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3月 09 2015

愛を出す大切さ

何かこの辺り微妙な雰囲気ですね。(なんとなくいるだけで胃がピリピリするようなです)

今日も朝から、でかい音をたてているところもありましたが、何が起きているのか知りませんが、怒りや憎しみよりも愛や喜びです。

同じ思うであれば、愛や喜びを思った方がいいでしょう。その方がよほど幸せになれるからです。

怒ってばかりいるから不幸になるのです。今起きている状況をどれだけ人のせいにして怒っていても、不幸になっているのは自分たちなのです。

では、不幸が起きている人たちが心を変えるしかないでしょう。その心をよい方(愛や喜び)に変えることが、その不幸から抜け出す唯一の方法だからです。

人の幸、不幸は、そのような心の在り方にかかっているのです。

マァ、そんな話ばかり書いていても、それこそ心が暗くなるばかりです。この前の水族館の話などもう少し書いておきましょう。

しかし、不思議なものです。どこにいる生き物もみな私のことを知っているからです。

イルカなどただでさえ愛嬌があり、みなから好かれているのですが、そのイルカたちがみな私のことを知っていて愛ある態度を取るのです。どれだけ可愛いか、その可愛らしさといったらもう書き現しようがありませんね。(笑)

私がイルカたちのいる水槽に近寄っただけで、バンバン跳ね出して泳ぎ回っています。ブシュブシュ背中の穴から水を吹き出すイルカや、水面から顔を出して「ギャーギャー」鳴いてるイルカもいます。

名港水族館(名古屋港水族館)には、いくつかイルカの水槽があるのですが、一番大きな水槽でもイルカが泳ぎ回って跳ねていました。

下に行って、その一番大きな水槽を横から見ていると、中で泳いでいるイルカたちが何度も私の方に泳いできて、キィキィ鳴きながら泳いで行きます。すぐ横にロープがたれていたのですが、そのロープにかみついて遊んでいるイルカもいます。

もう可愛いといったらありません。

イルカたちの横の水槽にはベルーガがいましたが、このベルーガも(別名白イルカといわれているくらいですから)イルカたち同様、可愛らしい仕草で泳いでいました。

私が水槽の上から見ていると、私の前をグルグル回って泳いでいます。そうして、その水槽にはボールが浮いていたのですが、そのボールについている紐を加えて泳ぎ回ったりもしていました。(このベルーガは体長が四メートルもあるのです。色の白いそんな大きなものが私の前をグルグル泳ぎ回っているのです。何か未確認生物のUMAを見ているような錯覚におちいりましたね。ベルーガを直接見たのも初めてだったし)

本当に可愛いらしいことこの上なしです。

他の水槽をのぞいてみれば、いろいろな魚がたくさんいる水槽の中では、エイが泳ぎ回り、私が動画を撮っていると、その画面に何度も入って来るのです。

エイばかりではありません。いろいろな魚が、私が動画を撮っていると画面に入ってきました。魚によっては、私の目の前から動かずに私を凝視している魚もいました。

その魚たちの仕草を見ていると、どの魚も、その魚なりの愛嬌があり、あのような無表情な顔をしていても、みな特徴があって可愛くて仕方がないのです。

愛があると、あの恐ろしい顔をしたウツボまで、可愛く見えてしまうのですから不思議なものです。

それ以外でもゴマフアザラシやシャチ、そうしてやはり愛想がないウミガメまで、可愛らしい態度を取ります。

はっきりいってたまりませんね。(笑)

そうして、水族館から出て、横の公園に行けば、今度はすずめが飛んできて、ピィピィ鳴いています。私の足元まで来たすずめもいます。もう水族館の横にある公園のすずめはみな私のことを知っているようで、離れたところで私を見かけると私の方に嬉しそうに飛んできます。

最近はやりだした動物カフェなどありますが、私はどこに行っても、その場所にいる動物たちに癒されるのですから、わざわざそんなところに行かなくても、そこらの公園で自販機のコーヒーを飲んでいるだけで、そこが動物カフェに早変わりしてしまうのですから、これだけありがたい話もないわけです。(だから私が外にいれば、それがそのまま動物カフェ状態となるのです。〔笑〕)

