>>ブログトップへ

6月 11 2015

法を学ぼうとしない罪

東海、関東甲信も梅雨に入りましたが、すでに九州などは凄い雨になっているようですね。(今日も熊本など避難勧告が出ているようですが)

このブログを見ていながら、自分のことばかりやっている人がほとんどです。(本当に神のかの字も思わない、少しも協力しようともしない、そのような人が多いようです)

それでは、このような状況になるのも仕方がない話でしょう。(おまけに、このブログを書くのをじゃましている人たちまでいるのですから。それで天罰を食らっていても、それも私のせいにしているんですから言葉もありません)

このブログを見ている人たちの罪は重いといわざるをえませんが、私は昨日、名古屋港に行ってきました。

久しぶりに名港水族館(名古屋港水族館)の魚たちも見たかったからです。

これまで、あまり撮らなかった魚たちを動画に撮りましたが、どの魚もそれなりに可愛いのですが、アザラシやイルカ、ペンギンなど相変わらず可愛らしいですね。

その名港水族館を出てからの話です。

名港水族館は名古屋港にあるので、水族館を出るとすぐに海が広がっているのです。その海側にも公園がつくってありますので、その公園に行き海に向かって「お前らいるのか」と呼びかけました。

するとです。これまではどれだけ海に呼びかけても無反応でしたが、昨日は呼びかけるとすぐに魚が跳ねたのです。

「あれ、今日は跳ねるのか」と思い、動画を撮りながら呼びかけると、何のことはないすぐ近くでわりと大きな魚が何匹も跳ね、魚が岸近くまでたくさん寄ってきているのが分かりました。

この前(一ヶ月くらい前だと思いますが)来た時とはずいぶん様子が違いました。これまでは、名古屋港でいくら叫んでも魚は跳ねなかったからです。

結局、昨日は名古屋港のあちこちでずいぶん魚たちが跳ねていました。こんなことはこれまで起きなかったことです。

そういえば庄内川や堀川の時も感じましたが、最近は、起きる奇跡が大きくなっているようなのです。

というか、起きる奇跡が段々大きくなっていくように感じるのです。(だから起きる災いも大きく〔激しく〕なっているのでしょう。また何かというか、次々に何か起きているようですが、もう、そのような危ないことはやめたらどうですか?どれだけ責任転嫁をしても悪いのはあなたたちの方だからです。悪いことはあなたたちにしか起きないからです)

こういう結果が出るのも当然といえば当然でしょう。私一人が法の流布を一生懸命行っているのです。ということは、一人で徳を積んでいるということになり、その徳が現象として現れてきているのでしょう。

だから起きる現象が段々大きくなっているのです。

いま私が大きな現象を祈ったら、さぞ大きな現象も現れると思いますが、この状況で(ただでさえ異常気象が次々に起きているのに)私が大きな祈りをしたら、本当に日本が潰れてしまいます。

さすがにそれはしませんが、このまま法を知っている人が無視や嫌がらせを続けるなら、どちらにしても日本は潰れてしまいます。

そのような心をいい加減反省されてはどうでしょうか?それをしない限り自分も日本も救われないからです。

間違っているのは、そのような態度をし続けている人たちなのです。

このような不幸が次々に起きている日本で、奇跡が次々に起きている者もいます。

少しは、その者のいうことを聞かれ協力されてはどうでしょう。

奇跡が起きている者のいうことを聞かない限り、奇跡は起きて来ないからです。

追伸…イスラム国の勢いがなかなか衰えません。空爆を散々受けても、大がかりな自爆攻撃(一人や二人がそれをするのではなく、爆弾を積んだトラック三十台が突っ込むとかです)で勢いを盛り返しているようです。

宗教が絡む戦争は本当に難しいですね。命をなんとも思わなくなるからです。むしろ命を捨てた方が天国に行けると思いこんでしまうからです。

日本でも島原の乱が有名ですが、この時は幕府側の兵力が十二万四千人に対し、一揆側の兵力はわずか三万人余りでした。

圧倒的な勢力の差があり、しかも幕府側はみな戦闘を専門としていた武士の集団です。(一揆側はもちろん農民ばかりです)それなのに、三ヶ月の戦闘で幕府側は一万数千人もの死者を出したのです。

