人たちは、このブログが面白いから読んでいるのではなく、心が救われるから読んでいるのです。

その自覚があるかないかは知りませんが、自分たちの心はそれを知っているのです。

法と触れ合えば触れ合うだけ心にはよいのであって(神のエネルギーがもらえるからです。例えれば法は心の肥料のようなものです)だから、私がブログを書かないとがっくりする人や怒り人までいるのです。(心に栄養をもらえるかもらえないかではずいぶん違うからです)

ウナッシーさんなど、私がブログを書かないとがっくりくるタイプなんでしょうが、この法に縁が深ければ深いほど、自分の心が高ければ高いほど、法に触れないつらさは大きくなるのです。(それこそ一日法に触れない日があるだけでがっくりくるのです。そのような人も、このブログを読んでいる人の中にはいるのではないでしょうか)

しかし、普通はこれだけ毎日のように法を伝えるということはありません。(園頭先生が書かれていた正法誌だって月に一回です。それ以外の時は、高橋先生や園頭先生のご本を読んだり、ビデオを観たりして自分で法の勉強をしていたのです)今がどれだけ異常事態なのか、このようなことでもそれがよく分かるはずです。(そういう法に縁が深い人、心の高い人が何もしようとしないからです)

自分で法を勉強し、法を多くの人に伝えなければいけない人の分まで(そういう使命のある人は、このブログを読んでいる人の中にいます)私がやっているのです。(しかもほとんど無報酬で)

それは私にばかり奇跡が起きるはずです。そういう人たちが自分の使命を果たさないため、本当はそのような人たちが得るはずであった徳が、全部私に回って来ているからです。(よく考えてみれば〔鳥や魚が寄ってくるなどの〕これほどの奇跡は高橋先生や園頭先生にも起きていなかったのです。そのような両先生にも起きていない奇跡が起きるのは、時代が変わったということもありますが、それとともに一人で法を説いているということもあるようです。〔使命を果たさなければいけない人たちがまったく使命を果たさない〕高橋先生や園頭先生には法の流布に協力される人はたくさんいたからです。私などほんの数人です。これでは徳が集中するはずです)

このように、徳がこの世に形になって現れてくるということも大変珍しいことなのですが、逆にいえば、それだけ使命を果たさなければいけない人たちがボッーとしているからでしょう。

だから、神がそのような人たちのやる気を促すため、このような世にも不思議なことをこの世に現されたのです。

世にも不思議なことなのではないでしょうか?

そこらにいる鳥や海や川や池にいる魚、犬や猫、亀やカニや貝に至るまで、あらゆるものが私に寄ってくるのです。このようなことが起きたのは、もしかしたら史上初かも知れないのです。

史上初の不思議なことまで起こして、そうまでして神は、そのような使命ある人たちを目覚めさせようとしているのです。その人たちの罪は重いといわざるを得ません。(これほどのことを神にさせた人間も、もしかしたら史上初かもしれません)

このブログを読めなくてがっくり来る人、怒っているような人など、法を伝えるなにがしかの使命はあるのです。

その使命を果たしてください。(何をするかは自分で考えてです。人にいわれてするのではありません。自分で考えてするのです。その自分からしたよいことだけが自分の点数となるからです。その点数〔徳〕がたまらないと当然ではありますが天上界に行けません。使命がある人は自分の本当の使命を果たさないと、その点数は加算されません。それがこの世の修行だからです)

私は、周りの多くの人たちに嫌われながらも、それでも法を伝え続けているのです。法を伝える使命がある人は、このような苦労こそしなければいけないことであり、金儲けや名声を得るための苦労など、それは、これから法を伝えるための肥やしとなるだけの苦労なのであって、自分たちがしなければいけない本当の苦労ではないということです。(それは釈尊の弟子たちや、迫害を受けたキリストの弟子たちを知るなら分かるはずです。そのような苦労こそ法を伝える使命がある人たちがする苦労であるのです)