何にでも愛を持って接するのであれば、動物たちに毎日癒される、このような奇跡的な毎日が続くわけです。

とにかく私は(人間以外の)生き物のいるところに行けば癒されます。そこにいる鳥などの生き物が必ず私を知っているからです。

だから、動物園とか、他の場所にも行って、いろいろな動物の不思議を撮ってこようかとも考えています。愛を出すなら、このような奇跡が起きると、現代の人たちだけではなく、後世の人たちにも知らせたいからです。(というか、あの水族館の動物たちが可愛すぎて、もう行きたくて仕方ないのです。年間パスポートを買おうかと思っています。これだけ動物たちに愛を出されてはもう行かずにはおられません。〔笑〕)

そのような動画をたくさん残しておけば、多くの人が愛の大切さを知るからです。愛があれば奇跡が起きるということを知るからです。

その愛とは正反対の怒りばかりだし、災いばかり起きているところもあるようです。(今日も朝から怒っている人がたくさんいます)

愛の大切さをもう少し自覚されてはどうでしょうか。

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3月 08 2015

人の智慧

先週から、ずいぶん恐ろしい現象が始まったようですが、大丈夫なんでしょうか、あの会社。

昨日もやたら怒っていたようですが、今日の休みで少し頭を冷やした方がいいでしょう。もう少し冷静に考えないと、取り返しのつかないことにもなりかねないからです。

それにしても変わりません。同じような態度で同じようなことをし続けています。残念ですね。あの会社に、もうこういう態度はやめよう、こんなことばかり起きているのだから、あの人のいうことを聞いてみようと、皆を説得出来る智慧の深い人が一人でもいてくれたらと思います。

そうすれば、救われる人も出てくるからです。

それは特別、どこかの会社の人たちだけでもないでしょう。この名古屋にも、そのような人が何人かいてくれたのなら、これだけのことは起きなかったでしょう。それが残念で仕方ありません。(何度もいいますが、普通は年を取った人が、そのような話を若い者にするのですが〔人生経験長いのですから〕そのような年を取った人が、子供と同じようなことを私にしてくるのです。年寄りが年寄りの智慧を出さなかったばかりに、このような不幸が広がったのです。やはり人には年相応の役割というものがあります。単に年を取るだけではなく、人生勉強はし続けないといけないとつくづく思いました)

しかし、遅きに失した感はありますが、やっと気づく人も出てきたようです。

ずいぶん、バスやトラックの運転手が私にブシュブシュやるのを我慢しているようです。(本当は我慢ではいけませんが)そのかいあってサイレンは減りました。(それでもやる人がいます。そのようなトラックの会社、ここに社名でも書いておきましょうか。この会社が名古屋に病人を増やしているとでも書いてです)

やっと分かっていただけましたか。ずいぶん時間がかかりました…などと書くと、またいきりたってブシュブシュやる人が増えるかもしれませんが、もう、そのようなことはしてはいけないでしょう。

そんなことをすれば、今度こそ名古屋は取り返しがつかないことになるからです。

このような結果が出ている以上、もう認めざるを得ないのではないですか?この名古屋に起きているサイレンは、どこに(誰に)原因があったのかということをです。(認めている人もいるから、ブシュブシュやる人も減ったんでしょうが)

それを大っぴらにいうこともないでしょうが、しかし、単にやめただけというなら、その罪は許されません。その償いもされた方がいいでしょう。(これほど多くの名古屋の人が病気になったのですから)

その償いとは簡単なことです。そのような心(人を一方的に悪く思う)を反省し、その者にやった嫌がらせの逆のことをその者にすればいいのです。そうすればその罪はなくなっていくのです。

なぜなら、その者によいことをすればするだけよいこと(奇跡)が起きてくるからです。それで多くの人が救われるからです。(災いを起こした後に、今度は奇跡を起こすのですから。当然その罪はなくなって行きます)

どこかの会社の件もそうで、この名古屋に起きているサイレンの件もそうです。

その者にやっていた悪いことを反省し、その者によいことをすればいいのです。そうすればその罪も許され、よいことも起きてくるからです。(何せ、その者にはすでに奇跡が起きているからです)

いつまでも自分の意地を通している場合ではないでしょう。これほどのことが起きているのです。もう少し智慧を働かせたらどうでしょう。そうすれば、この名古屋に起きている大変な現象も収めることが出来るからです。

少しは、その兆しも出てきたように感じます。(まだ少しですけどね。歩いていての嫌がらせも多少は減ってきましたから)名古屋の人たちは(認めたくないかもしれませんが)これほどの悪いことをしたのです。(それは起きている現象で分かります)