農民を相手に、武士の集団がこれだけの大損害を受けたのですから、徳川幕府が宗教による結束をどんなに恐れたかは想像にかたくありませんが、その同じ恐れを対イスラム国を戦う(アメリカなどの)有志連合は持っているのではないでしょうか。

このままでは有志連合、イスラム国ともにどれだけの死者を出すか分かりませんし、最悪「イスラム国」という国が、本当に出来上がってしまうかもしれないのです。

こんな間違った宗教に縛られた、人の命をなんとも思わない、そんな国が出来上がってもよいというのでしょうか?(そうなったら、世界中でテロの恐怖に毎日怯えなければいけなくなるかもしれないのです。現在でもすでにそうなりつつあるからです)

このような間違った宗教にも法(正しい本当の宗教)なら対抗できます。

私のように祈って奇跡が次々に起きる、そのような人が十人でもいれば、その十人が祈れば、そのような国(イスラム国)の内部や外部から次々に現象が現れ、その国はよい方(または崩壊)に導いていかれるからです。(それは日本を見ていれば分かるのではないですか?様々な現象が起こりよい方に導かれています…あまりよい方ではありませんか?それは日本の人々の心が悪いからです)

武器など使わずとも、正しい宗教があれば、世界を平和に出来るのです。(ただし滅ぼすことはできません。間違った祈りが聞かれることはないからです。正しい祈りしか聞かれないからです)

もう法を拡げなければ、世界が滅ぶかもしれない状況でもあるのです。(異常気象もありますし)

いつまで同じ場所で同じようなことをしているのですか?日本だけではなく、世界の危機まで刻々と迫っているというのにです。

(それにこの辺りは、イスラム国だけではなく北朝鮮も何かやばい気がしますし)

0コメント

6月 10 2015

次々に起きる不思議な出来事

また昨日は堀川で凄いもんを見ました。何でこうも毎回違うものが見られるのか、本当に不思議でもあり、ありがたい話でもありますね。(笑)

昨日、堀川に行くと川一面に細かなさざ波がたっていました。

何か川の様子が変だなと思い、川の中をのぞくと、なんと川一面の水面近くまで多くの小魚が上がってきて泳いでいるではありませんか。それはそれで凄い光景でした。(昨日は比較的水がきれいでしたので、本当によく見えました)

「凄い数の魚だな、なにこれ」とかいいながら堀川の川沿いを歩いていたのですが、その川一面に小魚がいる状況がずっと続いているのです。ですから、どれくらいの小魚が水面に上がってきていたのか分かりません。もう想像できないくらいの数の小魚たちです。(昨日は、午前中くらいまで雨が降っていたので水の中が酸欠にでもなって、それで上がってきていたんでしょうか?それにしては元気でしたが)

その小魚たちに声をかけると、喜んで跳ね回っているのもいます。

これだけ多くの小魚を一変で見ることも初めてでしたが、その目に見える多くの小魚たちが、私が声をかけると跳ね回ったり、あるいは遠くにいた小魚の一団が、わざわざこちらに泳いできて私の前で泳ぎ回ったりしているのです。

それどころか、まだ底から上がってくるのもいます。そういう光景もまた不思議でしたね。(小魚とはいえ、これだけ数が多いと迫力ありますし)

昨日は、このようにどえらい数の小魚を見たのですが、その光景も不思議ですが、何でそこらの川にいる魚が、私の声に反応して喜んで泳ぎ回っているのでしょう。

こういう現象を生物学者はどのように説明するのでしょう。ぜひ一度意見を聞いてみたいものです。(笑)

科学の領域を超えた(科学では説明できない)大きな力が作用しているように思えてなりませんが、そのような何か大きな力が私の回りでは働いているようです。(別にこれは私だけではなく、誰にでも働いているのでしょうが、その力を味方につけるか、つけないか、それだけのことでしょう)

一昨日は庄内川に行っていたのですが、小雨が降っていました。

さすがに雨が降っていると小魚は水面まで上がってこないのですが、大きな魚は関係なしにあちこちで跳ねているようでした。それに私の近くを泳いでいる鯉もいて、それが顔を出したり近くで跳ねたりしていました。

魚によっては一メートル近く高く跳ねるのもいて、迫力がありました。大きいのは大きいのでやはり迫力がありますね。

庄内川で雨が降っている時など、川に向かって声をかけるより、その歩いている川岸に声をかけます。

なぜそうするのか?