使命ある人は、自分たちの様々な体験を通して、法を世の多くの人々に伝えていかなければいけないのです。

そのような、使命を果たさなければいけない人たちが使命を果たそうとしないため、世界中で異常現象が起こり始めています。

それも、使命ある人たちがその使命を果たさないからです。

例えば、口永良部島の噴火でもそうです。島に帰りたがっている人はたくさんいます。

しかし、噴火が止まらなければ島民は島には帰れないのです。火山の噴火を止めるには、そこに住む人たちが神の心(法)を知って祈るしかないのです。

それをするならあの噴火は止まるからです。

しかし、それを私一人では伝える術がないのです。(仮に伝えることが出来たとしても誰もそれを信じないでしょう)だからそれを伝えて、そのことを島民に信じさせることが出来る、そのような人が必要なのです。

そのようなことが出来る人はいると思います。

例えば、多くの人に信用がある地位や名声がある人など、その自分の地位や名声を利用して、多くの人に法を信じさせるのです。

そうすれば、そこに起きている異常現象を収めるだけではなく、その異常現象を起こさないことも出来るのです。

そのような適材適所で法の使命を果たすべき人たちが、その使命を果たしているなら、このような異常現象が次々に起きることなどなかったのです。

先ほど、使命を果たさなければいけない人たちが使命を果たそうとしないため、世界中で異常現象が起こり始めた、と書いたことが嘘ではないとお分かりいただけるはずです。

そのような異常現象を、起こすことも可能なら止めることも可能であるということは、私が数々現した様々な現象でお分かりいただけると思うからです。

私は自分の身を犠牲にして(どれだけ評判が悪くなろうと)そのような異常現象は、自分たちの心でどうとでもなるということを証明したのです。

私が自分を犠牲にして伝えたことを、今度は使命のある人が使命のある場所でそれぞれ伝えていただきたいのです。(それこそ自分の身を犠牲にしてでもです)

それが自分たちの使命であるからです。

そうすれば本当の世界平和が実現するからです。

この法の流布をじゃますることが、どれだけ大きな罪となるかはこのようなことからも分かると思います。(そのじゃましているところがまた何か起きたようですが…自業自得です)

この法を世界に拡げれば、本当の世界平和が実現するのです。

その法を伝えなければいけない使命の重さを、もう少し自覚されてはどうでしょうか。

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6月 29 2015

していることの罪深さ

ニュースで流れていましたが、あの台湾の火災事故は凄かったですね。

地獄のようだったといっている人もいるようですが、まさに火炎地獄とは、あのようなものなのではないでしょうか。

放火犯や焼身自殺などした人が、火炎地獄に堕ちるそうですが(だから焼身自殺などした人は、死んでもまだ体が炎に包まれているということです。どれほどの苦しみでしょうか。本当に地獄に堕ちるということは恐ろしいことなのです)こちらも深い地獄に堕ちて行かないといけないような人がたくさんいます。

早く心変わりをされてはどうでしょう。

どこかの会社も、この暑いのに窓を閉め切って仕事をしています。(熱中症になる人がいるのではないかと心配です。だってそれも私のせいになるからです)

しかし、やることは同じようなことをしています。同じことをしているから同じ現象が現れるのです。何でこんな分かりやすいことが分からないのでしょう。本当に不思議です。

この人たちは、やたらこのパソコンの音に感情的になり、でかい音を立ててじゃまをし続けているのですが、このパソコンでブログを書くことで、そのブログを読んだ多くの人が救われているのです。(法を発信し続けているのですから当然そうなります)

ということは、私がこの場所でパソコンをうてばうつだけ、多くの人が救われていくのですから、そのじゃまをしているということは、多くの人を救うことのじゃまをしているということになりますので、その罪は大きいということになります。