では、今度はよいことをしなければいけません。そうしなければ無実の者に罪を着せた、その罪はなくならないからです。何もしなければそれでよいとはならないからです。

その罪の償いはしないといけないのです。

よいことを早くやればやるだけ、災いは早くなくなり奇跡も起きてきます。もういい加減されてはどうでしょうか。よいことをです。(奇跡が起き出せば、今度は多くの人が救われていくのです。そうすれば今度はそれが自分の徳となるのです)

そのような奇跡が起きてくる前提として、動物たちの大変可愛らしく不思議な動画もたくさん撮れています。(その動物の不思議の動画のSDカードがもう三枚もあります。また公開しないといけませんね)

とにかく愛ある行いをするのであれば、そこに奇跡が起きてくるのです。これまで名古屋の多くの人は、逆の行いをしてきたのです。(人に対する一方的な嫌がらせ)

だから災いしか起きなかったのです。行いが間違っていたからです。

しかし、愛ある行いをするのであれば奇跡は必ず起きるのです。(これほどの災いが起きたのです。愛ある行為をするのであれば、それ相応の奇跡は起きてきます)

現に私の周りは、そのような奇跡が次々に起きているのです。動物たちの不思議な行動もその一つなのではないでしょうか。

そのような動物たちの行動は、見ているだけでも癒されます。なぜ見ているだけで癒されるのでしょうか?

それは、その動物たちが愛を出しているからであり、そのような動物たちでさえ愛を出すのです。何で神の子の人間が愛を出せないのでしょう。そのような動物たち以上に私たち人間は愛を出せるのです。

釈尊やキリストにも、私に起きている同じ奇跡が起きていました。この釈尊やキリストは慈悲深い、愛深い方であったということは、世の多くの人々が知っています。

そのような慈悲深い、愛深い方には、様々な動物が寄って来て同じように愛を出していたのです。

その慈悲深い、愛深い方のまねをしてです。

愛を出せば愛が自分に返り、怒りを出せば、その怒りが自分に返ってきます。

この名古屋での体験は、大いに自分の智慧とすべきなのです。

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3月 07 2015

大調和の世界

昨日はずいぶん静かだったですね。(さすが、バスやトラックの運転手にはこのブログの内容が伝わるのが早い。皆さんのチームワークは抜群ですね。〔苦笑〕)

そうしたらサイレンもそれほどなりませんでした。(静かとはいえ、やる人はやりますから。その分は出るでしょう)

このサイレンのなり具合など見てもよく分かりますね。現在は神の業が前より激しく現れている状況なのです。(多分、昨日も何か起きてるんじゃないですか。どこかの会社の様子がおかしかったですし)

その神の業が激しく現れだしているにもかかわらず、この名古屋で起きているサイレンは、そのような嫌がらせが多い少ないに比例しているのです。(ここ最近はあまりブシュブシュされないので、ずっとサイレンが少ない状況です)

なんなら、また前のように多くの運転手が、私を見てブシュブシュを始めたらどうでしょう。増えると思いますよ。このサイレンの数がです。

どちらにしても、あまりに分かりやすい現象が名古屋に現れています。

あとどうするのかは、自分たちの心次第でしょう。(まだ、まだ怒っている人が多いですし。前の会社もこれほどのことが起きていて、それでもまだ〔ずいぶん減りましたが〕嫌がらせをやめようとしません。どれだけの現象が出れば自分たちが悪いと自覚できるのでしょう。そのような態度は自分たちを不幸にするだけでなく、多くの人を不幸にするのです…それは運転手の人たちも同じですが)

しかし、このような現象が名古屋に現れてきて、私に怒るのもお門違いだと思いますよ。

だって「何でそんな悪い者に鳥が寄ってくるのか?」という、たった一つの質問にさえ誰一人答えられないのです。(この質問に答えられないどころか、それをいわれるとビクッとする人も多いのです)

ということは、私が(この名古屋で起きている異常現象の)犯人かどうかなど、はっきり分かっている人はいないということであり(私に、鳥がこれだけ寄って来る現象の意味が分かっている人がいないのですから、当然そのように想像できます)私が犯人かどうか分からないのに、名古屋の多くの人たちは、私をこの異常現象の犯人に仕立て上げ、寄ってたかって嫌がらせを続けているのです。(もう何年にもわたってです)