庄内川の川岸には、石がいっぱい敷き詰められているところがあるのですが、その場所にはたくさんのカニがいるからです。

雨の日に、その場所で私が声をかけると、そのカニがたくさん出てくるからです。(雨の日じゃないと出てきませんね。すでに出てきているのもいますし。だから晴れた日は、そこにカニがいるのかどうかも分かりません。全然出て来ないからです)

マァ、カニはたくさん出てきても、私が近づいて行くと逃げてしまいますが、それでも可愛いですよ。そういうあちこち歩き回るカニを見ているとです。(笑)

私が川など行けば(もちろん、すずめやらムクドリ、カラスや鳩などはどこに行っても飛んできますので)このようにたくさんの動物たちが出てきて、心を癒してくれます。

そうして不思議な光景も見せてくれます。その一部でも(あくまで一部ですけどね)皆さんにも見ていただきたいと思い動画に撮っていますが、その動画がもう少しでまた出来てきます。

その動画を観て、私のいっていることが嘘ではないと理解していただきたいと思います。

今回の動画は、カモメがいるのに、その横で平気で跳ねている魚とか(普通こういうことが起きるでしょうか?)静かだった川が(堀川ですけど)私が声をかけると、あちこちで次々に魚が跳ね出し、終いにはそこらじゅうで魚が跳ね回っている場面とか、犬や(これは家の飼い犬なんですが)可愛らしい態度を取る野良猫とか、呼んでいると寄って来る川の魚たちとか(これは荒子川での出来事です)わりと面白い(不思議な)動画がいくつか撮れていると思います。(あっ、小魚も撮れていますが、その時撮った小魚はたいした数ではありませんでした。その時は凄い数の小魚だと思っていたのですが、その後、次々にもっと多くの小魚を見たものですから、いま思うと、その時撮った小魚がずいぶん少なく感じるのですが、それでもわりとたくさんの小魚は映っていると思います)

また、そのような動画も観て、この法の偉大さを少しは感じてもらいたいと思っています。

法を知れば知るだけ不思議なことが周りに起きてきます。(私に嫌がらせをする人に、おかしな災いなど起きていることも含めてですが)

少しは法を知る努力をされてはどうでしょうか。

そうすれば、これまでとは全く違う、幸せな人生が歩けることになるからです。そうしてそれは、この世だけではなく死後の生活も保障されることになるからです。

0コメント

6月 09 2015

神の国に入ることの難しさ

昨日も書いたのですが「神の国に入るはいかに難しいか。富める者が神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方が、かえってやすし」とキリストがいわれている通り、神の国(天国)に私たちが入ることは、それほど簡単なことではないのです。

それなのに、これだけの災いを神から与えられ、それでもまだ多くの人は神を思おうとしないのです。そのような人たちが神の国に入るのはまず無理であるということです。

本当に心を変えようとしません。なぜこれだけ頑ななのか呆れてしまいますね。

昨日もどこかの会社は何か起きたようなのです。夕方帰ってくると明らかに雰囲気が変でしたし、死にそうな顔をして出てきた従業員までいたからです。

それなのに、今日も朝から(明らかに腰は引けているのですが)同じようなことをやっています。

これでは今日もまた何か起きるのではないですか?反省の態度がまるでみられないからです。

何で反省しようとしないのでしょう。悪いことが起きているのに(それも次々とです)それでもまだ反省しようとせずに同じことを続けている、これでは起きてくることは変わりません。そのような態度がいけないと分かるまで、その恐ろしい現象は起き続けるのです。

態度が間違っているからです。(しかも大きくです)それだけ法の流布をじゃますることはいけないことだからです。

いっても分からないんですから、こればかりは仕方ありませんが、自分たちが滅びる前に気づいてほしいものです。

しかし、本当に同じことばかり書いています。(私も少しあきてきていますが)なぜ、皆さんこれだけの災いが起きていて、それでも態度を変えようとしないのでしょう?