その大きな罪を毎日のように積み重ねてきているのです。

そうであるなら、この人たちの罪は、どれほど大きなものとなっているのか分からないということになります。

だから、それに見合った災い(つぐない)が現れてきているのです。

毎日のように災いが起きているようですが、あなたたちが毎日のように行っている罪に比べれば、まだそのつぐないは少ないといえるでしょう。(だから、死後地獄に堕ちるのです。その罪のつぐないの足らない分を地獄で清算するからです。先ほども書きましたが苦しい場所ですよ。地獄は)

あなたたちがじゃまさえしなければ、私はもっと多くの人を救うことが出来ます。

自分たちが、していることの罪の大きさを少しは自覚されてはどうでしょう。あなたたちは多くの人が救われていくのをじゃまし続けているのです。(この人たちは単に私に嫌がらせをしているだけだと思っているようです。その程度のことで、そんな恐ろしいことが起きてくるわけがないでしょう。しかしこれは、私に嫌がらせをしている人、全員にいえることですけどね。だから恐ろしい災いが起きるのです。それだけしていることが罪深いことだからです)

これだけ毎日、人の心を救い続けている私に布施をされるどころか、嫌がらせをしたり、無視したりしているというのですから、本当に日本の人たちはやっていることがデタラメですね。(だからこれほどの現象を現されるのです。そう考えると、やっていることみな大して変わりません。〔苦笑〕)

それにしても日本の人たちは、他国の人たちのように独裁者に支配され、極端な差別を受けているわけでもなければ、考えられないくらいの貧困な生活をしているわけでもないのです。

ずいぶん(そのような国の人たちから見れば)恵まれた生活をしている人が多いはずなのに、そのように恵まれてしまうと、今度は、神に顔さえ向けようとせず人の意見に耳を傾けようともしません。

人は、困れば困るほど神に頼り、恵まれれば恵まれるほど神から遠のいて行くものなのでしょうか?

どちらにしても極端です。苦しいからと、何でもかんでも神に救いを求めるのもいけなければ(それは自力ではないからです)生活が恵まれているからと、神を少しも思わないのもいけない。

人の本当の幸せは中道にあるからです。神を思うのも中道でなければいけないのです。(神は中道という法秩序の中に住まわれているからです)

しかし、そのような貧困で戦争ばかりしている国から見れば日本の人たちは恵まれているのです。

今日食べる物さえおぼつかず、いつ鉄砲の弾が飛んでくるかもしれない、そんな戦場のような場所で穏やかな神の心を悟ることが出来るでしょうか?

この恵まれた場所日本で神の心を悟らなければ、これ以上の悟れる場所はないのです。

そのような恵まれた場所で、神の心を知ろうともせず、自分のことばかりやっていてよいのでしょうか。

このブログを毎日読んでいる人は、それだけ毎日心が救われているのです。

自分が救われるだけでそれでよいのですか?世界には救われていない人がたくさんいるというのにです。

嫌がらせをする人ばかりでなく、ただこのブログを読んでいるだけで私のいうことを少しも聞こうとしない人たちも、もう少しその罪の深さを自覚してください。(この教えが世界に拡がれば世界の人が救われるからです)

そのように、これ以上ないという恵まれた環境で、法を知ったにもかかわらず何もしようとしない、またはじゃまをするというその罪は、本当に深く大きいといわざるをえないのです。

(何度もいいますが、このブログを書くのをじゃましている人たちや私に嫌がらせをしている人たちは、例えば、川に流されそうになっている多くの人たちを、私が助けようとしているのにそれをじゃましている、それと同じことをしているのです。〔無視している人たちは傍観者です〕それは罪にはならないのでしょうか?そのような行為は罪になります。だから、その罪のつぐない〔災い〕を受けているのです。では、その人助けをしている私に協力したらどうでしょうか?当然、それは自分の徳となります。だから私に協力してくださいといっているのです。法を説いているということは、それは即ち人助けをしているということなのです。人助けをしているなら、協力するのは人として当たり前のことなのではないでしょうか。その当たり前のことさえしようとしない人が多いから、日本はこのような災いが次々に起きているのです)

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