ということは、この前書きました因果応報の反動が出てきてもおかしくはないのであり(無実の者に罪をかぶせて嫌がらせを続けているかもしれないのです。当然その報いは受けなければいけないでしょう)それが(特に最近は)顕著に現れ始めた、ということなのではないのでしょうか。

先ほどのサイレンの件でもそうですが、ずいぶん分かりやすい現象が(善因善果、悪因悪果)名古屋には現れています。

私に嫌がらせなどしている人は「自分は何も悪くなくて、悪いのはすべてお前」などとは、とてもいえないのではないですか。自分も反省する部分がたくさんあるのではないでしょうか。(深く考えもせず、人の噂だけを信じ嫌がらせをしているのです。それ正しいことですか?)

自分を省(かえり)みようとしない人に、こんなことをいっても無駄かもしれませんが、しかし、現在の名古屋は自分を省みなければもう救われません。(それほどの現象が現れていると思いますが…)無駄とは思いつつそれでも書くしかありませんね。

とはいえ、それはそれとしてです。そういう、進歩のない人たちの話ばかりしていても面白くありませんので、少し進歩した話も書いておきましょう。

高橋先生は次のようなこともいわれています。

「人間が大調和すれば、動物たちも争わなくなる。肉食動物が草食動物を襲うこともなくなり、ライオンと鹿が同じところで寝ているという光景も見られるようになる」

高橋先生は、人間たちが調和すると動物界の争いもなくなるといわれていました。

肉食動物には草食動物を襲わなくてもよいように、他の食べ物が与えられ(何か肉のような食べ物が発見されるそうです)草食動物が増えすぎないよう(現在はそれを肉食動物がしているのですが)大自然がコントロールしてくれるそうです。

つまり、人間界の争いがなくなれば、人間だけではなく動物も争うことがなくなる、そのような奇跡的な大調和の世界が現れるそうです。

よく考えてみれば、今のような食物連鎖はおかしいですよね。草食動物が草を食べて、その草食動物を肉食動物が食べる。弱肉強食です。これは神の心と矛盾しているのではないですか?

神の心は大調和であるからです。

これは人間にもいえることですが、他の生き物の命を奪って(牛や豚、魚など)自分たちは生き延びているのです。

これは神の心ではありません。その神の心ではないことが現在の世界中のいたるところで行われているのです。

つまり、このようなことも(神の子の)人間が調和できていないため現されていることであり、本当の姿ではないということです。

人間が大調和を果たせば、新しい食べ物が発見されるそうです。栄養バランスのよい、肉と同じような食べ物で、そのような食べ物を人も肉食動物も食べるようになるようです。(原料が何か忘れましたが、何かそのような食べ物が発見されるそうです。ただ、植物や魚たちは自分の体を供養して、他の生き物を生かすという使命が与えられているようです。だから、魚など痛みを感じないのです。〔これはテレビでもいっていましたが〕自分を殺して他を生かす、そのような使命もあるからです)

そのような食べ物が発見されれば、肉食動物と草食動物が争う必要もなくなり(肉食動物は、食べ物がほしいためだけに草食動物を襲っているからです。決して、草食動物が憎くて襲っているわけではないからです)草食動物が必要以上に増えなければ、調和された世界が動物界にも現れるわけです。

実は私、この高橋先生のお話は、さすがにピンときませんでした。あまりに現実離れのした話に思えたからです。(高橋先生が話されることは現実離れのした話が多いんですが。〔笑〕)

肉食動物が、草食動物を襲うのは当たり前のことだろうし、人間が他の動物たちの命をいただくのも当たり前のことだと思っていたからです。

しかし、その思いが最近変わってきたのです。

それは私に、鳥や魚が寄って来るという奇跡が起きたからです。

そういう体験をして、初めて高橋先生のいわれる新しい食物連鎖の話が理解出来たのであり、実感として分かったのです。

それはそうでしょう。鳥や魚がこれだけ嬉しそうに寄ってくるのです。そのように嬉しそうに寄って来る鳥や魚たちを食べられるわけがありません。そのようなことが起きれば、誰だって他のものが食べたくなります。(現実に、もう魚のまるっと焼かれたものとか、煮られたものとかが食べられなくなりました。見ただけで気持ち悪くなるのです。〔何か、自分の友達が焼かれたり、煮られたりしているようでです〕刺身とか、そのような形が分からなくなったものはまだ食べられますけどね)