本当に不思議です。(間違ったことをしているから災いが起きているのに、その自分たちの間違いを絶対認めようとしない、傲慢というほかありませんね)

今日も関東で震度4(栃木)の地震がありましたが、関東の皆さんはどうでしょう。

地震の巣といわれているくらい危ない場所もあるのです。(茨木南部ですが)前にも書きましたが、今のままでは本当に危ないのです。

現在の日本は神を思う人があまりに少ないのです。

それは死ぬ間際になっても、神のかの字もいわない人が多いということでもその事実が分かります。

芸能人が癌になって死ぬ間際まで仕事のことをいっていた、本当にあの人は立派な人です、などという報道の仕方をどこもしていますが、そのような報道の仕方は間違いなのです。

あのような死に方をした人はみな地獄に堕ちているからです。(地獄に行く人を立派な人とはいわないでしょう)

亡くなられた人が不憫で、それで気を使いそのような報道の仕方になるのかもしれませんが、そんな報道をすれば、それが立派な死に方であると多くの人が思ってしまいます。

報道の仕方も、これからはもう少し考えた方がいいのではないでしょうか。その報道の仕方一つで、多くの人を救うことも出来れば地獄に堕とすことも出来るからです。

そのような、この世に執着を持ったまま死ねば地獄に堕ちるのですが、では、どのような心で死ぬのがいいのか、それを書いておきましょう。

それにはキリストが昇天された時のことを書くのが一番いいでしょう。あれだけ世界の人々に大きな影響を与えて(もちろんそれは後世の人も含めてです)亡くなられた人もいないからです。

キリストは、数々の奇跡を現して福音を説きたくさんの人々を救われました。しかし、最後は十字架の人となり生涯を終えられます。

多くの人々の心を福音を説かれることで救われ、そうして肉体さえも癒しの奇跡で救われたキリストが、その救った人たちに最後は十字架にかけられ殺されるのです。

普通の人であれば「あれだけ救ってやったの」と恨みもするのでしょうが、キリストは違いました。

それはキリストの最後の言葉で分かります。キリストは昇天される寸前に次のようにいわれたからです。

「神よ、人々を見捨てたもうな、そのなすところを知らざればなり」

こう叫ばれキリストは昇天されたのです。

キリストは、最後の最後まで少しも人を恨まず(もちろん、この世に執着されることもなく)自分を十字架にかけた人たちも含めたすべての人々を神に祈ったのです。

「神よ、この者たちを見捨てずお導きください。この者たちはまだ知るべきことを知らないのです」

死ぬ間際になっても、キリストは自分のことより人のことを神に祈られているのです。ちょっとレベルが高すぎますが、私が、死ぬ間際くらい神のことを思わなければいけない、といったことが少しはお分かりになるでしょうか。

死ぬ間際に、このような心になるならば、私たちはみな神の国(天国)に入れるのです。

もちろん、キリストと同じ心に私たちがなれるわけありませんが、この死ぬ間際のキリストの心は参考になるのではないでしょうか。

人を恨むわけでもなく、この世に執着されるわけでもなく、最後まで人々のことを神に祈る、これこそ私たちが死ぬ間際に思っていなければいけない心であり、神の国に入ることが出来る唯一の心であるのです。(最後まで人のことを思え、というのも無理かもしれませんが、自分のことくらい思えるはずです。最後の最後はキリスト同様、神に祈ることが出来ないといけないといっているのです)

死ぬ間際にそのような心であればいいのなら、死ぬ間際だけそのような心になればいいのではないか、と短絡的に思う人もいるかもしれませんが、普段、人の悪口ばかりいって、怒ったり恨んだり平気でしている人が、死ぬ間際になって、このような安らかな心になれるわけがないのであって、だから私は、いまから神の心を勉強していないといけませんよ、そうしないと神の国には入れないのです、といっているのです。

普段から神に祈って安らかな心になっていなければ、死ぬ間際に、そのような心になれるわけがないからです。(死ぬ間際など、特にそのような執着の心や恨みつらみの心が出てくるのです。〔これでこの世の終わりと分かるからです〕だからこそ、よけい普段からそのような安らかな心になっていないと、そのような心が死ぬ間際に出てくるはずがないのです)