それに、よく考えてみれば、新しい食べ物が出てくるなら、特別生き物を殺さなくても、そちらを食べればいいのです。

ちょっと発想を変えれば、そんなことそれほど奇跡的なことではなく、当たり前に移行できることであり、本来は、それはそうだろうと思えることなのです。(それはそうでしょう。他の生き物を殺さなくては自分たちが生きられないなど、どう考えてもおかしいからです。神の考えから離れすぎているからです)

私たち人間が大調和するなら、このような奇跡も起きてきます。

小さなことで争っている場合でしょうか?小さな意地にこだわっている場合でしょうか。

少しづつ心を変えていくだけで、その先には素晴らしい大調和の世界が待っているのです。

この法は、そのような先の先のことまで教えてくれます。

この法に心を合わせる。これ以上大事なことはないのではないでしょうか。

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3月 06 2015

神の力、霊の力の証明

昨日もまた何か起きたようですね。まだ怒っているようですが、そういう場合ですか?(これ大変なことが起きているんですが、その自覚ありますか?)

怒っている暇があるなら反省された方がいいでしょう。(その方がよほどその現象を止められるからです)昨日と同じことを書いても仕方ないので書きませんが、この辺り、起きている現象が激しさを増して来たようです。

反省されるなら早めにされた方がいいでしょう。そうしないと(何度もいいますが)滅ぼされることになるからです。(法の流布を五年もの間じゃまし続けたのです。この罪はかなり重いです)

やりたくないのなら無理にとはいいませんが、多分その現象、抑えることが出来るのは私だけだと思います。

私に頭を下げるのは死んでも嫌だというのなら、もう死ぬしかないかもしれません。法にかかわることは命懸けです。私だっていつ死ぬか分からない状況なのですから、そのくらいの覚悟はあってしかるべきでしょう。

意地を通したいのなら、どうぞ死ぬまで通してください。

そうして、昨日でもまだブシュブシュやってきた人もいれば、平気で嫌がらせをしてくる小中学生もいます。

そのような人たちに一言だけいっておきますが、この辺りの起きる現象が変わってきているようです。そのようなことをしている人たちは気をつけた方がいいでしょう。毎日のように恐ろしい現象が現れ始めたところもあるからです。

年が若いだの知らなかっただの、そのような言い訳は一切通用しません。私が悪いと思いこんでいるのなら、それはそれで結構です。(そういう人たちは何をいっても聞かないでしょうから)そのような人たちも意地を通したのなら、どうぞ死ぬまで通してください。

近いうちに本当にそのようになるかもしれないからです。

マァ、こんなこと何度(何十度?)書いても同じでしょう。この辺りの人たちは一向にビビらないからです。神を少しも恐れようとしないからです。(そういうのを傲慢というのですが)

では、神を恐れるようになるまで、このような現象は出続けるのではないでしょうか。そのような態度が人として当たり前の態度であるからです。

もう少し謙虚になってはどうでしょう。それもまた人として当たり前の態度であるからです。

自覚のない人たちに何度も同じことをいっていても仕方ないでしょう。(私がまたいじめられるだけです)話を変えましょう。

昨日、私は名古屋港水族館に行ってきました。

予想通り?いや予想以上でしたね。

あそこにいる生き物、すべて私を知っているようでした。

昨日は初めて行ったので、水族館にいる魚たちも、それほど大きなリアクションもしないだろうと思い、動画を撮らずにまず見物しようと思っていたのですが、何が何が、凄い喜びようでした。

ベルーガを見ていたら、あまりに私の近くに寄って来て泳ぎ回るものですから、これは撮った方がいいなと動画の撮影を始めました。

ベルーガを少し撮った後、今度はイルカのいるプールに行ったのですが、そのイルカたちもまた凄いはしゃぎようです。(小さい方のプールで、私の目の前でバンバン飛ぶんですから驚きました)

その後、ウミガメのいる水槽、イワシやマグロ、ウツボや他の魚がいる水槽などいくつも動画を撮りましたが、どこの水槽も魚たちの態度が(多分)普通ではないと思います。(私、水族館にあまり行ったことがないので、はっきり分かりませんが)

こちらを凝視している魚もいれば(泳ぐのをやめて、私の目の前に止まってこちらを見ている魚が何匹もいました)急に嬉しそうに泳ぎ回る魚もいました。私の前を何度も往復する魚もいて、ウツボなど凄い顔でこちらを見ていました。(というか、ウツボの顔が怖いので、そのように見えただけかもしれませんが。〔笑〕)

ウミガメも何度も私の前に来て、目の前で暴れているようなそぶりまでしていました。

ゴマフアザラシなど、私の目の前に来て、私の方をジッと見ているのです。その表情がまた可愛いのですが、その横の水槽にシャチがいたのですが、そのシャチもまた不思議な態度を取りました。

シャチが私の方にゆっくり泳いできたかと思うと、私の目の前で急に止まったのです。大きなシャチが(かなり大きかったです。それこそ十メートル近くあるシャチなんじゃないですか。あそこの水族館で一番大きなシャチでしたから)十秒ほど私の目の前で止まって私の方をジッと見ていました。(目がまともに合いましたが、シャチの目って本当にかわいらしいですね)

そうしてまたゆっくり泳いで行きましたが、何でしょう。あのシャチの態度は。

まるで私と、久しぶりに会ったかのような態度で(そのような態度を取ったのは、特別シャチだけではありませんが)嬉しそうな目でこちらを見ていました。

そのような魚たちの不思議な行動は全部動画に撮ってあります。

魚たちのこのような態度、こういう現象もまた、現代の科学では説明できないのではないでしょうか。

初めて会った魚たちが、もう前から私のことを知っているかのような態度を取るのです。このような現象を科学はどう説明するのでしょうか。

このような魚たちの態度を見ても、この自然界に起きる現象を、神や霊の力なしに説明することなど出来ないのではないでしょうか。

神や霊の力が魚たちにかかっていなければ、このようなことは起きないと思われるからです。

ニュートンは、この自然界の様々な現象を神や霊の力を無視して説明したのですが、しかし、その考えは間違っていたのです。

この自然界における諸現象は、すべて、神や霊の力なしには説明できなかったのです。

その神の力、霊の力をニュートンは自動的とか、機械的とか、勝手に自然が行っているように説明しただけで、実際は、そのような大きな意志(神、霊)の元に与えられていた力(エネルギー)であったのであり、そのこれまで分からなかった、神、霊の大きな意志が、私が撮る動画を通して世の人々に証明されているのです。

そのような大きな意志が存在しなければ、このような動物たちの態度は起こり得ない出来事であるからです。

この現在の科学を、まったく否定するような現象をいつまでも無視していて、それでよいのでしょうか。

神の力、霊の力が、私の周りに次々に現れ始めています。

その力を無視し、いつまでも否定しているようでは、そのような人たちに、その神の力も霊の力も味方することはありません。

神の力、霊の力が世に次々に現れる時代となりました。では、その力に従うほかないのではないでしょうか。

それが神の子の人間として、あるべき姿であるからです。

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3月 05 2015

名古屋の現象、それは即ち世界を変える現象

また、何か起きたようですね。(急にガンガンやりだしてわざわざ教えてくれますからね。本当によく分かります)

……これ、かなりやばいんじゃないですか?これまで以上の恐ろしい現象が現れ始めたのではないでしょうか。

もう、洗いざらい、これまで起きたことを正直に話して、私に詫びを入れた方がよいのではないでしょうか。

そういう心からの反省がない限り、その罪は許されないからです。(そうすれば私も、あなたたちをお許しくださいと、神に祈ることも出来るからです)

それとも、そのまま何もしなくてそれで許されると(何も起きなくなると)思いますか?それだけ激しい現象が現れ始めてです。

あるいは他の誰かに頼みますか?では、頼んでみてください。名のある霊能者でも、大僧正(だいそうじょう)といわれる坊さんでも結構です。そういう人に頼まれて、祈りでもお経でも上げてもらうといいでしょう。

それで、その現象が収まると思うなら早くされた方がいいでしょう。そうしないとあなた方は滅ぼされるかもしれないからです。

妙ですね。どちらかといえば最近はサイレンが減ってきたようなのに、この会社にはこれだけの現象が現れ始めています。

何が起きているんでしょうか?サイレンが減った分、この辺りに集中して恐ろしい現象が起こり始めたのではないでしょうね。この辺りの人たち、あまりに私に対する態度が悪いからです。(本当にこの辺りを歩いていても、前から来る人はまず何かやっていきますから)