神の国に入るには、生きている間もそうですが、死ぬ間際まで神を思う安らかな心を持っていないと入ることが出来ないのです。

金、地位、名誉、そのようなことばかりに執着していてはいけないと、私がくどいほどいう理由も少しはお分かりいただけるのではないでしょうか。(もちろん、怒りやねたみ、ひがみなどの心はもっといけませんが…そういうことばかり思っている人がこの辺りは多そうです。態度で分かります。残念です。そのような人たちはみな地獄行きです)

いつまでも人を恨んでいても仕方ないでしょう。(それもほとんど責任転嫁の逆恨みだし)キリストは救った人にまで裏切られましたが、それでもそのような人たちを恨むことなく、最後はその人たちを神に祈って亡くなられたのです。

もちろん、この世の金や地位や名誉に執着されたわけでもありません。

少しくらい、このキリストの心を見習われたらどうでしょうか。

人はいつ死ぬか分かりません。安らかな心、神を思う愛ある心にすぐにでもならないと神の国に入ることは出来ないのです。

0コメント

6月 08 2015

近づけば天国、離れれば地獄

昨日でしたか、一昨日でしたか、私が堀川沿いを歩いていると何か堀川がピカピカ光るのです。

最初私は、太陽の光が堀川に反射して、そうして光っているんだろうと気にも留めずに歩いていましたが、どうも光り方が不自然なのです。

やけにピカピカ光りすぎるのです。

何が光っているんだろうと、よく堀川を見ているとそれは光の反射ではありませんでした。何のことはない、小魚があちこちで跳ねていたのです。その小魚が跳ねた時に、腹の白いうろこの部分が太陽の光に反射してそれが光っていたのです。

しかし、毎度毎度、鳥にせよ、魚にせよ、変わったことをしてくれます。「何だお前らいたのか」と声をかけながら、その光景を見ていました。

こちらが声をかけなくても、魚たちは私が来たことを知っているようです。(すずめたちが騒ぎますので、それで分かるのかもしれませんが)

私がいることが、近くにいる魚から遠くにいる魚まで分かるというのですから不思議なものです。(堀川のいろいろな場所で跳ねていましたので)何でそんなことが分かるのでしょう。魚同士がしゃべっているわけでも何でもないのにです。

こういうことを考えましても、目に見えない不思議な力は存在すると思いますし、その力を味方にするのと敵にするのとでは、自分たちのこの世の生活もまるで違ってくると思います。

ずいぶん、その目に見えない力を敵に回している人が多いようです。まだ、この辺りはサイレンがしていますし、もうどこかの会社など一生懸命です。(このブログをじゃますることにです。なにかじゃましてきますね)

この会社、仕事は力仕事であるはずなのに、最近は会社のこちら側の窓を開けようとしません。(先週など暑い日も多かったのに…熱中症に気を付けてください)

窓を閉めておけば、恐ろしい現象が防げるとでも思っているのでしょうか?そのようなことは全然関係ないのです。(現に閉めていても起きていますし)

心と行い、それのみなのです。(その心と行いが神の心に叶っているのなら、そのような恐ろしい現象は起きないのです)

神の心から遠ければ遠いほど災いは起きやすくなります。もっと神の心に近づかれたらどうでしょう。そうすれば奇跡が起きてくるからです。

しかし、神の心から遠い人が多いのは確かでしょう。それが日本にこのような災いを呼んでいるのです。

こういう災いばかり起きている人たちもダメですが、このブログを見ているだけの人もダメでしょう。

服の色や時間合わせなどしたところで(ゼロではないのでしょうが)それで善行を行っているとはとてもいえないのです。(現に日本で起きている災いは止まらないですし)

お寺や神社などに行けば皆さん何をされますか?

まさか、お寺や神社に行って、服の色を合わせたり、時間を合わせたりしていればそれでいいと思う人はいないはずです。

普通お寺や神社など行けば、お賽銭をあげて手を合わせてお参りくらいされるでしょう。

お蔭が、あるのかないのかよく分からないお寺や神社に行っても、それくらいのことはされるのです。

では、お蔭があると分かっていることに、なぜそれくらいのことが出来ないのですか?(まさか、この法にお蔭がないなどとはもう誰も思わないでしょう。現に私にはお蔭〔奇跡〕が現れっぱなしなんですから)

お賽銭に名前を書いて投げる人もいません。名前など書かなくても、自分がそのような善行を行ったことは、すでに神様は知っていてくださると誰でも知っているからです。

では、それと同じことをされてはどうでしょうか?