なんか最近は、こんな話ばかり書いています。同じような話ばかり私も書きたくはありませんが、こうすぐ近くで分かりやすいことをされてはね。

それをほっとくわけにはいかないし、そのような神の業がすぐ近くで現れているのなら、それを書かないわけにはいかないし、何で名古屋はこうも事件ばかり起こるのでしょう。(神にかかわるです)

「それがお前のせい」ということになるんでしょうが、それをどれだけいわれても、異常現象は日本全国で起きているのです。(特別名古屋だけではありません)

まさか、日本全体で起きている異常現象も(現在も北海道や東北など、かなりの雪が降っているようですが)私のせいとはいわないでしょう。

では、何でこんな異常現象が毎年起きるようになったのですか?

温暖化が原因ですか?そういうこれまでの発想が間違いであると知らせるため、名古屋でこういう現象が起きているのです。

これまでの唯物無神論、そうして自然現象は機械的、自動的につくられ運動している、というニュートンの理論が間違いであると知らせるため、名古屋でこういう現象が起きたのです。

ニュートンは、独自の科学的方法で、自然界の様々な現象を神や霊の力なしに説明しました。そうしてその科学的理論が、ここ数百年の間(世界で)信じられて来たのです。

しかし、その理論は間違いであると、この名古屋の人たち、そうして、このブログを前から読んでいる人たちには分かったのです。

私が何度も、自然現象の起きた意味と、そうして、このままではこのようなことが起きますと書いて、何度もそれが起きた事実を知っているからです。

そうして、この名古屋で起きている超不自然な現象をみな知っているからです。

この名古屋を中心として起きている、超不自然な現象を皆が知ったため、これまで数百年の間信じられてきたニュートンの理論が、この地よりです。(名古屋の人たちが、一番ニュートンの理論を信じられなくなっているでしょうから)覆(くつがえ)りつつあるのです。

このような現象が名古屋で起きたため、この数百年の間、日本だけではなく、世界で信じられていたニュートンの理論が間違いであるということが、名古屋を中心とした、この日本から分かりつつあり、そのニュートンの理論が間違いであると証明するため、この名古屋はもとより日本各地の異常現象は起こされているのです。

この世に起きている自然現象は、決して機械的、自動的に起きているのではないのであって、すべて、神と霊の力により行われているのであり、それが名古屋で、この日本で、次々に起きる現象で証明されたのです。

これほどの現象が現れては、自然は機械的、自動的に動いているのではないと、認めざるを得ないからです。他の何かの力がかかっていると信じざるを得ないからです。(私が祈り、この大自然の天気が明らかに変わったという事実も、このブログを読んでいる人たちはみな知っているはずです。それも証明の一つです)

これほどの証明が名古屋や日本全国でなされ、そうして、その事実を日本の多くの人が知っている、これは十分にニュートンの理論を覆すことが出来ることであり、もしかしたら歴史の大転換、科学の大転換が、この日本より起こるかもしれないのです。(もしかしなくても、それは起こさないといけませんが)

この自然界に起きる自然現象は、すべて、神の力、霊の力により行われている、その事実がより理解出来たのは、この名古屋で起きた現象によってです。(神の業がこれだけ現れたからです)

だから早く名古屋の人はこの起きている現象を、神が(霊が)起こされていると理解しなくてはいけないのであり、そうして、それを理解され心を入れ替えることにより、この現象が収まれば、その事実を世界に伝えなければいけないのであり、この事実が世界に伝わるのなら、世界のこれまでの常識が一変に覆り、神を中心とした霊を中心とした、本当の世界秩序(神の心を中心にしたです)が出来上がるのであって、そうなれば、世界は一変するのです。(争いや人種差別などのようなことが、どれだけ愚かなことか分かるからです)

その世界を一変させる現象が、いま名古屋に次々と起きているのです。(この名古屋で起きている現象は、どんな名のある科学者でも科学的に説明することは出来ないでしょうから)

いま名古屋に一番神の心が現れているのです。それを名古屋の人たちは実践で学ばされているのです。

それを人のせいにしている場合ではないのです。この試験に名古屋の多くの人たちが合格するのであれば、世界が変わります。

何度もいいますが、そのような時代になったのです。早く、その時代に合わせた心にならなければいけないのです。

(これも何度もいいますが、世界を一変に変えることが出来るほどの現象を、たった一人の者が起こせるはずがないのです。すべて神の計画、天の計画によって起こされているものなのです)

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