お寺や神社に行って、そんなことをされるより、この法に対してそのようなことをされた方がよほど功徳となるからです。

名前など書いても書かなくても、また通称でも偽名でも何でも結構です。(こういう時は偽名を使っても罪になりません。よいことをするのに名前は関係ないからです)皆様方がされることはみな神は知っているからです。

されてはどうでしょうか?この法に対する少しくらいの感謝と報恩の行為をです。

それだけの恩恵は、すでに多くの人はいただいているはずだからです。

では、その分のお返しはして当然のことだと思いますが、それを多くの人がいつまでもしようとしないから、日本は次々に災いが起きているのです。なぜ、それほど頑なに、それくらいのことを拒否しているのですか?(逆にそれが不思議ですね。このブログを読んでいる人が、それほどお金に困っている人ばかりとは思えないからです。お金に余裕がある人が多いのではないかとも思えるからです。お金に余裕がある人の方が出さないんですかね。キリストも「富める者が神の国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」といわれているくらいですから)

このブログを読んで知らないことを知り、心を救われた人も多いでしょう。なぜ、それに対し感謝も報恩の行為もされようともしないのですか?まったく、そのようなことをされたわけでもない神社やお寺には、喜んでそのような行いをするのにです。

いつまで、このブログを読んでいる皆さんは勘違いを続けるのでしょう。今のままでは、このブログを読んでいても何の益にもならなというのにです。

なるわけがありません。先ほども書きましたが、法を聞いて、すでにその恩恵はいただいているのに、それに対し感謝も報恩の行為もされないのです。それでは一方でよいことをしていながら、一方で悪いことをしているということになりますから、自分の益になどなるわけがないでしょう。

むしろそれでは罪をつくっていることになります。そのような態度は、釈尊やキリストの話を聞きながら、その一方で泥棒をしていることと同じだからです。

今のままでは、どれだけよい話を聞いても神からは遠いままです。

神の心から遠いようでは、よいことも起きないし、死後よい世界(天国)に往くことも出来ません。

もう少し神の心に近づかれてはどうでしょう。そうすればよいこと(奇跡)も起きてくることになりますし、死後もよい世界に往くことになるからです。

神の心に近づけば天国であり離れれば地獄です。神の心に近づくためには、よい行いをする以外ないのです。

2 コメント

6月 07 2015

時代の変化

最近は、異常気象はもちろんですが、これまでなら一年に一度、起きるかどうかの大きな事件や事故も次々に起き、そのような事件や事故でも多くの人が亡くなっています。(それも世界的規模でです)

おかしいと思いませんか?

日本での何十人単位で人が亡くなる災害ばかりでなく、外国では、そのような災害に加え、飛行機事故(事件)や客船の事故などでも数百人単位の人が亡くなっているのです。こんなことが立て続けに起きているなど、どう考えてもおかしいのです。

現れる現象が激しくなっています。これこそまさに末法の世から正法の世に時代が変わった証拠でしょう。だから起きてくる現象がこれだけ違っているのです。

これまでなら、こんなに激しい現象がこれだけ続けて現れるなど考えられませんでした。しかし、最近の現象の現れ方は異常なのです。

異常気象は温暖化で説明がつきますが(これも無理やりというか強引なだけのような気がしますが)では、これだけ立て続けに起きている、大きな事件や事故はどう説明するのでしょう。

昔よりも、このような事件や事故に対する規制は強化され、安全面は厳しくなっているはずです。にも関わらず、このような大きな事件や事故が最近は次々に起きているということは、そのような外部の力ではどうすることも出来ない、何かの力がかかってこのようなことが起きているのではないでしょうか?(それとも偶然ですか?偶然で年に一度起きるかどうかの大事件や大事故が、これだけ立て続けに起きるでしょうか?一度や二度の話ではないですからね。もう何度もこのような客船や飛行機の事故は起きています。ここ半年かそこらの間にです)

これは偶然ではないでしょう。目には見えませんが何かの力が働いているのです。

では何の力が働いているのか?ということですが、先ほど私は何かの力がかかっているのではないかと書きましたが逆です。これまではかかっていた力がかからなくなった、そう書いた方が正確であると思います。

つまり昔なら守られていたことが最近は守られなくなった、それだけのことなのです。

簡単な話です。その何かの力とは天の力なのです。

運がよかった、ついていた、それが天の力であり、それがなくなるとこのようなことが起きるのです。

そうではないでしょうか。このような事件や事故は逆にいえば、いつ起きてもおかしくはなかったのです。

大事故を起こした韓国や中国の客船など、これだけ規制が厳しくなっているにも関わらず安全面など二の次ですし、飛行機の事故でも、これまででもあのような精神に異常をきたした操縦士はいたはずです。

しかし、これまではこのような大きな事件や事故は起きなかったのです。(数年に一度くらいはそのような大事件も起きましたが、これだけ立て続けに起きたことはありません)

何で起きなかったのか?これまでは天が多くの人々を守っていたからです。

守護霊や指導霊という霊の話は、皆さん誰でも聞かれたことがあると思いますが、このような(その人を守ったり指導したりする)霊は誰にでもついているのですが、そのような個々の霊とは別に大勢の人を守るという役割は天が担っています。

その天が、多くの人を見放してしまえば(もうこちら〔あの世、実在界〕に戻れということであるならば)その人たちはもう天から守られませんので、そうなると、このような一変で人が亡くなるということも起きるわけです。

では何で、これまで大勢の人を見放すことをしなかった天が見放すようになったのか?それが時代が変わったということなのです。

これまでは末法の世であったがため、少々の悪いことは許されていました。そのような時代であるため仕方がないと、ある程度の悪いことをしていても天もまだこの世での修行を許されていたのです。

しかし、時代が変わればそのようなことは許されません。

すでに正法の世になったのですから、本当の神の心を理解しようとしない人たちには、次々に現象が現れ、もうこの人は神の心を理解出来そうもないと天が判断すれば、あの世に戻されるということも起きるわけです。

それが、最近頻繁に起き出した異常気象であり、大きな事件や事故なのです。

もちろん名古屋で起きている異常現象も同じです。私が現れたからこのようなことが起きだしたのではなく、時代が変わったからこのようなことが起きだしたのです。

もう、神の心から遠い人は許されないのです。そういう時代となったからです。(神から遣わされた人に嫌がらせをしているんですから、そのような人たちは、もっとも神の心から遠い人といっても過言ではありません。ではあの世に引き上げられても文句はいえないでしょう。今の時代で最悪のことをしているからです)

だから私は、くどいほど時代が変わったといっているのであり、時代が変わったからこういことが起きるといっているのです。

ただ、その私のいったことを多くの人が信じないだけです。

時代が変わるなどそんなことがあるわけがないと、勝手に自分たちの小さな考えの中にとどまって、それ以上のことを考えようとしない人が多いのです。

しかし、ではそのような人たちにお聞きしたいです。

この名古屋で起きている現象が私のせいというのであれば、この(日本も含めた)世界中で立て続けに起きている、天変地変はもとより、異常な事件や事故はどうして起きているのですか?とです。

これはただの偶然なのですか?偶然にしては異常な大事件が起きすぎているのではないですか?これだけの大事件がこうも相次いで起きるものなのですか?とです。

なんでもかんでも、偶然だの、たまたまだのいっている人は進歩のない人なのであり、すべてこの世に起きることには原因があるのであり、だから、そのような結果が出ているのです。(それは釈尊も教えています)

時代が変わったから、このような事件や事故が急増し出したのであり、そうであるなら、一刻も早くこの法が出現したことを(日本だけではなく)世界に伝えなければいけないのです。

世界に伝えなければ、また、このような大きな事件や事故は起きるはずだからです。(それは日本も同じですけどね)

ここに書いたことは嘘ですか?適当に後付けのように書いているだけでしょうか?

そうではありませんね。なぜなら、ここに書いていることは、このような大事件が起きるよりも前に、このようなことが起き出しますと書いているからです。先にこのようなことが起きると書いているからです。

私のいうことを無視していて大丈夫でしょうか?

ここに書いたことを無視すればするだけ、恐ろしい現象は現れるのです。

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。